まずは復刊が決まった「ぼくの村の話」第2巻より引用。
新東京国際空港建設が決定した茂田市三野塚に、その日初めて機動隊がやってきた。測量のための杭打ちを阻止せんとして座り込む反対派農民を実力で排除するためである。フル装備の機動隊を前にしてヘルメットも被っていない農民たちは果敢に闘ったが、力及ばず杭打ちは強行されてしまった。
しかし農民たちが機動隊に殴られ蹴られ、泥まみれ血まみれになって闘っているのに、離れたところで「反対同盟のみなさーーん、警察の挑発に乗るのはやめましょう!座り込みをやめましょう!」などと叫びつつ「明るい歌声」を響かせる一団がいた。公和党青年部の連中である。反対運動を支援していたクセに、機動隊が来ると逃げ出したわけである。
農民たちを唖然とさせた公和党の卑劣な行動はこれに留まらなかった。ある日公和党青年部が反対派農民宅を訪れ、「暴力学生集団を反対運動に招き入れるな!」などと身勝手な注文をつけたのである。
公和党が「暴力学生」と蔑むのは、当時の学生運動を率いていた全自連である。全自連が三野塚で初めて行った集会には学生だけでなく多くの農民も参加し共感を得ていた。空港反対運動の主導権を握られるのを恐れたのである。
しかし公和党が、全自連について「彼らはこの闘争を理解していないし、共に闘うどころか闘争を破壊しようとしている連中だ!」などと中傷し、集会に参加しようとした女学生を男数人で取り囲んで脅すなど嫌がらせを続ければ続けるほど、農民の信頼を失っていった。
ある日、主人公の「押坂哲平」の一家に妙な噂が流れる。公団に土地を売り渡す約束をしたというのだ。これは哲平の父だけでなく、空港反対同盟の戸田委員長さえも公団から金を貰っている、などというデマを流されていた。
これは公和党の謀略であったことはすぐ明らかになった。公和党の機関紙に「反対同盟代表 暴力学生集団を招き入れる 敵に同盟を売り渡そうとする幹部を排除しよう」などと書かれていたのだ。ついに公和党は反対同盟に刃を向けたのだ。「この闘争を理解」せず、「共に闘うどころか闘争を破壊しようとしている」のは公和党だったのである。
この事態に際し、戸田委員長は「我々を内側から壊そうとする公和党を排除し、絶対崩されることのない団結を築いていこうではありませんか!」と宣言。こうして公和党は三野塚闘争から追い出されたのである・・・
これを初めて読んだときはチンプンカンプンだったが、実際あった話だと知ってビックリした。このマンガは実在の地名・人名を少し変えているのを忘れちゃいけないよ。
茂田市とは成田市であり、三野塚とは三里塚であり、反対同盟の戸田委員長とは戸村委員長である。そして全自連とは全学連であり、公和党とは日本共産党だったのである。
■ 1967年10月10日、空港建設予定地の外郭測量のための杭打ちが強行された。座り込む農民たちが機動隊にごぼう抜きにされているのに、共産党の連中は「道路交通法違反になるから座り込みを解きましょう」などと呼びかけ、離れたところで「がんばろう、突き上げる空に・・・」などと歌いだしたのである。
しかもその後に「土地にクイは打たれても心にクイは打たれない」などと寝言をほざいたという。
ちょうどその頃、「三派全学連」が三里塚闘争に参入しようとしていた。11月3日に三里塚で彼らが主催した集会に1200人が参加すると、共産党は党派性を剥き出しにして「トロツキスト排撃キャンペーン」を展開し、全学連の運動などウソだヤラセだ、金を貰ってやってるんだと中傷した。
萩原さんは全学連の闘いは本当に「ヤラセ」なのか確かめるために11月12日の第二次羽田闘争(佐藤栄作首相訪米抗議行動)に参加した。機動隊と激突し、血を流して道路に倒れていた学生を見て、共産党こそ嘘つきであり裏切り者であることを確信したのである。
■ 切羽詰った共産党はついに反対同盟を分裂させようとした。反対派住民の会合に招かれてもいないのに乗り込んで会議を混乱させ、会合が行われている団結小屋を大勢で取り囲んで威圧するなど妨害に飽き足らず、反対同盟の何某は土地を売ろうとしている、反対同盟の幹部は(反対派農民にあてがうために)富里町の土地を購入した、などという噂を流した。もちろんそれらは「条件派」住民の土地売買の話だったり、根も葉もないデタラメだったのである。
さらに「運輸大臣と戸村委員長が話し合いをした。闘争原則に反する」と騒いだが、この会談は朝日新聞主催の公開の討論だったのである。全くネトウヨか日共でなければ思いつかないような卑しい言いがかりではないか?
12月15日、反対同盟は正式に共産党との絶縁を宣言した。こうして共産党は成田闘争から叩き出されたのである。同盟幹部が千葉県共産党本部を訪れ絶縁状を手渡すと、党幹部は「よくここに来れたな」「共産党を追放するとはいい度胸だ」などと憎まれ口を叩いたという。その後、共産党が支援していた集落は丸ごと転居した。また共産党は「成田治安法」にも賛成したという。
(以上は反対同盟・事務局次長の萩原進さんの著書「農地収奪を阻む」、事務局長の北原鉱治さん「大地の乱 成田闘争」、委員長の故・戸村一作さん「闘いに生きる」から引用)
■ このように日共は党派性のために空港反対運動を破壊することも躊躇わなかったのである。関わっていた運動から途中で抜け出すだけならまだしも、運動そのものを破壊しようとするとは呆れたものだ。これが日共の本質だ。
最初から党勢拡大しか興味がなかったようだが、党勢のために運動に加わるのは不純だ、なんて言い出したら全ての政治活動は不可能となる。しかし日共は党派性があまりにも露骨である。運動を分裂させるどころが自分たちの評判も悪くなることに気付かないんだろうか?
一介のネトサヨの俺にとって、日本最大の左翼組織である日共が、左翼からも嫌われていることが不思議だった。筆坂氏が粛清され、日共支持者も日共を厳しく批判し、都知事選では日共推薦の吉田氏に対抗して浅野氏が擁立されるのを見ても(浅野氏支持派の動きもキモかったが)、いまいちピンと来なかった。
しかしそんな俺も、野中広務氏が目玉の集会を赤旗が取材した記事の中に、野中の「の」の字も出てこなかった件でやっと目が覚めた。その後筆坂氏の著書を読んだりして日共の本質を思い知ったのである。
今まで国政・地方選挙で日共ばかり投票していたこと、日共への投票を促すような書き込みをしていたこと、というか今まで日共を批判しなかったことを反省しなくてはならない。問題はこの党が現在でも一定の勢力を保ち、得票を集めていることだ。
日共の心ある党員・議員の方々には、今すぐ脱党することをお勧めしたい。こき使われて骨までしゃぶられて捨てられる前にね。
■ 再び「ぼくの村の話」より。
公和党青年部の男たちに取り囲まれて「暴力学生」呼ばわりされた女学生は偶然通りかかった農民に助けられ、トラックに便乗して全自連が主催する集会の会場に向かった。会場が近づくとこの可憐な女学生はおもむろにバッグからヘルメットを取り出し、全自連の闘士に変身したのである。
この集会は学生だけでなく農民、反対同盟も多く参加し、
「我々は反対同盟の皆さんに敬意を表し、共に闘い抜くことをここに宣言する!」
というアジに盛大な拍手が起こった。
以後、「暴力学生」たちが農民の信頼を得て共に闘い続けたのは漫画も現実も同じである。現在も第2滑走路延伸に伴う農地収奪と闘っているのは、かつての、そして現役の「暴力学生」たちである。
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