2009-05-24 眼鏡美女の登場 
2009-05-23 やっぱりそうだったんですね 
山下晴代さんが(しつこいかもしれん。許してくれ。きっと美人だから関心があるのだ)
『世界一の美女になるダイエット』
エリカ アンギャル著
- 作者: エリカアンギャル, Erica Angyal
- 出版社/メーカー: 幻冬舎
- 発売日: 2009/04
- メディア: 単行本
のレビューを書いています。
正真正銘の「美女入門」, 2009/5/3
著者は、オーストラリア出身の方のようですが、(略)
美女=健康で、思想を持ち、品のある行動をし……という考えが基礎になっているのも、大いに信頼できる。どこたらの作家の書いた「××入門」が、「ブスの生活」そのものなのがよくわかる。
ライバルには教えたくない本である。
<<
やはり、現役美人作家のおつもりなのですね…。ちなみに『美女入門』は林真理子。
2009-05-21 四方田犬彦『歳月の鉛』を読む 
『駒場東大学派物語』を読んだ、十年ほど先輩に当たる人から、自分らの時代とは雰囲気が違ったのだな、という感想が寄せられた。佐伯彰一先生が主任の時代である。佐伯先生は、「右翼」でもあるが、研究室の運営には、そういう意向を反映させなかったようだ。
四方田の『歳月の鉛』を見ると、四方田は佐伯先生を指導教官としている。芳賀徹の名は一箇所、平川、小堀の名は出てこないが、由良君美が口を極めて罵っていた同僚というのは、小堀だろう。
四方田と同じ頃に比較の大学院にいた女性には、結婚までの腰かけの人が多く、次々と官僚と結婚していった、とあり、あまり異性としては感じなかったとある。私の当時も、官僚と結婚した人は二人ほどいたが、学者をやめることはなかった。十年の隔たりは、やはり大きい。もっとも、比較の大学院でのことは、あまり書かれてはいない。
むしろ眼に留まったのは、中沢新一が、一度もチベットに足を踏み入れることなく『チベットのモーツァルト』を出して詐欺師的才能を示したというところで、中沢は、ネパールでチベットの亡命僧ラマ・ケツン・サンポに就いて「修行」したと言うが、果たしてどの程度の「修業」だったのか。
もう一つ、エリアーデの『永遠回帰の神話』に、コーカサスのある地方では、レーニンは虎退治をした英雄として受け止められているという記述があって四方田が「マルクス主義の歴史観を包摂してしまう民俗学的想像力のあり方」に新鮮なものを感じると、柳川啓一が、林達夫が『共産主義的人間』で同じようなことを書いていると言う。
私はこの二冊とも読んだことがあるが、全然覚えていない。それもそのはずで、今読んでも何が新鮮なのだか分からない。普通だろう、と思う。要するに私は、マルクスの『資本論』には一定の評価を下すけれど、マルクス主義の歴史観などというものを信奉したことが一度もないから、何も感じないのである。
しかしつくづく四方田という人は、自分を美化してしか描けない人なのだなあと思った。大して読んではいないが、失敗談のようなものを語ることがまずない。
中沢新一は、島田裕己の批判をまったく無視して現在に至っている、とあるが、四方田犬彦は小谷野敦の批判をまったく無視して現在に至っている。
(小谷野敦)
2009-05-20 スーザン・ソンタグについて 
『スーザン・ソンタグ最期の日々』とかそういう、息子によって書かれた本の書評が『週刊朝日』に載っていた。
ソンタグといえば、1980年代には、美人のすごい批評家として崇拝されていたが、今思うと、何がそんなにすごかったのか。『隠喩としての病い』の教科書版を使って、福田眞人は名大の一年生に英語を教え、最後の授業の日にはパーティーをやって、日本人はこういう場で見知らぬ人と話をするのが苦手だから、そういう人と話すように指導した。私の弟がその授業に出ていたから、実家にはその時使った教科書版『隠喩としての病い』がある。
しかし、初めて一読して、何ほどのことが書いてあるのやらと私は思った。これをまねして柄谷行人は「結核にはロマンティックなイメージがあった」としたが、あるいはガンはどうこういうイメージというのだが、一体その程度のことがどうしてあんなに凄い本のように言われたのか、読んだ当時からよく分からなかった。だから『エイズとその隠喩』は未だに読んでいない(もしかすると「陰喩」だったかもしれないが、興味がないからどうでもいい)。
「反解釈」は確かに面白かったが、そこでソンタグが、解釈でないものとして挙げているアウエルバッハが、論理的にどう「解釈」でないのか、結局分からない。「官能美学」などと言われたって、恣意的に過ぎるし、それなら、伝記批評へ帰ったほうがましだ。
「様式について」でソンタグは、今どき、様式対内容などという対立をひとつの思想として主張する者はいないだろうが、批評の実践においてはそれは依然として行われている、と言っている。当時、「内容と形式は切り離せない」式のことを言う人が多かったから、しばらくは私も、「内容はそうだが形式は」と言いそうになって、いやそれは違う、などと思い返したことがあったが、物語内容と語りの形式が別個に存在するのは当然のことで、そういう議論ならジェラール・ジュネットやウェイン・ブースがきっちりやっている。
してみると、ソンタグというのは一体何者だったのだろう。といえば、米国最後の文藝評論家と言われるのも当然で、日本であれ米国であれ、文藝評論というのは、大した内容もないことをいかにも深淵そうに見せかける技術のことだからである。
----------------------------------
永畑道子『花を投げた女たち』を読む。波多野春房(烏峰)について少し情報は分かったが、ここでは明治11年生まれになっている。18年というのはやはり若すぎるだろう。とはいえ、永畑は、「烏峰」としての活動については何も書いていない。波多野静枝という未亡人に、飛騨高山で会って話を聞いたらしく、静枝提供の秋子の写真もあるが、肝心の、春房の没年が分からない。
2009-05-18 特集制について 
『國文學』が廃刊になるわけだが、あまり惜しくはない。あれとか『解釈と鑑賞』は「特集制」で、要するに特集を決めて、適宜誰それに原稿を依頼するのである。すると、さして重要ではない論文しか載らないからである。以前は、最近の書誌一覧を載せていて、あれは有用だったのだが、論文などつけたりである。
この手の、商業学術誌が特集制にするのは、その方が売れるからである。しかし、依頼を受けて書いたものより、自発的に書いた論文の方が質が高いのは当然のことで、結果として、重要な論文は大学紀要に載ったものだったりする。むろん、学会誌などの査読誌も原理的にはそうであるはずだが、前に書いたとおり、文学の学会誌というのは査読者が信用できないから、そうでもない。
投稿のほうが質が高いということは、吉本隆明の『試行』が投稿だけだったことで質を維持していたのでも分かる。つまり『國文學』にしても、これから廃刊になる恐れがあるあれとかあれにしても、実はいっぺん、投稿論文を積極的に乗せてみても良かったのだ。『比較文学研究』も、最近はずっと特集制になっていて、そのせいで質が落ちていると思う。