ニックネーム:   パスワード:
| MyDoblogトップ | Doblogポータル | Doblogガイド | 使い方 | よくある質問 | ツールバー | サポート |
KiKidoblog
Blog
[ 総Blog数:1796件 ] [ このMyDoblogをブックマークする ] [ RSS0.91   RSS1.0   RSS2.0 ] [ ATOM ]
2005/12/28のBlog
先に紹介した
(1)アカデミックオンブズマン制度を作ろう!
(2)日本のアカデミズム活動における問題点
アカデミックオンブズマン制度を作ろう!日本のアカデミズム活動における問題点にも再掲した。)
は、私が8年前書いて以来自分のHPに掲載して来た意見である。まだ日本がブログ時代に突入するずっと昔の時代のものである。ホリエモンの会社もまだ新規の中小零細企業の時代のことである。

関連したものとしては、
(3)「日本の物理学--明日への展望」に異議あり!: 戦後の日本におけるアカデミズムの問題点:第1-3章
(4)「日本の物理学--明日への展望」に異議あり!: 戦後の日本におけるアカデミズムの問題点:第4-6章
(5)「日本の物理学--明日への展望」に異議あり!: 戦後の日本におけるアカデミズムの問題点:第7-9章
がある。これは今から10年程前の1995年に書いたものである。これらを一部として取り込み、もっと包括的に論じたものが
(6)拙著『何が科学をつぶすのか?
であった。

ところで、上の一番最初にあげたもので論じた問題こそ、昨今韓国や日本で問題となって来た、科学者による「(事実)捏造論文」の問題の根源なのである。この問題は、「”捏造”の時代精神」においても少し紹介した。

私が”日本で最初に”取り上げてから8年以上経ち、やっとのことで、日本の官僚機構も動こうという気配が出て来たようである。(あまりに現実がひどくなったたために、動かざるを得ないというのが本当のところであろう。)

今日の読売新聞記事:論文ねつ造に罰則、研究費返還請求も文科省が導入へによれば、「不正が確認された研究者に対し、同省所管の研究資金への応募資格を最長5年間停止する。悪質な場合はすでに受け取った資金の返還も求める。」ということのようである。

少しは”本気”になってきたと見えるが、果たして効果のほどはいかに? 今後を見る以外にないだろう。
一般に日本の学者には,「研究交流」という名目でわれわれの税金から使用できる研究助成金がある。それらは,文部省,科学技術庁,通産省,厚生省等々,あらゆる省庁,およびそれらの配下にある数え切れないほどの特殊法人に予算としておかれている。その中には,基本的に,
(1)国内の研究交流を目的とするものと,
(2)国際的に研究交流する目的のものと2つに分かれる。
 例えば,理化学研究所で行われているように,われわれの税金が,アメリカ,ブルックヘヴン国立研究所内に理化学研究所の研究施設を作るために使われている。東大でも,天体観測施設をハワイに作るために使った。これらのことは日常的に行われていることで,当然日本はヨーロッパ等世界中で行っている。
 われわれの税金が国際的に使われ,世界のためになることは決して悪いことではない。むしろ歓迎すべきことである。しかし,問題は,
(1)このような事業を国や特殊法人が行うと,国内の経済状況にあわせて,撤退したり縮小したりする小回りができず,逆に年々事業拡大,予算増大を目指すことになる;
(2)ましてや,国際間の事業であるから,人を派遣するための経費は莫大なものになる;
(3)さらに,こういう研究交流の恩恵を受ける人は,官僚や特殊法人の職員や東大や国立大学の職員という極めて一部の者たち,あるいは研究協力する諸外国人たちに限られ,日本国民にはメリットがない;
(4)そして最後にはわれわれ国民があずかり知らないところで行われたり,まったくコントロールできない状況下で行われるようになるということである。
 それ以外にも,逆に研究交流の名目でわれわれの税金を使って,
(1)日本の研究者が海外に長期留学したり,
(2)海外の著名な研究者を日本国内に招いて彼等との研究協力という名目で彼等の研究をわれわれの税金で買って自分のものにしたり、
とさまざまな弊害が現われてきている。例えば,ある日本の研究者たちが国際学会をわれわれの税金を使って開催する場合,その講演録の出版物には,編集者として自分たちの名前だけを付け,科学者としての自分たちの信用に加えるが,あとは,国に感謝するだけで,われわれ国民への謝辞の掲載はないというような問題がある。 
(3)さらに,われわれの税金を使って,日常的に「研究交流」と称して,さまざまな研究会やパーティーを開いて,互いに他を招待して「接待」しているのである。このように,日本の科学者,特に東大に代表される国公立大学,有名私立大学の科学者たちのモラルは破滅的に低い。これでは,われわれの国家予算が破滅するのは当り前である。

 今,大蔵省の「接待」問題で,一般に「接待は大蔵省等の官僚の問題」のように見なされているかもしれないが,実際は,それは「東大の文化」の一つにすぎないのである。日本の「東大」の人々は,学生やそのOBも含めて世界で最も異様な人々--常識はずれな人々--である。極端に言えば,東大の学生は,彼等の教授たちから,「日本社会でどんなに悪質なことや悪気なことをしても動じない」ように育てられる。「どんなことにも理論武装し,正当化でき,平気で人を煙に巻くことができる」ように教育される。それが,彼等の言う「帝王学」である。だから「東大人間」と対面して彼等を言い負かすことはたいへん困難なこととなる。4年間も東大にいれば,どんな人間もこの「東大人間」に生まれ変わるのである。これは,オーム真理教やヤマギシズムに入信すれば,普通の人間はどんな人間でも洗脳(マインドコントロール)され,忠実な下僕(しもべ)になるのとまったく同じたぐいのことである。彼等「東大人間」の知能が高い分だけ物事は複雑になる。これは高学歴者たちで構成されたオーム真理教信者と接したり見たりした人々なら容易に理解できるだろう。決して「やくざ」を相手にするような単純なものではなくなるのである。したがって,たいへんやっかいな問題となるのである。もちろん,オーム真理教やヤマギシズムから脱会したり,脱走をくわだてまっとうな世界へ戻ってくる人達もいるように,東大出身者たちの中にもまっとうな,本当に優秀な例外的人々が少なからずいるのも事実である.しかし,大旨上で述べたような傾向を持つ人々が多いように見える.

 こういう傾向に歯止めをかけるためには,結局は国民一人一人が協力して彼等と戦って行く他に道はないだろう。私のこのページがそうしたの試みの1つになれば幸いである.
私のように、20年近く物理学者であり続け、日本やアメリカの多くの科学者を見てくると、さまざまな問題点に気付くようになる。たとえば、大学入試問題や研究者育成の問題や大学職員採用法の問題などがある。そしてこれらの問題を長い間考えて来た結果、結局それらを解決して行くためには、「アカデミックオンブズマン制度」を作る必要があるのではないかと私は考えるようになった。どうしてその必要性があるのか、以下に考えて行こう。

1。日本の科学者はそれほど賢くない。
 大学が一般市民にいつも自由に開かれているアメリカと違い、日本では一般に科学者は国公立私立大学や国立研究所や企業研究所にしかいない。そのため、大学や研究所の一般公開日など特別な場合を除き、社会で科学者が一般市民と出会う場や語り合う場がなく、互いに最もなじみが薄い。したがって、一般市民は彼等科学者が日頃何をやっているのかまったく見当がつかず、さまざまな科学雑誌や新聞などの情報から、科学者は自分たち一般市民よりずっと高級なことを気高く行っていると勝手に想像しているにちがいない。しかし、私のようにすでに20年近く物理学者であり続け、私の友人や同僚などを通じて日本やアメリカの学者たちをつぶさに見てくると、彼等科学者は一般人が見るあるいは想像するほど賢い存在ではないということがはっきり認識できるようになる。
 たとえば、次のような例がある。科学者は自分の行った研究を世界の権威ある科学研究雑誌に公表するのが仕事であり、それができて初めてその仕事は一段落する。科学研究雑誌はだいたい各国から出されていて、日本にもいくつも科学研究雑誌が出版されている。私のような物理学者は物理学研究雑誌に論文を投稿し、それがその雑誌から出版許可を得られて初めて論文が公表される。このとき、学者からなる各雑誌編集者は「レフェリー」と呼ばれる審査員(これも学者)を選び、投稿された論文の内容がその雑誌に掲載されるに値する価値があるかどうか匿名で審査する。そしてここに、学者も普通の人間にすぎないことが起こる。
 その「レフェリー」が、その論文著者の研究を以下のような個人的理由で好ましく思わない場合、その論文を却下することがしばしばある:(1)その論文の掲載によって、その「レフェリー」が研究者として以前書いた論文が、無になったり、価値が著しく損なわれる可能性のある場合;(2)その「レフェリー」がその論文の著者を個人的に知っていて、好ましく思わない場合;(3)モーツアルトに対するサリエリのように、単なる嫉妬の場合。私の知る限り、残念なことに、日本では著者が際立って名の知れた研究者である場合を除き、良い論文に対してほど(1)や(2)の理由によって排除される場合が多いように思う。
 これは、まさしく科学者も平凡な人間であるということを示している。この結果、研究雑誌の編集者である高名な学者に対して、論文をどうにかして出版しなくてはと思っている他の学者たちがプレッシャーを感じ、学者の間で「おもねり」や「ごますり」や「たかり」が起こることになる。さらに、研究雑誌の「レフェリー」であると噂される研究者に対しても、「気配り」しなくてはならないと考えるものも現われてくる。
 これでは、科学研究が一つの「闘争」であり、学問における「決闘」であると考えている欧米のやり方とはまったく異なり、アカデミズムの健全な発展は望むべくもない。このように、日本の科学者はたいして賢くもなければ、立派でもない。

2。日本の科学者はずるい。
 次に、「日本の科学者はどれほどずるいか」ということを考えてみよう。ほとんどの日本人は知らないことであろうが、これほど欧米人に馬鹿にされていることもないのではないだろうか。
 たとえば、文部省や他の省庁の出す研究費には、「国際交流」を目的とするものがある。これには、主に2種類があり、一つは日本の研究者を海外に派遣するものであり、もう一つは海外の研究者を日本国内に派遣するものである。
 前者は、日本国内に研究職を持つ日本人が、欧米の大学で1、2年学び、そして帰国するというものである。このとき、その人は自分の職からもらう給料とこの派遣研究費や奨学金から得られるものを合わせて、通常の2倍から3倍の給料を得ることができる。ところが、欧米の大学は9月末から始まり、翌年6月上旬で終わる。一方、日本は4月に新学期が始まり翌年3月末に終わる。そのため、この研究派遣の場合、その人は4月から9月までの約半年間アメリカで「語学研修」と称して遊ぶことになる。そして、翌年の3月には帰国するので、実質の留学期間は、6ヵ月しかない。したがって、半年間の労働で3年分の給料を得られるのであるから、欧米へ留学しないほうがおかしい。
 金銭面は別として、研究面でも問題がある。この形の留学の場合、海外の著名な学者のグループに入り、そこで現在活発に行われている、研究活動の一員として研究する。だから、そのグループが世界的に有名なほどその留学者にとっていいことになる。その留学者にとって6ヵ月という間に、そのグループの論文に自分の名前が載ることで、どれほど自分の名前が日本で売れるようになるか良く分かっているからである。その人にとって、実にいい「取り引き」だからである。そして、日本に帰国してから、留学先の教授との仲を利用して、自分がこの分野の大家として振る舞えばいい訳である。まして、この留学が日本社会ではクレジットになって、いわゆる「ハクがつく」ということで、助手は助教授へ、助教授は教授へというように「格」が一つ上がるのであるから、留学者の笑いは止まらない。もちろん、この留学のためのすべての経費が我々の税金から出ているのは言うまでもない。
 一方、後者の海外の研究者を日本国内に派遣する場合、自分の給料からではなく、やはり我々の税金から、海外の高名な(つまり有名な)研究者を何か月かあるいは何年か雇える。そして、雇ったかわりに、彼等外国の実力派の研究者に研究を頑張ってもらい、論文を発表してもらうことになる。問題は、このとき、雇った方の日本人研究者は、その論文に対して、ほとんど貢献がない場合も、論文に名前を載せてもらって、あたかも自分の研究のようにすることができるということである。これは、「海外の研究を金で買う」やり方である。さらに、日本の研究者が、新しい研究テーマを自分の頭を使って、今何が重要なのか考え研究するのでは時間がかかるので、そうではなく、海外の研究者を呼んで彼等からそれを教えてもらい、日本人教授が自分の助手や助教授に計算させて、共著の論文として出版するという方法も流行している。これは、「海外の研究者の下請けになる」やり方である。しかし現実にはこれらが最も手っ取り早く自分たちが世界的に有名になれる方法として、日本の東大といった国立大学で今流行しているやり方である。民間企業のように自分で金を支払ってそうするというのならいざ知らず、我々の税金がその人自身の名声のために使われるというのはたいへんな公私混同、問題行為といえるだろう。
 これらの事実は、日本の大学関係者や研究者たちは皆良く知っている、ありふれたことであるが、これがもちろん問題になったこともなければ、マスコミの話題に取り上げられたこともない。以上の状況は、文部省だけでなく、厚生省、科学技術庁、通産省などあらゆる省庁で同じように行われている。いかに日本人科学者たちが、金銭的にあるいは知的にずるいかお分かりになっただろう。しかし、これは皆日常的に行われている現実の出来事である。

3。日本の科学者はマフィアと同じ。
 次に「日本の科学者のやり方が、質的にはマフィアと大差ない」ことを考えてみよう。私が3年間所属した理化学研究所には、いわゆる巨大プロジェクトと称する、何百億円あるいは何千億円もかけた研究プロジェクトがある。最近では、「脳研究」に向こう10年間で2兆円を使うというプロジェクトが始まった。これほどの研究プロジェクトとなると、さまざまな問題が生まれてくると予想できる。
 まず、巨額な研究資金が一人ないしは一つのグループによって占められるようになるため、研究者の「独り占め」が生じ、研究における「競合」した他のグループが存在しなくなるという状況が生まれる。実際、上述の「脳研究」の場合、東大出身で理化学研究所のボスの一人である、脳科学研究所の所長、伊藤正男博士一人に巨大な権威が生じ、日本の脳研究者のだれ一人彼に反することができなくなって来ている。そのおかげで、日本の若い脳研究者たちは、皆彼の可愛い「しもべ」になろうと躍起になっているように見える。なぜなら、彼に取り入ることができれば、研究者としての将来は明るく、当分(少なくとも10年)は食べていけるが、彼に反せば職に永久に就けないかもしれないからだろう。これは、日本の「やくざ社会」や「マフィア社会」とそっくりである。
 しかし待ってもらいたい。これはどこかで聞いた話とそっくりではないだろうか。そう、薬害エイズ訴訟問題で一躍東大の名を地に陥れた張本人の大悪党、安部英教授と郡司篤晃東大教授の例である。この人たちもまた、日本の血友病の第一人者として長く君臨し続けた結果、他のどの研究者の意見も通らなくなり、この薬害が起こったのであった。彼等のために、何千人もの人たちが、死に追いやられたことは皆周知の事実である。
 このように、アカデミズムの中で、互いに競合しなかったり競争しないということがどれほど、アカデミズムの発展を阻害するか明白だろう。現在の日本人の文化と照らし合わせると、一般の日本人はあまり人と敵対したり、論争したりすることを、はしたなく感じる。できれば、だれとでも仲良くうまくやっていけたらいいと考えるだろう。この点では、日本の科学者もまったく同じである。しかし、科学の発展は常に研究者どうしの激論や論争、時には強烈な敵対関係によって、育まれてきたものである。そして我々真の科学者は、この状態が最も健全であると考えている。たとえば、古くは微分積分学に関するニュートンとライプニッツの論争、今世紀になって、量子力学に関するアインシュタインとボーアの論争、近年では、宇宙の最後に関するホーキングとペンローズの論争などがある。私の専門分野の物性物理学では、高温超伝導に関するアンダーソンとシュリーファーの論争が有名である。
 このように、科学の分野も経済界と同様に、過占状態は良くなく、避けられるべきである。そしてもっともっと科学者同士で敵対し、論争すべきである。と同時に、こういうことのできる自由が社会や科学者社会にもたらされるべきである。そのためには、より広く、対立する研究プロジェクトをサポートし、互いに競争させるべきである。さもなくば、バットマンの活躍するゴッダムシティーのように、すべては一人の悪玉にコントロールされた世界に科学者の世界は姿を変えてしまうことだろう。しかしここで誤解しないでいただきたいのは、この論争や敵対関係というものは、「けんか」するということではなく、あくまで科学上の紳士的なやり取りの上での論争であり、実生活ではお互いに友人であるという場合がほとんどである。人間的成熟度の低い日本人の場合なかなかこれができず、現実の「けんか」になって、まったく交流がとだえてしまう場合が多い。

4。日本の科学者は「から出張」する。
 私のような理論物理学者は、数百万円もあれば、研究を続けることができる。しかし、時として、何千万円、何億円も得る研究者が一方にいる。こうした研究者がもちろん1年間で研究だけにこの金を焼却できるわけはなく、この金のかなりを国際会議への参加という形で使う。(私はわざわざ年度末に研究費を全部焼却する必要はなく、銀行に貯蓄できるようにしたり、仮に研究費を余らせても次年度の研究費配分に影響がないようにすればいいと思うのだが、これらは日本では許されていない。)しかし、これとてすべて使えるわけでなく、結局どこかへ出張したことにして、一旦お金をどこかへプールしていざというときに使えるようにする。これは、しばしば組織的に行われてきている。新聞ざたの事件になった例としては、東大の物性物理学研究所があるが、その後この問題がどういう結末になったのか私は知らない。これは、現在ちまたで問題になってきている、国や地方公務員の「から出張」の問題と同じである。大学関係者も自分たちは「国家公務員」という意識が強く、まったくその点では普通の国や地方公務員と変わらない。だから、国や地方公務員と同様、そうした行為に対して罪悪感などこれっぽっちもないのが普通である。たいていこうしたことの黒幕は、研究者個人というよりは、自分たちが最も偉く、研究者たちを管理していると錯覚している、大学や研究所の幹部事務職員たちである。

5。日本の科学者は「天下り」する。
 いつも私が驚かされたことに、次のようなことがある。日本の大学や国立の研究所にいる研究者が「官僚の天下り」に対して本当にけしからんと真顔で憤りを感じるのである。これでは、日本はちっともよくならないと怒る。私もこのこと自体は彼等のいうことが正しく当然と思う。しかし、こういう良い意見を言っていた人たちが、いざ自分たちが退職して次の職を得ようというとき、決まって平気で小さな私立大学や短大の教授として、あるいは学部長や学長になるために「天下り」する。彼等は、話が自分のこととなると、「自分は単に再就職するだけであって、決して『天下り』するわけではない」と言う。私は何人もこういう人たちを見てきているが、この時ほどその人の「人間としての価値」を疑わざるをえないこともない。私には、官僚の場合も、研究者の場合も、それまでのコネを使って関連職場へ再就職したのである以上、まったく同じことであると思う。厚生省の官僚が厚生省関連の製薬会社へ天下ることと、国立大学の研究者がその関連の私立大学へ天下るのとまったく同じことである。どこにも差はない。
 確かに、その当人は自分が有能な研究キャリアがあり、それを売り物にして私立大学へ再就職したのだと思いたい気持ちは良く理解できる。しかし、すでに上で議論したように、その場合もすべての研究資金は、我々の税金が元になっているのだから、そこで得られたキャリアはその研究者個人だけのものではないのは当然である。強大な研究環境の中で研究させてもらったのだから、ある程度の研究成果を上げなければならないのは当然の義務である。にもかかわらず、現実には国立大学や国立研究所関係者が退職後、私立大学に天下る例は後をたたない。中には、1、2年ごとに次々と「天下り」のハシゴを降りるものまでいる。その度に、数千万円の退職金を得られるのだから、笑いは止まらないだろう。こういう人々には、年金は不必要だろう。
 私はいつもその私立大学の学生たちがその天下り教授をどう思うだろうかと考える。私自身、そうした天下りのたえまざる伝統を持つ究めつけの大学の一つである、東京理科大学の出身であるので、このことは学生時代から良く感じてきた問題である。結論からいうと、学生たちは、その天下りの有名教授の晩年の「なぐさめもの」か「お手伝い」になるだけのことで、まったく学生たちにとってよいことは何もなかった。私はかつて東大から天下りしたそうした教授の一人に、「理科大の学生の質はどうですか?」と聞いたことがあった。そのとき、その人は「中には1人、2人優秀なのがいるが、後は駄目」と言ったことをいまだによく覚えている。しかし、今私がこれまでに成し遂げてきた研究業績と彼が東大で行ったそれと比べて、どちらが科学の歴史に名を留めるかと考えると、言うまでもなく私の業績の方である。私のこれまでの経験からすれば、現実はまったく逆で、「東大には1人、2人まともなのがいるが、後は駄目オタクばかり」と私は東大の学生たちに言うだろう。

6。日本の科学者は仲間内で研究助成を割り振る。
 さて今度は、どのような形で研究助成が日本で行われているのか見て行こう。日本にも国や財団や企業からさまざまな研究助成がある。しかし、国家予算はアメリカの1/2程度あるのに、研究者の数はアメリカの1/10程度しかない。したがって、各省庁が研究助成を行うとき、それを取得する研究者は2重3重に特定の研究者や特定の研究グループに重なることになる。
 特に私が「インターネット時代の研究と研究助成の在り方」でも書いたように、研究助成には、応募者の所属に制限があり、「国立の研究機関やそれに準じる大学や研究所」に所属し勤務しているものでなくてはならない。そのため、学位やPh.D.というものは、自動車運転免許証のように、その人個人に属し、個人の能力を証明するものであるにもかかわらず、研究助成に関する限り、日本では個人の研究能力より、その人の所属のほうに、助成する側の関心があるようである。今は研究能力は論文出版数や論文引用インデックスなどである程度計れるので、これを下に研究者個人の研究能力を評価できる。したがって、研究助成に関する限り、応募者の所属はあまり関係ないはずである。つまり、現在の日本の科学研究助成は、COE(Center of Excelence)と言う言葉からも分かるように、世界に冠たる最高級の研究所を日本に作ることのほうに、識者たちの関心が片寄っていて、科学研究を実際につかさどるほうの個々の研究者のことにはあまり関心がないのである。
 このような状況下で、研究助成を無理にでも行わなければならず、その結果、日本では結局研究助成を自分たちの仲間内でお互いに、助成を与えたり助成を受けたりするという「持ちつ持たれつの関係」、海外ではおよそ考えられない事態が生じるのである。実際、物理学における文部省科学研究費の配分を決定する人間は、ボランティアで学会委員になった人間の中から選ばれる。したがって、東大などの物理学会近郊の大学の物理学者が、ボランティアと称して学会委員になり、自らの研究費配分を決定するのである。そして、自分たちやその仲間たちで研究費をみんな、ハイエナのようにかっさらって行ってしまうのである。こんなことをしていたら、先に述べたように、科学の健全な発展は望むべくもない。日本から、ノーベル賞を得るような、真の本物の科学者がなかなか育たない理由はこうしたところにあるのである。なぜなら、私のように、正々堂々と日本の大家に研究助成の在り方について、学会の在り方について、社会の在り方について意見を言えば、研究助成者リストからはずされてしまいかねないからである。もちろん、日本の一般市民がこういうことに気付くはずがない。
 ここに日本社会の危うい基盤があるのである。つまり、欧米社会では、科学者やジャーナリストは、一般市民の味方として、自分の意見を権威にぶつけ、一般人のリーダーとして振る舞う。しかし、日本の科学者やジャーナリストは、一般人からいわゆる「文芸人」あるいは「知識人」として見なされることを望む割には、逆に一般人の味方として、自分の意見を権威にぶつけるということはしない。欧米では、こういうやからのことを、「臆病もの」あるいは「チキン」と呼ぶ。阪神大震災などにおいても、兵庫県職員、神戸市役所職員、国家公務員、自衛隊等皆、被災した一般市民やショックを受けた国民のことより、自分たちの立場のことばかり考えて行動した。日本の地震学者も科学者やジャーナリストも皆そうだった。日本の科学者は、自分に火の子が飛んでこない限り、一般人のことはどうでもよいのである。このことは、日本社会で何か大きな事件がある度に、明白になるだろう。

7。日本の科学者の職は「インサイダー取り引き」で得られる。
 次に、日本の科学者の職はどのように得られるのか見てみよう。結論から言うと、「日本の科学者の職はインサイダー取り引きで得られる」のである。
 あなたが科学のある分野で、ある程度名の知れた、立派でたいへん誠実な研究者であるとしよう。あなたは学会誌などの公募をみて、公正に職を得ようと努めるだろう。しかし、日本ではこの形で公募に応募しても、あなたの得られる職はないというのが現実である。というのは、その職が公募という形で雑誌に掲示された時にはすでに、その背後でその職がだれのものになるかは内定ずみだからである。日本のアカデミズムの世界では、公募する前に、公募する側から、「これこれの職に、誰か良い人はいませんか?」と打診してくるのが普通だからである。そして、こうしたやり取りは、公募に関係のある研究者間では公然と、一般人の前では秘密裏に行われている。だから、あなたが彼等に公募に関して問い合わせても、彼等は本当のことを話すことはないだろう。
 かつて、私が理研にいたときも似たことがあった。当時、私と同じ分野で研究していた、東北大学理学部のある教授から、「あなたは有力な候補だから、助手に応募しませんか?」という誘いが来たのである。当時、まだ2年程理研の任期があり、理研の自由を愛していた私としては、この誘いを丁重に断わった。しかし、本当の理由は、私はそうした「インサイダー取り引き」が大嫌いだからであった。公募するなら公募で決める、しないならしないと、男らしくはっきりしたやり方が私の好みにあう仕方だからである。テーブルの下での取り引きは、私の性には合わない。その翌年以後、何度か彼等のグループの公募に応募したが、私に職が与えられることはなかった。
 このように日本のアカデミズムにおける職は究めてアンフェアーに行われているのである。これが1民間企業の中で行われている話であれば、私は何も言わないだろう。なぜなら、それはその企業が稼ぎ出したお金で行うのだから当然である。しかし、我々国民の税金で賄われている、国立大学の中での話となれば別問題である。我々一般市民は、彼等国立大学や国立研究所の職員の公平さや賢さを信じている。当然、その上で、我々国民の子弟を教えるべき学者や研究者の人事が行われていると信じている。もともと日本の制度はこうしたことを仮定して明治期に作られたものである。しかし、現実には上で議論したように、それとはまったく逆の状況にあり、ますます派閥人事や情実人事が行われているのである。こういうことをする人々に他人の子供を教育する権利はないと私は思う。

8。アカデミックオンブズマン制度を作ろう!
 以上で述べてきたように、日本の科学者は、まったく全近代的かつ封建主義的な世界に住んでいる。にもかかわらず、現代民主主義世界の科学技術に貢献しようというのだから、これほど驚かされる論法はない。まったく笑わせてくれる。こうした問題を、我々一般市民が解決するためには、私にはただ一つの方法しかないように見える。
 それは、近年日本社会でその有効性と威力を証明しつつある、情報公開法に基ずく、「オンブズマン制度」である。これは、国家、地方公務員の汚職や「から出張」などの不正を、現在の法律に基ずいて告発することのできる、我々市民にできる最良の、唯一の方法である。この方法を我々は、大学や文部省や科学技術庁や通産省や厚生省等の省庁における人事の不正を摘発するのに利用できるのではないだろうか。私は、これを「アカデミックオンブズマン制度」と呼びたい。この制度を利用することによって、我々は国公私立大学の情実人事、研究助成におけるインサイダー取り引き、論文審査の公正さなどを取り戻すことができるようになるのではないだろうか。私はそう期待する。

(1997年7月4日)
2005/12/23のBlog
[ 22:12 ] [ サッカー練習日誌 ]
2005年12月23日(金)晴れ

T3リーグ第4戦。

【対戦&結果】
会場:阿南高専。
対戦相手:貞光工業高校。
0:00PM集合。
0:10PMアップ開始。
1:00PMキックオフ。

結果3一0(前半3一0、後半0一0)勝利。

【ポジション】
前半35分 4一4一2 
 
FWーーー西川2ーーー山脇2 
MFーーーーーー須賀2
ーーー須藤2ーー山田1ーー杉本2
DFーー広瀬1ー神原1ー岡田1
ーーーーーーーー天野2
GKーーーーーー川原2 

サブ 尾形2、大庭2、弓場2、佐藤1

後半35分 3一5一2(ガンバ大阪システム)
 
FWー西川2→佐藤1ーー山脇2→大庭2 
MFーーーーーー須賀2→山脇2→西川2
ーーー須藤2ーー山田1ーー尾形2
DFーー広瀬1ー神原1ー岡田1
ーーーーーーーー天野2
GKーーーーーー川原2 

【総評】
相手チームの貞光工は、昨年の今頃共にT2で戦った相手。その後、T3に陥落し今期再上昇を狙うチーム。今年から監督、コーチの2人体制で練習するようになった。前半開始5分最初に右サイドからの攻撃で山脇が得点。神原1のロングシュートが決まり2点目。右サイドの中盤から良いパスワークで中央から須賀2が3点目。再三のチャンスがあったが好機に点が入らず、逆に前半の後半に足が止まりかけたところで、反撃を食らう。何とかしのいで前半終了。後半は完全にだれてしまい、受けに回って一進一退。両方ともにチャンスがあったが、共に無得点で終了。試合が決まったところで相手チームの7番が腹をたて”切れ”てしまい、チームワークががたがたになった。マナーや心掛けの悪いチームでは結果に反映できない。決定的なシーンもあったが、ミスシュートとなってしまった。天野2の昨年のプレーを彷佛させるものだった。一方の天野2は挑発に乗らず冷静でいられたことは成長の跡が見える。
[ 10:24 ] [ サッカー練習日誌 ]
2005年12月22日(木)晴れ
非常に寒い日。

4:30PM練習開始。2年生以下参加。
随時給水可。

(1)ウォーミングアップ。2人組ストレッチ。

(2)パス練習1。2人組の練習。
インサイドパス。アウトサイドパス。インステップパス。インステップキック。スローイン。ヘディングパス。インサイドパス。胸トラップパス。

(3)シュート練習1。2人組の練習。
クロスによる中央突破練習。両サイド行う。
ー┌一一一一一一一一一一一一一一一一一一一┬
ー|ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー|
ー|ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー| ※ボール
ー|ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー| ①選手1
ー|ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー| ②選手2
ー|一一一一一一┐ーーーーーーーーーーーー| ●ゴールキーパー
ー|ーー・ーーー|ーーーーーーーーーーーー| 
ー|一一┐ーーー|ーー・※①\ーーー・※②| 
┌|ーー|ーーー|ー・ー3ーー\ー・/1ー|
||●ー|ーーー・ーーーーーーー※/ーーー| 
└|※←一一一※②ーーーーーー/2\ーーー| 
ー|5一┘ーー4|\ーーーー/ーーー\ーー| 
ー|ーーーーーー|ー\②/ーーーーーー①ー| 
ー|一一一一一一┘ーーーーーーーーーーーー| 
ー|ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー| 
ー|ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー| 
ー|ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー|
ー|ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー|
ー└一一一一一一一一一一一一一一一一一一一┴

(4)センタリング&シュート練習1。2人組の練習。
ウィングプレー。ディフェンダーが入る。右サイドのみ。

(5)センタリング&シュート練習。6人組練習。
両サイドポジション別に選手の役割を固定した練習。
4一4一2対応。
どのパターンで行くか、起点となる選手がコミュニケーションを取りながら練習。
左右両サイドを交互に行う。
この練習によって、実際の試合のポジション間の連係プレー意識を養う。

パターン1
ー┌5一一一一一一一一一一一一一一一一一一┬
ー|※←一一一※←一一一一一一一一一一一⑥|
ー|・ーーーー4ー・ーーーーーーーーーーー| ※ボール
ー|ーーーーーーーーーー・ーーーーーーーー| ①選手1
ー|ー・ーーーーーーーーーー・※⑤ーーーー| ②選手2
ー|一一一一一一┐ーーーーー・3ー\ーーー| ③選手3
ー|ーー・ーーー|ーーーー・ーーーー\ーー| ●ゴールキーパー
ー|7一┐ーーー|②一→②※←・・・・※⑤| 
┌|※←一※①ー|ーー/ー2ーーーーー1ー|
||●ー|6ー\|ー/ーーーーーーーーーー| 
└|ーー|ーーー\/ーーーーーーーーーーー| 
ー|一一┘ーーー/①ーーーーーーーーーー④| 
ー|ーーーーー②|ーーーーーーーーーーーー| 
ー|一一一一一一┘ーーーーーーーーーーーー| 
ー|ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー| 
ー|ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー| 
ー|ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー|
ー|ーーーーーーーーーーーーーーーーーー③|
ー└一一一一一一一一一一一一一一一一一一一┴

(6)フォーメーション。

(7)整理体操、ストレッチ。6:40PM終了。
2005/12/22のBlog
いやー、面白い。耐震偽装の”本丸”がついに明らかになった。

今「きっこの日記」が熱い。特に、「民営化の落とし穴」シリーズはたいへん興味深い。

これによれば、ことの問題の核心は、ついに小泉純一郎にまで上り詰めた。ヤミ献金帝王の橋本元首相も関与。中でも一番の悪は「ワイロ大好き官僚」の小川忠男だという。

きっこ氏の分析調査によれば、現在小泉さんがやっきになってやってきた「郵政民営化」路線の”ひな形”は、橋本龍太郎元首相が行った「建築検査機関民営化」であったという。

簡単にまとめれば、こうである。

1995年に阪神淡路大震災という悲劇に見舞われた。この時に多くのビルや高速道路が倒壊したために、建築基準法を見直すこととなった。これまでの老朽化した建築物や耐震基準に満たない建築物の耐震基準を”高める”必要が生じた。既存のすべてのビル群を耐震設計基準に満たすためには、”急いで”建物を作れるようにする必要がある。また大震災が来てはお話にならない。そこで、政府は建築基準法を見直す際に素早く耐震性を満たすビルを建築できるようにする必要があり、そのためには民営化が好ましいと考えた。これが、「建築物の安全性の一層の確保と合理的利用の推進」というものである。

ここに国内の建築産業の大企業群が取り入る隙ができた。当時の建設省住宅局長 だった小川忠男に「建築検査機関の民営化」を迫ったのである。要するに、「陳情」という名の”インサイダー取り引き”を行ったのである。きっこ氏の言葉では、

「だけど、この人間のクズ、小川忠男は、大手の住宅メーカーや建設会社から、莫大な現金のワイロの他にも、ゴルフクラブのセットをプレゼントしてもらったり、料亭に連れてってもらったり、高級スーツを仕立ててもらったり、ホテルに高級コールガールを呼んでもらったりと、ありとあらゆるプレゼントや接待を受けていた。」

そして、「建築検査機関の民営化」が実現したという。この”欠陥”法律のおかげで、昨今の耐震偽装事件の”種”が蒔かれたのである。

この「建築検査機関の民営化」法案ができるとき、小川忠男(東大法学部卒で東大関係者に太いパイプを持つ)は、自身の東大閥を使った”古典的方法”を取ったのである。1998年6月2日の参院国土環境委員会で、建築構造学や地震工学の”権威”東大教授の神田順を参考人に呼び、自分の法案に対する有利な発言をさせた、という。”権威”にひれ伏した国会議員は何のことか分からない内に法案を可決して「建築検査機関の民営化」が実現したのである。

ところで、この小川忠男の経歴とは、以下のようなものであるという。
東大法学部を卒業して1967年に建設省。
住宅局長、総務審議官などを経て、99年に官房長。
そして、2001年に小泉首相になってからは、小泉首相自から本部長になって推進した利権ベタベタの「都市再生計画」で、都市再生本部事務局長に任命。

そして、都市再生本部事務局長であった小川忠男が進めた「都市再生計画」とは、大手町の合同庁舎跡地などの国有地を「都市再生機構」に売却し、そこに日本経団連や大企業を移転させるという「政・官・財の癒着の極み」の計画である。

ところが、今度はこれを作った当人の小川忠男が2004年「都市再生機構」の副理事長に”天下り”したのだというのである。つまり、”国の立場で国有地を民間に売る”事業の長が、今度は”国から国有地を払い下げる”事業の長についたのである。これを任命したのが小泉首相だったというのであるから驚く。まあ、例えは悪いが、これまで警察のトップとしてヤクザを取り締まっていたものが、今度はヤクザのボスに天下った。取り締まるベき立場のものが、今度は取り締まられるべき立場のものに天下った、というようなものである。

2004年11月25日の財政金融委員会での一こま。この「政・官・財の癒着の極み」に業を煮やした野党が小川忠男を参考人として問いただした。この時、小川忠男はこう答えたという。

「なかなかお答えしにくい質問でございますが、私も役人をやっておりましたので、その後の、何といいますか、仕事として都市再生機構へ行けというふうな任命を受けたので、ここにいるというのが事実でございます。」

ここで”行け”と指示したのが、都市再生機構のナンバー1、小泉純一郎であった。この答えが腑に落ちなかった野党議員はさらに誰がその指示をしたのか聞いた。すると、小川忠男はこう答えたと言う。

「与えられた職務を忠実に遂行する、これが私の役回りだと思っております。」

これは、どこかで聞いた言葉である。そう、木村建設の篠塚東京支店長の言葉とそっくりである。

まあ、以上がきっこ氏のお話のあらすじである。

ここからは私の個人的印象である。

もしきっこ氏がいうような流れが、自民党の民営化路線であるとすれば、これは普通の日本人には馴染みないだろうが、昔アメリカで行われたことに非常に似ていると私は感じる。そう、それはアメリカにおける戦後の”軍産複合体”の誕生物語である。要するに、戦後のアイゼンハワー大統領の時代のアイク改革に似ているのである。このストーリーはバックミンスター・フラーの「クルティカル・パス」に明解に描かれている。

私の個人的見解では、道路事業がどう、建築業がどう、郵政事業がどう、というような個別の問題ではなく、どうやら現在の自民党は、つまりアイゼンハワー大統領が生み出したアメリカの”ネオコン(新保守派)”のように、自民党の”ネオコン(新保守派)”は、”民営化”という名目で今まさに新しい支配構造を構築しようとしていると見るのである。アメリカの軍産複合体のように、国家のあらゆる産業に関して、国と大企業と軍事が癒着した巨大な権力機構を生み出そうとしているのではないか、と私は考えるのである。

私は常々そう見て来ているが、建築偽装事件にこうした流れの一端を伺い知ることができると私は考えるのである。たまたま耐震偽装問題が出たために、かつて小泉さんがやったことが明るみに出て来たのである。国鉄の民営化、電々公社の民営化、道路公団の民営化、建築検査機関の民営化、郵政事業の民営化、そして自民党の悲願である憲法改正に至る、こういった”民営化”路線の背後に見えるものは、かなり戦前の日本の体制に近い、天皇を頂点とする貴族社会への復古調の社会ではなかろうか。

こう考えると、今自民党(もちろん、自民党だけでなく民主党も似たようなものだが)の行うとしていることの真の意味、影の目的というものが明解に理解できるのである。要するに、小泉純一郎の小泉チルドレンに見る動きは、アメリカの”ネオコン”のものと瓜二つであり、いわゆる”戦後55年体制”の派閥構造から脱却して、新官僚、新財界人、新政治家、新学者などを中心とする新しい貴族(ネオコン・ブルジョア)を生み出そうという動きと見ることができる。現在の民営化路線における「政・官・財の癒着」は、その昔の単なるお金を取り引きするというようなインサイダーな「政・官・財の癒着」ではなく、もっと本質的なものである。ネオコン主導のブッシュ政権を見れば分かるように、自分達の意に介さない人々をどんどん権力の名の下に排除していくようなものであると私は想像している。

明治維新の後、ドイツ帰りの伊藤博文がドイツの軍国主義に憧れて、維新当初の英米的な自由民主主義的路線から一気に全体主義、民俗主義路線へと変ぼうしたように、小泉首相がアメリカ南部出身ブッシュ大統領のネオコンのアメリカ自由競争主義に憧れて、一気に軍産複合体的統治システムに走らないとも限らないということである。

このようなわけで、今回の耐震強度偽装事件の背後には、「この国のかたち」を揺るがしかねないような、大きな問題が潜んでいるのである。私はそう思うヨ。
2005/12/21のBlog
[ 15:27 ] [ サッカー練習日誌 ]
2005年12月20日(火)晴れ

4:30PM練習開始。4年生以下参加。
随時給水可。

(1)ウォーミングアップ。2人組ストレッチ。

(2)パス練習1。2人組の練習。
インサイドパス。アウトサイドパス。インステップパス。インステップキック。スローイン。ヘディングパス。インサイドパス。胸トラップパス。

(3)パス練習2。2人組の練習。
ジグザグパス。コの字パス。スイングパス。
2周ずつ。

(4)ドリブル練習。
2列でドリブルのリレー。2ラウンド。負けチームは腹筋50回。

(5)センタリング&シュート練習1。2人組の練習。
ウィングプレー。両サイド交互。

(6)センタリング&シュート練習2。2人組の練習。
センタリング&シュート。両サイド交互。

(7)パス回し練習1。10対10パス回し練習。
10対10=敵味方各々10人でパスを回す。
フリータッチ5分、休憩1分、スリータッチ5分、休憩1分、スリータッチ5分。

(8)ランニング。グラウンド5周。

(9)整理体操、ストレッチ。6:40PM終了。
[ 10:24 ] [ ジョーク ]
せち辛い世の中には笑いが必要。以下はジョーク。本気にしないでくださいよ。

【耐震偽装刑務所】
 200X年、2005年に発覚した耐震偽装事件に関与した、姉歯1級建築士、マンション販売会社ヒューザーの小嶋社長、ビジネスホテル経営会社総研の内河社長、木村建築の木村社長と東京支店長の篠塚、そして耐震偽装を見逃したイーホームズの藤田社長、日本ERIの鈴木社長など関係各者に対してついに見事な刑罰が下った。

 世の中には天才がいるものである。彼のアイデアとはこんなものであるという。

 昨今、不況やデジタルディバイドで貧富の差がつき、世の中の犯罪者の数はうなぎ上り。世の中は少子化や高齢化で人口はどんどん減っているのを尻目に刑務所内はてんやわんやの大賑い。あまりに犯罪者が多く、満員御礼状態なのだ。

 そこで、彼はこう考えた。

「これこそ、神のお恵み。偽装建築犯罪者の皆さんには全部刑務所に入ってもらい、刑務所で建築ラッシュに協力してもらおう。」
「ヒューザーの小嶋指揮のマンションルートで複数部屋の刑務所を作る。また、総研内河指揮のホテルルートで独房刑務所を作る。それらを木村建設の偽装刑務所を施工してもらう。」
「なぜなら、木村建設はヒューザーの小嶋や総研内河の指揮で工期が短く、たくさんの刑務所を建設するためにはうってつけだからだ。」

 さらに彼はこう考えた。

「設計は姉歯に任せよう。姉歯はすばらしい。あれだけ巧妙に耐震偽装する力をぜひ耐震偽装刑務所を作るために使ってほしい。」
「日本ERIの鈴木やイーホームズの藤田も欠かせない。なぜなら、お役所から耐震偽装刑務所の認可を取るためには、連中のやっつけ仕事が決めてとなるからだ。」

 そして、刑務所内の強制労働の一貫、更正活動の一貫として、おおよそこんな感じの刑罰を考えたのである。

(あ)まずは全員刑務所に入る。
(い)ヒューザーの小嶋が集団刑務所を企画。総研の内河が独房刑務所を企画。
(う)企画に合わせて姉歯が刑務所の設計及び耐震計算する。
(え)次に、イーホームズの藤田や日本ERIの鈴木が認可する。
(お)次に、木村建設関係者が刑務所を建築する。
(か)これを無期懲役で死ぬまでさせる。

「ようし、完璧だ。耐震偽装大いに結構。工期短縮、鉄筋摺り替え、セメント削減大いに結構。インチキ報告書大いに結構。これなら震度3でも見事に倒壊する立派な耐震偽装刑務所がたくさんできるにちがいない。全国の刑務所にも、”広く、安く、早く”をモットーに最新の鉄筋コンクリートの新型刑務所を配備できるわけだ。ありがたい話だ。」

この刑罰が公表後、たいへん感心した記者の1人が彼に聞いた。

「本当に震度3で倒壊するのでしょうかね?」

「なーに、わしは知らんよ。実際に地震が来れば分かることだよ。地震で倒壊してから当局に報告すれば良んだよ。」
と彼はかつてのヒューザーの小嶋を思わせる口ぶりで答えた。

そして最後にこう付け加えた。

「どうせ刑務所にくる殺人者や性犯罪者は社会に戻ってもろくなことはない。いっそのこと刑務所で地震とともにもろくも死んでくれた方が国民も喜ぶにちがいない。」
2005/12/20のBlog
年間最優秀選手はロナウジーニョ FIFA発表

バルセロナのロナウジーニョ(ブラジル代表)が、各チームの監督と主将によって選ばれる今年の『FIFAの年間最優秀選手』に選ばれたようだ。これで、プロサッカー選手が選ぶ『国際プロサッカー連盟の年間最優秀選手賞』(9月)(ロナウジーニョ、”プロの中のプロ”に)、ヨーロッパの記者達が選ぶ『欧州最優秀選手賞』(11月)に続き、”3冠達成”である。

これまでの過去10年間の『FIFA年間最優秀選手』は、以下の通り。

96年 ロナウド(ブラジル)
97年 ロナウド(ブラジル)
98年 ジダン(フランス)
99年 リバウド(ブラジル)
00年 ジダン(フランス)
01年 フィーゴ(ポルトガル)
02年 ロナウド(ブラジル)
03年 ジダン(フランス)
04年 ロナウジーニョ(ブラジル)
05年 ロナウジーニョ(ブラジル)

いよいよ、ブラジルのロナウド時代からロナウジーニョ時代到来と言えるだろう。ということは、来年のドイツ大会はこのロナウジーニョ全盛期とぶつかり、”ロナウジーニョの大会”となるかどうかが焦点ということになるだろう。

つまり、ここ10年は

94年アメリカ大会:ドゥンガのブラジル優勝。バッジオのイタリア準優勝。
98年フランス大会:ジダンのフランス優勝。ドゥンガのブラジル準優勝。
02年日韓大会:リバウドのブラジル優勝。カーンのドイツ準優勝。

と来たために、果たして

06年ドイツ大会:ロナウジーニョのブラジル優勝。カーンのドイツ準優勝。

となるだろうか?ということである。


しかし、ことはそう簡単ではないだろう。ワールドカップの歴史を見れば分かる通り、これまでヨーロッパで開催された時はヨーロッパのチーム、南米で開催された時には南米のチームが優勝している、という強い傾向があるのである。

この理由には、様々の要因が考えられる。例えば、ホーム開催の強みがある。審判もホーム有利に傾く。このおかげでブラジルが圧倒的に有利と考えられたフランス大会でも審判がフランスの肩を持ったおかげでフランスが優勝してしまったのである。こういうことがドイツで起こらないとも限らない。強豪イングランドですらイングランド大会(1966年)の時だけに優勝しているにすぎないのである。ちなみにこの大会で北朝鮮がベスト8に入ったのである。唯一の例外は、16歳のペレが1958年に衝撃的にデビューしたスウェーデン大会のみである。

果たして、南米ブラジルがヨーロッパ開催のワールドカップを制することができるかどうか?

もっとも、かつて無名のペレが彗星のごとく登場したように、宇宙に忽然と現れて輝き出す超新星のように、どこかのチームにこつ然と世紀の天才が現れてそのチームを優勝に導くという可能性もあるかも知れない。私はぜひこんなことが起これば素晴らしいと思う。

神のみぞ知る

というところであろう。
[ 10:02 ] [ サッカー練習日誌 ]
2005年12月19日(月)晴れ

4:30PM練習開始。3年生以下参加。
随時給水可。

(1)ウォーミングアップ。2人組ストレッチ。

(2)パス練習1。2人組の練習。
インサイドパス。アウトサイドパス。インステップパス。インステップキック。スローイン。ヘディングパス。インサイドパス。胸トラップパス。

(3)パス練習2。2人組の練習。
ジグザグパス。コの字パス。スイングパス。
2周ずつ。

(4)ドリブル練習。
2列でドリブルのリレー。負けチームは腹筋50回。

(5)センタリング&シュート練習1。2人組の練習。
ウィングプレー。両サイド交互。

ナイター照明の電源が落ちボールが見えにくくなったために急きょメニューを変える。
(6)シュート練習1。1人の練習。
ポストに当ててシュート。その間にコーンや椅子などの障害物を置く。選手は最初にポストにボールを当てて同時に走りはじめて障害物を超えリターンを受けてシュートする。両サイド交互に行う。

(7)シュート練習2。1人の練習。
ポストに当ててシュート。その間にコーンや椅子などの障害物を置く。選手は最初にストにボールを当てて同時に走りはじめて障害物を超えリターンを受ける。その後コーンをドリブルで交わしてシュートする。両サイド交互に行う。

(8)パス回し練習1。10対10パス回し練習。
10対10=敵味方各々10人でパスを回す。
フリータッチ5分、休憩1分、スリータッチ5分。

(9)ランニング。グラウンド5周。

(10)整理体操、ストレッチ。6:40PM終了。
2005/12/19のBlog
【もしも俺とお前のどちらかが死なねばならないとしたら、その時はお前が死ぬ方が良いに決まっている。】

アメリカワールドカップに20年ぶりに優勝したブラジル代表(セレソン)の主将ドゥンガの言葉である。(セレソンサムライサッカーを目指せ参照。)


昨夜のトヨタカップ決勝のサンパウロ(ブラジル、南米代表)対リバプール(イギリス、欧州代表)の戦いは、まさにこの言葉を彷佛させてくれるものであった。
劣勢を予想されていたサンパウロが”勝利への執念”でスーパースタージェラード率いるリバプールに1-0で勝ったのである。
トヨタカップ決勝、サンパウロが1点守りきり優勝

ブラジルは決勝に出ると必ず勝つ、いやここぞという時に試合には必ず勝つ、という”勝負強さ”がある。この勝負強さの根源がこの言葉に象徴されているのである。これは、すでにブラジルのサッカー選手のみならずブラジル人文化に根ざしている考えのように感じる。

今回は、サッカーに関連する”ブラジルの諺(ことわざ)”にあてはめて、この世界カップに変わったトヨタカップの歴史的一戦を振り返ってみよう。

今大会、ダントツの優勝候補は欧州代表のリバプールであった。大方の予想はスター軍団リバプールの圧勝であろうというものであった。しかし、それをはねのけ、見事に用意周到に一蹴した、というのが今回のサンパウロのサッカーであった。まさにサンパウロがGKセーニの好セーブでピンチを乗り越え、強豪リバプールに勝利する様は、詩的ですらあった。まさに【フットボールはロマンであり、ミステリーであり、詩にも似ている】であった。

ブラジルの選手各人はボールを自由自在にあやつることができる。ここぞという時の突破は個人技術の高さのたまものであった。MFミネイロのトラップシュートは、簡単に見えるが簡単ではない。リバプールのルイス・ガルシア(スペイン代表)が再三再四のシュートチャンスをミスで逃してしまったのとは実に好対照である。この理由こそ、【ブラジルの赤ん坊はサッカーボールを抱いて生まれてくる】からである。

初戦のアルイテハド戦で得点したFWアモローゾ選手は、約10年前19歳の時に日本の川崎ヴェルディに入団した。その時は、今回シドニーFC代表となった三浦カズやラモスの全盛時代でずっと2軍選手でしかなかった。その後、ブラジル、ヨーロッパと経験した。成長に成長を重ねて今回代表チームに入ったのである。そしてついに世界チャンピオンのメンバーに入ったのである。まさに【人間がどこまで伸びるのか、その尺度は神が与えてくれるものなのだ】。人間がどこまで伸びるかは誰にも分からない。他人がとやかく言って決めるものではない。あくまで神様がお決めになることなのだ、という意味である。

一方、トヨタカップは昨年の王者どうしで戦う大会である。だから、昨年強かったからと言って今年も強いとは限らない。それゆえ、【勝利とは刃物の上に立つようなものだ、いつまでもそこにはいられない】ものなのだ。リバプールが強かったのもすでに【過去は唯一博物館の中で生きている】ものでしかなかったのである。

サンパウロのアウトゥオリ監督はアルイテハド戦の後、【勝って反省できればなおよし】に従って、自チームのチェックを行った。一方、リバプールのバルテス監督は、若干サンパウロを侮ったように見えた。好調のリーゼやクラウチ、シセをはずして、2軍FWで戦ってしまったからだ。これでは勝てない。

サンパウロの得点シーンは中盤とフォワードの見事な連係プレーでなされたものであった。これこそ、【ギターは1本の弦だけでは弾けない】を実践したものである。また、すばやくボールを処理して次々にボールをつないでいくのは【ボールは汗をかかない】からである。つまり、人が走り回れば汗をかき疲労してくるが、人よりもボールを回し走らせる方がずっと効率良いからである。そして、大事な一戦で勝利するためには、【勝たんと欲すれば、苦しむことを学べ】というように、試合終了のホイッスルが吹かれるまで徹底して苦しみながらも戦い抜くことなのである。

最初の新聞記事にあるように、今回のサンパウロチームは世界一になるために、良い選手を集めて全く違うチームに変ぼうしたのだという。これこそ、【サッカーチームとワインは同じ。よい選手なり葡萄が取れる年はよいものができる】そのものであるといえるだろう。そして、【努力を惜しまなければ必ず神が助けてくれる】のである。これがサンパウロの選手やブラジルの選手がピッチに入る時に必ず行う神への感謝の意味なのである。今回もサンパウロの選手は全員ピッチに入る時、日本の”けんけんとび”のような仕種をして入っていった。こういったゲンかつぎの”まじない”もブラジル人選手の特徴である。

そして、ついに試合終了のホイッスルとともに、サンパウロの選手達は【最も幸福な人とは最も多くの人に幸福をもたらす人】たちとなったのである。しかし、それまでには各選手達は【チーズも欲しくない、ナイフも欲しくない。お腹が空いてる方がいい】というように、日々摂生し、日々鍛練し、修業し、ここまで登ってきたのであるということを忘れてはいけない。そして、一般人や有名監督やサッカー関係者の目の届かない場所にいる有能な選手や将来性ある選手に気付き、そういった選手達を駆り集める監督の”人を見抜く目”というものも極めて大切なのである。それは、【神は曲がった線で正しく書く】ものだからである。すなわち、一般人や普通人などだれにもすぐに分かるようには、神様は人の才能を与えてはいない。人の才能とは風変わりなやり方で現れてくるものだ、ということなのである。

いやー、すばらしい。こうしてまとめてみれば、ブラジルの諺はことごとく今回の試合結果を予想していたようだ。

参考:
セレソンのマリーシア、コンフェデ杯を制す!
サムライ日本、セレソンの”マリーシア”の前に散る!
ブラジルの諺(ことわざ)
LED10万個、街を彩る 阿南で光のイベント、25日まで

”光の街阿南プロジェクト”の恒例となったクリスマスイベント、「阿南ルミナスタウンプロジェクト2005Xmas」が始まった。LED10万個のイルミネーションである。

実際には、この他にフラードーム型の光マンダラドーム3基、プラトン多面体型などの数多くのオブジェがあるというが、現在、光マンダラドーム1基とオブジェ群の一部は東京ドーム前の公園に貸し出されて展示されている。また徳島県海南の日和佐にもこのクリスマス期に光マンダラドーム1基とオブジェ群が貸し出されているということである。ちなみに、長野市、枚方市にも夏祭り用として貸し出されたようである。

このようにすでに阿南市商店街主や青年部によって始まった”光の街阿南プロジェクト”は、県内外のさまざまなところに輸出されるようになったのである。新しいビジネスのあり方に一石を投じたと言えるかも知れないネ。

阿南の「光マンダラ」東京都内でPR
光の街阿南”夢と光のファンタジー”
光の街阿南:阿南の夏祭りは他とはちょっと違う!
2005/12/17のBlog
[ 16:57 ] [ サッカー練習日誌 ]
2005年12月17日(土)曇り後雨後雪
非常に寒い日。

大学・高専サッカートーナメント第2戦。

【対戦&結果】
会場:四国大学。
対戦相手:鳴門教育大学。
9:00AM集合。
9:10AMアップ開始。
10:00AMキックオフ。

結果1一4(前半1一3、後半0一1)敗戦。

【ポジション】
前半40分 4一4一2 
 
FWーーー西川2ーーー後藤田4 
MFーーーーーー須賀2
ーーー杉本2ーー梅平4ーー岡田4
DFーー村松4ー天野2ー林4
ーーーーーーーー石井3
GKーーーーーー川原2 

サブ 西崎5、弓場2、須藤2、大庭2、
神原1、広瀬1、岡田1、山田1、佐藤1、正森1

後半40分 4一4一2
 
FWーーー須賀2ーーー杉本2→大庭2 
MFーーーーーー西川2→西崎5
ーーー後藤田4ー梅平4ーー岡田4
DFーー村松4ー天野2→須藤2ー林4
ーーーーーーーー石井3
GKーーーーーー川原2 

【総評】
やはり大学生と短大チームの年令差が出たゲーム。体力の違いがまさに出て、当たり負け、スピードで負けて、前期の大学リーグの最弱チームに負けてしまった。前半のメンバーば選手が決めたが、このポジションではベストの力は発揮できないだろう。4年生の練習不足がもろに出た。さすがにこのクラスで週2回の練習参加では無理だろう。岡田4、後藤田4がほとんど機能していなかった。前半終了真際のフリーキックによる失点は痛かった。後半のメンバーポジションは少し私がいじったが、こっちの方がベターであった。再三のシュート決定シーンがあったが、キーパーの攻守、ポストに嫌われる、ミスシュートで得点シーンをものにできなかった。杉本2、天野2の負傷は痛い。5年、3年、1年がそこそこの力、4年、2年が谷間の世代であるにもかかわらず、5年は引退、3年が1人、1年は高校生リーグのために不参加、4年は新入部組がほとんどでは、勝つのはかなり厳しいといえるだろう。
[ 16:54 ] [ サッカー練習日誌 ]
2005年12月16日(金)晴れ

4:30PM練習開始。4年生以下参加。
随時給水可。

(1)ウォーミングアップ。2人組ストレッチ。

(2)パス練習1。2人組の練習。
インサイドパス。アウトサイドパス。インステップパス。インステップキック。スローイン。ヘディングパス。インサイドパス。胸トラップパス。

(3)パス練習2。2人組の練習。
ジグザグパス。コの字パス。
2周ずつ。

(4)ドリブル練習。
2列でドリブルのリレー。負けチームは腹筋50回。

(5)センタリング&シュート練習1。2人組の練習。
ウィングプレー。両サイド交互。

(6)センタリング&シュート練習2。2人組の練習。
ウィングプレー。両サイド交互。

(7)フォーメーション。

(8)整理体操、ストレッチ。6:50PM終了。
2005/12/16のBlog
「第九」の初演再現 「バルトの楽園」徳島ロケ、最高潮に

第一次世界大戦中に鳴門市大麻町に板東俘虜(ふりょ)収容所があった。ドイツ人捕虜のための収容所である。ここの所長が非常に好人物であったおかげで、日独の友好関係が生まれ、パンやビールなどの数多くのドイツ製品が日本に伝わったという。その中でもっとも優れたものが、文化交流であり、日本で初めてヴェートーベンの第九が鳴門で歌われたのだという。

昨日、この合唱シーンを無事に取り終えたようである。徳島放送のテレビでもこのシーンを放映していたが、関西近辺から急きょ採用された数多くの無名の外国人エキストラやドイツの名優たち、そして徳島の無名のエキストラたちが大絶賛の好演を行ったようである。きっとこの映画ができたら、このシーンを見て多くの人たちが感動の涙を流すだろうと私は思う。

第一次世界大戦では敵国どうしとなった日独であったが、その後の第二次世界大戦では同盟国となった。この理由に、鳴門の収容所の経験が大きく影響したかどうかは定かではない。しかし、そんなことをも想像させてくれるような素晴らしい実話である。

無事最後まで撮影が終わり、ワールドカップドイツ大会のある来年に封切りとなる予定のようである。私も必ず見たいと思うような映画である。
2005/12/15のBlog
昨日の国会証人喚問は非常に面白かった。
たとえば、読売新聞:[姉歯証人喚問]「耐震偽装の全体像が垣間見えた」

最初に登場した姉歯秀次元1級建築士、次に登場した木村建設の木村盛好社長と篠塚明元東京支店長、そして最後に登場した総合経営研究所の内河社長。これらの尋問を聞いていると、”うっすら”どころか、”明白に”なってきたのが、建築関連会社の社長と幹部の見事な役割分担というものであると私は思う。

要するに、こういった会社組織では、いわゆる社長や所長というのは、一見見かけだけのお飾りのような振りをしているが、実はその裏で見事に部下を指揮して汚い仕事をさせている、ということである。

一番分かりやすいのは、かつての麻原のオウム真理教の組織であろう。教祖は信仰の象徴のような顔している。組織には臭い仕事や汚い仕事や危ない仕事をする、いわゆる「実行犯」となるべき”親衛隊”が存在する。教祖は、外からは見えないところでこの実行部隊を指揮し目的を達成するが、表向きには何もしていなかったかのような顔を見せる。

日本の会社組織もこれと全く同じような構造を持っているということである。

例えば、木村建設の場合、社長の木村は教祖の麻原のようなものである。東京支店長の篠塚は麻原の親衛隊であった新見などの実行犯に対応している。同様に、総研の場合には、教祖は内河であり、実行犯は四ケ所他である、ということになる。

実は、これを見事なまでに描いているのが、最近までずっと放映されている韓国ドラマ『初恋』である。このドラマの中の”人物相関図”を見てほしい。この中の社長のイ・ジェハの奥さんの弟のワンギという男がやくざのボスであり、汚い仕事をする時の実行犯となる。ペ・ヨンジュン演じるソン・チャヌ兄弟が幼い頃からずっと手を焼いたのが、このやくざグループなのである。

これと似たようなことを日本の土建業、建築業、コンサルタント業界でも普遍的に行っているということなのである。

以上をまとめてみるとこんな感じであろう。

一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一
ーーーー|ー初恋ーー|ーーー強度偽装問題ーーーーーーーーーーーー|新興宗教
一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一
組織ーー|ーーーーー|総研ー|木村建設|ヒューザー|イーホームズ|オウム
一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一
カリスマ|イ・ジェハ|内河ー|木村ーー|小嶋ーーー|藤田ーーーー|麻原
一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一
実行部隊|ワンギーー|四ケ所|篠塚ーー|ー?ーーー|ー?ーーーー|新見他
一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一

要するに、カリスマ美容師、カリスマ実業家、カリスマ起業家、カリスマコンサルタント、カリスマ経営者、などと言えば聞こえは良いが、族に言うところの”カリスマ”というものが存在するところ、その裏にはかならずそのカリスマが直接手を下せないような危ない仕事を行う実行部隊が存在するということであろう。

もちろん、こういった連中はあからさまに何か悪いことをしろという指示はしない。ドラマにもあるように「何とかしろ」というような言い方をし、「その意味が分かるな」というのである。これがイ・ジェハ会長の口癖である。

同様に、総研の内河は「もっと勉強しろ。もっと研究しろ」というような言い方をするわけだ。そして「その意味は分かるな」というような言葉を追加して実行犯に指示するのである。

この分析からしても、ヒューザーの小嶋と違って一見悪さしなさそうな顔をしている木村社長というのも同じ穴のムジナ、相当な悪であるということになるネ。

世の中には、”カリスマ教授”、”カリスマ研究者”なんていうのもある。果たしてその真偽はどうなのかネ?
2005/12/13のBlog
私は、大分前に『現在の”公家”と”サムライ”』でJR西日本の脱線事故の際その社長のことを論じた。一方、今回の”強度偽装問題”においてその真の中心人物と目されているのは、総合経営研究所(総研)の内河健氏であるという。

この両者、さらにはこの事件に関与した姉歯秀次氏、ヒューザーの小嶋社長、イーホームズの藤田東吾社長など、こういった人々に共通しているのが、”お公家さん”気質というものである。


これは、何度も私は主張して来たように、日本語で表現すれば、

『卑怯(ひきょう)、狡猾(こうかつ)、虚弱(きょじゃく)、虚栄(きょえい)』

という言葉に代表されるような特質のことである。(【168】 志士の人:読売新聞の追悼文 2004/02/05(Thu)

このことを国内で最初に「我々日本人の主要テーマ」として論じたのが、”志士の人”、理論物理学者の今は亡き柘植俊一先生であった。(「反秀才論」)

私がこれらにさらに付け加えたものは、かつて『【295】 LED照明に『法規制』するの?:ちょっと待ってよ、経済産業省さん! 2004/05/24(Mon)』にも書いたように、

『無責任、無感動、無表情』、

『嫉妬、残忍、贅沢』

などである。


さて、いかにこれらの”お公家さん”の特徴が見事に当てはまっているか見てみよう。

最初の条件、”卑怯、狡猾”というのは、総研の社長内河健氏が取り調べに応じた翌日に”(偽装)離婚”し、今後予想される「損害賠償請求」のために準備した(先手を打った)というのであることからも明白に当てはまる。
 
”虚弱”というのは、この内河氏が姉歯氏同様に、参考人承知を病気を理由に欠席したことからも明らかに当てはまる。すこしも虚弱ではないのに、一見虚弱な人間を振舞うということである。何かにつけ、身体が弱いといって”逃げる”というために虚弱でいるのである。

”虚栄”というのは、この人物の住まいを見れば明らかである。都内の一等地に驚く程豪勢な5階建てのビルがあり、敷地内には高級外車がたくさん無造作においてあるからである。そして、この財産を損害賠償請求で没収されないために、衆目の届かないところでそそくさと離婚し、書類上離婚したその妻とそのままその家に住んでいるのだというのである。こうした明らかに”偽装離婚”と分かる書類を何の問題もなく、”個人的問題”として受理してしまう役所も役所であるが、これこそ、”お役所仕事”というものであろう。この大御殿のために多くのサラリーマン夫婦の”住まいの夢”が吸い取られて来たわけである。

一方、イーホームズの藤田東吾社長は、”無表情”の紳士であるが、この社長にはまさに”お公家さん”の第2の条件、”無責任、無感動、無表情”がぴったりと当てはまる。自分がしたことの罪の重さもまったく関係なく、自分の責任ではなく、ヒューザーの小嶋のせいだとぬけぬけという様は、まさにこの人物が正真正銘の”お公家さん”であるという証であろう。





そして最後にヒューザーの小嶋社長には、”お公家さん”の第3の条件、”嫉妬、残忍、贅沢”がぴったりである。この後に及んでも、『すべて隠ぺいし、実際に地震が来れば分かる。倒壊すればお役所のせいにすれば良いんだ。阪神淡路地震でだれが責任を取ったんだ。』と逆切れする始末というのである。この”残忍”な性格というのも、”お公家さん”という一見優し気に見える人物に同時に存在する裏の側面なのである。ヤヌスの面のように、一見虚弱で優しそうに見える顔とその裏の残忍な顔が表裏一体となっているのが、”お公家さん”という人間の特徴なのである。

我々はけっしてこういった”お公家さん”になってはいけない。またこういう”お公家さん”遺伝子を残してはいけない。駆除すべきである。がしかし、ずっとこれまで拙著「柘植の「反秀才論」を読み解く(上)」などで論じたように、この問題こそ戦後の日本社会にとってもっともやっかいな問題なのである。

今や今回被害者となってしまったマンション購入者や住人、ホテル経営者もみんな今回加害者となったイーホームズの社長たちと同じような教育システムの下で育ったということである。私にしてみれば、どちらも”お公家さん教育”、あるいは「目先の損得にこだわり一生の損をこく」という”貧乏父さん教育”(ロバート・キヨサキの言葉で言えば)を受けて来たという問題なのである。”きれいで、安く、広いマンションにすぐに住める”というこの言葉に心ときめかしてしまった自分の姿というものもきっとおそらくあったにちがいない。この心の”隙間”にうまく加害者となった人々が付け入ったのである。

日本の学校教育が、”受験教育、偏差値、ブランド大学”などという言葉に見るように、”お公家さん教育”のみに堕してもう数十年経つ。これを直すのはほぼ不可能であろう。昭和40年代に始まった総合選抜制度に端を発したこの問題を解決しない限り、今後未来永劫似たような事件がくり返されるだけだろう。そして、この問題は、建設業だけの問題ではない。科学分野でもどの分野でも全く等しく言える問題なのである。私はそう見ているヨ。
2005/12/10のBlog
東大名誉教授の藤井忠男さんが死去

”藤井忠男さん(ふじい・ただお=東大名誉教授・高エネルギー物理学)が5日、肺がんで死去、79歳。”

昨日、この記事が目に止まった。一見すると毎日載っているごく普通の訃報記事に見えるだろう。しかし、我が家にとってはちょっと異なる。たったの1度だけだが、我が家は藤井博士と話したことがあったのである。

私が理化学研究所(理研)に基礎科学特別研究員の1人として勤務したのは、今から10年ちょっと前の1993年から1996年の3年間であった。ここ理研では、クリスマスパーティーなど頻繁にパーティーが開かれる。また、新所員になればその都度歓迎会が公式行事としても催される。

そんな中、確か私の記憶違いでなければ、何かの会の時に、私はこの藤井忠男博士と話す機会があったのである。我が家はいつも妻も子供も参加していたので、私の妻も藤井博士と話した。その時の楽しかった印象がたいへん強烈に残っていたので、今もこうして昨日のように覚えているのである。

その時、私がユタ大学に留学し博士号をそこで取り、帰国して富士通そして理研にやってきたという話をしたと思う。そこから話が弾み、藤井博士の若かかりし日のシカゴ留学体験の話に繋がったのである。博士が知人たちとシカゴまで車でアメリカを縦断した話。シカゴ大学の話。まるで一気にその日にタイムスリップしてしまったかのように、嬉々とした表情と若い時のままの様子で我々と話したのである。たぶん、当時私は30台後半、一方藤井博士は大学退官して間もなくの年令。その差は30才くらいだったろうと思う(当時もそう思っていた)。そんな年令差を一切感じさせず、一個人対一個人の体験話としてお互いに大いに笑いあったのである。お互いに口からつばを飛ばしながらの歓談であったのである。これこそ、古き良きアメリカを留学体験したものだけが見せる豪快な笑いであった。確か藤井博士は何かの用事が控えていてすぐにそこから立ち去ることになったが、その時のなごり惜しそうな表情、まだもっと話していたそうな顔が私の心に残った。そんな出会いであった。

その後私は、3年の任期を終えてここ徳島阿南に住むことになったので、それ以来全く藤井博士のことは忘れていた。ずっとお元気でお過ごしだろうと思っていたのである。正直、藤井博士はもっといろんな話を聞いてみたかった。そう感じさせられる偉大な実験物理学者であった。

御冥福を心よりお祈りしたい。
2005/12/09のBlog
さて、私は今回の「建築強度偽造」問題で揺れる、極めて強度の弱いビル群をどのように処理すれば良いか、という深刻な問題を考えてみようと思う。

私の観点は実に”変わっている”。多くの人はそんなことが可能かと思うかも知れない。しかし、私は、”フラーの観点から”この問題を分析してみたい。

拙著「フラーとカウフマンの世界」にも大分前に書いたことだが、現在のビル建築は、基本的に2000年以上前に始まったエジプトのピラミッド工法に祖先を持つ。”巨石”を使ったピラミッド建築技術がギリシャ・ローマの”大理石”を使った建築に進む。さらに中世になり、イギリスのエリザベス調やフランスのロマネスク建築などの”レンガ”を基調としたセメント工法のお城建築へと進む。これが20世紀にアメリカでいわゆる”鉄筋コンクリート”工法のビル建築へと進んだ。そして第1、2次世界大戦後、日本人もアメリカから鉄筋コンクリート工法を学んでたくさんの巨大ビルを作って来たわけである。

この流れからすると、重厚長大な質量を持つ、巨石、大理石、レンガ、セメント、鉄筋コンクリートなどの工法が、世界の主流であったわけである。実はこれに20世紀初頭から異を唱えたのが、20世紀を代表するアメリカの建築家、バックミンスター・フラーであった。

フラーが基にしたのが、帆船技術であり、マストや帆を張る技術だったのである。このヒモと物質(マスト)の間の張力に基づく独特の構造が、軽量かつ柔軟な帆船建築の基本を支えるのである。これを”テンセグリティー構造”とフラーは名付けた。

テンセグリティー構造の基本は、三角形や正四面体や正八面体である。これらの図形の辺に対応して金属のヒモで互いに引っ張るのである。

”引っ張り”は、”圧縮”よりも格段に強い。割り箸でも折るのは簡単だが、引っ張って切るのは極めて難しい。茹でる前のスパゲッティーならなおさらである。スパゲッティーはすぐ折れる。しかしこれでも引っぱりには強い。

この張力の概念を基本に取り、現実にいち早く応用されたのが、日本の東京タワーである。大きな橋もそうである。東京タワーや明石大橋は大きさの割には極めて軽量である。この構造こそ、”物質の引っ張り”に基本をとった巨大建築の見本なのである。そして、現在では、いわゆるフラードーム(サッカーボール型のドーム)、体育館の屋根の梁(はり)や巨大クレーンなどにある”オクテット・トラス構造”などに広く使われている構造なのである。これをフラーは、生前(1980年代)までに生涯主張し続けて来たのである。
このフラーの観点からすると、日本のビル建築は、強度偽装問題が起ころうがなかろうが、基本的に地震には弱い。それは、ビル重量を物質強度で支えようとする発想だからである。物質の強度は基本的には物質そのものの強度とその断面に比例している。だからコンクリートのみよりは、鉄筋コンクリートの方が強い。少しの鉄筋よりは鉄筋がたくさんある方が強い。だから、この本数を偽装すれば、問題となるのは明白である。しかし、この強度には限界がある。これがフラーが言わんとしたことである。


一方、テンセグリティー構造では、強度に実質的に限界はない。そこで、強度の虚弱なビル建築に何らかの方法によって、その回りにテンセグリティー構造を張り巡らせて支えるという方法を私は提案したい、というわけである。

つまり、倒れそうな強度のビルをまるで橋建築や帆船技術のようなやり方によって、その強度を軽量かつ柔軟な方法で補うのである。

百分は一見にしかず。例として2つほど見せておこう。これらの図では、まだデザインには改善余地は無数にあるが、私の意味するところは理解できるだろう。この工法が発展すれば、わざわざ出来たビルを取り壊してまた作り直すという手間はきっと省けるのではないか?


我々は一見突飛で馬鹿げて見えるアイデアでも、いろいろ出して叩き台に乗せるべきであろう。

果たして今フラーが生きていたら、我々にどんなアドバイスをくれるのであろうか?
2005/12/08のBlog
EOYとは?』によれば、EOY = Entrepreneur of the Year =その年の一番”優れた起業家(アントレプレナー)”の意味である、という。

この組織は、1986年(ちょうど私がアメリカのユタ大に留学した年)不況下にあったアメリカで誕生し、2000年に日本に飛び火し、2001年に第1回の日本版EOY(EOYJAPAN)が開催されたのだという。

そこで、昨年2004年度の第4回日本版EOY(EOYJAPAN)のレセプションを見てみよう。

すると、なんとこの中に、イーホームズの藤田東吾社長が受賞者の1人としていた。この人は、現在姉歯建築偽装事件のまっただ中で”疑惑の中の疑惑の人物”の1人に数えられている人物である。およそ検査をしない検査を売り物にしていた社長である。

この授賞式の言葉を引用しておこう。

”起業は目的ではなく夢や思いを達成する一つの手段です。結論として重要なことはたった一つで、それは、夢や思いをあきらめないという精神だと思います。辛い時やお金に見放された時、挫けそうになっても、何とかこらえてあきらめなかったことが今の会社の成長を支えた唯一の理由です。運も良かったと思います。
 かつて役所がやっていた確認検査業務を規制緩和により民間で行うことが出来るようになりました。しかし、規制緩和があったので会社を起こしたわけではないです。必要なサービスがなかったという事実が先にあり、住宅(建築)の需要者と供給者の間に立って品質に関する情報提供をビジネスとして考え、事業として行うためにあきらめずに試行錯誤を重ねてきた結果、時代環境が変わり仲間が集まり売上が伸びて、そうした壁をいくつも越えて今に至りました。”

いったいこの社長の”優れた起業技術”とは何だったのか? おそらく似せの検査書の作成技術というところだろうヨ。

「事業として行うためにあきらめずに試行錯誤を重ねてきた結果、時代環境が変わり仲間が集まり売上が伸びて、そうした壁をいくつも越えて今に至りました。」

の言葉は実に意味深である。

”試行錯誤”とは、いかにインチキ検査を早く仕上げるか;”時代環境が変わり仲間が集まり”とは、姉歯やヒューザーなどの集まりのこと;「起業は目的ではなく夢や思いを達成する一つの手段です。」とは、「自分の夢や思いの実現のためならば他人の夢や思いは無視してもいい」という意味だったのであろうか?

いずれにせよ、まるで他人事を論じているような冷静沈着ぶりは、ただ者ではない変なオーラを感じる。ダースベーダー&シスの才能ありと見た。私は、この人物に”ダースベーダー オヴ ザ イヤー”(DOY)の称号を送りたいネ。
2005/12/07のBlog
毎日新聞:科学技術費:ノーベル賞受賞者3人 財務相に財政支援要請
朝日新聞:野依氏らノーベル賞受賞者6人 科技予算で国に要望

今日のこれらの記事は面白い。

記事によれば、野依良治・理化学研究所理事長らノーベル賞受賞者6人が、第3期の科学技術基本計画における科学研究費を、第2期(2001年から2005年)の24兆円を上回るように目標額を盛り込んで欲しい、と国に陳情しに行った、という。ちなみに、第1期(1996年から2000年)は17兆円。

要するに、”科学研究バブル”に味をしめてしまった、日本の大学の研究者界が、ノーベル賞学者の権威を利用して、もっともっと金をくれ、とせがみに行った、というお話である。

いよいよ科学研究バブル崩壊に突入!
で私が紹介したように、今や日本国内でもっともリッチな人々は、大学に職をもつ科学研究者たちである。現在では、大学教授は、一等地のオフィスのような立派なオフィスに住み、最高級の背広を着、ローレックスの腕時計をして、最高の靴を掃いて生活している。これは、私が大学院生の頃の1980年代以前の大学教授たちとはかなり違う。

国内外の学会にいつでも行ける。我々のように電車代や航空機代をいかにしたら安上がりにできるかと工夫する必要もない。しかも、昔は1年に1回も行ければ良かったが、今や1年に何度も海外旅行に出かけることもできる。それほどまでに、この10年で日本の大学教授や職員たちはリッチになったのである。だいたい主任研究者の年収は1000万円を軽く超える。徳島当たりの一般人の平均年収が300万円と比べれば約3、4倍のリッチさである。

だれしも、これほどまでに”リッチな”研究者生活を10年も送れば、未来永劫その恩恵に預かりたい、と思うのが人情であろう。

がしかし、である。

私は数年程前から、ノーベル賞学者レベルではもはや現在の地球上の諸問題を解決できない、と考えるようになった。ノーベル賞学者の科学的貢献はたいしたものである。しかし、それがかつてのようにすぐに社会貢献に結びつくか、といえば、もはやそういう時代ではないのである。その理由は、科学があまりにも微細に専門家しすぎてしまったからである。結果として、どのノーベル賞学者と言えども、科学全般を鳥瞰できる、俯瞰できるほどの逸材はすでにこの世にはいない。それゆえ、地球規模の問題、あるいは日本規模の問題にまともに立ち向かえる学者は皆無であるという時代だからである。

ノーベル賞の授賞式の後にノーベル賞学者の賢人会議が開かれる。がしかし、この時の議論を聞いてもすでにノーベル賞学者はある分野でひとかどの大発見を行ったに過ぎず、地上の問題を親身になって考えられる程の知力も経験もないという感を強くするだけであった。つまりは、現在では、ノーベル賞学者といえども専門家の域を出ない、ということである。

こんな時代背景のせいか、日本のノーベル賞学者6人が集まったとしても、情けないかな、
「近年、科学技術でも中国、韓国などアジアの台頭が著しい。日本の競争力維持には、財政的な支援が不可欠」
という程度の意見しか言えないのであろう。

ところで、アメリカに頭脳流出した中村修二博士によれば、日本発の優れた研究、すなわち日本人によるノーベル賞級の研究は、一般に”セレンデピティー”に富んだ研究であるという。つまり、自分の実力ではどうしようもないラッキーな偶然に遭遇して出来た研究がほとんどであるという。逆に、アメリカやヨーロッパの研究者のように、最初から自分で”予想”して計画的に大発見したというようなタイプの大発見は皆無であるという。(「ごめん!」参照。)

この意見、洞察には私も大賛成である。

実際に、若い頃からこれこれの問題はいつかこんな感じで解けるはずだ、というような”演繹的方法”に基づく研究は日本では非常に少ない。それは、日本人の教育では、あるいは日本人の文化では、帰納法的発想が馴染みあり、逆に演繹的発想が苦手だからである。(【83】 帰納法的発想と演繹法的発想の違い:予想の効用 2003/11/28(Fri)参照。)

こういう科学的背景の国では、科学者自らが若い頃から演繹的発想に基づいて大発見するということは非常に難しい。若い科学者が、俺は将来こういう装置を作ってこの問題を解いてみせる、というタイプの研究者は非常に稀だ、ということである。数学者で言えば、イギリス人数学者のアンドリュー・ワイルス博士のように、子供の頃から「フェルマー予想」を解こうと計画して数学者になり、そしてその目的を遂げる、というような人物が極めて稀にしか日本では現れない、ということである。

ならば、偶然の発見、偶然の大発見、偶然の大発明を日本人のだれかが行ったということの意味は深い。つまり、こういうことは日本では”めったに現れない”ということだからである。計画的にこういった大発見、大発明を行える程の知力や忍耐を持つ人物は日本人にはいないということだからである。

であるならば、中村修二博士の”青色発光ダイオード”の発明やその製造法の発明など、日本人が行った発明や発見の価値は非常に尊い物と見るべきであろう。

こういう文脈の下に、「近年、科学技術でも中国、韓国などアジアの台頭が著しい。日本の競争力維持には、財政的な支援が不可欠」であるというのであれば、その意味はだれにもよく理解できる。しかし、最初の記事のような文脈では国民の誰1人としてその意味を理解しないであろうと私は見る。

しかし、”本当”の問題はこんなことにはない。これは、私が「青の”勇み足”」で紹介したような問題と関わっているのである。

すなわち、日本の大企業が、国内で苦労して発明したことや大発見による技術を安く他国に売りさばいて、結果として日本の国際競争力を低下させている、という問題なのである。いみじくも、ソニーの池田氏が
「これらのメーカーは、最終的にGaN製LEDまで製造が可能なことを売り物にし、その製造方法の指導もセットにして台湾メーカー等にMOCVD装置を売り込んでいる。」
と言ったように、日本の大手大企業は
『日本人が苦労して自国で世界に先駆けて発明した”青色発光ダイオード”を日本の有名企業が中国系ハイテク企業に情報(製法技術)をリークしている』
というようなことを頻繁に行って来たのである。

これでは、いくら日本人ノーベル賞学者たちが、「近年、科学技術でも中国、韓国などアジアの台頭が著しい。日本の競争力維持には、財政的な支援が不可欠」と陳情しても無駄である。なぜなら、敵は自国にいて、そのすぐ後ろで中国や韓国に技術漏洩しているのだからである。

要するに、日本の競争力の問題は野依博士たちが思っているような金の問題ではない、のである。むしろ、企業社会、科学者社会のモラル(英語のエティクス、倫理観)の問題なのである。

もし国が日本人研究者に25兆円を投資したとしても、そのほとんどが国際協力と言う名の下に諸外国の研究者に流れるというのであれば、最初からこの25兆円は必要無いのである。もしその大半が日本の企業に実験装置の発注で終わるとすれば、これまたこの金は必要無いのである。もしその大半が国際学会参加のための旅費に終わるのであれば、これまたこの金は必要無いのである。もしその大半が研究者の衣服や居住生活に使われるとすれば、これまたこの金は必要無いのである。そもそも自分の高額な給料で賄うことができるからである。

こんなわけで、私はノーベル賞学者の野依さんらの行いは、決して誉められたものではない、と考える。

実際、彼等はアカデミズムというものを、大学社会や研究所社会という極めて狭い意味で使っているからである。この点は私は本(「何が科学をつぶすのか」)で論じて久しいが、研究助成にしてもなんにしても大学や研究所などの”組織”の外にいる我々”草の根科学者”には何ら援助がない、という現実は何ら変わっていないのである。(実際、ここ数年は私の方がこれらのノーベル賞学者よりも研究論文を出していると思うヨ。)

いずれにせよ、”研究バブル”はいつか崩壊するのである。

最後に、私が野依博士ら日本人研究者たちに言いたいことは、

”もっと外へ出て、一般人の生活を見てみろ!”

ということである。みんな”けなげに”かつ”質素に”生きているのである。それでも、ほとんどの一般人は少しも文句なんて言っていないのである。

「日の本は上に行く程とんまである。」

とは、日本の科学者社会でも言えることのようだネ。
2005/12/04のBlog
[ 19:31 ] [ サッカー練習日誌 ]
2005年12月04日(日)雨後曇り後晴れ

T3リーグ第3戦。

【対戦&結果】
会場:阿南高専。
対戦相手:徳島文理大付属高校。
0:00PM集合。
0:10PMアップ開始。
1:00PMキックオフ。

結果2一0(前半2一0、後半1一0)勝利。

【ポジション】
前半35分 3一5一2(ガンバ大阪システム) 
 
FWーーー西川2ーーー大庭2 
MFーーー須賀2ーーー尾形2
ーーー須藤2ーー山田1ーー杉本2
DFーーー広瀬1ーーー岡田1
ーーーーーーーー神原1
GKーーーーーー川原2 

サブ 山脇2、弓場2

後半35分 3一5一2(ガンバ大阪システム)
 
FWーー西川2→弓場2ー山脇2 
MFーーー須賀2ーーー尾形2
ーーー須藤2ーー山田1ーー杉本2
DFーーー広瀬1ーーー岡田1
ーーーーーーーー神原1
GKーーーーーー川原2 

【総評】
相手チームの文理は、前期にいったんはT2入りしたが、T3に陥落し今期再上昇を狙う、上昇気運にある新鋭の好チーム。前半開始5分最初に右サイドからの攻撃で須賀がプッシュして得点。その後再三のチャンスがあったが好機に点を入れられず、逆に前半の後半に足が止まりかけたところで、反撃を食らう。何とかしのいで行く内、好機をはずしたが、詰めていった西川の身体にGKのクリアボールが当たり跳ね返って得点。後半も前半のように一進一退。両方ともにチャンスがあったが、共に無得点で終了。文理は好チーム。ホームゲームが幸いした。実力的にはほぼ互角だろう。

【その他の試合】
名西6一0(前半3一0、後半3一0)城東
2005/12/03のBlog
[ 08:31 ] [ サッカー練習日誌 ]
2005年12月02日(金)曇り

4:30PM練習開始。4年生以下参加。
随時給水可。

(1)ウォーミングアップ。2人組ストレッチ。

(2)パス練習1。2人組の練習。
インサイドパス。アウトサイドパス。インステップパス。インステップキック。スローイン。ヘディングパス。インサイドパス。胸トラップパス。

(3)センタリング&シュート練習1。2人組の練習。
ウィングプレー。両サイド交互に行う。

(4)センタリング&シュート練習2。2人組の練習。
ウィングプレー。両サイド交互に行う。

(5)フォーメーション。

(6)整理体操、ストレッチ。6:30PM終了。
2005/12/01のBlog
[ 21:21 ] [ サッカー練習日誌 ]
2005年12月01日(木)晴れ

4:30PM練習開始。4年生以下参加。
随時給水可。

(1)ウォーミングアップ。2人組ストレッチ。

(2)パス練習1。2人組の練習。
インサイドパス。アウトサイドパス。インステップパス。インステップキック。スローイン。ヘディングパス。インサイドパス。胸トラップパス。

(3)センタリング&シュート練習1。2人組の練習。
ウィングプレー。両サイド交互に行う。

(4)センタリング&シュート練習2。2人組の練習。
ウィングプレー。両サイド交互に行う。

(5)パス練習2。10対10パス回し練習。
10対10=敵味方各々10人でパスを回す。
フリータッチ5分、休憩1分、スリータッチ5分、休憩1分、スリータッチ5分。

(6)フォーメーション。

(7)整理体操、ストレッチ。6:30PM終了。
[ 20:52 ] [ サッカー練習日誌 ]
2005年11月30日(水)晴れ

4:30PM練習開始。4年生以下参加。
随時給水可。

(1)ウォーミングアップ。2人組ストレッチ。

(2)パス練習1。2人組の練習。
インサイドパス。アウトサイドパス。インステップパス。インステップキック。スローイン。ヘディングパス。インサイドパス。胸トラップパス。

(3)センタリング&シュート練習1。2人組の練習。
ウィングプレー。両サイド交互に行う。

(4)センタリング&シュート練習2。2人組の練習。
ウィングプレー。両サイド交互に行う。

(5)パス練習2。10対10パス回し練習。
10対10=敵味方各々10人でパスを回す。
フリータッチ5分、休憩1分、スリータッチ5分、休憩1分、スリータッチ5分。

(6)ミニゲーム。6人×3チーム。
7分×3。あまったチームはコートの周りをジョギング。

(7)ランニング。グラウンド5周。

(8)整理体操、ストレッチ。6:30PM終了。
[ 16:12 ] [ テクノロジー ]
”勇み足”とは、力士が相手力士を土俵際まで押しやり、勝利の一歩手前まで行って100%勝利を確信した時、負け同前の相手が土俵を割る前に勢いあまって自分の足の方が先に土俵を割って負けとなる、ということを意味している。

私は今回、中村修二博士と日亜化学の特許裁判(中村修二博士の”ごめん!”)でも、これと非常に似たようなことが起こったということを見つけたので、ちょっとこれをコメントしておこう。

この話は、中村修二さんの「ごめん!」の中の289ページにある。

これは、中村日亜化学裁判の中村氏側の準備書面:
「三。I氏意見書(乙149)7頁3行一8頁末行の反論」
に関する。

この本(「ごめん!」)によると、その「I氏意見書」というのは、日亜化学側が準備したもので、次世代DVD開発で有名なS社が日亜化学のために用意した意見書であるという。この書面を見て以来、中村さんは一切S社製品を買わなくなったということであるらしい。

裁判そのものに関心のある人は、中村さんの本を読んでみれば良いが、ここで私が指摘するのは裁判そのものについてではない。実は、ここに私が長らく不思議だと思っていたことの”答え”が端的に出ていたからである。

私はかねがね次のことに疑問を抱いていたのである。

日亜化学が青色発光ダイオードやその他関連発光ダイオードを発明したのは、つい最近の1993年12月頃の事。青色発光ダイオードは20世紀中には実現不可能な”夢の技術”と言われ、それ以来、この12年間基本特許に守られて青色発光ダイオードの売り上げを伸ばして来た(【94】 日亜化学の大躍進:基本特許の威力! 2003/12/02(Tue) )。

にもかかわらず、ここ数年前から日亜化学や日本の企業の製品よりずっと安価な発光ダイオードが、夏祭りの夜店などで青色発光ダイオード製品(光るウチワや光る置き物など)として売られるようになった。青色発光ダイオードは21世紀のキーテクノロジーのはずである。それが、

どうしてこんなにも早く他国(特に中国系企業)にコピーされてしまったのだろうか?

これが私がずっと疑問に思って来たことなのである。この答えがなんとS社のI氏の準備書面にしっかり”書かれて”いたのである。中村さんの「ごめん!」の中のその部分だけ、ピックアップしてみよう。

”(三)また2一3年前くらいからは、M社、A社、T社の3社が汎用のMOCVD装置を売り出している。これらのメーカーの汎用MOCVDは元々GaAlAsを成長させる為の装置であったが、従来装置をさほど変更することなく、若干の条件等を変更することにより質の良いGaN膜を均一に成長させているようである。これらのメーカーは、最終的にGaN製LEDまで製造が可能なことを売り物にし、その製造方法の指導もセットにして台湾メーカー等にMOCVD装置を売り込んでいる。
 これらの汎用MOCVD装置はいずれも従来型の各社独自の量産用反応管を用いたものである。”

ここで、”S社のI氏”とは、ソニーの池田昌夫氏の事である((3)による)。一方、恐らく、M社は松下電気、A社はアルプス電気、T社は豊田合成のことであろう(定かではない)。また台湾企業とは、EPISTAR社のことであろう。

この文書は、中村氏の発明した”ツーフロー気相MOCVD”装置がいかにたいしたことないか、ありふれた技術であるということを示すために提出されたものである。要するに、中村特許への”いちゃもん”として出されたものである。そして、これらの”試み”が功を奏して中村裁判は800億円から8億円で決着したということであった。

つまり、日亜化学側が実質上の”勝利”をしたのだが、ここにある種の”勇み足”があったということであった。それが、ソニーの池田昌夫氏によって提出された文書にあった上の部分であった。

私が何を問題にしているか、と言えば、要するに、日亜化学ないしはソニーの池田昌夫氏が中村裁判の準備書面の中で、

「これらのメーカーは、最終的にGaN製LEDまで製造が可能なことを売り物にし、その製造方法の指導もセットにして台湾メーカー等にMOCVD装置を売り込んでいる。」

と書いているからである。これは、つまり、

『日本人が苦労して自国で世界に先駆けて発明した”青色発光ダイオード”を日本の有名企業が中国系ハイテク企業に情報(製法技術)をリークしている』

という生々しい事実が裁判記録として残されているからである。

このような事実があった場合、アメリカでは大問題となる。まずFBIがやってきて”ハイテク技術漏洩事件”として立件するはずである。同時に、一方の台湾系企業の技術者は”産業スパイ事件”として検挙されるであろう。事実、アメリカ留学中の日本人研究者や企業研究者たちが、”産業スパイ”として逮捕された事件は数多くある。最近でも、理研の研究者やDNA研究者がこれで逮捕されてしまった。それほどまでに、ハイテク技術や企業技術に関しては欧米社会では厳しい措置が取られているのである。

ところが、日本の場合には、大企業自らがこぞって夢のハイテク技術を”製造指導”までセットで台湾企業へ売っている、という有り様なのである。

消費者にとって物は安く買える方がいい。しかし、自国民が苦労して開発した大発明の技術を国民の知らないところで、ライバル国にどんどん売りさばくというのは、どうも私には理解できない。この不況下で大変な状況にある日本でこういうことは売国奴と呼ばれてもしかたないだろう。

今後この問題は社会的大問題になっていくかも知れないネ。

参考文献:
(1)中村修二、怒りのブレイクスルー
(2)小山稔、青の奇跡
(3)テーミス、青色発光ダイオード
(4)小川雅照、父一代の日亜化学
(5)中村修二、ごめん!
(6)【264】 日亜vsソニー 2004/04/23(Fri)
(7)【94】 日亜化学の大躍進:基本特許の威力! 2003/12/02(Tue)
2005/11/30のBlog
[ 13:02 ] [ サッカー練習日誌 ]
2005年11月29日(火)晴れ

4:30PM練習開始。4年生以下参加。
随時給水可。

(1)ウォーミングアップ。2人組ストレッチ。

(2)パス練習1。2人組の練習。
インサイドパス。アウトサイドパス。インステップパス。インステップキック。スローイン。ヘディングパス。インサイドパス。胸トラップパス。

(3)センタリング&シュート練習1。2人組の練習。
ウィングプレー。右サイドのみ。

(4)センタリング&シュート練習2。2人組の練習。
ウィングプレー。右サイドのみ。

(5)パス練習2。10対10パス回し練習。
10対10=敵味方各々10人でパスを回す。
フリータッチ5分、休憩1分、スリータッチ5分、休憩1分、スリータッチ5分。

(6)ミニゲーム。6人×3チーム。
7分×3。あまったチームはコートの周りをジョギング。

(7)ランニング。グラウンド5周。

(8)整理体操、ストレッチ。6:30PM終了。
2005/11/29のBlog
日本の科学・技術界に震度5弱の激震走る。

今朝の朝日新聞記事:科学技術予算増額に「黄信号」 数値目標、財務相が反対
によると、1995年に「科学技術基本法」が出来て以来、向こう10年で47兆円にも及んだ”科学技術優先”財政、いわゆる”科学技術研究バブル”がいよいよ終焉を迎えそうである。この間、年4一5兆円にも及んだ科学技術予算が終わるかもしれない、ということである。

拙著「何が科学をつぶすのか?」にも書いておいたことだが、この10年で日本の科学・技術分野では、上の”科学技術研究バブル”の勢いに乗って、

”教養部廃止”、
”大学院の重点化”、
”ポスドク(博士研究員)1万人計画”、
国立研究所の”独立行政法人化”(2002)、
国立大学の”大学法人化”(2004)、
国立高等専門学校(高専)の”独立行政法人化”(2005)

などと突き進んできたわけである。いよいよ、これが終焉を迎えるのである。この後に何が起こるかはおおよその見当はつくはずである。

ところで、皆さんは、どうしてヤフー、楽天、ライブドア、アマゾン、村上ファンドなど、いわゆるIT産業がこのたった10年でこれほどまでに莫大なお金を集めることが出来たのだろうか?、と不思議に思っているはずである。何ゆえに特に普通の人と大差ないホリエモンがホリエモン足り得たのか、不思議に思ったはずである。

私のここ10年の分析では、実は日本の”科学技術研究バブル”とIT産業群、俗に言う、”六本木ヒルズ族”の間には非常に深い関係があるのである。

では、だれがIT産業に投資してきたのだろうか?

私が個人的に知る限りでは、一番最初にこういったIT産業に投資したのは、大学研究者たちであった、と見ている。日本国内でもっとも早くからインターネットに接触できた人種は大学関係者や国の研究所の研究者たちであった。

1980年代に始まった日本経済の”(土地)バブル”が1990年宮沢政権時代に崩壊し、いよいよ空白の10年期が始まった。この途端に大手大銀行は軒並み不良債券を抱えて、一気に赤字転落、銀行倒産の危機に陥った。こういう状況下で、政府は国民から税金投入して莫大な損失補填をした。同時に金利を実質的にゼロにして、銀行を救済したのである。

これから遅れること、5年してIT産業化の世界的な波に遅れまいとして橋本、森総理時代に、IT戦略を出したのである。ほぼ同時に、”大学改革”の流れから、上述の改革が始まった。大学や研究所の研究者たちにとってこれは追い風となり、1995年に「科学技術基本法」が成立し、向こう10年で約50兆円の科学研究予算がつく時代となったわけである。

しかし、この時代には銀行の預金金利はゼロに等しく、一般人の平均給与の数倍ももらえるようになった大学関係者や病院関係者たちは、こぞってIT関連企業の株やファンドに投資するようになったのである。おりしも”金持ち父さん、貧乏父さん”が日本に伝わり、投資ブームが引き起こされた時代背景もこれを後押しした。いつ潰れるかも知れない銀行より、今後の将来性の高いIT企業に投資したのである。私の知る限り、日本の大学関係者などのインテリたちの多くはこれに従ったように見える。

この結果(ここが特に大事なポイントだが)、大学関係者は首都圏に極度に集中しているために、最初に日本全国に出来はじめたインターネットプロバイダーやIT産業の内、首都圏に存在するものに集中して投資するようになり、結局IT産業の”勝ち組”は都内に進出したものだけということとなってしまったのである。最初はホリエモンの会社と同程度の規模の会社でも、地方に起こった企業はそのうち都内の会社に身売りしたのである。

こうして”科学研究バブル”によってだぶついた科学研究者の財布の中身の一部が首都圏のIT新進企業に投資されて、いわゆる”六本木ヒルズ族”を生み出した、というわけである。この金が、”科学技術研究予算”という形で国が国債で手に入れた、つまり国民の借金という形でつくり出した約50兆円なのである。

要するに、私の分析では、この10年間に大学や研究所の研究者のために借金をしてまで作った50兆円のうち、かなりの額が”六本木ヒルズ族”に回ったのであろう、ということである。言い換えれば、”六本木ヒルズ族”は国が間接的に生み出した”必然”なのである。今の”六本木ヒルズ族”の”優雅な生活”の根本は、”科学研究バブル”という土地バブルの後の「空白の10年」に突如として現れ出た、新たなる”バブル”にあった、ということである。

そして、いよいよこれが”終焉”する。したがって、これをもっとも恐れているのは、”六本木ヒルズ族”であろうと私は思うヨ。もちろん、これから大学関係者など、研究者社会にも激震が走り、”リストラの荒らし”が吹き荒れるという可能性もある。

果たしてどうなることか。今後を見守る他ないだろうネ。
2005/11/28のBlog
[ 10:37 ] [ サッカー練習日誌 ]
2005年11月27日(日)晴れ後曇り

T3リーグ第2戦。

【対戦&結果】
会場:徳島東工業。
対戦相手:脇町高校。
1:00PM集合。
1:10PMアップ開始。
2:30PMキックオフ。

結果0一2(前半0一1、後半0一1)敗戦。

【ポジション】
前半35分 3一5一2 
 
FWーーー西川2ーーー大庭2 
MFーーーーーー須賀2 
ーーー須藤2ーーーーーーー杉本2
ーーーーー山田1ーー尾形2 
DFーー広瀬1ーーーーー神原1
ーーーーーーーー天野2
GKーーーーーー川原2 

サブ 岡田1、佐藤1、正森1、弓場2

後半35分 3一5一2 
 
FWーーー西川2ーーー大庭2→正森1
MFーーーーーー須賀2 
ーーー須藤2ーーーーーーー杉本2
ーーーーー山田1ーー尾形2 
DFーー広瀬1ーーーーー神原1
ーーーーーーーー天野2
GKーーーーーー川原2

【総評】
相手チームの脇町は、前期にいったんはT2入りしたが、T3に陥落し今期再上昇を狙う、上昇気運にある新鋭の好チーム。真の実力を見るにはちょうど良い試合。前半最初に押し込まれたが、その後再三のチャンスがあったが好機に点を入れられず、逆に前半の後半に足が止まりかけたところで、ディフェンダーの天野が敵フォワードに抜かれて失点。後半も前半のように一進一退であったが、後半の後半足が止まり再三再四の敵の好機が訪れ、中央からフリーでシュートされ失点。脇町のナイスゲーム。こちらがしたい試合を相手にされてしまった。

【敗因】
フォワードでは、大事な試合にミュージカルを見に行ってしまった山脇2の不在が大きい。試合後の話では、正森1は早朝まで起き3、4時間睡眠のようで、コンディションが悪かった。中盤では、大事な試合に須賀2が別のクラブの遊び友だちを連れてくるなど、試合前から遊び気分。前の試合の余韻から抜け出れなかったのだろう。ディフェンスでは、試合直前の小雨時に天野2が雨はいやだなどと騒ぎ集中が切れた。岡田1が大事な試合前に怪我やあるいは二輪免許取得などのために練習と試合に出られなかったことが響いた。

この”心掛けの悪さ”や”人間性のレベルの低さ”が、阿南高専という学校の学生一般に共通する際立った特徴。一方、相手の脇町は県下有数の進学校でもあり、文武両道を目指す、非常に”志気”や”意識”の高い、高校生らしい好チームに育っていた。この心掛けの差が試合結果となった。が、こればかりは、学校の先生の”質”や”意識”の差であるから、私としてはどうしようもない。この辺はいつも歯がゆい思いをさせられるネ。
2005/11/26のBlog
徳島新聞記事:G・ベスト氏死去 英国の元サッカー選手
によると、北アイルランドの伝説的サッカー選手、ジョージ・ベスト氏が死去したようである。享年59才。早すぎた死であった。

御冥福を心から祈りたい。
ペレとジョージ・ベスト
若き日のベスト
在りし日のベスト