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2006/01/22のBlog
[ 11:00 ]
[ 社会 ]
”嘘つきは泥棒の始まり”
とは、我が国の庶民の”知恵”として、いましめの諺の代表格の1つである。しかし、これは古(いにしえ)の時代からの真実の1つと言える。たった1つの嘘をつくことから、事態はますます嘘をつかねばならない状況に陥り、ますます嘘をつくはめに陥る。そして、気が付くともはや後戻りできないほど悲惨な状況に陥って最後には破滅を迎える。
ところで、1つのものがそれ自身によってどんどん増殖していく状況を我々科学者は”自己触媒作用”と呼ぶ。”嘘つき”には自己触媒作用がある。
そうはいうものの、方や、”嘘も方便”という庶民の諺もある。その場を取り繕うための「嘘も時には社会の潤滑油として必要だ」という意味の諺である。
同じ嘘ではあっても、前者と後者には大きな違いがある。それは、前者は「利己的」な目的、つまり、自分勝手な利益のためという目的があるが、後者は「利他的」な目的、つまり、他人をおもんばかるという他人の利益のためという目的があるという違いである。これをすり替え、意味逆転化してはならない。”嘘も方便”ではあっても嘘は嘘。嘘はつかない方がずっとましなのである。
こんなわけで、人があからさまに”嘘”をつく時、それは”何かの現れ(徴候)”であると私は見る。
昔をひも解けば、こんな例もあった。戦前のドイツのヒトラー政権や日本の東条英樹政権の大本営がそうである。戦況は悲惨な負け戦にも関わらず、戦地は全戦全勝と嘘をついた。最後には、核爆弾の報復を受けることとなってしまった。現在の北朝鮮のキム・ジョンイル政権も同じ。イラクのフセイン政権も同じ。もちろん、現在のアメリカのブッシュ政権もいっしょ。
現在でも、似た例に事欠かない。ごく最近では、ライブドアのホリエモンがその代表例となった(ホリエモンの黄昏れ)。ホリエモンの幹部たちは、知らぬ存ぜぬの”嘘のつき放題”であった。耐震偽装事件(小嶋社長喚問:小嶋の”挑戦状”、耐震偽装の”本丸”ついに明らかに、強度偽装に集った”お公家さん”たち)でも、ヒューザーの小嶋社長から総研の内河社長、イーホームズの藤田社長、木村建設の木村社長や篠塚東京支店長、姉歯1級建築士に至るまで、嘘のつき放題であった。
これらの人々は、”嘘をつかなばならない理由”がある。つまり、”何か”を泥棒したのである。
”嘘をつくことは逃げること”でもある。
もし人が悪いことをしても逃げることをしないという勇者であれば、その人は”黙秘する(だまる)”。人は己の責任から逃避するために嘘をつく。つまり、弱虫だからこそ嘘をつく。それゆえ、”お公家さん”はたいてい”嘘つき”である(現在の”公家”と”サムライ”)。”黙秘権”とは、「嘘をつかずに己の責任を認める」という権利でもある。この後に及んで何をか謂わんや、ということである。
”嘘つき”の最大の特徴とは、その場においても嘘をつくということ。つまり、現場を取り押さえられてもそこで”嘘をつく”ということである。
色慾家は女との浮気の現場を発見されも、そのベッドの上でこれは何かの間違いだ、と宣うという。姉歯1級建築士も、耐震偽装をアトラス設計に見破られてもその場でこれは何かの間違いだと嘘をついたという。上で挙げた古今の独裁政権もそうで、ことある度に、”これは何かの間違いだ”と嘘をつく。ブレア政権やブッシュ政権もフセイン大統領が大量殺りく兵器を保有していなかったと分かってもそうであった。
さて、そこで、こんな観点から最近の日本を見てみると、日本政府も昔の大本営と同じような嘘をついてた。今回はこれを紹介しておこう。
「階級社会つくらぬ」安倍長官、小泉改革路線の懸念否定
で、安部さんはこう言ったという。
「勝ち組、負け組がはっきりする殺伐とした弱肉強食の日本をつくっていくのか。決してそんな道を歩みたいとは思っていない。勝ち組、負け組を決して固定化させてはならないし、階級社会をつくっていくことになってもいけない」
しかし、これは私がずっと前に『二極化する日本人』で詳細の分析済みのように、安部さんの”嘘つき”である。
首相、施政方針で「改革続行」 課題は次政権へ先送り
では、小泉純一郎首相の威勢の良い言葉が並ぶ。
「改革続行」
「不良債権の処理目標を達成し、政府の財政出動に頼ることなく、民間主導の景気回復の道を歩んでいる」
「消費税、所得税など税体系全体にわたって、あらゆる角度から見直す」
「書類の偽造を見抜けなかった検査制度を点検し、再発防止と耐震化の促進に全力を挙げる」
これこそ、昔の”大本営”的な”嘘つき”であろう。
彼のいう「改革続行」は、”全国民ため”というよりは、”一部のお仲間たちのため”である。
「不良債権の処理目標を達成し、政府の財政出動に頼ることなく、民間主導の景気回復の道を歩んでいる」とは、”本来アメリカのように、不良債権を作った銀行は全部潰すか、あるいは、不良債権を作った当事者や責任者は全員刑務所入りしその代わりとして税金投入すべきはず”であったが、そういうことをしないで国民の血税で不良債権処理したために、とどめを刺されず生き返った(ゾンビのような)”悪だま”銀行が、今度はノンバンク(アイフル、武富士、レイクなどなど)を作って、庶民から金を吸い上げて勢力を盛りかえしたにすぎない。 これほど景気が良くなったのであれば、あるいは、銀行の業績が良くなったのであれば、もう「ゼロ金利政策」は止めるはずであろう。庶民の貯金は利益無しだが、大銀行やノンバンクの利息はべらぼうに高い。
「消費税、所得税など税体系全体にわたって、あらゆる角度から見直す」は、官尊民卑、強者優遇の弱いもの虐めの”非道”なもの、というよりは”外道”なもの、である。これは、ずっと前に私は分析済みである。
知られざる相続税の仕組、
相続税は”即刻廃止”の動き!
最後の「書類の偽造を見抜けなかった検査制度を点検し、再発防止と耐震化の促進に全力を挙げる」に至っては、”何をか謂わんや”(何をおっしゃるバカ殿様)であろう。これを作ったのは”お前だろ!”ということである。『耐震偽装の”本丸”ついに明らかに』で分析したように、この全責任は小泉純一郎と小川忠男にある。しかし、首相である小泉純一郎がやった失敗の責任を血税という形で全国民が分担する必要はない。あくまで小泉自民党や公明党の支持者、関係のあった政府官僚のみでつぐなうべきである。民主党支持者、共産党支持者などは税金を取られる必要はないはずだ。なぜなら、小泉首相がいなければ、この問題は生じなかったはずだからである。耐震偽装の賠償問題は、小泉自民党や公明党と彼等の支持者や協力者たちで処理すべきであろう。
いずれにせよ、この人物の”脳天気”さにもほどがある。
”政治家は当選しなけりゃただの人”
名言である。
米に原因究明と再発防止要求、牛肉問題で安倍官房長官
では、狂牛病問題に関して昨年12月に輸入再開を決めた日本政府の判断について安部さんが意見を求められて、こういったという。
「米国が『しっかり検査する。輸出条件を順守する』という(約束の)上での判断なので、間違っていない」
これこそ、ベットの上の不倫男の意見と同じだろう。現場を取り押さえられてもまだ白をきる。自分がやったことが結果として間違ったのだから、弁解の余地がない。むしろ、黙秘すべきこと(つまり、自分の非を認めるべきこと)であっただろう。サッカーでは、自殺点(オウンゴール)も相手のゴールとして認められる。そういうものである。
ライブドア強制捜査、武部幹事長「遺憾の極み」
では、昨年の衆院選で自民党が広島6区立候補者としてライブドアのホリエモンの無所属出馬を支援したことに対して、武部氏が聞かれ、こう答えたという。
「堀江氏が郵政民営化賛成の立場だったので応援した。『経営者を辞めてほしい』と公認条件を提示したが、堀江氏は『無所属で出る』と言った。『(辞めないと)公認できない』と申し上げたのは、いろいろなことをおもんぱかったからだ」
”虫が良すぎる”
とはこういう時のための言葉だろう。武部氏はあまりに”虫が良すぎる”。こういう人物は、かつてのヒトラーの親衛隊のゲシュタポなどに必ずいる。俗にいう、”イエスマン”、あるいは”犬”というタイプであろう。”嘘をつくな”ということである。
最後に、
「格差は拡大している」 公明代表が内閣府見解を批判
では、内閣府が「社会の格差拡大論を否定する見解を公表」したという。しかし、これは上にも紹介したように、明らかなる”大嘘”、”大本営的嘘つき”の典型である(二極化する日本人)。
”日の本は上に行くほど豚馬(とんま)である”
とは、昔アメリカ帰りの勝海舟が家老にアメリカはどうかと聞かれて
「亜米利加は上に行くほど伶俐(れいり)である」
と答え、ばか者と叱られたという話を皮肉って、私の作った言葉である。が、今や社会の上層部から下層部まで、詐欺師だらけの”嘘つき大国”となってしまった。首相は”非道”や”外道”の信奉者、株屋はインサイダーもアウトサイダーもない”味噌糞”。株式取引所は一歩間違えばダウンの不安定な”カオス”。庶民も官僚も”借金地獄”。違いは、弱いか強いか、取り立てられる方か取り立てる方か、ノンバンクから借り入れるか国債で借り入れるかだけ。しかし、やってることは、ホリエモンといっしょで、金持ちそうに見えるように”嘘をつく”。
貧乏人は貧乏に見えて結構。分相応で結構。見栄を張るな、なのである。
その昔、ヒトラーはこういったという。
”人は小さな嘘なら信じないが大きな嘘なら信じる。”
恐らくホリエモンはヒトラーのこの言葉を信じてしまったのだろう。彼は、嘘つきの”自己触媒作用”というものを御存じなかったのである。
いやはや、世も末ですナ。くわばらくわばら。
とは、我が国の庶民の”知恵”として、いましめの諺の代表格の1つである。しかし、これは古(いにしえ)の時代からの真実の1つと言える。たった1つの嘘をつくことから、事態はますます嘘をつかねばならない状況に陥り、ますます嘘をつくはめに陥る。そして、気が付くともはや後戻りできないほど悲惨な状況に陥って最後には破滅を迎える。
ところで、1つのものがそれ自身によってどんどん増殖していく状況を我々科学者は”自己触媒作用”と呼ぶ。”嘘つき”には自己触媒作用がある。
そうはいうものの、方や、”嘘も方便”という庶民の諺もある。その場を取り繕うための「嘘も時には社会の潤滑油として必要だ」という意味の諺である。
同じ嘘ではあっても、前者と後者には大きな違いがある。それは、前者は「利己的」な目的、つまり、自分勝手な利益のためという目的があるが、後者は「利他的」な目的、つまり、他人をおもんばかるという他人の利益のためという目的があるという違いである。これをすり替え、意味逆転化してはならない。”嘘も方便”ではあっても嘘は嘘。嘘はつかない方がずっとましなのである。
こんなわけで、人があからさまに”嘘”をつく時、それは”何かの現れ(徴候)”であると私は見る。
昔をひも解けば、こんな例もあった。戦前のドイツのヒトラー政権や日本の東条英樹政権の大本営がそうである。戦況は悲惨な負け戦にも関わらず、戦地は全戦全勝と嘘をついた。最後には、核爆弾の報復を受けることとなってしまった。現在の北朝鮮のキム・ジョンイル政権も同じ。イラクのフセイン政権も同じ。もちろん、現在のアメリカのブッシュ政権もいっしょ。
現在でも、似た例に事欠かない。ごく最近では、ライブドアのホリエモンがその代表例となった(ホリエモンの黄昏れ)。ホリエモンの幹部たちは、知らぬ存ぜぬの”嘘のつき放題”であった。耐震偽装事件(小嶋社長喚問:小嶋の”挑戦状”、耐震偽装の”本丸”ついに明らかに、強度偽装に集った”お公家さん”たち)でも、ヒューザーの小嶋社長から総研の内河社長、イーホームズの藤田社長、木村建設の木村社長や篠塚東京支店長、姉歯1級建築士に至るまで、嘘のつき放題であった。
これらの人々は、”嘘をつかなばならない理由”がある。つまり、”何か”を泥棒したのである。
”嘘をつくことは逃げること”でもある。
もし人が悪いことをしても逃げることをしないという勇者であれば、その人は”黙秘する(だまる)”。人は己の責任から逃避するために嘘をつく。つまり、弱虫だからこそ嘘をつく。それゆえ、”お公家さん”はたいてい”嘘つき”である(現在の”公家”と”サムライ”)。”黙秘権”とは、「嘘をつかずに己の責任を認める」という権利でもある。この後に及んで何をか謂わんや、ということである。
”嘘つき”の最大の特徴とは、その場においても嘘をつくということ。つまり、現場を取り押さえられてもそこで”嘘をつく”ということである。
色慾家は女との浮気の現場を発見されも、そのベッドの上でこれは何かの間違いだ、と宣うという。姉歯1級建築士も、耐震偽装をアトラス設計に見破られてもその場でこれは何かの間違いだと嘘をついたという。上で挙げた古今の独裁政権もそうで、ことある度に、”これは何かの間違いだ”と嘘をつく。ブレア政権やブッシュ政権もフセイン大統領が大量殺りく兵器を保有していなかったと分かってもそうであった。
さて、そこで、こんな観点から最近の日本を見てみると、日本政府も昔の大本営と同じような嘘をついてた。今回はこれを紹介しておこう。
「階級社会つくらぬ」安倍長官、小泉改革路線の懸念否定
で、安部さんはこう言ったという。
「勝ち組、負け組がはっきりする殺伐とした弱肉強食の日本をつくっていくのか。決してそんな道を歩みたいとは思っていない。勝ち組、負け組を決して固定化させてはならないし、階級社会をつくっていくことになってもいけない」
しかし、これは私がずっと前に『二極化する日本人』で詳細の分析済みのように、安部さんの”嘘つき”である。
首相、施政方針で「改革続行」 課題は次政権へ先送り
では、小泉純一郎首相の威勢の良い言葉が並ぶ。
「改革続行」
「不良債権の処理目標を達成し、政府の財政出動に頼ることなく、民間主導の景気回復の道を歩んでいる」
「消費税、所得税など税体系全体にわたって、あらゆる角度から見直す」
「書類の偽造を見抜けなかった検査制度を点検し、再発防止と耐震化の促進に全力を挙げる」
これこそ、昔の”大本営”的な”嘘つき”であろう。
彼のいう「改革続行」は、”全国民ため”というよりは、”一部のお仲間たちのため”である。
「不良債権の処理目標を達成し、政府の財政出動に頼ることなく、民間主導の景気回復の道を歩んでいる」とは、”本来アメリカのように、不良債権を作った銀行は全部潰すか、あるいは、不良債権を作った当事者や責任者は全員刑務所入りしその代わりとして税金投入すべきはず”であったが、そういうことをしないで国民の血税で不良債権処理したために、とどめを刺されず生き返った(ゾンビのような)”悪だま”銀行が、今度はノンバンク(アイフル、武富士、レイクなどなど)を作って、庶民から金を吸い上げて勢力を盛りかえしたにすぎない。 これほど景気が良くなったのであれば、あるいは、銀行の業績が良くなったのであれば、もう「ゼロ金利政策」は止めるはずであろう。庶民の貯金は利益無しだが、大銀行やノンバンクの利息はべらぼうに高い。
「消費税、所得税など税体系全体にわたって、あらゆる角度から見直す」は、官尊民卑、強者優遇の弱いもの虐めの”非道”なもの、というよりは”外道”なもの、である。これは、ずっと前に私は分析済みである。
知られざる相続税の仕組、
相続税は”即刻廃止”の動き!
最後の「書類の偽造を見抜けなかった検査制度を点検し、再発防止と耐震化の促進に全力を挙げる」に至っては、”何をか謂わんや”(何をおっしゃるバカ殿様)であろう。これを作ったのは”お前だろ!”ということである。『耐震偽装の”本丸”ついに明らかに』で分析したように、この全責任は小泉純一郎と小川忠男にある。しかし、首相である小泉純一郎がやった失敗の責任を血税という形で全国民が分担する必要はない。あくまで小泉自民党や公明党の支持者、関係のあった政府官僚のみでつぐなうべきである。民主党支持者、共産党支持者などは税金を取られる必要はないはずだ。なぜなら、小泉首相がいなければ、この問題は生じなかったはずだからである。耐震偽装の賠償問題は、小泉自民党や公明党と彼等の支持者や協力者たちで処理すべきであろう。
いずれにせよ、この人物の”脳天気”さにもほどがある。
”政治家は当選しなけりゃただの人”
名言である。
米に原因究明と再発防止要求、牛肉問題で安倍官房長官
では、狂牛病問題に関して昨年12月に輸入再開を決めた日本政府の判断について安部さんが意見を求められて、こういったという。
「米国が『しっかり検査する。輸出条件を順守する』という(約束の)上での判断なので、間違っていない」
これこそ、ベットの上の不倫男の意見と同じだろう。現場を取り押さえられてもまだ白をきる。自分がやったことが結果として間違ったのだから、弁解の余地がない。むしろ、黙秘すべきこと(つまり、自分の非を認めるべきこと)であっただろう。サッカーでは、自殺点(オウンゴール)も相手のゴールとして認められる。そういうものである。
ライブドア強制捜査、武部幹事長「遺憾の極み」
では、昨年の衆院選で自民党が広島6区立候補者としてライブドアのホリエモンの無所属出馬を支援したことに対して、武部氏が聞かれ、こう答えたという。
「堀江氏が郵政民営化賛成の立場だったので応援した。『経営者を辞めてほしい』と公認条件を提示したが、堀江氏は『無所属で出る』と言った。『(辞めないと)公認できない』と申し上げたのは、いろいろなことをおもんぱかったからだ」
”虫が良すぎる”
とはこういう時のための言葉だろう。武部氏はあまりに”虫が良すぎる”。こういう人物は、かつてのヒトラーの親衛隊のゲシュタポなどに必ずいる。俗にいう、”イエスマン”、あるいは”犬”というタイプであろう。”嘘をつくな”ということである。
最後に、
「格差は拡大している」 公明代表が内閣府見解を批判
では、内閣府が「社会の格差拡大論を否定する見解を公表」したという。しかし、これは上にも紹介したように、明らかなる”大嘘”、”大本営的嘘つき”の典型である(二極化する日本人)。
”日の本は上に行くほど豚馬(とんま)である”
とは、昔アメリカ帰りの勝海舟が家老にアメリカはどうかと聞かれて
「亜米利加は上に行くほど伶俐(れいり)である」
と答え、ばか者と叱られたという話を皮肉って、私の作った言葉である。が、今や社会の上層部から下層部まで、詐欺師だらけの”嘘つき大国”となってしまった。首相は”非道”や”外道”の信奉者、株屋はインサイダーもアウトサイダーもない”味噌糞”。株式取引所は一歩間違えばダウンの不安定な”カオス”。庶民も官僚も”借金地獄”。違いは、弱いか強いか、取り立てられる方か取り立てる方か、ノンバンクから借り入れるか国債で借り入れるかだけ。しかし、やってることは、ホリエモンといっしょで、金持ちそうに見えるように”嘘をつく”。
貧乏人は貧乏に見えて結構。分相応で結構。見栄を張るな、なのである。
その昔、ヒトラーはこういったという。
”人は小さな嘘なら信じないが大きな嘘なら信じる。”
恐らくホリエモンはヒトラーのこの言葉を信じてしまったのだろう。彼は、嘘つきの”自己触媒作用”というものを御存じなかったのである。
いやはや、世も末ですナ。くわばらくわばら。
2006/01/20のBlog
[ 22:17 ]
[ 社会 ]
2ちゃんねる管理人に賠償命令 掲示板での中傷放置
この記事は、北海道南幌町の大学助教授有道出人(あるどう・でびと)さん(41)が、インターネットの掲示板「2ちゃんねる」の書き込みで名誉を傷つけられた。それを放置している掲示板の管理人ヒロユキ(東京都新宿区)に”書き込みの削除”、220万円の”損害賠償”などを求めて訴訟を起こした。そして、その判決が20日、札幌地裁岩見沢支部で言い渡され、ついに勝訴した、というものである。
悪名高き”ライブドア”破綻の次は、いよいよ悪名高き”2ちゃんねる”崩壊の時代到来か。
”ライブドア”と”2ちゃんねる”の両者に通じるのは、アングラマネーとポルノである。つまり、表向きと違って、裏でやくざ組織や性犯罪組織とのつながりがあるかも知れない、ということであろう。どちらもインターネットを使って、大きくなって来たが、スポンサー群を見れば分かるように、主たる金ずるはともにポルノビジネスである。
”ライブドア”の場合には、株式を使ったマネーゲームがメイン。だから、株価操作するには、どうしても社長のホリエモンがマスコミに出る。しかし、逆に”2ちゃんねる”の場合は、”総会屋方式”による裏金作りがメイン。だから、だれかが大袈裟に誹謗中傷問題を起こして示談金を獲得したり、あるいは「電車男」のように出版者とつるんで裏取り引きし本の捏造を行ったり、あるいはグループメンバーでやらせをする。
だから、”ライブドア”と”2ちゃんねる”のメンタリティーは非常に似ているわけだ。
こういった”何でもありの現代の若者の気質”にいよいよ日本の正道を行く大人達、例えば、東京地検特捜部や司法、が”お仕置き”する時代に入ったというわけである。
まあ、しばらく前に、私はすでに
インターネットの大衆化とネット規制
blog"時代に入って変わったことは?
そろそろネットや携帯も免許制度にしたら?
などでさんざん論じたことなので、特に驚くことはない。この最後のもので、私はこう書いていた。
”(あ)まず、一番の方式は、インターネットも許認可制度にして、”運転免許証”のようなものを公的に発行し、それにしかるべき”法規”を付けて、違反者には”罰則”を設ける、という方法である。つまり、自動車免許のように、法制度化するということである。いくらヴァーチャルな世界だからといっても、それなりの公道を走るインターネットでありたいとすれば、それなりの法制度が必要であろう、という考え方である。
(い)次のやり方は、もっと面白い。昔の言い方に”働かざるもの食うべからず”という労働者の考え方がある。これを現在版に変えるのである。
つまり、携帯電話であれ、インターネットであれ、電話であれ、ちゃんとした行為を行わない人間にはその利用を拒否する、という考え方である。つまり、社会が意識的にそのたわけた人物を”ディジタルディバイドの世界に追いやる”のである。
もっと具体的に言えば、インターネット犯罪者には、パソコン利用を禁止。携帯電話で違法な行為を行ったものには、罰則として携帯電話を使用禁止。販売してやらない、のである。”
ところで、この(あ)の方は年末、コメディアン爆笑問題の太田&田中に”パクられた”。つまり、無断盗用されてしまった。なぜなら、インターネットの法規制や免許制度についてのアイデアを公にずっと提示してきたのは、私くらいのものだからだ。番組で冗談半分のお笑いネタにされてしまったために、この問題の本質は全く番組参加者や視聴者に理解されないことになってしまった。まことに遺憾なこと(不愉快なこと)であった。こういうバカはテレビに出すな!と言いたいところ。
こんなわけで、”2ちゃんねる”の場合は、非合法組織であるポルノマネーやノンバンクであるのだから、その財政基盤は明らかなるマネーロンダリング(資金洗浄)に過ぎない。こういううす汚い組織は”ライブドア”と同様に即刻排除するべきだろうヨ(つまり、プロバイダーやサーバーはフィルターをかけてどこからも”2ちゃんねる”に繋がらないようにすれば良いのである)。
インターネットの普及のためという大義名分で”オタク”を放置して来たという時代はすでに”終わった”のである。
この記事は、北海道南幌町の大学助教授有道出人(あるどう・でびと)さん(41)が、インターネットの掲示板「2ちゃんねる」の書き込みで名誉を傷つけられた。それを放置している掲示板の管理人ヒロユキ(東京都新宿区)に”書き込みの削除”、220万円の”損害賠償”などを求めて訴訟を起こした。そして、その判決が20日、札幌地裁岩見沢支部で言い渡され、ついに勝訴した、というものである。
悪名高き”ライブドア”破綻の次は、いよいよ悪名高き”2ちゃんねる”崩壊の時代到来か。
”ライブドア”と”2ちゃんねる”の両者に通じるのは、アングラマネーとポルノである。つまり、表向きと違って、裏でやくざ組織や性犯罪組織とのつながりがあるかも知れない、ということであろう。どちらもインターネットを使って、大きくなって来たが、スポンサー群を見れば分かるように、主たる金ずるはともにポルノビジネスである。
”ライブドア”の場合には、株式を使ったマネーゲームがメイン。だから、株価操作するには、どうしても社長のホリエモンがマスコミに出る。しかし、逆に”2ちゃんねる”の場合は、”総会屋方式”による裏金作りがメイン。だから、だれかが大袈裟に誹謗中傷問題を起こして示談金を獲得したり、あるいは「電車男」のように出版者とつるんで裏取り引きし本の捏造を行ったり、あるいはグループメンバーでやらせをする。
だから、”ライブドア”と”2ちゃんねる”のメンタリティーは非常に似ているわけだ。
こういった”何でもありの現代の若者の気質”にいよいよ日本の正道を行く大人達、例えば、東京地検特捜部や司法、が”お仕置き”する時代に入ったというわけである。
まあ、しばらく前に、私はすでに
インターネットの大衆化とネット規制
blog"時代に入って変わったことは?
そろそろネットや携帯も免許制度にしたら?
などでさんざん論じたことなので、特に驚くことはない。この最後のもので、私はこう書いていた。
”(あ)まず、一番の方式は、インターネットも許認可制度にして、”運転免許証”のようなものを公的に発行し、それにしかるべき”法規”を付けて、違反者には”罰則”を設ける、という方法である。つまり、自動車免許のように、法制度化するということである。いくらヴァーチャルな世界だからといっても、それなりの公道を走るインターネットでありたいとすれば、それなりの法制度が必要であろう、という考え方である。
(い)次のやり方は、もっと面白い。昔の言い方に”働かざるもの食うべからず”という労働者の考え方がある。これを現在版に変えるのである。
つまり、携帯電話であれ、インターネットであれ、電話であれ、ちゃんとした行為を行わない人間にはその利用を拒否する、という考え方である。つまり、社会が意識的にそのたわけた人物を”ディジタルディバイドの世界に追いやる”のである。
もっと具体的に言えば、インターネット犯罪者には、パソコン利用を禁止。携帯電話で違法な行為を行ったものには、罰則として携帯電話を使用禁止。販売してやらない、のである。”
ところで、この(あ)の方は年末、コメディアン爆笑問題の太田&田中に”パクられた”。つまり、無断盗用されてしまった。なぜなら、インターネットの法規制や免許制度についてのアイデアを公にずっと提示してきたのは、私くらいのものだからだ。番組で冗談半分のお笑いネタにされてしまったために、この問題の本質は全く番組参加者や視聴者に理解されないことになってしまった。まことに遺憾なこと(不愉快なこと)であった。こういうバカはテレビに出すな!と言いたいところ。
こんなわけで、”2ちゃんねる”の場合は、非合法組織であるポルノマネーやノンバンクであるのだから、その財政基盤は明らかなるマネーロンダリング(資金洗浄)に過ぎない。こういううす汚い組織は”ライブドア”と同様に即刻排除するべきだろうヨ(つまり、プロバイダーやサーバーはフィルターをかけてどこからも”2ちゃんねる”に繋がらないようにすれば良いのである)。
インターネットの普及のためという大義名分で”オタク”を放置して来たという時代はすでに”終わった”のである。
[ 12:02 ]
[ 科学 ]
昨日書いた「脳を大きくする遺伝子発見?」にjunさんが面白いコメントを付けてくれたので、こちらにその返答を書いておくことにしよう。
まずもう一度junさんのコメントをここに引用しておこう。
『> 細胞の核内のゲノムで10^{-9}、ミトコンドリアのゲノムで10^{-7}である。
変異率が10^{-8}なら120万年で、500一600万年前の化石と食い違いますが、
もし4x10^{-8}なら480万年で、化石と一致します。
また、ヒトとチンパンジーの差異は、タンパクコード領域(ORF)の比較で1.2%。
”ジャンク配列”を含めて比較すると3.9%だそうです。
変異率と、塩基配列の差異の数字を正確に見積もらなければ、化石との食い違いを議論できませんね。
より一般には、ヒトとサルの違いを数個の特異的な遺伝子の責任に還元する議論にも賛成できません。
むしろ、数万の遺伝子が形作る相互作用ネットワークがより本質的な意味をもつと妄想していますが、
どうお考えですか?
ところで、脳の容積と知性に相関はあるのですか?』
(1)さて、前半の
「変異率と、塩基配列の差異の数字を正確に見積もらなければ、化石との食い違いを議論できませんね。」
という意見。これには私も全く大賛成。junさんの言っていることが正しい。
実はこの問題には、かなり古くから続く、非常に”深い問題”がある。これは、日本の木村資生(もとお)博士が主唱した「中立進化説」というものと関係がある。この「中立進化説」とは、ダーウィンのいう「進化論」に”対する”アイデアとして生まれた。ダーウィンのいう突然変異、適者生存、自然淘汰の概念は、皆我々の日常世界で見る”マクロな世界”の概念である。だから、実際にはどうしてこういうことが起こるかは謎であった。
それが、分子生物学が誕生し、こういった概念をDNAレベルの”ミクロの世界”から考えることができるようになった。そうなると、このレベルでの突然変異はどの程度であるか、また突然変異はどうやって起こるか、というような問題がミクロのレベル(最近でいうナノスケールのレベル)で考えることができるようになったわけである。
まずもう一度junさんのコメントをここに引用しておこう。
『> 細胞の核内のゲノムで10^{-9}、ミトコンドリアのゲノムで10^{-7}である。
変異率が10^{-8}なら120万年で、500一600万年前の化石と食い違いますが、
もし4x10^{-8}なら480万年で、化石と一致します。
また、ヒトとチンパンジーの差異は、タンパクコード領域(ORF)の比較で1.2%。
”ジャンク配列”を含めて比較すると3.9%だそうです。
変異率と、塩基配列の差異の数字を正確に見積もらなければ、化石との食い違いを議論できませんね。
より一般には、ヒトとサルの違いを数個の特異的な遺伝子の責任に還元する議論にも賛成できません。
むしろ、数万の遺伝子が形作る相互作用ネットワークがより本質的な意味をもつと妄想していますが、
どうお考えですか?
ところで、脳の容積と知性に相関はあるのですか?』
(1)さて、前半の
「変異率と、塩基配列の差異の数字を正確に見積もらなければ、化石との食い違いを議論できませんね。」
という意見。これには私も全く大賛成。junさんの言っていることが正しい。
実はこの問題には、かなり古くから続く、非常に”深い問題”がある。これは、日本の木村資生(もとお)博士が主唱した「中立進化説」というものと関係がある。この「中立進化説」とは、ダーウィンのいう「進化論」に”対する”アイデアとして生まれた。ダーウィンのいう突然変異、適者生存、自然淘汰の概念は、皆我々の日常世界で見る”マクロな世界”の概念である。だから、実際にはどうしてこういうことが起こるかは謎であった。
それが、分子生物学が誕生し、こういった概念をDNAレベルの”ミクロの世界”から考えることができるようになった。そうなると、このレベルでの突然変異はどの程度であるか、また突然変異はどうやって起こるか、というような問題がミクロのレベル(最近でいうナノスケールのレベル)で考えることができるようになったわけである。
この辺のことはぜひ以下のHPを読んでほしい。これは、太田朋子さんによる。
遺伝と進化
木村資生と中立説
これをまとめるとこうなる。
ダーウィンのいう適者生存の「進化論」では、ある環境に適応できるかどうかに対して、突然変異が”有害”か”有利”かの二者択一で考える。確かにマクロに見れば、ある突然変異が表現型(見た目)に出れば、その結果は生死に直結するかも知れない。しかし、実際にミクロに見れば、この間のグレーゾーンに入るようなどちらとも言えないというような突然変異もたくさん起こっている。だとすれば、分子レベルでは、突然変異は生じる結果に対して”有害”か”有利”かどうかということには無関係にかなり”中立”に確率的に起こっていることになる。こう考えたのが木村資生博士であった。
これはある意味で当然。というのも、DNAの内部構造--イントロン(タンパク質をコードしない部分)とエキソン(タンパク質をコードする部分)--が分かった以上、確率的に偶然に生じる突然変異がイントロン内に起こるのか、エキソン内に起こるのかによって生物の生死に直接影響するかしないか決まるはずだからである。
昨日の「脳を大きくする遺伝子発見?」に書いた変異確率とは、こういった場合に突然変異が場所によらずほぼ一定の確率で起こるという意味である。それが、例えば、1年当たりの突然変異率が、核内のゲノムで10^{-9}、ミトコンドリアのゲノムで10^{-7}というようなことなのである。
ところが、DNAには4種類の塩基、A、G、C、Tがあるが、それらの3つの組みがアミノ酸1つを決定する。この時、突然変異の仕方にはさまざまなものがあり得る。(あ)塩基が別の塩基に変わる、”置換型”。(い)特定の塩基が失われる、”欠損型”。(う)特定の塩基が追加される、”挿入型”。もちろん、他にもあり得る。たとえば、(え)特定の塩基どうしで入れ代わる、”交換型”、など。
問題は、”置換型”の場合には、そのローカルなアミノ酸が別のアミノ酸に変化するだけだが、”欠損型”や”挿入型”の場合には、その部分以降の”読み枠”がずれるので、その部分からずっと先までのすべてのアミノ酸が変化する。この意味でタンパク質のかなり大きな変異につながる。さらに、タンパク質に翻訳する時のスタート点を意味する配列が変化すれば、うまくタンパク質に翻訳できず無視されて素通りしてしまう。”置換型”でも、アミノ酸の指定は3つで行われるが、いくつかは重複しているために、2つ目や3つ目が変異というように、変異がこの中にあれば、アミノ酸自体は変異しない。しかし、1つ目の変異では別のアミノ酸に変わる。例えば、ローマ字読みで、Ka, KAは同じ”か”と読めるが、Va, VAと変われば、”ば”と変わる、というようなことである。
こんなわけで、突然変異率が偶然によるランダムなものであったと仮定しても、それがどこに起こるかにより深刻さが無数に異なる。ある変異は非常に深刻で危険、ある変異はそれほどでもない、あるものは全く影響なし。こんなふうなことが生じる。したがって、”有害”と”中立”の間にもさらに”ほぼ中立”というような突然変異もあり得ると考える太田朋子さんのアイデアにも一理ある。
ところが、最近我々理論物理学者が研究しているように、”等確率”(つまり、”平等な確率”)でランダムに起こるというばかりではなく、むしろあるものが”優先的に””不平等な確率”で起こるという現象もネットワーク理論には多々あることが分かって来た。たとえば、フィジカルレヴュー110年からの被引用統計を見よ。
これから分かるように、「突然変異率が偶然によるランダムなもの」であるのか、「突然変異率が偶然による優先的なもの」であるのか、どちらが本当であるのかということは非常に面白い問題なのである。つまり、DNA配列のどこかに突然変異の起こりやすいところがあるのかないのか、という問題である。この当たりは、私が今知る限り、あまり分かっているとは言えない。しかし、もし後者であれば、DNA配列上のどこかにどんどん進化しやすい場所がある、ということになる。今後の重要なテーマとなろう。
(2)次に、junさんの第2の質問。
> むしろ、数万の遺伝子が形作る相互作用ネットワークがより本質的な意味をもつと妄想していますが、どうお考えですか?
これまた非常に重要な良い質問だと思う。これは、まさに生物学者が理論物理学者や数学者と雇い入れて解析している最先端の問題の1つである。例えば、細胞代謝のネットワークをどんどん生物種ごとにマップ作りに励んでいる。したがって、単細胞生物から多細胞生物、ほ乳類までをどんどん研究していけば、おのずと何かが分かるはずである。
この意味では、junさんの”予想”は正しいと私は考える。ただし、これにはもっと複雑な問題が入り込むので、かなり難しい(複雑な)問題となるかも知れない。
というのは、この問題には、”細胞の進化”という問題と”細胞の成長(あるいは発生)”という問題が絡むからである。「個体発生は系統進化をくり返す」、という言葉があるように、我々の成長は、古来からの進化の過程を(長)時間的に辿ってくるものでもある。さらに、その際に細胞自体が役割分担し、細胞の区別が起こる。ES細胞はそれが進む一歩前の段階の細胞のことである。この意味で、「数万の遺伝子が形作る相互作用ネットワーク」というのは、どんな細胞でもできる可能性があるため、やるべき作業は膨大となってしまうかもしれないのである。
したがって、「数万の遺伝子が形作る相互作用ネットワーク」から何かをつかもうとするのなら、生物種の同じ役割をする細胞というふうに特定してみないといけないだろう。例えば、どの生物種でもES細胞だけを比べるとか、脳細胞だけを比べるとか、である。
いずれにせよ、この問題は非常に重要で良いテーマであることはまず間違いない。実際、多くの研究者はこの方向を向いているはずである。遺伝子配列チップを使った細胞周期の研究、そしてそれからスーパーコンピュータを使って遺伝子ネットワークを逆問題として求めるという方法はすでに大研究所では、かなり周知の方法となっている。もちろん、相当の金(数百億円?)がかかる。
(3)最後にjunさんの最後の質問。
> ところで、脳の容積と知性に相関はあるのですか?
長くなったので、簡潔に。もちろん、イエス。コンピュータを想像すれば良い。脳の容量はハードディスクの容量のようなもの。やはり、ハードディスクの容量の大きなコンピュータの方がいろんなことができるのは明らか。脳も推して知るべし。
というようなものが、私のあくまで個人的意見ですが、どうでしょうネ?
【上の写真】木村資生さんと太田朋子さん
遺伝と進化
木村資生と中立説
これをまとめるとこうなる。
ダーウィンのいう適者生存の「進化論」では、ある環境に適応できるかどうかに対して、突然変異が”有害”か”有利”かの二者択一で考える。確かにマクロに見れば、ある突然変異が表現型(見た目)に出れば、その結果は生死に直結するかも知れない。しかし、実際にミクロに見れば、この間のグレーゾーンに入るようなどちらとも言えないというような突然変異もたくさん起こっている。だとすれば、分子レベルでは、突然変異は生じる結果に対して”有害”か”有利”かどうかということには無関係にかなり”中立”に確率的に起こっていることになる。こう考えたのが木村資生博士であった。
これはある意味で当然。というのも、DNAの内部構造--イントロン(タンパク質をコードしない部分)とエキソン(タンパク質をコードする部分)--が分かった以上、確率的に偶然に生じる突然変異がイントロン内に起こるのか、エキソン内に起こるのかによって生物の生死に直接影響するかしないか決まるはずだからである。
昨日の「脳を大きくする遺伝子発見?」に書いた変異確率とは、こういった場合に突然変異が場所によらずほぼ一定の確率で起こるという意味である。それが、例えば、1年当たりの突然変異率が、核内のゲノムで10^{-9}、ミトコンドリアのゲノムで10^{-7}というようなことなのである。
ところが、DNAには4種類の塩基、A、G、C、Tがあるが、それらの3つの組みがアミノ酸1つを決定する。この時、突然変異の仕方にはさまざまなものがあり得る。(あ)塩基が別の塩基に変わる、”置換型”。(い)特定の塩基が失われる、”欠損型”。(う)特定の塩基が追加される、”挿入型”。もちろん、他にもあり得る。たとえば、(え)特定の塩基どうしで入れ代わる、”交換型”、など。
問題は、”置換型”の場合には、そのローカルなアミノ酸が別のアミノ酸に変化するだけだが、”欠損型”や”挿入型”の場合には、その部分以降の”読み枠”がずれるので、その部分からずっと先までのすべてのアミノ酸が変化する。この意味でタンパク質のかなり大きな変異につながる。さらに、タンパク質に翻訳する時のスタート点を意味する配列が変化すれば、うまくタンパク質に翻訳できず無視されて素通りしてしまう。”置換型”でも、アミノ酸の指定は3つで行われるが、いくつかは重複しているために、2つ目や3つ目が変異というように、変異がこの中にあれば、アミノ酸自体は変異しない。しかし、1つ目の変異では別のアミノ酸に変わる。例えば、ローマ字読みで、Ka, KAは同じ”か”と読めるが、Va, VAと変われば、”ば”と変わる、というようなことである。
こんなわけで、突然変異率が偶然によるランダムなものであったと仮定しても、それがどこに起こるかにより深刻さが無数に異なる。ある変異は非常に深刻で危険、ある変異はそれほどでもない、あるものは全く影響なし。こんなふうなことが生じる。したがって、”有害”と”中立”の間にもさらに”ほぼ中立”というような突然変異もあり得ると考える太田朋子さんのアイデアにも一理ある。
ところが、最近我々理論物理学者が研究しているように、”等確率”(つまり、”平等な確率”)でランダムに起こるというばかりではなく、むしろあるものが”優先的に””不平等な確率”で起こるという現象もネットワーク理論には多々あることが分かって来た。たとえば、フィジカルレヴュー110年からの被引用統計を見よ。
これから分かるように、「突然変異率が偶然によるランダムなもの」であるのか、「突然変異率が偶然による優先的なもの」であるのか、どちらが本当であるのかということは非常に面白い問題なのである。つまり、DNA配列のどこかに突然変異の起こりやすいところがあるのかないのか、という問題である。この当たりは、私が今知る限り、あまり分かっているとは言えない。しかし、もし後者であれば、DNA配列上のどこかにどんどん進化しやすい場所がある、ということになる。今後の重要なテーマとなろう。
(2)次に、junさんの第2の質問。
> むしろ、数万の遺伝子が形作る相互作用ネットワークがより本質的な意味をもつと妄想していますが、どうお考えですか?
これまた非常に重要な良い質問だと思う。これは、まさに生物学者が理論物理学者や数学者と雇い入れて解析している最先端の問題の1つである。例えば、細胞代謝のネットワークをどんどん生物種ごとにマップ作りに励んでいる。したがって、単細胞生物から多細胞生物、ほ乳類までをどんどん研究していけば、おのずと何かが分かるはずである。
この意味では、junさんの”予想”は正しいと私は考える。ただし、これにはもっと複雑な問題が入り込むので、かなり難しい(複雑な)問題となるかも知れない。
というのは、この問題には、”細胞の進化”という問題と”細胞の成長(あるいは発生)”という問題が絡むからである。「個体発生は系統進化をくり返す」、という言葉があるように、我々の成長は、古来からの進化の過程を(長)時間的に辿ってくるものでもある。さらに、その際に細胞自体が役割分担し、細胞の区別が起こる。ES細胞はそれが進む一歩前の段階の細胞のことである。この意味で、「数万の遺伝子が形作る相互作用ネットワーク」というのは、どんな細胞でもできる可能性があるため、やるべき作業は膨大となってしまうかもしれないのである。
したがって、「数万の遺伝子が形作る相互作用ネットワーク」から何かをつかもうとするのなら、生物種の同じ役割をする細胞というふうに特定してみないといけないだろう。例えば、どの生物種でもES細胞だけを比べるとか、脳細胞だけを比べるとか、である。
いずれにせよ、この問題は非常に重要で良いテーマであることはまず間違いない。実際、多くの研究者はこの方向を向いているはずである。遺伝子配列チップを使った細胞周期の研究、そしてそれからスーパーコンピュータを使って遺伝子ネットワークを逆問題として求めるという方法はすでに大研究所では、かなり周知の方法となっている。もちろん、相当の金(数百億円?)がかかる。
(3)最後にjunさんの最後の質問。
> ところで、脳の容積と知性に相関はあるのですか?
長くなったので、簡潔に。もちろん、イエス。コンピュータを想像すれば良い。脳の容量はハードディスクの容量のようなもの。やはり、ハードディスクの容量の大きなコンピュータの方がいろんなことができるのは明らか。脳も推して知るべし。
というようなものが、私のあくまで個人的意見ですが、どうでしょうネ?
【上の写真】木村資生さんと太田朋子さん
2006/01/19のBlog
[ 15:16 ]
[ 科学 ]
今日、生物学上の”大発見”がネーチャーに公表された。
染色体にヒト進化の根源? 慶大など発見
である。この元論文は、
DNA sequence and analysis of human chromosome 8
である。
生物学の主要な研究をフォローしていない人々には、どうしてこれがそんなに”大発見”なのか、皆目見当がつかないかも知れない。それゆえ、特にだれもコメントしなければ、この発見は無視され日々の他の話題の中に埋没し、専門家でもなければ、すぐに忘れ去られることだろう。しかし、これは2つの意味で”大発見”なのである。今回はこれを紹介しておこう。
(1)まず一つ目は、朝日の記事にもあるように、チンパンジーと人には意外に大きな違いがあるという”大発見”である。
一般的には、ヒトとチンパンジーのゲノム(遺伝情報全体)を比べると、1.2%程度の相違しかないと考えられている。これは、100個のDNA塩基配列があるとすれば、その中の1個程度の差である。1年当たりに突然変異がどれほど起こるかという確率は、細胞の核内のゲノムで10^{-9}、ミトコンドリアのゲノムで10^{-7}である。つまり、変異の早いミトコンドリア遺伝子ですら、100%すっかり変わるためには1000万年かかる。1%程度変わるには10万年かかる。核酸の場合には、その10から100倍時間がかかる。およそ100万年のオーダーがかかって0・1から1%しか変異しないこととなる。
したがって、もしヒトとチンパンジーのゲノムの違いが平均として”1.2%”とするなら、だいたいヒトとチンパンジーは120万年前ごろ別れたと考える他ない。しかし、実際には、500一600万年前には別れたと化石考古学からは分かっている。ここに矛盾が生じる。これを最初に指摘したのは、故大野乾博士であった(大野乾著「大いなる仮説」、「続大いなる仮説」、「先祖物語」(羊土社)、「生命の誕生と進化」(東大出版))。この矛盾に対して、もし部分的にであれ遺伝子上のどこかに非常に大きな差があれば、両者のつじつまが合うこととなる。
この意味で、「8番染色体には、違いは平均2.1%あり、部分的には3.2%も違うところがあった。」というのは、かなりもっともらしく、320万年前にまで遡ることができる。
染色体にヒト進化の根源? 慶大など発見
である。この元論文は、
DNA sequence and analysis of human chromosome 8
である。
生物学の主要な研究をフォローしていない人々には、どうしてこれがそんなに”大発見”なのか、皆目見当がつかないかも知れない。それゆえ、特にだれもコメントしなければ、この発見は無視され日々の他の話題の中に埋没し、専門家でもなければ、すぐに忘れ去られることだろう。しかし、これは2つの意味で”大発見”なのである。今回はこれを紹介しておこう。
(1)まず一つ目は、朝日の記事にもあるように、チンパンジーと人には意外に大きな違いがあるという”大発見”である。
一般的には、ヒトとチンパンジーのゲノム(遺伝情報全体)を比べると、1.2%程度の相違しかないと考えられている。これは、100個のDNA塩基配列があるとすれば、その中の1個程度の差である。1年当たりに突然変異がどれほど起こるかという確率は、細胞の核内のゲノムで10^{-9}、ミトコンドリアのゲノムで10^{-7}である。つまり、変異の早いミトコンドリア遺伝子ですら、100%すっかり変わるためには1000万年かかる。1%程度変わるには10万年かかる。核酸の場合には、その10から100倍時間がかかる。およそ100万年のオーダーがかかって0・1から1%しか変異しないこととなる。
したがって、もしヒトとチンパンジーのゲノムの違いが平均として”1.2%”とするなら、だいたいヒトとチンパンジーは120万年前ごろ別れたと考える他ない。しかし、実際には、500一600万年前には別れたと化石考古学からは分かっている。ここに矛盾が生じる。これを最初に指摘したのは、故大野乾博士であった(大野乾著「大いなる仮説」、「続大いなる仮説」、「先祖物語」(羊土社)、「生命の誕生と進化」(東大出版))。この矛盾に対して、もし部分的にであれ遺伝子上のどこかに非常に大きな差があれば、両者のつじつまが合うこととなる。
この意味で、「8番染色体には、違いは平均2.1%あり、部分的には3.2%も違うところがあった。」というのは、かなりもっともらしく、320万年前にまで遡ることができる。
(2)2つ目は、これまで何も特別なものは存在しないと考えられていた第8染色体上にそれがあったという”大発見”である。
数年前に出版された、マット・リドレーの「ゲノムが語る23の物語」の”第8染色体 利己心”(161ページ)には、こうある。
”第8染色体には、ほかに特別語るべきことがないからだ。この染色体がつまらないとか、ほとんど遺伝子をもっていないというのではない。せっかちな私の関心を引くほどの遺伝子がまだ第8染色体に見つかっていないだけだ。(第8染色体は、大きさのわりにあまり注目されておらず、遺伝子マッピングが進んでいない染色体のひとつだ。)”
こういって、大野博士が名付けた”ジャンク遺伝子”の話に移っていく。
この本が2000年に書かれて現在5年目にあたるが、すでにこの第8染色体に、「脳や免疫機能に関連している遺伝子が含まれ、ヒトの進化に関与している可能性がある」ということが分かった、ということになる。この意味で”大発見”なのである。
さて、脳の問題に大きく関わるのが、染色体の”数(=総数)”である。我々普通の人間の染色体は23対(計46本)ある。ダウン症の場合には、その内の1つ第21染色体が1本過剰で3本となっている。一方、チンパンジーの染色体は24対(計48本)ある。このように、ヒトとチンパンジーの違いの一番大きな差は染色体の差で、ヒトの染色体の場合には、第2染色体が異常に大きく、これがチンパンジーの2つの染色体が合体してできたのではないかと考えられている。
この違いがヒトとチンパンジーの脳の差に結びついているのではないか、とこれまでは考えられて来た。リドレーは言う(同書37ページ)。
”ひょっとすると、その存在論的な飛躍は類人猿のふたつの染色体が合体したときに訪れたのかもしれず、精神の遺伝子は第2染色体の真ん中あたりにあるのかも知れない。”
このことからも、第2染色体以外の第8染色体に”それ”があった、というのは”大発見”なのである。
染色体の合体は24対あるゲノムの内の2つが合体したわけであるから、この場合には合体のあるなしは、1/12=0・08=8%の違いを生む。これは、ヒトとチンパンジーの分岐に直せば、だいたい800万年前ということになり、ほぼ化石考古学の結果とも同程度の結果となる。が、果たしてどうなのだろうか。実に面白いところである。
数年前に出版された、マット・リドレーの「ゲノムが語る23の物語」の”第8染色体 利己心”(161ページ)には、こうある。
”第8染色体には、ほかに特別語るべきことがないからだ。この染色体がつまらないとか、ほとんど遺伝子をもっていないというのではない。せっかちな私の関心を引くほどの遺伝子がまだ第8染色体に見つかっていないだけだ。(第8染色体は、大きさのわりにあまり注目されておらず、遺伝子マッピングが進んでいない染色体のひとつだ。)”
こういって、大野博士が名付けた”ジャンク遺伝子”の話に移っていく。
この本が2000年に書かれて現在5年目にあたるが、すでにこの第8染色体に、「脳や免疫機能に関連している遺伝子が含まれ、ヒトの進化に関与している可能性がある」ということが分かった、ということになる。この意味で”大発見”なのである。
さて、脳の問題に大きく関わるのが、染色体の”数(=総数)”である。我々普通の人間の染色体は23対(計46本)ある。ダウン症の場合には、その内の1つ第21染色体が1本過剰で3本となっている。一方、チンパンジーの染色体は24対(計48本)ある。このように、ヒトとチンパンジーの違いの一番大きな差は染色体の差で、ヒトの染色体の場合には、第2染色体が異常に大きく、これがチンパンジーの2つの染色体が合体してできたのではないかと考えられている。
この違いがヒトとチンパンジーの脳の差に結びついているのではないか、とこれまでは考えられて来た。リドレーは言う(同書37ページ)。
”ひょっとすると、その存在論的な飛躍は類人猿のふたつの染色体が合体したときに訪れたのかもしれず、精神の遺伝子は第2染色体の真ん中あたりにあるのかも知れない。”
このことからも、第2染色体以外の第8染色体に”それ”があった、というのは”大発見”なのである。
染色体の合体は24対あるゲノムの内の2つが合体したわけであるから、この場合には合体のあるなしは、1/12=0・08=8%の違いを生む。これは、ヒトとチンパンジーの分岐に直せば、だいたい800万年前ということになり、ほぼ化石考古学の結果とも同程度の結果となる。が、果たしてどうなのだろうか。実に面白いところである。
ところで、世の中には面白い発見というものがあるもので、通常の既存の説、つまり、定説に反する例外的な遺物や化石というものがある。こういったものを”Oo-parts(オーパーツ)”と呼ぶ。この中でももっとも不思議なものは、”ムイラン人”の頭蓋骨の化石であろう(コルネリア・ペトラトゥ/ベルナルト・
ロイディンガー著、「紋様石に秘められた謎」、文芸春秋、1996)。
”ムイラン人”とは、アルジェリアとモロッコの海岸地方でネアンデルタール人の発掘している考古学グループが発見した人骨である。1万2000年前の地層から墓群が見つかり約100体ほどの埋葬された人骨が見つかったという(J・グッドマン、『考古学』)。
この人種の頭蓋骨は、現代人の胎児の頭蓋骨プロポーションのまま成人となるという、”幼形成熟”していたのである。そのため、脳がほぼ球状のまま大きくなり、容量が1850一2300ccに及ぶ(ネアンデルタール人もほぼこの程度の容量がある)。ちなみに我々現代人では1350一1700cc程度である。
果たしてこのムイラン人の場合には、染色体は23対だったのであろうか。あるいは、今回発見された第8染色体がさらに変化していたのであろうか。
今回発見された遺伝子を、たとえば犬の遺伝子に挿入すると、犬の脳が巨大化し犬が喋りはじめるのだろうか?チンパンジーではどうか?チョウチョならどうか?天才チョウチョが生まれるのだろうか?
私の疑問は尽きない。
ロイディンガー著、「紋様石に秘められた謎」、文芸春秋、1996)。
”ムイラン人”とは、アルジェリアとモロッコの海岸地方でネアンデルタール人の発掘している考古学グループが発見した人骨である。1万2000年前の地層から墓群が見つかり約100体ほどの埋葬された人骨が見つかったという(J・グッドマン、『考古学』)。
この人種の頭蓋骨は、現代人の胎児の頭蓋骨プロポーションのまま成人となるという、”幼形成熟”していたのである。そのため、脳がほぼ球状のまま大きくなり、容量が1850一2300ccに及ぶ(ネアンデルタール人もほぼこの程度の容量がある)。ちなみに我々現代人では1350一1700cc程度である。
果たしてこのムイラン人の場合には、染色体は23対だったのであろうか。あるいは、今回発見された第8染色体がさらに変化していたのであろうか。
今回発見された遺伝子を、たとえば犬の遺伝子に挿入すると、犬の脳が巨大化し犬が喋りはじめるのだろうか?チンパンジーではどうか?チョウチョならどうか?天才チョウチョが生まれるのだろうか?
私の疑問は尽きない。
2006/01/18のBlog
[ 11:00 ]
[ 政治・経済 ]
小嶋社長喚問 「証言控える」30回補佐人に相談
小島社長、核心で証言拒否繰り返す衆院委証人喚問
ヒューザー、元請けに森派パーティー券の購入要請
「訴追の恐れ」理由に「証言控える」27回小島社長
証人喚問の詳報(1) 林委員長
証人喚問の詳報(2) 自民
証人喚問の詳報(3) 公明
証人喚問の詳報(4) 民主
証人喚問の詳報(5) 共産
証人喚問の詳報(6) 社民
証人喚問の詳報(7) 国民新党
いやー、昨日の国会小嶋社長喚問は”面白かった”。おそらくあまりこの辺の事情を知らない人には逆にまったく面白くなくあまりに歯がゆく映ったのではないだろうか。そこが私のような”一癖も二癖もある百戦錬磨の”人間の感性と普通の人の感性との違いであろうか。
テレビの特集番組でも、不満たらたらの意見ばかりであった。確かにまた姉歯建築士が出て来たのかと思う程のそっくりさんの俊腕弁護士のおかげで証人関門はめちゃくちゃになってしまった。この人物は「目先の損得にこだわって一生の損を得る」という諺を知らなかったのであろう。もうこの弁護士の”顔”と名前、所属が分かってしまったために、この弁護士に仕事が入ることはこのヒューザーで最後となるかも知れない。
しかし、この証人喚問はかねてから私が「日本は”お公家さん”教育ばかりして世の中を悪くして来た」とずっと主張して来ているように、”お公家さん”とはどういうものか、どんな応対をするものか、という問題をもっとも端的に我々国民に見せてくれたのである。この意味では非常に素晴らしい「人間教育の場」となったのである。
この私の観点から見るとどう面白かったか、ということをここに紹介しておこう。こういう論点は恐らく私だけであり、すでに”お公家さん”のお仲間入りして久しい日本のマスゴミさんらからは出ないだろうからである。
小嶋はもう入室する前から完全に”だんまり戦術”(何か昔の社会党の”牛歩戦術”に似ていた)を決め込んでいたのは明らかだった。顔つきがすでに以前の参考人招致の場合とは違っていたからである。また”お付き”の弁護士がいて、すでに”想定内”の対処をするように作戦済みという風体であった。どんな質問にも「わしは何も答えませんよ」という知らぬ存ぜぬのたぬき顔という典型であった。
実は、私はこうなることはすでにずっと前から予想していることであった。つまり、昨年暮れに私が
「強度偽装に集った”お公家さん”たち」
で紹介したように、日本の”お公家さん”たちには共通する普遍的な特徴がある、ということである。(現在の”公家”と”サムライ”、三菱自動車とJR西日本、共通するものは何?も 参照のこと。)
では、それは何か?
それは、”志士の人”、理論物理学者の今は亡き柘植俊一先生が「反秀才論」で何度も主張したように、
『卑怯(ひきょう)、狡猾(こうかつ)、虚弱(きょじゃく)、虚栄(きょえい)』
『無責任、無感動、無表情』、
『嫉妬(しっと)、残忍(ざんにん)、贅沢(ぜいたく)』
などで表現される”何か”なのである。
この典型的な特徴から、小嶋が今度は”卑怯・狡猾”戦略で出てくることは明らかだったのである。そして、もちろん、私の予想通り、それを見事に実行してみせてくれたというわけである。つまり、柘植先生や私の言ってきたことが正しいと証明してくれたわけで、実に面白い事ではないか。
さらに面白かったのは、上で引用した徳島新聞の「詳報」にはなぜかカットされているが、確か自民党の二番手あたりの人の喚問の最中に
「あなたは小川忠男さんと会ったことはありますか?」
というような質問が”さらり”と出た。もちろん、その答えは無視され消し飛んだ。
恐らく、この辺の事情に無頓着な人は知らないだろうが、この”小川忠男”氏こそ、この業界のもっとも悪玉で、そのボスが小泉純一郎なのである。 その問題を紹介したのが、耐震偽装の”本丸”ついに明らかにであった。
この中で紹介したきっこの日記の「民営化の落とし穴」によれば、この”小川忠男”という人物は、「ワイロ大好き官僚」の1人で、建築土建産業関係者が必ず”お礼参り”する人物だったようである。その結果、
「だけど、この人間のクズ、小川忠男は、大手の住宅メーカーや建設会社から、莫大な現金のワイロの他にも、ゴルフクラブのセットをプレゼントしてもらったり、料亭に連れてってもらったり、高級スーツを仕立ててもらったり、ホテルに高級コールガールを呼んでもらったりと、ありとあらゆるプレゼントや接待を受けていた。」
という事態になるほどの超売れっ子ぶりだったわけである。これを演出したのが、小泉政権であった。
もう一つは、公明党佐藤議員の喚問(証人喚問の詳報(3) 公明)で次のような質問が出た。
佐藤氏 「偽装報告があった翌日にゴルフに行ったのはなぜか。」
小嶋証人 「特別の理由はない。」
これは、恐らく、ゴルフ好きの官僚小川忠男とゴルフをしたという可能性が高い。そこで、いろいろ陳情してお願いしたのだろう。
「お代官様、何とぞ私めにお助けを!」
「お前も悪よのう、ホッホッホ」
しかし、この辺は全く無視されたようですな。このゴルフ場へ行って調べればだれが参加したか全部分かるはずだろうと思うがネ。
こんなわけだから、小嶋の側からすれば、
”すべて国(つまり自民党政治家や官僚が)承知済みの話、お前らが仕組んだ話だろ”、
ということになる。だから、小嶋はかんかんに怒るのである。この気持ちは実に良く分かる。つまり、
”この業界こぞって談合して決めた耐震偽装戦略になぜ自分1人が罪をかぶらなければならんのか、なぜならこれを指揮したのは官僚の小川忠男であり小泉純一郎政権ではないか”
という無念であろう。しかし、ようし国会議員がそういう態度に出るのであれば、
”こっちにもこっちの考えがある。わしゃー、国会では何んも協力せんよ”
ということとなるのである。そして、見事にこの路線を貫いた。
だからこそ、伊藤信太郎衆院議員と阿南一成・元参院議員、石原慎太郎東京都知事や安倍晋三官房長官、清和政策研究会(森派)、官僚の小川忠男などの名前を挙げるのである。これぞ、小嶋の”小泉政権への挑戦状”なのである。
これが面白くなくてなんというのか。
こういうわけで、小嶋の”だんまり戦法”には一応彼なりの理由があるということなのである。もちろん、この理由とは何か、ということは、その裏事情を知っているものしか知らないことだろう。が、神様だけは見ているヨ。
この辺を超能力者マクモニーグル氏らに見てもらうというのはかなり面白い番組になるのではないだろうか。もちろん、偽物、細木数子では無理だろうがネ。
こうしてみると良く分かるが、本当の問題は何かというと、”非情”がモットーの一国の首相である小泉純一郎から、”広く、早く、安く”がモットーの小嶋などの民間デベロッパーであれ、すべてが私や柘植先生の言う”お公家さん”化しているということであろう。そして、それゆえ、その地に住む、あるいはそのマンションやホテルに住む国民のことはまったく気にもとめていない、ということであろう。
このことから、私は最初に挙げた”お公家さん気質”の10の条件にもう一つ”非情”を加えて、11としておこう。これでサッカーチームのメンバーが揃ったというわけである。つまり、”お公家さん”チームには、こんなメンバーがいるのである。
GK: ”非情”
DF:”卑怯” ”狡猾” ”虚弱” ”虚栄”
MF: ”無責任” ”無感動” ”無表情”
FW: ”嫉妬” ”残忍” ”贅沢”
しっかり4一3一3のフォーメーションができている。これだけ良いメンバーがいれば、”お公家さん”チームはワールドカップで優勝できるかも知れないネ。
小島社長、核心で証言拒否繰り返す衆院委証人喚問
ヒューザー、元請けに森派パーティー券の購入要請
「訴追の恐れ」理由に「証言控える」27回小島社長
証人喚問の詳報(1) 林委員長
証人喚問の詳報(2) 自民
証人喚問の詳報(3) 公明
証人喚問の詳報(4) 民主
証人喚問の詳報(5) 共産
証人喚問の詳報(6) 社民
証人喚問の詳報(7) 国民新党
いやー、昨日の国会小嶋社長喚問は”面白かった”。おそらくあまりこの辺の事情を知らない人には逆にまったく面白くなくあまりに歯がゆく映ったのではないだろうか。そこが私のような”一癖も二癖もある百戦錬磨の”人間の感性と普通の人の感性との違いであろうか。
テレビの特集番組でも、不満たらたらの意見ばかりであった。確かにまた姉歯建築士が出て来たのかと思う程のそっくりさんの俊腕弁護士のおかげで証人関門はめちゃくちゃになってしまった。この人物は「目先の損得にこだわって一生の損を得る」という諺を知らなかったのであろう。もうこの弁護士の”顔”と名前、所属が分かってしまったために、この弁護士に仕事が入ることはこのヒューザーで最後となるかも知れない。
しかし、この証人喚問はかねてから私が「日本は”お公家さん”教育ばかりして世の中を悪くして来た」とずっと主張して来ているように、”お公家さん”とはどういうものか、どんな応対をするものか、という問題をもっとも端的に我々国民に見せてくれたのである。この意味では非常に素晴らしい「人間教育の場」となったのである。
この私の観点から見るとどう面白かったか、ということをここに紹介しておこう。こういう論点は恐らく私だけであり、すでに”お公家さん”のお仲間入りして久しい日本のマスゴミさんらからは出ないだろうからである。
小嶋はもう入室する前から完全に”だんまり戦術”(何か昔の社会党の”牛歩戦術”に似ていた)を決め込んでいたのは明らかだった。顔つきがすでに以前の参考人招致の場合とは違っていたからである。また”お付き”の弁護士がいて、すでに”想定内”の対処をするように作戦済みという風体であった。どんな質問にも「わしは何も答えませんよ」という知らぬ存ぜぬのたぬき顔という典型であった。
実は、私はこうなることはすでにずっと前から予想していることであった。つまり、昨年暮れに私が
「強度偽装に集った”お公家さん”たち」
で紹介したように、日本の”お公家さん”たちには共通する普遍的な特徴がある、ということである。(現在の”公家”と”サムライ”、三菱自動車とJR西日本、共通するものは何?も 参照のこと。)
では、それは何か?
それは、”志士の人”、理論物理学者の今は亡き柘植俊一先生が「反秀才論」で何度も主張したように、
『卑怯(ひきょう)、狡猾(こうかつ)、虚弱(きょじゃく)、虚栄(きょえい)』
『無責任、無感動、無表情』、
『嫉妬(しっと)、残忍(ざんにん)、贅沢(ぜいたく)』
などで表現される”何か”なのである。
この典型的な特徴から、小嶋が今度は”卑怯・狡猾”戦略で出てくることは明らかだったのである。そして、もちろん、私の予想通り、それを見事に実行してみせてくれたというわけである。つまり、柘植先生や私の言ってきたことが正しいと証明してくれたわけで、実に面白い事ではないか。
さらに面白かったのは、上で引用した徳島新聞の「詳報」にはなぜかカットされているが、確か自民党の二番手あたりの人の喚問の最中に
「あなたは小川忠男さんと会ったことはありますか?」
というような質問が”さらり”と出た。もちろん、その答えは無視され消し飛んだ。
恐らく、この辺の事情に無頓着な人は知らないだろうが、この”小川忠男”氏こそ、この業界のもっとも悪玉で、そのボスが小泉純一郎なのである。 その問題を紹介したのが、耐震偽装の”本丸”ついに明らかにであった。
この中で紹介したきっこの日記の「民営化の落とし穴」によれば、この”小川忠男”という人物は、「ワイロ大好き官僚」の1人で、建築土建産業関係者が必ず”お礼参り”する人物だったようである。その結果、
「だけど、この人間のクズ、小川忠男は、大手の住宅メーカーや建設会社から、莫大な現金のワイロの他にも、ゴルフクラブのセットをプレゼントしてもらったり、料亭に連れてってもらったり、高級スーツを仕立ててもらったり、ホテルに高級コールガールを呼んでもらったりと、ありとあらゆるプレゼントや接待を受けていた。」
という事態になるほどの超売れっ子ぶりだったわけである。これを演出したのが、小泉政権であった。
もう一つは、公明党佐藤議員の喚問(証人喚問の詳報(3) 公明)で次のような質問が出た。
佐藤氏 「偽装報告があった翌日にゴルフに行ったのはなぜか。」
小嶋証人 「特別の理由はない。」
これは、恐らく、ゴルフ好きの官僚小川忠男とゴルフをしたという可能性が高い。そこで、いろいろ陳情してお願いしたのだろう。
「お代官様、何とぞ私めにお助けを!」
「お前も悪よのう、ホッホッホ」
しかし、この辺は全く無視されたようですな。このゴルフ場へ行って調べればだれが参加したか全部分かるはずだろうと思うがネ。
こんなわけだから、小嶋の側からすれば、
”すべて国(つまり自民党政治家や官僚が)承知済みの話、お前らが仕組んだ話だろ”、
ということになる。だから、小嶋はかんかんに怒るのである。この気持ちは実に良く分かる。つまり、
”この業界こぞって談合して決めた耐震偽装戦略になぜ自分1人が罪をかぶらなければならんのか、なぜならこれを指揮したのは官僚の小川忠男であり小泉純一郎政権ではないか”
という無念であろう。しかし、ようし国会議員がそういう態度に出るのであれば、
”こっちにもこっちの考えがある。わしゃー、国会では何んも協力せんよ”
ということとなるのである。そして、見事にこの路線を貫いた。
だからこそ、伊藤信太郎衆院議員と阿南一成・元参院議員、石原慎太郎東京都知事や安倍晋三官房長官、清和政策研究会(森派)、官僚の小川忠男などの名前を挙げるのである。これぞ、小嶋の”小泉政権への挑戦状”なのである。
これが面白くなくてなんというのか。
こういうわけで、小嶋の”だんまり戦法”には一応彼なりの理由があるということなのである。もちろん、この理由とは何か、ということは、その裏事情を知っているものしか知らないことだろう。が、神様だけは見ているヨ。
この辺を超能力者マクモニーグル氏らに見てもらうというのはかなり面白い番組になるのではないだろうか。もちろん、偽物、細木数子では無理だろうがネ。
こうしてみると良く分かるが、本当の問題は何かというと、”非情”がモットーの一国の首相である小泉純一郎から、”広く、早く、安く”がモットーの小嶋などの民間デベロッパーであれ、すべてが私や柘植先生の言う”お公家さん”化しているということであろう。そして、それゆえ、その地に住む、あるいはそのマンションやホテルに住む国民のことはまったく気にもとめていない、ということであろう。
このことから、私は最初に挙げた”お公家さん気質”の10の条件にもう一つ”非情”を加えて、11としておこう。これでサッカーチームのメンバーが揃ったというわけである。つまり、”お公家さん”チームには、こんなメンバーがいるのである。
GK: ”非情”
DF:”卑怯” ”狡猾” ”虚弱” ”虚栄”
MF: ”無責任” ”無感動” ”無表情”
FW: ”嫉妬” ”残忍” ”贅沢”
しっかり4一3一3のフォーメーションができている。これだけ良いメンバーがいれば、”お公家さん”チームはワールドカップで優勝できるかも知れないネ。
2006/01/17のBlog
[ 21:39 ]
[ 社会 ]
[ライブドア]「強制捜査も『想定の範囲内』か」
今日ホリエモン率いるライブドアに強制捜査が入った。株価操作、株の不公正取り引きが問題となったようである。この騒動で1日にして1500億円の金が吹っ飛んだという。
しばらく前の昨年の3月頃、私は
(1)いよいよ科学研究バブル崩壊に突入!、
(2)ホリエモン参戦に”インサイダーの匂い”,
(3)ああ言えば上裕、ここ掘れホリエモン
などで、いわゆる”六本木ヒルズ族”のメンタリティーについて論じた。これらを読めば、私の分析や”予言”が正しかった、ということが明白となるだろう。今回はこれをもう一度まとめて紹介しておこう。
まず(1)ではこう書いていた。
『要するに、私の分析では、この10年間に大学や研究所の研究者のために借金をしてまで作った50兆円のうち、かなりの額が”六本木ヒルズ族”に回ったのであろう、ということである。言い換えれば、”六本木ヒルズ族”は国が間接的に生み出した”必然”なのである。今の”六本木ヒルズ族”の”優雅な生活”の根本は、”科学研究バブル”という土地バブルの後の「空白の10年」に突如として現れ出た、新たなる”バブル”にあった、ということである。』
(2)で、以下のように指摘していた。
『また、ホリエモンのライブドアと麻原のオウム真理教は非常に組織形態もメンバーの人間性も似ていると私は個人的に感じている。かたやパソコン事業を配下にした新興宗教、かたやIT事業を配下にしたベンチャー企業。麻原はインドのヨガを基本にとったが、ホリエモンはアメリカの株式を基本にとった。それだけの違いでメンバーやリーダーの精神性は非常に似ている。オウムが地下鉄サリン事件や修業者殺人事件などを起こさなければ、今ごろはきっとITベンチャー企業を作っていたはずである。なぜならオウムは80年代に出来た組織でまだITは存在しなかったからである。もっともアレフとなって今はきっとやっていることだろうが。いずれにせよ、オウムもライブドアも新興宗教的な雰囲気がある。(ああ言えば上裕、ここ掘れホリエモン参照。)
果たしてどうなって行くかは、今後のお楽しみであろうヨ。』
(3)では、こう書いていた。
『(え)最後は、インターネット事業の”末路”である。
現在”高度成長バブル”、”土地バブル”の象徴であったダイエーや西部が落日を迎えた。1代で築きあげたマンモス会社ダイエーもすべては他人の手に移ってしまった。西部も2代目でとうとう潰えてしまいそうである。事業は3代(およそ100年)持てば良い、という古来の教えが現在も生きているのであろうか。あるいは、
”祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。
沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらわす。
驕れる者久しからず、ただ春の夜の夢の如し。
猛き人もついに滅びぬ、ひとへに風の前の塵に同じ。”
という平家物語の教訓はいつの時代にも通じることなのだろうか。実に不思議なところである。
1970年代の”高度成長バブル”、1980年代の”不動産バブル”、1990年代の”インターネットバブル”、2000年代の”科学研究バブル”など、近現代の日本でも次々新しいムーブメントがあった。そしてその度に、新時代のヒーローが誕生した。そして時代の英雄、時代の寵児ともてはやされ、また新しい時代へ変遷するとともに勢いを失い、バブル崩壊の落日の時を迎える。寂しいかな、これが現実である。
では、最初にあげたインターネットの時代の寵児たちにも落日の時が来るのだろうか?
答えはイエス、である。
実はアメリカではすでに数年前にインターネットバブル崩壊してしまったのである。それが、アメリカの超大企業エンロンやワールドコムの崩壊であった。(ワールドコム事件と
株式市場中心経営の弱点)
このワールドコム事件とは、インターネットバブル崩壊で株価が下がり、そのために失われた株式損失を食い止めるために、扮飾決済して株価操作した、という事件であった。
結果、私の記憶では、会社の重要人物が自殺という悲劇的な事件にまで発展した。これも堤帝国崩壊で西部の元社長だったか、東大出身の役員が自殺したというのと似ているのである。
私の観点では、ライブドア、楽天、ヤフーなどの時代の寵児にもいずれこういった逆風時代がいつかかならず訪れる時が来るということである。どういうわけか、私には、ライブドア、楽天、ヤフーなども見事に上のセオリー通りの発展衰亡曲線に乗っているように見えるのである。』
いやー、まったく参った参った。「勝ち組」の若者は、”株価操作”で(頭の弱い)金持ちを騙して億万長者。一方の「負け組」の若者たちは、”振り込め詐欺”で(頭の弱い)御老人を騙して億万長者。どちらも詐欺行為という意味では全く同じことだ。
つまり、ディジタル革命時代、インターネット時代になると、どんな形であれ”情報操作”が非常に簡単にできるようになる。もちろん、情報操作には良いことと悪いことが含まれる。悪いこととは、この便利さを悪用して他人を騙して儲けることである。それゆえ、悪い情報操作は、いくら簡単にできそうなことであってもやってはならない事、いわゆる、”禁じ手”である。しかし、そういう”禁じ手”であっても、一獲千金を夢見る余り、簡単に手を染めてしまう。こういった若者が絶えないということであろう。
この意味からしても分かるように、マスゴミさん達が流布した「勝ち組」「負け組」という事がいかに馬鹿げた無意味なものか分かったであろうネ。
いやー、世も末ですナ。
今日ホリエモン率いるライブドアに強制捜査が入った。株価操作、株の不公正取り引きが問題となったようである。この騒動で1日にして1500億円の金が吹っ飛んだという。
しばらく前の昨年の3月頃、私は
(1)いよいよ科学研究バブル崩壊に突入!、
(2)ホリエモン参戦に”インサイダーの匂い”,
(3)ああ言えば上裕、ここ掘れホリエモン
などで、いわゆる”六本木ヒルズ族”のメンタリティーについて論じた。これらを読めば、私の分析や”予言”が正しかった、ということが明白となるだろう。今回はこれをもう一度まとめて紹介しておこう。
まず(1)ではこう書いていた。
『要するに、私の分析では、この10年間に大学や研究所の研究者のために借金をしてまで作った50兆円のうち、かなりの額が”六本木ヒルズ族”に回ったのであろう、ということである。言い換えれば、”六本木ヒルズ族”は国が間接的に生み出した”必然”なのである。今の”六本木ヒルズ族”の”優雅な生活”の根本は、”科学研究バブル”という土地バブルの後の「空白の10年」に突如として現れ出た、新たなる”バブル”にあった、ということである。』
(2)で、以下のように指摘していた。
『また、ホリエモンのライブドアと麻原のオウム真理教は非常に組織形態もメンバーの人間性も似ていると私は個人的に感じている。かたやパソコン事業を配下にした新興宗教、かたやIT事業を配下にしたベンチャー企業。麻原はインドのヨガを基本にとったが、ホリエモンはアメリカの株式を基本にとった。それだけの違いでメンバーやリーダーの精神性は非常に似ている。オウムが地下鉄サリン事件や修業者殺人事件などを起こさなければ、今ごろはきっとITベンチャー企業を作っていたはずである。なぜならオウムは80年代に出来た組織でまだITは存在しなかったからである。もっともアレフとなって今はきっとやっていることだろうが。いずれにせよ、オウムもライブドアも新興宗教的な雰囲気がある。(ああ言えば上裕、ここ掘れホリエモン参照。)
果たしてどうなって行くかは、今後のお楽しみであろうヨ。』
(3)では、こう書いていた。
『(え)最後は、インターネット事業の”末路”である。
現在”高度成長バブル”、”土地バブル”の象徴であったダイエーや西部が落日を迎えた。1代で築きあげたマンモス会社ダイエーもすべては他人の手に移ってしまった。西部も2代目でとうとう潰えてしまいそうである。事業は3代(およそ100年)持てば良い、という古来の教えが現在も生きているのであろうか。あるいは、
”祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。
沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらわす。
驕れる者久しからず、ただ春の夜の夢の如し。
猛き人もついに滅びぬ、ひとへに風の前の塵に同じ。”
という平家物語の教訓はいつの時代にも通じることなのだろうか。実に不思議なところである。
1970年代の”高度成長バブル”、1980年代の”不動産バブル”、1990年代の”インターネットバブル”、2000年代の”科学研究バブル”など、近現代の日本でも次々新しいムーブメントがあった。そしてその度に、新時代のヒーローが誕生した。そして時代の英雄、時代の寵児ともてはやされ、また新しい時代へ変遷するとともに勢いを失い、バブル崩壊の落日の時を迎える。寂しいかな、これが現実である。
では、最初にあげたインターネットの時代の寵児たちにも落日の時が来るのだろうか?
答えはイエス、である。
実はアメリカではすでに数年前にインターネットバブル崩壊してしまったのである。それが、アメリカの超大企業エンロンやワールドコムの崩壊であった。(ワールドコム事件と
株式市場中心経営の弱点)
このワールドコム事件とは、インターネットバブル崩壊で株価が下がり、そのために失われた株式損失を食い止めるために、扮飾決済して株価操作した、という事件であった。
結果、私の記憶では、会社の重要人物が自殺という悲劇的な事件にまで発展した。これも堤帝国崩壊で西部の元社長だったか、東大出身の役員が自殺したというのと似ているのである。
私の観点では、ライブドア、楽天、ヤフーなどの時代の寵児にもいずれこういった逆風時代がいつかかならず訪れる時が来るということである。どういうわけか、私には、ライブドア、楽天、ヤフーなども見事に上のセオリー通りの発展衰亡曲線に乗っているように見えるのである。』
いやー、まったく参った参った。「勝ち組」の若者は、”株価操作”で(頭の弱い)金持ちを騙して億万長者。一方の「負け組」の若者たちは、”振り込め詐欺”で(頭の弱い)御老人を騙して億万長者。どちらも詐欺行為という意味では全く同じことだ。
つまり、ディジタル革命時代、インターネット時代になると、どんな形であれ”情報操作”が非常に簡単にできるようになる。もちろん、情報操作には良いことと悪いことが含まれる。悪いこととは、この便利さを悪用して他人を騙して儲けることである。それゆえ、悪い情報操作は、いくら簡単にできそうなことであってもやってはならない事、いわゆる、”禁じ手”である。しかし、そういう”禁じ手”であっても、一獲千金を夢見る余り、簡単に手を染めてしまう。こういった若者が絶えないということであろう。
この意味からしても分かるように、マスゴミさん達が流布した「勝ち組」「負け組」という事がいかに馬鹿げた無意味なものか分かったであろうネ。
いやー、世も末ですナ。
2006/01/16のBlog
2006/01/15のBlog
[ 21:49 ]
[ サッカー練習日誌 ]
2006年1月15日(日)晴れ
T3リーグ第5戦。
【対戦&結果】
会場:城西高校。
対戦相手:名西高校。
10:00AM集合。
10:10AMアップ開始。
11:30AMキックオフ。
結果2一1(前半1一0、後半1一1)勝利。
【ポジション】
前半35分 4一4一2
FWーーー西川2ーーー山脇2
MFーーーーーー須賀2
ーーー須藤2ーー山田1ーー杉本2
DFーー広瀬1ー神原1ー岡田1
ーーーーーーーー天野2
GKーーーーーー川原2
サブ 尾形2、大庭2、弓場2、佐藤1、正森1
後半35分 4一4一2
FWー西川2→大庭2ーー山脇2
MFーーーーーー須賀2
ーー須藤2→杉本2→弓場2ー山田1ーー尾形2
DFーー広瀬1ー神原1→杉本2ー岡田1
ーーーーーーーー天野2→神原1
GKーーーーーー川原2
【総評】
相手チームの名西は、恐らく今期からT3リーグに入り、これまでTリーグで対戦経験がなく、未知数のチーム。しかし、公式戦ではそれなりに結果を残しているかなり強いチーム。前半開始直後から攻め込まれるが何とかしのぐ。一進一退の攻防が続くが、相手チームの足が少し止まりかけた頃、左サイドからの速攻で中央の山脇2に良いパスが通りキーパーと1対1となり冷静に決めて先取点。その後も反撃を食らい一進一退だったが、何とかしのいで前半終了。後半早々、相手の攻撃で神原1の不用意なクリアでコーナーキックを与える。これを左サイドの天野2が反応できず、直接ゴールで1一1。何度か危ない場面があったが、広瀬1のスライディングで救う。また、キーパーと1対1の場面が2度ほどあったが、相手のシュートミスで救われる。ピンチをしのいだ直後、山田1が逆襲に出て、左サイドのパス交換をして中央でトラップしてシュートが決まって2点目。最後まで一進一退。両方ともにチャンスがあったが、共に1得点で終了。こちらの厳しいタックルに相手チームの9番が腹をたて”切れ”てしまい、集中が切れた。ドリブラーのエースだけに残念。冷静なプレーで行けば、勝敗は分からなかった。クールに出来た分こちらにツキが来た。そんな試合であった。いずれにせよ、名西は阿波に似た非常に良いチームだった。
T3リーグ第5戦。
【対戦&結果】
会場:城西高校。
対戦相手:名西高校。
10:00AM集合。
10:10AMアップ開始。
11:30AMキックオフ。
結果2一1(前半1一0、後半1一1)勝利。
【ポジション】
前半35分 4一4一2
FWーーー西川2ーーー山脇2
MFーーーーーー須賀2
ーーー須藤2ーー山田1ーー杉本2
DFーー広瀬1ー神原1ー岡田1
ーーーーーーーー天野2
GKーーーーーー川原2
サブ 尾形2、大庭2、弓場2、佐藤1、正森1
後半35分 4一4一2
FWー西川2→大庭2ーー山脇2
MFーーーーーー須賀2
ーー須藤2→杉本2→弓場2ー山田1ーー尾形2
DFーー広瀬1ー神原1→杉本2ー岡田1
ーーーーーーーー天野2→神原1
GKーーーーーー川原2
【総評】
相手チームの名西は、恐らく今期からT3リーグに入り、これまでTリーグで対戦経験がなく、未知数のチーム。しかし、公式戦ではそれなりに結果を残しているかなり強いチーム。前半開始直後から攻め込まれるが何とかしのぐ。一進一退の攻防が続くが、相手チームの足が少し止まりかけた頃、左サイドからの速攻で中央の山脇2に良いパスが通りキーパーと1対1となり冷静に決めて先取点。その後も反撃を食らい一進一退だったが、何とかしのいで前半終了。後半早々、相手の攻撃で神原1の不用意なクリアでコーナーキックを与える。これを左サイドの天野2が反応できず、直接ゴールで1一1。何度か危ない場面があったが、広瀬1のスライディングで救う。また、キーパーと1対1の場面が2度ほどあったが、相手のシュートミスで救われる。ピンチをしのいだ直後、山田1が逆襲に出て、左サイドのパス交換をして中央でトラップしてシュートが決まって2点目。最後まで一進一退。両方ともにチャンスがあったが、共に1得点で終了。こちらの厳しいタックルに相手チームの9番が腹をたて”切れ”てしまい、集中が切れた。ドリブラーのエースだけに残念。冷静なプレーで行けば、勝敗は分からなかった。クールに出来た分こちらにツキが来た。そんな試合であった。いずれにせよ、名西は阿波に似た非常に良いチームだった。
2006/01/14のBlog
[ 09:52 ]
[ ドラマ・映画 ]
「バルトの楽園」徳島ロケ、最高潮に
のコメントで、バルトの楽園で”盲目のドイツ人兵士”役を演じたChristian Vietingさんより氏のHP、www.vieting.comを教えてもらったので、ここにそれを紹介させてもらう。
徳島新聞記事によれば、国内外のプロの主演俳優に負けず劣らず、徳島県民エキストラ、外国人エキストラの”迫真の演技”でかなり撮影は盛り上がったようである。
本当に良い映画になり、「アカデミー外国映画部門賞」でも取るようになれば、と切に願うのみ。
のコメントで、バルトの楽園で”盲目のドイツ人兵士”役を演じたChristian Vietingさんより氏のHP、www.vieting.comを教えてもらったので、ここにそれを紹介させてもらう。
徳島新聞記事によれば、国内外のプロの主演俳優に負けず劣らず、徳島県民エキストラ、外国人エキストラの”迫真の演技”でかなり撮影は盛り上がったようである。
本当に良い映画になり、「アカデミー外国映画部門賞」でも取るようになれば、と切に願うのみ。
2006/01/13のBlog
[ 15:11 ]
[ 徳島 ]
「バルトの楽園」の外国人出演者の1人の方からコメントが来たので、この映画に関する最近の記事などを紹介して盛り上げておこう。
ドイツ人捕虜と日本の交流 映画とTV
この記事では、6月封切りの映画「バルトの楽園」と1月22日午後4時5分からフジテレビ系で放送予定のTV「ドイツからの贈りもの」の2つが紹介されている。
「バルトの楽園」では、鳴門市の郊外、板東地区にあったドイツ人俘虜収容所の話だが、もう一つの「ドイツからの贈りもの」は、瀬戸内海の広島・似島(にのしま)にもあったもう一つのドイツ人捕虜収容所の話である。
似島のドイツ人捕虜収容所では、当時広島師範学校(現在の広島大学の前身)の学生達との間でサッカーの試合が行われたという話が紹介されるそうだ。これは1919年の実話である。この話自体も1つの映画になりそうな話である。
実は私は、日本にどのようにサッカーが伝わったか、というサッカーの歴史にも非常に関心があり、密かにいろいろ調べている。ちょっと簡単に紹介しておこう。
FIFAの前身であるイングランドサッカー協会(FA)が誕生したのが1868年のこと。ところが、もうそのすぐ5年後1873年にはイギリス海軍人アーチフォード・ダグラス少佐と部下33人が日本にサッカーを伝えたという。その翌年1874年にはイギリス人講師ライメル・ジョーンズが現在の東大工学部の前身である工学寮に伝えた。この時は一旦はすぐに廃れてしまったが、11年後の1885年には、サッカーは当時の近代スポーツとして全国に再び広がった。この翌年にはサッカーは東京師範学校から正規のスポーツの1つとして全国の師範学校に伝搬した。(東京師範学校とは、昔の東京教育大学、現在の筑波大学の前身のことである。だから筑波大学サッカーの歴史は古い。)当時はサッカーとは言わず、フートボール(foot ball)と呼んだ。だから、それが蹴球と変わったのである。だからダグラス少佐と部下が日本にサッカーを伝えてから46年後の1919年には日本全国の師範学校ではサッカーが正規の近代スポーツとして盛んだったのである。したがって当然広島師範学校の学生達もすでにサッカーをやっていたのである。
だから、当時日本にドイツ人俘虜収容所があったとすれば、好奇心旺盛な若い日本人学生たちが本場ドイツのサッカーとお手並み拝見ということになったはずなのである。だから私は鳴門の板東俘虜収容所でも同じようにサッカーの試合がなかったか、きっとあったはずである、と見ているのである。なぜなら、事実徳島県で最もサッカーが盛んで強い地域はこの鳴門だからである。
第二次大戦後、1960年代のメキシコオリンピックの時、クラマーさんという西ドイツのサッカーコーチがやって来た。このクラマーコーチが戦後の近代日本のサッカーを築いたことは良く知られている。そしてこの時の日本人監督やコーチや選手達が現在の日本サッカーやJリーグを支えている。
そして、つい昨日のこと、日本の高校サッカーで優勝した野洲高校の山本監督もまたドイツサッカーをお手本にして来た。
こんなわけで、日本のサッカーは一般に知られているより遥かに昔から明治時代からドイツサッカーとは非常に縁が深い。
今年の夏にはドイツでワールドカップが開かれるが、この縁の深さから日本サッカーが良い運に恵まれるという可能性もある。私はそう期待している。
さて、「バルトの楽園」のロケに関しては以下のものが面白い。
「バルトの楽園」の鳴門ロケ情報
「バルトの楽園」の鳴門ロケ日記
もしこの映画が完成し公開されたなら、ぜひ皆さんも御覧いただきたい。
ドイツ人捕虜と日本の交流 映画とTV
この記事では、6月封切りの映画「バルトの楽園」と1月22日午後4時5分からフジテレビ系で放送予定のTV「ドイツからの贈りもの」の2つが紹介されている。
「バルトの楽園」では、鳴門市の郊外、板東地区にあったドイツ人俘虜収容所の話だが、もう一つの「ドイツからの贈りもの」は、瀬戸内海の広島・似島(にのしま)にもあったもう一つのドイツ人捕虜収容所の話である。
似島のドイツ人捕虜収容所では、当時広島師範学校(現在の広島大学の前身)の学生達との間でサッカーの試合が行われたという話が紹介されるそうだ。これは1919年の実話である。この話自体も1つの映画になりそうな話である。
実は私は、日本にどのようにサッカーが伝わったか、というサッカーの歴史にも非常に関心があり、密かにいろいろ調べている。ちょっと簡単に紹介しておこう。
FIFAの前身であるイングランドサッカー協会(FA)が誕生したのが1868年のこと。ところが、もうそのすぐ5年後1873年にはイギリス海軍人アーチフォード・ダグラス少佐と部下33人が日本にサッカーを伝えたという。その翌年1874年にはイギリス人講師ライメル・ジョーンズが現在の東大工学部の前身である工学寮に伝えた。この時は一旦はすぐに廃れてしまったが、11年後の1885年には、サッカーは当時の近代スポーツとして全国に再び広がった。この翌年にはサッカーは東京師範学校から正規のスポーツの1つとして全国の師範学校に伝搬した。(東京師範学校とは、昔の東京教育大学、現在の筑波大学の前身のことである。だから筑波大学サッカーの歴史は古い。)当時はサッカーとは言わず、フートボール(foot ball)と呼んだ。だから、それが蹴球と変わったのである。だからダグラス少佐と部下が日本にサッカーを伝えてから46年後の1919年には日本全国の師範学校ではサッカーが正規の近代スポーツとして盛んだったのである。したがって当然広島師範学校の学生達もすでにサッカーをやっていたのである。
だから、当時日本にドイツ人俘虜収容所があったとすれば、好奇心旺盛な若い日本人学生たちが本場ドイツのサッカーとお手並み拝見ということになったはずなのである。だから私は鳴門の板東俘虜収容所でも同じようにサッカーの試合がなかったか、きっとあったはずである、と見ているのである。なぜなら、事実徳島県で最もサッカーが盛んで強い地域はこの鳴門だからである。
第二次大戦後、1960年代のメキシコオリンピックの時、クラマーさんという西ドイツのサッカーコーチがやって来た。このクラマーコーチが戦後の近代日本のサッカーを築いたことは良く知られている。そしてこの時の日本人監督やコーチや選手達が現在の日本サッカーやJリーグを支えている。
そして、つい昨日のこと、日本の高校サッカーで優勝した野洲高校の山本監督もまたドイツサッカーをお手本にして来た。
こんなわけで、日本のサッカーは一般に知られているより遥かに昔から明治時代からドイツサッカーとは非常に縁が深い。
今年の夏にはドイツでワールドカップが開かれるが、この縁の深さから日本サッカーが良い運に恵まれるという可能性もある。私はそう期待している。
さて、「バルトの楽園」のロケに関しては以下のものが面白い。
「バルトの楽園」の鳴門ロケ情報
「バルトの楽園」の鳴門ロケ日記
もしこの映画が完成し公開されたなら、ぜひ皆さんも御覧いただきたい。
[ 11:43 ]
[ サッカー練習日誌 ]
2006年1月12日(木)晴れ
4:30PM練習開始。4年生以下参加。
随時給水可。
(1)ウォーミングアップ。2人組ストレッチ。
(2)パス練習1。2人組の練習。
インサイドパス。アウトサイドパス。インステップパス。インステップキック。スローイン。ヘディングパス。インサイドパス。胸トラップパス。
(3)ドリブル練習。高速ドリブル。
コーンの2メートル手前でコーンの内側をターンしてシュートする。3ラウンド。
コーンの外側ターンしてシュートする。2ラウンド。
(4)センタリング&シュート練習1。2人組の練習。
普通のクロスのウィングプレー。両サイド交互。
(5)センタリング&シュート練習2。4人組練習。
サイドチェンジからのセンタリング&シュート。
ハーフからトップに当てサイドハーフに落とす。そのボールを逆サイドに張るトップにロングフィード。それをトップはすぐに逆サイドハーフに散らしセンタリング。
流れるようなプレーを心掛ける。
左右交互に行う。
ー┌一一一一一一一一一一一一一一一一一一一┬
ー|ーーーーーーーーーーーーーーーーー②ー|
ー|ーーーーーーーーーーーーーーーー※3ー| ※ボール
ー|ーーーーーーーーーーーー2ー・・ーーー| ①選手1
ー|ーーーーーーー①一一→①※ー・ーーーー| ②選手2
ー|一一一一一一┐ーー/ーーー・ー・ーーー| ③選手3
ー|ーー・ーーー|/ーーー・・ーー・ーーー| ●ゴールキーパー
ー|7一┐ーー/|ーーーー・ーーーーー1※|
┌|※←一※①ー|ーーー・ーーーーーーー○|
||●ー|6ーー|ーー・ーーーーーーーーー|
└|ーー|・ーー|ー・ーーーーーーーーーー|
ー|一一┘ーーー|・ーーーーーーーーーーー|
ー|ーー・ーーー・ーーーーーーーーーーーー|
ー|一一一一一・┘③ーーーーーーーーーーー|
ー|ー・ーー※③ーーーーーーーーーーーーー|
ー|ーー・ー4ーーーーーーーーーーーーーー|
ー|・・ーーーーーーーーーーーーーーーーー|
ー|※④←一一一一一一一一一一一一一一一④|
ー└5一一一一一一一一一一一一一一一一一一┴
(6)パス回し練習。
マンツーマン。スリータッチ。1ラウンド=5分。
8人対8人、3ラウンド。
(7)フォーメーション。
(8)整理体操、ストレッチ。6:30PM終了。
4:30PM練習開始。4年生以下参加。
随時給水可。
(1)ウォーミングアップ。2人組ストレッチ。
(2)パス練習1。2人組の練習。
インサイドパス。アウトサイドパス。インステップパス。インステップキック。スローイン。ヘディングパス。インサイドパス。胸トラップパス。
(3)ドリブル練習。高速ドリブル。
コーンの2メートル手前でコーンの内側をターンしてシュートする。3ラウンド。
コーンの外側ターンしてシュートする。2ラウンド。
(4)センタリング&シュート練習1。2人組の練習。
普通のクロスのウィングプレー。両サイド交互。
(5)センタリング&シュート練習2。4人組練習。
サイドチェンジからのセンタリング&シュート。
ハーフからトップに当てサイドハーフに落とす。そのボールを逆サイドに張るトップにロングフィード。それをトップはすぐに逆サイドハーフに散らしセンタリング。
流れるようなプレーを心掛ける。
左右交互に行う。
ー┌一一一一一一一一一一一一一一一一一一一┬
ー|ーーーーーーーーーーーーーーーーー②ー|
ー|ーーーーーーーーーーーーーーーー※3ー| ※ボール
ー|ーーーーーーーーーーーー2ー・・ーーー| ①選手1
ー|ーーーーーーー①一一→①※ー・ーーーー| ②選手2
ー|一一一一一一┐ーー/ーーー・ー・ーーー| ③選手3
ー|ーー・ーーー|/ーーー・・ーー・ーーー| ●ゴールキーパー
ー|7一┐ーー/|ーーーー・ーーーーー1※|
┌|※←一※①ー|ーーー・ーーーーーーー○|
||●ー|6ーー|ーー・ーーーーーーーーー|
└|ーー|・ーー|ー・ーーーーーーーーーー|
ー|一一┘ーーー|・ーーーーーーーーーーー|
ー|ーー・ーーー・ーーーーーーーーーーーー|
ー|一一一一一・┘③ーーーーーーーーーーー|
ー|ー・ーー※③ーーーーーーーーーーーーー|
ー|ーー・ー4ーーーーーーーーーーーーーー|
ー|・・ーーーーーーーーーーーーーーーーー|
ー|※④←一一一一一一一一一一一一一一一④|
ー└5一一一一一一一一一一一一一一一一一一┴
(6)パス回し練習。
マンツーマン。スリータッチ。1ラウンド=5分。
8人対8人、3ラウンド。
(7)フォーメーション。
(8)整理体操、ストレッチ。6:30PM終了。
2006/01/12のBlog
[ 15:57 ]
[ サッカー練習日誌 ]
4:30PM練習開始。4年生以下参加。
随時給水可。
(1)ウォーミングアップ。2人組ストレッチ。
(2)ドリブル練習1。
ドリブルでグラウンドを周回5周。
(3)ボレー練習。
横にジグザグに10人並び、残りの10人がその中を横っ跳びにステップしながらボレーする。5周行ったら、メンバーをチェンジ。
(4)パス練習1。2人組の練習。
インサイドパス。アウトサイドパス。インステップパス。インステップキック。
(5)ドリブル練習2。高速ドリブル。
コーンの2メートル手前でコーンの内側をターンしてシュートする。3ラウンド。
コーンの外側ターンしてシュートする。2ラウンド。
(6)センタリング&シュート練習1。2人組の練習。
普通のクロスのウィングプレー。両サイド交互。
(7)センタリング&シュート練習2。2人組練習。
普通のセンタリング&シュート。両サイド交互。
(8)パス回し練習。
マンツーマン。スリータッチ。1ラウンド=5分。
8人対8人、3ラウンド。
(9)フォーメーション。
(10)整理体操、ストレッチ。7:00PM終了。
随時給水可。
(1)ウォーミングアップ。2人組ストレッチ。
(2)ドリブル練習1。
ドリブルでグラウンドを周回5周。
(3)ボレー練習。
横にジグザグに10人並び、残りの10人がその中を横っ跳びにステップしながらボレーする。5周行ったら、メンバーをチェンジ。
(4)パス練習1。2人組の練習。
インサイドパス。アウトサイドパス。インステップパス。インステップキック。
(5)ドリブル練習2。高速ドリブル。
コーンの2メートル手前でコーンの内側をターンしてシュートする。3ラウンド。
コーンの外側ターンしてシュートする。2ラウンド。
(6)センタリング&シュート練習1。2人組の練習。
普通のクロスのウィングプレー。両サイド交互。
(7)センタリング&シュート練習2。2人組練習。
普通のセンタリング&シュート。両サイド交互。
(8)パス回し練習。
マンツーマン。スリータッチ。1ラウンド=5分。
8人対8人、3ラウンド。
(9)フォーメーション。
(10)整理体操、ストレッチ。7:00PM終了。
[ 12:32 ]
[ 高校サッカー ]
ひと:山本佳司さん 高校サッカーVの滋賀県立野洲高監督
この記事にも面白い語録があったので、ここで紹介しておこう。
『夢の舞台』について
「国立(競技場)は『夢の舞台』なんかではない。選手には『日本代表になって、ここにまた立てよ』と言ってます」
『細かいパス回し、ドリブル、意外性に富む個人技』について
「異色と言われるが、世界では普通のこと。ユース世代から世界を意識しなければ」
『選手たちの監督評』
「負けず嫌い」
『サッカー未経験批判』について
「おれの方がいいサッカーをして勝ったる」
「(私の)経歴だけを話題にしてほしくない。指導者としての勉強は、誰にも負けないほどやったつもり」
『鹿児島実業との決勝』について
「鹿実は強い。自分たちのスタイルにこだわるのは、いちかばちか。最後までそれを貫けて内容も結果も得ることができた」
【略歴】山本佳司(やまもと・けいじ)。滋賀県甲賀市出身。日体大卒。86年、ドイツ・ケルン体育大に留学。03年に17歳以下日本代表コーチ。保健体育科教諭。妻と3女。42歳。
この記事にも面白い語録があったので、ここで紹介しておこう。
『夢の舞台』について
「国立(競技場)は『夢の舞台』なんかではない。選手には『日本代表になって、ここにまた立てよ』と言ってます」
『細かいパス回し、ドリブル、意外性に富む個人技』について
「異色と言われるが、世界では普通のこと。ユース世代から世界を意識しなければ」
『選手たちの監督評』
「負けず嫌い」
『サッカー未経験批判』について
「おれの方がいいサッカーをして勝ったる」
「(私の)経歴だけを話題にしてほしくない。指導者としての勉強は、誰にも負けないほどやったつもり」
『鹿児島実業との決勝』について
「鹿実は強い。自分たちのスタイルにこだわるのは、いちかばちか。最後までそれを貫けて内容も結果も得ることができた」
【略歴】山本佳司(やまもと・けいじ)。滋賀県甲賀市出身。日体大卒。86年、ドイツ・ケルン体育大に留学。03年に17歳以下日本代表コーチ。保健体育科教諭。妻と3女。42歳。
2006/01/11のBlog
[ 11:48 ]
[ サッカー練習日誌 ]
2006年1月10日(火)晴れ
4:30PM練習開始。4年生以下参加。
随時給水可。
(1)ウォーミングアップ。2人組ストレッチ。
(2)パス練習1。2人組の練習。
インサイドパス。アウトサイドパス。インステップパス。インステップキック。スローイン。ヘディングパス。インサイドパス。胸トラップパス。
(3)パス練習2。2人組の練習。
サッカーコート全体を使い、走りながらのパス。
インサイドのジグザグパス。1ラウンド5分=2ラウンド。
ー┌一一一一一一一一一一一一一一一一一一一┬
ー|ー①ーーーーー※①ーーーー※①ーーーー|
ー|ー※ーーーー・ー・ーーー・ーーーーーー| ※ボール
ー|ーー・ー②・ーーー・ー・ーーーーー※ー| ①選手1
ー|ーーー・※ーーーーー※②ーー②ー・ー①| ②選手2
ー|①一・一一一┐ーーーーーーーー・ーーー|
ー|※ーーーーー|ーーーーーーー※ーーーー|
ー|一・┐ーーー|ーーーーーーー②・ーーー|
┌|ーー・ーーー|ーーーーーーーーーー・ー|
||ーー|・②ー|ーーーーーーーーーーー※|
└|ーー|ー※ー|ーーーーーーーーーー・①|
ー|一一┘・ーー|ーーーーーーーーー・ーー|
ー|①ー・ーーー|ーーーーーーー②・ーーー|
ー|※・一一一一┘ーーーーーーー②ーーー①|
ー|②ーーーー②※ーーーー②※ーーーーーー|
ー|ー※ーーー・ー・ーーー・ー・ーーーーー|
ー|ーー・ー・ーーー・ー・ーーー・ーーーー|
ー|①ー①※ーーーー①※ーーーー①※ーーー|
ー└一一一一一一一一一一一一一一一一一一一┴
(4)センタリング&シュート練習1。2人組の練習。
普通のクロスのウィングプレー。両サイド交互。
(5)センタリング&シュート練習2。2人組練習。
普通のセンタリング&シュート。両サイド交互。
(7)パス回し練習。
マンツーマン。スリータッチ。1ラウンド=5分。3ラウンド。
10人対10人、2ラウンド。5人対5人、1ラウンド。
(8)フォーメーション。
(9)整理体操、ストレッチ。6:40PM終了。
4:30PM練習開始。4年生以下参加。
随時給水可。
(1)ウォーミングアップ。2人組ストレッチ。
(2)パス練習1。2人組の練習。
インサイドパス。アウトサイドパス。インステップパス。インステップキック。スローイン。ヘディングパス。インサイドパス。胸トラップパス。
(3)パス練習2。2人組の練習。
サッカーコート全体を使い、走りながらのパス。
インサイドのジグザグパス。1ラウンド5分=2ラウンド。
ー┌一一一一一一一一一一一一一一一一一一一┬
ー|ー①ーーーーー※①ーーーー※①ーーーー|
ー|ー※ーーーー・ー・ーーー・ーーーーーー| ※ボール
ー|ーー・ー②・ーーー・ー・ーーーーー※ー| ①選手1
ー|ーーー・※ーーーーー※②ーー②ー・ー①| ②選手2
ー|①一・一一一┐ーーーーーーーー・ーーー|
ー|※ーーーーー|ーーーーーーー※ーーーー|
ー|一・┐ーーー|ーーーーーーー②・ーーー|
┌|ーー・ーーー|ーーーーーーーーーー・ー|
||ーー|・②ー|ーーーーーーーーーーー※|
└|ーー|ー※ー|ーーーーーーーーーー・①|
ー|一一┘・ーー|ーーーーーーーーー・ーー|
ー|①ー・ーーー|ーーーーーーー②・ーーー|
ー|※・一一一一┘ーーーーーーー②ーーー①|
ー|②ーーーー②※ーーーー②※ーーーーーー|
ー|ー※ーーー・ー・ーーー・ー・ーーーーー|
ー|ーー・ー・ーーー・ー・ーーー・ーーーー|
ー|①ー①※ーーーー①※ーーーー①※ーーー|
ー└一一一一一一一一一一一一一一一一一一一┴
(4)センタリング&シュート練習1。2人組の練習。
普通のクロスのウィングプレー。両サイド交互。
(5)センタリング&シュート練習2。2人組練習。
普通のセンタリング&シュート。両サイド交互。
(7)パス回し練習。
マンツーマン。スリータッチ。1ラウンド=5分。3ラウンド。
10人対10人、2ラウンド。5人対5人、1ラウンド。
(8)フォーメーション。
(9)整理体操、ストレッチ。6:40PM終了。
[ 11:47 ]
[ サッカー練習日誌 ]
2006年1月7日(土)晴れ
10:00AM練習開始。2年生以下参加。
随時給水可。
(1)ウォーミングアップ。2人組ストレッチ。
(2)パス練習1。2人組の練習。
インサイドパス。アウトサイドパス。インステップパス。インステップキック。スローイン。ヘディングパス。インサイドパス。胸トラップパス。
(3)パス練習2。2人組の練習。
サッカーコート全体を使い、走りながらのパス。
インサイドのジグザグパス。2ラウンド。
アウトサイドのジグザグパス。2ラウンド。
コの字パス。2ラウンド。
ー┌一一一一一一一一一一一一一一一一一一一┬
ー|ー①ーーーーー※①ーーーー※①ーーーー|
ー|ー※ーーーー・ー・ーーー・ーーーーーー| ※ボール
ー|ーー・ー②・ーーー・ー・ーーーーー※ー| ①選手1
ー|ーーー・※ーーーーー※②ーー②ー・ー①| ②選手2
ー|①一・一一一┐ーーーーーーーー・ーーー|
ー|※ーーーーー|ーーーーーーー※ーーーー|
ー|一・┐ーーー|ーーーーーーー②・ーーー|
┌|ーー・ーーー|ーーーーーーーーーー・ー|
||ーー|・②ー|ーーーーーーーーーーー※|
└|ーー|ー※ー|ーーーーーーーーーー・①|
ー|一一┘・ーー|ーーーーーーーーー・ーー|
ー|①ー・ーーー|ーーーーーーー②・ーーー|
ー|※・一一一一┘ーーーーーーー②ーーー①|
ー|②ーーーー②※ーーーー②※ーーーーーー|
ー|ー※ーーー・ー・ーーー・ー・ーーーーー|
ー|ーー・ー・ーーー・ー・ーーー・ーーーー|
ー|①ー①※ーーーー①※ーーーー①※ーーー|
ー└一一一一一一一一一一一一一一一一一一一┴
(4)センタリング&シュート練習1。2人組の練習。
ウィングプレー。右サイドのみ。
(5)センタリング&シュート練習2。3人組練習。
4一4一2対応。
起点となるウィングの選手がトップの選手にボールを当ててトップの選手がウィングに散らす。そしてセンタリングシュート。
左右交互に行う。
ー┌5一一一一一一一一一一一一一一一一一一┬
ー|※←一一※②←一一一一一一一一一一一②|
ー|・ーーーー4ー・ーーーーーーーーー・※2 ※ボール
ー|ーーーーーーーーーー・ーーーー・ーー・| ①選手1
ー|ー・ーーーーーーーーーー・※3ーーー・| ②選手2
ー|一一一一一一┐③一一一一→③ーーーー・| ③選手3
ー|ーー・ーーー|ーーーー・ーーーーーー・| ●ゴールキーパー
ー|7一┐ーーー|ーーーーーーーーーー1※|
┌|※←一※①ー|ーーーーーー/一一一一①|
||●ー|6ー\|ーーーー/ーーーーーーー|
└|ーー|ーーー\ーー/ーーーーーーーー④|
ー|一一┘ーーー|\①ーーーーーーーーーー|
ー|ーーーーーー|ーーーーーーーーーーーー|
ー|一一一一一一┘⑥ーーーーーーーーーーー|
ー|ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー|
ー|ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー|
ー|ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー|
ー|ーーーーーーーーーーーーーーーーーー⑤|
ー└一一一一一一一一一一一一一一一一一一一┴
(6)センタリング&シュート練習3。4人組練習。
サイドチェンジからのセンタリング&シュート。
ハーフからトップに当てサイドハーフに落とす。そのボールを逆サイドに張るトップにロングフィード。それをトップはすぐに逆サイドハーフに散らしセンタリング。
流れるようなプレーを心掛ける。
左右交互に行う。
ー┌一一一一一一一一一一一一一一一一一一一┬
ー|ーーーーーーーーーーーーーーーーー②ー|
ー|ーーーーーーーーーーーーーーーー※3ー| ※ボール
ー|ーーーーーーーーーーーー2ー・・ーーー| ①選手1
ー|ーーーーーーー①一一→①※ー・ーーーー| ②選手2
ー|一一一一一一┐ーー/ーーー・ー・ーーー| ③選手3
ー|ーー・ーーー|/ーーー・・ーー・ーーー| ●ゴールキーパー
ー|7一┐ーー/|ーーーー・ーーーーー1※|
┌|※←一※①ー|ーーー・ーーーーーーー○|
||●ー|6ーー|ーー・ーーーーーーーーー|
└|ーー|・ーー|ー・ーーーーーーーーーー|
ー|一一┘ーーー|・ーーーーーーーーーーー|
ー|ーー・ーーー・ーーーーーーーーーーーー|
ー|一一一一一・┘③ーーーーーーーーーーー|
ー|ー・ーー※③ーーーーーーーーーーーーー|
ー|ーー・ー4ーーーーーーーーーーーーーー|
ー|・・ーーーーーーーーーーーーーーーーー|
ー|※④←一一一一一一一一一一一一一一一④|
ー└5一一一一一一一一一一一一一一一一一一┴
(7)整理体操、ストレッチ。12:00AM終了。
10:00AM練習開始。2年生以下参加。
随時給水可。
(1)ウォーミングアップ。2人組ストレッチ。
(2)パス練習1。2人組の練習。
インサイドパス。アウトサイドパス。インステップパス。インステップキック。スローイン。ヘディングパス。インサイドパス。胸トラップパス。
(3)パス練習2。2人組の練習。
サッカーコート全体を使い、走りながらのパス。
インサイドのジグザグパス。2ラウンド。
アウトサイドのジグザグパス。2ラウンド。
コの字パス。2ラウンド。
ー┌一一一一一一一一一一一一一一一一一一一┬
ー|ー①ーーーーー※①ーーーー※①ーーーー|
ー|ー※ーーーー・ー・ーーー・ーーーーーー| ※ボール
ー|ーー・ー②・ーーー・ー・ーーーーー※ー| ①選手1
ー|ーーー・※ーーーーー※②ーー②ー・ー①| ②選手2
ー|①一・一一一┐ーーーーーーーー・ーーー|
ー|※ーーーーー|ーーーーーーー※ーーーー|
ー|一・┐ーーー|ーーーーーーー②・ーーー|
┌|ーー・ーーー|ーーーーーーーーーー・ー|
||ーー|・②ー|ーーーーーーーーーーー※|
└|ーー|ー※ー|ーーーーーーーーーー・①|
ー|一一┘・ーー|ーーーーーーーーー・ーー|
ー|①ー・ーーー|ーーーーーーー②・ーーー|
ー|※・一一一一┘ーーーーーーー②ーーー①|
ー|②ーーーー②※ーーーー②※ーーーーーー|
ー|ー※ーーー・ー・ーーー・ー・ーーーーー|
ー|ーー・ー・ーーー・ー・ーーー・ーーーー|
ー|①ー①※ーーーー①※ーーーー①※ーーー|
ー└一一一一一一一一一一一一一一一一一一一┴
(4)センタリング&シュート練習1。2人組の練習。
ウィングプレー。右サイドのみ。
(5)センタリング&シュート練習2。3人組練習。
4一4一2対応。
起点となるウィングの選手がトップの選手にボールを当ててトップの選手がウィングに散らす。そしてセンタリングシュート。
左右交互に行う。
ー┌5一一一一一一一一一一一一一一一一一一┬
ー|※←一一※②←一一一一一一一一一一一②|
ー|・ーーーー4ー・ーーーーーーーーー・※2 ※ボール
ー|ーーーーーーーーーー・ーーーー・ーー・| ①選手1
ー|ー・ーーーーーーーーーー・※3ーーー・| ②選手2
ー|一一一一一一┐③一一一一→③ーーーー・| ③選手3
ー|ーー・ーーー|ーーーー・ーーーーーー・| ●ゴールキーパー
ー|7一┐ーーー|ーーーーーーーーーー1※|
┌|※←一※①ー|ーーーーーー/一一一一①|
||●ー|6ー\|ーーーー/ーーーーーーー|
└|ーー|ーーー\ーー/ーーーーーーーー④|
ー|一一┘ーーー|\①ーーーーーーーーーー|
ー|ーーーーーー|ーーーーーーーーーーーー|
ー|一一一一一一┘⑥ーーーーーーーーーーー|
ー|ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー|
ー|ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー|
ー|ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー|
ー|ーーーーーーーーーーーーーーーーーー⑤|
ー└一一一一一一一一一一一一一一一一一一一┴
(6)センタリング&シュート練習3。4人組練習。
サイドチェンジからのセンタリング&シュート。
ハーフからトップに当てサイドハーフに落とす。そのボールを逆サイドに張るトップにロングフィード。それをトップはすぐに逆サイドハーフに散らしセンタリング。
流れるようなプレーを心掛ける。
左右交互に行う。
ー┌一一一一一一一一一一一一一一一一一一一┬
ー|ーーーーーーーーーーーーーーーーー②ー|
ー|ーーーーーーーーーーーーーーーー※3ー| ※ボール
ー|ーーーーーーーーーーーー2ー・・ーーー| ①選手1
ー|ーーーーーーー①一一→①※ー・ーーーー| ②選手2
ー|一一一一一一┐ーー/ーーー・ー・ーーー| ③選手3
ー|ーー・ーーー|/ーーー・・ーー・ーーー| ●ゴールキーパー
ー|7一┐ーー/|ーーーー・ーーーーー1※|
┌|※←一※①ー|ーーー・ーーーーーーー○|
||●ー|6ーー|ーー・ーーーーーーーーー|
└|ーー|・ーー|ー・ーーーーーーーーーー|
ー|一一┘ーーー|・ーーーーーーーーーーー|
ー|ーー・ーーー・ーーーーーーーーーーーー|
ー|一一一一一・┘③ーーーーーーーーーーー|
ー|ー・ーー※③ーーーーーーーーーーーーー|
ー|ーー・ー4ーーーーーーーーーーーーーー|
ー|・・ーーーーーーーーーーーーーーーーー|
ー|※④←一一一一一一一一一一一一一一一④|
ー└5一一一一一一一一一一一一一一一一一一┴
(7)整理体操、ストレッチ。12:00AM終了。
2006/01/10のBlog
[ 10:04 ]
[ 高校サッカー ]
今回の高校サッカー選手権を見て思うことは、とうとう『少子化』問題の影響がここにも現れて来た、ということであろう。
徳島の田舎の小中学校がここ数年でどんどん閉鎖され廃校となったと言ってもあなたは知る由がない。それは、地元のマスコミがその時々ちょっと取り上げるだけのことで、”日本の世論を支配している”東京のマスコミが取り上げることはなく、一般人に世間的に衆目の見知となることはない。
しかし、サッカーの名門中の名門、知る人ぞ知る中国地方山口の雄、私立の多々良学園が学校存亡の危機に瀕していると聞けば、だれしも驚く。しかし、現実に多々良学園は破産し会社更生法に基づいて処理されているという。今大会では、サッカー部が多々良学園という名前を存続させる唯一の希望の星であったそうである。彼等サッカー部員にとって、今大会は単なる高校サッカー選手権ではなかった。下手をすれば、これが最後の大会となるかも知れない大会、学校を存続させるための渾身のアピールするための大会であった。野洲に1一0で負けて泣きじゃくる選手たちには過酷すぎる状況であったかも知れない。私としては、ただただ名門の名前が存続していくことを望むのみである。
一方、優勝した野洲とて例外ではなかった。野洲高校のHPの沿革によれば、野洲高校は、昭和19年4月滋賀県野洲郡立女子農芸学校として出発した。昭和23年7月滋賀県立野洲高等学校となる。その後、農学校をベースに順調に発展し、昭和58年4月には初の全日制普通課程普通科6学級270名を迎える。昭和63年3月野球部が第60回選抜高等学校野球選手権大会に出場。その4月には、第1学年の学級定員が9学級(360人程度)となる。それが、創立50周年を迎えた平成5年4月頃から第1学年の学級定員8学級から徐々に衰退を迎える。平成7年4月には7学級。平成8年4月6学級。平成12年4月5学級。平成14年4月全学年5学級。この年12月野洲サッカー部がついに第81回全国高等学校サッカー選手権大会出場しベスト8となる。平成15年4月とうとう4学級(160人程度)となり、現在に至る。
成人の日の昨日、新成人は140万人前後だという。私は天才的選手というのは、才能や努力の質として、1万人に1人程度だろうと見積もる。すると、単純に見積もっても、スポーツの天才は140人程度しかいない。都道府県平均3人。しかし首都圏には40人程度。この1学年全国で100数十人がどのスポーツを行うかによってスポーツの盛衰が決まってしまうと言うことになる。
これを乗り切るには、後は独特の指導者の力による教育しかない。滋賀の野洲という少ない人口の場であっても教育により全国トップにまで行ける。これを証明した山本監督の指導の力量は計り知れないものがあると言えるだろう。
話はサッカーから役者に飛ぶ。最近NHKの「山内一豊の妻」を描く時代劇ドラマ、司馬遼太郎の「功名が辻」を見たが、役者の”高齢化”もかなり痛々しいものがあった。出演者がみな老齢化して疲れ切っている。あれでは合戦に勝てるはずがない。
同じように、日本の警察も老齢化し、もはや犯人を追い掛けるほどの体力がない。消防も同じ。少子高齢化の波は日本全国留まることを知らない。
首都圏の人は知らないだろうが、今全国の中心都市は不景気の波が押し寄せている。どんどん地方の老舗は苦戦を強いられている。それもそのはず、いくら儲けても貯金しても金利がゼロで預貯金から利益が生まれず、本業以外の株式投資しなければ利益が得られないからだ。地方の実業は衰退。首都圏の虚業は発展。投資する実業がないため、首都圏に集まった金は地方に散らずますます首都圏で投資に集まる。投資すべき金が投資家に集まる。”投資バブルの時代”なのである。だから就職口が増えない。
これが、「下流社会」、「勝ち組負け組」、「ディジタルデバイド」の原因だったと言えるだろう。この意味では、”不動産バブル”時代がまだましだったと言えるかも知れない。これから先、日本はどんどん景気(いや国内経済)が不均衡不公平になるだろう。今のアルゼンチンやかつてのブラジルのようになるかも知れない。
そんな中でも一縷の希望は、アルゼンチンやブラジルがそうであるように、サッカーの新しい星たちである。ブラジルがワールドカップで優勝するとブラジルの経済が活性化し輸出量が40%増えると闘将ドゥンガは言う。野洲や鹿実など高校サッカーで巣立つ選手達、あるいはJユースの高円宮杯で巣立つ選手達、こういった若い星たち、新星の誕生を待つほかないのかも知れない。
徳島の田舎の小中学校がここ数年でどんどん閉鎖され廃校となったと言ってもあなたは知る由がない。それは、地元のマスコミがその時々ちょっと取り上げるだけのことで、”日本の世論を支配している”東京のマスコミが取り上げることはなく、一般人に世間的に衆目の見知となることはない。
しかし、サッカーの名門中の名門、知る人ぞ知る中国地方山口の雄、私立の多々良学園が学校存亡の危機に瀕していると聞けば、だれしも驚く。しかし、現実に多々良学園は破産し会社更生法に基づいて処理されているという。今大会では、サッカー部が多々良学園という名前を存続させる唯一の希望の星であったそうである。彼等サッカー部員にとって、今大会は単なる高校サッカー選手権ではなかった。下手をすれば、これが最後の大会となるかも知れない大会、学校を存続させるための渾身のアピールするための大会であった。野洲に1一0で負けて泣きじゃくる選手たちには過酷すぎる状況であったかも知れない。私としては、ただただ名門の名前が存続していくことを望むのみである。
一方、優勝した野洲とて例外ではなかった。野洲高校のHPの沿革によれば、野洲高校は、昭和19年4月滋賀県野洲郡立女子農芸学校として出発した。昭和23年7月滋賀県立野洲高等学校となる。その後、農学校をベースに順調に発展し、昭和58年4月には初の全日制普通課程普通科6学級270名を迎える。昭和63年3月野球部が第60回選抜高等学校野球選手権大会に出場。その4月には、第1学年の学級定員が9学級(360人程度)となる。それが、創立50周年を迎えた平成5年4月頃から第1学年の学級定員8学級から徐々に衰退を迎える。平成7年4月には7学級。平成8年4月6学級。平成12年4月5学級。平成14年4月全学年5学級。この年12月野洲サッカー部がついに第81回全国高等学校サッカー選手権大会出場しベスト8となる。平成15年4月とうとう4学級(160人程度)となり、現在に至る。
成人の日の昨日、新成人は140万人前後だという。私は天才的選手というのは、才能や努力の質として、1万人に1人程度だろうと見積もる。すると、単純に見積もっても、スポーツの天才は140人程度しかいない。都道府県平均3人。しかし首都圏には40人程度。この1学年全国で100数十人がどのスポーツを行うかによってスポーツの盛衰が決まってしまうと言うことになる。
これを乗り切るには、後は独特の指導者の力による教育しかない。滋賀の野洲という少ない人口の場であっても教育により全国トップにまで行ける。これを証明した山本監督の指導の力量は計り知れないものがあると言えるだろう。
話はサッカーから役者に飛ぶ。最近NHKの「山内一豊の妻」を描く時代劇ドラマ、司馬遼太郎の「功名が辻」を見たが、役者の”高齢化”もかなり痛々しいものがあった。出演者がみな老齢化して疲れ切っている。あれでは合戦に勝てるはずがない。
同じように、日本の警察も老齢化し、もはや犯人を追い掛けるほどの体力がない。消防も同じ。少子高齢化の波は日本全国留まることを知らない。
首都圏の人は知らないだろうが、今全国の中心都市は不景気の波が押し寄せている。どんどん地方の老舗は苦戦を強いられている。それもそのはず、いくら儲けても貯金しても金利がゼロで預貯金から利益が生まれず、本業以外の株式投資しなければ利益が得られないからだ。地方の実業は衰退。首都圏の虚業は発展。投資する実業がないため、首都圏に集まった金は地方に散らずますます首都圏で投資に集まる。投資すべき金が投資家に集まる。”投資バブルの時代”なのである。だから就職口が増えない。
これが、「下流社会」、「勝ち組負け組」、「ディジタルデバイド」の原因だったと言えるだろう。この意味では、”不動産バブル”時代がまだましだったと言えるかも知れない。これから先、日本はどんどん景気(いや国内経済)が不均衡不公平になるだろう。今のアルゼンチンやかつてのブラジルのようになるかも知れない。
そんな中でも一縷の希望は、アルゼンチンやブラジルがそうであるように、サッカーの新しい星たちである。ブラジルがワールドカップで優勝するとブラジルの経済が活性化し輸出量が40%増えると闘将ドゥンガは言う。野洲や鹿実など高校サッカーで巣立つ選手達、あるいはJユースの高円宮杯で巣立つ選手達、こういった若い星たち、新星の誕生を待つほかないのかも知れない。
2006/01/09のBlog
[ 19:43 ]
[ 高校サッカー ]
70年代韮崎の横森監督、80年代帝京の小沼監督、90年代国見の小嶺監督や00年代鹿実の松澤監督、と時代が違えば名将と呼ばれる監督もまた異なる。
21世紀の2005年代に入り、ここに来て新しい時代を告げる、また新しい哲学に基づくレスラー出身の名将、野洲の山本佳司監督が誕生したようだ。ドイツ式コンチネンタルサッカーを目指す山本佳司監督の非常に興味深くかつ意味深い言葉の数々をここに紹介し、山本監督をねぎらうこととしたい。あっぱれ山本監督。その心意気と志、つとに見させてもらいましたぞ。今後の活躍を期待したい。
“異端児”野洲 監督を男にする!
決勝:鹿児島実業
「国立という素晴らしい舞台で、連覇を狙う鹿児島実と戦えたことを誇りに思う。いい選手に恵まれ、スタッフ、サポーターの後押しのおかげで結果を残せて良かった。ありがとうございました。 技術にフォーカスして自分たちのサッカースタイルを貫いた結果、いい形で点が取れた。内容と結果が両立できたことに満足している。見ていただいて「おもしろい、こんなサッカーをしたい」というサッカーをしていきたい。それが魅力ある選手を輩出することにつながると思う。鹿児島実のプレスに対しても、積極的な気持ちを忘れなかった選手の闘争心に感激している。」
準決勝:多々良学園
「相手に恵まれた。(良さの)消し合いではなく、オフェンスのやり合い。壊そうと思えばできたはずだった。サッカーは、相手によって美しくも、そうでない形にもなる」
「ここまで何試合も相手に見られている。自分たちで判断せえ」
「サッカーは野球じゃないから“1回の表”の後、“1回の裏”を飛ばして“2回の表”にすることができる。技術をベースに判断の速さで勝つサッカー。陸上ならば、ゴールまで走る場所は決まっているけど、サッカーは、どこを走るのかを早く決める選手が速い。決まりごとをやるのではなく、その判断ができる選手を育てることが必要。うちの選手はフィジカルは強くないけど、守備面でも読みの部分が生きて何とか足を出すことができたりしている。守備と攻撃を分けて指導することはしていない」
「『ドリブルし過ぎやろ!』とか思われる部分も多々あるかもしれませんが(苦笑)、見た人に『ちょっと面白いなあ。野洲の試合を観に行こうかな』と思ってもらえたらいい。そういうところが大事だと思う」
準々決勝:大阪朝鮮
「大阪朝鮮高の闘争心がすごく、きついゲームだったが選手たちを最後まで信じていた」
同点の熱戦に2つの“答え”
「相手はよく統率された4バックだったので、先制されたくなかった」
「圧力に負けずに前を向ける、魅力のある選手に育っているのかどうかを証明しろ」
「ヒーローになって来い」
「あれは乾のゴール」
「運があった」
「見た人の目からうろこが落ちるような、魅力的な選手を輩出したい。今のチームは、それを体現してくれている。(注目を浴びる)この舞台で輝いてくれればと思う」
「中盤で勝つ、自分たちのサッカーで勝つんや」
3回戦:高松商業
「日本の高校サッカーを変えたい」
「青木にあれほどドリブルをさせる監督はほかにいない」
「技術があるということは、技術を身につけるために死ぬほど練習しているということなんです。軽いプレーじゃないんです。技術をフォーカスして練習をしているだけで、いい悪いではないんです。私たちは本気で、こういうサッカーで勝ちにいっている。野洲のサッカーは真剣なサッカーなんです」
「高校サッカーというのは、世界のサッカーの縮小版であるべきだと思うんです。でも、日本の高校は異質なサッカーをしていると思います。Jリーグのユースなど全体的なレベルは上がっていますが、同じようなチームが多く、インパクトを与えるチームがありません」
「2005年のワールドユースで日本と対戦したオランダのクインシー・オブス・アベイエ(アーセナル)や、レアル・マドリーのロビーニョのような規格外の選手を輩出したい」
「2年生からもJリーグにいく選手が出ると思う」
2回戦:四日市中央工業
1回戦:修徳
21世紀の2005年代に入り、ここに来て新しい時代を告げる、また新しい哲学に基づくレスラー出身の名将、野洲の山本佳司監督が誕生したようだ。ドイツ式コンチネンタルサッカーを目指す山本佳司監督の非常に興味深くかつ意味深い言葉の数々をここに紹介し、山本監督をねぎらうこととしたい。あっぱれ山本監督。その心意気と志、つとに見させてもらいましたぞ。今後の活躍を期待したい。
“異端児”野洲 監督を男にする!
決勝:鹿児島実業
「国立という素晴らしい舞台で、連覇を狙う鹿児島実と戦えたことを誇りに思う。いい選手に恵まれ、スタッフ、サポーターの後押しのおかげで結果を残せて良かった。ありがとうございました。 技術にフォーカスして自分たちのサッカースタイルを貫いた結果、いい形で点が取れた。内容と結果が両立できたことに満足している。見ていただいて「おもしろい、こんなサッカーをしたい」というサッカーをしていきたい。それが魅力ある選手を輩出することにつながると思う。鹿児島実のプレスに対しても、積極的な気持ちを忘れなかった選手の闘争心に感激している。」
準決勝:多々良学園
「相手に恵まれた。(良さの)消し合いではなく、オフェンスのやり合い。壊そうと思えばできたはずだった。サッカーは、相手によって美しくも、そうでない形にもなる」
「ここまで何試合も相手に見られている。自分たちで判断せえ」
「サッカーは野球じゃないから“1回の表”の後、“1回の裏”を飛ばして“2回の表”にすることができる。技術をベースに判断の速さで勝つサッカー。陸上ならば、ゴールまで走る場所は決まっているけど、サッカーは、どこを走るのかを早く決める選手が速い。決まりごとをやるのではなく、その判断ができる選手を育てることが必要。うちの選手はフィジカルは強くないけど、守備面でも読みの部分が生きて何とか足を出すことができたりしている。守備と攻撃を分けて指導することはしていない」
「『ドリブルし過ぎやろ!』とか思われる部分も多々あるかもしれませんが(苦笑)、見た人に『ちょっと面白いなあ。野洲の試合を観に行こうかな』と思ってもらえたらいい。そういうところが大事だと思う」
準々決勝:大阪朝鮮
「大阪朝鮮高の闘争心がすごく、きついゲームだったが選手たちを最後まで信じていた」
同点の熱戦に2つの“答え”
「相手はよく統率された4バックだったので、先制されたくなかった」
「圧力に負けずに前を向ける、魅力のある選手に育っているのかどうかを証明しろ」
「ヒーローになって来い」
「あれは乾のゴール」
「運があった」
「見た人の目からうろこが落ちるような、魅力的な選手を輩出したい。今のチームは、それを体現してくれている。(注目を浴びる)この舞台で輝いてくれればと思う」
「中盤で勝つ、自分たちのサッカーで勝つんや」
3回戦:高松商業
「日本の高校サッカーを変えたい」
「青木にあれほどドリブルをさせる監督はほかにいない」
「技術があるということは、技術を身につけるために死ぬほど練習しているということなんです。軽いプレーじゃないんです。技術をフォーカスして練習をしているだけで、いい悪いではないんです。私たちは本気で、こういうサッカーで勝ちにいっている。野洲のサッカーは真剣なサッカーなんです」
「高校サッカーというのは、世界のサッカーの縮小版であるべきだと思うんです。でも、日本の高校は異質なサッカーをしていると思います。Jリーグのユースなど全体的なレベルは上がっていますが、同じようなチームが多く、インパクトを与えるチームがありません」
「2005年のワールドユースで日本と対戦したオランダのクインシー・オブス・アベイエ(アーセナル)や、レアル・マドリーのロビーニョのような規格外の選手を輩出したい」
「2年生からもJリーグにいく選手が出ると思う」
2回戦:四日市中央工業
1回戦:修徳
[ 17:14 ]
[ 高校サッカー ]
野洲が鹿児島実を破り初優勝 全国高校サッカー
いやー、予想通りの名勝負。実に素晴らしい勝負であった。最後はオフサイドを取ってもらえず、鹿実の万事休す。
やはり国内の試合は”風”というものに左右されるようだ。完全に鹿実は野洲旋風に飲み込まれてしまった。マスコミも審判も終始野洲寄りで、鹿実は完全に”悪役”あるいは”敵役”にされてしまった。
しかし、こんな状況でしかも先制されて、死にものぐるいで追い付いた鹿実は素晴らしいチームであった。強いて言えば、栫(かこい)選手が累積警告で出場できなかったことが敗因であろうか。この試合ではシュートがことごとく枠を外れた。
今大会は鹿実の2連破が話題の中心であったが、今度は、優勝した野洲の2連破が話題になるだろう。
いずれにせよ、攻守の切り替えの早さ、長短のパスの精度、試合巧者、戦術、基本プレーの精度、どれをとっても野洲は優勝するに値するチームであった。
おめでとう、野洲。
PS:ついでに調べたところでは、野洲というところはJリーガー輩出の知られざるメッカのようだ。小中学時代に野洲のセゾンFCで過ごし、静岡などの強豪チームに巣立って数多くのJリーガーが誕生している。このことからも野津が日本有数のサッカー所であることは間違いないようだ。
セゾン出身のJリーガー
いやー、予想通りの名勝負。実に素晴らしい勝負であった。最後はオフサイドを取ってもらえず、鹿実の万事休す。
やはり国内の試合は”風”というものに左右されるようだ。完全に鹿実は野洲旋風に飲み込まれてしまった。マスコミも審判も終始野洲寄りで、鹿実は完全に”悪役”あるいは”敵役”にされてしまった。
しかし、こんな状況でしかも先制されて、死にものぐるいで追い付いた鹿実は素晴らしいチームであった。強いて言えば、栫(かこい)選手が累積警告で出場できなかったことが敗因であろうか。この試合ではシュートがことごとく枠を外れた。
今大会は鹿実の2連破が話題の中心であったが、今度は、優勝した野洲の2連破が話題になるだろう。
いずれにせよ、攻守の切り替えの早さ、長短のパスの精度、試合巧者、戦術、基本プレーの精度、どれをとっても野洲は優勝するに値するチームであった。
おめでとう、野洲。
PS:ついでに調べたところでは、野洲というところはJリーガー輩出の知られざるメッカのようだ。小中学時代に野洲のセゾンFCで過ごし、静岡などの強豪チームに巣立って数多くのJリーガーが誕生している。このことからも野津が日本有数のサッカー所であることは間違いないようだ。
セゾン出身のJリーガー
2006/01/07のBlog
[ 21:02 ]
[ 高校サッカー ]
鹿児島実と野洲が決勝進出 全国高校サッカー
今日の準決勝2試合は非常に素晴らしい試合だった。結果は、
鹿児島実業(鹿児島)3一0遠野(岩手)
野洲(滋賀)1一0多々良学園(山口)
だったが、点差ほどの力の差はなかった。
特に負けたものの多々良学園は、非常に良いサッカーをするチームであり、この試合は、文字どおりの高校サッカー最高レベルの試合だった。最近ここ数年見た中では、ベストゲームと言って良いほどのできばえだったと言えるかも知れない。単純に安全第一で遠くに蹴り出すだけでなく、キーパーの終盤から前線まで細かく丁寧にボールをつなぐサッカーができていた。
一方、その多々良学園に競り勝った野洲は、非常に良い攻めと守りをしていた。ユニフォームのカラーもそうだが、旧西ドイツや現在のドイツのサッカーのプレースタイルに似ているように感じた。監督がドイツへ留学したことからも、おそらく目指すサッカーはドイツ的な”コンチネンタルサッカー”であろう。野洲のサッカー選手は非常にサッカーというのを良く知っている感じがする。
私の個人的印象では、滋賀というJリーグユースがない県であるために、小中学校の下部組織で育った選手がJユースのチームに吸い取られることなく高校に進学できるというメリットがあるのではないだろうか。逆に、有力なJリーグユースチームがある地方では、そうした優秀選手が高校サッカーチームに入らないでJリーグユースチームで直接高円宮杯を狙う。そのために、高校チームが弱くなる。どうやらこんなことが今生じているために、かつての有力高校がそれほど強くなれないのではないだろうか。
同様なことは、長崎の国見、鹿児島の鹿実、岩手の遠野などにも言える。そのおかげで地元出身の子供達が高校サッカーに入る場合、かなりの強豪高校チームに育てるのではないだろうか。事実、Jユースのある都道府県はいまいちぱっとしない。
いずれにせよ、今年の高校サッカーは、鹿児島実業(鹿児島)vs野洲(滋賀)という好チームどうしの決戦となった。鹿児島の基本に忠実で走力中心の”人が走る”チームと滋賀の野洲の個人技中心で”ボールを走らせる”チームの戦いという非常に面白い勝負になった。
野洲の監督が
『高校サッカーに革命を起こす』
というように、もし野洲が勝利すればかなりこれは現実味を持つだろう。これまでのサッカーとはかなり違う、自由奔放な知的な戦略的サッカーが高校サッカーの主流となるかも知れない。しかし、鹿実のゴールの枠をはずさない基本に忠実なシュートで直線的にゴールを狙うサッカーもまた捨てがたい魅力がある。
がんがんゴールに攻め込んでくる鹿実のスピードサッカーと、敵のフリースペースにどんどん人が入って来て裏をとる野洲のパスワークサッカーの戦いとなるだろう。
私は個人的には、野洲サッカーが勝利して”高校サッカーの革命”が起こることを望むが、勝負としては鹿実のガンガン攻めるサッカーが勝利を物にするのではないか、と予想している。
果たしてどうなることか。神のみぞ知る。歴史に残る好ゲームとなることは間違いないだろうネ
今日の準決勝2試合は非常に素晴らしい試合だった。結果は、
鹿児島実業(鹿児島)3一0遠野(岩手)
野洲(滋賀)1一0多々良学園(山口)
だったが、点差ほどの力の差はなかった。
特に負けたものの多々良学園は、非常に良いサッカーをするチームであり、この試合は、文字どおりの高校サッカー最高レベルの試合だった。最近ここ数年見た中では、ベストゲームと言って良いほどのできばえだったと言えるかも知れない。単純に安全第一で遠くに蹴り出すだけでなく、キーパーの終盤から前線まで細かく丁寧にボールをつなぐサッカーができていた。
一方、その多々良学園に競り勝った野洲は、非常に良い攻めと守りをしていた。ユニフォームのカラーもそうだが、旧西ドイツや現在のドイツのサッカーのプレースタイルに似ているように感じた。監督がドイツへ留学したことからも、おそらく目指すサッカーはドイツ的な”コンチネンタルサッカー”であろう。野洲のサッカー選手は非常にサッカーというのを良く知っている感じがする。
私の個人的印象では、滋賀というJリーグユースがない県であるために、小中学校の下部組織で育った選手がJユースのチームに吸い取られることなく高校に進学できるというメリットがあるのではないだろうか。逆に、有力なJリーグユースチームがある地方では、そうした優秀選手が高校サッカーチームに入らないでJリーグユースチームで直接高円宮杯を狙う。そのために、高校チームが弱くなる。どうやらこんなことが今生じているために、かつての有力高校がそれほど強くなれないのではないだろうか。
同様なことは、長崎の国見、鹿児島の鹿実、岩手の遠野などにも言える。そのおかげで地元出身の子供達が高校サッカーに入る場合、かなりの強豪高校チームに育てるのではないだろうか。事実、Jユースのある都道府県はいまいちぱっとしない。
いずれにせよ、今年の高校サッカーは、鹿児島実業(鹿児島)vs野洲(滋賀)という好チームどうしの決戦となった。鹿児島の基本に忠実で走力中心の”人が走る”チームと滋賀の野洲の個人技中心で”ボールを走らせる”チームの戦いという非常に面白い勝負になった。
野洲の監督が
『高校サッカーに革命を起こす』
というように、もし野洲が勝利すればかなりこれは現実味を持つだろう。これまでのサッカーとはかなり違う、自由奔放な知的な戦略的サッカーが高校サッカーの主流となるかも知れない。しかし、鹿実のゴールの枠をはずさない基本に忠実なシュートで直線的にゴールを狙うサッカーもまた捨てがたい魅力がある。
がんがんゴールに攻め込んでくる鹿実のスピードサッカーと、敵のフリースペースにどんどん人が入って来て裏をとる野洲のパスワークサッカーの戦いとなるだろう。
私は個人的には、野洲サッカーが勝利して”高校サッカーの革命”が起こることを望むが、勝負としては鹿実のガンガン攻めるサッカーが勝利を物にするのではないか、と予想している。
果たしてどうなることか。神のみぞ知る。歴史に残る好ゲームとなることは間違いないだろうネ
2006/01/06のBlog
[ 16:56 ]
[ 社会 ]
今朝の朝日新聞記事:「ニセ科学」どう向き合う 物理学会、3月にシンポ
は結構面白い問題を含んでいて面白い。それは、次のような問題を含んでいるからである。
(あ)【どうして「ニセ科学」?】
まず、この学会シンポジウムを企画した田崎晴明・学習院大教授(統計物理学)のグループがどうしてわざわざ「ニセ科学」という言葉を創始したのか、という点である。
ここでいう「ニセ科学」については、国内ではずっと以前から「似非(えせ)科学」という言葉が一般的であった。従来、オカルトや心霊現象などの問題を日本の科学者は「似非科学」という言葉を使って表現し、それに類する「いんちき科学」のことを「似非科学」と呼んで来たはずなのである。わざわざ「ニセ科学」と銘打つからには「似非科学」とは違った意味合い(ニュアンス)が含まれているのかも知れないが、私にはこの当たりが分からない。
なぜ「ニセ科学」なのであろうか? ここに面白さがある。
(い)【日本物理学会の社会への初めてのアピール?】
次の面白い点は、「日本物理学会」という”象牙の塔”の権化と見なされて来た学会組織が、初めて”表立って”社会にアピールしたという出来事が、この「ニセ科学」だったからである。それはなぜか、という点に面白さがある。
9年程前私は日本物理学会誌上(日本物理学会誌、第52巻、第11号、867(1997))で、#14 座談会「物理学会役員の選出制度について」を読んで学会の在り方を思うという意見を掲載した。この中で、たくさんの提言を物理学会に対して行った。中でも特に次のものだけ引用しておこう。
”(お)物理学会は,日本社会 にもっと積極的に発言の機会をもつべきである。そのためには,学会員のアカ デミックな研究.教育活動や受賞などに関する情報をマスメディアにリリース すべきであり,そのための広報機関を学会内部に作るべきである。一般社会人 から隔てられた非公式クラブの立場にいつまでも甘んじることなく,そこから 早急に脱却し,物理学者もこの日本社会の重要な一員であることを社会にアピールすべきである。”
この当時、私の意見は全く省みられることはなかった。が、今回、日本物理学会の”花形(エース)”である田崎晴明教授がこういった試みを行ったために、マスコミも飛びつき、日本物理学会もサポートしたのであろう。氏のHPには、日本物理学会長である佐藤勝彦教授への賛美が書かれている。
いずれにせよ、9年前に私が主張したことが正しかったということがお分かりであろう。この点については、私は、何が科学をつぶすのか?の中でも論じている。
(う)【「ニセ科学」vs「ニセ科学者」】
もう一つ面白い点は、いわゆる”科学者”が「ニセ科学」を批判するというのは、かなり自然なことなのだが、実は「ニセ科学」よりははるかに分かりにくいものが「ニセ科学者」(あるいは、もっと古い言葉では「似非科学者」)というものなのであるが、今のところ「ニセ科学者」批判は日本物理学会では出ていない。
ここで私がいう意味の「ニセ科学者」あるいは「似非科学者」というのは、田崎博士のいう「ニセ科学」を行っている者、あるいは「ニセ科学」を行っている科学者という意味ではない。文字どおりの「偽物科学者」という意味である。つまり、一応は科学者であるがまだ偽物であって本物ではない科学者という意味である。通常はこういう科学者のことを「似非科学者」と呼ぶ。
このようなわけで、また新しく「ニセ科学」、「ニセ科学者」という言葉を作ると、これまでの「似非科学」、「似非科学者」という類似語とも重なる部分があるために、何がどう異なるのか非常に分かりにくくなる嫌いがある。
こういう話は、科学の分野をあまり知らない人々やマスコミ人を非常に混乱させ、分かりにくいかも知れないが、科学にはこういう深刻な問題がある。
最近では、一番分かりやすい例は、ES細胞の捏造論文を書いた韓国の黄教授の例であろう。黄教授は科学トレーニングを立派に積んだ高度な専門知識を持った科学者である。つまり、普通の人と比較すれば、科学者に分類されるべき人間である。しかし、この捏造論文で行った行為は、「似非科学」(あるいは「ニセ科学」)に分類されるはずである。なぜならそれは教授たちの勝手な”思い込み”であり、何ら証明が行われていない事実無根のことだったからである。この意味では、これは立派な犯罪行為である。それゆえ、科学界はこの人物を糾弾しているのである。
一方、田崎晴明・学習院大教授や菊池誠・大阪大教授がテーマにあげた「ニセ科学」は、どちらかといえば、いわゆるアマチュア・サイエンティスト(つまり、学位を持たない素人科学者、”科学者ぶりっこする人”のこと)の行っている「偽物科学」の意味である。
「水に優しい言葉をかけると美しい結晶ができる」
などということが真っ赤な嘘だということは、きちんとした科学教育を受けて博士になったものたちならだれでも分かることである。
これがある程度効果があり、もし真実のように見えるとしたら、それは実はもっと別の効果がそこに含まれているということであろう。例えば、知らず知らずの内に、ある種の心理的な効果を生み出し、
「水に優しい言葉をかけるというような行為を持って実験を行うと、結晶制作者の関心が高まり注意した実験を行うようになるため、あまり実験を気にかけずに不注意に実験を行う場合よりは、美しい結晶ができる」
というようなことが生じたということであろう。
しかし、私の個人的観点では、これはそれほど罪深くはない。なぜなら、所詮は水である。水はどこにでもありふれ、材料としても高くはないからである。
それと比べれば、前者の「ES細胞の捏造論文」は罪深い。人員、金銭、設備などのどの点をおいても膨大であり、国民への負担という意味でははかり知れないものがあるからである。まして、プロと目されている人たちの行った陰謀であるからである。
もし後者の「水」の制作者が罪深いとすれば、そうやって作った水は高く売れるとか、経済的な作意のビジネス、詐欺行為に結びつく場合であろう。その「水」の作成者自身が、「水に優しい言葉をかけてできた美しい氷はうまい」といって自分で使用する分にはだれの迷惑にもならないはずだからである。また、もしその制作者がそれを本にして売り出したとしてもその罪はそれほど重くはないだろう。その本を買わなければ良いからである。
ちまたにさまざな本が売り出されている。新興宗教の言説、大霊界の本、まゆつばものの健康食品の本、癌が消えた式の体験談の本、ダイエット本などなど。どれもこれも信じれば救われる式の本である。この意味では、「ニセ科学」の本もこの部類に属する。
もし問題があるとすれば、それが学校の理科の本(文部科学省認定の本)として引用されることであるが、これは、今度はその著者の問題というよりは、教科書の制作者や教科書を認定した国家公務員の知的レベルの問題である、ということになる。言い替えれば、そういうインテリを教育したはずの大学側の問題と言えるのである。
要するに、この問題は、田崎晴明教授や菊池誠教授が、「ニセ科学」あるいは「ニセ科学者」はダメだ、けしからんと否定すればするほど、結局は大学の物理学の専門家であるはずの自分達大学教授自身を”自分で自分を否定する”という結果に導かれてしまうのである。
ここに面白さがある。
(え)【どうして「ニセ科学者」を批判しないのか?】
さらに付け加えれば、この人たちはどうして大学や大手研究所に住む「ニセ科学者」たちを批判しないのだろうか、という問題がある。
たとえば、養老孟司の「バカの壁」、茂木健一郎の「クオリア」などのような本がある。私の個人的観点からすれば、「バカの壁」自体は悪い本ではないと思うが、そこに書かれている事柄と、「水に優しい言葉をかけると美しい結晶ができる」説とは、それほど大差がない。同様に茂木健一郎の「クオリア」にも、それらしい根拠はない。むしろかなり宗教に近い。これらのどれもが「信ずれば救われる」式の域は(現段階では)出ていない。
にもかかわらず、無名の自称科学者の「水や氷の本」は「ニセ科学」のレッテルを張り、一応東大出身の科学者の養老孟司の「バカの壁」や茂木健一郎の「クオリア」にはなぜ「ニセ科学」のレッテルを張らないのであろうか? この心理状態は私には理解不能である。私の個人的観点では、ここにもある種の”新手の”官尊民卑的な思想が入っているのではないか、と見える。
学会の外にいるアマチュア・サイエンティストは「ニセ科学者」であり、学会やアカデミズムの内にいるプロ・サイエンティストであれば「ニセ科学」を行っていても「ニセ科学者」には入らないのであろうか。
社会にはびこる「ニセ科学」を追求するのであれば、田崎晴明教授や菊池誠教授はこの問いに答えなくてはならないだろう。なぜなら「ニセ科学」にはそれを行っている人の所属は無関係のはずだからである。
(お)【「ニセ科学」批判者は「ト学会」メンバー】
菊池誠教授は、「ト学会」(”トンデモない”という意味の”トンデモ”という言葉を流行らせた「トンデモ学会」)のメンバーとして有名である。今回の日本物理学会の「ニセ科学」シンポジウムは、かなりこの「ト学会」の”乗り”であるように私には見える。
私個人は、この「ト学会」は好きではない。というのも、あまりに”原理主義”的だからである。宗教で言えば、原理教。イスラム教で言えば、シーア派。キリスト教で言えば、キリスト教原理教。こういった”堅物”的側面がいなめないからである。
別に世の中、いろんな見方、いろんな感じ方があっても良いではないか。それが科学者のものと違っても良いではないか。超能力者マクモニーグルを信じる人がいてもそれはそれで良いではないか。
私はどちらかと言えば、科学者の中ではかなり”超越主義者”的で、この点ではかなりオープンである。それで良いのではないだろうか。
私がその昔(おそらく1982一84年頃)、阪大のセミナーの後の懇親会で在りし日のエクルズ教授(脳生理学でノーベル生理医学賞受賞)と話したことがあった。このエクルズ教授に精神について尋ねた時、彼はこう言った。
「精神はこの辺にあるんだよ。精神は脳の中にはない。頭のてっぺんの上にあり、それが脳の頭頂部と連結している。」
この話を聞いて、私はノーベル賞学者がなんでこんな馬鹿げたことを言うのか、と当時は思ったが、今ではそういうことをいう面白さが重要だと思うようになっている。後々知ったのだが、エクルズ教授のこの話は有名で、博士は超常現象の存在を認めていて、そういった超自然的な現象(超能力やテレパシー)と脳や精神の問題と整合させるためには、”精神は脳の外にある説”を唱えるようになったという話である。
私は、古典的物理学者の多くが、何らかの(今では間違っていると考えられる)仮説を持っていたということを知っている。
ケプラーは宇宙をプラトンの多面体が構成していると考えた。ニュートンは超能力のようなものを信じていて遠隔的相互作用(瞬時に伝わる力)の存在を信じていた。マックスウェルも真空は何かエーテルのようなものが詰まっていると考えていた。テスラも摩訶不思議な宇宙観を持っていた。アインシュタインも超能力を信じていた。
こういった個々の人物が固有に持つイメージ(描像)まで”トンデモ”だと言って否定する必要はあるのだろうか。
最後に、今回、「ニセ科学」シンポジウムを開く田崎晴明教授や菊池誠教授は共に、私と同様、理論物理学者である。田崎晴明教授はハバードモデルの専門家であり、菊池誠教授はタンパク質の折れ畳み格子モデルの専門家である。ハバードモデルの重要性、折れ畳み格子モデルの重要性は私には良く分かる。しかし、こういった分野の専門家でない人たちに、ハバードモデルや折れ畳み格子モデルの重要性をどのようにしたら伝えられるのであろうか。
現実の結晶は、ハバードモデルに似てはいるがそうではない。現実のタンパク質は折れ畳み格子モデルのようではあるがそうではない。これらのモデルは所詮は理論物理学者が自分自身に分かりやすくするために作った作為のモデルの数々の1つに過ぎない。理論モデルがいくら美しくてもそれは現実ではない。私の師、ビル・サザーランド博士はそうしたモデルを”美しいモデルたち(Beautiful Models)”と呼んだ。ここには、
「現実に優しい言葉をかけると美しいモデルができる」
という言葉で表現できるような何がしかの”気持ち”が見える。
これは、アマチュア・サイエンティストが
「水に優しい言葉をかけると美しい結晶ができる」
というのと同じような”気持ち”があるように私には見える。もちろん、やっていることはお互いに全く違っている。
しかし、国や大学の後押しを受けた専門家であるプロの科学者なら、ハバードモデルや格子モデルというおもちゃのモデルを解くためにスーパーコンピュータなどを使って何億円もの予算で研究でき、しかし一方、ごく普通のアマチュアの科学者が、身銭を切って行った美しい氷の結晶の研究が「ニセ科学」のレッテルを張られてバカにされるとするのであれば、何か本末転倒的な理不尽さを感じざるを得ないというのも事実である。
要するに、私が言わんとすることは、「ニセ科学」バッシングするというのであれば、同時に今度は自分達が行っていることが「ニセ科学」ではないという正統性をも主張する必要が出てくる、ということである。
果たしてこの辺がどう展開していくのか、今後を観察する他ないだろうネ。
は結構面白い問題を含んでいて面白い。それは、次のような問題を含んでいるからである。
(あ)【どうして「ニセ科学」?】
まず、この学会シンポジウムを企画した田崎晴明・学習院大教授(統計物理学)のグループがどうしてわざわざ「ニセ科学」という言葉を創始したのか、という点である。
ここでいう「ニセ科学」については、国内ではずっと以前から「似非(えせ)科学」という言葉が一般的であった。従来、オカルトや心霊現象などの問題を日本の科学者は「似非科学」という言葉を使って表現し、それに類する「いんちき科学」のことを「似非科学」と呼んで来たはずなのである。わざわざ「ニセ科学」と銘打つからには「似非科学」とは違った意味合い(ニュアンス)が含まれているのかも知れないが、私にはこの当たりが分からない。
なぜ「ニセ科学」なのであろうか? ここに面白さがある。
(い)【日本物理学会の社会への初めてのアピール?】
次の面白い点は、「日本物理学会」という”象牙の塔”の権化と見なされて来た学会組織が、初めて”表立って”社会にアピールしたという出来事が、この「ニセ科学」だったからである。それはなぜか、という点に面白さがある。
9年程前私は日本物理学会誌上(日本物理学会誌、第52巻、第11号、867(1997))で、#14 座談会「物理学会役員の選出制度について」を読んで学会の在り方を思うという意見を掲載した。この中で、たくさんの提言を物理学会に対して行った。中でも特に次のものだけ引用しておこう。
”(お)物理学会は,日本社会 にもっと積極的に発言の機会をもつべきである。そのためには,学会員のアカ デミックな研究.教育活動や受賞などに関する情報をマスメディアにリリース すべきであり,そのための広報機関を学会内部に作るべきである。一般社会人 から隔てられた非公式クラブの立場にいつまでも甘んじることなく,そこから 早急に脱却し,物理学者もこの日本社会の重要な一員であることを社会にアピールすべきである。”
この当時、私の意見は全く省みられることはなかった。が、今回、日本物理学会の”花形(エース)”である田崎晴明教授がこういった試みを行ったために、マスコミも飛びつき、日本物理学会もサポートしたのであろう。氏のHPには、日本物理学会長である佐藤勝彦教授への賛美が書かれている。
いずれにせよ、9年前に私が主張したことが正しかったということがお分かりであろう。この点については、私は、何が科学をつぶすのか?の中でも論じている。
(う)【「ニセ科学」vs「ニセ科学者」】
もう一つ面白い点は、いわゆる”科学者”が「ニセ科学」を批判するというのは、かなり自然なことなのだが、実は「ニセ科学」よりははるかに分かりにくいものが「ニセ科学者」(あるいは、もっと古い言葉では「似非科学者」)というものなのであるが、今のところ「ニセ科学者」批判は日本物理学会では出ていない。
ここで私がいう意味の「ニセ科学者」あるいは「似非科学者」というのは、田崎博士のいう「ニセ科学」を行っている者、あるいは「ニセ科学」を行っている科学者という意味ではない。文字どおりの「偽物科学者」という意味である。つまり、一応は科学者であるがまだ偽物であって本物ではない科学者という意味である。通常はこういう科学者のことを「似非科学者」と呼ぶ。
このようなわけで、また新しく「ニセ科学」、「ニセ科学者」という言葉を作ると、これまでの「似非科学」、「似非科学者」という類似語とも重なる部分があるために、何がどう異なるのか非常に分かりにくくなる嫌いがある。
こういう話は、科学の分野をあまり知らない人々やマスコミ人を非常に混乱させ、分かりにくいかも知れないが、科学にはこういう深刻な問題がある。
最近では、一番分かりやすい例は、ES細胞の捏造論文を書いた韓国の黄教授の例であろう。黄教授は科学トレーニングを立派に積んだ高度な専門知識を持った科学者である。つまり、普通の人と比較すれば、科学者に分類されるべき人間である。しかし、この捏造論文で行った行為は、「似非科学」(あるいは「ニセ科学」)に分類されるはずである。なぜならそれは教授たちの勝手な”思い込み”であり、何ら証明が行われていない事実無根のことだったからである。この意味では、これは立派な犯罪行為である。それゆえ、科学界はこの人物を糾弾しているのである。
一方、田崎晴明・学習院大教授や菊池誠・大阪大教授がテーマにあげた「ニセ科学」は、どちらかといえば、いわゆるアマチュア・サイエンティスト(つまり、学位を持たない素人科学者、”科学者ぶりっこする人”のこと)の行っている「偽物科学」の意味である。
「水に優しい言葉をかけると美しい結晶ができる」
などということが真っ赤な嘘だということは、きちんとした科学教育を受けて博士になったものたちならだれでも分かることである。
これがある程度効果があり、もし真実のように見えるとしたら、それは実はもっと別の効果がそこに含まれているということであろう。例えば、知らず知らずの内に、ある種の心理的な効果を生み出し、
「水に優しい言葉をかけるというような行為を持って実験を行うと、結晶制作者の関心が高まり注意した実験を行うようになるため、あまり実験を気にかけずに不注意に実験を行う場合よりは、美しい結晶ができる」
というようなことが生じたということであろう。
しかし、私の個人的観点では、これはそれほど罪深くはない。なぜなら、所詮は水である。水はどこにでもありふれ、材料としても高くはないからである。
それと比べれば、前者の「ES細胞の捏造論文」は罪深い。人員、金銭、設備などのどの点をおいても膨大であり、国民への負担という意味でははかり知れないものがあるからである。まして、プロと目されている人たちの行った陰謀であるからである。
もし後者の「水」の制作者が罪深いとすれば、そうやって作った水は高く売れるとか、経済的な作意のビジネス、詐欺行為に結びつく場合であろう。その「水」の作成者自身が、「水に優しい言葉をかけてできた美しい氷はうまい」といって自分で使用する分にはだれの迷惑にもならないはずだからである。また、もしその制作者がそれを本にして売り出したとしてもその罪はそれほど重くはないだろう。その本を買わなければ良いからである。
ちまたにさまざな本が売り出されている。新興宗教の言説、大霊界の本、まゆつばものの健康食品の本、癌が消えた式の体験談の本、ダイエット本などなど。どれもこれも信じれば救われる式の本である。この意味では、「ニセ科学」の本もこの部類に属する。
もし問題があるとすれば、それが学校の理科の本(文部科学省認定の本)として引用されることであるが、これは、今度はその著者の問題というよりは、教科書の制作者や教科書を認定した国家公務員の知的レベルの問題である、ということになる。言い替えれば、そういうインテリを教育したはずの大学側の問題と言えるのである。
要するに、この問題は、田崎晴明教授や菊池誠教授が、「ニセ科学」あるいは「ニセ科学者」はダメだ、けしからんと否定すればするほど、結局は大学の物理学の専門家であるはずの自分達大学教授自身を”自分で自分を否定する”という結果に導かれてしまうのである。
ここに面白さがある。
(え)【どうして「ニセ科学者」を批判しないのか?】
さらに付け加えれば、この人たちはどうして大学や大手研究所に住む「ニセ科学者」たちを批判しないのだろうか、という問題がある。
たとえば、養老孟司の「バカの壁」、茂木健一郎の「クオリア」などのような本がある。私の個人的観点からすれば、「バカの壁」自体は悪い本ではないと思うが、そこに書かれている事柄と、「水に優しい言葉をかけると美しい結晶ができる」説とは、それほど大差がない。同様に茂木健一郎の「クオリア」にも、それらしい根拠はない。むしろかなり宗教に近い。これらのどれもが「信ずれば救われる」式の域は(現段階では)出ていない。
にもかかわらず、無名の自称科学者の「水や氷の本」は「ニセ科学」のレッテルを張り、一応東大出身の科学者の養老孟司の「バカの壁」や茂木健一郎の「クオリア」にはなぜ「ニセ科学」のレッテルを張らないのであろうか? この心理状態は私には理解不能である。私の個人的観点では、ここにもある種の”新手の”官尊民卑的な思想が入っているのではないか、と見える。
学会の外にいるアマチュア・サイエンティストは「ニセ科学者」であり、学会やアカデミズムの内にいるプロ・サイエンティストであれば「ニセ科学」を行っていても「ニセ科学者」には入らないのであろうか。
社会にはびこる「ニセ科学」を追求するのであれば、田崎晴明教授や菊池誠教授はこの問いに答えなくてはならないだろう。なぜなら「ニセ科学」にはそれを行っている人の所属は無関係のはずだからである。
(お)【「ニセ科学」批判者は「ト学会」メンバー】
菊池誠教授は、「ト学会」(”トンデモない”という意味の”トンデモ”という言葉を流行らせた「トンデモ学会」)のメンバーとして有名である。今回の日本物理学会の「ニセ科学」シンポジウムは、かなりこの「ト学会」の”乗り”であるように私には見える。
私個人は、この「ト学会」は好きではない。というのも、あまりに”原理主義”的だからである。宗教で言えば、原理教。イスラム教で言えば、シーア派。キリスト教で言えば、キリスト教原理教。こういった”堅物”的側面がいなめないからである。
別に世の中、いろんな見方、いろんな感じ方があっても良いではないか。それが科学者のものと違っても良いではないか。超能力者マクモニーグルを信じる人がいてもそれはそれで良いではないか。
私はどちらかと言えば、科学者の中ではかなり”超越主義者”的で、この点ではかなりオープンである。それで良いのではないだろうか。
私がその昔(おそらく1982一84年頃)、阪大のセミナーの後の懇親会で在りし日のエクルズ教授(脳生理学でノーベル生理医学賞受賞)と話したことがあった。このエクルズ教授に精神について尋ねた時、彼はこう言った。
「精神はこの辺にあるんだよ。精神は脳の中にはない。頭のてっぺんの上にあり、それが脳の頭頂部と連結している。」
この話を聞いて、私はノーベル賞学者がなんでこんな馬鹿げたことを言うのか、と当時は思ったが、今ではそういうことをいう面白さが重要だと思うようになっている。後々知ったのだが、エクルズ教授のこの話は有名で、博士は超常現象の存在を認めていて、そういった超自然的な現象(超能力やテレパシー)と脳や精神の問題と整合させるためには、”精神は脳の外にある説”を唱えるようになったという話である。
私は、古典的物理学者の多くが、何らかの(今では間違っていると考えられる)仮説を持っていたということを知っている。
ケプラーは宇宙をプラトンの多面体が構成していると考えた。ニュートンは超能力のようなものを信じていて遠隔的相互作用(瞬時に伝わる力)の存在を信じていた。マックスウェルも真空は何かエーテルのようなものが詰まっていると考えていた。テスラも摩訶不思議な宇宙観を持っていた。アインシュタインも超能力を信じていた。
こういった個々の人物が固有に持つイメージ(描像)まで”トンデモ”だと言って否定する必要はあるのだろうか。
最後に、今回、「ニセ科学」シンポジウムを開く田崎晴明教授や菊池誠教授は共に、私と同様、理論物理学者である。田崎晴明教授はハバードモデルの専門家であり、菊池誠教授はタンパク質の折れ畳み格子モデルの専門家である。ハバードモデルの重要性、折れ畳み格子モデルの重要性は私には良く分かる。しかし、こういった分野の専門家でない人たちに、ハバードモデルや折れ畳み格子モデルの重要性をどのようにしたら伝えられるのであろうか。
現実の結晶は、ハバードモデルに似てはいるがそうではない。現実のタンパク質は折れ畳み格子モデルのようではあるがそうではない。これらのモデルは所詮は理論物理学者が自分自身に分かりやすくするために作った作為のモデルの数々の1つに過ぎない。理論モデルがいくら美しくてもそれは現実ではない。私の師、ビル・サザーランド博士はそうしたモデルを”美しいモデルたち(Beautiful Models)”と呼んだ。ここには、
「現実に優しい言葉をかけると美しいモデルができる」
という言葉で表現できるような何がしかの”気持ち”が見える。
これは、アマチュア・サイエンティストが
「水に優しい言葉をかけると美しい結晶ができる」
というのと同じような”気持ち”があるように私には見える。もちろん、やっていることはお互いに全く違っている。
しかし、国や大学の後押しを受けた専門家であるプロの科学者なら、ハバードモデルや格子モデルというおもちゃのモデルを解くためにスーパーコンピュータなどを使って何億円もの予算で研究でき、しかし一方、ごく普通のアマチュアの科学者が、身銭を切って行った美しい氷の結晶の研究が「ニセ科学」のレッテルを張られてバカにされるとするのであれば、何か本末転倒的な理不尽さを感じざるを得ないというのも事実である。
要するに、私が言わんとすることは、「ニセ科学」バッシングするというのであれば、同時に今度は自分達が行っていることが「ニセ科学」ではないという正統性をも主張する必要が出てくる、ということである。
果たしてこの辺がどう展開していくのか、今後を観察する他ないだろうネ。
2006/01/05のBlog
[ 18:44 ]
[ 高校サッカー ]
全国高校サッカー、鹿児島実が3大会連続4強入り
いやー、初めて今評判の滋賀県代表の野洲高校のサッカーを見たが、非常に素晴らしいサッカーだった。大阪朝鮮は身体能力に優れていたが、野洲は個人技に優れ、大阪朝鮮とほぼ互角以上に戦った。後半1点取られあともう少しで試合終了のところで、怒濤の攻めに転じ、ついに同点。そしてPKでは、先手を取りプレッシャーを与え、見事に勝利をものにした。
この滋賀の野洲の監督の合い言葉は、”高校サッカーに革命を!”であるという。
確かにこの言葉通り、単なるキック&ラッシュの国見や鹿実の九州サッカーとは違った組織的サッカーである。恐らく、これまで見たチームの中では、かつての帝京高校のサッカー、あるいは全盛期の東福岡のサッカーに似ているように思う。
すでに現在では、国見も鹿実もJユースには勝てない。つまり、もはやこれまでの高校サッカーのやり方では、高円宮杯には勝てないという時代に入った(『高円宮杯』決勝:東京ヴユース優勝、おめでとう!)。それゆえ、野洲は、Jユースのない滋賀県にあって、Jユースのようなプロサッカー選手を育てたい、という心意気の伝わってくるチームである。
果たして野洲は優勝できるだろうか? 神のみぞ知る。たいへん面白い所である。
しかし、一方の大阪挑戦も私好みの非常に良いチームだった。1対1に強くタフで身体を張るプレーは賞賛に値する好チームである。たまたまPKで負けたに過ぎず、ベストフォーに入ることのできる強豪チームであることは間違いない。今後を期待したい。
準々決勝その他の試合:
鹿児島実(鹿児島)1一0滝川二(兵庫)
多々良学園(山口)2一1鹿島学園(茨城)
遠 野(岩手)3一2広島観音(広島)
野 洲(滋賀)1一1、PK3一1大阪朝鮮(大阪)
いやー、初めて今評判の滋賀県代表の野洲高校のサッカーを見たが、非常に素晴らしいサッカーだった。大阪朝鮮は身体能力に優れていたが、野洲は個人技に優れ、大阪朝鮮とほぼ互角以上に戦った。後半1点取られあともう少しで試合終了のところで、怒濤の攻めに転じ、ついに同点。そしてPKでは、先手を取りプレッシャーを与え、見事に勝利をものにした。
この滋賀の野洲の監督の合い言葉は、”高校サッカーに革命を!”であるという。
確かにこの言葉通り、単なるキック&ラッシュの国見や鹿実の九州サッカーとは違った組織的サッカーである。恐らく、これまで見たチームの中では、かつての帝京高校のサッカー、あるいは全盛期の東福岡のサッカーに似ているように思う。
すでに現在では、国見も鹿実もJユースには勝てない。つまり、もはやこれまでの高校サッカーのやり方では、高円宮杯には勝てないという時代に入った(『高円宮杯』決勝:東京ヴユース優勝、おめでとう!)。それゆえ、野洲は、Jユースのない滋賀県にあって、Jユースのようなプロサッカー選手を育てたい、という心意気の伝わってくるチームである。
果たして野洲は優勝できるだろうか? 神のみぞ知る。たいへん面白い所である。
しかし、一方の大阪挑戦も私好みの非常に良いチームだった。1対1に強くタフで身体を張るプレーは賞賛に値する好チームである。たまたまPKで負けたに過ぎず、ベストフォーに入ることのできる強豪チームであることは間違いない。今後を期待したい。
準々決勝その他の試合:
鹿児島実(鹿児島)1一0滝川二(兵庫)
多々良学園(山口)2一1鹿島学園(茨城)
遠 野(岩手)3一2広島観音(広島)
野 洲(滋賀)1一1、PK3一1大阪朝鮮(大阪)
[ 11:53 ]
[ 管理人から ]
さて、年頭所感としてはちょっと日にちが過ぎてしまった感あるが、私の個人的所感(私はあまりこういうことを人に言うのは”小学生みたい”で好きではないが)をまとめておこう。というのも、この年頭に私は、我が家の親戚であるアメリカ人一家の”家族カレンダー”に非常に素晴らしい言葉があると見つけたからである。(アメリカ人にはたまに家族専用のカレンダーを自前で作る人たちがいる。)
この中から私流にちょっとジョークっぽく編集して、日本の各分野の人々への今年の”贈る言葉”とし、2006年度の私の年頭所感としたい。
(あ)まず、小泉首相やブッシュ大統領のような”ばか者”政治家たちにはこの言葉を贈りたい。
If you judge people, you have no time to love them.
--Mother Teresa
もしあなたが人々を審判するなら、あなたはその人たちを愛する時間がない。
--マザー・テレサ
(い)物理学の”非平衡系”の研究者たちにはこの言葉を贈りたい。
Life is riding a bicycle.
To keep your balance you must keep moving.
--Albert Einstein
人生とは自転車に乗るようなものだ。
バランスを保つためにはいつも動いていなくてはならない。
--アルバート・アインシュタイン
(う)ホリエモンや村上ファンドのような成り金”六本木ヒルズ族”にはこの言葉を贈りたい。
Everyone is trying to accomplish something big,
not realizing that life is made up of little things.
--Frank A. Clark
だれしも何か大きなことを達成しようと思うが、
しかし人生とは小さな物事の積み重ねであるとは実感することはない。
--フランク・A・クラーク
(え)日本中のニートたちにはこの言葉を贈りたい。
There are three ingredients to the good life:
learning, earning, and yearning.
--Christopher Marley
良い人生には3つの素材がある:学習、所得、そして憧れ。
--クリストファー・マーレイ
(お)少子化問題や老人化問題に悩む人々にはこの言葉を贈りたい。
Beautiful young people are accidents of nature,
but beautiful old people are words of art.
--Eleanor Roosevelt
美しい若者は自然の偶然、しかし美しい老人は言葉の芸術。
--エレノア・ルーズベルト
(か)女性差別の常習化している企業や官公庁や大学のお偉いさんたちには次の言葉を贈りたい。
A woman is like a tea bag.
You never know how strong she is until she gets into hot water.
--Eleanor Roosevelt
1人の女性はティーバッグのようなもの。
あなたは彼女を熱湯の中に入れてみるまでどれほど強いか決して知らない。
--エレノア・ルーズベルト
(き)学校の先生や教育関係者たちにはこの言葉を贈りたい。
The mediocre teacher tells.
The good teacher explains.
The superior teacher demonstrates.
The great teacher inspires.
--William Arthur Ward
凡庸な先生は、話す。
良い先生は、説明する。
優れた先生は、実演する。
偉大な先生は、感銘させる。
--ウィリアム・アーサー・ワード
(く)若い科学者たちにはこの言葉を贈りたい。
(自伝:歩む者のない道 0章 はじめに参照。)
Two roads diverged in a wood,
and I-I took the one less traveled by,
and that has made all the difference.
--Robert Frost
森の中で道が二つに分かれていた
そして私は人があまり通っていない道を選んだ
そのためにどんなに大きな違いができたことか
--ロバート・フロスト
(け)熟年離婚など、離婚の危機のある人たちにはこの言葉を贈りたい。
When a wife has a good husband it is easily seen in her face.
--Johann Wolfgang von Goethe
ある奥さんが良い夫を持っているかどうかは、顔から一目瞭然。
--ヨハン・ウォルフガング・フォン・ゲーテ
(こ)結婚前のカップルにはこの言葉を贈りたい。
Keep your eyes wide open before marriage,
half shut afterwards.
--Benjamin Franklin
結婚前には目を良く見開き、結婚後は半分目をつぶりなさい。
--ベンジャミン・フランクリン
(さ)新婚さんたちには、次の言葉を贈りたい。
In marriage, each partner is to be
an encourager rather than a critic,
a forgiver rather than a collector of hurts,
an enabler rather than a reformer.
--H. Norman Wright & Gary J.
結婚では、それぞれの伴侶は、
批評する人というよりは勇気づける人で、
痛みをかき集めてくる人というよりは許してあげる人で、
改良しようという人であるよりはしてあげる人であるべきである。
--H・ノーマン・ライト&ゲイリー・J.
(し)人生で思い悩んでいる人たちにはこの言葉を贈りたい。
Life is like a box of chocolates.
You never know what you're going to get.
--Forrest Gump
人生はチョコの詰まった箱のようなものだ。
あなたは何を得るかは決して知らない。
--フォレスト・ガンプ
(す)最後に、”地球温暖化”に悩む我々地球人全員にこの言葉を贈りたい。
In the long run,
we shape our lives and we shape ourselves.
The process never ends until we die,
and the choices that we make are ultimately our responsibility.
--Eleanor Roosevelt
長い目で見れば、
我々は我々の人生を形作り、我々自身を形作る。
そのプロセスは我々が死ぬまで決して終らない、
そして我々が取る選択の数々は最終的には我々の責任なのである。
--エレノア・ルーズベルト
この中から私流にちょっとジョークっぽく編集して、日本の各分野の人々への今年の”贈る言葉”とし、2006年度の私の年頭所感としたい。
(あ)まず、小泉首相やブッシュ大統領のような”ばか者”政治家たちにはこの言葉を贈りたい。
If you judge people, you have no time to love them.
--Mother Teresa
もしあなたが人々を審判するなら、あなたはその人たちを愛する時間がない。
--マザー・テレサ
(い)物理学の”非平衡系”の研究者たちにはこの言葉を贈りたい。
Life is riding a bicycle.
To keep your balance you must keep moving.
--Albert Einstein
人生とは自転車に乗るようなものだ。
バランスを保つためにはいつも動いていなくてはならない。
--アルバート・アインシュタイン
(う)ホリエモンや村上ファンドのような成り金”六本木ヒルズ族”にはこの言葉を贈りたい。
Everyone is trying to accomplish something big,
not realizing that life is made up of little things.
--Frank A. Clark
だれしも何か大きなことを達成しようと思うが、
しかし人生とは小さな物事の積み重ねであるとは実感することはない。
--フランク・A・クラーク
(え)日本中のニートたちにはこの言葉を贈りたい。
There are three ingredients to the good life:
learning, earning, and yearning.
--Christopher Marley
良い人生には3つの素材がある:学習、所得、そして憧れ。
--クリストファー・マーレイ
(お)少子化問題や老人化問題に悩む人々にはこの言葉を贈りたい。
Beautiful young people are accidents of nature,
but beautiful old people are words of art.
--Eleanor Roosevelt
美しい若者は自然の偶然、しかし美しい老人は言葉の芸術。
--エレノア・ルーズベルト
(か)女性差別の常習化している企業や官公庁や大学のお偉いさんたちには次の言葉を贈りたい。
A woman is like a tea bag.
You never know how strong she is until she gets into hot water.
--Eleanor Roosevelt
1人の女性はティーバッグのようなもの。
あなたは彼女を熱湯の中に入れてみるまでどれほど強いか決して知らない。
--エレノア・ルーズベルト
(き)学校の先生や教育関係者たちにはこの言葉を贈りたい。
The mediocre teacher tells.
The good teacher explains.
The superior teacher demonstrates.
The great teacher inspires.
--William Arthur Ward
凡庸な先生は、話す。
良い先生は、説明する。
優れた先生は、実演する。
偉大な先生は、感銘させる。
--ウィリアム・アーサー・ワード
(く)若い科学者たちにはこの言葉を贈りたい。
(自伝:歩む者のない道 0章 はじめに参照。)
Two roads diverged in a wood,
and I-I took the one less traveled by,
and that has made all the difference.
--Robert Frost
森の中で道が二つに分かれていた
そして私は人があまり通っていない道を選んだ
そのためにどんなに大きな違いができたことか
--ロバート・フロスト
(け)熟年離婚など、離婚の危機のある人たちにはこの言葉を贈りたい。
When a wife has a good husband it is easily seen in her face.
--Johann Wolfgang von Goethe
ある奥さんが良い夫を持っているかどうかは、顔から一目瞭然。
--ヨハン・ウォルフガング・フォン・ゲーテ
(こ)結婚前のカップルにはこの言葉を贈りたい。
Keep your eyes wide open before marriage,
half shut afterwards.
--Benjamin Franklin
結婚前には目を良く見開き、結婚後は半分目をつぶりなさい。
--ベンジャミン・フランクリン
(さ)新婚さんたちには、次の言葉を贈りたい。
In marriage, each partner is to be
an encourager rather than a critic,
a forgiver rather than a collector of hurts,
an enabler rather than a reformer.
--H. Norman Wright & Gary J.
結婚では、それぞれの伴侶は、
批評する人というよりは勇気づける人で、
痛みをかき集めてくる人というよりは許してあげる人で、
改良しようという人であるよりはしてあげる人であるべきである。
--H・ノーマン・ライト&ゲイリー・J.
(し)人生で思い悩んでいる人たちにはこの言葉を贈りたい。
Life is like a box of chocolates.
You never know what you're going to get.
--Forrest Gump
人生はチョコの詰まった箱のようなものだ。
あなたは何を得るかは決して知らない。
--フォレスト・ガンプ
(す)最後に、”地球温暖化”に悩む我々地球人全員にこの言葉を贈りたい。
In the long run,
we shape our lives and we shape ourselves.
The process never ends until we die,
and the choices that we make are ultimately our responsibility.
--Eleanor Roosevelt
長い目で見れば、
我々は我々の人生を形作り、我々自身を形作る。
そのプロセスは我々が死ぬまで決して終らない、
そして我々が取る選択の数々は最終的には我々の責任なのである。
--エレノア・ルーズベルト
[ 09:51 ]
[ スポーツ ]
いよいよ冬期オリンピック--トリノ・オリンピックが近付いて来た。私は個人的に非常に関心のある問題があるので、それをここで紹介しておこう。
今から5年前、ブログ時代が来るずっと以前、私は自分の掲示板:Kazumoto's scientific BBSを運営していた。これは、1年内であっという間に10万ヒットを記録し、当時理系分野ではかなり有名なサイトになった。この実験は、2年とちょっとで止めたのだが、そのちょうど花盛りの頃に『ソルトレイク・オリンピック』が開催され、NHKBSで全試合放映が行われたので、私はずっとこれを見ては、自分の掲示板にウィンタースポーツの解説を物理学者の観点から行った。
この掲示板から『ソルトレイク・オリンピック』に関する部分だけを抜き取ったのが、拙著『物理お宅博士のスポーツ観戦記ソルトレイクオリンピック2002』であった。このやり方は、昨年掲示板をそのままコピーした「電車男」でブレークし、世に知られるようになったが、私はすでに3年前にこれを行っていた。
この本は、当時掲示板の口調のまま書かれて読みにくいという評判のためほとんど売れていないが、今やかなり貴重かつ歴史的な意味を持つようになったと私は自負している。それは、この中でいくつか当時の次のオリンピック(つまり、今回のトリノ・オリンピック)の方向性を私が”予言”しているからである。
基本的には、私の掲示板に全文がそのまま残っているので、拙著を買う必要はなくそのまま読むことができる(#800番台にある)。すでに死んだ掲示板でも、今なお読み続ける人たちがいて、今では27万ヒット(当時程の勢いはないが)に至っている。
さて、その中で私は当時のスピードスケートの日本代表清水選手と堀井選手の滑り方、またアメリカのパーラ選手たちの滑り方などを分析した。中でも、スピードスケートに関してはソルトレイク・オリンピックは『スラップ・スケートの時代』へ真に突入した時代であった。この新しいスケート靴を掃きこなせたもの、かつ、この靴にあった新しいスケート走法を身につけたものだけが世界記録に繋がった。そういう時代の始まりであった。
例えば、#836 ウォザースプーンの悲劇とファンファルドの復活!2002/02/、
#849 クーンのパラダイム論再考:スポーツと科学の類似性!2002/02/19。
そんな中、”スピードスケートの革命”が起こったのである。そんなことは、毎日(慌ただしく生活し小林秀雄の評論が素晴らしいなどと言って)ぼんくらに生きているようなあなた方はもちろん御存じあるまい。それを私が解説したものが、
#852 NHKスケート解説者が思わず言った。これは新しい滑り方ですね!:スケート界の革命誕生!2002/02/20
であった。これは、今読んでも実に秀逸な分析である。
自己プレイジャリズム(自分の書いたものを乱用する)になってしまうが、4年前に書いたもので、多くの人は知らないはずなので、もう一度この部分を引用しておこう。
『スラップスケート時代は、
(1)陸上選手のようなコンパクトな縦の腕の振り。
(2)早いピッチ走法。
(3)後ろへの蹴り。
がもっとも物理的に適したフォーム。
では最後に、将来はどうなるか?これはどんどん選手が(1)-(3)
に対応してくるようになり、タイムが早くなるので、カーブの対応
の差になってくると言えるだろう。どんどん直線コースでは陸上
選手のように縦にストライドを伸ばし、早いピッチで来るようになる。
そして、余りにスピードが出過ぎて、カーブで転び易くなるだろう。
したがって、カーブ技術の勝負に変ってくる。
そこで、可能な対策は、スケートがショートトラックの選手
滑り方に変ってくるだろうということ。つまり、直線でダッシュし、
カーブでは手を付いてバランスを取りながら足を止めて回るような
カーブ技術に変るだろうということ。すなわち、
4)直線からカーブ前半でできる限りダッシュしてスピードを高め、
カーブの最後(膨らんだと良く言われるところ)で、最大限に
身体を倒し手を付いて足を固定してできる限り小さく回り、
最後の直線コースでラストスパートする
という滑りに変るだろう。」
だから、パーラ選手が手をつくのはバランスを崩したから手をつく
わけじゃない!!ショートトラックの選手のように、それがもっとも
自然なフォームだからだ。もっとも自分はバランスを取るために
手をついたと思っているんだろうがねー?
これが意味することは何か?そう、この世界記録スケーターの
パーラ選手こそ、将来何十年か後に、これが革命だったということ
になる選手なんだね!!彼はスケート世界のショートトラックスケーター
の第一号になったわけだ。これこそ革命だよ。ぜひ皆さんもこの
1500mを今晩見てね!次回のオリンピックからみんな彼のような
スケーティングになると思うよ(これ私の予想!4年後まで覚えていてね。)
堀井選手残念だったねー!しかしまだチャンスはあるよ。この
パーラ選手のような滑りをもっと身体能力を鍛えて身につければ
良い訳だからね!』
私は、前に書いたように、ソルトレイク・オリンピックが終わった後、こういった分析を本にまとめたのだが、当時最悪の悲劇的結果に終わった堀井選手を勇気づけるために1冊を送ってやった。しかし、堀井選手は引退。復活はならずであった。
今から5年前、ブログ時代が来るずっと以前、私は自分の掲示板:Kazumoto's scientific BBSを運営していた。これは、1年内であっという間に10万ヒットを記録し、当時理系分野ではかなり有名なサイトになった。この実験は、2年とちょっとで止めたのだが、そのちょうど花盛りの頃に『ソルトレイク・オリンピック』が開催され、NHKBSで全試合放映が行われたので、私はずっとこれを見ては、自分の掲示板にウィンタースポーツの解説を物理学者の観点から行った。
この掲示板から『ソルトレイク・オリンピック』に関する部分だけを抜き取ったのが、拙著『物理お宅博士のスポーツ観戦記ソルトレイクオリンピック2002』であった。このやり方は、昨年掲示板をそのままコピーした「電車男」でブレークし、世に知られるようになったが、私はすでに3年前にこれを行っていた。
この本は、当時掲示板の口調のまま書かれて読みにくいという評判のためほとんど売れていないが、今やかなり貴重かつ歴史的な意味を持つようになったと私は自負している。それは、この中でいくつか当時の次のオリンピック(つまり、今回のトリノ・オリンピック)の方向性を私が”予言”しているからである。
基本的には、私の掲示板に全文がそのまま残っているので、拙著を買う必要はなくそのまま読むことができる(#800番台にある)。すでに死んだ掲示板でも、今なお読み続ける人たちがいて、今では27万ヒット(当時程の勢いはないが)に至っている。
さて、その中で私は当時のスピードスケートの日本代表清水選手と堀井選手の滑り方、またアメリカのパーラ選手たちの滑り方などを分析した。中でも、スピードスケートに関してはソルトレイク・オリンピックは『スラップ・スケートの時代』へ真に突入した時代であった。この新しいスケート靴を掃きこなせたもの、かつ、この靴にあった新しいスケート走法を身につけたものだけが世界記録に繋がった。そういう時代の始まりであった。
例えば、#836 ウォザースプーンの悲劇とファンファルドの復活!2002/02/、
#849 クーンのパラダイム論再考:スポーツと科学の類似性!2002/02/19。
そんな中、”スピードスケートの革命”が起こったのである。そんなことは、毎日(慌ただしく生活し小林秀雄の評論が素晴らしいなどと言って)ぼんくらに生きているようなあなた方はもちろん御存じあるまい。それを私が解説したものが、
#852 NHKスケート解説者が思わず言った。これは新しい滑り方ですね!:スケート界の革命誕生!2002/02/20
であった。これは、今読んでも実に秀逸な分析である。
自己プレイジャリズム(自分の書いたものを乱用する)になってしまうが、4年前に書いたもので、多くの人は知らないはずなので、もう一度この部分を引用しておこう。
『スラップスケート時代は、
(1)陸上選手のようなコンパクトな縦の腕の振り。
(2)早いピッチ走法。
(3)後ろへの蹴り。
がもっとも物理的に適したフォーム。
では最後に、将来はどうなるか?これはどんどん選手が(1)-(3)
に対応してくるようになり、タイムが早くなるので、カーブの対応
の差になってくると言えるだろう。どんどん直線コースでは陸上
選手のように縦にストライドを伸ばし、早いピッチで来るようになる。
そして、余りにスピードが出過ぎて、カーブで転び易くなるだろう。
したがって、カーブ技術の勝負に変ってくる。
そこで、可能な対策は、スケートがショートトラックの選手
滑り方に変ってくるだろうということ。つまり、直線でダッシュし、
カーブでは手を付いてバランスを取りながら足を止めて回るような
カーブ技術に変るだろうということ。すなわち、
4)直線からカーブ前半でできる限りダッシュしてスピードを高め、
カーブの最後(膨らんだと良く言われるところ)で、最大限に
身体を倒し手を付いて足を固定してできる限り小さく回り、
最後の直線コースでラストスパートする
という滑りに変るだろう。」
だから、パーラ選手が手をつくのはバランスを崩したから手をつく
わけじゃない!!ショートトラックの選手のように、それがもっとも
自然なフォームだからだ。もっとも自分はバランスを取るために
手をついたと思っているんだろうがねー?
これが意味することは何か?そう、この世界記録スケーターの
パーラ選手こそ、将来何十年か後に、これが革命だったということ
になる選手なんだね!!彼はスケート世界のショートトラックスケーター
の第一号になったわけだ。これこそ革命だよ。ぜひ皆さんもこの
1500mを今晩見てね!次回のオリンピックからみんな彼のような
スケーティングになると思うよ(これ私の予想!4年後まで覚えていてね。)
堀井選手残念だったねー!しかしまだチャンスはあるよ。この
パーラ選手のような滑りをもっと身体能力を鍛えて身につければ
良い訳だからね!』
私は、前に書いたように、ソルトレイク・オリンピックが終わった後、こういった分析を本にまとめたのだが、当時最悪の悲劇的結果に終わった堀井選手を勇気づけるために1冊を送ってやった。しかし、堀井選手は引退。復活はならずであった。
今回のトリノ・オリンピックに向けて非常に素晴らしいことが起こった。それが、500mで世界記録を出し日本代表となった加藤条治選手である。
「10年に一人」同じ道歩む 〈ともにトリノ:3〉
清水選手も「10年に1人の逸材」と呼ぶ天才的スケーターの登場である。
昨日、偶然この加藤条治選手のスケートを取り上げた番組があった。面白いことに、加藤選手のすべりをビデオを見て分析していたのが、堀井氏であった。加藤選手を表現する言葉は、”飛ぶようにカーブを走る”であり、この”飛ぶように”という意味は、「カーブをまったくスピードを落とさず走り抜けることができる」という意味である。そしてその理由には、加藤選手の子供の頃に秘密があった。ビデオにしっかりと残されていたものは、なんと加藤選手はまず最初にショートトラックの選手として出発したのである。子供の頃は、ショートトラックの選手のようにカーブを曲がる練習を身につけ、かなり後半になってからスピードスケーターに変身したのである。事実、加藤選手のカーブ時のすべりは普通の選手とは全く違うという。それが”飛ぶように曲がる”の意味だった。
これが、アメリカのショートトラックの選手であったパーラ選手が革命を起こしたように、現在500mで加藤選手が”革命児”である理由なのである。実際、スピードスケートのリンクであっても、ショートトラックの選手のように滑ることができれば、現在の世界記録33秒台から32秒台、さらには30秒台ですら夢ではないのである。
スピードスケーターは、まだカーブで手をついて回ってはいない。
「10年に一人」同じ道歩む 〈ともにトリノ:3〉
清水選手も「10年に1人の逸材」と呼ぶ天才的スケーターの登場である。
昨日、偶然この加藤条治選手のスケートを取り上げた番組があった。面白いことに、加藤選手のすべりをビデオを見て分析していたのが、堀井氏であった。加藤選手を表現する言葉は、”飛ぶようにカーブを走る”であり、この”飛ぶように”という意味は、「カーブをまったくスピードを落とさず走り抜けることができる」という意味である。そしてその理由には、加藤選手の子供の頃に秘密があった。ビデオにしっかりと残されていたものは、なんと加藤選手はまず最初にショートトラックの選手として出発したのである。子供の頃は、ショートトラックの選手のようにカーブを曲がる練習を身につけ、かなり後半になってからスピードスケーターに変身したのである。事実、加藤選手のカーブ時のすべりは普通の選手とは全く違うという。それが”飛ぶように曲がる”の意味だった。
これが、アメリカのショートトラックの選手であったパーラ選手が革命を起こしたように、現在500mで加藤選手が”革命児”である理由なのである。実際、スピードスケートのリンクであっても、ショートトラックの選手のように滑ることができれば、現在の世界記録33秒台から32秒台、さらには30秒台ですら夢ではないのである。
スピードスケーターは、まだカーブで手をついて回ってはいない。
2006/01/03のBlog
[ 23:09 ]
[ 高校サッカー ]
徳島新聞:徳島商8強ならず 全国高校サッカー、鹿児島実に完敗
読売新聞:高校サッカー、鹿実などベスト8へ国見が敗れる波乱
鹿児島実業対徳島商業戦は、今日の午後3時半キックオフ。結果は、5-0(3-0, 2-0)で鹿実が徳商を一蹴した。これで徳商の快進撃は3回戦で終わった。しかし大健闘といえるだろう。
鹿実は、やはりランク上だった。鹿実は、徳島県のチームにはない厳しい寄せで徳商のトップ下の司令塔斎賀選手を3人で取り囲み自由にフレーさせず全く仕事をさせなかった。そのため、良いパスがトップの選手に渡らず試合にならなかった。チャンスの決定期の精度の違いが得点の差になった。運動量も鹿実が上だった。徳商の久々の完敗と言えるだろう。しかし、この結果はある程度予想がついたが、この経験は来年に生きるだろう。
というのは、【高校サッカー県予選決勝】で
”しかし、徳島商業と阿波の両校に言えることは、試合中に選手が足をつらせる場面が多く、走り込みが足りないことを物語っていた。また、お互いに当たりが弱い。特に、パスコースの読みとトラップの時へのタックルやアタックがほとんどなく、お互いに自由にボールにプレーできた。これを私は”徳島のサッカーはフットサルのようだ”と言っているのである。相手に自由にボールコントロールさせてはサッカーではない。
(あ)相手にボールがわたる前に出ていってボールをカットする。
(い)トラッピングをさせない。
(う)シュートは身体でブロックする。
(え)最後までボールを追い続ける。
(お)サイドからスライディングタックルでボールを奪う。
こういった基本が両チームともまだまだ甘いように感じた。徳島県人特有の”甘さ”や”人の良さ”や”やさしさ”が出ていた試合であったと私は見る。これでは、全国大会に出ても九州や関東のチームにはまず勝てないだろうと思う。なぜなら、関東のチームはもっともっと”激しく”、せちがらいプレーをするからである。”
と分析したように、厳しいサッカーとはどんなものか、初めて徳商は理解できたのではないかと思うからである。
一方、もっと厳しいサッカーをしていたのが大阪朝鮮であった。本当に厳しい大阪予選を勝ち抜いて来ただけに、実に素晴らしいチームであった。優勝候補の一角にランクできる好チームである。
読売新聞:高校サッカー、鹿実などベスト8へ国見が敗れる波乱
鹿児島実業対徳島商業戦は、今日の午後3時半キックオフ。結果は、5-0(3-0, 2-0)で鹿実が徳商を一蹴した。これで徳商の快進撃は3回戦で終わった。しかし大健闘といえるだろう。
鹿実は、やはりランク上だった。鹿実は、徳島県のチームにはない厳しい寄せで徳商のトップ下の司令塔斎賀選手を3人で取り囲み自由にフレーさせず全く仕事をさせなかった。そのため、良いパスがトップの選手に渡らず試合にならなかった。チャンスの決定期の精度の違いが得点の差になった。運動量も鹿実が上だった。徳商の久々の完敗と言えるだろう。しかし、この結果はある程度予想がついたが、この経験は来年に生きるだろう。
というのは、【高校サッカー県予選決勝】で
”しかし、徳島商業と阿波の両校に言えることは、試合中に選手が足をつらせる場面が多く、走り込みが足りないことを物語っていた。また、お互いに当たりが弱い。特に、パスコースの読みとトラップの時へのタックルやアタックがほとんどなく、お互いに自由にボールにプレーできた。これを私は”徳島のサッカーはフットサルのようだ”と言っているのである。相手に自由にボールコントロールさせてはサッカーではない。
(あ)相手にボールがわたる前に出ていってボールをカットする。
(い)トラッピングをさせない。
(う)シュートは身体でブロックする。
(え)最後までボールを追い続ける。
(お)サイドからスライディングタックルでボールを奪う。
こういった基本が両チームともまだまだ甘いように感じた。徳島県人特有の”甘さ”や”人の良さ”や”やさしさ”が出ていた試合であったと私は見る。これでは、全国大会に出ても九州や関東のチームにはまず勝てないだろうと思う。なぜなら、関東のチームはもっともっと”激しく”、せちがらいプレーをするからである。”
と分析したように、厳しいサッカーとはどんなものか、初めて徳商は理解できたのではないかと思うからである。
一方、もっと厳しいサッカーをしていたのが大阪朝鮮であった。本当に厳しい大阪予選を勝ち抜いて来ただけに、実に素晴らしいチームであった。優勝候補の一角にランクできる好チームである。
2006/01/02のBlog
[ 16:25 ]
[ 高校サッカー ]
今日の午後、徳島商業は、1回戦で山梨代表甲府東を5-2で破った奈良代表一条高校と2回戦で対戦した。結果は3-0(1-0, 2-0)で快勝した。次は昨年優勝校の鹿児島実業と対戦する。最初の最難関がやってきたが、善戦を期待したいところである。
今日の試合結果:鹿児島実・国見など3回戦へ、星稜敗退高校サッカー
今日の試合結果:鹿児島実・国見など3回戦へ、星稜敗退高校サッカー
2006/01/01のBlog
[ 10:14 ]
[ 管理人から ]
明けましておめでとうございます。
果たして今年はどんな年になることでしょうか?
大変興味深いところです。
私の予感では、かなり厳しい年になるような感じがします。
それはさておき、当ブログは、3年目に入ります。
これは、私の日記というよりは、
私のメモ代わり、覚え書き代わりに書いているものなので、
時にはかなり厳しく、辛らつに、
時には冗談ぽく、
時には知的に、
時には非常に数学的かつ科学的に
相変わらず好き勝手に書いていますが、ご了承ください。
何か参考になるところのみ取捨選択してお読みになることをお勧めします。
最後になりましたが、
皆様にとって今年も良い年となりますよう願っています。
また皆様の御幸福と御健康を心からお祈りいたします。
今年もよろしくお願いします。
果たして今年はどんな年になることでしょうか?
大変興味深いところです。
私の予感では、かなり厳しい年になるような感じがします。
それはさておき、当ブログは、3年目に入ります。
これは、私の日記というよりは、
私のメモ代わり、覚え書き代わりに書いているものなので、
時にはかなり厳しく、辛らつに、
時には冗談ぽく、
時には知的に、
時には非常に数学的かつ科学的に
相変わらず好き勝手に書いていますが、ご了承ください。
何か参考になるところのみ取捨選択してお読みになることをお勧めします。
最後になりましたが、
皆様にとって今年も良い年となりますよう願っています。
また皆様の御幸福と御健康を心からお祈りいたします。
今年もよろしくお願いします。
2005/12/31のBlog
[ 17:47 ]
[ 高校サッカー ]
読売新聞:滝川二が常葉橘下す高校サッカー第2日
「第84回全国高校サッカー選手権」は昨日から始まったが、徳島県代表の徳島商業は、今日、関門であった初戦を見事に突破した。これで波に乗って連戦連破の快進撃を期待したいところである。
「第84回全国高校サッカー選手権」は昨日から始まったが、徳島県代表の徳島商業は、今日、関門であった初戦を見事に突破した。これで波に乗って連戦連破の快進撃を期待したいところである。
2005/12/30のBlog
[ 12:55 ]
[ 科学 ]
世の中には本当に賢い人物というものがいるものである。こうした人物がごくふつうに世間に知られるとは限らない。多くの場合には、全くの無名であることのほうが多いかも知れない。
私がずっと聖書のようにして愛読して来ている本がある。これは、エリッヒ・ヤンツという人が書いた「自己組織化する宇宙」(工作舎)という本である。この著者のヤンツ博士はいわゆる普通の科学者ではない。むしろかなり異端的な人物である。この点、建築家の域を遥かに超越してしまったバックミンスター・フラーに似ている。事実、発想、扱うテーマも非常に似ている。
私がずっと聖書のようにして愛読して来ている本がある。これは、エリッヒ・ヤンツという人が書いた「自己組織化する宇宙」(工作舎)という本である。この著者のヤンツ博士はいわゆる普通の科学者ではない。むしろかなり異端的な人物である。この点、建築家の域を遥かに超越してしまったバックミンスター・フラーに似ている。事実、発想、扱うテーマも非常に似ている。
さて、この本の一節に非常に不思議なことが書かれている。この本の「第10章:生命の循環プロセス」という章の中に「10・3節--自己創出的自己再生システム」というものがある。この中の373ページにそれはある。もしこれが事実なのであれば、ちまたで騒いでいる鳥インフルエンザの類いの問題はかなりもっと深い考察が必要となるだろう。
ここでは、生命の循環プロセスの説明が中心で、こういったプロセスの分類を行ったアイゲン-シュスター理論を紹介している。この中の一つとして、インフルエンザの流行サイクルの研究が紹介されている。
インフルエンザ・ウィルスは、アイゲン-シュスター理論で言えば、「サブタイプA・3」型の自己再生システムに分類される。このタイプは、”自己触媒ユニットIiが準定常にある触媒的ハイパーサイクル”である。(ここでいうサブタイプA・3型は下で述べるウィルスのサブタイプA0--A5とは別のアイゲン-シュスター理論のハイパーサイクルの分類名であるので混同しないこと)
インフルエンザ・ウィルスA型の進化はこうである。
インフルエンザ・ウィルスA型は数年(だいたい4年)をかけ、ウィルスのサブタイプ内で、ある種のアミノ酸をより高分子アミノ酸に変える。この進化により、このウィルスは標的とする我々動物の免疫系から逃れようとする。しかし、遅かれ早かれ、動物の免疫系のえじきとなり、袋小路に落ち込む。
すると、わずかに生き残ったウィルスの中から、そのサブタイプの基本形が突然変異を起こして今までとは違ったアミノ酸を作り出す。これが新たなサブタイプを形成する(註:現在に当てはめれば、これが新しい鳥インフルエンザに対応する)。
このサブタイプの個体群がはじめてあらわれる時、インフルエンザは世界的に流行し、世界中で何千万人もに及ぶ死者を出す。世界の脅威となる深刻な事態を引き起こす。
サブタイプA5型が最初に現れたのが1918年で、数カ月で2000万人の死者を出したという。これが「スペイン風邪」であった。
しかし、人間社会はかなり複雑で、過去においてこうした経験を生き延びた人々もいる。だから例えスペイン風邪であったとしても、この流行がさまざまな地域に住む人々を経る内に、それぞれの地域の人々の持つ免疫系で対処し、その流行も”ある程度”食い止められることとなる。もちろん、その間には多くの人々が犠牲となる。
新しく生まれたインフルエンザ・ウィルスもサブタイプの進化の際のアミノ酸配列には限りがあるため、無制限に進行することはない。そこで、再び数年周期の流行に落ち着き、徐々に動物の免疫系のえじきとなる。
こうして、新しいサブタイプの進化の物語は一つのサイクルを生み出す。それが、この本の373ページにある図35である。
ーーーーーーーーーーーーーー1946
ーーーーーーーーA0→→→→→A1
ーーーー1933↑ーーーーーー↓
ーーーーーーーー↑ーーーーーー↓1889、1957(*アジア風邪)
ーーーーーーーーA5ーーーーーA2
ーーーー1918↑ーーーーーー↓
(スペイン風邪)↑ーーーーーー↓1900、1968(香港風邪)
ーーーーーーーーA4←←←←←A3
ーーーーーーーーー1910(*ソ連風邪)
ーーーーーーーーー1978(ブラジル風邪、*ソ連型インフルエンザ)
*は私が追加。ちなみにインフルエンザ・ウィルスの発見は1933年のこと。
これを発見したのは、長期的な「インフルエンザ・ウィルスA型の進化」の研究を行ったステファン・ファズカ・ド・サン・グロス博士という科学者であるという。しかしこの偉大な人物の名を知る人はほとんどいないだろう。世間とはそう類いのものである。
ところで、これによれば、このサイクルの周期はほぼ70年である。つまり、1900年に最初の香港風邪が発生してからもう一度香港風邪が発生するまでの時間がおよそ70年ということである。これは1910年のブラジル風邪、1918年のスペイン風邪でも同様である。スペイン風邪は1918年に最初に発生したので、次の発生は1988年が予想されるが、この研究は1976年に公表されたものなので、このデータは記されていない。
このことからすれば、1933年発生のインフルエンザA0型は2003年に2度目、1946年発生のインフルエンザA1型は2016年に2度目、1957年発生のアジア風邪は2027年に2度目がやってくるということとなる。
ここでは、生命の循環プロセスの説明が中心で、こういったプロセスの分類を行ったアイゲン-シュスター理論を紹介している。この中の一つとして、インフルエンザの流行サイクルの研究が紹介されている。
インフルエンザ・ウィルスは、アイゲン-シュスター理論で言えば、「サブタイプA・3」型の自己再生システムに分類される。このタイプは、”自己触媒ユニットIiが準定常にある触媒的ハイパーサイクル”である。(ここでいうサブタイプA・3型は下で述べるウィルスのサブタイプA0--A5とは別のアイゲン-シュスター理論のハイパーサイクルの分類名であるので混同しないこと)
インフルエンザ・ウィルスA型の進化はこうである。
インフルエンザ・ウィルスA型は数年(だいたい4年)をかけ、ウィルスのサブタイプ内で、ある種のアミノ酸をより高分子アミノ酸に変える。この進化により、このウィルスは標的とする我々動物の免疫系から逃れようとする。しかし、遅かれ早かれ、動物の免疫系のえじきとなり、袋小路に落ち込む。
すると、わずかに生き残ったウィルスの中から、そのサブタイプの基本形が突然変異を起こして今までとは違ったアミノ酸を作り出す。これが新たなサブタイプを形成する(註:現在に当てはめれば、これが新しい鳥インフルエンザに対応する)。
このサブタイプの個体群がはじめてあらわれる時、インフルエンザは世界的に流行し、世界中で何千万人もに及ぶ死者を出す。世界の脅威となる深刻な事態を引き起こす。
サブタイプA5型が最初に現れたのが1918年で、数カ月で2000万人の死者を出したという。これが「スペイン風邪」であった。
しかし、人間社会はかなり複雑で、過去においてこうした経験を生き延びた人々もいる。だから例えスペイン風邪であったとしても、この流行がさまざまな地域に住む人々を経る内に、それぞれの地域の人々の持つ免疫系で対処し、その流行も”ある程度”食い止められることとなる。もちろん、その間には多くの人々が犠牲となる。
新しく生まれたインフルエンザ・ウィルスもサブタイプの進化の際のアミノ酸配列には限りがあるため、無制限に進行することはない。そこで、再び数年周期の流行に落ち着き、徐々に動物の免疫系のえじきとなる。
こうして、新しいサブタイプの進化の物語は一つのサイクルを生み出す。それが、この本の373ページにある図35である。
ーーーーーーーーーーーーーー1946
ーーーーーーーーA0→→→→→A1
ーーーー1933↑ーーーーーー↓
ーーーーーーーー↑ーーーーーー↓1889、1957(*アジア風邪)
ーーーーーーーーA5ーーーーーA2
ーーーー1918↑ーーーーーー↓
(スペイン風邪)↑ーーーーーー↓1900、1968(香港風邪)
ーーーーーーーーA4←←←←←A3
ーーーーーーーーー1910(*ソ連風邪)
ーーーーーーーーー1978(ブラジル風邪、*ソ連型インフルエンザ)
*は私が追加。ちなみにインフルエンザ・ウィルスの発見は1933年のこと。
これを発見したのは、長期的な「インフルエンザ・ウィルスA型の進化」の研究を行ったステファン・ファズカ・ド・サン・グロス博士という科学者であるという。しかしこの偉大な人物の名を知る人はほとんどいないだろう。世間とはそう類いのものである。
ところで、これによれば、このサイクルの周期はほぼ70年である。つまり、1900年に最初の香港風邪が発生してからもう一度香港風邪が発生するまでの時間がおよそ70年ということである。これは1910年のブラジル風邪、1918年のスペイン風邪でも同様である。スペイン風邪は1918年に最初に発生したので、次の発生は1988年が予想されるが、この研究は1976年に公表されたものなので、このデータは記されていない。
このことからすれば、1933年発生のインフルエンザA0型は2003年に2度目、1946年発生のインフルエンザA1型は2016年に2度目、1957年発生のアジア風邪は2027年に2度目がやってくるということとなる。
一方、図から分かるもう一つのことは、A1からA2の流行のように、隣のサブタイプへの流行はだいたい12年前後(8--15年)というところである。
これは、実に面白い。東洋にある占いや占星術にある、いわゆる”厄年”というのは、だいたいこの周期で訪れるからである。つまり、インフルエンザという重篤な症状を引き起こす病気の周期が70年という人間の寿命とだいたい一致し(これはヤンツ博士が本で指摘している)、一方のサブタイプ間の転移周期が厄年にほぼ一致しているということになるからである。
事実、厄年早見表を使ってみれば、”小厄”というのが2--5年周期、”大厄”というのが12--15年周期にあるということが分かり、見事な一致を見せる。私の観点で言い換えれば、”小厄”とはインフルエンザ・ウィルスAのサブタイプの変化にさらされることであり、”大厄”とはサブタイプの基本形の変異にさらされるということなのである。
これを私の場合で説明してみよう。私は1957年に誕生したが、この年にアジア風邪が大流行。しかし、新生児であったために母乳による母体の免疫機構に助けられ生き延びる。11才の頃、香港風。21歳でブラジル風邪、1988年に31歳で、スペイン風邪の2度目。2003年、46歳で1933年発生のインフルエンザA0型の2度目に遭遇、ということになる。これがおおよそ、私の”厄年”の”大厄”と重なるのはほぼ明らかだろう。このようなわけで、私の場合は3度目のアジア風邪の流行となるはずの2027年70歳くらいが非常に危険な時期となる。
以上から、ネットワーク研究、インフルエンザ研究、東洋占いなどが、絶妙に結びつくということがお分かりであろう。
このように物事の理解が深まると、空がひときわ青々と見える。
これは、実に面白い。東洋にある占いや占星術にある、いわゆる”厄年”というのは、だいたいこの周期で訪れるからである。つまり、インフルエンザという重篤な症状を引き起こす病気の周期が70年という人間の寿命とだいたい一致し(これはヤンツ博士が本で指摘している)、一方のサブタイプ間の転移周期が厄年にほぼ一致しているということになるからである。
事実、厄年早見表を使ってみれば、”小厄”というのが2--5年周期、”大厄”というのが12--15年周期にあるということが分かり、見事な一致を見せる。私の観点で言い換えれば、”小厄”とはインフルエンザ・ウィルスAのサブタイプの変化にさらされることであり、”大厄”とはサブタイプの基本形の変異にさらされるということなのである。
これを私の場合で説明してみよう。私は1957年に誕生したが、この年にアジア風邪が大流行。しかし、新生児であったために母乳による母体の免疫機構に助けられ生き延びる。11才の頃、香港風。21歳でブラジル風邪、1988年に31歳で、スペイン風邪の2度目。2003年、46歳で1933年発生のインフルエンザA0型の2度目に遭遇、ということになる。これがおおよそ、私の”厄年”の”大厄”と重なるのはほぼ明らかだろう。このようなわけで、私の場合は3度目のアジア風邪の流行となるはずの2027年70歳くらいが非常に危険な時期となる。
以上から、ネットワーク研究、インフルエンザ研究、東洋占いなどが、絶妙に結びつくということがお分かりであろう。
このように物事の理解が深まると、空がひときわ青々と見える。
2005/12/29のBlog
[ 21:26 ]
[ 社会 ]
昨日”論文ねつ造”に罰則?で紹介した文部科学省の動き(読売新聞記事:論文ねつ造に罰則、研究費返還請求も文科省が導入へ)を受けて、日本学術会議でも「科学者の規範作り」に着手する動きのようである。
読売新聞:不正続発、科学者の規範作りへ学術会議が検討委
学術会議のこの方式では、委員は学識者12人で構成。「科学者の規範作り」の他に”学者のための最高裁”の役目も作るという。
委員長の浅島誠・東京大教授は言う。
「大学法人化、競争的資金が拡大し、短期的な成果を求める風潮が強まったため、不正行為が生じやすくなった。自己抑制のための規範が必要となった。」
この動き自体は良い傾向である。が、しかしまだまだ甘いといえるだろう。
なぜなら、まずは日本の大学内で『プレイジャリズム』や『カンニング』が不正行為であるという徹底した教育が必要だからだ。まずはまっ先に『プレイジャリズム』や『カンニング』を撲滅しなくてはいけないのだ。
他人の文章を勝手に拝借する。
他人のアイデアを勝手に使う。
他人のメロディーやリズムを勝手に利用し自分の曲に加える。
他人の本を勝手にコピーする。
こうした行為が『プレイジャリズム』である。
他人の答えを盗み見て書き写す。
他人から答えを教えてもらう。
こっそり解答を見て書き写す。
カンニングメモを使う。
こうした行為が『カンニング(英語のcheating)』である。
日本ではこのあたりが高校・大学レベルで全く行われていない。これが本当の問題なのである。高校や大学で身につけた『プレイジャリズム』や『カンニング』行為が大人となってその内科学者の不正行為へと発展していくのである。私はそう思う。
参考:
プレイジャリズムとは?、
【323】 『アットホーム・ダッド』にみるプレイジャリズム 2004/06/26(Sat)、
『小説家を見つけたら』もプレイジャリズムがテーマ、
”科学者の捏造論文”vs”文芸人の無断盗用”
さて「科学者の規範作り」という意味では、上で述べたような研究を行う”専門家”という意味での”規範”の他にもう一つのものがある。それは、科学者が一般人に科学を啓蒙する際の”啓蒙家”という意味での”規範”である。
「捏造論文」は前者の意味の問題点である。しかし、例えば、「世界一受けたい授業」というようなアマチュア向けのテレビ番組(バラエティー番組)などにおける科学者のいい加減な「啓蒙もどき」(これは啓蒙ではなく、コマーシャル化した余興)というようなものは後者の意味の問題点である。
自称脳科学研究者の「なんでもかんでもクオリアに結びつく」類いの論説、あるいは自称物理学の大家による「いい加減な相対性理論」の説明、など枚挙に限りがない。こうした一見茶の間に科学の息吹を吹き込む風の啓蒙は、本来の啓蒙活動とはほど遠い「啓蒙もどき」のものにすぎない。笑いをとるおちゃらけ番組やお笑い番組と科学は相容れない。命を賭けた真剣な思考にちゃちゃは似合わない。そういうものなのである。
同様に、書籍による「啓蒙もどき」もたいへん問題があるというべきだろう。
例えば、自称脳科学者あるいは自分が脳研究している科学者であれば、何でもかんでも脳に直結するといって文芸や芸術や人の感性に至まで、好き勝手にいい加減なことを言って本を書いて良いのか、という問題である。これは養老孟司に始まり茂木健一郎に繋がるゆゆしき問題である。単なる脳科学者あがりの作家であるのか、現役の脳科学者の高説であるのか、単なる個人としての意見の表明に過ぎないのか、このあたりに曖昧さがある。何でもいいから適当に本を作って売れれば良いというものではなかろう。こういうやり方では結果としてその著者に対する良き理解者(信奉者)は増えるかも知れないが、科学そのものの良き理解者が増えることはない。
つまり、自分が物理学者であれば、一般の人が知らないだろう物理学のことをネタにして、そのオブラートに包み、何でもかんでも自分の感性を押し付けることが物理学の啓蒙と言えるのか、というような問題である。
より簡潔に言えば、もし政治問題を論じたければ、そこにはそれを論じる際に論じる我々の職業は何ら関係しない。みな同じ土俵に乗って政治問題を論じれば良い事であろう。特に自分が学者だから、自分が脳科学者だから特別ということにはならない。学者だから政治問題が理解できるということもないはずであろう。なぜなら政治とはすべての人に関わる人間の基本としての問題だからである。
同様に、社会問題を論じたければ、個人として、学者として、専門家として、それぞれの立場があり、その都度自分の立場を明確にして論じればそれで良い。脳科学の問題は脳科学者の立場で論じることができる。
しかし、一方の”啓蒙もどき”のやり方とは、脳科学には政治問題はどう見えるか、というような視点で脳科学者である自分を特別視するというようなやり方である。英語で言うテイク・イニシアティブ(主導権を握る)やり方といえるだろう。かなり卑怯で巧妙なやり方である。なぜなら、「脳科学には政治問題はどう見えるか」と問いかけた瞬間に脳科学者以外のものはすべて論壇から除外され、聞き手に回されるからである。
ここには巧妙に仕組まれた罠(悪意と言っても良い)がある。それは、一見脳科学という一般的なもっともらしい学問が代表されるが、その次に実際に行われることは、特定の脳科学者個人にどう見えるか、という問題に”摺り替え”られ、その著者の意見があたかも脳科学者全員の意見のような体裁を整えて出てくるからである。
つまり、ある人物が「脳科学の啓蒙」と称して、「政治問題は脳科学にどう見えるか」というようなテーマの本を出すと、実際には「政治問題はその人物にとってどう見えるか」という内容であるにもかかわらず、それがさも脳科学の一般論であるかのように一般人に受け取られかねないのである。こうした啓蒙もどきを啓蒙と錯覚すれば、その当事者は短期的には本が売れて儲かるかもしれないが、長期的には社会にとって害悪となるのである。
私は昨今の日本の文芸界や出版界にあるこうした風潮が文芸界や出版界そのものから生み出されて来たのか、あるいは特定の個人によって生み出されて来たのかは知らないが、非常に見苦しい風潮であると感じている。これが、私が”啓蒙もどき”と呼ぶ、科学者のもう一つの不正問題なのである。
果たしてこんな問題にも学術会議や文部科学省が規範作りに着手するのかどうかは私は知らないが、現在の日本の科学界には主に2つのタイプの規範作りが必要なのである。
読売新聞:不正続発、科学者の規範作りへ学術会議が検討委
学術会議のこの方式では、委員は学識者12人で構成。「科学者の規範作り」の他に”学者のための最高裁”の役目も作るという。
委員長の浅島誠・東京大教授は言う。
「大学法人化、競争的資金が拡大し、短期的な成果を求める風潮が強まったため、不正行為が生じやすくなった。自己抑制のための規範が必要となった。」
この動き自体は良い傾向である。が、しかしまだまだ甘いといえるだろう。
なぜなら、まずは日本の大学内で『プレイジャリズム』や『カンニング』が不正行為であるという徹底した教育が必要だからだ。まずはまっ先に『プレイジャリズム』や『カンニング』を撲滅しなくてはいけないのだ。
他人の文章を勝手に拝借する。
他人のアイデアを勝手に使う。
他人のメロディーやリズムを勝手に利用し自分の曲に加える。
他人の本を勝手にコピーする。
こうした行為が『プレイジャリズム』である。
他人の答えを盗み見て書き写す。
他人から答えを教えてもらう。
こっそり解答を見て書き写す。
カンニングメモを使う。
こうした行為が『カンニング(英語のcheating)』である。
日本ではこのあたりが高校・大学レベルで全く行われていない。これが本当の問題なのである。高校や大学で身につけた『プレイジャリズム』や『カンニング』行為が大人となってその内科学者の不正行為へと発展していくのである。私はそう思う。
参考:
プレイジャリズムとは?、
【323】 『アットホーム・ダッド』にみるプレイジャリズム 2004/06/26(Sat)、
『小説家を見つけたら』もプレイジャリズムがテーマ、
”科学者の捏造論文”vs”文芸人の無断盗用”
さて「科学者の規範作り」という意味では、上で述べたような研究を行う”専門家”という意味での”規範”の他にもう一つのものがある。それは、科学者が一般人に科学を啓蒙する際の”啓蒙家”という意味での”規範”である。
「捏造論文」は前者の意味の問題点である。しかし、例えば、「世界一受けたい授業」というようなアマチュア向けのテレビ番組(バラエティー番組)などにおける科学者のいい加減な「啓蒙もどき」(これは啓蒙ではなく、コマーシャル化した余興)というようなものは後者の意味の問題点である。
自称脳科学研究者の「なんでもかんでもクオリアに結びつく」類いの論説、あるいは自称物理学の大家による「いい加減な相対性理論」の説明、など枚挙に限りがない。こうした一見茶の間に科学の息吹を吹き込む風の啓蒙は、本来の啓蒙活動とはほど遠い「啓蒙もどき」のものにすぎない。笑いをとるおちゃらけ番組やお笑い番組と科学は相容れない。命を賭けた真剣な思考にちゃちゃは似合わない。そういうものなのである。
同様に、書籍による「啓蒙もどき」もたいへん問題があるというべきだろう。
例えば、自称脳科学者あるいは自分が脳研究している科学者であれば、何でもかんでも脳に直結するといって文芸や芸術や人の感性に至まで、好き勝手にいい加減なことを言って本を書いて良いのか、という問題である。これは養老孟司に始まり茂木健一郎に繋がるゆゆしき問題である。単なる脳科学者あがりの作家であるのか、現役の脳科学者の高説であるのか、単なる個人としての意見の表明に過ぎないのか、このあたりに曖昧さがある。何でもいいから適当に本を作って売れれば良いというものではなかろう。こういうやり方では結果としてその著者に対する良き理解者(信奉者)は増えるかも知れないが、科学そのものの良き理解者が増えることはない。
つまり、自分が物理学者であれば、一般の人が知らないだろう物理学のことをネタにして、そのオブラートに包み、何でもかんでも自分の感性を押し付けることが物理学の啓蒙と言えるのか、というような問題である。
より簡潔に言えば、もし政治問題を論じたければ、そこにはそれを論じる際に論じる我々の職業は何ら関係しない。みな同じ土俵に乗って政治問題を論じれば良い事であろう。特に自分が学者だから、自分が脳科学者だから特別ということにはならない。学者だから政治問題が理解できるということもないはずであろう。なぜなら政治とはすべての人に関わる人間の基本としての問題だからである。
同様に、社会問題を論じたければ、個人として、学者として、専門家として、それぞれの立場があり、その都度自分の立場を明確にして論じればそれで良い。脳科学の問題は脳科学者の立場で論じることができる。
しかし、一方の”啓蒙もどき”のやり方とは、脳科学には政治問題はどう見えるか、というような視点で脳科学者である自分を特別視するというようなやり方である。英語で言うテイク・イニシアティブ(主導権を握る)やり方といえるだろう。かなり卑怯で巧妙なやり方である。なぜなら、「脳科学には政治問題はどう見えるか」と問いかけた瞬間に脳科学者以外のものはすべて論壇から除外され、聞き手に回されるからである。
ここには巧妙に仕組まれた罠(悪意と言っても良い)がある。それは、一見脳科学という一般的なもっともらしい学問が代表されるが、その次に実際に行われることは、特定の脳科学者個人にどう見えるか、という問題に”摺り替え”られ、その著者の意見があたかも脳科学者全員の意見のような体裁を整えて出てくるからである。
つまり、ある人物が「脳科学の啓蒙」と称して、「政治問題は脳科学にどう見えるか」というようなテーマの本を出すと、実際には「政治問題はその人物にとってどう見えるか」という内容であるにもかかわらず、それがさも脳科学の一般論であるかのように一般人に受け取られかねないのである。こうした啓蒙もどきを啓蒙と錯覚すれば、その当事者は短期的には本が売れて儲かるかもしれないが、長期的には社会にとって害悪となるのである。
私は昨今の日本の文芸界や出版界にあるこうした風潮が文芸界や出版界そのものから生み出されて来たのか、あるいは特定の個人によって生み出されて来たのかは知らないが、非常に見苦しい風潮であると感じている。これが、私が”啓蒙もどき”と呼ぶ、科学者のもう一つの不正問題なのである。
果たしてこんな問題にも学術会議や文部科学省が規範作りに着手するのかどうかは私は知らないが、現在の日本の科学界には主に2つのタイプの規範作りが必要なのである。
2005/12/28のBlog
[ 16:32 ]
[ 社会 ]
さて、ついでに加えておけば、”科学者の捏造論文”に匹敵するのが、文学者や作家やジャーナリストたちによる、『”プレイジャリズム”の問題』なのである。
(プレイジャリズムとは?、【323】 『アットホーム・ダッド』にみるプレイジャリズム 2004/06/26(Sat)、
『小説家を見つけたら』もプレイジャリズムがテーマ参照。)
プレイジャリズムとは、”他人の発想やアイデアや言葉や記事や内容などを相手や読者に無断で盗用(あるいは転用)する行為”、のことである。
日本のちまたでは、さまざまな文学賞がある。かなり有名なものに『小林秀雄賞』があるが、私は”小林秀雄的なるもの”は以前から非常に忌み嫌って来た(”小林秀雄的なる人々”)。そこでは、『論語読みの論語知らず』が小林秀雄的なる人々の特徴であるからだ、という見解であった。
しかし、なぜ無意識の内に私が忌み嫌うのかということのもっと本質的なものは、この”プレイジャリズム”の問題ではないか、と最近は思うようになったのである。
ある事柄に自分の考えや論評を加えることは良い。しかし、それに出てくる言葉や概念が自分の創始したものでなければその最初のオリジナルの出典(だれから、どこから、いつから使われるようになったかなど)は明記すべきであろう。もしある概念を、たとえば”クオリア”という概念を自分が創始したのでなければ、その出典は明記すべきである。自分が自分の本に使ったアイデアや概念がすべて自分の創始でなければ、あるいはアメリカのようにもっと厳しく言って自分の本や書物に使った”表現”や”文章”の類いも自分のものでなければ、つまり他人の物を拝借したのであれば、それをはっきりと明記して公表すべきなのである。
これこそ、科学者の論文捏造と同じことなのである。
どうやら”小林秀雄的なる人々”というのは、この”プレイジャリズム”という問題に対する認識が非常に甘いように感じるのである。もっともこれは日本の文芸人全般にごく普通に見受けられる非常に日常的な問題で、これこそ小山内大さんが
『なぜ宇多田ヒカルがコロンビア大学に入れるのか--誰にでもチャンスを与えるアメリカ社会』(はまの出版、2000年)で言いたかったことなのである。
が、しかしこれが日本でそれほど話題になることはなかった。なぜなら、日本の文芸界や芸能界こそ”プレイジャリズム(無断盗用)”の権化の世界だったからである。まあ、”腐っている”わけである。
芸能界も腐っている、文芸界も腐っている中で、科学者の世界はまだましだったのだが、実はそれもずっと前から腐っていたのだよ、というのが私の分析なのであった。昨今の韓国の捏造論文事件(21世紀最大の科学界の不祥事)でこれが誰の目にもはっきりしたというのが真相であろうヨ。
(プレイジャリズムとは?、【323】 『アットホーム・ダッド』にみるプレイジャリズム 2004/06/26(Sat)、
『小説家を見つけたら』もプレイジャリズムがテーマ参照。)
プレイジャリズムとは、”他人の発想やアイデアや言葉や記事や内容などを相手や読者に無断で盗用(あるいは転用)する行為”、のことである。
日本のちまたでは、さまざまな文学賞がある。かなり有名なものに『小林秀雄賞』があるが、私は”小林秀雄的なるもの”は以前から非常に忌み嫌って来た(”小林秀雄的なる人々”)。そこでは、『論語読みの論語知らず』が小林秀雄的なる人々の特徴であるからだ、という見解であった。
しかし、なぜ無意識の内に私が忌み嫌うのかということのもっと本質的なものは、この”プレイジャリズム”の問題ではないか、と最近は思うようになったのである。
ある事柄に自分の考えや論評を加えることは良い。しかし、それに出てくる言葉や概念が自分の創始したものでなければその最初のオリジナルの出典(だれから、どこから、いつから使われるようになったかなど)は明記すべきであろう。もしある概念を、たとえば”クオリア”という概念を自分が創始したのでなければ、その出典は明記すべきである。自分が自分の本に使ったアイデアや概念がすべて自分の創始でなければ、あるいはアメリカのようにもっと厳しく言って自分の本や書物に使った”表現”や”文章”の類いも自分のものでなければ、つまり他人の物を拝借したのであれば、それをはっきりと明記して公表すべきなのである。
これこそ、科学者の論文捏造と同じことなのである。
どうやら”小林秀雄的なる人々”というのは、この”プレイジャリズム”という問題に対する認識が非常に甘いように感じるのである。もっともこれは日本の文芸人全般にごく普通に見受けられる非常に日常的な問題で、これこそ小山内大さんが
『なぜ宇多田ヒカルがコロンビア大学に入れるのか--誰にでもチャンスを与えるアメリカ社会』(はまの出版、2000年)で言いたかったことなのである。
が、しかしこれが日本でそれほど話題になることはなかった。なぜなら、日本の文芸界や芸能界こそ”プレイジャリズム(無断盗用)”の権化の世界だったからである。まあ、”腐っている”わけである。
芸能界も腐っている、文芸界も腐っている中で、科学者の世界はまだましだったのだが、実はそれもずっと前から腐っていたのだよ、というのが私の分析なのであった。昨今の韓国の捏造論文事件(21世紀最大の科学界の不祥事)でこれが誰の目にもはっきりしたというのが真相であろうヨ。