昨日は夜9時過ぎに帰宅し、疲れが抜けないまま今日は一日仕事だったのでかなりしんどかった。2日間歩き回り、立っていた時間も長いし、階段を何度も上り下りしたし、おまけにろくな食事を採っていなかったので足がむくんでしまっていた。午前中の仕事を終わって昼食を食べ、また自転車で交流センターまで行くのはけっこうきつくて2階までの階段を登れずエレベーターにしてしまった。引き継ぎ時間に先輩の話を聴いている時も頭がボーっとしてしまったし、6時に上がる前もかなりボーとしてダメになりそうな感じだったけれど、この2日間のことを先輩に聴いていただいたら気持ちがほぐれて元気になれた。帰りも知り合いの方が自閉症の息子さんと散歩しているのに偶然会ったので話をしながら田んぼの中の道を自転車で帰ってきた。 実は昨日、藤沢の木耳社の伯父が亡くなり母は葬儀に出席するためにまた出掛けることになってしまった。土・日は南房総の方に組の女性部の旅行に行って帰ってきたばかりなので母も大変だと思う。実は昨日は藤沢のホテルに泊まったので藤沢に住む伯父伯母を訪ねようかと考えていて、でもHさんの家に行かなくてはならないのでまた次すぐに行けると思うのでその時にしようと考えていたので、ちょうどその日に伯父が亡くなったというのでひどくびっくりしてしまったのだった。 父も相変わらずあまり思わしくないのだけれど、今日は少し頑張って家の周囲を歩いたり、庭のびわを採ってきてくれた。でも、私が夕食を食べて疲れを取るために休憩していたら、「早く後片付けをしろ」と言うので頭に来て「言われなくたってやるよ。私何時間働いてきたと思ってんの?お父さんが足が弱ったのはもともと家事もしないで自分の好きなことだけしてきた怠惰な生活のせいじゃない。お母さん毎日何時間働いていると思うの?悪いと思わないの!?」と怒鳴ってしまった。本当に父は母が毎日家事や畑仕事で疲れているのに一切手伝わないで自分の好きなことだけやっているし、男のくせに42キロくらいしか体重がなくてガリガリなので買いものに行っても荷物を持とうとすることさえない。手先が超不器用なのにそれを治すための努力も一切しないし、そういう父に似てしまったおかげで私が今までどんなに苦しみ、それを克服してからも母の家事の負担を一人で抱え込まなくてはいけないことを思うと、何もできなくても働かなくても開き直って、毎日一生懸命働いている人に悪いという気持ちさえない父を私は許すことができない。 でも、食器を洗ってあげたら「ありがとう」と言ってきたのでまあ許してもいいか。でも、自分の力で何とか回復しようという気持ちがなくては、こちらとしてもどうすることもできないのです。私が発達障害を克服して自分の体を上手く動かせるようになるまで20年以上誰にも相談できずに地道にリハビリにしてきたことを思えば、父だってがんばる義務があると思うのですよね。私は、自分の父親が楽して金を得ようとしたために手を無くしてしまった「手なし娘」のようだなといつも思って生きてきました。 |
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「手なし娘」ってそんな話じゃなかったと思います。 |
la fille 2009/05/20 11:23 |
弱りたくなかったら、家事とか日常的に動いてる方がいいんですよね。うちの父も、やらなかったからなぁ、どんどん弱っていきましたよ。 |
umm 2009/05/22 23:50 |
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