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医療社会学からみたリスク

新型インフルエンザのリスクを再考する

(1)鳥インフルエンザによる健康被害は今のところはごくわずかであること

 2003年から断続的に続く鳥インフルエンザによる鳥類(と養鶏業者)の被害はもちろん甚大である。だが、人間での死者は2006年1月14日現在までの世界中の合計でも79人である。日本での公式統計上はインフルエンザによる死亡は年間で500人から1500人ぐらいであることを考えれば、その少なさが際立つだろう。

国立感染症研究所感染症情報センターの発表に基づき作成

 メディアで鳥インフルエンザや新型インフルエンザとして話題になっているのは、人間を苦しめている現実の病気ではなく、不特定な未来に発生するかもしれないと予測されているに過ぎない、いわば架空の病気についての架空のシナリオであることを、しっかりと確認しておこう。限られた医療資源や医療費を、今のところ誰もかかったことがない新型インフルエンザへの(必要になるかどうかも分からない)備えのために使ってしまってよいものかどうかは、パニックに踊らされることなく冷静に判断していく必要がある点だ。

 では本当に、「恐怖という流行病」の売り手たちが叫んでいるように、鳥インフルエンザの流行が起きたために、人間での新型インフルエンザのリスクが最近になって高まっているのだろうか。この点についてアセスメントするためには、次のような事実が参考になるだろう。

(2)鳥インフルエンザは、最近になって新しく出現した病気ではないということ

 いま話題となっている鳥での死亡率の高い(高病原性)インフルエンザは、おそらく19世紀から「ニワトリの疫病」として知られているものと同じ病気であり、少なくともこの40年間では鳥類での流行が獣医学者によって何度か確認されている。それどころか、最新の研究によれば、そもそも人間のインフルエンザのウイルスの祖先は鳥インフルエンザのウイルスであって、鳥から豚にまず拡がり、その後に人間に感染するようになったらしいという。

 つまり、鳥インフルエンザはおそらく一番古くから存在しているインフルエンザなのだが、最近になってメディアで取り上げられることが多くなったので新しいもののように感じられるに過ぎないということになる。要するに、人類はずっと気づかないままに鳥インフルエンザからの新型インフルエンザ発生というリスクと隣りあわせだったのだ。

 それでも、人間と鳥類との接触の度合いが昔よりも密接になったというなら、新型インフルエンザ発生のリスクは高まっているといえるだろう。その点についてははっきりとは分からない。ただ、第一次産業(農業・牧畜業・水産業・林業・狩猟業など)従事者が減少している以上は、ニワトリと日常的に接触するという人間の数はどちらかといえば減っているのではないか。また、ニワトリもケージで飼われて他の野鳥と接触する機会が少ない分だけ、鳥インフルエンザに感染することも少なくなっているのではないか(いったん感染すれば、狭いケージの中では爆発的に広がるだろうが)。

 現在の鳥類での鳥インフルエンザ流行は、これまでにない世界規模の激しいものであることは事実だ。その意味では、新型インフルエンザ発生のリスクは多少とも大きくなっているのかもしれない。だが、そうとも簡単には断言できないというのは、こんな事実があるからだ。

(3)あるタイプの鳥インフルエンザが感染力や毒性が強かったとしても、それに由来するウイルスが人間にとって感染力や毒性が強いとは限らないこと

 いま、アジアを席巻している鳥インフルエンザは鳥類に対して強い感染力や毒性を持っている。人間に感染した場合の死亡率も高く、人間に対しても毒性が強いようだ。ただし、鳥類から鳥類にはたやすく感染するが、鳥類から人間への感染はまれであり、人間から人間への感染はほとんどない。感染力の強さという性質は種の壁を越えることができないわけだ。将来、この鳥インフルエンザのウイルスが突然変異して人間から人間に感染するようになるかどうか。そして、たとえそう突然変異した場合でも同じような強い毒性を保ったままかどうかということは予測できないことである。

 このことを逆に言えば、鳥類での大流行がなかったとしても、突然変異によって人間に感染するインフルエンザとして大流行する場合があるということになる。先に紹介したスペイン風邪の場合はこれにあたっている。一般的な鳥インフルエンザのウイルスが、鳥類での大流行を引き起こすことなく、豚に感染して突然変異が起き、人間での大流行を引き起こしたと推測されているからだ。他の動物は無視して鳥類だけを、しかも鳥類での大流行だけを心配するというのは危機管理としてあまりにも杜撰(ずさん)である。

 実際のリスクの大きさとは無関係に、鳥インフルエンザの大流行が起きてばたばたとニワトリが死んでいるというイメージは、豚の体内での目に見えないウイルスの突然変異よりもはるかに、人間での新型インフルエンザの大流行という恐怖と結び付きやすい。このようなバイアスが、一見したときの分かりやすさを重視するマスメディアなどによって増幅されがちであることはよく知られている通りだ。

 鳥インフルエンザの大流行だけを問題視するという見当違いをしでかすことは、笑い話のなかに出てくる落し物を探す男によく似ている。その男は、暗い夜道で落とした財布を捜すために、落としたかもしれない場所ではなく、一カ所だけにあった明るい街灯の下だけを探したというのだ。そこが探すのに便利だったからという理由で。

 しっかりした歴史記録の残されている16世紀以来、インフルエンザ大流行は十年から数十年に一度の周期で発生している。20世紀での大きな流行は、1918年(スペインかぜ)、1957年(アジアかぜ)、1968年(香港かぜ)の3回であり、新型インフルエンザはそう遠くない時期に発生すると考えたほうがいいだろう。だが、そのことと、それがあたかも今年や来年であると確定しているかのように恐れて騒ぎ立てるということは別物である。

 最初に、「恐怖という流行病」という視点を紹介したが、これは何も病気にだけ限られていることではない。最近の日本社会では、「安全神話の崩壊」などともいわれるように、病気はもちろんだが事故や犯罪、天災などに対する恐怖が蔓延(まんえん)している。こうした問題に対応する際、恐怖心によって動かされてしまえば、パニックに陥って、インフルエンザをめぐる騒ぎと同じように、ちょっとした危険を過大視したり、見当違いの対策を練ったりすることにつながりかねない。

 『アメリカは恐怖に踊る』(草思社)で有名な社会学者のバリー・グラスナーは、「人間の弱い心を刺激して恐怖を売り歩く者には富と権力が約束される」から、恐怖やパニックがはびこるのだと指摘している。インフルエンザをめぐる「恐怖という流行病」への最良のワクチンとは、そのことで誰にどんな富と権力が約束されるのかを冷静に疑ってみることではないか。

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