2009年1月8日

[資料] 朝鮮半島における海苔(チェックリスト)

 

こんばんは。numlk01でございます。
朝鮮半島での海苔について調べ始めて早三ヶ月。
きっかけは次のHPやスレでした。


鍾路のり巻き
http://koreawatcher.at.infoseek.co.jp/docs/KimHistory.htm
 * 全てのコピー元になるページ。ここから始まった。
長さに対して
http://www.enjoykorea.jp/tbbs/read.php?board_id=pfood&nid=58482
 * 8inni8の最初のスレ。鍾路のり巻きのページを元にしているが、根拠を追加してある。



で、一つ一つ文献を検証していくという方針で進めて参りましたが、
遺漏を防ぐために、ここでチェックリストを作成しておきます。
[海苔]
三國遺事 第一卷 1 紀異 延烏郎 細烏女
http://www.enjoykorea.jp/tbbs/read.php?board_id=phistory&nid=102812
* 「藻」です。
『酉陽雑俎』段成式[撰]--->旁説話=金錐説話(パンソリ自体は朝鮮後期の作)
未調査
『慶尙道地理志』における「海衣」(1/2)
http://www.enjoykorea.jp/tbbs/read.php?board_id=phistory&nid=103987
『慶尙道地理志』における「海衣」(2/2)【参考:「海菜」の記述】
http://www.enjoykorea.jp/tbbs/read.php?board_id=phistory&nid=103989
 * 「海衣」の初出とされている文献。地方の特産品として。海苔食、海苔養殖の記事なし。
「海衣」の記述 [世宗莊憲大王實錄十四冊 卷第四十五]
http://www.enjoykorea.jp/tbbs/read.php?board_id=phistory&nid=96796
新增東國輿地勝覽 第40卷 光陽縣
http://www.enjoykorea.jp/tbbs/read.php?board_id=phistory&nid=96737
 * 「海衣」と「甘苔」とは別の産品として記録されている。
本草綱目 第16冊 第19巻 草部八 (草之八 水草類二十二種)
http://www.enjoykorea.jp/tbbs/read.php?board_id=phistory&nid=102800
 * 「海藻」の部分に「新羅國」についての記述がある。
許筠『屠門大嚼』 蔬菜之類
http://www.enjoykorea.jp/tbbs/read.php?board_id=phistory&nid=103008
 * 「海衣」と「甘苔」は別個の食べ物とされている。また、その特徴から、アマノリに相当するのは「甘苔」である。
その結果、この時代の「海衣」は、海苔とは別個の海藻だということになる。
『東醫寶鑑』における「甘苔」他の記述
http://www.enjoykorea.jp/tbbs/read.php?board_id=phistory&nid=103916
 * 「海衣」の記述がなく、「甘苔」の記述がある。
ただし、「海菜」の部分に、本草の記述の引用として「紫菜」の説明がある。
潛谷先生遺稿卷之六 請順湖南民情。速爲變通箚。 戊戌七月初十日
http://www.enjoykorea.jp/tbbs/read.php?board_id=phistory&nid=102970
 * 「海衣」と「海苔」が別の物として記されている。
[機械翻訳] 光陽海苔始殖址指定番号:全羅南道記念物第113号
http://www.enjoykorea.jp/tbbs/read.php?board_id=phistory&nid=102761
光陽の朝鮮時代6 -事実を知り是非の判断の先駆者,金汝翼海苔養殖に成功する
http://www.enjoykorea.jp/tbbs/read.php?board_id=phistory&nid=102760
 * 「始殖海衣」の記述。現在墓標は残っていない。
莞島郡伝承
未調査
『物名攷』
未調査
 * 「海衣 採海中石衣 作薄片如紙」の記述があるとされる。
丁若鏞 『經世遺表』 第14冊 均役事目追議 第1 藿税
http://www.enjoykorea.jp/tbbs/read.php?board_id=phistory&nid=102973
 * 「海苔」の初出とされていたが、より古い記述がある。現在の分類に直接関連している?
『萬機要覽』 財用編三 海稅
http://www.enjoykorea.jp/tbbs/read.php?board_id=phistory&nid=104083
全羅道光陽縣玉谷面太仁島海衣及津下面船所鎭浦市收稅冊
http://www.enjoykorea.jp/tbbs/read.php?board_id=phistory&nid=102969
朝鮮総督府農商工部編纂『韓國水産誌』[第1冊]第1輯
http://www.enjoykorea.jp/tbbs/read.php?board_id=phistory&nid=103033
* 古老への聞き取り調査。
鄭文基「朝鮮海苔」(『朝鮮之水産』第百四十四號別刷)
未調査
 * 上述の伝承などに関連する文献。
鄭文基 朴九秉 朴丞源 金仁培 저 「韓國近世科學技術 100年史 調査硏究 」
http://www.enjoykorea.jp/tbbs/read.php?board_id=phistory&nid=103034

[のり巻き]
「海衣裹」の記述
http://www.enjoykorea.jp/tbbs/read.php?board_id=phistory&nid=103910
 * 『京都雜志』『洌陽歲時記』『東國歳時記』の調査。海衣で飯を包んだ料理は、『洌陽歲時記』以降。
また、『京都雜志』と『東國歳時記』との比較により、 「海衣裹」は、19世紀に入ってからの風俗だということが判明する。
[その他]
卷228_66 《春日江村五首》杜甫
「扶病垂朱紱,歸休步紫苔。」
http://www.xysa.com/quantangshi/t-228.htm
 * 「紫苔」の記述。
靑苔錢にいう”靑苔”について調べてみた
http://www.enjoykorea.jp/tbbs/read.php?board_id=phistory&nid=102348
 * 「青苔」について調べた。韓国では現在、甘海苔と同じ言葉と説明されているが、中国語では「苔(moss)」でした。
朝鮮王朝實錄における”海苔””甘苔”の記述(国史編纂委員会様へのお手紙を含む)
http://www.enjoykorea.jp/tbbs/read.php?board_id=phistory&nid=102885

朝鮮王朝實錄における”海衣”の記述(附、”海帯”の記述)
http://www.enjoykorea.jp/tbbs/read.php?board_id=phistory&nid=102948
大和本草巻之八  草之四 瓜類、蔓艸、芳草類、水草類、海草類
http://www.enjoykorea.jp/tbbs/read.php?board_id=phistory&nid=102848


numlk01@作成中 ver.2008.04.23

 

numlk01|03-26 21:17

許浚『東醫寶鑑』が未調査なのは、奎章閣の原文ページが見られなくなったことによる。保存しておくべきだった。

xiaoke|03-26 21:22

ほんとですねぇ…奎章閣は有用なサイトだったのに。

erocup|03-26 21:28

ε(*@д@)^o/∩幾つか読んだことあるニダ

numlk01|03-26 21:30

ありがとうございます。とにかく昆布と若布がよく分類されていない時代のものなので、原文にあたって調べるしかないですw。

numlk01|03-26 21:29

邦訳文献はかなりあるので、原文に拘らなければ、残りは割とすぐに調べられるかもしれません。

numlk01|03-26 21:33

手許に大和本草のPDFがあるので、番外として、スレ化します。ある意味、本草綱目に対する当時の模範解答だと思います。貝原益軒って、やはりすごいと思いました。

numlk01|03-29 00:03

朝鮮海苔 /鄭文基 著京城(서울) : 朝鮮總督府, 昭和12[1937]朝鮮之水産第百四十四號別刷

numlk01|03-30 15:00

http://www.nas.go.kr/member/member_detail.asp?num=195

numlk01|03-30 03:56

'海苔'擬人化家電小説'海衣国史' http://www.yonhapnews.co.kr/bulletin/2007/09/30/0200000000AKR20070928185800005.HTML

numlk01|03-30 03:57

http://www.yonhapnews.co.kr/bulletin/2007/09/30/0200000000AKR20070928178100005.HTML

numlk01|03-30 08:29

http://www.morningnews.or.kr/read.php3?no=1936&read_temp=20040210&section=20

numlk01|03-30 08:53

http://gall.dcinside.com/list.php?id=history&no=133034

numlk01|03-30 06:03

http://e-kyujanggak.snu.ac.kr/GDS/GDS_EPJICHRR.jsp?ptype=list&subtype=ej&lclass=03&cn=GR33590_05&subtitlenum=5462

numlk01|04-20 13:06

「c.ホンブ歌ホンブ歌は本来新羅時代時から伝えて下った部屋異説化[旁説話]=今秋説話(金錐説話)とも言うこれを土台にして朝鮮後期高宗時パンソリで作われました.kimを意味する 甘苔と言うものが出ます ホンブ歌に傷に 甘苔を付けると出ます. パンギム(板海苔)の形態ではなくては絶対に不可能です」

numlk01|04-20 13:06

『酉陽雑俎』段成式[撰]に記載があるようです。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%85%89%E9%99%BD%E9%9B%91%E4%BF%8E

numlk01|04-20 13:06

「バンイ説話【出場】唐の段成式が作った『酉陽雑俎』クォン1課『のんき御覧』クォン481 別名‘金錐説話’ともする。 “私の鼻が席子”ということわざも歯から起因したのだ。新羅時代にバンイ兄弟が生きたのに兄のバンイはとても貧しくて,もの乞いをしながら生きたし,弟(妹)は金持ちであった。ある年なのかバンイが弟(妹)に蚕と穀物種子をもの乞いしたのに意地悪が荒っぽくて暴悪な弟は蚕卵と種子をゆでて与えた。これを知らない兄は蚕を熱心に打って種もばら撒いて,よく育てた。卵中で蚕一匹が生じると牡牛ぐらい大きくなった。嫉妬が出た弟(妹)がきて,蚕を殺したが四方の蚕が皆集まって,糸をつけてくれて,兄は蚕王になった。また種子でも落ち穂が一つだけ私とした者が超えて育ったのにある日鳥一羽が飛んできて,落ち穂を噛んで逃げるやバンイは鳥をア山に入った。そこには夜をむかえたバンイは突然な子供たちが現れて,金棒を取り出して,石をたたくと望み次第食べ物があふれ出た。彼は隠れていて子供たちが別れた後置いて行った棒を拾って戻って,弟よりさらに大金持ちになった。意地悪が出た弟も兄のように行動して,鳥を坊や子供たちに会うことになった。しかし子供たちに金棒を盗み出した泥棒に集まって池を掘る罰を受けて象のように鼻を選ばれた後に戻った。家に戻って,彼は恥をこらえることができなくて気をもんで死んでしまった。(他の本によればほとんど死ぬことになった時,バンイがこの消息を聞いて駆け付けて,病気ク・ワンをして病気が治った。) そして棒は子孫に伝えられたのに,ある子孫が“このように便出せ。”で戯れたところ突然雷が打ちながらオディロンジ消えてしまった。新羅の人バンイに対する説話. 兄と弟(妹)の間の葛藤を通じて勧善懲悪を見せている。」http://www.kuyam.net/bbs/zboard.php?id=L0003& amp;page=1&sn1=&divpage=1&sn=off&ss=on&sc=on&select_arrange=headnum&desc=asc&no=78&PHPSESSID=2ae6d7c0bad7eb43828dd670695789a2....

numlk01|04-20 13:06

「酉陽雑俎(ゆうようざっそ)は、中国の唐代に荒唐無稽な怪異記事を集録した書物である。段成式(773年 - 863年)撰、20巻・続集10巻。860年(咸通元年)頃の成立である。」「テキストの伝世に関しては、不明な点が多く、後集10巻の中には、明代の遺文を蒐集した部分が少なからず含まれるとされる。」http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%85%89%E9%99%BD %E9%9B%91%E4%BF%8E

numlk01|04-20 13:09

"キム・ヤンシク,日本より韓国が先立って‥事実上世界最初" http://news.empas.com/show.tsp/cp_cb/20080324n02007 "あえて見渡すとは…制が'海苔'である" http://jb.breaknews.com/sub_read.html?uid=2407

numlk01|04-23 09:29

http://www.hangeulmuseum.org/new/information/bookData/book_view.jsp?fileName=00172a00000aa000a&d_code=00172&g_class=&pg=0

numlk01|10-03 11:41

http://coldstar.egloos.com/2940119

『萬機要覽』 財用編三 海稅

『萬機要覽』 財用編三 海稅

20080422120887082170775100

20080422120887094506796000

引用元:http://www.itkc.or.kr/index.jsp?
bizName=MK&url=/MK/MK_BOOKLIST.jsp%3Fseojiid=kc_mk_e001


numlk01@作成中 ver.2008.04.21
 * 19世紀初頭の文献です。

 

fmdoll89|04-22 23:54

乙(・_・;つ

『慶尙道地理志』における「海衣」(2/2)【参考:「海菜」の記述】

 

『慶尙道地理志』における「海衣」の記述、後半です。
では、どうぞ。
pp.70-72

20080421120877342015787800

20080421120877350461636800

pp.86-89

20080421120877358195594900

20080421120877365374380100

以上が初出とされる文献に挙がっている、「海衣」の記述全部です。



で、これらの記述は、当該地方の特産品としての「海衣」なのですが、どこにもそれを食べたとか、養殖したなんて記述はありません。この点の確認が第一点です。
次に確認すべきなのは、海産品のうち藿(わかめ)の記述はあるのですが、海藻、昆布、甘苔などの記述がない。他の文献にもある藻類で見つけられたのは、「海菜」の記述です。

pp.203-205

20080421120877412494190100

20080421120877418419709800

* 最終ページの一部が切れているが、文字の確認には支障がないので、そのまま。

なので、本当に「海衣」がアマノリを指す言葉かどうかは疑問の余地があります。
(1つの仮説として、幅の広い褐藻類全般を指す言葉であった可能性がある。)


numlk01@何とか確認終了 ver.2008.04.21

 

numlk01|04-21 19:46

まあ、地理志に海衣を食べた話や養殖した話が書いてあるとは、最初から考えてませんでしたけど。確認するまでもない話です。

『慶尙道地理志』における「海衣」(1/2)

 

『慶尙道地理志』における「海衣」の記述を全部掲載します。
画像が多いので、スレが2つになります。
pp.4-5

20080421120877240002892200

pp.40-41

20080421120877249889941400

pp.41-44

20080421120877258922150800

20080421120877267292716600

pp.57-60

20080421120877275641313700

20080421120877283399024700

pp.63-64

20080421120877297346880200

pp.64-66

20080421120877308973492800

引用元:http://search.i815.or.kr/ImageViewer/ImageViewer.jsp?
tid=co&id=1-L01278-000


numlk01@力業で探してみた ver.2008.04.21

 

numlk01|04-21 19:44

調べて分かったこと。韓国の一流の研究者が調べた文献でも、網羅的に全部挙げられていないし、挙げたものが間違っていたりした。あてにならん。

2009年1月6日

『東醫寶鑑』における「甘苔」他の記述

許浚『東醫寶鑑』 湯液篇 巻之二 菜部

20080420120866239399179800

20080420120866243332838100

引用元:http://147.46.181.118/IMAGE/kyu00512.pdf p.76-77


numlk01@整理中 ver.2008.04.20
* 『東醫寶鑑』では、”海衣”の記述がない。また、分類上、草部ではなく、菜部であることに留意する。
** 「甘苔」についての記述もあるが、「海菜」の説明で、本草からの引用として「一名紫菜」との記述がある。本草綱目の混乱を引き継いで、ここでも名前の混乱がある。

 

numlk01|04-20 12:42

『東醫寶鑑』の湯液篇では”海衣”の記述がない(もし見つけた方がいらっしゃったら、教えて下さい)。ここでも韓国での姑息な使い分けが見える。

numlk01|04-20 12:44

"あえて見渡すとは…制が'海苔'である" http://jb.breaknews.com/sub_read.html?uid=2407 「また東医宝鑑には"海苔は味は甘いながら塩辛くて性質は(埋まる)ける"として"土砂クァク欄で吐いて説沙下(サハ)や中が苦しいのを治療しながら,痔を治めて寄生虫を除去する。"で記述されている。」

numlk01|04-20 12:48

もう一つの注目点。某サイトにて見えないはずの史料の見方。裏技のヒント。

dameman_kuga|04-20 15:12

(´_`)ノ∩ 乙です。じっくり読ませてもらいます。

「海衣裹」の記述

 

『東國歳時記』 p.11 「海衣裹」の記述がある。

20080420120864816562517200


 畜匏瓜■蕈諸乾物及大豆黄卷蔓菁蘿■謂之陳菜必於是日作菜食之凡瓜顱茄皮蔓菁葉皆不棄■乾亦爲烹食謂之不病暑以菜葉海衣裹飯啗之謂之福裹按荊楚歳時記人日採七種菜作羮今俗移於上元而抑亦衛風御冬之旨畜也

『洌陽歲時記』 p.7 「海衣」を用いて飯を包む料理があります。

20080420120864834658813200

『京都雜志』 p.19 該当するものがない。

20080420120864879083462100


numlk01@確認中 ver.2008.04.20
 * 某HPでの"文字起こし(仮)"には誤植が多い。注意されたし。
また、私の起こした文も、漢字表記に問題があるので、ぜひ原文画像で確認して下さい。
さらに、念のため。「裹(か)」とは、包むという意味です。「裏(り)」じゃないですから。
 ** 19世紀中葉に成立したとされる『東國歳時記』。その30年前に成立し、ソウルの風俗を描いた『洌陽歲時記』にも記述がある。しかしながら、『東國歳時記』の元になったとされる『京都雜志』には、その記述がない。この辺りがヒントになりそうである。

 

numlk01|04-20 08:58

引用元は”「煖爐會」の記述(東國歳時記、洌陽歲時記、京都雜志)http://www.enjoykorea.jp/tbbs/read.php?board_id=phistory&nid=103876”と同じ。省略。

fmdoll89|04-20 10:42

乙( ゚∀゚)o彡゜

dameman_kuga|04-20 15:11

(´_`)ノ∩ 乙です

numlk01|04-20 15:30

「裏(り)」との表記間違い。某HP(確認していなかった時点で、私も間違って表記したものがある)および8inni8(当然、気付いていない)、 http://manadeva.tistory.com/3620、http://uriculture.com /s_menu.html?menu_mcat=100247&menu_cat=100001&img_num=sub1、及び、これらを引用した韓国のブログ。

numlk01|04-20 21:00

正しい表記の例:福裹 http://krdic.daum.net/dickr/contents.do?query1=A017411300

numlk01|04-20 15:52

各歳時記の成立年代については、割と検証が甘いようだが、一応、韓国での定説(同時に日本でも通説)を前提に考える。そうすると、『京都雜志』の1770年代にはなく、『東國歳時記』の1849年には名前が確認できる風俗だったということです。そして、『洌陽歲時記』の1819年には、料理自体が存在する。以上から、19世紀前半にソウルで始まったもので、19世紀中葉に歳時風俗として確立したと考えてよいと思われる。なお、洪錫謨は、行事自体の起源は、梁時代の『荊楚歳時記』だと考えているが、テラ中国wwwwwとか言わないように。

kobaya4|04-20 22:30

少し解りづらいね。蛇足ながら、「福包み」は 19世紀中盤の東国歳時記に出る. 福包みは旧歴十月15日に山菜や白菜葉,あるいは海衣にご飯を包んで食べることを言う.福包みはいくつかを作って器にノ-ゾックサッドッが高く積んで城主様にあげた後に食べれば福が来ると伝える. http://coldstar.egloos.com/3515671(2007/12/04)

numlk01|04-20 22:54

その人のページは肉焼きの時も参考になった。でも、それらの韓国での”常識”を検証するのが一連の投稿の目的だったりするよ。で、料理自体は『洌陽歲時記』の段階で出来ているね。その点も、今回の確認事項。

kobaya4|04-20 23:07

質問だけど、問題にしている点はなんですか?

numlk01|04-20 23:24

このスレでの問題点は、朝鮮における”海衣裹”の成立時期です。韓国での”のり巻き”の起源と主張されているものです。

numlk01|04-20 23:39

そして、「上元での菜食の歳時風俗が新羅時代からあったから、昔からのり巻きを食べていたんだ」という主張の検証でもあります。

numlk01|04-20 23:27

で、「海苔」「海苔食」「海苔養殖」「板海苔」「のり巻き」について、それぞれ整理しつつ、調べています。全体像は、「[資料] 朝鮮半島における海苔(チェックリスト)http://www.enjoykorea.jp/tbbs/read.php?board_id=thistory& nid=1943528」をご覧下さい。随時更新しています。

鄭文基 朴九秉 朴丞源 金仁培 저 「韓國近世科學技術 100年史 調査硏究 」

韓國近世科學技術 100年史 調査硏究 - 水産分野 -
鄭文基 朴九秉 朴丞源 金仁培 저
2・2 水産養殖業

20080331120696597431289800

20080331120696605374736800

20080331120696610161619900

20080331120696616114388800

20080331120696623808198000

http://rnd.kosef.re.kr/jsp/report/report_view.jsp?ord=102399&gubun=BR50200


numlk01@とりあえず一区切り ver.2008.03.31
 * この上なく良心的な日本人である、numlk01が、現在、韓国における海苔養殖の起源主張の元になっている論文を掲載しましょう。
 この論文中にある、朝鮮海苔 /鄭文基 著 京城(서울) : 朝鮮總督府, 昭和12[1937]朝鮮之水産第百四十四號別刷、がそれです。しかしながら、この論文は日本語のようなので、直接読んでいるとは思えません(*a)。で、鄭文基教授他の”百年史”の方が引用されているのだと思います。

 *a ちなみに、NANETにて検索したのですが、この論文は原文を確認できませんでした。明太子の論文は面白いので、後日、掲載するかもしれません

 上の画像はハングルなので、詳細は分かりません。なので、韓国人の皆さん、奮って原文起こしをしてみてくださいね。とはいいつつ、漢字ハングル混淆文なので、ここの韓国人が読めるかは疑問符が付きますけどねw。
 がんばれ、韓国人!君たちの努力に期待しているよw。
 追伸:韓国人ってどうしてこんなにも朝鮮總督府が好きなのかなー(棒読み)。

 

numlk01|03-31 22:28

とりあえず、今回の原文調査は、一区切りになります。実録の方は時間を見て、少しずつ調べてみることにします。

xiaoke|03-31 22:49

ご苦労様です。どうして韓国人は自国の誇るものとやらについてきちんと調査しないカナ?(棒

numlk01|03-31 22:57

赤組から強力な武器を提供されても、たぶん何も出来ないのではないかとw。

hhh55555000|04-01 12:51

捏造の.使命..

朝鮮総督府農商工部編纂『韓國水産誌』[第1冊]第1輯

朝鮮総督府農商工部編纂『韓國水産誌』[第1冊]第1輯
pp.318-321 あまのり 海苔 김 海衣

20080331120696197340206800

20080331120696204652458500

pp.334-337 第二章 水産物養殖

20080331120696211720017800

20080331120696218855868800

引用元:http://kindai.ndl.go.jp/
全国書誌番号:40034161
請求記号:YDM42492


numlk01@整理中 ver.2008.03.31

 

p9cm|03-31 20:33

まだ見えてないけど、お茶と同じく総督府が(略 ですか?

numlk01|03-31 20:35

単に、韓国で挙げられている典拠の原文を掲載しただけです。ただし、総督府が実施した、この古老への聞き取り調査が、論拠の一つだったりします。

fmdoll89|03-31 22:36

従来本邦人に依って営まる養殖業として見るへきは唯海苔養殖の一のみ、其他牡蠣伏老の養殖を営むものなきにあらさるも規模小にして一の??(わからない漢字)として見るに過きさるなり、海苔養殖は南沿岸に於て二三の場所に営まるるも其最盛地は光陽?内?津口附近にして麁朶を挿植するもの敷里に亘り其盛況日本の東京湾の比にあらす、而も其色澤香味共に優等なる東京湾産の紫菜に較へて遜色を見さるのみさらす寧ろ優れるものなきにあらさるも製法麁悪乱雑にして品質を損するを憾みとす。

fmdoll89|03-31 22:38

素材は良かったけど製法が悪かったんで品質を悪くしてましたよってことですかね。あと日本人が養殖を願い出て免許していますね。

numlk01|03-31 22:44

最後の画像で適地なども挙げられているので、古い文献と照合させる作業も必要になってきます。とまれ、注目すべきはここで、ハングルの”김”の表記がある点ですね。

numlk01|03-31 22:49

丁若鏞の時代には、”朕(注:짐と表記されると推定される)chim”だったのですが、この段階で”김kim”になってます。

xiaoke|03-31 23:04

numlk01 03-31 22:49>朕(注:짐と表記されると推定される)chim>推定のとおり、朕のハングル表記は짐です。

numlk01|03-31 22:54

つまり、俗名がchimからkimへと変化したのが、19世紀半ばから20世紀初頭までの間であるわけなので、17世紀の”金”氏による養殖起源説は眉唾ものです。ただし、丁若鏞が聞き間違えたとの可能性は捨てきれませんがw。それはそれで、韓国人涙目なんですけどね。

xiaoke|03-31 23:03

ゆえに金汝翼が養殖の起源説は後世の語彙から遡及した後付けの「伝説」と解釈されざるを得ず、かといって丁若鏞の錯誤であるとすれば、丁の記述を根拠にすえている現在の韓国人の説は妥当性にヒビが入ると。あちらを立てればこちらが立たず…

numlk01|03-31 23:09

さすが。当たりです。で、もう一つは東國歳時記の”海衣裏”です。これが当時(19世紀)の習慣ならば、明らかに日本の”のり巻き寿司”よりも後に成立です。そこで、歳時風俗だということで、遡ろうとしても、海衣の初出よりも遡れません(というか、最初は文字通り”海の衣”だったわけで)。そして、17世紀あたりだと、海衣は甘苔とは別個ですから、海衣裏に使った海藻はアマノリではないことになってしまいます。そうすると、結局、日本より古い可能性は殆どなくなってしまいます。

numlk01|04-20 15:23

訂正:海衣”裏”×→海衣”裹”○

numlk01|03-31 23:12

で、一応、私の推測ですが、海衣は褐藻類の”ハバノリ”だったのではないかと考えています。これは干します。

xiaoke|03-31 23:21

俗名がchimからkimへと変化したのが、19世紀半ばから20世紀初頭までの間>「沈菜(チムチェ)」が「キムチ」に変化したのも19世紀前半から中期ごろじゃなかったかなぁ?言語学的にどのような変遷があったのかは未見ですが。

numlk01|03-31 23:29

以前、焼肉との絡みで、その関連の論文を翻訳しかけていたのですが、死ぬ程大変だったので、あっさりと放棄w。というか、ハングル、変化しすぎです。

許筠『屠門大嚼』 蔬菜之類

屠門大嚼
[蔬菜之類]074_373b

20080331120689263188179100

竹筍醢。湖南蘆嶺以下善沈之。味絶佳。
黃花菜。卽萱草也。義州人學於上國。善爲之。味極好。
蓴。產湖南者最好。海西次之。
石蓴。多產于嶺東。最好。
蘿葍。產于羅州者極好。味如梨而多津。
苜蓿。產于原州者白如銀筯。味甘極好。○蕨薇,葵藿,薤芹,菘朮,松蕈,眞菌。處處皆佳。故不別書云。
蔈古。產于濟州者佳。而五臺,太白亦有之。
葒菜。產京畿海浦甚佳。
黃角。產于海西者甚佳。
靑角。西海皆有。而產海州甕津者最佳。
細毛。西海皆有。而海西最好。○又有牛毛者。溶而却熟。
椒豉。黃州所作甚佳。
蔘脯。永平,鐵原人善爲之。狀如牛脯。
蓼。生于利泰院者最好。
冬瓜。產于忠州者亦好。○茄瓜,匏蘆。亦處處皆佳云。
山芥菹。咸鏡南道及淮陽平康等地俱有之。味烈而爽。
昆布。產北海最好而多。士麻,大藿亦次之。
早藿。產三陟者。正月而佳。
甘苔。產湖南而咸平,務安,羅州所生極佳。味甘如飴。
海衣。南海有之。而東海人拳汴而乾者最佳。
芋。湖南嶺南皆好而極大。洛下味好而小。
薑。產全州者佳。而潭陽,昌平次之。
芥。產海西者最烈
蔥。產朔寧者極好。而韭,小蒜,荽園鬚俱好。
蒜。產寧越者最佳。食之無葷氣。
右蔬菜之類。
http://www.itkc.or.kr/index.jsp?bizName=MM&url=/MM/MM_TITLELST.jsp
%3Fseojiid=kc_mm_a292%26gunchaid=av026%26muncheid=02


numlk01@やっちゃいました。 ver.2008.03.31
 * 非常に有名な文献ですが、原文を確認した人は今までいなかったのでしょうか?
海苔の記述として、この「海衣」の部分(青色)が頻繁に引用されるのですが、すぐ上に、「甘苔」の記述(赤色)があり、かつ、その特徴からして、明らかにアマノリの記述は、「甘苔」になります。
では、今まで挙げられていた「海衣」とは何だったのか?アマノリでないことは、ほぼ確定だと思われます。昨日見つけた1658年の記述から考えても、この時代の「海衣」は、甘苔(アマノリ)とは別個の海藻だと考えられます。

 

numlk01|03-31 01:12

17世紀以前の「海衣」の記述を、朝鮮における”海苔”の起源としている説がありますが、終了のお知らせです。本当にありがとうございました。

josuncorea|03-31 02:57

元々韓国の Gimは 南海だけでも 10種類が存在する. 可哀相な捏造はやめよう. 漢字では区別しにくいことで地域別で朝鮮 Gimの起源を追跡するのが一番合理的だ.

numlk01|03-31 05:10

日本近海のアマノリ属でも30種類はありますが?古代の人が全部仕分けていたと思うのかい?漢字が違うから、大分類が違うのだよ。というか、それぞれの言葉には初出があるのね。そして、変化の過程がある。

aberu|03-31 01:27

ご苦労様です。

takejima|03-31 01:32

結局、「海衣」は、何だろうw?自分は、海水中の杭などに、付着した海苔が、布切れが杭にかかってるように見えたから「海衣」だと思うんだけどw。「板海苔」は、何時から?

ghost_moon|03-31 01:52

字面を見ますと、昆布や若布(ワカメ)のように幅が広いタイプの海藻類を思い浮かべます

takejima|03-31 02:16

自分も昆布や若芽との混同が起こってるような気がするんだけどw。自分の考えでは、「板海苔」=大量生産なんだけどねw。大量生産ができて、次の段階、例えば、巻き寿司に移行できると思うw。

numlk01|03-31 05:35

ワカメは「藿」です。なお、「昆布」は、日本と中国とで意味が違います。朝鮮の用例は、慎重に比定する作業が必要になります。まだ実施していません。というか、難しいんです。

josuncorea|03-31 03:00

海衣は 海苔とも呼ばれたのでこの主張は完全に意味ない自爆に過ぎない.w

numlk01|03-31 05:29

丁若鏞の分類と違うのは理解できるんだよね?というか、海衣と海苔とが別個の産品であるとの例を昨日出したのよw。

numlk01|03-31 05:11

捏造というのなら、漢字が異なり、指す内容が違うのに全部同じものとしてしまう行為こそが捏造ですね。漢字を捨てた愚民には分からないとおもいますが。

fmdoll89|03-31 20:03

甘苔ってどんなものなんでしょうね。味は甘くて飴の如し、、、ですから想像が付かないです(・_・;

numlk01|03-31 20:32

「ノリはヌラ(ぬるぬるするの意)のなまったもので、アマノリの名は、新鮮な物は甘い芳香とかみしめるとかすかに甘味を感じることによります。 」だそうですよ。http://www.gscorpo.co.jp/unchiku/nori_rekisi.html

p9cm|03-31 20:14

「それぞれの言葉には初出がある」 ←超時空的推論で「日本語の先祖は韓国語」と主張する方々には無理な要求だと思いますmida。

丁若鏞 『經世遺表』 第14冊 均役事目追議 第1 藿税

經世遺表 第14冊
均役事目追議 第1
藿税

20080330120683085734079300

해대(海帶)를 방언으로 미역이라 한다.
호남(湖南)
호남의 곽전(藿田)과 태전(苔田)은 혹 생기기도 혹 폐지되기도 한다. 그러므로 몇 파(把) 몇 속(束)으로써 그 세액을 정할 수 없으니, 우선 예전 세액에 따라 참작해서 재감(裁減)한다.
생각건대, 곽(藿)이라는 것은 해대(海帶)이고(방언으로 미역) 태(苔)라는 것은 해태(海苔)인데, 혹 감곽(甘藿)ㆍ감태(甘苔)라 일컫기도 한다. 태는 또 종류가 많아서 자태(紫苔 : 속명은 海衣이고 방언으로는 김이라 함)ㆍ청태(靑苔)가 있어 대동소이한 것이 5~6종이나 있다.
호남 미역밭(藿田) 세로서 전관(錢貫) 수효가 보이지 않으니 지금에 와서 밝힐 수 없다. 그러나 둘레가 100여 보에 불과한 탄환(彈丸)만한 섬에 대해 사가(私家)에서 세로 혹 200~300냥을 징수하며, 직경이 10여 보인 주먹만한 돌은 사가에서 매매하는 값이 혹 200~300냥에 이르기도 한다.
나주(羅州) 외양에 있는 흑산도(黑山島)ㆍ홍의도(紅衣島)ㆍ가가도(可佳島)ㆍ태사도(太師島 : 나라 남서쪽(坤方)에 있음)와 진도(珍島) 외양의 만재도(滿載島)ㆍ발매도(發賣島)ㆍ맹골도(萌骨島)ㆍ동황도(東荒島)ㆍ서황도(西荒島 : 방언에는 荒을 居刹(거칠다의 취음)이라 함)와 영암(靈巖) 외양의 추자도(楸子島) 등 지방은 모두 해곽(海藿)이 산출된다. 탄환만하고 주먹만한 작은 섬들이 헤아릴 수도 없는데, 사목(事目)에 이와 같이 생략한 것은 무슨 뜻인지 알지 못하겠다.
제주(濟州)에도 해곽이 생산되고 나라 사람 절반이 그것을 받아먹는데, 제주 어세와 염세는 그냥 본주(本州)에 남겨서 쓰고 상납하는 일이 없다.
海帯を方言でワカメという。
湖南
湖南の藿田と苔田はひょっとしてできることもひょっとして廃止されたりもする。 したがって何把何束でその税額を定めることができないから,まず以前税額により参酌して裁減する。
思うに,藿というのは海帯で(方言でワカメ)苔というものは海苔なのに,ひょっとして甘藿・甘苔と称したりもする。 テはまた種類が多くて,姿(紫苔:俗名は海衣で方言では海苔ということ)・青苔があって,大同小異のことが5~6種もある。
湖南の藿田税として銭貫数が見られないからこの期に及んで明らかにすることはできない。しかし周りが100余譜に過ぎない弾丸ほどの島に対して私家で縦ひょっとして200~300両を徴収しながら,直径が10余譜のげんこつほどの石は史家で売買する値段がひょっとして200~300両に達したりもする。
羅州外観にある黒山島・紅衣島・可佳島・太師島(太師島:国南西側(坤方)にあること)と珍島外観の満載島・発売島・萌骨島・東荒島・西荒島(西荒島:方言には荒を居刹(経る多義酔吟)とハム)と霊巌外観の楸子島など地方は皆海藿が産出される。弾丸ぐらいでげんこつほどの小さい島々が推し量ることもできないのに,事目にこれと共に省略したことは何の意味なのか知らない。
済州にも海藿が生産されて国人半分がそれを受けるのに,済州語勢と厭世はそのまま本州に残して使って上納することがない。
注:韓国語訳は、http://www.minchu.or.krに掲載されているものを挙げている。
また、画像引用元:http://www.minchu.or.kr/MK/MK_IMGVIEWE.jsp?
seojiid=kc_mk_a001&gunchaid=av014&muncheid=01&finid=003&startpage=mk_a001_v014_524&endpage=mk_a001_v014_525


numlk01@ようやく見つけました ver.2008.03.30
 * 以前より「海苔」の初出とされていた記述。ただし、より古い記述がある。
 ** この分類が現在の分類に直接影響を与えていると思われる。

 

numlk01|03-30 08:06

韓国のサイトには具体的な引用ページの記載なし。力業で探し出した。疲れたよ。

kopel_yoshida90|03-30 10:09

連続投稿やめてください

fmdoll89|03-30 10:41

日本でも地方によって同じ魚を呼び方を変えたりしますね。陸の産物に比べて海産物の区分ってなかなかしづらい所があったのかな?とか思いますね。

numlk01|03-30 10:46

ご指摘のような困難さから日中韓で呼び名・分類が違い、そして、時代によって名称が変遷しているにもかかわらず、現在の名称から過去の起源を主張する国があったりするから、困ってしまいます。

xiaoke|03-30 20:30

しかも「謹按」ですからねぇ…

numlk01|03-30 21:35

この丁若鏞の説に従って、アマノリ=海衣、甘苔、海苔、(甘藿)、紫苔、青苔という現在の用語例になってしまった模様です。

numlk01|03-31 07:58

で、この記述で分かるのは、この時代の俗名が”朕chim”だということですね。これがkimへと変化したのではないかと考えられます。

潛谷先生遺稿卷之六 請順湖南民情。速爲變通箚。 戊戌七月初十日

潛谷先生遺稿卷之六 請順湖南民情。速爲變通箚。 戊戌七月初十日

20080330120682009290856100

伏以臣伏見全羅監司權堣狀啓。則收米旣加。本色又多。民情落莫。不便者多。反歸於斂怨云。此何言086_120c也。御史書啓。有十五斗,二十斗。亦願爲之之語。御史出入閭里。察見民情。監司只憑守令文報。且信官吏。民情吏情之不同。固宜如此。朝廷熟講幾日月。始定於一榻之前。頒降事目。以爲應行之制。則爲方伯者。固當至誠開諭。以爲十三斗之米。非永定之式也。多而減之則易。少而加之則難。故觀一年之用。量其出而以爲入。消息盈虛。法天之道。此聖算之先定也。十斗之外。三而二。二而一。何不可之有哉云云。可也。不此之思。直以收米旣加之語。恐動民心。其誰不驚惑哉。本色又多。民以爲苦云者。其言誠是。當086_120d初論議之不相合。此也。此法之設。外方出米而上納。一時雖勞。終歲安閑。京中受價而豫備。乘時適用。利在其中。農商之民各得其業。實在於此。反此而行之。則民必不樂。臣之前日所陳別單細籤。不合於心。而不欲爭小而失大。俯首而竊歎者此也。或以爲祭享。國之大事。宜用土產。而不可交易。油淸米麪魚肉脯醢在處皆有。豈遠來者貴而近取者賤。徵捧者好而待價者惡乎。貢物進上。皆是上供。豈可差等於祭享歲幣。雖曰極擇。何以有異於內外哉。半收其米。半徵其物。則民役兩岐。不能息肩。花消不貲。窒086_121a礙之患。無大於此。臣愚以爲柚子,竹筍,海衣,海苔,生鰒,全鰒之外。竝除本色之納。則此誠爲大同之實惠也。今旣更詢民情而不爲變通則不可。欲不失信。除納本色。更無他策。法之將行也。命。法之將廢也。命。民事不可緩。而廟堂之面稟無期。故冒昧仰達。如或賜對。則竝與安民倉之事而悉陳焉。取進止。
出典:http://www.minchu.or.kr/MK/MK_MMTEXTVW.jsp?
gunchaid=av006&muncheid=01&finid=023&
startorgntext=kc_mm_a322_av006_023&endorgntext=kc_mm_a322_av006_023


numlk01@整理中 ver.2008.03.30
 * 当該記述は、1658年(孝宗9年)7月10日の記事。
 ** この段階で、「海衣」と「海苔」とは別個のものであった。

 

numlk01|03-30 04:59

丁若鏞『經世遺表』が”海苔”の初出とのページがあったが、上の史料は1658年の記述なので、丁若鏞『經世遺表』よりも古い記述になる。

numlk01|03-30 05:02

[機械翻訳] 光陽海苔始殖址指定番号:全羅南道記念物第113号 http://www.enjoykorea.jp/tbbs/read.php?board_id=phistory&nid=102761 大元は、指定番号:全羅南道記念物第113号にかんするgo.krドメインのpdfです。 http://new.gwangyang.go.kr:8080/data/korean/01intro/citypaper/book3/8_5_1.pdf

numlk01|03-31 06:22

金堉 http://www.geocities.co.jp/nkks437758/chphk_ky.html

全羅道光陽縣玉谷面太仁島海衣及津下面船所鎭浦市收稅冊

全羅道光陽縣玉谷面太仁島海衣及津下面船所鎭浦市收稅冊(奎18288의 22),
明禮宮(朝鮮)編.
1冊(6張) 筆寫本 41×37.6cm.
明禮宮
咸豊十一年辛酉八月日所屬全羅道光陽縣玉谷
面太仁島海衣及津下面船所鎭浦市收税冊
節目
爲完文成給事本縣太仁島卽訓局所管折受
之地也同島前洋所産海衣收税自訓局從民願酌
量已成節目而今屬本宮爲有在果本縣海倉浦業
之廢閣厥惟久矣事當復設舊址而以其淺灘舟楫
莫通勢不可擬議是矣境内津下面船所鎭處在
嶺湖要衝濱海而商舶無不關由沿陸而旅行足可
來集其形便之周宜正是開市設浦之地而不煩不
撓自成自就是如乎顧民計而可樂業在宮房而
當收税則以公以私允合兩便乙仍于具由
啓禀蒙 允後踏
啓字教是置海衣及浦市收税等節臚列于後
玆成完文依此永久遵行者
辛酉八月 日
明禮宮

一太仁島河東古池錢壹百玖拾五兩
墻内錢貳百兩
渡村錢柒拾兩
玉谷面金湖錢壹百玖拾五兩
廣浦錢壹百柒拾五兩
衣巖錢貳拾兩
新津錢貳拾五兩
莊洞
臨川
錢參拾五兩
山腰
新基
大里
沙基
柏巖
墨方
三尊
錢拾兩
錦村
栗洞
錢貳拾兩
津上面内外錦村
梨川
錢肆拾兩
立巖
木果
桃源
青龍
旨郎
元堂
倉村
驛村
龍溪
新川
坪村
炭峙
飛村
於峙
竹林
熊洞
錢柒拾兩
骨若面臥牛
馬屹
細洞
杏亭
五柳
寺洞
中洞
不老
軍藏
錢五拾兩
津下面仙浦
項洞
眞亭
錢參拾兩
莊峙
望德
九龍
堰頭
馬浦
農所
狸島
德峙
畓洞
車洞
錢陸拾五兩
已上錢壹千貳百兩
一税錢收納之限毎年以三月晦内定式毋或違
越者
一海衣之業亦有豊歉與稼穡無異或値歉荒之
歳可有叅互之道税錢自本官摘奸後徃復酌
減事
一税錢壹千貳百兩内一千兩輸納是遣二百兩段元納
一千兩駄價及收刷任掌紙筆墨等用下事
一税錢折半段毎年十二月初十日發令同月三十五日
至畢捧折半段翌春二月十五日發令同月晦日至
準刷待三月日輸納事
一及其税錢收刷也如無別飭則難保無任掌稽
滯之慮若違限不納徴罰錢二兩事
一各浦市之有物主自是通規同物主以附近面饒
民中自願者限五六人自本邑成差紙擧行事
一塲市各廛檢察任掌段自本邑差出擧行而
軍保烟役依例勿侵事
一船税段從商船來泊數爻分其大中小磨鍊
收税事
一塲市各廛隨其物件賣買分等收税事
一税錢自十月三月至自四月九月至分兩等收納而
冬春六朔倍簁於夏秋六朔計其多少酌定事
一税錢段假量以一千兩爲定而此非恒式待竣事
成實更爲分多少定加減磨鍊事
一統一年收税爲幾許内物主雜費從所入計
除後上納錢定數輸納事
一税錢駄價勿論於原納中事
一收刷時與上納時不可無都次知任掌自本邑
以勤幹將吏差出監色擧行事
一牟利奸細輩敢欲紛競如有挽船沮戲之弊
這這指姓名馳報以爲嚴勘事
一未盡條件追後磨鍊事

(明禮宮印 二一個處)
原文URL


[(以前の)解説]
     1861년(哲宗 12) 明禮宮에서 全羅道 光陽縣 玉谷面에  있는  太仁島의  海衣(海苔)와
   津下面 船所鎭의 浦市收稅 등에 대하여 마련한 節目이다. 내용은 前文·後·節目의  세
   부분으로 나누어져 있다. 前文 내용은 "光陽縣 太仁島는 訓鍊都監에서 折受하여 그  所
   管이지만, 同島前洋 소산의 海衣收稅는 訓鍊都監이 民願에 따라 酌量하여 節目을  만들
   었는데, 지금부터 本宮에 속하게 한다. 또 本縣 津下面에 船所鎭處는 嶺湖의  要衝濱海
   에 있어 商船이 많이 모이니, 그 형편을 살펴서 開市設浦하고, 이에  海衣와  浦市收稅
   등을 後에 기록한다"는 것이다. 「後」에는 各地名과  海衣收稅額이  錢으로  기록되어
   있는데 그 총합은 1,200兩이다. 節目은 海衣收稅와 浦市收稅에 대한 것으로 다음과  같
   은 것이 기록되어 있다. 稅錢은 每年 3月 그믐(晦) 내에 상납하며  期限을  어기지  말
   것, 海衣之業도 豊?겸이 있어 ?겸荒의 해에는 참작하는 것이 마땅하니  稅錢은  本宮에
   서 摘奸한 후에 往復酌減할 것, 稅錢 1,200兩 중에 1,000兩은 輸納하고  200兩은  元納
   1,000兩의 馱價와 收刷任掌의 紙墨價로 쓸 것, 稅錢과 折半은 매년 12월 초 10일에  發
   令하여 同月 5일까지 畢捧하며, 折半은 다음해 봄 2월 15일에 發令하여 同月  그믐까지
   準刷하여 3月에 輸納할 것, 各浦市에 物主가 있는 것은 通規이니 同物主는  부근面  饒
   民중에서 自願者 5∼6人에 한하고 本邑에서 差紙를 만들어서 거행할것, 場市各廛의  檢
   察任掌은 本邑에서 差出하여 거행하고 軍保烟役은 침탈하지 말 것, 船稅는  商船  來泊
   數爻에 따라서 大·中·小로 나누어 收稅할것, 場市各廛는 物件買賣에  따라서  分等하
   여 收稅할 것, 稅錢은 10월에서 3월까지 4월에서 9월까지 兩分하여 收納하되 冬春  6朔
   (10월∼3월)은 夏秋 6朔(4月∼9月)의 倍?사로 하고 多少를 헤아려 참작하여  정할  것,
   총 1年收稅중에서 物主雜費를 쓴 만큼 除한 후에 上納錢을 定數하여 輸納할  것,  稅錢
   馱價는 願納중에서 勿論할 것, 收刷時와 上納時는 都次知任掌이 있어야 하니  本邑에서
   勤幹將吏를 監色으로 差出하여 시행할것, 牟利奸細輩가 紛競을 일으키거나  挽船沮戱의
   폐단이 있으면 일일이 姓名을 적어 보고하여 嚴飭할 것 등이다.
1861年(哲宗12)明礼宮で全羅道光陽県玉谷面にある太仁島の海衣(海苔)と津下面船所鎮の浦市収税などに対し用意した節目だ。 内容は前文・後・節目の三部分で分けている。
前文内容は"光陽県太仁島は訓錬都監で折受して,その所管だが,同島前洋所産の海衣収税は訓錬都監が民願により酌量して節目を作るオンヌンデ,今から本宮に属するようにする。また本県津下面に船所鎮処は嶺湖の要衝濱海にあって商船がたくさん集まると,その状態を見回して開市設浦と,これに海衣と浦市収税などを後に記録する"ということだ。
「後」には各地名と海衣収税額が銭で記録されているのでその総合は1,200両だ。
節目は海衣収税と浦市収税に対することが次のようなのが記録されている。
  • 税銭は毎年3月大晦日(晦)内に上納しながら期限を破らないこと,
  • 海衣之業も豊?抑えがたさがあって?兼荒の年には参酌することが当然だから税銭は本宮にソ摘奸した後に往復酌減すること,
  • 税銭1,200両中に1,000両は輸納と200両は元納1,000両の駄価と収刷任掌の紙墨価で使うこと,
  • 税銭と折半は毎年12月初め10日に発令して同月5日まで畢捧し,折半は次の年の春2月15日に発令して同月大晦日まで準刷して,3月に輸納すること,
  • 各浦市に物主があるのは通規であるから同物主は付近面饒民中で自願者5〜6人に限って本邑で差紙を作って,挙行すること,
  • 場市各廛の検察任掌は本邑で差出して,挙行して軍保烟役は侵奪しないこと,
  • 船税は商船  来泊数爻にしたがって大・中・小で分けて収税すること,
  • 場市各廛は物件買売にしたがって分等ハ女収税すること,
  • 税銭は10月で3月まで4月で9月まで両分して収納するものの冬春6朔(10月〜3月)は夏秋6朔(4月〜9月)の倍?四にして多少を推し量って,参酌して決めること,
  • 総1年収税中で物主雑費を使っただけ除した後に上納銭を定数して輸納すること,
  • 税銭駄価は願納中で勿論すること,
  • 収刷時と上納時は都次知任掌がなければならないから本邑で勤幹将吏を監色で差出して,施行すること,
  • 牟利奸細輩が紛競を起こしたり挽船沮戯の弊害があればいちいち姓名を書いたりして厳飭することなどだ。       
http://web.archive.org/web/20040126143007/
http://kyujanggak.snu.ac.kr/BA/SGP-077-009135.htm

20080330120681993738833200


[参考]
全羅道蝟島古群山漁稅錢舊未收蕩減成冊(奎17072,奎16727),
全羅監營(朝鮮)編.
各 1冊(3張) 筆寫本 38.5×24.3cm.
"1854년(哲宗 5)에 全羅監營에서 道內蝟島 古群山 漁場의 辛亥年(1851)-癸丑年(1853)條 漁稅錢末收錢을 蕩減한 것을 기록하여 備邊司에 올린 것이다. 蝟島는 辛亥春等末收錢·癸丑春等末收錢 등 3년간의 5,991兩 7錢 5分이 탕감되고 있으며, 古群山은 癸丑春末收錢 1,625兩 9錢 5分이 탕감되고 있다. ≪全羅道蝟島古群山漁稅錢甲寅爲始定成冊≫<奎 No. 16727>은 1854년(哲宗 5)에 全羅監營에서 蝟島와 古群山에 있어서 當年(甲寅)부터 始定된 漁稅錢을 기록한 것이다. 이 책은 같은 년월에 같은 지역에 있어서 甲寅年까지 末收된 漁稅錢을 탕감한 것을 기록한 <奎 No. 17072>本과 비교된다. 구체적인 내용은 蝟島와 古群山 두 지역으로 나누어서, 甲寅(1854)春秋等漁稅摠額·癸丑(1853)冬陳頉 또는 甲寅(1854)査陳減·在錢額·在錢額의 各項目別額數 등이 기록되어 있다. 在錢額은 船稅錢·海衣稅錢·漁綱稅錢·注泊稅錢 등의 項目으로 구분되어 있다.
"1854 年(哲宗5)に全羅監営で道内蝟島古群山漁場の辛亥年(1851)-癸丑年(1853)條漁税銭末収銭を蕩減したのを記録して備辺司に上げたのだ。蝟島は辛亥春等末収銭・癸丑春等末収銭など3年間の5,991両7銭5分が減少されており,古群山は癸丑春末収銭1,625両9銭5分が減少されている。 ≪全羅道蝟島古群山漁税銭甲寅為始定成冊≫<奎No. 16727>は1854年(哲宗5)に全羅監営で蝟島と古群山において当年(甲寅)から始定なった漁税銭を記録したのだ。この本は同じ年月に同じ地域において甲寅年まで末収なった漁税銭を減少したのを記録した<奎No. 17072>本と比較される。具体的な内容は蝟島と古群山二つの地域で分けて,甲寅(1854)春秋等漁税摠額・癸丑(1853)冬陳.. または甲寅(1854)査陳減・在銭額・在銭額の各項目別額数などが記録されている。在銭額は船税銭・海衣税銭・漁綱税銭・注泊税銭などの項目に区分されている。
奎17072:http://e-kyujanggak.snu.ac.kr/MOK/CONVIEW.jsp?
type=HEJ&ptype=list&subtype=jg&lclass=10&mclass=&sclass=&ntype=hj&cn=GK17072_00
奎16727:http://e-kyujanggak.snu.ac.kr/MOK/CONVIEW.jsp?
type=HEJ&ptype=list&subtype=jg&lclass=10&mclass=&sclass=&ntype=hj&cn=GK16727_00
numlk01@資料整理中 ver.2008.03.31
 * 税の側面からのアプローチが割と有効かもしれない。

 

numlk01|03-30 05:04

19世紀における「海衣」の用例として挙げてみる。

takejima|03-30 06:08

「ワカメ」って、日本だと漢字で、「若布、和布、稚海藻、裙帯菜」かなw。鮮朝半島では、どのような漢字で表すんだろうw?鮮朝料理には、海苔よりはワカメを利用する事が多い感じがするけど、実際はどうなのかなw?

numlk01|03-30 06:20

"藿(かく):わかめ"です。 http://www.enjoykorea.jp/tbbs/read.php?board_id=phistory&nid=96796

朝鮮王朝實錄における”海衣”の記述(附、”海帯”の記述)

こんばんは。numlk01です。
先日、こんなスレを作成したのですが、あまりにも記述が少なくて唖然としました。
朝鮮王朝實錄における”海苔””甘苔”の記述(国史編纂委員会様へのお手紙を含む)
http://www.enjoykorea.jp/tbbs/read.php?board_id=phistory&nid=102885
では、リベンジマッチとして、”海衣”の記述を採り上げることにしました。
まず、検索画面から。

20080329120679014516366100

漢字ベースだと34件hitしています。なんか今回もずれてますね。
で、早速、一覧にしてみましたよ。
世宗 30卷 7年 10月 26日 (辛卯) 4번째기사 / 해동청을 바친 사정 강을부·응사 최득해에게 옷 한 벌씩 하사하다 
http://sillok.history.go.kr/viewer/viewtype1.jsp?id=wda_10710026_004&grp=&aid=&sid=455479&pos=0
* ハングルでの検索ではhitしていないが、漢字検索では出てくる。これが実録における”海衣”の初出。
世宗 45卷 11年 7月 19日 (癸亥) 2번째기사 / 임금이 왕세자와 백관을 거느리고 서토를 축하하는 표·전문을 배송하다 
http://sillok.history.go.kr/viewer/viewtype1.jsp?id=wda_11107019_002&grp=&aid=&sid=455479&pos=1
* 既出
世宗 48卷 12年 5月 4日 (癸卯) 1번째기사 / 왕세자와 백관을 거느리고 사은 표전을 배송하다 
http://sillok.history.go.kr/viewer/viewtype1.jsp?id=wda_11205004_001&grp=&aid=&sid=455479&pos=2
地理志 / 忠淸道 / 洪州牧/ 태안군(泰安郡) 
http://sillok.history.go.kr/viewer/viewtype1.jsp?id=wda_40005004_001&grp=&aid=&sid=455479&pos=3
地理志 / 慶尙道 / 慶州府/ 울산군(蔚山郡) 
http://sillok.history.go.kr/viewer/viewtype1.jsp?id=wda_40006001_003&grp=&aid=&sid=455479&pos=4
地理志 / 慶尙道 / 慶州府/ 동래현(東萊縣) 
http://sillok.history.go.kr/viewer/viewtype1.jsp?id=wda_40006001_008&grp=&aid=&sid=455479&pos=5
地理志 / 慶尙道 / 慶州府/ 기장현(機張縣) 
http://sillok.history.go.kr/viewer/viewtype1.jsp?id=wda_40006001_011&grp=&aid=&sid=455479&pos=6
地理志 / 慶尙道 / 慶州府/ 장기현(長鬐縣) 
http://sillok.history.go.kr/viewer/viewtype1.jsp?id=wda_40006001_012&grp=&aid=&sid=455479&pos=7
地理志 / 慶尙道 / 慶州府/ 영일현(迎日縣)
http://sillok.history.go.kr/viewer/viewtype1.jsp?id=wda_40006001_015&grp=&aid=&sid=455479&pos=8
地理志 / 慶尙道 / 安東大都護府/ 영해도호부(寧海都護府) 
http://sillok.history.go.kr/viewer/viewtype1.jsp?id=wda_40006002_001&grp=&aid=&sid=455479&pos=9
地理志 / 慶尙道 / 安東大都護府/ 영덕현(盈德縣) 
http://sillok.history.go.kr/viewer/viewtype1.jsp?id=wda_40006002_008&grp=&aid=&sid=455479&pos=10
地理志 / 전라도(全羅道) 
http://sillok.history.go.kr/viewer/viewtype1.jsp?id=wda_400070&grp=&aid=&sid=455479&pos=11
* 前回の検索ではhitしなかったが、”甘苔”の記述がある。
世祖 3卷 2年 3月 26日 (乙未) 3번째기사 / 선군을 사사로이 부린 당진포 만호 전유례 등의 죄를 청하다 
http://sillok.history.go.kr/viewer/viewtype1.jsp?id=wga_10203026_003&grp=&aid=&sid=455482&pos=0
* 既出
世祖 7卷 3年 4月 16日 (己酉) 3번째기사 / 유수강이 영동을 방어하는 일에 대해 조목을 갖추어 상언하다
http://sillok.history.go.kr/viewer/viewtype1.jsp?id=wga_10304016_003&grp=&aid=&sid=455482&pos=1
世祖 16卷 5年 4月 12日 (癸亥) 1번째기사 / 판내시부사 전균에게 명나라 사신에게 선물을 내릴 것을 명하다
http://sillok.history.go.kr/viewer/viewtype1.jsp?id=wga_10504012_001&grp=&aid=&sid=455482&pos=2
* 既出
世祖 47卷 14年 7月 8日 (乙丑) 1번째기사 / 강옥과 김보에게 소주, 녹미, 마른 노루 등을 나누어 주다 
http://sillok.history.go.kr/viewer/viewtype1.jsp?id=wga_11407008_001&grp=&aid=&sid=455482&pos=3
成宗 95卷 9年 8月 13日 (壬寅) 2번째기사 / 한치형이 가지고 간 진헌물은 황제의 칙명에 인한 것이다 
http://sillok.history.go.kr/viewer/viewtype1.jsp?id=wia_10908013_002&grp=&aid=&sid=455484&pos=0
成宗 99卷 9年 12月 21日 (戊申) 4번째기사 / 한치형이 황제가 요구하는 물목을 가져오다 
http://sillok.history.go.kr/viewer/viewtype1.jsp?id=wia_10912021_004&grp=&aid=&sid=455484&pos=1
成宗 108卷 10年 9月 18日 (辛未) 3번째기사 / 물목이 대서계와 소서계가 다름을 의논하다 
http://sillok.history.go.kr/viewer/viewtype1.jsp?id=wia_11009018_003&grp=&aid=&sid=455484&pos=2
成宗 119卷 11年 7月 22日 (庚子) 1번째기사 / 예조 판서 이승소·도승지 김계창 등을 태평관에 보내어 진헌 물건을 봉하다 
http://sillok.history.go.kr/viewer/viewtype1.jsp?id=wia_11107022_001&grp=&aid=&sid=455484&pos=3
成宗 120卷 11年 8月 19日 (丙寅) 1번째기사 / 성절사 한한이 북경에 싸가지고 가는 별진헌의 물목 
http://sillok.history.go.kr/viewer/viewtype1.jsp?id=wia_11108019_001&grp=&aid=&sid=455484&pos=4
成宗 136卷 12年 12月 22日 (壬戌) 1번째기사 / 성절사 한치형이 칙서를 받들고 돌아오다 
http://sillok.history.go.kr/viewer/viewtype1.jsp?id=wia_11212022_001&grp=&aid=&sid=455484&pos=5
成宗 157卷 14年 8月 1日 (辛酉) 2번째기사 / 연회를 베풀고자 하였으나 사신들이 사양하고 대신 상 태감에게 선물하기를 청하다 
http://sillok.history.go.kr/viewer/viewtype1.jsp?id=wia_11408001_002&grp=&aid=&sid=455484&pos=6
成宗 157卷 14年 8月 18日 (戊寅) 3번째기사 / 동지중추부사 한찬으로 하여금 북경에 가서 성절하게 하다
http://sillok.history.go.kr/viewer/viewtype1.jsp?id=wia_11408018_003&grp=&aid=&sid=455484&pos=7
成宗 158卷 14年 9月 16日 (丙午) 3번째기사 / 도승지에게 진헌 물품을 싸게 하다 
http://sillok.history.go.kr/viewer/viewtype1.jsp?id=wia_11409016_003&grp=&aid=&sid=455484&pos=8
成宗 169卷 15年 8月 24日 (戊寅) 3번째기사 / 성절사 한치형이 가지고 간 별헌의 물목 
http://sillok.history.go.kr/viewer/viewtype1.jsp?id=wia_11508024_003&grp=&aid=&sid=455484&pos=9
中宗 19卷 9年 1月 14日 (戊寅) 4번째기사 / 내농작의 모든 기구를 후원에 배설하다. 승지·감조관 등에게 술을 내리다
http://sillok.history.go.kr/viewer/viewtype1.jsp?id=wka_10901014_004&grp=&aid=&sid=455486&pos=0
* 既出
宣祖 136卷 34年 4月 1日 (戊辰) 8번째기사 / 경상도 암행 어사 조수익이 도내 실정을 서계하다 
http://sillok.history.go.kr/viewer/viewtype1.jsp?id=wna_13404001_008&grp=&aid=&sid=455489&pos=0
孝宗 3卷 1年 3月 23日 (丙子) 1번째기사 / 청사신의 접대로 인한 민폐를 줄이고 국혼을 위해 사대부 자녀의 혼인을 지시하다 
http://sillok.history.go.kr/viewer/viewtype1.jsp?id=wqa_10103023_001&grp=&aid=&sid=455494&pos=0
正祖 34卷 16年 1月 27日 (丁酉) 2번째기사 / 지방의 공물을 규정대로 바치게 하다 
http://sillok.history.go.kr/viewer/viewtype1.jsp?id=wva_11601027_002&grp=&aid=&sid=455502&pos=0
正祖 36卷 16年 12月 24日 (戊子) 2번째기사 / 각도와 개성·강화의 대장에 올라 있는 배와 소금가마·어살 등의 세금을 조정하다 
http://sillok.history.go.kr/viewer/viewtype1.jsp?id=wva_11612024_002&grp=&aid=&sid=455502&pos=1
正祖 38卷 17年 11月 27日 (丙辰) 2번째기사 / 삭선의 폐단을 바로 잡도록 교서를 내리다 
http://sillok.history.go.kr/viewer/viewtype1.jsp?id=wva_11711027_002&grp=&aid=&sid=455502&pos=2
正祖 38卷 17年 12月 18日 (丁丑) 2번째기사 / 청죽과 닥나무의 공납 폐단을 바로잡도록 하명하다 
http://sillok.history.go.kr/viewer/viewtype1.jsp?id=wva_11712018_002&grp=&aid=&sid=455502&pos=3
正祖 49卷 22年 7月 7日 (己巳) 1번째기사 / 동래부 공선(貢膳)의 폐단을 바로잡도록 하다 
http://sillok.history.go.kr/viewer/viewtype1.jsp?id=wva_12207007_001&grp=&aid=&sid=455502&pos=4
これで全部です。
細かな内容を見ると分かるのですが、当初は名産品だったり、朝貢の品として扱われていたようですが、最後の方になると、貢膳になっています。
詳細は、別個のスレにて。
なお、本草綱目で挙げられていた”海帯”についてですが、検索してみると、8件でした。
 * 2008/03/29/22:00内容訂正。

20080329120679603013287400

このあたりも手がかりになりそうですね。
とりあえず、検索結果を提示するところまで。


numlk01@作成中 ver.2008.03.29

 

numlk01|03-29 21:08

若干、コメントしているが、実録の検索結果はあてにならない。今回の調査で、実録における”海衣”の初出が遡った。

numlk01|03-29 21:12

世宗 30卷, 7年(1425 乙巳 / 명 홍희(洪熙) 1年) 10月 26日(辛卯) 4번째기사 「海東青を捉えて捧げた司法姜乙富と鷹師崔得海に服を各々一着ずつ下賜した。」・・・つまり、”海衣”とあっても、衣服を指す場面があるということ。

numlk01|03-29 22:21

22:00 に内容を訂正した。”海帯”であるが、8件ヒットした。通常は旧字で検索するのだが、コピー段階で化ける。そのままにしていた模様。通常は韓国語のホームページからコピーして入力するのだが、それでもうまくいかなかったようだ。そこで、手書き文字にて直接入力した。それにより出力結果に違いが生じた。なお、それ以前については、検索がヒットしているので、問題ないと考えられる。

hiroshimania|03-30 01:15

haitaiは今の中国ではワカメ・昆布でしたっけか。当時は海苔も入ってたのかな?

numlk01|03-30 01:37

幅の広い褐藻類ですね。アマノリとの関係については、本草綱目についてのスレを見て下さい。http://www.enjoykorea.jp/tbbs/read.php?board_id=phistory&nid=102800

numlk01|03-30 01:39

最後の画像の「昆布」の記述中に、分類に関する諸説が紹介してあります。

朝鮮王朝實錄における”海苔””甘苔”の記述(国史編纂委員会様へのお手紙を含む)

おはようございます。numlk01です。
ここ暫く海苔について調べていますが、新しい原文が見つからないので、ちょっと足下を固めることにしました。
それは、誰でもアクセスできる朝鮮王朝實錄で、”海苔””甘苔”の記述があるか、という点です。
簡単なので、さくっと調べてみましょう。
まず、「海苔」から。
前提として確認しておきますが、検索する場合、漢字で実施するものとします。

20080328120665178687510100

ほとんどヒットしません。該当記述を調べてみると・・・

20080328120665187062018800

世祖 3卷, 2年(1456 丙子 / 명 경태(景泰) 7年) 3月 26日(乙未) 3번째기사
선군을 사사로이 부린 당진포 만호 전유례 등의 죄를 청하다
--------------------------------------------------------------------------------
○司憲府啓: “唐津浦萬戶全有禮, 私役船軍煮鹽, 付船軍勒收麪十石、木綿衣四領, 托焉進上, 多收苧及紅藍花等物。 高巒萬戶金商, 以進上海衣貿易爲辭, 徵綿布、苧布、麻布於船軍, 放還本家, 又無故責納紙八十八卷, 以公鹽付船軍, 徵米三石, 留私馬二匹, 委船軍喂養。羣山萬戶金奉元, 私放船軍, 責納紙一百四十六卷, 以公鹽換黃豆三石八斗, 經年喂馬。 本人等以海道偏將, 防禦諸事慢不致意, 侵虐船軍, 橫斂萬端, 監臨官物, 縱意費用, 雖被劾遇赦, 不可不懲。 請將有禮、金商已收告身, 輸于兵曹終身不赦, 奉元幷收告身, 坐贓不敍。” 從之。
http://sillok.history.go.kr/viewer/viewtype1.jsp?id=kga_10203026_003&grp=&aid=&sid=455701&pos=0

20080328120667925066343400

中宗 19卷, 9年(1514 甲戌 / 명 정덕(正德) 9年) 1月 14日(戊寅) 4번째기사
내농작의 모든 기구를 후원에 배설하다. 승지·감조관 등에게 술을 내리다
--------------------------------------------------------------------------------
○內農作諸具, 排設於後苑。 左邊自慶會池北邊初階, 抵于北墻小門內, 右邊自忠順堂前階, 抵于翠露堂前, 皆依倣《豳風七月》篇, 而右則象周公進《無逸》之狀, 左則象周公進《七月》篇之狀。 其所書簇子, 以海衣爲紙, 以樺皮■刻爲字。 又象岐山四時山色, 凡奇花異草、蟲、魚、禽、獸、人物, 靡不備具。 上命中使, 宣醞于承旨及監造官等。
http://sillok.history.go.kr/viewer/viewtype1.jsp?id=kka_10901014_004&grp=&aid=&sid=455705&pos=0

「海衣」じゃん!

もしかして、漢字ではまともに検索できないシステムなのでしょうか?
韓国語に変換した内容で検索しているのですかねえ。
国史編纂委員会様、漢字が違うと意味が違うんです。これだと表記の変化を調べられません。
海衣=海苔という解釈を前提にしているのかもしれませんが、他の文献からも、ずれている事実は読み取れます。
ですから、漢字自体で検索できるシステムにしてもらえませんでしょうか。
そうしないと信頼性に欠けてしまいますよ。
気を取り直して、次に進みます。”甘苔”です。
これは間違いなくアマノリを指すと思われるのですが、何件くらいあるかというと・・・

20080328120665237046171000

たったこれだけです。我が目を疑いました。本当なのか、と。
ちなみに、最初の記述は、既出です。
「海衣」の記述 [世宗莊憲大王實錄十四冊 卷第四十五]
http://www.enjoykorea.jp/tbbs/read.php?board_id=phistory&nid=96796
 * 確かに、これには「甘苔」とありました。確認済みです。
では、残りはというと、こちらになります。

20080328120665262723375700

20080328120665265179435600

20080328120665267289641000

地理志 / 全羅道 / 羅州牧/ 영암군(靈巖郡)
--------------------------------------------------------------------------------
◎ 靈岩郡: 本百濟月奈郡, 新羅改靈巖, 高麗成宗十五年丙申, 改朗州、安南都護府。 顯宗九年戊午, 復降爲知靈巖郡事, 本朝因之, 別號朗州。 古屬縣四。 昆湄, 本百濟古彌縣, 新羅改昆湄, 爲靈巖領縣, 高麗因之。 黃原, 本百濟黃述縣, 新羅改黃原, 爲道康領縣, 高麗改爲靈巖任內。 玉山、玉泉。【今報古之冷井部曲。】鄕二, 鎭南、北平。 所四, 冬栢、馬峯、神葛、䰎仁。 部曲四, 八馬、懷義、松旨、深井。 鎭山, 月出。【在郡南, 新羅稱月柰岳, 躋小祀, 高麗初, 稱月生山。】四境, 東北距羅州東十里, 北十八里, 西距海口三十五里, 南距海珍三十里。 戶三百三十三, 口一千二百二十九。 軍丁, 侍衛軍二十五, 營軍二十六, 船軍二百五十九。 土姓六, 崔、朴、周、白、嵆、陸。 昆湄姓五, 許、庾、裵、田、鍾。 黃原姓四, 黃、尹、宋、葛。【宋, 一本作宗。】玉泉姓五, 全、尹、愼、安、朴。【全, 一本作金。】北平姓一, 曺。 松旨姓二, 金、全。 懷義姓一, 全。【一作金】深井姓一, 全。【一作金。】鎭南姓一, 嵆; 亡姓一, 吳。 厥土肥塉相半, 墾田六千五百四結。【水田九分之五。】土宜五穀, 麻、楮、柿、栗、石榴、莞。土貢, 狐狸山水獺皮、鹿角、黃毛、蜂蜜、黃蠟、漆、水魚、全鮑、蔈膏、粉藿、石茸、笋、雀舌茶、芝草、榧子、席。 藥材, 島阿鳥油、人蔘、水泡石。土産, 橘、篠、甘笞。 鹽所三,【鹽倉在郡城內。高麗恭讓王元年己巳, 以海珍白也浦鹽干移屬郡置倉, 因名海南倉, 令郡事掌之。 鹽干三十八名, 春秋貢鹽三百七十名。】磁器所二, 皆在郡西昆湄多岾里。【品中。】陶器所二, 皆在郡西昆湄栗岾。【品下】驛一, 永保。【古有南里驛, 因倭寇敗亡。】牧場二, 露梁、【放雌雄馬幷一百三十九匹】臨緇島。【放雌雄牛二百二十一首】關防, 達梁。【兵船泊立。】要害一, 通音所峴。【自康津北指靈巖。】烽火二處, 葛頭在郡南,【東準康津佐谷, 西準海珍花山。】黃原在郡西。【東南準花山, 北準務安鍮達。】靈異, 郡人諺傳高麗時人崔氏園中, 有一瓜, 長尺餘, 一家頗異之。 崔氏女潛摘食之, 歆然有娠, 彌月生子。 父母責以無人道而生兒, 置之于竹林, 居數七日, 女往視之, 有鳩來覆翼之, 告于父母, 往見異之, 撫養。 及長, 祝髮爲僧, 名道詵。 《周官》《六翼》云: “道詵入唐, 傳得一行禪師地理之法而還, 踏山自白頭山至鵠嶺, 因過世祖宅, 見其新搆處, 乃曰: ‘種穄之地【鄕言穄, 與王音異意同故云。】何種麻耶?' 言訖而去。夫人聞而入告世祖, 倒屣追之, 及見, 如舊相識, 請與同遊, 共登鳩嶺, 究觀山水之脈。 詵上觀天文, 下察時數曰: ‘此地脈, 自壬方白頭山水母木幹來, 落馬頭明堂, 宜從水之大數, 作宇六六爲三十六區, 則符應天地之大數。 若依此訣, 必生聖子, 宜名曰王建。' 因作實封一道, 外封云: ‘謹奉書百拜, 獻于未來統合三韓之主大原君子足下。' 世祖卽從密訣, 造屋居之, 明年, 果誕太祖。” 越境, 康津無爲洞、月南洞、仇隱村、佐谷里、上谷里之地, 合于郡南; 海珍比谷、別珍、北仇末、墨山、狗山、安福、加次良、勿也只之地, 入于郡南; 羅州加佐村、海珍命山村之地, 入于郡北。
http://sillok.history.go.kr/viewer/viewtype1.jsp?id=kda_40007002_002&grp=&aid=&sid=455850&pos=1

20080328120667941530246500

世祖 16卷, 5年(1459 己卯 / 명 천순(天順) 3年) 4月 12日(癸亥) 1번째기사
판내시부사 전균에게 명나라 사신에게 선물을 내릴 것을 명하다
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○癸亥/命判內侍府事田畇齎鹿(及)〔皮〕鹿尾、脯、鱐、乾菌、胡桃、鰒魚鮓、銀口魚鮓、海衣、甘苔等物贈明使, 嘉猷不受, 軏受之。 贈頭目脯、鱐、魚鮓等物, 頭目不敢擅受, 令金子安告于嘉猷, 不諾, 良久曰: “可。 只受數物。”
http://sillok.history.go.kr/viewer/viewtype1.jsp?id=kga_10504012_001&grp=&aid=&sid=455853&pos=0

これだけです。「甘苔」ですら、この状況です。
もしかしたら、システムの問題で拾い出せないのかもしれませんが、それにしても少なすぎます。
 * 念のために一言付け加えておきますが、海衣の記述は結構あります。ご注意下さい。
ここでの疑問は、なぜ15世紀には、甘苔と海衣とは別個であったが、後に「甘苔」の記述が消えてしまったのかとうことです。また、「海苔」の記述についても、初出はずっと後だとされていますが、それにしても実録で一度も記述されていないのは何故か。不思議で仕方がないのです。
疑問の解明には時間がかかると思いますが、じっくり調べていこうと思います。


numlk01@早起き ver.2008.03.28

 

yhkdikkyh|03-28 10:36

そうそう金ノフィゴッしなさい. 馬鹿. 人生本当にハルイルオブダ. お前. 長さがどの国のでも食べれば良いでしょう,

kiyomasa02|03-28 14:29

糞でも食ってろ

numlk01|03-28 22:27

( ゚∀゚)o彡゜金瑛勳!金瑛勳!

kobaya4|03-28 22:41

朝鮮王朝實錄の「中宗 19卷, 9年(1514) 1月 14日」中の「以海衣爲紙」は、楮と海藻を混ぜて作る「海藻紙」だろう。日本における「海苔(のり、かいたい)」の表記と読み方の変遷は次の通り。ご参考まで。奈良時代初期の養老(717~724)年間に撰進された『常陸国風土記』には、その中の信太郡(しだのこほり~現在の茨城県稲敷郡)の章に、「海苔」という文字が使われており、それをノリと言っていたことが分かるが、以下にも記載のように一般には、ノリの漢字は「紫菜」を用い、ムラサキノリ(当時は、無良佐木乃里とか、牟良佐支乃里などのルビがある)と読んでいたようだ。(つづく)

kobaya4|03-28 22:42

時代は下って『倭名抄』 (934年頃)は「紫菜、阿末乃里、俗用二甘苔一」、『名義抄(』(11C末から12C頃)は、「紫菜、ムラサキノリ、アマノリ」。鎌倉時代の三卷本『色葉字類抄』(1177-81年)は、〔神仙(シンせン)菜 アマノリ。甘苔 同/俗用之。紫菜同。〕また、十巻本『伊呂波字類抄』(12世紀頃の日本最古の辞書)には、〔神仙菜 アマノリ。紫菜 。甘苔同/俗用之。〕とある。さらに鎌倉時代の『吾妻鏡』文治二年(1186)二月十九日の項に「供御甘海苔、自二伊豆國一、到二來于鎌倉一、彼國土産也」とある。 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))には、〔紫菜(アマノリ) 。〕とある。(つづく)

kobaya4|03-28 22:43

広本『節用集』(1476年頃成立)に、「紫菜(アマノリ/シ・ムラサキ、サイ・ナ)」とある。また、易林本『節用集』(室町時代中期の国語辞書-16世紀)には、〔甘苔(アマノリ) 。神仙菜(アマノリ) 。〕とある。室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「阿」部に、〔甘苔(アマノリ) 。紫菜(同) 醫云。海帯(同)。〕とあって、「甘苔」「紫菜」「海帯」の語を収載する。頭書訓読『庭訓徃來精注鈔』(天保十四〔1843〕年刊)、『庭訓徃來講釈』(弘化二〔1845〕刊)の注記は、いずれも「甘苔は、本字紫菜(しさい)と書く」と記載する。 http://www.komazawa-u.ac.jp/~hagi/ko_tame91.html (2005/04/22)

numlk01|03-28 23:42

投稿ありがとう。誰か日本の分の原文調査を同じように作ってくれませんかねえw。

oilsand|03-29 05:27

日本の人口が多くてそれはだそれともここに方々が専門家なのでそれはだ... すごいです.

2009年1月5日

大和本草巻之八 草之四 瓜類、蔓艸、芳草類、水草類、海草類

大和本草巻之八  草之四 瓜類、蔓艸、芳草類、水草類、海草類

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http://www.lib.nakamura-u.ac.jp/kaibara/yama/pdf/y08.pdf


numlk01@諸事情により今回も投げっぱなし ver.2008.03.27
 * 本草綱目と比較されたし。海草類という項目に注意。
 ** 特に最後の画像の最終パラグラフは注目に値する。

 

numlk01|03-27 15:13

菜譜 下巻海草 ○稚布(わかめ) ○海帯(あらめ) ○燕窩(えんす) ○凝草(こころふと) ○青苔(あをのり) ○竜髭菜(しらも) ○昆布 ○紫菜(あまのり) ○加知女(かぢめ) ○水松(みる) ○海蘿(ふのり) ○鹿尾菜(ひじきも) ○海藻(なのりそ) ○海蘊(もづく) ○索麺苔(さうめんのり) ○鶏冠苔(とさかのり) ○鳥の足 ○なごや ○松藻(まつも) ○於期(おご) http://www.lib.nakamura-u.ac.jp/kaibara/kafu/head.htm

三國遺事 第一卷 1 紀異 延烏郎 細烏女

三國遺事 第一卷 1 紀異

20080326120652869526265300

http://www001.upp.so-net.ne.jp/dassai/sangokuiji/0101_86/gen.htm

第八阿達羅王即位四年丁酉。東海濱有延烏郎細烏女。夫婦同居。一日延烏歸海採藻。忽有一巖(一云一魚)負歸日本。國人見之曰。此非常人也。乃立為王(按日本帝記。前後無新羅人為王者。此乃邊邑小王。而非真王也)細烏怪夫不來歸尋之。見夫脫鞋。亦上其巖巖亦負歸如前。其國人驚訝。奏獻於王。夫婦相會立為貴妃。是時新羅日月無光。日者奏云。日月之精。降在我國。今去日本。故致斯怪。王遣使求二人。延烏曰。我到此國。天使然也。今何歸乎。雖然朕之妃有所織細綃。以此怪。王遣使求二人。延烏曰。我到此國。天使然也。今何歸乎。雖然朕之妃有所織細綃。以此祭天可矣。仍賜其綃。使人來奏。依其言而祭之。然後日月如舊。藏其綃於御庫為國寶。名其庫為貴妃庫祭天所名迎日縣。又都祈野


numlk01@とりあえず。 ver.2008.03.26
* あまりにも有名すぎて、みんな知っている話だと思いますが・・・

 

numlk01|03-26 20:00

資料整理中。あまりも有名な部分なので、スレ化すべきか悩んだが、網羅するために敢えて作成した。

yhkdikkyh|03-26 20:01

韓国人は過去歴史がどうなっても良いから. あなたは自分の国の社会問題に神経書いてくれますか?

copy_saru000|03-26 20:03

どうして日本人が韓国史を勉強するのか? ^_^ こういう時間にアメリカの歴史を勉強してください

yhkdikkyh|03-26 20:04

いいえイロルシガンにむしろ日本国内の社会問題を解決するのが急先務ですよね.

siraki|03-26 20:09

inari seori

yhkdikkyh|03-26 20:12

日本人が自国の社会問題を直さなかったらそれは韓国人の喜びですね^ ^ 日本が今マングヘがだの非常に私はギプムニだ. 私どもはうちの社会問題を責任負います. コルコルコルあなたたちはナムタッする間に

numlk01|03-26 20:13

( ゚∀゚)o彡゜なぜ三国遺事画像を貼っただけで、朝鮮ちんぽ人が入れ食いなのかw。

yhkdikkyh|03-26 20:15

関係しない^ ^ コルコルコル

satanique|03-26 20:47

ヨンオとセオニョ話ですね.

numlk01|03-26 21:38

正しく翻訳されていないけど、音の感じからすると、たぶん正しい。とても有名なお話です。むしろ韓国人が喜びそうな話題なんですけどねえ。上の人達は漢文だけ見て発狂しちゃいましたw。

satanique|03-26 21:45

日本とちょっと関連がある話のため言うのか関心を持つ日本人たちもいると見ます. あの上の青い IDは無視しても良いよう.

copy_saru000|03-26 22:06

むしろ韓国人はよく分からない話. 確かに日本に渡ったモチーブ神話ではあるが. 日本人がからすが好きで名前があのように変わったのかも.

guns|03-26 23:51

古代史獺祭のコピーですねw 海苔の起源が韓国で海苔巻きも韓国起源と言うやつですねw

numlk01|03-27 00:10

そうです。海苔関連です。現在、半分くらい調べ終わりました。http://www.enjoykorea.jp/tbbs/read.php?board_id=thistory&nid=1943528

guns|03-27 00:18

そういえば私もグルメの、これ関係で常陸風土記を図書館でコピーしてきたんだったw

guns|03-27 00:19

この部分は完全な神話ですね。

guns|03-27 00:39

常陸風土記のコピーは多乾海苔 俗曰乃理 由是名能理と言う部分

numlk01|03-27 01:09

思い出しました、確かにそうでした。乙でした。

copy_saru000|03-27 00:36

だから長さの来由があまり長くなってポギヘボリンゴッですか?W

ousama|03-27 07:21

さて、問題はその紙のように加工した海苔をどのように使用したのかだね。古代朝鮮では米は主食では無く貴重品であったし、ジャポニカ米のように粘り気も無い品種。粟などの雑穀を包むには無理がありすぎますが、どうしましょうか。

numlk01|03-27 13:42

紙のように加工した海苔が”古代”にあったという記録があるのですか?調べますので、ぜひ具体的に教えて下さい。

本草綱目 第16冊 第19巻 草部八 (草之八 水草類二十二種)

 

本草綱目 第16冊    第19巻    草部八 (草之八 水草類二十二種)

20080326120648541776336900
http://www.ndl.go.jp/nature/img_l/001/001-01-053l.html

20080326120648547505471200
http://www.ndl.go.jp/nature/img_l/001/001-01-054l.html

20080326120651924962881700

http://www.ndl.go.jp/nature/img_l/001/001-16-020l.html

20080326120651934160118100

http://www.ndl.go.jp/nature/img_l/001/001-16-021l.html

 20080326120648555150541200
http://www.ndl.go.jp/nature/img_l/001/001-16-022l.html


numlk01@諸事情により投げっぱなし ver.2008.03.26
* 海帯と昆布の区別について、一応の理解を持った上で考えてみて下さい。
** 最後の画像に核心部分が書いてあります。なお、検索すれば、該当部分を和訳したページもあります。しかしながら、先入観を持たないように、まず、そのまま読んで下さい。
*** ”高麗”については、「海衣」の記述 [世宗莊憲大王實錄十四冊 卷第四十五]を参照。

 

numlk01|03-26 18:56

今、再読して確認したところ、下から2番目の画像の方が的確でした。「海藻」についての説明中に「新羅國」の文字があります。

numlk01|03-26 22:02

[資料] 朝鮮半島における海苔にかんする記述(チェックリスト) http://www.enjoykorea.jp/tbbs/read.php?board_id=thistory&nid=1943528

numlk01|03-28 20:13

一応、基本ですが念のために。中国と日本とでは「昆布」という語の指す海藻が異なります。日本での「昆布」は「海帯」になります。

[機械翻訳] 光陽海苔始殖址指定番号:全羅南道記念物第113号

光陽海苔始殖址
指定番号:全羅南道記念物第113号
所有者:理由
所在地:光陽市テ・インドン829-1
規模:試食の場所一員
指定年月日:1987年6月2日
『信証東国輿地勝覧』には‘海衣’という名称で記録されているが別名「海苔」だと呼んだりもする。 46ヶ村の土産品で初めて記録が出てくるのに全南地方では光栄長興羅州霊岩進度強震海南順
チョ:ン・ボソン高興光陽など11ヶ村ですでに海衣が生産された。
今日私たちが‘海苔(キム)’と呼ぶ生え抜き言葉の代わり‘海苔’と書いた最初の記録は順調17年(1817)強震島流し先で丁若鏞の『経世遺表』に“海苔はカムグァクまたは甘苔ともするのに苔には色々な種類があって,そのうち紫笞というものがある。 姿を俗称海衣といってなまりで朕という”という記録だ。
1910年朝鮮総督府が編纂した『朝鮮水産誌』には光陽の物産で米綿花鉄器塩海苔など五種類を持って,その中海苔が最も重要な物産であり,国内程度と記録している。 このように光陽では海苔が性行った。
‘海苔’の始殖に対しては莞島助薬島のキミュモン,莞島,古今面用掌理定時院(朝鮮漁業組合ゆりかご,1942)等の始殖説と光陽の金汝翼(1606 1660年)始殖説などがある。
キム・ヨイク(金汝翼)は霊岩,鶴山面モンヘで生まれて,人造14年(1636)丙子胡乱が起きるや義兵を起こして,従兄キム・ヨジュン捜査について清州に達したが,降参するや戻った後,故郷を離れて,長興椿洞を経て,人造18年(1640)テイン道路入って,カモメとともに生きながら海衣を試食するなど冥利を離れて生きた。 このような事情は粛宗40年(1714)当時光陽県監だった虚心(1713.4 1714.9在任)が作ったという金汝翼の墓標に記されている。 この墓標は残っていないが金海金氏家系図に残っている。
子孫らは‘海苔’を‘海苔’とすることは私たちの先祖金汝翼おじいさんがテ・インドで海衣養殖法を創案したのに河東長ではテインもキム街が育てたという意で‘海苔’としたという。
今日テ・インドに残っている在来式海苔様式は‘日本ホン’というもので山竹やサビ乗って,葦などをモレポルにさす方式で莞島の在来式海苔様式は王台を側ひいては足を作った後,ちょっと深いケッポルにさすヨム・ホン方式などがある
http://new.gwangyang.go.kr:8080/data/korean/01intro/citypaper/book3/8_5_1.pdf
http://209.85.175.104/search?q=cache:8_5RO58Y2a0J:new.gwangyang.go.kr:8080/data/korean/01intro/citypaper/book3/8_5_1.pdf

20080325120641710043528800


numlk01@なるほどね×2 ver.2008.03.25

 

numlk01|03-25 12:57

結局、金汝翼の墓標自体は残っておらず、碑文に‘始殖海衣’と書いてあったとの記述が家系図に残されているだけである。

numlk01|03-25 12:59

つまり、半世紀後に書かれた伝記の類で、その碑文自体も残っておらず、家系図に書いてあるだけという話。残りは全部伝承の類。

copy_saru000|03-25 14:40

キリスト,金,黄金,半導体の起源は日本です. 笑い物.ww

xiaoke|03-25 15:17

半世紀後の伝記が初出ですか…

光陽の朝鮮時代6 -事実を知り是非の判断の先駆者,金汝翼海苔養殖に成功する

20080325120641380952486100
写真の上-金汝翼が最初に海苔養殖に成功したテインも前児島の姿

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写真の下-山おかゆと木枝を利用した自然胞子方式の伝統海苔養殖

李垠澈と共にする光陽歴史正しく知る22
朝鮮時代6
事実を知り是非の判断の先駆者,金汝翼海苔養殖に成功する
テ・インドには全羅南道記念物第113号と指定された‘光陽海苔始殖址’がある。 1700年代初期光陽県監を過ごしたホ・シムが使った金汝翼(キム・ヨイク)(1606〜1660)碑文の‘始殖海衣’-現在雨は消えて-という記録が金海金氏家系図に伝えられていてこの事実を後押ししている。
また子孫らの間に伝えられる伝説によれば,テ・インドは風水的にタコ局面に該当する。金汝翼は1606年霊岩郡, 鶴山面で金氏の次男に生まれた。丙子胡乱(1636)が起きるや義兵を導いてソウルに上がって清州に達した時,すでに王が清国に降参したという消息を聞いて故郷に戻った彼は,ご先祖を見る顔がないとし,故郷を離れて,宝城で3年を過ごした。光陽のテイン度が隠れて買うのに値するという話を聞いて35才なった1640年にテイン道路入ってきた。一日は彼が島の前の海に出て行ったのに海辺に押されてきた栗の木枝に海草がついていてこれをはがして味わうとやわらかくて甘みが出るので持ってきて,漁夫らに尋ねた。漁夫らは石について,スッポンは‘海衣’同じだと話した。翌年秋栗の木と松,竹などの枝を切って村の前児島周辺の干潟にさしておいて観察した。予想したように木の枝に海衣がついて育った。金汝翼は海衣を育てることだけで満足しないで海衣を乾燥する方法を研究した。つく構成して作った早打ちの頭の上に海衣を等しく咲いて止めた後に引き離す乾燥方法まで開発して,人々に普及した。テインも人々は先を争って,これを養殖してその製品を河東,江西に持ち出し売った。河東の人々はテインも‘金氏’が作ったものと‘海苔’(なまりで‘荷物’)だと呼んだし,これが海苔の語源になったという。
この伝説を通じて,私たちは朝鮮末期の光陽社会と人々の生活像をのぞくことができる。
金汝翼は事実を知り是非の判断の精神が透徹した人物だった。 海辺に押されてきた木の枝に海衣がついて育つのをなにげなく行き過ぎでなくて,人工養殖の可能性を発見したのだ。 またこれを実験を通じて,証明して,乾燥方法まで開発して,商品化するのに成功した。
海苔でイクにとって性理学という観念哲学で脱皮して,実生活に適用されることができる知識開発に関心を持つようにさせた背景は彼の社会的身分の変化であると推定される。金汝翼は没落貴族であることが明らかだ。まず彼の家が長い間過去合格者を輩出できなかったし,倭乱とホという(のは)以後急激な身分制変動により貴族身分を維持するのが難しかったことから見える。結局故郷を離れて,朝鮮時代最高の辺境といえるテイン道路来た彼は,性理学の拘束から抜け出して,実学に関心を持ったようだ。
テインも人々が‘海苔’を河東,江西に持ち出し売っているのを通じて,朝鮮末期地方江西の活性化を見られる。今でも一部地方で五日葬が開かれるのに,18世紀にはこういう江西が全国に1千ヶ所を越えた。光陽管内には町長(1日と6日開始),玉谷長(4日と9日),島巨匠(3日と8日),月包装(5日と10日)等4ヶの5日葬江西があった。これら江西で米,綿布,塩などの品目と一緒に‘海苔’と同じ商品作物らが流通していた。封建的な自給自足的経済段階で資本主義的な交換経済の段階に移る変化が現れているのだ。
海苔始殖址を置いて光陽と莞島が論争中だ。しかし重要なのはある地域が先に海苔養殖を始めたかということよりは没落した貴族金汝翼が事実を知り是非の判断の精神で海苔養殖に成功して‘海苔’を商品化したし,これを江西を通じて,活発に,流通させているという点に注目しなければならない。朝鮮の辺境,光陽のテ・インドで近代史会という新しい社会での履行が‘ひそかに’起きていたのだ。
(光陽第一新聞12月22日)
http://www.gwangcheol.hs.kr/g4/bbs/board.php?bo_table=history&wr_id=71&page=1


numlk01@なるほどね ver.2008.03.25

 

numlk01|03-25 12:05

http://www.gwangyang.go.kr/site/Home/culturetour/sub01/a3/a3_a8/ http://www.enjoykorea.jp/tbbs/read.php?board_id=pfood&nid=36024

靑苔錢にいう”靑苔”について調べてみた

こんにちは。numlk01です。昨今、グルメ板で喧しい「海苔」スレですが、
その中で、「靑苔錢」(錢茶)というお話が出てきます。

20080316120562964041843200

で、「靑苔とは海苔のことであり、靑苔という言葉を使う以上、当時から海苔食をしていた」と主張しているのです。
私は、靑苔錢自体について良く分からないので調べていたら、このような記事を拾いました。


長興郡,1,200年ぶりに味わう靑苔錢の茶味
[聯合ニュース報道資料   2008-03-13 11:50:45]
靑苔錢復元災い事業(靑苔錢商品化,茶文化センター造成)
正南陣長興が全国発効のため市場の本山でにょっきり
長興郡(郡長イミョンフム)は高麗,朝鮮初期全国茶所19ヶ所中13ヶの多少が長興都護府に所属したという根拠を世宗実録地理志等を通して知ることが出来るように歴史的名声がある茶の本場だ。
長興の全地域山間にかけて,野生差が分布していてまだ加智山宝林寺と天冠山など近隣地域ダインらを中心に固有な茶文化が生きていて伝統の茶の味を受け継いできている。
長興郡(郡長イミョンフム)は今日茶が文化の頂点に浮び上がりながら,伝統茶復元と継承という宿題をかかえることになったし野生差だけを利用した安全な茶生産基地化のための一環で長興地方を中心に南海岸一帯に存在した伝統茶靑苔錢復元と商品化を始めることになった。
靑苔錢復元事業は大きく"靑苔錢復元商品化"と"茶文化センター造成"に重点を置いて展開しており靑苔錢復元研究事業は2007年5月から長興郡農業技術センターと木浦大学校産学協力団が協約,サービスに着手して,2008年1月31日靑苔錢試作品を発売することになったし製造特許および「長興靑苔錢」商標登録出願を終えた。
茶文化センター造成は誘致宝林寺近隣の廃校を活用して,歴史性と専門性を強調した靑苔錢常設体験および茶マニアなどに焦点を合わせた高品質茶文化に会うことができる茶広間などの施設を構築,スルロウワールド長興郡の持続発展可能な付加価値産業で,進んで世界的名所・名品で作る計画で推進中であり青苔銭は三国時代から我が国に伝来したトクチャの一種で茶に青いコケが生えたようだとし呼ぶことになった名称できれいで透明な汁色とやわらかい味が引き立って見える嗜好飲料としてのみならず目を明るくと,解毒,便秘予防,解熱などの効能があって,薬が尊かった時期薬でも飲用したという。
イミョンフム長興郡長は1,200余年ぶりに復元された靑苔錢の歴史的意義を生き返らせてわが軍の伝統発効差の靑苔錢の産業化とウェルビーイングを好む消費者らの嗜好に刻印されることができる世界的な名物車を生産,中国の普耳茶と堂々とねらえるようにすることであり,世界発効のため市場の急成長を土台に正南陣長興が全国発効のため市場の本山になるようにするという強い意志を明らかにした。
(終わり)
引用元:http://news.empas.com/show.tsp/cp_rc/20080313n08143/

ようやく最近になって当時の靑苔錢が1200年ぶりに「復元」されたようですね。おめでとうございます。
でも、「茶に青い苔が生えたようだ」として名付けられたとされています。
海苔とは違うのではないか?
そこで、早速、漢字の意味を調査します。http://zidian.teachercn.com/にて調査しました。

20080316120563024951019400

で、「靑苔」についての記述を発見しました。

20080316120563033935550700
moss(苔)じゃん!
一瞬で終了です。

本当にありがとうございました。

20080316120563858276410000

おしまい。


numlk01@やれやれ ver.2008.03.16

 

numlk01|03-16 10:28

8inni8のスレが、NAVER,empassの両方で根拠資料になっているようです。嘘も百回つけば・・・の世界です。Kの国は検証することを知らないのでしょうか?

numlk01|03-16 13:56

大前提を書いておきますね。韓国において、辞書を調べると、靑苔=海苔(厳密には緑藻類だと思われる)と出てきます。そのため、靑苔錢をもって、海苔食の起源だという論法が使われています。そこで、靑苔について調べているのがこのスレの趣旨です。

numlk01|03-16 14:06

そして、海苔を指す言葉が実のところハッキリしないのです。海衣を海苔としていたりするのですが、用語の状況については以前のスレを参照して下さい。 http://www.enjoykorea.jp/tbbs/read.php?board_id=phistory&nid=96796

numlk01|03-16 16:20

常識的に考えて、さすがの青組も、靑苔錢自体が海苔だなんて考えていないと思いますけどね。私のスレも靑苔錢がお茶の種類だという前提で、言葉の意味を考察したものです。誤解している方がいらっしゃるようなので、念のために書いておきます。

watcher1|03-16 10:47

グルメ、また海苔やってるんだw

watcher1|03-16 10:48

「板海苔」の話に限定すれば終了だと思うんだけど、奴ら必死だからww

numlk01|03-16 13:24

実は、そうなんですけど、韓国人が海苔食の起源や海苔養殖の起源の話に話題をすり替えるし、日本人側も迂闊にそれに乗ってしまうのが原因でしょうね。

numlk01|03-16 10:51

壁張り状態ですよ。今回は様子見です。というか、そんな暇がなかったw。日本側もコピペで応戦するのではなく、ちょっとずつ文献を調べて詰めていけば良いのですけどね。

watcher1|03-16 12:12

文献は、沢山有るんですけどねえ。

kobaya4|03-16 13:00

銭茶はトックチァの一種で茶の木の幼い芽をこしきに蒸して臼で搗いて小判形に固めて乾かした茶を言う。我が国の茶は大きく銭茶と葉茶で分けられるが、銭茶は湖南地方で主に生産されて 4~6月頃に収穫したお茶の葉で作る。銭茶は腰繩で通しておくのでグァンチァ(串茶)とも言ったが,これが発酵して緑かびが生じたことから青苔銭と言う. 高句麗古墳高級団茶で思われる銭茶が発見されたことから高句麗時代から銭茶を飲んだことに推定される. ← http://100.naver.com/100.nhn?docid=837514

oomononushi|03-16 13:28

http://ichiwan.up.seesaa.net/image/IMG_1274.JPG<<静岡県農林技術研究所茶業研究センター

prozokukoku|03-16 13:05

ていうか、100年前ですら無かったものを、「昔はあったに違いない」と言ってる訳だよね。

prozokukoku|03-16 13:19

普段食べている食べ物ですら、昔の文献を血眼になって「それらしいもの」を探す愚かさに韓国人が気がつくことはないのだろうな。日本人にとっては海苔巻きなんて、昔から受け継がれた普通の食べ物なのにね。

numlk01|03-16 13:22

是議全書や東國歲時記についての議論は別として、それ以前の史書等については、強引すぎますね。

guns|03-16 14:06

彼らの起源説は途中をすっ飛ばして、いきなり三国時代か遅くても高麗だもんな。一言でも記載があると、いきなり起源になる。そんな古い時代にレシピや詳細な説明がある訳も無いし、はっきり分からないでしょう。でもアジアに疎い西欧人なんかはテコンドーや日本料理のようにコロリと騙されるよなあ。西洋人にも日本人にも、自国民にも罪作りだよね。

guns|03-16 14:09

最近は日本に負けたくないらしく盛んに文化創造をしているけど、一生懸命に掘り起こしても、団体指導で作り出したもので生活に密着してないから、どうせ又すぐに廃れるよ。

numlk01|03-16 14:09

日本側は、その”一言”について、原文を確認し、本当に正しいのかどうかを着実に調べていけば良いのです。コピペで反論しても同じレベルに陥ってしまいます。とにかく原文の検証がスタートです。

numlk01|03-16 14:11

そうして裏付けを丁寧に殺していけば、相手より数段上のレベルで議論できますから。何よりもオリジナルの検証が大切だと思います。で、確実に勝てるところで、徹底的に序列を教育して差し上げるw。

demekin21|03-16 14:42

>((OoO 銭茶の話じゃなかったの? 8inni8は銭形に整形した海苔の証拠は出してないと思ったけど・・・・・

numlk01|03-16 14:45

「- 茶具と言うものが出ます. 以後多数の 茶に関する話が出るが...高句麗の墓では 銭茶(ドンチァ)が発見されました. ドンチァは全南無為寺(無為寺)で先に作われたが.ドンチァは以後高麗時代時青苔銭で発展するようになります.青苔銭は青海藻(青苔)+'お金'の模様で中が抜けた姿(銭)の車の姿によってで青苔銭だと呼ばれるようになります.すなわち高麗時代以前からもう kimを食べたということが分かります」

numlk01|03-16 14:47

これは、靑苔=海苔という話が前提です。http://krdic.naver.com/detail.nhn?docid=5999100

numlk01|03-16 15:07

実は循環論法になってるんですけどね。

「海衣」の記述 [世宗莊憲大王實錄十四冊 卷第四十五]

世宗莊憲大王實錄十四冊 卷第四十五

20071209119717237529578600

世宗 45卷, 11年( 1429 己酉 / 명 선덕(宣德) 4年) 7月 19日 癸亥
宣德四年五月初二日, 欽差太監昌盛、尹鳳等官到國, 欽傳宣諭: “中用的海味等件, 進將來。” 欽此。 備辦到海味等物, 差陪臣左軍同知摠制權蹈, 齎領赴京進獻。 一。 眞魚一千八百三十尾, 民魚五百五十尾, 沙魚九十尾, 芒魚三百八十尾, 洪魚二百尾, 蘆魚一百尾, 年魚五百尾, 大口魚一千尾, 鯉魚二百尾, 秀魚四百四十尾, 文魚二百首, 石首魚一千尾, 靑魚五百觔, 蘇魚五百觔, 鯽魚五百觔, 鰒魚七百觔, 古道魚二百觔, 烏鰂魚二百觔, 大蝦二百觔, 黃魚鮓六桶, 鯉魚鮓一桶, 土花鮓九壜, 石花(酢)〔鮓〕三壜, 生蛤鮓四壜, 蘇魚鮓三壜, 白蝦鮓七壜, 紫蝦鮓四壜, 石首魚子鮓四壜, 紅蛤鮓二壜, 早海菜五百觔, 海菜一千觔, 絲海菜三百觔, 海菜耳三百觔, 昆布四百觔, 海衣一百觔, 甘苔二百觔, 海花二百觔, 黃角三百觔, 松子一千觔, 黃酒五壜, 燒酒五壜。
http://sillok.history.go.kr/inspection/insp_korchn_sub.jsp?id=wda_11107019_002

一言メモ:この後の部分が割と有名なところ。
「海衣」の検索結果としては実録の初出のはず。
「海菜」「昆布」「甘苔」とは別の概念であることに留意する。


<参考> 新增東國輿地勝覽 第40卷 光陽縣

20071209119717276511903500

前掲:http://www.enjoykorea.jp/tbbs/read.php?board_id=phistory&nid=96737


numlk01@作成中 ver.2007.12.09

 

numlk01|12-09 13:17

實錄には、高麗時代の「藿田」に関する記述もある。世宗 117卷, 29年( 1447 丁卯 / 명 정통(正統) 12年) 9月 23日壬子 「前朝之時, 鹽盆坐數、魚梁網所、藿田結卜, 皆載于《周官六翼》。王子開福之辰, 必賜鹽盆魚梁, 共議寺社, 或賜藿田, 其餘管幹區處之法, 未之詳也。」http://sillok.history.go.kr/inspection /insp_korchn_sub.jsp?id=wda_12909023_001

numlk01|12-09 13:20

「藿」は朝鮮においてワカメを指す漢字であるが、ここの「藿田」では、海草類一般を指すのではないかと思われる。ただし断定は避ける。

numlk01|12-09 16:43

「黃角」科名, ツノゴケ科. 属名, ニワノツノゴケ属. 日本名, ニワツノゴケ. 学名, Phaeoceros laevis

numlk01|12-09 16:46

念のための備忘録。「松子」は、松の実。

numlk01|12-09 17:11

藿(かく):わかめ薑(はじかみ):しょうが

numlk01|12-09 17:11

http://www.koparis.com/~hatta/untiku/untiku017.htm

numlk01|12-09 18:27

http://s01.megalodon.jp/2007-1209-1825-45/www.enjoykorea.jp/tbbs/read.php?board_id=pfood&nid=58862&direct=1

numlk01|12-09 20:49

さらに念のための備忘録:明が遷都した直後なので、進献先は北京です。

kmin0918|12-09 14:05

翻訳失敗理解不能

fmdoll89|12-09 14:55

お疲れす。ぽちっ

guns|12-09 19:23

乙かれー

新增東國輿地勝覽 第40卷 光陽縣

新增東國輿地勝覽 第40卷 光陽縣

20071207119702766540619000

20071207119702768882636600

20071207119702774564681100

20071207119702785671280100

20071207119702791594672300

20071207119702798388685600

出典:http://kyujanggak.snu.ac.kr/info/info01_1.jsp
一言コメント:名産としての「海衣」の記述があるとされる史料。
注目すべきは、その上の「甘苔」の記述。
この時代においては、明確に別の産品として認識されている。


numlk01@作成中 ver.2007.12.07

 

numlk01|12-07 22:02

海衣≠甘苔という内容です。なお、日本においては、”甘苔”という表記は、吾妻鏡に出ております。「文治二年(1186)二月大十九日丁夘。供御<甘苔>。自伊豆國到來于鎌倉。彼國土産也。仍任例。差專使被京都進之云々。」http://katohjuk-web.hp.infoseek.co.jp /aduma06-02.htm

cordis21|12-07 23:31

私は日本人だ. 今日は誇らしい日本の文化に対して考えて見る事にした♪ <誇らしい日本の文字♪> - 漢字 : 中国の文字 - 平仮名 : 漢字の盗作文字 - 片仮名 : 漢字の盗作文字 ??? いや... ハハハ! 実は日本の者とは文字ではないdesu! <誇らしい日本の伝統文化♪> - さむらい : 百済式 サウルアビの亜流 - 着物 : 百済式 衣服の亜流 - 陶磁器 : 朝鮮式 陶磁器の亜流 - 日本刀 : 造船式 刀の亜流 - 建築物 : 唐/百済式 建築物の亜流 ??? いや... ハハハ! 実は日本の者とは文化ではないdesu! <誇らしい日本の食べ物♪> - 豚カツ : ヨーロッパ式 ポークカツレツの亜流食べ物 - コロッケ : ヨーロッパ式 コロッケの亜流食べ物 - カレーライス : 引導式 カレーの亜流食べ物 - しゃぶしゃぶ : モンゴル式 肉の亜流食べ物 - うどん : 韓国式 カルグッスの亜流食べ物 - 寿司 : 東南アジア式 魚料理の亜流食べ物 ??? いや... ハハハ! 実は日本の者とは食べ物ではないdesu! ......日本はどうして Original 文化がないことだろう? 私たちのアイデンティティは何か! 結局私たち日本は亜流文化が集合された島国に過ぎないじゃないのか? ではない. 私たち日本は偉い.あれは全部捏造desu! これから漢字は私たちの日本の起源でキリスト, ジングキスタンは日本人であり, 豚カツ, うどんは日本の伝統食べ物だ! 日本板西! 板西!..

takejima|12-08 01:10

海苔と言っても、淡水産もあるよね(四国の一部では、今でも生産されていたと思う)w。佃煮みたいな利用法と、板海苔は、分けなければならないだろうけどw。上の場合は、一体、何を指しているんだろうねw?