ニックネーム:   パスワード:
| MyDoblogトップ | Doblogポータル | Doblogガイド | 使い方 | よくある質問 | ツールバー | サポート |
KiKidoblog
Blog
[ 総Blog数:1796件 ] [ このMyDoblogをブックマークする ] [ RSS0.91   RSS1.0   RSS2.0 ] [ ATOM ]
2006/07/10のBlog
【3位決定戦】
【ドイツ一ポルトガル戦3一1(0一0、3一1)】
ドイツ各紙、GKのカーンを絶賛
開催国ドイツ、ポルトガルを31で下す
ドイツ代表が首都凱旋 50万人以上のサポーターが声援
英雄フィーゴつらい最後 気迫込めアシスト
試合結果

”シュバインシュタイガー・デー”

今日の3位決定戦を見る限り、私が「”天敵”イタリア、ドイツを封じる! 」の最後に

”それにしても、クリンスマン監督は、どうしてこれまでの先発を使わなかったのだろうか。暴力行為で出場停止のフリングスはともかくシュバインシュタイガーは先発させるべきだった。決勝の切り札として休ませたのだろうか。やはりフリングスの出場停止処分で平常心を失ったのだろう。議論の余地のあるところである。”

と書いていたが、それが事実だということが分かった試合であった。

この試合のシュバインシュタイガーは、絶好調だった。本当になぜイタリア戦で使わなかったのか、また、フリングスをイタリア戦に出場停止に追い込んだイタリアのテレビ局もなかなか凄い”援護射撃”だったと言える。

ところで、こういうところを日本のマスコミは学ぶべきだろうと思う。しかし、実際に日本のマスコミがやっている事は、選手に過酷な試合時間を強いてみたり、サッカー選手を自分のテレビ番組の出演料欲しさのための”だし”にしてみたり、わざわざ敵将の味方をしてみたりと、日本代表の”敵”となるような邪魔ばかりしてきた。挙げ句の果てには、日本代表がマスコミの影響を受けて良い結果が出ないにも関わらず、180度手のひらを返すような応対をする。これでは、本当のサポーターとは言えない。


フィーゴも素晴らしいプレーを見せた。クリスチャン・ロナウドも持ち味を見せた。オリバー・カーンも素晴らしいセーブを見せ、ドイツとポルトガルの最後の勇姿を見せたと言えるだろう。また、日本人審判団も非常に良い仕事をした。本当に素晴らしい試合だった。

さて、いよいよ最後の決勝戦のみとなった。私は3一0でイタリア優勝を予想しているが、果たしてイタリアとフランスのどちらが優勝するだろうか。実に楽しみな試合となった。
2006/07/08のBlog
最近、日本のマスコミ関係者がこんな問いかけをして、”知ったかぶり”のような意見を述べているようだ。

“海外組”の見たヒデ 田中和彦(映画制作会社「ティー・オー・ピー」役員)

”ジーコジャパンのW杯敗退では、今春のワールド・ベースボール・クラシックでリーダーシップを発揮して国内組中心の選手たちを優勝に導いたイチロー選手と、海外組と国内組の溝を埋めることができずに最後まで孤独な戦いを強いられた中田英寿選手を比べる記事が見受けられた。”

この問題は”くだらないマスコミの思い上がり”に端を発しているが、その誤解を解くためにここで議論しておこう。

まあ、結論から言えば、「ワールドベースボールクラッシック(WBC)とワールドカップは比較できない」ということだ。

なぜなら、確かにイチローと中田英寿は日本代表という立場は似てはいたが、置かれた立場はまったく異なっていたからである。だから、結果はまったく異なるのが当然で、単純にイチローと中田を同列に論じる事はできない。

サッカーのワールドカップは、72年18回という非常に長い歴史を持っている。(ワールドカップのデータベース)。それに対して日本サッカーの歴史そのものは、アマチュアサッカーとしては非常に古いが、プロサッカーとしての歴史は非常に浅い。13年前の1993年に誕生したに過ぎない。したがって、世界のプロサッカー72年の歴史に比して13年で、3度目のワールドカップ出場したということである。

一方、野球の場合には、日本のプロ野球は1936年に発足し、70年という、戦前からの長い歴史を持つ。高校野球はプロ養成の下部組織のようなもので、戦前からすでに甲子園大会はプロ野球への登竜門化していたのである。高校野球のトップ選手はプロ野球の一軍でも”即戦力”として働く事ができるほどの力量を持つ。こういった野球教育スタイルが日本では出来上がっているのだ。

こういうプロ野球のしっかりした組織ができている基盤の上に、野茂英雄選手がアメリカメジャーリーグに参戦し、それから次第に日本人メジャーリーガーがどんどん誕生していったのである。

こうした状況の下でサッカーのワールドカップを真似て、2006年の今年になって初めてWBCが行われたのである。これに、大リーガー所属のイチローなどの野球選手と国内のプロ野球所属のプロ野球選手がチームを組んで参加し、優勝を遂げたのである。

ましてや、野球は世界の一部の国々でしか行われていない。プロ野球がある国は非常に限られている。その限られた国々の中でのWBCなのである。せいぜいベスト16程度の国しかない上に、日本は最初からベストフォーの歴史と実力を持っていた。だから、優勝しても別に驚く程の事はない。イチローがいなかったとしても日本は優勝できたかも知れない。それほどの選手層と歴史と伝統をプロ野球は持っている。

しかし、サッカーはワールドスポーツである。サッカーのない国はなく、ほとんどの国でそれなりのプロサッカーリーグを持っている。この現実の前では日本のプロサッカーの歴史は浅すぎる。クラブユースも誕生して間もない。高校サッカーやクラブユースの選手がそのままプロサッカーチームのエースになることはまだほとんどない。この例外中の例外が中田英寿であった。これが現実である。

だから、日本のプロ野球の立場と日本サッカーの立場は全く異なる。同列に論じる事はできないのだ。まがりなりにも”プロ野球選手魂”が確立しているプロ野球選手とまだまだ”プロサッカー選手魂”の確立していないプロサッカー選手とは比較にならないのだ。

WBCの日本代表はみなプロ選手としての誇りを持って戦ったが、その中のイチロー選手と、ワールドカップサッカーの日本代表はみなまだまだアマチュア的なサッカー選手の集まりに過ぎず、プロサッカー選手としての誇りを持って戦ってはいなかったが、その中の中田英寿選手とは比較しようがないのである。

それほどまでに、プロ野球とプロサッカーは歴史が異なるのである。安易な”比較”は禁物であろう。プロサッカーとプロ野球は似て非なるものなのだ。
2006/07/07のBlog
ジーコジャパンより一足先に日本人主審がデビュー! 」で紹介した日本人の上川徹主審(43)と広嶋禎数副審(44)が3位決定戦のドイツ一ポルトガル戦の主審と副審を行う事が決まったという。実に素晴らしい快挙である。

再び日本人審判の方が日本代表より先にベストフォーに進んだようである。

この上川主審は、今大会での日本代表のサッカーに対しても私同様の手厳しい意見を持っているようだ。”日本代表には戦う姿勢が見えなかった”と。
写真:韓国のイ・チョンス


写真:スイスのツーバービューラー


写真:スペインのセスク


写真:スペインのラウール


写真:ウクライナのシェフチェンコ
写真:ブラジルのアドリアーノ


写真:ブラジルのロナウジーニョ


写真:オーストラリアの選手達


写真:オーストラリアのビドゥカ


写真:日本の中田英寿
写真:オランダの選手達


写真:ポルトガルのクリスチャン・ロナウド





写真:イランのティモリアン


写真:アメリカのドノバン


写真:チェコのネドベド
3位決定戦と決勝戦にはちょっと日があるので、これまでに敗退した有名選手達の”涙”シーンを集めておこう。


写真:ドイツのバラック


写真:パラグアイのバレト


写真:イングランドのベッカム


写真:スウェーデンのメルベリ


写真:アルゼンチンの選手達
2006/07/06のBlog
【準決勝第2試合】
【フランス一ポルトガル戦1一0(1一0、0一0)】
フランス、迷いなくジダンがPK決める W杯
フィーゴ、ジダンに賛辞 「やはり偉大だった」
フィーゴとジダン、最後の対決 72年生まれの両雄
試合結果

”偉大なジダン、フェリペ・スコラリ監督の不敗神話を撃破!”

いわゆる”虎の子の1点を死守”したゲームであった。前半の終盤に訪れたワンチャンスのPKをジダンが冷静に決め、後は何が何でもポルトガルの猛攻をしのぐという試合だった。

こういう重圧のかかる場面でのPKは”気持ちの持ち方”がすべてである。

日本の選手は、たいていこういう時に「失敗したらどうしよう」と”後ろ向き”に考える傾向があり、これが”失敗を恐れるがために失敗をくり返す”という問題を生む。

ところが、ジダンのように偉大な選手達はこういう場合では全く逆に”前向き”に考える。ここが違っている。ジダンはこう考えてPKに向かった。

「PKを成功させるには重圧が必要。前向きな重圧だ。このシュートを入れればリードできる。そのままいけば、決勝だと自分に言い聞かせた」

ジダンのこの考え方は、欧州や南米の偉大な選手達に共通する考え方である。それゆえ、今大会を前にジダンは”現役引退”を宣言した。ここが日本人の中田英寿とは違う。中田も日本人なのだ。そして、さらにジダンは、現役引退宣言の後こう付け加えた。

「現役最後の試合はW杯決勝」

これが、

「現役最後の試合はW杯優勝」

ではないところが面白いところだが、とにかく決勝まで進みたいという宣言を行い、自分自身に良い意味の、正の”重圧”をかけたのだ。ここが偉大な選手の偉大なところなのである。


一方、フィーゴも偉大な選手だが、フィーゴはこの世紀の一戦の前にこう言っていた。

「だれも永遠にプレーはできない。どの試合も最後の試合になる可能性がある」

そして、この言葉通り、この試合が”最後の試合”となってしまった。

さて、決勝はイタリア一フランスとなった。これは、私が2006/05/22に「”予想、予想、予想” 」で、

【準決勝】
ドイツ一イタリア
オランダ一ブラジル
勝者は、イタリア、ブラジル

【決勝】
イタリア一ブラジル
優勝は、イタリア。

と予想した半分はあたっていたことになった。オランダに死闘の末に勝ったのはポルトガル、そしてブラジルに勝ったのがフランスであるから、決勝のイタリア一フランスの対戦もだいたい私が予想したイタリア一ブラジルと同じ流れだと言えるだろう。

ところで、フランスは指令塔はジダンしかいない、ストライカーもアンリしかいない。しかし、イタリアにはピルロとトッティの2枚の司令塔、ストライカーもイアキンタ、トーニ、デルピエーロ、ペロッタの4人がいる。ボランチもマテラッティ、ガッツーゾ、グロッソ、ザンブロッタがいる。

こんなわけで、フランス、イタリアともに堅守のチームだが、総合力では、イタリアが有利という感じがする。

果たして7月10日の決勝では、どちらが勝つか。ジダンが優勝で花を添えるか、ピルロのイタリアが勝つか、実に面白いところである。楽しみな試合となった。
2006/07/05のBlog
【準決勝第1試合】
【イタリア一ドイツ戦2一0(0一0、0一0;0一0、2一0)】
デルピエロ決定弾 ドイツ戦の無敗神話守る
土壇場で鮮やかな一発 グロッソ鋭く曲がる決勝点
若さと勢いだけでは足りず 開催国ドイツ、決勝逃す
積み残した思い晴らせず 決勝の舞台逃したバラック
伸ばした手、逃げるボール レーマン届かず
ドイツ城壁決壊 119分一瞬のスキ許した連続弾
試合結果

”天敵”というのか、”苦手相手”というのか、”相性が悪い”というのか、ドイツにとってイタリアはそういう相手だった。

日本には1994年のアメリカ大会出場を目指した時の”ドーハの悲劇”という有名な出来事があるが、この試合はおそらくドイツ人は、”ドルトムントの悲劇”と呼ぶ事だろう。

この試合のメキシコ人の主審は非常に素晴らしかった。両者に不必要なカードも与えず、反則も非常にフェアに取り、試合の流れを的確にコントロールしていた。

これに応じたのかどうかは分からないが、ドイツチームもこれまでのナチス・ドイツスタイルの”汚い”プレーは少なかった。ひょっとしたらこれがドイツには災いしたのかもしれない。

ドイツ、イタリアともに一撃必殺をお互いに潰しあうという出足であった。ドイツは中央やサイドからツートップに合わせる必勝パターン。一方、イタリアは相手ディフェンスの裏をつく必勝パターン。両者この必勝パターンを出させないようにプレスをかけて阻止しあっていたわけだ。

後半もこれを目指していたが、疲れが出て来て徐々にそれができないようになり、お互いに必勝パターンによるチャンスが出てくるようになった。そしてついに延長戦。

延長戦では、さすがに両者足が止まりかけてきて、動きも遅くなったが、徐々にイタリアの方がチャンスが出た。リッピ監督がイアキンタ、デルピエーロ、ジラルディーノの3人を投入してから形勢が優勢に変わった。元気な3人が前線でドイツディフェンスをかく乱しはじめた。

そしてついに、あと2分でPK戦突入か(そしてドイツはPK戦は無敗なのでドイツが勝か)とだれもが思った頃、ドイツディフェンダーの右サイドバックのフリードリッヒが”痛恨のミス”を犯した。恐らくサッカーをあまり知らない普通の人たちはこの悲劇がここで始まったとは見なさないだろう。


かつての日本の”ドーハの悲劇”の始まりはラモスだった。敵から奪ったボールをキープして最後の数分を過せば良かった時にいい加減なクリアをして敵にボールを渡し、それが切っ掛けとなって反撃を食らい、最後に武田が安易にコーナーキックに逃げたために、コーナーキックから最後のヘッドで失点し、引き分けた。そして得失点差で韓国に負けたのだった。

フリードリッヒのこのプレーは、その時のラモスのプレーに似ている。あと数分、それも2、3分を自陣でボールキープしておけば良いものを、安易に大きく蹴って敵のゴールキックにしてしまったのだ。そのため、キーパーが大きく蹴り、一気にイタリアがドイツ陣内に攻めて来た。苦しくなったドイツはコーナーに逃げ、そして、あの得点シーンにつながった。ピルロにリバウンドボールが渡り、右にいたグロッソにパス。グロッソがダイレクトでシュートしてゴール。

その最後の1分後には、最後の怒濤の攻めを仕掛けたドイツが中盤でカンナヴァーロにカットされて一気に”イタリア伝統のカウンターアタック”で止めの反撃を食らった。

これは、フランス大会の決勝戦のフランスとブラジルの戦いの3点目に似ている。この時も最後の反撃をしている時にカットされてカウンターアタックされて止めの3点目を喫した。


こんなわけで、延長戦にまでもつれたが、試合内容は終始イタリアペースでイタリアの快勝と言えるだろう。

それにしても、クリンスマン監督は、どうしてこれまでの先発を使わなかったのだろうか。暴力行為で出場停止のフリングスはともかくシュバインシュタイガーは先発させるべきだった。決勝の切り札として休ませたのだろうか。やはりフリングスの出場停止処分で平常心を失ったのだろう。議論の余地のあるところである。

いずれにせよ、”アルゼンチンとの死闘”が尾を引いた観ありの試合だった。
2006/07/04のBlog
中田英寿選手が引退表明して以来、各界で引退を惜しむ声が寄せられたようだ。それらのいくつかをここにまとめておこう。

「少し早いかな」、中田英引退に川口ら

【川口】
「素晴らしい選手で、ファンのみなさまにも素晴らしいプレーを見せてくれたと思います。少し早いかなと思いますが、これからも頑張ってほしい」

【中山雅史】
「いろいろ悩んだ結果だと思う。代表の中で厳しいことも言っていたが、ありがたい言葉だったと思う。プレーする姿勢や練習する姿勢の中から学ぶものも多くあった」

【名波浩】
「ヒデらしいというか、彼が長い間苦しいことや楽しいことを考えての結論だと思う。今後の日本サッカーに大きな力をくれた」

【福西崇史】
「まだまだできると思う。世界のサッカーに日本が追い付こうと常に言っていたし、貢献度はかなりあった」


ヒデ引退! デルピエロ「残念。説得する」

【アラダイス監督】
「驚きではなかった」「彼はアジア、そして、日本サッカーに触媒作用を及ぼした人物として記憶されるだろう」

【デルピエロ】
「残念なことだ。まだ若いので、後悔するのではとも思う。考え直すように、電話で説得するよ」

【バローネ】
「素晴らしい選手で、プロ意識が強かった。寂しいね」

【アルベルト・ポルベロージ記者】
「活躍ぶりをよく覚えている。世界はまた1人、好選手を失った」

【トルシェ前監督 】
「中田が引退するとは驚きだ。早過ぎると思う。29歳で、まだまだ力はある。このW杯でも、選手として成熟し、本物のリーダーであることを示した。98年から3大会続けてW杯に出場し、33歳で迎える10年W杯でも十分、やれた。 」
「引退を決めたのは、モチベーションが一つの理由かもしれない。29歳は、モチベーションが問題になる年齢だ。ただ、来年はアジアカップがあるし、10年W杯もある。それらをモチベーションにしてもよかった。 」
「現在の力でもスペインやフランスでプレーすることができた。今後は、指導者への道へ進むべき人間だ。 」
「彼は十分な収入を得ていたし、お金のためにプレーをする必要はなかった。好きだからサッカーを続けてきたのだと思う。 」
「中田は自分一人で引退を決めたことを、若い世代に示したかったのではないか。日本の社会システムでは難しいことだろう。今回の決断は、彼の性格をよく示している。 」
「決断は尊重すべきだろう。ただ、日本のサッカー界にとっては、大きな損失だ。彼は日本のリーダーであり、原動力だった。日本にとっては、非常に残念なことだ。」

オシム氏「これだけ貢献した人いない」 中田引退惜しむ

【イビチャ・オシム監督】
「日本のサッカーにこれだけ貢献した人はいない。彼がこれから何をするかは彼自身が決めることだが、サッカー界で何らかの仕事をすることを願っている。彼のような選手を自分が手にするには、長い時間がかかるだろう」

中田英引退:ヤンキース・松井秀も功績たたえる

【ヤンキース松井秀樹】
「日本のサッカーの中心であり続けた。日本を高いレベルまで引き上げたという印象。理由は分からないけど、お疲れさまということ」

中田英寿:元ブラジル代表にW杯後の引退告白

【元ブラジル代表ジュニオール】
「もうサッカーをすることに喜びを感じられない。以前のようにモチベーションが持てない」
「中田英自身が常に完ぺきを目指していたから、同僚にも多くを求めたのは当然」
「彼の身体的能力からすれば、あと2年はいい状態でプレーできた。引退はとても残念」

中田英寿引退:胸の奥に押し込めてきたサッカーへの愛情

【韮崎高校の元監督の田原一孝】
「今はご苦労さまと声を掛けてやりたい。W杯ではパーフェクトなプレーができたと思う」
「既に次の道を見つけていると思う。彼がこれからどう生きるかも楽しみ」

【ノンフィクション作家、黒井克行】
「完全主義者の中田選手らしい引き際。体力的にはまだできても、精神的に完全燃焼したためだろう」
「彼はいつからか、サッカーの素晴らしさや厳しさを日本のファンに伝えるメッセンジャーになっていた。『役割』を終えたと確認できたのだろう。その呪縛を解き、サッカーを楽しむことを自分に許したのではないか」

【スキー・ジャンプの原田雅彦】
「引き際は中田さんの美学だと思う。すべてをやり尽くした上で決心したのだろう」「海外のトップチームでプレーする中田選手の姿にあこがれていた」
「我々を小躍りさせるようなプレーの数々は素晴らしかった」

【二宮清純】
「彼は常に自分を極限に追い詰め、緊張感の中で仕事をしてきた。他の代表選手と多少の温度差があったはずで、彼の勝利に対する使命感は他の誰にも理解されなかったのかもしれない。今回の引退は、他の選手に自立を促す彼なりのメッセージでもある」

【漫画家やくみつる】
「引退の仕方まで彼らしい。もともとビジネス志向が強いと聞く。いろんな世界で司令塔的な役割を演じてほしい」

「ヒデらしいね」「引き際、分かっていた」

【川淵三郎会長】
「今日、事前にホームページに出る内容というのを送ってもらっていたが、それまでは全然知らなかった。びっくりした。ショックだった。ただ、ジーコには(日本の敗退が決まった)その時に、言っていた感じだ。(引退する)覚悟は半年前から決めていたみたい。ヒデらしいね」

【加茂周・元日本代表監督】
「中田英が自分で決めたことなので仕方ないけれど、残念だなというのが第一印象。彼は例えば、今回のW杯で8強入りした選手と比べると、目立つ存在ではない。それが今の日本サッカーの現状。ただ、賢い男だから、自分の引き際は、分かっていたんじゃないか」

【東京V・ラモス監督】
「まだまだ日本のサッカーには彼が必要。日本のサッカーを見捨てて欲しくない。せっかく授かった才能を生かさないと、神様に怒られるよ。少し休んで、もう一度考え直してほしい」

【元日本代表・前園真聖】
「ブラジル戦の前夜にヒデの決意を知った。ヒデと初めて出会ったのはアトランタ五輪予選だった。同じ部屋になり、人懐っこいヒデとすぐ仲良くなった。そのころから並外れた才能があったわけではないが、素晴らしいサッカーセンス、しっかりした考え、ビジョンを持っていた」

【横浜C・城】
「彼は21歳のころ、サッカーをやめてからのことを良く話していた。サッカーはもちろん、サッカー以外のことも先の先を読んで行動していた。アトランタ五輪、ジョホールバルのW杯最終予選、フランスW杯、これらはすべて彼のパスから始まった。彼がいなければ、日本のW杯出場は無かったと思う」

【漫画家・やくみつる】
「まだ『億』の金が稼げる人間が、それに見切りをつけてまでやりたいこととは何なのか。唐突な引退表明に少し現実的でない感じを受けた。衝動的な決断ではないと思うが、彼自身、どこまで自分を冷静に分析できているのか。『自分探し』という彼らしくない青くさい表現に、そう思った。同時に『孤高ぶっているけど、こんなに千々に乱れる心を持っていたのか』と、人間的な部分が最後に垣間見えたことにほっとした気もする」


中田英引退:主将の宮本「戦う姿、選手の心に残る」

【宮本恒靖(ガ大阪)】
「もっとやってほしいが、本人の判断を尊重したい。彼の戦う姿は、一緒にプレーした選手の心に残っていくだろう。走り続けた人だから、ゆっくりしてもらいたい」
「それもなくなるかと思うと、少しさみしい。(累積警告でブラジル戦を欠場し)最後の試合を一緒にできなかったのが心残りだ」
「ドイツに入る前から、この大会に対する意気込みを感じていた。今思えば、ということはある。引退は、意外に思う気持ちと、やっぱりという思いがある」
「当時から、どんなシュートも逆サイドのゴールネットを狙っていたのが印象に残っている。高校3年生くらいになって、今のように他人にも自分にも厳しい選手になった」
「もっとやってもらわないと困る選手。パワフルな意識は、次の道でも生きると思うし楽しみだが、考え直せと言ってやりたい」
これは1サッカーファンとしての私の希望である。

このワールドカップ・ドイツ大会が終了し、しばらくした頃に、”中田英寿選手の功績を称えて”、「中田選手の引退試合」をやって欲しい、ということだ。

この際、日本サッカー協会は中田選手に敬意を表して全面的に協力し、世界中から招待選手を招いて欲しい。そして、中田率いる日本代表と世界選抜との間で親善試合を行って欲しい、ということだ。

世界選抜には、アフリカのアデマイヨール、ヨーロッパのジダン、ベッカム、トッティ、ザンビアッソ、チュラム、マケレレ、イランのアリ・ダエイ、韓国のアン・ジョン・ファン、南米のロナウジーニョ、カフー、メッシ、リケルメ、などなどの世界中のワールドクラスの選手を選ぶ。

日本選抜は、中田英寿、宮本ほか、オシム監督の日本代表を選ぶ。

そして、日本のスタジアムで対戦する。

こんな”希望”、”夢”を私は持っている。

中田選手の功績は、これくらいに大きなものだと私は信じている。

川淵さん、ぜひお頼み申し上げます。
nakata.netに掲載許可を取ったので、私と同じ山梨県甲府市生まれの日本サッカー界の”不世出の天才”中田英寿選手の”引退宣言”を転載させてもらおう。これをもってこれまでの中田選手の貢献に対する、私からの感謝の印としたい。


【Hide's mail】

【“人生とは旅であり、旅とは人生である”2006.07.03】

一1985年12月1日 - 2006年6月22日一

俺が「サッカー」という旅に出てからおよそ20年の月日が経った。
8歳の冬、寒空のもと山梨のとある小学校の校庭の片隅からその旅は始まった。

あの頃はボールを蹴ることに夢中になり
必死でゴールを決めることだけを目指した。
そして、ひたすらゲームを楽しんだ。
サッカーボールは常に傍らにあった。

この旅がこんなに長くなるとは俺自身思いも寄らなかった。
山梨の県選抜から関東選抜、U15、U17、ユース、そしてJリーグの一員へ。
その後、自分のサッカー人生の大半を占める欧州へ渡った。

五輪代表、日本代表へも招聘され
世界中のあらゆる場所でいくつものゲームを戦った。

サッカーはどんなときも俺の心の中心にあった。
サッカーは本当に多くのものを授けてくれた。
喜び、悲しみ、友、そして試練を与えてくれた。

もちろん平穏で楽しいことだけだったわけではない。
それ故に、与えられたことすべてが俺にとって素晴らしい“経験”となり、
“糧”となり、自分を成長させてくれた。

半年ほど前からこのドイツワールドカップを最後に
約10年間過ごしたプロサッカー界から引退しようと決めていた。

何か特別な出来事があったからではない。その理由もひとつではない。
今言えることは、プロサッカーという旅から卒業し“新たな自分”探しの旅に出たい。
そう思ったからだった。

サッカーは世界で最大のスポーツ。
それだけに、多くのファンがいて、また多くのジャーナリストがいる。
選手は多くの期待や注目を集め、そして勝利の為の責任を負う。
時には、自分には何でも出来ると錯覚するほどの賞賛を浴び
時には、自分の存在価値を全て否定させられるような批判に苛まれる。

プロになって以来、「サッカー、好きですか?」と問われても
「好きだよ」とは素直に言えない自分がいた。
責任を負って戦うことの尊さに、大きな感動を覚えながらも
子供のころに持っていたボールに対する瑞々しい感情は失われていった。

けれど、プロとして最後のゲームになった6月22日のブラジル戦の後
サッカーを愛して止まない自分が確かにいることが分かった。
自分でも予想していなかったほどに、心の底からこみ上げてきた大きな感情。

それは、傷つけないようにと胸の奥に押し込めてきたサッカーへの思い。
厚い壁を築くようにして守ってきた気持ちだった。

これまでは、周りのいろんな状況からそれを守る為
ある時はまるで感情が無いかのように無機的に、またある時には敢えて無愛想に振舞った。
しかし最後の最後、俺の心に存在した壁は崩れすべてが一気に溢れ出した。

ブラジル戦の後、最後の芝生の感触を心に刻みつつ
込み上げてきた気持ちを落ち着かせたのだが、最後にスタンドのサポーターへ
挨拶をした時、もう一度その感情が噴き上がってきた。

そして、思った。

どこの国のどんなスタジアムにもやってきて
声を嗄らし全身全霊で応援してくれたファン一一。
世界各国のどのピッチにいても聞こえてきた「NAKATA」の声援一一。
本当にみんながいたからこそ、10年もの長い旅を続けてこられたんだ、と。

サッカーという旅のなかでも「日本代表」は、俺にとって特別な場所だった。

最後となるドイツでの戦いの中では、選手たち、スタッフ、そしてファンのみんなに
「俺は一体何を伝えられることが出来るのだろうか」、それだけを考えてプレーしてきた。

俺は今大会、日本代表の可能性はかなり大きいものと感じていた。
今の日本代表選手個人の技術レベルは本当に高く、その上スピードもある。
ただひとつ残念だったのは、自分たちの実力を100%出す術を知らなかったこと。
それにどうにか気づいてもらおうと俺なりに4年間やってきた。
時には励まし、時には怒鳴り、時には相手を怒らせてしまったこともあった。
だが、メンバーには最後まで上手に伝えることは出来なかった。

ワールドカップがこのような結果に終わってしまい、申し訳ない気持ちでいっぱいだった。
俺がこれまでサッカーを通じてみんなに何を見せられたのか、
何を感じさせられたのか、この大会の後にいろいろと考えた。
正直、俺が少しでも何かを伝えることが出来たのか
ちょっと自信がなかった。

けれどみんなからのmailをすべて読んで
俺が伝えたかった何か、日本代表に必要だと思った何か、
それをたくさんの人が理解してくれたんだと知った。
それが分かった今、プロになってからの俺の“姿勢”は
間違っていなかったと自信を持って言える。

何も伝えられないまま代表そしてサッカーから離れる、というのは
とても辛いことだと感じていた。しかし、俺の気持ちを分かってくれている“みんな”がきっと次の代表、Jリーグ、そして日本サッカーの将来を支えてくれると信じている。

だから今、俺は、安心して旅立つことができる。

最後にこれだけは伝えたい。

これまで抱き続けてきた“誇り”は、
これからも俺の人生の基盤になるだろうし、自信になると思う。
でもこれは、みんなからの“声”があったからこそ
守ることが出来たものだと思う。

みんなの声を胸に、誇りを失わずに生きていく。

そう思えればこそ、この先の新たな旅でどんな困難なことがあろうと
乗り越えていけると信じられる。

新しい旅はこれから始まる。

今後、プロの選手としてピッチに立つことはないけれど
サッカーをやめることは絶対にないだろう。
旅先の路地で、草むらで、小さなグラウンドで、誰かと言葉を交わす代わりに
ボールを蹴るだろう。子供の頃の瑞々しい気持ちを持って一一。

これまで一緒にプレーしてきたすべての選手、関わってきてくれたすべての人々、
そして最後まで信じ応援し続けてきてくれたみんなに、心の底から一言を。

“ありがとう”
2006/07/03のBlog
今夜「号外」が出た。

そう、ワールドカップサッカーの”英雄”中田英寿選手が”現役引退声明”を発表したからである。

日本がブラジルと戦って負けた日、私は以下のエッセイを書いていた。
グループF:中田が泣いた日。中田ご苦労様!

この中で私は次のように書いていた。

『試合終了。ピッチに倒れた中田。中田英寿が”泣いた”。

中田はこれまで年代別のすべての国際大会に代表として出場した日本人唯一なのである。U15、U17、U20、U23 (アトランタ・オリンピック)、ワールドカップ・フランス大会(1998)、ワールドカップ・日韓大会(2002)。

これらすべての試合をこれまで私は観察してきたが、どんな敗戦をしても”中田は泣かなかった”。”笑顔の中田”、これが中田の中田らしい”新人類”的なところであった。

そして今回のワールドカップ・ドイツ大会。ついにその中田が”泣いた”のである。私には”その時の中田の気持ち”が実に良く分かる。』

『かつて私が自伝の一部「2章 小中高時代:私がスポーツから学んだ事 」でこう書いていた。

”一一一 試合後、なぜか知らないが止めどもなく涙が溢れてきて、たぶん30分ほど第2試合の横で泣いていた。何度も止めようと思ったが、止まらなかった。 そこにどこからともなく藤井君が来てなぐさめてくれた。たぶん、これでサッカーは終わりだなと思ったからだろう。この時程純粋に涙を流したことは一度もなかった。”

こういった時の”涙”とは負けたことが悔しくて出てくるのではない。確かに悔しい。しかし、自然となぜか溢れ出てくるものなのだ。止めどなく溢れ出る涙。』

『これは、私がかつてそうであったように、”もうサッカー人生は終わりだな”と心の奥底で見極めたことから来る涙だと私は理解している。そう、中田選手は自身最後のワールドカップの”人生をかけた戦い”が終わったのである。だからこそ、涙が溢れ出る。甲子園球場で高校野球選手たちが見せる涙と同じ類いの涙である。』

『中田英寿、心からご苦労様。ありがとう中田!』

だから、中田選手が今日引退宣言を出したからと言って私は少しも驚かない。むしろ、”ああ、やっぱりな”というのが私の受けた印象である。”私が直感していたことが事実であった。正しかったんだな”ということを証明しただけのことだからだ。私が自分の過去の出来事で起こったことと全く同じ事が中田英寿選手の中で起きたに過ぎないからである。

私も当時の山梨の高校サッカーではベストイレブンに選ばれた選手であった。だから、それなりの自負心や自信もあった。そしてそれなりの成果や歴史も母校に残した。それが、自分で”これが最後の試合”と信じる試合に負け、”もはやこれまで”と自分の子供の頃から日々努力して来たサッカー人生に区切りを付けなくてはならないと自分で認めねばならなかった時、私は”なぜか分からないが、どどっと涙が湧き出て止まらなくなった”のである。この状況を私の自伝に書いたのである。だからこそ、この状況や中田選手の”気持ち”は私には非常に良く分かるのである。

中田選手はもちろん私よりはるかに上のレベルの選手となった。日本代表、そしてアジアのベストイレブン、ワールドカップ2006の敗退組のベストイレブン。そして10年の間の日本サッカーの歴史を作った。しかし、それが、ブラジル戦を最後の試合と考えて力を振り絞っても負けた時、この状況は私がかつて経験したものと同じである。それゆえ、中田英寿は大泣きしたのである。涙が抑えようにもどうにも止まらないのだ。

では、これから先、中田選手にはどんなことが起こるのだろうか。これについても私は実に良く分かるのだ。

実は、私は自分では”引退した”と思っていたが、その後再び”現役”に戻ったのである。これについては私はかつて自伝にこう書いていた。

”この年の夏、高校総体予選が始まった。我々3年生はもうすでに引退していた。しかし、予選の段階から、何人か手助けしてくれということで、私(センターハーフ)と塩野君(右サイドバック)と志村君(センターフォワード)の3人だけが参加した。ところが、このチームも意外に強かった。どんどん勝ち上がり、とうとう準決勝まで勝ち上がった。そこで再び横森監督率いる塚田君の韮崎と当った。この時はじめて芝生の甲府グランドで戦った。 私は水を得た魚。本当に人生で最高のプレーができた。私の持つ ボールはだれ一人奪うことができなかった。一進一退が続き、 後半とうとう守りのミスで点を奪われ、0-1で負けた。この時は、涙は全く流れなかった。すがすがしい気持だった。俺が作ったチームがここまで来たんだという感じだった。”

私は2年生の新人戦を最後に実質的には引退したのだが、3年生になった後、後輩達やサッカー部の監督の希望もあって再びサッカーを続けたのである。そして、3年生の夏のインターハイでも1、2年生との混成チームで素晴らしい結果を残したのである。最後にはまた負けたのだが、この時は2度と泣く事はなく、涙はでなかった。それどころか、人生でこれまでに味わったことのない”すがすがしい気持ち”になったのである。

この経験から、私は今のフランス代表のジダンの気持ちが手に取るように分かるのだ。

ジダンは前回日韓大会の後、代表を”涙の引退”した。そして、ドイツ大会の予選前には現役引退もした。しかし、フランスが予選敗退しそうなので、フランスが国をあげて”ジダン現役復帰”を求め、ついにジダンは代表に戻って来た。そして、予選を突破し今回のドイツ大会に来たのである。

今大会のジダンは勝負を離れて実に”楽しそうだ”。笑顔のジダンを私は初めて見た。

この理由こそ、私が自身で体験したように、一度涙の引退して、それから吹っ切れた状態で再度現役生活に戻ったために、試合が楽しくてしかたないのである。だから、このドイツ大会で例えジダンのフランスが負けたとしても、”ジダンは笑顔で去る”はずである。”涙のジダンとはならない”はずである。私はそう思う。

私のこうした個人的経験から、私は中田選手が一度は引退したとしても、何年か後、もし日本代表がふがいない状況というものが生まれ、中田選手の現役復帰の熱望が生まれるのなら、再び中田英寿の現役復帰はあり得ると私は思うのだ。そして、その時の中田英寿選手は、今のジダンのように、本当に楽しそうにプレーするはずである。かつて私がそうであったように。

さて、中田選手は、今後”自分を見つめる旅に出たい”ということのようだ。私は個人的意見として、「中田選手にこれまでの人生を語ってほしい」と思っている。特に、「自分が子供の頃から高校生、そして成人しプロ選手として活躍するまでの自分のサッカー人生を語って欲しい」。というのは、これこそ、今の”中田英寿の使命”であると思うからだ。

今の子供たち、特にサッカー少年や少女たちは、中田の私生活や子供の頃の生活をまったく知らない。それは、中田英寿がマスコミ嫌いだったからである。もちろん、私も日本のマスコミは大嫌いだ。しかし、イチロー選手が自分の子供時代のことを語ったり、ロナウジーニョが子供の頃を語ったように、中田にも自分の子供の頃の家庭環境から両親や兄弟にいたるまでのすべてを子供達のために紹介して欲しい。これが私の個人的希望なのだ。

子供達は、どうしたら自分も中田選手のようになれるのか、いつも興味深く思っている。こういう子供達にそろそろ中田選手は答えるべきである。引退はこれにはちょうど良いと私は思う。

それゆえ、私は中田英寿にこう言いたい。

”中田英寿よ、人生を語れ!”
写真:サウジアラビア


写真:スペイン


写真:チュニジア


写真:ウクライナ
写真:フランス


写真:韓国


写真:スイス


写真:トーゴ
写真:オーストラリア





写真:ブラジル


写真:クロアチア





写真:日本
写真:チェコ


写真:ガーナ


写真:イタリア


写真:アメリカ
写真:アンゴラ


写真:イラン


写真:メキシコ


写真:ポルトガル
写真:アルゼンチン


写真:コートジボワール


写真:オランダ

残念ながらセルビア・モンテネグロの写真は見つからなかった。
写真:イングランド

写真:パラグアイ


写真:スウェーデン


写真:トリニダード・トバゴ
ちょうど良い、準決勝までの中日なので、これまでの予選の中で戦って来たチームのサポーターの中にいた”美女”たちを各種新聞などから集めておこう。まずはグループAから。

写真:ドイツ


写真:コスタリカ


写真:エクアドル


写真:ポーランド
ワールドカップもいよいよ準決勝に進んだ。結果は、

【準決勝】
ドイツ一イタリア
ポルトガル一フランス

となった。

2006/05/22の私の「”予想、予想、予想” 」では、

【準決勝(私の予想)】
ドイツ一イタリア
オランダ一ブラジル

と予想した。ポルトガルは、オランダに死闘の末に勝ち、フランスはブラジルに勝ってここに残ったので、私の予想はかなり”良い線を行っていた”ようだ。少なくとも、半分は予言適中したように見える。

その中で私はこう書いていた。

”ワールドカップの歴史では、ヨーロッパ開催はヨーロッパ勢が優勝、南米開催は南米が優勝。たった唯一の例外がスウェーデン大会でペレが鮮烈にデビューしたブラジルが優勝というものである。”

”サッカーというスポーツは圧倒的にホーム有利なのである。かつて最強と唱われた神様ジーコのチームですら予選敗退したのである。”

”だから今回の最強ブラジルですら優勝はかなり難しいのである。なぜならたった1つのレッドカードやPKで試合が決まってしまうということもあるからだ。PK戦で敗退という場面もあり得る。”

”審判がいくらフェアにやるといってもやはりヨーロッパ寄りになるだろう。”

”前回の日韓大会はアジア開催でアジア有利にしてくれたのである。2050年までにもう一度日本でワールドカップ開催でもない限り、Jリーグの川淵さんがいうような日本が優勝ということはあり得ないと私は感じる。”

”プロサッカーは相手チームと戦う以上に審判とも戦う必要があるのである。ほとんどの人(選手もファンも)はこれを忘れる。”

この短い部分で私が紹介した話が全部”事実”だということをサッカーのド素人の皆さんも十分に理解した事だろう。事実、ベッカムのイングランドはルーニーのレッドカード退場とともに敗退したのである。


サッカー、特にワールドカップサッカーというものは、一般の日本人が思っているような”柔な”ものではない。実に”人間臭く”、”血生臭い”ものなのだ。それゆえ、”戦争”にも例えられる。

かつてドゥンガは「セレソン」の中でワールドカップサッカーをこう評していた。

『もし俺とお前のどちらかが死ななくてはならないとしたら、お前が死んだ方が良いに決まっている。』

”ワールドカップサッカー”とはこういうものなのだ。

イングランドvsポルトガル、ポルトガルvsオランダ、ドイツvsアルゼンチン、アメリカvsガーナ、イタリアvsオーストラリア、韓国vsスイスなど、”死闘”と呼ぶに相応しい戦いは、まさにドゥンガの言葉を証明した。

残念ながら、日本のサッカーはまだこのレベルにまで行ってはいない。日本の男子サッカーは、むしろ女子サッカーに近い。あるいはフットサルに近い。

ワールドカップサッカーは、フィールドの上でボールを仲介したK1のようなものである。ドイツの選手は昔から陸上の10種競技の選手に例えられる(考えてほしい。日本のハンマー投げの室伏選手より大きな選手たちが走り回っているのだ)。これほどまでに激しいスポーツなのである。

そして、同時に戦術、マリーシアやエスプリがなくてはならない。頭脳も明晰でなくてはならないのだ。感情面でも成熟していなくてはならない。これが、サッカー選手が欧州や中南米など全世界で愛される理由なのだ。
2006/07/02のBlog
【準々決勝第4試合】
【フランス一ブラジル戦1一0】
雪辱期す両雄が王国を撃破 連係したジダンとアンリ
希代の点取り屋も「失望」 王国、寂しい内容で去る
試合結果

”驕るブラジル久しからず ただ夏の夜の夢のごとし”

というに相応しいものだった。

”1人の愚かな監督が試合を潰す”。ブラジルのパレイラ監督が、”理由は私には良く分からないが”、これまでの試合にない選手起用を行って、自ら自分のチームを”崩壊”させてしまった。

どうやらマスコミは”太ったロナウド”をパレイラ監督が使うことに固執したことが問題だと思ったようだが、私はこの試合に限って言えば、それはたいした問題ではなかったと思う。

一番の問題は、MFのロナウジーニョをFWにしてロナウドとツートップにしてしまったことである。これで、ボールを供給する側の選手がボールを受け取る立場になったために、一切のボールがロナウジーニョに入らず、ゲームの主導権をフランスに握られた。

ブラジルの”カルテット・マジコ”も作る事ができず、カカ、アドリアーノ、ロビーニョ、ロナウドなどはすべて中盤にロナウジーニョがいるからこそ、自由自在に動けるのに、この試合ではマークがカカに集中したためにまったくパスの供給ができなかった。そのために、中盤をフランスに支配されて、逆にジダンに自由自在に動かれてしまったのである。

そして悪い事というのは、バランスを失って集中が切れている時に起こるもので、ジダンのフリーキックの時、普段はロナウジーニョが中盤をコントロールしていたのだが、この試合ではロナウジーニョが最前線にいたためにいつもとマークがずれて大混乱してしまっていた。その間にいつもならロベルトカルロスが付かなくてはならないアンリにフリーでシュートされてしまったのである。

新しい、これまでに経験した事のない布陣で戦ったために、その”歪み”を立て直すにもすべてがバランス悪くなり、最後まで修正できずに敗退してしまったというのが、このゲームであった。すなわち、”ブラジルの自己崩壊”であった。

これほどの強豪国がここまで”自己崩壊”するというのは見た事がない。が、しかし、いったいパレイラ監督に何があったのだろうか。一見”八百長”疑惑を感じるほどに不信感を募らせる布陣だった。いつも通りのロナウドとアンドリアーノのツートップの布陣で出発すれば、たぶん2一0でブラジルが勝てただろう。終盤だけロナウドをロビーニョと交代で良かったのではないかと私は思う。

ところで、”八百長”とは、例えばサッカーでは、このパレイラ監督がこっそりこの試合のトトカルチョを買っていて、自分のチームが負ければ自分に多額の金が入る、というような取り引きのことである。日銀の福井総裁がやっていたことがこれにあたる。ファンドの株をこっそり持っていてファンドの株価が上がるように日銀の政策を組めるからである。実はアメリカ政府にもそんなことをやっているものが後を断たないという。

私はこの試合を見る限りフランスがそれほど強いようには見えなかった。しかし、試合を落とさないようにそつなく戦っていたと思う。中でも、守備的MFのマケレレ、守備のビエラ、チュラムなどの黒人プレーヤーは非常に”献身的”で”忠実”なプレーをしていたと思う。実に素晴らしい選手達である。

ポルトガルのGKリカルドの場合もそうだが、自分にチャンスをくれた監督に報いようという自己犠牲の精神が勝利を導いたのだろう。本来なら1998年フランス大会や2002年日韓大会と全く違った布陣で戦うはずだが、日韓大会のふがいなさを払拭するチャンスをくれたのだから、それに報いようとするのは自然なことである。

それと比べれば、ブラジルのパレイラ監督には、ロナウドにこだわる何か異様な”驕り(おごり)”のようなものを感じた。たぶん、ブラジルのマスコミから得点力不足のロナウド起用に関して執拗な批判が出たために、この異様なこだわりをカモフラージュする目的でロナウジーニョをトップに持っていったのだろう。が、これでは勝てない。平常心を失ったものが勝てるほどワールドカップは甘くはない。おそらく、この試合はブラジル人の間で多くの議論を呼ぶことだろう。

 祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり
 沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらわす
 驕れる者久しからず、ただ春の夜の夢の如し
 猛き人もついに滅びぬ、ひとへに風の前の塵に同じ

という平家の”うすら笑い”に似たものをパレイラ監督の顔に私は見た。
【準々決勝第3試合】
【ポルトガル一イングランド戦0一0(PK3一1)】
またもPKストップ連発 ポルトガルのGKリカルド
1人の愚か者が試合壊す イングランド、8年前再現
試合結果

前評判があまり高くなくそれほどでもないと思われたチームが薄氷の勝利を重ね徐々に力と自信を付けて最後に優勝する。こんな

”優勝の方程式”

というものがあるとすれば、”優勝請負人”と言われるポルトガル監督のフェリペ・スコラリ監督の采配だろう。

優勝候補のイングランドと死闘を演じて最後にPK戦で、それも次世代のポルトガルの司令塔となるべき若き天才クリスチャン・ロナウドが決めて勝つ。将来への教訓や経験も積みつつかつ勝利していくという姿は圧巻であった。

これもすべてがフェリペ・スコラリ監督の”達観”によるというのだから本当に驚く。

このPK戦で大活躍したゴールキーパーのリカルドは、3年前にフェリペ・スコラリ監督が就任した当時は、「ミスが多く安定感に欠け、サブに回るような選手」であった。それを、「チャンスを与えれば、必ず花を咲かせる」とフェリペ・スコラリ監督は一切耳を貸さなかったという。 それから3年、フェリペ・スコラリ監督の蒔いた種がここで花開いたというわけだ。


一方、イングランドは、”悪童”ルーニーの指南役、ジェダイの戦士のベッカムをベンチに下げた段階で私はイングランドが負けたと思った。案の定、ルーニーは抑えが効かなくなり一発レッドカードで退場。昔のベッカムの教えが生きなかった。イングランドの新聞は、「1人の愚か者が試合壊す」と言っているが、その切っ掛けを作ったのは他ならぬエリクソン監督であった。

このベッカム交代劇は、アルゼンチンのリケルメ交代劇に匹敵する”愚かな作戦”だったと私は思う。(この後のブラジルのパレイラ監督も同じような”愚かな”ミスを犯した。もちろん、ジーコもだ。)

”愚かなフィールドプレーヤー”は監督が一言で交代させられる。しかし、”愚かな監督”は大会を去るまで替えることができない。ここにワールドカップの面白さがある。

ワールドカップは、時に戦争のようなものと例えられる。愚かな指揮官を持った国、そんな国は戦争でも負けたのだ。日本、ドイツ、イタリアなど第二次世界大戦では、そういう”愚か者”がリーダーについたことで負けたのである。

現在の政治でも何でもそうで、一国が困窮していく時、あるいは、一国に何らかの負けが絡んでいる時というのは、”愚か者が指揮官になっている”時なのである。

こんなことを考えさせられるゲームであった。
2006/07/01のBlog
[ 23:38 ] [ WCドイツ大会 ]
ドイツ戦後にペケルマン監督「敗戦で辞める時が来た」

アルゼンチンのペケルマン監督は、さすがに名将。”潔い”。

ドイツ戦で自分の失敗を認め、

「この敗戦で辞める時が来た。続けることはない」

と言って辞任した。そして、

「できることはすべてやったが、他のコーチたち、ファン、選手に申し訳ない。このチームはもっと先に進める力があったのに、それができなかった」

と言って潔く謝罪した。これが名将の引き際であろう。

この意味でも、ジーコは二流の人物であった。一流の人物、一級の人物を日本代表の監督にしないと、次のワールドカップは出場すら難しいだろう。
【準々決勝第2試合】
【イタリア一ウクライナ戦3一0】
イタリア活性 ようやくお目覚めトニ2発
ウクライナ夢散 シェフチェンコ疲弊
試合結果

いやー、この試合はお互いの持ち味の出た良いゲームだった。

強いて言えば、”ウクライナにはツキがなかった”。何度かのシュートチャンスにボールが枠を叩いた。あるいはディフェンダーに阻まれた。これが決まっていれば、おそらくもっと好ゲームになっただろう。

「ウクライナにはピルロのような選手がいない。選手の質の差が出た」

とシェフチェンコは言う。確かにその通りで、MFのピルロ、特にMFのガットゥーゾのような”汗かき役”をこなし、味方のピンチを救い、攻撃もするというタイプがいるのといないのとでは大違いである。

この試合でついに実力を発揮したイタリアのトーニは、こう言った。

「次のドイツ戦が大変な試合になる」

お互いに試合巧者どうし、しかも監督もお互いに強気どうし、際立って”激しい死闘”が繰り広げられるかも知れない。

審判が今日のドイツ戦のようにドイツの味方(サポーター)であれば、ドイツが勝ち、フェアであればイタリアが勝つだろうと私は見ているが、果たしてどうなることか。

いずれにせよ、ドイツは”ナチス・サッカー”でなりふり構わずの”汚いプレー”で来るはずなので、イタリアは怪我人続出する可能性は高い。仮に勝ったとしても決勝では不利になるだろう。
【準々決勝第1試合】
【ドイツ一アルゼンチン戦1一1(0一0、1一1;0一0、0一0;PK4一2】
クローゼ決めた同点弾 ドイツ雪辱の空中戦
アルゼンチン誤算 交代枠ゼロ、逃げ切り策暗転
試合結果

かつての日本のキックボクサー沢村忠並みのクローゼの”真空飛び膝蹴り”炸裂

これがこの試合を”決めた”。


今回もクリンスマン監督の”ナチス・サッカー”健在だった。ドイツのサッカーは、これまでと同様に、足を削るは、後ろから突き飛ばすは、何でもありのサッカーだった。なりふり構わず勝利にこだわる”ナチス・サッカー”だった。

そして、ついにクローゼの”真空飛び膝蹴り”炸裂で、アルゼンチンゴールキーパーが負傷退場。おそらく肋骨の1、2本は折れただろう。これが巡り巡って最後のPK戦に響いた。替わったキーパーはすべて予測が反対でどう見てもド素人だった。

しかし、これはファールにもならなかった。この主審はいつもドイツのサポーターであった。なんでこんな奴を主審にするのか。日本人の上川主審の方がはるかにフェアであるが、フェアでは困るから(つまり、ドイツの計算通り、シナリオ通りに主審が動かないから)補欠主審に回されてしまったのだろう。

今回、試合前に”人種差別にノー”という宣言を初めて行った。いったい試合前の”宣言”はどこへいったのか。また何のために”宣言”をやったのか。相手にフェアネスを求めさせ、自国はアンフェアで行くということだったのか。大いに疑問の残る”汚い”試合だった。

いやー、アルゼンチンは強かった。そしてうまかった。今回屈指のドイツ相手に大人と子供というほどにボール支配を行った。6割方アルゼンチンがゲームを支配していた。そして先制点を生んだ。もし、後半28分にロドリゲスが2点目を冷静の取っていれば、アルゼンチンが3一0で圧勝しただろう。若いロドリゲスにはそこまで考える熟練度がなかった。あそこは決めなくてはホームチームには勝てない。その直後に失点した。


それにしても、最後にアルゼンチンのペケルマン監督は、かつてのハンス・オフト監督や加茂監督と同じことをしてしまった。絶好調の選手を替えて守備固めに緊張している選手を送り込んだのである。いくら何でも、後半27分のリケルメからカンビアッソへ、後半34分クレスポからクルスへの交代はないだろう。結局、PKをはずしたのは、この”禿げ”のカンビアッソだった。

PK戦というのは、圧倒的に追い付いた方が精神的に優位なのである。負けると思った試合で相手に追い付きPKに漕ぎ着けたのだから、今度こそ絶対勝てる、自分達はついていると思うからである。逆に、追い付かれた方は、まずいと思ってPK戦では集中が切れるのである。昨年の日本の高校サッカー選手権でも、滋賀の野洲高校が大阪朝鮮に終盤追い付いてPK戦になり、追い付いた野洲高校が勝った。これと全く同じ事がこの試合でも起こったのである。

いずれにしても、9割がた勝てた試合をペケルマン監督の”弱きの虫”のために落としたというのがアルゼンチンだった。ペケルマンは、マケルマンに名前替えした方が良いかも知れない。それほどまでに、ひどい交代劇だった。

いずれにせよ、再び”後味の悪い”試合だった。ドイツが決勝まで行くように”話が出来ている”ようである。
2006/06/30のBlog
いよいよ今夜から準々決勝が始まる。

今回のNHKなどのテレビ番組では、アメリカの放送局とは異なり、試合直前のウォーミングアップシーンが映ることがある。ほんのわずかの時間だが、試合前の直前情報として、今選手達はこんなことをやっています、というような感じでウォーミングアップ中の各国の選手の状況が見られる。

もしテレビでこれを目にできるのであれば、ぜひこの”ウォーミングアップ”シーンを見て、どの国はどんなことをしてウォーミングアップしているかを覚えてほしい。

今回、私は日本代表のアップシーンを見て、非常に驚いた。というのは、日本代表のウォーミングアップは全員がフィールドに散らばって”各人各様”にてんでばらばらに行っていたからだ。


ずっと以前(1年以上前)に、私は「”第31回西日本高校サッカーフェスティバル” 」にこう書いていた。

『(い)もう一つは、これはサッカーの大会をその場で見ない限り絶対に得られないものである。だから、私は本当のサッカーを知りたいのであれば、会場へ出向き、試合前のウォーミングアップ(簡単に”アップ”という)から見ることを勧める。』

『サッカーのうまいチームや強いチームは、やはりアップの時から実にユニークな練習を行う。一方、弱いチームは統率が取れず、試合前に何をやっていいのかも分からない。時にジャージーやユニフォームもバラバラとなる。そしてこれが試合にもろに出る、のである。実際、これほど見事なまでに結果に反映するものはないと私は考えている。

だから、サッカーを本当に知るものは、試合前の相手チームの動きに特に神経を尖らせるのである。おそらくこんなことは素人のあなた方は知る由もない。しかし、これが監督やコーチの”目”であり、”見方”なのである。』

『だから、私は自分のチームの選手に良くこう言うのである。
”サッカーの試合はすでに試合前のアップから始まっている。”』

『こういう私の観点から今回参加したいくつかのチームを観察すると、やはりそこに各チームの”個性”が見事なまでに出ているのである。”声のかけ方”、”号令の仕方”、”コーチや監督に対する態度”、”チームの隊列の取り方”、”パス練習のメニュー”、”アップに要する時間”、”集合と声がかかって集まるまでの時間”、”ストレッチの方法”などなど、すべてにおいてチームによって違っているのである。

もちろん、これと同じことはワールドカップに出る国ごとにも言えるのである。ブラジル式、イギリス式、フランス式、ドイツ式、アルゼンチン式など、各国ごとにアップの仕方が異なる。

これぞサッカーの醍醐味であり、臨場感であるといえるだろう。これこそサッカーの本当の面白さである。いや、ほんとサッカーは奥の深いスポーツだネ。』

このように、サッカーチームのアップ法は各チームによって異なる。しかし、強豪チームほどこのアップシーンが、スピーディーで隊列が取れて”かっこ良い”のである。

私は試合前のドイツ、イタリア、アルゼンチンなどことある度に注意して見ていたが、私が上に書いた事は全くの事実であった。ドイツ、イタリア、アルゼンチンなどの強豪国のアップ法は非常に素晴らしく、一瞬の無駄もなく行われていた。

ところが、日本代表は、日本語で言う”三々五々”、仲の良い2、3人適当に集まって適当にアップしていたのである。私はこれはいったいどうなっているのか、と本当に驚いたのだ。これこそ、”弱小チーム特有のスタイル”だからである。

一般に”弱小チーム”というのは、監督と選手の間に溝が合ったり、お互いに不信感があったり、選手間に意思疎通が希薄であったりする。その結果として、アップも勝手気ままで、メニューも時間も何もかもがバラバラになるというが普通なのである。監督の指揮はまったく効かず、仲の良い仲間どうしで適当にやるのである。

私が指導する前の阿南高専サッカー部がそうで、試合前のいつ集まるかということすら徹底されていなかったために、中には試合5分前になってやっと会場に来る者までいた。それを試合1時間前に集合、それから50分かけて徐々にアップからパス回し練習まで行って試合10分前にはいつでも試合ができるようにするという方法に変えたのである。こういうことができるようになると、不思議と試合でも好成績を残せるようになったのである。

この観点からすれば、ジーコジャパンは”論外”であった。ド素人レベルのアップ法だったからである。これではゲームに勝てるはずがない。なぜなら、各人各様にアップしているのだから、ある選手は身体が暖まっていつでもOKの状態にあったとしても、別の選手はまだ中途半端な暖まり方で試合最初に非常に動きが悪いという事になるからだ。こんなことまでジーコは”手を抜いていた”のである。これで強豪国に勝てるはずがない。

私の心配どうりにジーコジャパンは敗退した。当然の結果である。サッカーでは、”心掛けの悪いチームは敗退する”からだ。この意味でも、ジーコはド素人だった。

ぜひアップシーンを見てほしい。
2006/06/29のBlog
[ 10:51 ] [ WCドイツ大会 ]
準々決勝まで2日の中日がある。

1ヶ月前の5月22日に私は、「”予想、予想、予想” 」(あるいは、予言適中? )で、全試合の勝者を予想した。予想というものは、当る八卦、当らぬも八卦。あまり当てにはならないものである。

しかし、アジア勢全敗退。ヨーロッパ強豪が生き残るというのは、ほぼ当ったようである。1次リーグで、1位2位の順序が入れ代わったところがあるので、私のベスト8予想と準々決勝予想は、

【準々決勝(私の予想)】
(A)ドイツ一アルゼンチン
(B)イタリア一フランス
(C)イングランド一オランダ
(D)ブラジル一スペイン

であったが、実際にはこうなった。

【準々決勝(実際)】
(A)ドイツ一アルゼンチン
(B)イタリア一ウクライナ
(C)イングランド一ポルトガル
(D)ブラジル一フランス

まあ、ウクライナ、ポルトガルとフランスの部分が違っていただけなので、大筋では当ったと言って良いだろう。

これを見て分かる事は、どの国も”自分のサッカー”というものを確立して持っている国であるということだ。いわゆる”自分達のサッカー”というものを作り上げているということである。

その点、アジア、アフリカの国々は、まだこの粋に達していない。それゆえ、”自分達のサッカー”が出来ずに敗退してしまった、ということとなる。

日本も結局この例にもれず、自国のサッカーができずに敗退したのだ。”金の亡者”で偽物監督ジーコの”つけ刃のサッカー”、”にわか仕込みのサッカー”はすぐに化けの皮が剥がされたのである(もう二度と日本へ来るな、ジーコ! )。

この点、自分のサッカースクールを経営しているような”サッカービジネスマン”は代表監督には向いていなかったのだが、それに気付かなかったサッカー協会に責任がある。日本という弱小国のサッカー監督となれば、自分のビジネスの良い”広告塔”になれるとジーコは”計算”したのだろう。が、ジーコには”広告塔”ではなく、”司令塔”になってもらいたかった。

いかにして自国民に合った”自前のサッカー”を構築するか。

これがこれからの焦点となるが、これはどこかで踏ん切りをつけて判断を下さないといけないことである。

韓国はオランダサッカーを目指すというが、日本はアルゼンチンサッカーを目指すのか、ドイツサッカーをめざすのか、あるいはブラジルサッカーを目指すのか、そういう目標が必要である。あるいは、フランスのように、サッカー移民を受け付けて”フランス傭兵部隊”のように、世界中の難民や貧民の子供を無償でサッカーエリートに育て上げ、移民の子の英雄ジダンのような”魔法の杖”を奏でるサッカーを目指すのか、どこかで日本サッカー界は男らしく決断しなくてはならないのだ。

アレックスのようなブラジル人や諸外国の優秀選手も日本人に帰化させて”外国人傭兵部隊”を作っていくのか、あるいは、世界に伍して戦えるワールドクラスの日本人を育てあげるのか、どちらが良いのだろうか。

実に難しい選択だが、こういったことを本気で考えなくてはならない時期に今の日本サッカーは差し掛かっていると私は思う。
2006/06/28のBlog
【決勝トーナメント1回戦第8試合】
【H1位スペイン一G2位フランス戦1一3】
フランスMFビエラ、絶妙スルー
アラゴネス監督の「不敗神話」、26戦目で崩れる
試合結果

スペイン、フランスに”名前負け”

というのが、この試合のすべてだろう。実力的には、ほぼ互角かそれ以上に今回のスペインは強かった。しかし、このフランスには、前々回の覇者となった時のジダン、アンリ、マケレレ、チュラム、ヴィエラなどの蒼々たるメンバーがいて、若いスペインはかなり浮き足立った観ありである。

イングランドやフランスのような熟練チームは、やはりセットプレーで一発逆転を狙う。逆転ゴールのフリーキックは不用意だった。フランスの同点ゴールは、ブラジル同様にオフサイドトラップをかいくぐるスルーパスで決まった。最後のジダンの3点目は、中盤でジダン自らボールを奪い取って左サイドに回り、そこから中央へ切り込んでのシュートというプレーで、ジダンのもっともジダン的な実に美しいプレーだった。これでスペインに止めを刺した。新たなるジダンの”伝説”が生まれた。

ドイツ大会前にフランス人のベンゲル監督が、

”私はフランス人だからフランスがサプライズを起こすのではないかと思っている”

と言っていたが、絶不調の1次リーグをしのぎ、ここに来て、伝説再びという勢いがフランスに出て来たようだ。厚い中盤とジダンの輝きがほとばしり出たナイスゲームであった。

今回は、ヨーロッパ大会なので、ホームのヨーロッパチームがやはり際立って元気である。驚異的なサポーターの応援がそうさせるのだろう。

コンチネンタルサッカーのドイツ。サンバサッカーの王国ブラジル、カテナチオのイタリア、紳士プレーのイングランド、ダイレクトパス回しのサーカスサッカーのアルゼンチンと、強豪国が持ち前のサッカースタイルを変幻自在にあやつって披露しているのが実にうれしい。

いつの日か、日本にも”日本サッカー”なる自前のサッカースタイルが生まれる日が来るのだろうか。そんなことを考えさせられるゲームであった。