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KiKidoblog
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2006/09/02のBlog
[ 13:34 ] [ ジョーク ]
笑いは百薬之長。以下は最近ロシアで流行っているジョークだとか。

フィールズ賞辞退の数学者ジョークが大流行 ロシア

いやー、これは面白い!

ここでも、
感じ入ったぞ、ペレルマン博士:フィールズ賞辞退!」、
フィールズ賞受賞のペレルマン博士”雲隠れ”?
で、ロシア人数学者ペレルマン博士のことを紹介しておいたが、今ロシアでこのペレルマン博士ネタの”ロシアン”ジョークが大流行とか。

記事には、いくつかの例の紹介があったので、ここでまとめておこう。

一一 一番多いジョークは、”米国クレイ数学研究所から「予想」の解決者に出る賞金100万ドル(約1億1600万円)の授賞が決まったわけではないのに、これも辞退したかのように先取りしたもの”。

「ペレルマンが100万ドルを見るような目つきだぞ」
「断った100万ドルのように嫌そうに見ている」

一一 ”まったく現実味のないこと”という意味で

「ペレルマンに100万ドルをやると提案するようなものだ」
「ペレルマンにとっての100万ドルと同じくらい、彼は私に必要ない」

一一 ペレルマンの趣味の”キノコ狩り”に対して

「ペレルマンがキノコ狩りで通らなかった方へ向かう」
(ペレルマン氏も解決していないほどの難問に出合う)

一一 ”絶対に不可能なこと”を意味して

「(キノコのある森でなく)野原でペレルマンを捜す」

一一 最後に、”ジョークのような本当の話”として、同氏が勤めていたサンクトペテルブルクの数学研究所の同僚らの話。

「ポアンカレ予想は、ピンポン球とドーナツを分類する条件を示すような問題とされるが、考える時にペレルマンはテニスボールを壁に投げつけ続けていた」


ここから、私のジョーク。

◯「今、ペレルマンの残した100万ドルを狙って、中国人研究者と日本人研究者が競争しているらしい。」

◯今世界中でペレルマンが残した100万ドルの賞金の使い道に困って議論沸騰中。

 イギリス人博士はこう言う。
「紳士の国イギリスでは、女王陛下に寄付します。」

 ドイツ人博士はこう言う。
「数学好きのドイツは、数学出版社スプリンガーに寄付します。」

 フランス人博士はこう言う。
「芸術の国フランスでは、ルーブル美術館に寄付します。」

 イタリア人博士はこう言う。
「デザインの国イタリアでは、ファッションショーを開催します。」
 
 アメリカ人博士はこう言う。
「保険の国アメリカでは、今後こういうことがあった時のための保険金にします。」

 ロシア人博士はこう言う。
「ペレルマンの母国、天才の国ロシアでは、100万ドルあれば1万人のペレルマンが雇えます。」

 最後に日本人博士はこう言う。
「公務員の国日本では、めったにこういうことはないので、”裏金”にしてしまっておきます。」

◯21世紀後半の社会の教科書には、あたらしい通貨単位”ペレルマン”が登場。
1ペレルマンとは、100万ドルを失うことという意味らしい。人が億万長者になり損ねた時、それを1ペレルマンというのだと。
サッカー日本代表、サウジの砂塵の中で練習

昨日サウジアラビア入りと同時に第一回目の”未明”の練習をこなしたオシム・ジャパン、今日は午後8時に練習したようだ。

オシム監督が「時差惚け解消のため」と言ったように、選手達は口々に調子の良さを強調した。


一一一調子はどう?

巻(千葉):「涼しい。これなら日本よりいい」
佐藤寿(広島):「日本で眠い時間に眠くない」

一一一練習についてどう思うか?

羽生(千葉):「オシム監督は千葉の時も1年目は練習量が多かった。意識付けが大きいと思う」
巻:「切り替えの早さはどの相手でも大事。監督は目先の試合だけを考えているわけではないと思う」

果たして成果はどうか。楽しみな試合となった。
2006/09/01のBlog
”どうせ貧乏人から税金とって払わせるから好いんだ”

という文部科学官僚たちの内なる”喜びの歌”が聞こえてきそうな”やり方”である。

研究費不正を防止、大学の管理強化で予算倍増文科省

これによると、最近の一部の大学研究者の不正がもとで、それを監視するために、科学研究費総額約1895億円の運営管理のために、さらに「間接経費」に”311億円”ものお金を来年度予算に組み込むのだということである。

この直接の原因を作ったのは、早稲田大学の松本和子(元教授)であるという。この人の研究費不正使用のために、大学に”経理管理や支援要員の雇用に支出する”ための「間接経費」が必要となったというのだ。

では、だれが各大学の”経理管理や支援要員”となるのか。

といえば、恐らく我々のような普通の人はなれないはずだから、結局は”官僚出身の天下り”ということとなろう。あるいは、大学を定年退官した人かも知れないが、第三者的立場が好ましい事から、やはり所轄の官僚出身者が適任ということになるだろう。

まあ、要するに、民間人の政治家が作った”天下り禁止令”のために、退職後の就職先に困っていた国家公務員の官僚たちが、再就職先の1つとして、「大学不正管理」という名目で大学内に自分達の職場を確保しようということなのだろう。私はそう予想している。

この意味では、文部科学官僚たちにとっては、松本和子(元教授)は、”英雄”ということになるだろう。

本来なら研究費のために適正に使われるべき税金が、もともと大学の研究費としては額が大きすぎて使いこなせないで有り余ってしまったためにお金を不正に使用した事が原因で生じた犯罪を官僚が監視するためにその当初のお金よりさらにずっと高額の税金が必要となった、という何やら摩訶不思議な”錬金術”師的なお話である。もっと簡単に言えば、税金を管理するために税金を増やすということだ。実に符に落ちない作戦である。

研究費を使用した事がある人なら分かるだろうが、研究費の管理は実に大変で、額が大きければ大きくなる程大変となる。それで、その管理はすぐに研究者本人では処理できなくなり、せっかくもらった研究費からそれを管理するための秘書すら雇わなくてはならなくなる。こうして元の研究費は実質的には”目減り”する。

これでは、本末転倒なのだが、日本の研究システムは非常に”公務員的”な方法が取られているために、どうしてもこうなってしまうのである。

それでも不正が起こったというために、さらにまたその秘書すら管理するための管理者を大学に置かなくてはならなくなり、この「間接経費」が必要となった、というわけである。

しかし、いったいだれがこの金を払うと言うのか。結局は、科学研究とは一切関係ない国内の名も無き人々である。

ライブドアのホリエモンは、自分の株をどんどん”刷って”売ったというが、日本の官僚達も実質的には全くこれと同じ事をしていると言える。どんどんお札を”刷って”国の金にする。あるいは、どんどん国債を”刷って”売る。これでは、国内が”お札を刷れる特権階級”と”お札を刷れない貧乏人”の2種類に別れるのは当然だろう。

だれだって、カラーコピー機でどんどん偽札を作って使用できれば、刷れば刷るほど金持ちになれる。みずほ銀行と同じで、勝手に”宝くじ”をどんどん刷って売る事ができれば、だれだって大金持ちになれる。

この場合の金持ちとそうでない庶民の違いは、お札や宝くじを刷る事ができる権利があるかないかだけである。ホリエモンや株式会社も自分の会社の”株式”や”証券”を勝手に刷って売れる権利があるからすぐに金持ちになれたのである。

こんなことがまかり通れば、どうなるか明白であろう。いっそのこと国民のだれでも偽札やら株やら宝くじやら何でも刷って販売可能な国にしたらどうだろうか。そうすれば、結局は信用だけが勝負となり、国や大銀行だけがそれを行えるという場合よりも社会は健全になるのではないか、とすら思える。

いやはや、だれが日本の国家公務員や地方公務員に”真の経済学”を教えるのだろうか。大地震も恐いが、経済大地震も同様に恐い。

どうしてマネーフローに浴する人々とそうでない人々に二分されるのかという理由が、こういうことなのである。

写真:フェアバンクスのオーロラ

一一一一一一
ついでに付け加えると、「研究費が研究費を吊りあげる」というようなことを、物理学では”ブーツストラップ(靴ひも)理論”と呼んでいる。要するに、「自分で自分が履いている靴のヒモをつかんで、自分を宙にあげる」というようなちょっとナンセンスなことを意味している。したがって、この問題は一種の”ブーツストラップ理論”である。
[ 21:57 ] [ スポーツ ]
米国敗れ、3大会連続で決勝へ進めず 世界バスケ

フィギュアスケートの荒川静香の金メダル。ワールドベースボールクラッシック(WBC)の日本優勝。ワールドカップサッカードイツ大会のイタリア優勝。これに続きワールドバスケットボールでもアメリカが負けた。

お家芸のバスケットもすでにアメリカは”過去の国”。野球もそう。サッカーは論外。アイスホッケーでも似たようなもの。フィギュアスケートでもそう。

いったいアメリカはどうなってしまったのだろうか。もはやアメリカは世界ナンバー1の国ではなくなったということだろうか。

戦後60年経ち、ヨーロッパは完全に復興した。EU連合は、戦後のアメリカ型民主主義を学び、今やひと昔前の”古き良きアメリカ”的なヨーロッパとなった。今回のワールドカップドイツ大会が見事にそれを証明した。

それと比べて、アメリカは9・11以降、むしろ崩壊前のソ連のような独裁者国家への道を突き進んでいるようにすら見える。決して知的にも人格的にも人間的にも最優秀の人物しか大統領に選出しないという良き伝統を持った国が、かつてのソ連のスターリンやフルシコフや北朝鮮のキムジョンイルのような人格的にちょっと問題ありの人物まで大統領となってしまうというような国になってしまった。

この影響が”ボディーブロー”のように徐々にアメリカ全土を襲いはじめたのではないだろうか。戦後、我々日本人がロールモデルとして愛した”知的な国アメリカ”が、今や”痴的な国アメリカ”になってしまったのだろうか。

スポーツというのは、実際の政治的なものや社会的背景よりも数年ほど早く問題が表われる傾向がある。アメリカのスポーツにおける”凋落”は、これから来るアメリカ社会の”凋落”を予言しているのだろうか。

いやはやそんなことを考えさせられる話である。
サッカー日本代表、サウジ到着競技場へ直行・初練習
サッカー日本代表、サウジに到着 未明に異例の練習

日本代表は、サッカー・アジア杯予選2試合に臨むために成田を出発したが、15時間余りの長旅の後、31日深夜、最初の会場であるサウジアラビア・ジッダに到着。ところが、空港から宿泊地に向かうのではなく、練習会場に直行し、1日午前1時前から約1時間練習したという。

これに面喰らったマスコミは、オシム監督に同行しなくてはならず、会場で練習を見て聞いた。

一一どうして未明の練習なのか?

オシム監督:「時差調整が一番の狙い。そのつもりで予定を立てていた」
オシム監督:「世界では昼間のところもある」


練習そのものは、最近ずっと行っている練習:「5色のビブス(ゼッケン)を付けた選手が敵味方に分かれ、様々なパターンでボール回し」と最後は、「フルコートの8対8」。

最後のフルコートの8対8とは、たぶんこんなものだろう。

代表はキーパー3人と21人の選手がいるので、キーパーそれぞれ含めて8人のチームを3つ作る。このうちまず2つで8対8をしている間、残りの1チームはずっと周りを走り回る。勝ったチーム(かあるいは負けたチーム)が残り、今度は走っていたチームと8対8を行う。その間、勝ち(負け)抜けたチームが周りを走る。そして、3セット行い、これを1ラウンドとする。

これは、私が高専指導した時もよくやった練習法だが、高校生レベルの体力強化練習を日本代表で行っているということだろう。この3チームを基本的には”核”にして、一番良いメンバーを見つけるという目的もあるだろう。おそらく、こういう練習を日本代表がやってみせる事によって、J1、J2でもこの練習法が一般的となり、良く知られるようにするのも目的の1つなのだろう。

いずれにせよ、ミーティングやフィールド上での”お話”ばかりで選手を少しも走らせなかったジーコとは好対照な練習である。いつかこの成果がはっきり出てくるのではないか、と私は予想している。

ブラジルのロナウジーニョは、移動中の飛行機の中でもリフティング練習しているという。ファーストクラスのシートに座っていてもリフティングする。いつもサッカーの練習していないと身体がなまる。飛行機から降りたらすぐ試合ということもあるからだ。いよいよ日本代表にもこういった世界レベルのサッカー選手メンタリティーをオシム監督は求め出したということだろう。
2006/08/31のBlog
[ 17:26 ] [ 健康・医学 ]
最近、C型肝炎訴訟のニュースがあったが、私はこういうニュースを見るといつも不思議に思う事がある。それは、何度も何度も同じような”薬害”をくり返している一部の大企業があるのだが、どうしてそういった悪名高い企業を国は”解散、廃業”にしないのだろうか。どうして株主(特に三菱)は、相変わらず株を買っているのだろうか、ということである。

近年でも、雪印乳業の「黄色ブドウ球菌事件」で雪印は大きな痛手を受けた。「O一157事件」でも食肉業者は大きな痛手を受けた。極最近では、「狂牛病事件」で食肉生産業は廃業しかねないほどの痛手を受けた。

にもかかわらず、薬害事件の場合には、大製薬会社たちはほとんど無傷でまったくダメージを受けたどころか、より一層躍進している勢いであるように私には”見える”。

この”差”はいったいどこにあるのだろうか。これが、私には実に不思議なことなのである。

そこで、いくつか有名な薬害事件・訴訟をまとめてみると、以下のようなものであった。

(あ)「薬害エイズ事件
によると、この薬害事件に関与した会社は次のもの。

ミドリ十字 → 現、三菱ウェルファーマ
化学及血清療法研究所
カッタージャパン→バクスタージャパン→現、日本トラベノール
バイエル薬品→現、バイエル社
大塚製薬
住友化学→現、大日本住友製薬

関わった代表者で起訴されたものは、以下のものたち。

松下廉蔵・須山忠和・川野武彦(ミドリ十字代表取締役)→実刑判決(2000)
安部英(帝京大病院、医師)→無罪判決(2001、3月)→死去(2005年4月25日)
松村明仁(厚生官僚)→有罪判決(2001、9月)

(い)「C型肝炎訴訟によせて
によれば、問題となった「フィブリノゲン製剤」を使用したのは次のもの。

三菱ウェルファーマ(旧ミドリ十字)
ベネシス(三菱ウェルファーマの血液製剤製造部門。2002年に分社化)

この事件に関しては「国と製薬会社に賠償命令 C型肝炎訴訟で福岡地裁判決」で、総額11億6600万円の損害賠償判決が昨日福岡地裁で出たばかり。

(う)この他、「薬害B型肝炎訴訟」というものもある。その歴史は、「薬害肝炎訴訟」にすべてまとめられている。

(え)さらには、「薬害ヤコブ病訴訟」というもの、古くは「サリドマイド事件 」、
「スモン事件 」などから始まり、「陣痛促進剤被害 」、「接種・注射禍事件 」、「クロロキン事件」、「ソリブジン事件」などと挙げたら切りがないほどに類似事件がある。これらは、「薬害資料館 」にまとめられている。

ここで、共通して出てくる大企業は「ミドリ十字(現、三菱ウェルファーマ)」であった。上にもあるように、この会社は、何十年も同じような薬害を頻繁にくり返してきている。

薬害エイズと日本の医学者:七三一部隊の陰を引きずったミドリ十字」によれば、ミドリ十字の前身「日本ブラッド・バンク」は、日本軍の”細菌戦の人体実験”を行った悪名高き”731部隊”のボス石井四郎の作戦参謀であった内藤良一が作ったとされている。そして、「アウシュビッツにも匹敵する戦争犯罪だった七三一部隊の罪状がアメリカ進駐軍に よって意識的に免罪され、データがアメリカに売り渡され、それと引き換えに七三一 部隊関係者はその庇護のもとに戦後の社会で活動した。」とある。

この人命軽視、人間無視の姿勢という”古き悪しき伝統”をミドリ十字が持っていたのではないか、と多くの識者は見ている。そして、これが再びゾンビのように息を吹き返した三菱ウェルファーマに蘇ったのではないか。そんなことを思い起こさせるお話である。

ところで、日本に”製薬会社”という手法を持ち込んだのは、エッセイストの星新一さんの父親である星一(ほしはじめ)であった。

この星新一さんの「明治・父・アメリカ」は、この父の人生を語った見事な名著であるが、この中で日本に一番最初に近代的な製薬会社を設立したのがこの星一さんであり、その会社が「星製薬株式会社」であったとある。日本で最初に小売りチェーンのフランチャイズ制度を導入したのもこの星一さんだった。それまでは、日本の商いは問屋制度で、大問屋、中問屋と小問屋そして小売り店と階層的であったが、製造会社と小売り店のダイレクト関係を作ったのだった。この星製薬は新しいアメリカ型経営で大成功し、その成果を大学に還元し、未来につなげようとして出来たのが星薬科大学であった。

ところが、この新しい製薬会社が大発展し、それを”妬んだ”幾多の薬問屋が、”星製薬疑獄事件”というスキャンダルをねつ造して”星製薬潰し”を行い、ついにこの会社は潰れてしまったのである。この事件に一生涯の恨みを持っていつか書いてやるといって書いたというのが、「明治・父・アメリカ」であるというのだ。まあ、そんなことはどうでもいいのだが、この疑獄を作り上げたものは、当時の官僚や大企業のお偉方たちであったということだ。

これと似たような状況が戦後もすぐに復活して、ミドリ十字のような企業体質、薬害に見るような”官僚と企業の癒着”が21世紀に入った今でも毎日見る事ができるのではないか、と私は考えるのである。まあ、一種の文化だ。それも”悪質な文化”が堂々と生き続けているということである。

これが、日本の医学界や製薬界に今も渦巻いている”人命軽視、人間無視”文化の根源なのだろうと私は想像しているが、だれもそうして欲しいと言ってそうなっているのではないから、これは一部の日本人のDNA(遺伝子)に書き込まれたものなのだろう。

ここが大事なところだが、我々日本人の中には、同じ日本人でも他の日本人を自分と同じ日本人だとは思っていないというような日本人が確かに存在するということだ。こうした人々が、JR西日本の電車事故の時にも出てきたし、建築偽装事件の時でも出てきた。同じように薬害問題でも出てきたわけである。

アラブ人でもイスラエル人でもユダヤ人でも、敵国には容赦ないが、同胞に手をかけない。しかし、日本人は同胞にも手をかけるものがいる。ここが私にはあまり良く分からないところなのだ。実に不思議だ。
サッカー日本代表24人、初は4人19歳・梅崎も
日本代表初選出にGK西川やMF伊野波

オシム・ジャパンのアジアカップ戦の新メンバーが決まったようだ。新選出メンバーは○。

▼GK=川口能活(31、磐田)、山岸範宏(28、浦和)、○西川周作(20、大分)
▼DF=三都主アレサンドロ(29、浦和)、坪井慶介(26、浦和)、加地亮(26、G大阪)、田中マルクス闘莉王(25、浦和)、駒野友一(25、広島)
▼MF=中村直志(27、名古屋)、羽生直剛(26、千葉)、遠藤保仁(26、G大阪)、○二川孝広(26、G大阪)、鈴木啓太(25、浦和)、阿部勇樹(24、千葉)、山瀬功治(24、横浜M)、田中隼磨(24、横浜M)、小林大悟(23、大宮)、長谷部誠(22、浦和)、○伊野波雅彦(21、F東京)、○梅崎司(19、大分)
▼FW=巻誠一郎(26、千葉)、我那覇和樹(25、川崎)、佐藤寿人(24、広島)、田中達也(23、浦和)

この新選出されたメンバーの中で、伊野波、梅崎、二川については私はまだ見ていないので良く知らないが、GKの西川については、U21の試合で見た事がある。実にポジション取りと前へ出る判断力の良い、非常に将来性のある選手であるという印象を受けた。やはりオシム監督はそういったところを良く見ているようだ。

今回、DFとFWは全く変わらず、MFも3人のみの交代なので、どうやらオシム監督は、この中からリーダーが育つのを”忍耐強く”待っているということなのだろう。いずれにせよ、良い試合をして良い結果を出して欲しいものだ。

また今回はアウェーの試合なので、かつてドゥンガ(現ブラジル代表監督)が言ったように、”アウェーに強い選手が良い選手”なのであるから、今度の試合でだれがアウェーで強い良い選手であるか見定める事になるのだろう。

私は個人的には、大分の高松大樹選手もアウェーに強い非常に良い選手だと思っている。こういった選手はこの次がチャンスと言えるのかも知れない。
2006/08/29のBlog
ところで、最近偶然見つけて読んだ宇井道生博士の「退陣の弁、に事寄せて」が非常に面白かったので、ここに紹介しておこう。

さて、博士の言説にはこんな話題がある。

◯ 「研究者の優劣」
この中の要点は、「大学(や国立大研究所)と(小粒な)研究所の運営の仕方の違い」というものである。これを説明するに当って、研究者を最高のクラス1から最低のクラス4の4つのクラスに分類。そして研究所はクラス1、2を増やすべきだという主張である。

ここで、博士によるクラスの分類とは次のものである。

クラス1=「研究能力の点で優秀であり、且つ自分が優秀であることを意識して行動する研究者」
クラス2=「研究能力はクラス1に比べて見劣りするが、それを自分で自覚して行動する研究者」
クラス3=「優れた研究能力を持ち、従って他に影響を与える立場にいるにも関わらず、それに気付かずに 自分勝手に振る舞う研究者」
クラス4=「優秀ではないのにそれを認めようとしない研究者」

◯ 大学は規模膨大であるために、 クラス3、4の研究者もたくさん”食わす”ことができる。しかし、小粒な研究所ではそれは無理。それゆえ、クラス1、2だけにしなくてはならない。

◯ 「アメリカの研究者社会」
アメリカの研究者社会は、クラス2の研究者層が非常に豊富であり、これがその強さを生む。このことを説明する話が結構面白い。

◯ 「noblesse oblige」
「noblesse oblige」とは、「一定の権限を行使する 立場に立った者は、その社会全体特にその権限の及ぶ範囲にいる人たちに対して、常に道徳的な配慮をする 義務を持つ」ということである。クラス1の研究者はこれに値するという。

◯ 「さて、真の退任の弁」
最後に「研究所の中で所長という最高のポストを占めた人間として、最大のnoblesse oblige」とは、「引き際の潔さ」であると博士は言う。

はたしてこれが分かっている経営者やリーダーの類いはどれほどいるか。
渡辺政彦さんが「文化としての科学」再考 について以下のようなコメントをくれたので、ここで答えておこう。

[ 渡辺 政彦 ] [2006/08/28 23:00]
サイエンスチャネルの
ボーズ、アインシュタイン凝縮体
を扱った番組があるが
そのなかに
物理学は文化だ と言っている
どうゆう文脈、背景かは、
原子の波が見えてきた ボース・アインシュタイン凝縮の世界
を見てほしい

渡辺政彦さん 

どうもコメントありがとう。昨日はReal Playerがなかったので見れなかったが、今日インストールして見る事が出来た。どうやらサイエンスチャンネルというのは、サイエンスチャンネルにあったもののようだ。我が家はCATVはないので、見れないかなと思っていたが、見ることができて助かった。
原子の波が見えてきた ボース・アインシュタイン凝縮の世界

この中で「物理学は文化だ」と言っていたのは、MITのクレップナー教授だった。ノーベル賞を取ったワイマン博士、コーネル博士とケタレ博士を育てたBECの”ゴッドファーザー”と言われている人物。

BECについては、私も2000年まで少し研究して2000年に1つ論文["Interacting Particles as neither Bosons nor Fermions: A Microscopic Origin for Fractional Exclusion Statistics", Phys. Rev. Lett. 85, 2781-2784 (2000)]を出したので、良く知っている。ワイマン博士らの最初の論文も”BECの発見”が出た最初から数年ずっと論文を読んできたので知っている。

ワイマン博士らの”ボーズ原子のBECの発見”の後、ジン博士らの”フェルミ原子のフェルミ凝縮”の発見があったので、我々の論文ではそれら両方を統一して理解できる理論の1つを提供したわけ。

超極低温では、ボーズ原子もフェルミ原子もともに”凝縮体”へと”凝縮する”が、前者の場合はBECへ、後者の場合はフェルミ球へと凝縮する。その時、原子の持つ統計の違いが、運動量空間の凝縮体の半径を決める。光子のような大きさのない粒子は完全に波数ゼロに凝縮可能だが、ボーズ原子のように近くでは相互作用があるものは、多少半径を持った球の中に凝縮する。一方、フェルミ原子の場合には普通のフェルミ球に凝縮するが、もし相互作用があれば多少半径をずらす。

確かこんな話だった。それ以後は私は別の問題(DNA電子論)に戻ったので、特にそれ以上の研究はしていない。

ところで、このビデオに関して言えば、”BECの実現”は非常に素晴らしいもので、その価値や将来性などについては番組の通りだろうと思う。今後の発展を期待したい。

しかし、アインシュタイン博士が”BECの実現”には懐疑的だったことは理解できるが、”BEC”そのものを疑っていたかどうかは私は良く知らない。いずれにせよ、アインシュタインは1950年代に亡くなっているので、”死人に口なし”の面がある。果たして実際にはアインシュタインはどう思っていたのだろうか。

さて、問題の「物理学は文化だ」というのは、MITのクレップナー教授の言葉だったので、実に良く分かる。この場合の意味は、文字どおりの意味。というのも、MITは、科学に関して言えば、数学から物理、果ては生物に至るまでの”現代文明”(20世紀文明)の中心地の1つ。「アメリカが滅んでもMITは滅ばない」というほどの場所。それは、MITが”大学都市”として、完全な「大学街」を作っているからだ。

この話題に関しては、私はもう15年以上前に書いた「三セクター分立の概念」で論じたことだ(ちなみに、本としては1995年に初版)。だから詳細はここではくり返さないで省略。

要するに、文化というものは、同じ文明圏に属する数多くの人たちがいて”形成”されていくもの。そして、人から人へと世代間で伝承されていくもの。だから、アメリカの巨大な大学群の中で(あるいは、世界の大学群の中で)”物理”を研究している数十万人、数百万人の人々の中では、確かなる文化を作っている。教授から弟子の学生に、その学生が教授となればまた次の学生へと伝えられる。これがここでクレップナー教授が言う「物理は文化だ」という意味だろう。これは全くその通りだと私も思う。

このクレップナー教授の意味では、戸田盛和さんが言う意味の”文化としての科学”と全く同じ意味であり、日本の大学社会にもそれなりに形成されているとは言える。しかし、アメリカのものとはかなり違うのではないか、と論じたのが上の拙著であった。

一方、私が述べた”文化としての科学”は、クレップナー教授や戸田盛和さんの言うものとはかなり異なり、大学の文化の1つとしての”文化としての科学”(あるいは、「物理は文化だ」)ではなく、大学や研究所を取り巻く一般人の所有する意味での”文化としての科学”のことだ。専門家の持つ文化ではなく、普通人の持つ文化のことである。言い換えれば、普通人の持つ文化の中に「物理は文化だ」や「科学は文化だ」が「音楽は文化だ」と同じような意味で含まれているのかどうか、ということだ。

これは今だ実現していない、というのが、スノーの言う意味の「2つの文化」である。”「科学を文化だ」と思う人々の文化”と”そう思わない人々の文化”の2つに分かれているということ。このギャップをどう埋めるか。それが問題だということ。

ある人は「科学啓蒙書」でそれをやる。ある人は「科学番組」でそれをやる。また別のある人は「科学実験」でそれをやる。「科学教科書」でそれをやる人もある。人それぞれにそれぞれの方法がある。また別の人は「大学」こそそれを行う場所だと考える。

しかし、果たしてこういったもので、実現できるかどうか。ここに、この問題の難しいところがある。

確かに、知識や情報はそういったもので伝わる。BECは素晴らしい。将来性も見事だ。しかし、それでは、そういった仕事を行っている人々の知識や情報は人々に伝わらない。いったいどんな人物がそういう研究に興味を持つのか。自分達と同じような人間なのか、それとも”気狂い”か。

私の個人的観察では、普通の人々は、”行われた内容の知識や情報”よりむしろ、”それを行っている人々の知識や情報”を欲している。ここに一種の”温度差”がある。

研究者や大学人は”自分が行った研究の中身”を伝えたい。しかし、一般人はそれがすんなり分からないので、むしろ”その人そのものを知りたい”と思うのだ。クレップナー教授とはいったい何ものか。「おもちゃ博士」の戸田盛和さんとはいったい何ものか。こう考えるのである。果たしてそれに答えているかと言えば、おそらくそうではないだろう。

俗に、日本人は欧米人にその姿が見えない。企業やお金での支援はあるが、日本人の姿が伝わらない。こんな風のことが良く言われるが、私は個人的には、これと同じ事が科学の世界にもあると思っている。つまり、科学者は一般人にその姿が見えない。研究成果や知識の伝達はあるが、科学者の姿が伝わらない。

果たして、人々が「科学は文化だ」あるいは「物理は文化だ」と思ってくれる日は到来するか。

私が子供の頃(1960一70年代)、21世紀は”科学の時代”で、世界平和が実現された「未来社会」が到来すると思っていたが、現実はほとんど進歩しなかった。いったいここには何が障害となったのだろうか。この問題はまたいつか考える事にしよう。
2006/08/28のBlog
ナカちゃんの死因調査へ解剖 行政連絡会、はく製展示検討

阿南市の那賀川流域で生息していたアゴヒゲアザラシの”ナカちゃん”が死んだ。事故か病気か分からないが、何らかの事故で負傷し死んだのではないかと見られる。市民に多くのファンを持ち、人々を楽しませてくれた動物の最後は悲しいものだった。市では今後はく製にして展示する方針であるとか。
2006/08/26のBlog
中国人数学者、難問「ポアンカレ予想」を証明

ちょっと前の上の記事によると、中国人数学者の広東省中山大学の朱熹平(カオ、Cao)教授と米リーハイ大学の曹懐東(Zhu)教授による論文「ポアンカレ予想と幾何化予想の完全な証明:ハミルトン・ペレルマンのリッチ・フロー理論の応用」が、専門誌「The Asian Journal of Mathmatics」6月号に掲載されたという。この論文によって、ペレルマン博士の証明が完璧になり、完全に”ポアンカレ予想”が解決したということらしい。

興味のある人は、この雑誌のフリーペーパー(ただで見る事ができるページ)を見てほしい。

"A COMPLETE PROOF OF THE POINCAR AND GEOMETRIZATION CONJECTURES APPLICATION OF THE HAMILTON-PERELMAN THEORY OF THE RICCI FLOW"
2006/08/24のBlog
「バルトの楽園」徳島ロケ、最高潮に
「バルトの楽園」:俘虜収容所とサッカー
「バルトの楽園」盲目兵士役クリス・ヴィーティングさん
映画「バルトの楽園」完成試写会

しばらく前に「バルトの楽園(がくえん)」を上で紹介したが、昨夜妻といっしょに見てきた。

いやー実に”感動的”で素晴らしい映画だった。久々の会心の日本映画と言える。最近見たばかりの「日本沈没」よりも数段ランクが上の映画だった。

私のこのブログに書き込んでくれた、ドイツ人のクリス・ヴィーティングさんの演技も大変素晴らしく、彼がアップになるいくつか大変重要なシーンや感動的シーンもあった。クリスさん、本当に良い演技でしたよ。

何よりも良かったのは、冒頭の第一次世界大戦の戦闘シーンだった。ドイツ人スタッフの演技力は非常に素晴らしかった。テレビカメラと映画のカメラのどこが違うのかは分からないが、やはりテレビよりは映画の方が迫力や臨場感が出る。

ストーリーや話の展開も非常に優れていて、いくつかの複雑な人間模様も見事に描かれていたように思う。もちろん、ドイツ人捕虜と日本人女性とのロマンスもある。しかし、ハリウッド映画のようにすぐにセックスシーンになるのではない。見事なラブストーリーとなってもいる。精神性の高い映画である。

また、現代の日本の芸能界を代表する役者さんたちも数多く出ていて、単なる「地方風俗紹介作品」という地方の映画にありがちな弱点はまったく見当たらなかった。松平健、高島礼子、阿部寛、大滝漣、平田満、板東英二、泉谷しげる、市原悦子、勝野洋、などの主役級の名演技も輝いていた。

最後の今は亡き巨匠カラヤンの”第九”シーンも非常に感動的だった。

しかし、なんと言っても、板東俘虜収容所の所長となった松江豊寿(まつえとよひさ)という会津藩士がいなければこの実話は誕生しなかっただろう。この会津人の松江豊寿という人物は、第二次世界大戦の時の日本のシンドラー、杉原千畝 (ちうね)に匹敵する人物と言えるだろう。いや、それ以上だったと言えるかも知れない。それほどに素晴らしい人物であったようだ。

”ここは捕虜収容所であって刑務所ではない”

という松江豊寿の言葉の意味は深い。

ぜひ皆さんもこの作品を見る事をお勧めしたい。
2006/08/23のBlog
ペレルマン氏、フィールズ賞初辞退 ポアンカレ解け引退
ペレルマン氏「自分の証明正しければ賞不要」

ロシアの天才数学者ペレルマン博士が、4年に一度ワールドカップサッカーの年にしか与えられない数学界最高のフィールズ賞を受賞したが、それを”辞退”したようだ。数学の歴史上初めてのことである。

その理由とは、

「自分の証明が正しければ賞は必要ない」
「私は数学界から引退した。もうプロの数学者ではない」
「有名でなかった頃は(数学者の職業について)何を言っても大丈夫だったが、有名になると何も言えなくなってしまう。だから数学を離れざるをえなかった」

ということらしい。

自分の貢献に関しては

「自分にはどんな新しい貢献なのかはっきりしない」

と非常に謙虚。というのも、ペレルマン博士が基にしたのは、ハミルトン博士の方法。だから、他の人の研究を差し置いて自分のオリジナリティーはそれほどないという意味だろう。しかし、その使い方には非凡な天才的アイデアがあり、ハミルトンの方法を大きく進歩させている。

ペレルマン博士は、現在無職で、サンクトペテルブルクの郊外で母親と生活。わずかな貯金と元数学教師の母親の年金だけが生活の糧で、「(授賞式が開かれる)マドリードに行く費用もない」という。

ということから、賞は辞退したわけだが、賞金だけは授与したらよろしいのではないか、と私は思う。

フランスにはグロタンディークという天才数学者がいるが、今度はロシアに似たタイプの”孤高の天才数学者”が登場したようだ。

さて、以前、昔の私の掲示板(現在は削除した)に

【392】 『ポアンカレ予想』の解決:感じ入ったぞ、ペレルマン博士! 2004/09/14(Tue) 09:04

という記事を2年程前に書いていたので、博士を称える意味で、私はここにもう一度掲載しておこうと思う。一部修正した。


【『ポアンカレ予想』の解決:感じ入ったぞ、ペレルマン博士! 】

最近、私は珍しく『日経サイエンス10号』を買った。というのも、この中に私が研究しているプリオンのプリシナー教授による解説があったからである。また、レトロポゾンの話とポアンカレ予想の話もあった。それゆえ、この号はお買得である。

さて、この「ポアンカレ予想」の話は非常に面白い。主役はロシア人のペレルマン博士。

「ポアンカレ予想」のポアンカレというのは、アインシュタイン時代にいたフランスを代表する天才数学者である。当時はドイツのヒルベルトと並び称されるフランスの英雄的数学者である。ポアンカレの研究の幅はヒルベルト同様に極めて広く、物理から数学全分野に広く通じていたといわれている。一番有名なものとしては、いわゆるトポロジーの概念を生み出したのがこのポアンカレであるといわれている。また、「科学と仮説」、「科学と方法」、「科学の価値」(岩波文庫)の3部作は極めて重要な本とされている。

このポアンカレが、数学の中で残した「予想」に、
「3球面の中で3次元多様体の中でもっとも簡単なものは3球面であり、3球面と同じ性質を持つすべての3次元多様体は3球面と同相である。」
というものがあり、後にこれが「ポアンカレ予想」と呼ばれるに至ったのである。

「x^n+y^n=z^nを満たす整数x, y, zはn>=3では存在しない」
という「フェルマー予想」が1990年代にワイルズ博士によって300年振りで解決されたが、この「フェルマー予想」のように、トポロジー分野では「ポアンカレ予想」はおよそ100年の間、だれも完全には解くことができなかったといういわくつきの問題である。

このような問題には、他に数論における「リーマン予想」、「ゴールドバッハ予想」などがあるが、自分は「フェルマー予想」を研究しています、とか、xxx予想を研究しているなどと言えば、たいていは正気の沙汰とはみなされず、ちょっと狂ったアマチュア数学者か、常軌を逸した病的数学者の類いと考えられたのである。そしてこれはワイルズ博士が「フェルマー予想」を根本解決する日まで続いた。こんな中、ついに「フェルマー予想」が解決され、残るは「ポアンカレ予想」や「リーマン予想」となったわけである。

しかし、そうはいってもこういった大予想がだれにでも解けるはずがない。だから状況は実質的には以前と同様であった。多くの研究者はちまたで流行する「超ひも理論」や「組み紐理論」などの研究をして博士号を取ったり、どこかのアカデミック職を狙ったのである。

こんな中でペレルマン(Perelman)博士が登場する。この人は生っ粋のロシア人であるらしい。ロシアで博士になってすぐに一旦はアメリカでポスドク(博士研究員)として転々とする。この間すでに非常に著明な研究成果をあげて将来を嘱望された。しかし、すぐにロシアに戻ってしまった。そしていわゆる流行の最先端からは姿を消し過去の人になってしまったのである。友人知人の一部にしか消息不明となり、だれも彼が今何をしているのか分からないという状況になったという。

実はこんな中どうやらペレルマン博士は「ポアンカレ予想」のみに集中していたらしい。これは「フェルマー予想」だけに何年もの間、人知れず集中して研究していたイギリス人のワイルズ博士と非常に似ている。

そしてついにペレルマンはインターネットのロスアラモスのウェッブサーバーに自分の論文を掲載した。ただそれだけ。通常は論文というのはどこかの雑誌に公表しようとするが、ペレルマンは公開用のプレプリントサーバーに投稿しただけだったというのである。

しかし、このうわさは瞬く間に全世界の著明な数学者の間に広がり、この論文の中にある「ポアンカレ予想」の証明が正しいかいなかのチェックが始まった。そしておよそ2年のチェックを耐えて、今回この証明はほぼ正しいという結論に達したのだという。

この「ポアンカレ予想」は、クレイリサーチ社の2000年を記念したミレニアム問題の一つであり、100万ドルの懸賞金がついている問題であった。したがって、最終解決者であるペレルマン博士にこの賞金が行くのではないかといわれている。がしかし、当の本人はまったく金には無関心であり、多くのアメリカの同僚から『彼はきわめてロシア的だ』と言わしめているらしい。

さて、私も早速このペレルマンのオリジナル論文をダウンロードして読んでみた。がそのタイトルからして非常にユニークである。"The entropy formula for the Ricci flow and its geometric applications" (リッチフローに対するエントロピー公式とその幾何学的応用)という実に”控えめ”なタイトルの論文であった。また、記述も実に控えめで誠実な書き方がされているのである。

これは、”我れ先に”、”おれが一番”という論文の書き方とは全く違っていることに注意してほしい。世界のアカデミズムでは、100年来の問題の真の最初の解決の論文ですら、これほどまでに”謙虚”な記述がされるのである。これはワイルズ博士の場合にもまったく同様であったのである。

この論文のアイデア(もちろん細かい数学は私には現段階では理解できないが)は、非常に”物理的”であることに驚いたのである。だから、私にはむしろ非常に理解しやすかったのである。むしろ数学者には理解しにくかったのかも知れない。

基本アイデアはこうである。

「ポアンカレ予想」の主張は、3球面(これは4つの複素数x, y, z, wを使って|x|^2+|y|^2+|z|^2+|w|^2=1で表される)が3次元多様体の中で一番単純なものである、ということである。だから、もし任意の3次元多様体から出発してこれをどんどん変型していけば、結局はもっとも単純な3次元多様体である3球面に行き着くはずである、というアイデアである。これを最初に考え出したのはリチャード・ハミルトンという人であるらしい。

たとえば、2球面(円周)を考えてみよう。そして円周と同相のもっと複雑な図形があるとする。もしそれをゴムで作ったと考えれば、ゴムを放せばゴムの張力によってどんどん変型して一番安定な形、すなわち円形に戻る。これの3次元版を考えたと言うわけである。

この時のゴムの張力によってどんどん図形が変型して行く様を数学的には『リッチフロー』といい、これを表す方程式を『リッチフロー方程式』と呼ぶらしい。これは計量テンソルg_{ij}の時間微分が曲率Rに比例するという方程式(dg_{ij}/dt = -2R_{ij})である。簡単に言えば、曲がっているところほど変型が早い、ということである。ゴムの話で考えれば、なるほどそうである。

さて、ここで物理のアイデアに話は飛ぶ。イリヤ・プリゴジン博士の有名な本『存在から発展へ』(みすず書房)によれば、ある種の”フロー方程式”がある場合(これは例えば、ハミルトンフローやリュービルフローなど何でも良いが)、リャプノフ関数というものを定義できれば、そのフローの行き着く先が安定かどうか必ず判定できるという話がある。物理のリュービルフローの場合のリャプノフ関数が、いわゆるエントロピーと呼ばれるものである。

これが有名な『エントロピーは増大する』という言葉の数学的な意味であり、これを『熱力学の第二法則』と物理では呼んでいる。自然界のエントロピーはかならずどんな場合でも増大する。そしてこれが自然界の『不可逆過程』のルーツなのである、というのが我々物理学者の理解している世界観である。

そこで、同様に『リッチフロー方程式』の場合にも一種の『リャプノフ関数』が定義できるのではないか。それによってこの『リッチフロー方程式』の行き着く先が安定であることが示せるのだ、というのが、ペレルマン博士のアイデアのようである。

そこで博士は『リッチフロー方程式』に対する一種のエントロピー関数(リャプノフ関数)を定義したのである。つまり、これは図形の持つエントロピーである(もっともこの場合には、”複雑なものからもっとも単純なものに行き着く”ということのために、”負”のエントロピーである)。そしてこの流れは一種の『不可逆過程』であり、必ず最後にはもっとも安定な図形に行き着く。これこそ3球面である、というのが、どうやらペレルマン博士の証明の意味であるようである。そう、私は理解したのである。

いずれにせよ、この論文は非常に面白いので、隙な人は読んでみることを私は勧める。すぐに古典となるだろう。もうなっているかも知れないが。

論文を読んでみての印象はこのペレルマンも偉いが、どうやらハミルトンという人物も実にユニークそうであり、彼もまた偉い。これまでまったく異なる発想でこの問題が考えられてきただけに、なおさらそう思うのは私だけではあるまい。したがって、賞金をひとりじめにする気にはさらさらなれない、というペレルマンの気持ちもよく分かるというものである。ハミルトンと分配するのが良かろう。

最後に、数学者が『フェルマー予想』や『ポアンカレ予想』などの超難問に立ち向かってどんどん成果をあげている。これと比べて我々理論物理学者は”とろ過ぎる”。そろそろ物理学者の中にも『エルゴードの定理』(数学者の意味では、『エルゴード予想』であろうが)あたりに敢然とたちむかって、これを根本解決するような勇者がでてくる必要があるかもしれないネ。
2006/08/22のBlog
「ポアンカレ予想」解決の?ロシア数学者、雲隠れ

このニュースは面白い。

私がここで以下のもので紹介してたロシアの数学者ペレルマン博士が雲隠れしたというニュース。
ポアンカレ予想の解決
リーマン予想の解決?
ポアンカレ予想ついに解決

ペレルマン博士は、10年程前に数学界の100年来の大問題である”ポアンカレ予想”に取りかかった。この問題にはアメリカのスーパーコンピュータ会社クレイリサーチ社から100万ドルの懸賞金がつくと言われる。数年前彼は、普通は有名論文雑誌に投稿するが、この大問題を解決した論文をインターネットの論文アーカイブにそれとなく投稿した。これが、世界中の数学者や数理物理学者の目に止まり、彼の”証明”が正しいということが確認されつつあるという。その結果、最近では数学のノーベル賞と呼ばれるフィールズ賞の最大の候補者であると見なされているようになった。

この研究より前にも彼がアメリカ留学している間に数理物理の非常に素晴らしい研究をしていたので、多くの人々から将来を嘱望されていた。すでに多くの学会から有名な賞の受賞者となったらしいが、どうやら全部”辞退”したということらしい。

そして今度ついに、2006年度フィールズ賞の受賞者にノミネートされたらしい。ところが、突然、姿をくらましてしまったようだ。たぶん、彼はフィールズ賞もいらないのだろう。

世界のどこかでまた新たなる問題に挑戦しているのかも知れない。実に面白い人物である。
サッカーに新たな大技? 話題呼ぶ「くっつきドリブル」とは。
Kerlon
ケルロンの出現
KERLON - Le nouveau Ronaldinho !

ブラジルに新星、新たなる天才ドリブラー誕生のニュース。その名は”ケルロン”君。ドリブルは俗称”アシカのドリブル”あるいは”くっつきドリブル”というらしい。


私の写真にもあるように、サッカー選手はアシカのようにボールを頭に乗せる練習を良く行う。それは、ヘッドでボールリフティングを上手くするためのもの。私も現役時代は1、2分はできた。今でも数十秒はできる。この間の動きはなんとなくアシカやオットセイが鼻にボールを乗せる動きに似ている。しかしアシカ状態で走り回るのは非常に難しい。だから、我々もさすがにこの滑稽なドリブルを実現しようとは思わなかった。思ったとすれば、それは”少林サッカー”などのコメディー映画くらいのものだろう。

数年前ケルロン君が家でこれを練習している時、それを見ていた父親に

”そのままで、相手を抜いていけば?”

とアドバイスされて、改良に取り組んだという。

私のシステムでは上手く見れないが、どうやら最初に挙げたものの2番目のページでビデオで動きが見られるようだ。関心のある人は見てほしい。

それにしても、サッカーコメディー映画の”特撮プレー”のような奇想天外なプレーを実現してしまう。こういった独創性がブラジルサッカーのブラジルらしいところ。これに挑戦できそうなのは、少林寺か上海雑技団あるいはボリショイサーカスくらいのものだろう。

”ノーワイヤーアクション!ノースタント!ノーCG!”のリアルな技、”アシカのドリブル”に乾杯だ!
2006/08/20のBlog
仕事と無関係のサイト遮断ソフト、企業に浸透 漏洩対策

この記事はちょっと面白い。

約10年前の1996年頃に日本は本格的なインターネット時代に入った。(blogに移行します。 参照。)当初は、アメリカに”追い付く”ためには早く日本社会全般にインターネットの技術を根付かせる必要があったのだろう。その目的のためにも多少の”犠牲”出たとしても、Eメールやら掲示板やらオークションやらに若干の”いかがわしいもの”が出ても日本政府や大企業も”大目”に見てきた。

そうして10年も経つと、あまりに”大目に見過ぎた結果”、今度はインターネット技術を使った社会犯罪が蔓延る世界になってしまったわけだ。また、人々の生活スタイルも変わり、インターネットや携帯電話でコミュニケーションを取る社会へと変質してきた。人々は、毎日常にインターネットで何がしかのウェッブサイトを見ていないとすまなくなってしまったのである。

こうなると、企業の場合には、仕事の能率が落ち、生産性が下がる。せっかく、職場での”禁煙”を定着させて喫煙時間を減らしても、今度はインターネット閲覧時間で勤務時間を食うようになる。これでは、元の木阿弥。今や会社や職場はインターネット中毒者のたまり場のようなこととなってしまったのである。そうなると、今度は、大企業でも、インターネットの利用制限を考えなくてはならないと思うのは当たり前であろう。

こうして、大手企業も簡単には個人目的で閲覧できないような”遮断ソフト”を導入して、悪質サイトにつながらないような工夫をしなくてはならなくなったのだろう。

大手企業の約38%が閲覧状況の履歴を保存、約21%がシステム上で監視しているという。遮断ソフト導入前の企業では、閲覧されるウェブサイトのうちほぼ4分の1が私的利用だったが、これを使えば、だいたい1%に落ちるという。にわかには信じ難い話だが、かなりの効果が出ているらしい。

さて、遮断ソフトは日本の組織でどのような割合で使用されているのか。

フィルタリングソフト大手のデジタルアーツによると、遮断ソフト導入先の内訳は

「企業が60%、学校・官庁が30%、家庭が10%」

ということらしい。この理由は、企業は情報漏洩対策や内部統制を進めているが、ウェブサイトを閲覧しただけでも情報漏れする場合もあるため、アクセスを制限したり履歴を監視したりする必要が出てきたということらしい。

最近、Winniy(”ウィニー” )による情報漏れが問題になっているが、これによって一番被害を受けたのが、やはり学校・官公庁だろう。上のデータを見れば、この理由がすぐにわかる。要するに、遮断ソフトの普及率が私企業に比べて一段と低いからである。

一般的に見られる傾向として、日本社会の中の組織で一番頻繁にインターネットの個人使用をしているのは、やはり大学であろう。大学の研究者や学生がもっとも個人使用して遊んでいるのである( ”2ちゃんねる”敗訴:オタク時代の終焉? )。

これは、大学関係者や大学の研究者たちが作っているブログを解析すればすぐに分かる。ほとんどが職場で勤務時間内に書き込んでいるからである(例えば、吉岡直樹(仮名)のアンテナあるいは天羽優子ブログなどを見れば良い)。また、我が家のホームページを毎日頻繁に見てくれている人々も大学、国立研究所、官公庁の人々である。

この意味からもそろそろ、学校・大学・研究所・官公庁の遮断ソフト普及率は100%にすべきであろう。早急の対応を求めたい。
2006/08/19のBlog
戸田さんのこの話を取り上げて私が何を言いたいのかと言えば、要するに「文化としての科学」を育む事は非常に難しいことであるということだ。当たり前と言えば当たり前だが、そういうこととなる。

戸田さんは、極めて狭い意味で、日本社会の大学という組織の中に「文化としての科学」が育てばそれで良い。大学というものが、自ら研究し、それを学生に伝える。こうした行為の中から日本社会の科学文化を育んで行く事につながればよろしい。そういう考えであった(文化としての科学)。

しかし、それのためには、戸田さんのいう意味で「科学という合理的なものを不合理な衝動を持って突き進む」ような人間が必要である(【合理と不合理】 )。しかし、戸田さんが議論した1970年代以降から現在まですでに数世代に渡り、【大学の学問】 で述べられたような状況が続いてきて、本能的なまでの不合理な衝動で学問を志すというような青少年少女は現在では皆無である。

そして今現在では、

”小中高の学校で大学受験のための授業を第一とし、入試のための10年の長い勉強を経てきた学生は、大学へ行っても、入試のための勉強と同じような勉強の仕方しか知らないし、長年のくだらない勉強のためにすりへらされた知性しか持たなくなっているためか、大学らしい新しい勉強の仕方を学び取ろうという気概をまったくなくしてしまっているらしいのである。”

のがごく普通のことで、この文化で育った人間が学校の先生の中堅ないしは指導者となり、今やどんな田舎の子供達でも塾へ通い、受験勉強が勉強だと思っているというのが、一般的な社会風物詩である。

大学は、一般社会への職業訓練所のようなものとなり、特別な一部の大学以外は、学問を科学分野へ就職するための社会儀礼、通過儀礼として教え込むというような感じだろう。だから、戸田さんが期待したような意味で、大学が「文化としての科学」を育むことができたようには見えない。

方や、学校教育の延長線上に「青少年のための科学の祭典」のようなものもさかんにはなったが、果たして、出来上がったパーツやプログラムに乗って児童が何かの科学玩具を作ってみる事が、それが「文化としての科学」かと言えば、かならずしもそうではないだろう。これは、いわゆるレクリエーションの1つ、あるいはお稽古ごとの1つのようなもので、本当にここから”不合理な衝動”が育まれるとは思えない。

戸田さんのように、大学社会に長年従事して来た人は、そういった大学社会の中でお互いに大学人たちで交流する事が「文化としての科学」だと思いたいという気持ちは理解できる。この場合には、もちろん、そういうことを行っている自分達はごく普通の一般人だと見なしているわけだ。自分達一般人が科学を好み、科学を文化として生きている、と思うことができるわけだ。

しかし、これはある種の”錯覚”なしは”幻想”だろう。なぜなら、今や大学の科学者や学者は、高級官僚あるいは高級公務員と同列に位置する一種の特権階級となっているからである。

民間企業であれば、今後10年分の売り上げ以上の借金をしているのなら、その企業の中で科学者は生き残るすべはない。すぐにリストラ解雇されかねない。利益に直結しない労働は虐げられるに違いない。

ところが、制度上は大学は大学法人という特別法人化したとはいえ、職員は国家公務員のようなもので、いくら国が借金を抱えようが大学人は無傷で居座る事ができる。これからすでに国家予算は底をつき、今後何をやるにも全部赤字国債で賄う事になる、というような状況下での活動である。

こうなった場合に、そういう赤字財政の上に立脚して行われている大学の科学は果たして「文化としての科学」と呼べるに相応しいものか。これに私は疑問を持つのである。俗に「箱もの行政」という言葉(建築物のようなものばかり建てて中身をうとんじる行政の意)があるが、この場合には、一種の”箱もの科学”と呼べるかも知れない。

ましてや、あまりに大学が一般の社会から隔絶してしまい、ごく普通の国民は気軽に大学人とつき合うと言う事はない。

大学すらない田舎に住む人々は、何ゆえ自分達が支払っている税金で都市にある大学のために賄わなくてはならないのだろうか、と疑問を感じるざるを得ないという状況すら生まれている。家族のだれも都市部の大学へは進学しないのに、なにゆえに東京大学や京都大学の学者や学生を食わせねばならないのか、ということである。

例えば、ここ徳島に住む人ならぜいぜい徳島大学だけ支援すれば良いのであって、遠く離れた北海道や沖縄の大学まで食わせる必要があるのか。東大は東京都民が面倒見ればすむ事ではないのか。東北大は宮城県民が、京大は京都府民が、阪大は大阪府民が食わせれば良く、他の県民が税金で食わせる理由はない。一生涯お目にかかる事もなさそうな他の都道府県内に住む家庭の子息を田舎の人間が食わせてやる必要はあるのか、ということである。もしあるとすれば、その理由は何かということであろう。

もし科学が文化にまで成長していないとすれば、こういった批判を受けた時にいったいどのようにそれに答えるのだろうか。

音楽であれば、他の県のだれかが作詞作曲した歌もどこかで手に入れたなら、それをエンジョイできる。宮城の民謡も、徳島の阿波踊りも他の人々も楽しみ堪能できる。これが文化というものである。

しかし、科学はここまで行っていないわけだから、だれかの科学研究やその成果が誰か別の地域に住む人の目に触れてもそれからすぐに楽しむ事はできない。戸田さんが、「おもちゃの科学」という本を書いても、科学は文化ではないのだから、図書館に入れてもだれも読まない、あるいは、誰も読めない、ということになる。何十年もかけてだれも読まないための本を書く大学の研究者をわざわざ食わせてやる理由はあるのか。そういうことになってしまうだろう。

実際、私が10年ここ阿南に住んでみてしばしば感じる事は、ごく普通の地方の田舎の人には、物理学者がどうだとか、科学者とはどんな人たちかというようなことは全く分からない、ということだ。せいぜい大学の教授であるとか、大企業の研究所の所員であるとか、その肩書きを見て、言葉上理解するだけである。

ましてや、科学者が日々どんな生活をして、どんな本を読み、どんな感じの人々か、というような、生身の人間としての息使いまで分かるというようなことはない。これは、せいぜい大学の学生にちょっと伝わればよい方だろう。

これもしかたないことで、日本の場合には、大学や研究所は大都市近郊にしかなく、人々は、科学者がどんな文化を持っているのか、全く知り得る機会がないからである。せいぜいたまに行われるどこぞの学者の講演を聞くというようなことでしかない。どこかの大学の高名な先生のありがたい御高説を承るというようなことしかないのが現状なのだ。これでは、科学が文化として育つことはない。

この意味で、私は、ここ阿南のような田舎に住み、スーパーの喫茶店で研究し、その際喫茶店の店員と知り合いになったり、食堂のおばさんと友だちになったりして、たまに自分の研究をネタにバカ話をしたりするのが好きなのである。町の図書館を大学の図書館代わりに使い、コンビニのコピー機を研究所コピールームのコピー機の代わりに使い、スーパーの喫茶店を大学のサロンの代わりに使い、ちまたの文房具屋さんを大学や研究所のストックルームの代わりに使う。こうして町全体を自分にとっての大学キャンパスのように考えて使う。

確かに研究者としては自分にとって非常に不利かも知れないが、大学や企業に所属して自分の研究室で誰の目にも触れないまま研究する普通の科学者であるよりは、物理学者とはこんな感じなんだよと、町の普通の人たちにそこはかとなく伝えるというようなことが本当の「文化としての科学」を生み出すのではないかと思うのである。

こうやって10年田舎で生活していると、知り合いになった、たこ焼き屋のおばさんとか、喫茶店のお姉さんとか、ヘアサロンの理髪師の人とかが、会えば、最近は何の研究をしてるのというように気軽に聞いてくれる。すると、最近はネットワークの研究しているんだとか、前はDNAの研究をしてたんだよ、とか科学の話題でごく普通の人たちと結構盛り上がる事もできるようになった。

私は、「草の根の科学」というものはこんなものだろうと思う。こうしてちまたに住むごく普通の人々が科学者とはちょっと変わっているけど自分達と同じごく普通のちょっと面白い人なんだな、というようなことが分かれば、これが将来になって「文化としての科学」を生み出すのではないか、と考えるのである。

果たして、戸田さん流の”大学の中”の「文化としての科学」が良いのか、私流の”街の中”の「文化としての科学」が良いのか分からないが、いずれにせよ「文化としての科学」を根付かせる事が一番大事な事だということは一致していると言える。
2006/08/18のBlog
[ 14:59 ] [ 著作&本の紹介 ]
【合理と不合理】
そして最後の節となる。

この節の主張は、「科学は論理的なもの、合理的なものだが、人を科学的仕事へと駆り立てる衝動自身は人間の本性的なもの、根源的なもので、不合理なものである」、ということである。

対立したものは、スノーの「2つの科学」もそうだが、本来人間界では珍しいものではない。いつの時代も何がしかの対立がある。

問題は、一部の人間にはそういった対立を解きたいという衝動が生まれることだ。この衝動は人間本来のもので、社会問題であろうが、芸術世界であろうが、科学であろうが、同じような衝動を持って、多くの困難や無理解にも耐えて真理や美を追求する者が生まれる。

そういうことではないか。そう戸田さんは考えたわけだ。

昔は、学問や芸術を追求する人は貧しく苦しい生活を強いられ、パトロン探しに困難な道を歩かなくてはならなかった。現在は、そういう昔よりはずっとましになった。多少は良くなっている。

そして、この最後の一節、私が最初にあげた文章で締めくくったわけである。

ここで戸田さんが言いたい事は、こういうことだろう。

人間というのは本来対立を生みやすいものである。同時に、何かの対立(や不整合)がある時、それを解決したいという衝動も生まれる。もしお互いが何らかの対立をしている時に、相手を認める寛容さが失われたら、それは悲劇を生む。対立を解く人間が現れてくるまで、お互いに認め合う事が大事なのではないか。これは、科学でも芸術でも何でも同じことなのではないか。
[ 14:58 ] [ 著作&本の紹介 ]
【文化としての科学を】
この一節と最終節で戸田さんは、どうやら「科学は文化なんだ」という考えに到達したように見える。科学というものは、音楽や芸術と同じ意味で、人間の本質に根ざした文化なのではないか。こう考える事で、多少なりとも、物理学者が食っていくべき理由になるのではないか、と考えたように見える。物理学者の生み出す成果は、第二義的なもので、何よりも大事な事は物理学や科学そのものが、文化の一種なのだという視点である。

その根拠を見るために、銀行は何のためにせっせとお金もうけを志しているのか。芸術家はどうか。古代ではどうだったかというようなことを振り返る。

まあ、銀行が本当にやってきたこと、やっていることには異論反論もあろうが、タテマエとしては、人の役、社会の役に立つことを目指している。芸術家もおおむね似たようなものだろう。

古代の知的な仕事は、政治のための占いの類いから生まれた。病気も大事だから、医者は必要だった。だから、初期には、天文学と医学は最低限必要なものだった。また建築のためには、土木も必要だった。権力にとって、天文学や医学や土木建築学は必須。そうしているうちに、こうした職業を維持するために学者が必要になった。

中世では教会、修道士、王侯貴族により学問が伝えられた。そして大学が作れられ、国民の自由な思考ができるようになって、ルネッサンスを迎えた。そしてついに西洋科学が誕生した。

昔は、天文学者、医学者、技術者、芸術家もそれほど大差なかったから、レオナルド・ダ・ビンチのような万能の天才も出た。それが、次第に科学的文化と人文的文化に分裂してC・P・スノーがいう「2つの文化」に分裂してしまった。

この問題に対して、戸田さんは当時こう考えたようだ。

”スノーはイギリスにおける科学教育の改善を目標としているが、これはイギリスばかりの問題でなく、全人類がぶち当っている大問題であることを意識しなくてはならない。物理的な科学を無視した文化は存在しないのであるから、物理的な科学が物質科学の面を超えることによって自然哲学として生き返ることができるかどうかということに、人類の未来はかかっているのではなかろうか”

果たして30年後の現在はどうか。残念ながら、未だもってこの問題は解決されてはいないように見える。C・P・スノーの「2つの文化」はおろか、さらに何度も分裂して、どんどん細分化して分裂してしまったのではないだろうか。「人文的文化」は、「公務員的(官僚的)人文的文化」や「民間人的人文的文化」、「科学的文化」も「公務員的(官僚的)科学的文化」や「民間人的科学的文化」、あるいは、「科学者の科学的文化」や「科学教育者の科学的文化」などに分裂した。さらにはまた、「権力に近い科学文化」や「非権力的科学文化」などへと分裂した。

この意味でも、戸田さんの指摘は実に的を射ているのだが、その実現には程遠い。
[ 13:56 ] [ 著作&本の紹介 ]
【学者は何で食ってきたか】
では、そういう大学の研究者たちは、どうやって食ってきたのか。そもそも、国は何で大学の学者を食わせる必要があるのか。こういった問題を考えたのが、この一節である。

だいたい日本の歴史を見れば、国家が学者や芸術家を大事にしてきたというのは、私が知る限り、江戸時代末期の島津藩の島津斉彬(しまずなりあきら)公を除いてはめったにない。戸田さんも同じようなことを考えていたようである。

原子力とか、国家にとって国家利益にかなうような時には科学者を利用しちやほやするが、役立たないものには冷淡である。とても科学者を大事にしてはいない。

この部分について面白いことを書いている。

”物理学者は原子爆弾を発明したりするから、国家としては大事にしなければならないのであるというような短絡的な答えには、拒絶反応を起こす人が大部分であろう。しかし、何らかの利益につながるから、国家は学問を援助するのであろう。何らかの利益というのは大変計量し難いものであるから、時として物理学者は国家からちやほやされたり、国家からうとんじられたりする。”

”考えてみればこの点、大学もまったく不確かなもので、国が大学を大事にしているとはとてもいえそうもないとさえ思われる。現に経済の高度成長の時期には、日本の大学もいくらか膨張させていただいたが、少し不況になるとすぐに、大学の学部はおろか講座増設までほとんどストップしてしまった。おかげで膨張期に増加された学生数は、そのまま研究者となってもオーバードクターの数として如実に現れている。国家の不見識のせいだけでもないが、いずれにしても国が本当に研究者を大事にしているとは、おせじにもいえないような寒ざむとした現状である。”

これは、30年前の日本の大学の現状だが、現在の事情とも非常に似かよっている。当時はポスドクはなく、大学院を出れば、就職するか、助手になるか、オーバードクターになるかのどれかであった。現在では、オーバードクターにはならないが、助手になるか、ポスドクになるか、企業へ就職するかのいずれかであろう。しかし、大学の正規の職の数は増えていないために、大方今度はオーバーポスドクになってしまう。”いずれにしても国が本当に研究者を大事にしているとは、おせじにもいえないような寒ざむとした現状である。”と戸田さんは当時言ったことは今も変わらず生きているということだろう。

この現状に何らかの改善ができるとすれば、それは、”物理学者を十分に食わせなければならない理由”というものが分かることだろう、というのが戸田さんのアイデアであった。もし、”物理学者を十分に食わせなければならない”ということに確固たる理由が付けられたら、大手を振って国家にそう言って権利を要求できるということである。

まあ、そういう意義もあるが、そもそも、科学者はなぜに無謀にも科学を追い求めるのか。昔は虐げられたり災難にあったり食うに困ったりしたのに、なぜ科学は発展し、物理学は栄えてきたのか。この理由は何か。これは、人間本来持っている何かの衝動なのか。この衝動はどれほど強いものか。文化を担った人たちは、どうやって食ってきたのか。これが次のテーマとなる。
[ 13:55 ] [ 著作&本の紹介 ]
【大学の学問】
さてそこで、戸田さんはこうした物理学をいかに大学で教えられるのか、という問題を考える。

物理学は比較的新しい学問なのだが、それでも150年以上の歴史がある。ニュートン時代に力学で始まったが、19世紀には熱学や電磁気学が完成した。この間に培われて来た内容を、大学という場で学生に教えるのは困難を極める。

旧制高校でも微積分の修得がやっとで、大学では力学程度だった。それが、現代(約30年前のことであるということに注意)では高校も大学も昔よりレベルが下がっているのに、昔より高いレベルでより以上に多くの知識を教え込まれるわけだから、消化不良になるのはいたしかたないのかも知れない。「大学教育をどうしたら良いか」という大きな問題がここにあるという。

これについて、戸田さん自身は、大学のたった4年間で実社会で通用する知識をつけて出ていくのは、よほどの詰め込み教育でもしないかぎり、不可能であると思うが、学生はあまりそれを苦にしないのが驚きだと感じたようだ。この問題についての戸田さんの言葉が面白い。

” それはどういうわけかというと、小中高の学校で大学受験のための授業を第一とし、入試のための10年の長い勉強を経てきた学生は、大学へ行っても、入試のための勉強と同じような勉強の仕方しか知らないし、長年のくだらない勉強のためにすりへらされた知性しか持たなくなっているためか、大学らしい新しい勉強の仕方を学び取ろうという気概をまったくなくしてしまっているらしいのである。”

”高校までの教育で、自分で物を考えようとする習慣を身につけないのは残念であるが、社会へ出る前に、自分で物を考えられるようにすることが大学の意義でなければならないと思う。そうしないならば、教育というお金もかかる事業は高校で打ち切って、学生は社会へ出す方が、専門知識の取得のためにも無駄がなくていいはずである。”

”専門知識という点では一生が勉強の場であるわけで、大学で学ぶ意義は、それとはおのずからちがうものがなければならない。物事を自分で考えることを練習すれば、大学生活の意義は半ば以上達せられると思うのである。とにかく、受験勉強の単なる延長としか見えない無気力さで、ただ単位の取得だけを考えているような学生が多いらしいのは、まったく悲しいことである。学生がこういう点でもっと先生を楽しませてくれれば、大学のレベルは自然にあがるはずである。”

要するに、ここで戸田さんが言いたかったことは、大学の意義があるとすれば、学生は大学までの受験勉強で”自分で考える事”をして来ていないのだから、せめて大学でそれを練習すれば良いのだ、これこそ大学の存在意義だ、ということである。

ところで、ここで戸田さんが議論の対象とした30年前の大学生たちこそ、私の世代である。その昔、学園紛争の鎮圧された後に大学に入った世代で、当時”しらけ世代”と呼ばれた世代のことである。現在の大学生は、この”しらけ世代”の子供達である。この少し上の世代が”団塊の世代”である。

ところが、日本社会の現実はどうなったかといえば、戸田さんが期待した方向とは逆の方向に突っ走ったわけだ。この”しらけ世代”や”団塊の世代”は大学で自分の頭で考える事を学ぶのではなく、いわゆるマニュアル人間化した最初の世代である。さらに悪い事に、自分達の子供達にも自分と同じようになることを期待したわけである。

それゆえ、戸田さんが、そうすれば大学のレベルアップになると期待したのだが、逆に大学のレベルはますます低下し今日に至ったというわけである。

戸田さんは、この説の最後で、ではどうすれば、学生は自分で考える事を学べるのか、という問題を考えた。その答えとして、学生に何かを研究させることだと考えたようである。しかし、そのためには、大学の先生自らが何かを研究しなくてはならない。ここに、大学の先生が研究するということの価値や意味がある。大学の先生が何かを研究している事が、どうにかこうにか大学のレベル低下を阻止しているのではないか、と戸田さんは考えたのである。
” しかし、世界はたえず揺れ動いていて、ある民族間、あるいは国の間の対立は解消の方へ向かっているとはとても思えない。さらに、もっと悲しいのは、ある種の知的社会においては深刻な対立や憎悪があって、それらは実りある解消へ向かうとはとても思えないことである。もしもこのような対立が増幅作用を持っているならば、21世紀への展望はまったくペシミスティックにならざるを得ない。知的な不整合を解消しようとする欲望は諸刃の剣であって、一面において人類の進歩をもたらすものであると同時に、もしも違う意見、違った生き方を互いに容認し合う寛容さがなければ、それは人類の退化をもたらすに違いない。”(「文化としての物理科学」、1979年、『月刊フィジクス』第1巻第1号)

この文章は、数年前に出版された「戸田盛和エッセイ集2、物理と創造」(岩波書店、2002)の最後のエッセイ「文化としての物理科学」の最後の段落である。これは、ソリトンの”戸田格子”で有名な戸田盛和博士によって約30年前に書かれたものである。この「文化としての物理科学」の中には、サブタイトルの数節、”物理学と自然哲学”、”大学の学問”、”学者は何で食ってきたか”、”文化としての科学を”、”合理と不合理”があり、最後の”合理と不合理”の最後がこの文章で終わる。

この本は非常に面白いので、一読をお勧めするが、実は私もどこにも所属しないフリーの科学者となってみて、”痛切に”感じて来たことが、戸田盛和博士のいうような”文化としての科学”の未成熟、”文化としての物理科学”の不在なのである。ただし、私と戸田盛和博士との立場上の違いもあり、若干意味合いは違うかも知れない。戸田盛和博士は、これは”大学にいる科学者”のことを念頭に置いているが、私はもっと一般的に”町や街にいる科学者”のことを念頭に置いている。これは、戸田盛和博士が考えた30年前の社会状況と今の社会状況の違いからいたしかたないだろうと思う。

このエッセイは非常に”深い問題”と絡んでいるので、ここでちょっと分析してみたい。

【物理学と自然哲学】
まず最初の説で、戸田さんは、30年以上も物理を研究・教育してきたが、未だに”物理学”とは何か良く分からない、という話で始める。これは、博士の先生の1人に朝永振一郎博士がいて、朝永さんが「物理学とは何だろうか」という本を晩年に書いた事からも分かるように、戸田さんも同じ問題を考えて来たということだろう。

ニュートンの時代は、物理学とは呼ばずに「自然哲学」と呼んでいた。現代物理学では、物性物理学のように物質に則した面があるのと同時に相対性理論のように自然の大原則を論じる面もある。だから、前者を「物理」と仮定するなら、後者を「究理」と呼ぶのが好い。江戸時代には物理は「究理学」と呼ばれていたが、これは好い言葉だと戸田さんはいう。

確かにその通りで、現代では物理学者が単に物質科学だけを研究しているわけではない。ネットワーク理論などはその典型であろう。戸田さんの発想は、「”物理的でないもの”の物理学:究理学 」で私が使ったものとほぼ一致した意見と見ることができる。

要するにここで戸田さんが言わんとしたことは、ニュートン時代はPhysicsは自然哲学であったが、それが次第に物理という言葉で表わされるような矮小化された意味、あるいは限定された意味あいに変わってしまったということである。
2006/08/17のBlog
オシムジャパン、初公式戦2一0で勝利 対イエメン戦
千葉の「教え子たち」が救う オシム監督公式戦初勝利

いやはやなんとも”フラストレーション”の高まる試合だった。

アウェーで勝つ気もなくただひたすら守り一辺倒の格下イエメン(125位)に対して、主導権を握れず、受けて立つ相手にすら”合わせて”しまう。”相手に遠慮している”のか、”味方どうしで遠慮し合っている”のか、どちらが本当なのか良く分からないが、全身全霊の全力プレーが微塵もない。”ジーコ病”が蔓延したゲームだった。

中でも、フォワードの田中達也のシュートミスは、ドイツ大会の柳沢のシュートミス(ちまたでは、小中学生たちがシュートミスすれば「柳沢した」と言ってバカにしているとか)に匹敵するシュートだった。リバウンドボールが来たあの場面で”アウトサイド”でキーパー右側の狭い方を狙う必要はないだろう。結局それができず、キーパー正面に行ってしまった。

守備・中盤の選手達は、ジーコ・ジャパンの中田英寿が何度も言っていたように、「パス&ゴー」、「前で受ける、前で奪う」、「止まらず走り回る」などの”サッカーの基本”が少しもできていなかった。

特に、三都主アレサンドロ、鈴木啓太、遠藤保仁、加地亮、駒野友一などは、止まってパス回しするだけで、前にボールを運ぶことができる状況でも前に敵が来たら最終ラインにボールを戻す。そして、一旦逆にサイドチェンジし、またそれが再び自分のところへ来てから、やっと攻めるという調子であった。要するに、パス、トラップ、ドリブル、パス、トラップ、ドリブル、パスの繰り返しだった。

これを試合後の記者会見でオシム監督は「各駅停車の列車のようだった」と述べたのである。

それにしても、日本のフォワードの決定力不足はどうしてなのだろうか。田中も巻もことごとくボールが枠に行かない。ドリブル突破もできない。ボールキープもできない。いったいどうしてしまったのだろうか、というような内容だった。阿部勇樹と佐藤寿人だけが、ボールをヘッドで叩き付けたり、リバウンドに詰めたり、サッカーの基本に従い、結果を出した。

どうも最近のJリーガーは、もう一度、毎晩頻繁にミーティングを行って、「サッカーの基本」の徹底的教育をし直さないといけないだろう。

”パス&ゴー”、”バックパスはダイレクト”、”ショートショートロングで展開”、”自分のポジションに走って戻る”、”ポジションごとのプレーがあるのではなく、場所ごとにプレーがある”、”ヘッドはゴールラインに叩き付ける”、”シュートはゴールへのパス”、”肩で激しくチャージ”、”トラップ時を狙え”、”振り向かせるな”、”ボールは迎えに行って受ける”、”フリーのボールは競争”、”トラップの前には必ずフェイントを入れる”、”ワンタッチで前を向く”、”必ずシュートで終わる”、”サッカーの理想はコートでバスケットをすること”、”サッカーの3Bとは、ブレインワーク、ボディーバランス、ボールコントロール”などなど。

こういったことを”標語”的知識として、サッカーの基本を覚えておく必要がある。そして、それが自然とできるように身体に染み付かせる。こういう努力が大事だ、ということをオシム・ジャパンのこの代表は思い起こさせる試合だった。


ところで、試合後のオシム監督のインタビューはなんと”時間切れ”でテレビが放映しなかったという事態となったが、その後のニュース番組でこれがちょっと報じられた。が、私の個人的印象では、この短かめのインタビューに非常に大事な事をオシム監督は言っていたのだ。

オシム監督はこう言った。「メンバーの”入れ替え”を考えて行かないといけない」

つまり、私が「オシム・ジャパン、イエメン戦メンバー発表 」でこう指摘していた。

”これらを比べると、ほとんど変わっていない。巻、遠藤、阿部が新しく加わり、今野が佐藤勇と、栗原が加地と入れ替わっただけ。したがって、この辺がベースとなって今後戦っていくのだろう。

いずれにせよ、守備陣は、”宮本”から”闘莉王”へ時代は変わったということは確かだろう。中盤に関しては、何度か試合をさせてみて、これらの中から”自然にリーダーが出てくる”のを待っているというところだろう。

ただし、前回のトリニダードトバゴ戦の終了前、オシム監督はトイレに立ってそのまま帰ってこなかったという。そして、試合後のインタビューで「90分間走れない選手がいた」と言ったらしいから、この意味は、「1度は大目に見てもらえたが、今度同じ事をやる選手は使ってもらえない」、ということを意味していると選手達は考えるべきだろう。つまり、今度のイエメン戦では、「90分間走れない選手は去れ」ということになるかも知れない。”

ここに『「1度は大目に見てもらえたが、今度同じ事をやる選手は使ってもらえない」、ということを意味している』と書いたように、オシム監督はすでにサントスや鈴木のちんたらプレーには業を煮やしている。だから、「90分間走れない選手」たちは、ことごとく今回で代表から脱落させられるかも知れない、と私は思うのだが、不思議な事に、このメンバーの大半は代表チームが勝ったので満足しているようで、自分がオシム監督から”ダメの烙印”を押されかねないという危機感は持っていないようだ。駒野、加地、坪井、サントスなどジーコ・ジャパン組は全く走らないので、極めて厳しい将来が待っているような気がする。危機感を認識していたのは、トゥーリオだけだった。

果たしてどうなることか。かなりメンバーチェンジがありそうなことだけは確かだろう。

【GK】川口能活(磐田)
【DF】加地亮(ガ大阪)坪井慶介(浦和)田中マルクス闘莉王(浦和)駒野友一(広島)→羽生直剛(千葉)、
【MF】遠藤保仁(ガ大阪)→佐藤勇人(千葉)、阿部勇樹(千葉)鈴木啓太(浦和)三都主アレサンドロ(浦和)
【FW】巻誠一郎(千葉)田中達也(浦和)→佐藤寿人(広島)
2006/08/16のBlog
「我思うゆえに我あり」とは、ルネ・デカルトの哲学を象徴する言葉として知られている。この言葉は、「我疑う故に我あり」の意味であるとも言われる。

ここで、この言葉をフランス語で何と言う、英語では何と言う、というようなことは問題ではない。そういうのは、”知識”や”情報”だけの話であり、特に内容は変わらないからだ。

大事なことは、この言葉が「近代科学哲学の創始」を意味しているということである。

近代科学は、人間が自分自身を疑うことから出発したからである。我々人間が行っている事、自分がいつも当たり前として信じ切っている事、自分が日々糧としていること、こういった一切合切をすべて疑って吟味していく内に、自分の頭の中にあるものは、習慣からくる刷り込みであったり、人からの洗脳であったり、ただ覚えただけの知識であったり、自分自身が何かをして本当に確かめたものではないということがわかる。だから、実験したり計算したり、自分の手を汚し、自分の頭を使って物事を1つ1つ考えていかなくてはならないのだ。要するに、何ごとも”思い込み”は危険だということが認識されたとも言える。

こういった哲学的風土から近代の”科学的精神”なるものが生み出されたと考えられている。

写真:人工オーロラ装置

ところが、「我疑う故に我あり」というこの言葉をよくよく考えてみると、現代の科学者というものが、いかにこのデカルトの精神から逸脱してしまったか、本当に考えさせられることがある。

結論から言えば、我々地球人の科学は”完璧”でもなければ、”完成”もしていない。まさにまだ”開いた”科学にすぎない。

例えば、1960年代までは、地球の地殻が動くとはだれも知らなかった。この時代に地球の地殻が動いていると言えば、”気狂い”扱いされ鼻つまみものだった。1970年代になって証拠が積み重なり、逆に「プレートテクトニクス」全盛の時代になった。すると、今度は何でもかんでもプレートの運動や衝突で考えることとなった。しかし、このアイデアには地球が過去の創世の時代から未来永劫同じ大きさであるという仮定が潜む。だれも地球が、膨張あるいは収縮したとは考えない。この時代つまり現代に地球が膨張したと言えば、まだ”気狂い”扱いされ鼻つまみものである。しかし、地球が隕石が寄せ集まって出来たとするならば、最初の地球は小さく次第に大きさを増したわけだから、何億年もの間に大小さまざまな隕石を積み重ねていけば、それなりに地球も大きくなったはずである。だから、未来永劫に同じ大きさのままマントルが対流していたという仮定は成り立たない。この意味では「プレートテクトニクス」は1つの近似概念に過ぎない。最近では、「地球膨張説」も1つの有力な可能性となっている。

このように、科学上のアイデアというのは、証拠の積み重ねとともに、より合理的な説明をするものにとって変わる。これを「パラダイムの変遷」とも呼ぶ。また、科学上のアイデアは、より単純明快な説明を好む。これを「オッカムの剃刀」とも言う。

にもかかわらず、ある学説が一般的だと言われていると、それがさも世界中に唯一の真理かのごとく思い込んで、他人にも吹聴する科学者が出てくる。昨今の科学は、どうも頭のこり固まった偏屈人のお遊技のような傾向がでてきたのではないか、と私は思う。


写真:巨大な紙飛行機


もう1つの例として”水”をあげよう。

”水”の研究は昔から多く行われて来た。”水だけ”(つまり、純水)の研究は非常に難しく、それ自身で多くの研究がある。この中に不純物があれば、無限の組み合わせの可能性があり、ますますもって研究は難しくなる。科学者が研究する”水”は、バルクなもの、つまりビーカーの中の水のようなものである。しかし、生物学者の研究する水は生体の中の水、細胞の中の水である。もっとミクロに見れば、一個のタンパク質にくっつく水、一個のDNAにくっつく水まである。その時の水の含有量によって構造が変わる。

「”水”が生体の中でどんな役割を果たすか」という問題は、まだ全くの未知の問題で、大半は分かっていない。ごく最近になって、水が細胞膜をどうやって通り抜けるのか、という問題で、水チャネルとなる膜タンパク質の構造を解明してノーベル賞を取ったほどである。ましてや細胞質の中で水がどのように活動しているのかは未知である。細胞が氷れば細胞は破壊されるが、瞬間的に冷凍された細胞は氷らない。つまり、細胞内の水は氷りの結晶を作らない。別の構造を取るのだ。

この問題に一生涯取り組んだのが、ギルバート・リン(G. N. Ling)博士である。細胞内の水にバルクの水の概念や描像で語るのは間違いだと博士はいくつもの本を執筆し説明した。

ましてや、イギリス王朝の”漢方”と言われる”ホメオパシー”というものもある。この秘法は、イギリス王室も認めるイギリス独特の治療法であるという。ホメオパシーの原理とは、まったく分かっていない。しかし、それは漢方や針治療の原理が分かっていないのと同じ意味においてである。その効果のほどや治療法は永年の研究やデータによって良く知られているのである。

このように、”結果”や”効果”は良く分かっているが、その”理由”や”原因”というものが良く解らないというものがしばしばある。いわゆる因果律からすれば逆なのだが、往々にしてこういう現象が自然界にはある。

もともと”現象”とは何かの”結果”なのであるから、”現象”の”理由”や”原因”を合理的に説明することや1つの現象を研究するということが科学なのであるとすれば、漢方やホメオパシーなどの”現象”や”結果”を研究する事も科学の1つということになる。だから、こういったことを簡単に「ニセ科学」や「似非科学」と言ってバカにしてはならない。

かつて、寺田寅彦が”金平糖の科学”と言って金平糖の研究をしていた頃、当時の科学者と自称する人々は、「あれは似非科学」と言って寺田寅彦をバカにした。しかし、今では、それは結晶成長の科学あるいは非線形非平衡の科学と呼ばれて賞賛されているのである。

科学者とは、寺田寅彦の言った意味で、ちょっと風変わり、ちょっと不真面目、ちょっと変くらいに見えてちょうど良い。あまりに”生真面目”では科学に合わないのである。自然はいつも我々の予想や期待を裏切るからである。予想もしなかった形で自然は自然を使っているからである。

この辺のことがスッと頭に飲み込めるなら、あなたはきっと素晴らしい”ちょっと風変わりな学者”であろう。これが馬鹿げて聞こえるなら、あなたはきっと素晴らしい”生真面目”な学者であろう。そして、この話になーんにも感じないとすれば、あなたは科学で仕事する商人か、理科教育者の類いなのかも知れない。

写真:水ロケット
ロシア警備艇、カニ漁船を銃撃・拿捕乗組員1人死亡
漁船銃撃、家族や漁協に衝撃と不安

昨日、小泉純一郎のだんなが、入らぬおせっかいで靖国神社参拝強行したちょうどその日に、「第31吉進丸拿捕」のニュースが飛び込んだ。

米ロのような、世界の大国というのは、何か自国にとって不穏な動きが隣国や敵対国にあると、”何がしかのトラップ(罠)”を仕掛けるというのが決まりである。

小泉のだんなの先輩であった中曽根のだんなの首相時代。アメリカは、産業スパイ事件として、当時アメリカに留学中の日本企業(富士通など)の研究者を逮捕した。こうやって相手国のちょっと”ささいな事件”を持ち上げることによって、相手国の”出方”を見て、今後の政治的基本路線の変更の有無を再確認するのだという話である。当の中曽根のだんなも”唐変木”の風見鶏だったために、日本政府は何もする事なく静観し、アメリカはしめしめとたかを括ったのであった。しかし、日本政府の政治路線のための”餌食”にされた一般人はたまったものではない。産業スパイの汚名を着せられ、人生を棒に振りかねないからだ。

今回は、どうやら、これと同じ事をロシアがやったということだろう。

小泉のだんなが、世論を押しつぶしてまで強硬に靖国参拝するにはそれなりの理由があるはずだ。ひょっとしたら、北朝鮮に出兵して来る徴候かも知れない。ならば、その真偽を確かめるべく、しかるべき”罠”をしかけなくてはならない。

これが、カニ猟をしていた漁船の強硬な拿捕劇であろう。しかし、その政治的動向の中でその”餌食”や”道具”に使われた人間や家族はたまったものではない。たまたまそこに居合わせたという理由だけで、小泉自民党の政治路線調査のための材料にされてしまったわけだからだ。この拿捕で死亡した船員には気の毒としかいいようがない。御冥福を祈るのみ。

日本人は、”上につくものがバカだといかなる悲劇を生むか”、ということは第二次世界大戦で良く経験したはずなのだが、今回のこの拿捕事件も首相につくものがバカだといかなる犠牲がつくものか、良く分かったことだろう。

ところで、この終戦の日(=敗戦の日)には、戦没者の記念式典やら何やらで国内は忙しくなる。私はこれについて良く解らない事がある。それは、第二次世界大戦で何十万人もの人が原爆で犠牲になったと今も騒いでいるのだが、宮沢喜一のだんなのバブル崩壊以来、自民党政権下で、毎年3万人を超える”自殺者”が出て、たくさんの犠牲者が出たということである。もうすでに10年は経っているわけだから、いわゆる”経済問題”や”就業問題”が原因となって、自殺してしまった日本人はすでに30万人は下らないということだ。この数(人的損失)と第二次世界大戦の人的損失はもうすでに同じくらいの規模になっているという事実、これをどう考えるか、ということである。

このまま行けば、下手をすれば、原爆1発分の自殺者数を記録することになる。第二次世界大戦時は、米軍が原爆を落としたわけだが、この自殺者に限っては、自国の自民党政権(や政治家や官僚機構)が”落とした”ものなのである。

この”自殺犠牲者”に対して、「戦没者追悼」ではないが、日本人は、戦没者ほどの悲しみを感じないように見える。過去にこだわり、現実に潜む原爆なみの失敗行政を見ない。これが、私には疑問なのだ。実に不思議な国民である。

私にいわせれば、米軍の落とした原爆の”後遺症”で体調を崩し病死して行く人間と、日本の官僚や政治家の失敗行政(バブル崩壊など)の”後遺症”で心を病み自殺して行く人間と何もその価値は変わらないと思う。どちらも貴重な日本人が死んでいくのだからだ。

小泉のだんな(や竹中のだんな)の”骨太の方針”というのは、昔私は日本社会の”狂牛病”だ、プリオンが混じっている、と揶揄したことがあったが、狂牛病というのも発病までに10年という長い時間がかかる。そして気がついたら、脳がスポンジのようになり惚けてしまう。これと同じように、社会の”狂牛病”もまた発病までに時間がかかる。そして気がついたら社会がスポンジのようにスカスカになって惚けてしまう。

いよいよ日本社会の”海綿化状態”が近付いて来たように見える今日この頃である。小泉政治の”犠牲”になってしまった方々の御冥福を心からお祈りします。
2006/08/15のBlog
小泉首相、靖国神社に昇殿して参拝
「ブッシュに参拝するなと言われても行く」 小泉首相

日本の政治家(もちろん政治家に限った話ではないが)というのは、本当に”公私の区別”というのができない。まあ、脳みそに何か”腐ったもの”が詰まっているのだろう。

今日の終戦記念日(正確に言えば、敗戦記念日)に、何やら訳の解らない”へ理屈”をこねて、小泉純一郎のだんなは、A級戦犯が合祀されている靖国神社に首相として参拝したようだ。

いったい日本人の政治家(もちろん、アメリカのブッシュもだが)は、自分が何様になったつもりなのだろうか。自分がこの国を戦争で勝ち取ったわけでもなければ、戦闘で防衛したわけでもない。たかが選挙に勝ち当選した程度でさも自分の国の所有者のような顔をするのだからちょっとにわかには信じがたい思いをする。よほど、こういった政治家の脳みそは脳天気にできているのだろう。

戦争に行った経験がないのであれば、戦争に行った経験者、戦争被害の経験がないのであれば、戦争被害経験者の意見を”最優先”するのが”筋”である。政党がどうたらこうたらという以前に、これが”理屈”であろう。自分が第二次世界大戦の”英雄”であるのなら別だろうが、小泉純一郎のだんなには何もないのだから、あまり大きな顔はできないはずである。

その昔、「氷川清話」という本の中で、勝海舟がアメリカに咸臨丸(かいりんまる)で遠征した時の話がある。うろ覚えだが、確かこんなふうな話だった。

勝海舟とその部下達がアメリカカリフォルニアに到着して漂泊していると、アメリカから渡航許可がおり、海舟たちは陸に上がった。海舟の部下の船員たちは、アメリカの白人の貴婦人たち女性に非常に関心を持ち、”いたずら”を試みた。ある船員たちは日本からわざわざ江戸時代の春画の類いを持っていき、それを道歩くアメリカ女性たちに見せて回った。そして、若い女性が驚き逃げ回る様を見て船員達は大喜びしていた。海舟は船員達と船に戻ると、仰々しく屈強なアメリカ人警察官達がやってきた。そして、アメリカのレディーたちにポルノ画像を見せた不届きな船員を逮捕するからその船員を召し出してほしいという要請した。何も知らない海舟はその旨の説明を受け、今度は自分の部下たちに問いただした。事情を知った海舟はそれでも、自分の部下の非礼は詫びるが、部下をアメリカの警察に渡す事は出来ないと突っぱねた。それならと警察は裁判所に訴え、今度は裁判官がやって来た。裁判官はこれこれしかじかの理由で裁判をするから証拠物件の春画を持って船員たちを裁判所へ出頭させて欲しいと請願に来た。裁判では、いたずらされた女性達と船員達が戦った。船員達の行為は犯罪行為であったが、春画を見て最初は驚き逃げ回り船員を変態呼ばわりした女性達がその見事な春画、それもこれまで一度もこれほど芸術的な作品は見た事がないので、そんな日本のお宝を見せてくれたということで大目に見て一応無罪放免となった。何ごともなくやれやれと海舟たちが船に戻ると、真夜中になって二人のアメリカ人がやってきた。その二人は裁判官だった。この度は、自分の務めとは言え、横柄に振る舞ったことをお許しいただきたいと海舟に謝り、ここに来た理由は、あくまで自分達の個人的な理由でやってきたという。裁判では、法の裁きのために春画に対しても粗雑に扱ったが、日本の見事な春画の芸術的価値に目を見張った。ぜひその春画を譲って欲しい。あまりに素晴らしい芸術作品でこれまで見た事もない見事なものなので、法衣を脱ぎ、個人としてやってきたのだと言った。海舟は、昼間あまりに自分達日本人に対して横柄な態度を取ったものだから、この際復讐してやろうと思って逆に横柄にその頼みをにべもなく拒絶した。そのアメリカ人二人は非常に残念がって帰っていった。が、海舟はこれを見て、アメリカ人というのは、昼間の自分の仕事の役割と夜の私的な生活とが極めて見事に区別されていることにいたく感心した。

とまあ、こんなふうな話があった(かなり”意訳”している。ぜひ御一読を)。この一件以来、日本に帰って後、海舟は、上司の家老に亜米利加は如何であったか、と聞かれた際、

”亜米利加は上にいくほど伶俐でござる”
(アメリカは地位が高いものほど賢い)

と答え、家老から”無礼者”と一喝されたのだという。

この勝海舟の時代から、百数十年経った今も、一向に日本社会では、”公私の区別”ができないらしい。小泉純一郎のだんなも”公私混同”の最たるものである。 ”個人の主張”と”公人の主張(これは個人が主張するものではない)”が見事に混乱しているからだ。個人として靖国神社に参拝するのなら、国会議員のバッジをはずし、背広を脱ぎ、護衛もはずし、勤務時間外で、あくまで1民間人として、参拝すべきなのである。公人として参拝したいのなら、首相の参拝を国会にかけ、本来国民投票してきめるべき事なのである。

やはり、今もって、日本社会では

”日の本は上にいくほど阿呆でござる”

がまかり通っているということだろうヨ。
元東京大教授の渕一博さん死去

かつて1980年代、工業技術院電子技術総合研究所(現、産業技術研究所)で、第5世代コンピュータ開発で一世を風靡した渕一博博士がお亡くなりになった。享年70歳。

渕一博博士の経歴や業績などは以下にあるようだ。

Computer Museum 日本のコンピュータのパイオニア、渕一博
情報処理学会名誉会員の紹介:渕一博

御冥福を心よりお祈りしたい。
2006/08/14のBlog
サッカー日本代表、発表の日に新潟で初練習

イエメン戦の代表召集したその晩から早速初練習だったようだ。

初練習は、午後7時から約90分間。

FWにタテに入れる「くさび」のパスについて、パス出しのタイミングと、攻撃をスピードアップさせる周囲の動き出し方を、系統だった3種類のパターンで確認。守備への切り替えの速さに主眼を置いた前回の初合宿から、攻撃面へとテーマを移した。

代表召集のその日から練習した事に対して

オシム監督:「発表の日に練習をしてはいけないのか。代表に選ばれたショックを1日味わっていればいいのか」
「試合の翌日だから、クラブでやるように(疲労回復のため)軽く汗を流す練習だった」

初代表の佐藤勇(千葉):「相変わらず厳しく、オシムさんらしいなと懐かしく思った」

まあ、いずれにせよ、この練習は非常に興味深いものなので、”詳細”を教えてほしいものだ。
2006/08/13のBlog
日本代表に巻ら22人 サッカー・イエメン戦

いよいよアジアカップが開幕する。その初戦、オシム体制に変わってからの第2戦目のメンバーが公表されたようだ。

【GK】
川口能活(磐田)、山岸範宏(浦和)

【DF】
三都主アレサンドロ(浦和)、坪井慶介(同)、田中マルクス闘莉王(同)、加地亮(ガ大阪)、駒野友一(広島)

【MF】
田中隼磨(横浜)、山瀬功治(同)、中村直志(名古屋)、羽生直剛(千葉)、阿部勇樹(同)、佐藤勇人(同)、遠藤保仁(ガ大阪)、鈴木啓太(浦和)、長谷部誠(同)、小林大悟(大宮)

【FW】
我那覇和樹(川崎)、巻誠一郎(千葉)、佐藤寿人(広島)、田中達也(浦和)、坂田大輔(横浜)

前回のトリニダードトバゴ戦のメンバーは以下のようなものだった。

【GK】
川口能活(磐田、30)、山岸範宏(浦和、28)

【DF】
三都主アレサンドロ(浦和、29)、坪井慶介(浦和、26)、田中マルクス闘莉王(浦和、25) 、駒野友一(広島、25)、栗原勇蔵(横浜)

【MF】
田中隼磨(横浜、24)、今野泰幸(FC東京、23) 、小林大悟(大宮、23)、長谷部誠(浦和、22)、中村直志(名古屋)、山瀬功治(横浜)、小林大悟(大宮)、鈴木啓太(浦和)

【FW】
我那覇和樹(川崎、25)、佐藤寿人(広島、24) 、田中達也(浦和、23) 、坂田大輔(横浜)

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これらを比べると、ほとんど変わっていない。巻、遠藤、阿部が新しく加わり、今野が佐藤勇と、栗原が加地と入れ替わっただけ。したがって、この辺がベースとなって今後戦っていくのだろう。

いずれにせよ、守備陣は、”宮本”から”闘莉王”へ時代は変わったということは確かだろう。中盤に関しては、何度か試合をさせてみて、これらの中から”自然にリーダーが出てくる”のを待っているというところだろう。

ただし、前回のトリニダードトバゴ戦の終了前、オシム監督はトイレに立ってそのまま帰ってこなかったという。そして、試合後のインタビューで「90分間走れない選手がいた」と言ったらしいから、この意味は、「1度は大目に見てもらえたが、今度同じ事をやる選手は使ってもらえない」、ということを意味していると選手達は考えるべきだろう。つまり、今度のイエメン戦では、「90分間走れない選手は去れ」ということになるかも知れない。
2006/08/11のBlog
いよいよ明日から2006年度の阿波踊りが開幕する。日本の”サムバ”を満喫しよう。

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