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2007/03/15のBlog
臓器移植法改正案、今国会での成立方針で一致自・公

によると、政府自民党は、「臓器移植法改正案」で以下のように改正するという。

(1)「家族同意案」:本人意思が不明でも、家族が同意すれば臓器提供を可能とする。
(2)「年齢緩和案」:本人の意思表示を必要とした上で、年齢制限を15歳以上から12歳以上に引き下げる。

しかし、本来は、こうあるべきだろう。

(0)「脳死状態維持案」:本人意思が不明でも、脳死状態で身体生存の場合は、臓器提供可能な状態に保存する。

(1)「家族同意案」:本人意思が不明でも、家族が同意すれば臓器提供を可能とする。しかし、同意しない場合には、延命処置を維持するか停止するかは家族の判断に委ねる。

(2)「年齢制限撤廃案」:未成年者は、本人意思が不明でも、家族が同意すれば臓器提供を可能とする。

いずれにせよ、欧米ではすでに臓器移植の長い歴史がある。だから、試行錯誤の結果落ち着いた良いシステムがあるので、それから学べば良い。

ところで、こうして日本政府がちんたらやっている間に、死ななくても良い人が死ぬ。脳死移植、臓器移植がもっと進んでいれば、ということとなる。

俳優の鈴木ヒロミツさん死去 「夜明けの刑事」

俳優の鈴木ヒロミツさんが肝臓癌で亡くなった。テレビ番組では、末期癌であり家で最後を過ごしてお亡くなりになったということである。もし臓器移植がもっと進んでいれば、鈴木ヒロミツさんも死なずに済んだはずだ、ということになるだろう。

しかし、臓器提供者が日本では極めて少なく、せいぜい年に数件から10件。しかし、臓器提供を受けるべき人は”何百万人”もいる。10万倍の差。桁違いである。この恒常的臓器提供者不足が日本の現状なのである。(もっともこの状況を生み出している直接の原因が、タバコや酒なのだが、タバコ産業や酒産業へのテコ入れは今の所ない。)

その一方で、次のような問題も出ている。

せめて”現実的な処方せん”として、「病気の臓器を移植する」という「苦肉の策」が出た。

末期がんの肝臓ではせいぜい3ヶ月の命。では、癌ではないが、肝硬変などで一部削除した肝臓を移植して延命する。その間にもっといい肝臓移植のチャンスが得られるかも知れない。

こういうある意味”大人の発想”が万波医師の発案のアイデアであった。しかし、これは、移植学会からクレームがついてしまった。今やこれも行うことができない。

どうも日本という国は、国民や人に好い事をするものが断罪されて悪役にされ、国民や人に悪いことをする者が国から英雄と見なされる、という「本末転倒国家」の性質がある。困ったものである。

いずれにせよ、鈴木ヒロミツさんの御冥福を祈りたい。
気象庁の桜開花予想ミス、花見需要もズレる

我が家の梅は2月の暖冬のうちに一気に咲いた。そしてあっと言う間に散ってしまった。早咲きの桜はすでに咲いていた。

この頃、気象庁は今年の桜の開花宣言を早めに予想した。しかし、3月に入ると、気象の”揺り戻し”があり、再び寒い冬に逆戻り。咲きかけた桜のつぼみもつぼみのまま時を経る。ところが、一向にさくらの咲く気配がない。

そこで、プログラムを調べてみると、パラメーターに間違いがあった。

「ごめんなさい」

とこの際平謝り。あっぱれ気象庁、自分の非をあっさり認めた。綾乃小路きみまろさんのいさぎよさ。

ところで、気象現象は”予測不可能”ということが良く知られている。これがカオス理論の帰結である。複雑怪奇な非線形現象は、単なる線形予想が使えない。だから、最初から”確率的予報”以外不可能なのである。毎日、30%で開花する確率があるというようなことしかいえない。しかし現実にはそれすら難しい。

なぜなら、地球温暖化の影響やエルニーニョ現象の影響があるからである。簡単に言えば、温暖化の影響は、気象の寒暖の増幅(つまり、冬の寒暖の温度差の揺り幅が増す)という形で現れる。したがって、ますますもって予報が難しくなるのである。

この寒暖差の増幅がひどくなれば、今日は真夏の暑さ、明日は氷河期の寒さというような毎日のくり返しとなるわけである。

日本には四季がある。春夏秋冬のそれぞれの季節がほぼ同じだけある。これは1年の寒暖の周期が比較的なめらかに進む場所であるということ意味する。

しかし、私がかつて住んだアメリカのユタは、四季ではなくほぼ二季であった。1年の大半が夏と冬のどちらかしかない。春と秋は日本と比べると非常に短い。

夏はサマータイムで日が長い。だから、10月近くまで夏の延長で過ごせたと思うと、ある晩にいきなり雪が積もる。その夜は凍えるような寒さである。朝になり日が出るとまた夏の陽気になり、雪も解ける。しばらくまた夏のような爽やかな日が続くとどかんと豪雪が来る。この周期が次第に短くなり、いつしか雪ばかりの冬の季節と変わっている。

春はこの逆であっという間に過ぎ去る。寒さと暑さの繰り返しが次第に長くなりいつしか夏の陽気となる。せいぜい春と秋は1ヶ月程度だろう。

地球温暖化の影響は、日本もこんな感じの気候に変わるということである。

いずれにせよ、気象庁を責めてもらちあかない。笑って済ませる度量が必要だろう。
2007/03/14のBlog
ひと頃、ちまたで「根性ダイコン」なるものが流行った。今日自転車で走っていると、偶然面白い形をしたダイコンを見つけたので紹介しておこう。その名も「小便小僧ダイコン」。それが、なんと2つもあった。凛々しい男の子でした。


写真:もういっちょう?
2007/03/13のBlog
これは、土星の衛星”エンセラダス”に生命の存在する”条件”が整っているというNASAの発表である。

「内部に放射性物質があり、これが熱を発し続けている」
「地中に高温高圧の場所があり、熱水の中で有機物が豊富に合成されたはずだ」
「生命に適した場所が存在する証拠をつかんだことになるのではないか」

水、水蒸気、窒素ガス、アンモニアなどがあれば、”生命の素”ができる。ならば、「生命」もいるのではないか、というのが今回の発表。

実際にはまだ本物の生命を見つけたわけではないようだ。もし見つかれば、「世紀の大発見」ということになるだろう。


2007/03/12のBlog
戸塚氏にフランクリン賞宇宙線物理学の研究

2007 Benjamin Franklin Medal in Physics

戸塚洋二・東京大特別栄誉教授(65)に、米フランクリンメダル授与のニュース。

2002年にノーベル物理学賞を取った小柴正俊博士が作ったスーパーカミオカンデを継承して「ニュートリノに質量がある」ということを証明した功績。


ベンジャミン・フランクリン・メダルは、その前身であるフランクリン協会賞時代(1998 年以前)に、プランク、アインシュタイン、ハッブル、フェルミ、バーディーン、ブラッテンなどが受賞。

日本人では、過去には、
江崎玲於奈氏(1961)「江崎ダイオード」、
有馬朗人氏(1990)「原子核のボソン模型」、
外村彰氏(1999)「電子線ホログラフィー」、
飯島澄男氏(2002)「カーボンナノチューブ」、
中村修二氏(2002)「窒化ガリウム青色発光ダイオード」、
小柴正俊氏(2003)「ニュートリノの検出」
南部陽一郎氏(2005)「素粒子論への貢献」(南部陽一郎博士、フランクリン・メダルを受賞!
などの受賞者がある。
いやー、面白い。

NHKBSでマレーシアのニュース番組を見ていたら、「ファーストフードのテレビコマーシャルを全面禁止する」という政府通達の話をやっていた。理由は、マレーシア国民の健康のためであるというものである。

要するに、アメリカ発の「マクドナルド」、「ケンタッキーフライドチキン」などのファーストフード店がマレーシアに出ていって何年か経つと、それまでマレーシアには見られなかった”肥満”体型の人が増え、終いには”肥満児”までたくさん出てきている、という話である。

「ファーストフードが肥満の直接の原因かどうか」という問題には、諸説あるようだ。一説では、やはりファーストフードが流行る前には肥満が少なかったことからファーストフードのせいと考える。別の説では、遺伝の問題。また別の説では、社会にある他の環境の影響と考える。あるいはまた、厳しいしつけのせいというものまである(子供の肥満)。などなどさまざまである。それぞれの専門家が好き勝手に理屈を”後付ける”からである。

が、しかし、世界の歴史を見ればもはや明白。やはり肥満体型の直接の原因はファーストフード店の普及と強い相関があると言える。

私の知る限りでは、ファーストフード店というものは、アメリカで1950年代に最初に誕生した(あるいは、1930年代のホットドッグ店もそうかも知れないが)。スピルバーグの「バック・トゥ・ザ・フューチャー」の1955年代がそうである。それが戦後、1970年代に日本に登場、「日本マクドナルド」となって日本全国に飛び火した。その後、日本の成功に味を占めて、世界中に飛び火していったのである。

現在では、経済学者が、「マクドナルド指標」などというものを提案するものもいるほどである。これは、世界各国でハンバーガー1個がいくらで買えるかを比べて、マクドナルドハンバーガーの値段を各国の経済指標にしようというものである(私はこういうのは、バーガー業界のまわし者のいんちき経済学者だと考えているが)。

マクドナルドの成功と同時に、あるいはそれを後追いするようにして、肥満児や肥満の問題が社会問題となった。アメリカでも1970-1980年代には肥満問題や肥満児の問題が出ている。そして今や国民の大半が肥満である。言い換えれば、アメリカ人は「肥満に進化してきた」と言えるかも知れない。

これがアメリカだけであれば、白人種だけの遺伝問題ということになるかも知れない。しかし、アメリカの黒人にもオリエンタルにもヒスパニックにも肥満が飛び火した。さらに、最初に日本に飛び火した。その後、香港、韓国、台湾、フィリピン、マレーシア、そして中国やインドなどへもどんどん飛び火した。


このことからも、一番怪しいのが、マクドナルドなどのファーストフードの普及である。

これだけ証拠があっても実に面白いのは、各国のファーストフード店の経営者たちの説明する”言葉”である。彼等は必ずこういう傾向があるようだ。

「肥満の原因には諸説あり、ファーストフードだけの責任にするのはおかしい」

この言葉は、肥満問題で裁判中にあるアメリカのファーストフード経営者の言葉であったが、昔の「日本マクドナルド」の社長の言葉でもあった。そして今朝のマレーシアの経営者の言葉も全く同じであった。

つまり、これもまたハンバーガー作りと同様に、「マニュアル化」された”Q&A”がどこかに存在するらしいということを証明していると言えるだろう。困ったことである。

いずれにせよ、これが、かつてバックミンスター・フラーが分析していたように、アメリカの「法律家資本主義」の”グランチ・オヴ・ジャイアンツ”という意味である。

アメリカは一面で”農業国”(つまり、共和党の支持母体の州の数々が農業主体、畜産主体)であると言われる。一方、東海岸と西海岸などのインテリ州だけがハイテク志向(つまり、民主党の支持母体の州の数々がハイテク)主体である。

アメリカの農業の仕方は、日本でイメージするものとは全く違う。日本の専業農家、非専業農家という感じのものではなく、れっきとした大企業経営である。デルモンテとか、地平線まで見渡す限りの大農場や大農園を経営する巨大資本が農業を経営しているのである。例えば、ハワイ・オアフ島の西部に行けば、一面パイナップル畑という大農園が存在する。経営者は大企業経営者といっしょで、ただ製品が工業製品ではなく、農産物というだけである。そして、そこでの従業員がいわゆる農夫である。農夫は日本のサラリーマンのように農園に勤務する。このパターンがアメリカが工業化するずっと前にすでに確立されていたわけである。

こういった大農園主は、南部や中西部を中心に存在し、イギリス系の白人(つまり、WASP)のアメリカ人たちが所有しているわけである。この筋に現在のブッシュ大統領の家系も存在するわけである。こういう人々がアメリカの不動産の大半を所有する”実質上のオーナー”なのである。

アメリカにこういった家系がどれほど存在するか知らないが、我々日本人が想像できないほどのリッチな生活をしているのである。いわゆる正真正銘の大富豪なのである。アメリカの場合、相続税はないに等しいので、その家系に生まれ落ちればおのずと子供も大富豪の道を進むことができる。こういう世界である。だからどんなバカでも富豪の子供もまた富豪となる。こうしてアメリカの白人支配が自動的に維持できるようになっているのである。

まあ、バックミンスター・フラーはこういったもろもろのことを簡単に「法律家資本主義」と呼んだというわけである。

したがって、農園や農場や牧場を経営する白人たちにとっては、ファーストフード店は格好のお客さんである。だから、国民の健康などどうでもいいわけである。「おいしいものを安く食べさせてやって何が悪い」という発想なのだろう。一度、ファーストフードのメリット(おいしさ)に味を占めると、後戻りはできない。どんどん投資して世界各国を牛肉の顧客に変える。

この「どん欲さ」のことを、バックミンスター・フラーは「グランチ・オヴ・ジャイアンツ(巨人のどん欲さ)」と揶揄したのである。

というわけで、フラーは1980年代に死んだのだったが、それから30年近く経った今においてもその基本は全く変わっていないのである。

半ばジョークだが、一説には、マクドナルドの経営陣には宇宙人がいて「人類家畜化計画」を行っている、という話もあるようだ。その宇宙人はよほど「霜降り肉」が好きなようですナ。
2007/03/11のBlog
「あるある」孫請け制作費、10年間で半減

これは非常に”示唆的”な調査結果である。「あるある大事典」の”ねつ造問題”の根源や原因は、過密日程や人材不足などの他、”予算不足が一番であった”、というニュースである。

これによると、まず日本のテレビの番組製作は、

「スポンサー企業」→「関西テレビ」→「日本テレワーク(東京都)」→「孫請け会社」

のように、”1次元的ネットワーク構造”を持つらしい。スポンサー企業たちからお金をテレビ局が集め、その中から分配し、番組製作を「本社」から「下請け会社」に回す。それを「下請け会社」が「孫請け会社」に渡す。こういう面倒臭いことを行うらしい。その際、再発注を受けた孫請け会社は、歩合制で、1本あたりいくらで番組を製作するらしい。

「あるある」の第1シリーズが始まった1996年当時は、1本あたり1600万円の制作費だった。それが、以後4度にわたって減額。今年1月の番組打ち切り直前は、860万円に下げらたという。

 「今回の問題については、予算不足を指摘する意見が相次ぎ、全体の4割が「特殊なケースでない」と回答。問題の背景には、番組制作をめぐる下請け、孫請けの「ねじれた構造」があるという声もあった。
 また、アンケートでは27社が、発注費のキックバックや接待の要求など、テレビ局が優越的な地位を乱用するケースがあったことを指摘している。」

ということである。

まあ、ちまたで問題になっている「公共事業のインサイダー取り引き」と”全く同じような構造”の取り引きが民間企業間で行われている、ということである。もちろん、これにはNHKも入るだろう。

要するに、仕事を下請けに回す形にして、そのキックバック(裏金、昔「リベート」と呼んだもの)を仕事をやる側が欲しがるというやり方である。キックバックを提供する分、番組製作のために本来の使い道をするお金が減り、その分番組つくりがずさんになる。とまあ、そういう案配である。

これでは、番組制作者はスポンサー企業を”騙している”のと同じことだろう。騙される方も騙される方だが、これでは詐欺行為である。

しかし、同時に、出演者の出演料の問題も引き合いに出すべきだろう。

なぜなら、番組作りのための制作費がたったの1600万円(もちろん私にすれば莫大な金額に見えるが)であるのに、こういう番組に1回出るだけで、志村ケンや所ジョージやみのもんたの出演料は”時給数百万円”を下らないと言われているからである。これでは、全部のタレントの出演料を合わせた額の方が番組制作費より高いということになる。これこそ「本末転倒」の最たるものである。番組が出来ての出演であるはずなのに、番組をネタに”タカる”タレントの出演料の方がはるかに高いからである。

私は昔から、日本のテレビ番組やCM出演料が高すぎるのではないか、と考えているが、これを見事に証明しているのではないだろうか。

具体的に言えば、こういう理由からである。

まず、我々科学研究者の講演料とは幾らくらいか知っているだろうか?

私が専門の物理学者や大学院生たちの前に1時間講演する場合は、いくら講演に準備をかけても、せいぜい旅費宿泊費込みで2万円程度なのである(お金が出ない場合の方がむしろ多い)。だから、私のようにフリーで無所属の研究者の場合は、結局は赤字になる(まあ、それでもせっかく招待してくれたからにはそこの学生さんのためだと思って損得抜きで私はどこでも出かけているが)。

なぜなら、こういった講演料というのは、国立大学の研究者を対象として作られたものだからである。大学研究者には日頃の高額な給料があり、さらに国からの研究費も潤沢にある。おまけに出張費をもらって講演する。だから、2万円程度でも十分黒字で講演できる。まあちょっとした”小遣い稼ぎ”となるからである。これが慣習となって、国内では相場がだいたい2万円。これが私の記憶では10数年前からずっと同じである。これが”普通の科学者”の講演料である(だから、”小遣い”が欲しければ、他大学にいる自分のお仲間研究者間でお互いに適当な理由をつけて講演のために呼び合えば良い訳である。なぜなら自分の懐を痛めることなく、どうせ国が払うからである)。

もしその講演者の科学者がかなり高名な研究者の場合は少し高額となる。海外の有名研究者の場合はだいたい日本人の場合の10-20倍である。つまり、20万円から50万円程度である(詳しくは私は知らないのでしかるべき筋で聞いてもらおう)。

そして極め付けの場合がノーベル賞学者の場合である。ノーベル物理学者やノーベル経済学賞などをもらっている世紀の学者の場合、1時間の講演料は日本人のさらに500倍から1000倍となる。つまり、1500万円程度になるのである。これが、「世界の超一流の歴史的科学者」の1時間の講演料である。まあ、こんなものである(ついでに誤解なく言えば、これは一般講演、つまり、一般人の面前での講演の場合である。聴衆が学生さん、さらに同業者の研究者とレベルが上がる程講演料は下がる。だから、まとまったお金が欲しい大学研究者は、専門家相手より一般人相手の講演をやりたがるのである)。

これと、みのもんた、所ジョージ、タモリ、ビートたけし、さんま、伸助、たかじん、などの有名タレントの出演料を比べてみれば良い。この連中の「バラエティー番組」の1時間の出演料は300万円を下らないと言われているのである。

どれだけ出演料が高すぎるか分かるだろう。世界の医学に貢献したノーベル賞学者の利根川進博士の講演料(この博士がこれほどもらっているかどうか知らないが)1500万円の1/5も取っているのである。

では、その価値がノーベル賞学者の1/5もあるかと問えば、ほとんど”ゼロ”である。

というわけで、「日本のテレビ局は、何か価値の見積もりを間違っている」ということになるだろう。番組の一番の内容をつくり出す科学者の意見の価値が一番低く、それをネタにして”茶化す”バカタレントの価値の方が高いと見積もっていることになるからである。だから、ばかを売り物のタレントの出演料が高く、番組の真偽に関わる科学者の講演料の方が安くなる、という”本末転倒”な状況が生まれるのである。

私の個人的見積もりでは、科学を材題にする番組なら、”出演者は素人なのだから”、「出演料はゼロ」である。なぜなら科学番組に自分を出演させてもらえるわけだから、むしろタレントの方が出場料を出しても番組に出たいと思うべきである。それにより、自分のイメージアップに繋がるはずだからである。

まあ、甘く見て、せいぜい2万(素人なのに金がもらえるというプロの世界はどこにもない!)というところだろう。

いずれにせよ、日本の芸能界、タレント世界ほど狂っているところはないようだ。この本末転倒の感覚が、ねつ造番組を次から次へとつくり出す土壌なのだろう。

実は、科学世界の「研究ねつ造」、「論文ねつ造」というのも、似たような状況で生まれるのだろうと私は考えている。

参考:”単位捏造”:受験教育の末路
小学校で鉄板ドロ、35歳の男2人を緊急逮捕栃木

「同署で換金が目的だった」とみて追及している。

金属窃盗:トラック荷台から黄銅盗む 2容疑者逮捕 埼玉

「金属回収・販売業者からの通報」で発覚。

アンテナ工事現場で鉄板21枚盗まれる兵庫

鉄板(縦1・5メートル、横約3メートル)21枚、計約19トン(63万円相当)が盗まれている。



相変わらず「金属ドロボー」が横行している。しかし、警察の努力により少しずつお縄を頂戴する者も出てきたようである。

しかしながら、喜んでばかりはいられない。なぜなら、作物ドロボーもそうだったが、一番最初にこうした事件を完璧にやり遂げた「プロ」らしきドロボー集団は未だに捕まっていないからである。

上の3つの例で言えば、最初の2つのようなものは、ドロボーとしては「アマチュア」である。日本人が生活費欲しさに”物まね”で出来心でやった事件のようなものだろう。なぜなら、「金属回収・販売業者からの通報で発覚」などというのはプロの仕業ではないからである。どの「金属回収・販売業者」が自分の味方か敵かも判別できない人物がドロボーしても失敗することは最初から分かっていることである。

しかし、韓国・北朝鮮・中国などのマフィア系のプロであれば、最初から裏ルートの自国民の回収業者を持っているはずである。だから、そういう闇社会の犯罪者が「金属回収・販売業者からの通報で発覚」などというドジをするはずがない。

それゆえ、上の第三番目のようなものがこういった犯罪組織のやり方だろうと私は推測している。

したがって、問題は、「その盗まれた金属資材がどこに集まるのか」、「どこに輸送されて外国に渡るのか」、こういったルートを調べなくてはならない。北朝鮮運搬船に乗るという可能性も非常に高い。こういったことを日本の警察は調べなくては、いくら個別の犯人を検挙しても拉致があかない。

最新のパソコンを持っている人は、グーグルアースのような人工衛星を使った検索システムを利用して、犯人探しなどをしてみるのも面白いかも知れない。現在では、リアルタイムは無理でも何日か前の映像で見ることができる可能性があるからである。

しかし、一番の方法は、現行犯を見つけてもそれを捕まえずに泳がせて、行き着く先を見つけだすという方法だろう。そして、ブローカー(仲買い)やバイヤー(買い手)をとっ捕まえるべきだろう。

いずれにせよ、何十トンものものが移動されるわけである。前にも書いたが、これほどの重量を移動させる技術があれば、同じ程度の”爆弾輸送も可能”なわけである。

よくハリウッド映画にもあるが、クリーニング屋の車が道路に止まってマンホールのふたをあけて地下から銀行強盗するというようなシーンがあるが、鉄板を搬送しているような”振り”をして今度は爆弾や兵器を輸送するということも可能になってしまうのである。

アメリカがこういったことを甘く見ていてニューヨークテロを引き起こす切っ掛けを作ったと言われているが、日本の警察が単なる「金属ドロボー」とたかを括っていると、外国の工作員(スパイ)によってテロを引き起こす手助けをすることに繋がる、ということを忘れるべきではない。

実際、自転車ドロボーや金持ち老人の緊縛強盗、ピックング強盗から始まり、作物ドロボー、そして金属ドロボーというように”徐々にエスカレート”してきているからである。

しかし、普通、欧米の場合、外国人マフィアが入ってきた時、「国内組のマフィアが自国民を守る」というのが筋なのだが、日本の場合はどうもそうではないらしい。右翼ややくざやマフィアにも愛国心が欠けてきているようだ。困ったことである。
2007/03/09のBlog
県内でも金属盗難相次ぐ ブランコ・排水溝ふたなど15件

”金属ドロボー”がいよいよ徳島にも上陸。

一説には、東京・大阪などの大都市でいわゆる”ピッキング”などの方法で盗みをしていた中国人・韓国人・朝鮮人のドロボーグループが行っているという話。

要するに、不法滞在外国人のせいらしい。おそらく、以前に頻発した”作物泥棒”もみんなこいつらのせいだろう。なぜなら手口が同じだからだ。

やはり不幸滞在外国人からまっ先に調べていくのが解決の近道なのだろう。これだけ簡単にドロボーができるということは、逆に言えば、テロ行為などもいとも簡単にできるということを意味している。日本の警察はこのあたりをかなり甘く見ているのではないかと私は考える。

いずれにせよ、個人宅のピッキングドロボーから始まり、農家の作物ドロボー、そして工事現場等の金属ドロボーと順調にエスカレートしてきていることは確かだ。すなわち、不法外国人の犯罪組織が、しっかり日本に根付き、ドロボーの練習をずっとしてきて、だんだん学んで来ているということである。

今度はもっと大掛かりな計画的犯罪にエスカレートするだろう。早急の抜本的対策を取らないといつか大変なことになるような気がする。そろそろ日本もアメリカのように「おとり捜査」などを全面的に解禁し、犯罪組織の中枢に入り込んで一網打尽にするような方法が必要なのだろう。さもなくば、ずっといたちごっこのようなことで終わるだろう。
2007/03/06のBlog
学習塾での小6刺殺、元講師に懲役18年京都地裁

「京都府宇治市の学習塾で2005年12月、小学6年の堀本紗也乃(さやの)さん(当時12歳)を刺殺したとして、殺人罪などに問われた元同志社大生で、アルバイト講師だった萩野裕(ゆう)被告(24)の判決が6日、京都地裁であり、氷室真裁判長は、懲役18年(求刑・無期懲役)を言い渡した。」

という、何とも言い様がないニュース。親族のことを思えば、本当に残念な悲しいニュースである。しかし、遺族には気の毒だが、実は、こうなることは、裁判をするまでもなく、「だれが裁判を担当したか」を見れば決まっていたのである。今回はこういう問題を紹介しておこう。

我々は、いろんな事件の裁判をニュースで見聞きしている。しかし、我々の脳の処理能力にはだれしも限界がある。だから、この裁判の裁判長を知っているからと言って、別の裁判の裁判長を知っているとは限らない。あるいは、昔の有名裁判の裁判長を”覚えている”とは限らない。

この意味では、日本の裁判長は”のんき”にしていられる。なぜなら、国民はいつも目先の判決しか記憶せず、昔の判決や裁判を忘れてしまうからである。それゆえ、ミスジャッジしてもだれからもおとがめがない。だから裁判官が安心していられるということになるからである。

ところが、時代はそうとばかりは言っていられない時代になったのである。今やグーグルの時代となった。つまり、”検索の時代”、”グーグル革命の時代”へと入ったのである。(「「グーグル革命の衝撃」の裏には何が? 」)

そこで、この裁判官「氷室真裁判長」で検索をかけてみよう。するといくつか裁判記事が見つかる。だいたい以下のようなものである。

(あ)「性的欲求を満たすための犯行」 1人に5年半の実刑 京大アメフット部元部員集団暴行事件 元部員3人に判決

求刑に先立ち、氷室真裁判長は被害者の女子学生2人の意見陳述書を読み上げた。これによると、1人は「男性に隙をみせたのは確か。自分はお酒に強いから大丈夫と油断していた。告訴するかどうか迷った。しかし、同じ過ちをくり返させないため」と告訴に

(い)ウィニー開発者金子勇氏に罰金刑150万円(京都地裁氷室真裁判長)

氷室真裁判長は「(ウィニーが)著作権侵害に利用されていることを明確に認識、 認容しており、独善的かつ無責任な態度に対する非難は免れないが、インターネット上で 著作権侵害をことさら生じさせることを積極的に意図したわけではない」として、罰金150万円。

(う)女懲役6年、父5年6月

氷室真裁判長は「しつけとは到底言うことのできない残酷、悪質な犯行」として、被告1に懲役5年6月(求刑・懲役7年)、被告2に懲役6年(同・懲役8年)を言い渡した。

(え)asahi.com: 宇治小事件、被告に懲役3年判決 心神耗弱認め減刑 - 社会

氷室真裁判長は懲役3年(求刑懲役10年)の実刑を言い渡した。

(お)雪印食中毒事件

氷室真裁判長は被告1に禁固二年、執行猶予三年、罰金十二万円(求刑禁固二年、罰金十二万円)、被告2に禁固一年六月、執行猶予二年(求刑禁固一年六月)を言い渡した。氷室裁判長は「国民の間に乳製品一般の安全性や信頼性に対する不安感が引き起こされ、社会に与えた影響は大きいが、反省している」と判決理由を述べた。


とまあ、こんな感じである。

このようにしてグーグルでみれば、この裁判官は結構有名な裁判の判決をくだしているということが分かる。さらに、この裁判官にはかなり共通した特徴があるということも誰の目にも明らかだろう。

要するに、この氷室真裁判長の特徴とは、「判決が軽い」のである。「口先では厳しいことを言うが、与える刑罰は極めて軽い」という際立った特徴を持つ人物なのである。

まあ、こういうことが分かる。殺人未遂で数年の刑、殺人してもこれまた数年から10年台の刑。こういう裁判官だということだ。あまり人の生き死に無関心な裁判官、まあ「トンデモ裁判官」あるいは「ニセ裁判官」とでも呼んでおこう。だから、まずこの裁判官にかかれば、重罪は期待薄なのである。この裁判官は京都を中心に暗躍しているようだ。


ところで、上で考えたような方法は、まだ日本ではそれほどなじみがないだろう。おそらく、脳天気な日本人はまったく聞いたことも見たこともないかも知れない。しかし、アメリカ(というより世界の先端)ではもうずっと前から良く知られた方法なのである。

これは、いわゆる教師(の能力)を査定する方法というのではなく、”教師の判断基準を査定する方法”なのである。

アメリカの場合、白人に限らず、多くの国々からの学生がいる。そのため、教師がなにがしかの偏見を持っていると、つぶさにそれがグレーディング(成績付け)に跳ね返る。

つまり、白人の先生なら白人有利。黒人の先生なら黒人有利、東洋人の先生なら東洋人有利にしてしまうというような傾向が生まれやすい。あるいは、特殊な信条をその先生が持っていると、ある考え方に入れ込み、それ以外の考え方に対して極端に成績を低く見るというようなことが起こりかねない。

そこで、アメリカでは、同じ教科を教える場合、先生によって成績基準が左右されないように、先生たちの評価基準を調べるということをするのである。

それはこうする。

特定の生徒が答えた解答を教師たちにそれぞれ採点させるのである。そして、生徒の種類をいくつか取ると、だいたいその採点のばらつきによって、それぞれの教師の採点基準の特徴が明確になるという寸法である。つまり、これによって、ある先生は、だれにも甘いとか、だれにも辛いというような傾向がはっきり浮かび上がるのである。

こうしておかないと、去年の試験と今年の試験では採点基準が”あまりに”違うというようなことになるのである。あるいは、クラスごとにまったく採点基準が違うということになるのである。これを避けるために、アメリカの場合にはすでにこういった教師のためのテストが存在する。

これと同じようなことを裁判官にもする必要があると私は考える。さもなくば、京都の氷室真裁判長の判決は軽いから、京都では殺人者も全部無罪。しかし、大阪の裁判長は厳格だから全部死刑というようなばらつきが出てしまいかねないからである。(ついでに言えば、裁判官も弁護士も教師と同様に免許更新制が良いのではないだろうか。5年ごとに一定の研修を積んで時代に見合う共通認識を分かち合うべきである。)

まあ、いずれにせよ、この氷室真裁判長が裁判を手掛けたら、口先では厳しいが刑罰は軽いから京都の人は気楽に人殺しができるのだろうヨ。ありがたいことですナ。
「オトコ気」遺伝子発見

これは昨年暮れのニュースだが、私は見のがしていた。いわゆる”イヴの原則”というのが、「ミトコンドリア・イヴ」という人類レベルばかりでなく、生物のずっと初期の単細胞生物から多細胞生物に進化した段階からあったという非常に面白い、重要な研究である。東大の野崎助教授らの研究である。

生物の「生殖」の起原は、単細胞生物の「2つの違う細胞が結合しDNAを交換すること」であると考えられている。これを「同型配偶」と呼ぶらしい。これが、クラミドモナスという生物が行っている「生殖」である。(しかし、まあ、実際には、RNAではなくDNAの2重螺旋構造が作られた時、2つの1本鎖DNAが結合することが生殖の始まりであったと見るという見方もある。)

クラミドモナスには、精子や卵子はまだ存在しないが、それに匹敵する男女の性を持つ2種類の細胞があるという。それらが”プラス”、”マイナス”という”性”の前駆的な代物であるという。

では、この差は何が作るか?

と言えば、ある種のタンパク質を作る遺伝子が”あるか、ないか”である。生物学者は便宜的にこの遺伝子を持つタイプの細胞を”マイナス”、持たない方を”プラス”と名付けたらしい。

ところが、単細胞生物が大きくなり多細胞生物となると、細胞間に役割分担が生じる。こうなると、多細胞生物内のすべての細胞が生殖できるというのではなく、一部が精子あるいは卵子という子孫を残す役割のための特別な細胞に変わる。そのため、精子を生み出す多細胞生物と卵子を生み出す多細胞生物の2種類に別れたわけである。

しかし、どうやら、この時、精子を生み出す細胞と卵子を生み出す細胞の”キメラ”多細胞生物は誕生しなかったようである。一般に、多細胞生物の細胞数をNとすれば、そのそれぞれが男女の2種類の可能性がある。それゆえ、確率的には2^Nの種類の”キメラ多細胞生物”の可能性がある。これが昔ベンザーと堀田博士らがショウジョウバエで研究した”キメラ”生物である。

実際には、2^N個の種類の可能性も探索されたのだろうが、自然は、オスタイプ(全部同じオス細胞)とメスタイプ(全部同じメス細胞)の多細胞生物のみを選択したということだろう。あるいは、それが一番安定であったということかも知れない。おそらく、細胞間のコミュニケーションか、細胞表面のタンパク質などの表面張力のような問題で男女混合は摩擦や矛盾が生じたのだろう。

さて、では、単細胞生物クラミドモナスの雌雄である”プラス”、”マイナス”は、多細胞生物のボルボックスの雌雄とどう対応がつくのか? あるいは、さらに我々高等生物の雌雄とどう対応がつくのか?

これを調べたというのが、この研究であるということらしい。

結果は、クラミドモナスのある種のタンパク質を作る遺伝子を持つ”マイナス”が、実はより高等生物の精子を作る”オス”に対応し、”プラス”は”メス”に対応したという発見である。要するに、最初に思っていたのとは逆だった、ということである。野崎助教授らは、この遺伝子を「OTOKOGI(侠気(おとこぎ))」遺伝子と命名したということである。

これは、実に面白い。

物理でも”電気”という概念が19世紀に登場した。雷は電気が流れるのだというベンジャミン・フランクリンの発見である。そして電気にはプラスとマイナスがあるらしい。電流はプラスの何かが電圧の高い方から低い方向に流れる。そう考えた。ところが、19世紀末から20世紀初頭には、電流の源は電子なるマイナスの電気を持つ素粒子であるということが分かったのである。要するに、当初の予想と逆だったのである。

どうやら生物学でもこれと似たことが起こったように見える。

さて、では、精子の核にあるたんぱく質を作るというオス特有の「OTOKOGI遺伝子」はどこにあるのか? つまり、染色体上のどこにあるのか?

これが分かればもっと面白いだろう。私の個人的想像では、高等生物の場合、おそらく”Y性染色体上”であろうと思う。

大分昔、以下のものを書いていた。

”女系天皇”の問題、これは面白い。
性染色体の戦略
メンデルの法則に従わない遺伝子
母性と父性の問題

この中で、男女の違いを表わすのは性染色体であり、どうやら性染色体は実質的には生物にはX性染色体1つあれば良い。Y性染色体の役割は、実質的には「生物を男性化するスイッチの遺伝子」だけである、ということであった。

どうもこの高等生物の「生物を男性化するスイッチの遺伝子」とボルボックスの「OTOKOGI遺伝子」は非常に似ているように私には見える。

そこで、DNA配列のデータ解析をしてこの両者を見比べることができれば、このストーリーが本当かどうか分かるだろう。ハミング距離を計れば、何億年前に別れたかを判定できるかも知れない。

今後の研究を待とう。
2007/03/05のBlog
[ 19:40 ] [ ジョーク ]
笑いは百薬之長。以下はジョーク。信じるなヨ。

【金属ドロボー】
盗品の金属製品押しつぶして商品化、特需の中国へ?」というように、日本全国で金属ドロボーが横行している。どうやら中国に金属を売り捌くためらしい。しかし、バイヤー(買い手)やブローカー(仲買い)がなければセラー(売り手)もいない。いったいバイヤーとは何ものなのだろうか?

ところで、日本にはゴミおばさん、ゴミおじさんもたくさんいる。中には、金属を盗んできて中国へ売り捌くのではなく、自宅の屋根の上に積み上げて、金属のゴミタワーを作ってしまったおじさんがいた。近所の大迷惑。みんなで撤去することとなった。そこで、近所の人々やボランティアと称する人々が来て、一気に金属タワーを撤去したという。この金属は相当にお金になる代物。いったいその金属はどこへ行ってしまったのだろうか?

マスコミのインタビュアーがおじさんに聞いた。
「すっかりきれいさっぱりになりましたね。お気持ちはどうですか?」
すると、おじさんが答えた。
「俺の金目のものをどこに持っていくんだ。中国に売れば1000万にはなるんだぞ。せっかく金属を積み上げて盗人から守っていたのに。なんてことすんだ、この金属ドロボー!」
インタビュアー、「。。。。。」

写真:ごみタワー。山陽新聞
2ちゃんねる管理者、敗訴43件も制裁金4億円不払い

しばらく前に「”ひろゆきキター!” 」で紹介したが、ネット界の”寵児”西村博之は、法律を無視して逃げ回っているらしい。

どうやら西村は、民事事件だからと司法をなめきっているようだが、これは立派な刑事事件。しっかり立件して、金の流れを全部調べるべきだろう。我々が電車内で女性にタッチしただけで刑事事件として立件されかねない状況と比較してみるべきだろう。

私の個人的推測では、「2ch」の過去ログデータは、「日本社会に巣くったダークサイド情報の宝庫である」ということである。これを差し押さえて分析することにより、裏社会のかなりの情報が得られるはずである。これをみすみす放棄する理由はない。すぐにとっ捕まえて、資金洗浄ルートを解明し、アメリカ当局とも交流して、抜本的な解明に乗り出すべきである。

まあ、IT産業の寵児たちが、こんなくだらんやつらばかりだとは恐れ入る。

いずれにせよ、ヒロユキの刑は「一生ネットにアクセスできないの刑」あるいは「携帯パソコンなどの50m以内に近付くべからずの刑」に決まりですナ。

しかし、どうも東大は鬼門らしい。ホリエモン、ひろゆき等東大で講演した順に当局から捕まっているように見える。実に不思議な話だ。どうもオブザーバーに警察当局も来ているのだろうナ。
2007/03/04のBlog
この20年でついに花粉症から”おさらば”のようだ。どうやらこの2年間続けてきた「減感差療法」の効果が出てきたようである。

今からおよそ2年前に「花粉症の原因物 」の中でこう書いていた。

「 私はいわゆる”花粉症”があり、それが”咳き”につながるタイプの持病を持っている。この春のスギ花粉の飛散量は昨年の夏の暑さのために例年になく多かった。普通は3月一4月から始まるのだが、ここ阿南ではすでに2月からスギ花粉の飛散が始まっていたようで、私が高専のサッカー部を指導している内、この2月を境に突然咳が止まらず困ったものである。」

このように、私は花粉症による”から咳”がひどく、ひどい時には脳の中枢神経のおかげでひどい吐き気を催すほどであった。それを押さえるために、朝晩アレルギー剤を飲まなくてはならず、花粉症の時期には、口にはマスク(それも2重3重)、咳による吐き気のために首にはタオル、ポケットにはいつもティッシュという有り様であった。そしてこの時期は家の中でも咳がとまらないのでいつも家の中でジッとしていなくてはならなかった。外に出るというのは私にとって自殺行為に匹敵するものであった。だから、サッカーの指導を屋外でこの花粉症の時期に行うのは、苦痛との戦いであったが、阿南高専生のためだと、咳と戦いながら、指導したのであった。

この花粉症による咳は、アメリカ留学中の1986年の内に発病したから、かれこれ、20年もの間この「から咳」に悩まされてきたわけである。そもそも私が東京嫌いの理由も花粉症に起因する。とにかく、東京の空気が私の身体には合わなかったのである。東京方面に行けば、確実に咳が出る。花粉症が悪化する。だから、海に近くて海の空気が吸えるここ阿南の空気が私に合っているのである。しかしそれでも、この時期は苦しむ。

さらに悪いことに、一度、スギ花粉症になると、今度は、ホコリ、ダニ、ヒノキ、イネ、ブタクサなどの花粉症を発病し、結局1年中花粉症のお世話になるという状況に変わってしまうのである。それが花粉症というものである。

そんなわけで、例年この秋、冬、春は、私は自分の咳が止まらない時期で、非常にいまいましい季節なのである。だから、ひな祭りの時期にマスクや薬やティッシュのない生活というのは、この20年間一度もなかったという有り様だったのである。

とある偶然がきっかけで、私は阿南高専サッカー部のコーチを2年前にしたのだが、この時の”苦しさ”はさすがの私でも非常にこたえた。そこで、来年度、再来年度とずっとコーチを続けるには、どうも「根本治療」である「減感差療法」しかないな、と判断して、ひそかに2年前から自分の身体で”実験する”つもりで試してみたのである。

これも偶然だが、幸いにして近所のクリニックにその筋の専門家の医師が来るようになり、それをとある機会に知って、思いきってやってみることにしたのである。もしこれが、徳島市の方面まで出向かないとこれができないのであれば、おそらく私は今もって薬に頼っていたことだろう。

この治療は、まず自分のアレルゲン(=アレルギーの原因物質)を血液検査で調べてから始まる。私のデータの場合には、スギ、ハウスダスト(ダニ)、ブタクサ、イネ、カンジタなどのアレルゲンがこの順のひどさでひっかかった。そこで、一気にこれら全部の5つの注射から始めた。最初は10万倍希釈の注射(皮膚下の注射)であった。これを2週に1回のペースで続けた。そして1年ほど経ったところで、今度は1万倍希釈に濃度をあげた。この頃、カンジタの注射には1万人に1人の割合で問題が出たということで、別の薬剤(化学物質)に変えたが、これを打つと吐き気がちょっとするので止めて現在に至る。だから、現在は2週に1回から3週に1回のペースで4種類の注射を打っている。

最初の2、3ヶ月は、まったく効果は見られなかった。

半年ほどしていつもならブタクサでも咳が出るのに、多少はましになったようにも感じた。が、ひょっとすれば花粉そのものが少なかったのかも知れず、、私自身が確信を持って良くなったとは感じられなかった。

1年くらいして花粉症の時期に来たが、相変わらずマスク、薬生活であった。しかし、ひどくはなかったので、これまた花粉の少ない年だったこともあり、成果かどうか判別できなかった。しかし、以前と違うのは、確かに咳は出るのだが、しばらくすると治まるというような感じが出てきた。あまりにひどい時だけアレルギー剤を飲むという感じになった。

1年半後の秋も状況は同じようで、咳は出ることもあるが、徐々に治まるという傾向が増した。いつもなら秋でも用心してマスクをして出歩いたが、マスクが不要になった。

そして、2年目のこの春、人のマスク姿が今年は非常に目だってきたが、私は一向にマスクする必要がなく、咳もそれほどでない。出たとしてもすぐに治まるので、例年の咳込みによる吐き気がない、初めての花粉症シーズンとなったというわけである。

最初は”半信半疑”であったが、もうこれしかないので始めた減感差療法であったが、今回初めてこの成果を確信できた。それゆえ、ここに紹介することにしたというわけである。この注射のおかげで私の両肩は針の跡だらけとなってしまい、まるで薬物中毒患者のようである。しかし、咳が出ない、のどの調子がいいというのは、20年にして初めてのことである。これが人間の身体が持つ本来の免疫システムの力というものなのだろう。”科学の力”というよりは人間に本来備わった”自然治癒の力”というべきだろう。

日常生活に支障を来すほどひどいアレルギー患者の方々は、ぜひ一度その筋の専門医と相談し、実施してみることを勧める。あせらず気長に治療を続けるほかはない。

ところで、私が一番最初にこの「減感差療法」という名を知ったのは、大前研一氏の著書の中である。大前さんが花粉症になり、イギリスでこの療法で治療し始め、その続きを日本に帰国後自分の家で行い完治したという話である。大前さんは注射セットをもらって自分で注射したのである。

だから、日本でもこのように自分で皮下注射してオーケーであるというのであれば、どれだけ多くの患者が救われるだろうかと私は思う。この療法は注射といっても皮膚の表面下に蚊の跡のようなちょっとした膨れを作るだけだから、実に簡単なものである。自分でもできることである。医者に通わないとできないから、この療法が日本では広がらないのである。


まあ、そんなわけで、今私はこの20年で初めて、

ノーマスク、ノーティッシュ、ノーメディシン、

生活を送っているのである。もっとも、花粉症の影響は注射した場所に来る。注射したところがしくしく痛むのである。しかし、咳に悩まされるよりはずっとましである。私はそう思うネ。
2007/03/03のBlog
J2開幕戦・徳島2-1愛媛(鳴門)

J2開幕戦・徳島2-1愛媛(鳴門)

得点者
【徳】羽地(前34分)大島(後27分)
【愛】中村(後9分)


今日からJリーグ2007年が始まった。

徳島でのホーム初戦、徳島ヴォルティスは、慎重な戦いを見せ、終止押され気味の試合ながら、何とか逃げ切った。こうやって1戦1戦戦って勝っていく他ないだろう。

横浜FCvs浦和レッズは、1-2だったが、横浜は惜しい試合を負けてしまった。最後は浦和のスピードに対処できなくなったが、良い試合であった。

一方の浦和は、小野のディフェンスがまずく、久保にワールドクラスのシュートを決められてしまった。かなり今後が心配の試合である。ブッフバルトからオジェクに監督が代わり、カウンター攻撃のチームからゲーム試合のチームへと変革の中にあるという。これがチームに合うかどうか、今後を見ていく他ないだろう。
2007/03/02のBlog
[ 16:02 ] [ 地震・災害 ]
”特異な自然現象”:雷雲、地震雲

しばらく前の昨年11月にこの中に「はしご雲」なるものを紹介しておいたが、今日昼過ぎにこれと同じような雲を見た。「交差するはしご雲」である。


写真2:はしご雲。別の方向。




写真:はしご雲。別の方向。

もしこれが”地震雲”なら困る。雲は北の方角からやってきたので、阪神地区や和歌山方面の人は要注意。もちろん徳島も。
写真:カタツムリを食べるヘビ。カタツムリの右巻きにヘビの歯の構造も進化。食うやつは食われるやつに合わせて進化する。これぞ、自然界の格差社会。


昨日、予算委員会の答弁を見ていたが、安部首相vs岩国哲人(民主)は面白かった。人間の質・格・深みで、岩国さんの方がはるかに上という印象で、どっちが首相か分からなかった。さすがにアメリカ・メリルリンチの副社長だった人物である。

特に興味深かったのは、”格差社会”の問題を経済的に論じた部分であった。

岩国さんは、”格差社会”の格差を、中央と地方の間の格差(「外部格差」)と、地域ごとの格差(「内部格差」)に分けて実に単純明快に論じていた。そして、「外部格差」が生じる原因として説明したことは、まさに私が「「道州制」?古い。これからは「連邦国家制」だよ! 」で紹介したのとほとんど同じであった。これには驚いた。欲を言えば、”ネットワーク構造”の見方をもっと前面に出して強調すればさらに良かっただろうが、それでも十分私はよく理解できた。

しかし、これに対して、首相の安倍さんはこのことがあまりよく理解できなかったようだ。「努力に応じて格差が出るのは悪いことではない」というお決まりの答弁であった。安倍さん他(小泉純一郎元首相も含めて)今の自民党は何か大事なことを誤解しているように見える。

まあ、良く言うことだが、「機会均等、成果に応じて格差がつく」のなら問題ない。つまり、このことの意味は、「だれにもチャンスが与えられ、努力した結果とその成果に応じて応報が与えられるべきである」ということである。これならだれもが賛成するだろうということである。

成果というのは、うまくいくこともあれば失敗することもある。だからそれは成果に応じて応報があるということはだれもが納得する。しかし、「成果」と「努力した結果」を混同すれば問題が出る。この2つは同じではない。なぜなら、「成果」あるいは「結果」というものは、それに対する「努力の結果」から生まれるものだからである。

一方、「努力した結果」というのは、主に労働時間に依存するのだから、自分が働いた労働時間に比例した最低限の賃金が保証されなくてはそれは経済学の原理に反するということになる。失敗したからそれまでの労働をタダ働きにすることは因果律に反するからである。労働したからこそ、その結果として、正否が判明したわけだからである。8時間労働したならきっちり8時間分の支払いを行うべきである。さもなくば、努力に要する”実費”や”経費”すらだれも維持できなくなるからである。

うまく行く人(もの)というのはごくわずかである。ほとんどの人(もの)は失敗する。しかし、ほとんどの人(もの)が失敗した結果、うまく行く人(もの)が出るわけである。そこのところを政治家やリーダーは理解すべきである。

ところが、最近ちまたでいうところの”格差社会”とは、こうした成果主義による”格差社会”ではない。むしろ、「派閥、閨閥、縁戚、学閥、コネ、しがらみ」、などという人間関係、人間のネットワーク構造による”格差社会”の意味なのである。つまり、世襲社会による”格差社会”なのである。言い換えれば、”権利の格差のある社会”なのである。だから、あるグループに所属しない人は、最初からチャンスすら存在しない。ましてや、努力する場も成果も期待できない。こういう意味の”格差社会”なのである。

芸能界で言えば、個人で芸能デビューすることは実質上不可能で、吉本やジャニーズなどどこかの芸能プロダクションに所属しない限り、仕事を独占分配されている芸能界では仕事にありつけない、というようなことである。

これと同じことが、日本のどこの世界にもあるということなのである。建築・土建業でなら、今の芸能界のやり方は全部「談合」に入り警察沙汰になるのだが、どういうわけか、芸能界やマスコミに関しては見のがされている。

今回、岩国さんが、私が「「道州制」?古い。これからは「連邦国家制」だよ! 」で紹介したような税金の徴集メカニズムを島根県を例に出しながら説明していたが、今や地方はどこも国に税金を取られるだけ取られるがその見返りが来ないという状況なのである。

昔は、田中角栄のおかげで、地方が取られた分の税金分は少なくとも公共事業という形で、道路やダムやトンネル事業に跳ね返った。しかし、今は、まったく戻ってこない。

そこで、岩国さんは、私と同様、つまり私が16年前に書いた主張(「三セクター分立の概念」)と同じような論点で、つまり、地方に道路などではなく、”学校や大学や病院”などを作り充実させるために税金を還元させるべきだという主張であった。

まあ、今の安倍政権には、何を言っても

”ぶたに真珠、馬の耳に念仏、見ざる言わざる聞かざる”

のようですナ。

それにしても、岩国哲人さんにはぜひ早急に首相になってもらいたいものだ。何か超党派内閣のようなものができないものだろうか。
2007/03/01のBlog
日本、3-0で香港下す サッカーU-22アジア2次予選

いやはや、昨夜のU-22アジア予選2次も”さびしい”試合だった。Jリーグ開幕前の最高のシーズンなのにもかかわらずこれほど観客が少ないのは、ファンが平山の”顔つき”を嫌っているからだろう。たかが新潟を昇格させたぐらいで代表監督になり、ちょっと”有頂天”になっている反町監督だから、しょうがないと言えばしょうがない。

平山の先取点のチャンス、ただただかっこ悪いプレーだった。あの凡庸な顔とプレーが見事にマッチするようになってしまった。あれほど凡庸な選手が代表にいるのは珍しい。やはり、これでも平山を使い続けるのは、本人にとって気の毒である。


さらに悪いことは、ああいうプレーをされると他の選手にも悪影響が出るということである。私の見たところでは、カレン・ロバーツも市立船橋時代の俊敏さがみじんもなく、すでに俗にいう”おっさんプレー”に変わってしまっていたということである。ゴールエリア内(ペナルティーエリア内ではない!)のフリーのシュートが枠に入らないというのは異常である。

本来なら、この香港相手であれば、悪くて6-0、普通12-0くらいの差があるはずである。それほどの力の差があった。それが、自分達のミスで全部帳消し。

平山の1点目は、明らかに”オフサイド”。完全に飛び出していた。3点目も強豪国相手ならオフサイド。厳しい審判であれば、日本は点は入らなかっただろう。

反町監督は、どういうサッカーを目指すのか? この部分がはっきりしない。オシム監督の傀儡(かいらい)政権で行くにしても、「走るサッカー」もできていない。”知性”もゼロ。技もゼロ。これでは困る。ワンパターンでも良いから自分達の形を作るべきだろう。

これでは、シリアには勝てないだろう。

いずれにせよ、あの”心配顔”の山本監督も困り者だったが、この”へらへら顔”の反町監督もまた困り者である。


FW 平山(FC東京)、カレン(磐田)→増田(鹿島)、李(柏)→家長(ガ大阪)
MF 本田圭(名古屋)、水野(千葉)、青山敏(広島)→上田(磐田)、梶山(FC東京)
DF 水本(千葉)、伊野波(FC東京)、青山直(清水)▽GK 松井(磐田)
写真:火星の大気と雲の傘


おふくろさん

川内康範作詞・猪俣公章作曲

おふくろさんよ おふくろさん
空を見上げりゃ 空にある
雨の降る日は 傘になり
お前もいつかは 世の中の
傘になれよと 教えてくれた
あなたの あなたの真実
忘れはしない

おふくろさんよ おふくろさん
花を見つめりゃ 花にある
花のいのちは 短いが
花の心の 潔(いさ)ぎよさ
強く生きろと 教えてくれた
あなたの あなたの真実
忘れはしない

おふくろさんよ おふくろさん
山を見上げりゃ 山にある
雪が降る日は ぬくもりを
おまえもいつかは 世の中に
愛をともせと 教えてくれた
あなたの あなたの真実
忘れはしない
--------------------------

森進一の「おふくろさん」は、昭和を代表する名曲である。これを聞く度に涙が流れる人も多いに違いない。しかし、ある時期から、これを森進一が歌うのを見る度に、
私は、

どこが「世の中の傘になれよと教えてくれた」だ?、
どこが「世の中に愛をともせと教えてくれた」だ?、
どこが「花の心の潔(いさ)ぎよさ強く生きろと教えてくれた」だ?
おまえがやっているのは、離婚の繰り替えしだろ?

と思うようになってしまった。

森進一は、まったく歌とは違う人生を生きているじゃないか

というのが、ここ20年の印象である。

大原麗子さん、森昌子さんというすばらしい女性達も子供達も幸福にできず、「世の中の傘になる」どころか、「一人の女性の傘になる」ことも「一つの家庭の傘になる」ことすらできない男に、この歌を歌う資格はない。

と、そう思っていたら、やっぱり作者の川内康範さんにそう言われるはめになった。私は川内さんの味方ですゾ。

今の森進一にこの歌を歌う資格はない!

しかし、あまりに歌を商売にしてしまった歌手ばかりとなってしまった。笑いを商売にしてしまった吉本といっしょで、これは性(セックス)を商売にしてしまった、というのと一緒のことなんだよ。もしセックスを商売にすることを”売春”というなら、笑いを商売にするのは”売笑”、そして歌を商売にすることは”売歌”ということになる。もちろん最近は科学を商売にする”売科”というものもある。

こういえば、少しはその”おぞましさ”が分かるだろう。

物事には商売にしてはならないものもある、

ということだろうヨ。
2007/02/28のBlog
タミフル服用の中2男子、マンションから転落死 仙台

花粉症用食品で意識不明に厚労省と和歌山県が調査

いやはや、なんと言ったら良いのか、不思議な感覚に襲われる話である。
最初のものは、タミフルの副作用と考えられる異常行動による中学生の転落死。もう一つは、明らかなるスギ花粉の過剰摂取によるアレルギーショックによる意識不明。

前者では、日本ですでに老若男女合わせて計53人前後が死亡。うち異常行動による中学生の死亡は数人。一方、後者では、死亡者は0。しかし、アナフィラキシーショックによる患者が1人。

こういう段階での厚生労働省の対応の差が面白い。

タミフルの副作用の問題は、すでに7年前の発売当初から報告されていたという。がしかし、「インフルエンザ脳症なのかタミフル副作用か判明しない」という理由で、その対応は実にのんびりしている。その結果、被害者家族は副作用の認定を求める報告書を書いたが、柳沢厚生労働大臣は「因果関係がはっきしない」と今回は”そっけなく”却下。

ところが、パピラの場合は、厚生労働省の役人の対応が素早い。「薬事法違反の疑い」が強いということで即調査に入ったというのである。しかし、まずはこの製品を買った人で効果があったかどうかも調べるべきだろう。効果がまったくなくてアレルギーショックだけしかないとすれば非常に問題だが、”効果の有無”を調べずにいきなり発売禁止にしようとするのはフェアではないだろう。これでは、民間人は何もするなというようなものである。

こういった製品は、アレルギー患者ならだれでも思い付くものである。私もひどい花粉症による咳きが出るので、この10数年悩まされてきた。だから、舌下に抗原を投与すれば効果あるというような、最近の花粉アレルギーに対する免疫学の知識からすれば、花粉を飲んだり食したり煎じて飲めば効果あるのではなかろうか、と考えるものが出るのも不思議ではない。我が家でも、スギ林に行ってスギの花を持ち帰り、自前で花粉摂取法を試みようと考えたこともあるからである。

アレルギーの場合の一番の問題は、摂取する抗原の”濃度”である。これが濃すぎればアナフィラキシーショックで血圧が下がり意識障害になる。下手をすれば呼吸できなくなってショック死する。しかし、薄すぎれば効果はなく、その適正な濃度を見極めるのが難しい。だから、こういった療法がまったく効果ないということにはならない。

問題があるとすれば、自分に効いたから人にも効くという”思い込み”である。アレルギー反応は人それぞれで大きく異なる。だから、一般的なものはなかなか難しい。それゆえ、本来素人療法では難しいので専門家が研究してから使うべきなのだが、我々患者は自分の苦しみから逃げたいので待ってばかりはいられない。それでさまざまな療法を試してみるのである。パピラの場合もおそらくそういうものの1つだろう。しかし素人療法には危険が付きまとう。したがって、本人の”自己責任”がいつもつきまとう。

しかし、一方のタミフルの場合はそういう素人療法の域をはるかに超えた分子生物学の域にある。インフルエンザウィルスの感染経路や過程をつぶさに研究してインフルエンザの増殖や感染をできなくさせるような方策でミクロに見て考え出された”科学薬”である。だから有効性やその根拠はパピラの比ではない。

しかし、かといってタミフルに問題がないと言えばウソになるだろう。というのは、あまりに新しい分子生物学の科学的知見に基づくために、これまでの薬とは”全く違う新しい効き方”をする。そのために、その副作用や何か問題が起こった時にその原因を従来の薬と比較して対処することができないからである。つまり、前例がないからである。

新しい薬は効果は科学的に論理的に期待できるが、もし何か問題や副作用などがあった場合には、その薬を開発した時間に匹敵するほどの時間がその研究にかかってしまうという問題が出るのである。ここが、従来から実施されてきた”伝統薬”とは違うのである。

しかし新薬の副作用の研究のために新たにまた研究するということは大企業は嫌がる。なぜなら開発にも何百億円、そしてその副作用研究にも何百億円かかるからである。大企業が嫌がることは国も嫌がる。ゆえに、被害者が出ても国は無頓着となる。

とまあ、こういうことである。要するに、未だにここにも「官尊民卑」の精神が見て取られるというわけである。

結局、スギ花粉のアレルギー抗原反応の多くはすでに分かっているが、タミフルの副作用についてはまだよく分かっていないのである。

こういう場合にどうすべきか、と言えば、

「疑わしき者は罰すべからず、疑わしき物は罰せよ」

というところだろう。人の疑わしきは罰してはいけないが、薬や物に関してはまず疑ってかかるべきである、そして、疑わしきは罰っせよ、ということだろう。なぜなら、今疑わなければ、今度本当に副作用が証明された時には、その訴訟費用に何倍もの税金が投入され、患者も被害者も国民、その支払いも国民という2重3重の損になるからである。まずは早急の対策が求められるというところである。


ところで、ついでに付け加えると、タミフルの副作用の原因探しは結構面白いテーマである。これには、「タミフル」が実に参考になる。

ねずみの研究では、子ねずみと大人のねずみで効果が異なり、子ねずみの場合には”リン酸オセルタミビル”(タミフルの主成分)の濃度が脳内で大人の1500倍にも跳ね上がるというのである。そこには、

「なお、ラットを用いた試験では、幼若ラットでは、リン酸オセルタミビルの脳内濃度は、成熟ラットの約1,500倍高くなり、幼若ラットでは、血液脳関門が未熟である可能性が、示唆されている。」

とある。また、その濃度を下げるためには腎臓から排出するので、腎臓の機能が良くないといけない。だから、「腎機能の悪い子供の場合に危険性が高まる」という可能性がある。

いずれにせよ、小さな子供の場合は、塀を乗り越えたり、大人を振り切ったりする能力がない。だから、親の世話になりやすく事故まで至らない。しかし、中高生になると、力もあり大人並みの行動力があるために親も異常行動を制止しにくい。だから、逆に被害者が出易いということは確かだろう。

今後の早急の研究を期待したい。
2007/02/27のBlog
東洋町で文献調査、原環機構が申請へ 高レベル処分場

いやはや、これまた”ジョークのような現実”の話である。

「日本の原子力行政」と銘打っても、実質的には「東京電力」のためのものである。

こういった国の命運や国民の命運をゆだねる組織の幹部がどうして選挙で選ばれないのか、私にはまったく理解できないが、今や、日本国の認可法人、「原子力発電環境整備機構(原環機構)」の主要ポストはすべて東京電力の開発部の取り締り役上がりで”独占”されて占拠されてしまったのである。”全会一致”で賛成するはずである。(ちなみに、こういうのは「天下り」の逆なのだが、何というのだろうか?「地獄上がり」とでも言うべきか。)

どうしてこういった重要なことを日本のマスコミは調査し、衆目の前に公表しないのか理解できないが、要するにこの機関が国の政策と言っても所詮は全部東京電力のためのものである。そのために、文献調査に「約2年間に総額20億円の交付金が国から出る」ということらしい。すなわち、東京電力の原子炉のために、国は年に10億円の”無償の寄付”を東京電力に行っているわけだ。

一方、それで潤った東京電力側は、地方にJリーグのサッカー場や練習場を作ってやるから原子炉作らせろ、と悪魔の取り引きを延々と続けているように見える。

福島原発、そして今度は佐賀原発、そして高知東洋町の高レベル放射性物質処理施設。などなどとどんどん続くのである。

水床トンネルを超えるとそこは東洋町だった。
東洋町のジレンマ:南海大地震か被爆か?

などで以前に書いたように、ここには東京電力が言うように「半径15キロ圏内に火山もなく、建設に支障となる活断層もない」。

しかし、ここは
(あ)南海大地震の被災地の1つである。
(い)毎年の巨大台風の通過点でもある。
(う)そして、世界遺産を目指す、四国遍路のまっただなか、そのもっとも重要な通り道なのである。

こういった事実を忘れてもらっては困る。文献調査の前にまずお遍路さんでもしてもらって自分の目でお遍路さんの通り道を見てみることだ。

たったの20億円の金のために、地方を売り捌く町長も町長である。この程度の金なら阿南の日亜化学に頼めばいつでも寄付してくれるはずである。

いずれにせよ、何で東京電力のために、地方が犠牲にならねばならないのか、理解に苦しむところである。

日本の物理学会には「ニセ科学」批判で個人や中小零細企業をよってたかって批判し、どうでもいい弱いものいじめするものはたくさんいるが、国や東京電力などの巨大企業の「ニセ科学」を批判するものはいない。困った風潮である。どうせやるなら、こっちの方を批判してもらいたいものである。
笑いは百薬之長。以下はジョーク。笑い飛ばすことが肝心。


私もテレビ世代で育ったため、子供の頃からアメリカ映画は好きで、テレビの映画劇場などを見てきたものである。最近でも映画館やNHKBSの映画などでハリウッド映画など、昔の映画も比較的最近の映画も良く見る。

だからイーストマン・コダックの発明した映画フィルムやエジソンの発明になる映画や蓄音機のおかげで20世紀の映画産業は発達したわけだが、映画産業の発展には非常に関心がある。ウォールト・ディズニーやスピルバーグやルーカスの映画のすばらしさは何ものにも替えかたいものがあると思う。

しかし、ブッシュ親子の時代となり、9・11を境にアメリカの映画産業も一気に斜陽化してしまった、というより変質したと言うべきかも知れないが、何かが変わったのではないか、と私は感じる。

最近でも「シャーウィーダンス」のような日本映画や中国映画、そして韓国映画などのリメイク版ばかりとなってしまった。本当にオリジナルのものは、相変わらず昔のB級映画、レーガン大統領が役者をしていた頃のようなもの、ばかりのワンパターンの代物である。

今回のアカデミー賞の対象映画はまだ見ていないが、リメイク版が作品賞を取ったとか。

どうしてこうなってしまったのだろうか?

この理由は我々には分からないが、やはりアメリカの評論家もデーブ・スペクターのようなふざけた人間ばかりになってくだらんB級ジョークしかいわないパパラッチばかりとなったからだろう。良い評論家のいないところに良い作品はない。良い作品が良い評論家を育てる、というところだろう。

実際、最近の作品では、アメリカのハリウッド映画よりお隣の韓国映画の方が質が高い。そして実際面白い。ドラマもスピルバーグの荒み切ったERよりは、韓国ドラマの真摯で純粋で一途な作品の数々の方が面白い。何よりも韓国の役者は老若男女を問わず演技が上手である。日本やアメリカの役者の出来上がったポーズ演技よりはるかに臨場感や現実味がある。

どうしてこうなったのか?

これまた私にはその理由は良く分からない。ただ、言えることは、日本には悪名高い「芸能界」があり、アメリカには「ハリウッド」や「ブロードウェー」があるということである。それゆえ、可能性があるとすれば、こうした世界が逆にネガティブに作用しているということだろう。

ひと昔と違って(というよりひと昔も同じことだったのだろうが)、ハリウッドの主演男優賞&女優賞や助演男優賞&女優賞などと言っても、ステレオタイプのメッカのアメリカでは、所詮日本人は日本人役、兵士のやられ役や打たれ役、よくて日本の司令官。あるいは女性なら、日本の女子高生役程度か007のボンドのセックスパートナー役程度のものである。黒人ならアフリカの独裁者アミン。アメリカ原住民ならインデアンの酋長役、インド人ならよくてガンジー。アラブ人なら首釣られ役のサダム・フセイン役。北朝鮮ならキム・ジョンイル役というところだろう。

こんなもので賞もらってどこがうれしいのか、私には正直理解できない。

その一方で、アメリカ人ならどんなバカ娘でも金髪碧眼であれば、見事主役がゲットできるという寸法である。

これでは、金髪碧眼こそ人類最高級の人種だと言った独裁者ヒットラーをバカにはできない。今のハリウッドのほとんどの人間はヒットラーと同じことを考えているのだからだ。どんな黒髪も金髪にしたくなるのも当然だろう。事実、金髪碧眼ならマリリン・モンローの再来と言われて(実際は金髪ではなかったようだが)、女優となり、世界一の大金持ちとも結婚できる。とまあ、こんな案配である。

今年は、”地球温暖化”のゴア元副大統領がいたものだから、シュワちゃんのように政界に色気のある俳優たちはリムジンに替わってしきりにエコカーを使って、アピールしたとか。

しかし、一番の地球温暖化の原因はハリウッド映画の爆破シーンやおまえらの高額ギャラじゃないのか、本当に地球温暖化を防ぎたければ、あんたらの給料を1/10000くらいにすることだ、というのが私の個人的意見である。なぜなら、お金というのは、人間の労働力の代わりというのが経済学者カール・マルクスの発見だが、人間の労働力こそ石油・化石燃料の消費と等価だ、というのがアメリカ人バックミンスター・フラーの発見であったからである。世界中あまり動き回らず家でぶらぶらしているのが一番の地球に優しい理想的な生き方なのだという意見である(もっともフラーも有名人になってからは世界中を旅していたらしいが)。

とまあ、こんな感じで、ブッシュ大統領のアメリカよろしく、最近のハリウッドもやることなすこと支離滅裂という印象を私は持つのである。
[ 09:31 ] [ 社会 ]
寒い冬が終わり春になる頃、人の交感神経と副交感神経の役割が交換し、うつからハイの状態に切り替わる。精神の病の患者もこの時期が一番危険なのだとも言われる。それは、ひどいうつ状態では自殺もできないが、下手にハイになると勢いあまって自殺してしまうことがあるからである。

だから、暖かくなりはじめる頃の2、3月は人間にとって精神的に不安定になりやすくもっとも危険な時期なのである。それゆえ、この時期は、受験や就職など「人生の節目」や「人生の岐路」というような人の一生の一大事と重ねるべきではない。この観点から、欧米式の9月入学9月入社が人には適しているのだ、というのが私の理解していることである。

遺伝的にDNAを調べると、一般に色の白い人の方が色の黒い人より免疫能力が劣る。そして、色白の方が背が高く神経質で排他的であるとも言われる。それゆえ、色の白い人は、精神的にもろく臆病であるくせにに何ごともなんくせをつけたがる。これが生物ジャーナリストのマット・リドレー博士の本に出ていることである。

こういうことが関係してかどうか知らないが、欧米人は古くから秋の9月が年度末10月を新年度の始まりに置く。いずれにせよ、あつい夏を過ぎ徐々に寒くなっていく時期の方が人間はどうやら困難なことに立ち向かいやすいのである。こういう人の精神の安定性の問題から欧米式の9月入学9月入社を勧めているのは日本では私だけだろう。

さて、こういったことのせいかどうかは知らないが、この時期はいろいろと面白い話題やニュースが増える。そこで、いくつか紹介しておこう。

ロナウジーニョ太りすぎ? チームメートは擁護

「ロナウジーニョ、お前もか?」

というところだろう。ブラジルの英雄、スペイン・バルセロナのロナウジーニョ選手が、レアル・マドリードにいたブラジルの英雄ロナウドのように肥満してきて、動きが悪いというニュースである。

サッカーは”貧乏人のスポーツ”である。ほとんどの有名選手は、ハングリー精神とともに、貧民街から技1つで抜け出してきた。それゆえ、世界的有名人となり、美味しいものが食べられるようになると、とたんに太る。どうやらこういう傾向がある。あまり子供の頃に食べ慣れていないものを食べると調子を崩すらしい。私自身も山育ちのために、海産物ばかり食べ続けると、すぐに痛風になる。

”太っちょロナウジーニョ”は似合わない。

漁師悩ますハリセンボン、大量発生 島根・松江市沖

最近は、海の火星人、越前くらげの来襲が漁民を悩ます一大事。しかし、針千本(ハリセンボン)というフグもいた。

いっそのことのこのハリセンボンが越前クラゲと戦ってちくちく穴を開けて撃退してくれればいいのだが。ハリセンボンvs越前クラゲ。


関西テレビ社長辞任へ 「あるある」捏造で引責

関西TVの社長がついに「あるある大事典」問題で辞任したというニュース。

しかし、これで一件落着では困る。この番組で大富豪となっていた志村ケンやその取り巻き、うそつきナレーターの声優、そして吉本テレビ化していた吉本興業の責任はどこに行ってしまったのだろうか。「微分評価法」で、それぞれの功罪を追求してもらいたいものである。

さらには、みのもんた、ビートたけし、所ジョージなどなどの似たような番組も検証してもらいたいものである。そしてついでにテレビに出まくって大儲けしている「ニセ科学者」の類いも消毒して欲しいものである。

いずれにせよ、もうこの問題はネイチャーに載ったのだから、世界中のジョークネタにされていることだけは確かだ。例えばこんな具合だ。

アカデミー賞授賞式のパーティー会場で、
「日本の女優。ほらあの助演女優賞にノミネートされたあの子。なんて名前だったかな?あ、そうだ菊地凛子っていう痩せた子知ってる?」
「なんであの子が痩せているかっていうと、日本のテレビ番組の『あるある大事典』のダイエット法に習って毎日ナットウを食べているんだって」
「へー、そうなの? それであんなにスリムなんだ。」
「でもね、どうやらあれは真っ赤なウソだったんだって。それをあの子はまだ知らずに食べ続けているらしいよ」


アカデミー作品賞「ディパーテッド」に 「硫黄島」逃す

そして最後はやはりこの話題。残念でした菊地凛子さん、私の”予想通り”の展開で落選(菊地凛子”アカデミー賞”ノミネート:落選は必至? )。もうこの人に言うことはない。

会場にいてもだれもこの人に気付かない。背景に溶け込んでしまって存在感ゼロ。おとぼけピーコ(おすぎかどっちか忘れたが)は、日本人女優でこんなに着こなしがうまい女優は初めてなんてバカげたことを言っていたが。

要は、アメリカでは”目立たない”とダメ。だれからも「あれはあの映画の日本の女子高生」と分かった方が良いに決まっている。私の妻が言っていたように、やっぱり日本女性は着物に限るネ。

ついでに書くと、妻から聞いた話だが、この「バベル」では、オーディションにたくさんの本当の聾唖の女性達が参加したのだという。事実、日本にも忍足亜希子(おしだりあきこ)さんのような聾唖者の女優もいる。こうした本物の聾唖者の女性達がこの作品に感動してオーディションに参加したのである。その意気込みは相当なものであったろう。しかし、結果として健常者で無名の菊地凛子さんが取ったわけである。それは、彼女がたくさんの本物の聾唖者と接して動きや話し方を学んだから(まあ、盗んだんですナ)だという。

要するに、菊地凛子を売り出すために”だし”にされたたくさんの本物の聾唖の女性達がいたということである。菊地凛子はその女性達の”夢”や”人生”も奪ったのである。だからこそ、その振る舞いには責任が伴うはずなのだが、どうも日本の芸能人(やおすぎやピーコ)にはこういうことが理解できないらしいネ。
2007/02/26のBlog
[ 18:29 ] [ アルバム写真 ]
遠くから見ると、一見UFOのように見える建物。近付くと、ダイヤモンド型をしたレストラン。これは「レストランダイヤモンド」と言って、1972、3年に私の父が甲府バイパスの傍らに作ったものである。もちろん、その後人手に渡り、何年も何年も前にすでに壊されて撤去されて今は存在しない。それはもはやこの写真と私の記憶の中にしか存在しない。

今思えば、私がどうしてフラーの建築に興味を持つのかと考えてみると、やはりこの建築物の影響が強いのではないかと最近思うようになった。というのも、実は中高生の頃に私の父が作ったこのダイヤモンドを見ていたからである。私は、最初に竹ヒゴでできた直径30cmくらいのダイヤモンドの段階から知っていた。そしてそれがいつしかダイヤモンド型のレストランに変わっていた。1970年代から1980年代まで、このダイヤモンド建築は甲府バイパスを通る車の格好の標識となっていた。

ところで、バックミンスター・フラーは、”シナジー効果”(パーツの数より効果の数が増す。最小の要素で最大の効果を生み出す原理)の創始者である。フラーはその証明のために一生を費やし、建築に「オクテットトラス構造」やサッカーボール型のいわゆる「フラードーム」を持ち込んだ。オクテットトラス構造の思想は巨大建築やクレーンなどの梁構造に応用され、フラードームの思想は幾多のドーム建築に繋がった。そして、1970年の大阪万博の時代に応用された。アメリカ館などの巨大パビリオンの多くはドーム構造を基にしたものであった。

我が家も1970年のこの万博に父の運転で出かけた。そこでアメリカ館や三菱館や日立館などを眺めたのである。この時の印象は私の父にも私にも非常に強い影響を与えたのであろう。その後、私の父は宝石関係の仕事をしていたことから、ダイヤモンド型の建築物という発想を得たのである。そして当時は県内企業では作れないので、都内の企業に頼んで完成させたのである。そんな話をしていたのを覚えている。

写真を見ても、フラーのサッカーボール型ドーム建築に負けない”斬新さ”がそこにある。現存する最強のダイヤモンド構造とはフラーのオクテットトラス構造の原形である。それゆえ、ダイヤモンド建築も強力な構造なのである。

今も壊されずにどこかに存在していれば、きっとその価値が認められる日も来ただろうにという思いが強い。実に美しい構造である。
望月和子さん死去大阪大名誉教授

光陰、矢のごとし。
少年老いやすく学なり難し。

とは良く言ったものである。

私がここ阿南に住むようになって早12年目になる。この間、子供の成長に合わせて知り合った人たちにも、幸不幸の波があった。離婚、死別、病気、事故などさまざまである。これはちょうど私の年令が周りの人々のそういう年令や世代交代の節目となる時期に差し掛かって来たからだろうと思う。

こうした人々の人生を見るにつけ、人の一生というものの難しさというものを感じる。

子供から成長し、年齢的には時間はどんどん経つが、それに応じて自分の能力がつくかというと、必ずしもそういうことはない。社会に出て仕事に打ち込めば自分の成長は一面的となり成長は制限される。家庭を持てば、今度は自分の子供としての面と親として大人としての面で拮抗する。本人が子供時代から持つ夢、今度は自分の子に託す夢、それらがうまく折り合えば良いが多くの場合拮抗し矛盾する。子供のために親が犠牲となるか、親のために子が犠牲となるか、どちらかが自己犠牲を強いられる。よくてせいぜいその中間の妥協であろう。

だから子供を自分の犠牲にしたくないから子は作らない。あるいは、自分が子供の犠牲になりたくないから子はいらない。そういう考えのものもあるだろう。一方で、自分ができなかった夢の実現を子に託す。自分より良い人生を子供には味合わせたい。こういう考えもあるだろう。

しかし、そうやって子として親として葛藤しているうちにある日突然の不調がくる。ある日突然の病気や事故が来る。人生とはそういうものである。こうなると多くの人は、自分の計画や夢や理想が吹っ飛ぶ。何が一番大事かと言えば、結局は健康な身体なのだと初めて理解することとなる。自己設計や住宅ローンどころの騒ぎではなくなるからだ。いきなり生死の問題となるからである。

こういうことは、私はおよそ20数年前には考えもしなかったことである。まだ20代の頃には時間は無限に存在すると思えたからである。もし私が今もってそう思えたとすれば、それはそれで幸せなのかも知れない。が、しかしさまざまな現実や人生を身の回りで見るにつけ、それが若さというものであろうと思える。それゆえ、人生に教科書はなく、何かのために生きるのが人生ではなく、そこで生きることそのものが人生なのであると私は理解している。すべては生きていてこそだからである。

さて、私は1980年春から1985年春まで豊中にある大阪大学基礎工学部大学院の修士博士課程に在籍した。それまでは、千葉県野田にある東京理科大理工物理に4年。ずっと後に社会人となって知ったことは、この両者ともに東大の秀才理論物理学者の小谷政雄博士が理学と工学の垣根を取り退くべく作ったものであったということである。最初に基礎工を作りそれから理科大理工を作ったのである。私はそれを逆に渡り歩いたことになる。

入学した当時、阪大基礎工物性理論には3つの講座があった。表面物性の吉森昭夫研究室、統計物理の中村伝研究室、そして磁性物理の望月和子研究室。私は物性系ではなく、数理系に合格した。しかし原子核理論には当時あまり興味はなく物性で試験したために中村研に所属した。望月博士は、当時まだ助教授だったが、私が在籍した5年のうちに阪大初の女性教授として教授昇進を果たした。

私は、数理全般に関心があったため、当時からおもしろそうな研究室のセミナーはできる限り参加していた。それで、自分の所属研究室セミナーやコロキウムから吉森研、望月研のものまで毎週で向いていた。生物物理の大沢研、遠くは理学部の金森研などもひょっこり聞いていたような記憶がある。

望月先生の磁性の講議はたしか一度聞いたことがあったと思うが、今やあまり定かではない。しかし、毎週開かれるコロキウムはかかさず参加し、磁性関係の論文を読んで勉強したものである。そこで多くの卒研生や大学院生と良い友だちになったものである。

望月先生の印象は”堅物過ぎる”きらいがあったが、昔の日本女性の”才媛”というものを彷佛させる女性であった。けっして美女というタイプではないが、小柄で、魅惑的な、賢い女性である。それが私が院生時代に持っていた望月先生の印象である。

ついでに付け加えれば、望月先生は秀才が好きだった。だから先生は、阪大の秀才を集めた。一説では、授業中に出来のいい学生に目をつけ、研究室に勧誘していたとか。しかし秀才と言えどもまだ若者の普通の学生。先生の学生達の先生の前の秀才然とした態度と先生が去った後の普通の学生に戻ったその姿の落差を私はいつもおもしろがっていたものである。

阪大を退官後、岡山の方に移ったというところまでは記憶していたが、それ以後は知らなかった。

今も在りし日の先生の姿が目に浮かぶ。おそらく、それは私自身の日々が若さとともに人生最高の時期と一致していたからであろう。

先生の御冥福を心から祈りたい。

参考:特別寄稿「思い出を新たに」

写真:1982年の基礎工物性系ソフトボール大会。枚方のスポーツグラウンドにて。望月先生はいないが、望月研の鈴木助教授、長谷田教授、藤田教授、吉森教授、宮城助教授、那須助教授などの姿も見える。ちなみに、私は最前列右から4人目。
2007/02/25のBlog
出生前診断の新しい指針案を公表 日本産科婦人科学会

この「日本産科婦人科学会」という謎の学会は私は”要注意学会”としてずっと観察しきているが、今回も”何様のつもり”かしらないが、身勝手にルールを決めて勝手にそれを国民に押し付けようとしているらしい。

国民の出生率や育児や国民の健康に直結する国民的ルールは、本来なら国会で審議され、国民に履行されるべきである。が、しかし、この団体はいまだにこれが理解できないらしい。少なくとも、「日本産科婦人科学会」ではなく、「日本学術会議」などのもっと幅広い学者社会の意見も聞いて”ルール”を決めるべきである。

ここでも、ずっと前から以下のものを紹介してきた。

医療は、”結果がすべて”
精子保存に期間?:「産婦学会」って何様のつもり?
日本も”精子バンク”を作るべき時代到来?

”生殖医療”と称して、未だに医学生の精子提供高額アルバイトは禁止されず、その一方で実際の父親や母親の遺伝子凍結保存には極度の制限を設けるという支離滅裂なルール作りをしているのがこの謎の学会である。この裏にだれがいるのか、何の目的でそういうことをしているのか、ぜひ知りたいところである。

欧米では、”無為に”障害者を増やすことをなくするために、親やその子のために「出生前診断」は、むしろ率先して行うようにしむけている。なぜなら、障害というものは本人にもその親のためにも厳しい状況を強いるため、できれば、健康児を生みたいという親の切なる希望に報いるためである。例え、健康児で生まれたからといって、子供が健康に順調に育つという程育児というものは甘くない。ある程度の年令になるまで子供は幾多の病気にかかり、下手をすればそれでまた障害児になる可能性があるからである。

我が家の子供ですら、突発性発疹やインフルエンザやライム病(ダニの感染)などさまざまなものにかかったり、骨折や歯を折る事故などの下手をすれば障害者になる一歩寸前というようなことを経験してきた。

ならば、生まれてくる子供はできるだけ障害を取り除きたいというのが、”普通の”親の”願い”である。よほど、変わった人でなければ、自分の子供が障害を持って生まれてくることを望むものはいない。事実、私が出会ったすべての親はそうであった。

それでもなんらかの理由で障害を持った子は受精する。ならば、生まれてくる本人のためにも、できる限り障害をなくすのが医者の勤めであろう。結果として、受精前診断はその最良の方法である。

しかし最終的にその子を生むか生まないかを決定するのは腹を傷める母親、そしてその子とずっといっしょに過ごさなくてはならなくなる親である。けっして医者ではない。ここをこの学会の連中はまったく理解していない。

我が家も、この地方の障害児のための会にボランティアかつ賛助会員でこの12年近く参加してきている。ほぼ毎年私はサンタクロースをしてきている。が、親の苦労というものは並み大抵のものではない。肉体的、精神的な苦労が耐えない。それでもみんな健気に生きているというのが、本当のところである。

果たしてこの学会の連中はそうした親達と実際に接したことがあるのかどうか?

そういう疑問を私は感じる。こんな連中に、国民全体にかかわるルールを決める権利などない。と私は考える。早急に国会審議をして、きちんとした法律に定めるべきである。それは、あくまで医者ではなく親たちが主役になるように定めなくてはならない。さもなくば、安心して子供を生み、育てることはできなくなり、さらなる少子化に拍車がかかるだけだろうヨ。

ついでにいうと、ほとんどの日本人はまだ知らないだろうが、アメリカに住むユダヤ人にはユダヤ人独特の遺伝病というものがある。そのため、それをなくすために、以前は結婚の際に遺伝子がかさならないようにコンサルタントが出身地をみてアドバイスしたという。ところが、最近10年のうちにこの出生前診断を行うようになり、今やユダヤ人の持ってきた致命的な遺伝病があとかたもなく完璧に”撲滅された”のである。
ガ大阪、4-0で浦和下し、初優勝 スーパーカップ

昨日のこの試合を見たが、いったい浦和レッズはどうなってしまったのだろうか。まったく良いところなく完敗した。

マグノアウベスに全部セカンドボールのプッシュやフォローでハットトリック。だれもカバーに入らない。右サイドバックの坪井、左サイドハーフの小野がゴール前にいたが、2人ともシュートボールを怖がってよけていた。シュートボールのコースに胸を入れて自分の重心で跳ね返すようなポジション取りするのがサッカーの基本中の基本。これができていないのだから、これでは失点するのは当たり前だ。

どうやら千葉、オシムジャパンの”厄病神”阿部が入って浦和の”ツキ”が全部吸い取られた感じである。浦和の”ラッキーボーイ”のトゥーリオがいなかったのがやはり痛かった。守備人と中盤の連係がまだまったくできていない感じだった。

それより、私が何に一番驚いたか、と言えば、それはガンバのバレーである。

私は出身が甲府であるため、昨年の暮れには甲府にいたのだが、バレーはヴァンフォーレ甲府に所属し、それなりに活躍していた。そして、年末の天皇杯も活躍したのだが、本戦を順調に勝ちあがっていた。にもかかわらずクリスマス時に「もう疲れ切った」とか言って自分勝手にヴァンフォーレを退団し本国ブラジルに帰国してしまったのである。つまり、”戦列離脱”したのである。そのため、次のコンサドーレ札幌との重要な試合でトップのバレーがいなくなり、バランスを失った甲府は良いところなく負けた。

そんなわけだから、私は、バレーは本国ブラジルで今度はブラジル代表を狙っているのだろうと思っていたら、実は再度日本に出稼ぎに来ていて、ひょっこりガンバ大阪に入っていた。そして、今シーズンの開幕戦でいきなり優勝。そのメンバーに入っていたというわけである。これでは甲府の人間も怒るだろう。

サッカーはプロスポーツ。お金のないところからお金のあるところに動くのは常識。だから、甲府より良いチームに移ることは止められない。しかし、まだシーズンが終わっていない時期に好き勝手に退団して自分の所属チームを見捨てていくようなタイプの選手を日本のJリーグは雇用すべきではない。なぜならそういうことはJリーグに入る前から当然分かっていたことだからだ。

浦和のサントス、トゥーリオ、甲府のバレー、など一部のブラジル選手は天皇杯大会中でもクリスマス休暇をとって本国ブラジルに帰ってしまった。まあ、天皇家も含めてブラジル人に日本人は”なめられている”のだろう。もっともこういうタイプの選手はあとでけがしたりして天罰を受けることが多いようだが。

日本人を殺害してもブラジルに帰国すればオーケー。そういう国民だから、最初から日本人はなめられているのだろう。ジーコも完璧に日本人をなめていたが(もう二度とトルコへ来るな、ジーコ! もう二度と日本へ来るな、ジーコ! )。

まあ、こういう場合にはブラジルの製品(サッカー選手も含めて)をボイコットするのが一番連中にはこたえるだろう。

中南米には他にも、たくさんサッカー選手がいる。メキシコ、エクアドル、ウルグアイ、パラグアイ、チリ、そしてアルゼンチン。さらには、北米のアメリカ。

Jリーグができてほぼ15年。ブラジル人を積極的雇用してきて20年。ブラジルサッカー選手を雇用して10年。そろそろ日本のサッカーも”ブラジル離れ”すべき時が来たように私は感じる。私の個人的趣味では、体の小さいメキシコサッカーが”旬”ですナ。
2007/02/24のBlog
米空港、全身透視検査を試験導入 「事実上ストリップ」

その昔の私のジョーク集に、ブッシュ大統領はシュワルツェネッガーが大好きだ、ということをジョークにしたことがあったが、今回のニュースは、再びブッシュ大統領がシュワルツェネッガーが大好きだ、ということを証明したようである。”プレデター作戦”の次は、今回、”トータルリコール作戦”のようである。

昔、シュワルツェネッガーの「トータルリコール」という映画があった。この中で、火星に降り立った主人公のダグ・クエイドが空港検査の際、ボードの前を通ると、そこを通る人間の全身が”骸骨に見える”、という場面がある。

今回のニュースは、アメリカの空港で手荷物検査する人間がそのボードの前に立つとそのまま「全裸」状態で中身が見えるという代物。「バックスキャッター(後方散乱)式」というらしい。まさしく、「トータルリコール作戦」である。

この装置はX線を利用しているらしいので、まだ全裸状態で見えるだけだが(実際には内部も全部見えるはず)、イルカのように超音波を使えば、何を食っているかまで全部お見通しのものもできるはずである。

こういうのも良いが、ボードで透かせば、地雷の場所が全部見えるというような発明の方がはるかに平和的だと思うが、こういうのはなかなか発明されないものである。

いやはや、アメリカ恐るべし。ちゃくちゃくとSF映画を現実化する。
2007/02/23のBlog
[ 21:08 ] [ サッカー ]
U-22米国戦、ゴール割れず0-0
なでしこジャパンW杯プレーオフ、沢もメンバー入り

おととい夜のU-22アメリカ戦、ずっと見たが、これだけ”弱い”アメリカ相手に何で点が取れないのだろうか?というような欲求不満の残る試合だった。

反町監督は、今のうちに更迭したほうが良くないだろうか。今ならまだ傷は浅いからだ。というのも、こういう理由からである。

ずっと前から見てきたように、この反町監督は、どういうわけか、平山が好きだ。まあ、監督にも選手の好き嫌いがあるのも分かる。しかし、今回の前の試合でも、相変わらず平山を使い、一応は得点したのだが、その何倍ものチャンスをすべてはずしまくった。その時、「あれは決めるでしょ。決まらなければ平山ブランドが泣くでしょう」というようなことをインタビューで話していた。この言葉に反町監督のすべてが出ていると私は思うのである。

サッカーは選手の名前やブランドや所属チーム名やファンの人気で行うものではない。

これは、ドゥンガも何べんも言っていたことだが、ドゥンガに限らず、ジーコも、オシムも、私もおよそサッカーを良く知っているものならだれでも言うことである。

が、しかし、山本監督、反町監督など日本人監督には通じない。

これは日本人監督特有の性質である、と1998年にはドゥンガによって「セレソン」で分析されたことである。(私の「サムライサッカーをめざせ」も参照。)

私は、平山選手の「”心がけ”の悪さ」が最初から気になっているのである。名門国見を出てから、筑波大に行ったのはいいが、そこで6ヶ月でこれまで見たこともないほどの下手くそ選手に変わってしまった。結局Jリーグに入りたかったのだがかなわず、オランダリーグで活躍の場をもらった。そこでそこそこの活躍をしたように見えたので、私は非常に本人は好印象を持ったのだろうと思っていたら、本人は「オランダは大嫌いだ。何も良いことはなかった。」と帰国してから言っていた。そしてJリーグに入るが、試合に出れないと腐る。それでも反町監督が代表に呼んだが、良いところ無し。それでも使ってもらったことへの感謝もしない。ベンチにいると腐ってしらけきっている。それで監督が使えばことごとくはずす。代表に入るとすぐに有頂天になって、携帯電話したまま運転し警察に捕まる。こんなことの繰り返しである。大久保もそうだが、国見出身の選手は心がけが悪い。

こういう選手をサッカーでは”厄病神”という。こういう選手はどういうわけかわからないが、何をやってもうまく行かない。シュートすればはずす。ヘッドはバーやポストに嫌われ、いいシュートもキーパー正面。こうやってチャンスを潰す。下手にチャンスが来るからなおさらまずい。

普通、トップの決定的チャンスは1試合に3回くらいである。だから、たった3回のシュートで1回得点するという3割打者のような確率が一流選手の証しなのである。しかし、それを平山は3回以上もチャンスをもらうのに、一発も決められない。これでは逆に、チームは危機に陥る。こういうことをここずっと平山はくり返してきたのである。ただ普通の日本人にはない長身があるというだけである。

平山を使っているうちは日本に勝機はない。

それゆえ、平山にこだわり続ける反町監督にも”つき”は来ないだろう。もっと良い選手が他にもいるだけに残念であると私は思う。


さて、一方の「なでしこジャパン」の沢選手も、ずっと前から見てきているが、どうも”厄病神”的なところがある。平山ほどではないが、せっかくのチャンスを沢が潰すのである。理由は良く分からないが、何かがまずいのだろう。

こうしてみると、選手選びは、なかなかうまくいかないものである。
科学誌ネイチャー、「あるある捏造」問題を掲載

いやー、ついに大阪の「何でもあるある大事典」が全国区、いや全世界区の科学雑誌ネイチャー(22日付最新号)に載ったようだ。

「研究者がマスメディアに自分の研究内容を話したとき、どのように事態が間違った方向へ行ってしまうかを日本のテレビ番組を巡るスキャンダルが示している」

とネイチャー談。

一方、金沢一郎・日本学術会議会長は、

「テレビ番組などで科学にかかわる人は同会議の『科学者の行動規範』を守るべきだ」

「テレビの目的は科学的真実ではなく、視聴率だ」

と鋭く指摘したようだ。


記事の 全文は以下のもの。

Japanese TV show admits faking science

これで、”大阪民の恥”は全世界に伝わって、世界の笑い者になったようですナ。

くわばら、くわばら。

もっとも、この話題では番組制作者だけの問題のように論じられているが、この手の番組のナレーションしている声優の類いがいるが、彼等の”声”もまた罪深い。あっちこっちの番組で荒稼ぎしているが、何でもかんでも”もっともらしい”ことを美声でしゃべればいいというものでもないだろう。

しかし、”あの声”で説明されると、妙に真実味が増すから不思議である。