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2007/04/06のBlog
[ 19:14 ]
[ 社会 ]
製品データ持ち出しのデンソー技術者、処分保留で釈放
このニュース記事によれば、中国人産業スパイの楊魯川(41)が、処分保留のまま釈放されたという。当の犯罪者はすぐに中国へ出国。そして中国企業や中国政府から御褒美をもらって、今度はカナダへ出国するだろう。
いやはや、なんとも言いがたい話である。愛知県警はいったい何を考えているのやら。
我々一般の日本人が、「地下鉄駅で乗客の財布盗んだ容疑で、東京メトロ社員逮捕」のように人の財布を盗めば、即逮捕である。あるいは、電車内で痴漢行為の疑いをかけられたら長いこと勾留され、たいへんな裁判ざたになる。これは、周防監督の「それでもボクはやっていない」という映画の通りである。
ところが、国家機密や企業秘密という特別の重要情報を盗んだにも関わらず、それが簡単に証明できそうにないからという理由で”釈放”というのは、本末転倒国家の最たるものだろう。まさしく「中国人犯罪者天国」である。日本の警察のバカさかげんを”全世界に宣言している”ようなものである。
しばらく前に以下のものを書いていたが、日本はどうやら”本当に”「組織犯罪者天国」、「産業スパイ天国」と言えるのかも知れない。困ったことである。
中国人犯罪者に好まれる国:1位カナダ、2位日本?
[デンソー事件]:読売も社説出す
日本は”産業スパイ天国”?
しかし、これと同じこと(いやもっと犯罪的でない、ありふれたこと)をアメリカでやった日本人研究者に対するアメリカの応対と今回の日本の応対には雲泥の違いがあるが、この違いがどこから来ているかと言えば、「日本は”産業スパイ天国”? 」に書いたように、国内にFBIがあるかどうかの違いである。
日本にはもちろん諜報機関のCIAも連邦警察のFBIもないのだから、事件が起こった場所の地方警察が対処するしかない。この間隙を十分分かっていて中国人は狙ってきているのである。
要するに、日本の地方警察には、痴漢やら飲酒運転やらバカものの類いが起こすくだらない事件には不必要に大袈裟に対処できるが、産業スパイや悪徳高利貸しなどの「インテリ犯罪や高級犯罪を処理する能力がない」ということである。
テレビでやっている「科学捜査隊」のようなものが本当にあるのなら、そこで通信記録をモニターしたり、いろんなことをしてすぐに不正行為をチェックできるはずである。そう考えられるのだが、まあ、それはあくまで「テレビドラマ」のお話であり、現実にはまったくそんな力はないのかも知れない。
このニュース記事によれば、中国人産業スパイの楊魯川(41)が、処分保留のまま釈放されたという。当の犯罪者はすぐに中国へ出国。そして中国企業や中国政府から御褒美をもらって、今度はカナダへ出国するだろう。
いやはや、なんとも言いがたい話である。愛知県警はいったい何を考えているのやら。
我々一般の日本人が、「地下鉄駅で乗客の財布盗んだ容疑で、東京メトロ社員逮捕」のように人の財布を盗めば、即逮捕である。あるいは、電車内で痴漢行為の疑いをかけられたら長いこと勾留され、たいへんな裁判ざたになる。これは、周防監督の「それでもボクはやっていない」という映画の通りである。
ところが、国家機密や企業秘密という特別の重要情報を盗んだにも関わらず、それが簡単に証明できそうにないからという理由で”釈放”というのは、本末転倒国家の最たるものだろう。まさしく「中国人犯罪者天国」である。日本の警察のバカさかげんを”全世界に宣言している”ようなものである。
しばらく前に以下のものを書いていたが、日本はどうやら”本当に”「組織犯罪者天国」、「産業スパイ天国」と言えるのかも知れない。困ったことである。
中国人犯罪者に好まれる国:1位カナダ、2位日本?
[デンソー事件]:読売も社説出す
日本は”産業スパイ天国”?
しかし、これと同じこと(いやもっと犯罪的でない、ありふれたこと)をアメリカでやった日本人研究者に対するアメリカの応対と今回の日本の応対には雲泥の違いがあるが、この違いがどこから来ているかと言えば、「日本は”産業スパイ天国”? 」に書いたように、国内にFBIがあるかどうかの違いである。
日本にはもちろん諜報機関のCIAも連邦警察のFBIもないのだから、事件が起こった場所の地方警察が対処するしかない。この間隙を十分分かっていて中国人は狙ってきているのである。
要するに、日本の地方警察には、痴漢やら飲酒運転やらバカものの類いが起こすくだらない事件には不必要に大袈裟に対処できるが、産業スパイや悪徳高利貸しなどの「インテリ犯罪や高級犯罪を処理する能力がない」ということである。
テレビでやっている「科学捜査隊」のようなものが本当にあるのなら、そこで通信記録をモニターしたり、いろんなことをしてすぐに不正行為をチェックできるはずである。そう考えられるのだが、まあ、それはあくまで「テレビドラマ」のお話であり、現実にはまったくそんな力はないのかも知れない。
2007/04/05のBlog
[ 14:47 ]
[ 社会 ]
西武の多額窃盗で2人逮捕宝飾品など被害1億円相当
昨日、NHKBSの中国のニュース番組のディベートで実に面白い話をしていた。
◆香港フェニックスTV 時事弁論会「カナダは中国汚職官僚たちの“天国”か」
それは、中国人の汚職官僚たちがこぞってカナダに移住してしまい、カナダ政府は中国当局に犯罪者を返還しないのでどうしたものか、という議論だった。
その理由が実に面白い。
中国では、約150万元(=約10万円)以上の犯罪は即”死刑”。だから、汚職官僚は中国にいれば逮捕されたら即刻公開処刑されるのである。それゆえ、死刑のない国に逃亡するのだという。その一番都合の良い国がカナダであるというのである。
私がユタ大に留学した1986年には、当時たくさんの香港人が留学していた。それは、香港が1997年に中国返還されることになっていたからである(香港の歴史)。中でも、カナダは香港人の最大の人気場所であった。なぜならそのまま中国に返還されたら自分達ファミリーの財産が共産主義の中国に没収されてしまいかねない。そこで返還前に何とか家族を海外に移住させて財産を全部移してしまえ、という作戦に打って出たのである。
まず、家族の中で一番出来がよい若者をカナダやアメリカの大学に留学させる。そこで学位を取り、職を取らせる。うまく行けばアメリカ人やカナダ人と結婚させ、永住権や国籍を取得させる。こうして1人を送り込んでから、家族の呼び寄せ制度を通じて、後から続々と家族を永住させる。
これを1997年までに何が何でも行わなくてはならない。
これが、当時の香港人の夢や目標であった。
それが、あれから20年。
今やカナダは、中国人汚職官僚の天国と化したというのだから、驚きとともに面白いと感じる。
とまあ、ここまでがその番組でやっていたカナダのお話。ここから、私が考えること。日本のお話である。
中国人犯罪者にとって、10万円以上の犯罪は即死刑なのである。したがって、中国本土でちょっとした犯罪を行えば、中国人は死を覚悟しなくてはならない。捕まれば即死刑なのである。
では、もし10万円以上の犯罪を犯してしまったらどうするか。
高級犯罪者や汚職官僚のようにお金のある者は欧米に逃亡できる。カナダは犯罪者天国だ。まずはカナダを目指すはずである。
しかし、お金がない中国人はどこに行ったら良いのか。
そう、これこそ日本である。
日本には死刑もある。しかし、日本では殺人を犯してもせいぜい無期懲役。だいたいは25年以内に出所できる。ちょっとしたもっともらしい理由をつけられれば、殺人でも10年から5年程度に割り引かれる。何より、日本では死刑は有名無実であることが中国人には最大の喜びである。
なぜなら10万円の犯罪で死刑になる国から来たのである。たかが10年。それまでできる限り悪さをしておけば良いのである。殺人したって、せいぜい無期懲役だ。中国人犯罪者にとってはうれしくてうれしくてたまらないはずである。
どうやら、冒頭の事件のような中国人が日本へ来る理由がこれである。
とまあ、そういうことが私にはやっと理解できた、というわけである。
これをジョークすればこんな感じである。
【中国人犯罪者】
この世界には中国人犯罪者に好まれる国が2つある。
1番人気はカナダ。
それは、カナダには死刑がなく、中国では死刑確定の汚職官僚も死刑のないカナダでは自由気侭に先進国の人間として生活できるからである。
2番目が日本。
それは、日本では死刑はあるが、有名無実。凶悪殺人でもせいぜい無期懲役。たいがいの殺人でも数年の懲役にすぎないからである。
だが、カナダに行くには金がかかる。それゆえ、お金持ちのインテリ中国人犯罪者はカナダに行くが、お金のない貧乏中国人凶悪犯罪者だけが日本へ来る、という違いがある。
ちなみに、中国人犯罪者が一番行きたくない国はアメリカとイラクである。
なぜなら、アメリカは、敷地に不法侵入しただけで射殺。イラクはそこら中に地雷やら物騒な武装集団が自爆テロするからである。
昨日、NHKBSの中国のニュース番組のディベートで実に面白い話をしていた。
◆香港フェニックスTV 時事弁論会「カナダは中国汚職官僚たちの“天国”か」
それは、中国人の汚職官僚たちがこぞってカナダに移住してしまい、カナダ政府は中国当局に犯罪者を返還しないのでどうしたものか、という議論だった。
その理由が実に面白い。
中国では、約150万元(=約10万円)以上の犯罪は即”死刑”。だから、汚職官僚は中国にいれば逮捕されたら即刻公開処刑されるのである。それゆえ、死刑のない国に逃亡するのだという。その一番都合の良い国がカナダであるというのである。
私がユタ大に留学した1986年には、当時たくさんの香港人が留学していた。それは、香港が1997年に中国返還されることになっていたからである(香港の歴史)。中でも、カナダは香港人の最大の人気場所であった。なぜならそのまま中国に返還されたら自分達ファミリーの財産が共産主義の中国に没収されてしまいかねない。そこで返還前に何とか家族を海外に移住させて財産を全部移してしまえ、という作戦に打って出たのである。
まず、家族の中で一番出来がよい若者をカナダやアメリカの大学に留学させる。そこで学位を取り、職を取らせる。うまく行けばアメリカ人やカナダ人と結婚させ、永住権や国籍を取得させる。こうして1人を送り込んでから、家族の呼び寄せ制度を通じて、後から続々と家族を永住させる。
これを1997年までに何が何でも行わなくてはならない。
これが、当時の香港人の夢や目標であった。
それが、あれから20年。
今やカナダは、中国人汚職官僚の天国と化したというのだから、驚きとともに面白いと感じる。
とまあ、ここまでがその番組でやっていたカナダのお話。ここから、私が考えること。日本のお話である。
中国人犯罪者にとって、10万円以上の犯罪は即死刑なのである。したがって、中国本土でちょっとした犯罪を行えば、中国人は死を覚悟しなくてはならない。捕まれば即死刑なのである。
では、もし10万円以上の犯罪を犯してしまったらどうするか。
高級犯罪者や汚職官僚のようにお金のある者は欧米に逃亡できる。カナダは犯罪者天国だ。まずはカナダを目指すはずである。
しかし、お金がない中国人はどこに行ったら良いのか。
そう、これこそ日本である。
日本には死刑もある。しかし、日本では殺人を犯してもせいぜい無期懲役。だいたいは25年以内に出所できる。ちょっとしたもっともらしい理由をつけられれば、殺人でも10年から5年程度に割り引かれる。何より、日本では死刑は有名無実であることが中国人には最大の喜びである。
なぜなら10万円の犯罪で死刑になる国から来たのである。たかが10年。それまでできる限り悪さをしておけば良いのである。殺人したって、せいぜい無期懲役だ。中国人犯罪者にとってはうれしくてうれしくてたまらないはずである。
どうやら、冒頭の事件のような中国人が日本へ来る理由がこれである。
とまあ、そういうことが私にはやっと理解できた、というわけである。
これをジョークすればこんな感じである。
【中国人犯罪者】
この世界には中国人犯罪者に好まれる国が2つある。
1番人気はカナダ。
それは、カナダには死刑がなく、中国では死刑確定の汚職官僚も死刑のないカナダでは自由気侭に先進国の人間として生活できるからである。
2番目が日本。
それは、日本では死刑はあるが、有名無実。凶悪殺人でもせいぜい無期懲役。たいがいの殺人でも数年の懲役にすぎないからである。
だが、カナダに行くには金がかかる。それゆえ、お金持ちのインテリ中国人犯罪者はカナダに行くが、お金のない貧乏中国人凶悪犯罪者だけが日本へ来る、という違いがある。
ちなみに、中国人犯罪者が一番行きたくない国はアメリカとイラクである。
なぜなら、アメリカは、敷地に不法侵入しただけで射殺。イラクはそこら中に地雷やら物騒な武装集団が自爆テロするからである。
[ 09:50 ]
[ 大学・大学院 ]
読売新聞は結構”ランキング”好きである。以下は、最近掲載されたランキングニュースをまとめたものである。
(1)【科学論文世界ランキング】
日本人の科学論文、影薄い工学・環境分野
【日本の占有率】
1位 米国(61%)
2位 ドイツ(13%)
3位 英国(12%)
4位 日本(9%)
5位 フランス(7%)
6位 中国(3%)
【科学分野別】
物理学や化学、材料科学、動物・植物学>9%
0%< 工学、環境・生態学、宇宙科学 <9%
精神医学・心理学、社会科学、経済学=0%
【科学テーマ別】
超電導材料>60%
生体分子の機能解明、新材料開発=高占有率
(2)【研究機関世界ランキング】
世界研究機関ランキング、東大13位で国内トップ
学術文献情報の分析を行う米国の「トムソンサイエンティフィック」が10日、発表した。
東京大→物理学(世界2位)、
東北大→材料科学(世界2位)
【総合順位】
1位 東京大(世界13位)
2位 京都大(世界31位)
3位 大阪大(世界35位)
4位 東北大(世界72位)
5位 名古屋大(世界97位)
(3)【研究者世界ランキング】
最も注目された研究者、阪大の審良教授2年連続で首位
1位 審良(あきら)静男・阪大教授(免疫学)→2年連続でトップ(2か月間の引用回数は29回)
2位 マックス・テグマーク教授・MIT(宇宙科学分野)
----------------------
(あ)まず、科学論文の世界ランキングである。これをみれば明らかに「理高文低」傾向がある。
精神医学・心理学、社会科学、経済学などの人文科学分野はワールドクラスはゼロ。要するに、国内だけの「自家受粉」分野ということである。
一方、物理学や化学、材料科学、動物・植物学などの物理化学や生物科学部門は、ワールドクラスを維持し、かなり健闘している。
不思議なことに、この”人文科学、文系学問の衰退”と今現在の日本の社会風潮が見事にマッチしているように見えるのが興味深いところである。
というのは、精神科学(脳科学とは限らない)の未発達なところが、日本人の心の成長を疎外しているとも言えるし、また社会科学の未発達が、日本人の歴史認識の欠如や社会観の欠如に繋がり、拝金主義や物質主義の台頭を促したとも考えられるからである。
”携帯電話はどんどん発達するが、それを使う人々の心が荒んでいく”
という様と、物質科学は世界レベルだが人文科学はないに等しいという日本の科学や大学の学問の傾向がまったく一致しているように見えるからである。
こういう日本の社会状況も見事に研究ランキングにも反映しているということだろう。
(い)次に、大学の世界ランキングである。30位以内には東大が入るだけ。
もしこれが、オリンピックの出場の標準記録突破やワールドカップサッカー出場国数で言えば、だいたい25位-32位以内ということになる。要するに、京大以下は世界大会にすら出場する機会がないということである。ましてや東大の13位は、入賞圏外。箱根駅伝で言えば、”予選会落ち”のレベルということになる。
「大学の世界ランキング」というのは、”大学が公表する研究論文による評価”であり、いわゆる”大学の学生レベルや教育システムや施設環境による評価”である「大学ランキング」とは異なる。
「大学ランキング」では、東大は良くて60位以内。だいたい100位以内というレベルに過ぎないのである。甘く評価しても、だいたいアメリカの州立大学の平均レベルということになる。ちなみに、アメリカの州立大学や有名私立大学は200以内に入る。
(う)かといって、日本にもワールドクラスの研究者がいないかと言えば嘘になる。個人レベルで見れば、非常に優れた人々もいるのである。
ノーベル賞の野依良治博士、ノーベル田中博士、阪大の審良静男教授、元日亜化学の中村修二博士、飯島澄雄教授などなどたくさんいる。
ここが不思議なところで、日本の場合、頑張っている優秀な個人は結構たくさんいるにも関わらず、組織として見ると、非常に歩が悪くなるのである。
要するに、日本は「”孤軍奮闘”の社会」ということができる。”組織作りが非常に下手”なのである。
(え)日本人の組織作り下手は、英米人のアングロサクソンの組織作り上手振りとよく比較されることがあるが、科学研究や大学教育などの教育分野でもそれが如実に反映していると言えるのである。
これは国民性と言え、別に科学研究や大学に限った話ではない。野球やサッカーなどのスポーツでも同じことがまったく言えるからである。
組織作りに長けるためには、ある意味でそのメンバーが人間的に習熟する必要がある。ダメな人をうまくなだめて他に移ってもらい、良い人を残す。可能性のある人を元気づけ、間違ったことをしている人を厳しくたしなめる。要するに、適材適所、叱咤激励することができる管理職、あるいは人物が組織には必要だからである。
これが俗に言う「マネージメントの才能」というものであるが、どうも日本人にはこれができるものが育たない。この点はユダヤ人と非常に似ているところがあり、実に興味深いところである。
まあ、こんなわけで、日本の科学、あるいは日本の大学というのは、頑張っている個人はいるが、組織力は弱い、ということである。
この結論は、しばらく前まで日本で言われてきた
「日本人は個人はダメだが組織力、集団力で戦う」
というのは、もはや成り立たず、これは単なる「間違った神話」に過ぎないということがきちんと統計データに現れているということである。今や日本は、「個人は頑張るが組織力ゼロ」という、衆愚政治の世界へと変化してしまったのである。
(1)【科学論文世界ランキング】
日本人の科学論文、影薄い工学・環境分野
【日本の占有率】
1位 米国(61%)
2位 ドイツ(13%)
3位 英国(12%)
4位 日本(9%)
5位 フランス(7%)
6位 中国(3%)
【科学分野別】
物理学や化学、材料科学、動物・植物学>9%
0%< 工学、環境・生態学、宇宙科学 <9%
精神医学・心理学、社会科学、経済学=0%
【科学テーマ別】
超電導材料>60%
生体分子の機能解明、新材料開発=高占有率
(2)【研究機関世界ランキング】
世界研究機関ランキング、東大13位で国内トップ
学術文献情報の分析を行う米国の「トムソンサイエンティフィック」が10日、発表した。
東京大→物理学(世界2位)、
東北大→材料科学(世界2位)
【総合順位】
1位 東京大(世界13位)
2位 京都大(世界31位)
3位 大阪大(世界35位)
4位 東北大(世界72位)
5位 名古屋大(世界97位)
(3)【研究者世界ランキング】
最も注目された研究者、阪大の審良教授2年連続で首位
1位 審良(あきら)静男・阪大教授(免疫学)→2年連続でトップ(2か月間の引用回数は29回)
2位 マックス・テグマーク教授・MIT(宇宙科学分野)
----------------------
(あ)まず、科学論文の世界ランキングである。これをみれば明らかに「理高文低」傾向がある。
精神医学・心理学、社会科学、経済学などの人文科学分野はワールドクラスはゼロ。要するに、国内だけの「自家受粉」分野ということである。
一方、物理学や化学、材料科学、動物・植物学などの物理化学や生物科学部門は、ワールドクラスを維持し、かなり健闘している。
不思議なことに、この”人文科学、文系学問の衰退”と今現在の日本の社会風潮が見事にマッチしているように見えるのが興味深いところである。
というのは、精神科学(脳科学とは限らない)の未発達なところが、日本人の心の成長を疎外しているとも言えるし、また社会科学の未発達が、日本人の歴史認識の欠如や社会観の欠如に繋がり、拝金主義や物質主義の台頭を促したとも考えられるからである。
”携帯電話はどんどん発達するが、それを使う人々の心が荒んでいく”
という様と、物質科学は世界レベルだが人文科学はないに等しいという日本の科学や大学の学問の傾向がまったく一致しているように見えるからである。
こういう日本の社会状況も見事に研究ランキングにも反映しているということだろう。
(い)次に、大学の世界ランキングである。30位以内には東大が入るだけ。
もしこれが、オリンピックの出場の標準記録突破やワールドカップサッカー出場国数で言えば、だいたい25位-32位以内ということになる。要するに、京大以下は世界大会にすら出場する機会がないということである。ましてや東大の13位は、入賞圏外。箱根駅伝で言えば、”予選会落ち”のレベルということになる。
「大学の世界ランキング」というのは、”大学が公表する研究論文による評価”であり、いわゆる”大学の学生レベルや教育システムや施設環境による評価”である「大学ランキング」とは異なる。
「大学ランキング」では、東大は良くて60位以内。だいたい100位以内というレベルに過ぎないのである。甘く評価しても、だいたいアメリカの州立大学の平均レベルということになる。ちなみに、アメリカの州立大学や有名私立大学は200以内に入る。
(う)かといって、日本にもワールドクラスの研究者がいないかと言えば嘘になる。個人レベルで見れば、非常に優れた人々もいるのである。
ノーベル賞の野依良治博士、ノーベル田中博士、阪大の審良静男教授、元日亜化学の中村修二博士、飯島澄雄教授などなどたくさんいる。
ここが不思議なところで、日本の場合、頑張っている優秀な個人は結構たくさんいるにも関わらず、組織として見ると、非常に歩が悪くなるのである。
要するに、日本は「”孤軍奮闘”の社会」ということができる。”組織作りが非常に下手”なのである。
(え)日本人の組織作り下手は、英米人のアングロサクソンの組織作り上手振りとよく比較されることがあるが、科学研究や大学教育などの教育分野でもそれが如実に反映していると言えるのである。
これは国民性と言え、別に科学研究や大学に限った話ではない。野球やサッカーなどのスポーツでも同じことがまったく言えるからである。
組織作りに長けるためには、ある意味でそのメンバーが人間的に習熟する必要がある。ダメな人をうまくなだめて他に移ってもらい、良い人を残す。可能性のある人を元気づけ、間違ったことをしている人を厳しくたしなめる。要するに、適材適所、叱咤激励することができる管理職、あるいは人物が組織には必要だからである。
これが俗に言う「マネージメントの才能」というものであるが、どうも日本人にはこれができるものが育たない。この点はユダヤ人と非常に似ているところがあり、実に興味深いところである。
まあ、こんなわけで、日本の科学、あるいは日本の大学というのは、頑張っている個人はいるが、組織力は弱い、ということである。
この結論は、しばらく前まで日本で言われてきた
「日本人は個人はダメだが組織力、集団力で戦う」
というのは、もはや成り立たず、これは単なる「間違った神話」に過ぎないということがきちんと統計データに現れているということである。今や日本は、「個人は頑張るが組織力ゼロ」という、衆愚政治の世界へと変化してしまったのである。
2007/04/04のBlog
[ 19:33 ]
[ 社会 ]
「あるある」捏造、検証番組に批判電話345件
昨夜、関西テレビがフジテレビ系の全国ネットで放送した「発掘!あるある大事典2」のデータ捏造問題で、検証番組「私たちは何を間違えたのか 検証・発掘!あるある大事典」なるものをやっていた。
私もこれを見たが、「あるある、やっぱり検証番組も捏造」という観があった。
確かに長時間の検証番組だったが、出てきた人(つまり、司会者)は、これまで一度もテレビでお目にかかったことがない人で、「だれ?この人?」というような感じの司会者が検証番組を紹介していたからである。
おまけに、
「なぜ、出演した制作スタッフの顔を隠すのか、音声まで変える必要があるのか」
という疑問を持つほど、まるでいつもの事件番組の取り扱いそのままで、”モザイク”、”顔隠し”、”声を変える”などの方法が使われていた(こういうのは、個人情報保護の悪用である)。
そして、極め付けはAプロデューサーの
「私は100%視聴者をだましていました。ごめんなさい」
という場面だったが、まるで他人事。土下座でわびるシーンもなく、椅子に座って口先で淡々とそう言っていただけである。これでは、その人物を懲戒免職にしたというが、1、2年で実は現職に返り咲くというような取り引きもあるかもしれず、本当の所は視聴者には分からない。
関テレもフジテレビも放送権はく奪してこの業界から廃業させた方が良いのではないだろうか。
それほどひどい作りであった。
「どうせ咽もと過ぎれば熱さ忘れる」
式のことで2年もすればまた同じ状態に戻ることだろうヨ。
それにしても、大阪は悪の巣窟ですナ。阪大も悪い学者の巣窟となったが、関西テレビも吉本や悪の巣窟となった。「お前も悪よのう」というところですナ。
昨夜、関西テレビがフジテレビ系の全国ネットで放送した「発掘!あるある大事典2」のデータ捏造問題で、検証番組「私たちは何を間違えたのか 検証・発掘!あるある大事典」なるものをやっていた。
私もこれを見たが、「あるある、やっぱり検証番組も捏造」という観があった。
確かに長時間の検証番組だったが、出てきた人(つまり、司会者)は、これまで一度もテレビでお目にかかったことがない人で、「だれ?この人?」というような感じの司会者が検証番組を紹介していたからである。
おまけに、
「なぜ、出演した制作スタッフの顔を隠すのか、音声まで変える必要があるのか」
という疑問を持つほど、まるでいつもの事件番組の取り扱いそのままで、”モザイク”、”顔隠し”、”声を変える”などの方法が使われていた(こういうのは、個人情報保護の悪用である)。
そして、極め付けはAプロデューサーの
「私は100%視聴者をだましていました。ごめんなさい」
という場面だったが、まるで他人事。土下座でわびるシーンもなく、椅子に座って口先で淡々とそう言っていただけである。これでは、その人物を懲戒免職にしたというが、1、2年で実は現職に返り咲くというような取り引きもあるかもしれず、本当の所は視聴者には分からない。
関テレもフジテレビも放送権はく奪してこの業界から廃業させた方が良いのではないだろうか。
それほどひどい作りであった。
「どうせ咽もと過ぎれば熱さ忘れる」
式のことで2年もすればまた同じ状態に戻ることだろうヨ。
それにしても、大阪は悪の巣窟ですナ。阪大も悪い学者の巣窟となったが、関西テレビも吉本や悪の巣窟となった。「お前も悪よのう」というところですナ。
[ 10:12 ]
[ 政治・経済 ]
東大教授の講座に300万円タミフル販売の中外製薬
俗に「産官学協力」という言葉がある。「産官学協力」というのは、企業と政府官僚と大学教授がタッグを組み、何かの特定の問題に対して知恵を出し合って取り組もうというような意味のものである。
これの一番の成功例は、おそらくNHKの前身における高柳博士の「テレビ開発物語」、あるいは今の産業総合研究所、昔の電気試験所を設立した和田博士の「半導体開発物語」などだろうか。
それが、あれから50年。
最近では、「産官学協力」が意味するものは、こんなものとなった。
企業と政府官僚と大学教授が癒着して、官僚が許認可権を行使して企業に血液製剤やらインフルエンザ薬やらの製造許可や販売許可を与える。大学教授はその薬剤の有効性や安全性を一般人に宣伝・流布。企業は、その大学教授に研究費や裏金をやり、認可してくれた官僚の天下り先になってやる。
図示すればこんな感じだろう。
ーーー┌→官僚←┐
ーーー↓ーーーー↓
ーー企業←→大学教授
実に見事な”三角関係”である。「相思相愛」というのは、「A<=>B」のような2者関係であるが、上の場合は、「三思三愛」とでも呼ぶべきものだろう。
しかし、感心してばかりはいられない。
なぜなら、この「三思三愛」のおかげで、たくさんの”薬害”が起こってきたからである。「薬害エイズ」、「薬害肝炎」、「薬害ヤコブ病」、「薬害インフルエンザワクチン」などなど。そして今や「薬害タミフル」。
これらは、すべて同じ”やり方”で生じてきた問題である。
要するに、その時代その時代で欧米で脚光を浴びた”新薬”が出た時、その薬の販売元や製造元を官僚が許認可権で特定の企業に指定する。同時にその薬の「研究会」発足を大学教授に行わせ、名誉と学会での権威を与える。そのメリットを受けた企業はその官僚たちの天下り先となり、協力してくれた研究者や大学教授たちには研究費や便宜を計る。
もはや”古典的”とまでなった手口である。
時代劇「水戸黄門」の中で、悪代官と悪商人の古典的「相思相愛」振りが出くる。
「お前も悪よのう。ワッハッハ」
「お代官様も。へっへっへ」
というようなやり取りである。現代版は、これに大学教授や研究者が加わるのである。
「白い巨塔」では、大学教授の医師と民間の産婦人科医の関係である。
「あなたも悪ですな。ハッハッハ」
「御教授も。へっへっへ」
現代版は、これに官僚が加わるのである。つまり、「水戸黄門」と「白い巨塔」を合体させたようなものが、現代の古典的悪の「三思三愛」関係なのである。
「お前たちも悪よのう。ワッハッハ」
「あなた方も悪ですな。ハッハッハ」
「お役人様も御教授も。へっへっへ」
とまあ、こんな感じなんだろうナ。
若者はこんなのに染まらないようにすべきである。がしかし、私が学生の頃同じように当時の権威を批判して「ああはなりたくない」と言っていた連中も、あれから2-30年経つとやっぱりそうなってしまったから、やはり今の若者も20年経てば、やはり同じ問題を起こす大人へと変貌していくのだろう。
水戸黄門様の時代から日本人の基本型はまったく変わらないからである。このことからも、これは社会問題というよりは遺伝の問題なのだろうと私は感じる。
俗に「産官学協力」という言葉がある。「産官学協力」というのは、企業と政府官僚と大学教授がタッグを組み、何かの特定の問題に対して知恵を出し合って取り組もうというような意味のものである。
これの一番の成功例は、おそらくNHKの前身における高柳博士の「テレビ開発物語」、あるいは今の産業総合研究所、昔の電気試験所を設立した和田博士の「半導体開発物語」などだろうか。
それが、あれから50年。
最近では、「産官学協力」が意味するものは、こんなものとなった。
企業と政府官僚と大学教授が癒着して、官僚が許認可権を行使して企業に血液製剤やらインフルエンザ薬やらの製造許可や販売許可を与える。大学教授はその薬剤の有効性や安全性を一般人に宣伝・流布。企業は、その大学教授に研究費や裏金をやり、認可してくれた官僚の天下り先になってやる。
図示すればこんな感じだろう。
ーーー┌→官僚←┐
ーーー↓ーーーー↓
ーー企業←→大学教授
実に見事な”三角関係”である。「相思相愛」というのは、「A<=>B」のような2者関係であるが、上の場合は、「三思三愛」とでも呼ぶべきものだろう。
しかし、感心してばかりはいられない。
なぜなら、この「三思三愛」のおかげで、たくさんの”薬害”が起こってきたからである。「薬害エイズ」、「薬害肝炎」、「薬害ヤコブ病」、「薬害インフルエンザワクチン」などなど。そして今や「薬害タミフル」。
これらは、すべて同じ”やり方”で生じてきた問題である。
要するに、その時代その時代で欧米で脚光を浴びた”新薬”が出た時、その薬の販売元や製造元を官僚が許認可権で特定の企業に指定する。同時にその薬の「研究会」発足を大学教授に行わせ、名誉と学会での権威を与える。そのメリットを受けた企業はその官僚たちの天下り先となり、協力してくれた研究者や大学教授たちには研究費や便宜を計る。
もはや”古典的”とまでなった手口である。
時代劇「水戸黄門」の中で、悪代官と悪商人の古典的「相思相愛」振りが出くる。
「お前も悪よのう。ワッハッハ」
「お代官様も。へっへっへ」
というようなやり取りである。現代版は、これに大学教授や研究者が加わるのである。
「白い巨塔」では、大学教授の医師と民間の産婦人科医の関係である。
「あなたも悪ですな。ハッハッハ」
「御教授も。へっへっへ」
現代版は、これに官僚が加わるのである。つまり、「水戸黄門」と「白い巨塔」を合体させたようなものが、現代の古典的悪の「三思三愛」関係なのである。
「お前たちも悪よのう。ワッハッハ」
「あなた方も悪ですな。ハッハッハ」
「お役人様も御教授も。へっへっへ」
とまあ、こんな感じなんだろうナ。
若者はこんなのに染まらないようにすべきである。がしかし、私が学生の頃同じように当時の権威を批判して「ああはなりたくない」と言っていた連中も、あれから2-30年経つとやっぱりそうなってしまったから、やはり今の若者も20年経てば、やはり同じ問題を起こす大人へと変貌していくのだろう。
水戸黄門様の時代から日本人の基本型はまったく変わらないからである。このことからも、これは社会問題というよりは遺伝の問題なのだろうと私は感じる。
2007/04/03のBlog
[ 09:44 ]
[ 社会 ]
『2001年宇宙の旅』というのは、20世紀後半に作られた有名なSF映画だが、この2001年にアメリカで「disclosure project(暴露プロジェクト)」というものが始まった。
これは、アメリカ政府がこれまで持っていて”極秘(confidential)”とされた「未確認飛行物体(UFO)」に関する情報を一切合切公開しようという計画であった。
今朝の徳島新聞記事
「UFO資料をネットで公開仏国立宇宙研究センター」
によると、今度はフランス政府自らフランス政府がこれまで所蔵し隠してきたUFOに関する全情報をインターネットで公開するという。日付けは1日ならエイプリルフールのジョークの可能性もあるが、31日なのでどうやら本当らしい。以下のものである。
cnes-geipan
今後もっと充実させていく計画とか。
ところで、日本人に何かさせるのは、昔は”外圧”でさせれば良かったという。
例えば、鎖国していた江戸幕府にはアメリカのペリー提督の”外圧”で功を奏した。自衛隊のイラク派遣では、アメリカのアーミテージの”外圧”が効いた。しかし、最近ではその”外圧”の意味は、すこし違ってきているのかも知れない。良くあるジョークのように、日本人への新しい”外圧”というのは、「もう皆さんそうしておられますよ」と言えばいいというものらしい。
そんなわけで、アメリカ人もUFO情報公開、フランス人もUFO情報公開、そして今度はイギリスやイタリアやドイツや他の先進国政府も追随していくだろう。そうすると、一番最後に、
「もう皆さんそうしておられますよ」
ということになりそうである。
これをジョークにすればこんなものか。
【UFO情報公開】
21世紀になり世界中でUFO情報公開の気運が高まった。各国の政府首脳は、自国の官僚にこういってUFO情報を公開させるという。
イギリス人は、「今こそイギリス人の紳士の心意気をみせなさい」と言ってUFO情報を公開した。
アメリカ人は、「何があっても保険があるから大丈夫」と言ってUFO情報を公開した。
ドイツ人は、「これは政府の命令だ」と言ってUFO情報を公開した。
フランス人は、「アメリカ人には負けるな」と言ってUFO情報を公開した。
イタリア人は、「女にもてるぞ」と言ってUFO情報を公開した。
そして日本人は、「もうどこでも公開しているぞ」と言ってUFO情報を公開した。
これは、アメリカ政府がこれまで持っていて”極秘(confidential)”とされた「未確認飛行物体(UFO)」に関する情報を一切合切公開しようという計画であった。
今朝の徳島新聞記事
「UFO資料をネットで公開仏国立宇宙研究センター」
によると、今度はフランス政府自らフランス政府がこれまで所蔵し隠してきたUFOに関する全情報をインターネットで公開するという。日付けは1日ならエイプリルフールのジョークの可能性もあるが、31日なのでどうやら本当らしい。以下のものである。
cnes-geipan
今後もっと充実させていく計画とか。
ところで、日本人に何かさせるのは、昔は”外圧”でさせれば良かったという。
例えば、鎖国していた江戸幕府にはアメリカのペリー提督の”外圧”で功を奏した。自衛隊のイラク派遣では、アメリカのアーミテージの”外圧”が効いた。しかし、最近ではその”外圧”の意味は、すこし違ってきているのかも知れない。良くあるジョークのように、日本人への新しい”外圧”というのは、「もう皆さんそうしておられますよ」と言えばいいというものらしい。
そんなわけで、アメリカ人もUFO情報公開、フランス人もUFO情報公開、そして今度はイギリスやイタリアやドイツや他の先進国政府も追随していくだろう。そうすると、一番最後に、
「もう皆さんそうしておられますよ」
ということになりそうである。
これをジョークにすればこんなものか。
【UFO情報公開】
21世紀になり世界中でUFO情報公開の気運が高まった。各国の政府首脳は、自国の官僚にこういってUFO情報を公開させるという。
イギリス人は、「今こそイギリス人の紳士の心意気をみせなさい」と言ってUFO情報を公開した。
アメリカ人は、「何があっても保険があるから大丈夫」と言ってUFO情報を公開した。
ドイツ人は、「これは政府の命令だ」と言ってUFO情報を公開した。
フランス人は、「アメリカ人には負けるな」と言ってUFO情報を公開した。
イタリア人は、「女にもてるぞ」と言ってUFO情報を公開した。
そして日本人は、「もうどこでも公開しているぞ」と言ってUFO情報を公開した。
2007/04/02のBlog
[ 16:22 ]
[ 社会 ]
[匿名掲示板]「中傷“無法地帯”は放置できない」
今朝の読売新聞社説も遅ればせながら、「西村ひろゆきの2ch問題」を初めて正面きって取り上げたようである。
ここでもインターネット関連の話はいくつも取り上げてきた。だいたい以下のようなものである。
「死刑なら払う」西村博之は死刑にしないとダメ?
”ひろゆきニゲター!”
”ひろゆきキター!”
”ウィニー”
”2ちゃんねる”敗訴:オタク時代の終焉?
インターネットの大衆化とネット規制
「スパムメール」初摘発と性犯罪者逮捕
そろそろネットや携帯も免許制度にしたら?
”犯罪統計”の逆問題:犯人探しの術
"blog"時代に入って変わったことは?
まあこれらをじっくり読めば、だいたい何が問題か分かるだろう。しかし日本のマスコミものんびりしたもので、あまりこういう問題を真面目に取り上げてこなかった。
今朝の読売新聞社説も遅ればせながら、「西村ひろゆきの2ch問題」を初めて正面きって取り上げたようである。
ここでもインターネット関連の話はいくつも取り上げてきた。だいたい以下のようなものである。
「死刑なら払う」西村博之は死刑にしないとダメ?
”ひろゆきニゲター!”
”ひろゆきキター!”
”ウィニー”
”2ちゃんねる”敗訴:オタク時代の終焉?
インターネットの大衆化とネット規制
「スパムメール」初摘発と性犯罪者逮捕
そろそろネットや携帯も免許制度にしたら?
”犯罪統計”の逆問題:犯人探しの術
"blog"時代に入って変わったことは?
まあこれらをじっくり読めば、だいたい何が問題か分かるだろう。しかし日本のマスコミものんびりしたもので、あまりこういう問題を真面目に取り上げてこなかった。
実は「2ch問題」に代表されるものの何が一番問題かといえば、それは「こういう問題を起こしている背後に日本の大学関係者たちが多く関与している」という事実である。つまり、ちまたでは「いじめ問題」が「いじめ自殺」と絡んでいろいろ取り上げられたが、そもそもそういう「(弱いもの)いじめ」をして平気な連中に正真正銘の国立大学や有名私立大学の教育者や俗に言う「学識経験者」が含まれているのである。事実、「2ch」に書き込む大半は、学生や職員など大学関係者である。そしてそういう人物達が将来教職員として学校や大学職員として勤務することになるのである。だから非常に根が深い。
おそらく、日本の新聞記者は、このことをまったく御存じない。あるいは、知っていても無視している。
インターネットが日本国内でごく一般人にも普及しはじめたのは1996年からである。そして現在、だれでも使える状況になった。しかし、実際には、大手コンピュータ企業や理研などの最先端の国立研究所、そして国立大学などの国内のごく一部の機関では、1980年代後半にはすでにインターネットを使っていたのである。それも、”一般人抜き”で、「同じ企業の社員」間、「研究者の同業者」間、あるいは「大学の職員組合メンバー」間で使っていたのである。遅くとも、私が富士通に入った1991年には日米間でインターネットを使っていたのである。
これが、1996年以降一般のプロバイダーのアクセスポイントを通じて我々一般人も使用可能の世の中になったのである。だから、それ以前は、研究者など「ごくひとにぎりの」人々を除いてだれもアクセスすることができない「非公式のサークルクラブ」の様相を呈していた。
しかし、日本の当時の最先端のコンピュータ研究者や数理科学や数学研究者の間には、後に日本国内で流行る「e-mailによるメーリングシステム」、「BBS掲示板」、「blog」などのソースコードなどもアメリカから手に入れていた人物たちが日本国内の大学研究者たちに存在したのである。
そういった人々の内で”金もうけ”に興味があるものが、自分の知人や友人のビジネスマンにインターネット会社設立の技術支援を行ったのだろうと私は見ている。こうして、hotmail、Yahoo、楽天、まぐまぐ、amazon、はてな、2ch、livedoorなどのインターネットビジネスが立ち上がって行ったのである。
とまあ、私はだいたいこんなふうに理解している。もちろん、本当の詳細はマスコミが取材して調べるべきものだろうが、最初に特定の個人達が「楽天」や「まぐまぐ」などを立ち上げてできたばかりの頃を私も少しは知っている。それがこの10年で一気に大企業となったというわけである。当時は、私にもネットビジネスをしないかという地元プロバイダーの話もあったが、私は関心がなかったので、この世界から距離を取ってきたというわけである。
おそらく、日本の新聞記者は、このことをまったく御存じない。あるいは、知っていても無視している。
インターネットが日本国内でごく一般人にも普及しはじめたのは1996年からである。そして現在、だれでも使える状況になった。しかし、実際には、大手コンピュータ企業や理研などの最先端の国立研究所、そして国立大学などの国内のごく一部の機関では、1980年代後半にはすでにインターネットを使っていたのである。それも、”一般人抜き”で、「同じ企業の社員」間、「研究者の同業者」間、あるいは「大学の職員組合メンバー」間で使っていたのである。遅くとも、私が富士通に入った1991年には日米間でインターネットを使っていたのである。
これが、1996年以降一般のプロバイダーのアクセスポイントを通じて我々一般人も使用可能の世の中になったのである。だから、それ以前は、研究者など「ごくひとにぎりの」人々を除いてだれもアクセスすることができない「非公式のサークルクラブ」の様相を呈していた。
しかし、日本の当時の最先端のコンピュータ研究者や数理科学や数学研究者の間には、後に日本国内で流行る「e-mailによるメーリングシステム」、「BBS掲示板」、「blog」などのソースコードなどもアメリカから手に入れていた人物たちが日本国内の大学研究者たちに存在したのである。
そういった人々の内で”金もうけ”に興味があるものが、自分の知人や友人のビジネスマンにインターネット会社設立の技術支援を行ったのだろうと私は見ている。こうして、hotmail、Yahoo、楽天、まぐまぐ、amazon、はてな、2ch、livedoorなどのインターネットビジネスが立ち上がって行ったのである。
とまあ、私はだいたいこんなふうに理解している。もちろん、本当の詳細はマスコミが取材して調べるべきものだろうが、最初に特定の個人達が「楽天」や「まぐまぐ」などを立ち上げてできたばかりの頃を私も少しは知っている。それがこの10年で一気に大企業となったというわけである。当時は、私にもネットビジネスをしないかという地元プロバイダーの話もあったが、私は関心がなかったので、この世界から距離を取ってきたというわけである。
さて、その時の、つまり日本にインターネットが普及する前の日本の大学や研究者たちの「非公式”サークル的雰囲気”」が日本のネット界には今も存在するのだが、これがどういうわけか、その後の「2ch」の悪しき雰囲気を決定付けた、といえるのである。
「2ch」ができるずっと以前、すでに日本国内には大学の研究者が管理する「大学掲示板」がいくつも存在した。こういうのは、インターネット上には公開されていたが、利用者は大学職員だけで国民の大半はだれもインターネットにアクセスできる機会がなかったわけだから、その存在をまったく国民は知らなかったわけである。
それが、1996年以降、いきなり誰の目にも明かとなったわけである。つまり、一気に公開された状況になったのである。(この時期の一番良く知られてたものが東北大学の数学者黒木玄主催の「黒木のなんでも掲示板」というものであった。この「黒木の掲示板」で暗躍した”常連の”人々が現在「ニセ科学」批判を行って世の中に出てきた人々である。「科学と非科学」の取材班の毎日新聞の記者たちはこのことを御存じないようである。)
そういう大学掲示板というのは、大学教職員や職員組合の専用掲示板として(国民はだれも知らないという安心感の下で)”裏で”使用していたわけだから、独特の雰囲気があった。つまり、昔の組合員(今でもJR西日本の列車脱線事故で有名となった「日勤教育」のような組織)の”特有なやり取り”が存在したのである。
要するに、斜に構えて世の中を見て、「だれそれは阿呆だ」とか「だれそれは何も分かっていない」とか、お仲間の間の話だと安心しきって平気で組織以外の人々を”誹謗中傷”していたのである。こういうふうにして、大学教職員や学校関係者が、日頃の鬱憤をはらすために、インターネットを利用していたのである。
最初は大学の特定の掲示板管理者のもので行っていたが、だんだん「公私混同」のそしりを免れない状況となり、世の中がせちがらくなってきたために、民間の掲示板でその代わりをするようになったというわけである。その一番好都合だったものが、西村ひろゆきが作った「2ch」であった。
そういうわけで、その昔、大学組合が行ったような掲示板(つまり、大学や組織の管理職陣営に対する「誹謗中傷」のために使っていた掲示板)のような雰囲気がそのまま「2ch」などの巨大掲示板に飛び火、あるいは、お引っ越ししていったのである。こうして、今現在見るような「2ch」の”誹謗中傷”掲示板、いじめ掲示板、という様相を呈するようになったというわけである。まあ、簡単に言えば、「病んだ大学人の持っていた病気が社会に飛び火した」のである。
「2ch」ができるずっと以前、すでに日本国内には大学の研究者が管理する「大学掲示板」がいくつも存在した。こういうのは、インターネット上には公開されていたが、利用者は大学職員だけで国民の大半はだれもインターネットにアクセスできる機会がなかったわけだから、その存在をまったく国民は知らなかったわけである。
それが、1996年以降、いきなり誰の目にも明かとなったわけである。つまり、一気に公開された状況になったのである。(この時期の一番良く知られてたものが東北大学の数学者黒木玄主催の「黒木のなんでも掲示板」というものであった。この「黒木の掲示板」で暗躍した”常連の”人々が現在「ニセ科学」批判を行って世の中に出てきた人々である。「科学と非科学」の取材班の毎日新聞の記者たちはこのことを御存じないようである。)
そういう大学掲示板というのは、大学教職員や職員組合の専用掲示板として(国民はだれも知らないという安心感の下で)”裏で”使用していたわけだから、独特の雰囲気があった。つまり、昔の組合員(今でもJR西日本の列車脱線事故で有名となった「日勤教育」のような組織)の”特有なやり取り”が存在したのである。
要するに、斜に構えて世の中を見て、「だれそれは阿呆だ」とか「だれそれは何も分かっていない」とか、お仲間の間の話だと安心しきって平気で組織以外の人々を”誹謗中傷”していたのである。こういうふうにして、大学教職員や学校関係者が、日頃の鬱憤をはらすために、インターネットを利用していたのである。
最初は大学の特定の掲示板管理者のもので行っていたが、だんだん「公私混同」のそしりを免れない状況となり、世の中がせちがらくなってきたために、民間の掲示板でその代わりをするようになったというわけである。その一番好都合だったものが、西村ひろゆきが作った「2ch」であった。
そういうわけで、その昔、大学組合が行ったような掲示板(つまり、大学や組織の管理職陣営に対する「誹謗中傷」のために使っていた掲示板)のような雰囲気がそのまま「2ch」などの巨大掲示板に飛び火、あるいは、お引っ越ししていったのである。こうして、今現在見るような「2ch」の”誹謗中傷”掲示板、いじめ掲示板、という様相を呈するようになったというわけである。まあ、簡単に言えば、「病んだ大学人の持っていた病気が社会に飛び火した」のである。
現在でも、この雰囲気を残しているものは、
東北大学の黒木掲示板、
山形大学の天羽ブログ、
大阪大学の菊池ブログ、
などにある。(こういう活動が悪いというわけではないが、この人たちは、誰にも公開してやるべき理由がないということを理解していない。まあ、公私混同しているんですナ。)
私個人、その昔(10年程前)「黒木の掲示板」に「税金の無駄使いをするな」と批判したところ、その後、私個人への誹謗中傷がすぐに「2ch」へ飛び火した。現在でもたまにある。中には、私に”なりすまして”私の「税金の無駄使いをするな」をコピーしてあっちこっちに張り付けてあるくものまで現れる始末である。最近では、山形大の天羽ブログに「”ニセ科学”批判」にコメントをつけたらすぐに私への誹謗中傷が「2ch」に飛び火した。(だから、おそらくこの記事へもすぐさま「2ch」にだれかが誹謗中傷を書き込むはずである。つまり、大学関係者が「2ch」に入り浸っているのであるということを証明することとなるのである。)
「2ch」はだれも”掃除”できないから困るのである。公衆トイレの”落書き”のようなものであれば、だれが書こうがそれを係の人やだれかが消去できる。ペンキを塗ればいいのである。
しかし、「2ch」の場合は、確かに一見だれでも書き込めて公共のようであるが実はそうではない。あくまで西村ひろゆきの”個人の所有物”なのである。なぜなら、だれも”落書き”を消せないからである。書いた本人すら消すことができない。そういう非常に”奇妙なシステム”なのである。それゆえ、私が初期に削除依頼を出してもまったく考慮されなかった。ここが、公共性と私物とを混同した西村特有の「2枚舌」である。だれかが所有するビルの壁に別のだれかがだれかを誹謗中傷の落書きを書き、そのまま放置すれば、今度はビルの所有者も責任を持つというのは当然のことだろう。がしかし、そこをこの人物は理解しない。困った人物である。このことからも西村は”ダークサイド”に手を染めた人物であるということができるだろう。
その昔、「2ch」を立ち上げる時の資本家の主力メンバーの1人に元アスキー社長の西氏がいたというらしいが、その人が「2chは新手の総会屋と化してしまった」といって自分はそうそうに手を引いたという話を読んだことがある。
おそらくこれが一番本質を突いているのだろう。要するに、西村に金を出している人物たちにダークサイドの人物がたくさん存在して西村を隠れみのにしていると考えることができるのである。
さて、この最後の「ダークサイド」の問題として、以下の毎日の記事が面白い。
「クラッカー」求む 犯罪組織の採用活動
「組織的なサイバー犯罪集団が、大学やネット関連カンファレンス、SNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)などを通じて優秀な若者をスカウトしている」
この記事にもあるように、数学的才能、コンピュータ知識のある若者を犯罪組織は狙っているのである。
すでに多くの若者の男女が「振り込め詐欺」会社や「ホストクラブ」や「アダルト業界」にスカウトされたりして、ダークサイドにリクルートされているのはだれもが知っていることである。同様に、コンピュータ世界、インターネット業界でもダークサイドの会社がその触手を若者達へ伸ばしているらしい。
気をつけてもらいたいものである。
東北大学の黒木掲示板、
山形大学の天羽ブログ、
大阪大学の菊池ブログ、
などにある。(こういう活動が悪いというわけではないが、この人たちは、誰にも公開してやるべき理由がないということを理解していない。まあ、公私混同しているんですナ。)
私個人、その昔(10年程前)「黒木の掲示板」に「税金の無駄使いをするな」と批判したところ、その後、私個人への誹謗中傷がすぐに「2ch」へ飛び火した。現在でもたまにある。中には、私に”なりすまして”私の「税金の無駄使いをするな」をコピーしてあっちこっちに張り付けてあるくものまで現れる始末である。最近では、山形大の天羽ブログに「”ニセ科学”批判」にコメントをつけたらすぐに私への誹謗中傷が「2ch」に飛び火した。(だから、おそらくこの記事へもすぐさま「2ch」にだれかが誹謗中傷を書き込むはずである。つまり、大学関係者が「2ch」に入り浸っているのであるということを証明することとなるのである。)
「2ch」はだれも”掃除”できないから困るのである。公衆トイレの”落書き”のようなものであれば、だれが書こうがそれを係の人やだれかが消去できる。ペンキを塗ればいいのである。
しかし、「2ch」の場合は、確かに一見だれでも書き込めて公共のようであるが実はそうではない。あくまで西村ひろゆきの”個人の所有物”なのである。なぜなら、だれも”落書き”を消せないからである。書いた本人すら消すことができない。そういう非常に”奇妙なシステム”なのである。それゆえ、私が初期に削除依頼を出してもまったく考慮されなかった。ここが、公共性と私物とを混同した西村特有の「2枚舌」である。だれかが所有するビルの壁に別のだれかがだれかを誹謗中傷の落書きを書き、そのまま放置すれば、今度はビルの所有者も責任を持つというのは当然のことだろう。がしかし、そこをこの人物は理解しない。困った人物である。このことからも西村は”ダークサイド”に手を染めた人物であるということができるだろう。
その昔、「2ch」を立ち上げる時の資本家の主力メンバーの1人に元アスキー社長の西氏がいたというらしいが、その人が「2chは新手の総会屋と化してしまった」といって自分はそうそうに手を引いたという話を読んだことがある。
おそらくこれが一番本質を突いているのだろう。要するに、西村に金を出している人物たちにダークサイドの人物がたくさん存在して西村を隠れみのにしていると考えることができるのである。
さて、この最後の「ダークサイド」の問題として、以下の毎日の記事が面白い。
「クラッカー」求む 犯罪組織の採用活動
「組織的なサイバー犯罪集団が、大学やネット関連カンファレンス、SNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)などを通じて優秀な若者をスカウトしている」
この記事にもあるように、数学的才能、コンピュータ知識のある若者を犯罪組織は狙っているのである。
すでに多くの若者の男女が「振り込め詐欺」会社や「ホストクラブ」や「アダルト業界」にスカウトされたりして、ダークサイドにリクルートされているのはだれもが知っていることである。同様に、コンピュータ世界、インターネット業界でもダークサイドの会社がその触手を若者達へ伸ばしているらしい。
気をつけてもらいたいものである。
2007/04/01のBlog
[ 10:22 ]
[ ジョーク ]
当KiKidoblogブログの管理人のQuasimotoさんが死去。享年49歳。死因は定かではないが、永年の”主夫”生活によるストレスによる血中コルチゾール増加が原因と見られる心臓発作で死亡したと見られている。
氏の研究者としての業績は、1996年にフリーランスになって以来36通の論文。49歳までの生涯で”たった”の64本前後の論文しか公表しなかった。
しかしながら、氏の研究テーマは”奇想天外”に広く、日本の社会構造問題から生物学やフラー建築や性病や水泳やサッカーやボブスレーに至るまでさまざまであるという。初期の研究には、”1次元準周期格子の理論”という社会の何の役にも立たない”へんてこ理論”がある。比較的最近には、”DNAの電子論”、”分数統計の統計力学”、”分数微分”、”準超幾何関数論”、”タンパク質の折れ畳みモデル”、”スケールフリーネットワーク理論”、”スケールフリーブール動力学理論”、”姓名の分布理論”などがある。
氏の理論の特徴は”へんくつな”までに”へそまがり”なところであると言われている。例えば、「DNAの電子論」ではほとんどの研究者がすでに過去の遺物と捨てたヒュッケル理論に舞い戻る。DNAが基本的には半導体であることを見事に証明。分数統計理論では、創始者のハルデーン博士すら絶句する程の数学的理論に変え、「準超幾何関数」なるものを発明してしまった。タンパク質折れ畳みモデルでは、欧米の著名な研究者が採用した世界標準モデルとして知られている我が国の宝である”郷モデル”をあっさり否定。かのルービックキューブで著名なルービック博士が発案した「マジックスネーク」という2000円程度で買える安いおもちゃを折れ畳み問題に応用・分析した理論がある。1998年アメリカ物理学会100年祭でこれを発表。世界中の研究者の口を”あんぐり”させたとか。比較的最近では、世界のだれも厳密化など望まないネットワーク理論の分野で数学的に「厳密に解けるネットワークモデル」を提唱。数値計算主流の分野で解析理論を出してひんしゅくを買う。ごくごく最近ではネットワーク理論を「日本人の姓名分布」に応用し、”姓名の起源”の解明を目指す。そして、これから”姓名”の起源が分かれば”生命”の起源も分かると”だじゃれ”のような発想で行けると「生命とは何か」や「生命の起源」も解明できるのではないかとまじめに信じていたとか。これらのいずれも全く社会の何のお役にも立たないと言われている。
氏の著書には、「日本社会の構造問題」をきわめて”くそ真面目”に論じた本、「日韓ワールドカップサッカー」や「ソルトレイクオリンピック」を論じた物理お宅博士のスポーツ観戦記なる”ふざけた”本、「何が科学をつぶすのか」を論じた”意味不明”の本、「フラーとカウフマンの世界」やその哲学を”融合”したという”トンデモ”な本、亡き「柘植(博士)の”反秀才論”を読み解く」という”おせっかい”な本、などの数冊ある。これらのどの本も一度も店頭販売されたことがないという”おそまつな”代物であるという。おまけに「傘の発明」が2つ。いずれもまったく売れていない代物とか。また、生涯でたったの5年半程度のお勤め経験しかない。あとはほとんど学生で過ごしたといわれている。「やつが生涯に稼いだ金はたかが知れている」と言われる。ごく最近では、日本代表のボブスレーに乗り、次の冬期オリンピックで金メダルを取ることを目指していたという。
氏のブログは、昔のscientific BBSやクロノエッセイBBSを受け継ぎ、”玉石混交”の何でもありの話題が満載。楽しいジョークからブラックジョーク、首相や大臣批判から犯罪者捜査法に至までさまざま。ここ3年ほどですでに1128件の記事がある。うわさでは、日本にインターネットが飛び火した1996年以来あっちこっちに出没し、本にして総計1万ページを超えるエッセイを書いた”らしい”と言われている。
氏の特技はサッカーで、サッカージャグリング(=リフティングの英語名)の最高記録は4001回(2時間半)。野球はバッティングセンターでは最速140km台も打ったとか。サッカーコーチ歴1年半(A高専)。2005年全国高専大会ベスト8。水泳はお遊びレベルだが個人メドレーが好きだったとか。筋トレも趣味。テレビの女優を見ては「俺の方が胸がある」というのが口癖だったらしい。
氏のかつての知り合いたちはこういっているという。
幼稚園時代のA氏。『あいつにはいつも泣かされた。』
小学校時代のB氏。『あいつは遊んでばかりいた。』
中学時代のC氏。『あいつは足が早かったが、野球からサッカーに転向したのもあっという間で早かった。』
高校時代のD氏。『あいつまだ死んでいなかったのか?サッカー”だけ”はうまかった。』
R大学時代のE氏。『彼は自己中だった。ボールを持たせればいつもどこまでもドリブルし、シュートするまで誰にも渡さなかった。』
R大学時代の別のF氏。『サッカーはうまかったが実験は下手だった。』
O大学院時代の知人G氏。『彼は勉強ばかりしてちっとも研究しなかったな。でもソフトボールは上手でしたね。』
S社時代のH氏。『彼は足も早かったが、会社を辞めるのも早かった。』
U大時代のI氏。"He was always swimming in the pool."
U大時代の指導教官のS氏。"He loves physics very much."
F通時代のJ氏。『彼は出社は遅く退社が早かった。』
R研時代のK氏。『だれも彼の研究を知らなかった。』
R研時代の脳学者のL氏。『いつもコーヒーをただ飲みしていった。』
T大学時代の学生のM氏。『教えてもらった数学は理解できなかったけど、先生が数学が好きだということだけは分かった。』
A高専サッカー部時代のN君。『コーチはいつもサングラスにマスク姿だった。』
A高専サッカー部時代の女子マネージャーのOさん。『コーチはリフティングがうまかった。』
この人に生きた”価値”があるかどうかは全く不明だが、御冥福を祈ります。
氏の研究者としての業績は、1996年にフリーランスになって以来36通の論文。49歳までの生涯で”たった”の64本前後の論文しか公表しなかった。
しかしながら、氏の研究テーマは”奇想天外”に広く、日本の社会構造問題から生物学やフラー建築や性病や水泳やサッカーやボブスレーに至るまでさまざまであるという。初期の研究には、”1次元準周期格子の理論”という社会の何の役にも立たない”へんてこ理論”がある。比較的最近には、”DNAの電子論”、”分数統計の統計力学”、”分数微分”、”準超幾何関数論”、”タンパク質の折れ畳みモデル”、”スケールフリーネットワーク理論”、”スケールフリーブール動力学理論”、”姓名の分布理論”などがある。
氏の理論の特徴は”へんくつな”までに”へそまがり”なところであると言われている。例えば、「DNAの電子論」ではほとんどの研究者がすでに過去の遺物と捨てたヒュッケル理論に舞い戻る。DNAが基本的には半導体であることを見事に証明。分数統計理論では、創始者のハルデーン博士すら絶句する程の数学的理論に変え、「準超幾何関数」なるものを発明してしまった。タンパク質折れ畳みモデルでは、欧米の著名な研究者が採用した世界標準モデルとして知られている我が国の宝である”郷モデル”をあっさり否定。かのルービックキューブで著名なルービック博士が発案した「マジックスネーク」という2000円程度で買える安いおもちゃを折れ畳み問題に応用・分析した理論がある。1998年アメリカ物理学会100年祭でこれを発表。世界中の研究者の口を”あんぐり”させたとか。比較的最近では、世界のだれも厳密化など望まないネットワーク理論の分野で数学的に「厳密に解けるネットワークモデル」を提唱。数値計算主流の分野で解析理論を出してひんしゅくを買う。ごくごく最近ではネットワーク理論を「日本人の姓名分布」に応用し、”姓名の起源”の解明を目指す。そして、これから”姓名”の起源が分かれば”生命”の起源も分かると”だじゃれ”のような発想で行けると「生命とは何か」や「生命の起源」も解明できるのではないかとまじめに信じていたとか。これらのいずれも全く社会の何のお役にも立たないと言われている。
氏の著書には、「日本社会の構造問題」をきわめて”くそ真面目”に論じた本、「日韓ワールドカップサッカー」や「ソルトレイクオリンピック」を論じた物理お宅博士のスポーツ観戦記なる”ふざけた”本、「何が科学をつぶすのか」を論じた”意味不明”の本、「フラーとカウフマンの世界」やその哲学を”融合”したという”トンデモ”な本、亡き「柘植(博士)の”反秀才論”を読み解く」という”おせっかい”な本、などの数冊ある。これらのどの本も一度も店頭販売されたことがないという”おそまつな”代物であるという。おまけに「傘の発明」が2つ。いずれもまったく売れていない代物とか。また、生涯でたったの5年半程度のお勤め経験しかない。あとはほとんど学生で過ごしたといわれている。「やつが生涯に稼いだ金はたかが知れている」と言われる。ごく最近では、日本代表のボブスレーに乗り、次の冬期オリンピックで金メダルを取ることを目指していたという。
氏のブログは、昔のscientific BBSやクロノエッセイBBSを受け継ぎ、”玉石混交”の何でもありの話題が満載。楽しいジョークからブラックジョーク、首相や大臣批判から犯罪者捜査法に至までさまざま。ここ3年ほどですでに1128件の記事がある。うわさでは、日本にインターネットが飛び火した1996年以来あっちこっちに出没し、本にして総計1万ページを超えるエッセイを書いた”らしい”と言われている。
氏の特技はサッカーで、サッカージャグリング(=リフティングの英語名)の最高記録は4001回(2時間半)。野球はバッティングセンターでは最速140km台も打ったとか。サッカーコーチ歴1年半(A高専)。2005年全国高専大会ベスト8。水泳はお遊びレベルだが個人メドレーが好きだったとか。筋トレも趣味。テレビの女優を見ては「俺の方が胸がある」というのが口癖だったらしい。
氏のかつての知り合いたちはこういっているという。
幼稚園時代のA氏。『あいつにはいつも泣かされた。』
小学校時代のB氏。『あいつは遊んでばかりいた。』
中学時代のC氏。『あいつは足が早かったが、野球からサッカーに転向したのもあっという間で早かった。』
高校時代のD氏。『あいつまだ死んでいなかったのか?サッカー”だけ”はうまかった。』
R大学時代のE氏。『彼は自己中だった。ボールを持たせればいつもどこまでもドリブルし、シュートするまで誰にも渡さなかった。』
R大学時代の別のF氏。『サッカーはうまかったが実験は下手だった。』
O大学院時代の知人G氏。『彼は勉強ばかりしてちっとも研究しなかったな。でもソフトボールは上手でしたね。』
S社時代のH氏。『彼は足も早かったが、会社を辞めるのも早かった。』
U大時代のI氏。"He was always swimming in the pool."
U大時代の指導教官のS氏。"He loves physics very much."
F通時代のJ氏。『彼は出社は遅く退社が早かった。』
R研時代のK氏。『だれも彼の研究を知らなかった。』
R研時代の脳学者のL氏。『いつもコーヒーをただ飲みしていった。』
T大学時代の学生のM氏。『教えてもらった数学は理解できなかったけど、先生が数学が好きだということだけは分かった。』
A高専サッカー部時代のN君。『コーチはいつもサングラスにマスク姿だった。』
A高専サッカー部時代の女子マネージャーのOさん。『コーチはリフティングがうまかった。』
この人に生きた”価値”があるかどうかは全く不明だが、御冥福を祈ります。
2007/03/31のBlog
[ 13:48 ]
[ 政治・経済 ]
侵入者の射殺を合法とする州法を制定 米・テキサス州
いやー、これは凄い。さすがにブッシュのテキサス。
「自宅や職場を不法占拠された場合、侵入者を射殺できる」
という州法(まあ、日本の条例にあたる)を可決したというニュース。銃規制に反対するロビー団体、全米ライフル協会(NRA)も法制定を後押し。
テキサス州知事のペリーはいう。
「危害をもたらす切迫した行為から自らを守る権利は、州法で明確に規定されるべきものであるだけでなく、人間に本来備わっている」(自衛権の重要性)
これと比べれば、日本は全く逆。
毎日、女子供や老人や一人暮らしの人や外国人が殺されている。
これではまるで
「自宅や職場を不法占拠された場合、侵入者が家主を刺殺できる」
という憲法を持っている国であるかのような状況である。
毎日毎日、ATM強盗、金属ドロボー、金塊強盗、振り込め詐欺師、ピッキングドロボー、リフォーム詐欺、押し売り、などなど。毎日殺人者が跋扈する。
日本もそろそろ1人暮らしの老人も銃でも所持して応戦しなくてはならない時代となったかのようである。
”ブッシュ-小泉路線で世界は(悪い方へ)変わってしまった”
ということだろうヨ。
いやー、これは凄い。さすがにブッシュのテキサス。
「自宅や職場を不法占拠された場合、侵入者を射殺できる」
という州法(まあ、日本の条例にあたる)を可決したというニュース。銃規制に反対するロビー団体、全米ライフル協会(NRA)も法制定を後押し。
テキサス州知事のペリーはいう。
「危害をもたらす切迫した行為から自らを守る権利は、州法で明確に規定されるべきものであるだけでなく、人間に本来備わっている」(自衛権の重要性)
これと比べれば、日本は全く逆。
毎日、女子供や老人や一人暮らしの人や外国人が殺されている。
これではまるで
「自宅や職場を不法占拠された場合、侵入者が家主を刺殺できる」
という憲法を持っている国であるかのような状況である。
毎日毎日、ATM強盗、金属ドロボー、金塊強盗、振り込め詐欺師、ピッキングドロボー、リフォーム詐欺、押し売り、などなど。毎日殺人者が跋扈する。
日本もそろそろ1人暮らしの老人も銃でも所持して応戦しなくてはならない時代となったかのようである。
”ブッシュ-小泉路線で世界は(悪い方へ)変わってしまった”
ということだろうヨ。
[ 11:46 ]
[ ジョーク ]
ホトトギス
笑いは百薬之長。以下はジョーク。
戦国武将の「鳴かぬなら 。。。」という川柳は、それぞれの武将の性格をよく表すものとしてよく引き合いに出される。
では、現代人の場合はどうか?
コメディアンや科学者の場合をこんな感じだろうヨ。
【戦国武将】
鳴かぬなら 殺してしまえ ほととぎす(織田信長)
鳴かぬなら 鳴かせてみしょう ほととぎす(豊臣秀吉)
鳴かぬなら 鳴くまで待とう ほととぎす(徳川家康)
【コメディアン】
鳴かぬなら ファイナルアンサー? ほととぎす(みのもんた)
鳴かぬなら 笑っていいとも ほととぎす(タモリ)
鳴かぬなら 金のためだよ ほととぎす(所ジョージ)
鳴かぬなら ギャグと笑いだ ほととぎす(しんすけ)
鳴かぬなら 説教部屋だよ ほととぎす(明石屋さんま)
鳴かぬなら おれがコマネチ ほととぎす(北野たけし)
【科学者】
鳴かぬなら どこか悪いぞ ほととぎす(内科医)
鳴かぬなら のどを手術だ ほととぎす(外科医)
鳴かぬなら 遺伝子異常だ ほととぎす(生物学者)
鳴かぬなら 沈思黙考 ほととぎす(哲学者)
鳴かぬなら ロボット作るよ ほととぎす(工学者)
鳴かぬなら 数をかぞえろ ほととぎす(数学者)
鳴かぬなら 頭を叩け ほととぎす(実験物理学者)
鳴かぬなら 理論作るよ ほととぎす(理論物理学者)
笑いは百薬之長。以下はジョーク。
戦国武将の「鳴かぬなら 。。。」という川柳は、それぞれの武将の性格をよく表すものとしてよく引き合いに出される。
では、現代人の場合はどうか?
コメディアンや科学者の場合をこんな感じだろうヨ。
【戦国武将】
鳴かぬなら 殺してしまえ ほととぎす(織田信長)
鳴かぬなら 鳴かせてみしょう ほととぎす(豊臣秀吉)
鳴かぬなら 鳴くまで待とう ほととぎす(徳川家康)
【コメディアン】
鳴かぬなら ファイナルアンサー? ほととぎす(みのもんた)
鳴かぬなら 笑っていいとも ほととぎす(タモリ)
鳴かぬなら 金のためだよ ほととぎす(所ジョージ)
鳴かぬなら ギャグと笑いだ ほととぎす(しんすけ)
鳴かぬなら 説教部屋だよ ほととぎす(明石屋さんま)
鳴かぬなら おれがコマネチ ほととぎす(北野たけし)
【科学者】
鳴かぬなら どこか悪いぞ ほととぎす(内科医)
鳴かぬなら のどを手術だ ほととぎす(外科医)
鳴かぬなら 遺伝子異常だ ほととぎす(生物学者)
鳴かぬなら 沈思黙考 ほととぎす(哲学者)
鳴かぬなら ロボット作るよ ほととぎす(工学者)
鳴かぬなら 数をかぞえろ ほととぎす(数学者)
鳴かぬなら 頭を叩け ほととぎす(実験物理学者)
鳴かぬなら 理論作るよ ほととぎす(理論物理学者)
2007/03/30のBlog
[ 15:32 ]
[ 地震・災害 ]
海底逆断層が動いた可能性 能登地震で政府調査委が見解
”歴史的には、能登半島周辺では1600年以降、マグニチュード(M)7を超える地震は知られていないことも確認された。一方、M6級の地震はたびたび発生している。沈みこむ海のプレートに押され、列島にひずみがたまり、耐えきれなくなると弱いところで地震が起こるためだ。 ”
”歴史的には、能登半島周辺では1600年以降、マグニチュード(M)7を超える地震は知られていないことも確認された。一方、M6級の地震はたびたび発生している。沈みこむ海のプレートに押され、列島にひずみがたまり、耐えきれなくなると弱いところで地震が起こるためだ。 ”
その昔の日本に地震予知に命を燃やした人物がいた。今村明恒という人である。地震は地核変動や地核の歪みから起こり、それが海底で起こると津波が起こる、と考えた人である。
この人は、震災予防調査会のまとめた過去の地震の記録から「関東では周期的に大地震が起こるもの」と予想した最初の人物である。現在、大地震が周期的に起こるという発想の先駆けとなった人であるらしい。
この今村が1905年、かのアインシュタインが25歳で特殊相対性理論を出した年に「今後50年以内に関東に大地震が起こる」と予言した。つまり、「帝都東京に巨大地震が来る」と予言したのである。
ところが、当時の権威たち(特に大森房吉、世界初の地震計を作り、「大森の公式」を発案、「日本地震学の父」と呼ばれた人物)から「世情を動揺させる浮説として攻撃され、「ホラ吹きの今村」と中傷された」というのである。現在でいう「トンデモ」扱い、あるいは「ニセ科学」扱いされたのである。
しかし、1923年(大正12年)9月1日の午前11時58分44秒に本当に関東大震災が起こったのである。ちょうどその時、今村をほら吹き扱いした大森は汎太平洋学術会議に出席するためオーストラリアのシドニーにいた。留守の間に関東大震災が起こり、この帰国の船上で大森は脳腫瘍のために亡くなったというのである。
師である大森の死後、今村は大森の遺志を継いだ。1925年に但馬地震、1927年に北丹後地震が発生したために、次の大地震は南海地震と考えた。これを監視するために、1928年に南海地動研究所(現東京大学地震研究所和歌山地震観測所)を私費で設立したという。
しかしその甲斐もなく、今村の予想通り、1944年に東南海地震、1946年に南海地震が発生してしまったのである。
この「今村と大森の物語」は、現在の地震予知をめぐる状況を彷佛させるものがあり、今映画にしても面白いというような話である。
さて、安政の関東大地震(1855年)から約70年後に大正の関東大地震(1923年)が起こった。それから、すでに80年が過ぎた。これが意味するものは非常に恐ろしいものがある。
最初の能登地震の話に戻ると、大正の関東大地震の起こる前に、どこに地震が起きたのかが鍵なのかも知れないが、そういう情報は我々には手に入らない。しかし、物理学で言うところの「対称性」から言って、私には、今回の能登地震は”関東大震災の前触れ”というような感じがしてならない。
この人は、震災予防調査会のまとめた過去の地震の記録から「関東では周期的に大地震が起こるもの」と予想した最初の人物である。現在、大地震が周期的に起こるという発想の先駆けとなった人であるらしい。
この今村が1905年、かのアインシュタインが25歳で特殊相対性理論を出した年に「今後50年以内に関東に大地震が起こる」と予言した。つまり、「帝都東京に巨大地震が来る」と予言したのである。
ところが、当時の権威たち(特に大森房吉、世界初の地震計を作り、「大森の公式」を発案、「日本地震学の父」と呼ばれた人物)から「世情を動揺させる浮説として攻撃され、「ホラ吹きの今村」と中傷された」というのである。現在でいう「トンデモ」扱い、あるいは「ニセ科学」扱いされたのである。
しかし、1923年(大正12年)9月1日の午前11時58分44秒に本当に関東大震災が起こったのである。ちょうどその時、今村をほら吹き扱いした大森は汎太平洋学術会議に出席するためオーストラリアのシドニーにいた。留守の間に関東大震災が起こり、この帰国の船上で大森は脳腫瘍のために亡くなったというのである。
師である大森の死後、今村は大森の遺志を継いだ。1925年に但馬地震、1927年に北丹後地震が発生したために、次の大地震は南海地震と考えた。これを監視するために、1928年に南海地動研究所(現東京大学地震研究所和歌山地震観測所)を私費で設立したという。
しかしその甲斐もなく、今村の予想通り、1944年に東南海地震、1946年に南海地震が発生してしまったのである。
この「今村と大森の物語」は、現在の地震予知をめぐる状況を彷佛させるものがあり、今映画にしても面白いというような話である。
さて、安政の関東大地震(1855年)から約70年後に大正の関東大地震(1923年)が起こった。それから、すでに80年が過ぎた。これが意味するものは非常に恐ろしいものがある。
最初の能登地震の話に戻ると、大正の関東大地震の起こる前に、どこに地震が起きたのかが鍵なのかも知れないが、そういう情報は我々には手に入らない。しかし、物理学で言うところの「対称性」から言って、私には、今回の能登地震は”関東大震災の前触れ”というような感じがしてならない。
なぜなら、日本はアーチ型、あるいは弓型をしている。弓の中心軸には能登と東京が結ばれる。この軸の両側に地震が起こる時は、九州で地震が起こればその歪みを調節するために今度は北海道で起こる。北で起これば南で起こる。こんな感じの調節が可能である。しかし、今度軸の両端に地震が起こる時には、西で地震が起こればその歪みの調節は東で行うというのが対称性の原理からして自然である。
したがって、日本の中心軸の西に位置する能登で巨大地震が起これば、今度はその調節は関東に来るはずである。もちろん杞憂に終わることを願う。
とまあ、こんな直感を私は持つのだが、能登の地震を「対岸の火事」と思っていると、今度はこっちにもやってくるかも知れないのである。火事は陸地の上の話だが、地面はあっちもこっちも繋がっているからである。
参考までに、良く知られている巨大地震を以下に紹介しておこう。
それにしても、巨大地震は冬に多いように見えるナ。
1854年安政東海地震12月23日
1854年安政南海地震12月24日
1855年安政関東大震災11月11日
1894年明治東京地震6月20日
1905年明治芸予地震(広島愛媛)6月2日
1923年関東大震災9月1日
1925年北但馬(きたたじま)地震(兵庫県)5月23日
1927年北丹後(きたたんご)地震(京都府)
1933年昭和三陸沖地震3月3日
1944年東南海地震(静岡愛知三重)12月7日
1946年南海地震(和歌山徳島高知)12月21日
したがって、日本の中心軸の西に位置する能登で巨大地震が起これば、今度はその調節は関東に来るはずである。もちろん杞憂に終わることを願う。
とまあ、こんな直感を私は持つのだが、能登の地震を「対岸の火事」と思っていると、今度はこっちにもやってくるかも知れないのである。火事は陸地の上の話だが、地面はあっちもこっちも繋がっているからである。
参考までに、良く知られている巨大地震を以下に紹介しておこう。
それにしても、巨大地震は冬に多いように見えるナ。
1854年安政東海地震12月23日
1854年安政南海地震12月24日
1855年安政関東大震災11月11日
1894年明治東京地震6月20日
1905年明治芸予地震(広島愛媛)6月2日
1923年関東大震災9月1日
1925年北但馬(きたたじま)地震(兵庫県)5月23日
1927年北丹後(きたたんご)地震(京都府)
1933年昭和三陸沖地震3月3日
1944年東南海地震(静岡愛知三重)12月7日
1946年南海地震(和歌山徳島高知)12月21日
2007/03/29のBlog
[ 11:03 ]
[ 健康・医学 ]
このワクチンの方法(田平武博士(国立長寿医療センター研究所))とは、
(1)病原性がないウイルス(アデノ随伴ウイルスベクター)の殻にアミロイドというたんぱく質を作る遺伝子を入れる。
(2)それを口から飲む。
(3)腸の細胞がこの「偽ウイルス」に反応。
(4)リンパ球がアミロイドを攻撃する抗体を作る。
(5)この抗体が脳にたまったアミロイドにくっつき、ばらばらにして取り除く。
(1)病原性がないウイルス(アデノ随伴ウイルスベクター)の殻にアミロイドというたんぱく質を作る遺伝子を入れる。
(2)それを口から飲む。
(3)腸の細胞がこの「偽ウイルス」に反応。
(4)リンパ球がアミロイドを攻撃する抗体を作る。
(5)この抗体が脳にたまったアミロイドにくっつき、ばらばらにして取り除く。
効果の確認方法とは、
(1)月齢を重ねると必ずアルツハイマー病を発症するよう遺伝子を変化させたマウス28匹を使う。
(2)アルツハイマー病を発症するまで待つ。生後10カ月の時点で発症。
(3)その時点で、半数の14匹にはワクチンを飲ませ、残りの14匹には飲ませない。
3カ月後
(4)記憶力や学習能力など認知力を試す4種類のテストを行う。
ワクチンマウス→すべてで成績が発症前のレベルまで戻った。
ノーワクチンマウス→全テストで成績が落ち、認知力の大半を失っていた。
ざっと、こんな感じの研究らしい。
名古屋大の鍋島俊隆教授(医療薬学)はこう言っている。
「アミロイドはたまり始めているが症状はまだ出ていない、という段階で使えば予防効果も期待できる」
(1)月齢を重ねると必ずアルツハイマー病を発症するよう遺伝子を変化させたマウス28匹を使う。
(2)アルツハイマー病を発症するまで待つ。生後10カ月の時点で発症。
(3)その時点で、半数の14匹にはワクチンを飲ませ、残りの14匹には飲ませない。
3カ月後
(4)記憶力や学習能力など認知力を試す4種類のテストを行う。
ワクチンマウス→すべてで成績が発症前のレベルまで戻った。
ノーワクチンマウス→全テストで成績が落ち、認知力の大半を失っていた。
ざっと、こんな感じの研究らしい。
名古屋大の鍋島俊隆教授(医療薬学)はこう言っている。
「アミロイドはたまり始めているが症状はまだ出ていない、という段階で使えば予防効果も期待できる」
これが”真実”であれば、”驚くべき”ことである。というのは、
「人間の身体に本来備わっている免疫機構をうまく誘導して病気を退治する」
という非常に優れた考え方であるからである。
この手のアイデアで一番有名なものは、花粉症のための「減感差療法」というアレルギー根治療法がある。次のような方法である。
(1)身体に外から注射で抗原(アレルギーの原因物質)を非常に低い濃度でわざわざ入れる。皮膚下に蚊が刺したようにぷっくりふくれるように注射する。
(2)刺した部分の細胞がこの抗原に汚染される。
(3)すると免疫細胞が集まり、異物かどうか判別し免疫抗体反応を起こす。
(4)何度も低い濃度の抗原を入れることにより、免疫細胞が異物と判断しなくなる。
(5)すると、本当に花粉などの抗原にさらされても極端な免疫抗体反応が起こらず、アレルギー症状が治まる。
私はこれをこの2年続けて今年初めて花粉症を根治できた。これで、今年の大量花粉時期にもかかわらず、ノーマスク、ノーティッシュ、ノーメディシンで過ごせるようになった。何よりも咳き込みによる吐き気がなくなったのが実に爽快である。抗ヒスタミン剤による心臓疾患の危機もなくなったこと、眠気がなくなったことなども嬉しいことである。
「人間の身体に本来備わっている免疫機構をうまく誘導して病気を退治する」
という非常に優れた考え方であるからである。
この手のアイデアで一番有名なものは、花粉症のための「減感差療法」というアレルギー根治療法がある。次のような方法である。
(1)身体に外から注射で抗原(アレルギーの原因物質)を非常に低い濃度でわざわざ入れる。皮膚下に蚊が刺したようにぷっくりふくれるように注射する。
(2)刺した部分の細胞がこの抗原に汚染される。
(3)すると免疫細胞が集まり、異物かどうか判別し免疫抗体反応を起こす。
(4)何度も低い濃度の抗原を入れることにより、免疫細胞が異物と判断しなくなる。
(5)すると、本当に花粉などの抗原にさらされても極端な免疫抗体反応が起こらず、アレルギー症状が治まる。
私はこれをこの2年続けて今年初めて花粉症を根治できた。これで、今年の大量花粉時期にもかかわらず、ノーマスク、ノーティッシュ、ノーメディシンで過ごせるようになった。何よりも咳き込みによる吐き気がなくなったのが実に爽快である。抗ヒスタミン剤による心臓疾患の危機もなくなったこと、眠気がなくなったことなども嬉しいことである。
今回の実験の方法は、「減感差療法」で
”医者が抗原を皮膚に注射する”
という行為そのものを、
”ウィルスが抗原(=アミロイドというたんぱく質を作る遺伝子)を腸細胞に注射する”
というものである。
すなわち、「ウィルスにお医者さん代わりになっていただく」という優れたアイデアである。注射器の中に抗原の入ったワクチンを入れて身体に注射するように、ウィルス(=バクテリオファージウィルス)の頭の殻の中に必要な抗原遺伝子を入れて、ウィルスの注射器でミクロに注射させるという方法。あるいは、インフルエンザウィルスに感染するように、特定の細胞に感染するウィルス(アデノウィルスなど)を使うという方法だからである。
注射器の中身をいろいろ替えてさまざまなワクチン接種ができるように、ウィルスの殻の中の抗原遺伝子を替えてさまざまなワクチン接種が行えるはずである。
したがって、この方法は単に「アルツハイマー病ワクチン」ばかりか、
「パーキンソン病ワクチン」、
「ハンチントン舞踏病ワクチン」、
「抗原病ワクチン」、
「筋ジストロフィーワクチン」、
「りゅうまちワクチン」、
あるいは「ヤコブ病ワクチン」
などなど、身体に不必要な”異常タンパク質が蓄積して起こる病気”の数々への応用の道を開くものなのである。
真にノーベル賞に匹敵する方法であると言える。国立長寿医療センター研究所や名古屋大の研究者たちにはぜひ頑張ってもらいたいものである。また、他の大学の研究者たちも他の病気への応用を狙ってぜひ挑戦してもらいたいものである。
いつの日か、注射で痛い思いをしながらワクチンを接種すのではなく、水を飲むように透明の液体を飲めば自然にワクチン接種できる(「経口ワクチン」)という日が来るのかも知れない。
”医者が抗原を皮膚に注射する”
という行為そのものを、
”ウィルスが抗原(=アミロイドというたんぱく質を作る遺伝子)を腸細胞に注射する”
というものである。
すなわち、「ウィルスにお医者さん代わりになっていただく」という優れたアイデアである。注射器の中に抗原の入ったワクチンを入れて身体に注射するように、ウィルス(=バクテリオファージウィルス)の頭の殻の中に必要な抗原遺伝子を入れて、ウィルスの注射器でミクロに注射させるという方法。あるいは、インフルエンザウィルスに感染するように、特定の細胞に感染するウィルス(アデノウィルスなど)を使うという方法だからである。
注射器の中身をいろいろ替えてさまざまなワクチン接種ができるように、ウィルスの殻の中の抗原遺伝子を替えてさまざまなワクチン接種が行えるはずである。
したがって、この方法は単に「アルツハイマー病ワクチン」ばかりか、
「パーキンソン病ワクチン」、
「ハンチントン舞踏病ワクチン」、
「抗原病ワクチン」、
「筋ジストロフィーワクチン」、
「りゅうまちワクチン」、
あるいは「ヤコブ病ワクチン」
などなど、身体に不必要な”異常タンパク質が蓄積して起こる病気”の数々への応用の道を開くものなのである。
真にノーベル賞に匹敵する方法であると言える。国立長寿医療センター研究所や名古屋大の研究者たちにはぜひ頑張ってもらいたいものである。また、他の大学の研究者たちも他の病気への応用を狙ってぜひ挑戦してもらいたいものである。
いつの日か、注射で痛い思いをしながらワクチンを接種すのではなく、水を飲むように透明の液体を飲めば自然にワクチン接種できる(「経口ワクチン」)という日が来るのかも知れない。
2007/03/28のBlog
[ 10:56 ]
[ 社会 ]
米空母2隻、ペルシャ湾で演習 イランに軍事力を誇示
”米海軍の原子力空母「ステニス」を主力とする空母戦闘群”と”空母「アイゼンハワー」の戦闘群”が、ペルシャ湾で合流。2003年のイラク戦争の開戦時以来の”出来事”で、これから大演習が行われるという。
”米海軍の原子力空母「ステニス」を主力とする空母戦闘群”と”空母「アイゼンハワー」の戦闘群”が、ペルシャ湾で合流。2003年のイラク戦争の開戦時以来の”出来事”で、これから大演習が行われるという。
写真:空母アイゼンハワー
「演習はイランの領海から約19キロの水域で行われる。空母2隻とそれに伴う艦艇のほか、戦闘機100機以上が参加。潜水艦の探知や機雷除去などの演習に取り組む。ステニスは2月19日からアフガニスタンの対テロ戦の支援に参加していた。 」
「演習はイランの領海から約19キロの水域で行われる。空母2隻とそれに伴う艦艇のほか、戦闘機100機以上が参加。潜水艦の探知や機雷除去などの演習に取り組む。ステニスは2月19日からアフガニスタンの対テロ戦の支援に参加していた。 」
写真:原子力空母「ステニス」
一応現段階では、英兵15人を捕虜にしたイラン軍への”牽制”ということらしいが、おそらくそれを”餌”にして”イラン空爆への口実”としたいというのが米軍の狙いなのだろう。
空母ステニスの司令官はいう。
「(米軍の)強力な展開があれば、他人を脅かすのは慎重にした方がいい、という鮮明なメッセージになる」
一応現段階では、英兵15人を捕虜にしたイラン軍への”牽制”ということらしいが、おそらくそれを”餌”にして”イラン空爆への口実”としたいというのが米軍の狙いなのだろう。
空母ステニスの司令官はいう。
「(米軍の)強力な展開があれば、他人を脅かすのは慎重にした方がいい、という鮮明なメッセージになる」
いよいよ「イラン戦争」秒読み開始なのだろうか。5段階評価で言えば、レベル4の危険レベルにあるということだろう。
いずれにせよ、近々、イランvs英米の戦闘が行われ、大量のイラン人が殺傷される日を見るのが近いような気がする。
写真:こんな一般人の女の子や子供達がまた悲しい思いにかられる日が来ないことを望む。
参考:
Peace papers
ヤマさんの活動日誌
私の西遊記その2
PHOTOS 世界の風景写真#101 - 150
いずれにせよ、近々、イランvs英米の戦闘が行われ、大量のイラン人が殺傷される日を見るのが近いような気がする。
写真:こんな一般人の女の子や子供達がまた悲しい思いにかられる日が来ないことを望む。
参考:
Peace papers
ヤマさんの活動日誌
私の西遊記その2
PHOTOS 世界の風景写真#101 - 150
2007/03/27のBlog
[ 17:29 ]
[ 音楽・芸能 ]
編集長も間違った!週刊朝日と週刊現代の表紙がそっくり
によると、最新の「週間朝日」と「週間現代」は、表紙がかぶった、という。
両者ともに女優の井川遥さんの”肩があらわになったドレス”姿。
私はどちらかと言えば、紅白よりは、青や紫の方が好きなんだが。
によると、最新の「週間朝日」と「週間現代」は、表紙がかぶった、という。
両者ともに女優の井川遥さんの”肩があらわになったドレス”姿。
私はどちらかと言えば、紅白よりは、青や紫の方が好きなんだが。
[ 12:18 ]
[ 阿南市 ]
50万個のLEDで出来た「ミルキーウェイ」、「光マンダラドーム」、「緑の階段」、「光のステラ」、「光のシェルピンスキーガスケット」などを見た。
これらは、我が家の友人の大栗さんたちが発明して作ったものである(阿南市の「L・E・D」訪問 )。
これらは、我が家の友人の大栗さんたちが発明して作ったものである(阿南市の「L・E・D」訪問 )。
今回、光マンダラドームの内部には一般人は入れない方式のために、マンダラドームのコントロール施設がそっくりそのままドームの内部に設置されていた。我が家も中に入れてもらえたので、内部からの撮影も許可してもらえた。大栗さんに感謝。
中にはコントローラーがあった。
マンダラドームの表面は、360面体の半分の180面になっている。各面を一つのCPUで制御する。言ってみれば、その1つの面がパソコン1つのモニターとなっているようなもので、180個のパソコンを並列にインターネットで繋ぎ、それら全体を中央の本体パソコンでether net制御しているという発想らしい。したがって、本体は5つのブロックに分けられ、各ブロックには36個のCPUがセットになっている。
中にはコントローラーがあった。
マンダラドームの表面は、360面体の半分の180面になっている。各面を一つのCPUで制御する。言ってみれば、その1つの面がパソコン1つのモニターとなっているようなもので、180個のパソコンを並列にインターネットで繋ぎ、それら全体を中央の本体パソコンでether net制御しているという発想らしい。したがって、本体は5つのブロックに分けられ、各ブロックには36個のCPUがセットになっている。
2007/03/26のBlog
[ 18:28 ]
[ 訃報・追悼 ]
私は渡辺格さんとちょうど30年前に会ったことがある。
昭和52年(1977年)の夏、私は東京理科大学の2年生になって間もない頃の夏休みの7月19日から21日の3日間、できて間もない大学セミナーハウスで、
「第二回東京理科大学特別セミナー:科学と私」
が開催された。当時、理科大の理事長となっていた東大出身の理論生物物理学者の小谷正雄博士が、先生の”ご学友”や親友の大物科学者たちを一同に集めて、「各人の己の科学観について一席ぶつ」というイベントであった。
昭和52年(1977年)の夏、私は東京理科大学の2年生になって間もない頃の夏休みの7月19日から21日の3日間、できて間もない大学セミナーハウスで、
「第二回東京理科大学特別セミナー:科学と私」
が開催された。当時、理科大の理事長となっていた東大出身の理論生物物理学者の小谷正雄博士が、先生の”ご学友”や親友の大物科学者たちを一同に集めて、「各人の己の科学観について一席ぶつ」というイベントであった。
ご学友とは以下の人々であった。
*橋口隆吉(東大工学出身)「金属学」1976年日本学士院賞
*増山元三郎(東大理物出身)「統計学」1947年朝日文化賞。1951年デミング賞
*岡本剛(東大理化学出身)「腐食学」1944年技術院賞。1961年日本化学会賞。1967年東洋レーヨン科学技術賞。
朝永振一郎(京大理物出身)「理論物理学」1964年ノーベル物理学賞。
渡辺格(東大理化学出身)「分子生物学」1963年MIT教授。
桑原武夫(京大文学出身)「フランス文学」1973年朝日文化賞。
*小谷正雄(東大理物出身)「理論生物物理学」1974年藤原賞、1975年東洋レーヨン科学技術賞1977年文化功労者。
*は当時理科大教授。
もう30年も前の頃の話で、いったいどこでどういう順序で話を聞いたのかもほとんど覚えていないが、朝永振一郎先生の”すごみ”のある講演、渡辺格さんの”熱血”ぶり、桑原武夫博士の”博識”ぶり、小谷正雄学長の”紳士”ぶりに驚いたことを昨日のように覚えている。
*橋口隆吉(東大工学出身)「金属学」1976年日本学士院賞
*増山元三郎(東大理物出身)「統計学」1947年朝日文化賞。1951年デミング賞
*岡本剛(東大理化学出身)「腐食学」1944年技術院賞。1961年日本化学会賞。1967年東洋レーヨン科学技術賞。
朝永振一郎(京大理物出身)「理論物理学」1964年ノーベル物理学賞。
渡辺格(東大理化学出身)「分子生物学」1963年MIT教授。
桑原武夫(京大文学出身)「フランス文学」1973年朝日文化賞。
*小谷正雄(東大理物出身)「理論生物物理学」1974年藤原賞、1975年東洋レーヨン科学技術賞1977年文化功労者。
*は当時理科大教授。
もう30年も前の頃の話で、いったいどこでどういう順序で話を聞いたのかもほとんど覚えていないが、朝永振一郎先生の”すごみ”のある講演、渡辺格さんの”熱血”ぶり、桑原武夫博士の”博識”ぶり、小谷正雄学長の”紳士”ぶりに驚いたことを昨日のように覚えている。
今「科学と私」(東京理科大出版)という本を読むと、すべての方々の話が手に取るように分かるので、この「30年の長き」を思う。当時はまったくどれも理解できなかった。中には、「温故知新」で今こそ先生方の研究を受け継ぐべきだと思わされるものも多いことに本当に驚く。できるなら、こういう素晴らしい価値を持つ本は再版復刻されるべきである。セミナー参加者だけの”秘蔵書”にしておくのはあまりに”もったいない”からである。きっと理科大の”良い収入源”になるだろう。
プログラムに関しては今や記憶にないが、セミナーは、初日午後から順次行われ、その後の討論会はいくつかのセミナールームで平行して行われた。2日目の午前午後と夕食後に討論会。3日目の午前に朝永振一郎の「総合講演」があり、午後解散。確か、こんな感じではなかったかと思う。しかし、定かではない。
プログラムに関しては今や記憶にないが、セミナーは、初日午後から順次行われ、その後の討論会はいくつかのセミナールームで平行して行われた。2日目の午前午後と夕食後に討論会。3日目の午前に朝永振一郎の「総合講演」があり、午後解散。確か、こんな感じではなかったかと思う。しかし、定かではない。
私は、セミナーも討論会は渡辺格さんのものに参加した。そこで、「私は核酸を研究しているので”格さん”と呼ばれている」という”格さん”ジョークを初めて聞いたものである。しかし、今思えば、そうやって生物関連に参加したことからも、当時から”潜在的に”生物に興味を持っていたのかもしれない。それが現在「生命の起原」やDNA電子論やタンパク質などに関心を持つ理由なのかも知れない。
私の知る限りでは、このセミナーの講演者の諸先生方はすでにみんなお亡くなりになったのではないかと思う。この意味では、渡辺格博士が”最後の生き残り”だったのだろうと思う。そんなわけで、この機会に全員の方々の写真を紹介しておいた。
諸先生方の御冥福も祈りたい。
私の知る限りでは、このセミナーの講演者の諸先生方はすでにみんなお亡くなりになったのではないかと思う。この意味では、渡辺格博士が”最後の生き残り”だったのだろうと思う。そんなわけで、この機会に全員の方々の写真を紹介しておいた。
諸先生方の御冥福も祈りたい。
2007/03/24のBlog
[ 17:54 ]
[ ジョーク ]
笑いは百薬之長。以下はジョーク。信じないこと。笑い飛ばすのが肝心。
昨日紹介した和達さんの「最終講議」のジョークは非常に面白いところを突いている(必ずしも捕らえているというわけではないが)ので、ここでもう少し補足やコメントを加えてジョークにしておこう。
【研究生活のあり方】
研究生活のあり方について各国の研究者に聞いてみた。
すると、各国の研究者はこう答えるという。
アメリカ人とユダヤ人はこう答える。
「ベストは平凡な生活と平凡な研究。最悪は独創的な生活と独創的な研究だ。」
イギリス人とロシア人とドイツ人はこう答える。
「ベストは独創な生活と平凡な研究。最悪は平凡な生活と独創的な研究だ。」
フランス人とイタリア人はこう答える。
「ベストは平凡な生活と独創的な研究。最悪は独創的な生活と平凡な研究だ。」
日本人はこう答える。
「ベストは独創的な生活と独創的な研究。最悪は平凡な生活と平凡な研究だ。」
人はだれでも自分にないものを求めるものである。
【”基礎”の定義】
湯川秀樹の時代は、
「”基礎”というのは、まだわかっていないこと、まだ確立されていないことをやること」
を意味していた。それが、21世紀の現代では、
「”基礎”というのは、もう分かっていること、もう終わったことをやること」
を意味することとなった。
【Minorityの意味】
独創的で有名なユダヤ人学者はこう考える。
「研究は、はじめはMinorityの方がよい。しかしずっとMinorityではちょっとまずい」
流行に敏感なアメリカ人学者はこう考える。
「研究は、はじめからMajorityの方がよい。しかしずっとMajorityではちょっとまずい」
天才が多く出るロシア人学者はこう考える。
「研究は、はじめから終わりまでMinorityの方がよい」
欧米人学者に憧れる日本人学者はこう考える。
「研究は、はじめから終わりまでMajorityの方がよい」
【共著者の数】
研究論文を書く時、
イギリス人学者は、自分で考えるのでまず自分1人で書く。
アメリカ人学者は、先生と学生が対話して考えるので、2人で書く。
ドイツ人学者は、師弟関係があるので、教授、助教授、学生と3人で書く。
ロシア人学者は、だれも相手してくれないので1人で書く。
ユダヤ人学者は、ノーベル賞のことを考えるので3人まで。
日本人学者は、まともに何も知らないので教えてもらうためにだれでもかんでも共著者にして書く。
【ピーターの法則】
日本人の勝海舟はアメリカを見てこう言った。
「亜米利加は上に行くほど伶俐でござる」
アメリカ人のピーターは日本を見てこう言った。
「人は無能になるまで出世する」
【巨額の研究資金】
世の中には、noblesse obligeと清貧という2つの両極端の道がある。
前者は、自分が大金持ちになり貧乏人から施しをもらうものだが、
(自分が有名となり税金をもらうものだが)
後者は、自分が貧乏人になり大金持ちから施しをもらわないものである。
(自分が無名となり国からの補助を受けないものである)
【変貌するソクラテス】
かつて、30年前東大総長の大河内はこう言った。
「太ったブタより、やせたソクラテスになれ」
それが、国立大法人化後の現在の東大総長はこう言う。
「やせたソクラテスよりは太ったソクラテスになれ」
そして、30年後の東大では
「太ったソクラテスはメタボリック症候群で死んだ」
【積分公式】
「人生における成功や不成功をすべて積分した結果は、その経路によらない」
というのが、東大名物教授の「和達の積分公式」。
しかし、世界にはこんな公式もあるという。
「人生における成功や不成功をすべて積分した結果はその経路によらず、常にマイナス」
(「日本の積分公式」)
「人生における成功や不成功をすべて積分した結果はその経路によらず、常にハッピーエンドで終わる」
(「アメリカの積分公式」)
「人生における成功や不成功をすべて積分した結果はその経路によらず、常にシャンソンになる」
(「フランスの積分公式」)
「人生における成功や不成功をすべて積分した結果はその経路によらず、常に女の数に等しい」
(「イタリアの積分公式」)
「人生における成功や不成功をすべて積分した結果はその経路によらず、常に苦渋の連続性がある」
(「ロシアの積分公式」)
「人生における成功や不成功をすべて積分した結果はその経路によらず、常に従属する」
(「ドイツの積分公式」)
「人生における成功や不成功をすべて積分した結果はその経路によらず、常にゼロ」
(「インドの積分公式」)
「人生における成功や不成功をすべて積分した結果はその経路によらず、常に中国を通る」
(「中国の積分公式」)
「人生における成功や不成功をすべて積分した結果はその経路によらず、常に隣国を目ざす」
(「韓国の積分公式」)
「人生における成功や不成功をすべて積分した結果はその経路によらず、常に将軍様に捧げる」
(「北朝鮮の積分公式」)
【教育論】
30年前の東大教授の教育論
「上の10%と下の10%は教えなくても変わらないので、
真ん中の80%を上に上がれるようにするのが教育だ。」
10年前の東大教授の教育論
「上の10%と下の80%は教えなくても変わらないので、
真ん中の10%を上に上がれるようにするのが教育だ。」
現代の東大教授の教育論
「上の10%と下の90%は教えなくても変わらないので、
真ん中がないので上10%を下がらないようにするのが教育だ。」
【教育論2】
昔は、3回に1回しか授業をしない先生とか、毎回20分遅刻してきて、
15分前には終わる先生とかそんなのがざらにいたよ。それでも、
先生がそんなでも学生はみんなちゃんと学者になっていた。
それが今は、3回に1回しか授業を休まない先生とか、毎回20分早くきて、
15分もオーバーする先生とかそんなのがざらにいる。それでも、
先生がそんなでも学生はみんなちゃんとした学者になれない。
【昔はのんびりしていた】
研究所の所長をしていた朝永振一郎氏。
まだ本格的なコピー機などがなかった時代で、
月曜に手紙の原稿を書いて秘書に渡したら、
水曜ぐらいにタイプされたものが完成して、
次に研究所に来る金曜にそれを受け取って投函する。
それから2-3週間したら、返事の手紙が届く。
というようなことをふつうにやっていた。
それが今では、だれにも高速パソコンがありインターネットがある時代。
月曜にE-mailを見るとスパムメールの山。そのチェックを秘書に頼んだら、
水曜ぐらいにチェックされたものが完成して、
毎日研究所に来て金曜にチェックを終わり送信する。
それから30秒したら、返事の手紙が届く。
というようなことをふつうにやっている。
【昔はのんびりしていた2】
昔は、ボスが週に1回くらいしか研究所に来なくて、
「何かおもしろいことありますか?」
と聞いてくるので、
「こういうのがあります」
と言うと、
「そうかー、がんばってね」
と言って帰って行く。
ある意味で、理想的な上司に恵まれたので、自分の好き勝手にできた。
あれから30年。今では、
ボスが週に1回くらいしか研究所に来なくても、
「何かおもしろいことありますか?」
とEメールで聞いてくるので、
「こういうのがあります」
と返信すると、
「そうかー、がんばってね」
と10秒後には返事が帰ってくる。
ある意味で、理想的な部下に恵まれたので、自分の好き勝手にできた。
【カリフォルニアの空港で】
カリフォルニアの空港で、solitonというバッグとか服
を売ってるお店を見つけたので、おそるおそる店員さんに、
「私もこれと同じのを職業にしてるんです」
と話しかけたけど、まったく受けなかった。
それで、
「写真をとってもいいか」
と聞いたら、「いい」と言う返事だったので、記念撮影したのがこれ。
後でどうして受けなかったか聞くと
「日本の同業者かと思った」
と言う。そこですかさず
「many solitonを見つけたのが私です」
と言ったら、また受けなかった。
【ヤン博士】
ヤンさんからの手紙は2回もらったことがあって。
1回目はポスドクのポストに応募した返事で、
「残念ながら不採用です」
という残念な手紙で。
2回目は、送った論文が認められて、
「おめでとう」
という嬉しい手紙だった。
プレプリントというのが、有名な先生に論文を送って
認めてもらう、という時代の話。
ヤン・バクスター方程式で有名なヤンさん。
私はヤンさんとアトランタのアメリカ物理学会100年祭で1回だけ会ったことがある。
スターバックコーヒーの前の行列に並ぶと目の前にヤンさんがいた。そこで、
「僕はビル・サザーランドの学生でした」
というと
「今はどこにいるの?」
とヤンさん。
「四国の徳島にいます」
というと、
「日本には何度か行ったが、四国には行ったことがない。どの大学にいる?」
と聞くので
「フリーで研究している」
と答えると後は
「ビルは元気かい?」
とビルの話で終わってしまった。
対称性の破れでノーベル物理学賞を取ったヤンさん。
【なかなか質問が出ない】
和達教授が、最終講議の後質問が出なくていらいらしてこう言った。
「質疑応答のところでは、主催者側があらかじめ
2つ3つ質問を仕込んでおくものなんじゃないの?
そうしないと、なかなかいきなり質問しにくいよね。
それが、政府もやってる由緒正しいやり方なのに。」
それに対して司会者はこう答えた。
「ここにおられるのは先生のお弟子さんたちばかりですよ」
【超多忙】
ものすごい多忙でお時間もないと思うのですが、
「先生はいつ冗談を考えていらっしゃるんですか?」
と司会者。
「そんなの、そう簡単に教えるわけにはいかないよ」
と和達教授。それでも
「何かヒントだけでもお願いします」
と司会者が聞いた。すると和達教授はこう答えた。
「教科書を書きながら考えるんだよ」
「普通は講議ノートに冗談をメモしておいて授業でジョークに言うが、
私は授業でジョークを言ってからそれをノートにメモする」
昨日紹介した和達さんの「最終講議」のジョークは非常に面白いところを突いている(必ずしも捕らえているというわけではないが)ので、ここでもう少し補足やコメントを加えてジョークにしておこう。
【研究生活のあり方】
研究生活のあり方について各国の研究者に聞いてみた。
すると、各国の研究者はこう答えるという。
アメリカ人とユダヤ人はこう答える。
「ベストは平凡な生活と平凡な研究。最悪は独創的な生活と独創的な研究だ。」
イギリス人とロシア人とドイツ人はこう答える。
「ベストは独創な生活と平凡な研究。最悪は平凡な生活と独創的な研究だ。」
フランス人とイタリア人はこう答える。
「ベストは平凡な生活と独創的な研究。最悪は独創的な生活と平凡な研究だ。」
日本人はこう答える。
「ベストは独創的な生活と独創的な研究。最悪は平凡な生活と平凡な研究だ。」
人はだれでも自分にないものを求めるものである。
【”基礎”の定義】
湯川秀樹の時代は、
「”基礎”というのは、まだわかっていないこと、まだ確立されていないことをやること」
を意味していた。それが、21世紀の現代では、
「”基礎”というのは、もう分かっていること、もう終わったことをやること」
を意味することとなった。
【Minorityの意味】
独創的で有名なユダヤ人学者はこう考える。
「研究は、はじめはMinorityの方がよい。しかしずっとMinorityではちょっとまずい」
流行に敏感なアメリカ人学者はこう考える。
「研究は、はじめからMajorityの方がよい。しかしずっとMajorityではちょっとまずい」
天才が多く出るロシア人学者はこう考える。
「研究は、はじめから終わりまでMinorityの方がよい」
欧米人学者に憧れる日本人学者はこう考える。
「研究は、はじめから終わりまでMajorityの方がよい」
【共著者の数】
研究論文を書く時、
イギリス人学者は、自分で考えるのでまず自分1人で書く。
アメリカ人学者は、先生と学生が対話して考えるので、2人で書く。
ドイツ人学者は、師弟関係があるので、教授、助教授、学生と3人で書く。
ロシア人学者は、だれも相手してくれないので1人で書く。
ユダヤ人学者は、ノーベル賞のことを考えるので3人まで。
日本人学者は、まともに何も知らないので教えてもらうためにだれでもかんでも共著者にして書く。
【ピーターの法則】
日本人の勝海舟はアメリカを見てこう言った。
「亜米利加は上に行くほど伶俐でござる」
アメリカ人のピーターは日本を見てこう言った。
「人は無能になるまで出世する」
【巨額の研究資金】
世の中には、noblesse obligeと清貧という2つの両極端の道がある。
前者は、自分が大金持ちになり貧乏人から施しをもらうものだが、
(自分が有名となり税金をもらうものだが)
後者は、自分が貧乏人になり大金持ちから施しをもらわないものである。
(自分が無名となり国からの補助を受けないものである)
【変貌するソクラテス】
かつて、30年前東大総長の大河内はこう言った。
「太ったブタより、やせたソクラテスになれ」
それが、国立大法人化後の現在の東大総長はこう言う。
「やせたソクラテスよりは太ったソクラテスになれ」
そして、30年後の東大では
「太ったソクラテスはメタボリック症候群で死んだ」
【積分公式】
「人生における成功や不成功をすべて積分した結果は、その経路によらない」
というのが、東大名物教授の「和達の積分公式」。
しかし、世界にはこんな公式もあるという。
「人生における成功や不成功をすべて積分した結果はその経路によらず、常にマイナス」
(「日本の積分公式」)
「人生における成功や不成功をすべて積分した結果はその経路によらず、常にハッピーエンドで終わる」
(「アメリカの積分公式」)
「人生における成功や不成功をすべて積分した結果はその経路によらず、常にシャンソンになる」
(「フランスの積分公式」)
「人生における成功や不成功をすべて積分した結果はその経路によらず、常に女の数に等しい」
(「イタリアの積分公式」)
「人生における成功や不成功をすべて積分した結果はその経路によらず、常に苦渋の連続性がある」
(「ロシアの積分公式」)
「人生における成功や不成功をすべて積分した結果はその経路によらず、常に従属する」
(「ドイツの積分公式」)
「人生における成功や不成功をすべて積分した結果はその経路によらず、常にゼロ」
(「インドの積分公式」)
「人生における成功や不成功をすべて積分した結果はその経路によらず、常に中国を通る」
(「中国の積分公式」)
「人生における成功や不成功をすべて積分した結果はその経路によらず、常に隣国を目ざす」
(「韓国の積分公式」)
「人生における成功や不成功をすべて積分した結果はその経路によらず、常に将軍様に捧げる」
(「北朝鮮の積分公式」)
【教育論】
30年前の東大教授の教育論
「上の10%と下の10%は教えなくても変わらないので、
真ん中の80%を上に上がれるようにするのが教育だ。」
10年前の東大教授の教育論
「上の10%と下の80%は教えなくても変わらないので、
真ん中の10%を上に上がれるようにするのが教育だ。」
現代の東大教授の教育論
「上の10%と下の90%は教えなくても変わらないので、
真ん中がないので上10%を下がらないようにするのが教育だ。」
【教育論2】
昔は、3回に1回しか授業をしない先生とか、毎回20分遅刻してきて、
15分前には終わる先生とかそんなのがざらにいたよ。それでも、
先生がそんなでも学生はみんなちゃんと学者になっていた。
それが今は、3回に1回しか授業を休まない先生とか、毎回20分早くきて、
15分もオーバーする先生とかそんなのがざらにいる。それでも、
先生がそんなでも学生はみんなちゃんとした学者になれない。
【昔はのんびりしていた】
研究所の所長をしていた朝永振一郎氏。
まだ本格的なコピー機などがなかった時代で、
月曜に手紙の原稿を書いて秘書に渡したら、
水曜ぐらいにタイプされたものが完成して、
次に研究所に来る金曜にそれを受け取って投函する。
それから2-3週間したら、返事の手紙が届く。
というようなことをふつうにやっていた。
それが今では、だれにも高速パソコンがありインターネットがある時代。
月曜にE-mailを見るとスパムメールの山。そのチェックを秘書に頼んだら、
水曜ぐらいにチェックされたものが完成して、
毎日研究所に来て金曜にチェックを終わり送信する。
それから30秒したら、返事の手紙が届く。
というようなことをふつうにやっている。
【昔はのんびりしていた2】
昔は、ボスが週に1回くらいしか研究所に来なくて、
「何かおもしろいことありますか?」
と聞いてくるので、
「こういうのがあります」
と言うと、
「そうかー、がんばってね」
と言って帰って行く。
ある意味で、理想的な上司に恵まれたので、自分の好き勝手にできた。
あれから30年。今では、
ボスが週に1回くらいしか研究所に来なくても、
「何かおもしろいことありますか?」
とEメールで聞いてくるので、
「こういうのがあります」
と返信すると、
「そうかー、がんばってね」
と10秒後には返事が帰ってくる。
ある意味で、理想的な部下に恵まれたので、自分の好き勝手にできた。
【カリフォルニアの空港で】
カリフォルニアの空港で、solitonというバッグとか服
を売ってるお店を見つけたので、おそるおそる店員さんに、
「私もこれと同じのを職業にしてるんです」
と話しかけたけど、まったく受けなかった。
それで、
「写真をとってもいいか」
と聞いたら、「いい」と言う返事だったので、記念撮影したのがこれ。
後でどうして受けなかったか聞くと
「日本の同業者かと思った」
と言う。そこですかさず
「many solitonを見つけたのが私です」
と言ったら、また受けなかった。
【ヤン博士】
ヤンさんからの手紙は2回もらったことがあって。
1回目はポスドクのポストに応募した返事で、
「残念ながら不採用です」
という残念な手紙で。
2回目は、送った論文が認められて、
「おめでとう」
という嬉しい手紙だった。
プレプリントというのが、有名な先生に論文を送って
認めてもらう、という時代の話。
ヤン・バクスター方程式で有名なヤンさん。
私はヤンさんとアトランタのアメリカ物理学会100年祭で1回だけ会ったことがある。
スターバックコーヒーの前の行列に並ぶと目の前にヤンさんがいた。そこで、
「僕はビル・サザーランドの学生でした」
というと
「今はどこにいるの?」
とヤンさん。
「四国の徳島にいます」
というと、
「日本には何度か行ったが、四国には行ったことがない。どの大学にいる?」
と聞くので
「フリーで研究している」
と答えると後は
「ビルは元気かい?」
とビルの話で終わってしまった。
対称性の破れでノーベル物理学賞を取ったヤンさん。
【なかなか質問が出ない】
和達教授が、最終講議の後質問が出なくていらいらしてこう言った。
「質疑応答のところでは、主催者側があらかじめ
2つ3つ質問を仕込んでおくものなんじゃないの?
そうしないと、なかなかいきなり質問しにくいよね。
それが、政府もやってる由緒正しいやり方なのに。」
それに対して司会者はこう答えた。
「ここにおられるのは先生のお弟子さんたちばかりですよ」
【超多忙】
ものすごい多忙でお時間もないと思うのですが、
「先生はいつ冗談を考えていらっしゃるんですか?」
と司会者。
「そんなの、そう簡単に教えるわけにはいかないよ」
と和達教授。それでも
「何かヒントだけでもお願いします」
と司会者が聞いた。すると和達教授はこう答えた。
「教科書を書きながら考えるんだよ」
「普通は講議ノートに冗談をメモしておいて授業でジョークに言うが、
私は授業でジョークを言ってからそれをノートにメモする」
2007/03/23のBlog
[ 17:23 ]
[ 大学・大学院 ]
今日、偶然、東大理学部物理の看板教授、和達三樹博士(Wadati Group)の最終講議なるものを見つけた。これは非常に面白いのでここに紹介しておこう。
(参考:”物理学研究者”和達三樹さんの体験談を聞こう!、和達 三樹)
私は、1982年だったか、まだ阪大の大学院生だった頃、長野で行われた「物性若手夏の学校」でお目にかかったのが最初。1990年にユタ大を卒業し帰国。妻と東大本郷を散歩している内に私の恩師であったビル・サザーランド博士の知人と聞いていたので、論文もらいに遊びに行ったのが2度目。その時、富士通と東芝の職があると紹介してもらったのである。その後富士通に入ることができたので、和達さんは私にとっての”恩人”の系譜に入る。
その和達さんも今年で退官ということなのだろうか。「最終講議」が行われたという。この様子をメモしたのが下のブログであるらしい。
Open-Ended
この中に和達さんの”ユニークさ”を象徴するものがいくつかあるので、勝手に引用させて(メモさせて)もらおう。
(あ)研究生活のあり方について。
「独創的な生活と平凡な研究」
よりは
「独創的な研究と平凡な生活」がいい。
2通りずつなので、全部で4通りの組み合わせがあるが、特に上の組み合わせはよくない。
(い)”基礎”というのは、まだわかっていないこと、
まだ確立されていないことをやることを意味する。(湯川秀樹)
(う)研究は、はじめはMinorityの方がよい(ずっとMinorityではちょっとまずい)
自分の研究成果は、今はまだ認められていないが、
100年後は必ず認められて主流になっているはずだ。
というようなことを言う人がいますが、
100年後にはあなたもいないし私もいないし、
そんなこと私に言われても困ります。
自分が生きているうちに主流になれるに越したことはない。
(え)よい情報は、信頼した人間関係から
いろんな分野の人をどんどん共著者に入れてあげて、いろいろ教えてもらうといい。
共著者の数を増やして困るのは、ノーベル賞をもらうときぐらい。
そのときは、3人まででないともめるかもしれない。
数学の人と共著で書くときは、
アルファベット順に並べられてしまうことが多いので気をつける。
そうしないと、いつまでたってもファーストオーサーになれないことがある。
数学の人であっても、それが中国の人などだと、
イニシャルがXもYもZの人もいるので困らない。
(お)人は無能になるまで出世する(ピーターの法則)
そうならないように。
(か)巨額の研究資金うんぬんという文脈において。
清貧 noblesse oblige
社会の底辺で光を浴びずに生きる学者の生き方もある。
(き)かつて、
「太ったブタより、やせたソクラテスになれ」(大河内総長)
と言われたけれど、
(国立大法人化後は)
「やせたソクラテスよりは太ったソクラテスに」
(メタボリック症候群とか?)
(く)人生における成功や不成功をすべて積分した結果は、その経路によらない。
(和達の積分公式)
(け)教育論。
上の10%と下の10%は教えなくても変わらないので、
真ん中の80%を上に上がれるようにするのが教育だ。
昔は、3回に1回しか授業をしない先生とか、
毎回20分遅刻してきて、15分前には終わる先生とか
そんなのがざらにいたよ。それでも、
先生がそんなでも学生はみんなちゃんと学者になってるんだから。
(こ)昔はのんびりしていた。
研究所の所長をしていた朝永振一郎氏。
まだ本格的なコピー機などがなかった時代で、
月曜に手紙の原稿を書いて秘書に渡したら、
水曜ぐらいにタイプされたものが完成して、
次に研究所に来る金曜にそれを受け取って投函する。
それから2-3週間したら、返事の手紙が届く。
というようなことをふつうにやっていた。
今は、E-mailは瞬時に世界中に届くし、
30秒あれば返信が書けるなんて言う人もいる。
(さ)ボスが週に1回くらいしか研究所に来なくて、
なにかおもしろいことありますか?と聞いてくるので、
こういうのがあります、と言うと、そうかー、
がんばってね。と言って帰って行く。
あるい意味で、理想的な上司に恵まれたので、
自分の好き勝手にできた。
(し)カリフォルニアの空港で、solitonというバッグとか服
を売ってるお店を見つけたので、おそるおそる店員さんに、
私もこれと同じのを職業にしてるんです、
と話しかけたけど、まったく受けなかった。
それで、写真をとってもいいかと聞いたら、
いいと言う返事だったので、記念撮影したのがこれです。
(す)ヤンさんからの手紙は2回もらったことがあって。
1回目はポスドクのポストに応募した返事で、
残念ながら不採用です、という残念な手紙で。
2回目は、送った論文が認められて、おめでとう
という嬉しい手紙だった。
プレプリントというのが、有名な先生に論文を送って
認めてもらう、という時代の話。
ヤン・バクスター方程式で有名なヤンさん。
(せ)なかなか質問が出なくて。
質疑応答のところでは、主催者側があらかじめ
2つ3つ質問を仕込んでおくものなんじゃないの?
そうしないと、なかなかいきなり質問しにくいよね。
それが、政府もやってる由緒正しいやり方なのに。
(そ)一番気に入っている研究は?
気障な答えだと、
The Next One. (チャップリン)
でも、若い頃にやった研究が好き。
(た)ものすごい多忙でお時間もないと思うのですが、
先生はいつ冗談を考えていらっしゃるんですか?
そんなの、そう簡単に教えるわけにはいかないよ。
------------------------
ところで、「社会の底辺で光を浴びずに生きる学者の生き方もある。」って、どうみても私のことですナ。和達さん。
学者の定義からして、「学者の生き方>社会の底辺」が普通。「学者の生き方=社会の底辺」の物理学者では他にいないからネ。
まあ、そういうことだが、自分にできないことは人に勧めるのはできない相談ですナ。
(参考:”物理学研究者”和達三樹さんの体験談を聞こう!、和達 三樹)
私は、1982年だったか、まだ阪大の大学院生だった頃、長野で行われた「物性若手夏の学校」でお目にかかったのが最初。1990年にユタ大を卒業し帰国。妻と東大本郷を散歩している内に私の恩師であったビル・サザーランド博士の知人と聞いていたので、論文もらいに遊びに行ったのが2度目。その時、富士通と東芝の職があると紹介してもらったのである。その後富士通に入ることができたので、和達さんは私にとっての”恩人”の系譜に入る。
その和達さんも今年で退官ということなのだろうか。「最終講議」が行われたという。この様子をメモしたのが下のブログであるらしい。
Open-Ended
この中に和達さんの”ユニークさ”を象徴するものがいくつかあるので、勝手に引用させて(メモさせて)もらおう。
(あ)研究生活のあり方について。
「独創的な生活と平凡な研究」
よりは
「独創的な研究と平凡な生活」がいい。
2通りずつなので、全部で4通りの組み合わせがあるが、特に上の組み合わせはよくない。
(い)”基礎”というのは、まだわかっていないこと、
まだ確立されていないことをやることを意味する。(湯川秀樹)
(う)研究は、はじめはMinorityの方がよい(ずっとMinorityではちょっとまずい)
自分の研究成果は、今はまだ認められていないが、
100年後は必ず認められて主流になっているはずだ。
というようなことを言う人がいますが、
100年後にはあなたもいないし私もいないし、
そんなこと私に言われても困ります。
自分が生きているうちに主流になれるに越したことはない。
(え)よい情報は、信頼した人間関係から
いろんな分野の人をどんどん共著者に入れてあげて、いろいろ教えてもらうといい。
共著者の数を増やして困るのは、ノーベル賞をもらうときぐらい。
そのときは、3人まででないともめるかもしれない。
数学の人と共著で書くときは、
アルファベット順に並べられてしまうことが多いので気をつける。
そうしないと、いつまでたってもファーストオーサーになれないことがある。
数学の人であっても、それが中国の人などだと、
イニシャルがXもYもZの人もいるので困らない。
(お)人は無能になるまで出世する(ピーターの法則)
そうならないように。
(か)巨額の研究資金うんぬんという文脈において。
清貧 noblesse oblige
社会の底辺で光を浴びずに生きる学者の生き方もある。
(き)かつて、
「太ったブタより、やせたソクラテスになれ」(大河内総長)
と言われたけれど、
(国立大法人化後は)
「やせたソクラテスよりは太ったソクラテスに」
(メタボリック症候群とか?)
(く)人生における成功や不成功をすべて積分した結果は、その経路によらない。
(和達の積分公式)
(け)教育論。
上の10%と下の10%は教えなくても変わらないので、
真ん中の80%を上に上がれるようにするのが教育だ。
昔は、3回に1回しか授業をしない先生とか、
毎回20分遅刻してきて、15分前には終わる先生とか
そんなのがざらにいたよ。それでも、
先生がそんなでも学生はみんなちゃんと学者になってるんだから。
(こ)昔はのんびりしていた。
研究所の所長をしていた朝永振一郎氏。
まだ本格的なコピー機などがなかった時代で、
月曜に手紙の原稿を書いて秘書に渡したら、
水曜ぐらいにタイプされたものが完成して、
次に研究所に来る金曜にそれを受け取って投函する。
それから2-3週間したら、返事の手紙が届く。
というようなことをふつうにやっていた。
今は、E-mailは瞬時に世界中に届くし、
30秒あれば返信が書けるなんて言う人もいる。
(さ)ボスが週に1回くらいしか研究所に来なくて、
なにかおもしろいことありますか?と聞いてくるので、
こういうのがあります、と言うと、そうかー、
がんばってね。と言って帰って行く。
あるい意味で、理想的な上司に恵まれたので、
自分の好き勝手にできた。
(し)カリフォルニアの空港で、solitonというバッグとか服
を売ってるお店を見つけたので、おそるおそる店員さんに、
私もこれと同じのを職業にしてるんです、
と話しかけたけど、まったく受けなかった。
それで、写真をとってもいいかと聞いたら、
いいと言う返事だったので、記念撮影したのがこれです。
(す)ヤンさんからの手紙は2回もらったことがあって。
1回目はポスドクのポストに応募した返事で、
残念ながら不採用です、という残念な手紙で。
2回目は、送った論文が認められて、おめでとう
という嬉しい手紙だった。
プレプリントというのが、有名な先生に論文を送って
認めてもらう、という時代の話。
ヤン・バクスター方程式で有名なヤンさん。
(せ)なかなか質問が出なくて。
質疑応答のところでは、主催者側があらかじめ
2つ3つ質問を仕込んでおくものなんじゃないの?
そうしないと、なかなかいきなり質問しにくいよね。
それが、政府もやってる由緒正しいやり方なのに。
(そ)一番気に入っている研究は?
気障な答えだと、
The Next One. (チャップリン)
でも、若い頃にやった研究が好き。
(た)ものすごい多忙でお時間もないと思うのですが、
先生はいつ冗談を考えていらっしゃるんですか?
そんなの、そう簡単に教えるわけにはいかないよ。
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ところで、「社会の底辺で光を浴びずに生きる学者の生き方もある。」って、どうみても私のことですナ。和達さん。
学者の定義からして、「学者の生き方>社会の底辺」が普通。「学者の生き方=社会の底辺」の物理学者では他にいないからネ。
まあ、そういうことだが、自分にできないことは人に勧めるのはできない相談ですナ。
2007/03/22のBlog
[ 11:58 ]
[ 科学 ]
写真:アメリカのメールボックス
「良いアイデアには必ずそのルーツがある。」
良いアイデアというものは、いかに一見”突飛なもの”であったり、”突出したアイデア”であったり、あるいは常人では考えもつかないような”天才的アイデア”であったりしても、必ずその切っ掛けとなる”ひな形”のようなものがある。そして、その発明にはそれ以前のその人の関わっている文化的背景が存在し、それが大きく影響する。
このことを端的に表現したのが最初の言葉である。私はこの歳まで科学の分野を見てきてこう信じている。
(あ)現代はもはやインターネット時代、これから後戻りすることはできない。このインターネット時代に先駆け、それを実現させたもっとも有力なアイデア(数学者によって生み出されたもの)に「公開鍵暗号」という概念がある。これなくして、メッセージの暗号化は実現せず、文書の秘密は守れないので、ここまでインターネットが普及できたかどうかは疑わしいと言われている。この「公開鍵」方式は専門家以外が理解するのは非常に難しいと考えられているものである。また実際に専門家が書いた説明を読んでも混乱せずにすんなり理解するのは難しい。
この「公開鍵暗号」方式の概念の説明には、さまざまなものがある。現時点でインターネット上でGoogle検索で調べると、「公開鍵暗号」で検索するとおよそ1、120、000件。「公開鍵」で検索するとおよそ606、000件。「公開鍵のアイデア」で検索するとおよそ1、130件のサイトが見つかる。
しかし、主要なものを見てみると、「公開鍵・暗号」の概念の説明はみな一様に同じものであるということがわかる。アメリカから伝わった時のそのままの説明なのである。そこには全く風変わりなものや、よりもっともらしいものはない。
例えば、こんなものがある。
公開鍵暗号
公開鍵暗号方式 (Public key encryption system)
だから、
その概念がいかに発明されたのか、
いかにその概念に到着したのか、
何がヒントになったのか、
などの問いに対する答えはない。あくまで「欧米の天才数学者が発明した概念」という感じで”天下り式”に完璧に完成した感じで書かれているのである。
私はずっと前からこの「公開鍵」のアイデアをもっとも簡単に理解するにはどうしたら良いか(ここでは、決して専門家になるための素養という意味でないことに注意。あくまで「オッカムのカミソリ」の意味である)、ということを自分なり考えてきた。また、「どうやればこういった物凄いアイデアを発明できるのか」、ということをずっと考えてきたのである。
これにはすぐには行き着かなかったが、そうして考えている間、ある時ハワイに住んだことがあるのだが、その時、”はた(=英語のアハ)”と気付くことがあった。
それは、アメリカの一般の集合住宅に設置された「郵便ポストシステム」の中にすでに「公開鍵」へのヒントが隠されていたのではないか、と私は気付いたのである。つまり、やはりこの概念は、アメリカ社会の永年の社会文化の中から当然の帰結として生まれた。『アメリカ人だからこそ「公開鍵」方式のアイデアに行き着いた』のである、と私は考えるようになったのである。
今回は私のこの”発見”についての”メモとして”ここで紹介しておこう。まあ、どこかで私と同じようなことを見つけ、すでに書いている人もいるかも知れないが、その時には適当に無視して、お許ししてもらうことにしよう。仮に私が何か重要だとその筋の専門家が知っていることを書かなかったとしても、それを私が無知だというふうに考えるのではなく、その時には適当に補足して自分なりに一貫したものにしてもらえば幸いである。
「良いアイデアには必ずそのルーツがある。」
良いアイデアというものは、いかに一見”突飛なもの”であったり、”突出したアイデア”であったり、あるいは常人では考えもつかないような”天才的アイデア”であったりしても、必ずその切っ掛けとなる”ひな形”のようなものがある。そして、その発明にはそれ以前のその人の関わっている文化的背景が存在し、それが大きく影響する。
このことを端的に表現したのが最初の言葉である。私はこの歳まで科学の分野を見てきてこう信じている。
(あ)現代はもはやインターネット時代、これから後戻りすることはできない。このインターネット時代に先駆け、それを実現させたもっとも有力なアイデア(数学者によって生み出されたもの)に「公開鍵暗号」という概念がある。これなくして、メッセージの暗号化は実現せず、文書の秘密は守れないので、ここまでインターネットが普及できたかどうかは疑わしいと言われている。この「公開鍵」方式は専門家以外が理解するのは非常に難しいと考えられているものである。また実際に専門家が書いた説明を読んでも混乱せずにすんなり理解するのは難しい。
この「公開鍵暗号」方式の概念の説明には、さまざまなものがある。現時点でインターネット上でGoogle検索で調べると、「公開鍵暗号」で検索するとおよそ1、120、000件。「公開鍵」で検索するとおよそ606、000件。「公開鍵のアイデア」で検索するとおよそ1、130件のサイトが見つかる。
しかし、主要なものを見てみると、「公開鍵・暗号」の概念の説明はみな一様に同じものであるということがわかる。アメリカから伝わった時のそのままの説明なのである。そこには全く風変わりなものや、よりもっともらしいものはない。
例えば、こんなものがある。
公開鍵暗号
公開鍵暗号方式 (Public key encryption system)
だから、
その概念がいかに発明されたのか、
いかにその概念に到着したのか、
何がヒントになったのか、
などの問いに対する答えはない。あくまで「欧米の天才数学者が発明した概念」という感じで”天下り式”に完璧に完成した感じで書かれているのである。
私はずっと前からこの「公開鍵」のアイデアをもっとも簡単に理解するにはどうしたら良いか(ここでは、決して専門家になるための素養という意味でないことに注意。あくまで「オッカムのカミソリ」の意味である)、ということを自分なり考えてきた。また、「どうやればこういった物凄いアイデアを発明できるのか」、ということをずっと考えてきたのである。
これにはすぐには行き着かなかったが、そうして考えている間、ある時ハワイに住んだことがあるのだが、その時、”はた(=英語のアハ)”と気付くことがあった。
それは、アメリカの一般の集合住宅に設置された「郵便ポストシステム」の中にすでに「公開鍵」へのヒントが隠されていたのではないか、と私は気付いたのである。つまり、やはりこの概念は、アメリカ社会の永年の社会文化の中から当然の帰結として生まれた。『アメリカ人だからこそ「公開鍵」方式のアイデアに行き着いた』のである、と私は考えるようになったのである。
今回は私のこの”発見”についての”メモとして”ここで紹介しておこう。まあ、どこかで私と同じようなことを見つけ、すでに書いている人もいるかも知れないが、その時には適当に無視して、お許ししてもらうことにしよう。仮に私が何か重要だとその筋の専門家が知っていることを書かなかったとしても、それを私が無知だというふうに考えるのではなく、その時には適当に補足して自分なりに一貫したものにしてもらえば幸いである。
写真:デフィー博士
(い)さて、インターネット世界の科学の歴史としては、「公開鍵暗号」という概念は、1976年にアメリカの2人の数学者ディフィー (Whitfield Diffie) と ヘルマン (Martin E. Hellman) によって考案された。そして、このアイデアを現実のものにできるようにするために、1997年、リベスト (Ron Rivest)、 シャミル (Adi Shamir)、 エイドルマン (Leonard Adleman)、 らが「素因数分解の困難さを利用した公開鍵暗号アルゴリズム」を開発した。この暗号化法は、3人の姓の頭文字をとって「RSA 暗号」と呼ばれる、ということになっている。
(い)さて、インターネット世界の科学の歴史としては、「公開鍵暗号」という概念は、1976年にアメリカの2人の数学者ディフィー (Whitfield Diffie) と ヘルマン (Martin E. Hellman) によって考案された。そして、このアイデアを現実のものにできるようにするために、1997年、リベスト (Ron Rivest)、 シャミル (Adi Shamir)、 エイドルマン (Leonard Adleman)、 らが「素因数分解の困難さを利用した公開鍵暗号アルゴリズム」を開発した。この暗号化法は、3人の姓の頭文字をとって「RSA 暗号」と呼ばれる、ということになっている。
写真:ヘルマン博士
ここでは、数学的な詳細には興味がないので、一番最初の「公開鍵」のアイデアの出所がどこか、という私の発見についてだけを主に紹介する。
というのも、鍵と暗号の比喩というものは、表裏一体で、暗号化には数学的要素が色濃く、数学的素養が必要だが、”鍵”そのものの発想は、日常生活でだれもが使っているために、だれでも理解可能だからである。特に難しいことはない。
我々が使っている「現実の鍵」と「インターネット上の鍵」の問題を分かりやすく対応させるには、車の鍵とか家の鍵というよりは、「郵便ポストや郵便受けの鍵」を考えるのが一番分かりやすい。ここでは郵便受けの鍵を念頭に置く。だいたいこういう対応を考えれば良いだろう。
現実の鍵ーーーーーーーーインターネット上の鍵
----------------------------------------
郵便物ーーーーーーーーー電子メール
----------------------------------------
郵便受けのアドレスーーー電子メールアドレス
----------------------------------------
受取人ーーーーーーーーー受信者
----------------------------------------
郵便受けの鍵ーーーーーーインターネット上の鍵
----------------------------------------
鍵をかけるーーーーーーー暗号化
----------------------------------------
鍵をあけるーーーーーーー復号(=解読)
----------------------------------------
鍵の形状や仕組みーーーー暗号化の方法や原理
----------------------------------------
鍵を替えるーーーーーーー暗号を変える
----------------------------------------
つまり、メールボックスの鍵を開けて中の郵便物を手に取ることが、暗号の復号であり、郵便物をメールボックスに入れて鍵をかけることが暗号化に対応すると考えられる。現実の鍵の”形状”や”仕組み”の違いが、暗号化の”方法”や”原理”の違いに対応していると考えることができる。「鍵を替える」というのは、「暗号化の方法を変える」ことに対応する。現実の鍵では簡単に鍵を付け変えることは難しいが、インターネットの場合はコンピュータプログラムが行うので、無数に交換可能という違いがある。
こういう簡単な対応を考えておくと、インターネットの暗号化や鍵の問題を非常に理解しやすくなる。
ここでは、数学的な詳細には興味がないので、一番最初の「公開鍵」のアイデアの出所がどこか、という私の発見についてだけを主に紹介する。
というのも、鍵と暗号の比喩というものは、表裏一体で、暗号化には数学的要素が色濃く、数学的素養が必要だが、”鍵”そのものの発想は、日常生活でだれもが使っているために、だれでも理解可能だからである。特に難しいことはない。
我々が使っている「現実の鍵」と「インターネット上の鍵」の問題を分かりやすく対応させるには、車の鍵とか家の鍵というよりは、「郵便ポストや郵便受けの鍵」を考えるのが一番分かりやすい。ここでは郵便受けの鍵を念頭に置く。だいたいこういう対応を考えれば良いだろう。
現実の鍵ーーーーーーーーインターネット上の鍵
----------------------------------------
郵便物ーーーーーーーーー電子メール
----------------------------------------
郵便受けのアドレスーーー電子メールアドレス
----------------------------------------
受取人ーーーーーーーーー受信者
----------------------------------------
郵便受けの鍵ーーーーーーインターネット上の鍵
----------------------------------------
鍵をかけるーーーーーーー暗号化
----------------------------------------
鍵をあけるーーーーーーー復号(=解読)
----------------------------------------
鍵の形状や仕組みーーーー暗号化の方法や原理
----------------------------------------
鍵を替えるーーーーーーー暗号を変える
----------------------------------------
つまり、メールボックスの鍵を開けて中の郵便物を手に取ることが、暗号の復号であり、郵便物をメールボックスに入れて鍵をかけることが暗号化に対応すると考えられる。現実の鍵の”形状”や”仕組み”の違いが、暗号化の”方法”や”原理”の違いに対応していると考えることができる。「鍵を替える」というのは、「暗号化の方法を変える」ことに対応する。現実の鍵では簡単に鍵を付け変えることは難しいが、インターネットの場合はコンピュータプログラムが行うので、無数に交換可能という違いがある。
こういう簡単な対応を考えておくと、インターネットの暗号化や鍵の問題を非常に理解しやすくなる。
(う)まず、「共通鍵」方式の場合。
ごく普通の説明ではこうある。
『1976年以前には、暗号と言えば共通鍵暗号であった。これは、暗号化と復号に同じ鍵を使うものである。』
これは、右写真のようなメールボックスを念頭に置けば良い。これはアメリカの多くの組織で使われている、非常に日常的にありふれたメールボックスシステムである。
メールボックスの管理者とその利用者は、ともに同じ(共通の)”秘密の鍵(非公開鍵)”を持ち、郵便物を管理者が入れて鍵で閉め、利用者が郵便物を自分の鍵で開ける。だから鍵を盗まれたり落とすとだれかにメールボックスを開けられる可能性がある。
アメリカは”鍵社会”である。私が過ごしたユタ大学の学生寮のメールボックスもこういうものであった。米軍のメールボックスもこんなものが使われている。たいていの組織のメールボックスはこれである。
これをインターネット版に焼き直したアイデアが、いわゆる「共通鍵」方式であると考えられる。
ごく普通の説明ではこうある。
『1976年以前には、暗号と言えば共通鍵暗号であった。これは、暗号化と復号に同じ鍵を使うものである。』
これは、右写真のようなメールボックスを念頭に置けば良い。これはアメリカの多くの組織で使われている、非常に日常的にありふれたメールボックスシステムである。
メールボックスの管理者とその利用者は、ともに同じ(共通の)”秘密の鍵(非公開鍵)”を持ち、郵便物を管理者が入れて鍵で閉め、利用者が郵便物を自分の鍵で開ける。だから鍵を盗まれたり落とすとだれかにメールボックスを開けられる可能性がある。
アメリカは”鍵社会”である。私が過ごしたユタ大学の学生寮のメールボックスもこういうものであった。米軍のメールボックスもこんなものが使われている。たいていの組織のメールボックスはこれである。
これをインターネット版に焼き直したアイデアが、いわゆる「共通鍵」方式であると考えられる。
(え)次に、問題の公開鍵暗号の場合。
果たして、この「公開鍵方式」のような方法がアメリカのどこかで上の「共通鍵」のような感じで使われていないのだろうか?
というのが、永年私が抱いていた疑問であった。この疑問はハワイのオアフに住んだ機会に解決したのである。
我が家にはハワイ・オアフに親戚がいるが、かつてアイカヒガーデンという場所に住んでいた。数年前その家に住む機会があり、そこで郵便物を取りに行くと、そのメールボックスにすでに「公開鍵方式」が使われていたのである。
これは、写真にあるようなもの(これはネット上で見つけたもので、実際のアイカヒガーデンにあるものではない)であり、日本人はほとんど知らないだろうが、これまたアメリカ社会では非常にありふれたメールボックスである。アメリカの大半のコンドーミニアム(=日本でいうマンション)や集合住宅(=ガーデンハウス)などに設置されているのである。
このメールボックスには、上で紹介したような個人のメールボックスの他に少し大きめのだれのものでもないメールボックスが付いている。日本のコインロッカーのようなものに近い。この大きなものを宅配便などの大型郵便物を入れるのに使い、小型のメールボックスを通常メールのために個人(世帯)に割り振る。
このメールボックスの使い方はこうである。だいたい2つの使い方があるがエッセンスは同じである。
(1)私がハワイで見たものは、次のものである。
この場合、メールボックスは、その集合住宅の敷地の内部にあるため部外者は入らない。そこで、大きな宅配便用のメールボックスには”鍵をかけたまま”にしておく。そして個人向けの方には、個人が保管する鍵がある。
郵便屋さんは、通常メールはそのまま各人のメールボックスに入れる。各人は自分の鍵(非公開鍵)で自分のメールボックスを開ける。もし郵便屋さんや宅配便の人が大型の郵便物や小包を持ってきた場合には、そこについている(つまり鍵がついて開けたままで空になっている)大型メールボックスの方に入れ、その鍵(=公開鍵)をかける。そしてその鍵を受け取り人の個人のメールボックスの中に入れておくのである。
こうすれば、大型郵便物を受け取った個人が、自分のメールをチェックした時、その中に公開鍵が入ってれば、それで共有の大型メールボックスを開け、中身を受け取ることができる。そして、中身をもらったら、その鍵はそのままメールボックスにつけっぱなしにしておく、というわけである。
この方式もアメリカの集合住宅では実に一般的で、だれもが良く知っているものである。
(2)もう一つは、一般の外部者が出入りるような住宅でのものである。この場合は最初の共通鍵の場合のように、大型メールボックスの公開鍵も一応管理者が持っているが、だれかに小包が来たら、その公開鍵で大型メールボックスに入れ、その公開鍵をその個人のメールボックスに入れる。そうすれば、受け取り人の個人は、その公開鍵を見て大型メールボックスを開け、自分宛の小包をもらうことができる。そしてその鍵を管理者に返却する。
とまあ、こんな感じである。
(お)そこで、最後の「公開鍵」方式も対応表を作れば、こんな感じとなる。
現実の鍵ーーーーーーーーーインターネット上の鍵
----------------------------------------
郵便物ーーーーーーーーーー電子メール
----------------------------------------
郵便受けのアドレスーーーー電子メールアドレス
----------------------------------------
受取人ーーーーーーーーーー受信者
----------------------------------------
個人の郵便受けの鍵ーーーー非公開鍵S
----------------------------------------
共通の大型郵便受けの鍵ーー公開鍵P
----------------------------------------
鍵をあけるーーーーーーーー復号(=解読)
----------------------------------------
鍵の形状や仕組みーーーーー暗号化の方法や原理
----------------------------------------
鍵を替えるーーーーーーーー暗号を変える
----------------------------------------
果たして、この対応と一般の「公開鍵暗号方式」の定義とうまく対応しているだろうか?
大方の定義にはこうある。
『1. 通信を受ける者(受信者)は自分の公開鍵(暗号化鍵)P を全世界に公開する。
2. 受信者に対して暗号通信をしたい者(送信者)は、公開鍵 P を使ってメッセージを暗号化してから送信する。
3. 受信者は、公開鍵 P と対になる秘密鍵(復号のための鍵)S を密かに持っている。この S を使って受信内容を復号し、送信者からのメッセージを読む。
4. 暗号通信を不正に傍受しようとする者(傍受者)が、送信者が送信した暗号化された文を傍受したとする。傍受者は、公開鍵 P は知っているが、秘密鍵 S は受信者だけが知っている情報であるので分からない。P から S を割り出すことは極めて難しい。そのため、暗号文を復号することはできない。』
まず、この中の1番目のアイデアは明白である。公開鍵とは大型郵便物を受け取るためにいつもかかったままの鍵のことである。つまり、だれにも知られている鍵である。
この定義の中では、2番目のアイデアが一番分かりにくい。ここに、この問題の焦点がある。つまり、「公開鍵 P と対になる秘密鍵(復号のための鍵)S を密かに持っている。」の部分は、自分個人の鍵とかけたままの公開鍵のことで2つ必要なことは明らかである。
がしかし、問題は「この S を使って受信内容を復号し、送信者からのメッセージを読む。」の部分である。ここが一番分かりにくいのである。しかし大半の説明では似たように書かれている。
果たして、自分が持っている秘密の鍵だけでどうやって別のメールボックスの鍵まで開けることができるのか?
一番簡単なことは、共通のメールボックスは公開鍵でPで開けることができるのだが、これを個人のメールボックスの中に入れておく。そうすれば、受取人は自分の鍵でまず自分のメールボックスを開け、その中にある公開鍵を使って今度は外の共通メールボックスを開けることができる。
普通の鍵の場合はこれで良い。なぜなら普通の鍵の場合には、鍵そのものは知られていてもそれの偽物を複製するまでに手間ひまがかかる。だから、その鍵を個人メールボックスに入れればそれで隠せる。郵便配達人も受け取り人もどちらもが開け閉めできる公開鍵で良い。
しかし、実際にはインターネット上では、この方式は不可能である。なぜなら、コンピュータ上では知られたら鍵の複製はいとも簡単である。そのため、公開鍵で開け閉めできれば、それをすぐに泥棒が手に入れられるからである。したがって、インターネット上では、公開鍵は開け閉めできるものではなく、開け、閉めの片方ずつの非対称なものである必要がどうしても出る。
なぜなら、こうしておけば、泥棒が公開鍵を手にしてもそれでは閉めることはできても開けることができないからである。一方、受取人は開けることはできても閉めることができないからである。これで実質上は十分である。この受け取り人には、開ける方の公開鍵を送っておくか、最初から配付しておけば、良いということになる。
これが、ディフィー (Whitfield Diffie) と ヘルマン (Martin E. Hellman) によって考案されたアイデアであると考えられる。
(か)こんなわけで、インターネットの「公開鍵暗号方式」というのは、アメリカ(や、おそらくイギリス)において長いこと育まれてきた「郵便システム文化」の中から生み出されたものであると考えることができる。
こういうふうなメールボックスの”賢い”使い方が日常的でないと、なかなかこういう巧妙なアイデアには至らないと思う。日本のようなありきたりのメールボックス、つまり共通鍵方式しかないと、なかなか公開鍵方式にはたどり着かないだろう。
英米人には時に非常に革命的アイデアを生み出すものがいる。アメリカではそれを「ヤンキーの発明の才」ともいうが、こういった革新的アイデアは、英米人の現代社会文化や都会文化の中から生まれてきているように見えるのである。
この意味では、やはりそれぞれの社会固有の文化水準や生活水準、そして社会的伝統などの社会文化的なものが科学という普遍的な文化に影響を与えているという観が強い。知的文化は知的生活から育まれ、新しいアイデアはやはり進歩的な社会生活の中から育まれているのだろう。これは、たいへん興味深い問題である。
果たして、この「公開鍵方式」のような方法がアメリカのどこかで上の「共通鍵」のような感じで使われていないのだろうか?
というのが、永年私が抱いていた疑問であった。この疑問はハワイのオアフに住んだ機会に解決したのである。
我が家にはハワイ・オアフに親戚がいるが、かつてアイカヒガーデンという場所に住んでいた。数年前その家に住む機会があり、そこで郵便物を取りに行くと、そのメールボックスにすでに「公開鍵方式」が使われていたのである。
これは、写真にあるようなもの(これはネット上で見つけたもので、実際のアイカヒガーデンにあるものではない)であり、日本人はほとんど知らないだろうが、これまたアメリカ社会では非常にありふれたメールボックスである。アメリカの大半のコンドーミニアム(=日本でいうマンション)や集合住宅(=ガーデンハウス)などに設置されているのである。
このメールボックスには、上で紹介したような個人のメールボックスの他に少し大きめのだれのものでもないメールボックスが付いている。日本のコインロッカーのようなものに近い。この大きなものを宅配便などの大型郵便物を入れるのに使い、小型のメールボックスを通常メールのために個人(世帯)に割り振る。
このメールボックスの使い方はこうである。だいたい2つの使い方があるがエッセンスは同じである。
(1)私がハワイで見たものは、次のものである。
この場合、メールボックスは、その集合住宅の敷地の内部にあるため部外者は入らない。そこで、大きな宅配便用のメールボックスには”鍵をかけたまま”にしておく。そして個人向けの方には、個人が保管する鍵がある。
郵便屋さんは、通常メールはそのまま各人のメールボックスに入れる。各人は自分の鍵(非公開鍵)で自分のメールボックスを開ける。もし郵便屋さんや宅配便の人が大型の郵便物や小包を持ってきた場合には、そこについている(つまり鍵がついて開けたままで空になっている)大型メールボックスの方に入れ、その鍵(=公開鍵)をかける。そしてその鍵を受け取り人の個人のメールボックスの中に入れておくのである。
こうすれば、大型郵便物を受け取った個人が、自分のメールをチェックした時、その中に公開鍵が入ってれば、それで共有の大型メールボックスを開け、中身を受け取ることができる。そして、中身をもらったら、その鍵はそのままメールボックスにつけっぱなしにしておく、というわけである。
この方式もアメリカの集合住宅では実に一般的で、だれもが良く知っているものである。
(2)もう一つは、一般の外部者が出入りるような住宅でのものである。この場合は最初の共通鍵の場合のように、大型メールボックスの公開鍵も一応管理者が持っているが、だれかに小包が来たら、その公開鍵で大型メールボックスに入れ、その公開鍵をその個人のメールボックスに入れる。そうすれば、受け取り人の個人は、その公開鍵を見て大型メールボックスを開け、自分宛の小包をもらうことができる。そしてその鍵を管理者に返却する。
とまあ、こんな感じである。
(お)そこで、最後の「公開鍵」方式も対応表を作れば、こんな感じとなる。
現実の鍵ーーーーーーーーーインターネット上の鍵
----------------------------------------
郵便物ーーーーーーーーーー電子メール
----------------------------------------
郵便受けのアドレスーーーー電子メールアドレス
----------------------------------------
受取人ーーーーーーーーーー受信者
----------------------------------------
個人の郵便受けの鍵ーーーー非公開鍵S
----------------------------------------
共通の大型郵便受けの鍵ーー公開鍵P
----------------------------------------
鍵をあけるーーーーーーーー復号(=解読)
----------------------------------------
鍵の形状や仕組みーーーーー暗号化の方法や原理
----------------------------------------
鍵を替えるーーーーーーーー暗号を変える
----------------------------------------
果たして、この対応と一般の「公開鍵暗号方式」の定義とうまく対応しているだろうか?
大方の定義にはこうある。
『1. 通信を受ける者(受信者)は自分の公開鍵(暗号化鍵)P を全世界に公開する。
2. 受信者に対して暗号通信をしたい者(送信者)は、公開鍵 P を使ってメッセージを暗号化してから送信する。
3. 受信者は、公開鍵 P と対になる秘密鍵(復号のための鍵)S を密かに持っている。この S を使って受信内容を復号し、送信者からのメッセージを読む。
4. 暗号通信を不正に傍受しようとする者(傍受者)が、送信者が送信した暗号化された文を傍受したとする。傍受者は、公開鍵 P は知っているが、秘密鍵 S は受信者だけが知っている情報であるので分からない。P から S を割り出すことは極めて難しい。そのため、暗号文を復号することはできない。』
まず、この中の1番目のアイデアは明白である。公開鍵とは大型郵便物を受け取るためにいつもかかったままの鍵のことである。つまり、だれにも知られている鍵である。
この定義の中では、2番目のアイデアが一番分かりにくい。ここに、この問題の焦点がある。つまり、「公開鍵 P と対になる秘密鍵(復号のための鍵)S を密かに持っている。」の部分は、自分個人の鍵とかけたままの公開鍵のことで2つ必要なことは明らかである。
がしかし、問題は「この S を使って受信内容を復号し、送信者からのメッセージを読む。」の部分である。ここが一番分かりにくいのである。しかし大半の説明では似たように書かれている。
果たして、自分が持っている秘密の鍵だけでどうやって別のメールボックスの鍵まで開けることができるのか?
一番簡単なことは、共通のメールボックスは公開鍵でPで開けることができるのだが、これを個人のメールボックスの中に入れておく。そうすれば、受取人は自分の鍵でまず自分のメールボックスを開け、その中にある公開鍵を使って今度は外の共通メールボックスを開けることができる。
普通の鍵の場合はこれで良い。なぜなら普通の鍵の場合には、鍵そのものは知られていてもそれの偽物を複製するまでに手間ひまがかかる。だから、その鍵を個人メールボックスに入れればそれで隠せる。郵便配達人も受け取り人もどちらもが開け閉めできる公開鍵で良い。
しかし、実際にはインターネット上では、この方式は不可能である。なぜなら、コンピュータ上では知られたら鍵の複製はいとも簡単である。そのため、公開鍵で開け閉めできれば、それをすぐに泥棒が手に入れられるからである。したがって、インターネット上では、公開鍵は開け閉めできるものではなく、開け、閉めの片方ずつの非対称なものである必要がどうしても出る。
なぜなら、こうしておけば、泥棒が公開鍵を手にしてもそれでは閉めることはできても開けることができないからである。一方、受取人は開けることはできても閉めることができないからである。これで実質上は十分である。この受け取り人には、開ける方の公開鍵を送っておくか、最初から配付しておけば、良いということになる。
これが、ディフィー (Whitfield Diffie) と ヘルマン (Martin E. Hellman) によって考案されたアイデアであると考えられる。
(か)こんなわけで、インターネットの「公開鍵暗号方式」というのは、アメリカ(や、おそらくイギリス)において長いこと育まれてきた「郵便システム文化」の中から生み出されたものであると考えることができる。
こういうふうなメールボックスの”賢い”使い方が日常的でないと、なかなかこういう巧妙なアイデアには至らないと思う。日本のようなありきたりのメールボックス、つまり共通鍵方式しかないと、なかなか公開鍵方式にはたどり着かないだろう。
英米人には時に非常に革命的アイデアを生み出すものがいる。アメリカではそれを「ヤンキーの発明の才」ともいうが、こういった革新的アイデアは、英米人の現代社会文化や都会文化の中から生まれてきているように見えるのである。
この意味では、やはりそれぞれの社会固有の文化水準や生活水準、そして社会的伝統などの社会文化的なものが科学という普遍的な文化に影響を与えているという観が強い。知的文化は知的生活から育まれ、新しいアイデアはやはり進歩的な社会生活の中から育まれているのだろう。これは、たいへん興味深い問題である。
2007/03/21のBlog
[ 11:42 ]
[ 健康・医学 ]
厚労省課長、中外製薬に天下り 医薬品担当 国会で質疑
いやはや、
『厚生労働省で医薬品の販売許可や副作用認定などを担当していた元課長(58)が退職後、中外製薬(本社・東京)に天下っていたことがわかった。』
というこの問題が浮上したらすぐに
「治療薬「タミフル」、10代の服用制限 厚労省指示」
なる迅速なる対処が出てきた。実に不思議な話だが、面白い。
しばらく前に私は「「疑わしき”物”は罰せよ」:タミフル vs パピラ 」を書いていたが、この中でタミフルの危険性は確かにあり、その原因を突き止めるべきだという内容を紹介した。しかし、その後も厚生労働省は特に問題視することなく、柳沢大臣も無視していた。
ところが、厚生労働省のお役人がタミフルの販売会社である中外製薬に天下っていることが発覚した。これが国会で問題になったとたん、「新たに2人の若者の異常行動があった」ということが理由になり、タミフルの使用を禁止するという緊急処置に踏み切った。
これを、普通の人は、「厚生労働省がタミフルの危険性を認めたからだ」と”好意的に”解釈するようだ。やっとこの期に及んで、厚生労働省のお役人も”タミフルの危険性”を理解したのである。それで禁止処置を取ったのだと思いたい。
しかし、これは明らかにそうではないだろう。むしろ、天下りを、問題視したことに対する官僚の”報復行為”と見るべきだろう。なぜなら、これで、問題ない大半の若者たちまでもタミフルを使用することができなくなったからである。
要するに、厚生労働省の天下りを認めないなら中外製薬に「タミフルを売るな」ということだろう。
まあ、そういう官僚側からのメッセージなんですナ。完全に権力や権限を私物化しているわけですナ。
いやはや、
『厚生労働省で医薬品の販売許可や副作用認定などを担当していた元課長(58)が退職後、中外製薬(本社・東京)に天下っていたことがわかった。』
というこの問題が浮上したらすぐに
「治療薬「タミフル」、10代の服用制限 厚労省指示」
なる迅速なる対処が出てきた。実に不思議な話だが、面白い。
しばらく前に私は「「疑わしき”物”は罰せよ」:タミフル vs パピラ 」を書いていたが、この中でタミフルの危険性は確かにあり、その原因を突き止めるべきだという内容を紹介した。しかし、その後も厚生労働省は特に問題視することなく、柳沢大臣も無視していた。
ところが、厚生労働省のお役人がタミフルの販売会社である中外製薬に天下っていることが発覚した。これが国会で問題になったとたん、「新たに2人の若者の異常行動があった」ということが理由になり、タミフルの使用を禁止するという緊急処置に踏み切った。
これを、普通の人は、「厚生労働省がタミフルの危険性を認めたからだ」と”好意的に”解釈するようだ。やっとこの期に及んで、厚生労働省のお役人も”タミフルの危険性”を理解したのである。それで禁止処置を取ったのだと思いたい。
しかし、これは明らかにそうではないだろう。むしろ、天下りを、問題視したことに対する官僚の”報復行為”と見るべきだろう。なぜなら、これで、問題ない大半の若者たちまでもタミフルを使用することができなくなったからである。
要するに、厚生労働省の天下りを認めないなら中外製薬に「タミフルを売るな」ということだろう。
まあ、そういう官僚側からのメッセージなんですナ。完全に権力や権限を私物化しているわけですナ。
2007/03/20のBlog
[ 14:14 ]
[ サッカー ]
ジダンが慈善試合に出場、ロナウドのチーム下す
ジダンの親善チームvsロナウドのACミラン
”フランスの司令塔”であったジダンのチームが、ロナウド率いるセリエAの強豪ACミランを6-2で下したという。ジダンは、あの”マテラッティへの頭突き”以来のプレー。
ACミランから6得点というのはにわかには信じがたい話である。さすがである。
貧困撲滅のための親善大使役のジダンはこう言ったという。
「この場所で多くの選手とこのような時間を共有できてうれしく思う。誰もが世界をよくするためにできることがある」
日本にも”日本の司令塔”であった中田英寿がいる。ジダンも中田も一見同じようなことをしているように見えるが、ジダンと中田の差はかなり大きい。
ジダンは、世界の貧困国に「国連開発計画(UNDP)」の親善大使としてサッカーをして回っている。
一方の中田は、世界中を見て回ると言っているが、実のところは自分の稼いだ金の”投資先”を探す旅である。旅の合間にはしっかりサッカーを売り物にしてCM撮影。ちゃっかり金稼ぎも忘れない。
さすがに”商売の街”甲府の出身者である。私も商売家系の甲府出身者だが、金稼ぎにはまったく不向きと来た。偉い違いである。
この差がどこから来るのか?
私はこれに興味があるが、中田にはサッカー選手のエリートとしての”自覚”が結局一度も育たなかったようだ。
「サッカーは単なるプロスポーツではない」
というドゥンガの言葉に真理が潜む。
ジダンの親善チームvsロナウドのACミラン
”フランスの司令塔”であったジダンのチームが、ロナウド率いるセリエAの強豪ACミランを6-2で下したという。ジダンは、あの”マテラッティへの頭突き”以来のプレー。
ACミランから6得点というのはにわかには信じがたい話である。さすがである。
貧困撲滅のための親善大使役のジダンはこう言ったという。
「この場所で多くの選手とこのような時間を共有できてうれしく思う。誰もが世界をよくするためにできることがある」
日本にも”日本の司令塔”であった中田英寿がいる。ジダンも中田も一見同じようなことをしているように見えるが、ジダンと中田の差はかなり大きい。
ジダンは、世界の貧困国に「国連開発計画(UNDP)」の親善大使としてサッカーをして回っている。
一方の中田は、世界中を見て回ると言っているが、実のところは自分の稼いだ金の”投資先”を探す旅である。旅の合間にはしっかりサッカーを売り物にしてCM撮影。ちゃっかり金稼ぎも忘れない。
さすがに”商売の街”甲府の出身者である。私も商売家系の甲府出身者だが、金稼ぎにはまったく不向きと来た。偉い違いである。
この差がどこから来るのか?
私はこれに興味があるが、中田にはサッカー選手のエリートとしての”自覚”が結局一度も育たなかったようだ。
「サッカーは単なるプロスポーツではない」
というドゥンガの言葉に真理が潜む。
[ 13:36 ]
[ 社会 ]
「死刑になるなら払う」2ちゃんねる管理者、賠償拒否
これもしばらく前に「”ひろゆきニゲター!” 」で紹介したように、2chの管理者である西村博之が、損害賠償請求で敗訴したにもかかわらず不払いで逃げ回っている。
東京都内のIT企業社長が「2ちゃんねる」への書き込みの削除や200万円の損害賠償などを求めて起こした訴訟の口頭弁論に被告として出廷した、今回の裁判で西村がこういったという。
「支払わなければ死刑になるのなら支払うが、支払わなくてもどうということはないので支払わない」
「踏み倒そうとしたら支払わなくても済む。そんな国の変なルールに基づいて支払うのは、ばかばかしい」
ホリエモン、村上ファンド、2しむらちゃんねる、といい、日本のIT寵児たちの”質の悪さ”が目につく。
悪さをすれば訴訟を起こされることは分かっているのだから、”悪法も法なり”、法律に従って掲示板業を営むべきである。
西村がどこの大学出身か知らないが、こういう人物に学位を与えた大学にパニッシュメントをくらわすべきだろう。
いずれにせよ、もう掲示板の時代は終わった。そろそろ西村にもこの業界からお引き取りいただくべきだろう。
ところで、西村が逃げ回っていても掲示板本体の運営は動いているのだから、このグループには、どこか別のところに親玉がいて、西村を表向きのターゲットにしているという可能性が高い。西村の背後にいるらしいもっと親玉や黒幕をあぶりだすべきだろうヨ。さもなくば、西村がつかまっても、掲示板運営はなんら支障なく続き、相変わらず若者達の「時間泥棒」をし続けることになるだろうからだ。
”株ドロボー”のホリエモン、
”ファンドドロボー”の村上ファンド、そして
”時間ドロボー”西村博之。
”ばか”につける薬はないが、少し投獄して頭を冷やさせるべきだろう。いっそのことイラクに送り込んでしまうという手もある。根性を叩きなおすべきだろう。
ちなみに、国立大学で東北大、山形大や阪大などで”本業”そっちのけで「掲示板遊び」や「ブログ遊び」をやっている学者もどきの連中も自衛隊に入れていっしょにイラクに派遣したらどうか。もちろん、ブラックジョークだがネ。
これもしばらく前に「”ひろゆきニゲター!” 」で紹介したように、2chの管理者である西村博之が、損害賠償請求で敗訴したにもかかわらず不払いで逃げ回っている。
東京都内のIT企業社長が「2ちゃんねる」への書き込みの削除や200万円の損害賠償などを求めて起こした訴訟の口頭弁論に被告として出廷した、今回の裁判で西村がこういったという。
「支払わなければ死刑になるのなら支払うが、支払わなくてもどうということはないので支払わない」
「踏み倒そうとしたら支払わなくても済む。そんな国の変なルールに基づいて支払うのは、ばかばかしい」
ホリエモン、村上ファンド、2しむらちゃんねる、といい、日本のIT寵児たちの”質の悪さ”が目につく。
悪さをすれば訴訟を起こされることは分かっているのだから、”悪法も法なり”、法律に従って掲示板業を営むべきである。
西村がどこの大学出身か知らないが、こういう人物に学位を与えた大学にパニッシュメントをくらわすべきだろう。
いずれにせよ、もう掲示板の時代は終わった。そろそろ西村にもこの業界からお引き取りいただくべきだろう。
ところで、西村が逃げ回っていても掲示板本体の運営は動いているのだから、このグループには、どこか別のところに親玉がいて、西村を表向きのターゲットにしているという可能性が高い。西村の背後にいるらしいもっと親玉や黒幕をあぶりだすべきだろうヨ。さもなくば、西村がつかまっても、掲示板運営はなんら支障なく続き、相変わらず若者達の「時間泥棒」をし続けることになるだろうからだ。
”株ドロボー”のホリエモン、
”ファンドドロボー”の村上ファンド、そして
”時間ドロボー”西村博之。
”ばか”につける薬はないが、少し投獄して頭を冷やさせるべきだろう。いっそのことイラクに送り込んでしまうという手もある。根性を叩きなおすべきだろう。
ちなみに、国立大学で東北大、山形大や阪大などで”本業”そっちのけで「掲示板遊び」や「ブログ遊び」をやっている学者もどきの連中も自衛隊に入れていっしょにイラクに派遣したらどうか。もちろん、ブラックジョークだがネ。
[ 13:34 ]
[ 政治・経済 ]
[デンソー事件]「機密情報の管理に甘さはないか」
今朝の読売の社説は、私が紹介した「日本は”産業スパイ天国”? 」とほぼ同じような見解に至ったようである。早急に政府も声明をだすべきだろう。
ところで、国会答弁を見ていても分かるが、やはり安倍首相はリーダーの資質はないように見える。東大官僚出身ではないが、実に”官僚的”な性格を持っているようだ。
私がいつも気になるのは、官僚特有の性質とされる”語尾をにごす”というのがあるが、安倍さんにもこれに似た特徴があるということである。安倍さんの場合には、”語尾が早回りする”のである。「これはー、あのー、ーーーーでございます。」で最後の「ございます」が聞き取れないくらい早く饒舌にしゃべるのである。
これが、聞いている人には、逆効果となる。答弁を逃げているように、あるいは、白を切っているように聞こえるのである。不思議である。
私はもっと言葉の最後を”ゆっくり話す”ことをお勧めする。
ついでに付け加えると、関西テレビのとあるコメンテーターが言っていたが、安倍さんの先祖は900年の歴史があるという。しかし、その歴史は”敗北の歴史”だったというのである。壇の浦で負けて命からがら山口の山奥に潜んでいて、江戸末期、明治期に再び復興を遂げたのだという話であった。
これが本当の話かどうか知らないが、”何となく分かる”ように話であった。
今朝の読売の社説は、私が紹介した「日本は”産業スパイ天国”? 」とほぼ同じような見解に至ったようである。早急に政府も声明をだすべきだろう。
ところで、国会答弁を見ていても分かるが、やはり安倍首相はリーダーの資質はないように見える。東大官僚出身ではないが、実に”官僚的”な性格を持っているようだ。
私がいつも気になるのは、官僚特有の性質とされる”語尾をにごす”というのがあるが、安倍さんにもこれに似た特徴があるということである。安倍さんの場合には、”語尾が早回りする”のである。「これはー、あのー、ーーーーでございます。」で最後の「ございます」が聞き取れないくらい早く饒舌にしゃべるのである。
これが、聞いている人には、逆効果となる。答弁を逃げているように、あるいは、白を切っているように聞こえるのである。不思議である。
私はもっと言葉の最後を”ゆっくり話す”ことをお勧めする。
ついでに付け加えると、関西テレビのとあるコメンテーターが言っていたが、安倍さんの先祖は900年の歴史があるという。しかし、その歴史は”敗北の歴史”だったというのである。壇の浦で負けて命からがら山口の山奥に潜んでいて、江戸末期、明治期に再び復興を遂げたのだという話であった。
これが本当の話かどうか知らないが、”何となく分かる”ように話であった。
2007/03/18のBlog
[ 21:49 ]
[ 大学・大学院 ]
地方国立大「存続ムリ」 競争型の交付金案牽制
いやはや、どういうわけかこの時期になるといろんな事件やニュースが出てきて慌ただしくなるようだ。
今度は、経済財政諮問会議の民間議員の知的財産戦略本部本部員 御手洗冨士夫(元キヤノン社長)が、物議をかもし出す”老人の思い付き”をして関係者を”振りまわしている”ようである。
私が大分前に「”高齢者に振り回される時代”突入? 」で注意を促したことが、大臣の不用意な発言ばかりか、今度は経済諮問会議の経営者出身老人たちからも出されてしまったように見える。
これは、御手洗冨士夫氏のグループが、
『運営費交付金が、学生数や設備などに連動して配分されている現状は変だ。配分ルールについて「大学の努力と成果に応じたものに」すべきだ』
と”改革案”を示したいうことらしい。
いやはや、どういうわけかこの時期になるといろんな事件やニュースが出てきて慌ただしくなるようだ。
今度は、経済財政諮問会議の民間議員の知的財産戦略本部本部員 御手洗冨士夫(元キヤノン社長)が、物議をかもし出す”老人の思い付き”をして関係者を”振りまわしている”ようである。
私が大分前に「”高齢者に振り回される時代”突入? 」で注意を促したことが、大臣の不用意な発言ばかりか、今度は経済諮問会議の経営者出身老人たちからも出されてしまったように見える。
これは、御手洗冨士夫氏のグループが、
『運営費交付金が、学生数や設備などに連動して配分されている現状は変だ。配分ルールについて「大学の努力と成果に応じたものに」すべきだ』
と”改革案”を示したいうことらしい。
それに対して、文部省が「御手洗冨士夫改革案」に基づいて試算を行った結果、何と
「全87校のうち70校で交付金が減り、うち47校は半分以下となって経営が成り立たなくなる」
という見積もりが出たということらしい。
つまり、「御手洗冨士夫改革案」に基づいて”単純に”競争原理を導入した際の各大学の交付金の増減を試算した。ここがこの問題のもっとも核心的な部分だが、『研究の内容や成果に従って配分されている科学研究費補助金(科研費)の05年度獲得実績に基づいて計算すると』、全87校のうち70校で交付金が減り、うち47校は半分以下となって「経営が成り立たなくなる」という見積もりが出た、ということである。
これに対して、各大学の学長たちは、
「日本の大学教育がほろびかねない」
「地方の大学は抹殺される」
という悲鳴をあげているというのである。
今回はこの問題にコメントしておこう。
まあ、こういう話題は日本人はもっとも”苦手”とすることである。すなわち、よく理解できないことだろうと私は思う。なぜなら、あまり世界の大学システムを知らなすぎるからである。(あまり日本の大学システムを知らない人々には、私の昔の本(まったく売れていない本)をお勧めする。「何が科学をつぶすのか?」、「三セクター分立の概念」)
だから、こういうニュースが出ても何にが何だかあまり真偽のほどが分からないだろう。
このニュースの話は、簡単に言えば、日本の大企業の経営者にありがちな傾向を見事に示していると言える。つまり、日本の経営者は、”実に世間知らずだ”ということである。世界における「大学の役割や働き」というものをほとんど御存じない、という意味である。だから、「三セクター分立の概念」を御存じない。
「大学社会は、政府に従属してはならない」
というのが、私がこの10数年前から主張してきた「アカデミズムセクター」(=独立した社会セクター)の概念なのである。が、これを彼等は知らない。
もちろん、これは、すでに知る人たちは知っていることである。当然、アメリカや欧州では、これがすでに実現している。言い換えれば、「時の政府の思いつきや考え方や流行などによって大学世界が簡単に動かされるようなことでは、安定したアカデミズムは営むことができない」という意味である。すなわち、大学世界やアカデミズム世界は、企業社会からも政府官僚社会からも宗教社会からも独立したものでなくてはならない、ということである。
これを知らないから、連中は始終混乱する。
今回のニュースの内容は、経済財政諮問会議も経済財政諮問会議だが、文部科学省もまた文部科学省である。どちらも”無意識に”か、”意識的に”か知らないが、”巧妙に”自分達に”都合良く”混同しているのである(ひょっとすれば、全くバカすぎて理解できていないということかも知れないが)。
では、それは何か?
と言えば、しばらく前に「”フランクリンメダル考” 」で紹介したことだが、そこではこう書いていた。
”このことから何が言いたいかと言えば、「大学院までの”教育環境としての大学”と博士研究員以上の”研究環境としての大学”は違うのだ」ということである。マスコミや受験産業が注目するのは前者の”教育環境としての大学”のことであり、私のような研究者が見るのは後者の”研究環境としての大学”のことである。”
そこで紹介したように、大学社会というものの中では、「”教育”部門」としての大学の働きと「”研究”部門」(あるいは「”産業育成”部門」)としての大学の働きは違うのだ、ということである。言い換えれば、大学というものは、大学を教育機関として見る見方と同時に研究機関、産業育成機関としてみる2つの側面が存在するということである。そして、この2つの側面は「ヤヌスの面」のようにまったく異質なものなのである。
まずこの点は協調してもし過ぎることはないと言っておこう。
今回のニュースでは、経済財政諮問会議のお偉方も文部科学省のお役人も、ともにこの2つを見事に”混同”してしまった結果、大学の学長さん達を”嘆きの淵”に追いやってしまったのである。
なぜなら、「御手洗冨士夫改革案」も「文部科学省の見積もり」もともに、大学運営(すなわち大学の教育機関としての経営)を『研究の内容や成果に従って配分されている科学研究費補助金(科研費)の05年度獲得実績に基づいて計算』してしまったからである。
つまり、”大学運営”という大学活動の90%に渡る「教育機関」としての運営費の分配の問題を、大学活動の10%にすぎない「研究機関」としての研究費の分配の問題に摺り替えてしまったからである。
そりゃ、そうだろう。普通のサラリーマンに例えれば、「ふだんの月給の額の査定をするのに、年末のボーナス商戦の成否で査定する」というようなものだからである。ボーナス商戦の自分の売り上げだけで日頃の月給まで決められたら大変だ。
ところが、これと同じようなことを経済財政諮問会議のお偉方も文部科学省のお役人もやっているのである。これでは、大学の学長さんも音をあげるのは当たり前だろう。COE(競争的”研究”資金)の高い大学、つまり旧帝大が極端に有利となるのは明白だからである。しかし、連中(すなわち経済財政諮問会議のお偉方と文部科学省のお役人は、もう1つの間違いをやっている。
これも、「”フランクリンメダル考” 」で紹介したことだが、『日本人のノーベル賞級の研究は日本の大学からはめったになく、そのほとんどは大学の外で行われている』ということである。要するに、COE研究資金の分配のしかたそのものがナンセンスなのである。東大や京大など50年で1人程度、10兆円で1人の率でしかノーベル賞級の研究が出ていないのである。
そんなわけだから、現在の東大や京大を中心にすえた研究資金の分配法はまったく間違っているのである。この間違った”先入観”に基づいて今度は大学のふだんの教育機関としての運営費を決められるのだから、これでは2重のミスをしていることになるからである。
というわけで、この話は、分からない人にはまったく分からないだろうが、柳沢大臣の「生む機械発言」よりもっと悪質な意見なのである。
ほんと、私はキヤノンの元社長の御手洗冨士夫の今回のような意見を聞くとへどが出る。間違った意見やアイデアは、早くお引き取りを願いたいものである。
”亜米利加は上に行くほど伶俐でござる”
とは、かの勝海舟が言った言葉だが、私は大分前からこう言っている。
”日の本は、上に行くほど豚馬でござる”
世も末ですナ。もっとも大学の外にいる在野の私にはどっちでもいい話なのだが。
「全87校のうち70校で交付金が減り、うち47校は半分以下となって経営が成り立たなくなる」
という見積もりが出たということらしい。
つまり、「御手洗冨士夫改革案」に基づいて”単純に”競争原理を導入した際の各大学の交付金の増減を試算した。ここがこの問題のもっとも核心的な部分だが、『研究の内容や成果に従って配分されている科学研究費補助金(科研費)の05年度獲得実績に基づいて計算すると』、全87校のうち70校で交付金が減り、うち47校は半分以下となって「経営が成り立たなくなる」という見積もりが出た、ということである。
これに対して、各大学の学長たちは、
「日本の大学教育がほろびかねない」
「地方の大学は抹殺される」
という悲鳴をあげているというのである。
今回はこの問題にコメントしておこう。
まあ、こういう話題は日本人はもっとも”苦手”とすることである。すなわち、よく理解できないことだろうと私は思う。なぜなら、あまり世界の大学システムを知らなすぎるからである。(あまり日本の大学システムを知らない人々には、私の昔の本(まったく売れていない本)をお勧めする。「何が科学をつぶすのか?」、「三セクター分立の概念」)
だから、こういうニュースが出ても何にが何だかあまり真偽のほどが分からないだろう。
このニュースの話は、簡単に言えば、日本の大企業の経営者にありがちな傾向を見事に示していると言える。つまり、日本の経営者は、”実に世間知らずだ”ということである。世界における「大学の役割や働き」というものをほとんど御存じない、という意味である。だから、「三セクター分立の概念」を御存じない。
「大学社会は、政府に従属してはならない」
というのが、私がこの10数年前から主張してきた「アカデミズムセクター」(=独立した社会セクター)の概念なのである。が、これを彼等は知らない。
もちろん、これは、すでに知る人たちは知っていることである。当然、アメリカや欧州では、これがすでに実現している。言い換えれば、「時の政府の思いつきや考え方や流行などによって大学世界が簡単に動かされるようなことでは、安定したアカデミズムは営むことができない」という意味である。すなわち、大学世界やアカデミズム世界は、企業社会からも政府官僚社会からも宗教社会からも独立したものでなくてはならない、ということである。
これを知らないから、連中は始終混乱する。
今回のニュースの内容は、経済財政諮問会議も経済財政諮問会議だが、文部科学省もまた文部科学省である。どちらも”無意識に”か、”意識的に”か知らないが、”巧妙に”自分達に”都合良く”混同しているのである(ひょっとすれば、全くバカすぎて理解できていないということかも知れないが)。
では、それは何か?
と言えば、しばらく前に「”フランクリンメダル考” 」で紹介したことだが、そこではこう書いていた。
”このことから何が言いたいかと言えば、「大学院までの”教育環境としての大学”と博士研究員以上の”研究環境としての大学”は違うのだ」ということである。マスコミや受験産業が注目するのは前者の”教育環境としての大学”のことであり、私のような研究者が見るのは後者の”研究環境としての大学”のことである。”
そこで紹介したように、大学社会というものの中では、「”教育”部門」としての大学の働きと「”研究”部門」(あるいは「”産業育成”部門」)としての大学の働きは違うのだ、ということである。言い換えれば、大学というものは、大学を教育機関として見る見方と同時に研究機関、産業育成機関としてみる2つの側面が存在するということである。そして、この2つの側面は「ヤヌスの面」のようにまったく異質なものなのである。
まずこの点は協調してもし過ぎることはないと言っておこう。
今回のニュースでは、経済財政諮問会議のお偉方も文部科学省のお役人も、ともにこの2つを見事に”混同”してしまった結果、大学の学長さん達を”嘆きの淵”に追いやってしまったのである。
なぜなら、「御手洗冨士夫改革案」も「文部科学省の見積もり」もともに、大学運営(すなわち大学の教育機関としての経営)を『研究の内容や成果に従って配分されている科学研究費補助金(科研費)の05年度獲得実績に基づいて計算』してしまったからである。
つまり、”大学運営”という大学活動の90%に渡る「教育機関」としての運営費の分配の問題を、大学活動の10%にすぎない「研究機関」としての研究費の分配の問題に摺り替えてしまったからである。
そりゃ、そうだろう。普通のサラリーマンに例えれば、「ふだんの月給の額の査定をするのに、年末のボーナス商戦の成否で査定する」というようなものだからである。ボーナス商戦の自分の売り上げだけで日頃の月給まで決められたら大変だ。
ところが、これと同じようなことを経済財政諮問会議のお偉方も文部科学省のお役人もやっているのである。これでは、大学の学長さんも音をあげるのは当たり前だろう。COE(競争的”研究”資金)の高い大学、つまり旧帝大が極端に有利となるのは明白だからである。しかし、連中(すなわち経済財政諮問会議のお偉方と文部科学省のお役人は、もう1つの間違いをやっている。
これも、「”フランクリンメダル考” 」で紹介したことだが、『日本人のノーベル賞級の研究は日本の大学からはめったになく、そのほとんどは大学の外で行われている』ということである。要するに、COE研究資金の分配のしかたそのものがナンセンスなのである。東大や京大など50年で1人程度、10兆円で1人の率でしかノーベル賞級の研究が出ていないのである。
そんなわけだから、現在の東大や京大を中心にすえた研究資金の分配法はまったく間違っているのである。この間違った”先入観”に基づいて今度は大学のふだんの教育機関としての運営費を決められるのだから、これでは2重のミスをしていることになるからである。
というわけで、この話は、分からない人にはまったく分からないだろうが、柳沢大臣の「生む機械発言」よりもっと悪質な意見なのである。
ほんと、私はキヤノンの元社長の御手洗冨士夫の今回のような意見を聞くとへどが出る。間違った意見やアイデアは、早くお引き取りを願いたいものである。
”亜米利加は上に行くほど伶俐でござる”
とは、かの勝海舟が言った言葉だが、私は大分前からこう言っている。
”日の本は、上に行くほど豚馬でござる”
世も末ですナ。もっとも大学の外にいる在野の私にはどっちでもいい話なのだが。
[ 16:57 ]
[ 社会 ]
2億円相当の金塊、白昼堂々盗まれる 岐阜・高山
ちょっと前に
「「金属ドロボー」にもプロとアマがある? 」
で、金属ドロボーには”プロの手口”のものと、”アマチュアの手口”のものがあるということを紹介しておいた。
しかし、ちまたで「金属ドロボー」が頻発に起こっている間に、とうとう「白昼の黄金ドロボー」がまかり通る世の中となったようである。
こうなると、日本も自衛のために”武装”しなくてはならない(=自衛のために”銃”を持たなくてはならない)世の中になったということである。
いずれにせよ、
「実際、自転車ドロボーや金持ち老人の緊縛強盗、ピッキング強盗から始まり、作物ドロボー、そして金属ドロボーというように”徐々にエスカレート”してきているからである。」
と書いていたように、手口がどんどん荒っぽくなり、エスカレートして日本人の一般人をなめきった手口である。このことからも、犯人集団はアジア系マフィアであろう。
やはり、”産業スパイ”のところでも書いたように、日本にも「広域犯罪」専門の秘密組織、「日本版FBI」を作るべきだろう。
ちょっと前に
「「金属ドロボー」にもプロとアマがある? 」
で、金属ドロボーには”プロの手口”のものと、”アマチュアの手口”のものがあるということを紹介しておいた。
しかし、ちまたで「金属ドロボー」が頻発に起こっている間に、とうとう「白昼の黄金ドロボー」がまかり通る世の中となったようである。
こうなると、日本も自衛のために”武装”しなくてはならない(=自衛のために”銃”を持たなくてはならない)世の中になったということである。
いずれにせよ、
「実際、自転車ドロボーや金持ち老人の緊縛強盗、ピッキング強盗から始まり、作物ドロボー、そして金属ドロボーというように”徐々にエスカレート”してきているからである。」
と書いていたように、手口がどんどん荒っぽくなり、エスカレートして日本人の一般人をなめきった手口である。このことからも、犯人集団はアジア系マフィアであろう。
やはり、”産業スパイ”のところでも書いたように、日本にも「広域犯罪」専門の秘密組織、「日本版FBI」を作るべきだろう。
[ 13:54 ]
[ なでしこジャパン ]
サッカー女子、5大会連続のW杯出場決める
今年9月に中国で行われる女子サッカーのワールドカップ(W杯)最終予選プレーオフ、メキシコ代表日本代表の第2戦で日本は1-2で負けた。が、総得点で3-2と上回り見事本戦出場を決めた。
荒川の1点がなければ、危ういところだったようだ。
私はこの試合は見ていないが、前にも書いたように、沢選手をあまり高く評価しない。むしろ、”疫病神”と見ている。だから、第1戦目は勝ったが、第2戦目が勝負と見ていた。下手をすれば、沢のせいで予選敗退するのではなかろうか、と考えていた。しかし、何とか、無事に予選突破したようである。
おめでとう! なでしこジャパン。
今年9月に中国で行われる女子サッカーのワールドカップ(W杯)最終予選プレーオフ、メキシコ代表日本代表の第2戦で日本は1-2で負けた。が、総得点で3-2と上回り見事本戦出場を決めた。
荒川の1点がなければ、危ういところだったようだ。
私はこの試合は見ていないが、前にも書いたように、沢選手をあまり高く評価しない。むしろ、”疫病神”と見ている。だから、第1戦目は勝ったが、第2戦目が勝負と見ていた。下手をすれば、沢のせいで予選敗退するのではなかろうか、と考えていた。しかし、何とか、無事に予選突破したようである。
おめでとう! なでしこジャパン。
[ 13:29 ]
[ 政治・経済 ]
逮捕のデンソー技術者の旅行カバン内に、複数の記録媒体
いやはや、昨日アメリカのスパイのニュースを紹介したら、今度は日本にいる中国人スパイ(中国籍のデンソー技術者、楊魯川容疑者(41))が捕まった、というニュースが出てきた。
これは、いわゆる”産業スパイ”というものである。
私がユタ大に留学中の1986年頃、アメリカでこの中国人と似たようなことをした日本人がいた。当時、大問題になったものである。確か、富士通だったか、NECだったか、日本の大企業の派遣研究員がアメリカの大学や研究所などから情報入手して”産業スパイ”として捕まったというような話であった。
今回の事件はその日本版、日本における中国人産業スパイ事件である。
しかし、こうしてみると、日米で大きな違いも浮かび上がる。
それは何か、というと、次のようなことである。
アメリカの場合、産業スパイのような事件は、FBI(連邦警察)が捜査する。しかし、日本の場合は、今度の事件を見ると、どうやら事件の当事者がいる愛知県警が捜査しているというのである。
こういった産業スパイの場合は、広域に行うのが目的のはずだから、事件が愛知の企業デンソーで起こったといえども、その仲間はまた別の場所にいて、同時進行で行っている可能性が高いだろう。
アルカイーダによるアメリカのニューヨーク無差別テロの場合もそうであった。グループメンバーはいくつかに別れて並列にことを行う。そうすれば、だれかが失敗しても必ず他のだれかが成功する可能性が高い。
彼等もプロなのだから、つまり、プロの産業スパイなのだから、自分が捕まったとしても目的を果たすだけの仲間がいるはずである。グループのだれかが捕まった場合には、捕まった人物が時間稼ぎすれば、その間に他の仲間が十分に目的を果たしてすでに中国に帰国しているはずである。
こういう意味で、アメリカの場合には、地域にとわれない捜査ができる警察組織、つまりFBIが捜査するわけである。さもなくば、まんまと相手の手口に乗ってしまいかねないからである。
ついでにいえば、アメリカの場合は一味を一網打尽にするために、裁判に時間をかけずにすむように、「司法取り引き」をする。そのスパイと「仲間を教えれば刑を軽くする」という取り引きをして、他の仲間をあぶり出そうとするのである。
しかし、愛知県警が”大手柄”をたてたと思って調子扱いていると、実はもっと大物が別のところで産業スパイをして見事に成功して高笑いしている、という可能性もなきにしもあらず、である。
この楊容疑者は、06年10月から12月にかけ、社内のデータベースから、最高機密を含む計約13万件のデータをダウンロード。10月以降、2月の突然の帰国と合わせて計3回中国に帰国した、という。
果たしてこの逮捕が情報漏えいを未然に防ぐことになったのか、あるいは、もうすでに全部漏えいしてしまったのか、このところが分からない。
が、私の個人的想像では、すでに全部の情報は中国に渡ったと考えるべきだろうと思う。なぜなら、今やインターネットの時代である。ダウンロードと同時に情報など転送できるからである。だから、おそらく、すでにことを終えた後の”後始末”をしているところを日本の警察に捕まってしまったと見るべきだろう。
ほんとのんびりした国だ。
ところで、かつてアメリカで日本人による”産業スパイ事件”がもち上がった時、日米の大問題となり、政治問題にまで発展した。時代は日米貿易摩擦の時代であった。そして、「スーパー301条」を施行するぞ、という圧力のところまで行ったのである。大統領もこういった問題を憂慮した。
しかし、今回この事件に関して、日本政府は何の表明もしないというのだから、驚くべき国である。なぜなら、この事件の是非によって、今後このような事件が頻繁に起こるようになるのか、あるいはこれで「日本は厳しいぞ」ということとなり、こういう事件を防止できるかの瀬戸際だからである。甘く見ていれば、今後どんどんこういう産業スパイは増えることは必至である。
これまた、安倍さんの日本政府ものんびりした政府ですナ。
そろそろ、日本版FBIを作る時代に入っているのだが。
いやはや、昨日アメリカのスパイのニュースを紹介したら、今度は日本にいる中国人スパイ(中国籍のデンソー技術者、楊魯川容疑者(41))が捕まった、というニュースが出てきた。
これは、いわゆる”産業スパイ”というものである。
私がユタ大に留学中の1986年頃、アメリカでこの中国人と似たようなことをした日本人がいた。当時、大問題になったものである。確か、富士通だったか、NECだったか、日本の大企業の派遣研究員がアメリカの大学や研究所などから情報入手して”産業スパイ”として捕まったというような話であった。
今回の事件はその日本版、日本における中国人産業スパイ事件である。
しかし、こうしてみると、日米で大きな違いも浮かび上がる。
それは何か、というと、次のようなことである。
アメリカの場合、産業スパイのような事件は、FBI(連邦警察)が捜査する。しかし、日本の場合は、今度の事件を見ると、どうやら事件の当事者がいる愛知県警が捜査しているというのである。
こういった産業スパイの場合は、広域に行うのが目的のはずだから、事件が愛知の企業デンソーで起こったといえども、その仲間はまた別の場所にいて、同時進行で行っている可能性が高いだろう。
アルカイーダによるアメリカのニューヨーク無差別テロの場合もそうであった。グループメンバーはいくつかに別れて並列にことを行う。そうすれば、だれかが失敗しても必ず他のだれかが成功する可能性が高い。
彼等もプロなのだから、つまり、プロの産業スパイなのだから、自分が捕まったとしても目的を果たすだけの仲間がいるはずである。グループのだれかが捕まった場合には、捕まった人物が時間稼ぎすれば、その間に他の仲間が十分に目的を果たしてすでに中国に帰国しているはずである。
こういう意味で、アメリカの場合には、地域にとわれない捜査ができる警察組織、つまりFBIが捜査するわけである。さもなくば、まんまと相手の手口に乗ってしまいかねないからである。
ついでにいえば、アメリカの場合は一味を一網打尽にするために、裁判に時間をかけずにすむように、「司法取り引き」をする。そのスパイと「仲間を教えれば刑を軽くする」という取り引きをして、他の仲間をあぶり出そうとするのである。
しかし、愛知県警が”大手柄”をたてたと思って調子扱いていると、実はもっと大物が別のところで産業スパイをして見事に成功して高笑いしている、という可能性もなきにしもあらず、である。
この楊容疑者は、06年10月から12月にかけ、社内のデータベースから、最高機密を含む計約13万件のデータをダウンロード。10月以降、2月の突然の帰国と合わせて計3回中国に帰国した、という。
果たしてこの逮捕が情報漏えいを未然に防ぐことになったのか、あるいは、もうすでに全部漏えいしてしまったのか、このところが分からない。
が、私の個人的想像では、すでに全部の情報は中国に渡ったと考えるべきだろうと思う。なぜなら、今やインターネットの時代である。ダウンロードと同時に情報など転送できるからである。だから、おそらく、すでにことを終えた後の”後始末”をしているところを日本の警察に捕まってしまったと見るべきだろう。
ほんとのんびりした国だ。
ところで、かつてアメリカで日本人による”産業スパイ事件”がもち上がった時、日米の大問題となり、政治問題にまで発展した。時代は日米貿易摩擦の時代であった。そして、「スーパー301条」を施行するぞ、という圧力のところまで行ったのである。大統領もこういった問題を憂慮した。
しかし、今回この事件に関して、日本政府は何の表明もしないというのだから、驚くべき国である。なぜなら、この事件の是非によって、今後このような事件が頻繁に起こるようになるのか、あるいはこれで「日本は厳しいぞ」ということとなり、こういう事件を防止できるかの瀬戸際だからである。甘く見ていれば、今後どんどんこういう産業スパイは増えることは必至である。
これまた、安倍さんの日本政府ものんびりした政府ですナ。
そろそろ、日本版FBIを作る時代に入っているのだが。
2007/03/17のBlog
[ 12:26 ]
[ 政治・経済 ]
戦国時代、日本にも「くのいち」、「隠密」、「忍びの草」などいうものがあった。これらはみな諜報活動するスパイのことである。今回のこの事件は、世界政治の中でアメリカは今もなお日本の戦国時代と同じことをしているという証である。この意味で非常に面白い(つまり、考える価値がある)。
CIA元工作員が下院で初証言、身元漏えい不当性訴え
元CIAの秘密工作員(エージェント=女スパイ)、日本で言う”くのいち”であったバレリー・プレームさんが、ブッシュ政権のチェイニー副大統領から正体を暴かれて外交官であった夫とともに夫婦ともども失脚させられてしまった、というアメリカの現代版「忍術武芸帳」物語である。
プレームさんは言う。
「ホワイトハウスと国務省は軽率かつ無責任に私の名前と身元を悪用した」
「工作員の身元など機密情報は、政治やイデオロギーと無縁であるべき」
「夫のジョゼフ・ウィルソン元駐ガボン大使が、フセイン政権の大量破壊兵器計画の存在に疑問を投げかける報告をまとめたのに対し、ブッシュ政権がその信用性を失墜させるため、意図的に妻の身元を漏えいし、機密を政治利用した」
ある議員が質問した。
「チェイニー副大統領、カール・ローブ大統領次席補佐官ら当事者は、誰か1人でも謝罪してきたか」
ブレームさんは、涙ながらに答えた。
「ノー」
CIA元工作員が下院で初証言、身元漏えい不当性訴え
元CIAの秘密工作員(エージェント=女スパイ)、日本で言う”くのいち”であったバレリー・プレームさんが、ブッシュ政権のチェイニー副大統領から正体を暴かれて外交官であった夫とともに夫婦ともども失脚させられてしまった、というアメリカの現代版「忍術武芸帳」物語である。
プレームさんは言う。
「ホワイトハウスと国務省は軽率かつ無責任に私の名前と身元を悪用した」
「工作員の身元など機密情報は、政治やイデオロギーと無縁であるべき」
「夫のジョゼフ・ウィルソン元駐ガボン大使が、フセイン政権の大量破壊兵器計画の存在に疑問を投げかける報告をまとめたのに対し、ブッシュ政権がその信用性を失墜させるため、意図的に妻の身元を漏えいし、機密を政治利用した」
ある議員が質問した。
「チェイニー副大統領、カール・ローブ大統領次席補佐官ら当事者は、誰か1人でも謝罪してきたか」
ブレームさんは、涙ながらに答えた。
「ノー」
この事件に”ブッシュ王朝と化した”アメリカの現在の共和党政権の性格が見事に現れている。身内でも、自分に批判したものはどんどん正体を暴き立場をなくして失脚させるという”非道”なものである。
これは何かどこかのだれかさんの手口に実に似ている。そう、それこそ”非道”を売り物にした小泉純一郎の手口であった。
この意味では、このお二人さんは実に”兄弟”のように似ていると言えるのである。やくざ映画にあるような「兄弟の契り」を交わすというような関係である。「舎弟関係」というやつである。だからかどうか知らないが、今の自民党政権はアメリカに頭が上がらない。
しかし、いずれにせよ、アメリカ人は”金髪碧眼”が好きなんですナ。この”くのいち”も見事なまでに金髪碧眼。ブッシュ大統領の奥さんも金髪碧眼。クリントン元大統領の奥さんも金髪碧眼。
金髪碧眼をこよなく愛し、多くの金髪碧眼の愛人に囲まれて過ごし、金髪碧眼の”アーリア人”こそ人類最高に進化した人種であると唱ったアドルフ・ヒットラーのナチス・ドイツと実に良く似ている。
私は黒髪の方が好きなんだが、どうも金髪碧眼はだめだ。萎える。そんなことはどうでも良いが、私は昔からどういうわけか知らないが、「金髪碧眼を好む社会はなぜか独裁者国家的になる」という印象を持っている。ローマ帝国しかり、フランスしかり、チェコしかり。
しかし、日本も最近ではマスコミが金髪碧眼嗜好になってきているように見えて結構無気味である。
これは何かどこかのだれかさんの手口に実に似ている。そう、それこそ”非道”を売り物にした小泉純一郎の手口であった。
この意味では、このお二人さんは実に”兄弟”のように似ていると言えるのである。やくざ映画にあるような「兄弟の契り」を交わすというような関係である。「舎弟関係」というやつである。だからかどうか知らないが、今の自民党政権はアメリカに頭が上がらない。
しかし、いずれにせよ、アメリカ人は”金髪碧眼”が好きなんですナ。この”くのいち”も見事なまでに金髪碧眼。ブッシュ大統領の奥さんも金髪碧眼。クリントン元大統領の奥さんも金髪碧眼。
金髪碧眼をこよなく愛し、多くの金髪碧眼の愛人に囲まれて過ごし、金髪碧眼の”アーリア人”こそ人類最高に進化した人種であると唱ったアドルフ・ヒットラーのナチス・ドイツと実に良く似ている。
私は黒髪の方が好きなんだが、どうも金髪碧眼はだめだ。萎える。そんなことはどうでも良いが、私は昔からどういうわけか知らないが、「金髪碧眼を好む社会はなぜか独裁者国家的になる」という印象を持っている。ローマ帝国しかり、フランスしかり、チェコしかり。
しかし、日本も最近ではマスコミが金髪碧眼嗜好になってきているように見えて結構無気味である。
さて、話は脱線したが、現在ブッシュ政権が目指しているのは、イラクの次の爆撃相手国である。ブッシュ政権は、悪の枢軸国としてイラク、イラン、北朝鮮を名指しした。一応日本はこれから免れた。そして、この順で爆撃のための開戦準備しているのである。
すでにイラクはやっつけた(とブッシュ政権は思っている)。次はイランか北朝鮮か、と考えた。しかし、北朝鮮は地理が悪い。つまり、方角が悪い。それは、南西に中国、北西にロシア、東に日本、南に韓国と強敵がひしめく。うかつにど真ん中に飛び込んで、四方八方から攻められたらアメリカは敗北してしまう。実はこれを恐れていると私は思っている。要するに、経済的には同盟国でも軍事的には日本も韓国も中国もロシアも信じてはいないのである。
しかし、一方のイランなら周りはイスラム教国だけである。やっつけた国から入ってイランをやっつければ良い。
そこで、アメリカは北朝鮮はこの際「ちょっと置いといて」イランのみに集中したい。おそらくこれが本音だろう。
確かに日本や諸外国の「拉致問題」はあるが、すでに被害者は高齢である。しかも、イラクにおけるアメリカの被害者数と比べたら”誤差”のようなものである。アメリカの”流した血”と比べたら(つまり、アメリカの有能な好青年たちの死の数と比べたら)、日本人の拉致被害者など何だ、という論法である。最後には、こう言えば、日本政府は黙るとアメリカは知っているのである。要するに、世界は日本人のセンチメンタリズムで動くような甘い世界ではないのだ、と言えば黙ると知っているのである。
まあ、こんなわけだから、今アメリカはイランをいかにして爆撃するかの機会を待っているのである。だから、北朝鮮には”ニンジン”(経済制裁一部解除)をやるからちょっとの間黙っていろ、ということなのだろう。もちろん、北朝鮮にはそうは言わないだろうが。イランの次こそ北朝鮮に向かうのだから。
すでにイラクはやっつけた(とブッシュ政権は思っている)。次はイランか北朝鮮か、と考えた。しかし、北朝鮮は地理が悪い。つまり、方角が悪い。それは、南西に中国、北西にロシア、東に日本、南に韓国と強敵がひしめく。うかつにど真ん中に飛び込んで、四方八方から攻められたらアメリカは敗北してしまう。実はこれを恐れていると私は思っている。要するに、経済的には同盟国でも軍事的には日本も韓国も中国もロシアも信じてはいないのである。
しかし、一方のイランなら周りはイスラム教国だけである。やっつけた国から入ってイランをやっつければ良い。
そこで、アメリカは北朝鮮はこの際「ちょっと置いといて」イランのみに集中したい。おそらくこれが本音だろう。
確かに日本や諸外国の「拉致問題」はあるが、すでに被害者は高齢である。しかも、イラクにおけるアメリカの被害者数と比べたら”誤差”のようなものである。アメリカの”流した血”と比べたら(つまり、アメリカの有能な好青年たちの死の数と比べたら)、日本人の拉致被害者など何だ、という論法である。最後には、こう言えば、日本政府は黙るとアメリカは知っているのである。要するに、世界は日本人のセンチメンタリズムで動くような甘い世界ではないのだ、と言えば黙ると知っているのである。
まあ、こんなわけだから、今アメリカはイランをいかにして爆撃するかの機会を待っているのである。だから、北朝鮮には”ニンジン”(経済制裁一部解除)をやるからちょっとの間黙っていろ、ということなのだろう。もちろん、北朝鮮にはそうは言わないだろうが。イランの次こそ北朝鮮に向かうのだから。
しかし、問題はそこであると私は見る。アメリカがイラク、イラン、北朝鮮とやっつけた頃、アメリカの軍隊のほとんどが中東、アジアに出向いてしまう。その時、アメリカ本国を守る軍隊がいるのかどうか、ということである。
私の個人的憶測では、この時、今度は反米の中南米諸国がアメリカに侵攻してこないとも限らないと思うからである。かつてカリフォルニアやテキサスは中南米の国の植民地であった。カリフォルニアはアメリカが今のイラクのようなやり方でメキシコに勝手に戦争をしかけて分捕った場所である。テキサスはインディアンから奪い取った。逃げ延びた人々が中南米の国々の国民になったのである。
もしブッシュの先祖である南部の人間が、インディアンとの有名な戦争で破れたことを今もって記憶しているのであるとすれば、逆にアメリカに追いやられた人々もまた同じように自分達が土地を奪われたことを記憶しているはずである。今のパレスティナ人がイスラエル人に抱くものと同じことである。
南米ベネズエラのチャベス大統領は、アメリカと開戦しても平気という人物である。こういう人物達は”その時”をずっと待っているのである。
昔のアメリカがCIAの”くのいち”やスパイを使って、そういうアメリカ以外の敵対国の主要勢力を有名無実の内に”暗殺”したりクーデターで傀儡政権作りというものをやってきたのである。これがアメリカの法律でも認められてきた。だから、あからさまに敵対国を空爆するというような乱暴なことはするまでもなかった。
しかし、今や法律が変わり、CIAによる暗殺もクーデターもできなくなった。もはやそんなことをするまでもなく、直接開戦し空爆すればいいからである。その結果、昔程CIAの権力はなくなったのである。
そんなわけで、昔は大統領もCIAによって暗殺されるかもしれないという危険がつきまとった。しかしそれもなくなり、今や逆にCIAを売り飛ばすこともできるようになった。
これがこの事件の深部に潜むからくりのなのである。私は個人的には、そう”妄想”している。もちろん、ピンぼけマスコミや日本政府はそういったことは考えないだろうがネ。
というわけで、この事件は一見たいしたことが無さそうに見えるが、アメリカの権力動力学においてはものすごい意味を持つのである。だから、アメリカのマスコミ人はものすごい数の第一級の人材を派遣したわけである。が、日本人はいなかったのだろうヨ。
私の個人的憶測では、この時、今度は反米の中南米諸国がアメリカに侵攻してこないとも限らないと思うからである。かつてカリフォルニアやテキサスは中南米の国の植民地であった。カリフォルニアはアメリカが今のイラクのようなやり方でメキシコに勝手に戦争をしかけて分捕った場所である。テキサスはインディアンから奪い取った。逃げ延びた人々が中南米の国々の国民になったのである。
もしブッシュの先祖である南部の人間が、インディアンとの有名な戦争で破れたことを今もって記憶しているのであるとすれば、逆にアメリカに追いやられた人々もまた同じように自分達が土地を奪われたことを記憶しているはずである。今のパレスティナ人がイスラエル人に抱くものと同じことである。
南米ベネズエラのチャベス大統領は、アメリカと開戦しても平気という人物である。こういう人物達は”その時”をずっと待っているのである。
昔のアメリカがCIAの”くのいち”やスパイを使って、そういうアメリカ以外の敵対国の主要勢力を有名無実の内に”暗殺”したりクーデターで傀儡政権作りというものをやってきたのである。これがアメリカの法律でも認められてきた。だから、あからさまに敵対国を空爆するというような乱暴なことはするまでもなかった。
しかし、今や法律が変わり、CIAによる暗殺もクーデターもできなくなった。もはやそんなことをするまでもなく、直接開戦し空爆すればいいからである。その結果、昔程CIAの権力はなくなったのである。
そんなわけで、昔は大統領もCIAによって暗殺されるかもしれないという危険がつきまとった。しかしそれもなくなり、今や逆にCIAを売り飛ばすこともできるようになった。
これがこの事件の深部に潜むからくりのなのである。私は個人的には、そう”妄想”している。もちろん、ピンぼけマスコミや日本政府はそういったことは考えないだろうがネ。
というわけで、この事件は一見たいしたことが無さそうに見えるが、アメリカの権力動力学においてはものすごい意味を持つのである。だから、アメリカのマスコミ人はものすごい数の第一級の人材を派遣したわけである。が、日本人はいなかったのだろうヨ。
2007/03/16のBlog
[ 17:59 ]
[ 大学・大学院 ]
ちょっと前に「戸塚洋二博士にフランクリンメダル 」で私は、日本人では、過去には以下の人々がこの賞を受賞したということを紹介した。
江崎玲於奈氏(1961)「江崎ダイオード」
有馬朗人氏(1990)「原子核のボソン模型」
外村彰氏(1999)「電子線ホログラフィー」
飯島澄男氏(2002)「カーボンナノチューブ」
中村修二氏(2002)「窒化ガリウム青色発光ダイオード」
小柴正俊氏(2003)「ニュートリノの検出」
南部陽一郎氏(2005)「素粒子論への貢献」(南部陽一郎博士、フランクリン・メダルを受賞! )
しかし、このままでは、これを見ると、「日本人はすごい」と”間違った印象を受け取る人”(つまり、意味を逆に受け取る人)が出てしまう可能性があるので、ちょっとコメントしておこう。
【5年に1人】
まず、最初の1961年の江崎さんから今回の2007年の戸塚さんまで”46年”ほどの時間の幅があるということを指摘しておこう。つまり、この賞を取るにあたって、「日本人は”約半世紀”の間に9人しかもらっていない」ということである。
簡単に50年で10人ということにしよう。すると、「5年に1人」の割合になる。まあ、これを見れば、「そうか、5年に1人だから結構もらっているじゃないか」という印象を持つに違いない。
フランクリンメダルは「ノーベル賞の前哨戦」とも言われ、この賞の次はノーベル賞だというふうに見なされている重要な賞である。だから、結構良い成績と見る人も出るだろう。
【10兆円で1人】
しかし、待ってもらいたい。1995年に「科学技術基本法」が出来てから、5年で40兆円の投資が行われるようになった。だから、1995年以来に限ってもすでに100兆円規模の投資が日本の大学に投資されたのである。これは現実の話である。
100兆円の投資で、たったの10人しかノーベル賞級を出さなかったということである。つまり、1人のノーベル賞級を出すのに、日本人は10兆円もかけているという歩留まりである。非常に非効率であるということになる。
江崎玲於奈氏(1961)「江崎ダイオード」
有馬朗人氏(1990)「原子核のボソン模型」
外村彰氏(1999)「電子線ホログラフィー」
飯島澄男氏(2002)「カーボンナノチューブ」
中村修二氏(2002)「窒化ガリウム青色発光ダイオード」
小柴正俊氏(2003)「ニュートリノの検出」
南部陽一郎氏(2005)「素粒子論への貢献」(南部陽一郎博士、フランクリン・メダルを受賞! )
しかし、このままでは、これを見ると、「日本人はすごい」と”間違った印象を受け取る人”(つまり、意味を逆に受け取る人)が出てしまう可能性があるので、ちょっとコメントしておこう。
【5年に1人】
まず、最初の1961年の江崎さんから今回の2007年の戸塚さんまで”46年”ほどの時間の幅があるということを指摘しておこう。つまり、この賞を取るにあたって、「日本人は”約半世紀”の間に9人しかもらっていない」ということである。
簡単に50年で10人ということにしよう。すると、「5年に1人」の割合になる。まあ、これを見れば、「そうか、5年に1人だから結構もらっているじゃないか」という印象を持つに違いない。
フランクリンメダルは「ノーベル賞の前哨戦」とも言われ、この賞の次はノーベル賞だというふうに見なされている重要な賞である。だから、結構良い成績と見る人も出るだろう。
【10兆円で1人】
しかし、待ってもらいたい。1995年に「科学技術基本法」が出来てから、5年で40兆円の投資が行われるようになった。だから、1995年以来に限ってもすでに100兆円規模の投資が日本の大学に投資されたのである。これは現実の話である。
100兆円の投資で、たったの10人しかノーベル賞級を出さなかったということである。つまり、1人のノーベル賞級を出すのに、日本人は10兆円もかけているという歩留まりである。非常に非効率であるということになる。
【民間企業における大研究だった】
さらに、ついでに加えれば、実は上の受賞者の大半は「日本の大学で行われたものではなかった」のである。つまり、民間企業で行われたものである。
まず、江崎玲於奈さんは、ソニーの前身の会社で行った研究であった。
有馬朗人さんはアメリカ留学中の研究である。その上、有馬朗人さんの研究にはイアチェロというその筋の大家がアメリカにいてその人との共著の研究であった。
外村彰さんは、日立での研究であった。
中村修二さんは、日亜化学での研究であった。
小柴正俊さんや戸塚洋二さんは、きめてとなった光電子増倍管は浜松ホトニクスで製作したものであった。
南部陽一郎さんは、若くしてアメリカのシカゴ大学に赴任し、そこで行ったワールドクラスの研究であった。
つまり、本当の意味で日本の大学で行われたのは、名城大時代の飯島澄男さんの研究だけであったのである。ここで”注意”すべきは、東大や京大など旧帝大はない!ということである。もちろん、出身大学には旧帝大の人もある。しかし「実際の研究の場は出身大学とはあまり関係なかった」という事実である。
【日本のマスコミと受験産業の誤解】
どうも文部科学省のお役人さんも日本国民も含めてどうもここのところが少しも理解できないようである。私が見てきた限り、この30年間、まったくこの点の認識は進歩しなかった。これは”日本のマスコミと受験産業のせいである”と私は考えている。
受験シーズン前やそれが終わったこの時期、毎年日本のマスコミはこれに拍車をかけるようなことをする。つまり、「有名国立私立大学の合格者発表」というようなものをして、「合格者の出身高校を公表して合格者数によるランキングをつける」のである。私はつい昨日「読売ウィークリー」を見たが、これを読売もやっていた。もちろん、ネット上の有名新聞内でもこれをやっている。
これがいかに”馬鹿げているか”ということを上の受賞者たちは証明してくれているのだが、どうも”こういった現実”というものをマスコミは公表したがらない。どうしたわけだろうか。私には理解できない。
問題はこのマスコミ(つまり、マスコミ業界の広告スポンサーとなっている受験業界のカモになっているマスコミ)の流布した名門大学のイメージが一人歩きして、その名門のイメージに応じて国が研究助成金を配分するということである。
まあ、ハッキリ言って、「東大や京大には研究費はいらない」のである。
東大なんかは50年に1人くらいしかノーベル賞学者を出さないのだから、研究資金なんかやらなくても結果において何ら差はないということなのである。これがこの50年の歴史なのである。
しかし、現実には、東大を頂点として見事な階層構造で研究資金が配分されているのである。これがいかに税金の無駄使いになっているかということなのである。
もちろん、これは極論だが、一面の真理をついている。普通のレベルの研究では、東大や京大や阪大など旧帝大もそこそこ研究している。しかし、世界の科学の歴史を塗り替えるようなものはほとんどない、という意味である。言い換えれば、日本の顔となるような研究がない。研究者がいないということである。欧米の追随者やよき理解者は多い。
このことから何が言いたいかと言えば、「大学院までの”教育環境としての大学”と博士研究員以上の”研究環境としての大学”は違うのだ」ということである。マスコミや受験産業が注目するのは前者の”教育環境としての大学”のことであり、私のような研究者が見るのは後者の”研究環境としての大学”のことである。
しかし、研究に関しては、むしろ大学より民間企業の方が業績を残しているという事実である。江崎さんも外村さんも中村さんも大学の外で苦労しながら、苦労したからこそ良い研究を行ったとも言えるのである。この事実を無視してはならない。
1995年以降、日本の大学は「大学バブル」に湧いているという。建物は新築され、研究費は潤沢となり、学会参加や国際学会参加の海外旅行も頻繁にできるようになったという。
こうして10年以上経ってみたら、「きれいな背広を着て、美味しいものばかり食べて、贅沢三昧だけを覚えたのが日本の大学の先生たちだった」ということになっていないことを祈るのみ。
さらに、ついでに加えれば、実は上の受賞者の大半は「日本の大学で行われたものではなかった」のである。つまり、民間企業で行われたものである。
まず、江崎玲於奈さんは、ソニーの前身の会社で行った研究であった。
有馬朗人さんはアメリカ留学中の研究である。その上、有馬朗人さんの研究にはイアチェロというその筋の大家がアメリカにいてその人との共著の研究であった。
外村彰さんは、日立での研究であった。
中村修二さんは、日亜化学での研究であった。
小柴正俊さんや戸塚洋二さんは、きめてとなった光電子増倍管は浜松ホトニクスで製作したものであった。
南部陽一郎さんは、若くしてアメリカのシカゴ大学に赴任し、そこで行ったワールドクラスの研究であった。
つまり、本当の意味で日本の大学で行われたのは、名城大時代の飯島澄男さんの研究だけであったのである。ここで”注意”すべきは、東大や京大など旧帝大はない!ということである。もちろん、出身大学には旧帝大の人もある。しかし「実際の研究の場は出身大学とはあまり関係なかった」という事実である。
【日本のマスコミと受験産業の誤解】
どうも文部科学省のお役人さんも日本国民も含めてどうもここのところが少しも理解できないようである。私が見てきた限り、この30年間、まったくこの点の認識は進歩しなかった。これは”日本のマスコミと受験産業のせいである”と私は考えている。
受験シーズン前やそれが終わったこの時期、毎年日本のマスコミはこれに拍車をかけるようなことをする。つまり、「有名国立私立大学の合格者発表」というようなものをして、「合格者の出身高校を公表して合格者数によるランキングをつける」のである。私はつい昨日「読売ウィークリー」を見たが、これを読売もやっていた。もちろん、ネット上の有名新聞内でもこれをやっている。
これがいかに”馬鹿げているか”ということを上の受賞者たちは証明してくれているのだが、どうも”こういった現実”というものをマスコミは公表したがらない。どうしたわけだろうか。私には理解できない。
問題はこのマスコミ(つまり、マスコミ業界の広告スポンサーとなっている受験業界のカモになっているマスコミ)の流布した名門大学のイメージが一人歩きして、その名門のイメージに応じて国が研究助成金を配分するということである。
まあ、ハッキリ言って、「東大や京大には研究費はいらない」のである。
東大なんかは50年に1人くらいしかノーベル賞学者を出さないのだから、研究資金なんかやらなくても結果において何ら差はないということなのである。これがこの50年の歴史なのである。
しかし、現実には、東大を頂点として見事な階層構造で研究資金が配分されているのである。これがいかに税金の無駄使いになっているかということなのである。
もちろん、これは極論だが、一面の真理をついている。普通のレベルの研究では、東大や京大や阪大など旧帝大もそこそこ研究している。しかし、世界の科学の歴史を塗り替えるようなものはほとんどない、という意味である。言い換えれば、日本の顔となるような研究がない。研究者がいないということである。欧米の追随者やよき理解者は多い。
このことから何が言いたいかと言えば、「大学院までの”教育環境としての大学”と博士研究員以上の”研究環境としての大学”は違うのだ」ということである。マスコミや受験産業が注目するのは前者の”教育環境としての大学”のことであり、私のような研究者が見るのは後者の”研究環境としての大学”のことである。
しかし、研究に関しては、むしろ大学より民間企業の方が業績を残しているという事実である。江崎さんも外村さんも中村さんも大学の外で苦労しながら、苦労したからこそ良い研究を行ったとも言えるのである。この事実を無視してはならない。
1995年以降、日本の大学は「大学バブル」に湧いているという。建物は新築され、研究費は潤沢となり、学会参加や国際学会参加の海外旅行も頻繁にできるようになったという。
こうして10年以上経ってみたら、「きれいな背広を着て、美味しいものばかり食べて、贅沢三昧だけを覚えたのが日本の大学の先生たちだった」ということになっていないことを祈るのみ。
2007/03/15のBlog
[ 15:12 ]
[ 著作&本の紹介 ]
日本人の脳 脳の働きと東西の文化 角田忠信
私がまだ大学に入って間もない頃の1970年代後半、私の記憶では当時東京医科歯科大学の教授であった角田忠信氏が1冊の本を著した。それが「日本人の脳」という本であった。私にとってこの本の影響ははかり知れないものがあった。それほどのインパクトを受けたのである。この時の印象は、昨日のことのように覚えている。
私は当時まだ東京理科大理工の学部生であった。本屋でこの本を偶然見つけて買った。しかし、読み進む内に”衝撃”を受けたのである。
なぜなら、どうやら「日本人の脳と西洋人の脳とではその働きが違う」のである。そういうことを著者がその当時の最先端の脳科学の手法による自らの研究によって証明したからである。
私の記憶では、虫の鳴き声とか、雨水の音とか、さまざまな音をホルマント構造というスペクトルに分解し、その一部を取り出しテープに記録する。音が記録されたテープから音を左右の耳で聞かせる。その時、被験者の”利き耳”がどっちかにより、音に対する反応の早さが異なる。この性質を利用して、音ごとに自分の右左のどっちで最初に聴いたかを記録する。こういう方法でいろんな音に対して右左の答えを調べていく。これをさまざまな人種や性別で行う。
確かこんな感じの実験であった。当時は、まだ現在のような脳断層を見るCTスキャンもなければ、脳機能を直接映像化するPETもなかった。だから、こんなささやかな実験しかできなかったわけだ。しかしそれでも最先端だったのである。
”利き耳”のある方は「論理脳」に繋がり、そうではない方は「感性脳」につながる。普通の人は右耳が利き耳だから左脳が論理脳で、右脳が感性脳である。この一般的事実と自分の観測結果をつなげて角田氏は”驚くべき事実”を発見したのである。つまり、コウロギの鳴き声や雨水の垂れる音とか、日本人がカタカナで表現するような音というものを、日本人は音ではなく一種の言葉として受け取っている、という発見である。
角田さんは、これをさらに広げていって、日本人の社会文化論にまで昇華させたものが、「日本人の脳」という本であった。
私がまだ大学に入って間もない頃の1970年代後半、私の記憶では当時東京医科歯科大学の教授であった角田忠信氏が1冊の本を著した。それが「日本人の脳」という本であった。私にとってこの本の影響ははかり知れないものがあった。それほどのインパクトを受けたのである。この時の印象は、昨日のことのように覚えている。
私は当時まだ東京理科大理工の学部生であった。本屋でこの本を偶然見つけて買った。しかし、読み進む内に”衝撃”を受けたのである。
なぜなら、どうやら「日本人の脳と西洋人の脳とではその働きが違う」のである。そういうことを著者がその当時の最先端の脳科学の手法による自らの研究によって証明したからである。
私の記憶では、虫の鳴き声とか、雨水の音とか、さまざまな音をホルマント構造というスペクトルに分解し、その一部を取り出しテープに記録する。音が記録されたテープから音を左右の耳で聞かせる。その時、被験者の”利き耳”がどっちかにより、音に対する反応の早さが異なる。この性質を利用して、音ごとに自分の右左のどっちで最初に聴いたかを記録する。こういう方法でいろんな音に対して右左の答えを調べていく。これをさまざまな人種や性別で行う。
確かこんな感じの実験であった。当時は、まだ現在のような脳断層を見るCTスキャンもなければ、脳機能を直接映像化するPETもなかった。だから、こんなささやかな実験しかできなかったわけだ。しかしそれでも最先端だったのである。
”利き耳”のある方は「論理脳」に繋がり、そうではない方は「感性脳」につながる。普通の人は右耳が利き耳だから左脳が論理脳で、右脳が感性脳である。この一般的事実と自分の観測結果をつなげて角田氏は”驚くべき事実”を発見したのである。つまり、コウロギの鳴き声や雨水の垂れる音とか、日本人がカタカナで表現するような音というものを、日本人は音ではなく一種の言葉として受け取っている、という発見である。
角田さんは、これをさらに広げていって、日本人の社会文化論にまで昇華させたものが、「日本人の脳」という本であった。
私の記憶では、この本は発売当初はセンセーションを巻き起こしたが、東大などのより権威的な学者たちからの圧力にさらされた。当時の技術ではこういう本に書く程の根拠がないと非難されるようになり、しだいにこの本の革命的内容は徐々に忘れ去られていったのであったと思う。要するに、今でもあるように大学のお調子者の研究者たちから「トンデモ本」扱いされたというわけである。こういう連中は今も昔も変わらず必ずいるから面白い。
ところが、つい先日あるテレビの一場面を見ていて私は驚いた。最近の脳科学の画像技術によって脳の活動領域を直接見ることが出来るようになったが、それを使ってコウロギの鳴き声などを聞かせながらどこが活動しているかを調べたところ、やはり日本人の脳は虫の音を言葉として左脳で聴き取っていることが明白となった、というのである。
こういう番組を私は偶然見たのである。まさに「30年前の角田説が正しい」ということが分かったのである。現代の最先端科学の力を使って初めて「一目瞭然」、角田説をだれもが確信した、というべきだろう。
この意味で、角田忠信氏の「日本人の脳」という本は、非常にユニークかつ驚くべき本である、ということができる。おそらく、東大や京大の脳科学の専門家が書くような教科書的な”凡庸な”本ではない。時として、欧米にいるユダヤ人が書くようなタイプの本である。たとえば、アインシュタインとか、フロイトとか、ダーウィンとか、ヴィトゲンシュタインとかが書いたような”非常に優れて変わった”タイプの本と言えるだろう。私の知る限り、日本人が書いた本で、角田氏の本のように変わった本はない(もちろん、常識破りで学ぶべきところが多い本という意味である)。文字どおりの希有な本である。
当然のことながら、これが意味することは、角田氏が日本のアカデミズムの権威たちから一目を置かれた存在であるということも、一般的に有名人であるということも意味しない。しかし、”真実”というものは、避けられないもので、いくら権威が無視していてもいずれは本当の所に落ち着くのである。
果たして角田忠信さんはまだ健在なのだろうか。そろそろ角田氏を本当のあるべきところに引き上げるべきだろう。
参考:
カリスマ会
ところが、つい先日あるテレビの一場面を見ていて私は驚いた。最近の脳科学の画像技術によって脳の活動領域を直接見ることが出来るようになったが、それを使ってコウロギの鳴き声などを聞かせながらどこが活動しているかを調べたところ、やはり日本人の脳は虫の音を言葉として左脳で聴き取っていることが明白となった、というのである。
こういう番組を私は偶然見たのである。まさに「30年前の角田説が正しい」ということが分かったのである。現代の最先端科学の力を使って初めて「一目瞭然」、角田説をだれもが確信した、というべきだろう。
この意味で、角田忠信氏の「日本人の脳」という本は、非常にユニークかつ驚くべき本である、ということができる。おそらく、東大や京大の脳科学の専門家が書くような教科書的な”凡庸な”本ではない。時として、欧米にいるユダヤ人が書くようなタイプの本である。たとえば、アインシュタインとか、フロイトとか、ダーウィンとか、ヴィトゲンシュタインとかが書いたような”非常に優れて変わった”タイプの本と言えるだろう。私の知る限り、日本人が書いた本で、角田氏の本のように変わった本はない(もちろん、常識破りで学ぶべきところが多い本という意味である)。文字どおりの希有な本である。
当然のことながら、これが意味することは、角田氏が日本のアカデミズムの権威たちから一目を置かれた存在であるということも、一般的に有名人であるということも意味しない。しかし、”真実”というものは、避けられないもので、いくら権威が無視していてもいずれは本当の所に落ち着くのである。
果たして角田忠信さんはまだ健在なのだろうか。そろそろ角田氏を本当のあるべきところに引き上げるべきだろう。
参考:
カリスマ会