・年齢を重ねてくると、
これまで気づかなかった
じぶんの「よくないところ」を、
見つけるのがうまくなるものです。
ちょっと過去にさかのぼると、
そのじぶんの「よくないところ」が
あることを知らなくて、それはそれでそれなりに、
毎日を過ごしていたわけです。
じぶんの「よくないところ」を
見つけられたからといって、
あんまりなにかが変わるということもないです。
直しようもないくらい深いところに、
「よくないところ」の原点があったりします。
開き直るわけじゃなくて、ドンマイ、と、
じぶんに言ってやるしかないこともあるわけです。
だから、たぶん、ほとんどの人は、
じぶんの「よくないところ」と、
悪友のようにつきあっていくんでしょうね。
しかし、じぶんの「よくないところ」というのは、
じぶんの「いいところ」が存在するための、
理由だったりするんです。
どこかに、影や、ゆがみや、不足や、汚れがあるために、
それをごまかそうとしたり、忘れようとしたりして、
別のなにかが発達することがあります。
弱さが、別のどこかを強く鍛えてしまう。
それは、悲しいことでもあるのですが、
あんがい、そこに、
人がよろこんでくれることがあるんですよね。
「よくないところ」が、あらわれにくいような、
とても幸運な人も、いるんだと思います。
でも、たいていの人には「よくないところ」が、
不幸にも、ほんとうはあるわけです。
思えば、その不幸のせいで、
生きることが、苦さもふくめておもしろくなるんだなぁ。
友よ、なっ。
今日も「ほぼ日」に来てくれて、感謝します。
これまで気づかなかった
じぶんの「よくないところ」を、
見つけるのがうまくなるものです。
ちょっと過去にさかのぼると、
そのじぶんの「よくないところ」が
あることを知らなくて、それはそれでそれなりに、
毎日を過ごしていたわけです。
じぶんの「よくないところ」を
見つけられたからといって、
あんまりなにかが変わるということもないです。
直しようもないくらい深いところに、
「よくないところ」の原点があったりします。
開き直るわけじゃなくて、ドンマイ、と、
じぶんに言ってやるしかないこともあるわけです。
だから、たぶん、ほとんどの人は、
じぶんの「よくないところ」と、
悪友のようにつきあっていくんでしょうね。
しかし、じぶんの「よくないところ」というのは、
じぶんの「いいところ」が存在するための、
理由だったりするんです。
どこかに、影や、ゆがみや、不足や、汚れがあるために、
それをごまかそうとしたり、忘れようとしたりして、
別のなにかが発達することがあります。
弱さが、別のどこかを強く鍛えてしまう。
それは、悲しいことでもあるのですが、
あんがい、そこに、
人がよろこんでくれることがあるんですよね。
「よくないところ」が、あらわれにくいような、
とても幸運な人も、いるんだと思います。
でも、たいていの人には「よくないところ」が、
不幸にも、ほんとうはあるわけです。
思えば、その不幸のせいで、
生きることが、苦さもふくめておもしろくなるんだなぁ。
友よ、なっ。
今日も「ほぼ日」に来てくれて、感謝します。