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2007/06/13のBlog
[ 10:06 ]
[ 政治・経済 ]
しばらく前に
ゴア元副大統領が演説すると桶屋が儲かる?
にこう書いていた。
”「アメリカのゴア元副大統領が地球を救おうと演説すると桶屋が儲かる」
これだけでは何のことかわからないだろう。こういうことである。
”地球温暖化”現象改善のために、アメリカのゴア元副大統領が映画を作り、世界中を駆け巡る。すると、世界中の知識人やお金持ちの意識が良い方向に変わり、病んでしまった地球改善のためにその対策にお金を投資するようになる。バイオ燃料やエタノール燃料の研究に投資するようになる。そのためには、植物や動物が必要だ。すると、もっとも安いトウモロコシや大豆など、あるいは海藻の類いが材料となる。すると、それを主食として生活している人間、それも安い食料しか買うことのできない人々が食うに困る。結果として、主食のトウモロコシは高騰し、経済的弱者から路頭に迷い。餓死者が続出する。結果として葬儀屋が儲かる。”
どうやらこの私の言っていたことが早々に”不都合な真実”となったようだ。
エタノール普及で食料値上がり、ガソリン増も…米の報告書
まあ、社会学者や経済学者は「エントロピー増大の法則」というものをあまり御存じないのかもしれない。
我々物理学者の思想では、無限にエネルギーを獲得できる「永久機関」なるものは存在しない。なぜならば、何をするにもエネルギーをロスしてしまうからだ。ましてや、何も無いところからエネルギーを取ることは不可能。
したがって、石油やガソリンに代わり、エタノールにしようとしても、それが普及するまでには、非常に”無駄”が発生する。したがって、エタノールがガソリンに取って代わったとしても、エネルギーロスは不可避である。当然、CO2は何からも発生する。すなわち、何をしてもエントロピーは増大する。これが、この世の定めである。
かつて、人が人力で農業に従事していた時は、労働力とは人が労働に要する時間であった。それが、馬や牛の家畜の力に代わり、”馬力”なるものが生まれた。それゆえ、この時代を見て、経済学者マルクスは、「お金の価値とは人力労働力と等価であるのだ」という考えを持った。
後にイギリスの産業革命で、蒸気エンジンが生まれると、化石燃料の燃焼から、”馬力”が生まれるようになった。それゆえ、この時代を見た、ケインズは「何ごとも需要と供給で決まるのだ」という投資経済や市場経済学の基礎を発見した。
そして、ガソリンエンジンが生まれ、現在の自動車時代となった。すると、労働は人力ではなく、エンジンがやってくれるので、人はエンジンが稼いだ金を「いかに投資して儲けたらいいか」という投資経済の時代となった。
ところが、エンジンが燃料を食う。その燃料は無限ではなかった。「人が飯をくって何時間か働けば物ができる」というマルクスの時代とちがって、「エンジンが燃料を食って何時間か動けば物ができる」というのが我々の時代となったわけである。だから、経済の大きさは燃料の総量に依存している。燃料がなくなれば、経済は萎み、人力時代の経済力へと後退する。
しかし、エンジンの食い物がなくなっても、我々人や動物の食い物があれば、人類は生存可能である。しかし、エンジンにこだわるあまり、人の食い物を犠牲にすれば、生態系は壊れる。18世紀の”ロウソク”と”馬車”の時代に舞い戻ったとしても、人類は生存可能であるが、ガソリンを欲しいがあまり戦争すれば、人類の生存は脅かされる。
どうも現代人はこの辺が本末転倒となって理解しているのである。
ガソリンのない時代に人はピラミッドを作った。灯油のない時代にお城を作った。したがって、仮に電気がなくても、人はビルを作れるはずである。何も恐れることはない。
人が楽するために食物から燃料を取ろうとするより、食物を食って人が働けばいいのである。先進国の人間はどうしてこんな簡単なことが分からないのだろうか。不思議な話であるナ。
参考:
バイオ燃料の行方?:金持ちvs貧乏人
カオス理論の新しい標語:”自爆テロ効果”
ゴア元副大統領が演説すると桶屋が儲かる?
にこう書いていた。
”「アメリカのゴア元副大統領が地球を救おうと演説すると桶屋が儲かる」
これだけでは何のことかわからないだろう。こういうことである。
”地球温暖化”現象改善のために、アメリカのゴア元副大統領が映画を作り、世界中を駆け巡る。すると、世界中の知識人やお金持ちの意識が良い方向に変わり、病んでしまった地球改善のためにその対策にお金を投資するようになる。バイオ燃料やエタノール燃料の研究に投資するようになる。そのためには、植物や動物が必要だ。すると、もっとも安いトウモロコシや大豆など、あるいは海藻の類いが材料となる。すると、それを主食として生活している人間、それも安い食料しか買うことのできない人々が食うに困る。結果として、主食のトウモロコシは高騰し、経済的弱者から路頭に迷い。餓死者が続出する。結果として葬儀屋が儲かる。”
どうやらこの私の言っていたことが早々に”不都合な真実”となったようだ。
エタノール普及で食料値上がり、ガソリン増も…米の報告書
まあ、社会学者や経済学者は「エントロピー増大の法則」というものをあまり御存じないのかもしれない。
我々物理学者の思想では、無限にエネルギーを獲得できる「永久機関」なるものは存在しない。なぜならば、何をするにもエネルギーをロスしてしまうからだ。ましてや、何も無いところからエネルギーを取ることは不可能。
したがって、石油やガソリンに代わり、エタノールにしようとしても、それが普及するまでには、非常に”無駄”が発生する。したがって、エタノールがガソリンに取って代わったとしても、エネルギーロスは不可避である。当然、CO2は何からも発生する。すなわち、何をしてもエントロピーは増大する。これが、この世の定めである。
かつて、人が人力で農業に従事していた時は、労働力とは人が労働に要する時間であった。それが、馬や牛の家畜の力に代わり、”馬力”なるものが生まれた。それゆえ、この時代を見て、経済学者マルクスは、「お金の価値とは人力労働力と等価であるのだ」という考えを持った。
後にイギリスの産業革命で、蒸気エンジンが生まれると、化石燃料の燃焼から、”馬力”が生まれるようになった。それゆえ、この時代を見た、ケインズは「何ごとも需要と供給で決まるのだ」という投資経済や市場経済学の基礎を発見した。
そして、ガソリンエンジンが生まれ、現在の自動車時代となった。すると、労働は人力ではなく、エンジンがやってくれるので、人はエンジンが稼いだ金を「いかに投資して儲けたらいいか」という投資経済の時代となった。
ところが、エンジンが燃料を食う。その燃料は無限ではなかった。「人が飯をくって何時間か働けば物ができる」というマルクスの時代とちがって、「エンジンが燃料を食って何時間か動けば物ができる」というのが我々の時代となったわけである。だから、経済の大きさは燃料の総量に依存している。燃料がなくなれば、経済は萎み、人力時代の経済力へと後退する。
しかし、エンジンの食い物がなくなっても、我々人や動物の食い物があれば、人類は生存可能である。しかし、エンジンにこだわるあまり、人の食い物を犠牲にすれば、生態系は壊れる。18世紀の”ロウソク”と”馬車”の時代に舞い戻ったとしても、人類は生存可能であるが、ガソリンを欲しいがあまり戦争すれば、人類の生存は脅かされる。
どうも現代人はこの辺が本末転倒となって理解しているのである。
ガソリンのない時代に人はピラミッドを作った。灯油のない時代にお城を作った。したがって、仮に電気がなくても、人はビルを作れるはずである。何も恐れることはない。
人が楽するために食物から燃料を取ろうとするより、食物を食って人が働けばいいのである。先進国の人間はどうしてこんな簡単なことが分からないのだろうか。不思議な話であるナ。
参考:
バイオ燃料の行方?:金持ちvs貧乏人
カオス理論の新しい標語:”自爆テロ効果”
2007/06/10のBlog
[ 20:46 ]
[ ジョーク ]
笑いは百薬之長。以下はジョーク。笑い飛ばすことが肝心。
世の中には、賢い人がいるものだ。
そういう人物は年齢や場所によらず、時として現れる。
【老後の生活】
ヨーロッパのとある街のアパートに老人が1人で住んでいた。
その老人は、年も年ですでに介護なくしては生きていられない。
家族からは、そろそろ家を売って、老人ホームに入ったらどうかと勧められる。
それが嫌なら家族の世話になったらどうかと勧められる。
かといって、家族の世話になるのも嫌だ。
しかも長年住み慣れた自宅を手放すのはまっぴらごめん。
そこで老人は思案した。
「老人ホーム」か、「家族の世話」か。
ある時老人はついに名案を思い付いた。
老人は新聞に広告を出した。
「格安でマンションをお貸しします。しかし、私の世話をしてくれる人に限ります」
すると、早速、借り主が現れた。
賢い老人は、今、自宅を売る必要もなく、若干の家賃を手にしながら
若い家族に囲まれて幸せな老後を過ごしているらしい。
【お金の出る自動販売機】
スウェーデンは、フリーセックスで世界一進んでいたのも今や昔。
スウェーデンは、今や「地球温暖化対策」や「環境対策」に
もっとも進んでいる国である。
そんなスウェーデンの自動販売機は変わっている。
普通の国の自動販売機は、お金を入れたらものが出る仕組み。
しかし、スウェーデンの自動販売機は、空き缶、空き瓶や空きペットボトルを入れるとお金が出る仕組み。
そんなわけで、昔の日本のように子供達は小銭稼ぎにゴミ集めに必死になる。
そのおかげでゴミ収集が大変楽になったとか。
【バイオ燃料】
地球温暖化のために世界各国も次世代の燃料開発にやっきとなっている。
英米人は、バイオエタノールの開発を目指す。
そのために、トウモロコシや大豆やジャガイモなどの大量の農産物を必要とする。
そんなわけだから、英米人は、食うものも食わずに、
もっとも太り過ぎているのでいいのかも知れないが、
あるいは家畜に食わせるものも食わせずにバイオ燃料を取る道を進んでいる。
つまり、人が節食して車の餌を取るというわけだ。
一方、フィンランド人は別の道を取る。
家畜や人間のふん尿からバイオ燃料を取る。
あるいは、生ゴミから有機農業用のバイオ肥料を取る。
そんなわけだから、賢いフィンランド人は、
トウモロコシや大豆やイモをふんだんに食べてはふん尿をし、
それから燃料や肥料を取る。
快食快便が地球を救うというわけだ。
-------------
人は正攻法が一番だと思いがちである。
しかし、その昔の人が「学問に王道無し」と言ったように、
何ごとにも王道は無い。
すべてには一長一短あり、一朝一夕には終わらない。
したがって、物事には”逆転の発想”が生きることがある。
そんなことを彷佛させるジョークである。
というより、ジョーク風にアレンジした本当の話である。
世の中には、賢い人がいるものだ。
そういう人物は年齢や場所によらず、時として現れる。
【老後の生活】
ヨーロッパのとある街のアパートに老人が1人で住んでいた。
その老人は、年も年ですでに介護なくしては生きていられない。
家族からは、そろそろ家を売って、老人ホームに入ったらどうかと勧められる。
それが嫌なら家族の世話になったらどうかと勧められる。
かといって、家族の世話になるのも嫌だ。
しかも長年住み慣れた自宅を手放すのはまっぴらごめん。
そこで老人は思案した。
「老人ホーム」か、「家族の世話」か。
ある時老人はついに名案を思い付いた。
老人は新聞に広告を出した。
「格安でマンションをお貸しします。しかし、私の世話をしてくれる人に限ります」
すると、早速、借り主が現れた。
賢い老人は、今、自宅を売る必要もなく、若干の家賃を手にしながら
若い家族に囲まれて幸せな老後を過ごしているらしい。
【お金の出る自動販売機】
スウェーデンは、フリーセックスで世界一進んでいたのも今や昔。
スウェーデンは、今や「地球温暖化対策」や「環境対策」に
もっとも進んでいる国である。
そんなスウェーデンの自動販売機は変わっている。
普通の国の自動販売機は、お金を入れたらものが出る仕組み。
しかし、スウェーデンの自動販売機は、空き缶、空き瓶や空きペットボトルを入れるとお金が出る仕組み。
そんなわけで、昔の日本のように子供達は小銭稼ぎにゴミ集めに必死になる。
そのおかげでゴミ収集が大変楽になったとか。
【バイオ燃料】
地球温暖化のために世界各国も次世代の燃料開発にやっきとなっている。
英米人は、バイオエタノールの開発を目指す。
そのために、トウモロコシや大豆やジャガイモなどの大量の農産物を必要とする。
そんなわけだから、英米人は、食うものも食わずに、
もっとも太り過ぎているのでいいのかも知れないが、
あるいは家畜に食わせるものも食わせずにバイオ燃料を取る道を進んでいる。
つまり、人が節食して車の餌を取るというわけだ。
一方、フィンランド人は別の道を取る。
家畜や人間のふん尿からバイオ燃料を取る。
あるいは、生ゴミから有機農業用のバイオ肥料を取る。
そんなわけだから、賢いフィンランド人は、
トウモロコシや大豆やイモをふんだんに食べてはふん尿をし、
それから燃料や肥料を取る。
快食快便が地球を救うというわけだ。
-------------
人は正攻法が一番だと思いがちである。
しかし、その昔の人が「学問に王道無し」と言ったように、
何ごとにも王道は無い。
すべてには一長一短あり、一朝一夕には終わらない。
したがって、物事には”逆転の発想”が生きることがある。
そんなことを彷佛させるジョークである。
というより、ジョーク風にアレンジした本当の話である。
[ 13:56 ]
[ 政治・経済 ]
いやはや、今や日本は、聖徳太子時代の中国のように”厄病神”国家へと転落したようだ。「美しい国」と”口先”だけの安倍首相やその場しのぎの自民党政府では、そうなるのも当然だろう。
児童ポルノ:米が日本に罰則強化要求 「単純所持も犯罪」
児童ポルノ:「所持合法の日本、のんき」 被害相談増える
によれば、おはずかしいことに、ついに日本はロシアとともに「児童ポルノのマフィア国家」に認定されてしまったとのこと。今や、他人への販売や提供目的で画像を所持すると処罰されるが、収集目的の「単純所持」は罪に問われないという「児童買春・児童ポルノ禁止法」を持つ国は、日本とロシアだけとなってしまったらしい。
「児童ポルノ映像」所持が違法でなければ、「児童ポルノ映像」を所持さるために、作るビジネスがはびこる。同様に、”所持が違法でなければ”、ネット上に掲示し閲覧させることも違法ではなくなる。日本の有名な「ポルノサイト」のdmm.comや無数のウェッブサイトにもそういう映像が流れることとなる。こういった会社の「成人作品」を見れば一目瞭然。そして、こういった”変態”性風俗をはびこらせ、マフィアの資金源となるのである。
要するに、こういった法律を作って”甘やかせ過ぎた”「性風俗」業界にパニッシュメントしないというのは、安倍首相など政府自民党が、そういうアングラマネー業界を支援していることに等しい。従って、決して「美しくない国」というわけである。
私が個人的に気にしているのは、こういう「児童ポルノ映像」に使われた子供達はその後どうなるのか?ということである。いずれは、精神を病み、病院送りになるのか、あるいは自殺者になるのか、あるいは、ヤクザ社会から出ることができなくなるのか、薬物中毒者となるのか、どうなってしまうのか?ということである。いずれにせよ、良いことは何もないはずである。
したがって、こうした性風俗を売り物にしている会社の連中には、「睾丸やペニスをくり抜く」というような”去勢”罪を作るべきかも知れない。あるいは、”社会奉仕活動”としてイラクやアフガニスタンの治安維持活動に行ってもらう、そういった罰を与えるべきかも知れない。
また、店頭販売されているものは、なんでもインターネット店で売れば良いのだというネットマーケットの会社にも”連座制”で、罪を着せるべきだろう。何でも売れば良いというものではあるまい。そこにはおのずと先々を考えた”価値判断”が必要だからである。
戦前の「赤線地帯」(売春地帯)というのは、その当時の日本人にとってそれなりの性風俗であり得たかも知れないが、今の性風俗はすでにいわゆる性風俗の域をはるかに超えている。大半は実際に犯罪を犯しているわけだ。ビジネスだから犯罪行為を認めるというのはおかしい。この点を”甘やかしたから”、こういう問題が生じてきたわけである。やはり、必要悪にも限度がある。
方や「痴漢や性犯罪を撲滅しよう」といいながら、そのもう一方で、性風俗と称して「痴漢ビデオや性犯罪ビデオを売っている」、「インターネットでダウンロードさせて儲ける」というのでは、矛盾しているわけである。
米捜査当局は、
「これまでに摘発した児童ポルノ事件で、画像購入記録に数百人の日本人が含まれている」
と米捜査当局は情報を持っているようだ。即刻、この数百人の日本人名を公開すべきだろう。そして”逮捕”すべきだろう。さもなくば、エスカレートして、いずれは性犯罪に行き着くだろうからである。
アメリカ政府からの提案は、
「プロバイダー(ネット接続業者)などがネット上の児童ポルノ画像を見つけた場合には、米国のように関係機関への通報を義務付ける」
「児童ポルノは深刻な児童虐待」
「児童ポルノを売るのを違法としながら、買うのは合法とする日本の法律は大きな矛盾を抱えている。日本の法の抜け穴が児童ポルノの市場を温存させている」
日本”包囲網”は、徐々に敷かれつつある。
はたして「恥ずべき国」の安倍首相はどうするのだろうか。
児童ポルノ:米が日本に罰則強化要求 「単純所持も犯罪」
児童ポルノ:「所持合法の日本、のんき」 被害相談増える
によれば、おはずかしいことに、ついに日本はロシアとともに「児童ポルノのマフィア国家」に認定されてしまったとのこと。今や、他人への販売や提供目的で画像を所持すると処罰されるが、収集目的の「単純所持」は罪に問われないという「児童買春・児童ポルノ禁止法」を持つ国は、日本とロシアだけとなってしまったらしい。
「児童ポルノ映像」所持が違法でなければ、「児童ポルノ映像」を所持さるために、作るビジネスがはびこる。同様に、”所持が違法でなければ”、ネット上に掲示し閲覧させることも違法ではなくなる。日本の有名な「ポルノサイト」のdmm.comや無数のウェッブサイトにもそういう映像が流れることとなる。こういった会社の「成人作品」を見れば一目瞭然。そして、こういった”変態”性風俗をはびこらせ、マフィアの資金源となるのである。
要するに、こういった法律を作って”甘やかせ過ぎた”「性風俗」業界にパニッシュメントしないというのは、安倍首相など政府自民党が、そういうアングラマネー業界を支援していることに等しい。従って、決して「美しくない国」というわけである。
私が個人的に気にしているのは、こういう「児童ポルノ映像」に使われた子供達はその後どうなるのか?ということである。いずれは、精神を病み、病院送りになるのか、あるいは自殺者になるのか、あるいは、ヤクザ社会から出ることができなくなるのか、薬物中毒者となるのか、どうなってしまうのか?ということである。いずれにせよ、良いことは何もないはずである。
したがって、こうした性風俗を売り物にしている会社の連中には、「睾丸やペニスをくり抜く」というような”去勢”罪を作るべきかも知れない。あるいは、”社会奉仕活動”としてイラクやアフガニスタンの治安維持活動に行ってもらう、そういった罰を与えるべきかも知れない。
また、店頭販売されているものは、なんでもインターネット店で売れば良いのだというネットマーケットの会社にも”連座制”で、罪を着せるべきだろう。何でも売れば良いというものではあるまい。そこにはおのずと先々を考えた”価値判断”が必要だからである。
戦前の「赤線地帯」(売春地帯)というのは、その当時の日本人にとってそれなりの性風俗であり得たかも知れないが、今の性風俗はすでにいわゆる性風俗の域をはるかに超えている。大半は実際に犯罪を犯しているわけだ。ビジネスだから犯罪行為を認めるというのはおかしい。この点を”甘やかしたから”、こういう問題が生じてきたわけである。やはり、必要悪にも限度がある。
方や「痴漢や性犯罪を撲滅しよう」といいながら、そのもう一方で、性風俗と称して「痴漢ビデオや性犯罪ビデオを売っている」、「インターネットでダウンロードさせて儲ける」というのでは、矛盾しているわけである。
米捜査当局は、
「これまでに摘発した児童ポルノ事件で、画像購入記録に数百人の日本人が含まれている」
と米捜査当局は情報を持っているようだ。即刻、この数百人の日本人名を公開すべきだろう。そして”逮捕”すべきだろう。さもなくば、エスカレートして、いずれは性犯罪に行き着くだろうからである。
アメリカ政府からの提案は、
「プロバイダー(ネット接続業者)などがネット上の児童ポルノ画像を見つけた場合には、米国のように関係機関への通報を義務付ける」
「児童ポルノは深刻な児童虐待」
「児童ポルノを売るのを違法としながら、買うのは合法とする日本の法律は大きな矛盾を抱えている。日本の法の抜け穴が児童ポルノの市場を温存させている」
日本”包囲網”は、徐々に敷かれつつある。
はたして「恥ずべき国」の安倍首相はどうするのだろうか。
さてもう1つは、日本は「はしか輸出国」として海外から問題視されているという、”恥ずべき”お話。
日本からはしか持ち帰り、米男性が発症…二次感染騒ぎに
これは、日本は本当に”厄病神”国家へと転落したということである。海外ではワクチンによりほぼ絶滅したはずの「はしか」を日本へ旅行したアメリカ人が地元へ”お持ち帰り”したということだからである。
これでは、アメリカなど海外からの渡航者が激減しかねない。そして、旅行業界は、日本からの渡航を禁止しかねないだろう。「はしか」とあなどれば、いずれ日本の航空ビジネスや旅行業界が壊滅的打撃を受けかねない。
こういった問題へと発展しかねないということが厚生労働省の役人も安倍政権もあまり良く分かっていないようである。
しばらく前に私は「[デンソー事件]:読売も社説出す 」にこう書いていた。
”ついでに付け加えると、関西テレビのとあるコメンテーターが言っていたが、安倍さんの先祖は900年の歴史があるという。しかし、その歴史は”敗北の歴史”だったというのである。壇の浦で負けて命からがら山口の山奥に潜んでいて、江戸末期、明治期に再び復興を遂げたのだという話であった。
これが本当の話かどうか知らないが、”何となく分かる”ような話であった。”
ここ最近の安倍政権の流れを見ていると、本当に「”何となく分かる”ような話」である。
日本からはしか持ち帰り、米男性が発症…二次感染騒ぎに
これは、日本は本当に”厄病神”国家へと転落したということである。海外ではワクチンによりほぼ絶滅したはずの「はしか」を日本へ旅行したアメリカ人が地元へ”お持ち帰り”したということだからである。
これでは、アメリカなど海外からの渡航者が激減しかねない。そして、旅行業界は、日本からの渡航を禁止しかねないだろう。「はしか」とあなどれば、いずれ日本の航空ビジネスや旅行業界が壊滅的打撃を受けかねない。
こういった問題へと発展しかねないということが厚生労働省の役人も安倍政権もあまり良く分かっていないようである。
しばらく前に私は「[デンソー事件]:読売も社説出す 」にこう書いていた。
”ついでに付け加えると、関西テレビのとあるコメンテーターが言っていたが、安倍さんの先祖は900年の歴史があるという。しかし、その歴史は”敗北の歴史”だったというのである。壇の浦で負けて命からがら山口の山奥に潜んでいて、江戸末期、明治期に再び復興を遂げたのだという話であった。
これが本当の話かどうか知らないが、”何となく分かる”ような話であった。”
ここ最近の安倍政権の流れを見ていると、本当に「”何となく分かる”ような話」である。
2007/06/08のBlog
[ 22:53 ]
[ 政治・経済 ]
ヒルトン受刑者:健康理由に釈放 発信機付け自宅謹慎に
アメリカのヒルトンホテルグループの御令嬢、”セレブ”のパリス・ヒルトンさんのお話を聞くと、それが今も真実であるように見える。
今やアメリカでは”金髪”女性は何をやっても許される。そんな時代になったのだとつくづく思う。”セレブ”で”金髪”ならもはや敵無し。そんな国に今やアメリカ合衆国は変わってきたようである。
アメリカのヒルトンホテルグループの御令嬢、”セレブ”のパリス・ヒルトンさんのお話を聞くと、それが今も真実であるように見える。
今やアメリカでは”金髪”女性は何をやっても許される。そんな時代になったのだとつくづく思う。”セレブ”で”金髪”ならもはや敵無し。そんな国に今やアメリカ合衆国は変わってきたようである。
インターネットの大発明以来、日本同様、世界中に”貧富の差の嵐”がまん延し、アメリカでもさらに”貧富の差”が拡大した。そして、気がついてみると、”お金持ち”なら何をしても許される社会へと世界中の国々が大変革の途にある。そんな感じがする今日この頃である。
この意味では、アメリカは200年前に王国イギリスから独立しアメリカ合衆国(United States of America = USA)を建国したのだが、200年経ってみれば、今度はアメリカ合衆国は滅び、そこにあるのはイギリスと同じような大富豪が統治する国、アメリカ王国(United Kingdom of America = UKA)であった、ということとなる。
果たして初代アメリカ王はだれになるのか?
ブッシュ家か、ヒルトン家か?
なぜかそんな妄想に誘われる。
この意味では、アメリカは200年前に王国イギリスから独立しアメリカ合衆国(United States of America = USA)を建国したのだが、200年経ってみれば、今度はアメリカ合衆国は滅び、そこにあるのはイギリスと同じような大富豪が統治する国、アメリカ王国(United Kingdom of America = UKA)であった、ということとなる。
果たして初代アメリカ王はだれになるのか?
ブッシュ家か、ヒルトン家か?
なぜかそんな妄想に誘われる。
私は、しばらく前に「”くのいち”vsブッシュ政権 」にこう書いていた。
”しかし、いずれにせよ、アメリカ人は”金髪碧眼”が好きなんですナ。この”くのいち”も見事なまでに金髪碧眼。ブッシュ大統領の奥さんも金髪碧眼。クリントン元大統領の奥さんも金髪碧眼。
金髪碧眼をこよなく愛し、多くの金髪碧眼の愛人に囲まれて過ごし、金髪碧眼の”アーリア人”こそ人類最高に進化した人種であると唱ったアドルフ・ヒットラーのナチス・ドイツと実に良く似ている。
私は黒髪の方が好きなんだが、どうも金髪碧眼はだめだ。萎える。そんなことはどうでも良いが、私は昔からどういうわけか知らないが、「金髪碧眼を好む社会はなぜか独裁者国家的になる」という印象を持っている。ローマ帝国しかり、フランスしかり、チェコしかり。
しかし、日本も最近ではマスコミが金髪碧眼嗜好になってきているように見えて結構無気味である。”
もっと前の「ジョークのような現実の話:ハリウッドの終焉? 」にこう書いていた。
”その一方で、アメリカ人ならどんなバカ娘でも金髪碧眼であれば、見事主役がゲットできるという寸法である。
これでは、金髪碧眼こそ人類最高級の人種だと言った独裁者ヒットラーをバカにはできない。今のハリウッドのほとんどの人間はヒットラーと同じことを考えているのだからだ。どんな黒髪も金髪にしたくなるのも当然だろう。事実、金髪碧眼ならマリリン・モンローの再来と言われて(実際は金髪ではなかったようだが)、女優となり、世界一の大金持ちとも結婚できる。とまあ、こんな案配である。”
「菊地凛子”アカデミー賞”ノミネート:落選は必至? 」にはこう書いていた。
”というのは、映画の演技では、ごく普通の日本人女子高校生(ただし聾唖の)を演じたのに、アメリカ在住の今となってはその辺の”お登り日本女性”のような風体となってしまったからである。髪を金髪に染め、目の上を真っ黒に描いた、水商売風(つまり、アメリカの売春婦のような)メイクをして、あたかも「私は大女優よ」という調子。自分の平凡な顔にまったく似合わない。”
大分前の「決勝T第1回戦第4試合:ポルトガル-オランダ戦争! 」では、こう書いていた。
”一般に色の白い人は、背が高くて、人見知りが激しく、内気で神経質でアレルギーになりやすく、免疫系が弱い。一方、色黒の人は小柄で人懐っこく、好奇心があり、開放的で免疫系が強い、ということが科学的に知られている。このことが原因したのかどうかは分からないが、北欧の白人は植民地支配しても現地人と交わらず、いわゆる”白人至上主義”を生んだ。”
まあ、こういったことが事実であるということが、パリス・ヒルトン嬢への取扱いからも分かるだろうヨ。
いやはや世界はどこへ向かうのか?
「地球温暖化」も重要問題だが、「地球王国化」もまた困った問題だと私は見ている。
”しかし、いずれにせよ、アメリカ人は”金髪碧眼”が好きなんですナ。この”くのいち”も見事なまでに金髪碧眼。ブッシュ大統領の奥さんも金髪碧眼。クリントン元大統領の奥さんも金髪碧眼。
金髪碧眼をこよなく愛し、多くの金髪碧眼の愛人に囲まれて過ごし、金髪碧眼の”アーリア人”こそ人類最高に進化した人種であると唱ったアドルフ・ヒットラーのナチス・ドイツと実に良く似ている。
私は黒髪の方が好きなんだが、どうも金髪碧眼はだめだ。萎える。そんなことはどうでも良いが、私は昔からどういうわけか知らないが、「金髪碧眼を好む社会はなぜか独裁者国家的になる」という印象を持っている。ローマ帝国しかり、フランスしかり、チェコしかり。
しかし、日本も最近ではマスコミが金髪碧眼嗜好になってきているように見えて結構無気味である。”
もっと前の「ジョークのような現実の話:ハリウッドの終焉? 」にこう書いていた。
”その一方で、アメリカ人ならどんなバカ娘でも金髪碧眼であれば、見事主役がゲットできるという寸法である。
これでは、金髪碧眼こそ人類最高級の人種だと言った独裁者ヒットラーをバカにはできない。今のハリウッドのほとんどの人間はヒットラーと同じことを考えているのだからだ。どんな黒髪も金髪にしたくなるのも当然だろう。事実、金髪碧眼ならマリリン・モンローの再来と言われて(実際は金髪ではなかったようだが)、女優となり、世界一の大金持ちとも結婚できる。とまあ、こんな案配である。”
「菊地凛子”アカデミー賞”ノミネート:落選は必至? 」にはこう書いていた。
”というのは、映画の演技では、ごく普通の日本人女子高校生(ただし聾唖の)を演じたのに、アメリカ在住の今となってはその辺の”お登り日本女性”のような風体となってしまったからである。髪を金髪に染め、目の上を真っ黒に描いた、水商売風(つまり、アメリカの売春婦のような)メイクをして、あたかも「私は大女優よ」という調子。自分の平凡な顔にまったく似合わない。”
大分前の「決勝T第1回戦第4試合:ポルトガル-オランダ戦争! 」では、こう書いていた。
”一般に色の白い人は、背が高くて、人見知りが激しく、内気で神経質でアレルギーになりやすく、免疫系が弱い。一方、色黒の人は小柄で人懐っこく、好奇心があり、開放的で免疫系が強い、ということが科学的に知られている。このことが原因したのかどうかは分からないが、北欧の白人は植民地支配しても現地人と交わらず、いわゆる”白人至上主義”を生んだ。”
まあ、こういったことが事実であるということが、パリス・ヒルトン嬢への取扱いからも分かるだろうヨ。
いやはや世界はどこへ向かうのか?
「地球温暖化」も重要問題だが、「地球王国化」もまた困った問題だと私は見ている。
2007/06/07のBlog
[ 10:34 ]
[ サッカー ]
いやー、昨夜のNHK「その時歴史は動いた」の「第291回メキシコ五輪 奇跡の銅メダル --日本サッカー・勝てる組織作り--」は実に興味深かった。
見のがした人は、再放送があるのでぜひ見て欲しいものだ。
平成19年6月11日(月)
16:05-16:48 総合 全国
平成19年6月15日(金)
0:10-0:53(木曜深夜) 総合 近畿地方のみ
平成19年6月15日(金)
1:05-1:48(木曜深夜) 総合 全国(近畿地方のぞく)
何と言っても、はやりテレビの”強さ”は「映像」である。”当時の映像”がフィルムとして残っているというのは、財産である。その中で出てくる、旧西ドイツ人のデットマール・クラマーコーチの映像や昔の練習風景は必見である。
見のがした人は、再放送があるのでぜひ見て欲しいものだ。
平成19年6月11日(月)
16:05-16:48 総合 全国
平成19年6月15日(金)
0:10-0:53(木曜深夜) 総合 近畿地方のみ
平成19年6月15日(金)
1:05-1:48(木曜深夜) 総合 全国(近畿地方のぞく)
何と言っても、はやりテレビの”強さ”は「映像」である。”当時の映像”がフィルムとして残っているというのは、財産である。その中で出てくる、旧西ドイツ人のデットマール・クラマーコーチの映像や昔の練習風景は必見である。
私が驚いたのは、私が1、2年ほど前に阿南高専サッカー部の選手達に教えたことや今自分の子供やチームメート達に教えていることとクラマーさんが1960年代当時の日本代表選手たちに教えいていた内容がまったくいっしょだったということである。
そもそも私が甲府南中学時代に私にサッカーを教えてくれたのは、当時日本リーグ2部の「甲府クラブ」(現ヴァンフォローレ甲府)の初代監督をしていた岩田利男先生であった。(サッカー少年時代 )
この先生に教えてもらった内容は、クラマーコーチの薫陶を受けていたということは当時から多少は知っていたことだが、どうやらほとんど「クラマーサッカー教程」を基にしていたのである。ことごとくいっしょで驚いた。私が言う言葉使いまでほとんどいっしょであった。
キックやパスやヘディングやトラップやドリブルなどの「基本技術重視」、
ていねいにパスしたら全速力で移動するという「パスアンドゴー」、
すべてにはそれなりの理屈があるという「サッカー理論」
などなど、私の信じているサッカーの基本はほとんどクラマーコーチのものといっしょであったのである。これで驚かないほうがおかしいだろう。
そもそも私が甲府南中学時代に私にサッカーを教えてくれたのは、当時日本リーグ2部の「甲府クラブ」(現ヴァンフォローレ甲府)の初代監督をしていた岩田利男先生であった。(サッカー少年時代 )
この先生に教えてもらった内容は、クラマーコーチの薫陶を受けていたということは当時から多少は知っていたことだが、どうやらほとんど「クラマーサッカー教程」を基にしていたのである。ことごとくいっしょで驚いた。私が言う言葉使いまでほとんどいっしょであった。
キックやパスやヘディングやトラップやドリブルなどの「基本技術重視」、
ていねいにパスしたら全速力で移動するという「パスアンドゴー」、
すべてにはそれなりの理屈があるという「サッカー理論」
などなど、私の信じているサッカーの基本はほとんどクラマーコーチのものといっしょであったのである。これで驚かないほうがおかしいだろう。
ところで、クラマーさん(クラマーさんのゲキ:“大和魂見せよ”)のキックシーンや指導シーンを見ると、今のドイツ代表にいるクローゼ、シュバインシュタイガー、ラーメ、ポドロフスキーなどのキックやパスの”ルーツ”を見る思いがするから不思議である。
クラマーさんの一挙手一投足に、ポドロフスキーなどヨーロッパ選手の左手を高くあげるキックが重なる。やはり現在のドイツサッカーの源流が、当時世界最高レベルであったコンチネンタルサッカーの旧西ドイツのサッカーにあることは疑うべくもない。(World Cup 2006)
ついでに言えば、当時の”西ドイツ製”の「アディダス」や「プーマ」製品の品質もまた”世界最高”であった。現在の「アディダス」や「プーマ」はメイドインチャイナや他のところのものであるせいか、すぐにソックスに穴があく。靴もすぐに破れる。洗濯すればすぐに型くずれする。しかし、1970年代の”西ドイツ製”は、当時も高かったが、実に”強い”ものであった。当時買った私のサッカーソックスはいまだに穴があかず、今私の息子たちが使っている。当時のトレパンやサッカーパンツは、私が今も使えるほどである。
美津濃や鬼塚タイガー(今のアシックス)は、この時代の「アディダス」や「プーマ」の”真似”をしたにすぎない。
クラマーさんの一挙手一投足に、ポドロフスキーなどヨーロッパ選手の左手を高くあげるキックが重なる。やはり現在のドイツサッカーの源流が、当時世界最高レベルであったコンチネンタルサッカーの旧西ドイツのサッカーにあることは疑うべくもない。(World Cup 2006)
ついでに言えば、当時の”西ドイツ製”の「アディダス」や「プーマ」製品の品質もまた”世界最高”であった。現在の「アディダス」や「プーマ」はメイドインチャイナや他のところのものであるせいか、すぐにソックスに穴があく。靴もすぐに破れる。洗濯すればすぐに型くずれする。しかし、1970年代の”西ドイツ製”は、当時も高かったが、実に”強い”ものであった。当時買った私のサッカーソックスはいまだに穴があかず、今私の息子たちが使っている。当時のトレパンやサッカーパンツは、私が今も使えるほどである。
美津濃や鬼塚タイガー(今のアシックス)は、この時代の「アディダス」や「プーマ」の”真似”をしたにすぎない。
最後に、NHKのHPから「クラマーさんの言葉」を素晴らしい言葉なので勝手に引用させてもらうこととしよう。
クラマーが代表選手たちが合宿している宿舎に行こうとした時のエピソード
「選手一人一人の個性を知らずして、どうしてよい指導ができるんだ。コーチは常に選手と共にあるべきだ」
(「岡野俊一郎さんの証言」より)
クラマーが日本代表選手たちのプレーを見てもらした言葉
「とてもサッカーと呼べるものではない」
(『サッカー』より)
クラマーが日本に合ったサッカーを語った言葉
「日本人は体格は劣るがスピードはある。そのスピードを生かすには、低く速いパスと正確なボールコントロールが必要だ。」
(『サッカー』より)
クラマーが東京五輪で対戦するアルゼンチンについて語った言葉
「アルゼンチンは一人一人のプレーはうまいがスピードはない。日本が彼らに個人技を発揮する余裕を与えずコンビネーションよく速攻でゴールを決めることができれば勝つことも可能だ」
(『サッカーのすすめ』より)
クラマーが東京五輪後、代表選手たちに語った言葉
「タイムアップの笛は、次の試合へのキックオフの笛である。」
(『日本サッカーのあゆみ』より)
クラマーがかつて日本代表選手たちに伝えた言葉について
「私はサッカーを好きなのではない。心から愛している。なぜならば、サッカーは少年を大人に育て、大人を紳士に育て上げるスポーツだからだ。」
(「長沼健さん、岡野俊一郎さんの証言」より)
クラマーが代表選手たちが合宿している宿舎に行こうとした時のエピソード
「選手一人一人の個性を知らずして、どうしてよい指導ができるんだ。コーチは常に選手と共にあるべきだ」
(「岡野俊一郎さんの証言」より)
クラマーが日本代表選手たちのプレーを見てもらした言葉
「とてもサッカーと呼べるものではない」
(『サッカー』より)
クラマーが日本に合ったサッカーを語った言葉
「日本人は体格は劣るがスピードはある。そのスピードを生かすには、低く速いパスと正確なボールコントロールが必要だ。」
(『サッカー』より)
クラマーが東京五輪で対戦するアルゼンチンについて語った言葉
「アルゼンチンは一人一人のプレーはうまいがスピードはない。日本が彼らに個人技を発揮する余裕を与えずコンビネーションよく速攻でゴールを決めることができれば勝つことも可能だ」
(『サッカーのすすめ』より)
クラマーが東京五輪後、代表選手たちに語った言葉
「タイムアップの笛は、次の試合へのキックオフの笛である。」
(『日本サッカーのあゆみ』より)
クラマーがかつて日本代表選手たちに伝えた言葉について
「私はサッカーを好きなのではない。心から愛している。なぜならば、サッカーは少年を大人に育て、大人を紳士に育て上げるスポーツだからだ。」
(「長沼健さん、岡野俊一郎さんの証言」より)
[ 09:27 ]
[ サッカー ]
写真:前半28分に長友(明大)が先制点
サッカーU22、マレーシアに31 6戦全勝で終える
U22日本、マレーシア破り6戦全勝 五輪予選
オリンピックアジア2次予選の最終戦。すでに最終予選出場が決まっていて”消化試合”の日本は、新メンバーを試す機会となった。
試合は、前半28分に長友(明大)が先制点。33分鈴木(早大)。後半7分万代のPK。後半14分マレーシアの左CKで1失点。3-1の勝利であった。
サッカーU22、マレーシアに31 6戦全勝で終える
U22日本、マレーシア破り6戦全勝 五輪予選
オリンピックアジア2次予選の最終戦。すでに最終予選出場が決まっていて”消化試合”の日本は、新メンバーを試す機会となった。
試合は、前半28分に長友(明大)が先制点。33分鈴木(早大)。後半7分万代のPK。後半14分マレーシアの左CKで1失点。3-1の勝利であった。
写真:33分鈴木(早大)の得点
しかし、何とも言えない、いつもの日本サッカーに戻ってしまったようだ。要するに、「自分達のサッカー」という独自のスタイルがないというスタイルになってしまったということである。「スタイルがないのがスタイル」といえばそれまでだが、いつまでたっても一貫したサッカースタイルができないというのは困り者である。
試合自体は実力差があるため、楽勝であったが、「チーム全体が今何をしようとしているのか」ということが伝わって来なかった。いつもばたばたして”やみくもに”突破やパス回しをして、選手ごとに考えていることややることがばらばら、という感じのチームであった。
【日本・反町監督】
セットプレーからの失点について
「練習していたのに取られた。力不足。個々の判断が遅く、ボールが動かなかった」。
大学生の選手について
「彼らの度胸を見たい」
最終予選について
「最終予選を前回の香港戦のメンバー18人で戦うことは絶対にない。(新たな選手を)融合させて、さらにパワーアップしたい」
しかし、何とも言えない、いつもの日本サッカーに戻ってしまったようだ。要するに、「自分達のサッカー」という独自のスタイルがないというスタイルになってしまったということである。「スタイルがないのがスタイル」といえばそれまでだが、いつまでたっても一貫したサッカースタイルができないというのは困り者である。
試合自体は実力差があるため、楽勝であったが、「チーム全体が今何をしようとしているのか」ということが伝わって来なかった。いつもばたばたして”やみくもに”突破やパス回しをして、選手ごとに考えていることややることがばらばら、という感じのチームであった。
【日本・反町監督】
セットプレーからの失点について
「練習していたのに取られた。力不足。個々の判断が遅く、ボールが動かなかった」。
大学生の選手について
「彼らの度胸を見たい」
最終予選について
「最終予選を前回の香港戦のメンバー18人で戦うことは絶対にない。(新たな選手を)融合させて、さらにパワーアップしたい」
2007/06/06のBlog
[ 09:18 ]
[ オシムの言葉 ]
オシムJが初タイトル、コロンビアとドローもキリン杯V
日本、キリンカップ優勝 コロンビアと分ける
キリンカップ
GK 川口(磐田)
DF 駒野(広島)、中田(バーゼル)、中沢(横浜マ)
MF 阿部、鈴木(浦和)、遠藤(ガ大阪)、中村俊(セルティック)、中村憲(川崎)、稲本(フランクフルト)
FW 高原(フランクフルト)
【交代】羽生=千葉(後半0分、稲本)、今野=FC東京(後半0分、中田)、巻=千葉(後半35分、遠藤)、藤本=清水(後半43分、中村俊)、播戸=G大阪(後半44分、高原)
昨夜のキリンカップ決勝で、日本(FIFAランク44位)はコロンビア(26位)と0-0で引き分けた。結果、勝ち点で並び、得失点差で優勝した。2004年大会以来3大会ぶりの優勝。
まあ、日本側に立てば、勝てる試合を引き分けたというのが印象である。逆に、コロンビア側に立っても同じで、コロンビアも勝てた試合を分けたという感じであった。
日本の決定的シーンは、中村俊輔から遠藤、遠藤から中村憲剛(けんご)とパスが渡り、憲剛のフリーのシュート。これをはずした。モンテネグロ戦同様に決定期をはずした中村憲剛は、日本代表はかなり厳しい感じがする。いずれにせよ、中村憲剛は「焦ってしまう」タイプらしい。
コロンビアの決定的シーンは、前半に中村俊輔がボールを敵にパスし、そこから一気に逆襲され、フリーでシュートされたもの。要するに、「敵にサンキューボールを渡した」わけだから、”自殺行為”のプレーであった。
日本、キリンカップ優勝 コロンビアと分ける
キリンカップ
GK 川口(磐田)
DF 駒野(広島)、中田(バーゼル)、中沢(横浜マ)
MF 阿部、鈴木(浦和)、遠藤(ガ大阪)、中村俊(セルティック)、中村憲(川崎)、稲本(フランクフルト)
FW 高原(フランクフルト)
【交代】羽生=千葉(後半0分、稲本)、今野=FC東京(後半0分、中田)、巻=千葉(後半35分、遠藤)、藤本=清水(後半43分、中村俊)、播戸=G大阪(後半44分、高原)
昨夜のキリンカップ決勝で、日本(FIFAランク44位)はコロンビア(26位)と0-0で引き分けた。結果、勝ち点で並び、得失点差で優勝した。2004年大会以来3大会ぶりの優勝。
まあ、日本側に立てば、勝てる試合を引き分けたというのが印象である。逆に、コロンビア側に立っても同じで、コロンビアも勝てた試合を分けたという感じであった。
日本の決定的シーンは、中村俊輔から遠藤、遠藤から中村憲剛(けんご)とパスが渡り、憲剛のフリーのシュート。これをはずした。モンテネグロ戦同様に決定期をはずした中村憲剛は、日本代表はかなり厳しい感じがする。いずれにせよ、中村憲剛は「焦ってしまう」タイプらしい。
コロンビアの決定的シーンは、前半に中村俊輔がボールを敵にパスし、そこから一気に逆襲され、フリーでシュートされたもの。要するに、「敵にサンキューボールを渡した」わけだから、”自殺行為”のプレーであった。
これに関して面白いのは、オシムの通訳やテレビニュースの通訳が、その意味を全く逆に取り違えて訳したことである。というのは、オシムは”自殺行為”を「カミカゼ」としゃべったからだ。
記事にも
「前半は、中村俊が自陣ゴール前でボールを奪われるなど、コロンビアペース。」
とあるように、試合を見ていたらだれにも分かったことだが、明らかな”自殺行為”のパスが頻繁にあったわけである。
ところが、通訳たちは、これを「カミカゼ攻撃」と訳し、まるで日本が攻撃したかのような誤訳をしたというわけだ。
オシムのようなヨーロッパ人やアメリカ人にとって「カミカゼ特攻隊」は”スーサイドアタック”(自殺攻撃)の意味であり、そう理解している。というのは、日本人は「カミカゼ特攻隊」は”有効な手段”と日本人側の視点だけで自分本意に考えている(これは、石原慎太郎の映画を見ても分かる)が、欧米人は”無謀”でまったく”無意味”な、馬鹿げた手段とバカにして考えているからである。だから、彼等が「カミカゼ」という時には、”自殺”の比喩や隠語である。そう理解しなくてはならない。”攻撃”という意味はここにはない。
したがって、自陣内で敵にパスすれば、まさしく「自殺行為」となるわけである。
昨日の中村俊輔は、何度もそうしたミスを連発し、これがセルティックで優勝、MVPの選手か、と疑うほどの”凡庸な”プレーを連発していた。良いところがまったくなかった。やはり足の怪我が完治していなかったこと、練習不足が祟ったのだろう。
攻撃陣がこれほどふがいなくても負けなかったのは、ディフェンダー陣の捨て身の頑張りがあったからこそで、中沢やボランチの鈴木のいぶし銀の活躍は評価して良いだろう。
一方、後半出て来た羽生は今回は非常に良かった。「かきまわし役」を十二分にこなしていた。また、中盤の遠藤は非常に安定していて良かった。中村俊輔のチームというより、遠藤のチームにしたほうが良いように見える。
これに関して、「トルシエ・チルドレン」(遠藤、播戸、中田、稲本、高原)と「ジーコ・チルドレン」(駒野、中沢、中村俊輔、川口)と「オシム・チルドレン」(羽生、巻、鈴木、安倍、中村憲剛)の”混成チーム”というのが、現代表である。ちなみに「トルシエ・チルドレン」には、他に明神、小野、小笠原、古賀、南などがいる。「ジーコ・チルドレン」には、柳沢、鈴木、服部、田中などがいる。さすがに「岡田チルドレン」はほとんど引退である。まあ、超サプライズで三浦知良にロジェ・ミラ(カメルーン)のワールドカップ最年長ゴールを更新させるという方法もあるが、これは結構面白いかもしれない。一考に値するだろう。というのも、40過ぎた三浦は、今一番成長したように感じるからである。10年、20年前の三浦にはない、”ひた向きさ”がそこにある。
まあ、今回は、「薄氷の優勝」というところだろう。
いずれにせよ、基本的にはオシムも「ジーコ・ジャパン」の”残党”の力にすがったというのが今大会であった。特に必見するものはなかった。
むしろ、今夜のU-22の方に将来の”才能”が眠っている可能性がある。こっちを期待したい。
記事にも
「前半は、中村俊が自陣ゴール前でボールを奪われるなど、コロンビアペース。」
とあるように、試合を見ていたらだれにも分かったことだが、明らかな”自殺行為”のパスが頻繁にあったわけである。
ところが、通訳たちは、これを「カミカゼ攻撃」と訳し、まるで日本が攻撃したかのような誤訳をしたというわけだ。
オシムのようなヨーロッパ人やアメリカ人にとって「カミカゼ特攻隊」は”スーサイドアタック”(自殺攻撃)の意味であり、そう理解している。というのは、日本人は「カミカゼ特攻隊」は”有効な手段”と日本人側の視点だけで自分本意に考えている(これは、石原慎太郎の映画を見ても分かる)が、欧米人は”無謀”でまったく”無意味”な、馬鹿げた手段とバカにして考えているからである。だから、彼等が「カミカゼ」という時には、”自殺”の比喩や隠語である。そう理解しなくてはならない。”攻撃”という意味はここにはない。
したがって、自陣内で敵にパスすれば、まさしく「自殺行為」となるわけである。
昨日の中村俊輔は、何度もそうしたミスを連発し、これがセルティックで優勝、MVPの選手か、と疑うほどの”凡庸な”プレーを連発していた。良いところがまったくなかった。やはり足の怪我が完治していなかったこと、練習不足が祟ったのだろう。
攻撃陣がこれほどふがいなくても負けなかったのは、ディフェンダー陣の捨て身の頑張りがあったからこそで、中沢やボランチの鈴木のいぶし銀の活躍は評価して良いだろう。
一方、後半出て来た羽生は今回は非常に良かった。「かきまわし役」を十二分にこなしていた。また、中盤の遠藤は非常に安定していて良かった。中村俊輔のチームというより、遠藤のチームにしたほうが良いように見える。
これに関して、「トルシエ・チルドレン」(遠藤、播戸、中田、稲本、高原)と「ジーコ・チルドレン」(駒野、中沢、中村俊輔、川口)と「オシム・チルドレン」(羽生、巻、鈴木、安倍、中村憲剛)の”混成チーム”というのが、現代表である。ちなみに「トルシエ・チルドレン」には、他に明神、小野、小笠原、古賀、南などがいる。「ジーコ・チルドレン」には、柳沢、鈴木、服部、田中などがいる。さすがに「岡田チルドレン」はほとんど引退である。まあ、超サプライズで三浦知良にロジェ・ミラ(カメルーン)のワールドカップ最年長ゴールを更新させるという方法もあるが、これは結構面白いかもしれない。一考に値するだろう。というのも、40過ぎた三浦は、今一番成長したように感じるからである。10年、20年前の三浦にはない、”ひた向きさ”がそこにある。
まあ、今回は、「薄氷の優勝」というところだろう。
いずれにせよ、基本的にはオシムも「ジーコ・ジャパン」の”残党”の力にすがったというのが今大会であった。特に必見するものはなかった。
むしろ、今夜のU-22の方に将来の”才能”が眠っている可能性がある。こっちを期待したい。
2007/06/05のBlog
[ 09:36 ]
[ 阿南市 ]
ウミガメ初上陸、産卵も確認 阿南の蒲生田海岸
阿南市椿町(つばきちょう)の東の突端、四国で一番東の位置に蒲生田(がもうだ)岬がある。そのすぐ近くの海岸が、蒲生田海岸である。
今年もそこへウミガメが産卵にやってきた。それも、甲羅の長さ約1mの大型アカウミガメ。古参のアカウミガメがやってきたらしい。
しかし2年前は30件あった産卵も昨年は6件と減ったという。
果たして今年は何回となるか。
阿南市椿町(つばきちょう)の東の突端、四国で一番東の位置に蒲生田(がもうだ)岬がある。そのすぐ近くの海岸が、蒲生田海岸である。
今年もそこへウミガメが産卵にやってきた。それも、甲羅の長さ約1mの大型アカウミガメ。古参のアカウミガメがやってきたらしい。
しかし2年前は30件あった産卵も昨年は6件と減ったという。
果たして今年は何回となるか。
2007/06/04のBlog
[ 16:22 ]
[ 社会 ]
米国籍の孫に財産贈与、国税局が5億円申告漏れ指摘
これは、結構”面白い”ニュースである。
日本の最大手の教育出版会社の会長が、自分の持つ資産を”米国籍の”(つまり、アメリカ生まれの)孫に財産を生前贈与で譲ったところ、約2億5000万円の追徴課税されたという話である。
この話には少なくとも2つの重要課題が眠っている。
1つめは、”相続税”の問題。2つめは、”国籍取得”の問題。
”相続税”の問題は、
「相続税は”即刻廃止”の動き! 」
「知られざる相続税の仕組 」
などで紹介したことがある。
この辺の事情は、日本ではあまり良く知られていない。だから、海外諸国と比較しても日本の場合は、「ふんだくれるだけふんだくれ」という精神で課税が行われているのである。今問題になっている「社会保険庁」のように、「できりだけいちゃもんをつけてのらりくらりと支払いを拒絶しろ」という精神と似たものを感じさせる。
一方、”国籍取得”の問題はわりと良く知られている。
吉本の”番組おねだりコメディアン”の1人、ハイヒールももこは、番組でハワイに行っては出産して、自分の子供にアメリカ国籍をつける。「中国人がぎょうさんやってはること、なんでうちがしたらあかんねん」というところだろう。
実際、中国人、韓国人、ロシア人などアメリカに将来的に永住したい人、中でも人種的にはハーフを生みたくない人はよくやっている手口である。旅行と称して妊婦をつれてアメリカ旅行し、旅行先で陣痛がきたといって出産するわけである。
そうすると、「アメリカの病院で生まれた子供はアメリカ人である」というアメリカの法律上、自動的にその子はアメリカ国籍がつく。その子が日本人の子であれば、成人する頃まで、どっちの国籍にするかの選択権が与えられ、それまではダブル国籍となる。
だから、ももこ一家もこれを最初から念頭においてハワイ出産したわけである。そして、将来的に考えて、自分の稼いだ財産はアメリカ国籍の子に譲れば、相続税はかからないはず。そう考えているわけだ。
まあ、このアイデアは、およそ日米の”税金不均衡”を知っていれば、だれでも思い付くものである。まして、海外渡航も簡単、そしてかなりの財産を持っているものには、”苦肉の策”となるだろう。
これは、結構”面白い”ニュースである。
日本の最大手の教育出版会社の会長が、自分の持つ資産を”米国籍の”(つまり、アメリカ生まれの)孫に財産を生前贈与で譲ったところ、約2億5000万円の追徴課税されたという話である。
この話には少なくとも2つの重要課題が眠っている。
1つめは、”相続税”の問題。2つめは、”国籍取得”の問題。
”相続税”の問題は、
「相続税は”即刻廃止”の動き! 」
「知られざる相続税の仕組 」
などで紹介したことがある。
この辺の事情は、日本ではあまり良く知られていない。だから、海外諸国と比較しても日本の場合は、「ふんだくれるだけふんだくれ」という精神で課税が行われているのである。今問題になっている「社会保険庁」のように、「できりだけいちゃもんをつけてのらりくらりと支払いを拒絶しろ」という精神と似たものを感じさせる。
一方、”国籍取得”の問題はわりと良く知られている。
吉本の”番組おねだりコメディアン”の1人、ハイヒールももこは、番組でハワイに行っては出産して、自分の子供にアメリカ国籍をつける。「中国人がぎょうさんやってはること、なんでうちがしたらあかんねん」というところだろう。
実際、中国人、韓国人、ロシア人などアメリカに将来的に永住したい人、中でも人種的にはハーフを生みたくない人はよくやっている手口である。旅行と称して妊婦をつれてアメリカ旅行し、旅行先で陣痛がきたといって出産するわけである。
そうすると、「アメリカの病院で生まれた子供はアメリカ人である」というアメリカの法律上、自動的にその子はアメリカ国籍がつく。その子が日本人の子であれば、成人する頃まで、どっちの国籍にするかの選択権が与えられ、それまではダブル国籍となる。
だから、ももこ一家もこれを最初から念頭においてハワイ出産したわけである。そして、将来的に考えて、自分の稼いだ財産はアメリカ国籍の子に譲れば、相続税はかからないはず。そう考えているわけだ。
まあ、このアイデアは、およそ日米の”税金不均衡”を知っていれば、だれでも思い付くものである。まして、海外渡航も簡単、そしてかなりの財産を持っているものには、”苦肉の策”となるだろう。
冒頭のニュースの場合も基本的には、これと同じ方法を、息子ではなく、孫に対して行ったということである。
いずれにせよ、ほとんど日本人に知られていないが、アメリカ人の若者がいつも元気で世界中を飛び回って(遊び回って)いられるのは、これが理由なのである。
要するに、アメリカ人の場合、1、2億円という、かなりの額まで相続税は無税。それ以上でも、ほとんど相続税がかからない。だから祖父や祖母、あるいは両親の残した遺産を譲り受けてもほとんど相続税がかからない。だから、先祖がリッチであれば、子や孫もリッチな生活をしていられるというわけである。
私の個人的印象では、今の現状の日本の”相続税制”こそ、日本で再び”財閥”、”名士”や”特権階級”が生まれないようにするために戦後進駐軍のアメリカが仕込んだものではなかったのか、と考える。憲法が押し付けられたというよりは、むしろ”相続税制”の方が押し付けられたのであると想像している。
悪いことに、そうしておけば、日本でかなりのお金持ちになればなるほど、アメリカ国籍を取りたいという形で、”結果として”日本からお金もちとお金持ちの持つ財産がアメリカへ流出するのである。
もしあなたが歌や本で一発当て、100万枚のミリオンセラーになれば、あるいは宝くじで一発当て、億万長者となれば、あなたはこれから子供を作るとすれば、アメリカで生むことを考えるはずである。その方が税金対策になるからである。
まあ、こんなわけだから、個別に追徴課税したところで無駄である。いちいち調査し、処理するだけ時間の無駄、そして税金の無駄である。この辺の事情がどうも国税局のお役人には理解できないらしい。
海外への資産の流失やお金持ちのアメリカ流出を避けることが結果的に日本の税獲得に一番貢献するわけだから、一番の合理的アイデアは、「相続税」を廃止することなのである。これが今の”世界の潮流”である。なぜなら、相続税のある国は、お金持ちがみんなアメリカに奪われてしまうからである。
なぜ一介の劣等生に過ぎなかったジョージ・ブッシュがアメリカの大統領になれたか?って。
そりゃー、親が極め付けの大富豪だったからサ。先祖代々金持ちの家系に生まれたからである。なぜなら、相続税がかからない。先祖や親の資産を子が全部受け継ぐことができるからなのである。まあ、そうやって白人支配を実現するわけだが。
日本の場合は、田中真紀子ですら相続税のために借金三昧である。それを支払うために親の資産の大半を失ってしまったわけである。こんな国だからこそ、貧乏家庭の子供達にも相続税がつく。その子がニートであれば、すむ家も失う。結局、ネットカフェ難民となってしまうのだ。
こんな国にだれがした?
そりゃー、日本のインテリ層である。自分の給料と学問しか関心のない”無責任な”大学人、いわれたことしかしない官僚、地位や名誉しか関心のない政治家のせいである。自分の家系しか関心のない天皇家。金やブランド品しか関心のないマスコミ芸能界。これは事実明白だろうヨ。どうもこの辺が日本人には理解不能のようですナ。
今、勝海舟や山岡鉄舟が生きていたらなんというだろうか。
聞いてみたいのサ。
いずれにせよ、ほとんど日本人に知られていないが、アメリカ人の若者がいつも元気で世界中を飛び回って(遊び回って)いられるのは、これが理由なのである。
要するに、アメリカ人の場合、1、2億円という、かなりの額まで相続税は無税。それ以上でも、ほとんど相続税がかからない。だから祖父や祖母、あるいは両親の残した遺産を譲り受けてもほとんど相続税がかからない。だから、先祖がリッチであれば、子や孫もリッチな生活をしていられるというわけである。
私の個人的印象では、今の現状の日本の”相続税制”こそ、日本で再び”財閥”、”名士”や”特権階級”が生まれないようにするために戦後進駐軍のアメリカが仕込んだものではなかったのか、と考える。憲法が押し付けられたというよりは、むしろ”相続税制”の方が押し付けられたのであると想像している。
悪いことに、そうしておけば、日本でかなりのお金持ちになればなるほど、アメリカ国籍を取りたいという形で、”結果として”日本からお金もちとお金持ちの持つ財産がアメリカへ流出するのである。
もしあなたが歌や本で一発当て、100万枚のミリオンセラーになれば、あるいは宝くじで一発当て、億万長者となれば、あなたはこれから子供を作るとすれば、アメリカで生むことを考えるはずである。その方が税金対策になるからである。
まあ、こんなわけだから、個別に追徴課税したところで無駄である。いちいち調査し、処理するだけ時間の無駄、そして税金の無駄である。この辺の事情がどうも国税局のお役人には理解できないらしい。
海外への資産の流失やお金持ちのアメリカ流出を避けることが結果的に日本の税獲得に一番貢献するわけだから、一番の合理的アイデアは、「相続税」を廃止することなのである。これが今の”世界の潮流”である。なぜなら、相続税のある国は、お金持ちがみんなアメリカに奪われてしまうからである。
なぜ一介の劣等生に過ぎなかったジョージ・ブッシュがアメリカの大統領になれたか?って。
そりゃー、親が極め付けの大富豪だったからサ。先祖代々金持ちの家系に生まれたからである。なぜなら、相続税がかからない。先祖や親の資産を子が全部受け継ぐことができるからなのである。まあ、そうやって白人支配を実現するわけだが。
日本の場合は、田中真紀子ですら相続税のために借金三昧である。それを支払うために親の資産の大半を失ってしまったわけである。こんな国だからこそ、貧乏家庭の子供達にも相続税がつく。その子がニートであれば、すむ家も失う。結局、ネットカフェ難民となってしまうのだ。
こんな国にだれがした?
そりゃー、日本のインテリ層である。自分の給料と学問しか関心のない”無責任な”大学人、いわれたことしかしない官僚、地位や名誉しか関心のない政治家のせいである。自分の家系しか関心のない天皇家。金やブランド品しか関心のないマスコミ芸能界。これは事実明白だろうヨ。どうもこの辺が日本人には理解不能のようですナ。
今、勝海舟や山岡鉄舟が生きていたらなんというだろうか。
聞いてみたいのサ。
2007/06/02のBlog
[ 11:10 ]
[ オシムの言葉 ]
中沢、高原が活躍キリン杯開幕、日本快勝
日本20でモンテネグロ下す…キリン杯開幕戦
キリンカップ初戦、対モンテネグロ代表戦。オシム・ジャパンは2-0で一蹴した。1点目は中沢のヘッド。2点目は高原のヘッド。
しかし、この試合はこれまでとは異なり、高原、中沢、駒野など「ジーコ・ジャパン」の”残党”たちが大活躍した。
この他に中村俊輔、中田浩二、稲本潤一が召集されている。
中田と稲本が代表に合流、練習に参加…中村俊は順調な回復
日本20でモンテネグロ下す…キリン杯開幕戦
キリンカップ初戦、対モンテネグロ代表戦。オシム・ジャパンは2-0で一蹴した。1点目は中沢のヘッド。2点目は高原のヘッド。
しかし、この試合はこれまでとは異なり、高原、中沢、駒野など「ジーコ・ジャパン」の”残党”たちが大活躍した。
この他に中村俊輔、中田浩二、稲本潤一が召集されている。
中田と稲本が代表に合流、練習に参加…中村俊は順調な回復
結局、この線で考えれば、オシム監督の当初の予定通り、若手主体に「オシム戦略」や「オシム戦術」を浸透させつつ、ベテランや代表経験者やジーコ・ジャパンの残党たちにもそれを浸透させて行くという方法を取っているということだろう。これは、就任当初からオシム監督が言っていたことで、オシム監督はそれを忠実に実行して来ていると見ていいだろう。
しかし、このまま行けば結局、ジーコが見い出した”才能”という材料をオシムの”味付け”にしただけということに終わりかねない。
私個人としては、もっと革命的なタレントを発掘・育成し、”世界に衝撃を与える”というようなことをしでかして欲しい。
そう、オシム監督が1994年のワールドカップ・アメリカ大会で旧ユーゴスラビア代表を指揮して、あの「ストイコヴィッチ」をもってして全世界に衝撃を与えたように。あるいは、岡ちゃん時代の「中田英寿」のように。新生スターを発掘して世界に衝撃を与えてもらいたいのである。
日本サッカー界にも、「ハンカチ王子」、「はにかみ王子」がぜひ欲しい。
実力、ルックス、人気と三拍子そろった、好青少年の「サッカー王子」の誕生を期待したい。オシムサッカーだから良く走り回ってチームのために汗をかく選手、「汗かき王子」とでもいうべきだろうか。しかし今のところその徴候はなさそうですナ。
もっとも、サッカーの監督ほど「カリスマ」や「トップスター」を嫌うのが常だから、なおさら難しいだろう。
しかし、このまま行けば結局、ジーコが見い出した”才能”という材料をオシムの”味付け”にしただけということに終わりかねない。
私個人としては、もっと革命的なタレントを発掘・育成し、”世界に衝撃を与える”というようなことをしでかして欲しい。
そう、オシム監督が1994年のワールドカップ・アメリカ大会で旧ユーゴスラビア代表を指揮して、あの「ストイコヴィッチ」をもってして全世界に衝撃を与えたように。あるいは、岡ちゃん時代の「中田英寿」のように。新生スターを発掘して世界に衝撃を与えてもらいたいのである。
日本サッカー界にも、「ハンカチ王子」、「はにかみ王子」がぜひ欲しい。
実力、ルックス、人気と三拍子そろった、好青少年の「サッカー王子」の誕生を期待したい。オシムサッカーだから良く走り回ってチームのために汗をかく選手、「汗かき王子」とでもいうべきだろうか。しかし今のところその徴候はなさそうですナ。
もっとも、サッカーの監督ほど「カリスマ」や「トップスター」を嫌うのが常だから、なおさら難しいだろう。
[ 10:16 ]
[ ジョーク ]
郷ひろみ:「お嫁サンバ」で祝福
紀香&陣内披露宴の視聴率関西で40%
ついに吉本興業のしかけた”お笑いインベーダー”の陣内智則-藤原紀香の結婚式と披露宴が、天皇家の結婚式をはるかにしのぐ勢いとなった。
視聴率は、キムタクの「華麗なる一族」を抜き、トップ。
まあ、「公私混同」もここまでくれば恐ろしい。結婚という私的行為も何でもかんでも金もうけの道具にしてしまうというさもしさあさましさが見苦しい。
ところで、最近の芸能界を見ていると、和田あきこの神通力も細木数子のうらないも通じない。今や、美人女優や美人タレントなどことごとく吉本芸人に「お持ち帰り」や「ゲット」されまくっているというわけである。
最初は、タレントや女子アナや歌手であったが、それがついには有名美人女優となったわけである。
どこまで”お笑いインベーダー”遺伝子を残せば連中は気がすむのだろうか。
そろそろ「地球防衛軍」でも配備して、吉本”お笑いインベーダー”と徹底抗戦でもしないかぎり、我々地球人の誇る美人たちは根こそぎされてしまうかもしれないゾ。
参考:
”人は見かけによらない”
””お笑い”インベーダー中国で撃墜される?
”お笑い”インベーダー
”お笑い”インベーダー2
”お笑い”インベーダー3:吉本の”黄昏れ”
紀香&陣内披露宴の視聴率関西で40%
ついに吉本興業のしかけた”お笑いインベーダー”の陣内智則-藤原紀香の結婚式と披露宴が、天皇家の結婚式をはるかにしのぐ勢いとなった。
視聴率は、キムタクの「華麗なる一族」を抜き、トップ。
まあ、「公私混同」もここまでくれば恐ろしい。結婚という私的行為も何でもかんでも金もうけの道具にしてしまうというさもしさあさましさが見苦しい。
ところで、最近の芸能界を見ていると、和田あきこの神通力も細木数子のうらないも通じない。今や、美人女優や美人タレントなどことごとく吉本芸人に「お持ち帰り」や「ゲット」されまくっているというわけである。
最初は、タレントや女子アナや歌手であったが、それがついには有名美人女優となったわけである。
どこまで”お笑いインベーダー”遺伝子を残せば連中は気がすむのだろうか。
そろそろ「地球防衛軍」でも配備して、吉本”お笑いインベーダー”と徹底抗戦でもしないかぎり、我々地球人の誇る美人たちは根こそぎされてしまうかもしれないゾ。
参考:
”人は見かけによらない”
””お笑い”インベーダー中国で撃墜される?
”お笑い”インベーダー
”お笑い”インベーダー2
”お笑い”インベーダー3:吉本の”黄昏れ”
[ 09:45 ]
[ 科学ニュース ]
「漁業戦争:越前クラゲ襲来 」から早2年が経つ。
エチゼンクラゲに抗菌・保湿の成分 医薬品などに利用も
によれば、”海のやっかいもの”であるエチゼンクラゲについに有力な利用法が見つかったというニュース。
クラゲ族にあるあの「ねばねば」や「ヌルヌル」の成分が「ムチン」という物質であり、それには”抗菌作用”や”保湿効果”があり、医薬品や食品添加物などへの利用に期待できる、という話である。
以前に「”エチゼンクラーゲン”、これしかない? 」で紹介したように、エチゼンクラゲからコラーゲンも取れる。
大分前に「越前クラゲ阿南に襲来 」に
” 「宇宙戦争」の火星人は地球の細菌やウイルスで滅ぶが、この越前クラゲは何で滅ぶのであろうか。あるいは、天敵の類いはいるのだろうか。
越前クラゲから「燃料電池」が作れるとか、越前クラゲから石油が取れるとか、何か奇想天外な名案でもない限り、越前クラゲ襲来は災い以外の何物でもないだろう。”
と書いていた。が、こうしてみれば、「エチゼンクラゲは化学物質の宝庫である」ということが分かったわけである。化粧品や健康食品の原料としてこれほど良い生物はいないということが分かったこととなる。原料の方からわざわざやってきてくるからである。
これで、毎年漁のたびにエチゼンクラゲの被害を受ける漁師たちもただで海に捨てる必要はなくなるだろう。集めてそのまま工場へ売ればいい。
ひょっとすれば、金属泥棒ではないが、エチゼンクラゲ泥棒も出てくるかも知れない。
エチゼンクラゲに抗菌・保湿の成分 医薬品などに利用も
によれば、”海のやっかいもの”であるエチゼンクラゲについに有力な利用法が見つかったというニュース。
クラゲ族にあるあの「ねばねば」や「ヌルヌル」の成分が「ムチン」という物質であり、それには”抗菌作用”や”保湿効果”があり、医薬品や食品添加物などへの利用に期待できる、という話である。
以前に「”エチゼンクラーゲン”、これしかない? 」で紹介したように、エチゼンクラゲからコラーゲンも取れる。
大分前に「越前クラゲ阿南に襲来 」に
” 「宇宙戦争」の火星人は地球の細菌やウイルスで滅ぶが、この越前クラゲは何で滅ぶのであろうか。あるいは、天敵の類いはいるのだろうか。
越前クラゲから「燃料電池」が作れるとか、越前クラゲから石油が取れるとか、何か奇想天外な名案でもない限り、越前クラゲ襲来は災い以外の何物でもないだろう。”
と書いていた。が、こうしてみれば、「エチゼンクラゲは化学物質の宝庫である」ということが分かったわけである。化粧品や健康食品の原料としてこれほど良い生物はいないということが分かったこととなる。原料の方からわざわざやってきてくるからである。
これで、毎年漁のたびにエチゼンクラゲの被害を受ける漁師たちもただで海に捨てる必要はなくなるだろう。集めてそのまま工場へ売ればいい。
ひょっとすれば、金属泥棒ではないが、エチゼンクラゲ泥棒も出てくるかも知れない。
2007/06/01のBlog
[ 23:52 ]
[ 科学 ]
最近私は、我々が今行っている”科学のやり方”に「何か根本的な欠陥があるのではないか」、と疑いはじめている。この問題をここでメモしておくことにしよう。
何年か前にホーガンの「科学の終焉」という本が出たが、この本のテーマは、科学のあらゆる分野が本質的に行き詰まり、科学という行為そのものが終焉を迎えつつあるというようなことであった。
私は、個人的には、ホーガンの観点に賛成だが、ここで私が言わんとしているものは、ちょっと趣が異なる。なぜなら、ホーガンのいう意味では本質的に行き詰まってもいないし何も問題もない、非常に科学的な分野における別の問題だからである。
それは、昔の日本の科学者の間で流行ったといわれている「銅鉄主義」という言葉に含まれている内容に近い。「銅鉄主義」とは、「お前が銅を研究するなら、俺は鉄を研究する」という科学者のやり方のことである。当時、これは安直なやり方としてバカにするための表現であったという話である。
ところが、ここ10年ほど理研時代から「タンパク質折り畳み」問題を個人的に研究して来ているが(私が先日書いた「科学が競技になる日 」のテーマである)、この問題を勉強して行くうちに、「どうもこりゃーまずいなあ」、と思うことが最近だんだん増えて来たというわけである。
一般に、物理学の問題と、生物学の問題、あるいはもっと細分して生物物理学(これには、物理生物と生物物理の2種類があり得る)の問題には、かなり”本質的違い”がある。それは、物理の問題、つまり研究対象、は、比較的”単純”でかなり定まっているが、生物学の問題は”非常に複雑”であるということである。
20世紀初等の物理の対象は、水素原子など一種類の原子のシステムであった。これに対して、1952年のワトソン-クリックのDNAは何万もの原子群で出来たシステムであった。タンパク質も同様である。比較的複雑なシステムとして化学溶液があるが、これは、物理の対象よりはちょっと複雑という程度で生物よりははるかに単純である。
原子のシステムのようにシステムが簡単であれば、実験も簡単である。そのシステムを理解するのにせいぜい1種類の実験ですむ。それが、物性のシステムのように10の23乗個もの原子群や何種類もの原子種で構築されたシステムを扱うようになると、実験も1種類ではすまない。さまざまな角度から実験が必要となる。光学的、熱力学的、力学的、磁性的、電気的な、さまざまな実験が必要となる。
それでも、まだ物性で扱う物質は単純である。なぜなら、それは”死んでいる”からである。”生きてはいない”。ところが、生物はそれ自体で”生きている”。しかも無数の化学反応サイクルを持っている。おまけに1つ1つの分子が複雑な高分子でできている。
そんなわけで、最初は生物を物質ごとに分解して、DNAなり、タンパク質なり、RNAなりに分けてそれぞれを研究するわけである。ところがそれでも難しい。なぜなら、DNAとて3種類の構造と無数の種類の配列がある。タンパク質も同様であるからである。そのそれぞれに違った種類の高分子があるわけである。ここが、ポリアセチレンなどの1種類しかない高分子とは違う。
だから生物物理学者は、DNAならDNA、タンパク質ならタンパク質だけに集中して研究するわけである。ここでは、話を簡単にするために「タンパク質の折り畳み」だけに限るとしよう。
しかし、それでも難しいのである。それが、ここで私がいわんとすることである。
つまり、問題は「タンパク質の折り畳み」の解明であったとしても、タンパク質にも無数にあり、かつ実験の方法もかなりの種類のものがある。そしてそれを研究する研究者も無数に存在する。
すると、私がここ10年で調べて来た範囲でも、さらに実験だけに限っても、
「タンパク質の種類×実験の種類×研究グループの数」
ほどの論文が存在することとなる。仮に、タンパク質の種類=1000、実験の種類=5、研究グループの数=100程度と見積もれば、1000×5×100=500000もの論文が公表されることとなる。実際にはどうか知らないが、こういう状況が存在するのである。
日本だけに限ってもかなり多くのグループがあり、そのそれぞれに扱うタンパク質も実験法も異なる。例えば、日本の有名な研究者の場合は以下のような感じとなる。詳細は省く。
実験家ーーータンパク質ーーーーー実験法ーーーーーーアイデア
一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一
郷通子ーーーヘモグロビンーーーー構造解析ーーーーーモジュール構造
ーーーーーーバルナーゼ
一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一
高橋聡ーーーチトクロムCーーーー共鳴ラマン散乱ーー初期核形成
一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一
巌倉正寛ーージヒドロ葉酸還元ーー円順列変異法ーーー折り畳み要素
ーーーーーー酵素
一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一
桑島邦博ーーαLAーーーーーーーCDーーーーモルテングロビュール
一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一
こんなふうに、各人各様にタンパク質を選び、実験法も異なる。そして主張するアイデアも各人各様に異なるということとなる。驚くべきことに、そのそれぞれに専門家が存在し、無数の論文が存在するのである。
こういうやり方は、物質を1種類に決めたら、それをとことんまでさまざまな実験法で調べてみようという物理学者のやり方とは異なるように見えるのである。もし、物理学者であれば、タンパク質の種類をどれかに決めて、それをみんなで寄ってたかって調べるというやり方を採るのではないかと想像する。
私は理論家なので、こういった無数のタンパク質の中に共通する原理や仕組みを解明したいと思うが、その取っ掛かりには、どれでもいいから1つできちんとしたこと、すなわち、1つのタンパク質でいいから完璧に現象を理解したいと思う。
ところが、たくさんの文献を読んで調べてみても、どれもが一面の方向からしか調べていないために、いつも不完全燃焼、要求不満に陥ってしまうのである。
もし、これらの優秀な実験家たちが、ヘモグロビンならヘモグロビン、チトクロムCならチトクロムCを決めて、そのすべての性質をしらみつぶしに調べてくれたらどんなに有り難いことか。そういつも思うのである。
ところが、どうやら実験家も生身の人間、実験家にも名誉欲がある。やはり自分の方法が一番優れている、自分のアイデアが一番重要であると主張したいのである。だから、あまり他の人の研究との比較や対応はなされていない。
では、だれがそれをやってくれるのか?
といえば、残念ながら、私の知る限りどこにもいないのである。つまり、膨大な実験結果を整理統合するという作業を行う研究者はどこにもいないのである。
どうもこういう状況がこれまで数十年もの間タンパク質研究が行われて来ているにも関わらず、いまだに解決の糸口すら見出せない最大の理由なのではないか、と私はごく最近になって初めて気付いたというわけである。
つまり、何を言いたいかと言えば、科学の中には、その問題が復雑になると、それを研究する人々の組織そのものが複雑になり、得られる科学知識は膨大になるが、それを整理統合できなくなり、発散してしまう。こういうことが起こり得るのではないか、ということである。
タンパク質と水の問題は一度1970年代に集中的に研究された。しかし、今の研究者はすでに忘れている。だから、この話題を避けて考える。ヘモグロビンは1980年代に研究された。しかし、最近ではあまり研究されない。こういったことがどうやら繰り替えし繰り替えし起きているように見えるのである。
もしヘモグロビンのことが全部分かって忘れ去られるなら良い。チトクロムCのことが全部分かって忘れられるのならそれでいい。しかし現実にはそうではない。
どうもこのあたりが生物物理と物理の違いのような気がするのである。簡単に言えば、物理学者の方がしつこい。そんな感じがする。
どうかタンパク質の研究者の皆さん、1種類で良いから、完璧に理解できるようにしてくださいヨ。
何年か前にホーガンの「科学の終焉」という本が出たが、この本のテーマは、科学のあらゆる分野が本質的に行き詰まり、科学という行為そのものが終焉を迎えつつあるというようなことであった。
私は、個人的には、ホーガンの観点に賛成だが、ここで私が言わんとしているものは、ちょっと趣が異なる。なぜなら、ホーガンのいう意味では本質的に行き詰まってもいないし何も問題もない、非常に科学的な分野における別の問題だからである。
それは、昔の日本の科学者の間で流行ったといわれている「銅鉄主義」という言葉に含まれている内容に近い。「銅鉄主義」とは、「お前が銅を研究するなら、俺は鉄を研究する」という科学者のやり方のことである。当時、これは安直なやり方としてバカにするための表現であったという話である。
ところが、ここ10年ほど理研時代から「タンパク質折り畳み」問題を個人的に研究して来ているが(私が先日書いた「科学が競技になる日 」のテーマである)、この問題を勉強して行くうちに、「どうもこりゃーまずいなあ」、と思うことが最近だんだん増えて来たというわけである。
一般に、物理学の問題と、生物学の問題、あるいはもっと細分して生物物理学(これには、物理生物と生物物理の2種類があり得る)の問題には、かなり”本質的違い”がある。それは、物理の問題、つまり研究対象、は、比較的”単純”でかなり定まっているが、生物学の問題は”非常に複雑”であるということである。
20世紀初等の物理の対象は、水素原子など一種類の原子のシステムであった。これに対して、1952年のワトソン-クリックのDNAは何万もの原子群で出来たシステムであった。タンパク質も同様である。比較的複雑なシステムとして化学溶液があるが、これは、物理の対象よりはちょっと複雑という程度で生物よりははるかに単純である。
原子のシステムのようにシステムが簡単であれば、実験も簡単である。そのシステムを理解するのにせいぜい1種類の実験ですむ。それが、物性のシステムのように10の23乗個もの原子群や何種類もの原子種で構築されたシステムを扱うようになると、実験も1種類ではすまない。さまざまな角度から実験が必要となる。光学的、熱力学的、力学的、磁性的、電気的な、さまざまな実験が必要となる。
それでも、まだ物性で扱う物質は単純である。なぜなら、それは”死んでいる”からである。”生きてはいない”。ところが、生物はそれ自体で”生きている”。しかも無数の化学反応サイクルを持っている。おまけに1つ1つの分子が複雑な高分子でできている。
そんなわけで、最初は生物を物質ごとに分解して、DNAなり、タンパク質なり、RNAなりに分けてそれぞれを研究するわけである。ところがそれでも難しい。なぜなら、DNAとて3種類の構造と無数の種類の配列がある。タンパク質も同様であるからである。そのそれぞれに違った種類の高分子があるわけである。ここが、ポリアセチレンなどの1種類しかない高分子とは違う。
だから生物物理学者は、DNAならDNA、タンパク質ならタンパク質だけに集中して研究するわけである。ここでは、話を簡単にするために「タンパク質の折り畳み」だけに限るとしよう。
しかし、それでも難しいのである。それが、ここで私がいわんとすることである。
つまり、問題は「タンパク質の折り畳み」の解明であったとしても、タンパク質にも無数にあり、かつ実験の方法もかなりの種類のものがある。そしてそれを研究する研究者も無数に存在する。
すると、私がここ10年で調べて来た範囲でも、さらに実験だけに限っても、
「タンパク質の種類×実験の種類×研究グループの数」
ほどの論文が存在することとなる。仮に、タンパク質の種類=1000、実験の種類=5、研究グループの数=100程度と見積もれば、1000×5×100=500000もの論文が公表されることとなる。実際にはどうか知らないが、こういう状況が存在するのである。
日本だけに限ってもかなり多くのグループがあり、そのそれぞれに扱うタンパク質も実験法も異なる。例えば、日本の有名な研究者の場合は以下のような感じとなる。詳細は省く。
実験家ーーータンパク質ーーーーー実験法ーーーーーーアイデア
一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一
郷通子ーーーヘモグロビンーーーー構造解析ーーーーーモジュール構造
ーーーーーーバルナーゼ
一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一
高橋聡ーーーチトクロムCーーーー共鳴ラマン散乱ーー初期核形成
一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一
巌倉正寛ーージヒドロ葉酸還元ーー円順列変異法ーーー折り畳み要素
ーーーーーー酵素
一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一
桑島邦博ーーαLAーーーーーーーCDーーーーモルテングロビュール
一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一
こんなふうに、各人各様にタンパク質を選び、実験法も異なる。そして主張するアイデアも各人各様に異なるということとなる。驚くべきことに、そのそれぞれに専門家が存在し、無数の論文が存在するのである。
こういうやり方は、物質を1種類に決めたら、それをとことんまでさまざまな実験法で調べてみようという物理学者のやり方とは異なるように見えるのである。もし、物理学者であれば、タンパク質の種類をどれかに決めて、それをみんなで寄ってたかって調べるというやり方を採るのではないかと想像する。
私は理論家なので、こういった無数のタンパク質の中に共通する原理や仕組みを解明したいと思うが、その取っ掛かりには、どれでもいいから1つできちんとしたこと、すなわち、1つのタンパク質でいいから完璧に現象を理解したいと思う。
ところが、たくさんの文献を読んで調べてみても、どれもが一面の方向からしか調べていないために、いつも不完全燃焼、要求不満に陥ってしまうのである。
もし、これらの優秀な実験家たちが、ヘモグロビンならヘモグロビン、チトクロムCならチトクロムCを決めて、そのすべての性質をしらみつぶしに調べてくれたらどんなに有り難いことか。そういつも思うのである。
ところが、どうやら実験家も生身の人間、実験家にも名誉欲がある。やはり自分の方法が一番優れている、自分のアイデアが一番重要であると主張したいのである。だから、あまり他の人の研究との比較や対応はなされていない。
では、だれがそれをやってくれるのか?
といえば、残念ながら、私の知る限りどこにもいないのである。つまり、膨大な実験結果を整理統合するという作業を行う研究者はどこにもいないのである。
どうもこういう状況がこれまで数十年もの間タンパク質研究が行われて来ているにも関わらず、いまだに解決の糸口すら見出せない最大の理由なのではないか、と私はごく最近になって初めて気付いたというわけである。
つまり、何を言いたいかと言えば、科学の中には、その問題が復雑になると、それを研究する人々の組織そのものが複雑になり、得られる科学知識は膨大になるが、それを整理統合できなくなり、発散してしまう。こういうことが起こり得るのではないか、ということである。
タンパク質と水の問題は一度1970年代に集中的に研究された。しかし、今の研究者はすでに忘れている。だから、この話題を避けて考える。ヘモグロビンは1980年代に研究された。しかし、最近ではあまり研究されない。こういったことがどうやら繰り替えし繰り替えし起きているように見えるのである。
もしヘモグロビンのことが全部分かって忘れ去られるなら良い。チトクロムCのことが全部分かって忘れられるのならそれでいい。しかし現実にはそうではない。
どうもこのあたりが生物物理と物理の違いのような気がするのである。簡単に言えば、物理学者の方がしつこい。そんな感じがする。
どうかタンパク質の研究者の皆さん、1種類で良いから、完璧に理解できるようにしてくださいヨ。
2007/05/31のBlog
[ 10:05 ]
[ 健康・医学 ]
病院勤務は忙しい。中でもER(救命救急センター)は特に忙しい。ネコの手でも借りたい。そんな感じである。チームスタッフは、日々日常的に高度医療に励んでいる。
そんな中に、ある日突然、”見ず知らず”の男が寄って来て、
「おい、そこのお前、名前はなんていうんだ。その患者は俺が見る」
といって、周りの看護婦や医師にいきなり指図しはじめる。
「あんたはだれ? その患者は僕の患者だよ」
「あんたはあっちを見てくれ」
「いや、こいつは俺のものさ」
「俺が今日からここのチーフレシデントのハンチンソンだ」
こんなふうなやり取りで、いきなり全く別の医療機関から医師が派遣される。こんな場面がスピルバーグの「ER」には良く出てくる。
これがアメリカの医療機関における人事の「流動性」というものである。その「流動性」を見事に描いているのが、「ER」である。
そんな中に、ある日突然、”見ず知らず”の男が寄って来て、
「おい、そこのお前、名前はなんていうんだ。その患者は俺が見る」
といって、周りの看護婦や医師にいきなり指図しはじめる。
「あんたはだれ? その患者は僕の患者だよ」
「あんたはあっちを見てくれ」
「いや、こいつは俺のものさ」
「俺が今日からここのチーフレシデントのハンチンソンだ」
こんなふうなやり取りで、いきなり全く別の医療機関から医師が派遣される。こんな場面がスピルバーグの「ER」には良く出てくる。
これがアメリカの医療機関における人事の「流動性」というものである。その「流動性」を見事に描いているのが、「ER」である。
ところが、ここ日本ではちょっと事情が違うようだ。
昨秋スタートの国立病院間の医師派遣、半年で打ち切りに
によれば、国立病院の医師不足を緩和するために、昨年秋頃から国立病院間で医師をお互いに派遣する業務が始まったというが、それがたったの半年もしないうちに機能しなくなり、”中止”になったというのである。
その理由とは、こんなものであったとか。
「医師が担当する患者のケアが途切れる」
「チーム医療が維持できなくなる」
このことから分かるのは、日本の「白い巨塔」に住む人々の”保守性”や”かたくなさ”である。あるいは、日本人の”家族性”というような気質の問題があるということである。
要するに、
「医師が不足して困っているのは確かなのだが、見知らぬ人にいきなり来られて、場をかみ回されては困る」
というように感じる気質があるということである。
アメリカ人は、いきなりの異邦人と一発喧嘩してでも気持ちを切り替え、しだいに折り合いをつけていくことができるのに、日本人はどうもそういうことができない。
昔の日本人の(特に私が育った山梨甲府にあった)ことわざだが
「喧嘩して仲良くなる」
というものがある。今や日本人は喧嘩もできず、したがって
「雨降って地固まる」
式の仲直りができない。いちど喧嘩すると、それ以降陰湿にしつこく虐めるタイプばかりとなってしまったのかも知れない。
「勝負して決着をつける」
が、それ以降はそれを機会に友だちになるというような人間関係ができなくなったのだろう。
それもそのはずで、子供の頃から喧嘩も競争もダメ、暴力はぜったいダメという社会になってしまったからであろう。いつしか、喧嘩して仲直りするというレッスンを経ずして大人となる。医者など高学歴者ほどその傾向が強い。
そんなわけで、日本の医師は、新顔の医師をけむたがるのだろう。”ご学友”や”お友達”の間でしか仕事ができないという人種となったということだろう。
したがって、この問題の本質は日本人の”人間性”や”国民性”の問題だから、小手先で法律を変えたところで、解決できる問題ではない。この辺が政府官僚には理解できないようですナ。
昨秋スタートの国立病院間の医師派遣、半年で打ち切りに
によれば、国立病院の医師不足を緩和するために、昨年秋頃から国立病院間で医師をお互いに派遣する業務が始まったというが、それがたったの半年もしないうちに機能しなくなり、”中止”になったというのである。
その理由とは、こんなものであったとか。
「医師が担当する患者のケアが途切れる」
「チーム医療が維持できなくなる」
このことから分かるのは、日本の「白い巨塔」に住む人々の”保守性”や”かたくなさ”である。あるいは、日本人の”家族性”というような気質の問題があるということである。
要するに、
「医師が不足して困っているのは確かなのだが、見知らぬ人にいきなり来られて、場をかみ回されては困る」
というように感じる気質があるということである。
アメリカ人は、いきなりの異邦人と一発喧嘩してでも気持ちを切り替え、しだいに折り合いをつけていくことができるのに、日本人はどうもそういうことができない。
昔の日本人の(特に私が育った山梨甲府にあった)ことわざだが
「喧嘩して仲良くなる」
というものがある。今や日本人は喧嘩もできず、したがって
「雨降って地固まる」
式の仲直りができない。いちど喧嘩すると、それ以降陰湿にしつこく虐めるタイプばかりとなってしまったのかも知れない。
「勝負して決着をつける」
が、それ以降はそれを機会に友だちになるというような人間関係ができなくなったのだろう。
それもそのはずで、子供の頃から喧嘩も競争もダメ、暴力はぜったいダメという社会になってしまったからであろう。いつしか、喧嘩して仲直りするというレッスンを経ずして大人となる。医者など高学歴者ほどその傾向が強い。
そんなわけで、日本の医師は、新顔の医師をけむたがるのだろう。”ご学友”や”お友達”の間でしか仕事ができないという人種となったということだろう。
したがって、この問題の本質は日本人の”人間性”や”国民性”の問題だから、小手先で法律を変えたところで、解決できる問題ではない。この辺が政府官僚には理解できないようですナ。
2007/05/30のBlog
[ 21:32 ]
[ 科学 ]
最近、偶然、次の記事を「生物物理」の中で見つけて読んだ。もう2年ほど前の記事である。
CASP6会議報告-日本勢がんばる-
これは、2005年の「タンパク質折り畳み」のCASP国際会議の報告書である。CASPとは、「タンパク質構造予測技術評価会議」の略である。
この国際会議の面白いところは、世界中からこのテーマに関心があり、この問題を研究している研究者たちが、自分の研究所や研究室で開発した持ち前のプログラムを持って参加することである。
まず国際会議中にいくつかのターゲットタンパク質が”問題”として提出される。これは、自然状態で折れ畳んだ構造が実験によってすでに解明されたものである。この”既知の構造”を問題にして、どれだけ素早く自分のプログラムが予測できるかを競うのである。
そして実にユニークなのは、「この競技で上位入賞した研究グループだけに講演の機会が与えられる」というところである。普通の国際会議では、研究発表を応募して一応審査にパスすればだれでも講演者になれるが、この国際会議ではそうではない。
問題にはいくつかのカテゴリーがある。「ホモロジーモデリング部門」、「非ホモロジーモデリング部門」、「乱れ部位予測」、「ドメイン分割予測」、「機能予測」などである。
「ホモロジーモデリング部門」はさらに細かくCM/easy, CM/hard, FR/Hに、「非ホモロジーモデリング部門」はFR/A, NFに分かれている。ここで、CM=comparative modeling, FR=fold recognition, H=homologous, A=analogous, NF=new fold。
さて結果は、次の通りらしい。
FR/H部門:産総研CBRCが3位、北里大4位
NF部門:神戸大がElite club membership獲得
NFサーバ部門:神戸大Rokkyが2位
理研:多数の問題タンパク質提供
というわけで、日本の参加チームは、一部の部門で上位入賞したようである。が、やはり全般に渡って上位入賞したのは、アメリカチームのようである。驚くのはポーランドの躍進である。(注:ここに東大、京大など日本の有名国公立私立大学がまったく登場していないことに注意して欲しい。にもかかわらず、一番研究費を取っているのは有名大学の方である。)
さて、では、なんでこんな会議が欧米では重要視されるのだろうか?
この理由は、この会議にアメリカのNIHの研究費助成の担当者が来ているように、欧米では、こういう会議における成績を見て研究助成をしようとしているらしいということである。もちろん、日本の文科省のお役人は来ていないようである。
では、どうしてこんな会議が必要なのだろうか?
その理由は、タンパク質の折れ畳み問題は、狂牛病やアルツハイマー病、ハンチントン舞踏病、ヤコブ病、パーキンソン病など、さまざまな病気の原因が、異常に折れ畳んだタンパク質が原因であるということが分かってきたからである。それゆえ、タンパク質の構造予測が病気の撲滅に繋がるからである。また、新しい薬の開発などでタンパク質の構造予測が役立つと考えられているからである。
そういうわけで、製薬会社や国家など巨額の研究資金を注ぎ込んでいるのである。
私個人は、3つほどこの問題で論文を公表したが、それは、「タンパク質の折れ畳み」という問題が、「物理学への挑戦」であるという側面を持ち、それに興味があるからである。
果たして、既存の物理学の原理からこの問題を解決できるのだろうか?
あるいは、何かもっと新しい原理が必要なのか?
あるいは、既知の理論とどう折り合いをつけられるのか?
あるいは、全く新しい物理学の原理が必要なのか?
こういった問題に関心があるからである。
いずれにせよ、科学の1つの問題にみんなで挑戦し、その結果で研究費のあるなしが決まるというのは、非常に厳しい世界である。日本の「ロボコン」やF1の世界に近い。
しかし、日本の研究者といえども、国から億を超える多額の研究費をもらっているものもいるわけだから、当然といえば当然かもしれない。最近では、Googleの1ページ目に出ない研究者はない(存在しない)に等しい、という風潮も出てきてる。お金を出す方からすれば、上位入賞もしない研究者にお金をやる必要はあるのか?と思うはずである。
そんなわけで、もうすでに科学もスポーツやコンテストのような”競技”の様相を呈して来ているのである。科学が競技になる日はすぐそこに来ている。もちろん、こんなことは一般人は御存じないはずである。
これを嫌な世の中になったと見るか、これも時代の流れと見るか、はその人によるだろう。しかし、本当の”理解”に繋がればそれはそれでいいが、そうではないとするとちょっと困る。
大事なことは、構造がうまく予測できるかどうかではなく、事実はどうか、真実はどうか、ということだろうと私は考える。真の科学知識を生み出すことが我々の本来の道のはず。これを踏まえていれば、競技になろうが特に問題はない。
それにしても、「タンパク質折れ畳み」は難しいナア。
CASP6会議報告-日本勢がんばる-
これは、2005年の「タンパク質折り畳み」のCASP国際会議の報告書である。CASPとは、「タンパク質構造予測技術評価会議」の略である。
この国際会議の面白いところは、世界中からこのテーマに関心があり、この問題を研究している研究者たちが、自分の研究所や研究室で開発した持ち前のプログラムを持って参加することである。
まず国際会議中にいくつかのターゲットタンパク質が”問題”として提出される。これは、自然状態で折れ畳んだ構造が実験によってすでに解明されたものである。この”既知の構造”を問題にして、どれだけ素早く自分のプログラムが予測できるかを競うのである。
そして実にユニークなのは、「この競技で上位入賞した研究グループだけに講演の機会が与えられる」というところである。普通の国際会議では、研究発表を応募して一応審査にパスすればだれでも講演者になれるが、この国際会議ではそうではない。
問題にはいくつかのカテゴリーがある。「ホモロジーモデリング部門」、「非ホモロジーモデリング部門」、「乱れ部位予測」、「ドメイン分割予測」、「機能予測」などである。
「ホモロジーモデリング部門」はさらに細かくCM/easy, CM/hard, FR/Hに、「非ホモロジーモデリング部門」はFR/A, NFに分かれている。ここで、CM=comparative modeling, FR=fold recognition, H=homologous, A=analogous, NF=new fold。
さて結果は、次の通りらしい。
FR/H部門:産総研CBRCが3位、北里大4位
NF部門:神戸大がElite club membership獲得
NFサーバ部門:神戸大Rokkyが2位
理研:多数の問題タンパク質提供
というわけで、日本の参加チームは、一部の部門で上位入賞したようである。が、やはり全般に渡って上位入賞したのは、アメリカチームのようである。驚くのはポーランドの躍進である。(注:ここに東大、京大など日本の有名国公立私立大学がまったく登場していないことに注意して欲しい。にもかかわらず、一番研究費を取っているのは有名大学の方である。)
さて、では、なんでこんな会議が欧米では重要視されるのだろうか?
この理由は、この会議にアメリカのNIHの研究費助成の担当者が来ているように、欧米では、こういう会議における成績を見て研究助成をしようとしているらしいということである。もちろん、日本の文科省のお役人は来ていないようである。
では、どうしてこんな会議が必要なのだろうか?
その理由は、タンパク質の折れ畳み問題は、狂牛病やアルツハイマー病、ハンチントン舞踏病、ヤコブ病、パーキンソン病など、さまざまな病気の原因が、異常に折れ畳んだタンパク質が原因であるということが分かってきたからである。それゆえ、タンパク質の構造予測が病気の撲滅に繋がるからである。また、新しい薬の開発などでタンパク質の構造予測が役立つと考えられているからである。
そういうわけで、製薬会社や国家など巨額の研究資金を注ぎ込んでいるのである。
私個人は、3つほどこの問題で論文を公表したが、それは、「タンパク質の折れ畳み」という問題が、「物理学への挑戦」であるという側面を持ち、それに興味があるからである。
果たして、既存の物理学の原理からこの問題を解決できるのだろうか?
あるいは、何かもっと新しい原理が必要なのか?
あるいは、既知の理論とどう折り合いをつけられるのか?
あるいは、全く新しい物理学の原理が必要なのか?
こういった問題に関心があるからである。
いずれにせよ、科学の1つの問題にみんなで挑戦し、その結果で研究費のあるなしが決まるというのは、非常に厳しい世界である。日本の「ロボコン」やF1の世界に近い。
しかし、日本の研究者といえども、国から億を超える多額の研究費をもらっているものもいるわけだから、当然といえば当然かもしれない。最近では、Googleの1ページ目に出ない研究者はない(存在しない)に等しい、という風潮も出てきてる。お金を出す方からすれば、上位入賞もしない研究者にお金をやる必要はあるのか?と思うはずである。
そんなわけで、もうすでに科学もスポーツやコンテストのような”競技”の様相を呈して来ているのである。科学が競技になる日はすぐそこに来ている。もちろん、こんなことは一般人は御存じないはずである。
これを嫌な世の中になったと見るか、これも時代の流れと見るか、はその人によるだろう。しかし、本当の”理解”に繋がればそれはそれでいいが、そうではないとするとちょっと困る。
大事なことは、構造がうまく予測できるかどうかではなく、事実はどうか、真実はどうか、ということだろうと私は考える。真の科学知識を生み出すことが我々の本来の道のはず。これを踏まえていれば、競技になろうが特に問題はない。
それにしても、「タンパク質折れ畳み」は難しいナア。
2007/05/29のBlog
[ 10:20 ]
[ 健康・医学 ]
西田佐知子
向井亜紀(代理出産した向井亜紀をドラマで演じる 松下由樹(まつしたゆき))
という名前を見て何を思い浮かべるだろうか?
そう、「子宮頸(けい)がん」に罹ってしまった女優である。
昨日、有名なシンガーである坂井泉水(いずみ)さんが、亡くなったが、その原因はやはり「子宮頸がん」であった。
ZARD坂井泉水さん、闘病中の病院
向井亜紀(代理出産した向井亜紀をドラマで演じる 松下由樹(まつしたゆき))
という名前を見て何を思い浮かべるだろうか?
そう、「子宮頸(けい)がん」に罹ってしまった女優である。
昨日、有名なシンガーである坂井泉水(いずみ)さんが、亡くなったが、その原因はやはり「子宮頸がん」であった。
ZARD坂井泉水さん、闘病中の病院
可哀想に、こういう美人達はいわゆる「美人薄命」の典型である。
この一番の理由は、美人にはいろんな男どもがちやほや寄ってくるが、その中に必ず「性感染症」を持った”遊び人(プレイボーイ)”が含まれているということである。プレイボーイは、いろんな女と性交渉してきているがために、その間にさまざまなウィルスに感染する。そしてそれを一番の美人に染してしまうわけだ。
3年ほど前、私はここで「エイズ禍の問題:若者を蝕むエイズ 」というものを書いていた。
この中で、こんなことを書いていた。
”一方、コンジロームというのは、「尖形コンジローマ」という学名で、「HPV(ヒトパピローウイルス)」というウイルスで生じる。こう言っても分らないだろうが、これはイボのもとである。つまり身体にできるイボ、水イボやいろんなイボの中のエキスに潜んでいるのがこのヒトパピローウイルスである。これが性器できていたり、手の指にできていたりすると、そこからそのエキスが女性器に染み込み、感染するのである。そして、このウイルスは悪い場合には子宮ガンを起こすのである。時々、映画俳優やタレントや歌手の奥さんが子宮がんになったということがあるが、これが実は原因なのである。こんなとき、私はあのタレントはイボを持っているなと思うのである。こういうオジサンと若い女性がつき合うとまず確実に将来子宮がんに罹るのである。十分に注意すべきであるだろう。”
まあ、要するに、性器イボの類い、指イボの類いから女性器に侵入し、子宮の入り口に癌ができる。これが、「子宮頸がん」というわけである。
この一番の理由は、美人にはいろんな男どもがちやほや寄ってくるが、その中に必ず「性感染症」を持った”遊び人(プレイボーイ)”が含まれているということである。プレイボーイは、いろんな女と性交渉してきているがために、その間にさまざまなウィルスに感染する。そしてそれを一番の美人に染してしまうわけだ。
3年ほど前、私はここで「エイズ禍の問題:若者を蝕むエイズ 」というものを書いていた。
この中で、こんなことを書いていた。
”一方、コンジロームというのは、「尖形コンジローマ」という学名で、「HPV(ヒトパピローウイルス)」というウイルスで生じる。こう言っても分らないだろうが、これはイボのもとである。つまり身体にできるイボ、水イボやいろんなイボの中のエキスに潜んでいるのがこのヒトパピローウイルスである。これが性器できていたり、手の指にできていたりすると、そこからそのエキスが女性器に染み込み、感染するのである。そして、このウイルスは悪い場合には子宮ガンを起こすのである。時々、映画俳優やタレントや歌手の奥さんが子宮がんになったということがあるが、これが実は原因なのである。こんなとき、私はあのタレントはイボを持っているなと思うのである。こういうオジサンと若い女性がつき合うとまず確実に将来子宮がんに罹るのである。十分に注意すべきであるだろう。”
まあ、要するに、性器イボの類い、指イボの類いから女性器に侵入し、子宮の入り口に癌ができる。これが、「子宮頸がん」というわけである。
ところで、最近にはこんな話もある。
子宮体がん治療、初の指針
「30年以上前は、子宮がん全体の約5%だったが、食生活の欧風化などで急増、現在では40-50%程度を占める。」
おクチで“する”のはダメ!? 咽頭がんにも影響
「その結果、HPV感染者のがん罹患(りかん)リスクは、非感染者の32倍であることが判明。性経験との関連を調べたところ、「1-5人」のオーラルセックス経験をもつ人は3.8倍、「6人以上」の経験者は8.6倍もリスクが高いことが明らかになった。」
「HPVは子宮頸がんを引き起こすことが知られるが、男性への影響はほとんど明らかになっていなかった。米国では、年間1万1000人が感染、感染率は60歳以下で27%、20-24歳の女性では45%が既に感染しているとされる。ワクチンも開発されており、ティーンに予防接種を義務づけるか否かが論争になっていた。」
この2つの記事を見比べれば明らかだろう。
最初の記事では、「子宮頸がん」は、30年前には日本人女性の子宮がんの5%にすぎなかったものが、今では半数になったということの理由は、”食生活の欧風化”のせいとあるが、どう考えてもそれは誤りだろう。2番目の記事からして、あきらかに”性生活の欧風化”のせいである。
子宮体がん治療、初の指針
「30年以上前は、子宮がん全体の約5%だったが、食生活の欧風化などで急増、現在では40-50%程度を占める。」
おクチで“する”のはダメ!? 咽頭がんにも影響
「その結果、HPV感染者のがん罹患(りかん)リスクは、非感染者の32倍であることが判明。性経験との関連を調べたところ、「1-5人」のオーラルセックス経験をもつ人は3.8倍、「6人以上」の経験者は8.6倍もリスクが高いことが明らかになった。」
「HPVは子宮頸がんを引き起こすことが知られるが、男性への影響はほとんど明らかになっていなかった。米国では、年間1万1000人が感染、感染率は60歳以下で27%、20-24歳の女性では45%が既に感染しているとされる。ワクチンも開発されており、ティーンに予防接種を義務づけるか否かが論争になっていた。」
この2つの記事を見比べれば明らかだろう。
最初の記事では、「子宮頸がん」は、30年前には日本人女性の子宮がんの5%にすぎなかったものが、今では半数になったということの理由は、”食生活の欧風化”のせいとあるが、どう考えてもそれは誤りだろう。2番目の記事からして、あきらかに”性生活の欧風化”のせいである。
最近、欧米において当時”革命的”に性生活を変えた「キンゼイ・レポート」の作者であったキンゼイ博士の伝記映画が作られた。
「愛についてのキンゼイ・レポート」
この「キンゼイ・レポート」のおかげで、欧米の性生活に「オーラルセックス」が取り入れられ、日常化したのである。
これは、最近亡くなった奈良林博士により、30年前頃にすぐに日本に輸入された。「奈良林のハウツーセックス」の類いである。つまり、日本人の性生活が”欧米化”したのである。もちろん、マックにより食生活も”欧米化”した。また、こういう新手の性技や体位がビデオやDVDやインターネットなどのオーディオ機器の普及とともに広まった。
こういった相乗効果により、おそらく日本人に「子宮頸がん」が急速に広がったと考えられる。
「愛についてのキンゼイ・レポート」
この「キンゼイ・レポート」のおかげで、欧米の性生活に「オーラルセックス」が取り入れられ、日常化したのである。
これは、最近亡くなった奈良林博士により、30年前頃にすぐに日本に輸入された。「奈良林のハウツーセックス」の類いである。つまり、日本人の性生活が”欧米化”したのである。もちろん、マックにより食生活も”欧米化”した。また、こういう新手の性技や体位がビデオやDVDやインターネットなどのオーディオ機器の普及とともに広まった。
こういった相乗効果により、おそらく日本人に「子宮頸がん」が急速に広がったと考えられる。
しかし、ここで見落としてならないのは、これまで、この「子宮頸がん」は男性から性交渉で女性に伝播するものと考えられていたが、逆もあるということである。つまり、女性から男性の「咽頭がん」になることもあるということである。
要するに、「尖形コンジローマ」も「咽頭がん」も「子宮頸がん」も「性器ヘルペス」も「口唇ヘルペス」もみんな同じ「HPV(ヒトパピローウイルス)」が原因なのである。「HPV」には無数に仲間がいて、それらがヘルペスや癌を感染させるのである。
アメリカの”キンゼイ性革命”、日本の”奈良林性革命”によって流行ったものに、いわゆる”69(シックスナイン)”というものがある。「ウロボノスの蛇」のように、数珠つなぎとなり、口とお尻(陰部)、お尻(陰部)と口が連結するのである。
このことからすれば、ひょっとすると、「大腸がん」というのも、実は「HPV」が原因だったという可能性もある。陰部に行くべきところがお尻に行ってしまったのである。(もちろん、エイズ(HIV)もうつる)
やはり夫婦など、健康人どうしの安全なセックスに限る。あるいは、「コンドーム」着用が無難であろう。
昔から性にさかんでありすぎるものほど薄命である。性交渉は血液感染と同じ深さのリスクが伴うからである。
果たして、キンゼイや奈良林は英雄だったのか、それとも悪魔だったのか。今となっては議論のあるところだろう。
いずれにせよ、一時の”快楽”のために癌になり不幸を背負い込むのでは、まさに”厄病神”である。一考してみるのも良いだろうヨ。
ちなみに、良く歯を磨いただけではウィルス感染は防げないからそのつもりで。
要するに、「尖形コンジローマ」も「咽頭がん」も「子宮頸がん」も「性器ヘルペス」も「口唇ヘルペス」もみんな同じ「HPV(ヒトパピローウイルス)」が原因なのである。「HPV」には無数に仲間がいて、それらがヘルペスや癌を感染させるのである。
アメリカの”キンゼイ性革命”、日本の”奈良林性革命”によって流行ったものに、いわゆる”69(シックスナイン)”というものがある。「ウロボノスの蛇」のように、数珠つなぎとなり、口とお尻(陰部)、お尻(陰部)と口が連結するのである。
このことからすれば、ひょっとすると、「大腸がん」というのも、実は「HPV」が原因だったという可能性もある。陰部に行くべきところがお尻に行ってしまったのである。(もちろん、エイズ(HIV)もうつる)
やはり夫婦など、健康人どうしの安全なセックスに限る。あるいは、「コンドーム」着用が無難であろう。
昔から性にさかんでありすぎるものほど薄命である。性交渉は血液感染と同じ深さのリスクが伴うからである。
果たして、キンゼイや奈良林は英雄だったのか、それとも悪魔だったのか。今となっては議論のあるところだろう。
いずれにせよ、一時の”快楽”のために癌になり不幸を背負い込むのでは、まさに”厄病神”である。一考してみるのも良いだろうヨ。
ちなみに、良く歯を磨いただけではウィルス感染は防げないからそのつもりで。
2007/05/28のBlog
[ 15:14 ]
[ 科学ニュース ]
ワトソン氏のゲノム公開へ個人では初めてと米誌
”DNA2重らせん”
といえば、クリック-ワトソン。そのワトソン博士の全遺伝子(ゲノム)が解読されたらしいというニュース。
死人も現存者も含めて、個人では”初”。
「米コネティカット州のバイオ企業「454ライフサイエンシズ」が、博士の血液サンプルからゲノムを構成する約30億対の塩基配列を読み解いた」
とのこと。
ヒト、チンパンジー、マウス、有袋類のオポッサム(フクロネズミ)などに続いての快挙。
”DNA2重らせん”
といえば、クリック-ワトソン。そのワトソン博士の全遺伝子(ゲノム)が解読されたらしいというニュース。
死人も現存者も含めて、個人では”初”。
「米コネティカット州のバイオ企業「454ライフサイエンシズ」が、博士の血液サンプルからゲノムを構成する約30億対の塩基配列を読み解いた」
とのこと。
ヒト、チンパンジー、マウス、有袋類のオポッサム(フクロネズミ)などに続いての快挙。
しかし、ワトソンの”神格化”もここまで来ると問題かも知れない。
私の個人的趣味で言えば、どうせ”個人”をするなら、世紀の物理学者アインシュタイン。ランダウ、ファインマン、ディラック、べーテ、ヤンなどもいる。DNA関係者なら、クリックの方を先にして欲しかった。
やはり、アメリカ人は、「アメリカ人が他のどの生物より重要である」という認識を持ちはじめていることは確かなようである。アメリカ人という新たなる種の確立であろうか。(地球”異常事態”:人類はどう進化するか? )
それにしてもこの”ワトソン”という人物には恐れ入る。
DNAの解読、
DNA発見物語本執筆、
分子生物学の教科書執筆、
分子生物学研究所設立、
ヒトゲノム解読、そして、
個人ゲノム解読
などなど、”競争”という匂いのするものにはことごとく勝とうとするその執念が凄まじい。
おそらく、”ワトソン遺伝子”の中には、この弱肉強食の競争遺伝子が見つかるのは必至である。
ワトソンを競争に駆り立てるもの、それは染色体のどこにあるのか?
実に興味深い。
私の想像では、やはりY染色体のどこかに潜んでいるのではないか?と思う。
写真:右がワトソン博士。左はボルティモア博士。
ちなみに、ジェームズ・ワトソン博士は2mの巨人でもある。
私の個人的趣味で言えば、どうせ”個人”をするなら、世紀の物理学者アインシュタイン。ランダウ、ファインマン、ディラック、べーテ、ヤンなどもいる。DNA関係者なら、クリックの方を先にして欲しかった。
やはり、アメリカ人は、「アメリカ人が他のどの生物より重要である」という認識を持ちはじめていることは確かなようである。アメリカ人という新たなる種の確立であろうか。(地球”異常事態”:人類はどう進化するか? )
それにしてもこの”ワトソン”という人物には恐れ入る。
DNAの解読、
DNA発見物語本執筆、
分子生物学の教科書執筆、
分子生物学研究所設立、
ヒトゲノム解読、そして、
個人ゲノム解読
などなど、”競争”という匂いのするものにはことごとく勝とうとするその執念が凄まじい。
おそらく、”ワトソン遺伝子”の中には、この弱肉強食の競争遺伝子が見つかるのは必至である。
ワトソンを競争に駆り立てるもの、それは染色体のどこにあるのか?
実に興味深い。
私の想像では、やはりY染色体のどこかに潜んでいるのではないか?と思う。
写真:右がワトソン博士。左はボルティモア博士。
ちなみに、ジェームズ・ワトソン博士は2mの巨人でもある。
[ 10:56 ]
[ 教育 ]
今年で私もちょうど半世紀を生きたことになる。私はこの50前後の年齢というものは、非常に面白いと感じる。
しかし、もちろんこれは、普通の日本人に感じられるというものではないかも知れない。というのは、普通この年齢は、一番仕事が忙しくなり、家庭からから離れ、家事や家庭のことをないがしろにする。そのため、私が感じるようなことを知らずに過ぎ去ってしまうからである。
これは、私のように、世間的には一番(会社や職場で)”働き盛り”の時期にいわば引退し、自分の研究生活と主夫生活のみに集中したというような風変わりな人生を選んでしまった人間でないと得られないものだと思うからである。
かといって、単に”主夫”になれば得られるというものでもない。働きながら妻の育児に協力すれば得られるというものでもないというのは言うまでもない。
私の考えでは、50というのは、非常にユニークな年齢である。
人には、まず自分自身が学童時代、小中高、大学、大学院、社会人と成長し、結婚し子供を作るまでの人生がある。これを「前半生」と呼んでもよい。要するに、”自己実現”を目指す時代である。
この後半に子供ができる。すると、今度はその子が成長し、その子どもがかつて我々が辿った道、”自己実現”を目指しはじめる。
多くの日本の男にとって、子育ては主婦や母親の仕事と考えるために、この幼少の時代の情報に欠ける。もちろん、ここで私が言っているのは、自分の子の幼少の頃の記憶というような自分の子供だけのことではない。むしろ、自分の子の成長を通じて関わってくる他の同年代の子供達(たいていは近所や保育園や学校などの友だち)の情報の意味である。
普通の日本の母親たちは、こういった情報を俗に言う「井戸端会議」でつちかう。しかし、世の一般のごく普通の女性達、母親たちが、私が言うような意味で自分の子の友だち達のことに関心があるというわけではない。だから、残念ながら立派な「専業主婦」といえども、世間的な意味の情報しか共有していないというのが常である。
つまり、だれそれのお子さんはどうたらこうたら。どこの学校がいいとか、そういうマスコミ的な話題のレベルで終わっているのである。
それゆえ、そこには、理論科学者の目で見たり、実験科学者の目で見たり、スポーツ監督の厳しい目で見たり、というような分析的な観察はない。
そんなわけで、日本では(特に日本に限らないかも知れないが)、こういうごく普通の子育て生活や家庭生活、幼稚園生活、学校生活に、科学者の目、大人の目で見るということがない。
偶然なのだが、私は理研の研究員生活までは、アメリカ帰りの日本の一種のエリート研究者の1人として順風満帆の生活を送っていたのである。が、その後のジョブサーチに失敗し、ここ阿南に住むようになり、”主夫”生活を送るようになった。
というより、あまりにアレルギーの咳きがひどすぎて、首都圏に住む気が失せたり、大学でどこぞのバカ息子やバカ娘を教育することに嫌気が差し、ほとんど職探しをしなかったのが直接の原因なのであった。また、この”主夫”生活を結構気にいってしまったというのも一因だろう。
こういうわけで、自分の子が2、3歳児となり幼稚園、小学校、中学校と進む間にずっと子供の送り迎え、炊事洗濯、掃除、家事、雑事などを妻とうまく分かちあいながら、適当に暇を見つけては研究し、本や論文を読み、論文を公表するという生活を続けてきたのである。もうこれが12年となる。
こうして12年の間、近所の子供たち、サッカーで遊んだ幼稚園児も今やJリーガーを目指す年齢になってきた。近所の鼻垂れ少女も、中学や高校の制服の良く似合う女子学生となった。
そうすると、幼稚園の頃、こうだった、ああだった、という幼児も今やいっぱしの少年や青年の域に差し掛かる。しかし今度は、その少年たちがかつて私が死にものぐるいでやったサッカーに同じように打ち込み始める。
すると、ここに面白いことが生じる。すなわち、かつて私がやった経験と現実に今やっている若者達や少年たちの経験とがオーバーラップできるのである。
「お父さんは、中3で5つあった県大会で3つ優勝した。うち2つは引き分け抽選負けとPK戦負けだった。その強豪チームの練習はこうだった、ああだった」というような話を通じて、子供達とサッカー経験を共有できるのである。それも、平日なら一緒に朝食や夕食の間、土日なら毎食時にできるのである。
こういうことは、普通のサラリーマンにはありえないはずである。なぜなら、日本のサラリーマン亭主の子供との共有時間は一日たったの25分にすぎないからである。一方、主婦にもできない。なぜなら自分の息子のスポーツとの接点がないからである。
もちろん、それは自分の子供が良い学校に進学して欲しいがため、自分の妻がみじめな生活をしないで欲しいがために、せっせと外で無理して働くためである。だから、それはそれでしかたない。
昔幼稚園で私のボールジャグリング(リフティング)を見せてやった子供達が、今中学高校でサッカー部にいる。そこでサッカーをしているというわけだ。
すると、私が昔小中高大学とサッカーをやった頃につちかった、良い選手と悪い選手の違い、こうしたものに対する自分の考えや経験、こういったもろもろの事と、今まさに自分の子供やそのチームメートたちの行動とが比較できるようになる。そして、再び分析の対象になり得る。
かつて自分が思ったことは正しかったのか、あるいは、そうではなかったのか。こういう分析が今できる年齢になったということなのである。
サッカーの監督ももちろんこういうことをやっているのかも知れない。しかしそれはサッカーだけという限られた範囲のことだろう。見る選手も特別だろう。職業であり、選手も監督も仕事という制限がある。お互いに演出し、良いところだけを見せているだろう。
しかし、私のようなかたちで、主夫として見た場合はかなり趣が違う。子供達のごく普通の日常を見る。見聞きする。素の子供達を観察できる。しかも、その観察は幼少期から今までずっと続いてきているわけである。
私が子供の頃、自分の知り合いにいたこういう少年はこういう大人になった。そしてこういう人生を得た。方やこういう経験が私にある。そして、今度は、自分の息子の知り合いにこういう少年がいる。その子はこういう青年になり、こういう大人になる、という経験を今まさに得ようとしているということなのである。
言い換えれば、自分の人生と子の世代の人生が重ねられるという、不思議な年齢なのである。それが50歳である。そして、70、80となると、今度はそれがトリプル(3重)に重ねられるのである。すなわち、自分、子供、孫の3世代の人生を重ねて見ることができる状況となるわけである。
エッシャーの絵にある「不思議な輪環」、バッハの「カノン」のようなものである。「人生のカノン」と言えるだろう。
しかし、現実には、こういうことをできるに足る人物はほとんどいない。ひょっとすれば、我々人類にはそこまでできるだけの知性がもともと備わっていないのかも知れない。あるいは、我々の築いた社会構造や社会システムというものには、そうしたことを阻害する仕組みが組み込まれているのだろう。
なぜなら、多くの場合は、20歳でやったことを再び50歳になってもやっているだけだからだ。中にはそれを70歳になってもやるやつもいるからである。これでは、くり返しているだけのこと。いつまでも卒業できないんですナ。
しかし、もちろんこれは、普通の日本人に感じられるというものではないかも知れない。というのは、普通この年齢は、一番仕事が忙しくなり、家庭からから離れ、家事や家庭のことをないがしろにする。そのため、私が感じるようなことを知らずに過ぎ去ってしまうからである。
これは、私のように、世間的には一番(会社や職場で)”働き盛り”の時期にいわば引退し、自分の研究生活と主夫生活のみに集中したというような風変わりな人生を選んでしまった人間でないと得られないものだと思うからである。
かといって、単に”主夫”になれば得られるというものでもない。働きながら妻の育児に協力すれば得られるというものでもないというのは言うまでもない。
私の考えでは、50というのは、非常にユニークな年齢である。
人には、まず自分自身が学童時代、小中高、大学、大学院、社会人と成長し、結婚し子供を作るまでの人生がある。これを「前半生」と呼んでもよい。要するに、”自己実現”を目指す時代である。
この後半に子供ができる。すると、今度はその子が成長し、その子どもがかつて我々が辿った道、”自己実現”を目指しはじめる。
多くの日本の男にとって、子育ては主婦や母親の仕事と考えるために、この幼少の時代の情報に欠ける。もちろん、ここで私が言っているのは、自分の子の幼少の頃の記憶というような自分の子供だけのことではない。むしろ、自分の子の成長を通じて関わってくる他の同年代の子供達(たいていは近所や保育園や学校などの友だち)の情報の意味である。
普通の日本の母親たちは、こういった情報を俗に言う「井戸端会議」でつちかう。しかし、世の一般のごく普通の女性達、母親たちが、私が言うような意味で自分の子の友だち達のことに関心があるというわけではない。だから、残念ながら立派な「専業主婦」といえども、世間的な意味の情報しか共有していないというのが常である。
つまり、だれそれのお子さんはどうたらこうたら。どこの学校がいいとか、そういうマスコミ的な話題のレベルで終わっているのである。
それゆえ、そこには、理論科学者の目で見たり、実験科学者の目で見たり、スポーツ監督の厳しい目で見たり、というような分析的な観察はない。
そんなわけで、日本では(特に日本に限らないかも知れないが)、こういうごく普通の子育て生活や家庭生活、幼稚園生活、学校生活に、科学者の目、大人の目で見るということがない。
偶然なのだが、私は理研の研究員生活までは、アメリカ帰りの日本の一種のエリート研究者の1人として順風満帆の生活を送っていたのである。が、その後のジョブサーチに失敗し、ここ阿南に住むようになり、”主夫”生活を送るようになった。
というより、あまりにアレルギーの咳きがひどすぎて、首都圏に住む気が失せたり、大学でどこぞのバカ息子やバカ娘を教育することに嫌気が差し、ほとんど職探しをしなかったのが直接の原因なのであった。また、この”主夫”生活を結構気にいってしまったというのも一因だろう。
こういうわけで、自分の子が2、3歳児となり幼稚園、小学校、中学校と進む間にずっと子供の送り迎え、炊事洗濯、掃除、家事、雑事などを妻とうまく分かちあいながら、適当に暇を見つけては研究し、本や論文を読み、論文を公表するという生活を続けてきたのである。もうこれが12年となる。
こうして12年の間、近所の子供たち、サッカーで遊んだ幼稚園児も今やJリーガーを目指す年齢になってきた。近所の鼻垂れ少女も、中学や高校の制服の良く似合う女子学生となった。
そうすると、幼稚園の頃、こうだった、ああだった、という幼児も今やいっぱしの少年や青年の域に差し掛かる。しかし今度は、その少年たちがかつて私が死にものぐるいでやったサッカーに同じように打ち込み始める。
すると、ここに面白いことが生じる。すなわち、かつて私がやった経験と現実に今やっている若者達や少年たちの経験とがオーバーラップできるのである。
「お父さんは、中3で5つあった県大会で3つ優勝した。うち2つは引き分け抽選負けとPK戦負けだった。その強豪チームの練習はこうだった、ああだった」というような話を通じて、子供達とサッカー経験を共有できるのである。それも、平日なら一緒に朝食や夕食の間、土日なら毎食時にできるのである。
こういうことは、普通のサラリーマンにはありえないはずである。なぜなら、日本のサラリーマン亭主の子供との共有時間は一日たったの25分にすぎないからである。一方、主婦にもできない。なぜなら自分の息子のスポーツとの接点がないからである。
もちろん、それは自分の子供が良い学校に進学して欲しいがため、自分の妻がみじめな生活をしないで欲しいがために、せっせと外で無理して働くためである。だから、それはそれでしかたない。
昔幼稚園で私のボールジャグリング(リフティング)を見せてやった子供達が、今中学高校でサッカー部にいる。そこでサッカーをしているというわけだ。
すると、私が昔小中高大学とサッカーをやった頃につちかった、良い選手と悪い選手の違い、こうしたものに対する自分の考えや経験、こういったもろもろの事と、今まさに自分の子供やそのチームメートたちの行動とが比較できるようになる。そして、再び分析の対象になり得る。
かつて自分が思ったことは正しかったのか、あるいは、そうではなかったのか。こういう分析が今できる年齢になったということなのである。
サッカーの監督ももちろんこういうことをやっているのかも知れない。しかしそれはサッカーだけという限られた範囲のことだろう。見る選手も特別だろう。職業であり、選手も監督も仕事という制限がある。お互いに演出し、良いところだけを見せているだろう。
しかし、私のようなかたちで、主夫として見た場合はかなり趣が違う。子供達のごく普通の日常を見る。見聞きする。素の子供達を観察できる。しかも、その観察は幼少期から今までずっと続いてきているわけである。
私が子供の頃、自分の知り合いにいたこういう少年はこういう大人になった。そしてこういう人生を得た。方やこういう経験が私にある。そして、今度は、自分の息子の知り合いにこういう少年がいる。その子はこういう青年になり、こういう大人になる、という経験を今まさに得ようとしているということなのである。
言い換えれば、自分の人生と子の世代の人生が重ねられるという、不思議な年齢なのである。それが50歳である。そして、70、80となると、今度はそれがトリプル(3重)に重ねられるのである。すなわち、自分、子供、孫の3世代の人生を重ねて見ることができる状況となるわけである。
エッシャーの絵にある「不思議な輪環」、バッハの「カノン」のようなものである。「人生のカノン」と言えるだろう。
しかし、現実には、こういうことをできるに足る人物はほとんどいない。ひょっとすれば、我々人類にはそこまでできるだけの知性がもともと備わっていないのかも知れない。あるいは、我々の築いた社会構造や社会システムというものには、そうしたことを阻害する仕組みが組み込まれているのだろう。
なぜなら、多くの場合は、20歳でやったことを再び50歳になってもやっているだけだからだ。中にはそれを70歳になってもやるやつもいるからである。これでは、くり返しているだけのこと。いつまでも卒業できないんですナ。
2007/05/27のBlog
[ 11:31 ]
[ 地震・災害 ]
南極大陸で異常事態 大規模な融雪判明 温暖化の影響か
いよいよ氷の大陸、南極大陸がその姿を現す。そんな現実がすぐそこに来ているようである。
これまで、大陸の周辺部の氷のみが溶融し崩落をくり返していたが、ついに内陸部も崩落していたという初の観測結果が出たというニュース。しかもこれは2年前の話。
したがって、南極の氷は、もっともっと早いスピードで海に流れ出ているのだろう。
では、この結果、行き着く先は何か?
と言えば、「大規模な気象変動」であると考えられている。
というのは、真水が海に大量に流れ込むとまず「海流の激変」が起こると考えられていて、その次に海流の温度に引きずられて気象が変わると予想されているからである。
「海流の激変」には基本的には、2種類ある。
1つは、普通の海流が、真水が北極海や南極の回りに溜まるために、早く潜り込むというもの。例えば、日本近海の黒潮も日本を過ぎてずっと北まで北上することなく、すぐに沈み込んで、東へ回りはじめる。
2つめは、深層水という、海の底を流れていると考えられている海流の変化である。例えば、これが、南極の周りを一周しているために、南極が気候上独立した寒冷地域となっているが、これが変化すると、もはや南極に暖流が回りはじめるために、南極は暖かくなる。逆に南極の寒流が他に回るために、他が寒くなる。こういうことが起こるらしい。
いずれにせよ、真水が大量に海に入ると気象変動が起こる。
では、その結果はどうなるか?
と言えば、今度は、氷河期のような激寒の地が南下する。「ザ・デイ・アフター・トモーロー」のように、氷点下40度というような大寒気が温帯地域を襲う。こうして再び、氷河期へと舞い戻る。
要するに、灼熱の熱帯地方と激寒の寒冷地方に2分されてしまう、ということらしい。一説では、これが1万年くらいで起こると考えられている。
果たして現実はどうなるか?
これはだれにも分からないが、昔の「大隕石衝突」による地球大変動に匹敵する大変動をもたらしているのが、我々人類である。これだけは確かなようである。
「大隕石衝突」が地球生命の進化をうながした直接の原因と考えられているが、今度の人類による大艱難が、再び地球生命の進化をうながすのかどうか、ここは面白いところである。
いよいよ氷の大陸、南極大陸がその姿を現す。そんな現実がすぐそこに来ているようである。
これまで、大陸の周辺部の氷のみが溶融し崩落をくり返していたが、ついに内陸部も崩落していたという初の観測結果が出たというニュース。しかもこれは2年前の話。
したがって、南極の氷は、もっともっと早いスピードで海に流れ出ているのだろう。
では、この結果、行き着く先は何か?
と言えば、「大規模な気象変動」であると考えられている。
というのは、真水が海に大量に流れ込むとまず「海流の激変」が起こると考えられていて、その次に海流の温度に引きずられて気象が変わると予想されているからである。
「海流の激変」には基本的には、2種類ある。
1つは、普通の海流が、真水が北極海や南極の回りに溜まるために、早く潜り込むというもの。例えば、日本近海の黒潮も日本を過ぎてずっと北まで北上することなく、すぐに沈み込んで、東へ回りはじめる。
2つめは、深層水という、海の底を流れていると考えられている海流の変化である。例えば、これが、南極の周りを一周しているために、南極が気候上独立した寒冷地域となっているが、これが変化すると、もはや南極に暖流が回りはじめるために、南極は暖かくなる。逆に南極の寒流が他に回るために、他が寒くなる。こういうことが起こるらしい。
いずれにせよ、真水が大量に海に入ると気象変動が起こる。
では、その結果はどうなるか?
と言えば、今度は、氷河期のような激寒の地が南下する。「ザ・デイ・アフター・トモーロー」のように、氷点下40度というような大寒気が温帯地域を襲う。こうして再び、氷河期へと舞い戻る。
要するに、灼熱の熱帯地方と激寒の寒冷地方に2分されてしまう、ということらしい。一説では、これが1万年くらいで起こると考えられている。
果たして現実はどうなるか?
これはだれにも分からないが、昔の「大隕石衝突」による地球大変動に匹敵する大変動をもたらしているのが、我々人類である。これだけは確かなようである。
「大隕石衝突」が地球生命の進化をうながした直接の原因と考えられているが、今度の人類による大艱難が、再び地球生命の進化をうながすのかどうか、ここは面白いところである。
ところで、ここから先は私の個人的”妄想”の類いの話である。
もし地球人類がさらに進化し、新たなる地球環境に適応するとすれば、人類は大きく分けて2つの方向へと進化適応するのではないか、と私は想像している。
1つは、今の人類を”食う”ヒューマノイド型への進化。つまり捕食者(プリデター)となる方向の進化である。この場合は、今の人類より知性においても能力においてもあらゆる面でパワーアップする。
もう1つは、今の人類の形質を温存して進化する方向。しかし、悪化した地球環境ではそのままでは維持できないので、極端に「小型化」する。小型化した人類は、最初の新人類の非捕食者(プレイヤー、つまり、餌)となる。
これは、恐竜時代から「小型化した恐竜」という形で、恐竜の原形を温存したまま鳥類に進化したものと、「進化した恐竜」という形でほ乳類へと進化したというようなことから類推して考えている。
現実に、傾向としては、アメリカ人は前者の方向に近い。日本人や東洋人は後者に近いと言えるだろう。科学技術に優れ、身体も大型で、知性にも優れたアメリカ人は、小粒な第三世界の民族と比べれば、かなり進化した段階にあるといえる。
現段階では、強者と弱者、勝ち組と負け組の関係は、お金という経済を中心に行われているが、これが経済を超越して民族や人種を基に行われるようになってくるともはや別種の生物と考えられるに違いない。
私の個人的考えでは、これまで人類が一枚岩で同じ理念の基に「自由、平等、博愛」精神で、フランス革命からアメリカ独立と進んで来られたのも、実はその背後で地球環境が比較的安泰であったという事実に基づいていると思う。もし、この地球環境が激変するとなると、果たしてこれまでの地球平和などの基本概念がどこまで通用するのか、その保証はかなり危ういのではないか、と私は考えるのである。白人が我々を同じ仲間だといつまで見てくれるのだろうか。黒人はどうか。
このように、環境悪化、環境激変は、再び新たなる人種差別の時代をもたらしかねない危険性を持っていると私は見ている。
もし地球人類がさらに進化し、新たなる地球環境に適応するとすれば、人類は大きく分けて2つの方向へと進化適応するのではないか、と私は想像している。
1つは、今の人類を”食う”ヒューマノイド型への進化。つまり捕食者(プリデター)となる方向の進化である。この場合は、今の人類より知性においても能力においてもあらゆる面でパワーアップする。
もう1つは、今の人類の形質を温存して進化する方向。しかし、悪化した地球環境ではそのままでは維持できないので、極端に「小型化」する。小型化した人類は、最初の新人類の非捕食者(プレイヤー、つまり、餌)となる。
これは、恐竜時代から「小型化した恐竜」という形で、恐竜の原形を温存したまま鳥類に進化したものと、「進化した恐竜」という形でほ乳類へと進化したというようなことから類推して考えている。
現実に、傾向としては、アメリカ人は前者の方向に近い。日本人や東洋人は後者に近いと言えるだろう。科学技術に優れ、身体も大型で、知性にも優れたアメリカ人は、小粒な第三世界の民族と比べれば、かなり進化した段階にあるといえる。
現段階では、強者と弱者、勝ち組と負け組の関係は、お金という経済を中心に行われているが、これが経済を超越して民族や人種を基に行われるようになってくるともはや別種の生物と考えられるに違いない。
私の個人的考えでは、これまで人類が一枚岩で同じ理念の基に「自由、平等、博愛」精神で、フランス革命からアメリカ独立と進んで来られたのも、実はその背後で地球環境が比較的安泰であったという事実に基づいていると思う。もし、この地球環境が激変するとなると、果たしてこれまでの地球平和などの基本概念がどこまで通用するのか、その保証はかなり危ういのではないか、と私は考えるのである。白人が我々を同じ仲間だといつまで見てくれるのだろうか。黒人はどうか。
このように、環境悪化、環境激変は、再び新たなる人種差別の時代をもたらしかねない危険性を持っていると私は見ている。
2007/05/26のBlog
[ 22:38 ]
[ 社会 ]
写真:金かえせー
サッカーくじビッグ、売り上げ激減
第280回totoBIGの売り上げは、5億7385万2000円。
キャリーオーバーのあった前回は、61億2033万1500円。
「totoにも「格差社会」?:これでは”詐欺行為”だろ! 」にこう書いていた。
”これでは、はっきり言って”詐欺だ”。私のように、これまで毎回のように地方のローソンで買ってきた人間が、一番の本番のところでtotoを買えなかったからである。”
にわかサッカーくじファンが去った後は、売り上げが減るのは当たり前。しかも、にわかサッカーファンのおかげで壊れたローソンのシステムは未だに復旧していない。だから、私は未だにtotoを買えていない。こんなわけだから、売り上げが激減し、1/10になるのは当然。いまだにシステムダウンさせっぱなしのローソンに使用料を支払う必要はないだろうヨ。
まったく踏んだり蹴ったりのサッカーくじ騒動ですナ。
サッカーくじビッグ、売り上げ激減
第280回totoBIGの売り上げは、5億7385万2000円。
キャリーオーバーのあった前回は、61億2033万1500円。
「totoにも「格差社会」?:これでは”詐欺行為”だろ! 」にこう書いていた。
”これでは、はっきり言って”詐欺だ”。私のように、これまで毎回のように地方のローソンで買ってきた人間が、一番の本番のところでtotoを買えなかったからである。”
にわかサッカーくじファンが去った後は、売り上げが減るのは当たり前。しかも、にわかサッカーファンのおかげで壊れたローソンのシステムは未だに復旧していない。だから、私は未だにtotoを買えていない。こんなわけだから、売り上げが激減し、1/10になるのは当然。いまだにシステムダウンさせっぱなしのローソンに使用料を支払う必要はないだろうヨ。
まったく踏んだり蹴ったりのサッカーくじ騒動ですナ。
2007/05/25のBlog
[ 08:48 ]
[ 徳島 ]
早いか遅いかの違いはあれ、この時期になると必ずウミガメに関する記事が出る。それは、ウミガメが産卵にやってくるからである。
ウミガメ未明の産卵 美波町の大浜海岸、今季2匹目
美浜町(旧、日和佐町)の大浜海岸にアカウミガメが産卵。今期2匹目となった。
「卵は高波にさらわれる恐れがあるため、同町日和佐浦の日和佐うみがめ博物館カレッタの人工ふ化場に移した」という。
ウミガメ未明の産卵 美波町の大浜海岸、今季2匹目
美浜町(旧、日和佐町)の大浜海岸にアカウミガメが産卵。今期2匹目となった。
「卵は高波にさらわれる恐れがあるため、同町日和佐浦の日和佐うみがめ博物館カレッタの人工ふ化場に移した」という。
しかし、昨年「ウミガメは戻るか?:ウミガメの帰巣本能 」の中で、私はこう書いていた。
”私は地元民とは、ちょっと違ったアイデアを持っている。
「自然に任せるべきである」
「人工孵化するからウミガメの帰巣本能が狂い、場所を間違うのだ」
「穴から這い上がれない亀の子はそれが自然の摂理なのだ」”
” 私の個人的印象では、そうである。ウミガメが産卵した場所の確保と保護、そして盗っ人から守ることなどが必要だろうが、できるかぎり自然に任せるべきだろうと思う。ひょっとすれば、鳥の子が生まれてすぐに見た動くものを母鳥と覚え込むというような「”本能”のメカニズム」がウミガメにもあるかも知れないと思うからだ。
つまり、ウミガメの場合には、生まれて味わった砂の味や匂いや形、水の音色、海水の味など、その海岸に生まれた瞬間から感知し、それによってその生まれた海岸への帰巣本能が働いているのではないか、というような気がするのである。”
こんなわけだから、私は全部の卵を「うみがめ博物館」の人工孵化場の戻すべきではなく、半分は残しておくべきだろうと思う。
果たして、ウミガメは戻ってくるか?
参考:2年前のもの
大浜海岸、ウミガメ今年初上陸
写真:大浜海岸。町名は、日和佐町から美浜町に変わった。
”私は地元民とは、ちょっと違ったアイデアを持っている。
「自然に任せるべきである」
「人工孵化するからウミガメの帰巣本能が狂い、場所を間違うのだ」
「穴から這い上がれない亀の子はそれが自然の摂理なのだ」”
” 私の個人的印象では、そうである。ウミガメが産卵した場所の確保と保護、そして盗っ人から守ることなどが必要だろうが、できるかぎり自然に任せるべきだろうと思う。ひょっとすれば、鳥の子が生まれてすぐに見た動くものを母鳥と覚え込むというような「”本能”のメカニズム」がウミガメにもあるかも知れないと思うからだ。
つまり、ウミガメの場合には、生まれて味わった砂の味や匂いや形、水の音色、海水の味など、その海岸に生まれた瞬間から感知し、それによってその生まれた海岸への帰巣本能が働いているのではないか、というような気がするのである。”
こんなわけだから、私は全部の卵を「うみがめ博物館」の人工孵化場の戻すべきではなく、半分は残しておくべきだろうと思う。
果たして、ウミガメは戻ってくるか?
参考:2年前のもの
大浜海岸、ウミガメ今年初上陸
写真:大浜海岸。町名は、日和佐町から美浜町に変わった。
2007/05/24のBlog
[ 17:17 ]
[ サッカー ]
ACミランが7度目の優勝、インザギ2ゴール…欧州CL
”カテナチオ健在”
サッカーの欧州チャンピオンズリーグ(CL)で、イタリアのACミランが、イングランドのリバプールを2-1で一蹴。7度目の優勝を決めた。トヨタカップ、第3回クラブワールドカップ(クラブW杯)、にやってくる。
大方の予想では、ジェラート率いるリバプールが有力であったが、ミランのマルディーニなどイタリアの強力ディフェンス、”カテナチオ”の伝統が生きたようである。
昨年のワールドカップに引き続き、イタリアが優勝したこととなる。準決勝には、4チーム中3チーム(リバプール、チェルシー、マンチェスターユナイテッド)がイングランドプレミアリーグのチームとなったが、ミランは厳しいディフェンスでイングランドチームをことごとく退けた。
”カテナチオ”恐るべし。
写真では、最前列左から4人目にマルディーニ。ワールドカップのメンバー、ガッツーゾ(最前列左から2人目)やピルロ(最前列左から3人目)、ブラジル代表カフー(前から2列目一番左)、カカ(2列目一番右)の姿も見える。要するに、ドイツワールドカップ優勝のイタリアメンバーにブラジル代表や他の国の代表メンバーが加わっているわけだから強いはずだ。年末が楽しみである。日本チームがアジア代表となり戦ってくれることを望むのみ。
”カテナチオ健在”
サッカーの欧州チャンピオンズリーグ(CL)で、イタリアのACミランが、イングランドのリバプールを2-1で一蹴。7度目の優勝を決めた。トヨタカップ、第3回クラブワールドカップ(クラブW杯)、にやってくる。
大方の予想では、ジェラート率いるリバプールが有力であったが、ミランのマルディーニなどイタリアの強力ディフェンス、”カテナチオ”の伝統が生きたようである。
昨年のワールドカップに引き続き、イタリアが優勝したこととなる。準決勝には、4チーム中3チーム(リバプール、チェルシー、マンチェスターユナイテッド)がイングランドプレミアリーグのチームとなったが、ミランは厳しいディフェンスでイングランドチームをことごとく退けた。
”カテナチオ”恐るべし。
写真では、最前列左から4人目にマルディーニ。ワールドカップのメンバー、ガッツーゾ(最前列左から2人目)やピルロ(最前列左から3人目)、ブラジル代表カフー(前から2列目一番左)、カカ(2列目一番右)の姿も見える。要するに、ドイツワールドカップ優勝のイタリアメンバーにブラジル代表や他の国の代表メンバーが加わっているわけだから強いはずだ。年末が楽しみである。日本チームがアジア代表となり戦ってくれることを望むのみ。
2007/05/22のBlog
[ 16:39 ]
[ サッカー ]
「天才」「欧州を征服」中村がFIFA機関誌表紙
セルティックの中村俊輔選手が、「FIFAマガジン」の表紙を飾った、という”快挙”のニュース。
「GENIUS(天才)」
「アジアのトップ選手が欧州を征服」
「本物のゴールデンボーイ」
2007年は、”俊輔イヤー”となったようである。
このセルティックのストラガン監督は、低迷に喘いでいたチームの抜本的改造のために、それを実現すべき「天才」を探していた。たまたまテレビで日本戦を見ていた時、中村俊輔選手のプレーに”衝撃”を受けた。当時まだ”未完成”で”荒削り”な中村俊輔選手であったが、その「天才」振りにぞっこんとなった。すぐさまセルティックで中村俊輔選手をスカウトした。
しかし、まだ中村俊輔選手は、身体の線も細く、華奢で、ディフェンスもできず、走り回る体力もない。多くの関係者は、中村俊輔選手獲得に反対したという。
そんな関係者にストラガン監督が言った言葉はシビレル。
「やつは、タックルもできない、ヘッドもしない。だが、天才だ」
監督がまだ無名の若者を「やつは天才だ」と信じて使い続ける。すると、その若者の中に潜み、その時を待っていた才能が一気に溢れ出す。そして、だれもが目を疑わんばかりの大選手へと変ぼうを遂げる。
まさしくこういう話である。この意味では、名監督(名伯楽)と天才の関係の見事な一例と言える。
かつて、中村俊輔選手は、日韓ワールドカップでは、トルシエ監督から全く同じ理由で見捨てられたのである。私もディフェンスをしない中村を批判した。選考対象となった日本代表の試合で、3点を取ったが3失点。失点は全部中村選手がディフェンスしないことから生まれたものであった。
時は流れ、ストラガン監督のセルティックでは、中村選手は今や攻守の要である。ヘッドもタックルもする選手へと変ぼうを遂げた。1人の完成したサッカー選手へと成長したのである。それは、おそらくトルシエの悔しさをバネに、かつての中田英寿選手のように、試合後も筋トレする選手へと進化したからであったのだろう。
人にはそれぞれ、善かれ悪しかれ、”自分の置かれた状況”というものがある。それは必ずしも良いものであるとは限らない。そんな中でも腐らず、良い方向を目指し、自分にできる最善のことを行うもの、こういうものに幸運が訪れる。そう信じさせてくれるような話である。
セルティックの中村俊輔選手が、「FIFAマガジン」の表紙を飾った、という”快挙”のニュース。
「GENIUS(天才)」
「アジアのトップ選手が欧州を征服」
「本物のゴールデンボーイ」
2007年は、”俊輔イヤー”となったようである。
このセルティックのストラガン監督は、低迷に喘いでいたチームの抜本的改造のために、それを実現すべき「天才」を探していた。たまたまテレビで日本戦を見ていた時、中村俊輔選手のプレーに”衝撃”を受けた。当時まだ”未完成”で”荒削り”な中村俊輔選手であったが、その「天才」振りにぞっこんとなった。すぐさまセルティックで中村俊輔選手をスカウトした。
しかし、まだ中村俊輔選手は、身体の線も細く、華奢で、ディフェンスもできず、走り回る体力もない。多くの関係者は、中村俊輔選手獲得に反対したという。
そんな関係者にストラガン監督が言った言葉はシビレル。
「やつは、タックルもできない、ヘッドもしない。だが、天才だ」
監督がまだ無名の若者を「やつは天才だ」と信じて使い続ける。すると、その若者の中に潜み、その時を待っていた才能が一気に溢れ出す。そして、だれもが目を疑わんばかりの大選手へと変ぼうを遂げる。
まさしくこういう話である。この意味では、名監督(名伯楽)と天才の関係の見事な一例と言える。
かつて、中村俊輔選手は、日韓ワールドカップでは、トルシエ監督から全く同じ理由で見捨てられたのである。私もディフェンスをしない中村を批判した。選考対象となった日本代表の試合で、3点を取ったが3失点。失点は全部中村選手がディフェンスしないことから生まれたものであった。
時は流れ、ストラガン監督のセルティックでは、中村選手は今や攻守の要である。ヘッドもタックルもする選手へと変ぼうを遂げた。1人の完成したサッカー選手へと成長したのである。それは、おそらくトルシエの悔しさをバネに、かつての中田英寿選手のように、試合後も筋トレする選手へと進化したからであったのだろう。
人にはそれぞれ、善かれ悪しかれ、”自分の置かれた状況”というものがある。それは必ずしも良いものであるとは限らない。そんな中でも腐らず、良い方向を目指し、自分にできる最善のことを行うもの、こういうものに幸運が訪れる。そう信じさせてくれるような話である。
2007/05/21のBlog
[ 15:52 ]
[ 社会 ]
toto「BIG」1等が7口、当せん金5億6313万円
toto「BIG」の1等がついに出たが、toto「BIG」にまつわることで今回ほど私は頭に来たことない。
というのは、今回の売り上げ金(+キャリーオーバー金)に対する配当(=当選金)の配分が極めて不等なほどに”非対称”に行われていたからである。
今回はこれがどういうことかここでまとめておこう。
要するに、今回以前は、日本全国のJリーグ好き、Jリーグファン、totoの常連が、toto「BIG」を買ってきたわけだ。もちろん、私もtoto発売当初からほとんど買ってきた。
というのも、私の場合は、日本の少年少女たちの通う学校の校庭が早く芝生化されることを願っての投資だと思ってやってきたのである。(しかし、悪名高き第三セクター方式の文部官僚の天下り先、独立行政法人「日本スポーツ振興センター」の”バカ野郎”たちのおかげでいまだにこれは実現していない。totoの”扮飾決済”の根源とは?)同じ意味で、私はtoto「BIG」を買ってきたわけだ。
ところが、キャリーオーバーが重なり、当選金が6億に近付くにつれ、首都圏に住む「にわかtotoファン」が目をつけた。一獲千金の夢を見たわけだ。それで、ごそっと一気にtoto「BIG」を買い漁りはじめた。(サッカーくじ「BIG」の”謎” )
すると、これまでのtoto「BIG」常連を対処してきただけの許容量のないコンピュータシステムがパンクしたのである。これは、日本全国のローソンを通じて田舎でもtotoが買えるというシステムである。田舎ではインターネットでtotoを買えない人や買いたくない人(私のような)が、日頃から使用してきたものである。
それが今回の怒濤の買い漁りにより、粉砕されてしまったのである。
これに対して、toto本部は何もしなかった。つまり、ローソンによるコンピュータオンライン購入を使用停止してしまったのである。これにより、toto「BIG」以外の普通のtotoくじも買うことができなくなってしまったのである。
こうして、結局、首都圏や都会に住む、サッカー知らず、toto知らずのド素人だけが、店頭販売でtotoを大量に買い込むことができたわけである。
要するに、これまで全国のローソンを通じて販売し、そのキャリーオーバーが生じてきたものが、その配当を分配されるべき地方や全国のtotoファンが買うことを拒絶されたたまま、そのお金を首都圏や大都市の人間だけで分配した、ということなのである。
言い換えれば、totoにも都会と地方の買いやすさの「格差社会」が実現してしまったということだ。
これに私は怒っているのである。
これでは、はっきり言って”詐欺だ”。私のように、これまで毎回のように地方のローソンで買ってきた人間が、一番の本番のところでtotoを買えなかったからである。
俺は本当に怒っているゾ!
「日本スポーツ振興センター」のバカ天下り官僚たちめ!こういう連中は、今回の不公正な結果に対して責任を取って退陣して欲しいものだ。
また、今回の不手際問題はぜひ国会で追求して欲しいものだ。
以上の理由を考えれば、今回のtotoは、無効にすべきだろうヨ。(あるいは、にわかtoto購入者のお金の範囲内だけで当選金を出すべきだろうナ)
toto「BIG」の1等がついに出たが、toto「BIG」にまつわることで今回ほど私は頭に来たことない。
というのは、今回の売り上げ金(+キャリーオーバー金)に対する配当(=当選金)の配分が極めて不等なほどに”非対称”に行われていたからである。
今回はこれがどういうことかここでまとめておこう。
要するに、今回以前は、日本全国のJリーグ好き、Jリーグファン、totoの常連が、toto「BIG」を買ってきたわけだ。もちろん、私もtoto発売当初からほとんど買ってきた。
というのも、私の場合は、日本の少年少女たちの通う学校の校庭が早く芝生化されることを願っての投資だと思ってやってきたのである。(しかし、悪名高き第三セクター方式の文部官僚の天下り先、独立行政法人「日本スポーツ振興センター」の”バカ野郎”たちのおかげでいまだにこれは実現していない。totoの”扮飾決済”の根源とは?)同じ意味で、私はtoto「BIG」を買ってきたわけだ。
ところが、キャリーオーバーが重なり、当選金が6億に近付くにつれ、首都圏に住む「にわかtotoファン」が目をつけた。一獲千金の夢を見たわけだ。それで、ごそっと一気にtoto「BIG」を買い漁りはじめた。(サッカーくじ「BIG」の”謎” )
すると、これまでのtoto「BIG」常連を対処してきただけの許容量のないコンピュータシステムがパンクしたのである。これは、日本全国のローソンを通じて田舎でもtotoが買えるというシステムである。田舎ではインターネットでtotoを買えない人や買いたくない人(私のような)が、日頃から使用してきたものである。
それが今回の怒濤の買い漁りにより、粉砕されてしまったのである。
これに対して、toto本部は何もしなかった。つまり、ローソンによるコンピュータオンライン購入を使用停止してしまったのである。これにより、toto「BIG」以外の普通のtotoくじも買うことができなくなってしまったのである。
こうして、結局、首都圏や都会に住む、サッカー知らず、toto知らずのド素人だけが、店頭販売でtotoを大量に買い込むことができたわけである。
要するに、これまで全国のローソンを通じて販売し、そのキャリーオーバーが生じてきたものが、その配当を分配されるべき地方や全国のtotoファンが買うことを拒絶されたたまま、そのお金を首都圏や大都市の人間だけで分配した、ということなのである。
言い換えれば、totoにも都会と地方の買いやすさの「格差社会」が実現してしまったということだ。
これに私は怒っているのである。
これでは、はっきり言って”詐欺だ”。私のように、これまで毎回のように地方のローソンで買ってきた人間が、一番の本番のところでtotoを買えなかったからである。
俺は本当に怒っているゾ!
「日本スポーツ振興センター」のバカ天下り官僚たちめ!こういう連中は、今回の不公正な結果に対して責任を取って退陣して欲しいものだ。
また、今回の不手際問題はぜひ国会で追求して欲しいものだ。
以上の理由を考えれば、今回のtotoは、無効にすべきだろうヨ。(あるいは、にわかtoto購入者のお金の範囲内だけで当選金を出すべきだろうナ)
[ 10:08 ]
[ ジョーク ]
笑いは百薬之長。以下はジョーク。笑い飛ばすことが肝心。信じないことだヨ。
「撃たないで」電話4度、大林容疑者が突入通告に態度急変
米アイダホ州で銃乱射容疑者の男ら3人死亡
世界各国で銃乱射事件が頻発している。しかし、その時の対処のしかたにはお国柄が出る。
イギリスの場合。
建物に立てこもった殺人武装犯に向かってスワットが紳士的にこういう。
「君もイギリス人なら武器を捨て投降しなさい」
もし犯人が出てきたら、紳士的に確保する。
ドイツの場合。
建物に立てこもった殺人武装犯に向かってスワットが冷徹にこういう。
「5分以内に君を射殺する」
もし犯人が出てきたら、5秒で射殺する。
アメリカの場合。
建物に立てこもった殺人武装犯に向かってスワットが高圧的にこういう。
「お前に残された選択は2つだけだ。自殺か射殺だ」
もし犯人が出てきたら、蜂の巣になるほど銃撃して射殺する。
ロシアの場合。
建物に立てこもった殺人武装犯に向かってスワットが無慈悲にこういう。
「爆撃」
犯人が出てくる前に家ごとぶっ飛ばす。
イラクの場合。
建物に立てこもった殺人武装犯に向かってスワットが怒り心頭でこういう。
「爆弾持って突っ込めー」
もし犯人が出てきたら、犯人といっしょに爆発する。
北朝鮮の場合。
建物に立てこもった殺人武装犯に向かってスワットがそ知らぬ顔でこういう。
「このまま餓死するまで待つ」
もし犯人が出てきたら、縛って放置し餓死させる。
日本の場合。
建物に立てこもった殺人武装犯に向かってサットが自信なさそうにこういう。
「あなたはもう十分人を殺したのですよ。もう十分でしょう。武器を置いて出てきてくださいよ」
もし犯人が出てきたら、「犯人確保」といって1人に何十人も被いかぶさって大袈裟に逮捕する。
-------------------
まあ、情けない、日本のド素人サットジョークはいくらでもできそうですナ。
「撃たないで」電話4度、大林容疑者が突入通告に態度急変
米アイダホ州で銃乱射容疑者の男ら3人死亡
世界各国で銃乱射事件が頻発している。しかし、その時の対処のしかたにはお国柄が出る。
イギリスの場合。
建物に立てこもった殺人武装犯に向かってスワットが紳士的にこういう。
「君もイギリス人なら武器を捨て投降しなさい」
もし犯人が出てきたら、紳士的に確保する。
ドイツの場合。
建物に立てこもった殺人武装犯に向かってスワットが冷徹にこういう。
「5分以内に君を射殺する」
もし犯人が出てきたら、5秒で射殺する。
アメリカの場合。
建物に立てこもった殺人武装犯に向かってスワットが高圧的にこういう。
「お前に残された選択は2つだけだ。自殺か射殺だ」
もし犯人が出てきたら、蜂の巣になるほど銃撃して射殺する。
ロシアの場合。
建物に立てこもった殺人武装犯に向かってスワットが無慈悲にこういう。
「爆撃」
犯人が出てくる前に家ごとぶっ飛ばす。
イラクの場合。
建物に立てこもった殺人武装犯に向かってスワットが怒り心頭でこういう。
「爆弾持って突っ込めー」
もし犯人が出てきたら、犯人といっしょに爆発する。
北朝鮮の場合。
建物に立てこもった殺人武装犯に向かってスワットがそ知らぬ顔でこういう。
「このまま餓死するまで待つ」
もし犯人が出てきたら、縛って放置し餓死させる。
日本の場合。
建物に立てこもった殺人武装犯に向かってサットが自信なさそうにこういう。
「あなたはもう十分人を殺したのですよ。もう十分でしょう。武器を置いて出てきてくださいよ」
もし犯人が出てきたら、「犯人確保」といって1人に何十人も被いかぶさって大袈裟に逮捕する。
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まあ、情けない、日本のド素人サットジョークはいくらでもできそうですナ。
[ 09:21 ]
[ 地震・災害 ]
2007/05/19のBlog
[ 22:15 ]
[ スポーツ ]
2007/05/18のBlog
[ 10:16 ]
[ 社会 ]
都会へ進学し「無口に」 会津若松・母親殺害
中学まで、成績優秀、スポーツ万能で、学校のリーダー的存在であった、という「文武両道」の好少年が、地域の中学から都市部の有名進学校へ進学後、徐々に変化し、いつしか「殺人鬼」へと変ぼうを遂げる。そして、それを後押しした自分の母を惨殺する。
あまりに漫画的、あまりに劇的な物語である。
まるで、スパイダーマン、ピーター・パーカーに”嫉妬”し、神に「ピーターの死を」と願った、カメラマンのエディー・ブロックのようである。
この少年にとっての”ヴェノム”とはいったい何だったのか?
こういう事件が起こる度に私はいつも1つの疑問を感じる。
それは、事件が起きる度に、いわゆる犯罪専門家、心理学者が引っ張り出されて、”好き勝手に”自説を唱える。犯罪法においても、「精神分析」と称する、分けの分からない心理学的方法で、「犯罪者の心理を分析する」。
果たしてこれがどれほど効果あるか?
といつも疑問に思うのである。
私の知る限り、こういう「精神分析」の方法は、フロイト-ユングに端を発するものである。およそ100年近くも前のやり方である。当時は、X線CTもなければ、MRIもない。PET(血液流測定器)もない。ましてSQUIDもなかったという時代である。
要するに、「フロイト-ユングの時代には、脳を観察する方法がなかった」ということである。それゆえ、できることといえば、患者や犯罪者を外から観察し、”言葉上”でやり取りし、そのインプットとアウトプットの異常さで”精神状態”を推し量る、というものである。
現代のコンピュータで言えば、言わば、コンピュータの内部異常を知るために、診断ソフトで検知するというような”間接的な方法”と言える。これでは、ハードの異常は分からない。
これに対して、現在では、いろんな機械を使って、脳の機能の働きや脳構造を直接見ることができるのである。この10年で著しく進歩したのである。
それゆえ、犯罪者の精神分析においても、もっと”直接的な方法”が必要である。またそれができる時代に入ったのである。
今では、だれかが犯罪を起こせば、まずMRIで脳をCTスキャンして脳の3次元構造を構築できる。そして、PETなどのさまざまな装置で、脳の活動域を計量できる。そうしておいて、その犯罪者の持つ特有の脳構造と、これまでの「精神分析」の方法とを併用して、両方の対応を行うことが可能なのである。
こういう方法がぜひとも現代では必須であると私はかねがね感じている。
犯罪は、さまざまな「行動異常」の1つに過ぎない。行動の異常は、脳の異常から来る。それが、我々が「精神」や「心」というものに”反映”されているに過ぎないのである。
私は、事件を見聞きする度に、その犯罪者の頭の中を観察したいという誘惑にかられる。いったいどこがどう普通人と違うのか?変わっているのか?と。
やつの頭のどこに”ヴェノム”が入り込んでいるのか?
それを知りたいのだ。
こういう犯罪者の脳構造や機能障害などのデータを貯えて行けば、いつかその”予防法”も見つかるはずである。
もしある犯罪が、単にその人物の脳硬塞の位置が悪かっただけのために起きて殺人を犯したとすれば、悲劇である。本人、被害者、家族の3重の悲劇である。薬で梗塞を防ぐことが犯罪防止に繋がったかも知れないからである。
こういうことを知るためにも、犯罪者の脳構造、脳機能検査は、いわゆる「精神分析」と同様に法的に執行すべき必須事項であると私は考えている。さもなくば、事件の真相はだれにも解らず終いだろう。
ぜひやってもらいたいものである。例え、相手が死刑犯であったとしても、死刑執行する前に、脳検査を一式終えてからにすべきだろう。
中学まで、成績優秀、スポーツ万能で、学校のリーダー的存在であった、という「文武両道」の好少年が、地域の中学から都市部の有名進学校へ進学後、徐々に変化し、いつしか「殺人鬼」へと変ぼうを遂げる。そして、それを後押しした自分の母を惨殺する。
あまりに漫画的、あまりに劇的な物語である。
まるで、スパイダーマン、ピーター・パーカーに”嫉妬”し、神に「ピーターの死を」と願った、カメラマンのエディー・ブロックのようである。
この少年にとっての”ヴェノム”とはいったい何だったのか?
こういう事件が起こる度に私はいつも1つの疑問を感じる。
それは、事件が起きる度に、いわゆる犯罪専門家、心理学者が引っ張り出されて、”好き勝手に”自説を唱える。犯罪法においても、「精神分析」と称する、分けの分からない心理学的方法で、「犯罪者の心理を分析する」。
果たしてこれがどれほど効果あるか?
といつも疑問に思うのである。
私の知る限り、こういう「精神分析」の方法は、フロイト-ユングに端を発するものである。およそ100年近くも前のやり方である。当時は、X線CTもなければ、MRIもない。PET(血液流測定器)もない。ましてSQUIDもなかったという時代である。
要するに、「フロイト-ユングの時代には、脳を観察する方法がなかった」ということである。それゆえ、できることといえば、患者や犯罪者を外から観察し、”言葉上”でやり取りし、そのインプットとアウトプットの異常さで”精神状態”を推し量る、というものである。
現代のコンピュータで言えば、言わば、コンピュータの内部異常を知るために、診断ソフトで検知するというような”間接的な方法”と言える。これでは、ハードの異常は分からない。
これに対して、現在では、いろんな機械を使って、脳の機能の働きや脳構造を直接見ることができるのである。この10年で著しく進歩したのである。
それゆえ、犯罪者の精神分析においても、もっと”直接的な方法”が必要である。またそれができる時代に入ったのである。
今では、だれかが犯罪を起こせば、まずMRIで脳をCTスキャンして脳の3次元構造を構築できる。そして、PETなどのさまざまな装置で、脳の活動域を計量できる。そうしておいて、その犯罪者の持つ特有の脳構造と、これまでの「精神分析」の方法とを併用して、両方の対応を行うことが可能なのである。
こういう方法がぜひとも現代では必須であると私はかねがね感じている。
犯罪は、さまざまな「行動異常」の1つに過ぎない。行動の異常は、脳の異常から来る。それが、我々が「精神」や「心」というものに”反映”されているに過ぎないのである。
私は、事件を見聞きする度に、その犯罪者の頭の中を観察したいという誘惑にかられる。いったいどこがどう普通人と違うのか?変わっているのか?と。
やつの頭のどこに”ヴェノム”が入り込んでいるのか?
それを知りたいのだ。
こういう犯罪者の脳構造や機能障害などのデータを貯えて行けば、いつかその”予防法”も見つかるはずである。
もしある犯罪が、単にその人物の脳硬塞の位置が悪かっただけのために起きて殺人を犯したとすれば、悲劇である。本人、被害者、家族の3重の悲劇である。薬で梗塞を防ぐことが犯罪防止に繋がったかも知れないからである。
こういうことを知るためにも、犯罪者の脳構造、脳機能検査は、いわゆる「精神分析」と同様に法的に執行すべき必須事項であると私は考えている。さもなくば、事件の真相はだれにも解らず終いだろう。
ぜひやってもらいたいものである。例え、相手が死刑犯であったとしても、死刑執行する前に、脳検査を一式終えてからにすべきだろう。
2007/05/17のBlog
[ 23:09 ]
[ 徳島 ]
「バルトの楽園」ドイツで上映 日本映画祭の開幕飾る
徳島の板東俘虜収容所を描いた「バルトの楽園」が、ついにドイツに渡る。
「バルトの楽園」は傑作だ!
映画「バルトの楽園」完成試写会
「バルトの楽園」:俘虜収容所とサッカー
徳島の板東俘虜収容所を描いた「バルトの楽園」が、ついにドイツに渡る。
「バルトの楽園」は傑作だ!
映画「バルトの楽園」完成試写会
「バルトの楽園」:俘虜収容所とサッカー
[ 22:48 ]
[ 社会 ]
「弾は100発ある」拳銃向け叫ぶ男 立てこもり事件
元暴力団員、2警官撃ち立てこもり…女性人質、娘らも負傷
いやはや、前例のない銃撃事件が日本でも発生したようだ。
しばらく前「「銃社会」vs「やくざ社会」vs「テロ社会」 」に私はこう書いていた。
”逆に言えば、日本の暴力団が暴力団であり得るのも、この非対称によって守られているからである。要するに、警察以外に銃を持っているのは暴力団のみだからである。この恐怖が、暴力団に力を与えるのである。
最初のマスコミの論調に戻れば、「アメリカはだれでも銃を持てる銃社会だからマフィアは少ないのであり、日本はだれでも銃を持てない社会だから逆に暴力団がはびこるのである」ということなのである。
実際にアメリカのマフィアは、せいぜい1ファミリー100人程度と言われている。大きくなればすぐにFBIに逮捕される。しかし、日本の暴力団組織は数十万人もいると言われているのである。警察や自衛隊並みの人口があり、それが銃や武器を所有しているのである。
ごく普通の頭を持った一般人が銃を持つのと、非合法の暴力団が銃を持つのとどっちがましか、と言えば、前者であることは間違いない。
まあ、日本政府や警察が、暴力団に甘いからこういう事件が起きるに過ぎないのである。”
この事件により、私が書いたことが事実であるということが分かっただろう。
日本人は、「アメリカの銃社会」に対して、すぐに悪いイメージで考えるが、現実は必ずしもそうではない。アメリカは銃社会だからこそ、だれしも勝手に他人の家に押し入ることはできないということもまた事実なのである。すなわち、プライバシーが維持されるのである。今やテキサス州法では、不法侵入者は射殺できるのである。
ところが、日本では銃所持できるものは、猟民か、警官か、暴力団員のみである。だから、白昼堂々と暴力団員は、大きな顔ができるのである。昔の「切り捨てごめん」ではないが、もし日本も銃社会であり、悪いやつは銃で応戦できる。射殺しても良いという社会であれば、ここまで暴力団が勢力を増し、大きな顔する社会にはならなかっただろう。表と裏の2つの社会が存在するという摩訶不思議な社会が現実の日本社会なのである。
この事件からも、元暴力団員でも、現暴力団組織からいとも簡単に銃を手に入れることができるということが分かる。そして、こうやって暴れるわけである。
このことからも、日本政府、日本の警察がいかに暴力団組織(や関連するパチンコなどのばくち業界)を”甘やかしてきた”かということが分かるだろう。
アメリカが暴力組織を撲滅するために、「おとり捜査」などでいかに命がけで対処してきたかということと好対照である。
この際、日本全国の暴力団を完全非武装化するか、それができない場合は、自衛隊の下部組織に連行し厳しい訓練を経て、イラクなどもっとも危険地帯へ送り込むか、そういった対処が必要だろうヨ。
いずれにせよ、日本は「日本版FBI」が必要な時代なんだヨ(”日本版FBI”は必要か? )。スワットチームで即座に犯人を射殺しないと、もっと多くの犠牲者がでかねないだろう。話して分かる相手ではない。
元暴力団員、2警官撃ち立てこもり…女性人質、娘らも負傷
いやはや、前例のない銃撃事件が日本でも発生したようだ。
しばらく前「「銃社会」vs「やくざ社会」vs「テロ社会」 」に私はこう書いていた。
”逆に言えば、日本の暴力団が暴力団であり得るのも、この非対称によって守られているからである。要するに、警察以外に銃を持っているのは暴力団のみだからである。この恐怖が、暴力団に力を与えるのである。
最初のマスコミの論調に戻れば、「アメリカはだれでも銃を持てる銃社会だからマフィアは少ないのであり、日本はだれでも銃を持てない社会だから逆に暴力団がはびこるのである」ということなのである。
実際にアメリカのマフィアは、せいぜい1ファミリー100人程度と言われている。大きくなればすぐにFBIに逮捕される。しかし、日本の暴力団組織は数十万人もいると言われているのである。警察や自衛隊並みの人口があり、それが銃や武器を所有しているのである。
ごく普通の頭を持った一般人が銃を持つのと、非合法の暴力団が銃を持つのとどっちがましか、と言えば、前者であることは間違いない。
まあ、日本政府や警察が、暴力団に甘いからこういう事件が起きるに過ぎないのである。”
この事件により、私が書いたことが事実であるということが分かっただろう。
日本人は、「アメリカの銃社会」に対して、すぐに悪いイメージで考えるが、現実は必ずしもそうではない。アメリカは銃社会だからこそ、だれしも勝手に他人の家に押し入ることはできないということもまた事実なのである。すなわち、プライバシーが維持されるのである。今やテキサス州法では、不法侵入者は射殺できるのである。
ところが、日本では銃所持できるものは、猟民か、警官か、暴力団員のみである。だから、白昼堂々と暴力団員は、大きな顔ができるのである。昔の「切り捨てごめん」ではないが、もし日本も銃社会であり、悪いやつは銃で応戦できる。射殺しても良いという社会であれば、ここまで暴力団が勢力を増し、大きな顔する社会にはならなかっただろう。表と裏の2つの社会が存在するという摩訶不思議な社会が現実の日本社会なのである。
この事件からも、元暴力団員でも、現暴力団組織からいとも簡単に銃を手に入れることができるということが分かる。そして、こうやって暴れるわけである。
このことからも、日本政府、日本の警察がいかに暴力団組織(や関連するパチンコなどのばくち業界)を”甘やかしてきた”かということが分かるだろう。
アメリカが暴力組織を撲滅するために、「おとり捜査」などでいかに命がけで対処してきたかということと好対照である。
この際、日本全国の暴力団を完全非武装化するか、それができない場合は、自衛隊の下部組織に連行し厳しい訓練を経て、イラクなどもっとも危険地帯へ送り込むか、そういった対処が必要だろうヨ。
いずれにせよ、日本は「日本版FBI」が必要な時代なんだヨ(”日本版FBI”は必要か? )。スワットチームで即座に犯人を射殺しないと、もっと多くの犠牲者がでかねないだろう。話して分かる相手ではない。