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2007/07/07のBlog
日本の「富裕層」、147万人に…金融資産100万ドル超

「100万ドル(約1億2300万円)以上の金融資産を持つ日本国内の「富裕層」が、昨年1年間で5・1%増加し、147万人となったことが、米証券大手のメリルリンチなどが実施した調査でわかった」

というが、これは明らかに”間違っている”のではないか。

なぜなら、日本の場合、国や地方の借金は800兆円を突破。この借金をベースに主要産業にお金が環流しているわけだから、日本の富裕層を富裕層にしているのは、すべて国や地方が作った借金という可能性があるからである。

要するに、”おバカな”国や地方の公務員をだまくらかしてリッチになっているということである。そういう構図が想像できる。

実質的な経済成長を続ける中国などとは、この辺が違う。中国の場合は「世界の工場」となっているわけだから、本当に物を生産して経済を成長させたわけである。30年前の日本と同じである。

ところが、現在の日本は、どちらかと言えば、借金を基にして経済成長させているわけだ。だから、インフレマージャンと同様に、インフレ(ここでは借金)の”つけ”は弱者に回る。強者や権力者である国家公務員(あるいは地方公務員)は、現状や実質や現実がどうであれ、自分で給料を決めるわけだから、どんどん国債や地方債を売って借金できる。組合の権力の傘に自分のノルマ分の給料を要求できる。

そうやって自分の懐に入れた金(=借金=まだ返済されることのないもの)を使って、海外の私的金融資産にして儲けることもできる。

まあ、そういうわけだから、いくら数字上日本の富裕層が増え、その数が147万人になったといっても、それを真に受けてはならないはずだろう。

この数は、しっかりしたものを発明や生産して儲けたという、知恵を表すものというよりは、いかに税金という借金をぶんどったか、という悪知恵を表すものに見えるからである。

要するに、「悪い奴が増えた」という指標であって、決して「素晴らしい奴が増えた」と解釈してはならない、と私は考える。まあ、メリルリンチのような株屋にとってはどうでもいいのだろうが。

いずれにせよ、私の個人的予想では、今のこの世界の価値観がもう数世代進めば、おそらく人類は現在の我々の価値観とはまったく異なる人種に進むのではないか、と想像している。

今でも普通の大阪人と他の日本人がほとんど理解し合えないように、いずれは我々と未来人はまったく理解し合えないというような世界が来るのではないか、と私にはかなり心配なのである。私個人は「地球温暖化」問題よりもずっとこっちの問題の方が深刻に感じるのである。

まあ、分かりやすく例に出せば、例えば、コムスンの折口のような人間ばかりとなってしまうかも知れないということである。

コムスンの場合は、人材派遣業で社長個人は儲けたわけだが、そこで派遣される側は憲法で保証されている「基本的人権」すら無視した雇用体系に基づくわけだからだ。要するに、他人の”犠牲”の上に自分の”立身出世”が成り立つのである。これは、ライブドアのホリエモンも村上ファンドの村上も全く同じであった。最近の「ミートホープ」の社長一家もそうであった。

本来ビジネスというものの基本中の基本は「ギブアンドテイク」(=もちつもたれつ)である。その仕事に参加する人々が、雇用する側、雇用される側に関わらず、それ相応にハッピーになれるというのが基本である。

しかし、最近死んだ宮沢喜一さんが作ってくれた日本社会には、すでにそういう「ギブアンドテイク」の精神はない。むしろ、「特権階級精神」のみが増殖したのである。

これほどまでに、金融破綻寸前、国家破綻寸前の日本であるにも関わらず、平然と税金をふんだんにぶんどって「自分は富裕層だ」と言っていられるという精神構造が私には理解できない。もちろん、日本に何の借金もない(あるいは、許容できる範囲)なら別だが。

まあ、日本政府は、公共事業で大企業や国家機関を優遇するというよりは、納税者に「宝くじ」でも実施して、確率的に公平に「キャッシュバック」するというようなやり方も面白いかも知れない。こうやって「富裕層」が出てくる方がよほどフェアではないだろうか。
U-20でアメリカ大躍進の原動力となっているのが、フレディー・アドゥー選手である。

”ペレの再来”と言われ、長い全米プロスポーツの歴史の中でも最年少14歳10ヶ月でプロとなった、全米最年少記録を打ち立てた選手である。現在18歳。ユタ州ソルトレークに2005年に出来たばかりの「レアル・ソルトレーク」に所属する。


本拠地はユタ大学内の「ライス・エクルズ・スタジアム」。冬期オリンピックのメイン会場となったスタジアムである。

私は1990年ユタ大学大学院卒なので、ユタ大学にプロサッカーができたというのは非常に嬉しい限りである。私が留学した当時1986年頃は、まだそれほどサッカー熱はなかったが、それでも地元の子供達が週末にはユタ大学の芝生のグラウンドで練習していたことを思い出す。

フレディー・アドゥー選手の”勇姿”は、youTubeの以下のもので見る事ができる。

USA-Poland
Freddy Adu

いずれにせよ、”世紀の天才プレーヤー”がたくさん登場しているという意味でめったにない今期のU-20を日本のテレビで放映しないんだから、ほんと”気狂い沙汰”である。もっとも部分的にはyouTubeでインターネット経由で見られるようになったからどうでも良いのかも知れないがネ。

アメリカのアドゥー、メキシコのドスサントス、日本の梅崎

Mexico-Portugal
dos Santos
Japan-Scotland
U-20 World Cup - Costa Rica 0 - 1 Japan Highlight
U-20 World Cup - U-20 JAPAN vs U-20 Scotland

正直、オシム・ジャパンのアジアカップを見るより、U-20ワールドカップの方が面白いはずだヨ。
2007/07/06のBlog
[ 10:57 ] [ 政治・経済 ]
国会閉会:首相、選挙結果責任論避ける 小沢代表は言及

サッカーに「プレーが軽い」という言葉がある。

これは、敵のドリブルに対してつっこんで行くが、まるで足のない幽霊のようにスルリと交わされてしまう。タックルしても逆に飛ばされてしまう。まるでチャージしているのかしていないのか分からない。こういうようなプレーのことである。

今の日本のお偉方、特に首相の安倍さんを見ていると正直この言葉がぴったりに見える。

安倍さんは「プレーが軽い」のである。

同僚が不正をしようが、同僚が不祥事を起こそうが、その場にいてもいるのかいないのか分からない。チームのキャプテンであるはずが、その存在意義がない。そんな感じである。

竹下さん以来、保守本流が逆転し、田中派という民間人出身のお金持ち政権になり、早慶出身中心の内閣が組まれるようになり、ますます「プレーが軽く」なってきたようだ。

田中角栄(やその盟友小佐野)が、自分の学歴コンプレックスを補う形で、自分の会社では「東大出身者を下僕に使う」という人事を行ったという話だが、政治家となり、一国の首相となっても、多くが東大出身である官僚たちを自分の部下にするのが夢であったかのように見える。

しかし、多勢に無勢で、いくら政治家になっても、数には勝てない。無数にいる官僚たちに対して政治家集団では太刀打ちできない。かならず足下をすくわれて失脚したというわけだ。

選挙で選ばれた政治家たちの扱う国家予算(一般会計)はせいぜい33・5兆円。それに対して官僚が試験で選んだ官僚たちが使う国家予算(特別会計)は175・4兆(特別会計の現状)。約5倍の規模の差がある。

お金(=予算)をたくさん使うものほど”偉い”と思うという現代人の価値観からすれば、だれがどうみても日本という国は政治家より官僚が偉いということとなるはずである。

なぜなら、政治家は官僚の1/5の予算しかもらえないからである。4/5の予算は政治家には使う権限がない。一方で、官僚は政治家の使う1/5の予算に対しても影響力を持ち得るからである。

見かけ上、政治家の”見栄”や”虚栄心”や”出世欲”は、人目につくようにするということで満足させることができる。しかし、官僚は”実質的”に国をコントロールできるというわけである。

こうして、「プレーが軽い」人物が首相となっても、実質的には何ら問題ない、というのが日本の官僚機構なのである。別名、「日本株式会社」である。あるいは「官僚資本主義」である。

この意味では、日本の国の成り立ちは、「共産党株式会社」、「共産党資本主義」の中国とも、「キムジョンイル独占資本主義」の北朝鮮とも”実質的”には非常に近い、似ている、と言えるのである。

”見かけ”は、日本は「アメリカナイズ」されて非常に”アメリカ的”に見えるかも知れないが、実質的にはまったくそういうことはない。

どうもこの辺が日本人にはまったく理解されていないようであるナ。

会社が自由に設立できればその国が自由社会や民主主義ということではない。どんな共産主義の国でも、会社くらい自由に起こせる。中央や役人とのコネ次第である(もちろん、ここでいうコネとは血縁関係とか、婚姻関係とか、友人関係とか、そういった意味である)。「コネが効く」というのが、独裁国家や官僚国家の特徴でもあるからだ。特権階級とコネがあるものほど有利になる社会、これが共産主義国家や独裁主義国家や官僚国家の典型的特徴なのである。

民主主義とは、どこまで「法の支配」が行き届いているか、ということである。何人たりとも「個人が法律になりえない」という国家が民主国家である。もちろんこの場合の何人とは法人も入る。

一党独裁であれ、大企業の独裁であれ、個人の独裁であれ、有名人の独裁であれ、こういうものをことごとく排除するというのが、民主主義である。リンカーンの「人民の 人民による 人民のための政治」がそれをもっとも端的に表している。普通の良識あるアメリカ人は、だれかに支配されることをことごとく嫌う。それはブッシュ親子に対してもそうである。

しかし、ここ日本ではそういうことはない。有名人ほど、天皇家に近いほど、お金持ちほど、あるいはお金持ちや有名人に近いほど、人々から好まれる。

まあ、そういう伝統的、あるいは血統的(つまり、遺伝的)気質を持つ国では、人々に「毛並みが良い」と思われると、「プレーが軽くても許される」という”甘え”がどうしても出来てしまうというわけだ。

こうして次第に社会は荒廃する。

なぜ鎌倉幕府が滅んだか。応仁の乱で室町幕府が滅んでどうなったか。江戸時代末期はどうだったか。

これが、日本の”歴史”が教えることである。

歴史から学ぶべきことは歴史的事実も大事だが、何よりも大事なことは日本人という己に潜む欠陥や形質や傾向や癖を自らが悟ることである。己の弱点を己自身が戒めること、これに尽きる。

何度もここそこで私が書いて来ているように、サッカーにもこれが出る。そして、欧米や南米出身の民族からいつも同じことを指摘され続けているのだ。

「プレーが軽い」
「ちょっと知るとすぐに全部知ったかのように錯覚する」
「うまくいくとすぐに有頂天となり、そこに潜む自分の欠陥を無視する」
「勝っていると、まだ勝負はついていないにもかかわらず勝ったかのように思う」
「自分の間違ったところをなかなか修正しようとしない」
「いつまでも昔の勝った時や良かった時の事が頭から離れない」

などなど。

こういったドゥンガやベンゲルが「日本人特有の性質」と呼ぶものが、一国の首相である安倍さんにもあるから実に面白い。

まったく困ったことですナ。こういうことを修正することが本当の教育だと私が思うがネ。
2007/07/05のBlog
日本、コスタリカに勝ち決勝T進出 サッカーU20W杯

”セクシーサッカー世代”、南米の雄コスタリカ撃破。日本1(0-0、1-0)0コスタリカ。決勝トーナメント進出。

第3戦は、アフリカの雄ナイジェリア。

もしこれにも勝てば、欧州、南米、アフリカの優勝候補を撃破することになり、日本の”セクシーサッカー”が世界トップレベルにあることになる。

ひょっとしたら、日本の進むべき道は、ジーコのブラジルサッカーでも、オシムのヨーロッパサッカーでもなく、日本独特の”セクシーサッカー”ということとなるのかも知れない。

それにしても、水の流れのような華麗に流れるようなプレーでの1点はお見事。
非常に美しいゴールだった。

しかし、どうしてこの世代のサッカーの試合を放映しないのだろうか?

まったく理解できないナ。
2007/07/02のBlog
ブラジルが初白星サッカー南米選手権

南米選手権第5日。ロビーニョが3得点を奪い、チリに3-0で快勝。

ブラジル3-0チリ。
メキシコ2-1エクアドル。

メキシコ2連勝で準々決勝進出。
チリ1勝1敗。
ブラジル1勝1敗。
エクアドルは2連敗で予選敗退。
運動時の水がぶ飲みで、低ナトリウム血症の恐れ

いやー、これは面白い記事だ。

プロの”経験”や人間の”経験的事実”というものをないがしろにはできない。
人はとかく自分の経験より有名人やいわゆる専門家の言説に惑わされやすい。
それは、科学者とて同じこと。

かつてブラジル代表キャプテンのドゥンガ(現ブラジル代表監督)が、日本のJリーグのジュビロ磐田でプレーしていた時、1998年に来る フランスワールドカップに向けて、NHKの番組でインタビューを受けた。それをまとめたものが「セレソン」という本である。

この本の中でドゥンガが日本人選手の習慣で「理解できないこと」の1つに”スポーツ飲料”を試合中に飲みまくる、というものがある。

「日本の選手は考えるスピードを上げるべきだ」

という一節の中でこう言っている。

”いまでもひとつ分からないことがあるのだが、
なぜ日本の選手は負けているときでも試合中に水を飲むのだろう。
暑い日の試合ならば仕方ないし、勝っているときには好きにするのはいいが、
涼しい季節のナイトゲームですら途中で水を飲んでいる。
試合中に水を飲んでもそれは胃にたまるだけで身体に吸収されるまでに時間がかかる。
水分は試合の2、3時間前までに十分補給しておくべきで、
試合中の補給には気分転換くらいの効果しかない。
選手には誤った情報が行き渡っているようだ。”

もちろん、この最後の「選手には誤った情報が行き渡っているようだ」というのは、日本の大塚製薬の「ポカリスウェット」とか、アメリカのスポーツ飲料メーカーのCM戦略のせいである。それで、いつしか「日本のプロスポーツ選手は試合中や運動中にも水分を補給している」というイメージが出来上がってしまったのである。

しかし、ドゥンガは超一流のプロとして、神に誓って、そういうことはない、と苦言を呈したのである。

実際、私が中高生の頃、練習中に”自由に水分補給する”という習慣はなかった。当時、今から30年前には、休憩時間のみが水分補給の場であった。水のがぶ飲みは腹を膨らませてたっぷたっぷするだけであった。試合中に水を飲むことはなく、ハーフタイムのみであった。当時のメキシコワールドカップでもそうで、あまりに暑い試合でも氷のうや氷が配られただけであった。それでも我々も選手も死んだものはいなかった。長いことサッカーをして来たが、試合中に死んだというものはなかった。

ところが最近はスポーツ飲料や水分を昔よりずっと飲んでいるのに、心臓発作や熱中症で死ぬものが後を絶たない。

この矛盾はどうしたことか、と思っていたら、今回の調査のように、むしろ水分をとりすぎて心臓に負担が来るというのである。

この意味では、ドゥンガの主張がまったく正論であったということになる。今回の調査結果は、日本人のスポーツ界がいかにスポーツ飲料メーカーの宣伝戦略に乗せられて、間違った情報に踊らされて来たと言えるだろう。

訴訟社会のアメリカではないが、運動中に死亡した子供を持つ親は、指導者を告訴するばかりでなく、スポーツ飲料メーカーを告訴するという道も今後はあり得る。

やはり何ごとも「腹八分ん目が一番」ということだろうヨ。

ところで、ひょっこりジーコがこんな本を出していた。
セレソンに自由を
ジーコに”あやかって”儲けたいのは分かるが、もう勘弁して欲しい。

おそらく、ドゥンガの「セレソン」を皮肉って「セレソンに自由を」を書いたのだろう。そして、ドゥンガの後にブラジル代表監督を狙っているのだろうナ。ほんとジーコは心底「欲の皮のつっぱった人物」なんだろうヨ。

もう二度とトルコへ来るな、ジーコ!
もう二度と日本へ来るな、ジーコ!
9200年前のカボチャ、アンデスの遺跡で見つかる

ペルー北部のアンデス高地で、従来の説を数千年ほどさかのぼる時代に栽培されたらしいカボチャの種が見つかった、というニュース。

アメリカの研究チームが、発掘された家屋の床や暖炉跡で、カボチャの種やピーナツの殻、綿などを見つけ、放射性炭素を使って年代測定した。

その結果、
カボチャは約9200年前、
ピーナツは約7800年前、
綿は約5500年前
のものと考えられた。
 
植物学者らの調査結果とも合わせて、見つかったカボチャなどは野生のものではないと推定された。

チームは
「どこかで栽培された後に運ばれてきた可能性が高い。
定住や祭祀(さいし)、灌漑(かんがい)の発達など文化的な背景があると思う」
としている。


謎多き惑星地球」という先史文明研究家の浅川さんの本には、北中南米には、先住民の住む多くの地域で共通して語られて来た伝説や神話があるという。

それは、「洪水伝説」である。かつて大洪水が来て世界が終わり、洪水の終焉とともにどこかに居着き、そこから自分達の先祖の文明が始まった、というような伝説である。日本の「国作り」の神話もこの「洪水伝説」に似ている。

そして、もう1つは、その時に後に「神」と呼ばれるようになる賢者の一群がやって来て、人々に知恵を授けて立ち去るという伝説である。

アンデスの「ビラコチャ伝説」、
インカの「ケツァルコアトル(=ククルカン)伝説」、
ホピの「ソツクナンダ伝説」
などである。

こうした伝説には、必ず登場するのが、白い麻の布をまとい、長身で目鼻立ちが整い、口ひげをたくわえた白人風の知恵者である。欧米のイエス・キリストのイメージに非常に近い。

こういう人がどこからともなく現れ、ここには「この種を植えよ」といってトウモロコシの種を残して立ち去る、というような伝説である。

最近みた「アポカリプト」にもあるが、インカ帝国の崩壊の原因に、ピサロ率いるヨーロッパ人の風貌が、このインカの伝説の神であるケツァルコアトルに瓜二つであったために、無抵抗のまま戦に敗れたというような説もある。

日本にも似たような話はある。日本の国作りの時代にも、海を超えてやってきた人々は、目鼻立ちがはっきりした髭もじゃの長身族であった。中には、「すね長彦」という名までついたものがいた。この一族が大和朝廷を作ったと言われているが、これは「ヤーウマト(=エボバの民=イスラエル人)」という意味で、「イスラエルの失われた10支族」の「ガド族」、「エフライム族」ではないか、という話もある。

もっとも今の天皇家は、聖徳太子以降中国化や朝鮮化を繰り返したために、まったくその面影はない。しかし、一族の中には、ヒゲが濃く、二重で目鼻立ちがはっきりした家族は今も存在する。

今回の発見は、何やら、こうした一見「とんでもない」「えせ科学」風に見えるお話もあながちウソではないのではないか、と再考させてくれるようなものである。

実際、先史文明が2万年前に存在したとしても、その後の1万2千年前に氷河期とその後の洪水で滅んだとすれば、我々の文明圏からでは、その存在を推し量るのは非常に難しい。

しかし、ユダヤ人の始祖のアブラハムや賢人モーゼに知恵を授けた人物、それもほぼ完全な形で知恵を授けた人物、がいたということは聖書からも明らかである。エゼキエル書やダニエル書に登場する「心に響く群集の声」で語る人物、白い麻布の服を着た人物群と、北中南米の伝説の神の姿は驚くほど良く似ている。

この先史文明が、ギリシャの哲人たちが語った、いわゆるアトランティス文明であったのかどうかは分からないが、何やらそうした”影”が世界中に残っているというような気にさせてくれることは確かである。

この意味では、今回の発見は「あってはならない歴史的証拠」=「オーパーツ」のようなものかも知れない。

おそらく、「年代測定が間違っていた」とか、「研究者の売名行為」とか、「インチキ研究者の研究だった」とか、いろんないちゃもんをつけられてボツとなる、良くて無視される、のだろうと私は予想している。

果たしてどういう結末になるか興味あるところである。
サッカーU-20W杯、日本が初戦でスコットランド破る
日本はスコットランドに快勝 サッカーU-20W杯

サッカーU-20ワールドカップ(旧名ユース選手権)がカナダのビクトリアで開催中だが、F組の日本が初戦のスコットランドに3-1で快勝したという”快挙”のニュース。

前半43分、FW森島康(セ大阪)が相手GKのクリアをカットして先制ゴール。
後半13分、MF梅崎(大分)。
後半35分、MF青山(名古屋)。

この世代は、「高校サッカーに革命を!」で優勝した野洲高校の山本監督の”セクシーサッカー革命”世代である。今回、野洲の”セクシーサッカー”が、世界レベルでも十分に通用することを証明したことになる。

日本は、これまでは「世界で胸を借りる」立場で挑戦してきたが、そろそろ「世界にその名をとどろかす」立場へ昇格しても良い頃である。この意味では、この大会は日本の分水嶺となるのかも知れない。

予選リーグ突破まであと1勝。トルシエ監督の「黄金世代」がナイジェリアユースで準優勝して以来の快挙となるかどうか。今後の活躍を期待したい。
2007/06/30のBlog
笑いは百薬之長。せち辛い世の中、笑いが必要。以下はジョーク。

「悪法も法なり」ソクラテスの言葉
の安田弁護士の行動を見ていると、宮沢賢治の「雨ニモマケズ」を思い出す。
とはいっても、パロディーの方だが。

そこで、こんなジョークを作ってみた。


「検察ニモマケズ」

検察にも負けず 警察にも負けず 
原告にも裁判の長さにも負けぬ
丈夫なからだをもち 迷いはなく 決して怒らず
いつもにやりと笑っている
一日にステーキ4枚と ワインと少しのチーズを食べ
あらゆることを 自分を勘定に入れ
よく見聞きし分かり そして忘れず
田園調布の一等地の傍らの 大きなイギリス風のお屋敷にいて
東に殺人の子供あれば 行って弁護してやり
西に子殺しの母あれば 行ってその罪の軽減を負い
南に死刑になりそうな人あれば 行ってこわがらなくてもいいといい
北に喧嘩や訴訟があれば 罪を軽くするから俺に任せろといい
敗訴の時は涙を流し 示談の裁判はおろおろ歩き
みんなに死刑廃止論者と呼ばれ
褒められもし 苦にもされる
そういうものに わたしは なりたい




ちなみに、本物は以下の通り。

雨ニモマケズ

雨にも負けず 風にも負けず 
雪にも夏の暑さにも負けぬ
丈夫なからだをもち 慾はなく 決して怒らず
いつも静かに笑っている
一日に玄米四合と 味噌と少しの野菜を食べ
あらゆることを 自分を勘定に入れずに
よく見聞きし分かり そして忘れず
野原の松の林の陰の 小さな萱ぶきの小屋にいて
東に病気の子供あれば 行って看病してやり
西に疲れた母あれば 行ってその稲の束を負い
南に死にそうな人あれば 行ってこわがらなくてもいいといい
北に喧嘩や訴訟があれば つまらないからやめろといい
日照りの時は涙を流し 寒さの夏はおろおろ歩き
みんなにでくのぼーと呼ばれ
褒められもせず 苦にもされず
そういうものに わたしは なりたい


いずれにせよ、生真面目すぎるのも、勤勉すぎるのも、困ったものですナア。
2007/06/29のBlog
宮沢元首相死去 戦後政治の「生き証人」だった
米にとり緊密で不変の友人…宮沢氏死去で米国務省
金融危機に財政出動、巨額の赤字も残す…宮沢元首相
宮沢喜一・元首相が死去、退任後も蔵相で手腕発揮

戦後政治の大物、保守本流の大物、バブルの立て役者にしてバブル崩壊を導いた宮沢喜一元首相が老衰で死去。享年87歳。

宮沢さんは、「仁義なき戦い」や「ブラックレイン」で有名な広島出身。

だれが書いたのか知らないが、「宮澤喜一」は非常に面白い。

この中のいくつかのエピソードをここに紹介させてもらおう。

【英語勉強法】
東大時代:「学生時代は辞書を丸暗記した」「辞書を食べた」が、日米学生会議で使いものにならず。
戦時中:英字新聞を読んで日々精進。
占領時代:必要に迫られて毎日英語を使わざるを得なかったことが大。

【宮沢vs浜幸】
議員会館の食堂で宮沢がいつものように英字新聞や英文雑誌を読んでいた。
そこへ入ったばかりの新人議員の浜田幸一がやってきて言った。
「日本の国会議員なら日本語の新聞を読みなさい!」
振りかえったのが宮沢と知って恐縮していると、宮澤が言った。
「国会議員だから浜田さんも英字新聞を読みなさい」
これを教訓として浜幸は
「私は英語は勉強できないから息子(浜田靖一)を海外留学させた」
という。

【宮沢の英語】
「クリントンの英語より上手い」

【宮沢の信じられない話】
「旧制中学時代にサッカー経験があった」
「サッカー好きで国内である大きな試合にはよく顔を出していた」

【母校東大へのこだわり】
初めてあった竹下登に向かって宮沢が聞いた。
宮沢:「(東大法学部の)何期生ですか?」
竹下:「早稲田です」
宮沢:「じゃあ、政経(政治経済学部)ですよね?」
竹下:「いえ、商学部です」
宮澤は「へっへっへ」と鼻で笑い、こう聞いた。
「貴方の頃の早大商学部は無試験だったそうですね」
竹下:心の中で絶対「許せない」と思った。

【書へのこだわり】
省庁再編の時、「財務省」と書いてくれと官僚に頼まれ、
宮沢はこう断った。
「役所の長く残る看板の字を書くなんてことは、とてもとても。」

【字へのこだわり】
ある時、政治記者が宮沢に聞いた。
「田中氏や福田氏の書く字はどう思われますか」
宮澤は小首をかしげて
「あなたは、あれが字だと仰るんですか?」

【記憶力ばつぐん】
一度訪問した場所は、「町の角から角まで」「事件の起きた日付まで」覚えている

【口癖】
「マ、世の中こんなもんですなァ」

【金丸嫌い】
「金丸さんという人には、簀巻きにして川に沈んでもらったほうがいい。
山梨には、釜無川というちょうどいい川があるそうですな」

金丸が東京佐川急便事件で議員辞職に追い込まれた際、
幼稚園を訪問していた宮澤は、その知らせを聞くなり、
あまりの嬉しさに幼稚園児に混じって踊りだした。

【さんまvs宮沢】
白洲次郎が取り上げられ、どういうわけか明石家さんまが取材に来た。
宮沢と対談するが、白州と連合国軍総司令部との交渉の核心については宮澤はなかなか語らなかった。
さんまが
「喋ってくださらないんですね」
と聞くと、飄々とした語り口で
「それを聞き出すのが貴方の仕事でしょ」
と返した。

【宮沢の差別批判】
差別主義者の小森龍邦が、
「宮澤喜一の父親(宮澤裕)は被差別階級の出だ」
との発言。これに対し、宮澤は激怒した(宮澤裕が部落出身かどうかの真偽は不明)。

【神様は管轄外】
2000年5月森喜朗が「神の国発言」のとき、宮澤は森喜朗内閣の大蔵大臣であった。記者会見で意見を聞かれた。
「神様は大蔵省の管轄外だから」

人という種も猿も遺伝的には非常に近い。
その猿の世界では、地位の低いオスほど早死にすると知られている。
だから長生きしたければ、地位の低いオスは地位の高いオスに
挑戦して勝たねばならない。
これは人にも通じる。
地位の高い男ほど長生きし、地位の低い男ほど早死にするのだ。
したがって、政治家ほど長生きし、サラリーマンほど早死にする。
高級官僚ほど長生きし、下級官僚ほど早死にする。
大学教授ほど長生きし、助手ほど早死にする。
社長ほど長生きし、平社員や無職ほど早死にする。
坊さんほど長生きし、ホームレスほど早死にする。
これが人間界の常識である。
ところが、地位の高かった猿のオスが地位を失うと、これまた早死にする。
これもまた人にも通じる。
政治家が辞職すると、すぐに死ぬ。
官僚が退職すると、すぐに死ぬ。
教授が退官すると、すぐに死ぬ。
社長が退陣すると、すぐに死ぬ。
坊さんが寺を追われると、すぐに死ぬ。
地位のないやつだけが、長生きする。
したがって、人生とは早く高い地位に上り詰め、そこそこ長生きし、
そこで職を失って一気に死ぬか。
低い地位でそこそこ短かめの一生を終えるかのどちらかなのだ。
残酷な話だがこれが現実だ。

とまあ、こんな教訓を教えてくれる話である。

御冥福をお祈りしたい。
ブラジル、初戦落とす サッカー南米選手権

サッカーの南米選手権がベネズエラのプエルトオルダスで開幕。
第2日27日は、1次リーグB組の2試合が行われた。

メキシコ0-2ブラジル
チリ3-2エクアドル


メキシコが、ドゥンガ監督率いるセレソンに快勝。これは驚きである。
がしかし、それも”ある意味”では当然かも知れない。

昨年のドイツ・ワールドカップの
決勝T第1回戦第2試合:アルゼンチン執念の勝利!
の中で私はこう書いていた。

「これまでJリーグを見れば分かる事だが、日本はヨーロッパスタイルか、南米スタイルかのどちらに範を取るべきか迷って来た。今の日本サッカー協会のお偉方の時代には、旧西ドイツのサッカーを範に取った。だから、元来日本サッカーはドイツ流の”コンチネンタルサッカー”を目指して来たのである。

それが、近年、南米のブラジルがサッカー界を席巻して来たために、Jリーグの監督や選手でも、ブラジル出身者を主として活用して来たのである。しかし、ブラジルサッカーは世界ランク1位の世界最高のサッカーである。だから日本人がそう簡単に真似できるものではない。その歴史も文化も民俗背景も人種的にも全て異なるからである。

しかし、ブラジルに比べたら、メキシコは民族的にも体格的にも文化的にもまだ日本人に近い。そして、”やろうとしているサッカー”も日本のものに近いのではないかと私は感じるのである。」

今のメキシコサッカーは、かつて日本がメキシコオリンピックで勝った時のメキシコとは違う。実に”スペクタクル”なサッカーをする。ワンタッチのダイレクトパスによる早いパス回し、フリースタイルサッカーのような面白さ、など独特のサッカーをする。身体が”小粒”でもサッカーはまったく関係ないということを証明してくれる。そんなサッカーが現在の”メキシコサッカー”である。

それを象徴しているのが、メキシコ代表のキャプテン。現在FCバルセロナの右センターバックのマルケスである。

果たして、メキシコの優勝なるか?

愉しみな大会である。

グループD:ポルトガル絶好調、アンゴラ惜しい!
グループC:アルゼンチンのメッシ初登場!

写真:一番左がメキシコのマルケス選手
2007/06/28のBlog
抗うつ剤:「パキシル」服用の自殺者増加 副作用の疑い

大分前に「日テレ大杉君枝アナが自殺か? 」の中でこんなことを書いていた。

”私(と妻)は、最近よく思うのだが、どうやらちまたの病院では、このうつ状態の症状を見せるとすぐに処方してくれる「睡眠薬」があるようだ。我が家では、どうもこの薬の副作用に逆に「うつを悪化させ自殺を促すものがある」のではないか、と疑っている。そして、この薬には”常習性”があり、一度使い出すとなかなか手が離せない状態になる。”

このニュースは、これがほぼ事実であると、厚生労働省が認めたというものである。なぜなら、うつ病の基本症状には睡眠障害があり、現在使われているうつ病剤はうつ病患者にとっては一種の”睡眠薬代わり”をしているからである。

その薬とは「パキシル」(グラクソ・スミスクライン社)というものであるらしい。

推計売り上げ:
01年は約120億円で、年々増え06年は約560億円。

推定物流ベース:
抗うつ剤全体の約25%。
うつ病などの気分障害も増加傾向で、96年の43万3000人、05年は倍以上の92万4000人。

自殺をした「自殺既遂」:
04年度が1件。05年度は11件。06年度は15件。

自殺行動が表れた「自殺企図」:
04、05年度の各2件。06年度は24件。

まあ、しかし、こういうことは、厚生労働省が調査した「パキシル」だけではないだろう。

抗うつ薬」によれば、こうある。

”また、年齢に関わりなく、抗うつ薬(特にSSRI)の処方開始直後に、未遂を含めた自殺のリスクが上昇するという報告があり、アメリカ食品医薬品局(FDA)から警告が発せられた[1]。これは機序不明であるが、余りにも重症で自殺を行う意欲すらなかった患者が部分的に改善することで、自殺を図るエネルギーを得てしまうという説や、また、SSRIは受容体のダウンレギュレーションを行う為、開始直後には一時的にうつ病の症状が悪化するなどという説がある。”


ここでいうSSRIとは、次のような薬らしい。(パキシルだけではないことがわかる)

フルボキサミン (デプロメール、ルボックス)(日本で承認済)
パロキセチン (パキシル)(日本で承認済)
フルオキセチン (プロザック)(2007年2月現在、日本で未承認)
プロザックはアメリカで最も広く用いられている抗うつ剤であるが、国内に於いては承認申請中である。
サートラリン (ジェイゾロフト)(日本で承認済)

というようなわけで、抗うつ剤(あるいは、抗うつ薬)は、自殺願望を増長させる薬でもある。

最後に「アメリカ食品医薬品局(FDA)から警告」を載せておこう。

*Adults being treated with antidepressant medications, particularly those being treated for depression, should be watched closely for worsening of depression and for increased suicidal thinking or behavior. Close watching may be especially important early in treatment, or when the dose is changed, either increased or decreased.

(抗うつ薬を処方されている大人は、特にうつ病に対して処方されている大人は、うつの悪化や自殺願望あるいは自殺行動の増加に対して密着した観察を要する。密着した観察が処方初期に、あるいは摂取量が増減して変わった時、特に重要である)

*Adults whose symptoms worsen while being treated with antidepressant drugs, including an increase in suicidal thinking or behavior, should be evaluated by their health care professional.

(自殺願望あるいは自殺行動の増加を含めて、抗うつ薬を処方されている間症状が悪化した大人は、健康管理の専門家によって評価されるべきである)


いずれにせよ、私が知る限り、次のようなストーリーが非常に多い。

老人や大人が、股関節手術とか、心臓手術とか、何かの手術をした時、その手術後にさまざまなストレスにより眠れなくなることが多い。そんな場合に、日本の医者は「軽いうつ病だ」と考える。そして無知な患者に「眠れる薬だ」と”気軽に”抗うつ薬を出す(たぶんそうすると儲かるからだろうが)。すると、最初は患者は良く眠れるようになる。が、そのうちその薬なしには眠れなくなる。そうしているとそのうち「生きているのが嫌になった」、「もう死にたい」と口走るようになる。そうなると今度は睡眠障害だけではなく、うつ病を発病したように見える。そこで医者は「うつ病を発病した」と考え、もっと強い抗うつ薬に変える。こうして悪循環となり、睡眠障害のための睡眠誘導剤として使った抗うつ薬が本当のうつ病を発病させ、患者が自殺に追い込まれる。こうなると、その患者は普通の精神状態は維持できない。ほとんど寝たきり生活となる。結果的には、寝たきり老人になるために手術したようになるわけだ。これでは、何のために手術に踏み切ったのか分からなくなる。

まあ、患者も”無知”だが、日本の医者も”無知”なのである。これも一種の”薬害”と言えるだろう。まあ、薬害エイズのような薬そのものが害になるというわけではないが、医者の薬の処方無知、あるいは処方ミスによる”薬害”なのである。

医者がその間違った処方法を「正しい方法」と信じている分質が悪い。こういう場合、システマティックにどんどん同じことを同じような患者に使って行き、同じような結果を導くからである。

日本の医者のレベルアップを望む他ない。

が、これは難しいだろうナ。なぜなら、日本の医者ほど勉強嫌いな人種はいないからである。暇さえあれば飲み歩いているわけだからナ(テレビドラマが真実であればの話だが)。
2007/06/27のBlog
「悪法も法なり」

とは、”えん罪”で投獄されていたソクラテスが、毒殺死刑の前夜に彼を逃亡させるべく助けに入った弟子たちに向かって語ったといわれる言葉である。

社会がまだ発達途上にあり、不完全な法体系しか持ち合わせていなかったとしても、その法に背いてしまえば、その社会規範が失われて「無法地帯」と化する。導師と仰がれている自分が逃亡すれば、自分の言論や自分の学問体系の価値を無にしてしまう。馬鹿げた悪法のせいであったとしても、死を受け入れることにより、後世に問う。

そういう道を偉大な哲学者のソクラテスは選んだ。

ソクラテスの死から2000数百年。

ここ日本ではいまだにソクラテスの精神を理解しない弁護士ばかりのようだ。

山口県光市母子殺人事件での死刑廃止論者の安田弁護士が結果的に
死刑廃止のイデオロギーで集まった弁護士たち
弁護士に求められるもの
安田好弘弁護士の正体?!

これらの中に出てくる安田好弘という弁護士は、強烈な指導者的「死刑廃止論者」である。そのためには、あらゆる凶悪犯罪に出向き、あらゆる手を使って、凶悪犯罪の被害者の気持ちや立場や人生を無視してまで「死刑回避」を目論むというエージェントである。

そのため、その犯罪の本質や性格などお構いなしに、自分のパフォーマンスの”ネタ”にするというだんなである。

手掛けた事件は有名なものほど好く、あまりに多い。

「新宿西口バス放火事件」
「山梨幼児誘拐殺人事件」
「ロス殺人事件」の三浦和義
「オウムの地下鉄サリン事件」の麻原彰晃
「和歌山カレー事件」の林真須美
「耐震偽装事件」のヒューザー小嶋
「光市母子殺害事件」

どうやら、この人物の背後には、日本弁護士連合会やアムネスティ・インターナショナルなど数多くの政治団体や人権団体などがひしめいているらしい。そして、検察や警察権力と”戦争”することが目的であるらしい。

だから、個別の犯罪の”正当な評価”や”事件の真実”などはこの人物にはどうでもいいらしい。

昔の「文部省と日教組」の”対立”や”戦争”が日本の学校教育界を荒廃させてしまったように、それと同じことを法曹界で行っているように見える。つまり、「検察国家日本と日本弁護士連合会」の”対立”や”戦争”である。

これが、日本の裁判を数十年に渡って”荒廃させた”真の原因のように見える。

この意味では、この人物の責任は極めて重い。

しかし、今やこの安田好弘に代表される弁護士グループは国民を敵に回しつつあるのは確かである。

なぜなら、こういう人々が「死刑廃止論」に組みはじめた時代には、「人は教育により更正可能である」とか、「刑務所で犯罪者は更正できる」と信じられた時代であった。「凶悪事件の再犯率も知られていない」時代のことであった。しかし、現在では、実際にはこういう更正も(理由はともあれ)非常に難しく、再犯率が非常に高いという事実が分かっている時代となったからである。

また、欧米のように「終身刑」があれば死刑廃止も可能かも知れないが、「無期懲役」という実際には20年程度の刑しかないのが日本社会であるという現実では、死刑がなければ凶悪殺人者がすぐにまた社会に戻り、新たなる殺人をくり返すという、まるでアメリカのB級ホラー映画の世界と化してしまう。そういう可能性が高い。また、現実にそういう事件が度重なって起こっているわけである。

果たしてこういう現実を安田好弘はどう考えているのだろうか?

個々の犯罪を「微分的」に(「微分評価」で)「ミクロに」見るという視点なくしては犯罪のない社会の実現は不可能である。

どうもこういった弁護士達は、”イリュージョン”を見ているように見える。

それが証拠に安田好弘はいろんなところでこんなことを言っているようですナ。

検察国家日本を斬る
「安田:検察官を人格的に捉えてみると、彼らの多くは、いまだ精神的に自立してないわけですよ。子供の頃の被害体験の裏返しとして検察官の職業があるんですね。いじめられたり、バカにされたり、悔しい思いをしたり、そういう思いを、大なり小なり、誰もがしているんだけど、彼らは、検察官になって社会正義を実現するという形で幼少時の不全感を晴らしていこうとしているんですね。それはいじめられた子供たちが権力を持っていじめ返す歴史なんです。その最たるものが、彼らが持っている正義感、つまり、「国家をまともにしよう」という思想なわけですよ。それが時代とともにどんどん強くなるんです。まあリクルートの時にはね、政界の汚職もあったから、それなりの意味はあった。中曽根から始まって軒並み未公開株で儲けたわけ。今回のライブドアは違うんです。基本的に政界汚職をやってない。しかも、誰も被害を受けていない。ホリエモンだけが一人勝ちしただけなんですよ。ホリエモンの被害者はいないんですよ。」

安田好弘弁護士記者会見
「Q 勾留中に死刑執行がありましたが。
安田: こんなひどい話はないですね。拘置所というのは刑事施設をこえて、アウシュビッツと同じだと思いましたね。身柄を拘束する場所に人を殺す場所がある。同じようなものを食べている、入れられている人間の中のある人は無理矢理に殺されていく。
 執行の朝、私は気がつきませんでした。しかし、その翌日からですね、拘置所の中がぴりぴりと、もうきしむような音がするほど緊張感がありました。職員が緊張してました。顔も変わってました。それは私たち収容者が死刑執行に対して異議をとなえるシュプレヒコールを上げるからではなくて、職員そのものの中に、死刑執行という職務を負わされている、あるいは同じ場所で死刑執行がなされるということがもたらす職員に対する緊張感、事後的な緊張感だと思っています。こんなことがあってはならない。
 シュプレヒコールが聞こえました。現実に私の近い房の若い人もシュプレヒコールをあげていました。みなさん、声を聞くと20代の若い人でした。50代の私がここで声をあげていいかどうかと迷ったんですが、私は上げることをしませんでした。しかし、よくぞ、中でも声を上げてくれたと思っています。」

被告人の権利と共謀罪山口母子殺人事件の被告弁護人から
「検察がなぜデッチ上げと思われるような調書を作って事件の凶悪性を主張したのか。その理由は、「事件の背景に少年法の改正があったから」と安田さんは指摘します。その上で、事件が起きた1999年に少年法の改正が行われ、この事件は少年犯罪の厳罰化のために作られた事件であるとの見方を示しました。事件を検察が政治的に扱い、弁護人も裁判所もそのことに気づかなかったと、安田さんは述べ、本人も、取調べでは事実関係については聞かれなかったと話しているそうです。最初から計画的な犯行ではなく、「声をあげられ、頭が真っ白になった」と話したら、「一部否認しているというのは反省していない証拠だから、そういう反省していないことに対して無期なんてとんでもない」と検察が主張し、死刑を求刑していると安田さんは主張しています。」


日本の裁判官は、インチキ弁護士にもインチキ検察のどちらにも負けず(つまり、騙されず)、真実だけを見つめる目が欲しい。しかし、インチキ裁判官も多いから(たとえば、「言葉は厳しいが刑の軽い、京都の「氷室真裁判長」? 」)、我々は犯罪に巻き込まれないように自己防衛する他ないというのが現実ですナ。
史上最大級ペンギンの化石、ペルーで発見

南米のペルーにかつて推定約1.5mの大きなペンギンがいた。

現在熱帯地域に入る南米ペルーで、新種の超大型ペンギンと大型ペンギンの化石が見つかったというニュース。

化石はペルー中部、赤道に近い南緯約14度の沿岸地帯で見つかった。超大型は約3600万年前の化石で、体長は推定約1.5m。大型は約4200万年前の化石で約90センチと推定された。

これまでの通説とは?

「ペンギンは、南極周辺から次第に温暖な地域へ進出し、その過程で体格も小型化した」

というもの。それは、「ベルクマンの法則」のためである。この法則とは、

「哺乳(ほにゅう)類や鳥類など恒温動物の近縁種では、一般に大型種ほど寒冷地にすむ」

確かに人間の場合も、北欧人が一番巨大である。日本人でも寒い地方ほど大きな人がいる。沖縄人は小粒で、東北人は巨人が多い。

ペンギンの現生種の場合も、最大のコウテイペンギン(体長1m強)が南極大陸周辺に住み、ペルーには小型のフンボルトペンギン(同約60cm)しかいない、という。

今回のものは、”一見”これに反する大発見。


果たしてこの結果をどう解釈するのだろうか?

4200万年前-3600万年前の大昔は、地球は氷河期のために、ペルーまで南極状態で寒かった、と考えるか。

あるいは、大陸移動のせいで、ペルーはまだ南極にくっついていて寒かった、と考えるか。

あるいは、恐竜が滅んだ6000万年前の大隕石衝突後の地球は氷河期が長引き、赤道付近までまだ寒かった、と考えるべきか。

あるいは、4200万年前-3600万年前の大昔は、ペンギンはまだ寒冷地対応していなかった、と考えるべきか。

いずれにせよ、実に面白い発見である。今後の研究の進展を期待したい。
2007/06/26のBlog
裸眼で使える全周型立体映像 東大教授が開発

「周囲360度から飛び出てくるような3次元映像が楽しめる立体ディスプレー」

を東大の舘教授のグループが開発したというニュース。

「裸眼で、しかも全周囲カラーの立体動画が味わえるのは世界初」

と教授はいう。

装置の大きさと形状:
高さ1.2メートル、直径2メートルの円筒形。

原理:
円筒の内壁面に約5万個の発光ダイオードを柱状に特殊な配列。
毎秒1.6回転の速さで回転。
人が中に入ると左右の目に微妙にずれた映像が届き、立体的に見える。

「実際に装置に入ると、デモ用のコンピューター映像で、遊園地の遊具や分子模型が動きながら手元まで迫ってきて、臨場感いっぱいだった。」

と体験者はいう。

また、舘さんは

「入院患者が旅先の家族とその場にいるような感じを共有する。そんな使い方ができれば」

といっているという。

しかし、私の個人的印象では、以前ここで「セカンドライフ」のことを書いた時に「”セカンドライフ・カフェ” 」という話を紹介したが、今回の装置は、まさにこの中で私が”夢想”したジョギングマシーンにうってつけのモニターである。

なぜなら、この装置の中にジョギングマシーンを入れて、「セカンドライフ」の世界を見ながら走り回れば良いからである。

この記事にある「デモ用のコンピューター映像」を見るより、「セカンドライフ」の世界の映像をリアルタイムで見ながら、「セカンドライフ」の世界を旅する方がはるかに面白そうに見える。

いよいよ「セカンドライフ」の世界と現実とのインターフェースが実現して来たと考えるべきだろう。

参考:
”フリー「セカンドライフ」はできるか?”
”「セカンドライフ」の中の大学”
”アバター”
”セカンドライフ検索”
「セカンドライフ」の中に”生き続ける”
”セカンドライフ・カフェ”
IT発明以来の大発明?:セカンドライフの”衝撃”
銀座ティアラ強盗、欧州のピンクパンサーの犯行か

「警視庁では、白昼、高額の貴金属だけを手際よく奪っていることから、2004年3月、「ピンクパンサー」と呼ばれる欧州の犯罪組織が、同じく銀座で35億円相当の宝石類を強奪した事件との共通点に注目。2人組が、この組織のメンバーではないかとみて、近く、国際刑事警察機構(ICPO)を通じ、欧州各国に情報提供を求める。」

というニュース。

しかし、店の方も悪い。

「2点の宝飾品が入っていたショーケースの扉は、いずれも、台座から出る長さ5ミリのツメで閉まるようになっており、男はドライバーを扉の下の2ミリのすき間に差し込み、ドライバーで扉を手前に引き出し、ツメを折ってこじ開けていた。」

というだけの安易な防備であった。これでは、盗んで下さいと言っているようなものである。

欧米のブランド店はすでにいわゆるショーウィンドウ内には高額商品は置かないシステムになっているという話。高額商品を買うお得意さんは、VIP専用の個室に通されてそこで1品ずつ紹介してもらうようだ。

その点で、銀座の貴金属店「エクセルコ ダイヤモンド東京本店」の管理体制はあまりにずさんであったとも言えるだろう。

盗んだ方も盗んだ方だが、盗まれた方もまた盗まれた方であった。

私は、「行方不明パキスタン人説」を唱えるが、警視庁は「ピンクパンサー説」で行くようですナ。

果たして犯人は捕まるか?

参考:
ティアラ強奪男=行方不明パキスタン人?
2007/06/25のBlog
今、Jリーグが”揺れている”。それは、ひとりの審判のせいである。

6月20日の試合、FC東京対ヴァンフォーレ甲府戦で”それ”は起こった。が、この試合はテレビ中継されていなかったせいか、あまり注目されていなかった。

しかし、その後、今日になって、不思議な裁定がおりた。それは、以下の記事である。

つばで退場・侮辱・備品破壊…甲府の茂原、7試合出場停止


”Jリーグは25日、J1のF東京甲府戦(20日・味スタ)で退場処分を命じた主審に対して侮辱行為などを行った甲府・MF茂原岳人(25)をリーグ戦5試合とナビスコ杯2試合の計7試合の出場停止処分にしたことを発表した。

 茂原は判定への異議を唱えて警告を受けた際に主審につばを吐いて退場となった。その後、主審に侮辱的な発言をしたうえ、ロッカールームに戻る際に備品を壊した。Jリーグでは、<1>つばを吐いた行為で4試合<2>侮辱発言で2試合<3>備品破損で2試合の出場停止とした。

 茂原は、既に終了した23日の大分戦を含み、8月18日の浦和戦までの7試合出場できない。この試合に関しては、同じ主審に侮辱発言をした甲府MF林健太郎(34)が2試合出場停止となっている。”

甲府・林、主審に侮辱的発言で2試合出場停止処分

”F東京甲府戦(20日)の試合後、判定を巡って主審に侮辱的な発言を行った甲府・林が2試合出場停止処分を受けた。

 林はベンチ入りしていなかったが、試合後に主審と出くわして不適切な発言をしたという。”

この2つを見れば、甲府の茂原が”切れた”、そして甲府の林も”切れた”という印象だけが残る。茂原は、東京ヴェルディ時代に”事件”を起こして解雇、その後甲府に拾われ再出発した選手。だから、「やっぱり茂原は更正できていなかったんだな」という悪印象だけが残ってしまう。

しかし、林はかなりクールで有名な選手。その林も”切れた”というのだから、そこには”何か”があったはずである。

そう、私は理解して、この摩訶不思議な事件をネットサーフして調べてみた。

すると、当日の戦を観戦した数人のブロガーがいた。

(あ)All your beef are belong to U.S.
(い)hibino-mari.com
(う)蹴球亭
(え)We are TOKYO
(お)fct fan サッカー観戦漬けの日々

最初のものには、こうあった。

”予想した通りの分かりやすい面白さで、さらに主審が加勢したものだから盛り上がらないわけはない。”

4番目のものにはこうある。

”前半の戦いを見ながら、今日は負けないと確信していましたが、東京はお人よしというか、相手チームにも希望を持たせ、悪役レフェリーまで登場、最後はプロレスみたいな展開のゲームになってしまいました。
増嶋には悪いけど、降格回避のためには大きな勝ち点3でした。
月がきれいでしたね。^^”

5番目のものにはこうある。

”リチェーリは2枚目のカードよりも(俺のところからはPKに見えたが)、1枚目のカードよりも、出てきた直後のファウルが不要だったと思う。 チームになんのメリットもないどころか、1枚目のカードの呼び水になった訳だし。”

このことから、どうやらこの試合の主審に”何かアンフェアーなこと”があったことが彷佛される。おそらく、不必要なカードの乱発と、PKファールを取らなかったことなどの審判の”暴挙”があったらしいことが分かる。

そこで、今度は、この試合のレフェリーはいったいだれだったのかと探すと、以下のもので分かる。

Yahoo!スポーツ Jリーグ 第16節 2007年6月20日

これにはこうある。

”立ち上がりからアクセル全開の両チーム。試合を優位に進めたのはF東京。両サイドとルーカスを軸に攻撃し、好調鈴木規の豪快なゴールなどで楽勝ムードを作り出す。しかし、1点差に詰め寄られた後に退場者を出すと、流れは一転。防戦一方の展開になるが、土肥を中心とした体を張った守備で甲府に同点弾を許さず、さらには前がかりになった相手にカウンターを仕掛ける場面も。甲府は得意のショートパスで幾度となくチャンスを作るが、茂原のゴールで1点差に詰め寄るのが精一杯。カードが乱れ飛んだ試合は、F東京に軍配が上がった。”

実際にカードは、双方合わせて10枚。まあ、主審に”めちゃくちゃ”にもてあそばれた試合だったらしいということがわかる。

さて、その張本人とはだれか?

その人とは、家本政明主審であった。

まあ、Jリーグを知らない人や、サッカーに無関心な人はまったく聞いたこともないだろう。しかし、この人はこの業界では”札付き”の有名人なのである。

たとえば、以下のものを見れば良い。

家本政明

”家本政明

「各方面から励ましや、ご意見をいただき元気にやってます。気持ちは前向き。必ず復帰します」(SR審判)

日本協会審判委員会から1カ月の「出場停止処分」を受けているSR(プロ審判)家本政明国際主審(33)が、復帰へ強い意欲を見せた。同主審は8月30日のJ1鹿島名古屋戦で11枚の警告を出すなどし「メンタルが痛んでいる」(松崎審判委員長)と12日付で1カ月間の研修を命じられていた。(日刊スポーツ)”

すごいぞ家本政明さん


というわけで、Jリーグ界の悪名高き”札付き”の審判である、家本政明主審が、昨年に続き”ご乱心”して、面白いチームどうしの好試合を”めちゃくちゃにしてしまった上”、カード乱発で両チームの優秀選手たちを出場できないようにしてしまったということようである。

これでは、甲府の茂原も林も”切れる”のは当たり前だろう。

にもかかわらず、Jリーグは、このインチキ主審に対しては何のおとがめもなし、警告もなしというのだから、困り者である。あまりにアンフェアーである。Jリーグのお偉方は、試合を見ないで裁定したとしか見えない。

どうもJリーグはチェアマンが変わってから、”運気が落ちた”ように見える。観客は減るし、変な審判はどんどん出てくるし、totoも不調だし、良いことはあまりないようですナ。

いずれにせよ、この審判は、今回がイエローカードの2枚目、レッドカードの退場してもらわないといけないようですナ。
2007/06/24のBlog
[ 14:04 ] [ 社会 ]
科学技術白書 成果あっての研究開発支援だ(6月24日付・読売社説)

これは、今年度の「科学技術白書」が公表されたというニュースに対する読売の社説だが、これによれば、科学技術基本法が1995年に出来て以来、1期=5年ですでに2期が過ぎ、3期目に入る。この間、投じられた予算は2期までで38兆7000億円。3期では、さらに25兆円を上乗せする目標であるというわけだ。

これに関して、読売のこの社説では
「科学技術の成果が社会を発展させ、国民生活を豊かにする。その結果、応援団が増えて、息の長い支援につながる。そうした好循環を目指すことが大事だ。」
と実に脳天気に”好意的”な結論となっている。

これに関して私は全く別の観点で考えているのでそれをメモしておこう。

ちなみに、こういった科学技術関連の問題は拙著「何が科学をつぶすのか」で5年前に論述している。読売の論説員はこういう本をぜんぜん目を通していないのだろうヨ。

さて、日本の「科学技術」の問題は、読売や多くの新聞やテレビマスコミが思っているような問題が本当の問題ではない。このことが全く理解されていないのである。

どういうことか?

と言えば、日本は世界に観たる「官僚国家」の1つであるが、この「官僚国家」と「資本主義」が結びついた「官僚資本主義国家」が現代の姿である。アメリカが「民主主義」と「資本主義」が結びついた「資本民主主義国家」であるのと好対照なのである。日本の科学技術はこの中で咲いた”あだ花”のようなものである。それゆえ、日本の「科学技術」にも、官僚国家の様相が大きく反映している。

これがいわゆる「日本の学閥」というものである。「学閥社会」というのはマスコミや世間で言うところの「学歴社会」とは違う。実際、多くの民間企業でも「学歴」など何もあてにしていない。がしかし、それでは、”日本的”社会秩序維持に困る。そこで、実際には「学閥社会」というものを”非公式”に作っているのである。だれそれは誰先生の”息子”(”お弟子”ではないことに注意!)というようなことが決めてとなる。そういう社会構造を作っているということなのだ。

要するに、「学歴社会」というのは、日本の官僚(のお偉方)にとってはどうでもいい一般人や庶民のお話のことであって、一番大事なのは「学閥社会」なのである。

その結果、実際には、政治の世界では小泉、安倍や麻生のように世襲政治があるように、官僚世界にも小和田など同じように世襲一家が存在する。これと同じく、科学技術分野にもすでに「学者一家」という、一族の大半が国家公務員で大学教授というような”学問の名家一族”がのさばっているというのが現代の日本の「科学技術」分野なのである。(興味ある人は宿題として自分でいろいろ調べてみると面白いだろう)

アメリカにももちろんそういう問題はあるが、”相対的”にはほぼないに等しい。だからあまり問題にもならないうえ、大学自らがそうした世襲や一ケ所集中を排除して寡占状態を嫌うという国民性が根付いている。機会均等法やアファーマティヴアクション法もそういう精神で設けられている。

ところが、日本では、一度だれにも首にされない「国家公務員」職の科学技術者の職につけば、今度は人事権を持つのは自分なのだから、お互いに自分の子弟をあの手この手を使って大学に残すということが可能となった。そうして戦後60年ほど経つと大学のポストはほとんどある特殊な学者一門の牛耳る世界となってしまったのである。これが「学問の世襲化」というやつだが、これが日本の「科学技術」の実にユニークな特徴なのである。

そこで、実際にこの問題に関して過去にどのようなことが起こっていたかを示すために「日本の学閥」でいろいろネットサーフしてみると、こんなものがあった。
 
中島泰蔵

これはちょっと古い時代の人だが、日本における”本格的な心理学者の草分けの1人”である。1890年代にアメリカのハーバード大に留学し、後に今度はコーネル大学で博士号を取得した人物である。

私も今日まで知らなかった人だが、こんな人もいた。しかし、こんな偉大な人物にも悲しい人生が日本では待っていた。

”コーネル大学大学院博士課程でエドワード・ティチェナーに師事、Doctor Of Philosophyを取得して帰国。しかし晩学だった上、東京帝国大学を頂点とする日本の学閥構造の中で孤立し、帰国後は師の元良の死去により後ろ盾を失ったため、学界では不遇だった。結核で死去。”

この明治時代の学閥構造の”空気”や”雰囲気”が21世紀の現在の日本の大学で徐々に復活して来ているのである。

次に比較的最近のものにこんなものがある。おそらく10年前の1997年の記事である。

異色の人材(970422)

この記事は、”異色の経歴”を持つ東大法学部教授、蒲島郁夫氏の話から始まり、日本の大学の「ヘテロ化」を論じたものである。

最後に、こういっている。

”私は、大学や大学院をヘテロな集団にすることこそ、教育の諸問題の解決の切り札ではないかと思う。社会に出たり、異分野を経験することがマイナスにならなければ、18歳での一斉受験も姿を消すだろう。また、大学院で分野を変えたりすることが出来れば、過酷な受験競争への「抜け道」として定着するだろう。こうなれば、東大を頂点とする受験ヒエラルキーは崩れていくのではないだろうか。

だが、まだまだ不十分だ。学生側の意識も不足している。エスカレーターで上がっていくことに疑問を感じるものは少ない。大学関係者も国も、そして学生も、皆が考えていくべき問題ではなかろうか。 ”

要するに、20世紀の後半でも、こんな感じであったが、これは21世紀の現在でもほとんど変わっていない。むしろ、上に書いたように、その傾向はますます復古している。

そして”極め付けの研究”を見つけたので紹介しておこう。

近代民主主義の愚民化と搾取に関する研究(3)(九州科学技術研究所)

にはこんなことが書かれている。「国民不在の官僚政治」の中にある。

”日本官僚主義は、まず学問の世界から自由を奪った。
 官僚は国民の殺生与奪の特権を持っている。官僚によって、政治と経済を完全に牛耳る為である。そして官僚主義を徹底させる為には、まず学閥をコントロールし、学閥を国家が管理する社会構造を構築しなければならなかった。
 それが学閥社会であり、学閥社会は学閥出身者によって管理されるものでなければならなかった。現在日本の学閥は、東大を頂点とする学閥社会である。決して学歴社会でないことに注目。

 誰もが学歴社会と思っているが、学力のない四流・五流大学の学歴など、この国際化の時代、全く通用しないのである。したがって東大を頂点とする学閥こそ、日本官僚主義の要となるところなのである。
 日本と言う国家は、東大閥を主軸にした官僚主義で運営されているのであって、民主主義の標榜する「自由」など、何処にもないのである。

 さて、学問の自由(academic freedom)とは、政治や宗教、その他の諸権力から、学問研究を解放させ、かつ独立させて、その自由を確立することを、日本国憲法では第二十三条で保障している。しかし本当の意味で、この自由は最初から何処にも存在しない。

 本来自由の根源は、勤勉で理性的な人間が、自由に自分の頭脳を駆使して、学問する事によって、研究資源や知的財産を構築していくところにあった。
 ここで重要な事は、学問する事の自由である。しかしこの自由は、今日エゴイズムに結びつき、新たな階級社会を作り上げ、その批判原理がエゴイズムと言う畸形(きけい)質を作り上げた。

 今や世を上げて、学歴社会を批判し、エゴイズムを批判する。しかし学歴社会は、自由競争に基づくものである。
 こうした自由競争原理の中で、巧妙に官僚主義が仕掛けられ、日本では最高学閥の、競争に勝利した東大閥は、並みの大学出身者より優遇されて悪いのか、という、こうした意見が起こってくる。これこそが自由の定義を逆手にとって主張だからである。

 しかしこうした背景には、日本では、自由競争が働いているから、競争の結果、できる限り平等であると言う意識が、また一方で東大閥に与(く)されなかった敗者のエゴイズムが働く。これが学閥コンプレックスである。
 そして実際には知的レベルと、その人の本来から所有する道義とは無関係であるという事で、この、勝者と敗者のバランスはとられる。

 これが表面上は、自由であるように映りながら、実は自由など何処にも存在しないと言う現実である。日本における学閥と、官僚主義は学問の自由を標榜しながらも、一方で官僚主義に委ねる社会の構図を作り出しているからである。これこそが、官僚がのさばる温床なのだ。
 そして立法機関は長い間、東大閥に支配された歴史を持ち、現在もその延長上にある。
 こうした社会構造の中で、果たして民主主義は正しく機能するのだろうか。”

まあ、こんなものが日本の「科学技術」社会の現状なのである。

だから、読売の社説に代表されるような”科学知らず”、”科学世界の現実知らず”の社説でもそれがさもマトモな意見であるかのように世でまかり通る。そんな国だからこそ、何ら対した研究成果をあげた経験も無い立花隆、養老孟司、茂木健一郎に代表されるような人々でも”科学通”として世の中でまかり通ってしまうのだ。なぜなら、そんな連中でも一応東大出だという”先入観”で見る。日本人は官僚主義の先入観で支配されているからである。そういう、人の心の闇やコンプレックスがこういう連中に付け込むすきを与えるからである。

果たしてこんな感じの国で、なおかつ800兆円もの大借金のある火の車状態の国で、50兆円、60兆円にも渡る科学技術投資を行っても大丈夫なのだろうか?

という疑問をだれしも持つだろう。が、そういう悲惨なお国事情にも”知らぬ存ぜぬ精神”でいられるのが、学問官僚、学者官僚というものなのである。

なぜなら、こういう家系の日本人は、自分達が国民の中で一番優秀だから、他の庶民は早々に死に絶えても良いと本当に考えているからである。(もちろん、あからさまにそういうことを発言することはないが、節々にそういうニュアンスが現れる)。

俗にいう「でして調」の言葉、つまり「◯◯でして」とか「◯◯でしてね」というのが、日本の学者世界の官僚言葉というやつであるが、こういう言葉使いをする学者の言葉には、庶民を小馬鹿にした感じが随所に現れているから不思議なものである。

というわけで、読売の社説にあるような考え方は、20世紀的な過去の遺物なのであり、はなはだ現実的ではない。

なぜなら現実は、すでに「科学技術の成果が社会を発展させ、国民生活を豊かにする」というふうにはなっていないからである。本当の現実は「科学技術の成果が社会を発展させ、国民生活を豊かにする」ではなく、むしろ「科学技術の成果が社会の”一部”を発展させ、”一部の特権的人々”の生活を豊かにする」というふうに変わってしまっているからである。何十兆円もの科学技術の税金支援は、学者一家を豊かにするが国民を豊かにはしない。むしろ国民は学者のための”ダシ”にされるのである。

ここ徳島を見ても分かるが、”豊かな生活”を送っているのは、科学技術の進歩ではない。むしろ、”農産物の進歩”である。上勝町では、高級なお茶や貴重な葉っぱを売って生活している老人もたくさんいる。この際、科学技術はあくまで二義的なものである。大事なことは、代々伝わる伝統的な農作技術の方なのだ。

こういった現実を無視していると、いつか東京の人はしっぺ返しを食らい、悲惨な状況に陥らないとも限らないのである。

残念ながら、本当の知恵者は今の東京にはいないようですナ。
2007/06/22のBlog
ティアラ強奪男の画像を公開、入店から逃走まで32秒

によると、6月14日の白昼堂々と強盗した外国人の写真が公開された。

これを見ると、欧米の白人というよりは、アジア人の顔に近い。


そこで、この時期に国内に入った”怪しい”記事はないか、と思い当たると、実はしばらく前に「行方不明パキスタン人はどこへ? 」という事件が起こっていた。

この記事は6月15日のものだから、一見因果律に反する。そこで、この入港したパキスタン軍のバブールは、いつ入港したのか、ネット上で調べると、実は6月12日であることが分かり、因果律に反しないことが分かる。


そこで、さらに、この写真の人物に似た人物がパキスタン人にいるかと調べると、そもそもの軍艦バブールの名前の由来となる、インドの最初のイスラム王バブールがいた。


そんなわけで、いろいろネットサーフすると、
www.tabisora.com/
にも似た顔がパキスタン人に良くいることが分かる。

まあ、怪しめばだれでも怪しく見えてくるが、12日以降行方不明となっているパキスタン人は、非常に怪しい部類に入るかも知れない。

どこの国民にも良い人もいれば悪い人もいる。だからもちろんすべてのパキスタン人が悪いというわけではなく、パキスタン人にも良い人も悪い人もいる。しかし、白昼堂々と宝石泥棒するのはよくない。

他国に入って行方不明となること自体犯罪なのだから、こういうことをした人物たちがさらに悪さをすることは自然と言えるだろう。

いずれにせよ、日本の警察の”とろさ”や”甘さ”や”バカさ”加減が今や世界中に知れ渡っているということの証拠だろう。次から次へと世界中から犯罪者が入港して来ているのである。観光客や留学生や軍人や船員の振りをしてナ。

まあ、1つの”仮説”だから、当たるも八卦、外れるも八卦。信じないことだよ。
「代表に中田英の居場所はある」オシム監督が会見で表明
オシム監督、中田英にラブコール? 特派員協会で会見

21日、東京・有楽町の日本外国特派員協会で、オシム監督が記者会見。代表チームの現状などについて、質問に答えたというニュース。


【アジアカップを控えた日本代表について】
「結束が大事」
「心配は調整不足」
「すべての参加チームは日本に対して高い意識でくる。
恐れているのは日本の選手が疲れ、高い意識で臨めるかどうかだ」

【中村について】
中村らスター選手を持ち上げる日本の風潮にクギを刺し、
「中村を選んだ上でチームを作るか、チームに中村を合わせるか。
今、どちらを優先するか決める時だ」

【中田英寿氏について】
「彼以上の選手を見つけるのは難しい」
「彼はまだ若い。もし再びプレーするなら、日本代表に彼の居場所はある。
多くの新しい選手が出てきているので、時代遅れになっているかもしれないが」

【中田氏の後継者は誰か】
「もし答えたら騒ぎになる。記者に武器を与えたくない」

ちなみに、私の個人的予想では、オシム監督は、アジアカップに向けては、「中村を選んだ上でチームを作る」方を選ぶのではないかと考えている。おそらく、旧ユーゴスラビア代表におけるストイコビッチの役割を日本代表に対して中村俊輔にかすのではないかと見る。

しかし、この場合の問題は、中村にストイコビッチのような「リーダー性」があるかどうかということである。もしなければ、困難に立ち向かった時、厳しい状況に直面した時の「精神的支柱」になれないため、失敗する可能性がある。

したがって、もしアジアカップで失敗した場合には、オシム監督はワールドカップ予選に向けて、今度は「チームに中村を合わせる」方針に変えるはずである。この場合には、中村はたくさんいる選手のうちの1つの”駒”に過ぎないということとなる。

いずれにせよ、セルティックのストラガン監督の「タックルもできない、ヘッドもしない。だが彼は天才だ」という言葉が、オシムの頭脳を迷わせているのは間違いないだろう。

中田英寿もいい選手だったが、「ふがいない仲間をぶん殴ったり、ドスの聞いた脅しまで使って言うことを聞かせたり、徹底的に説教してその気にさせる」というタイプのリーダーではなかった。もちろん、中村俊輔も遠藤もそういった遠慮がちなタイプである。チーム全体を精神的に掌握できるリーダーは現在の日本代表にはいない。おそらくどのチームにもこれができる日本人選手はいないだろう。

かつて1998年にドゥンガが言ったように

「日本人はいつも誰かがリーダーシップを発揮するのを期待する。ひとりひとりがイニシアティブを発揮する、というような考え方をしない」
「日本には歴史的文化的問題があり、自分のようなリーダーは育たない仕組みになっている」

という”問題”が今現在も解決されていないのである。

まあ、一言でいえば、石原裕次郎タイプはめったに生まれないのである(日本には「ハンカチ王子」のようなタイプは時々生まれるが)。ましてやドゥンガのタイプは皆無である。ベンゲルもジーコもオシムもどの監督も日本ではこの問題で悩んだわけである。

「Jリーグ100年構想」にもこういうリーダー育成論はあまり強調されていない。

日本では、どの年代のサッカー部やサッカークラブでもそうだが、監督がキャプテンを選んだり、先輩が選んだりと”棚ぼた式”にキャプテンを選ぶというのが伝統的である。安倍首相を見ても分かるように、政治の世界でもこれは同じだ。だから、真のリーダーが育たない。

日本では、「自分からリーダーシップを発揮する人を嫌う傾向が強い」。こういうリーダーが出てくると、たいていは「○○天皇」などと呼ばれたりして嫌がられたり、けむたがれるものだ。かつての黒澤明がそうだった。完璧主義の黒沢は「黒沢天皇」とあだなされた。

一方、日本人には、俗に言う「腰の低い人」や「頭の低い人」、つまり、だれにもへりくだり(本心ではそう思っていないのだが)、ぺこぺこしている人の方が好まれるという国民性がある。

だから、政治家もタレントも人前ではそれを装おう。

映画俳優の場合、アメリカの俳優と違って日本人俳優の場合には、演技している時の方が魅力的で生きがよく、普段人前ではぺこぺこしていて、どっちが演技しているのか分からない、という俳優ばかりとなってしまうのである。「あんたの素はどっちだ」という疑問を持ってしまうのである。例えば、役所広司の態度をみれば分かるだろう。

しかし、残念なことに、この国民性とサッカー世界の常識は相反する。サッカーでは、仲間内でへりくだったり、ぺこぺこしていたら相手にやられてしまうからである。リーダーを中心として敢然と戦いを挑まなくてはならないからである。

はたしていつになればこの問題を解決できるのだろうか?

これを考える時、いつも暗たんたる思いにかられるが、これは遺伝子の問題なので非常に難しいだろうと思う。

日本では、リーダーが1人あらわれると、逆に他のものたちが連係してそのリーダーを「無視(シカト)」したり、不従順な行為をとって輪を乱す、あるいは足を引っ張るという習性がある。そうやっていわゆる「村八分」にして追い出しを計るという伝統的方法を”だれに教えられることもなく”見事にやりとげる。

これは日本のどこの組織でも見られる風景である。かつてのジーコ・ジャパンの中田英寿と他の選手たちの確執がその典型である。

”真のリーダーが育たない国にサッカーの女神は微笑まない”

これがサッカーの歴史が教えるところである。もちろん、サッカーに限る話ではないのだが。
”終末予言”としては、「1999年7の月に恐怖の大王が来るだろう」という「ノストラダムスの大予言」が有名だった。「1999年に世界は終末を迎える」というものであった。多くのカルト宗教もこれに飛びついた。がしかし、まだ世界は滅ぶことなく存在する。

「ノストラダムスの大予言」なき後に最近有名になったものは、アメリカの先住民の一派ホピ族の「ホピの予言」である。人類はすでに3回の絶滅を経験し、最後の4回目の絶滅が来る。

「灰のひょうたんが空から落ちてくる。海は沸騰し、大地は焼けただれ、地は長年不毛になる。太陽より眩しい灰のひょうたんが、世界を終わらせる」

というものである。これは映画にもなっている。

写真:ニュートンの肖像画

さて、

「早ければ2060年に世界の終末」 ニュートンが予言
2060年に世界が終わるニュートンが予言

によれば、実はかのアイザック・ニュートン(1642-1727)も”世界の終末予言”をしていたというものである。

「早ければ2060年に世界の終末が来る」
「やがて世界の終わりが来る。だが、すぐにそうなる理由は見いだせない」

と直筆文書に予言していたという発見。


旧約聖書の「ダニエル書」を解読した結果、人類の終焉を予言したらしい。

この「ダニエル書」というのは、実に面白い。アッシリアの王ネブカドネザルと彼に拉致された4人のユダヤの賢人の物語である。

この書の最後に、世界の終末予言めいた部分が記されている。しかし、その意味を「読み解く」のは困難である。

簡単にまとめれば、こんな感じである。

”それまでのものが破壊されて、荒廃をもたらすものが来た時から1290日がある。それからずっと待ち続けて1335日まで来たものは幸運である”

果たしてニュートンは正しいか?

いずれにせよ、今回のニュースは、現イスラエルのユダヤ人学者が「地球温暖化問題」や「石油枯渇」の時期と、”2060年”という時を人類滅亡と予言したニュートンの予言とを”かけた”のだろう。300年前ならいざ知らず、今なら「さもありなん」と思うはずである。

写真:ニュートン文書
最後の行に"after the 1290 days"という文字が見られる。
2007/06/20のBlog
[ 19:48 ] [ 社会 ]
科学の中でもっとも頻繁に出てくる概念が、おそらく「ジレンマ」というやつだろうと思う。

例えば、「どうして原子に大きさがあるか」と言えば、それは、電子には「ジレンマ」があるからだ。

原子の中で陽子と電子は電気的な力で引き合う。だから電子は原子核の方に吸い寄せられ素早く崩落していきたい。が、しかし、近くなればなるほど今度は電子の運動は早くなり、ますます高速に原子核の周りをまわらなくてはならなくなる。こうして運動エネルギーが増す。すると遠心力が大きくなり外へ弾き飛ばされる。したがって、引き寄せようという引力と弾き飛ばそうという遠心力の間で拮抗、つまり「ジレンマ」が生じる。結局、電子は中間のどこかで折り合いをつける。それが原子の大きさの起源である。

今度は、「どうして球状タンパク質に大きさがあるか」と言えば、それは、タンパク質にも「ジレンマ」があるからだ。

普通、球状になるタンパク質には水に溶けやすい部分(親水基)と油っぽい部分(疎水基)が混在する。そこで、水に溶けやすい部分は外側に向かい、油っぽい部分は内側に並ぶ。すると、内側はより内部に向かって一気に潰れていく。ところが、半径が小さくなると、タンパク質の動き回る領域が小さくなるためにエントロピーが増す。エントロピー増大の法則のために、タンパク質は膨張しようとする。したがって、疎水相互作用で潰れる力とエントロピー増大で膨張しようとする力の間で拮抗が生じる。ここに「ジレンマ」が生じる。結局、タンパク質は中間のどこかで折り合いをつける。それがタンパク質の大きさの起源である。

非常に不思議なことだが、これと非常に似たようなことが進化の問題にも起こる。ダーウィンの進化論には、突然変異と自然淘汰の2つがある。自然の生物はすべて同じDNAという物質でできた遺伝子を持っている。DNAの配列はA、G、C、Tの4文字の配列で書かれている。自然というのは、あらゆる方法によってこの配列を乱す。それが突然変異である。あまりに異端な突然変異ではその子孫は今ある環境に合わずに死滅する。まったく変異しなければ、今の状況では生存はしやすい。が、環境の変化や激変に弱くなる。外部の環境の変化を決めるものが、自然淘汰(淘汰圧)である。したがって、突然変異の力と環境変化への適応力という2つの力が拮抗する。ここに生物の「ジレンマ」が生じる。結局、現存の生物はその中間で折り合いをつけるのだ。

こんな感じで、「ジレンマ」というものは、科学の至る所に現れる。しかし、科学に限らない。最近よくそんなことを私は考える。

例えば、こんなものがある。

日本社会で、大人なら、大学などの学校教育を改善したいと、通説に思うだろう。しかし、その一方で、だれが就職採用したのか分からないような現実の職員の有り様を見れば、あんなやつらの給料を増やしたくはないと思うかも知れない。したがって、人は、教育を改善したいと思う反面、今の教育者には幻滅するという「ジレンマ」に陥る。結局、教育もその中間で折り合いをつけることとなる。

こんなものもある。

世の中には変わった人がいて、科学者から見ればたいそう「馬鹿げた」ことをして商品を作って売る人たちがいる。科学者からすれば、それは詐欺に等しく、放っておけない非常事態に見える。ところが、世の中には変わった科学者もいる。こうした科学者は、「科学的行為」だといってどんどん税金を研究に使うのだが、まったく対した成果がでない。これが一般人にはたいそう「馬鹿げた」ことに見える。それゆえ、一般人からすれば、それは詐欺に等しく、放っておけない非常事態に見える。結局、世の中には「非科学的な馬鹿げたことをして儲ける」人たちと「科学的行為をして金を無駄に使う」人たちで拮抗する。ここに1つの「ジレンマ」が生じるというわけだ。結局、我々はその間のどこかに折り合いをつけなくてはならない。

これと同じようなことは今の政治にもある。ここで説明を加えるまでもない。もちろん、経済学の「需要と供給で物の値段が決まる」というのも「ジレンマ」の問題である。数学の「囚人のジレンマ」はいうに及ばない。文字どおりである。

まあ、この話の流れから、実はその「ジレンマ」こそ、そのシステムをある意味で「安定」に保っている真の原因なのだということが分かるだろう。

人は「ジレンマ」に陥ると悩み、うまく行かないとがっかりする。しかし、「ジレンマ」が生じることこそもっとも健全な状態でもあるということだ。だが、普通、人はこのことを忘れる。「ジレンマ」のない世界に人は住みたいと願うが、そんな世界は実在しない。また魅力的とも言えない。「ジレンマ」こそ、現実社会の中で時々刻々とそこそこの安定を与えているものなのだ。

ところで、「ジレンマ」とは2つのものの拮抗から生まれるが、そうやって生まれる安定は比較的静的なものである。しかし、時間的に安定、つまり動的に安定な構造とはどうやって生まれるのか、と言えば、それは「じゃんけんの関係」すなわち「トリレンマ」とでも呼ぶものから生じる。

「ジレンマ」、「トリレンマ」、「テトラレンマ」、「ペンタレンマ」、、、、「マルチレンマ」と来て、初めて我々の住む複雑な世界の入り口に立つ。

こんなことからも我々の”普通の”思考がいかに幼いものであるか、無知であるかが分かろうと言うものである。
2007/06/19のBlog
[ 12:15 ] [ 科学ニュース ]
ハエで体内時計の遺伝子発見 「時計じかけのオレンジ」

「睡眠など1日の生活リズムを決める体内時計の新たな「時計遺伝子」を、理化学研究所神戸研究所システムバイオロジー研究チームなどがショウジョウバエで見つけた。19日付の米科学誌「ジーンズ・アンド・ディベロップメント」の電子版に発表する。上田泰己チームリーダーは「ヒトの体内時計の解明につながる研究だ」と話している。 」

という科学ニュース記事。

最近は、国立研究所や大学が、組織の”手柄”を上げることが、株価を上げることに繋がるためか、率先してマスコミに”手柄話”を公表する時代となった。

というのも、マスコミに新研究成果を発表できない大学や研究所は「社会的に存在しないに等しい」という、そんな時代となったからである。

実際に独立行政法人化した国立研究所や国立大学では、手柄を立てなくては研究費がもらえない。おまけに、銀行から融資も取りつける事ができない。

そういうことが直接の原因かも知れないが、昨今の日本のマスコミの科学ニュースは毎日毎日国立研究所や国立大学から出された新研究や研究成果を載せる。載せない日は珍しい。

この際、マスコミがお金を取って載せているのか、あるいはただで取材して載せているのか、この当たりは知らないが、比較的”安易な記事”が載っているように見える。かなり公表する研究所や大学側の”立場”からの記事が多い。

言い換えれば、一方的な、あるいは一面的な「とんでもない」書き方がされている場合が多いということである。

今回の理研のこのニュースもそういったものの1つである。

この記事を読むと、この分野に関して何の知識も持ち合わせていない人は、こう考えるはずである。

まず第一番目のパラグラフから、
「理研で”時計遺伝子”という新遺伝子を発見し、ヒトの体内時計の解明に繋がる研究をした」

次に第ニのパラグラフから、
「生活リズムを制御している頭部にある137の遺伝子の中の一番大事な遺伝子を見つけた」

最後のパラグラフから
「理研の研究者が”時計じかけのオレンジ”と名付けた」

したがって、これらをくっつけると、”無知な人”は、こう思う。

「最近、理研でヒトの体内時計の解明に繋がる、生活リズムを制御している遺伝子の中の一番大事な”時計遺伝子”という新遺伝子を発見し、”時計じかけのオレンジ”と名付けた」

もしこう思ったのなら、あなたは見事にこの朝日の記者に乗せられたのである。あるいは、理研の研究者に乗せられたのである。

実は、ショウジョウバエを使ったこの分野の研究には、長い長い歴史がある。すでに数年前の2001年には、ジョナサン・ワイナーの
時間・愛・記憶の遺伝子を求めて生物学者シーモア・ベンザーの軌跡
という本が出版されている。

この分野の研究は、「生物の身体を作る遺伝子(ハードな面を作る遺伝子)」の他に、「生物の行動を決める遺伝子(ソフトの面を支配する遺伝子)」の探索として始まった。これを率いたのが、2年前に京都国際賞をもらったシーモア・ベンザー博士である。

この物語がすでに上のワイナーの本で詳細に語られているのである。これは、第8章「最初の時間」という部分にある。この章はチャールズ・ダーウィンの

「まるで時間の観念が乱されてしまったかのようだ」

で始まる。

偉大な遺伝学者モーガン以来、この分野では”病んだハエ”を見つけてはその異常(表現型)とその異常遺伝子(遺伝子型)を対応させる。こうして対立遺伝子を見つけて行く。

こういうことをやっていると、つい

「病んだハエから何を学べるというのか?」

という疑問に苛まれる。社会問題であれば

「病んだ人や犯罪者から何を学べるというのか?」

というような悩みである。こんな場合、科学者は昔の偉大な心理学者のジークムント・フロイトの言葉に勇気づけられる。

「そして君は、すべての心理学者によってこれまで見のがされてきた精神生活の”共通の基盤”を、病んだ人間の観察から、発見したと主張するのだ」

こういう”不安”と戦いながら、ベンザーや彼の弟子の堀田凱樹(ほったよしき)、そしてコノプカが1960年代後半に行った研究である。特に、当時大学院生にすぎなかったコノプカは堀田の発明したハエの行動観察装置を駆使して研究した。

まったく新しいことで心のよりどころのないコノプカを常に勇気づけたのがベンザーであった。またこの時代の有名な植物学者のハムナーは、こういったという。

「我々が今必要としているのは、もうひとりのニュートンなのだ」

もしハエに時間感覚をつかさどる遺伝子があるとすれば、それを調べるためには、異常な時間感覚を持ったハエを発見すればいい。そこで、コノプカは、24時間体制で研究に没頭した。朝晩だけ照明が当たるようにしておけば、正常な普通のハエなら光がついて明るくなってから羽化する。だから、朝一番のまだ薄暗い未明の状態の確認の時にすでに羽化しているものには何かの異常がある。そんなわけで、暗闇で羽化するハエを見つけることに集中した。1度それを見つけたら、その子孫だけを増やす。こうして行けば、その対立遺伝子を持つハエの家族を分離できる。

こうした不断の集中的研究の末、コノプカは、200番目のビンに「でたらめな時間に羽化するハエ」を見つけた。その後、2番目のビンに「早く羽化するハエ」、3番目のビンに「遅く羽化するハエ」を見つけたのである。

この3種類の”病んだハエ”に対して、ベンザーが考案し堀田が完成させた実験装置でハエの行動を時々刻々とモニターすると、

「でたらめな時間に羽化するハエ」には、特別な時間周期がなく、「早く羽化するハエ」の1日は19時間、「遅く羽化するハエ」の1日は29時間であることが分かった。

しかし、問題はここからである。今度は対立遺伝子の位置(場所)を探さなくてはならない。

1960年代当時は、今のようなDNAの配列解析機器は存在しなかった。だから、すでに遺伝子の位置が分かっている対立遺伝子を持つ”病んだハエ”とかけ合わせて、子孫にどんな”病んだハエ”になるかを見て、つまりその数を数えて遺伝子の場所を知る。こういうモーガンやスターティバントの方法を使う他なかったのである。彼等もこれを使った。

この結果、驚くべきことに、これらの3種類の「時間周期遺伝子」は、ハエの目を”白くする”遺伝子のある場所のすぐ近くの同じところ、X染色体の左端にあったのである。これらの3種類の”病んだ遺伝子”は、全部同じ遺伝子の対立遺伝子であるということを発見したのである。3つとも”劣性遺伝子”であった。

こうして、ついに「時間遺伝子」を発見したのである。この対立遺伝子は「ピリオド(周期)」と名付けられた。

ついでにいえば、コノプカは「200ほどの実験でうまくいかないものはだめだ」という「コノプカの法則」という経験則も発見した。

この分野は、ずっと後には「行動神経学」や「行動の原子論」と呼ばれるようになったのだが、発見の当時は、1960年代後半ではまだだれも信じなかった。

分子生物学の父マックス・デルブリュックはこういったという。

「そんな話を私は一言も信じない」

その後、コノプカは、さらなる行動遺伝子の探索に向かい、「愛の遺伝子」、「記憶の遺伝子」などを発見した。

しかし、そういった「行動を決定する遺伝子」という概念は社会的には多くの物議をかもしだす。この世界には「氏より育ち」だと信じている人々もたくさんいる。こういう考えや”信念”を持つ人々が反発し、政治力を発揮し、さまざまな圧力をベンザーやコノプカにかけたのである。

そして、コノプカは、ついに嫌気がさし研究者を辞めてしまった。現在は、私同様、どこにも所属しないで自由な生活をしているらしい。カルテクの近くで隠とん生活を送っているらしい。ベンザーももっと別の研究に転身した。

「時計仕掛けのオレンジ」の話もワイナーの本の298ページに出ている。確かに、彼等は、遺伝子の名前に「時計仕掛けのオレンジ」をつけなかったかも知れないが、その本が欧米で出版された1962年当時からベンザーは基本的には同じことを考えていたようである。

時計にもさまざまな部品があるように、生物の時計にもたくさんのさまざまな部品が必要である。おそらく、こういった部品の1つ1つに対立遺伝子が存在するのだろう。だから、その中の1つの遺伝子だけに対して「時計仕掛けのオレンジ」と時計全体のことを意味する名前をつけるのはちょっとまずい気がする。

著者のバージェスは、

「私は、汁液や甘いにおいを滴らせる生き物への機械論的な理念の適用を象徴させるためにこのタイトルをつけた」

といったというが、「行動も遺伝子によって決まっているのだ」という発想に対する反発や哲学的論争は絶えることはない。

この最初のニュースにある

「ヒトの体内時計の解明につながる研究だ」

という言葉の背後には、古くから存在する「育ちか氏か」という問題や「自由意志はあるのか」という非常に哲学的な問題が潜んでいるのである。なぜなら、生物には「行動を決める遺伝子が存在し、それが行動のすべてを決める」と言っているからである。だから、「人とて例外ではなく、人の行動は遺伝子で決まっている」と言っているからである。

コノプカはアメリカのマスコミにおけるこうした絶えまない論争に消耗して研究者を辞めてしまったのだが、どうもここ日本では、あまりにマスコミや国民の知的レベルが低すぎて論争にも至らない。

とまあ、こういうことですナ。
2007/06/18のBlog
レアルが4季ぶり優勝、ベッカムは最後の試合

レアル・マドリード、マジョルカに3-1で逆転勝ち。4シーズンぶり30回目の優勝。

最終節までもつれこんだバルセロナとの優勝争い。バルサの痛恨の敗戦で、首位に戻ると、それ以来首位を明け渡さず、最終戦に勝てば優勝の好位置につけた。そして、とうとう最終戦も勝ち、ロナウジーニョのバルサに僅差の直接対決勝利率でレアルが優勝。

レアル・マドリードのベッカムは、監督との確執があり、試合からずっと干されてしまった。「もうベッカムは必要ない」と監督に言われてしかたなくアメリカ行きを決めたが、自分では「あと2年はレアルで活躍できる」と思っていた。

その後、レアルは連敗を続け、5位に陥落。もはや優勝は望めない位置になった。そこでしかたかくベッカムを器用。それが当たり、見事にレアルは連戦連勝を続け、ついに首位に返り咲く。

そして、最終戦。この試合のベッカムは怪我で芳しくなかったが、勢いのついたチームはだれも止められない。見事にベッカムのレアル(もうジダンもいない)が優勝したという、まるで映画のハッピーエンドのようなストーリーで最後を飾ったのである。

さすがに、貴公子ベッカム、イングランドの”サッカー王子”である。

これでヨーロッパのトップリーグの最優秀選手がアメリカのプロサッカー界にデビューすることとなった。ベッカムがアメリカで大活躍する日が来るかも知れない。

いずれにせよ、サッカー不毛の地の1つアメリカ合衆国に本場のサッカーが上陸し、スパイス・ガールズ並みにブレイクすることを期待したい。世界最高のサッカー人口を有するポテンシャルの非常に高い国だからである。
2007/06/17のBlog
こんにゃくゼリー:事故相次ぐも、各省は法的措置取れず

「こんにゃくゼリー」や「餅」(特に、機械で槌いた餅)は、老人や子供には時として非常に危険な食べ物となる。こういった食物は咽の奥にへばりつくためである。だから、”よく噛んで食べる”ように注意しなくてはならない。こういった食物は我々大人でも危険がつきまとう。こんなことは、ずっと昔から知られていることである。

我が家でも子育ての時期には、子供が「こんにゃくゼリー」を食べる時には十分に注意したものである。何かあればやはり監督不行届きで親の責任は免れない。

したがって、「3月に学童保育のおやつでこんにゃくゼリーを食べ窒息死した」というような場合には、「こんにゃくゼリー」に逆恨みしても始まらない。やはり、危険性を承知しながら適切な対処できなかった保育園や保育士を訴えるべきだろう。

子供がものを飲み込むのは自然な「反射」行為なので、変なものを口に入れないように気をつけなくてはならない。だから、「こんにゃくゼリー」が特別危ないというものではなく、咽につまる可能性のあるものは何でも危ないのである。

我が家の次男の赤ん坊の時、「黒糖くるみ」を食べさせたことがあった。それ以来、「黒糖くるみ」を見ると、よだれがジトーと出てくるようになった。ある時、外で遊ばせていると、はいはいしながら、庭先に落ちている石の類いを見ると、よだれがジトーとでてきて石をつかみ口に入れるところであった。すぐに手から奪い取って無事に事なきを得た。おそらく、石や黒く小粒な物体が「黒糖くるみ」そっくりで、甘い食べ物を彷佛させたのであろう。そこら中に食べ物があると幼いわが子は思ったはずである。が、子供というのは、常にこういう感じの反応をくり返しつつ成長する。

「こんにゃくゼリー」を噛まずに飲み込むのも、それ以前に、似たような食べ物、例えば、アイスクリーム、ゼリーやプリン、豆腐のようなもので噛まずに飲み込む時のなんともいえない感触を覚えてしまったために、それが引き金となってこんにゃくゼリーもつい飲み込んでしまった、というようなことかも知れないのである。だから、いつも親は注意していなくてはならないのである。

さて、我が家では、事故防止のための”苦肉の策”の秘策として、「こんにゃくゼリー」を冷凍庫で氷らせて、アイスシャーベット状にして食べさせた。袋ごと冷凍庫に入れておくのである。不思議なことに、「こんにゃくゼリー」も氷らせると、ぼろぼろになりやすく、咽につまらせにくい状態になる。スプーンでアイスクリームを食べるように食べることもできる。もちろん、そのまま飲み込めば咽につまるので要注意だが、咽にへばりつきにくくはなる。

何ごとにも親の注意と工夫が必要なのである。
2007/06/16のBlog
[ 22:06 ] [ 地震・災害 ]
めったに見ない”変わった雲”を見つけたので紹介しておこう。

「く」の字の雲

こっちは、「*」の字の雲

世の中には、変わった雲もできるものである。

これも「異常気象」の為せるわざか?
2007/06/15のBlog
パキスタン軍艦の乗組員10人が、上陸後、行方不明に

いやはや、パキスタン人にも困ったものである。

「親善目的で東京港に入港していたパキスタン海軍の軍艦2隻の乗組員10人が上陸したまま行方不明」

この連中は、軍人ではないのだろうが、”一獲千金”を夢見て「富山に行った」のだろうヨ。

まあ、要するに、パキスタン軍も協力して、国をあげて日本で日本人の財産を盗んで売り、”成り金”になることを奨励しているというわけだナ。

ちゃんとした”正規のルート”で来て欲しいものですナ。
2007/06/14のBlog
パッチギ」の井筒和幸監督は、「朝鮮総連」と”深い関わり”があるようだ。監督が在日朝鮮人かどうか正確には知らないが、パッチギを作る時も、朝鮮総連のメッカの京都で製作に相当援助してもらったとある。

しかし井筒などまだましだ。所詮は民間人の映画のお話だからである。

元日弁連会長宅など捜索東京地検、事情聴取も
元公安庁長官 朝鮮総連との取引は論外だ(6月14日付・読売社説)
によれば、とうとう日本の弁護士の”最高位”に位置する弁護士のだんなが、「朝鮮総連」と”深い関わり”があることが分かったという。

ましてや元公安調査庁長官の緒方重威弁護士(73)が「朝鮮総連」の”味方”になるというのは、さすがに想像を絶して面白すぎる。

北朝鮮拉致問題に関わる人たちからみれば、これは「国家反逆罪」であるだろう。第一級の高級犯罪で、大半の国でも”死刑”だろう。中国なら即死刑。アメリカ軍でも無期独房の罪だろう。

いずれにせよ、日本人も朝鮮人になめられたものである。

安倍さんに代わっただけで、これほど国が荒廃するのだから不思議である。

やはり国民の選挙で首相は選ばれるべきだろう。タナボタ式に権力を得たものは、その報いを受けるのだろうヨ。
消費税7千万円不正還付 容疑の2パキスタン人逮捕

「ロシアへ中古車を多数輸出したという偽の確定申告をし、税務署から消費税約7200万円を不正に還付させたパキスタン人を逮捕した」というニュース。

いやはや、日本の警察も検察も何ごとも”後手後手”に回る。

半年ほど前に私は「大阪人気質が”変わった”? 」にこう書いていた。

”ところが、その一方で、富山あたりでは、人の土地を不法占拠して、どうやって手に入れたかも分からない自動車(ナンバープレートなしの車)を富山で船で入出国するロシア人相手に売り捌いて巨額の金を儲けている不法パキスタン人の類いがいる。あるいは、国内にはタレント志望と称して不法滞在している外国人も何万人といる。もちろん大阪にもたくさんいるはずである。だが、こういった連中は全く自由気侭にのさばっているわけである。あるいは、巨額の金を裏金にするわ、オリンピック招致失敗するわ、湾岸開発に失敗して借金しても平気だわとさまざまである。”

不法外国人たちが日本で盗んだナンバープレートなしの車を富山のパキスタン人が買い付け、それをちょっと立ち寄ったこれまた不法ロシア人に売る。こうやって悪毒儲け、さらには地元の農村地帯の老人たちを恫喝しては不法に自動車やトラックを駐車し占拠する。挙げ句の果てには、不法に土地まで所有する。

こうして日本人を嘗めきったパキスタン犯罪者の連中が今度は、税金の還付金まで狙ってやってきた。

とまあ、こういう構図ですナ。

アメリカでもそうだが、普通、どこの国でも、勝手に商売はできない。そのためのビザがいる。学生が学生ビザ、商売人には商用ビザ、観光客には観光ビザがいる。観光ビザは今は3ヶ月以内なら必要なくなった。しかし、はやり長期滞在の商用ビザや学生ビザは取得が必須。

こういうビザは我々がアメリカに行くのに取得しようとしてもそう簡単には得られない。なぜなら、アメリカで外国人が勝手に商売したら、”アメリカ人のための”職が奪われることになるからである。

ましてや、アメリカ内の財産である物資を外国人が勝手にアメリカ外の外国人に売ることはできない。これは当然だろう。だれかが、自分の家に来てその家のものを勝手に家の外の他人に売るというのと同じことだからだ。ところが、まあこういうパキスタン人は日本人の財産をどんどん勝手にロシア人や朝鮮人や中国人に売ってしまうわけだ。日本の財産の流出なのである。

私が20年前にアメリカのユタ大に留学した時も、学生ビザには、「学生は大学内の外では勤労できない」とあった。だから、大学内でチューターのアルバイトや店員くらいの職を取るのがやっとであった。それゆえ、留学生が、テレビや映画のタレントになるなどということは、いわゆる「グリーンカード(永住権)」が得られない限りあり得ないことであった。

ところが、ここ日本では、外人タレントであれ、旅行者であれ、留学生であれ、研修生であれ、何であれ、すぐにどこでも”就労”できるのである。私にはこれが理解できない。

これが、実は日本の若者が職を失い、貧困層に陥れられている最大の理由であると信じている。今や100万人単位で就労しているのである。しかしこの内の何人がビザを持った正規の労働者か分からないという状況で、こういった外国人が日本人の職を奪っていると考えられるのである。

この観点から言えば、富山港にロシア人が入り、そこで中古車販売できるとすれば、何もインドの近くから来た旅行者のパキスタン人がロシア人相手にビジネスを始める必要はないだろう。本来なら、英語の多少できる地元富山の若者がそういったビジネスを始めるべきであった。

ところが、日本人は、ロシア人には盗難車は売れない。しかし国籍のない身元のないパキスタン人なら盗難車でも何でも売れる。コーランには犯罪は犯すなとあっても外国だから何でもいいというわけだ。だから、こういった新手の犯罪めいた商売は、中国人やパキスタン人など外人の方が早く成功するのである。

まあ、そんなわけで、日本人の若者や地方の人々のための職が、日本の”とろい”警察や検察や県庁や市役所の職員達のおかげで”どんどん侵食されていく”というわけである。

いずれもっと大問題になることだけは確かだろうヨ。富山が日本のアフガニスタンやイラクにならないことを祈るのみ。

ほんと、”醜い国”ですナ、安倍さん、小泉さん。

参考:
北陸地方モスク調査
強い連帯 浄財でモスク 土地に愛着「私たちの部屋」
2007/06/13のBlog
地上46m、コースター停止で逆さづり30分

”世界最高のスリル”?

地上46mで止まるジェットコースター。

まさに「オー、マイゴッド!」というところだろう。