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2007/07/27のBlog
[ 11:11 ] [ 大学・大学院 ]
写真:衣替え

教職大学院 質の高い教員の輩出を期待する

これは、小中高の学校の先生の”質”をいかに上げるか、という問題に対する読売新聞の社説。「教職大学院」制度の新しい取り組みの話題である。

戦前の日本は、いわゆる「師範学校」と「大学校」の2本立てだった。「師範学校」へ行くものは、将来学校の師範になるもの。つまり、今で言う教師になるものであった。一方、大学校へ行くものは、大学や官僚や実社会のエリートとなるものであった。

日本語で”師範”と呼ぶものは、”お師匠”の意味である。師匠は、単なる先生や教師やインストラクターの意味ではない。それに人間的な意味が加わる。だから、かつての日本の師範学校出の先生達は、人間的にも非常に優れた”人物”が育った。

果たして、来年からできる予定という「教職大学院」が、日本の昔の「師範学校」のようなものになるのかどうか?

この点については、私は知らないが、読売の社説のような受け取り方は一般人にありがちなものだろう。私個人は以下の理由で、この制度ではそれほどうまくはいかないだろうと見ている。

そこで、「高校サッカーに革命を!」、「セクシーサッカー革命」のスローガンで高校サッカーを変えた野洲高校の山本監督ではないが、「教員免許に革命を!」のスローガンをここでは唱えさせてもらおう。

ところで、「教育職員免許状」によれば、いわゆる教員免許(=教育職員免許状)の現行制度の下では以下の3種類がある。要約すればこんな感じだろう。

【現行制度】教員を目指す皆さんへ 教員免許制度のあらまし
【専修免許状】
=高校の管理職の免許
→修士が必要条件+一定数の科目単位必須。
高等学校の管理職→専修免許状が必要

【1種免許状】
=中学、高校の先生の免許
→学士が必要条件+一定数の科目単位必須。
あるいは、高等学校・特殊教育諸学校の教員資格認定試験に合格

【2種免許状】
=幼稚園、小学校の先生の免許
→短期大学士が必要条件(高専の準学士は不可)+一定数の科目単位必須。
あるいは、幼稚園・小学校の教員資格認定試験に合格


「教職大学院」制度というのは、この現行制度の上で、より効率良く、教員養成を行うというものらしい。

この問題に関係して、私個人は、もっと別のアイデアを持っている。

上の現行制度で何が問題かと言えば、高校の校長先生になるためには”修士”が必要というように、いわゆる「学歴」が教師間の”出世競争の道具”にされているということである。

学歴のないものは高校の管理職になれない。だから、大学院で学べ、というかなりいびつで見苦しい発想に基づく。

なぜなら、これでは、人間味や現場経験などが考慮されず、頭でっかちなものになりやすいからである。

まあ、日本の文部官僚の考えそうなことである。これは、キャリア組とノンキャリア組で区分された官僚機構の”焼き直し”と見ることができる。つまり、修士を持つものは、将来校長まで行けるキャリア組、学士卒はノンキャリア組。とまあ、そういうステレオタイプで子供じみた陳腐な発想と言えるからである。

言い換えれば、何が問題かといえば、修士までに学んだことを高校などの学校教育へ”いかに生かすか”、あるいは、生徒たちへ”いかに良い影響を与えるか”という視点がまったくないということである。

あくまで現行制度の発想では、

「俺は、子供時代や青春時代を犠牲にして修士まで苦労して学んだ。
だから、将来校長まで出世して当然。そうさせてもらわなければならない」

というような”気分”がチラホラするのである。

もっとも、「国家公務員の官僚たちがなぜ天下りしたがるのか」というと、全くこれと同じ精神構造かららしい。

「俺は、子供時代や青春時代を犠牲にして苦労して大学に進み、官僚になった。
そして、家族を犠牲にしてまで官僚として働いた。
だから、将来天下りして当然。そうさせてもらわなければならない」

こういう「甘えの構造」が官僚が「天下り」する一番の理由である。したがって、「天下り」というよりは、「甘下り」と書く方がより適切である。

さて、本題に戻れば、こうした理由から、私個人は、修士、博士などの高等教育者をいかに学校教育へ反映させるかが、今後の日本の将来を決定するだろうと見ている。なぜなら、現行の教員免許制度では、大学以上の高等教育と高校までの中等初等教育は乖離され、あまりお互いの影響がない。

その結果、大学の知識や技術は日進月歩であるのに、高校までは依然として戦後動乱期からそれほど大差なく停滞し、進歩から取り残された状態にあるということとなったからである。

そこで、私の個人的見解では、もっとも合理的にこの問題を解決するには、現行の教員免許制度を次のようにいじればOKであると見ている。


【改正制度】
【専修免許状】
=高校の管理職の免許
→経営学修士(MBA)が必要条件+一定数の科目単位必須。
高等学校の管理職→専修免許状が必要

【1種免許状】
=中学、高校の先生の免許
→高校は”博士号”が必要条件+一定数の科目単位必須。
→中学は”博士課程終了”が必要条件+一定数の科目単位必須。

【2種免許状】
=幼稚園、小学校の先生の免許
小学校→”修士号”が必要条件(高専の準学士は不可)+一定数の科目単位必須。
幼稚園→”修士課程終了”が必要条件(高専の準学士は不可)+一定数の科目単位必須。


こうすると、高校の校長になりたければ、海外(アメリカ)留学し、MBAを取得しなければならなくなる。高校の先生はみな博士号取得者、中学の先生は博士課程修了者。同様に、小学校の先生は、修士号取得者、幼稚園の先生は修士課程修了者ということとなる。

こうなれば、博士や修士の取得有無の問題で、学内で出世競争に使われるということにはならず、だいたい同じ学歴が学校内で共有されることとなると考えられる。

最近知ったところでは、スウェーデンだったか、フィンランドだったか、北欧の国では、すでにこういう方法が実施されて大きな成功を納めているということである。

これにより、せっかく博士になったのに、大学や企業のポストがなく、社会の中で袋小路に落ち込んでしまう大学院生たちの学問に対するモチベーションが大きく変化するはずである。学者になれずとも少なくとも高校の先生にはなれるからである。

そんなわけで、まず最初に良い研究に挑み、それに失敗したとしても、その研究経験を糧に高校で、今度は自分より若い人たちに挑戦させるように指導することが可能となるからである。

まあ、一言で言えば、「学校教育そのものの高度化」が必要ということですナ。

この場合には、既存の先生たちとの競合ということになるが、それはどこでもあることで(例えば、大学の助教とか、任期つきの新制度の導入とか)、時間が解決することだろう。
2007/07/26のBlog
[ 11:51 ] [ オシムの言葉 ]
日本3連覇ならず、サウジに敗れ3位決定戦へ…アジア杯
日本決勝進出ならず サウジに23 サッカーアジア杯

【良いサッカーをしても試合に勝てるとは限らない】

そんな言葉がぴったりの試合だった。別の言い方ではこんなものもある。

【強いチームがいつも勝つとは限らない】
【ボールは丸い(やってみるまでは分からない)】
【サッカーは頭でするスポーツだ】
【勝利の女神はしかるべきチームに微笑む】

昨夜、私はイラクvs韓国、サウジvs日本の2試合を続けて見たが、韓国も日本もどちらも結構”良いサッカー”をしていたのに負けてしまった。しかし、こういうことは、サッカーでは非常にしばしば見られることである。

”サッカーの神様”は、”良いサッカー”よりも”良い心がけ”を好み、
”勝利の女神”は、”美しいサッカー”よりも”勝利への強い愛情”を求む。

これが私がこれまでの経験上理解していることである。

今大会は、一言で言えば

「日本代表は”心掛け”が悪かった」

これに尽きる。

中村俊輔が、日本のパス回しサッカーの正当化として”ブラジルサッカーの格言”を覚えて言っていたように

【ボールは汗をかかない】

つまり、人が動きまわり、走り回れば汗をかくが、ボールをまわせば人は疲れず汗をかかないという意味の格言だが、やはり”一夜漬け”や”うろ覚え”、あるいは”知ったかぶり”では困る。”つけ刃(やいば)”というものである。なぜなら、ブラジルの格言は無数にあるからだ。

日本のことわざにも常に1つの格言にはそれを補う別の格言が必ずある。例えば、「嘘は泥棒の始まり」という戒めの裏には「嘘も方便」というより現実的な格言がある。

これと同じように、ブラジルのサッカーの格言にもそうしたものがある。かなり以前「ブラジルの諺(ことわざ) 」で紹介したことがあったが、【ボールは汗をかかない】とある一方で、次のようなものがあるのだ。

【努力を惜しまなければ必ず神が助けてくれる】
【勝たんと欲すれば、苦しむことを学べ】

今回の日本代表は、この最後の【勝たんと欲すれば、苦しむことを学べ】という精神がみじんもなかった。

ゴール前なのに果敢にシュートをしない。(シュートしないチームほど安心なチームはない)
ゴール前なのに、ドリブル突破をしない。つまり、勝負しない。(勝負しないチームほど嬉しいチームはない)
きれいなサッカーにこだわり、泥臭さがない。(これが中田英寿が日本代表に求めたものである)

まあ、そんなわけで、サッカーの内容を語る以前の問題である(論じる気にもならない)。確かに中沢のヘッド、阿部のバイシクルシュートも素晴らしかったが、あまりに”華麗すぎた”。その点、サウジの方が泥臭いサッカーをしていた。昔の日本はそんな泥臭さがあったが、今のオシム・ジャパンにはそういうものがない。選手の顔つきにも、泥臭さがない。

あえて言えば、一番泥臭いプレーをしていたのは、中沢である。ディフェンスから攻撃へと攻守に渡り良い動きをしていた。しかし、他の選手たち、特にサイドバックの駒野と加地、中盤の中村俊輔、中村憲剛、鈴木、トップの高原にはそういった泥臭さがなかった。リードされ終盤になっても後方でパス回ししているという積極性のなさには恐れ入る。これがもしオシムの作戦だとすれば、オシムは追放すべきだろうが、おそらくオシムが言っていることと全く逆をやっているに違いない。

いずれにせよ、今のオシム・ジャパン代表は、”良い子”サッカーチームという感じが強い。サムライと呼ぶには値しない。むしろ、マスコミに”悪童”と命名を受けたU一20代表の選手達の方が、精神的にタフで自由闊達に見える。

この際、”厄病神”的な駒野(駒野はまたやっちまった。2点目は駒野がセーフティーファーストで大きくクリアすればすんだことを、またサイドに不用意に逃げ、相手のサイド攻撃を食らって見事なヘッドで失点したものだからだ)や加地、一度代表引退した中沢などジーコ・ジャパンの残党はお引き取り願い、何人かはU一20代表からも招聘すべきだろう。すでに何人かはU一22オリンピック代表に呼ばれたようだが、3年後のワールドカップにはこの年令がメインになるはずである。

U一20代表の福元、梅崎、柏木、香川、青山、槙野などは十分にA代表でも通用すると私は見ている。なぜなら、YouTubeの映像を見ても分かるが、U一20の若い選手たちの方がどの国でも遥かに動きが早い。ドリブルにしてもパスにしてもフェイントにしてもボレーにしてもはるかに身軽で早い。そしてうまいからである。

ところで、生物学的にO型は細菌感染や環境変化に弱く、一方で、AB型はコレラにすら耐性があるというほど感染に強い。環境変化にも強い。それゆえ、O型の選手は一般的に遠征やアウェーに意外に弱く、AB型は異様に強いという傾向がある。したがって、アジア大会というような場合、特に食生活や水の違いに注意しなくてはならず、コンディション作りが必須である。がしかし、オシム・ジャパンに限らず、これまで日本代表はあまりこういう面での成功はないようだ。

こういう生物学的かつ医療面での知識ももっと研究すべきだろう。


一方、韓国をPK戦で下したイラクでは、こんな事件が起こったという。
祝勝中にテロ、50人死亡バグダッド、歓喜が暗転
悲しいニュースである。勝負するならサッカーにしておくれ、というところだろう。

参考:
”オシム神話”崩壊
オシム日本代表イエメン戦もていたらくのそのわけは?
ブラジル人ジーコ監督の”悩み”
ブラジルの諺(ことわざ)
「日本人はチャベス大統領より社会主義者」…ン?

これは、駐ベネズエラ大使の”失言騒動”があったというニュース。
B級ジョークのような本当のお話。

いやはや、駐ベネズエラ日本大使の松井靖夫も実に面白いだんなですナ。
つい”本音”が出てしまったというところだろうヨ。


松井靖夫(駐ベネズエラ日本大使)が言った。
「貧富の格差は、ベネズエラよりも日本の方がはるかに小さい」
「日本人はチャベス大統領よりも社会主義者」
ベネズエラ政府は
「受け入れがたい内政干渉だ」
と猛抗議。
その釈明に日本の大使館側がおおわらわとなった。


しかし、この松井のだんな、大きな勘違いをしているようですナ。
日本の”貧富の格差”も1990年以降徐々に開き、今や第三世界並みに格差が広がったということを御存じないらしい。このだんなが言っているのは、この人が壮年期にあった1970年代以前のお話。今や、日本人の3割にはこれといった貯金がない。ほんの日本人の1、2割が日本人全体の約8割のお金を所有しているのである(といってもほとんどは借金だが。だからそのツケは弱者や敗者にまわる)。

いずれにせよ、官僚大使の松井のだんなは、日本は社会主義だという”もっともな”御意見の様子。
「日本人はチャベス大統領よりも社会主義者」の”日本人”はだれを指しているのか私には分からないが、おそらく自民党の政治家たちを指しているのだろうナ。
それゆえ、「内政干渉」だとクレームがついたのだろうヨ。
まあ、チャベスのベネズエラでも、「日本は官僚社会資本主義の国」というのはよく御存じであったということですナ。

かといって、松井のだんなだけを責めても拉致あかないだろう。なぜなら、こういう価値観は日本の国家公務員全般によく見受けられるものだからだネ。

参考:
在ベネズエラ大使館
ベネズエラに46,800,000円(約42万ドル)与えた、という記事。
国民(や政治家)の知らないところで、どんどん他国に金を”流出”させては困ったものである。
なぜなら、以下のものにあるように、大使館員や大使の人数は膨大だからである。
その1人1人の大使が、数千万や数億を寄付していたら、あっという間に何億円、何十億もの税金を他国に大使の”気分次第”でやってしまうことになるからだ。
まあ、これが「特殊会計」というものの困ったところ(=国民のシビリアンコントロールが効かない)なのだろうナ。

在外公館長名簿
公人たちの経歴がないのも困ったものだ。
「個人情報保護法」を逆手にとって公人情報を全部消し去ってしまったのだろう。
2007/07/24のBlog
[ 14:36 ] [ 地震・災害 ]
大量古木、マダイ漁直撃 中越沖地震で海底から浮上?

新潟中越沖地震の後、謎の”不思議な現象”が起こったという。

震源地付近の海域で大量の古木が出現し、網にひっかかって漁業ができない、というのである。

おそらく「海底の液状化現象」のような事が起こり、長い間に沈澱して堆積していた古木の類いが、海底上に持ちあがり、その後浮力を得て海面に上昇した、というようなことが起きたのかも知れない。

実に不思議な現象である。

こんなことが基となり、大昔の遺跡の類い、大昔のお宝のようなものが持ち上がってきたなら非常に面白いだろう。

即刻、海底を調査すべきだろう。
U20W杯、アルゼンチンが2大会連続6度目の優勝

FIFA U-20 World Cup - Final | Argentina-Czech Republic 2-1
WC 20 Finals | Argentina vs Czech Republic | Zarate Goal 2-1

U一20ワールドカップ、カナダのトロントで決勝が行われた。

アルゼンチン2一1チェコ

の結果でアルゼンチンが、2005年のメッシ以来2大会連続6度目の優勝。今回は、”アグエロの大会”となった。

U一20:チェコvsアルゼンチン、どっちが強い?
で、私が書いた”チェコ優勝”の予想は見事に外れてしまったようだ。

昨夜深夜にこの試合も全部見たが、実に素晴らしい試合だった。両者ともに持ち味を出し切った。

前半早々はアルゼンチンペース。

それを持ち合直して今度はチェコのペース。この時期に決定的なシュートチャンスがキーパーのファインセーブでボールがポストに跳ね返って出た。このシュートが入っていたら、おそらくチェコがもっと優勢に進められたかも知れない。

両者一進一退で前半は0一0で終了。

後半は、60分にチェコが技在りの振り向きざまシュートで先制。1一0。

しかし、その直後に油断した一瞬の好きに芸術的なゴロのパスがアグエロに渡りそれをそのまま流し込んだ。1一1。

後半最後まで一進一退だったが、終了真際の86分にアルゼンチンのサラテの意表を付くゴロのシュートがキーパー右隅に決まり決勝ゴール。2一1でアルゼンチンが優勝。

結果的には、アルゼンチンが非常に良いサッカーをしていた。シュート精度の差が勝利の差に繋がったというような試合であった。

しかし、チェコも非常に良いパスサッカーをしていた。
ちなみに3位決定戦は、チリがオーストリアを1一0の勝利。

アルゼンチン、2連覇の偉業おめでとう!

ところで、日本は「フェアプレー賞」受賞おめでとう!

いやー、サッカーって良いものですナ。
サッカー・アジア杯準決勝、日本はサウジと対戦

一昨日の22日のサウジアラビア一ウズベキスタン戦。私の予想を覆してサウジが2一1で勝利。

私はこの試合を見たが、サウジアラビアの攻撃陣は非常にスピーディーで良かった。勝利者に値するチームだった。

しかし、最初のウズベキスタンの(オフサイドを取られて)”幻のゴール”となったものが、なければ結果はどうなったかは分からなかった。おそらく、ウズべキスタンが勝利したかも知れない。また再三再四のシュートがゴールポストに嫌われたというのもウズベキスタンには”ツキ”がなかった。

”紙一重の差”が結果を分けたという試合だった。

”勝利の女神”はどうやらサウジアラビアを選んだようですナ。
2007/07/22のBlog
日本、PK戦を4-3で制し準決勝へ…アジアカップ
サッカー:アジアカップ 日本はPK戦で豪州に雪辱

いやはや、相変わらずの日本代表だった。

”拙攻”に継ぐ”拙攻”

この言葉がぴったりだった。

”厄病神”の駒野がやっぱりやってくれた。

駒野は、ワールドカップ・ドイツ大会の時も、しっかりしたディフェンスをせずに失点を食らった張本人だったが、この試合の1点目は、セーフティーファーストで大きくクリアすれば良いところを、技に走り、自分のミスでスローインを自陣で与えた。このスローインが今度は相手にコーナーキックを与え、これが1点目の失点につながった。

この数分後に相手ディフェンダーのクリアミスから、高原のナイス、キックフェイントで切り返して運良くゴールとなったが、これが決まらなかったら非常に試合に勝つのは難しかっただろう。

相手が1人減り、日本がだんぜん有利になっても、少しもリスクを犯さず、安全プレーでPK戦に持ち込んでいたかのようなゲームプランだった。これは相手がすべき策略だろう。

相手のオーストラリアは、1点取った段階で、監督が不用意にエースのビドゥカを交代させてしまった。そして、23番の中盤の選手も交代させた。そして、1人をレッドカードで失い、守りを固めざるを得なくなり、得点源がいなくなったために、勝ち目がなくなった。この試合は、明らかなる監督の采配ミスだった。

それゆえ、残された道はPK戦だけだった。キューウェルは、何とかPK戦に持ち込むキープ作戦か、あとは、あわよくば得点も狙うというやり方に出るほか無かった。

日本はこのキューウェルと同じようなことをやっているばかりで、決して誉められるような試合ではなかった。

特に、相手が1人減り、圧倒的優位に立った延長戦においてもまったく攻撃らしい攻撃ができなかった。相手のフィールド内に入っても果敢にシュートまで持ち込むのではなく、シュートレンジに入りプレッシャーを受ければバックパスでリターン。またシュートレンジに入ってプレスを受ければバックパスでリターンという繰り返し。実に”つまらない”試合に終止してしまった。

結局、相手オーストラリアの”注文通り”の試合展開となり、PK戦にもつれ込んだ。これで、もはや”数的優位”を失った。

PK戦は、相手の癖の分析の成果か、川口が2本止めたために、何とか勝つ事が出来たというだけで、非常に危ういものだった。

特に、悪かったのは、「勝てると思うと相手をなめ油断する」という「日本人特有のメンタリティー」がこのPK戦でも出たということである。

日本がPK戦で最初の川口の2本のセーブで優位に立つと、途中出場の佐藤たちが、フィールド内でうれしさのあまりやたらと大喜びして騒ぎまくって浮かれてしまった。普通なら、相手が2本はずしたわけだから、高原ですんなり試合が決まるはずが、その辺りから徐々にばん回され、空気が悪くなってしまったのである。まだ貯金があったために、中沢で勝つ事ができたが、中沢もはずせば、まったく分からないという状況が生まれたのである。

こうしたところにも、代表選手たちには、もっと「心の教育」を行わないといけないだろう。あまりに佐藤や中村憲剛などは、日本人的すぎる。

さて、オシムの言葉もまた拾っておこう。

オシム監督:
「きょうは初めから終わりまで日本の方がいい内容だった。(数的優位を生かせなかったのは)私たちのサッカーが完成の域に達していないから。ハンドボールや水球では退場者が出ると必ず点が入るが、サッカーは違う。なぜなら、サッカーは足でプレーし、難しい技術が要求されるからだ。」
「PK戦は心臓に悪いから見なかった。死ぬなら故郷のサラエボで死にたいからね」
「私が見ていると勝てないというジンクスがある」

高原:
「格好悪かったが、最後はチームが一つになって勝つことができて良かった」
「キックフェイントで勝負をかけた。うまい具合に引っかかってくれた」
「またみんなで一つになって勝てるように準備していけたらと思う」

川口: 
「(PKを止めたシーンは)空気とか雰囲気を大事にした。(中沢)佑二中心にDFラインが集中して守った。タカ(高原)も同点ゴールを決めてくれた。みんなのがんばりを無駄にしたくなかった。」

(試合前々日)
「PKを止める夢を見ました」
「W杯の負けをここで取り返す。悔しさは忘れていないし、必ず借りを返す」
「必ず借りを返したい」

佐藤:
「サブの選手を含めてチーム一丸となって勝てた。きょうは結果が重要だったので次に進めて良かった。延長は1人多かったので引いてボールをけらず、中盤で形を作ってスペースに入っていこうと話していた。準決勝はしっかり勝つことが大事。」

中沢:
「PKで能活さん(川口)が2本止めていたので精神的には楽だった」
「PK戦前に決着をつけたかった」

まあ、「勝てば官軍」、何とでも言えるものですナ。決して誉められた試合内容ではなかった。

おそらく、次はウズベキスタンがあがってくるだろうと私は予想しているが、このウズベキスタンは、U一20のチェコと非常に似た感じの”私好みの”好チームである。ひょっとすれば、今回のダークホース。オーストラリアより強いかも知れない。昨日のような攻め手を欠く試合をしていたら負けるかも知れないナ。
2007/07/21のBlog
MVP最有力は5得点アグエロ サッカーU20W杯

いやはや、最近の新聞記事には”恐れ入る”。

「タイトルの付け方が変」(「チェコ、初の決勝進出! 」)
というのもあったが、
「論点がまったく変」(「16強の壁」越えるには
というものもあった。

今回の記事は、明らかなる”理解不足”、誤解であるから困る。まあ、かなり”捏造”に近い。

我々素人が趣味で個人的にやっているブログのようなものであれば、間違っていようが、誤解であろうが、何を好き勝手に書こうが、まあたいしたことではない。が、一応広告を取り、有料でプロの仕事として新聞記者はやっているわけだから、これでは困る。

記事の一番の”さび”の部分で、

「前回オランダ大会にも出場。今回はメッシ(バルセロナ)が出場を控えた中で、不動のエースとしてチームを引っ張る。 」

と書いている。

この記者の論調は、若きアエグロが今回得点王となり、79年のマラドーナ、01年のサビオラ、05年のメッシに続き、今回07年のアエグロと続く、アルゼンチンのエースストライカーの系譜に載るということを主張したいわけだろう。

この主張は賛成できるが、メッシをU一20代表の”控え”にまわしてという印象づけたいがために、まるでメッシがアエグロのために”出場を控えた”かのようにいう書き方は誤解を生む。

が、今回は、コパ・アメリカ(米大陸選手権、これはもう南米選手権ではない)とU一20ワールドカップ・カナダ大会が同時開催で重なったために、メッシはアルゼンチンA代表のエースとしてコパ・アメリカに参加したわけだ。だから、メッシは若いがすでにアルゼンチン代表の選手でユースの選手ではない。

それゆえ、メッシがユース代表を控えたと書くのは明らかな間違いである。メッシはすでにもっと上に進んだのである。

どうもこんな感じで、最近のスポーツ記者の書く事は極めて”いい加減な”ことが増えて来ているように感じる。

もうちょっと、しっかりしたチェック機構を通さないと、誤った非常に事実誤認に基づく記事のオンパレードとなってしまうだろうヨ。

さて、この記者は今回のU一20ワールドカップ決勝では、アルゼンチンが優勝すると期待しているように見える。

しかし、私は今回は、これまでyoutubeで見て来た範囲では、チェコに歩があるのではないかと見ている。今回のチェコは失点が少なく、非常にすばらしいパスワークとサイド攻撃がある。1970年代のベッケンバウワーの西ドイツやクライフのオランダのトータルサッカーのように、非常に完成度が高く、基本に忠実でスピーディーで、エレガントなサッカーをしているからである。また日本戦でも見せたようなPK狙いのしたたかさも持ち合わせている。

例えば、準決勝のオーストリア戦の2点目を見たら分かる。
Austria - Czech Republic (semifinal FIFA WC u20)

この2点目は、サイドバックが起点となり、すべてワンタッチのダイレクトパスとパスアンドゴーの基本プレーの連続で、最後にサイドから早いゴロの折り返しでそれを中央が3人で詰めてゴールというもので、この間、オーストリアの選手はだれもボールにも身体にも触れる事すらできなかった。

このプレーこそ、オシム監督が目標としているヨーロッパスタイルの”走るサッカー”そのものである。

アルゼンチンも確かにうまいが、今回のチェコは戦う度にうまくなり、強くなっている。

果たしてどっちが勝か?

面白いところだが、私はチェコが2一0で優勝するのではないかと見る。PK戦でチェコが勝つということもあるかも知れない。

まあ、やってみないと分からないが、どっちが勝つにせよ、最高級のサッカーが見られるだろう。期待したい。
2007/07/20のBlog
サッカーU20:アルゼンチンが決勝へ U20W杯
youtube: FIFA u-20 World Cup - Argentina v Chile

U一20ワールドカップ第15日目は、昨日19日、トロントで準決勝の残り1試合
を行い、アルゼンチンがチリに3一0で快勝、2大会連続の決勝進出を決めたというニュース。

私が「チェコ、初の決勝進出! 」で

”決勝は、アルゼンチン一チェコ再びとなるか?
Fifa U-20 Argentina vs Czech Republic(6月30日の試合)”

と予想していたような結果となった。予選リーグの6月30日の試合再びということとなった。

それにしても、アルゼンチンサッカーは最近充実している。コパアメリカでも決勝戦まで進んだ。惜しくもブラジルに負けたが、”紙一重の差”とだったいえるだろう。そして、U一20でもなんだかんだと言って決勝まで勝ち進んで来た。

いったいこの違いはどこから来るのだろうか?

実に不思議である。

ところで、開催国カナダは、チリ、コンゴ共和国、オーストリアの組で2連敗ですぐに予選敗退が決まってしまったが、これはかなり運が悪かったと言えるかも知れない。準決勝まで残るチームが2つも同じグループに入っていたわけからだ。この意味では、カナダは決して弱いチームではなかったのかも知れない。なぜなら、2ヶ月前の練習試合でカナダは2一1でアルゼンチンに負けたにすぎないからだ。グループ分けの失敗と言えるだろう。

私はこれまで正確なグループ分けを知らなかったが、1次予選は以下の通りだった。

グループA・・・カナダ・チリ・コンゴ共和国・オーストリア
グループB・・・スペイン・ウルグアイ・ヨルダン・ザンビア
グループC・・・ポルトガル・ニュージーランド・ガンビア・メキシコ
グループD・・・ポーランド・ブラジル・韓国・アメリカ
グループE・・・アルゼンチン・チェコ・北朝鮮・パナマ
グループF・・・日本・スコットランド・ナイジェリア・コスタリカ

グループAとグループEが突出していた事が分かる。
2007/07/19のBlog
地震対応で首相陣頭指揮、反転攻勢狙う

いやはや、この国を見ていると、ラッパ吹きに導かれていよいよ海に飛び込むねずみたちを思い出す。

元国家公安委員長は、国を売って自分の懐を暖めようと必死。
国家の長である首相の安倍さんは、国民の地震災害を選挙のネタにする。
東大出身のエリートは「お金を儲ける事が悪いことですか」といっては、株で人を騙して金集めに奔走する。
東大法学部出身のエリート3代目農相は、国の小金をだまし取る。

守勢に回った参議院戦のイメージアップ作戦に中越沖地震被災地を使うというのだから、もはや国の様相を呈していない。

そのために、自衛隊まで使って”演出する”。
中越沖地震の救援物資陸揚げ、ホーバークラフトが出動

被災地にホバークラフトよりまっ先に行かねばならないのは、キャンピングカーではないか。少なくとも1世帯に1台のキャンピングカーが必要だろう。

なぜなら、被災地は”戦地”ではない。軍用ホバークラフトが押し掛けたところでたいした実利はないはずである。

もし1万人の避難者が出たとすれば、平均世帯人数を5人とすれば、10000/5=2000世帯の避難家庭がある。したがって、せいぜい数千台のキャンピングカーを国がレンタルすれば、被災者はいつまでも学校の体育館に足留めされることはない。

調べると、キャンピングカー1台のレンタル代金は1日2一3万円である。したがって、月60一90万円程度かかる。

しかし、国の非常事態なのだから、国の権限でレンタル会社に割り引きを求める事はできるはずである。交渉次第のはず。したがって、月30万円くらいにはできるだろう。すると、30万円×2000=6億円/月という計算になる。

そんなわけで、仮に1年復旧にかかったとしても、せいぜい2000世帯1万人をキャンピングカーに住まわせてあげたとしても、70一80億円程度の予算でなんとかなるわけである。

おそらく、仮設住宅という悪名高き建築物を何ヶ月もかけて作るよりはるかに安いはずである。早急にキャンピングカーを全国から手配すべきである。また、そういう緊急の制度をこの際作っておくべきである。国が借り上げるのだ。

この程度のことは国民として当然受ける権利があると私は考える。それが、なんでホバークラフトが先なのか私には理解不能である。

キャンピングカーといえども、下手な家よりよほど快適なのである。キッチンもベッドも風呂もトイレもついている。中にはエアコンまで付いているものもある。

自衛隊の援助には感謝すべきだろうが、自衛隊は野戦用である。やはりキャンプ用のキャンピングカーには太刀打ちできない。

そんなわけで、いまこそ

「キャンピングカーよ、新潟に出動せよ」
「キャンピングカー部隊よ、新潟に集結せよ」


と国家の首相は権力発動すべきではないのだろうか。

ほんとこのだんなのやることは理解不能であるナ。「ゴジラ」や「海猿」や「亡国のイージス」あたりの見過ぎだろうヨ。
こんなものもある。
ホンダも操業の一部休止、部品メーカー「リケン」の被災で

数千年前のユダヤの話にソドムとゴモラの物語がある。

神の教えに背いた人民が神の報いを受ける。人々が驕りたかぶり、神の教えをないがしろにする。すると、神が怒り天罰を加える、というような古典的なストーリーだった。何度かハリウッド映画にもなったと記憶している。

度重なる「新潟地震は”なぜ起こるのか”」

と言えば、それは”神の祟り”、”天罰”だった。被災者たちには気の毒な話だが、どうやら、そう思わせるような状況がそこにある。

日本の自動車産業は、ここまで「地球環境悪化」や「地球温暖化」の直接の原因となったものである。にもかかわらず、自動車産業はこれといったことを何一つ行って来ていない。

その一方で、トヨタは台風や洪水が起こる度に業績が伸び、売り上げがあがる。なぜなら、今の自動車は水没すれば即廃車、防水構造にはなっていないからである。わざと水没に弱い車を作って儲け続けているのである。

「地球温暖化」を作ったのは自動車産業のせいのはずだが、なぜか「地球温暖化」のせいで自動車が飛ぶように売れる。つまり、自動車は「地球温暖化」をうながす、すると「地球温暖化」が自動車の寿命を短くし、ますます自動車の需要が増す。こういう「正のフィードバックがかかる」ということだ。

それゆえ、儲かって儲かってしかたない状態にトヨタはあった。もうじきフォードやGMを超え、世界一の自動車企業となるはずだった。テレビで洪水で水没した車を見れば、またトヨタに買い替えるぞとほくそ笑む。そんなしたり顔の経営者がトヨタの社長であるというのがこれまで私が受けた印象である。

そこに中越地震が来た。

一度目は、サンヨーをたたき潰した。サンヨーは生産できずに一気に斜陽電気企業と変わり果てた。

そして今度ニ度目が来た。これが、自動車産業をたたき潰した。

「地球温暖化」は、自動車産業に”正のフィードバック”を与え、この世をおうがしていた。まさにトヨタは「大企業の中の大企業」となったのだが、そこにボディーブローを1発。神の天罰。

この結果、「主要自動車メーカーでマツダを除く7社が生産停止」とあいなった、というのが、このニュースである。

これを単なる”天災”、「運が悪かった」と見るべきか、それとも、これは”神の天罰”、「何か神の啓示」と見るべきか。

それは、その人の価値観による。

科学者は前者に傾き、スピリチャルな人は後者に傾く。同じ現象をいかに解釈するかの違いである。しかし、人がいかように解釈しようが起こった事実は変わらない。

この事実をいかに受け止めるかにも差が出る。

科学者は、天災は天罰とは考えない。神の啓示、神の何がしかの意図があるとも考えない。天災は常に起こりえると考える。それゆえ、いかに予知すべきか、いかに耐えるべきかを教えるのみ。ましてや被災者の心の救済はしない。運が悪かったですませる。所詮は他人事なのだ。

一方、宗教家やスピリチュアルな人は、原因は問わず、その意味に重きを置く。なぜ中越なのか。なぜ新潟なのか。なぜ東京ではないのか。どうして2度も来るのか。これは、神様の何かの啓示なのではないか。神の天罰ではないか。だとすれば、それは何なのか。我々人間への戒めであると考える。戒めにしがたい、行動を変えれば人は救われると考える。

科学者から見れば、宗教家やスピリチュアルな人の解釈はめちゃくちゃだ。えせ科学的である。何の根拠もない。根も葉もない邪説にすぎない。

しかし、「地球温暖化」の諸悪の根源であった自動車産業が少なからずのダメージを受けたという事実は理解できない。地震の結果、CO2のガス廃棄はかなり減る。この物理的現実を理解できない。

人は自分を含む物理現象を理解不能である。

というのは、量子力学の教えるところであるが、社会問題としても自分を含む問題は答える事が困難であるというのは良く知られている(数学でも、自己言及はもっとも難しい問題の1つである)。理解可能なことは「他人事」で自分自身を含まない場合である。それゆえ、「科学にも限界があり、いずれ”科学の終焉”が来る」というのが、ホーガンの主張であった(と私は個人的に理解している)。

アメリカの信心深いキリスト教徒は、何か災害に見舞われると、「これは神の意図か」と良く問う。「何かの啓示か」と問うという。

科学知識に基づこうが、霊的なものに基づこうが、結果として選択した事が同じ轍をふまない、同じ過ちをくり返さないとすれば、その判断は正しいと見るべきだと私は個人的には考えている。いくら科学に基づいても何度も何度も同じ過ちをくり返すとすればそれは賢くない。霊的であれ、1発回避する方がはるかに知的であるからである。なぜならそれによって人々の命が救われるからである。

理由が良く分かっているつもりで間違いを繰りかえす愚か者より、理由は知らなくとも間違いを避ける賢者の方がすばらしい。

こういう意味で、新潟中越地震の”意味”を考えてみることも大事なことであると私は思う。毎度繰り替えされる地震学者のエセ「プレートテクトニクス理論」を披露されるというばかりでは困り者である。

いずれにせよ、もう少しで世界一の自動車会社に手の届くところで足下を救われてしまったトヨタには気の毒なことである。灯台下暗し。自分の足下のぜい弱さには気付いていなかったのだろうヨ。
[ 13:55 ] [ U-20W杯カナダ大会 ]
U─20W杯、オーストリア下したチェコが初の決勝進出

Austria - Czech Republic (semifinal FIFA WC u20)

いきなりだが、このタイトルはちょっと変だ。

これまでのチェコの流れで考えれば、

「U─20W杯、オーストリア下しチェコが初の決勝進出」

か、あるいは

「U─20W杯、日本下したチェコが初の決勝進出」

のいずれかだろう。

”柏木”の日本とPK戦で4一3、
”ピケ”のスペインとPK戦で4一3、
としぶとく勝ち残ったチェコが、オーストリアも2一0で快勝し、初の決勝進出の快挙。

U一20日本、敗戦のその理由は?:監督采配ミスだ!
に私はこう書いていた。

”これまで特にテレビ放送がなく、見ていなかったので分からなかったが、このチェコは非常に強い、好チームであった。一言で言えば、

「クリスチャン・ロナウドが10人いる」

ような感じのチームであった。1人1人が非常にしっかりした技術とスピードと体力を持っていた。

正直、このチームに勝つのは容易ではない。”

このクリスチャン・ロナウドは、イングランドのマンチェスターUに所属し、つい昨日まで日本に遠征に来ていたから良く知っているだろう。浦和レッズと交流試合をして2一2の引き分け、昨日韓国へ渡った(「熱闘、マンU対浦和22 MVPはロナルド」)。

このロナウドに匹敵する感じの選手が10人いるというチームなのである。

今思えば、日本のマスコミは、「たいしたストライカーがいない」と分析し、日本が簡単に勝てるかのように、日本の監督や選手に誤った情報を与えたということとなるだろう。この責任は非常に重い。

いつも大事な大会において、日本のマスコミは”系統的にかつ組織立って”こういうことをする。Jリーグの元選手や元監督をコメンテーターにして、「日本びいきの解説」を行う。そうすれば、ある程度の視聴率がかせげると勝手な「取らぬたぬきの皮算用」的発想からそうするのだろう。しかししょっちゅう間違う。

一番ひどいのは福沢の番組だ。ハニカミ王子の石川選手に大会中に出場選手と勝手に交流して”仕込みマイク”や”隠しカメラ”を要求したというから論外である。

こういう精神状態で試合を分析しようとするものだから、おのずと日本人びいきし、”甘えた構造”で溢れかえったことをテレビで垂れ流してしまうこととなる。

社会に潜んだ「ニセ科学」や大学に在職する「ニセ科学者」たちも困ったものだが、テレビやマスコミ界に潜む「ニセスポーツ解説者」たちにも困ったものである。
(この「ニセスポーツ解説者」の典型がこれだろう。「「16強の壁」越えるには」。なぜなら、チェコ戦以前には、チェコは弱いとマスコミは乙女ごかしを言っていたからだ。また、世界レベルに行っていないのは、選手より監督だということがまったく分かっていないからである。)

今回の「チェコはたいしたことない」という日本のマスコミ界の分析はまったくはずれていた。だれよりも先にチェコを見る事ができたわけだから、その権利の下にもっと正確な分析を行うべきである。それがマスコミの責任というものだろう。

もしこういう日本のマスコミの誤った分析がなければ、どうだっただろうか?
試合展開は変わっただろうか?

私の答えはイエス。おそらく試合展開はまったく異なっただろうと思う。なぜなら、チェコから1点を取るのもむずかしいと選手は肝に命じたはずだからである。おそらく、日本の監督も選手ももっと慎重に試合運びを行ったはずである。先に2点取った後、立続けに2PKで同点というような展開にはならなかっただろう。

こんなわけで、マスコミのもたらす害毒に煩わされてはならない。

アジア・カップのオーストラリアの場合も同様である。今回もワールドカップの時同様にアジア最強チームである。勝つのはかなり難しい。これが現実だ。

いずれにせよ、今回監督となっても優勝した闘将ドゥンガがかつて言ったように

「日本人は、勝てると思うと相手をなめ油断する」

という「日本人特有のメンタリティー」が遺伝子に組み込まれているのである。

この現実は何十年経っても少しも変わらない。まったく困ったものだネ。

決勝は、アルゼンチン一チェコ再びとなるか?
Fifa U-20 Argentina vs Czech Republic(6月30日の試合)

このチェコに、勝利の一歩手前まで行ったわけだから、今回の”セクシー世代”のサッカーは非常に素晴らしかったといえる。もしチェコに勝っていれば、決勝まで行けたとこの際単純に考えて自信につなげて欲しいものだネ。
2007/07/18のBlog
特集 中越沖地震
342棟全壊、8人死亡902人けが…中越沖地震

大地震が来る度に見る風景。それは、日本の伝統的な木造家屋が見事に”倒壊”した姿である。カワラの屋根の木造モルタル式の家の崩壊である。

阪神淡路大地震の時も、奥尻島の大地震の時も、中越地震の時もそうだった。

にもかかわらず、我が家の近辺でも、あるいは日本のどの都市でも相変わらずこの「日本型木造家屋」は、何の規制も受けることなく作り続けられている。

ここ20年ほどの経験からもこの「日本型木造家屋」は、あまりに”弱い”と私は見ている。

まず、台風のような暴風雨でもカワラが飛ぶ。それゆえ、雨が降れば、雨漏りする。

最近よく起こる一種の”竜巻き”で吹き上げられると家がまず潰れる。アメリカの木造建築もトルネードに弱い。というのも、この木造建築は、「屋根の重みを土台で受けて屋根を柱の上に乗せている」だけだからである。それゆえ、上への引っ張りには何の抗力もなく、家は吹っ飛ぶ。バラバラとなる。ディサセンブル!

次に、縦揺れが起こっても同様だ。なぜなら、地面が下に動く事は、家が宙に浮くのと同じことだからである。トルネードの場合と同じようにして家は吹き飛ぶ。

横揺れでは、柱がガタガタとなってすぐ潰れる。これこそ、幾多の大地震で「日本型木造家屋」が見事に潰れたことから分かるだろう。

私は、「日本型木造家屋」、いわゆる「木造モルタル方式の家」(=かわら屋根の木造建築)は、早急に廃止・禁止すべきであると思う。これほど”危険”な家はないからだ。

木造家屋を作るとすれば、新しい原理に基づくものが好ましい。

例えば、「五重の塔」のような”倒壊しない原理”が使われている、「古来の木造建築方式」、つまり中心の”大黒柱”のそびえた家にすべきだろう。要するに、フラーのいう「テンスグリティー方式」の木造家屋にすべきだと考える。

フラーの「テンスグリティー方式」は、帆船技術が基となっている。帆船のマストと帆の関係である。マストは大黒柱であり、帆は梁である。それらが強力なロープではり巡らされ、しなやかな弾力と遊び、そして強さをもたらす。それゆえ、帆船は大平洋の荒波にも台風にも持ちこたえる。

私は、「地球温暖化」の現在、台風といえば巨大台風となり、雨となれば大洪水となる大雨が降る。こうした時代は、暴風雨に耐え、歪みに耐える「帆船技術」に基づく木造建築が必須であると考えている。

帆船のようにそこら中にロープがはり巡らされ、洪水にも暴風雨にも地震の揺れにも耐える木造建築。こういうものがぜひとも必要だろうと思う。

こういう新しい木造建築を我々は本気で研究すべきであると思う。建築業界、国や大企業は率先して研究すべきだろうナ。

もちろん、その昔、私の父が作ったような「ダイヤモンド型の家」も良いかも知れないヨ。

いずれにせよ、被災でお亡くなりになったの方々の御冥福を祈りたい。


参考:
地震発生確率
”能登地震”、対岸の地震ではない?:今村の予言
地震雲を作るものはラドンイオンか?

帆船日本丸
レストラン・ダイヤモンド
強度偽装、フラーならどう考える?
2007/07/17のBlog
マラドーナの5人抜きが史上最高のゴール 英サッカー誌

史上最高の”ゴール”

1986年ワールドカップ・メキシコ大会、準々決勝のイングランド戦。
マラドーナ(アルゼンチン)は、伝説的な「5人抜きのゴール」をあげた。
もちろん、伝説の「ゴッドハンド(神の手)ゴール」もあげた。

この時の「5人抜きのゴール」が、世界史上最高のゴールに選ばれた。
日本がベトナムに快勝、1位で決勝T進出…巻2ゴール

昨日のアジア・カップ、予選リーグB組、日本代表vsベトナム。日本は終止主導権を握り、地力の差を見せ、4一1で快勝した。

もう1つの試合は、UAE2一1カタール。

この試合も見たが、ラスト3分のロスタイムでフリーキックを与え、それをマタルが蹴り跳ね返りを決め、試合終了。”カタールの悪魔”を地で行くような試合となった。これが逆であれば、カタールが2位で予選突破だっただけに残酷なゲームとなった。

試合を見る限り、カタールとUAEは仲が悪いような感じだった。敗退が決まっていたUAEがほどほどにやっていれば、カタールが勝ち、同じアラブの国が進出できたにも関わらず、真っ向勝負となった。その結果最後までもつれにもつれた試合となった。

この結果、日本が1位通過。ベトナムが初のベスト8入りの”快挙”。

やはり、ベトナムは”ホームの利”が出たようだ。サッカーは断然ホームが有利となるスポーツだからである。

A組は、イラクとオマーンが引き分け、イラクが首位。豪州4一0タイで、2位となった。快進撃のタイは、残念な結果となった。オーストラリアの底力が出た。さすがにねばり強い。私はオーストラリアは予選敗退したと思っていた。
2007/07/16のBlog
アルゼンチン、チリが4強サッカーU20W杯

U一20ワールドカップ準々決勝残りの2試合。

アルゼンチン1一0メキシコ
FIFA U-20 World Cup - 1/4 Final | Argentina vs Mexico 1-0
チリ4一0ナイジェリア
U20 Chile team (CHI) vs Nigeria, soccer, goal

ドスサントスのU一17、U一20連破の野望もついについえた。
アフリカのユース世代の制覇の野望ついえてしまった。
これを見ても、すべてのカテゴリーで優勝したドゥンガがいかにすごいか理解できるだろう。

これで、準決勝は、欧州どうしと南米どうしとなり、決勝は「欧州vs南米」という、昔のトヨタカップの様相を呈して来た。

準決勝
オーストリア一チェコ(18日・エドモントン)
チリ一アルゼンチン(19日・トロント)


ひょっとすると、同じ組で一度戦い1位、2位となったアルゼンチン一チェコの決勝という可能性も出て来た。
Fifa U-20 Argentina vs Czech Republic

付録:
練習風景を見よう
Bryant Lazaro U-20 Argentina Practice
(ブライアント・ラザロが訓練するU一20アルゼンチン)
サッカー南米選手権、ブラジルが2大会連続8回目の優勝

サッカーの米大陸選手権の決勝が行われて、”ロビーニョ”のブラジルが”メッシ”のアルゼンチンを3一0破り、前回2004年大会に続いて大会2連破、8回目の優勝を飾ったというニュース。

ブラジル3一0アルゼンチン
Brasil vs Argentina - Copa America Final 2007

いやはや、ドゥンガは”すごい”。自身の選手時代から含めてあらゆるカテゴリー(年齢)の世界大会に優勝(あるいは準優勝)、そして監督になった後も、最初のコパアメリカで優勝。ずば抜けた”強運”の持ち主といえるだろう。

日本にも似たような境遇に中田英寿がいるが、中田の場合は、あらゆる代表で世界大会に”出た”というだけにすぎない。最高でもベスト8。

やはりそこにはそれなりの”理由”があるはずである。

日本のサッカー選手たちは、ドゥンガの「セレソン」をバイブルにして読むべきだろう。

そうすれば、多少はその神髄が見えてくるかも知れないナ。特に、監督業を営む人々は必須だろうヨ。

いずれにせよ、ドゥンガがブラジル代表監督となって優勝したという事実を日本人は忘れてはならない。

それは次のような理由からである。

かつてドゥンガが日本のジュビロ磐田に入団した頃やそれ以前では、ブラジルでは「実質上引退した選手が日本に行く」というふうに見なされた。

実際、セルジオ越後やラモスや三浦カズ、そしてロペスやサントスやトゥーリオなど、日系ブラジル人や日本人でブラジルサッカー界では生き延びる事が難しい選手たちが渡って来たのである。それほどまでに日本とブラジルのサッカー事情は異なり、レベルの差もあったからである。

それゆえ、アメリカワールドカップで優勝し、超一流であったドゥンガが日本に渡るということはほとんどサッカー選手として”自殺”を意味していたのである。当然、本国ブラジルからは「ドゥンガは死んだ」と見なされたのである。というのも、同じ頃、日本に来たベベトはすぐに引退した。引退前の選手が日本で最後に手軽にお金を稼ぐ。そんなふうに見られていたのである。まあ、Jリーグは小馬鹿にされていたわけだ。

それを「いや、そんなことはない。日本でプレーしてもブラジル代表になることは可能なのだ」とドゥンガやサンパイヨなどのJリーグでプレーしている選手たちが国際的にもジュビロなどで活躍し、フランスワールドカップ代表に選ばれ、大活躍したのである。

それ以来、ブラジル人にとっても日本でプレーすることは、ヨーロッパでプレーすることよりやたらひどいということではなくなった。そして、日本へ渡るブラジル人選手のレベルもあがり、若くてうまい選手たちが渡るようになった。

その結果、ブラジル代表を引退した監督としては非常に若いドゥンガが代表監督になれたというわけである。

つまり、ドゥンガ・セレソンの世界的な活躍ということは、そのままJリーグの世界普及を行っていると考えられるのである。

「日本でサッカーキャリアを積むことは世界でも少しも恥ずかしいものではない」

ということをコマーシャルしてくれているようなものと言えるのだ。この意味で、ドゥンガの活躍は日本人にとっては非常に喜ぶべき事なのである。

ドゥンガ、優勝おめでとう!

我々は、そういってねぎらうべきである。これから先、ドゥンガが良い選手をどんどん日本へ送り込んでくれるかもしれないのだ。
2007/07/15のBlog
チェコなどが4強入りサッカーU20W杯

U一20ワールドカップカナダ大会、準々決勝2試合

チェコ1一1(PK4一3)スペイン
U20 Fifa World Cup Spain-Czech Rep.Quarter finals PSO
オーストリア2一1米国
Austria - USA 2 : 1

どうやらゲラルド・ピケの無敵艦隊スペインもまたチェコのPKサッカーに負けてしまったようだ。
フレディー・アドゥーのアメリカもベスト8で敗退。

付録:
ウォーミングアップを見よう
スペインのウォーミングアップ
2007/07/14のBlog
サッカー:日本3一1でUAE降し、B組首位に アジア杯
サッカー:アジア・カップ 日本3一1UAE 日本「自信」取り戻す

昨夜のオシム・ジャパン、UAE戦を見たが、6一0で勝てる試合を3一1で終わった。1勝1分けの勝ち点4。

40度の暑さと湿度90%の湿気、アジア特有の高温多湿の環境で体調やコンディションの良くないどうしの対戦となった。(白人チームのオーストラリアもこの暑さでイラクに負けた)

日本は、ボール回しで相手を疲れさせ、前半の決定期に3点決めて、試合を決めた。

まあ、”実力通り”の結果だったといえる。しかし、多湿に弱いアラブチームに後半1点取られたのはいただけない。やらなくてもいい失点であった。

オシム監督の言葉:
「一番うれしいのは、結果よりもスタッフを含めた全員が心臓発作を起こさずに終わったこと。それぐらい困難な(蒸し暑い)気象条件だった。勝負を左右したのは、ボール回し。我々より多く相手を走らせ、疲れさせたことだ。」

「高原にはキラー(殺し屋)のような本能がある。ドイツでプレーできているのは偶然ではない」

中村俊輔:
「個人技も交え、シュートまで行く意識」
「夜の方が蒸してくる。最初の20分が一番きつく、(UAEとは)ジャブの応酬といった感じ。先に点を取ったことが、ストレートパンチになった」

高原:
「寝つけずに体調を崩した」
「勝たなければいけないゲームで勝てたことが良かった。自分たちが結果を出すことで、いい循環が生まれると思っていた。(体調は)のどが少し痛いけど、ベトナム戦を休むつもりはまったくない」

中沢:
「勝ちの気分が吹き飛んだ。最低です」

遠藤:
「得失点差を考えたら、もったいない」

川口:
「反省するべきところは反省し、さらにレベルアップすることが必要」


予選最終戦は、地元ベトナム。ホームで絶好調。圧倒的なスタミナで日本に立ち向かう。また、UAEはカタールと対戦。2分けのカタールが勝ち、日本が引き分ければ、勝ち点5で並ぶ。得失点差の勝負となる。

果たして最終戦はどうなることか。

なんとか勝って決勝トーナメント進出して欲しいものである。


一方。U一20日本代表は、もう帰国してしまったらしい。これからが面白くなるのに、試合を見ないで帰国。まあ、Jリーグがあるからしかたないのかも知れないが、せっかくの機会、生で試合を見てくるべきだった。準々決勝、準決勝が一番面白いのだから。
2007/07/13のBlog
サッカー:無情PK戦敗退…悪ガキが泣いた U20W杯
ハイライト

昨日「”セクシーサッカー”世代チェコに惜敗! 」に次のように書いていた。

”今度は、U-20でも2-0まで差を開いたにもかかわらず、2つもPKを与えてしまったというから、”驚き”である。
いったいそこで何が起こったのか?”

”まあ、チェコは攻撃陣がたいしたことなく、日本よりちょっと格下と見られていた。そのチェコに日本は2-0となり、”余裕”が生まれたのだろう。
そんなわけで、これまたA代表と同様に、「日本人特有の性質」
「勝っていると、まだ勝負はついていないにもかかわらず勝ったかのように思う」
「勝てると思うと相手をなめ油断する」
「そして追い付かれるとパニックとなり、平常心を失う」
が出てしまったということだろう。”

”つまり、”セクシーサッカー世代”もやはり日本人、”同じ精神構造”を持っていたということである。それゆえ、悲しいかな、大事な試合で”日本人の性”が出る。”

”おそらく、監督が日本人であったことが災いしたのだろう。日本人監督の場合、監督さんも「日本人特有の性質」の呪縛から逃れられないからである。山本監督、大熊監督、西野監督、みんな同じようにして失敗した。”

どうやらこれは真実であったようだ。

昨夜遅くに、遅ればせながら、この試合の録画放送があった。それを見たのだが、まさに私が想像した通り、いや想像以上の物語があった。

これをメモしておこう。

これまで特にテレビ放送がなく、見ていなかったので分からなかったが、このチェコは非常に強い、好チームであった。一言で言えば、

「クリスチャン・ロナウドが10人いる」

ような感じのチームであった。1人1人が非常にしっかりした技術とスピードと体力を持っていた。

正直、このチームに勝つのは容易ではない。

ところが、前半最初の危ないシュートシーンを凌いだ日本は、徐々にペースを取り戻し、前半中盤に柏木のコーナーキックから槙野がヘッドで1点を取り、非常に良いスタートを切った。

そして絶好調のまま後半に突入。すぐにPKで森島が2点目をゲット。2一0となった。

この頃から、チェコは、欧州の白人魂を見せ始め、しゃにむに攻撃するようになった。このプレッシャーはものすごく、日本は2点を守るべく”受け”に回ってしまった。

そして後半の中盤に立続けにPKを与え、同点とされた。そして最後のPK戦で4一3で負けた。

そして、試合後のインタビューで吉田監督がこのあたりに関して

「相手のプレッシャーに負けて2PKを与えてしまった。精神的面の問題があった」

というようなことを言ったというわけである。

まあ、これが新聞などに載るというような表層的な試合展開である(試合詳細)。

しかし、実際に試合を見てみると、どうも内容はむしろ私が想像したようなものだった。つまり、一番ダメだったのは、すなわちもっとも日本人特有のメンタリティーが出てしまったのは吉田監督であったということだ。監督がダメで負けたのである。監督が平常心で采配できなかったことがこの試合の負けを決めたということである。


まず、後半中盤までに、少なくともあと1点、2点を決めるべき決定的チャンスが何度もあった。これを日本は決めて”トドメ”をさすことができなかった。

それは、2点目を決めたFW森島康(セ大阪)の出来が悪かったからだ。森島には少なくとも3回の決定的チャンスがあったが、それをことごとくはずした。要するに、この試合の”厄病神”は森島であった。動きが悪く、ツキに見放されていた。

この森島が2点目のPKを決めた後、数度のチャンスで1点決めていれば、試合が決まったものを調子をこいて全部はずしたのだ。

このリズムを崩した頃から、チェコが猛反撃に出たのである。

日本はこのまずい時間をクリアで一応凌いでいたのだが、このまずい時間帯に監督が采配ミスをした。ムードの悪い時期に非常に頑張って良い仕事をしていた河原を替えて、青木を出した。

この直後に、さっき入ったばかりの青木がPKを取られたのである。一方、チェコは、この時間帯の選手交代が功を奏したと言える。

そして、流れが急に悪くなった3分後に再びPKを今度はディフェンスの要めの福元が与えた。

この2本のPKにすでにGK林には、右サイドに弱いことが見て取れた。1本目はとれなくても仕方ないが、2本目は阻止できるシュートであったが、右脇が甘く取り損ねたからだ。これが最後のPK戦にも出て、結局負けに繋がった。だから、本来なら監督やコーチがそれに”気付いておく”べきであった。

まあ、ここまではしかたないとしよう。

しかし、この直後に、吉田監督は今大会の”ラッキーボーイ”、この試合でも非常に良い動きをして相手に驚異を与えていた田中亜土夢を 藤田征也に替えた。ここで「この試合の”運”は尽きた」といえる。替えるべきは、トップの森島であって、田中ではなかった。

もしここで森島を替えておけば、PK戦の森島のミスもなかったはずだからである。それほどまでにこの試合の森島は悪かった。

そして、極め付けは、その藤田が延長後半終了時に相手を殴り、レッドカード1発退場となり、PK戦に出る事ができなかったのである。普通、フレッシュな選手がこんなことをすることはあり得ない。これがボディーブローのように、PK戦に響いたのだろうと考えられる。


こうして、吉田監督自らが、次第に試合を敗戦に導いて行った、というのが私が見た印象である。「監督が動揺し、監督が行ったことがことごとく裏目に出た試合」ということである。要するに、「負けるべくして負けた」のである。

この意味では非常に残念な試合運びだった。十分に3一0か4一0で勝てる試合だった。

また、

「延長後半12分 U-20日本 柏木の左CKから槙野がへディングシュート! DFにクリアされるが内田がフォローしてもう一度クロス。柏木が頭で折り返して青山がシュート。これは力なく、ボールはゴール前の香川の足元へ。香川は反転してからがシュートを放つが、チェコDFが手でブロック。しかしファウルの判定はなく、再び日本のCKに」

とあるように、香川のシュートが相手の”ゴッドハンド”でクリアされ、PKにならなかったのは、やはり主審がヨーロッパ選手びいきしていたからだろう。これは誰が見てもハンドのファールだった。

こういう大試合では、「審判も敵になる」ことがあるということを理解しておかないといけないが、いつも日本人選手は、こういうことが理解できない。このあたりに「マリーシアの欠如」を感じさせられる。

まあ、しかし、サッカーでは

「敗戦の責任は監督にあり、勝利の功績は選手にある」

という言葉どおり、今回の選手たちは非常に頑張ったと思う。

”お疲れさま”

と言いたい。胸を張って帰国してもらいたいものだ。

とはいっても、その前に、帰国はいつでも良いから、決勝までの全試合を見学し、世界中の若い選手たちと友だちになって来て欲しい。

今こそ、自分を世界へ売り込むべき時だからである。
[ 11:44 ] [ U-20W杯カナダ大会 ]
サッカーU一20W杯、優勝候補メキシコなど8強出そろう

U-20ワールドカップのベスト8決定。

11日
チェコ(欧州)2一2(PK4一3)日本(アジア)
無敵艦隊スペイン(欧州)4一2ブラジル(南米)
オーストリア(欧州)2一1ガンビア(アフリカ)
天才アドゥーのいる米国(北米)2一1ウルグアイ(南米)

12日
優勝候補のメキシコ(中米)3一0コンゴ共和国(アフリカ)
Mexico - Congo
デフェンディングチャンピオンのアルゼンチン(南米)3一1ポーランド(欧州)
チリ(南米)1一0ポルトガル(欧州)
ナイジェリア(アフリカ)2一1ザンビア(アフリカ)

準々決勝は、以下のような対戦となった。

オーストリア(欧州)一米国(北米)
スペイン(欧州)一チェコ(欧州)
チリ(南米)一ナイジェリア(アフリカ)
アルゼンチン(南米)一メキシコ(中米)


いやー、面白い。どれも見のがせない試合となったようだ。アジアカップよりはるかに高レベルのサッカーが見られる。

2連破を狙うアルゼンチンとU一17から連破を狙うドスサントスのメキシコ。
天才アドゥーのアメリカの大躍進。
古豪どうしの無敵艦隊スペインとチェコ。
南米とアフリカのガチンコ勝負のチリとナイジェリア。

昨年のトヨタカップで優勝し、世界に衝撃を与えたインターナショナルのアレシャンドレがいるブラジルはスペインに負けてしまった。壮絶な戦いだったようである。あのアレシャンドレクラスでも通用しない若手スターたちが戦っているのである。

かつて闘将ドゥンガが

「18歳ごろが技術的には人生で最高であった」

と言ったように、U一20の年代、特に18歳前後のサッカー選手というのは、もっとも身軽でもっともスピードや体力があり、それゆえ、個人としてもっともサッカー技術が高く、完成度の高い時期なのである。

私自身もやはりそうであった。この時期は、自分の”無限の可能性”とともに”無限のエネルギー”を感じて動き回れた時期であった。

それから経験を積んで、だんだん老獪なつわものに変わって行く。それとともに、筋力や体力はつくが、体重が増し、スピードが落ち、技術も落ちて行く。

それは、超人的なピアノ技法を持つブーニンのような若いピアニストが年齢とともに超絶技法から人間味溢れる表現法に重きを変えて行くかのような趣がある。

かつての若きジダンも壮絶なスピードを持っていた。それがしだいにスピードは落ちて行くが経験と自信に裏打ちされた老練な演出家に変わって行った。

この意味でサッカー選手もまた1人の芸術家のようなものである。

そのまさに”超絶技法”に匹敵するサッカーを見る事ができるのが、U一20ワールドカップなのである。
2007/07/12のBlog
サッカーアジア杯:タイが初勝利、勝ち点を4に…A組

いやー、これは非常に素晴らしい試合だった。

タイのホームゲームの強みとはいえ、タイの良さの出たナイスゲームだった。1972年以来の35年ぶりの勝利とか言っていた。

けっしてタイはうまくはない。1人1人は、今のオシム・ジャパンの選手のような際立った選手はいない。しかし、昔のメキシコ・オリンピックの時の日本チームのように、”真摯に”かつ”がむしゃらに”走り回るという”生きの良さ”があった。

何か今の日本代表が忘れてしまったような”懐かしい”プレーがそこにある。

私は、アマチュアに毛の生えたようなタイ代表チームのサッカーに非常に好感を持った。

タイ頑張れ! 決勝ラウンドまであと1つ。

日本ももう一度初心に帰り、”無心にボールを追った”、あの子供の頃を思い出し、一生懸命なサッカーをやって欲しいものだ。
サッカーU20W杯、日本はPK戦で敗れ8強入りならず

U-20W杯、1回戦、日本対チェコ戦は、激闘になったようだ。

日本は2( 前1-0、後1-2;0-0、0-0;PK3-4)2チェコ。

やはり、日本人はブラジル人にはなれない。

初戦で良いところなくメキシコに負けたブラジルは、ドゥンガの叱咤激励に気持ちを持ち直して、激闘のPK合戦をものにして決勝に進んだ(「ドゥンガ・セレソン決勝進出! 」)。相手は、アルゼンチン。

”メッシのアルゼンチン” vs ”ロビーニョのブラジル”。

これは見物である。この辺が、イチローがMVPを取ってしまうというような”柔な”メジャーリーグ野球とは違う。

ところが、日本は、A代表でもアジアカップで後半の後半最後に痛恨のフリーキックで同点に追い付かれた。

今度は、U-20でも2-0まで差を開いたにもかかわらず、2つもPKを与えてしまったというから、”驚き”である。

いったいそこで何が起こったのか?

まあ、チェコは攻撃陣がたいしたことなく、日本よりちょっと格下と見られていた。そのチェコに日本は2-0となり、”余裕”が生まれたのだろう。

そんなわけで、これまたA代表と同様に、「日本人特有の性質」

「勝っていると、まだ勝負はついていないにもかかわらず勝ったかのように思う」
「勝てると思うと相手をなめ油断する」
「そして追い付かれるとパニックとなり、平常心を失う」

が出てしまったということだろう。

つまり、”セクシーサッカー世代”もやはり日本人、”同じ精神構造”を持っていたということである。それゆえ、悲しいかな、大事な試合で”日本人の性”が出る。

サッカーというのは、追い付いた方が圧倒的に有利である。心理的に優位に立てるからである。PKでは、一度は死んだ状態から這い上がったチェコが有利なのである。

こうしてチェコが勝利した。日本は、金星を逃してしまったというわけである。

この意味では、西洋人の血のある190cmのハフナーを出した方が良かったのではないかと思う。

まあ、それでも、予選から、スコットランド、コスタリカ、ナイジェリアなどの強豪国とやって予選突破し、チェコともあわやというところまで行ったのだから、選手達は自信を持って帰ってきたらいい。実に素晴らしいチームであったといえるだろう。選手達には「ごくろうさま」と言いたい。

おそらく、監督が日本人であったことが災いしたのだろう。日本人監督の場合、監督さんも「日本人特有の性質」の呪縛から逃れられないからである。山本監督、大熊監督、西野監督、みんな同じようにして失敗した。

果たしていつになったらこういう状況から逃れられるのだろうか?

Jリーグが発足して15年近く経っても、日本人選手や日本人監督のメンタリティーは一向に成長しない。

どうなっているんだろうか?

これを考えると、正直”暗たんたる”気持ちにさせられるナ。
ノーベル平和賞ユヌス総裁「政治の世界には立ち入らない」

ちょっと前に2006年のノーベル平和賞受賞者で、バングラデシュの貧困層向け融資機関グラミン銀行のムハマド・ユヌス総裁が日本にやって来て講演をしたというニュースがあった。

たまたま私はその講演の一部をテレビで見ていたのだが、正直、いわゆる「発展途上国」から来た人というのは、日本や先進工業国の現状を知らず、余りに無知で”時代錯誤”もはなはだしいという印象を持つ。

一昔前のように、すなわち、IT革命前の1980年代以前の「先進国はリッチ、発展途上国はプア」という時代と違って、1990年代以降では「先進国にもリッチとプアがあり、発展途上国にも富裕層が生まれた」という時代なのである。

日本でも、我々のようなプア層も多くなり、ほんの上位10%未満がリッチという社会に変わってしまったのである。最下層の30%にはまったく貯蓄がない。(「二極化する日本人」)

そして、すでに日本人の持つ個人総資産より国や自治体が作った借金総額が上回るという社会に転落しそうな勢いなのである。

かつて明治維新後、政府は莫大な借金を抱え、その返済に苦慮していた。その返済案の1つに、北海道をロシアへ売り飛ばすということが本気で考えられたとも言われているが、勝海舟や山岡鉄舟などが、それを阻止したという話である。もし北海道がその時代にロシアに売り飛ばされていたなら、その後日本はどうなったかと考えると恐ろしいものがある。おそらく、日露戦争以前にロシアへ併合されていただろう。

その時代の日本人にはそうした慧眼があったが、果たして今の政府役人にそうした眼力があるかといえば、そのようには見えない。なぜなら、国家公安組織の大ボスが、自分の利便のために朝鮮総連と裏取り引きを平気でするわけだから、国や自分達が困れば、平気で北海道や九州や四国を売り飛ばさないとも限らないからである。

今やこういう国へと日本はすっかり変わってしまったわけであるから、ユヌス氏がこういったとしてもそのメリットはない。

「貧困の解消には慈善的な支援だけでなく、ビジネスの力こそが必要だ」

と貧困層の雇用や生活改善につながるビジネスの有効性を指摘。日本の政府や経済界に対しては、

「政府開発援助(ODA)によるインフラ整備に加え、市民が直接恩恵を受けられる仕組みが必要だ」

私の観点からは、ユヌスさんはこういうべきだった。

「日本にもバングラディッシュと同じような貧困層が生まれたと聞く。
私から強くいうことは立場上できないが、もし日本の人々が望むなら、
いつでも貧困層向け融資機関であるグラミン銀行を日本にも根付かせる用意はある。
近々、グラミン銀行日本を創設するつもりである」

ユヌスさんにはもっと日本(や先進国)の現状を知って欲しかったネ。
[ 11:07 ] [ ドゥンガの言葉 ]
サッカー:ブラジル、PK戦制し決勝進出 南米選手権
ブラジルのドゥンガ監督 カカ、ロナウジーニョに皮肉

”コパ・アメリカ”(南米選手権というより、”アメリカ大陸選手権”と呼ぶべきだが)で、初戦敗戦で立ち上がったブラジルはその後連戦連勝してついに準決勝も制し、決勝進出。

準決勝第1試合ブラジル-ウルグアイ戦で、ブラジルが2-2(前半2-1)の後のPK戦を5-4の勝利。

さすがに”闘将”ドゥンガの”セレソン”である。ここに来て”王者”の目がさめたようだ。

「バカンスを求めたカカとロナウジーニョを挑発」と書いた地元紙グロボの記者に対して、ドゥンガはこう吐き捨てたという。

「我々は集合して1カ月近くになるが、休暇を返上するという犠牲を払って、ここに集まってくれた選手にお礼を言いたい」。

それは不在のスターへの批判かと問われて、

「コメントに悪意はないが、来たくない選手には何もできない」

カカもロナウジーニョもいなくても決勝までくるブラジル。その底力には恐れ入る。さすがにサッカー大国ブラジルである。

もっともこの大会は、”ロビーニョの大会”だから、すでに世代交代していると言える。
2007/07/11のBlog
「二度と繰り返さないように」オシム、元気のなさ嘆く

「お前らアマチュアか」と”激怒”したオシム。温厚なオシム監督をそこまで怒らせてしまった日本人選手たちは、かなり”質が悪い”。その日から1日経って、オシム監督の言葉

「二度とあのようなことを繰り返さないように」

があったというニュース。

昨年のガーナ戦で私はこんなことを書いていた。
ガーナ戦:アフリカ王者と少年サッカーの戦い

この中で、オシム監督の選手選びをこう評していた。

”この原因はよく分からないが、オシム監督には独特の特徴があるように見える。私の分析では、それは次のような特徴である。

(あ)(どちらかといえば)ハンサムでルックスの良い選手が好きだ。
(い)(どちらかといえば)知的に見える選手が好きだ。
(う)(どちらかといえば)強引な選手よりそつないプレーをする選手が好きだ。
(え)(どういうわけか)チームの中の大人しい選手が好きだ。
(お)(どちらかといえば)控えめな選手が好きだ。

というわけで、こういった特徴を備えた選手ばかりを集めた結果、少年サッカーのようなチームとなってしまったように見える。

この原因は、おそらく、オシム監督は、日本語が理解できないので、どうも「日本人メンタリティー」がよく分かっていないのではないか、と私は見ている。そこが、チームメートとして何年もプレーしたドゥンガやジーコとは異なる。ドゥンガやジーコは、日本人選手の弱点となる「日本人メンタリティー」をよく理解していた。しかし、オシム監督にはそこが分からず、サッカーの質やプレースタイルを見て選手を選ぶのは良いが選手同士のメンタル面やコミュニケーション面(つまり、だれがリーダーでだれがボス猿かというようなこと)を全く理解していないのではないか、と私は感じることがあるからだ。”

どうやらこれが真実であるということが今回のアジア・カップで判明しそうである。

かつて拙著「柘植の『反秀才論』を読み解く」でも書いたことだが、日本人(や一般に東洋人)の場合、「面貌愚の如し」という言葉があるように、一見”見かけが良くない”ものに真の天才が現れる事が多い。

これこそ、柘植先生の発見である。柘植先生は、科学者や学者に対してそういう発見をしたのだったが、私はそれは何も学者に限らないと思う。スポーツマンにも何にでも言えるのである。もちろんサッカー選手にも言えると考えている。

今の日本代表では、中村俊輔や中村憲剛は、けっして美男子でもいわゆるイケメンでもない。欧米人のいう意味の「グッドルッキングガイ」ではない。

西洋人から見ると、”見かけ”の知的さは、「頭の良さ」や「能力の優秀さ」を表している。どういうわけか(この理由はよく分からないが)、西洋人(=コケイジアン=白人)の場合、これは真実で、”見かけ”とその人物の知性は大体比例している。だから、西洋人は、ますます”見かけ”に傾く。”見かけ”ばかり気にする民族となった。「”見かけ”の優美さで人を支配する」という文化圏を作ったとも言う事ができる。

ところが、東洋人の場合、これはむしろ逆である。

我々東洋人の場合には、「天はニ物を与えず」とか「心の美」とか「内なる声を聞け」というように、”見かけ”より”心の内の美しさ”や”内に潜む知性”をより重要視してきたという伝統がある。人の”見かけ”より人の”内面”を重要視する文化圏を作って来た。だから、優秀な人やできる人、あるいは運動神経の良い人が必ずしも顔かたちが整っているというわけではない。

女性でもそうである。

希代の美女が、男をとりこにして放さない名器の持ち主かというとそういうことはない。多くの場合、”見かけ”の美女は粗雑な女性器を持つと言われている。女性器の名器と見かけの美貌は、相反するというのが、東洋人である。

女性としての”美しさ”の場合もそうで、日本では、古来「心根の美しさ」の意味であって、”見かけ(=ルックス)”の美しさではない。女優やモデルがいかに”見かけ”が綺麗でも、心根の悪いものや心の醜いものは”醜い”とされるのが日本人の伝統であった。

楽器でも同じである。バイオリンの名器が、金ぴかの”見かけ”の良い楽器かと言えば、そういうことはない。

こういう文化が長いものだから、日本人の場合には、”見かけ”がスマート(=英語で言う賢い)だからといって、その選手が本当に内面の優れた面を持つ良い選手かというとそういうことは必ずしもない。

西洋人の血を引くブラジル人のラモスはそこそこのハンサム選手だったが、三浦知良、中山、北沢、奥などは、日本人選手の中では、非常にすぐれたメンタリティーや知性の持ち主であるが、けっして西洋人的な意味では際立ったハンサムではない。今回の代表の中で芸術的パスを出した今野もそうである。ずっと昔では、チェアマンとなった川淵、杉山、釜本、宮本、岡野なども一目瞭然である。もちろん、中田英寿も例外ではない。

このように、日本人(や東洋人)の場合には、選手のメンタリティーは”見かけ”だけで判断はできないのである。

ところが、オシム・チルドレンは、みないわゆるイケメンである。日本人サッカー選手の中では、どちらかといえば、ジャニーズ系のハンサムな選手達である。果たしてこうした選手達が高い知性や精神力の持ち主かというとそういうことはない。

どうもヨーロッパ圏の監督たちが日本やアジアに来ていつも失敗するのは、こうした部分なのである。オシムとて例外ではない。大会が始まってしまったのだから、遅すぎるが、私が昨年10月に書いていた事は、おそらく真実味を増すだろう。

どうも西洋人は顔かたちや”見かけ”で物事を判断するという傾向があるようですナ。

その”見かけ”に金が集まるような世の中を映画界やテレビ界が作ってしまったものだから、困ったものである。俳優であれ、政治家であれ、大学教授であれ、官僚であれ、某かの”演技”をしていれば済む世の中を作ってしまったというわけサ。
2007/07/10のBlog
サッカー・アジア杯、日本は初戦でカタールと引き分け
サッカー:通訳も涙!オシム監督ブチ切れ説教

昨夜のアジアカップ初戦、日本vsカタール。”敗戦のような”1-1の引き分け。

日本は後半の後半、もうすぐ試合が終わるという時に阿部が”やってはいけない”どうでも良いファール。そして、今野と阿部の隙間を抜かれ、痛恨のゴール。これは、川口も防げない。

インタビューでのオシム。

「あなたは、試合を見ていなかったのか。試合は6-1で勝てた試合だ、日本が良いサッカーをしてずっと押していた。しかし、残念ながら、最後にミスが出た」

とインタビュアーに”逆切れ”した。インタビュアーもこれほどまでに食って掛かるオシム監督を初めて見たのではないか。

さすがに、旧ユーゴスラビア人である。ストイコビッチも気性が激しかったが、オシムも相当に気性が激しい。数千年も戦争を続けて来たバルカン地域の人間である。その点、サッカーと牛肉とサムバの国のジーコとは違う。


私はずっと試合も最初から最後まで、インタビューも全部見た。もちろん、DVDに録画もした。

まあ、「高原は悪い奴だ」というのが第一印象。この試合は”たまたま”今野の芸術的アウトサイドのセンタリングで、ごっつぁんゴール。しかし、1点を取ってからは「俺は点取ったんだからもういいだろう」という”オヤジサッカー”でまったく動かず、2点目を積極的に取りに行かなかった。

遠藤は、フリーのシュートも遠慮してせず、高原など先輩の顔を立てさせるような遠慮がちなプレー。名前を”遠慮”と付け替えた方が良さそうだ。

山岸も「僕の効き足は頭です」のへたくそ巻よりもっと下手。まったく点にからめず。

後半投入の羽生は、小中学生でも入る”ゴール前5mのシュート”が枠に行かない。何かが間違っているのだろう。身体も小中学生並みならプレーも小中学生では困る。

同じく後半途中で入った橋本は、自分の足に躓き、ドリブルもできない。完全に平常心を失っていた。これは、何か「ドーハの悲劇」の時を思い出させた。

「ドーハの悲劇」の時は、後半、オフト監督が、好調のゴン中山と北沢を下げ、武田と福田に替えた。福田は地に足がつかず、自分で自分の足に躓く始末。武田は簡単にコーナーキックを与え、最後の最後で引き分けに持ち込まれたのであった。

この状況をドゥンガは、我々「日本人特有の性格」と見抜いた。日本人は「勝てると思うと相手をなめ油断する」と。

まさに、この試合もその通りで、「ほぼ勝った」と思った頃からもう試合に勝った気になり油断し、プレーに甘さが出た。そして、やらなくてもいいプレーで調子をこいた阿部がゴール前でファールを与えたのである。さらに、相手には非常にすぐれたフリーキックの名手がいるにもかかわらず油断し、壁に穴をあけた。そしてそこを抜かれたのである。

何をか言わんや。

1993年の「ドーハの悲劇」の時代から、オランダのオフト・ジャパン、三浦カズ、ラモスの時代から選手や監督は変わった。何世代も変わった。にもかかわらず何も変わらないものは「日本人特有の性質」であった、というわけである。

これを私はずっと言い続けているのだ。

この「日本人特有の性質や性格」を変える事が”真の教育なのだ”。

だれにも教わることもなく、常にこういう性格がチームに現れている以上、これは日本人の”遺伝子の問題”、”遺伝的問題”なのである。

いずれにせよ、この試合の阿部は”厄病神”(あるいは、爆弾)であった。(サッカーの”厄病神”

さて、”怒り心頭”の「オシムの言葉」も一応引用しておこう。

「おまえたちはアマチュア。オレはプロだから死ぬ気でこの試合に懸けていたが、おまえたちはそこまで行っていなかった」
「6対1で勝っていてもおかしくなかった。ボール回しも良かったし、ボクシングでいうと3階級くらいの違いを見せた。ただ、フィニッシュを決められず、逆にチャンスを与えた」
「ショックはそんなに大きくない。この結果はまだ1試合が終わってのもの。きょう勝つよりも引き分けの方が次の試合に臨みやすくなる」


まあ、いずれにせよ、ダメなのは、ジーコ・ジャパンの残党の高原、加地、遠藤、そしてオシム・チルドレンの阿部、羽生、橋本だったのだから、監督の采配ミスというべきだろう。”ダブル中村”もたいしたことはなかった。中村俊輔は本当にスコットランドのMVPかという感じだが、スコットランドはU20で日本に負ける程度の弱小国。中村のセルティックも日本のJリーグチームに勝てないチームなのだからしかたないのかも知れないがネ。


いやはや、”後味の悪い”、いつもながらの日本代表だった。(さすがのオシムも西洋人、日本人の顔色や好不調は分からないのだろうヨ)

だから言ったろう。

アジアカップよりU-20をテレビ放映しないのは”気狂い沙汰”だと。

実際、たいした選手がいないアジアカップより、将来のロナウジーニョやベッカムやメッシとなる、フレディ・アドゥーやドスサントスの出ているU-20の方がよほど放映する価値があるのだ。

どうも日本のマスコミは物事の価値判断が正しくできないようですナ。

ちなみに、どうやら中田英寿は、今アジアに潜伏していると私は見ている。だから、どこかでひょっこりこの試合を見ていたのかも知れないと感じる。これだけふがいないと、やはり精神的支柱としては”弱い”中村俊輔ではだめということとなり、ワールドカップ前に再び”ナカタ待望論”が渦巻くか。面白いところである。
[ 09:13 ] [ 社会 ]
写真:「王家の谷」で見つかった、エジプトのミイラ
何ごとも”論より証拠”。証拠集めが大事である。


元NHK記者の連続放火控訴審、弁護側が改めて無罪主張

「犯行当時、心神喪失状態にあり、建物を延焼させる意図もなかった」

と弁護士談。

いやはや、「犯罪は結果がすべて」、「動機は二の次」。

犯罪者の精神状態や犯罪者の”言い訳”を聞いていたら切りがない。

サッカーの試合で、レッドカードを出すのに、反則者の言い訳をレフェリーが聞いていたらサッカーの試合にならない。反則者は常に言い訳して自分に有利にしようとするものだからだ。

それゆえ、レフェリーは”毅然”とした態度が求められる。

裁判といえども、全く同じである。

犯罪者や弁護士の”言い訳”や”言い逃れ”を認めたらきりがない。必要なのは、「黙秘権」だけである。罪を重くなることを拒否する黙秘は認められても、言い逃れは許されない。なぜなら、”言い訳”や”言い逃れ”を認めたとすれば、これは個人の価値観の問題が入り込む余地や隙を与えるからである。

法的にどうこういう前に、こうした”常識”が大事である。

どうも日本の弁護士は、”非常識”なようだ。

学校の先生の教員免許の更新制度も大事だが、弁護士や裁判官の免許の更新制度も必要なのではないか。医者も大学の先生ももちろんそうだが。

そんな気がする。

犯行というのは、”一時的”であれ、異常な精神状態になっているから、犯罪を犯すのである。

酒飲んで痴漢するのも、酒を飲んだ結果、酩酊状態となりスケベな精神状態となった結果である。もしこの場合、「酒のせいだ」、「酒のために心神喪失状態だった」といって弁護したら、だれもからそうスカンを食らうだろう。

なぜなら、そもそも酒を飲めばそういう状態になる可能性があるということは最初から分かっていたはずだからである。酒を飲んだのは自分のせいである。その結果、痴漢したのである。また、酒が原因であろうがなかろうが、痴漢は痴漢である、というわけだ。

ところが、痴漢行為の場合はこのように弁護士も考えるが、殺人事件や凶悪事件に対しては、「犯行当時、心神喪失状態にあった」というふうに日本の弁護士は考える”傾向”があるようだ。やるべき事は「証拠集め」のはずで、言い逃れ集めではない。

どうもこれが私には理解できない。

こうすることで、何か”特別なメリット”があるのだろうか。この辺りが分からない。

日本の弁護士会はあまりにこういうことをくり返し続けていると、いずれ自分達の存在意義を失う結果になるのだろうと私は見ている。

「死刑廃止」も結構だが、個別の事件をないがしろにすることは結果として裁判制度を荒廃させてしまう。

どうもこういう単純なことが日本の弁護士は理解できなようですナ。
2007/07/09のBlog
[ 14:54 ] [ U-20W杯カナダ大会 ]
日本など16強出そろうサッカーU20W杯

U-20ワールドカップ(ユース選手権)、ベスト16決まる。

日本(アジア)-チェコ(ヨーロッパ)
オーストリア(ヨーロッパ)-ガンビア(アフリカ)
米国(北米)-ウルグアイ(南米)
スペイン(ヨーロッパ)-ブラジル(南米)
チリ(南米)-ポルトガル(ヨーロッパ)
ザンビア(アフリカ)-ナイジェリア(アフリカ)
アルゼンチン(南米)-ポーランド(ヨーロッパ)
メキシコ(中米)-コンゴ共和国(アフリカ)

”世紀の天才”フレディー・アドゥーを擁するアメリカ、
U-17で世界チャンピオンになった時の立て役者、ドスサントスを擁するメキシコ、
サッカーの母国ブラジル、
ヨーロッパに数多くのプロを輩出しているアフリカの”雄”ナイジェリア、
サッカー大国アルゼンチン

など、どこが勝ってもおかしくない。

しかし、結局

ヨーロッパが5チーム
アフリカが4チーム
南米が4チーム
北米が1チーム
中米が1チーム
アジアが1チーム

という結果なわけだから、順当なものと見るべきだろう。だいたい各大陸のサッカーレベルに比例したチーム数がベスト16に進んだと言える。

中でもアフリカが4チームというのはアフリカの躍進というべきだろう。しかしアジアが1つというのは、寂しい限りである。
2007/07/08のBlog
ブラジルが4強入りサッカー南米選手権

いやー、やはり来た。強いブラジルが戻って来た。

ブラジル6-1チリ。
Copa America Quarter-Finals | Brazil vs Chile 1-6 VagnerLove

ウルグアイ4-1ベネズエラ。