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2007/09/18のBlog
[ 18:27 ] [ 大学・大学院 ]
写真:大学に流れる小川(北大)


大学「9月入学」来年度にも解禁へ、海外の人材呼び込む

"Justice moves slowly."(正義はゆっくり動く)

とは、私がユタ大にいた頃、物理数学を教えてもらったプライス教授から聞いた言葉である。当時、ユタ大は「常温核融合」の発見に揺れ、それがニセモノと論破した教授たちが裁判ざたとなり、そんな時に彼が放った言葉であった。

その後、私が1990年10月に帰国し、それまでの留学経験を基に、日米の大学・大学院システムを論じたものが、
『日本社会の構造的問題とその解決の方向:3セクター分立の概念、 「物理学者の社会的責任」サーキュラー、科学.社会.人間、第37号、10(1991)』
である。これは、その夏の間にユタで書いたものであった。

私は、その後、それを再び、理研にいた(1993年から1996年)の1995年に
『3セクター分立の概念:日本社会の構造的問題とその解決の方向、 近代文芸社、東京、2月、1995年』
として自費出版した。

さらに、再度2001年、私は
『三セクター分立の概念--日本社会の構造的問題とその解決の方向--「アカデミズムセクターの確立へ向けて」、 太陽書房、12月(2001)』
として再出版して現在に至っている。

この中で私が周到に主張し続けて来たものの1つが、「9月入学」である。これは、欧米や全世界では、アカデミックイヤー(academic year)と呼ばれるものである。

「9月入学」と言っても、実際には、「9月の終わり頃の入学」か「10月入学」の秋口の入学が普通であり、7、8、9月が長い夏休みとなる。6月に春期学期が終わり、夏休みに入るというのが一般的である。

1年を3ヶ月ごとに4シーズンに分け、秋学期、冬学期、春学期、そして夏休みとするのが、「クォーター制」というものである。

1学期間には、だいたい15週ほどあり、1週コマの授業がある場合には、15回程講議して1学期の授業が終わる。

アメリカの場合は、「完全単位制」なので、秋学期、冬学期、春学期の各学期間に入学、卒業できる。あるいは、他の学校へ編入できるのである。これがアメリカの大学の大変自由でアカデミックな雰囲気を生み出すのである。

そんなわけで、私はこの10数年間ずっと「9月入学」、アカデミックイヤー制度を主張してきた人の1人である。

どういうわけか(この理由はよく分からないが)、ここにきてやっと文科省も「9月入学」を受け入れざるを得なくなったようである。

サッカーのブラジル代表現監督のドゥンガが1998年に言っていたことだが、

「日本人は、間違いをなかなか直さないという国民性がある」

こんな単純なルール変更にも10数年を要したわけである。それゆえ、ドゥンガがまったく正しいと言わざるを得ないだろう。また、同時にプライス教授の言葉もまったく正しいということが分かるだろうヨ。

まあ、正しいことが認められるには時間がかかるということですナ。だから、忍耐強くないとダメということサ。
なでしこジャパン、独に0一2 決勝T進めず 女子W杯

なでしこジャパン、予選リーグ敗退。

この試合は私は見るのを忘れていたが、結構良い試合だったようだ。しかし、予想通りの敗退。優勝候補のドイツとの力の差は歴然としていた。

日本は、アルゼンチン戦で5一0くらいの勝ちが欲しいところだったが、消極的なプレーでそのチャンスを逸した。同じく、初戦のイングランド戦も監督の采配ミスで引き分けがやっとであった。

ドイツ戦は勝ち以外はあり得なかったが、恐らく攻撃して墓穴を掘ったのではないか、と私は想像する。

こういう力の差のある強豪とは、全員が引いて守り、失点ゼロに押さえる作戦しかない。前半を0一0で乗り切り、最後の最後まで0一0で行き、PK戦に持ち込むのが、唯一日本が勝利できる方法である。下手に攻撃してはならない。

まあ、善戦したが負けるという、よくあるパターンだったのだろう。

いずれにせよ、お疲れさま、というところ。もちろん、監督は責任取って退陣すべきだろうヨ。
2007/09/17のBlog
谷亮子金メダル、7度目の優勝 棟田と塚田も 世界柔道

『女子48キロ級の谷亮子(トヨタ自動車)が、決勝でヤネト・ベルモイ(キューバ)を破って2大会ぶり7度目の優勝。女子無差別級の塚田真希(綜合警備保障)、男子無差別級の棟田康幸(警視庁)も優勝。今大会不振だった日本勢は最終日に一転、金メダルラッシュとなった。 』

最終日になって、”背水の陣”となったせいか、選手の真剣度が増したのだろう。3選手ともに金メダルとなった。

世界柔道”惨敗”の原因は、その選考方法にあり!
で紹介したように、強化委員長の吉村和郎の首が飛びかねないので、この人物から”激”が飛んだのだろうヨ。

これで、一応、強化委員長吉村和郎の首は繋がったのかも知れないが、国内で優勝したにもかかわらず、”代表もれ”した選手たちは非常に残念に思っているのかもしれないナ。

これで、女子48キロ級の福見は、国内最強選手だが、オリンピックに出場できないという高橋尚子選手と同じ運命を辿りかねない事態となったからである。

吉村の高笑いが聞こえてくるようですナ。
2007/09/16のBlog
アーチェリーの山本博、北京五輪出場ならず

『山本選手は44歳のベテランで、五輪に5度出場。1984年ロサンゼルス大会で銅メダルを取ったほか、41歳で臨んだ2004年のアテネ大会で銀メダルを獲得し、「中年の星」と人気者となり、テレビ番組にも引っ張りだこだった。』

とあるように、山本選手がオリンピック出場を逃した。おそらく、今回をもって代表を引退するだろう。

今回、「世界陸上」といい(世界陸上2007”惨敗”、その理由は? )、「世界柔道」といい(世界柔道”惨敗”の原因は、その選考方法にあり! )、あまりにスポーツの”惨敗”が目につく。

別に、メダルを取ることだけが目的ではないが、本来の自分の実力を一向に出せぬままに敗退をくり返す選手がほとんどである。その意味で”惨敗”なのである。

果たしてこの原因は何なのだろうか。

おそらく、この答えは、昨今では芸能界が、俗に「スポーツ芸能界」と呼ばれるほど近い存在になってきて、毎日毎日のバラエティー番組に”現役選手”が引っ張りだこになってきたということに直接の原因があると私は見えている。

卓球の愛ちゃん、あるいは、フィギュアスケートの女子選手たちも、そうであった。ある大会で好成績を残すと、愛くるしい選手はすぐにマスコミの”だし”にされて、まるで日光の猿軍団のように、ある時期毎日毎日”テレビ付け”される。

ところが、次の大会に挑むと、突然の不調をきたし、”惨敗”の憂き目に合う。すると、今度は、今まであれほど”おべっか”を使っていたテレビマスコミが、手のひらを180度返したように一斉に失敗を追求し、攻撃する。

こうした”馬鹿げたこと”をここ最近は、何年も繰り返しているように見えるのである。

それゆえ、私は、やはり日本のテレビマスコミ界にも、”ある種の制限を加えるべき”だろうと考える。選手への取材制限、選手との密会制限、テレビ出演制限などである。さもなくば、同じことをオリンピック前、ワールドカップ前、世界大会前に永遠に続けるだろうと思うからである。(この”制限”に関しては、かつて5年前に「オリンピックガイドライン(マスコミ対策用)」に書いている。もちろん、マスコミもだれも取り上げないがネ。オリンピック委員会には当時送りつけたのだが)

いずれにせよ、現役選手がマスコミに出ることは、大会直前では良い結果をもたらすことはまずありえない。そういう活動は、”引退後”にすべきですナ。
以下は、2002年2月に昔の掲示板に書いたものである。参考のために、再掲載した。(ちなみに、拙著「ソルトレイクオリンピック2002」にも収録)

【オリンピックガイドライン(マスコミ対策用)】2002/02/26 09:45

前回ソルトレイクオリンピックを総括して、物理学的にスポーツ
を考えることが大事か示すために試みた。これで、いかに科学的に
スポーツを見ることが大事で、正確にスポーツを分析できることが
分かっただろう。また、スポーツの進歩や進化はクーンのパラダイム
論に適ったパターンで進むということも分かっただろう。この意味で、
スポーツは日本人である皆さんが想像してきた以上に科学的で知的な
ものであるということが分かっただろう。

さて、今回は、もう一つ別の面をまとめてこう。それは日本のフーリガン
化したマスコミをいかにスポーツ現場を乱さないようにさせるか
規制するためのもだ。

今回、長島和茂、松岡修造のような元プロスポーツ出身のレポーター
やキャスターたちが、各局から多数送り込まれた。この点欧米では、
ウィンタースポーツ専門のスポーツジャーナリストが多数送り込まれた
のとは非常に好対象だ。このために、日本のオリンピック代表選手
たちはプロアマを問わず、非常に多くの影響を受けたことは確かだ。
その例がフィギアスケートの本田、村主選手のミス誘発事件だろう!

いかにすれば、選手が自己ベストを出すことができるか?この環境
作りが大事だろう。これは冬期オリンピックだけでなく、夏期オリ
ンピックの場合もまったく同じことだ。

【オリンピック選手の区別】
まず、オリンピック選手は、基本的には、以下のような3種類がいる。
あ)特定の企業とプロ契約して所得を得ているプロ選手、
い)実業団選手のように特定の企業スポーツを社員として行っているアマチュア選手、
う)まったく個人で行っているアマチュア選手がいる。

日本では(あ)と(い)の区別は非常にあいまいで、(あ)のような
形態はJ-リーガーなどを除きまだそれほどない。ほとんどは、有森裕子選手
や高橋尚子選手のように、一応実業団の企業スポーツ組織に所属しながら、
成績によってはコマーシャル収入が得られるような形態のプロ契約
選手のやり方しかない。だから、良い成績ならプロになれるが(それも
一時的)、そうでなければアマチュアであるという場合がほとんどだ。

だから、実質上は、日本にはプロ選手はごくわずかと言える。ほとんど
が財政的にはアマチュア選手のみということになる。

【参加形態のチェック】
したがって、オリンピック選手たちが今回の大会にどういう立場で参加
しているのか、事前にチェックすることが重要だ。A選手はプロ選手
として参加、B選手はアマチュア選手として参加。あるいは所属機関
が援助しているのか?まったく個人負担の個人参加か?どうかなど
を厳密に調べておく必要がある。これはその選手の国内での知名度
とは無関係に行われるべきである。

したがって、以下の区別は必須事項。
あ)プロ契約参加(完全なプロ選手としての参加)、
い)実業団参加(企業に職を持つがアマチュアとして参加)、
う)個人参加(完全に個人でアマチュアとして参加)。

【マスコミの取材のあり方】
一方、逆にマスコミは、報道の義務、報道の自由を唄って、仕事で
オリンピックに参加するわけだ。しっかりした旅費、特別手当て、日当、
損害保険など、あらゆる手当てを受けて報道参加するわけだ。
もちろん所属する機関名の代表者を名乗って、オリンピック主催者側
からも手厚い取り扱いを保証されるわけだ。したがって、プロとして
マスコミは報道参加していることになる。

このように、マスコミから派遣されるキャスターのレベルはひとまず
置いておくとして、キャスターはプロのジャーナリストとしての待遇
を日本から(つまり日本の所属機関から)もオリンピック開催国から
も得られる訳だ。

したがって、こういう状況下で日本のマスコミが報道する場合、
マスコミがいかなるレベルであれ、以下のような報道が選手たちに
とってもっともフェアーであると言えるだろう。

大会期間中は、
あ)アマチュア選手への取材は極度に制限されるべき。
い)取材はプロ選手を中心に行うべき。
う)競技進行を妨げない。
え)選手の演技や試技を妨げない。
お)コーチと選手の間に入らない。
か)他国のジャーナリストやプレスの邪魔をしない。
き)他国のジャーナリストやプレスと同調した取材を行う。
など、取材マナーをを厳守する。

(あ)は、アマチュア選手は個人参加している以上、これは一般人
がどこかのお祭りに参加しているのとまったく同じこと。あくまで
その選手の結果は報道する必要や義務はあるが、大会中にその選手
が何をしようが、誰といようが、まったく自由であるべきだ。
まして、企業のコマーシャルではないから、競技前の取材、競技直前
直後のインタビューなどは好ましくない。あくまで試技と結果(記録)
オンリーの報道を行うべきということ。

(い)したがって、主にプロの取材陣が追っ掛けるべきは、企業から
コマーシャル収入などを得て、広告塔として参加しているプロ選手
たちだろう。これらの選手には、多少の取材はその責任の範囲に入るが
良い成績を期待するのであれば、試合直前のインタビューは避ける
べきだろう。

(う)日本のマスコミは試合会場で競技の進行を絶対に妨げるベき
ではなく、あくまで第三者の立場で取材すべきである。しかし、
今回、長島和茂、松岡修造の2人のような連中が、あたかも自分たち
が競技のコーチのような顔をして、選手とコーチの間に直に入って
かなりの競技の進行を妨げていたことは記憶に新しい。こういうことは、
ルール違反なことなので、諸外国のだれも行っていなかった。
まったく馬鹿げた、自他認識障害症候群である。

(え)同様に、マスコミは、選手が演技や試技に入った時、直接
その選手に影響を与えるような行為を絶対にしてはならない。
その選手の家族やコーチなどの関係者が選手に激(げき)を飛ばす
ことは構わないが、自分の知名度を利用して(アマチュアである
選手が元プロである自分を知っていることを利用して)選手の
演技、試技を絶対に乱すべきではない。

今回、読売テレビの長島和茂と松岡修造の2人は、明らかにこういう
行為を行って、選手の演技に大きな影響を与え、ある場合には、ミス
を誘発し、ある場合には余計なプレッシャーをかけていた。特に、
松岡の場合は、彼のテレビの松岡修造テニス塾でも分かるように、
コーチとしては完全に失格で、また何のコーチ指導の勉強もしていない
わけで、スクールの子供や親御さんにプレッシャーをかける天才だ。
この感覚で今回オリンピックに参加し、試合前や後に選手に不必要
な言葉攻めしてプレッシャーをかけまくっていた。(これは昨夜
の読売テレビの連中のレポートで明らか!)

(お)そのため、こういう連中は絶対に阻止する必要がある。なぜなら、4年もの
長い間にかけて精神集中トレーニングや自己暗示やいろんな練習
を行って来て、そして選手とコーチの間で長い年月かけてつちかって
きたものが、こういうマスコミ関係者の試合直前の馬鹿な行いの
ためにすべてが水の泡になってしまうということになるからだ。
第三者がぜったいにコーチと選手の間に入らないようにしないと、
多くの試みは失敗に終わることだろう。

マスコミは、今回の松岡と長島の行為を心から恥じ、肝に命じて
今後に生かすべきだろう。

(か)また、今回明らかに、松岡と長島を送り込んだ、読売テレビなど
のような日本のテレビスポーツ番組製作者たちは、他国のスポーツ
ジャーナリストの邪魔になるような行為を行っていた。これも
非常に迷惑千万の話だ。これも一番有名なのは、スケルトンの
越選手の番にスタート直前に、日の丸の八巻した松岡がコース前
に突然現れ、日の丸をコースの上に差し出し、絶叫した。これに
驚いたアメリカユタのオリンピック放送局がそれを放送するという
事態にまでなった。驚いたの越選手だった。あまりに突然の松岡
侵入だったからだ。そして、メダルが有望視されていた越選手は
8位だった。これが松岡の影響を受けて良かったのか、あるいは
その影響のせいで悪くなったのか、これは分からないが、非常に
後味悪い結果となった。松岡は、日本選手のコーチ団も驚くような
スタンドプレーを行ったというわけだ。こういうスタンドプレー
(売名行為のようなプレー)は、御自分のテニスの試合だけで
やってもらいたいものだ!

(き)今回、こういう感じで、日本の民放のスポーツバラエティー
番組製作者やスポーツレポーターが取材報道を行っていた。
そのため、日本でユタの正式なオリンピック放送局から来ている
映像を見たり、あるいは会場で競技を開設しているNHKのキャスター
や解説者も松岡や長島の試合直前の絶叫や飛び入り参加には、非常に
驚いたようだ。村主(すぐり)選手が精神集中し、いざこれから
試技(それもメダルを目指した試技)に入る瞬間、世界がシーン
となったちょうどその瞬間に、どこからともなく松岡の絶叫が
入った。これには、解説していた佐藤ゆかさんも驚いて、えっと
うなった!そしてだれってそっちを振り返った。だれか叫びましたねって。
ほんと、長島和茂と松岡修造はなんか変なんじゃないかい?



以上、日本のマスコミ報道のあり方を大まかにまとめたが、今回
特に感じたのは、長島と松岡の競技への乱入事件の数々だった。
日本のメダルが今回銀1、銅1と極端に減った理由に彼らの馬鹿げた
乱入がどれほど影響を与えたのかは分からない。しかし、試合直前
に選手とコーチの間に突然姿を現し、あたかもコーチのような顔
をして、そうだプレッシャーを受けるのが当然だ、プレッシャーが
かかるのが当然だっていうような言葉を大声でかけ、競技そのもの
を滅茶苦茶にしてしまった責任は非常に思いと私は考えている。
まさしくフーリガン化したマスコミ、この象徴が長島和茂と松岡修造
の2人だった。ほんと最悪のコンビだった!!こんなオリンピック
はこれまで私は一度も見たことがない!!これを許したテレビ放送局
の責任は極めて悪質で重大だと私は考えている。読売テレビは
猛省すべきだろうねー!当然、長島、松岡とこのディレクターは首だろうな?

くわばら、くわばら!
男子で金丸、女子は佐藤と西田が「銅」獲得…世界柔道

ブラジルで開催中の世界柔道ブラジル大会は、日本は”惨敗”と言っても良い成績で、最近にない、悲惨な状況である。しかし、これはやる前から明らかなことで、その”種”はすでに国内選考予選の時に蒔かれていたのである。

この4月の予選の時に、私は以下のものを紹介していた。
よどんだ谷亮子の目に腐敗の影:谷亮子インタビュー
谷選考の”謎”
48kg級福見優勝、なのに代表は谷の”謎”?

今回の井上にしても、春の予選では、”国内最強”ではなかった。谷同様に、「これまでの国際大会での実績を重んじて」、”特別枠”で選ばれた選手である。

国内最強でない、旬を過ぎた選手を国際大会に送り込んでも、それでは勝てるはずがない。たとえ、国内最強の選手を送ったとしても、勝てる(優勝できる)とは限らないからである。

スポーツは実力の世界。ニセモノは活躍できない。それほど甘くはない。

はやり代表選手選考は、優勝した選手を出すべきである。掛け値無しにそうすべきだろう。さもなくば、国内選考をだれも一生懸命にやることはなくなってしまうからである。

今回の”惨敗”の直接の原因は、こんなインチキ選考を行った、強化委員長の吉村和郎にある。

吉村和郎は、こう言った。

「(五輪、世界選手権では)金メダルが絶対条件。国内で勝っても外国人に勝てない選手ではダメ。金に近い選手を選んだ」
「谷は他の選手と違う」

それに対して筑波大出身の山口香は、こう言った。

「勝っても代表に選ばれないのでは、チャンスがなくなってしまう。谷の立派さは分かるが、福見には今年がなければ、来年の五輪もないことになる」

吉村和郎にしっかり責任を取ってもらうべきですナ。
2007/09/14のBlog
永里が決勝G、日本がアルゼンチン撃破…サッカー女子W杯
なでしこジャパン、アルゼンチンに勝つ 女子W杯
1次リーグ突破難しい女子日本、欲しかった大量点

女子サッカーワールドカップ中国大会、なでしこジャパンvsアルゼンチンは、終了真際のロスタイム中の得点で、1一0で勝利した。

格下相手に終始ゲームを支配していたが、この試合に引き分け以下なら予選リーグ敗退が決まるためか、実に選手たちの動きが悪かった。

フォワードの永里は、最後に得点はしたものの、再三再四のチャンスをことごとくはずしてしまった。

今回は、宮本を原に代えなかったが、宇津木を最初から投入しなかったために、左サイドからの攻撃ができなかった。後半、若い宇津木を入れて、がんがんセンタリングしていったことから相手の驚異となり、日本のペースになった。

沢もプレッシャーからか、動きが悪く得点に絡めなかった。

最後に近賀のシュート(実際には、もっとライン際まで切り込んでから、マイナスのセンタリングで狙えば、100%の確率で得点できたはず)がキーパーのハンブルを誘い、つめていた永里がプッシュして試合を決めた。

それにしても、今大会のボンバーヘッドの荒川の動きが実に悪い。体調が悪いらしいが、ミスの連続で、まったく男勝りの本来の動きはなかった。

遠征やアウェーで体調を崩す選手は、O型が多いことから、荒川選手もきっとO型だろうと思って調べると、やはりO型だった(荒川恵理子)。

一般にO型の人は、水や食べ物など環境変化に弱く、たいてい消化器系をやられる。それに対し、AB型はコレラにもかからないというほど免疫が強い。A型とB型はその中間と知られている。それゆえ、O型はアウェーに弱く、AB型はアウェーに強い。

そこで、ついでに最後のシュートを放った近賀ゆかり選手やイングランド戦で2つのフリーキックを決めた宮間あや選手を調べると、B型であった(近賀ゆかり宮間あや)。良い動きをしていた宇津木瑠美選手はA型であった(宇津木瑠美)。

まあ、ちまたでは血液型は「ニセ科学」などと馬鹿なことを言っている馬鹿学者もいるようだが、すでに血液型は体質や免疫の”差”に関しては科学的証明されている事実なのである。それが、個々人の性格に強い影響を与えるのである。(参考、マット・リドレー「ゲノムが語る23の物語」)

そんなわけで、私はスポーツ選手の場合は、プロフィールに必ず血液型を明記しておくべきだと考えている。それにより、アウェー向きか、ホーム向きかがおおよそ見当がつくからである。

参考:
試合終了後のなでしこジャパン各選手コメント
なでしこジャパン (日本女子代表) 選手一覧
サッカー:J1 FC東京・梶山が骨折 全治3-4カ月

おとといのカタール戦で得点し、大活躍したエースの梶山選手が、後半負傷退場した時、骨折していたことが判明。全治3一4ヶ月の重症だと分かったという悲しいニュース。

この試合を私も見ていたが、空中戦の競り合いで着地した時に、左足が伸び切った状態でかかとから着地した。その時に、左ひざが真横にグニャという内側に折れ込んだように見えた。それが、「左足けい骨高原骨折」というものだったようだ。

かつてアトランタ・オリンピック前夜の練習中に、当時名古屋グランパスに所属し、オランダ留学を経て一世風靡し絶好調だった小倉選手(今回この試合のインタビュアーをしていた)が、空中戦の着地の際に右ひざをグニャと前に180度以上曲がるという怪我をし、戦列離脱したことを良く覚えている。それ以来、無理ができなくなって、良い選手から”凡庸な”選手へ様変わりし、サッカー選手としての生涯を早々と終えてしまった。

この事故以来の大怪我である。

昨年のワールドカップ・ドイツ大会でもイングランド代表のオーウェン選手が、左に切り返す際、右ひざをグニャと外側へ折って負傷した。確かつい最近やっと再起したばかりである。

若い選手にとって、ひざの故障は選手生命に関わる大事故である。梶山選手は、ぜひ良い医者にかかり、完治させてもらいたいものである。

治療に関しては、私は「冒険家・風間さん、バイク旅で日欧の医療の差を痛感」にあるように、国内で行うよりは海外ですることをお勧めする。特に、桑田選手を治療したアメリカの有名なジョーブ博士のところか、この記事にあるフランスのパリの公営病院で行うことを進める。クラブや日本サッカー協会はそのくらいの治療費を支払うべきである。

ところで、イングランド代表のオーウェン選手の件でも問題になったが、どこかのクラブチームの選手が国の代表選手として試合を戦った際に大怪我をした場合にどうするか、どうなるか、という問題をJリーグや日本サッカー協会はしっかり対処できるように法整備しておくべきだろう。

欧米の場合には、その選手が怪我をしなかった場合に得るだろう所得と、それに加えて、怪我の度合いに応じた(年金のような)保険金をその選手に与えるようである。

果たして日本の選手の場合はどうか。

おそらく、全部自分で治療しろ、ということなのだろう。しかし、これでは、代表として全身全霊で戦うことはできなくなる。ただただ代表で怪我したらバカを見るだけに終わってしまうことになるからである。

ぜひJリーグや日本サッカー協会にお願いしたいことは、代表試合における負傷を、単に”自分の不注意”として見捨てることなく、”名誉の負傷”として手厚く扱ってやって欲しいということである。
2007/09/13のBlog
日本がC組首位浮上、1一0でカタール下す…五輪最終予選

昨夜の反町ジャパン、U一22サッカー・北京五輪男子アジア最終予選第3節の日本vsカタールは結構面白い試合だった。

ここでずっと書いて来たように(オシム体制崩壊か?:反町ジャパンサッカーにならず )、トップに平山を使っているうちは勝ち目がない。

そう思っていたが、平山ファンの反町監督もだれか(おそらく川淵会長)に言われたのだろう。ここ最近の2試合(サウジ戦とカタール戦)は、トップにU一20の森島を使うようになった。

これが功を奏したようで、サウジ戦も勝ちはできなかったが、なかなか良い試合をした。そして昨日の試合も、得点こそ1点だったが、もっと良い出来の試合となった。

水野の活躍もあるが、トップの森島の執拗なディフェンスと同じくU一20から来た柏木のアイデア溢れるセットプレーが相手をパニックに陥れた。終始試合をコントロールできたことが勝利に繋がったと言えるだろう。

しかし、1つ上の世代のU一22の代表達のプレーはかなりお粗末なものだった。

特に、家長の回りを感じない独善的ドリブル。本田の不用意なラフプレー。こういう連中がリズムを崩すもとであった。結局、本田は2枚のイエローでお引き取りとなってしまい、チームは逆襲の憂き目にあった。

まあ、相変わらずの”谷間の世代”のU一22世代と、U一20ワールドカップで大活躍したU一20世代の間でまだまだ意識のずれがあるように見える。しかし、U一20世代が入って来て、チームカラーが非常に”明るくなって来た”ように見えるのは、好い傾向だろう。

いっそのこと、もっとU一20世代を多用して欲しいものである。そうすれば、もっと良いチームになるのは確かである。なぜならこの世代こそ、「高校サッカーに革命を!」の野洲高校の”セクシーサッカー世代”だからである。

ところで、控えに回った平山は、出場機会がなく活躍できなかったことに対して、たいへんくやしそうな顔をしていた、という話だが、どうして活躍した選手たちと素直に勝利を祝わうことができないのだろうか。

「サッカーは控えの選手も含めてすべての選手で戦うものである」

というのは、私が中高生のサッカー選手に良く語る言葉だが、例え控えの選手でも、ベンチで相手の動きを見て分析し、だれがフリーとなっているか、だれが調子の良い危険な選手であるのか、どこからボールが回っていくか、キーマンはだれか、などさまざまなことを分析してチームに貢献しなくてはならない。これが”サッカーの鉄則”である。私はそう理解している。だから、ベンチでボーとしておしゃべりしていれば良いということはない。

それゆえ、だれがレギュラー、先発選手であろうが、チームが勝てば、控えの選手もいっしょになって戦っていたわけだから、みんなで嬉しくなるのは当たり前のことなのである。

ところが、平山はそういうことがない。どうも何かが間違っているように見えるナ。
写真:ロシアの”真空爆弾”。英米に続く第2の拠点となった。


世界レベルの研究拠点へ、東大など対象機関に

この記事によれば、

世界トップレベル研究拠点プログラムの公募について
世界トップレベル研究拠点プログラム

の結果が、今日公表されたらしい。

『選ばれたのは、東京大のほか、東北大、大阪大、京都大、独立行政法人の物質・材料研究機構。プログラムには、13大学と9研究機関が応募したが、理化学研究所のほか、北海道大や名古屋大などは選定からもれた。』

このプロジェクトの目的は、次のようなものであるという。

『優れた頭脳の獲得合戦が世界で激化する中、今後10年間で数百億円を集中配分。研究者の3割は外国人を招請し、公用語は英語にするなどして、相対的に低下している日本の国際競争力を向上させる狙いがある。』

その条件とは、

『選ばれた大学・研究機関は主任研究者(教授・准教授相当)の半分以上が国際的な賞の受賞歴を持ち、論文被引用数などが世界トップ級であることなどが条件。』


このプロジェクトを見て一番驚くのは、まずお金の規模である。私は”目を疑った”。何か1桁、2桁間違っていませんか、というところ。

10年で数百億円の投資だから、1年で数十億円。数拠点が選ばれたから、1拠点で年10億円。アメリカの大学では、ノーベル賞学者やノーベル賞級の学者の年収は1億円は下らない。ということは、このクラスを雇うのであれば、たった10人しか雇えないということになる(研究費や施設も含めれば、せいぜい数人というところか)。

果たしてそんな予算でうまくいくのだろうか。そんなはずがない。

何かが間違っているのだろう。あるいは、この夏の暑さで頭が狂ったのだろう。

ところで、こういうような、何かを発展させるための国家投資というのは、どうやるべきか。これには私ながらにイメージがある。

それは、かつて勝海舟が「氷川清話」に書いていたことだが(おそらく山岡鉄舟の功績からヒントにしたものだろうが)、国内投資というものは、投資される側にはわからないように、それとなく受注する、というものである。仮に大学を改革したければ、大学がそういう改革をした方が得策であるとおのずと考え直すように”仕向ける”のである。

例えば、こんなふうにやる。

国が先にアメリカの大学のノーベル賞級の先生を雇い、大学に向かって「アメリカの良い先生が日本の大学に来たがっているが、何とかしてもらえませんかね」と聞く。その名と名声を聞いて驚いた大学は、自分のところに欲しいという。そこで「じゃあ、今回は東大でお頼みしますね。次回は京大や他のところでお願いします」というというようなやり方である。

同じ予算を組んでやるのはいっしょだが、やり方が正反対である。

今のように、先に”プロジェクト”と銘打って、募集するという形式でやれば、勝てば官軍だが、はずれたら「バカを見る」わけである。おまけに、敗者は、「国からだめの烙印を押された」ことになる。国民はそう思う。したがって、その恨みを国は大学から買うことになる。

物事には、順序や順番、つまり方向性がある。間違った方向から、間違った順番で行えば、同じ予算や同じ時間や同じ労力を使ったとしても、まったく違った結果を生むのである。そういうことがある。山岡鉄舟や勝海舟は、そう示唆している。

どうも日本の官僚は、日本の古典(真の古典)を少しも読んでいないようですナ。
安倍首相が退陣の意向、記者会見で表明

昨日の昼からもはや安倍首相退陣報道ばかりでテレビ報道は明け暮れた。しかし、こんなことは、ずっと前から分かっていたことである。

”「お公家さん」はトップから去れ!”

で以前私がここで紹介していたように、”これ”が「お公家さん」というものの性質である。

私は、そこで「お公家さん」の”性質”を以下のようなものであるとまとめている。

GK: ”非情”
DF: ”卑怯” ”狡猾” ”虚弱” ”虚栄”
MF: ”無責任” ”無感動” ”無表情”
FW: ”嫉妬” ”残忍” ”贅沢”

今回の安倍さんの”騒動”を見ていれば、これらのうちの大半を満たしているということが誰の目にも明らかだろう。

特に、亡き、”志士の人”柘植俊一先生のあげた、”卑怯” ”狡猾” ”虚弱” ”虚栄”は、すべてどんぴしゃりで満たされている。これに、”無責任” ”無感動” ”無表情”と”嫉妬”が確実に加わっている。

安倍さんがもしここ(や柘植さんの本「反秀才論」)を読んでいれば、おそらく最初から首相を勤めることはなかったかも知れない。なぜなら自分が一国の首相をする”器”になかったことは明らかだからだ。あくまで誰かの補佐役として良い仕事をしたはずである。

人には、”適性”、すなわち才能というものがある。かつて私の師であるビル・サザーランド博士が私に教えてくれた言葉だが、「才能は役立つ」というものがある。

確かにこの言葉は真実で、何を行うにも、それに見合った才能のあるなしは非常に物事を左右する。才能があったからといって常に成功するというわけではないが、才能がなければただ空回りばかりし、何ごともなかなか実現できない。

サッカー選手のように、その才能の見きわめがだれにでも簡単につくものであれば楽だが、そういうふうなものばかりであるとは限らない。科学者のように非常に才能の見きわめが難しいものもある。死ぬころになってはじめて自分に才能がなかったと気付くというようなものがほとんどである。

才能がなかったからといって、やってはいけないということはないが、やはりやる人は無理にでもやらねばならず、心理的プレッシャーから逃れることはむずかしい。結果として、自分の寿命を短くする。一方、才能のある人は、生き生きとして心理的プレッシャーもなく、逆に長生きできることとなる。

この違いは、”変人”小泉純一郎と”凡人”安倍晋三の違いに見事に現れている。有名な変人として自由気侭な政治家として何十年も過ごして来た人物と、常に取り巻きのお世話やお膳立ての上に成り立って来た人物とでは違うということである。

それが、後者が前者のマネをして過ごさざるをえない状況で出てしまったものだから、不協和音が出てくるのは当然である。

まあ、「安倍政権は小泉後の中次ぎ政権」と予想はされていたこととは言え、自分の政治生命をかけるには、あまりに稚拙な騒動であったと言える。

ところで、ことの真相を述べた、ジャーナリストの青山さんのコメントがなかなか面白かった。要するに、健康問題はあくまで表面上の引き金に過ぎず、本当の理由は、麻生さんたち取り巻きのクーデター(あるいは、麻生の傀儡政権化)であったという説である。安倍さんのやりたいことはもはや何も通らない状況となり、国会答弁では麻生さんのシナリオ通りに答弁しなくてはならなくなり、もはややる気を失せたのではないか、というのが青山さんの説であった。この人によれば、今度は、麻生vs小泉となるらしい。

まあ、どうなることか、全く分からないが、自民党員の度重なる、2重、3重帳簿(領収証)問題でも分かるように、もはや自民党でグルになってそういうことをやっていた感じであるナ。

いずれにせよ、世の中は、学者であれ、政治家であれ、官僚であれ、企業家であれ、「いかに国から金をせしめるか」が目的となってしまった観がある。この国の金が石油や金やダイヤを売ってありあまる金というなら良いのだが、日本の場合は、かってに刷って作った借金である。

「俺の仕事は社会にとって必須の重要な仕事なのだから、国が借金しても賄ってくれ」という論法ですナ。

働き盛りの息子を持つ一家の主人が、息子から借金してどんどん事業に手を広げ、もはや息子の給料では手が回らなくなる。日本は、こんな比喩のような感じの国となった。

これは、自分の子供に保険をかけ、子供が死んだ時にその保険金を当てにする馬鹿な親のような発想である。欧米では、こうした因果律に反する保険は禁じられているが、日本の保険会社は未だに許している。

このせいかどうかは知らないが、日本の政治家や官僚も、まだ生まれてもいない末代までも借金のかたにするという政策を続けたいということのようですナ。困ったものである
2007/09/12のBlog
日本、イングランドと引き分ける 女子サッカーW杯

『女子サッカーのワールドカップ(W杯)第2日は11日、1次リーグ3試合があり、A組の日本は上海でイングランドと2一2で引き分けた。日本は1一2とリードされた後半ロスタイム、宮間が1点目に続いて再びFKを直接決めて追いついた。』

サッカー日本代表 スイスに勝利 国際親善試合

『サッカーの国際親善試合、日本スイスが11日、オーストリア・クラーゲンフルトであり、日本が4一3で勝った』


私は、この2試合、なでしこジャパン戦はリアルタイムで、オシム・ジャパン戦は今朝録画で見たが、この2試合を見ていると、”監督采配”というものがいかに重要かということが良く分かる。

いずれにせよ、以前からしばしばここで紹介して来たように、今のなでしこジャパンが非常に強いということが良く分かっただろうと思う。(”なでしこジャパン”の強さの秘密?

なでしこジャパンは、オシム・ジャパンより平均身長を上回るようなイングランドの女子サッカーチームと対戦したのである。終始押しぎみに試合を運んでいたが、前半は互角で0一0。後半の前半にフリーキックで宮間が決めたが、それまでイングランドの長身フォワードスミスをしっかり押さえていた宮本を変え、原の投入でリズムを失い、矢継ぎ早にスミスに2失点を食らう。しかし、終了まぎわのロスタイム中のフリーキックで再び宮間がゴールしてなんとか追い付いた、という試合だった。

勝てる試合を監督の采配ミスで落としかけた試合と言えるだろう。それにしても、宮間のフリーキックは非常に素晴らしい。教科書通りのインステップキックで、女子サッカーの技術が男子より上だという私の主張を裏付けてくれるものであった。

一方、オシム・ジャパンは、前半0一2で負けていたが、後半4一1で、トータル4一3で薄氷の勝利を上げたというものであった。しかし、今度は、この試合の鍵は、相手のスイスの監督の采配ミスであった。後半から、若い選手を2人入れた当たりから、前半から出ていたベーラミが突然不調となり、松井にPKを与える。2点目は、巻をマークしていたべーラミのマークがはずれて失点。そして再び、3点目のPKを与えた。つまり、1人で3失点に絡んでしまったのである。最後の4点目もディフェンダーのポジションがずれていたために、矢野に決められてしまったというわけである。

要するに、前半2一0でほぼ勝利を手中に収めたと目論んだスイスの監督が、手を抜いたことが原因であった。もしスイスが手を抜かず、もう1点を先に決めて3一0になっていたら、ほぼ日本の勝利はなかったと言えるだろう。その意味で、けっして誉められる試合ではなかった。

だいたい変則ルールで6人まで選手交代できるのだから、6人も変えたらまったく別のチームになってしまう。スイスは最初のチームと後半のチームは全く別だったと考えるべきだろうナ。

いずれにせよ、この試合に関しては、稲本の存在が大きかった。稲本が、まん中で相手の攻撃の芽を摘んでいったために、遠藤が自由に動き回ることができ、それが功を奏した。稲本、遠藤はトルシエ・チルドレンだから、やはりワールドユース(現U一20ワールドカップ)ナイジェリア大会準優勝の”トルシエの遺産”と言えるだろう。
2007/09/11のBlog
もうすぐノーベルシーズンとなる。10月の第二週、欧米の新年度のアカデミックイヤーが始まるころが、ノーベル賞発表の時期である。

ノーベル賞:4分野の受賞候補者を予測 米文献データ会社
によれば、文献検索データの「トムソンエンティフィック」がこの時期”恒例”の今年のノーベル賞予測を公表したという。

予測されたものは、世界の研究者17人で、日本からは、
NEC特別主席研究員の飯島澄男・名城大教授
高エネルギー加速器研究機構前機構長の戸塚洋二・東京大特別栄誉教授
の2人が、物理学賞の候補に挙げられた。他はないという。

この「トムソンエンティフィック」の当選確率は、02年から昨年までに54人を選出し、うち4人が受賞した、というから、非常に低い。7・4%の命中率である。


さて、ノーベル賞には、予測会社というのではないが、”ノーベル賞の前哨戦”と見なされている賞がある。一番有名なものは、以下の2つであろうか。

イスラエルのWolf prize
アメリカのFranklin mdeal

フランクリンメダルでは、2007年度の受賞者は以下のものである。

Augustine , Norman R. 2007 Leadership Bower Business Leadership
Biemann , Klaus 2007 Chemistry Benjamin Franklin
Card , Stuart K. 2007 Computer and Cognitive Science Bower Science
Dennard , Robert H. 2007 Electrical Engineering Benjamin Franklin
Flemings , Merton C. 2007 Materials Science Benjamin Franklin
McDonald , Arthur B. 2007 Physics Benjamin Franklin
Squyres , Steven W. 2007 Earth Science Benjamin Franklin
Totsuka , Yoji 2007 Physics Benjamin Franklin
Wexler , Nancy S. 2007 Life Science Benjamin Franklin

一方、ウォルフ賞では、今年は以下のものである。

Physics:
Albert Fert, Unit Mixte de Physique CNRS, Orsay, France
Peter Gruenberg, Institut fuer Festkoerperforschung (IFF), Forschungszentrum Juelich, Juelich, Germany
Chemistry:
Ada Yonath, Weizmann Institute of Science, Rehovot, Israel
George Feher, University of California, San Diego, La Jolla, California, U.S.A.
Medicine(05):
Anthony R. Hunter, The Salk Institute, La Jolla, California, U.S.A.
Anthony J. Pawson, The Samuel Lunenfeld Research Institute of Mount Sinai Hospital, Toronto, Canada
Alexander Levitzki, The Silberman Institute of Life Sciences, The Hebrew University, Jerusalem, Israel


さて、これらのうちどれが一番命中率が高いのだろうか。

そこで、ウォルフ賞の物理学で1978年度以降を調べると、44人がこの賞を受賞し、うち11人がノーベル賞を取っている。2割5分の確率である。

フランクリンメダルの過去の受賞者はちょっとすぐには分からないが、恐らく、ウォルフ賞と同程度の命中率ではないかと想像する。

まあ、そんなわけで、文献検索データの「トムソンエンティフィック」の予想よりはるかに前哨戦である、ウォルフ賞やフランクリンメダルの方が当たる確率が高いということのようである。

それゆえ、今年は、飯島(カーボンナノチューブ)、中村(青色LED)、戸塚(ニュートリノ)らの受賞の可能性はかなり高いと言える。もっとも、こうした賞を受賞している他の受賞者たちであるという可能性も非常に高いのだが。

朗報を期待したいネ。
[ 16:47 ] [ 大学・大学院 ]
まあ、この歳になると、見えなくていいものや分からなくていいものまで、見えてしまったり、分かってしまうために、不快な思いをするということがある。おそらく、気持ちの良い思いをすることより、そうではない方が増えてくる。

ブログ時代となり、研究所の研究者たちと比べて、かなり時間や自由のある、大学の先生たちも自分のブログに自分の日々の活動を書き連ねる時代となったようだ。それゆえ、今やたくさんの学者たちのブログもインターネット上で読むことができる時代となった。

しかし、そうしてみると、おのずと、学者世界もまた、さまざまな別の世界と比較されることになる。まあ、個人的な印象としては、「学者稼業は結構気楽らしい」ということだろう。

学者もそれぞれの学問分野のプロとして飯を食っている(つまり、給料をもらっている)わけだから、そこは、他のプロ、例えば、Jリーガーやプロ野球選手たちと同じである。

むしろ、場合によっては、億円単位の巨額の研究費を税金から得られるという点では、プロスポーツ選手より責任が重いのかもしれない。昨今では、数百万円から数万円レベルの不正でも問題となる世の中であるからである。

ところが、ブログの内容を見ていると、どうもそういう責任感や危機感というものがない(ように見える)から、不思議である。

というのも、多くの物理学者などのブログを見ても、”自画自賛”ばかりで、一向に自分自身の行っていることを批判的に”他人の目で見る”ということがないのである。これが非常に気になるところである。

その点、Jリーガーなどプロスポーツ選手たちは、常に多くのファンや視聴者の目線にさらされるために、いつも”自己反省”するという習慣がある。やはり、多くのファンや解説者の厳しい目で評価されるために、今度はこうしよう、ああしようという視点が持ち込まれざるを得ない。

それは、こうしたプロスポーツの世界が、真に”競争社会”だからである。日進月歩、進歩なくしては、他のものにポジションを奪われる。こういう危機感があるからである。

ところが、どうも日本の学者社会というのは、こういう危機感は皆無である。

仮にあなたがどこかの大学で理論物理学の教授職を得たとしよう。それは、統計力学でも量子力学でも電磁気学でも力学でも何でもいい。とにかく、何かのポストを得たとする。学者の場合は、このポストを得る時は、それなりに競争社会の様相を呈する。なぜなら、何人もあるいは何十人何百人も応募するということがあるからである。

しかし、一旦職を取れば、それ以後は、よほどひどいことをしない限り、ポストを奪われるということはない。セクハラや横領など悪いことをしなければ、あとは何をしてもかまわない。何もしなくてもかまわない。学者として活躍できれば結構だが、活躍できなくてもまた結構。そういうものが日本の学者社会である。

プロスポーツなら、いい加減にやっていれば、ある時いきなり”戦力外通告”されることがあるが、学者にはそんな危険はあり得ない。だれかに自分のポジションを奪われるということはない。おそらく、これが学者社会の”気軽さ”の原因だと言えるだろう。

自分が書いた論文が、他人の書いた論文と比較され、どちらがベターかなど論ばくされるということは、今の学者世界にはない。せいぜい引用ランキング程度の比較だろう。

その点スポーツは厳しい。常に評価され、比較され、どの選手が一番活躍したかと1日、1週間、1ヶ月ごとに評論されるのである。月間MVPとか、年間MVPとかさまざまなものがある。

もし学者社会で、自分の書いた論文や教科書が、他人の書いた論文や教科書と精査されるとしたらどうだろうか。

そうしたら、学者社会も競争社会になるだろうか。より良い教科書やより良い論文が生まれるだろうか。おそらくその答えは、イエスだろう。

間接的には、論文引用ランキングもその1つの指標であるが、これでは、学者の日々の活動を比較したことにはならない。あくまで公表された論文におけるお話に過ぎないからである。

今は、何億円、何十億円単位の研究費が、COE研究資金として消費される時代である。総額でも1年に数兆円の科学技術研究予算がつく時代である。30年前とは違う。

こんな時代に、研究者の生活だけは、30年前のように牧歌的に過ごせるというのでは困る。毎日のほほんと自画自賛のブログ活動してはいそれまででは非常に嘆かわしい。

ブログというのは、本来、私のように、個人として隠居しているような、閑人がつけるものである。

大学にいる学者さんのみなさんには、もっと自分に厳しくなって、常に他の学者と比較評価されるということを意識してもらいたいものであるナ。まあ、ここで私が言ったところで、何も変わることはないのだがネ。

いずれにせよ、多額の借金から来た税金という”十字架”を背負って欲しいものである。
2007/09/10のBlog
昨夜のU一17ワールドカップ韓国大会の決勝、ナイジェリアvsスペインの試合を今日録画で見たが、0一0でPK戦となり、3一0でナイジェリアが3度目の優勝。(ちなみに、3位はドイツ、4位はガーナ。ドイツは、2一1でガーナに勝利した)

”無敵艦隊”予備軍の強豪スペインと、フィジカルでこのクラス最強と言われるナイジェリアの戦いとなった。両者それぞれの持ち味を出して、スピードと個人技で突破を計るナイジェリアと、絶妙のパスワークとロングシュートで崩すスペインの戦い。ともに決定期を持ったが、双方の”鉄壁のディフェンス”で無得点に終わった。

PK戦は、ナイジェリアが余裕で決めていったのにもかかわらず、スペインは連続3人失敗であっけなく勝負が付いてしまった。

さすがに素早いナイジェリアの攻撃のために脚に来ていたのだろう。ダメージがボディーブローのように効いていたにちがいない。

それにしても、明日、あさってのスパースターの大会だけに、これらの中から、次のクリスチャン・ロナウドやフェルナンドトーレス、カヌーのような選手が出てくることだけは確かである。日本の中田英寿もU一15、U一17が出発点となった。

問題は、このナイジェリアでもU一20、U一23、ワールドカップとなってくると、なかなか優勝できないということである。

つまり、この年代ではまだフィジカルを頼りの”荒削り”なサッカーでも優勝できる。これは、日本でも、Jリーグチームの下部組織が、その年代年代のかなり”早熟の選手”を選んで、強いチームを組むが、かといって、それが必ずしもA代表クラスになると通用しなくなる、ということと似ている。ナイジェリアのパワー、スピードだけのサッカーでは、A代表のワールドカップでは優勝できなくなるのである。

これは、ジュニア世代から成人世代に進むと、必ず正真正銘の天才的プレーが育って来て、そういう選手を持つ国に対抗できなくなるからである。アルゼンチンのマラドーナやメッシ、ブラジルのロナウジーニョ、ドイツのクローゼなど。

こういった選手たちが必ずしもユース世代で最強であるというわけではない。徐々に成人とともにフィジカルトレーニングを積んで、持ち前のサッカーセンスにフィジカル面を強化してくるのである。さらに、それに加えて、マリーシアや戦術を備えてくる。

まあ、しかし、ナイジェリアはいずれはA代表のワールドカップでも優勝できるポテンシャルはある。いつかは優勝し、アフリカ最初の優勝国になるだろう。恐らく、次の2010年南アフリカ大会は地元の大会なので、もっともその可能性が高い。

そんなわけで、次のワールドカップは実に楽しみな大会と言えるだろう。
[ 17:29 ] [ 地震・災害 ]
久々に”怪しい雲”発見。


秋の”うろこ雲”と言えばそれまでだが、地震雲の一種かも知れないので要注意。
2007/09/08のBlog
[ 11:26 ] [ 好きな言葉や詩 ]
写真:3000年前のイスラエルの養蜂の巣跡。イスラエル人は3000年前から蜂蜜を食べていたようだ。

約半年程前、私は「こういう人を何と言うのだろうか? 」というジョークを書いていた。

最近、私はこういうタイプの人物に最も相応しい呼名を見つけたのでここにメモしておこう。

そこで書いたように、”そういう人”を日本語(あるいは英語でも良いが)で正しく呼ぶ、好い呼名がなかった。

日本語で一番近いのは、俗に言うところの、”縁の下の力持ち”というものである。しかし、”縁の下の力持ち”というのは、家の土台のように、あるものを下で支えるというような意味の言葉である。例えば、政治家の秘書のような人物がもっともこの言葉に適している。それゆえ、この人物には適さない。なぜなら、”そういう人”は、特に意識してだれかのために、誰かを影ながら支えようとして何かを行っているというわけではないからである。あくまで一種の”触媒”としてだれかの役に立つのである。

この意味では”触媒”、ないしは”触媒的人物”という呼び方もあり得る。しかし、”触媒”ではあまりに物質的すぎる印象がでて、これまたあまり人の呼名としては適さない。

この夏、私は福岡伸一という人の「生物と無生物のあいだ」なる本(恐らく、私の自伝「歩む者のない道」)のような、一種の自伝を読んだのだが、その中でアメリカの生物学者エイヴリーをアメリカ人がする呼び方が非常に合っているような気がする。

アメリカ人は、エイヴリーを"Unsung Hero"(”アンサング・ヒーロー”)と呼ぶ。

ワトソン一クリックは、エイヴリーの実験結果から得た多くのヒントをインスピレーションにしてDNA構造の解明を実現したのだが、DNAが遺伝子の本体を担っているという発見はすべてエイヴリーの詳細な実験で得られたものである。「分子生物学の夜明け」は、すべてエイヴリーが導いたものである。

夜明け前はまだ暗い。だれもエイヴリーの姿を見ることなく、時は進み、明かりとともに現れ出たのがワトソン一クリックであった。それゆえ、ワトソン一クリックが正真正銘のヒーローとなった。

こうしたヒーロー(つまり、人々に語られ、人々の口々にその名が登場し、人々から賞賛されるもの)の影で、実はその人なくしてはそのヒーローも存在しないのだが、だれの口からも語られることのない人、それが”アンサング・ヒーロー”である。

”アンサング・ヒーロー”は、決して”ヒーロー”になろうとしてやっているわけでも、まだ見ぬ”ヒーロー”のために縁の下の力持ちをして支えているわけでもない。あくまで自分自身の興味や関心で突き進んでいるわけである。しかし、それが回り回って自分の回りに関わる人を”ヒーロー”に仕立てる。その意味で触媒でもある。アゲマン、アゲチンでもある。人々を幸福にする。だが、決して人々の口からあからさまに賞賛されるというようなことはない。こういう人物である。

こういう人は、自分のまわりを見渡せば、きっと見つかるはずである。

”アンサング・ヒーロー”、なかなか好い言葉であるナ。
2007/09/07のBlog
デフテック:解散を発表 公式サイトで「方向性の違い」と

昨夜放送された「鳥人間」大会の東大チームの飛行機名は、”F-Tech”。明らかに、この名前は、ジャワイアンスター”Def Tech”の物まね。

この”Def Tech”が、今日解散声明を出した。

”■みなさまへ
活動再開を待ってくれた皆さん、ごめんなさい。
わたしたちShenとMicroは、音楽的な方向性の違いからDef Techを解散することにしました。

これからは、それぞれソロとして活動し、みなさまへ音楽を届けていきたいと思っています。

2007年9月
Shen
Micro

We keep changing, opening new doors and doing new things,
because we're progressive and progress keeps leading us down new paths.
(私たちは絶えず変わりつづけ、新たなドアを開けつづけ、新たなことに挑戦しつづけます。 それは私たちが向上心を持っていて、進歩こそが私たちを新たな道へと導きつづけるからです。)

Alohas, Shen 

2001年から6年という間をDef Techとして活動をし続け、
今、目の前に二つの"わかれ道"が見えてきた。
一つはハワイから世界に、もう一つはこの日本から全世界にひらかれている道。
僕らは自分達としっかり向き合い、今前を向いて、
お互いの歩むべき"My Way"を進んでいくことを決意した。

「今日までも、そしてこれからも共に歩んでいく
 多くの仲間達、ファンとサポーターのみんな、ほんとうにありがとう。」

Micro”


我が家の息子のともだち達にも多くのファンがいて、再開を心待ちしていた。それだけに、大変残念なことである。中学生たちも「My Way」の「前に前に」という前向きのフレーズにどれほど勇気づけられたことだろうか。

我が家の2006年の謹賀新年 にある写真も今や貴重なものとなってしまった観がある。

いつまでも若き日の初心を忘れずにさらなる活躍をしてほしいものであるナ。
その昔(2001年10月28日)、私はこんなジョークを作っていた。

プッチーニ作曲「Nessun Dorme」(だれも眠らせはしない)
は、オペラの最高傑作の一つ。特に、アンドレア ボッチェリや
パバロッティの歌うNessun Dormeは最高だ。

Nessun dorma!
Nessun dorma!
Tu pur, o Principessa!
nella tua fredda stanza

世の中では、「悪いやつほど良く眠る。」
いつか私もこういうように歌いたいと思っている。

寝させんぞ、馬鹿め!
寝させんぞ、悪め!
、、、

夜よ、失せよ!悪たちよ、消えよ!
夜明けになれば、私の勝ちだ!


このルチアーノ・パバロッティさんがついに死去した。享年71歳。膵臓がん手術後の静養中にお亡くなりになった。
オペラ歌手のパバロッティさん死去…3大テノールの一人
パバロッティ氏逝く 日本でも惜しむ声

小澤征爾さん:
「何十年来の友人で、大変悲しく思います。スカラ座での私のデビューは、パバロッティさんの強い勧めがあり実現した。彼の声は、レストランなどで流れていてもすぐにわかる。もう聴けなくなるのは大変残念です」

テノール歌手の市原多朗さん:
「後輩を育てようという気持ちの強い人。芸術の道への案内人となってくれた。僕の舞台の時にも、よくトコトコ寄ってきて『こうした方が楽だよ』と現場感覚でアドバイスをくれた」

音楽評論家の黒田恭一さん:
「すごく寂しい。徹底して明るいイタリアのテノールで、常軌を逸した熱狂を観客に起こさせる独特の存在感があった。『オペラってすごいんだ』と多くの人に気付かせた功績ははかりしれない」

ファンクラブ会長の小島栄子さん:
「人を包み込む温かい雰囲気に魅せられて、きょうだいや親子で入ってくれた人もいる。世界の空がかげってしまったよう」


ところで、私はかねてからディズニーの名作「ピノキオ」に登場する、ストロンボリ親方とパバロッティが非常に似ていると思っていた。性格もやることも全く違うのだが、なぜかユーモラスな雰囲気、姿形が瓜二つ。

御冥福を祈りたい。
2007/09/06のBlog
光・母子殺害、TV発言波紋 弁護団と橋下弁護士対決へ

「山口県光市で99年に起きた母子殺害事件の差し戻し控訴審で、元少年(26)の死刑回避を訴える弁護団側と、テレビで弁護団の懲戒処分請求を視聴者に呼びかけた橋下(はしもと)徹(とおる)弁護士(大阪弁護士会)が法廷で全面対決することになった。「業務を妨害された」と訴訟を起こした弁護団側に対し、橋下弁護士は徹底抗戦の構えを見せる。懲戒請求は全国で少なくとも3900件を数え、刑事弁護のあり方が社会現象を引き起こす異常な事態になっている。 」

今回のこの騒動は、橋下弁護士が100%正しい。

「弁護団のうち、広島弁護士会所属の弁護士4人」とあるが、これらの弁護士の背後にいる”黒幕”は、死刑廃止論者の安田好弘弁護士である。
安田好弘の「検察ニモマケズ」
「悪法も法なり」ソクラテスの言葉

この人物が率いるグループが、同じ弁護士会にも存在し、凶悪犯罪者の弁護を請け負って暗躍しているのである。このだんなが関わった事件には、次のようなものがある。

「新宿西口バス放火事件」
「山梨幼児誘拐殺人事件」
「ロス殺人事件」の三浦和義
「オウムの地下鉄サリン事件」の麻原彰晃
「和歌山カレー事件」の林真須美
「耐震偽装事件」のヒューザー小嶋
「光市母子殺害事件」

今回の橋下弁護士に訴訟を起こした弁護士達は、この安田の”家来”と言えるだろう。今や、この安田なる謎の人物は、麻原並みの危険人物と言えるかも知れない。なぜなら凶悪犯罪者の影で暗躍し、すべて裁判を長期化させて、場合によっては死刑を免れさせて、犯罪被害者に物理的心理的被害を拡大するからである。さらには、人々を再犯の危機に陥れるからである。

今枝弁護士は橋下弁護士の発言に「世間の偏見や誤解を助長している。弁護士がそのような活動をするのは問題で、刑事弁護する弁護人が風潮や世間の目を気にして萎縮(いしゅく)することにつながる」と批判しているというが、おおいに”畏縮”(=自粛)してほしいものである。

凶悪犯罪で、無実の人々を殺した殺人者は、潔くきっぱり死して責任をとってほしいものである。さもなくば、飲酒運転でわが子を殺された母がいみじくも述べたように「裁判判決が甘ければ、自分で殺す」という”復讐”宣言したように、神の裁きを犯罪被害者自らが果たさなくてならない社会となるからである。

それにしても、

「安田:検察官を人格的に捉えてみると、彼らの多くは、いまだ精神的に自立してないわけですよ。子供の頃の被害体験の裏返しとして検察官の職業があるんですね。いじめられたり、バカにされたり、悔しい思いをしたり、そういう思いを、大なり小なり、誰もがしているんだけど、彼らは、検察官になって社会正義を実現するという形で幼少時の不全感を晴らしていこうとしているんですね。それはいじめられた子供たちが権力を持っていじめ返す歴史なんです。その最たるものが、彼らが持っている正義感、つまり、「国家をまともにしよう」という思想なわけですよ。それが時代とともにどんどん強くなるんです。まあリクルートの時にはね、政界の汚職もあったから、それなりの意味はあった。中曽根から始まって軒並み未公開株で儲けたわけ。今回のライブドアは違うんです。基本的に政界汚職をやってない。しかも、誰も被害を受けていない。ホリエモンだけが一人勝ちしただけなんですよ。ホリエモンの被害者はいないんですよ。」

検察を目の敵にし、中曽根元首相を小馬鹿にし、ホリエモンの被害者はいない、と断言するこの安田という人物はいったい何ものなのだろうか。

ぜひマスコミは、この人を調査すべきだろうヨ。朝青龍どころではない。さもなくば、犯罪被害者やその家族はうかばれない。

いずれにせよ、検察にも良い人もいれば悪い人もいる。悪い人は正し、良い人は応援する。それは、弁護士も同じことだろう。

みんなで橋下弁護士を応援したいものである。

ちなみに、「死刑廃止」活動それ自体は、いくらやっても結構である。しかし、現実の個別の裁判をその目的の為の道具に使うな、ということである。個別の事件は、”今ある法律”で裁くべきだからである。「死刑廃止」活動は、裁判以外の啓蒙活動として行うべきだろうヨ。
iPod「touch」発表 無線LANでダウンロード
iPod「touch」発表

今から3、40年前、日本のソニーが”世界の実験”を行っていた。世界初のコンパクトなトランジスターラジオ、世界初の携帯レコーダーのウォークマンなどを世に問うた。マネシタ(松下)電気は、ソニーが実験してから真似すれば良いという哲学であった。

あれから、30年。

今や日米の立場が逆転した。ソニーは、昔のマネシタ電気のような会社となったのだろうか。アメリカのマッキントッシュのやることを実験と見る。そしてうまくいったものを真似する。iMac、iPod、iPhone、と続く、マッキントッシュの新製品の後を追う。

1986年、ユタにいた私は「バック・ツー・ザ・フューチャー1」を見た。

1985年から1955年に戻ったマーティーが言った。
「ドク、今や良いものは全部日本製だよ」
「信じられん」と1955年のドクが言う。

そう、80年代のソニーには真に”革新的”なる文化が存在した。そして、55年代のアメリカにトランジスターラジオを売り込んでいったのもソニーであった。

果たして、あの時代精神、フレッシュで革新的な時代精神が、再び疲弊しきった日本に蘇るだろうか?

ここ3日ほど連続でNHKのBSで「バック・ツー・ザ・フューチャー1、2、3」をやっていた。いかにソニーがこの映画に力を入れたかが良く分かる。

この映画のように、真に未来へ戻るためには、一度は忘れ去られた過去に戻らねばなるまいヨ。
2007/09/05のBlog
クモ男、モスクワで逮捕 242メートルのビル登る

”スパイダーマン”こと、フランス人ビルクライマーのアラン・ロベールさん(45)が、4日モスクワに出現。高さ242メートルのビル登頂に成功後、警察当局に逮捕されたというニュース。

このスパイダーマンの逮捕の仕方にその国民性が出る。

アメリカ人やロシア人は、ロベールさんの”異才”を高く評価し、敬意を持っていつも登頂後に逮捕する。

しかし、我が国の警察や警備員は、ロベールさんの才能を全く無視。いつも途中で横やりを入れて逮捕する。そこに、国民の”意地悪度”が良く出ている。

ところで、この才能はどこから来るのだろうか。

明らかにロベールさんの遺伝子からだろうと私は見ている。どこかで学んだというよりは、一種の新人類である。登らざるを得ない衝動にかられるに違いない。

なぜなら、ロベールさんには娘がいたが(どこかのテレビ番組で見たが)、そのまだはいはい歩きもままならない1歳児の女の子が、柱を何の問題なくよじ登る姿は驚きであった。

きっと一種の先祖帰りなのかも知れない。先祖帰り遺伝子には、俗に「狼男」のように多毛症になるというものや、しっぽが生えるとか、指が6本とか、さまざまな形状の先祖帰りが知られている。しかし、かつて木に登っていたころの記憶を彷佛させる”木登り”は、行動遺伝子における先祖帰りのようなものではないかと見える。

この遺伝子が発現すると、むしょうに木によじ登りたくなる。そんな遺伝子があるのかもしれないナ。
遺伝情報の個人差0・5%、従来の説の5倍…米民間研究所

2年程前に私は以下のものを紹介していた。
DNA Wars
ショットガン読書法:DNA解読の極意

この”ショットガン法”というDNA解読法を見つけた、ユタ、ソルトレーク生まれのクレイグ・ヴェンター博士(60)が、ついに自分の方法で自分の全遺伝子配列を解読。人類で全遺伝子解読された、”第2番目の人間”となったというニュース。ちなみに、最初の人物は、ワトソン博士だった。
”ワトソン遺伝子”解読

要するに、人類最初の人間遺伝子全解読の名誉のための”競争”が、ワトソン率いるアメリカ大学チーム(スターウォーズ的に言えば、共和国軍司令官)とヴェンター率いるアメリカ民間企業研究所のチーム(スターウォーズ的に言えば、反乱軍司令官)との間で行われていた、ということである。蚊屋の外に置かれたのは日本人や欧州人であった。

一歩先に、抜け駆け的にワトソンが公表し、(恐らく最初に手掛けはじめたのが)ヴェンターであったのだろう(と私は想像している)が、ヴェンターが2番手となった。

しかし、ヴェンター軍の方が、強力なDNA解析専用スーパースーパーコンピュータを持っているために、より以上のことができる。その結果、人間のDNAの”個人差”にまで言及することができた。

とまあ、こんなことではなかったか、と私は想像する。

結局、「人の遺伝子の場合、個人差は1%程度」という驚くべき結果が出たということである。

これは何が驚くべきことか、と言えば、こういうことである。

人間の染色体数は、23対。類人猿の染色体数は、24対。それらのほとんどは見たところ一緒で、100塩基中せいぜい2塩基程度の違いしか見つからない。一番、変化の激しいミトコンドリアの遺伝子でも、人とチンパンジーでは、せいぜい40%程度の違い。ミトコンドリアの場合、1%の塩基の違いが表れるには、10万年はかかると考えられてきたわけである。それゆえ、これまで人とチンパンジーの遺伝子の差は、せいぜい2%程度。98%は人もチンパンジーも共通である、というように考えられて来た。

ところが、今回のヴェンターの結果は、人間どうしの個人差が、人とチンパンジーの差の半分(から1/4)もあるということを意味している。

人とチンパンジーを比べた場合、一見大きな差があり、人間どうしにはチンパンジーと比べてたいした差はないように見える。がしかし、実は結構差があるということを示しているともいえるのである。

まあ、ナイーブに考えれば、チンパンジーから人(だれをもって”完璧なる人”と定義するかは異論はあるだろうが)に至る間に、さまざまな”人”のバラエティーが存在するということを意味しているということだろう。この部分に、我々が”人種”と感じる部分の差が含まれているのかもしない。

おそらく、莫大なデータバンクも持つ、ヴェンターは、個人的にこの部分に踏み込む膨大なデータをすでに持っているのではないだろうか。そんな気がする。

この”個人差”部分を解析すれば、これまでの人類系統樹よりはるかに精度の高い系統図を得ることができるのだろう。
2007/09/04のBlog
写真:まん中が、瀬島龍三

元伊藤忠会長の瀬島龍三氏死去…元大本営参謀、臨調委員も

”謎の人物”、瀬島龍三死去。享年95歳。

自爆テロと特攻・真珠湾攻撃 suicide attack 9

によれば、瀬島龍三は、日本軍の恥ずべき誤作戦、「神風特攻隊」の”生みの親”と目される人物である。だれが悪しき特攻隊を組織したかは今だ謎らしいが、瀬島龍三の自伝「幾山河瀬島龍三 回顧録」のp.167で次のように書いているという。

「しかし、帝国海軍伝統の士気は極めて旺盛であった。3月17日からの九州/沖縄航空戦、次いで3月25日の慶良間列島への米軍上陸、4月1日の沖縄本島への米軍上陸などにおいて水上特攻、空中特攻(菊水)、人間魚雷(回天)、人間爆弾(桜花)など各艦隊、各部隊、第一線の将兵が自らの発意で敵に体当たりし、国に殉ずる尊い姿には、襟を正し、感涙を禁じ得ないものがあった。」



実は、真珠湾攻撃の時にも、特攻隊が組織されていた。それが、自爆潜水艦の特殊潜航艇「甲標的」(甲標的甲型)というものであった。それゆえ、大平洋戦争の開戦時の真珠湾攻撃の時からすでに日本には特攻隊が実施されたのである。その時の犠牲者は9人。

この「甲標的」も自然発生的に誕生した作戦だったと瀬島龍三は言っていたようである。

自分は95歳までのうのうと生き延び、戦後の日本で影のフィクサー役を演じたという根っからの悪である。

私はミドリ十字という会社を作った、元細菌兵器開発の731部隊の残党にも非常に興味があるが、この部隊の残党や中曽根元首相や瀬島龍三のタイプの人間は非常に似た雰囲気を持っている。こういう感じの人物が日本では歴史上時々誕生してくる。

私は、こういう連中のどこに問題やその原因があるのか、ぜひ連中のDNA解析をしてみたいとかねがね思っている。育ちのせいなのか、先祖の血筋なのか、突然変異なのか。その辺を知りたいのである。


空軍パイロットや潜水艦のオフィサーは、現在の米軍でもエリート中のエリートである。なぜなら、育てるのに物凄い時間とお金がかかるからである。戦時中の日本軍でもそれは同じことで、潜水艦員や飛行機乗りは、海軍や空軍のエリートであった。それゆえ、米軍では、今でもパイロットやオフィサーを国の宝物のように手堅く扱う。決して無駄死にさせることはない。

それを「敵に体当たりし、国に殉ずる尊い姿には、襟を正し、感涙を禁じ得ないものがあった」などという単純な仁侠道の延長でみていたところにこの人物の懐の狭さや知性の弱さが良く現れている。現実には、「優秀なやつから死んでいく」という歴史的事実を残しただけのことだった。

司馬遼太郎史観によれば、日本の武士の俊友は、西南戦争で多くを失った。武士文化はここでほぼ死滅した。そして日露戦争で日本の多くの俊友を失い、ついに武士文化は絶滅した。さらに太平洋戦争でもっと多くの俊友を失った。柘植俊一史観によれば、戦後は、農民文化がほぼ死滅した。

柘植先生はこういっている。(「反秀才論」81ページより)

「戦争が民族に与える最大の傷は、男児として最も質の高い若者から死んでいくという事実、つまりその民族の一番の上澄み液をすくいとってしまうという悲劇にある、と私は信じている。」

いずれにせよ、「亜米利加は、上にいくほど伶俐でござる」といった勝海舟の時代から、いや「吾妻鏡」の鎌倉時代から、いやもっと前からおそらく日本は全く変わらず、「日の本は、上にいくほど阿呆でござる」国だったのだろうヨ。

ついでに言えば、戦後の日本は、生き残った”カス”や”クズ”が作ったようなもの。したがって、今のような現状となるのは必然のこと。
2007/09/02のBlog
サッカー女子代表、壮行試合でブラジル退ける

W杯前最後の壮行試合のサッカー・キリンチャレンジカップ2007、日本女子代表(FIFAランク10位)一ブラジル女子代表(FIFAランク8位)が2日・フクアリで行われ、日本が2一1で勝利。

女子ワールドカップ開幕前の壮行試合としては非常に良い結果が出た。

しばらく前に、「”なでしこジャパン”の強さの秘密?」で紹介したように、女子サッカーの方がずっと良い方向に来ているということが証明されたと言えるだろう。

ワールドカップでも予選リーグを突破し、決勝トーナメント進出してほしいものである。
2007/08/31のBlog
朝青龍、治療期間は1週間程度 療養地に到着

人の作る社会というものは、ある特徴を持った人間の集団がつくるものだ。当たり前のことだが、これが意味するものは深刻である。

人はそれぞれ個性を持つが、その個性の共通項は、遺伝的性質に裏打ちされるからだ。それゆえ、ある特定の人間集団が特有の遺伝的性質を帯びている時、その社会にもその特徴が現れる。

今回、ちまたで、朝青龍にまつわるやり取りを見ていると、日本人の気質、メンタリティーが少なくとも鎌倉時代以来の800年間まったく変化していなかった、という思いにかられ、私はがく然とする。

ここでも何度も取り上げているが(もちろん、3年程前に、拙著「柘植の『反秀才論』を読み解く』」の下巻の最終節にも書いたことだが)、今は亡き、柘植先生の『反秀才論』の取り上げた、畠山重忠(はたけやましげただ)の時代から何も変わっていないようだ。重忠は、文治3年(1187年)頃に生きていた人物だから、今からかれこれ820年前から変わっていない、ということとなる。

「吾妻鏡」によれば、重忠は今の大きな関取のように、人並みの大きさのある巨石を持ち上げて運ぶことができるほどの怪力の持ち主であった。その重忠は、自分がついた主君の不祥事のおかげで責任を取らさせるという不名誉に遭遇した。後世の我々から見れば、それも重忠の大いなる将来性に驚異を感じたライバル達が追い落としを計ったようなものである。

その時の重忠の取った態度とは、次のようなものだった。

「千葉新介、参じ申して云ふ。重忠召籠られてすでに七ヶ日を過くるなり、この間寝食共に絶ちおわんぬ。終に又、言語を発するなし。今朝胤正詞をつくして膳をすすむといえども許容せず、顔色漸く変ず。世上の事、終思切るかの由(現世に見切りをつけたの意か)見及ぶ所なり」

つまり、重忠は自分が使えていた代官が不正をしたために、自分までその罪をかぶってしまい、断食して死んで潔白を証明しようとした、のである。

柘植先生は、この時の重忠の気持ちをこう言っている(「反秀才論」より)。

”この記述から感じとれる重忠の心中は『反省』ではなくて『無念』である。現代風にいえば『選りに選って俺ほどの清廉な男が破廉恥罪とは』というところであったろう。行きどころのない無念が『断食して死ぬ』という決心になる。武士の原点である鎌倉武士の恐ろしさは、思慮深い良識派でしばしば争いの止め男として登場する重忠でさえ、武士としての内奥の痛点に触れられると一挙に死を決意して開きなおるところである。重忠がゲーテのように『目の人(アウゲンメンシュ)』であるなら、ここは実情を正視しておとなしく謝罪し、誰もが納得のゆく善後策を講じたであろう。”

重忠の問題に驚いた、源頼朝が何とかしてこの期は助けてことなきを得る。その際に重忠はこう吐き捨てたという。

”赦免された重忠はわざと重臣里見冠者義成の上座にどっかと座って、傍輩に、
「領地を拝領するときはまあず代官の器量を見定めるのが第一である。信頼できるのがいなければ領地はもらわない方がいい。重忠は身辺清潔を心懸け、貴公らとはちがうと内心うぬぼれていたが代官の不正でとんだ恥辱に逢った」
といい、ふっと席を立って領地の武蔵の国に帰ってしまう。”

つまり、使えるべき主君の器量を誤るとさんざんな目に逢うぞ、そいつが信頼できないなら下手に領土なんてもらうなよ。そういって、さっさと自国へ帰ってしまった、というのである。

重忠には、次から次へと難くせをつけるものが現れる。今度の相手は、御家人を統制する侍所の長官梶原景時であった。「謀叛の企てなくば起請文を書け」と言われる始末(文治三年十一月二十一日の項)。

この時、重忠はこういった。

「重忠ほどの武勇の者が、自分の武力で人をおどして財宝を奪い、それで世渡りをしたならばこれこそ恥辱である。一方、謀叛の噂をたてられるのは武士として気骨があると見られることで却って名誉なことである。それに自分は頼朝公を主とあおいで謀叛など考えたこともない。かつ自分は心の中と言うことは違えたことがない。起請文とは普段うそばかりついている輩が、このことばかりはうそではない、というときに書くものである。従って自分は書くことができない。頼朝公にはそのように御披露ありたし。」

結局、重忠は、謀反せざるを得ないような状況に追いやられて、万を超える北条氏の大軍にたった134騎の小勢で突っ込み、数時間の戦いの後に矢で射られて首をはねられた。


今回の朝青龍関を見ていると、この畠山重忠とだぶって私には見えてしまう。あまりの馬鹿げた事件に、いっそ食うものも食わずに死んでやるか、というところ、回りのもののだれも信ぜず、田舎に帰ってしまうところ、などそっくりである。勇猛な志士にありがちな態度である。

このことから推測して、私は実際には、高砂親方が「おれが何とかするから、モンゴルでサッカーしてこい」と言って、適当に巡業をさぼる口実をお抱え医師と仕組み、親方の指図の下に行った、国際親善サッカーが、まるで自分がやりたくてやったかのように言われて犯罪者扱いされてしまったことにあまりに腹を立ててしまったのではないか、という気がする。

こうなると、馬鹿な親方につかえたために、ひどい目に合わされたと朝青龍関は考えたのだろう。もうだれとも口はきかん。日本人とはいっさい話したくない。こんな気持ちになることは当然だろう。

こんなわけで、820年前の畠山重忠の時代から、朝青龍関の2007年の現在まで、日本人のメンタリティーはまったく変わっていないのだ。

これを驚かずして何というのだろうヨ。
2007/08/29のBlog
サッカー少年7人、暴行受けけが 全国大会控え反撃せず

『「クラブに迷惑をかけたくない。全国大会に出られなくなる」と、反撃を一切しなかった』

いやー、偉いぞ、町田JFC。

反撃すれば、5分でやっつけられただろうに、いっさい反撃しなかった、というのは、実に素晴らしい。また、やられっぱなしでも、多少の怪我ですんだというのは、日頃の鍛練の証しだろう。

事件前、少年5人は現場近くの別の公園で中学校の体育祭で行う踊りの練習をしていた。選手たちが談笑しながら通りかかったのを、「踊りを笑われたと思い、腹が立った」という理由で相手に暴力を振るったという。

しかし、”踊り”というのは、元来ショウビジネスのものだから、人を笑わせたり、楽しませたりと、人前で行うものだろう。だから、下手ならバカにされ、うまければ好まれるものである。そんなことも分からずに踊りをやっているとしたら、あまりにもお粗末な連中であるナ。

”自意識過剰”過ぎるナ。人は自分が思う程には自分のことなぞ意識していないものである。こういう連中には、きつーいげんこつを一発ずつ食らわせておくべきだろうヨ。

いずれにせよ、町田JFCには何の落ち度もないのだから、全国大会でも存分に活躍してほしいものだネ。


ところで、以前「”なでしこジャパン”の強さの秘密?」で紹介した鳴門ポラリスは、U15女子サッカー全国大会の決勝進出を果たした。

【追記】
この日決勝戦が行われ、鹿児島の神村学園が2一0で優勝した。
2007/08/28のBlog
いやはや、今回の世界陸上大阪大会は、”惨敗”という言葉が最も適している。
下にまとめたように、入賞、決勝まで残った選手は、ハンマー投げの室伏のみという有り様。

果たしてこの原因は何であったのだろうか?

「失敗学」的考察が望まれる。

私個人の見解では、やはり今回は、”為末のおかげで”日本選手陣全体に何か甘さがあったように思う。

ここで、”為末のおかげで”というのは、”みのもんた”のクイズ番組で為末が1000万円を取り、この1000万円で世界陸上のキャンペーンに使うという企画を為末が出してから、陸上選手達がことごとくテレビのバラエティー番組などに出ずっぱりであった、という意味である。

私がこの大会中見たのは、”関口宏”の東京フレンドパーク2に陸上選手達が出ていたものであった。これは恐らく録画放送のはずだから、大会よりずっと前に撮影されたものだろう。しかし、そこに出ていた選手たち、為末、末續、澤野、成迫、室伏、信岡(2007/3/26)は、今回ことごとく惨敗してしまったわけである。

みのもんたや関口宏やシンスケのような連中は、いったいスポーツというものをどう考えているのだろうか。

大会直前の一番大事な時に、テレビマスコミに出るということが、いかに選手の「ハングリー精神」に支障を来すか分からないのだろうか。ちょっと1時間程度の番組に出演すれば、これまでの”年収”や大会賞金に匹敵する、金額を得られる。そうとあっては、一流選手は大会で入賞することより、芸能界に顔を売って、楽に稼ぐ方を選ぶのは目に見えている。

これでは、好記録が期待できるはずがない。ましてや、室伏広治のように、3つも4つも掛け持ちでコマーシャルに出ているようでは世界に太刀打ちなどできるはずがない。この”惨敗”という結果は自明の理である。

その一方で、世界の強豪はしっかりと結果を残してくる。実力通りの結果を残す。これは、ちゃんと準備して来ているということである。

どうも日本陸連は、最近絶好調の水泳と比べて、何かが間違っているように見える。10年、20年前では立場は全く逆であった。世界大会で入賞する陸上界と世界からは取り残された水泳界というのが相場であった。それが、あれから10年、20年、立場は全く逆転した。

この違いがどこから来たのか? この問題を分析するのは面白い。

いずれにせよ、今回に限っては、みのもんたや関口宏に大きな責任があるということだけは確かであるナ。連中はどう責任取るのだろうナ。また、世界陸上を放映する読売の報道姿勢にも大きな問題があると言えるだろう。儲かったのは織田裕二らタレントのみということとなるからである。

ちなみに、マラソン団体で優勝というのがあるが、個人競技の陸上でそんなものは無価値である。

2007/08/27のBlog
「源氏物語」全訳で菊池寛賞、サイデンステッカーさん死去

「源氏物語」を英訳したエドワード・G・サイデンステッカーさん(日本文学研究の第一人者。コロンビア大学名誉教授)が26日、外傷性頭蓋(ずがい)内損傷のため死去。享年86歳。

『米国コロラド州生まれ。米海軍日本語学校に学び、硫黄島作戦にも加わった。戦後外交官として来日したが1950年に退官し、東京大学大学院で平安文学の研究を始めた。谷崎潤一郎「細雪」、川端康成「雪国」など現代小説も英訳。精緻(せいち)な訳文に定評があり、川端は68年にノーベル文学賞を受賞した際、「半分は訳者の手柄」とたたえた。ドナルド・キーン氏と共に海外での日本文学研究の基礎を築いた。』

博士は、ユダヤ人で多くの日本人インテリとも交流があったようだ。明治天皇の孫の1人の中丸薫さんとも親交があったという。(「日本とユダヤ/魂の隠された絆」参照)

博士は、昨春、日本の永住権を獲得。東京・湯島で独り暮らしをしながら落語や散歩を楽しんでいた。しかし、今年4月末に階段で転び頭部を強打。これが死因だという。教え子らが看病したが意識は戻らなかった。

何か、日本で死ぬために日本人となったような感じで、本当に気の毒な感じがする。アメリカ生活してれば、もっと長生きしただろうにと思う。日本よりは何から何まで進歩しているからである。脳外科もアメリカの方が数段上。

いつも思うことだが、そこまでリスクを犯してまで外人が日本に住みたがる理由というものが私にはいまいち良く分からない。そんな魅力はないと私は思うからである。アメリカで遠めに日本研究している方が良いのではなかったか。

御冥福を祈りたい。


「日本文学の翻訳について 『源氏物語』『雪国』『細雪』をめぐって」
2007/08/26のBlog
世界陸上大阪の開会式、203か国・地域の選手が入場行進

昨日、陸上の第11回世界選手権、大阪大会が、大阪・長居陸上競技場で開幕した。

その開会式で織田裕二が歌を歌ったのだが、どうみても「口パク」のように見えた。微妙に口と音声がずれるのである。放送の関係かと思っていたら、その後の歌舞伎役者の声と口は見事に一致していた。だから、やはり織田裕二だけが本当には歌っていなかったのだろう。

開会式からこれでは先が思いやられると思っていたら、やっぱり日本勢は良いところなし。

織田裕二が個人的にいくら陸上が好きだからと言って、あえて織田裕二を”番組の中心”にしてしまうというようなやり方は私は好まない。「世界の中心で陸上を叫ぶ」というような印象を持つからである。あくまで1ファンとして存在してほしいものである。

ところで、今回の為末にしろ、日本勢がふがいないのは、サムライをイメージした宣伝キャラクターのせいかどうか知らないが、世界陸上を盛り上げるためのイベントに力をいれ過ぎて、本職の陸上の練習をおろそかにしたのは明らかだろう。”本末転倒”の最たるものである。

陸上ほどストイックなスポーツはないのだから、要するに「放っとけ」ということである。織田裕二のように回りのマスコミ関係者が、自分の出演料のために選手を道具に使い過ぎるのだ。これが、マスコミがスポーツにとって「百害あって一利無し」ということの典型なのである。

そろそろ、スポーツ報道もその姿勢を問われる時代に入ったことは明白である。

たいした給料も得られないにもかかわらず、1年間一生懸命に練習しても、たった10秒で終わってしまう陸上選手と、それを涼しいところで座って見ていて適当なことを言っていれば数百万円の出演料が手に入るタレントとを比較した場合、あまりにその違いが歴然となり、たいがいの陸上選手はやる気を失う。

きつい練習より、テレビのバラエティーで馬鹿なことを言っている方が金になるのである。これでは、味をしめて辛い練習はしなくなる。

したがって、おのずと結果は明らかである。

どうも日本のスポーツ報道は、本末転倒で悪循環に満ちたことをくり返し行っているように見える。本当に馬鹿なやつらだナ。

もう(口パクするような)織田裕二や長島和茂なんか読売は使うなヨ!かといって吉本芸人を使われても困るのだが。