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2007/11/21のBlog
写真1:長安口(ながやすぐち)ダム

昨日、徳島県南部の”水源”である、”上那賀”にある長安口ダムに行って来たが、現在は、写真のものより、水はかなり豊富にあった。



写真2:上空からの一望。といっても、長安口ダム資料館である「ビーバー館」内にある模型を撮ったもの。



写真3:カレーハウスの見なれない”菊”

さて、その帰りの途中、昼食を取ったカレーハウスに見なれない”菊”があった。



写真4:オビトケノコンギク(帯解野紺菊)

この名前を私は知らなかったので、調べてみると、
どうやら「オビトケノコンギク(帯解野紺菊)」(学名、Aster ageratoides var. ovatus)というものらしい。

このHPの最後に
「チョクザキヨメナ(Aster ageratoides var. tubulosus)と同じものかどうか調査中」
とあった。



写真5:ちょくざきよめな (直咲き嫁菜)

そこで一応調べてみると、”チョクザキヨメナ”とは「ちょくざきよめな (直咲き嫁菜)」のことであった。


そこで、写真から両者を比較すると、どうも、花びらは似ているのだが、中の黄色の部分の色と形状が違っているように見える。それゆえ、違う花のように見える。

果たして、この2つは同じ花(植物)なのだろうか?

おそらく遺伝子レベルで調べれば違いが分かるのだろう。パーソナルDNA検査機が欲しいところだ。

ところで、「帯解野紺菊」、「直咲き嫁菜」というネーミングは、何か不思議な付け方である。

そこで、何ごとも”ついで”、語源を調べてみると、こんなものがあった。

ノコンギク
「帯解の祝い … 7歳の女子が幼児の紐を解きはじめて大人と同じ帯をしめる儀式 ...
現在の七五三で言う、七歳の女の子の祝いで締める、あの帯でしょうか。
七歳の女の子・・・・・・如何にも愛らしい感じがします。」

一方、ヨメナ
「よめはやさしく美しいと事からという説がある。若葉は特有の香りがある。ヨメナご飯は菜飯の代表格。」

いずれにせよ、
”幼女が少女になる時の健気で無垢な美しさ”、
”若嫁のやさしい美しさ”、
そんなものをこういう花の美しさに昔の日本人は準えたということだろう。
2007/11/19のBlog
[ 17:14 ] [ 地震・災害 ]
昨日、阿南市上空を抜ける、久々に非常に奇妙な、細長い、変わった雲があった。これが「地震雲」だといけないので、ここに紹介しておこう。

写真1:細長い、地震雲風の”変わった雲”。(阿南中学にて撮影)



写真2:同じ雲の別の方向。
それにしても、”恥ずかしいほどの”ボロ校舎だナ。

何とかしてくれ、文科省。

これほどまでに、地方の公立学校の校舎はおんぼろなんだヨ。

ハワイからやって来たシェンの親父さんは、
「はじめてこんなボロ校舎を見た。アメリカにはこんなものはない」と言っていたネ。

今や日本の小中学校のおんぼろ振りはききしに優るレベル。

有馬さんのおかげで日本の大学のボロ校舎は何とか持ち直したが、
今や地方の公立の小中学校は、”破滅的”な状況なんですナ。

有馬さん、俳句なんぞ作っている場合ではないヨ。

寒空の 地震雲下に ボロ校舎
日本の行方 ここに見ゆらん



写真3:他の方向。



写真4:もう少し遅い時間に別の場所(フジグラン阿南前)から撮ったもの。
2007/11/18のBlog
今現在生きている日本人の中でいったい何人がこの問いの答えを知っているだろうか? おそらく、だれも知らないのではないだろうか。

今日、私はネットサーフしている内に、偶然この疑問に行き当たった。今回は、この話を紹介させてもらおう。

ところで、江戸時代に鎖国状態にあった日本を開国に導いたのはだれか、知っているだろうか?

これには恐らくみんな答えられるだろう。これは、承知の通り、アメリカの”黒船”でやって来たペリー提督(Commodore Matthew C. Perry )である。

では、そのペリーはどこの大学出身者だったか、御存じだろうか?

恐らく、これは調べない限り、知っている人はその筋の専門家以外いないだろう。実は、アメリカ東海岸にあるイェール大学である。

この当時、ぺリーの出身のイェール大学は、すでに創立200年近くになり、その記念準備の日に近付いていた。今日本の大学が創立100周年程度であること(一番古い東大でも130年)を比べると、いかにアメリカの大学制度が先んじているか分かるだろう。

では、ペリーが日本に黒船でやって来た時、ペリーは日本語が話せたのだろうか?

これは、もちろんノーである。通訳が必要だった。

では、だれが当時の日本人とペリーの間で掛け橋の通訳となったのだろうか?

これもおそらく知る人はほとんどいないだろう。これは、サッミュエル・ウェルズ・ウィリアムズ(Samuel Wells Williams)という人である。後にイェール大学で西洋世界初の日本語、日本文化の教授となった人である。

最初の問いに戻ると、その答えは、山川健次郎という人である。後に、第6代東京帝国大学の総長、最初の九州工業大学の総長、最初の九州帝国大学の総長、京都帝国大学総長を歴任した人物である。

山川健次郎
によれば、『1871年(明治4年) 斗南藩再興のあと、アメリカへの国費留学生に選抜され渡米。1875年(明治8年) イェール大学で物理学の学位を取得し帰国。』とある。

今では、”学位”取得と言えば、博士号やPh. D.(Doctor of Philosophy)のことであるが、当時はundergraduate(学部)の理学士(Bachelor)取得でも学位取得と呼んだようである。

山川健次郎博士は、イェール大学の”学部”で学んだ最初の日本人学生、日本人学部生第一号となり、近代科学の基礎である物理学を専攻した。当時は、すでに日本人留学生は結構いたのだが、正規の学部生となり、しっかり最後まで向こうのカリキュラムに従って学位取得して卒業できたのは、山川健次郎博士”のみ”であった。他の学生たちは、正規の学生ではなく、1、2年特定の学問を勉強して帰国したにすぎなかったという。

したがって、イェール大学で最初に学位(学士)をもらったのが、山川健次郎博士であった。

これは、現在でもアメリカ留学の大半が”遊学生”であり、あるいは”短期留学生”、”交換留学生”であり、正規の留学生が少ないことと似ていて実に興味深い話である。

山川健次郎博士は、1875年に帰国して、東京帝国大学の物理学の助手になった。そこにいたのは、アメリカ人ピーター・ベーダー(ピーテェル・ベダル)教授であり、その下に就いたのである。

その後、そこで勤めて、1879年(明治12年) 日本人として初の物理学教授になった。博士号は、ずっと後の1888年(明治21年)であり、これが 東京大学初の理学博士号授与となった。そして、1901年(明治34年) 48歳で東京帝国大学総長となる。

とまあ、こういうふうに、

日本人初のイェール大学の学位(物理学)取得卒業生。
日本人初の物理学教授。
東大初の理学博士号(物理学)取得者。
東大初の物理学者の総長(どうやら、この伝統が現在の東大にも生きているようですな)。

これは、山川健次郎博士であった。

ちなみに、日本では、一般には、大正時代の「千里眼事件」、超能力者御船千鶴子の事件で「明治44年1月4日、物理学者で東京帝国大学元総長の山川健次郎が同席した透視・念写実験が、丸亀の長尾宅で行なわれた。」というような形で有名である。


参考:
Yale and Japan History and Overview
これは非常に優れた解説である。

ちなみに、私の奥さんによれば、この中にある、アメリカ留学中に撮影された写真の山川健次郎博士の顔と私の若いころの顔はそっくりだという。
2007/11/17のBlog
ところで、カダノフ博士のベナール対流の研究に関してネットサーフィンしていたところ、面白いアニメーションを見つけたのでここに紹介しておこう。

これは、William J. Beaty博士のホームページにある。
WHY DOES SMOKE 'RING?'(なぜタバコの煙は”輪”になるか?)

これは、2次元格子、あるいは3次元格子における「格子ソリトン」というものの一種であるように見える。

外側の空気が理想気体で”粘性がなければ”、リングにならずにそのまま進み(図1)、

実気体で”粘性があれば”、輪ができる(図2)という説明である。

果たして、ベナール対流の中のマッシュルーム状の”プリューム”は、どうやればできるのだろうか?

今の所よく分からないが、「スモークリング(煙の輪)」の研究は、何がしかのヒントをくれそうですナ。


ちなみに、空気砲(エアバズーカ)などのおもちゃはアメリカではすでに市販されているらしい。さすがに科学の国アメリカ、商魂たくましい。


こんなやつもある。


ところで、イルカも海の中でエアバズーカで遊ぶことが知られている。
Whale blowing "smoke rings" underwater
どうみても、そのイルカは”笑っている”ナ。

参考:
Vortex ring toys
Giant Vortex Ring Generator
2日前に「SST vs ベルナール対流:抽象的思考と実用的思考 」を書いて、最近の統計力学の1つの話題を紹介した。

これは、ここではめったにしない物理学や物理学者についての話題であった。かなりアカデミックな話だったが、めずらしく1000を超えるヒットがあった。

これに関して、田崎博士の協力者の1人、東大の佐々真一教授も同じ話題に関する手記を自分のブログに書いていたので、それもついでにここで紹介しておこう。

2007-11-15 木曜日

最後の方に、佐々博士はこう書いている。

”‥‥‥ 強く思い込まないと「隠れている大事なもの」が見えてこないし、強く思い込みすぎると「すぐそばにある大事なもの」が隠れてしまう。このあたりの感覚は未だによくわからない。”

これは、佐々博士流理論物理学の”神髄”をうまく表現しているのかも知れない。

いずれにせよ、ここ10年の日本においては、生物科学分野の研究者は非常に大きな進歩をうながしているのに比べて、我々の分野では、あまり日本人理論物理学者はパッとしないように見える。それゆえ、日本の大学の理論物理学者も他分野に負けずに良い成果を残して欲しいものである。

また、日本社会の「格差社会」は、大学にも飛び火し、富める東大はますます豊かに富み、貧しい大学はますます貧乏になったという。小泉純一郎時代の起こした”負の遺産”である。以来、日本の大学の格差も尋常ではないレベルに来ているらしい。(この理由は、またいつか分析することもあるだろう)

まあ、そんな時代だから、東大の学者が、豊富な資金と人材を食いつぶすだけで、何も世界に進歩の貢献をしないというのでは本末転倒となる。

給料ゼロ研究費ゼロでフリーでやっている”極貧研究者”の私ですらある程度の貢献はできるのだから、いくら貧乏といっても大学に住み、そこそこの給料と研究費と学生のいる研究者はそれなりに実績を残せないはずがない。

この辺りを胸に手をあてて自省し、技に走ることなく、安易に走ることなく、本質的な進歩に導いて欲しいものですナ。
2007/11/16のBlog
サッカー日本・オシム監督、脳こうそくで倒れる

今日夕方、サッカー日本代表のイビチャ・オシム監督(66)が、脳硬塞で倒れたというニュースが駆け巡った。

「現在、オシム監督は、千葉の病院に入院し、集中治療室に入っているが、状態は不安定」と、日本サッカー協会の川淵三郎会長は記者会見したという。

私の父親も20数年前に同じように脳硬塞で倒れたことがある。幸い、その後、現在まで事なきを得て、今も健在で、80歳となったが、リハビリなどで復帰するまで1年近くかかった。

このことからしても、今回のオシム監督の昏倒は、気掛かりである。

おそらく、無事命を取り留めても、代表監督という激務を全うすることはもはや不可能だろう。早急に次の代表監督を決めるべきである。とはいっても、ジーコだけはだめである。

7月に私は以下のものを書いていた。

オシム監督は解任すべきだ!
またふがいなく負けた:オシム更迭すべきか?

おそらく、この時にオシム監督をすんなり解任しておけば、今回の脳硬塞はなかっただろうと私は感じる。

さて、だれが良いかといえば、浦和レッズのオジェク監督、ガンバ大阪の西野監督あたりだろうか。私は、そろそろ日本人監督でもいいのではないか、と思う。が、まだまだ日本人選手にプロ魂を教え込むには、ヨーロッパか南米の監督が一番だろう。しかし、ブラジルサッカーから欧州サッカーに日本のサッカーが方向転換し、これから日本流のサッカーを目指していくには、これまでの流れを損なわずにやるしかない。

果たしてだれにするのか?

悩ましいところですナ。

いずれにしても、命を取り留めて、また「オシムの言葉」を聞きたいものである。
幸運を祈るばかりである。
2007/11/15のBlog
私も研究者の1人だが、研究者という人種が、自分の生活を「幸せです」と語るという場面はそうめったにあるものではない。

学習院大学の田崎晴明教授は、まさにそういう時を過ごしているという。博士のホームページの「11/15/2007(木)」には、こうある。

「ここまで読まれた方がどれほどいらっしゃるかは分からないけれど、前回の日記とあわせてみれば、研究に浮かれ、椎名林檎のライブに浮かれ、なんとまあ、おめでたい奴だと思われることだろう。

まったく、そのとおりとしか言いようがない。 自分でもあきれるくらい色々なことが楽しくて仕方がない。幸せです。」

これは、彼等が”SST(Steady State Thermodynamics)(定常状態熱力学)”と呼んでいる学問(これはまだできていないものだが)の構築に向けての突破口が開かれ、かなり完成に近付いたという、その喜びがそこに語られている。

研究者というのは、「1つの定まった学問の中の個々の問題を解いていく」というのも1つの方法である。普通はたいていはこういうものである。私の大半の研究もこうしたものである。

だが、その昔の「相対性理論」や「量子力学」のように、「1つの新しい学問を作り上げる」というのも1つの方向である。

しかし、これは非常に難しく、大きな「突破口」が必要である。量子力学の場合には「不確定性原理」とか「シュレディンガー方程式」とか、こういうものがそうした「突破口」であった。「相対性理論」の場合には、「ローレンツ変換」とか、「光速度不変の原理」とかがそういうものであった。

最近の統計力学の1つの流れに、このような意味で、「定常状態熱力学」を作り上げよう、という動きがあるらしい。欧米でもさかんに研究されて来ている。

田崎教授のグループは、「ついにこれを成し遂げた」というのである。もしこれが本当であれば、実に素晴らしいことである。

現段階では、それが本当に正しいのかどうか分からないが、その研究者たちの感激振りを伝えておくことはそれなりの意味があるかも知れない。そこで、ここでも紹介させてもらうことにしたわけである。


ところで、研究者、特に理論物理学者の場合には、大きく分けて2種類ある。1つ目は、最初に数式から出発する人。あるいは、非常に抽象的(アブストラクト)なことを好む人々がいる。数学で言えば、「代数的な人」あるいは「解析的な人」と言えるだろう。

2つ目は、それとは逆に、最初に絵から出発する人がいる。あるいは、非常に具体的なことを好む人がいる。数学で言えば、「幾何学的な人」と言えるだろう。

こうした好みの違いやタイプの違いがあっても、もちろん、得られる結果はともに数式で語られる。それが理論物理学というものである。

私は、物理の中でもかなり数学的な問題を好み、これまでもそういう問題を考えて来たが、本来、思考法としては具体的、幾何学的である。たいていは、最初に絵を書くことから始まる。それをうまく表現する数式を考えるのである。私の師である、アメリカのサザーランド博士もそうした1人である。カダノフというアメリカの巨人的理論物理学者もこのタイプである。もっと有名な例はといえば、やはりファインマンがこの代表格と言えるだろう(”ファインマンの手紙”)。

それに対して、先に数式から出発して、数式をいろいろいじり回して正解に行き着こうというタイプの人々もいる。まあ、(これは私の偏見かも知れないが)「定常状態熱力学」を作ろうとしている人々は、かなり抽象的問題が好きという人々に見える。

昔から、この2つのタイプの違いというものは、科学の世界では取りざたされて来た。一般に、イギリス人の科学者はプラグマティックで、非常に定まった具体的研究を好むと言われている。それに対して、フランス人科学者は、非常に抽象的思考を好むと言われている。

この傾向は、ショーペンハウワーの哲学の時代からも顕著で、哲学者でもフランス人は抽象的、形式的なことを好み、英米人は具体的なことを好むと言われていた。



写真:ベルナール対流の中に潜む、プルーム。クラゲ状、マッシュルーム状の熱拡散。


どうやら、それが現代にもあるように、私には感じられるのである。

「定常状態熱力学」という学問はまだない。まだ完成されてはいない。

この学問をいつか完成させようという場合でも、やはり2つの好みの違い、進み方の違いがあるよう見える。

1つの行き方は、これは非常に抽象的な思考に基づく。田崎博士らの進み方がこれである。この方向では、実際に、欧米の科学者の中でも、フランス人がこういうものを好んで研究しているというのが実に示唆的である。

それに対して、非常に具体的な問題から同じ目標に到達しようと努めるというやり方がある。一番良い例は、「ベルナール対流」である。英米人は、こういう実験的検証のできる非常に具体的な問題から同じ目標に到達しようと努めるのである。非常に固定した問題をしつこく研究する。

今日、私が読んだ、カダノフ博士の「Turbulent Heat Flow: Structures and Scaling」は、後者の典型であろう。

抽象的思考と実用的思考、そのどちらが良いというものではないが、人にはそれぞれに特徴がある。まあ、自分の得意な才能を生かして、何かに存分に挑戦すれば良いのである。

いずれにせよ、「自分は幸せものです」と万人の前で言えるというのは、幸せものなんでしょうナ。残念ながら、私はこれまで一度もそう思える時はなかった。それゆえ、私にもそういう時が来れば好いのだがネ。

それにしても、どうしてフランス人とイギリス人はそういう違いを持つのだろうか?
2007/11/14のBlog
浦和が優勝 アジア王者に サッカーACL決勝第2戦

いやー、お見事、浦和レッズ。

ついさっき、サッカーのアジア・チャンピオンズリーグ(ACL)決勝第2戦が終わった。埼玉スタジアムで、浦和レッズがセパハン(イラン)を2一0で破った。イランで行われたアウェーの第1戦は1一1だった。合わせて3一1で初優勝。アジア王者に輝いた。

これで、年末のトヨタカップ、すなわち、クラブワールドカップ(W杯)にアジア代表としてはじめて日本のJリーグチームが登場する。

欧州、北中米、南米、アフリカ、オセアニアのチームと戦うことになった。

実に楽しみな年末となった。

おめでとう! 浦和レッズ。
2007/11/13のBlog
笑いは百薬之長。以下はジョーク。本気にするなヨ。

ホームレス中学生」は、笑いの総合商社、吉本興行が仕掛けた書籍部門戦略の第3段。(ちなみに、第一段は「がばいばあちゃん」、第二段は「陰日向に咲く」)

この本の読者は語る。

カシスさん:「本の印税は寄付しろ!」
まやちさん:「読後に何も残りませんでした」
lots of loveさん:「ブーム本だった」
yunaさん:「泣ける本」
テム・レイさん:「イマイチだった」
ビタミン・トムさん:「生きる力の救世主」
はらぺこあおむさん:「励まされる本」
ゆうかさん:「子育てにも役立つ」
さっちさん:「笑える本」
maruさん:「小学生でも読める本」

など、賛否両論。

そこで、真実を探るべく、とある記者が著者の田村氏を直撃。

記者「はじめまして、田村さん。お時間を裂いていただきありがとうございます。
今日は執筆についてお伺いしにやってきました。よろしくお願いします」

田村「はあ、はい。こちらこそよろしくお願いします」

記者「まず最初の質問ですが、これはあなたがお書きになられたのですか?」

田村「どういう意味ですか?」

記者「いえ、ちまたにはゴーストライター作の本で溢れかえっていますので、ちょっと気になって」

田村「はあ、なるほど。もちろん僕が書きました」

記者「では、中学生でホームレスになられたそうですが、そのころの事は何かにメモでも?」

田村「いえ、メモ帳を買うお金もなかったもんで、頭の中にメモしました」

記者「こんなにばか売れする。いや失敬。こんなに売れると思いましたか?」

田村「いえ、まったく。吉本の企画だったので、ある程度は売れたらイイナと思っていましたけどね」

記者「貧乏ネタをテレビでやるのは、本の宣伝効果も抜群ですが、それも吉本の戦略というものですかね?」

田村「いえ、自分には貧乏ネタしかなかったもので。すみません」

記者「読者の中には、もう貧乏ネタを言うなという人もお見受けしますが?」

田村「はい、でもまだ吉本から一銭ももらっていないので、自分としては変わっていないんですよ」

記者「貧乏ネタ以外には本に特に感動的なことはないようですが、そのあたりについては?」

田村「すみません。自分はまだ若いもので、中学生の頃の貧乏ネタくらいしかないので」

記者「ちまたでは、自分ネタに本を書いたらもう終わりという意見もありますが?」

田村「はい、自分もそこんところがちょっと恐いんです」

記者「読者には印税を寄付しろなどという意見もありますが?」

田村「はい、知っています。でも、父さんに家を買いたいのでそっちに使いたいと思ってます。すいません」

記者「次はどんなネタで本をお書きになられるのでしょうか?」

田村「すいません。今のところ、予定はしていません。もし書くなら、今度は別の貧乏ネタでも書こうかと思っています。ホームレス高校生なんてどうですかね?」

記者「……やっぱり貧乏ネタだったんですね?」

田村「すいません。吉本のおかげです」

--------
世の中には不幸な人はたくさんいる。
そんな世の中で、不幸を売り物にしたり、どっちがより不幸かと
不幸を比べたりすれば、これは際限ない。
それゆえ、神様は不幸を売って幸福になることを禁じている。
それを行ったものには天罰が待つ。
果たして不幸ネタ、貧乏ネタの「ホームレス中学生」に
どんな天の裁きが下るだろうか?
2007/11/12のBlog
[ 11:44 ] [ テクノロジー ]
写真:我が家の軒先きにできた「蜘蛛の家」


雨にも負けず 風にも負けず 
雪にも夏の暑さにも負けぬ
丈夫なからだをもち …

とは、宮沢賢治の有名な詩の冒頭である。

しかし、これが人物のことではなく、
建物のことであったとしたらどうだろうか?

地球環境悪化の現代、これほど素晴らしい建物はない、
とだれしも考えることだろう。

実は、それにもっとも近い建造物がある。

それが、「蜘蛛の家」こと、”蜘蛛の巣”である。

”蜘蛛の巣”というと、
インターネットのワールドワイドウェブというように、
たいがいは2次元状の”蜘蛛の巣”のことを思い浮かべる。

しかし、風雨の強いここ阿南のような田舎の軒先きには
もっと堅固かつフレキシブルな3次元的な”蜘蛛の巣”がはり巡らされる。

こうなると、もはや”蜘蛛の巣”と呼ぶのは相応しくない。
「蜘蛛の家」あるいは「蜘蛛建築」と呼ぶべきだろう。


写真:別の「蜘蛛の家」


こういう3次元的で、張力を使って、柔軟かつ動的な建築物を
空間的に作り上げること。

20世紀のアメリカの天才建築家バックミンスター・フラーは
それを「テンセグリティー」と呼んだ。

そう、「蜘蛛の巣」、「蜘蛛の家」、「蜘蛛建築」こそ
自然の生み出した「テンセグリティー」構造そのものなのだ。

フラーの「オクテット・トラス構造」は、メガ建築の基本である。
それは物理学の「ダイヤモンド構造」を建築に応用したものである。

3次元的にはり巡らされる「蜘蛛の家」の中にもそれがある。

「蜘蛛の家」は、「テンセグリティー」と
「オクテット・トラス構造」の両方を兼ね添えている。

私は個人的にこう考える。
これからの建築物は「蜘蛛建築」のようにあるべきだと。
これならどんな気象にもどんな環境にも耐えられる。

山と山の合間の渓谷にかかる「蜘蛛の巣のような建築」。
陸と陸を繋ぐ大橋もこのカテゴリーに入る。

こういう妄想を刺激してあまりあるほど「蜘蛛建築」は神秘的である。
2007/11/11のBlog
[ 22:16 ] [ 著作&本の紹介 ]
ファインマンの手紙

今日、久しぶりに奥さんといっしょに本屋に出向いたところ、この本を偶然見つけた。中を見ると、かの有名なファインマン博士の養女が、生前のファインマンの書いて宛てた手紙の数々からファインマン精神を彷佛させるものを集めたというものであった。そこで、思わず買ってしまった。


この中に載っている、さまざまな有名な科学者の言葉やジョークをちょっとだけここに紹介させてもらおう。

アルバート・アインシュタイン
「権威を侮辱した罰として、運命は私自身を権威にしてしまった」

ニールス・ボーア
「自分の考えを明確に述べるなら、それ以上に正確に考えろ」

カール・フリードリッヒ・フォン・ヴァイツゼッカー
「私は初めて物理学者を見た。彼は(ボーア)は苦しみながら考えているんだ」

リチャード・ファインマン
「宇宙はドラマの舞台としては、あまりに規模が大きすぎる」
「周囲に不確かさがまったくないものが、真実であるはずがない」

この偉大な人物の精神がまた違った角度から理解できる本のようですナ。

写真:”宇宙人的”頭蓋骨を持つ、ヴァイツゼッカー博士。今年4月28日に死去。享年94歳。
2007/11/10のBlog
ウォザースプーン、世界新で優勝 スピードスケートW杯

今日のこのニュースによれば、あの悲劇のウォザースプーンが完全復活。久々の世界新を出したという(ウォザースプーンの悲劇とファンファルドの復活!)。

天性の素質と、フラップスケート時代の申し子。しかしオリンピックに弱く、もろさを持つカナダの貴公子。それが、ジェレミー・ウォザースプーンである。

日本の堀井選手や清水選手との壮絶な戦いが蘇る。清水が世界新を出せば、ウォザースプーンが世界新を出す。そのくり返し。

しかし、本番のオリンピックでは、日本の清水や、オランダのファンファルドなど他国の選手に負けてしまった。

もう少しで前人未到の500m33秒台に行きそうな勢いだ。

”34秒03の世界新記録”

おめでとう、ウォザースプーン!

君の復活を待っていた。さあ、次は清水の番だ。

参考:
ソルトレイク・オリンピック2002
以下は、2002年の2月17日に書いたものである。「ソルトレイク・オリンピック2002」に収録している。参考のため、ここに再掲載しておこう。


# 836 ウォザースプーンの悲劇とファンファルドの復活!

2002/02/17 10:48

いやーオリンピックは面白い!

前長野大会の覇者の一人、ウォザースプーン選手の悲劇の500m。
オリンピックにはいろんなドラマが生まれます。彼はたった5歩で
転んでしまった。緊張の余りの失敗。昨日の1000mでは、最後の
カーブでバランスを崩し失墜。とうとうメダルなしとなってしまった。

それに対して強剛オランダの復活。一時は、スラップスケート時代
に出遅れ、長野にも落選してしまったファンファルド選手が見事
ぶっちぎりの世界新記録で1000m優勝。感激の涙となった。

このように新技術が生まれた時の対応の仕方は実にさまざまで面白い。
だいたい以下のような対応がある。
あ)従来のもので十分と考えてしばらく様子を見る。
い)これだ!これはチャンスと考えて積極的に変更する。
う)従来のものを知らず、まったく新しい技術で育つ。

もちろん、ファンファルド選手や堀井選手は(あ)だった。
一方、清水選手は(い)。ウォザースプーン選手は(う)だった。
したがって、(あ)を取った選手は様子を見ている内にあっという間
に時代遅れの選手になっていった。しかし、苦労しながらも(い)
を目ざした選手はなんとか対応できた。ましてや(う)の選手は
まったく新しい時代の英雄となった。

しかし、それは新技術が現れて直後の混乱の時代だけの話。
新技術が定着し、それが良いと分かれば、今度は
え)新技術に合わせて、もともと身体能力の高い選手たちが挑戦してくる。
それがファンファルド選手だった。前回の長野では代表すらなれない
ほど時代遅れになったスケーティングを完璧に新しいスラップ技術
を身に付けて完全復活した。お見事としかいいようのない快挙と言える。
この身体能力のある選手たちの挑戦に前回の覇者のウォザースプーン
選手は震えた。

スラップスケート時代は、
1)陸上選手のようなコンパクトな縦の腕の振り。
2)早いピッチ走法。
3)後ろへの蹴り。
がもっとも物理的に適したフォーム。
一方、旧世代のノンスラップスケート時代のフォームは、
1’)腕を伸ばし身体を軸に回転した腕の横の振り。
2’)できるだけ長いストライド走法。
3’)横への蹴り。
がもっとも物理的に適したフォームだった。

これを見ても、清水選手が対応でき、ウォザースプーン選手や堀井選手
が失敗した理由が分かるだろう。

では最後に、将来はどうなるか?これはどんどん選手が(1)-(3)
に対応してくるようになり、タイムが早くなるので、カーブの対応
の差になってくると言えるだろう。どんどん直線コースでは陸上
選手のように縦にストライドを伸ばし、早いピッチで来るようになる。
そして、余りにスピードが出過ぎて、カーブで転び易くなるだろう。
したがって、カーブ技術の勝負に変ってくる。

そこで、可能な対策は、スケートがショートトラックの選手
滑り方に変ってくるだろうということ。つまり、直線でダッシュし、
カーブでは手を付いてバランスを取りながら足を止めて回るような
カーブ技術に変るだろうということ。すなわち、
4)直線からカーブ前半でできる限りダッシュしてスピードを高め、
カーブの最後(膨らんだと良く言われるところ)で、最大限に
身体を倒し手を付いて足を固定してできる限り小さく回り、
最後の直線コースでラストスパートする
という滑りに変るだろう。

堀井選手!この滑りに変えたら、次のオリンピックで完全復活する
可能性は充分にあると思うよ!物理的にはこれがスラップの究極の
フォームと言えるからね。
2007/11/09のBlog
写真:エジプトで発見された”壷”


今回の京都国際会議「生命とは何か?」の講演の中で、だれかが言っていたことだが、「やはり欧米人どうしでもそういうことがあるのか?」と考えさせられる話をしていた人がいた。

それは、ある有名な科学者がなぜノーベル賞をもらえなかったか、という理由の説明でもう一つのもっと有名な例として言ってたことである。

今はだれもが知っている宇宙開びゃくの歴史、「ビッグバン理論」は、ジョージ・ガモフというロシア系アメリカ人が考え出したものである。その後何十年かしてそれは事実と証明され、証明した科学者たちはノーベル賞をもらった。それゆえ、だれしもガモフはいつかノーベル賞を取るだろうと思っていた。しかし、生涯、彼がノーベル賞をもらうことはなく死んだ。

これは物理の世界では良く知られている事実である。

そこで、だれかが、「なぜガモフはノーベル賞をもらえなかったか?」と聞いた。

その人の答えとは、こんな感じであった。

”ガモフは、SF作家として有名なSF本をたくさん出していた。科学の啓蒙書も非常に多く出版していた。そしてすでに作家として世間で有名であった。これがどの程度、あるいはどういうふうにスウェーデンのノーベル賞委員会に影響するのかは知らないが、これが非常に大きな影響を与えたことは間違いない。”

要するに、学者として将来ノーベル賞が欲しければ、歴史的に重要な研究を行うことはもちろんだが、ある意味、世俗的な名声を先に得てしまってはいけない、ということである。むしろ、ちまたや世間的にはまだ”無名”の人が好まれる。

こういう傾向があるという話をしていたのである。


まあ、これが本当かどうかは定かではないが、この観点からすれば、世間的にはまったく無名であった、福井謙一博士がノーベル賞をもらえたのは当然だったと言えるかも知れない。

ちまたでは、「ノーベル賞に一番近い学者」などと銘打って茂木健一郎を紹介しているが(しばらく前は、それが養老至司だったが)、テレビマスコミなどすでに著名になっている茂木は、有名になればなるほどノーベル賞から遠ざかっていく、ということになる。

仮にだれかがノーベル賞級の研究をしたからといって、下手に啓蒙書や何かの文芸賞を取るような一般書の執筆をしてはいけない。ましてや、通俗書やSFなどもってのほか、決してやってはいけない。専門書以外で有名になってはならないのだ。

要するに(ノーベル賞を取る前に)「有名になること」と「ノーベル賞を取ること」は相容れないのである。

ノーベル賞に縁のないこの国では、どうもそういうこともマスコミ関係者が分かっていないのかも知れないですナ。
2007/11/07のBlog
[ 19:20 ] [ 管理人から ]
OHANA(オハナ) ハワイで見つけた自分らしい生き方

DefTechは、2年前の紅白でミリオンセラーの「My Way」を歌った。
しかし今年突然、惜しまれつつも”解散”。
そのDefTechのシェンのステップマザー(義理の母親)の本。
実は、私の奥さんのお姉さん。
そう、私はシェンの義理の叔父さんというわけだ。
我が家のことも私や私の家族の載っている写真もある。
それゆえ、我が家も本の製作段階からずっとそれなりに関わっている。
もちろん、本以前にずっと人生において関わっている。


さて、”オハナ”とは、ハワイ語の「家族」の意味。

しかし、これは血筋でみた「家族」を意味してのものではない。
もっと広い意味の「家族」の意味。

それが、この本のテーマである。

我々人間の人生とは、まったく予測不能なのである。

それゆえ、日々を大事にし、日々刷新し、日々真剣に、
出来事と真正面から向かい合って生きる。

つい先日、妻と「続・三丁目の夕日」を観たが、この映画の主題もこれと同じこと。

善かれ悪しかれ、人生は続く。

それぞれが置かれた状況で懸命に生きる。

そんな当たり前のことが実は当たり前でない結果に繋がる。

そんなライフストーリーである。

「たかが家族、されぞ家族」

「人間万事 が塞翁が馬(じんせいばんじがさいおうがうま)」
(福と思われる出来事が災いを呼び、 災いと思われる出来事が福を呼ぶこともある。
つまり、人間にとって何が幸いで何が災いか、 表面的な現象だけでは分からない)

人生が幸か不幸かは終わってみるまで分からない。

That's life!(それが人生さ!)
独善的手法には不満 小沢氏辞意撤回

今回の”おとぼけ首相”の福田首相と小沢一郎党首報道を見ていると、

「どうやらこの国では、いよいよ我々国民が戦わなくてはならないものはマスメディアらしい」
「日本国にとってのテロ組織とは、テレビ・新聞・雑誌などのマスコミなのだ」

ということが解る。今回私には非常に明確にこれが理解できた。

その証拠に、別段何のことはない、”大連立やその他の問題に関する”党首会談とその交渉決裂に関して、わざわざ「小沢ショック」というセンセーショナルな言葉を浴びせて、福田問題(つまり、この”おとぼけ首相”の気紛れ問題)を小沢問題に見事に”摺り替えて”報道し始めたのが、読売新聞やテレビであったからだ。

今回の件は、そもそも騒動でもなければ問題でもなく、単なる党首会談にすぎないものであった。だから、党首会談が決裂すれば、本来なら、ただそれだけのお話で終わったはずのものである。

それを、まず党首会談自体を「密室会談」と悪意を持って迎えた。そして、だれも中を知らないわけだから、憶測にすぎないにもかかわらず、さも何かがあったかのように記事を”ねつ造”した。そこから出て来た両者に対して、その内の相談された側の小沢を「大連立を持ちかけた本人であるかのように」悪者に”決めつける”ような、かなり一方的な報道がくり返されるようになった。

そうやって、次第に民主党の内部分裂問題へと問題を大きくして”見せた”。つまり、そういうふうに日本のテレビマスコミが一大キャンペーンを行って、見事に演出したわけである。

その結果、マスコミの仕組んだ報道のおかげで、これまで悪者扱いされた経験に乏しい小沢党首自身が動揺して浮き足立ち、今回の突然の「辞任会見」となったわけである。小沢も歳である。昔のように豪腕と呼べるほどの健康状態にはない。強い精神的プレッシャーには今の小沢ですら勝てないのがよる歳の波である。

ところが、確かに、さらにマスコミ報道が過熱し、これらの毎日毎日の”ねつ造報道”のおかげで民主党が動揺してうをさをしていたが、結果的に民主党が何とか意に介さず、「小沢留任」となり、ほぼ党首会談以前の最初の状況に戻った。それが今日だが、すると不思議と”ぴたりと”そうした報道が止んだ。

こうした流れから、どうも今回の騒動は、自民党や官僚の一部から何か金がマスコミに流れて、マスコミ自らが仕組んだのではないか、と私には感じられるのである。

要するに、「小沢は最初から福田の”罠”にはめられた」ような気がするのだ。今の所、特に決定的な根拠があるわけではないが、私はそう感じる。


写真:水面下でうごく凧


さて、こういう”現実”からすると、我々は何を恐れないといけないか?

というと、「戦前のマスコミの大本営報道」のように、一部の有力者によってマスコミ報道がうまく牛耳られるということであろう。

しかし、今回の事件(マスコミが起こした”ねつ造事件”としてあえて事件と呼ぶ)は、戦後初めてこれほどあからさまにマスコミが政治に関与した最初の事件であると理解すべきだろうと私は考えている。

事実、昨日のテレビの各局のバラエティー番組や報道番組は実にひどかった。

ある報道番組(ムーブ、zero)では、民主党議員をわざわざ呼びつけておいて、その相手に対して意見を問うても、相手が自分達マスコミの意見と反するものであれば、すぐ遮り、話題を変えたのである。まったく相手の意見や言葉を聞く耳をもたなかった。その一方で、自分達の”ねつ造した事件”の観点を相手に押し付けるだけであったからだ。

いずれにせよ、ここで私がいわんとする意味が分かるだろうことは、マスコミ関係者の使う「言葉」の悪さである。

例えば、秘密保持で会談すれば「密室会談」という悪意ある言葉を使う。だいたい国どうしの会談でも、アメリカ大統領とロシアのプーチン大統領の会談でも密室で行うのが当然だろう。アメリカ大統領がよく行う、キャンプ・デービット会談というのは、一般には非公開の土地で行われるものなのである。

もし場所を特定されたり、事前に場所や時間が知られていれば、テロや暗殺の標的となりやすいことくらい日本のマスコミは理解していないのだろうか。2大政党の党首会談がいつどこで行われると公開されれば、そこを爆破されたら一貫の終わりである。この意味では、秘密会談が当然なのである。

それをわざわざ「秘密会談」を「密室会談」と悪意を持って表現したというわけだ。

さらに、小沢がホテルに閉じこもり、今後の進退について瞑想する時間を持てば、今度は「ホテルに雲隠れした」といい、だれにも邪魔されないために非公開にすれば「行方不明となった」というように、わざわざ”悪い表現”のオンパレードであった。

公人であれ一個人であれ、これほど悪意ある表現を使ってマスコミ報道されてはたまったものではない。

このことがいかに異常であるかは、かつて小泉首相が組閣人事を決める時にホテルに隠った時を思い出せば分かるだろう。当時、だれも小泉を「ホテルに雲隠れした」、「行方不明となった」というような悪い表現は使わなかったからだ。


では、「この仕掛人」はだれか?

これは、当の本人しか分からないだろう。私には分からない。

しかし、小泉純一郎の参謀が、飯島勲という人物であったというように、自民党の参謀にマスコミや芸能界に強く、人材を持ち、その中でCMを作ってきた人々と関係を持つような人がつくようになったというのは歴然たる事実である。こういう連中は、今の日本国民の体質や気質や性質をマーケットリサーチを通じて十二分に知り得ている。小泉は、このPR戦略で抜群の国民的支持を得たのである。

したがって、「世論操作」はお手の物である。

こんなわけだから、政治家や官僚が金や権威を利用して、マスコミをうまくコントロールできるとすれば、これは実に厄介な時代となるというわけである。

あなたにテロ行為を仕掛けてくるのが、マスコミなのだ。こんな時代に住むとすればどれほど恐ろしいことか。

しかし、今回、これが現実に小沢一郎、そして民主党に向けて起こった。

一番恐いことは、そういう場合に、マスコミ人は自分がマインドコントロールされているということを知らないということなのだ。だから、彼等は当然と思い、自分たちマスコミが正しいこと、正義を行っていると信じきって行うのである。これほど恐ろしいことはないだろう。

こうなると、マスコミを政治的に利用することはいとも容易い。

どうやらここ最近の、つまり小泉政権の自民党支配の時代に自民党はこのことを気付いたのかも知れないナ。

いやはや、世も末ですナ。
2007/11/06のBlog
「正解はCMのあと」は逆効果 視聴者86%「不愉快」

このニュースにある、慶応大学の榊博文教授(社会心理学)の研究は面白い。

02年に慶応大の通信教育部、文学部727人を対象にアンケートを実施。その調査結果を本にまとめて出版したという。

この結果は、表の通り。

さらに、話の流れが落ち着いたところで出る「一段落CM」と比較すると、山場CMが「商品を買いたくない」で3.8倍、「商品を覚えていない」も2倍と本来の効果をうち消していた。つまり、”逆効果”。

さらにまた、日本と欧米のテレビ番組の山場CMを02一03年に比較のため、ニュース、ドキュメンタリー、ドラマなど7分野で各国の代表的な3番組ずつを録画して比率を調べたところ、結果は以下の通りだったという。

日本→40%
米国→14%
英国→6%(CMのタイミングが法律で規定されている)
フランス→0%
韓国→0%(*)

(*)私が付け加えたもの。というのも、韓国も、CMは番組の最初と最後にしかいれてはいけないと法規制されているので、フランスと同じ0%のはずだからである。

榊教授は、次のように”厳しく”指摘する:

「テレビ局は視聴率ダウンを避けようと始めたのだろうが、広告効果を下げているばかりでなく、CM明けの期待外れの展開を学習した視聴者のテレビ離れを招いているのでは」

一方、マスコミ関係者の”おとぼけ”振りが微笑ましい。

日本アドバタイザーズ協会(旧・日本広告主協会)
小林昭(ひかる)専務理事:

「初耳の研究結果だ。テレビ局が決めているCMを入れるタイミングについて議論したことはなかったが、今後の対応を検討していきたい」

民放テレビ局:
テレビ東京:
「視聴者の受け止め方に関心を払わなければいけないが、CMのあとも見ていただく努力については度を超さない限りは許していただきたい」

テレビ朝日:
「CM明けについての説明は親切に告知する意味合いもあると思うが、視聴者の声に対しては謙虚に耳を傾け、その感性に敏感でなければならないと考えている」


まあ、テレビ局は、スポンサーから”金”さえもらえばどうでもいいはずだから、この研究の成果がテレビ放映に影響を与えるということはあるまいヨ。

数年前の小泉劇場もそうだったが、今回の”おとぼけ”福田劇場も全部マスコミが仕組んだものだった。この意味では、世間を一番お騒がせし迷惑をかけているのが、テレビ番組という御時世となった。

ほんと困った国である。
2007/11/05のBlog
小沢ショック

いやはや、小沢一郎もやはり”ボンボン”政治家。まだまだ”ケツが青い”。やはり、若いころからひとつの世界しか知らずに育つと視野の狭い、世間知らずの人物となるという鉄則通りに育ってしまったのだろうヨ。

今回の件は、”おとぼけ首相”の福田首相の思い付き作戦にまんまと「お池にはまってさあたいへん」という歌の通りのストーリーとなったようだ。

しかし、今回の「福田の御乱心」は、ジャーナリストの青山氏が分析したような「防衛庁汚職問題」のために政権が吹っ飛びそうな気配を感じてワラをも掴む心情で行ったものだろう。(もしこの騒動の首謀者が裏にいたとすれば、その発言の節々からして、町村さんだろうナ。)

私が「犯人はだれだ?:防衛汚職問題 」で汚職議員の犯人探しを書いたように、

『果たしてだれが特捜部でお縄となるのかしらないが、そんな事態となれば、福田政権は吹っ飛び一貫の終わりだろう。

それゆえ、守屋氏が国会の証人関門で政治家へ「おれを捕まえれば、自民党も終わりだよ」という”脅しをかけた”というのが、青山さんの見解であった。』

という危機意識から、福田首相が、衆議院の証人喚問より、参議院の証人喚問を恐れてのことに過ぎない。

要するに、国民の追求の目をどこかに転嫁させるために行ったすぎないのだ。つまり、カモフラージュというやつだ。そのための”大義名分”が民主党の小沢代表との大連立であったということだろう。

まあ、それに「集団ヒステリー」組織と化した、テレビ・新聞マスコミがうまく乗せられた。その結果、それ以前の”本筋”の問題がどこかにすっ飛んだということである。

そんなわけだから、おとぼけ首相の御乱心につき合ったのだから、小沢も御愛嬌とすっとぼけて済ませばよろしい。

問題は、単に「防衛省汚職」の問題を追求すればそれでいいのである。

ほんと「日の本は、上にいくほど阿呆でござる」国ですナ。
2007/11/01のBlog
「世界の最大脅威」米国民の35%が「イラン」

昨今の日本も、今や会社や人が「マスコミの集団ヒステリー」によって潰されてしまうという時代に入ったようである。

たいした被害も出ていないにも関わらず、ちょっとした産地の書き換えや日付けの変更でも”ヒステリックに、あまりに大袈裟に”騒ぎ立て、挙げ句の果てはその会社を営業停止に追いやる。また、官僚を焚き付けて弱いもの虐めする。

本末転倒社会の最たるものと言えるだろう。なぜなら、そうやって無為に潰してしまえば、従業員は失業者になり、国は莫大な失業保険や雇用保険を支払うことになる。ましてや地域経済に貢献できなくなり、地方の税収も国の税収も落ちるはずだからである。現実的には、問題となった企業は”罰金刑”にするのが一番分かりやすいだろう。

昔の日本人は物や食い物を大事にした。多少甘いお菓子が痛もうが、古くなろうが食べられるものは食べる。そういう気質を持っていた。

私の父方の祖母も、たまに遊びに行けば、タンスの棚にしまっておいたあん餅を出してくれたものだが、時にそれが古くなって固くなってしまってもう新鮮には食べられないという場合があった。そういう時には、火鉢の網に乗せて焼き、焼き餅にして食べさせてくれたものである。

それが、何だ。最近のマスコミは、新鮮な野菜や魚が取れて当然と錯覚し、目の赤くなったさんまはもう古いから捨てろというようなことを言う。赤福のあん餅の日付け替えはたしかに不誠実だが、まだ十分に新鮮に食べられるものを賞味期限切れだとか、消費期限切れなどと騒ぐ。

大切なことは、O157とか黄色ブドウ球菌とかコレラとかの伝染病の菌が入ったというような、明らかに人命に関わる場合に注意するということである。

まだ食べられるあんこをまだ新鮮なうちに冷凍庫に入れて、またいつでも食べられるようにするというのは、だれでも毎日家庭で行っていることである。それを、赤福の会社がやれば、やれ犯罪だ、やれ詐欺だと、小賢しいこと千万である。

私に言わせれば、赤福など緊急の際にいかに食物を長もちさせられるかのノウハウを蓄積してくれている、大変賞賛に値する会社と言えるのだ。

すぐダメになってしまう新鮮魚の類いをいかに冷凍保存し、取った日付けではなくとも、どれだけ新鮮さを保つことができるかは、昨今の魚が取れにくくなった時代には急務のわざである。それを、今のばかマスコミは、わざとらしく騒ぎ立てる。多少古くなれば、干物にしたり、焼いて保存したりすれば、十分まだ食べることができる。

また、産地偽装といってもさまざまだ。

今回とある肉業者が、オーストラリア産の牛肉を国産牛と銘打って仕入れたといって問題にしたが、それで肉の価格がやたらと釣り上がって不等な利益を得たというのなら問題ではあるが、危険な国産牛より安全なオーストラリア牛に黙って変えていたという点では、むしろ感謝すべきことである。今だ国産牛はプリオンの危機から十分に安全かどうかはだれも分かっていないからである。みな国産牛が安全だと信じているに過ぎないのだ。

この場合にも悪いのは、危険な産地のものを安全な産地のものと偽る場合である。だから、その逆の場合はかなり話が異なる。

いずれにせよ、食べ物を粗末にする国は滅ぶ。

とまあ、こんな案配で今の日本人は、ほとんど思考停止状態だから簡単にマスコミや国の主張に騙される。

これと同じようなことが実はアメリカにも存在する。それが、最初のニュースである。

一説によれば、来年の年末(たぶん9月頃)には、かつてアメリカがイラク攻撃したように、今度は「イラン攻撃」を開始する計画であるという。

このニュースのように、「今のアメリカにとって一番危険な国はどこか」と尋ねていくことにより、アメリカ国民の世論を「イラン攻撃」に持っていこうというのが、今のブッシュ政権下のアメリカのマスコミなのであろう。

だから、おそらくアメリカ大衆はうまくコントロールされ、来年末には「イラン攻撃」を認めるのではないか、と私は予想している。

では、どうしてアメリカがイランに目をつけるか?

といえば、それはこのイランは、西にイラク、東にアフガニスタンが隣接し、このイランを制すれば、南のペルシア湾と北のカスピ海のどまん中にアメリカの支配権域ができるからである。これにより、サウジアラビアからイラク、イラン、アフガニスタンをアメリカで支配することになり、石油輸送にとって最良の戦略となるからである。

そして、昨今では、カスピ海をはさんで、プーチンのロシアが天然ガス輸送を周辺の国々や西はヨーロッパまで計画しているが、それを阻止し、ロシアのぼろ儲けに一糸報いることができるからである。


旧ソ連との冷戦時代、バルカン半島やこの地域は「ハートランド(聖域)」と呼ばれ、この地を獲得することが世界を制すると見なされた。

それゆえ、第二次世界大戦後にアメリカが地図測量の名目でアフガニスタンに侵入したことが、のちのアフガン戦争の火種の原因となった。これがバックミンスター・フラーの理解したことであった。今まさにそのフラーが分析したことと同じような状況がこの地域に出て来たのである。

つまり、イラン国民には可哀想なことだが、今や

「イランを支配するものが世界を制する」

という状況に国際社会の世情が変わってしまったのである。だから、最初のニュースにある「アメリカにとって一番危険な国」というのは、まっかなウソである。本当は、「アメリカにとって一番重要な国」、あるいは「アメリカにとって一番欲しい国」なのである。私はそう理解している。

日本ハムのダルビッシュ投手の父親はイラン人だという。今年は沢村賞を取ったダルビッシュ選手にとって最良の年になったと言えるだろう。しかし、来年は彼にとって可哀想な年になってしまうのかも知れない。

ただただそうならないことを願うのみ。

しかし、今のアメリカは着実にイラン攻撃を準備しているはずである。

ちなみに、何もない(出ない)北朝鮮は、アメリカにとってどうでもいい国の1つなのである。それゆえ、日本人の認識とずれが生じるのである。

参考:
ロシアより愛をこめて コヴィクタを巡るTNK-BPとガスプロムのバトル ②
ロシアより愛をこめて コヴィクタを巡るTNK-BPとガスプロムのバトル ①
写真:額賀福志郎


元長官2人側へ200万円山田洋行の「車代」支出

このニュースは、

『防衛商社「山田洋行」が付き合いのある政治家らに「お車代」を支出していたとされる問題で、2005年秋ごろ、防衛庁長官を経験した政治家2人側への車代名目で、計200万円が支出されていたことが1日、関係者の話』

という話だが、昨日の関西系のとあるニュース番組でジャーナリストの青山さんが、長年の特捜の友人から聞いた話というものを紹介していた。


写真:久間章生


私の聞いていたところでは、この2人というのは、久間氏以外の2人で、防衛庁長官を経験した政治家。1人は、”派閥の領袖(りょうゆう)”と呼ばれる人物であると言っていた。彼は名前はまだ出さなかった。

そこで、この人物がだれかを探すと、だいたいこんな感じとなる。

まず、「防衛大臣」によれば、最近の防衛大臣は、以下の通り。

国務大臣防衛庁長官(内閣府の外局)
66 斉藤斗志二 2001年1月6日- 自由民主党
67 中谷元 2001年4月26日- 自由民主党
68 石破茂 2002年9月30日- 自由民主党
69 石破茂 2003年11月19日- 自由民主党
70 大野功統 2004年9月27日- 自由民主党
71 大野功統 2005年9月21日- 自由民主党
72 額賀福志郎 2005年10月31日- 自由民主党
73 久間章生 2006年9月26日-2007年1月8日 自由民主党
防衛大臣(防衛省)
1 久間章生 2007年1月9日- 自由民主党
2 小池百合子 2007年7月4日- 自由民主党
3 高村正彦 2007年8月27日- 自由民主党
4 石破茂 2007年9月26日-


写真:石破茂


2003年に守屋武昌事務次官となって以降の防衛大臣は明らか。

つまり、石破茂、大野功統、額賀福志郎、久間章生、小池百合子、高村正彦の6人しかいない。

さて、その中で、1人は自民党の「派閥の領袖」である。



写真:高村正彦

そこで、自由民主党の派閥で見ると、現在(2007年9月13日現在)の「派閥の領袖」を調べると、以下のものであるという。

* 町村派(清和政策研究会)・・・80人(衆60人、参20人)
* 津島派(平成研究会)・・・66人(衆46人、参20人)
* 古賀派(宏池会)・・・46人(衆38人、参8人)
* 山崎派(近未来政治研究会)・・・39人(衆36人、参3人)
* 伊吹派(志帥会)・・・25人(衆19人、参6人)
* 二階派(新しい波)・・・16人(衆14人、参2人)
* 麻生派(為公会)・・・16人(衆13人、参3人)
* 高村派(番町政策研究所)・・・15人(衆14人、参1人)
* 谷垣派(宏池会)・・・15人(衆12人、参3人)

というわけで、”ビンゴ”。派閥の領袖でかつ防衛大臣経験者はたったの1人しかいなかった。意外や意外、高村正彦であった。

ここで注意しておくが、これはあくまでジャーナリストの青山氏の言ったこと(彼が捜査当局から聞いた話)を基にしての話である。


写真:大野功統


では、もう1人はだれか?

まず、守屋氏と喧嘩別れした小池百合子は違う。久間章生も違う。すると残りは、石破茂、大野功統、額賀福志郎の中のだれか、ということになる。

この3人ともにあまり人相は良くない。それゆえ、顔で判断はできないのが辛いところ。青山氏の言った「意外な人物」ということからすれば、顔を良く知られている石破茂は違うかも知れない。したがって、残るは、大野功統、額賀福志郎ということになる。

果たしてだれが特捜部でお縄となるのかしらないが、そんな事態となれば、福田政権は吹っ飛び一貫の終わりだろう。

それゆえ、守屋氏が国会の証人関門で政治家へ「おれを捕まえれば、自民党も終わりだよ」という”脅しをかけた”というのが、青山さんの見解であった。

いやはや、世も末ですナ。

それにしても、年収3千万円ももらえるのに、なんで200万とかのはした金に手を染めるのかネー。おそらく、実際には年収の何十倍もの何かのメリットがあるからなのだろうヨ。
地球探査船「ちきゅう」掘削パイプ脱落、回収不能に

これは、

「海洋研究開発機構は29日、紀伊半島沖で海底掘削中の地球深部探査船「ちきゅう」で、掘削用ドリルパイプの先端部が脱落するトラブルが起き、パイプが回収できなくなったと発表した。

 脱落部には、物理探査に使う放射性物質の入った耐圧カプセルが設置してあったが、この探査はできなくなった。同機構は「放射線量は微量で、厳重に密封してあり、環境には影響はない」とし、同日夜から、コンクリートを流し込んで埋める作業を開始する。他の調査に支障は出ていない。」

という事故のニュースである。

昨年、私は、草薙主演のリメーク版の「日本沈没」を見て、ここで
「日本沈没」、「ちきゅう」、そして在日米軍
を紹介していた。

これは、映画であまりに過大広告的に登場し、鳴り物入りで登場した、掘削船「ちきゅう」であったが、その後は、どういうわけか、”不運”や”非運”続きである。

ちょうど1年程前に
掘削船ちきゅう、試験掘削中止?
で紹介したように、掘削船ちきゅうは、試験掘削も気象予知に失敗し、沈没寸前で掘削中止して帰港した。この事故の際、大きな痛手を被り、復活するのにかなりの時間を要したわけである。

そして、今回がその次の、実質上”最初”の本格的掘削であった。それが、いきなり、掘削パイプそのものが脱落して掘削不能状態に陥った。

いったいどうなっているのだろうか? 何やら、不思議な感じのする事故である。

果たして、「ちきゅう」は呪われているのだろうか?

あるいは、だれか厄病神のような人間が中にいるのだろうか?

あまりにふがいない不運続きで、情けないばかりである。早く何とかして欲しいものですナ。

ところで、「ちきゅう」の今回の掘削計画ように、海底を掘って地震源を調べるために掘削するというのも1つの行き方であるが、私は「掘削船ちきゅう、試験掘削中止?」に紹介したように、地球内部のマントル付近まで掘削し、「生命の起原」を探るのが一番重要な仕事であると考えている。

あるいは、私が最近読んだ、グラハム・ハンコックの「神々の指紋」(10年ちょっと前に大ブレークした古い本)の中にあるように、南極大陸にあるかも知れないと言われている古代の遺跡の類いを見つけるべく、南極大陸やグリーンランドやアイスランドの掘削というのも非常に面白そうだ、と考える。要するに、アトランティス文明のような「先史文明」の証拠を見つけるのである。

「ちきゅう」をどう使っていくかは、まさに我々がどう世界を見るかに関わっている。
今朝の記事

タミフル、脳に侵入…厚労省見解覆す?動物実験結果

によれば、

”エイズの愚”?

で私が書いていたことを支持する結果が別のグループから出て来たようだ。

脳は、「血液脳関門」という場所が薬など異物の侵入を防ぐという「防御機能」を果たしているが、その防御機能は、「P糖たんぱく質」が果たすという。ところが、この「P糖たんぱく質」は、どうやらある程度大人にならないとできてこない。

一方、タミフルは体内に入ると、肝臓の酵素で活性化されて、活性化タミフルとなり、ウィルスを撃退する。

今回の実験は、「P糖たんぱく質」を遺伝的に作れないようにしたマウスと普通のマウスにタミフルを投与し、脳内の違いを見た。すると、「P糖たんぱく質」を作れないマウスの脳内の濃度が異常に高まった。

また、最初に活性化したタミフルを両者に投与した場合には、いずれも脳内のタミフル濃度は少なかった。このことから、タミフルは活性化しないものの方が脳内に侵入しやすい。

したがって、タミフルを投与すると、新生児や幼児や子供の場合では、タミフルが「P糖たんぱく質」で防御されずに、もらに脳の中に入ってしまう。その結果、異常にタミフルの濃度が高まる。そのタミフルが脳内で活性体に変化すると、異常行動を引き起こす可能性がある、という結果が出たというニュースである。

以上は、荻原琢男・高崎健康福祉大教授たちと東京大の杉山雄一、柴崎正勝両教授のグループの研究である。

これに加えて、以前

やっぱり”タミフル異常行動”だった!

で紹介した、アメリカの大学の和泉教授たちの研究結果を加えると、だいたい「タミフル・ストーリー」が理解できることとなる。

子供がタミフルを体内に摂取すると、肝臓でタミフルが活性化される前に脳内に侵入する。その濃度は非常に高く、脳内で活性化され、脳細胞に悪さをする。つまり、脳細胞を刺激し、異常に興奮させる。しかし、その刺激は40分以上も続き、タミフルが分解されてできる成分であるOCBのある状況では、さらに何十倍にも激化させる。

とまあ、こんなわけで、どうやらタミフルは「老人がインフルエンザにかからないようにするための薬」と考えた方が良さそうだ、ということになる。

子供の場合に危険なのは、インフルエンザにかかった後(一時的に抵抗力が減るので)の別のウィルスや細菌の日和見感染(例えば、髄膜炎、脳炎、心筋炎など)、あるいは、高熱による脳損傷。あるいは、免疫抗体反応の後で出てくる析出物によるアレルギー症状や腎炎など、ということだろう。

まあ、予防接種が一番良いのかも知れないが、この場合には、ワクチン内の防腐剤になっている重金属の問題がある。

こうして見れば、科学的治療と言っても、すべて運を天にまかせるという感じですナ。
2007/10/30のBlog
写真:日本初のセーラー服。なぜか私の出身中学(甲府南中学)のものもこれに似ていたような記憶があるが、定かではない。


闘論:ゆとり教育見直し 木村孟氏/堀田力氏

いやはや、「ゆとり教育談義」というものだが、”世間知らず”というのか、”現実知らず”というのか、政治屋達やこういう御仁達の”放談”ほど世の中を混乱させるものはない。これが読んだ実感ですナ。

木村孟氏は、

「研究者として英国ケンブリッジ大に滞在した際、エリート大の学生でさえもさほど知識の量が多くなかったことに驚いた。しかし、知識を活用する能力には舌を巻いた。彼らと付き合い、競争していくためには、日本の子どもも知識の活用力や論理的な思考能力を高める必要がある。」

とイギリス人の秀才振りに驚くが、まあそれは良しとしよう。

しかし、どうしてイギリスの民間名門大学の話が、日本の義務教育や公教育の話に直結するのだろうか。

イギリスの名門大学の入学者の大半は、小中高一貫教育の名門学校(イメージでいえば、ハリーポッターの学校のイメージに近い)を卒業して来た学生を対象にしている。超エリート教育なのである。それゆえ、そこには徹底的な秀才教育やエリート教育、帝王学などが施される。ここでは、ハリーポッターの学校に見るように、実際に全寮制で先生も生徒も同じ場所に住んで、年がら年中勉学に励む。

しかし、方や「総合的な学習の時間」というのは、日本の義務教育の話である。さらには、格差社会の問題もはらんだ地方の公教育の話である。

それゆえ、この2つを同列に扱えるはずがない。おそらく、この御仁は気が狂っているのではないか。そう思わせる程、何か興奮し調子が狂っているようだ。


もう一方の堀田力氏は、

「授業増には反対だ。学力が下がったという確たる裏付けがないのに、結論が先にありきで学習指導要領の改定が進んでいる。子どもの意見も聞かず、その基本的人権を無視し、学者らと役人が話し合って事を決めているのは問題だ。」

と、政府主導のやり方に反発する。

しかし、容疑者や犯罪者の意見を聞かずどんどん検挙することで有名な日本の検察の元ボスが、どうしてこの問題ばかりは、子供の意見に気を取られるのだろうか。

この場合の子供とは、小中学生であり、未成年も未成年の子供の話である。意見を聞いたところで、まだろくに自分を表現する力も身に付いていないレベルの不完全な子供の話である。

まあ、ひいきして言えば、この両者のいわんとしている”気持ち”は理解できる。しかし、彼等が自分の子供を子育てした時代からはあまりに時代がかけはなれて、今まさに子育てをしている我々の目にしている日本の現実とは全く事情が異なっている。こういうことが分かっていないらしい。

ここ阿南のような地方の田舎で何が良く見受けられるかというと、もっとも典型的なのは、こういうことだ。

地方の公教育の先生(=教諭)というものは、地方では「エリート」なのである。

昔から日本の地方で言うように、地方公務員になるか、(昔の民営化前の)郵便局の職員になるか、有名銀行の地方支部の社員になるか、こういったものが地方の名立たる”出世”なのである。これは今も基本的には変わらない。

それゆえ、地方で学校の先生になることは、地方では名士になったような意味合いを持つ。そして地方公務員の給料は国家公務員の給料より少し良いということがあるように、だいたい都市部に住む国家公務員の給料以上の所得を得る。平均で800万円ほどの年収である。これは、地方のサラリーマンの平均所得の300万円をゆうに超える。

これが、地方の現実である。これを、最初の2人のような、中央に住む御仁は御存じない。

では、これが何を生むか?

と言えば、学校の先生は、高級車を乗り回して学校に通い、自分の子供だけは塾や予備校に通わせるという現実を生む、ということなのだ。事実、ここ阿南でも大半の学校の先生の子息は塾や予備校に足げ句小学校低学年の頃から通わされている。

これは、何を意味しているのか?

と言えば、要するに学校の先生たちは自分が行っている”学校教育を信じていない”ということなのだ。

事実、私も何度か子供の学校の先生から、「この辺には良い塾がなくて困る」、「学校に不満があれば、塾に通わせて下さい」というような言葉を直接聞いている。

まあ、それはそうだろう。彼等地方の学校の先生は、地方の地場産業の中小零細企業の重役以上の所得を得る名士たちなのだからだ。まあ、知的水準はともかく、お金で言えばそうである。

もっと地方の名士、あるいは地方のお金持ちとなれば、今度は自分の子息をもっと中央の徳島市の学校や、あるいは徳島出身の後藤田正純氏のように、東京の名門学校に通わせるのである。もっとお金持ちであれば、天皇家のようにイギリスの私学に通わせるだろう。

まあ、これが地方の現実なのだ。おそらく、私の知る限り、程度の差や発展段階の違いこそあれ、どこの地方も似たようなものである。

こういう状況で、どうやって公教育が変わるというのだろうか。木村孟氏、堀田力氏の2人の言うようにやれば、変わるとでもいうのだろうか。

私はそうは考えない。どっちみち、何をやっても失敗するはずであるからだ。なぜなら、授業を増やそうが、減らそうが、地方の学校の先生は何も堪えないからだ。

授業が増えれば、先生たちはクラブ活動の手を抜き、学校行事の手を抜き、忙しい事はすべてPTAや父兄の手を委ねさせる。授業が減れば減ったで、今度は文科省のせいにして適当な授業でごまかせばいい。どちらへ転ぼうが、自分の子供は塾や予備校で学ばせる。

とまあ、こんな案配である。

要するに、今の学校の先生(たまに、せんこうと呼びたくなるが)たちにとっては、学校教育というものは、所詮は他人事、他人の子供の教育の話に過ぎないのである。一地方で高給を得る糧にすぎないのである。

それゆえ、時に、学校の生徒は自分のためにある”御褒美”(あるいは役得)のように錯覚してしまう、”ばか者”も現れる。美少女がたまにクラスにいれば自分の彼女のように錯覚し、手込めにしてしまう。部活動は、自分の”ストレスの発散の場”となり、生徒へしたい放題となる。こんな連中ばかりである。

これが現実なんだよ、お2人さん。あまり下らんきれいごとばかり御披露しないことですナ。いちいち一見もっともらしいが間違った意見を言う前に、まずは水戸黄門公のように「諸国漫遊」したらどうだろう。そうすれば、多少リアリティーのあるアイデアが浮かぶはずである。

ほんと「日の本は、上へ行く程阿呆でござる」国ですナ。


この際ついでに書いておけば、ハリウッド映画俳優のように、1、2年缶詰め状態になって、新作映画作りに没頭し、それが公開されて大ヒットした結果、大金を得て大富豪となるというのなら別だが、日本のテレビ界のように、所ジョージや明石屋さんま、みのもんたやビートたけしのように、番組内で1時間”バカ話”しているだけで、一般人の年収以上が得られる社会システムが存在する以上、どうやって勉強しろと子供達に言えるのだろうか。

その理屈を聞いてみたいものですナ。
写真:最近発見された、9本足のタコ。セプトパス。

バラエティー番組過激化の傾向、放送倫理機構が遺憾の意

私は、「はよー、終わってんか、”ちりとてちん”?」に書いているように、大の”吉本嫌い、吉本芸人嫌い”である。

しかし、今やテレビ界は、NHKから民放、ドラマから歌謡、映画やCMに至るまですべてのものに吉本芸人が出ている。果ては、ロッテのボビー・バレンタイン監督のように、スポーツにまでその”タコの足”を張り巡らせている。

女優も将来の仕事の取りやすさやお金や豪華な生活を考えて、吉本芸人と結婚や恋愛するまでになってしまった。(「”お笑い”インベーダー4:藤原紀香陥落?」)

お笑いは、昔は「不況になるとお笑いが流行る」と言って、不況下社会の潤滑油の役を果たし、人々から好感をいただいたものだ。それなりの役割を果たして来た。

がしかし、宮沢喜一の起こしたバブルとそのバブル崩壊後の不況下で一気にその勢力を伸ばし、”潤滑油の役”どころか、今や日本を席巻し、芸能界を蹂躙(じゅうりん)するようになると、状況は全く異なる。

今や、お笑い芸人が都知事や府知事や地方自治体の長をやるところまで、日本は”落ちてしまった”。要するに、地方には、芸人ほどの人材もいなくなってしまったからである。

人が金や知名度で人を測り選ぶようになると、何でも良いから中央で名の知れた人物なら選挙に勝てるという変わった社会になる。ローマ帝国の滅びの切っ掛けとなったのが、この「衆愚政治」というやつである。

この意味では、昨今の日本はすでに末期症状を呈しているのである。癌で言えば、5段階レベルのレベル4かレベル5であろうか。

こんな時代となってしまったわけだから、テレビをつければ、吉本のお笑い芸人かジャニーズのイケメン青少年か、つんくや秋元プロデュースの美少女、そしてNHKの朝ドラ女優、あるいはハーフや外人ばかりとなってしまったのだろう。

昔のように、世界の黒沢明監督が発掘した俳優というようなものはもはや稀少価値となってしまった観がある。

おまけに、オリジナルよりは物まねが受けてしまうために、オリジナリティーのある、本物タレントがほぼ絶滅した。

その結果、日本の芸能界には今やいなくなってしまったような俳優が韓国にいることを知って、日本人は韓国俳優を追っかける時代となってしまったのである。(ドラマの効用:”生きる喜び”「チャングムの誓い」再放送!

ほんとに困った時代となったものである。

さて、最初のニュースの話題に戻ると、

『テレビのバラエティー番組で行われる罰ゲームなど出演者の心身に加えられる暴力・性的表現が「過激化する傾向も見受けられる」と遺憾の意を表明し、放送各社に対応を求めた』

というが、これはどうみても「さんまの「恋のから騒ぎ」」や桂三枝の「新婚さんいらっしゃい」などのことだろう。

要するに、お笑いタレントが出る番組、吉本芸人の出る番組、などを意味しているのだろう。事実、ロンドンブーツの番組は「親が見せたくない番組」の一番を毎年受賞しているが、一向に終わる気配がない。

こういう番組は、もはや100%”下ねた”しかない。我々が、日常で女性の前でこういうトークを行えば、即「セクハラ行為」でお縄となる。そういうレベルであるが、連中だけは特権階級なのだろうか?

まあ、スポンサーやテレビ局は「あるあるねつ造」番組ではないが、番組製作のほとんどを子会社やその子会社に”丸投げ”しているわけだから、実体を把握できるはずがない。

いずれにせよ、もっと直接的に名前を出して指摘すべきだろうヨ。

ちなみに、吉本喜劇でいつもかならず劇中にヤクザが登場し、ヤクザと民間人とのお笑い劇をやるが、その理由は、吉本創業からヤクザ社会がバックアップしてきたからである。(”人は見かけによらない”

まあ、このことはNHK大阪の作った「ちりとてちん」のお笑い芸人の日常や態度を見れば明らかだろう。

お笑い芸人と亀田一家は、その質、その態度、その言動が実に似ているが、それを「ちりとてちん」が証明してくれていると言えるだろう。

ところで、今回の京都の「生命とは何か?」の講演の1つにあったが、ATRという民間研究所の研究者が、吉本興行といっしょになって「インターネット漫才」なるものを作ったというものがあったが、これにはさすがの私もがく然としてしまったものである。

そんなわけで、結論は、「バラエティー番組過激化」の原因は吉本にあり、ということのようですナ。

世も末ですナー!
1年と3ヶ月ほど前に私は「”八百長一家は永久追放しろ! 日本の恥だ。”」を書いていた。

この中で次のように書いていた。

『日本のボクシングもとうとうここまで”落ちてしまったか”という感じのするゲームだった。

強いものが勝ち残る。それがボクシングだ。金のあるものが勝ち残るのではない。今後日本のボクシング界は大変な事態に陥るのではないかという気がする。大問題になることだろう。

いずれにせよ、亀田興毅は”金玉パンチ”のダウンやら、早いTKOやら何やら、”やらせ”の試合ばかりだ。こんな試合、テレビ放映するな。バカめ!』

その次の「ランダエタ戦の”八百長疑惑”:ちまたの声、声、声」にはこう書いていた。

『これと同じで、ボクシングの”八百長疑惑”も立派な犯罪。警視庁は調査に乗り出すべきで、場合によっては亀田家を”立件”すべきだろう。ボクシングの”八百長”は、立派に”詐欺行為”匹敵するからだ。普通なら、”チャンピオンベルトの剥奪”、”降格”、あるいは”永久追放”もあり得るだろう。

それにしても、昨今の日本はひどい。政治家の”履歴書捏造”から始まって、科学者の”論文捏造”やら、画家の”絵の捏造”やらと続き、とうとうボクシングの”判定捏造”、”チャンピオン捏造”にまで来てしまった。これでは、”国家の品格”もなにもない。本当に”目に余る”。

いずれにせよ、TBSには、2度とボクシング放映させないほうが良さそうだ。

”亀田興毅、お前も悪よのう”

というところだね。まあ、口程のことはなく、あくまでアマチュアボクシングの粋を出ていなかったということだ。亀田家は、”減らず口を叩いている”といつかもっと痛い目に合うかも知れない。』

まあ、私は

「今後日本のボクシング界は大変な事態に陥るのではないかという気がする。大問題になることだろう」、
「亀田家は、”減らず口を叩いている”といつかもっと痛い目に合うかも知れない。」
と予想していたわけだ。

これを見ると、ジュセリーノの予言も結構当たるが、私の”予言”も結構当たるようだナ。

ところで、例の試合と直接”無関係”の亀田長男が出て来ての会見で”お茶を濁した”ようだが、当の本人の次男は”逃げ”の一手のようだ。

自分の対戦相手の現役の世界チャンピオンを「ゴキブリ」と称し、

「あんなゴキブリに負けたら、切腹するわ」

と言ったわけだから、

「はよー、切腹せんかい、だいきー!!」

というところですナ。

切腹したくなければ、内藤選手の前で自分で言ったことを「ウソでした」と撤回し、「ごめんなさい」と謝罪して、二度とボクシングなどしないことですナ。裏社会でこんな事態になれば、”す巻き”にされているのだろうヨ。
2007/10/29のBlog
世の中には、一見まったく違って見えるのにもかかわらず、その本質において非常に似たものどうしというものがある。

私は今日偶然とあるテレビ番組を見ていて気付いた。

まず、「テルミン(Theremin)」という楽器がある。この楽器の奏者は、「テルミン演奏家」と呼ばれる。


次に「ミュージカル・ソー」という楽器がある。この楽器の奏者は、「のこぎり演奏家」と呼ばれる。


私は、この2つは非常に似た楽器であると思う。というのは、この2つの楽器は、ともに次のような共通点があるからだ。

(あ)アコースティック的なアナログな響きを持つ。
(い)音階は自分の耳で聞いて判断する。
(う)和音が作れない。
(え)音は人工的で、郷愁に満ち、幽霊や宇宙人的な響きがある。
(お)演奏する時の演奏者のかもし出す雰囲気も何か似ている。

物理学的に言えば、テルミンは、2つの電気振動の”うなり”を利用し、その基本振動数(つまり、音程)を演奏者の手とアンテナの位置で調節する。音の強弱は、別の手の位置で調節する。

一方、音楽のこぎりは、S字型にのこぎりを曲げた時の2つの振動の”うなり”を使う。そして基本振動数(つまり、音程)は、そのねじり具合の強さで調節する。音の強弱は、別の手の弓で調節する。

要するに、方や電気の振動数を右手で強弱を左手で調節し、方や金属の振動数を左手で強弱を右手で調節する。

この意味で、この2つの楽器は非常に似ているのである。

一度、「テルミンとのこぎりの共演」というものを見てみたいものですナ。


参考:
サキタハジメ
テルミン
2007/10/28のBlog
出会い系規制強化へ未成年利用の防止徹底

いやはや、何と言うのか、こういうニュースを読むと非常に不思議な感覚に襲われる。

この記事は、”おとぼけ首相”の福田康夫首相が”肝入り”で命じた「IT戦略本部」が「有害サイト集中対策」の一貫として考えだした対策案の1つを紹介した記事ということらしい。

「出会い系サイト規制法」(2003年施行)の改正に向けて、
(あ)未成年者利用の防止を徹底する、
(い)学習指導要領を改定する、
(う)有害サイトへの適切な判断力を育成する「情報モラル教育」を推進する
などの内容を盛り込んだという話。

まあ、一見すれば、政府の例外的に”迅速な対応”のようにも見える。しかし、「日本の常識は世界の非常識」的な内容と「本末転倒」的な内容も混在している。

それゆえ、何か不思議な感覚に襲われるのである。

先週一杯、京都の国際会議「生命とは何か?」に参加していたが、その最後の2日は「電磁波の生体への悪影響」に関する研究が紹介された。これは、世界で地道に生物実験を続けて、電磁波が癌を引き起こす可能性や脳腫瘍を引き起こす可能性について研究している日本やスウェーデンの研究者の研究である。

結果は、やはり”悪影響”があり、電磁波が細胞の自己死(アポトーシス)や変性を引き起こす可能性は拭いきれないというものである。

このことからすれば、老人や大人はともかく、子供、児童が携帯電話を毎日長時間使用する行為そのものが、将来の脳腫瘍や脳細胞死を引き起こす可能性があり、将来の”病人”の予備軍になる可能性が大きいということを意味している。

こういった実験結果から考えて、今の「携帯電話の使用」は、その昔の「飲酒」や「喫煙」に非常に似ているというのが私個人の見方である。(参考、世界でもっとも飲酒に寛容な国 喫煙科学vs禁煙科学

つまり、今すぐにはその悪影響の原因が科学的には証明できないが、長期的にはいずれ証明される日が来るだろうというような病気のカテゴリーに入るという意味である。実際、たばこの害も(飲酒の弊害も)、そういう製品を製造販売する大企業がたくさんあるためにいつも大反対や妨害があり、なかなか原因の特定には時間がかかったという歴史的事実がある。

現在の「携帯電話使用の人体への有害性」についても、構造的には、喫煙や飲酒とまったく同じものがある。それゆえ、有害性の原因特定に関しては大企業はいつも否定する側に回り、被害者がたくさんにならない限り社会問題とはならない。

「高圧電線の電磁場が白血病を引き起こす可能性」というのもこのような例の1つである。

こういう観点からすれば、児童や生徒など未成年が携帯電話を使って「出会い系サイト」にアクセスし、児童売春することが問題という以上に、そもそも子供が携帯電話を使うこと自体が大問題なのだということになるはずである。つまり、本末転倒なのである。

また、実際、欧米では子供の携帯電話使用は極力親が与えないようにして、使用させないようにしている。そういう事実がある。しかし、日本は大手電気機器メーカーの経済成長や日本経済の復興ばかり気にして、子供の使用も気にせずに無視して来たというのが実情なのである。つまり、「日本の常識は世界の非常識」なのである。

がしかし、日本政府の”おとぼけ首相”にはそれが分からない。

ほんとに困ったことである。

まあ、ここをみている親御さんたちのために、次のことだけは事実だと言っておこう。

電磁波によって脳細胞は死ぬ。

脳の近くに電磁波があると、脳細胞は出血する。脳細胞からアルブミンがしみ出る。そして脳幹部分などに析出する。あるいは、脳細胞の一部が壊死する。

どうしてこういうことが起こるのか、そのプロセスや原因や理論はまだないが、実験すれば、かならずこういうことが起こる。それゆえ、科学者はこれを研究しているのだ。

まあ、あとは自分で判断してもらうことにしよう。
2007/10/27のBlog
米国の生化学者アーサー・コーンバーグさん死去

DNAポリメラーゼ(DNAの合成に必要な酵素)の発見で1959年にノーベル医学生理学賞を受賞した、アーサー・コーンバーグ博士が26日死去。享年89歳。

博士の息子である、ロジャー・コーンバーグ博士も昨年、ノーベル化学賞を受賞し、ノーベル賞の親子受賞として話題になった。

その時にここでも「2006年ノーベル化学賞:”遺伝情報転写”へ」で紹介した。

御冥福を祈りたい。

それにしても日本を訪れた後にお亡くなりなる研究者が多いのはなぜだろうか。
2007/10/26のBlog
DNA構造発見のワトソン博士が差別発言、会長職を辞任

DNAの二重らせん構造の発見者として有名な米分子生物学者ジェームズ・ワトソン博士(79)(1962年、ノーベル生理学・医学賞受賞)が、”人種差別発言”。これが問題になったというニュース。

14日付サンデー・タイムズのインタビュー記事で次のように言ったという。

ワトソン:
「アフリカの将来を悲観的に思う。社会政策はすべて、彼らの知性が我々の知性と同じだという事実に基づいているが、すべての実験結果がそうなってはいない」

「黒人労働者と付き合わねばならない人なら(対等でないことが)分かる」


これに対してワトソン博士は、「本意ではない」と謝ったという話だが、即刻国へ帰ったらしいというニュース。

さて、今年の5月28日に私はここで「”ワトソン遺伝子”解読 」を紹介していた。

この中で私はこう書いていた。

『しかし、ワトソンの”神格化”もここまで来ると問題かも知れない。

中略

やはり、アメリカ人は、「アメリカ人が他のどの生物より重要である」という認識を持ちはじめていることは確かなようである。アメリカ人という新たなる種の確立であろうか。(地球”異常事態”:人類はどう進化するか? )』

まあおそらく、博士は、アメリカの黒人のことを差別したのではないのだろう(この辺は元の記事を読んでいないので分からないが)。

なぜなら、平均的アメリカの黒人の持つ遺伝子の40%以上は白人と共通と分かっているからである。それだけ、アメリカ大陸発見後、そしてUSA誕生以来、アフリカからアメリカに連れてこられたアフリカ人とヨーロッパ人は混血して来たという証拠である。しかし、一方で白人の場合には、移民初期からずっと100%白人という場合も多く存在する。

このことは、アメリカの白人はアフリカ人をアメリカに奴隷として連れて来てレイプやら婚姻やらではらませて子を作るが、その一方で黒人との結婚をことごとく阻止して来ている白人社会も多く存在しているということを意味する。

そんなわけで、この意味では「本意ではない」と言っているのかも知れない。ワトソン博士自身、こんなことは百も承知のはずだからである。

しかし、ヨーロッパ人と100%混血していないはずの、いわゆるアフリカの黒人は例外的に知能が劣る、というような偏見をワトソン博士は持っているのだろう。それゆえ、その差別発言をしたのだろう。

私の個人的印象では、ワトソン博士は、若いころの留学といってもイギリスだけであったし、それ以外はずっとアメリカしか知らなかったわけだから、社会と言っても欧米しか知らずに育ったわけだ。つまり、自分自身は人から差別されて生きたという経験がなかったはずである。これでは、人間社会に対するフェアな評価は困難だろう。

私が、80年代後半にアメリカ、ユタ州のユタ大学に留学した際、当初私はほとんど英語が聞き取れなかった。会話が聞き取れなければ、聾唖(ろうあ)の人と同じ。つまり、話すことができない。話したとしても相手には理解不能の日本語でしかない。したがって、普通のアメリカ人からみれば、単なる知能の劣った人にしか見えなかったはずである。思いきって話し掛けても、相手の返答につまれば、忙しいアメリカ人からは"Never mind"(忘れて)と言って無視される。

東部で迫害された経験のあるモルモン教徒のメッカのユタなどまだましなほうだろうが、白人種の色濃い地域ではなおさらである。ユタでもリッチな白人種しかいない郊外の地域ではもっと露骨な応対を受けることもある(私と妻も、とあるリッチな大豪邸の家の外庭の端で景色を見ながらサンドイッチを食べていたら、いきなり噴水を照射されたことがある)。

こういった経験は、言葉の分からない国へ行った場合、だれもが経験することである。しかし、ワトソン博士はしなかった。これが問題だったということだろうと私は見ている。欧米のユダヤ系白人のように差別経験がない。あるいは、ヨーロッパからアメリカへ移民し同じ白人でも苦労したり辛酸をなめたというような経験がない。

ワトソン博士は、若くしてノーベル賞を取り、若くして白人社会のリーダー、ヒーローとなってしまった。そして、「人類最初のワトソン遺伝子全解読」の張本人となってしまった。つまり、何のコンプレックスもこれまで感じないで生きてきたのである。

こんな人物が、普通のアメリカ人や日本人を見た場合に、「猿の惑星」の主人公のチャールトン・ヘストンのような印象を持たない方がおかしいと言えるだろう。チャールトン・ヘストンもワトソン同様に2mの巨人の白人である。

そこへいくと、クリック博士はアメリカで苦労したり、差別されたりの経験があったようだから、ワトソン博士とは違っていたように見える。同じ白人でも、背が低かったり、醜かったりすると(我々日本人から見ればごく普通なのだが)、差別されるので、ワトソン博士とは違ったタイプのアメリカ人となる。

いずれにせよ、「”ワトソン遺伝子”解読 」の最後で

『それにしてもこの”ワトソン”という人物には恐れ入る。

DNAの解読、
DNA発見物語本執筆、
分子生物学の教科書執筆、
分子生物学研究所設立、
ヒトゲノム解読、そして、
個人ゲノム解読

などなど、”競争”という匂いのするものにはことごとく勝とうとするその執念が凄まじい。

おそらく、”ワトソン遺伝子”の中には、この弱肉強食の競争遺伝子が見つかるのは必至である。

ワトソンを競争に駆り立てるもの、それは染色体のどこにあるのか?

実に興味深い。

私の想像では、やはりY染色体のどこかに潜んでいるのではないか?と思う。』

と書いていたように、この”ワトソン”という人物には恐れ入る。


ところで、ついでに付け加えておけと、「”ヴェンター遺伝子”解読:人間間に1%未満の差? 」で紹介した、クレッグ・ヴェンター博士は、ユタ出身である。スターウォーズ流に言えば”連合軍司令官”ワトソンの最大のライバルで、”反乱軍”(の汚名を着せられたアウトサイダーの民間企業研究所の)司令官である。

このヴェンター博士の研究によれば、人間間に”最大で1%近くの遺伝子の差”があるという。

最近、京都の国際会議「生命とは何か?」でチンパンジー研究の世界的権威である松沢博士によれば、チンパンジーと人の遺伝子の差はわずか1・23%であるという。これは、人間とチンパンジーの遺伝子の差が非常に少なく、人とチンパンジーが非常に近い存在であるという意味で紹介されたものである。

その一方で、人の間には”1%近くの遺伝子の差”があるというのは、実に意味深である。

良く引き合いに出されるのが、「馬とロバの遺伝子の差は、人とチンパンジーの差よりも大きい」というものである。

人間の間にも人とチンパンジーの差に匹敵するほどの差があるとすれば、どのように考えるべきだろうか?

もちろん、このことはライバルの研究だけにワトソン博士も御存じのことである。

もしこの事実を基にワトソン博士が、「チンパンジーに近いのがアフリカ人で、チンパンジーと一番遠い位置にかけ離れているのが白人である」と位置付けているとしたら、そしてそういうコンセンサスを持っている人々がすでに存在するとしたら、ワトソン博士はどういう意見を述べるだろうか?

私個人では、すでにそういう人々はアメリカにいて、当然今回ワトソン博士が述べたような考え方を持っているのだろうと見ている。それゆえ、ワトソン博士も当然だと思って喋ってしまった。

まあ、こんなところが本当のところではないだろうか。

最後にブラック・ジョークを1発(ジョークだから本気にするなヨ)。

アメリカの白人は、”遺伝子の差”の違いを計って人の優劣、どっちがより進化しているかを見ている。その結果、白人がより進化し黒人がもっともチンパンジーに近いと判断した。

一方、アメリカの黒人は、”ペニスの長さ”の違いを計って人の優劣、どっちがより進化しているか、を見ている。その結果、黒人がより進化し東洋人がもっともチンパンジーに近いと判断した。(ちなみに、黒人のペニス長は、平均25cm、最大40cmくらいであるという)


世の中、何を座標に取るかで見方が変わる。そういうものなんですナ。
2007/10/25のBlog
[ 10:12 ] [ 健康・医学 ]
薬害肝炎情報 “エイズの愚”を繰り返す厚労省(10月23日付・読売社説)

これは、

”無かったはずの薬害の資料が見つかったとは、かつて聞いたことのある話だ。エイズの時と同じではないか。

 厚生労働省が製薬会社から得た資料の中に、血液製剤によってC型肝炎を発症した人の特定につながる情報があった。

 C型肝炎ウイルスの感染を放っておくと肝硬変や肝がんを引き起こす。だが、早期に適切な治療を行えば、多くは大事に至らない。感染者に注意喚起していれば、肝がんになる前に治療できたケースがあったかも知れない。しかし、厚労省は何もしなかったのである。

それどころか、厚労省は当初、「肝炎発症者の個人情報を含む資料はない」としていた。最近になって、以前の担当者がその存在を思い出し、省内の地下倉庫で見つかったという。”

という、「エイズの愚」をくり返すのかと憤慨する社説だが、これは、”1年ちょっと前”に私がここで
薬害、薬害、薬害
を紹介したが、その通りのことであったに過ぎない。

最近の読売新聞など、マスメディアの”対応”は遅く、物事が”事件”や”話題”にならないと分析しないという悪しきイグノランス(無視)の傾向が強くなっている。こうした”遅すぎる”社説は、その結果である。

ところで、同じようにちまたで最近話題となっていることに、プロボクシングの亀田家の問題もある。

これももう”1年ちょっと前”に私がここで指摘したことが、その問題点が今になって誰の目にも明かとなったにすぎない。
(たとえば、
ランダエタ戦の”八百長疑惑”:ちまたの声、声、声 」、
”八百長一家は永久追放しろ! 日本の恥だ。” 」) 

”金玉パンチ”のKOや”ネコパンチ”のKO劇で勝ち上がってきたに過ぎないのだ。しかし、それもこれもマスメディアと金平ボクシングジムで共同で”演出”してきたわけだから、今さら、責任を全部亀田家だけに転嫁するのは見苦しい。一番金もうけに走ってプロボクシングをヤクザの集金システムのようなものに変えたのは、金平会長だからである。この金平ジムこそ本来なら永久追放すべきだろう。この人物と比べれば、亀田家などその格好の餌にされただけのようなものである。もっともそれを承知で乗るのも”悪”なのだがナ。

いずれにせよ、昨今のマスコミメディアの対応には非常に困った面が多い(これはまたいずれ詳しくここで紹介することもあるだろう)。

さて、今回の読売社説が憤慨する「エイズの愚」の問題もあるが、同時に再び「エイズの愚」が同じ読売のサイトに載っているから、これまた非常に不思議であると同時に面白い。

それは、
タミフル、異常行動との関連みられず…動物実験で中間発表
である。

これは、例のタミフルの青少年少女の異常行動が、動物実験では出てこなかったという輸入・発売元の中外製薬の結果レポートに関するニュースである。

これは、小学生が考えても分かるだろうが、輸入・発売元の中外製薬に実験を指示したところで、そこの社員である研究員が、社長の命令に反する自社に不利なデータを厚生労働省に提出するするはずがないのである。

おそらく、一番最初に有害情報を研究した研究者たちはもういないはずである。どこかに飛ばされたか、首になったか、しているはずである。さもなくば、自社にとって不利な情報が見つかってしまうからである。

つまり、この”状況”は、上の読売の「エイズの愚」の問題の構造と全く同じなのである。つまり、社説が主張することの繰り返しなのである。がしかし、同じ新聞の同じサイトに載っているのに、読売の社員はそれに気付かない。実に馬鹿げている。これは、おそらく、新聞社があまりに巨大な大企業組織となり、それぞれの記事を書いているもの同士がまったく面識が取れないことを意味している。つまり、”大企業病”に病んでいる証とも言える。

私がすでに
やっぱり”タミフル異常行動”だった!
で紹介したように、”現段階”では、「タミフル異常行動がある」と断定するのは時期尚早だが、「タミフル異常行動との関連みられず」と断定するのも時期尚早なのである。どちらもまだ完全には決定打はない。

しかし、「輸入・発売元の中外製薬の初期の実験データ」や「和泉教授らの実験データ」からすれば、「タミフル異常行動がある」と推測して行動するのがずっとましである。

前にどこかに書いたが、日本人には非常に特徴的な行動様式がある。それは、ある事故や事件や災害など”何か良くない重大事が起きた”というような場合、その被害を過小評価する、という傾向である。そういう日本人特有のメンタリティーがすでに心理学者の間では良く知られている。日本の第二次世界大戦の「大本営報道」は、この轍を踏んでいた。

一方、アメリカ人の場合はその逆である。ちょっとやられただけでも大袈裟にやられたように振る舞うというのが一般的に白人種の傾向である。しかし、これは、今ではきちんとした社会学理論の裏付けがあり、事故や災害など被害報告では、過大評価した方が、のちのちの為になる。最初に被害を過小評価してしまうと、それが誤算となった場合に後手後手の対処となり、結果として最初に過大評価した場合よりさらに被害を拡大させてしまうからである。まあ、こういうようなことらしい。

例えば、9・11ニューヨーク無差別テロの場合も最初は何万人もの被害者が出たかのような報道があったが、実際には数千人程度の被害ですんだ。橋の崩落でもそうで、最初の報告より非常に少ない犠牲者だった。

まあ、そんなわけで、今「タミフルの異常行動問題」を自分の持つ”日本人特有のメンタリティー”に合うように”過小評価”してしまうと、今度はこれが実際にそうであった場合に当初に仮に”過大評価”した場合ですら大きく凌駕するような大規模な被害を出してしまうということなのである。

いずれにせよ、

なぜ「エイズの愚」をくり返すのか?

という読売社説の疑問の答えは実に単純明快である。

それは、日本人特有のメンタリティーのせいなのであるというわけですナ。


参考:
自殺とめる薬が自殺を誘う?:「抗うつ剤」の悪循環
「産官学協力」の陰:悪の「三思三愛」関係?
日テレ大杉君枝アナが自殺か?