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2007/12/14のBlog
スポーツクラブで発砲、2人死亡5人けが 佐世保

身長190cm、迷彩色の服、目出し帽、ショットガン、
シルバーグレーのダウンジャケット、フルフェースのヘルメット、佐世保

これは、どう見ても”テロ”であろう。

米軍の米兵の狂ったやつが、アメリカ人の秘密結社で流行していると言われる「人間狩り」を行ったか、あるいは、アラブ系のアルカイーダ組織の無差別テロの可能性が高い。

いずれにせよ、軍事訓練を受けた”プロの仕業”だろう。

これに対して、日本政府が何も意見表明しないというのは、理解できない。

佐世保は”厳戒体制”にして、場合によっては、米軍内へも捜査すべきだろう。

警察の手だけでは事件解決が無理なのは明白であるナ。
ACミラン(イタリア)が、今年のアジア・チャンピオンズリーグ王者の浦和レッズを1一0で一蹴。

【トヨタカップ準決勝第2試合】
ACミラン(イタリア)1一0(0一0;1一0)浦和レッズ
ミラン決勝進出、浦和に1一0…セードルフが決勝ゴール
浦和健闘、シュート12本…世界との差も痛感

浦和レッズは、勝てない試合ではなかった。というのは、

「サッカーというのは常に強いチームが勝つとは限らない」

からだ。

確かにACミランは強く良いチームだったが、この試合程度のパスワークであれば、絶好調の時の鹿島アントラーズやヴァンフォーレ甲府でもできるというレベルである。

この試合の一番の問題は、監督にあったと私は見ている。すなわち、トップのワシントンの起用は、この試合に関する限り”大失敗”であった。


クラブワールドカップやプロサッカーというのは、ワールドカップのような国家を背負って行う試合と違い、各チームに同郷のものや同国人がいる。

この試合では、ACミランのカカ、浦和のワシントン、ネネ、トゥーリオはブラジル人。つまり、同じポルトガル語が通じる同郷の選手たちだった。

こうした場合、”同郷のよしみ”というのでどうしても”手心”が加わるというのが人情である。これは、”インサイダー取り引き”のようなものやいわゆる「八百長」に近いものから、単に”ファン心”のような淡いものまでさまざまである。

かつて、日韓ワールドカップの1次リーグ予選の時、韓国と対戦したポルトガルのフィーゴが、ハーフタイムの時に韓国人選手に「引き分けないか。そうすればお互いに決勝トーナメントに進める」と取り引きを申し込んだが、相手の韓国人選手が英語が分からず失敗し、この勝負に負けたポルトガルが予選敗退した、という有名なエピソードがある。

このように、あらゆる手段を用いて勝負をつけようというのがヨーロッパスタイルのプロスポーツである。残念なことだが、これが現実である。

したがって、浦和のブラジル人選手たちに、試合までにさまざまな人間的な情実攻勢をしかけてきていたはずである。そう私は見ている。

事実、試合の前半のキックオフの直前まで、センターサークルの中でワシントンがカカと談笑していたのだ。決戦であるべき試合の直前に敵チームのエースとお話しているような奴が試合で活躍できるはずがないと、そうみていると、やはりワシントンはこの試合では本来の動きが全くなく、シュートも手心の加わったインチキシュートばかりだった。

そして、1一0で試合が終わって、ワシントンが何をするかと観察していると、一目散にカカのところへ行き、カカとユニフォームを交換して喜んでいたというわけだ。

ようするに、試合前からワシントンの心の中では、(日本人には気の毒だが)同じブラジル人のエースのカカにヒーローになってもらい(つまり、恩を売り)、そのヒーローのユニフォームをもらったのが自分だということになるというシナリオを描いたというわけだ。

これは、欧米人や南米人に特有の思考法で、しばしば見受けられる、非常に馴染みのあるものだ。

こうした各国人の精神世界や精神構造を理解しないと、痛い目にあうということになる。

もちろん、オジェック監督自らそういう感性でいたのかも知れない。がしかし、私の見たところ、オジェック監督は、前日のボカ戦を見に来ていろいろノートに書き込んでいたことから、浦和が勝った時の準備を一応していたように見える。つまり、オジェック監督は勝つつもりでいたのだ。

しかし、ワシントンは違った。こいつは、カカのユニフォームが欲しかっただけだ。「目先の損得にこだわり、一生の損をこく」タイプの大馬鹿選手だったということになる。ついでに言えば、この試合に関しては、トゥーリオも比較的あっさり引っ込んだ。

したがって、この試合では、ブラジル人選手より、日本人選手の小野、山田などを最初から投入すべきであった。事実、後半終了真際に入った山田は非常に惜しいシュートを2本打ち、あわやという場面を作った。

これが、オジェック監督の失敗である。

こんな分析から、おそらく、次の3位決定戦では、ワシントンは今度はうって変わり驚く程の動きをするのではないかと私は見ている。

ほんと元甲府(現ガンバ大阪)のバレー、浦和のワシントンのようなタイプの選手は質が悪い。

いずれにせよ、そろそろ、日本のJリーグは、国産エースストライカーを育てるために、トップは外国人は1人のみとか、トップは日本人のみとか、制限を儲けないとだめだろう。そうやって、日本人選手を育成しないとだめな時期に来ているのかも知れないですナ。
2007/12/12のBlog
トヨタカップ、準決勝の第一試合、ボカがエトワールサヘルを下す。

【準決勝の第一試合】
ボカ・ジュニアーズ(アルゼンチン)1一0エトワール・サヘル(チュニジア)
ボカ決勝進出、エトワールを下す…クラブW杯

やはり南米代表は非常に強い。一方的な試合展開となってしまった。

なかでもパラシオは非常に素晴らしい選手だった。

そのパラシオからパスを受けてシュートを決めたカルドソは、メッシとチームメートを組んで世界ユース選手権でアルゼンチンが優勝した時のメンバーの1人だったようだ。

ぜひ浦和には勝ってもらいたいところだが、やはり大方の予想通り、ACミランとボカの決勝戦になってしまうのだろうか。
2007/12/11のBlog
永井が口火の一発、浦和本来の攻撃よみがえる
試合速報

しかし、いったい小野はどうしちゃったんだろうか。自分が蹴ったフリーキックが敵に渡り、一気にカウンター攻撃を食らい失点。チームの流れを悪くしてしまった。

かつて”天才”といわれた男もこのところ、見る影もなくなってしまった。

「性格は人生を決める」

と言われるが、まさしく、これは真実であろう。サッカー選手の性格もサッカー選手の人生を決めてしまう。

小野の人を食ったような、ひょうひょうとした性格が、トルシエ・ジャパン時代にワールドユース準優勝を導いた。しかし、それは時として大きな失敗をも引き起こす。

のらりくらりとした馬鹿なプレーが遅延行為と見なされて警告を食らい、累積警告で大事な試合に出られなくなったり、2枚目のイエローを促しその試合を退場しなくてはならなくなったりしたものだ。

さらに悪いことは、ボールキープでのらりくらりとしたために、強烈なアタックを食らって何度も大怪我に見舞われた。これが小野の選手生命を何度か危機に陥れた。それでも人の性格というものは変わらない。私とて同じこと。

今夜の試合で、それが出てしまったというわけだ。試合は3一0で勝負は付いていたから良かったものの、相手のバーに当たった2本のシュートがともに入っていたら大変な事態に陥っていたかも知れない。やはり試合が終わるまで1秒たりとも気を抜いてはならないということだろう。小野のミスが致命的ミスにならなくて良かった。

それと比べて、同じトルシエ・ジャパンのチームメートだった永井は良い仕事をした。永井は意外に第試合に強い。トルシエ時代のワールドユースでも永井は非常に良いプレーをして窮地を救ったことを覚えている。この試合でも永井が3点目を決めて勝負を決めた。

性格というものは大事なものである。しかし変えようのないものだから困ったものですナ。
2007/12/09のBlog
トヨタカップ(「トヨタ・クラブワールドカップ(W杯)」)の1回戦、準々決勝第1試合が終了。


【準々決勝第1試合】
エトワール・サヘル(チュニジア)1一0パチューカ(メキシコ)
エトワール・サヘル、パチューカ破る…クラブW杯


【1回戦】
セパハン(イラン)3一1ワイタケレ・ユナイテッド(ニュージーランド)
クラブW杯開幕、セパハンが3一1でワイタケレ破る

【準々決勝第2試合】
明日、浦和レッズ登場。アジア代表どうしの対戦となった。何とか、浦和が勝って準決勝に上がって欲しいものである。
博士号汚職の元教授、22人の審査に関与・謝礼400万か

『医学博士号の審査を巡る汚職事件で、収賄容疑で逮捕された元名古屋市立大学教授の伊藤誠容疑者(68)が定年退官した2004年度、学位審査で中心的な立場の主査、補佐役の副査として計22人の審査に関与していたことが8日、わかった。

 伊藤容疑者が所属していた同大学院医学研究科では主査、副査への謝礼が慣例化していたとされ、伊藤容疑者が謝礼として受け取った現金の総額は、同年度だけで400万円近くにのぼり、逮捕容疑となった百数十万円の倍以上となる可能性がある。愛知県警の特捜本部は、現金授受の経緯などを調べている。

 関係者によると、同大学院医学研究科では、申請者の専門分野の教授が主査、専門以外の教授が副査として、学位論文や口頭試問を実施。最終的には同科の全教授らでつくる委員会が合否を判定するが、実質的には主査の意向で合否が決まっていたとされる。

 伊藤容疑者は2004年度に博士号を取得した5人から、口頭試問の問題を事前に教えた見返りに、現金計百数十万円の謝礼を受け取ったとして逮捕された。同年度、伊藤容疑者は主査として18人、副査として4人の博士号の審査に関与、全員が学位を取得した。関係者によると、博士号取得に対する謝礼の相場は、主査に対してが20万一30万円、副査が5万一10万円という。

 博士号には、大学院生として取得する「課程博士」と、開業医などをしながら指導を受けて取得する「論文博士」の二通りがある。同年度に伊藤容疑者が主査として関与した18人の内訳は、論文博士が16人、課程博士が2人だった。』

というニュース。こういうニュースはすぐに消えるので、ここに紹介させてもらおう。

しかし、「何で今さら?」、「どうして今どき?」という疑問は拭えない。

私がアメリカ留学から帰って間もない頃、1995年当時私理研の博士研究員の1人であった。私は以下の論文を「日本物理学会」に送りつけた。
「日本の物理学--明日への展望」に異議あり!:戦後の日本におけるアカデミズムの問題点

これは、学会誌からは掲載拒否されたのだが、1997年以来、私は自分のHPなどで長らく掲載したものである。

この論文を読めば分かるが、この論文のセクション7「7. 日本の物理学者は日本のリーダーになり得るか?」で、私のユタ大時代の経験を踏まえてこう書いている。

『私がユタ大学にいるとき、ある医学部の留学生から、日本の
医学部ではPh.D.の論文を他人に作ってもらうというのは本当か?と
聞かれたことがあった。これは理学部や医学部などで、助手などの
公募に合わせて博士論文を作ろうとするため、後輩などの他人の手
を借りてそれを間に合わせようとする、日本で良く見かける風習の
ことを言っているのだと思う。これは欧米では、3.で論じたように、
Ph.D.の論文を他人の手を借りて作ってはいけないことになっている
ことから来た素朴な疑問である。しかし、私にとってこの質問がい
かに恥ずかしいものであったことか今もよく覚えている。

さらに別の医学部の留学生から聞いたことに、日本のある
医学部の人々が、アメリカの国際学会へ行ったときのことがある。
その晩バーで遊び、さあ今日は皆独身だ、楽しもうと平気で売春し
て帰ってくるというものであった。おまけに、その準備に若い助手
や助教授などが老学者たちのために使い走りさせられているのだ。
これではまるでマフィアだ。日本のビジネスマンや政治家に対して
は、こうした話をしばしば聞くが、医者や科学者がこういったこと
をしているとは思いも寄らなかった。まだ彼らが若い独身者なら解
らんでもないが、そうではなかった。こうしたことを日本の物理学
者が行なっているとは思わないが、アメリカ人の場合、その人が追
放され、職を失う可能性は十分にある。その位に厳しいものである。

また、医学や法学においては、日本医師会や弁護士会というも
のがあり、日本の医師や弁護士の権利を守っている。これらのおか
げで、彼らは物理学者や化学者などの科学者よりもずっと良い給料
を取る。さらには、患者個人から、さまざまなプレゼントや袖のし
た---賄賂---をもらう。これが違法行為であることは明らかである。
しかし逆に、大きな金に絡んで彼らの組織は政治家たちのものに似
てきている。医師個人としての自由が失われ、政治閥のような学閥
が形成されている。その結果、医師個人として自由に職を得ること
が極めて難しい状況になってきている。したがって、これも4.で述
べたようにEqual Opportunity/Affirmative Action法に反するもの
である。』

まあ、バブル全盛期の頃の日本の医学界のことで、他の分野と同様、今以上に接待費が大学関係者にばらまかれた「白い巨塔」時代のことだから、当時から日本社会全般に及んだ風潮であったと言えるかも知れない。しかしながら、それから20年も経っても未だに変わっていなかったとすれば、それは非常におかしな話だろう。

ところが、記事にもあるように、

「関係者によると、博士号取得に対する謝礼の相場は、主査に対してが20万一30万円、副査が5万一10万円という」

というように、”相場”なるものが出来ている程に、学生と先生の間に金品の授受があるというのが日本式の大学院学位授与システムである。公務員は違法行為となるので、あからさまにはそういうことはできないはずである。

しかし、私立大学では日常的に行っているということなのだろうか? 今回は、市立大学という公立大学だから問題となったということなのだろうか?

この辺りを徹底的に調査してみるべきですナ。

参考:
Re: 会誌の役割一その2

Re: 会誌の役割

博士号取得は私的それとも公的?

座談会「物理学会役員の選出制度について」を読んで学会の在り方を思う

「大網化」の英訳

インターネット時代の研究と研究助成の在り方

物理教育に大学院物理教育のセッションの設置を!
2007/12/07のBlog
今日早速、昨日作成した自家用風力発電機を我が家のベランダの手すりに設置した。

だいたいこんな感じ。


裏から見るとこんな感じ。取ってを回して向きを変える。

風力発電機自ら向きを変えるためには、風見鶏と同じ原理で、しっぽを取り付ける必要がある。

台風や強風の時は、破損や回転し過ぎを避けるために、撤去して家の中で待機する。

今後は、これに何を付けるか、というところだろう。
2007/12/06のBlog
阿南市にはところどころに非常に才能豊かでユニークな人が住んでいる。アピカというスーパーの近くに、自家発電しながら発光ダイオードで夜に輝く風車(風力発電機)を家の回りに飾っている家がある。かなりの名物となっている。しかし多くの人はそれをいったい誰が作っているのかしらない。

昨日の午後、思いきってその家の主人に話をしに行くと、快く自前の風力発電機のことを話してくれた。それが、宮城喜貞さん(沖縄出身)である。この宮城さんは、自分で発電しながら夜にイルミネーションとして光る風車の開発を趣味にしているという実にユニークな人物である。定年退職後にこの趣味をライフワークにしているのである。

私はL・E・Dの大栗さんとも知り合いなので(阿南市の「L・E・D」訪問 )、大栗さん発明のLEDボードを持っている(”発光テトラ”)。そこで、昨日その話をすると、それを見せて欲しいというので、今日早速持って行ったというわけだ。

すると、「あなたは何がしたいのか、昨日聞かなかったので、ちょっと心配だったんだが、どうする?」、「心配になって良く眠れんかった」と私に聞くので、「あははは、いやー、僕は1つ作ってみたいんですよ」と答えると、「じゃあ、作ってみる?」と言って、早速製作することになった。

そんなわけで、宮城さんが集めた資材のうち、自転車の発電機部品、使わなくなった風力発電機の部品やさまざまな部品をいただいて、パーツ作りが始まった。

写真1: まず、自転車のハブに付いている発電機を取り出す。そのために、ペンチでスポークを全部切り取ってスポークをはずし、中心部の回転式発電機を取り出す。これは、6ボルトまで出るのと遅い回転でも十分な電力が取れるために、風力発電には非常に適しているらしい。


写真2: 次に、アルミドアのボードの端切れから、風力発電機のファン(プロペラ)を切り出すことになった。「何枚羽がいい?」と聞くので、「そうですね。5枚羽にしましょうか」と、5枚切り出すことになった。板に線を引いて早速のこぎりで切り出す。切り取った羽のエッジは尖っているので、鉄やすりで全部丸くする。

ちなみに、補足しておくと、アルミドアのボードとは言っても表面がアルミ塗装で内部が柔らかい保温材で出来た軽い板である。回転部は金属製の重いものでは、加工も難しくかつ危険なので、柔らかで強く、軽くて加工しやすいものがベストである。

また、私が”5枚羽”にこだわった理由は、フラーのシナジェティクスを象徴するためである。自然界では五角形を持つパターンは非常にまれであり、サッカーボールやフラーレンなどにしか現れないからである。


写真3: そして、古いプロペラ部品から取り付け部品を取りはずす。この部品のネジ穴の位置に合わせて、羽に穴の位置をマークし、それから穴を開けいく。






写真4: 私が、羽を切り取っている間、宮城さんは中心部で鉄パイプと発電機を取り付ける部分の器具を作りはじめる。私が全部切り終わったころ、ちょうどそれも90度にまがった状態に出来上がる。今度はその回りの端を切り落とすという加工のために、私がのこぎりで切り取る。すると、今度は、そのパーツに宮城さんが穴を開け、発電機を取り付けらるようにする。


写真5: ネジやビスやナットで部品を取り付けられるように、穴の位置を線と点で決め、そこに電動ドリルで宮城さんが穴を開けてくれた。そこに私が今度はネジきりでねじの溝を掘る。そうこうして全部のパーツができたので、全部を徐々に取りつけて完成。数時間で完成した。普通は2日はかかると宮城さんは言っていたので、異例の早さで出来上がったことになる。

我が家まで、宮城さんの車で運んでいただき、全過程終了。宮城さんとは、我が家で少し私の研究の話などして、再び私の自転車をもらいに宮城さんの駐車場に戻る。そこで、感謝とお礼を言って、お別れした。

「もの作りというのは、結局自分でやってみないとだめなのよ」
という宮城さんの言葉が心に残る。まったくその通りで、「もの作り」は、我々理論物理学者の「理論作り」と非常に似たところがある。何ごとも、どんな些細なことでも、結局自分でやってみないとだめなのである。つまり、そうしないと、その面白みが本当には理解できないということである。

こういうわけで、昨日今日と実に興味深い体験ができた貴重な日々となった。ちなみに、私は宮城さんのところに風力発電機の話を聞きに来た3人目で、弟子になった第1号であった。

宮城さん、今日は本当にお世話になり、ありがとうございました。
2007/12/05のBlog
クローズアップ2007:インフルエンザ、早い流行 子供に猛威、Aソ連型

今年は、インフルエンザの流行が例年より早く、「Aソ連型」(高熱を伴うもの)が主流という話。

大分前の2年程前に私は「インフルエンザの流行サイクルと厄年」を書いていた。

そこで、私は、長期的な「インフルエンザ・ウィルスA型の進化」の研究を行ったステファン・ファズカ・ド・サン・グロス博士という科学者の研究を紹介した。以下のものである。これは、エリッヒ・ヤンツという人が書いた「自己組織化する宇宙」(工作舎)という本にある。

ーーーーーーーーーーーーーー1946
ーーーーーーーーA0→→→→→A1
ーーーー1933↑ーーーーーー↓
ーーーーーーーー↑ーーーーーー↓1889、1957(*アジア風邪)
ーーーーーーーーA5ーーーーーA2
ーーーー1918↑ーーーーーー↓
(スペイン風邪)↑ーーーーーー↓1900、1968(香港風邪)
ーーーーーーーーA4←←←←←A3
ーーーーーーーーー1910(*ソ連風邪)
ーーーーーーーーー1978(ブラジル風邪、*ソ連型インフルエンザ)

*は私が追加。ちなみにインフルエンザ・ウィルスの発見は1933年のこと。

最初のニュースの最後の「ことば」というところの説明文はこうある。

『■ことば

◇インフルエンザウイルス

抗原の違いからA、B、C型がある。ヒトで流行しやすいのはA型とB型。68年に現れた香港風邪、77年のソ連風邪のウイルスが小変異を繰り返し現在も世界中で流行する。それぞれ「A香港型」「Aソ連型」と呼ばれることが多い。』

まあ、上のステファン・ファズカ・ド・サン・グロス博士の「インフルエンザ流行サイクル」と比較すると面白い。

まず、「68年に現れた香港風邪」は、”A3型インフルエンザ(=A香港型)”であると考えられる。次の「77年のソ連風邪」というのは、”A4型インフルエンザ(=Aソ連型)”であると考えられる。

したがって、現在流行っているAソ連型を「68年に現れた香港風邪、77年のソ連風邪のウイルスが小変異を繰り返し現在も世界中で流行する」と主張するのは、間違っている、あるいは、非常に誤解を与える表現である、ということになる。

なぜなら、A0からA5までのタイプの変化は、それぞれ10数年かかり、そのそれぞれが再び流行するまでには「約70年の周期」があるからである。

そんなわけで、今流行っているのは、1933年に流行った”A0型インフルエンザ”(場所がどこかは分からない)である可能性が一番高い。これはおそらく2003年頃に流行ったA型インフルエンザである。それが、数年(だいたいオリンピックと同じ4年の周期)のサブサブタイプの変異を起こして今年の流行を引き起こしていると見るべきだろう。

それゆえ、今回のものを「Aソ連型」というのは、きちんと調べてみないと分からないのではないかと思う。A型(=A0型の可能性が高い)には違いないが、「Aソ連型」(=A4型)かどうか分からないからである。

占いの”厄年”には、約4年周期の”小厄”と約15年周期の”大厄”というものがある。この”小厄”が、インフルエンザのサブサブタイプの変異(進化)であり、この”大厄”が、インフルエンザのサブタイプの変異というものに対応していると見ることができる。

また、人生70年というものと、インフルエンザのサブタイプの変異周期がほぼ一致しているというのも実に面白い。

いずれにせよ、成人や老人のインフルエンザ予防には「タミフル」処方、子供のインフルエンザ予防にはワクチン接種。こんなところだろう。

備えあれば憂いなし、ということですナ。

それにしても、ステファン・ファズカ・ド・サン・グロス博士という人は、恐るべき研究者、謎の科学者のようである。


参考:
「タミフル・ストーリー」解明?
インフルエンザと学校行事
理研のインフルエンザ・データベース
A型インフルエンザ・ウィルスの形成解明?
おとといの夜の「ガリレオ」という番組「霊視る」を我が家で見ていると、どうやらガリレオなるニックネームの物理学者湯川学(福山雅治)は、私同様の”理論物理学者”らしい。


その夜の番組の最後で、 柴咲コウ扮する内海薫という女刑事が危なっかしい手付きで料理する。そして湯川にできた料理を差し出したが、ここでこの湯川が「料理は科学である。。。。」というようなことを言ったのだが、私はなにかどこかで聞いたことのある言葉、なにか聞き覚えのある言葉だなと思って、調べてみると、なんて言うことはない。


それは、8年前に東大の松田氏が主催した(今は存在しない)「高等教育フォーラム」で私が最初に日本の科学界で初めて披露した考え方であった(http://matsuda.c.u-tokyo.ac.jp/forum/message/1275.html)。

当時このフォーラムでは、私はほぼ毎日、2年に渡ってさまざまなことについて書いたものである。最近皆さんがブログに毎日書くような感じで行っていたものだ。ブログが広まるずっと前のことである。

私が知る限り、料理が理科や科学のいい素養になるという意見は私は聞いたことがなかったのである。それゆえ、この意見を披露した。

それ以来、科学教育者の多くが、徐々に「料理は科学である」「なぜなら科学実験の要素をすべて含むからだ」というような考え方を持つようになり、ここ8年程で広く日本の理科教育・科学教育の世界に広まったものである。

そこで、私が当時何を書いたか調べると、こんなふうに書いていた。


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Re: 理科教育の現状:料理とスポーツ

高等教育フォーラム様
輿水さん

たいへん興味深いご意見どうもありがとうございました.現在の「理科教育」の難しさや問題点が良く分るように思います.
この問題について私は以下のような印象を受けました.

1)「実験の授業の少なさについて
進学高校では実験は時間がかかるので、1学期1一2回しかやれない。 中堅の進学高校であると、準備が大変。めんどくさい…と。商業高校であると、映像で充分。実験はあぶない。定時制高校であると、そこまでしなくても。全日制の高校の教員が理科室を整備していない、あるいは、使わせてくれない。 それぞれ、いいわけがある。もちろん熱心に実験を取り入れ、理科教育の中身をきちんと授業している教員もいるのだが、やはり現状は厳しい…。」

の部分は,「実験」を「料理」,「高校」を「家庭」と置き換えると,そのまま我々の日常の家庭で起こったことと対応しているように思います.いつからか,日本の家庭から,自前の「家庭料理」が消え,スーパーやコンビニで買った「疑似家庭料理」がそれぞれの家庭を飾るようになりました.それと合わせて,女性や女子や子供達も家庭で「料理」をしなくなったということに大変似ています.その結果,日本人の手先の器用さが失われてしまったのではないかという気がします.

2)「料理」を作るためには,あ)その料理機具の準備,い)料理する素材の準備,う)料理,え)後片づけと「科学実験」とほぼ同じ作業が必要です.この意味で,「料理作り」は一種の「科学実験」と言えるでしょう.ですから,料理作りによって,子供達にとって非常に良い科学実験的な「素養」を身につけることができると思います.
「料理はめんどくさい」と見る風潮は,やはり「実験はめんどくさい」と見る風潮と共通の精神構造があると私は考えます.

3)同様に「スポーツ」は子供達に身近かなところで,「物理現象」を実体験させることのできる最良の物の一つであろうと私は考えています.自分自身が飛び込んだり,動いたり,ジャンプしたりするわけですから.こうした経験のない人に「粒子の軌道を考えろ」と言っても非常に難しいことになるのではないでしょうか?こういう意味でも(子供の身体や精神(脳)を鍛えるという意味でも)スポーツや運動はとても重要である(この場合,プロ選手になる必要はない)と私は考えています.

4)子供が「自然環境」と触れるというような問題は,最近日本で出て来た「グリーンツーリズム」の考えのように,いわゆる「レジャー」ではなく,自然環境と「対話する」ような視点の旅行などを家庭や学校が行う必要があるでしょう.修学旅行などで大都市の繁華街へ出向くのも良いことですが,自然の恵まれた場所で自然を楽しむことも(特に首都圏た都市部の)子供達には必要なことでしょう.

我が家のように自分の家の庭先からセミの幼虫が出てくるというような田舎の場所でもない限り,子供達が日常生活の中で自らの目で「自然を発見する」というのは,非常に難しくなります.極端な話,小中学校は全寮制にして,田舎にでも住むというようなやり方でもしない限り,この問題については解決は難しいでしょうね.私個人は,子供が小さい時は田舎へ住み自然に触れ,子供の年齢と共に都市部へ住むという方向が子供にとっては良いように考えています.しかし,多くの家庭ではこれは無理なので,まあ,現実問題としては,それぞれの家庭で時々田舎へ行ってみるということが必要というところでしょうか.

さて,皆さんはどうお考えでしょうか?
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それから8年、我が家の子供達は中3、中2の結構料理好きの中学生となった。毎日食事の手伝いや手助けもする。そんな少年たちに育った。不思議なことに、2人とも非常に理科が好きで、理科の成績も非常に良い。

そんなわけだから、私が8年前に主張した考え方は100%正しかったようである。
それゆえ、もちろん、湯川学の言っていることもネ。

今のところ、我が家には「国際学力調査 結果を新指導要領に生かさねば(12月5日付・読売社説)」のような問題は出ていない。この話題はいずれまたここで論じるだろう。

ところで、次男が面白いことを言っていた。我が家では携帯電話は子供に持たせていない。ところが、多くの家庭では、田舎の阿南と言えども、気分は都会人。それを演じたくて、子供にテレビマスコミに洗脳されて携帯電話を買い与えているようだ。次男が発見したことは、どうやら携帯電話を買ってもらった順番で生徒の学校の成績が下がっていったというものである。

つまり、自分と同じくらいの前後する成績の子供を観察していると、「俺、携帯買った」と言った順でテストの成績が悪くなり、つまり、どんどん馬鹿になり、成績順位が落ちて行くというのだ。そうやって観察している内に、まわりは携帯を買う度にどんどん成績が落ち、とうとう今回自分が学年で1番になってしまったというのだから面白いものである。

これは実に面白い発見だと思う。

こんなわけだから、「国際学力調査」の結果は、学童の携帯所持率とかなり大きな関係があるはずだ、と私は見ている。つまり、「子供に携帯電話を買い与えている国程バカになる」ということだ。

まあ、考えてみれば、当たり前のことだろう。なぜなら、いくら「ゆとり教育」を廃止して、いくら授業時間を増やそうが、いくら勉強時間を増やそうが、とうの学童たちは暇さえあれば携帯電話で遊んでしまうからである。

やはり、携帯電話はある程度の年令を過ぎるまで(義務教育年令を過ぎるまで)は買えないようにすべきであろう。私はそう考えている。

まだガリレオさんは、携帯と学力の関係についてのこの話は”パクって”はいないらしいですナ。”パクって”悪いわけではないが、その時は”パクった”ってはっきり言って欲しいものですナ。
2007/12/04のBlog
写真:「かぐや」が月で撮った夕日ではなく夕地。


「三丁目の夕日」というマンガは、私も阪大院生でいた頃までは大ファンで毎週欠かさずよく見ていたものだ。今から25年程前の話だ。

それから、25年ほど経ち、それが現代のCGをふんだんに使って映画となって帰って来た。「三丁目の夕日」、「続・三丁目の夕日」である。

ともに「昭和30年代」の高度成長期に入る時代を描いていたわけである。

この時代から80年代のバブル全盛期、つまり松田優作の遺作となった「ブラックレイン」の時代。この時代は「飽食の時代」、「グルメの時代」、「ブランド時代」であった。

これが、90年代後半についにバブル崩壊。それから10年の「空白の時代」となる。方や、この時代に「科学技術基本法」ができ、田中角栄の「日本列島改造論」を象徴した土建産業から、「IT革命」に象徴されるハイテク産業へシフトする。

こうして2001年に新世紀突入し、ついに「格差社会」実現したというわけである。社会には、戦前のように「富裕層」が盛りかえし、「貧困層」と明白な区別ができてしまった。

そして、何ら効果的な解決策なく、無為に時間が過ぎ去っているというのが現時点と言えるだろう。

この無為な虚脱感から、「昔は良かった」というノスタルジーから、その原点となる「三丁目の夕日」の時代、つまり昭和30年代、を振り返って、何か我々が忘れ去ったものはなかったか、というのが今というところだろう。

この半世紀の間、日本人は何を目指したのか? これから何を目指して行けば良いのか?

こういったことが今後の焦点となるだろう。

ところで、この50年の歩みの中で、「三丁目の夕日」時代から「格差社会」時代へとある日突然に”相転移”したのではない。実は、そうではない。「三丁目の夕日」時代にすでに「格差社会」時代への”芽”が仕込まれていたのである。私はそう考えている。

「三丁目の夕日」の時代にいち早く復興したのは、この映画の通り、東京であった。

東京では、戦後に一代目が必死で働き、すでに豊かな家族が生まれつつあった。一代目は戦争で自分の教育を受ける機会が失われてしまったために、稼いで貯めたその預金を2代目の教育へと注ぎ込む。これが「三丁目の夕日」の時代であろう。

2代目は大学まで進学し、さらにリッチとなった。そして2代目は子供を塾に通わせたりや家庭教師をつけたりして勉強させ、大学進学を目指した。これが松田優作主演、伊丹十三監督の「家族ゲーム」の1980年代であろう。

3代目は、さらに豊かな環境下で過ごし、勉強せずとも大学にいけるバブル全盛期に育つ。

要するに、私の観点では、「三丁目の夕日」時代の”必然”として今がある。それが当然の「日本の運命であった」ということだ。決して、「三丁目の夕日」時代にあったものを我々が失ってきたから今があるというのではないと考えるのである。

ちまたには、「どんな名家も3代でまで」、あるいは、「どんな会社も孫の代で終わる」といいうような言い方がされることがあるが、何かこれと似たような状況が日本という国そのものにもあるように私は感じるのである。

日本が大きな3世代を通じる間に社会が必然的に衰退する方向へ進んで来たのだろうということである。

話はかなり飛ぶが、「サッカーは貧乏人のスポーツである」、「ハングリーなスポーツである」。だから、サッカー強国であるということは、必ずしも良いということにはならない。ブラジル、メキシコ、スペイン、ポルトガル、イングランドなど強豪国には明確な貧困層が存在する。同様にボクシングなどの格闘技も貧乏人のスポーツである。

方や、「フィギュアスケートやテニスや水泳はお金持ちのスポーツである」とも言われる。実際、こうした個人競技のスポーツには個人レッスンが欠かせない。外国人コーチの面倒にならなくては世界一にはなれない。それゆえ、非常にお金がかかる。

日本の女子フィギュアスケート選手の大半は、浅田真央姉妹のように名古屋出身である。なぜなら、名古屋にはトヨタがあり、日本でもっとも経済的ゆとりがあるのが名古屋だからである。愛知県が今の日本ではおそらくもっとも”余裕”のある地域といえるだろう。

一方で、浦和や鹿島には、トヨタほどの産業はない。名古屋よりはずっと貧乏であろう。それゆえ、その地に住む人々には失礼かも知れないが、サッカーに向いているとも言えるのである。もちろん、名古屋にもサッカーがある。

私が言わんとすることは、日本のサッカーが強くなってきたことと、日本に大量の貧困層が出て来たことには何かの関係があるだろうということだ。

同様な意味で、今、アメリカ合衆国のサッカー熱が高まり、アメリカはサッカー大国へと変身しつつあるというわけだ。


私が20年前にアメリカ留学から帰って後、私は二度と「三丁目の夕日」はおろか、マンガなるものを一度も読んだことがない。どういうわけか、まったく読めなくなってしまったのだ。この理由はどういうことか自分でもよく分からないが、マンガを受けつけなくなった。

まあ、個人的に考えると、日本社会の構造問題をはっきり認識してしまい、日本のマンガは所詮そうした未発展国内の物語にすぎないと認識したからである。要するに、世界レベルで見れば、リアリティーに欠け、子供じみて見えるようになったからだ。

残念ながら、社会構造(=社会システム)という意味では、アメリカがイギリスより数段先を進んでいて、世界でもっとも優れたシステムを有するというのは事実である。住んでいる人には大差なくとも、システム上はもっともアップツーデイトなものがあるのだ。

これは、例えれば、日本製のパソコンとアメリカ製のパソコンと性能においては大差ないが、乗っているソフトには最新のOSと旧世代のOSの違いがあるというのにかなり似ている。もちろん、日本が旧世代のOSの方で、アメリカが最新のOSの方である。

日本のマンガは、私にとっては、旧世代のOSで作られたプレゼンテーションのようなもので、アメリカの最新のOSで作られたプレゼンテーションを知ってしまった以上、見るに耐えない、というわけだ。私の98年製MacG3OS9で作ったPDFプレゼンテーションと、07年製MacPROOSXLeopardでつくったパワーポイントのプレゼンーションの違いのようなものである。あるいは、ワンコアマシーンとダブルコアマシーンやトリプルコアマシーンとの違いと言うようなものかも知れない。

まあ、分からない人には良く分からないかも知れないが、そういう違いが明白に存在するのである。

そんなわけで、私はマンガが読めなくなったというわけだ。

しかしまあ、なかなか「見えないものが見えるという人」は世の中にはいないものですナ。
2007/12/03のBlog
サッカー日本代表監督に岡田氏、協会常務理事会で承認

いやはや、日本サッカー協会は何を考えているのだろうか?

この期のどさくさに乗じて、本当に岡田監督を誕生させたいらしい。(川淵キャプテンの”御乱心”?

日本のマスコミもまた岡田氏が、10年前のフランスワールドカップで何をしてくれたのかも忘れてしまったらしい。(フランスW杯の戦犯岡田に出る幕はない!!

岡田さんは、ここ最近は失業状態だったはずだから、”棚ぼた式”の監督就任はまたとないチャンス到来のはずであろう。これで、毎年1億円以上の所得が入るはずだからである。不安定な生活状況から一遍にセレブ生活が待っているのだ、家族は絶対に受けろというはずである。

しかし、待って欲しい。”サッカーの代表監督は、単なる職業ではない!!”

サッカーの代表監督とは、国を代表して世界戦争に赴く将軍のようなものである。それゆえ、サッカー協会関係者のみならず、ファンや国民の意志も汲み、真の代表者を選ばなくてはならないのである。

この観点からすれば、どうやら日本サッカー協会は、我々ファンの意見というものをまったく無視したいらしい。非常に困ったことである。

なぜなら、ワールドカップ代表は日本サッカー協会のためにあるのではなく、日本のすべてのサッカーファンのためにあるからである。

私個人は、「フランスW杯の戦犯岡田に出る幕はない!!」に書いた理由から、岡田だけは”絶対に”日本代表監督にはしてはならない人物と考えている。

なぜなら、これでまた岡田は意味不明な選手起用と時代遅れなサッカー理論に基づいた戦術に固執するはずであり、それを見なくてはならなくなるからである。(ここで言っているのは、日本代表監督としては岡田はだめだという意味であり、Jリーグの普通のチーム監督はまた別の話である。)

当時まだ一介の駆け出しのコーチでしかなかった岡田が、なぜ監督として成功できたかと言えば、それはひとえに中田英寿の存在のおかげであった。中田なしにはどんな監督であれ、ワールドカップ出場は不可能であった。それほど、中田英寿の存在は大きかったのである。その中田が当時は岡田に全面的に協力した。だから監督として何の実績のない岡田でも成功できたのである。

しかし、今回は中田英寿は引退してもういない。ましてや中田に代わる精神的支柱はまだいない。岡田に大なり小なりいろんな意味で協力したのは中田英寿だったわけだから、中田のような選手がいない以上、岡田にサジェストできる選手や岡田をサポートする選手はいないわけである。

こんな状況下で果たして岡田采配ができるか、といえば、それは無理であろう。これは最初から明白である。

さらに、かつてブラジルのドゥンガが「日本人監督には日本人独特のメンタリティーがある」と言ったが( セレソン)、その張本人こそこの岡田のことだったのだ。数ある日本人監督の中でも岡田はもっとも「日本人特有のメンタリティー」を持つタイプの人物である。これすら川淵チェアマンはお忘れのようだ。

残念ながら、これで今回はワールドカップ出場は非常に困難になったと私は見ている。予選敗退はかなり決まってしまったと言えるだろう。

それにしても、どうして川淵チェアマンは日本サッカー協会だけでなく、他の人々の意見やファンの意見を聞かないのだろうか?

非常に不思議である。

いやはや、御臨終ですナ。日本代表は。

ついでに書いておけば、岡田よりはラモスの方がずっと良いと思うがネ。

参考:
川淵キャプテンの”御乱心”?
フランスW杯の戦犯岡田に出る幕はない!!
サムライサッカーをめざせ
米ぬかで「かゆみ」抑制、東大教授ら抗アレルギー実証

「米ぬか」に含まれる主成分に「γ(ガンマ)一オリザノール」という物質がある。これが、アレルギー反応を抑制する効果があるという発見のニュース。東京大の尾崎博教授、東京海洋大の潮(うしお)秀樹准教授らの研究である。

これまで、この物質には、「紫外線吸収」、「抗酸化作用」が知られ、皮膚の老化防止のための化粧品に応用されて来た。

今回の研究は、さらに、米ぬか成分は、IgE抗体と結びつき、「抗アレルギー作用」もあることを発見した。したがって、アレルギー防止用の「抗アレルギー剤」への応用ができるという話。


我が家は、近所の精米所で米を玄米から白米にしているが、その際かならず米ぬかができる。どの家庭でも同じように米ぬかを廃棄している。この米ぬかは普通畑の肥料に持ち帰ることが多いが、大半は持ち帰らずにそのままにして、その精米所の管理者が処分するというのが普通である。

そんな訳だから、この事実が知れ渡れば、米ぬかを”お持ち帰り”し、そのまま食するという人々も出て来るに違いない。あるいは、精米所の管理者は廃棄された米ぬかを化粧品業者へ売るという方法も考えられる。あるいは、ひょっとすると、精米所から「米ぬか泥棒」が現れるかも知れないナ。

私もアレルギー体質で杉花粉による咳き込みにはさんざん苦しめられて来ているが、米ぬかという意外に身近なものが効果あるとすれば、非常にありがたい話である。

今後の研究と応用を期待したい。
2007/12/02のBlog
バロンドール賞にカカ 欧州CLで得点王

ついに”ブラジルの王子”カカの時代到来。

ACミラン(イタリア)に所属するブラジル代表MFカカ(25)が、今年の世界の最優秀選手賞「バロンドール賞」を初受賞した。ACミランの優勝が評価された(”カテナチオ”、ACミラン優勝! )。

ブラジル人の受賞は、97、02年のロナウド、99年のリバウド、05年のロナウジーニョに次ぐ4人目。昨年06年は、ドイツW杯優勝国イタリアのカンナバーロ。
 
2位はクリスチャン・ロナウド、3位はメッシ。日本選手で票を得たものはゼロ。アジアでは、アジア杯優勝のイラク代表FWでアルガラファ(カタール)に所属するユーニスが2点を獲得し、29位という。

このカカやロナウジーニョやロナウドなしでも今のブラジル代表はコパ・カップに優勝してしまう。それほどの人材の宝庫なのである。

ブラジルのプロサッカー選手は1万人以上いるといわれ、その中のトップレベルが欧州へ行く。それゆえ、欧州最優秀選手となっても当然と言えるだろう。

今日本に来ているブラジル人選手は、良くて2級3級クラスである。例外は、かつてのジーコ、ドゥンガ、サンパイヨ、レオナルド、ジョルジーニョ、ジーニョ、ベベトなどワールドカップ代表組であった。この意味では、彼等に感謝しなくてはならない。

今回のJリーグの最終節で優勝を逃した浦和レッズのワシントン、その2節前に優勝争いから陥落したガンバ大阪のバレーなど、いかにこのレベルから程遠いか良く分かるだろう。

いったいどういう練習をすればカカみたいな選手が育つのか、この辺りをぜひ知りたいものだ。

このカカは、ジュニア時代にサッカー親善のブラジルメンバーの1人として日本に来ていたというのは有名なエピソードである。その当時もある程度サッカーはうまかったが、やたらうまいというわけではなかった。それが25歳くらいになると世界最高選手に育つ。この理由を知りたいのだ。

さて、このカカのいるACミランが欧州代表としてトヨタカップ、クラブワールドカップにやってくる。それを迎え撃つのが、南米代表のアルゼンチンの強豪ボカ・ジュニアーズ(マラドーナもいっしょに見に来たら面白いのだが)。

どんな試合になるのか、ぜひ見てみたいものだ。
生物学者のシーモア・ベンザーさん死去

米カリフォルニア工科大名誉教授で生物学者のシーモア・ベンザー博士が11月30日、脳卒中で死去のニュース。享年86歳。

2年ちょっと前の2005年3月25日に私は「シーモア・ベンザーとマーティン・アロースミス」をここで書いていた。

ベンザー博士は、第二次世界大戦前戦中は物性物理学者として始まり、戦後生物学者へ転向したという異色の科学者の1人であった。

戦時中は、ロスアラモスで、戦後のいわゆる”弱電”と呼ばれるようになった半導体産業の基礎技術を開発した人物である。ベンザー博士はシリコン半導体やゲルマニウム半導体の超高純度の基盤製造技術を確立した物理学者であった。

この研究に携わった大半は、後のATTとなるベル研究所の研究員となり、戦後の半導体物理を作って行った。トランジスター、集積回路、レーザー、メーザーなどの大発明を担って行き、幾多のノーベル賞を取ったのである。

もちろん、ベンザー博士がそれに加わっていれば、当然その1人に加わっていたはずである。

ところが、ベンザー博士は、子供の頃から愛読していた、シンクレアー・ルイス作の「アロースミス」という小説に感化され、何の未練もなく生物学者へ転向してしまったのである。

しかしながら、そこでもベンザー博士の活躍はめざましかった。

初期にはファージウィルスを使った実験で、ファージウィルスの遺伝子地図を世界初で作ってみせた。これはこの分野の古典となった。

その後ショウジョウバエを使って、さまざまな遺伝子を発見したのである。特に、「時間遺伝子」の発見、「愛情の遺伝子」の発見、「記憶の遺伝子」の発見などの「行動の遺伝子」の発見(”時計じかけのオレンジ”)は、世界に衝撃を与えた。それゆえ、たくさんの論争を生み、たくさんの本が執筆され、世俗的に有名になってしまった。

そんなわけで、ベンザー博士は、少なくとも物理学で1つ、生物学で4つのノーベル賞をもらってもおかしくないほどの研究を行ったのである。

しかし、「ノーベル賞の”つぼ” 」で私が紹介したように、スウェーデンのノーベル賞委員会というのは、独自の権威を維持すべく、独特の戦術を用いている。

そのため、”ノーベル賞を取る前に”世俗的に「有名になること」と「ノーベル賞を取ること」は相容れないのである。

それゆえ、天才ガモフ博士がノーベル賞をもらえなかったように、天才ベンザーもノーベル賞から嫌われてしまったというわけである。

しかし、私が思うに、「アロースミス」の中に出てくる正真正銘の真の科学者であるゴットリープ博士をこよなく愛したベンザー博士はそんなことはまったく意に介さなかったはずである。ゴットリープ博士も良い研究だけを残しこの世を去ったからである。

晩年には、ベンザー博士は再び研究分野を変え、ショウジョウバエの目の構造の研究を行っていたという。どうやれば、あれほど完璧に目が形成されるのかと。

最後に、ベンザー博士の奇妙で際立った生物観をここに記しておこう。

「その生物を真に理解するには、その生物を食べてみなくてはならない」

そんなわけで、ベンザー夫妻は、この地球上のあらゆる生物を食べたというまことしやかな伝説がある。人間の脳からゲテモノまで、もちろんショウジョウバエも食べたらしい。しかし、そのおかげで何度か命を落としかけたという。(警告:絶対にマネをしないでください)

御冥福を心から祈ります。

参考:
”時計じかけのオレンジ”
「オトコ気」遺伝子:男らしさの遺伝子
ツートーンカラーの金魚
2007/12/01のBlog
鹿島快勝、奇跡の逆転V…浦和が横浜FCに敗れる

いやはや、何とも言いがたい最終節となった。

昨年のJリーグ覇者の浦和レッズ。アジア代表としてトヨタカップ出場も決まり、アジア最高チームの称号もいただいた。

しかし、優勝目前で絶不調に陥ってしまった浦和。天皇杯予選でJ2の愛媛に完敗で予選敗退。

この悪い雰囲気は、最終節もトーリオと山田の累積警告出場停止処分で続き、今日の試合で、J2陥落の決まった横浜FCにまさかの敗戦で優勝を逃してしまった。

方や今年は絶不調から始まった鹿島アントラーズ。徐々に盛りかえし、欧州から帰国した小笠原も加わり、終盤になって完全にペースをつかみ、8連勝。そして最終節を迎えた。その勢いは留まるところを知らず、ついに清水エスパルスを3一0で一蹴。劇的な逆転優勝となった。

ブラジル人のオズワルド・オリヴェイラ監督は、就任1年目でタイトル奪取。来年のトヨタカップ出場を目指す。


しかし、こうして見ると、あまりにJリーグの日程は、強豪チームに不利にできているようだ。浦和レッズは、トヨタカップ出場、天皇杯とJリーグの3本立てで挑まなければならず、その消耗度は大変なものだったはずである。世界中を旅しながら連戦し、国内戦も戦い、さらには日本代表としても出場しなくてはならない。こんな状況下で最後に連戦の疲れが出たというのが、ここ2、3試合の姿だったのではないかと私は感じる。

アジア最高のチーム、浦和レッズ。たとえ負けて優勝は逃したにせよ、その勇姿を忘れるものはいない。あとは、トヨタカップでいい試合をしてゲームを楽しんでもらいたいものだ。

ところで、こんなわけだから、Jリーグは早く、天皇杯をどうにかすべきだろう。この時期に天皇杯を合わせるのは、選手たちにとって非常に過酷な条件となる。オリンピックのように、天皇杯をU23に絞るとか、天皇杯はワールドカップのように、夏の大会にするとか、何がしかの変更が必要である。

かつてジーコが鹿島でプレーしていた頃言っていたことだが、ナビスコカップ、天皇杯、そしてJリーグとあると、どれが一番権威あるものか分からなくなる。どれか1本に絞るべきだ、とジーコは言っていた。これはその通りである。最近では、これにさらにトヨタカップ予選が加わった。

これほど過酷になれば、選手生命は非常に短くなる。選手の人生や将来を考えれば、ぜひともこの過酷スケジュールは避けるべきだろう。

かねてから、私はJリーグは、欧米のシーズン制を取り入れて、晩夏か秋口開幕の冬シーズン制にすべきであると考えている。FIFAはそれを勧めて来た。が、どういうわけか、歴代の日本サッカー協会の会長は、それを拒んで来た。

そんなわけで、もっとも理屈にあったやり方は、Jリーグ戦は冬シーズン制にして、夏を長期休暇にする。そしてこの間に天皇杯を持って来る。そして天皇杯はU23レベルにする(そうすれば、一般チームと良い勝負になるはず)。ナビスコカップは廃止する。

また、別の案は、冬シーズン制で前半戦を天皇杯と名付け、後半戦をナビスコカップと名付ける。そして、初夏に優勝戦を行い、夏を長期休暇にする。

いずれにせよ、こんなふうに一本化しないと、選手たちは過酷な消耗戦を戦い、すぐに怪我で傷物となって、一番大事なワールドカップで活躍できないことになるだろう。

早急にJリーグと日本サッカー協会は抜本的な改革を行うべきである。選手にはこうしたことに口出す権限がないのだからなおさらである。

さもなくば、日本のサッカー選手は、文科省の天下り団体と化したtotoや日本サッカー協会の老人たちのための消耗品扱いということになるだろうヨ。
大阪大名誉教授の藤田英一さん死去

元大阪大学の教授、藤田英一(ふじた・えいいち、大阪大名誉教授・金属物理学)博士、1日、急性心筋梗塞(こうそく)で死去。享年82歳。



写真:物性ソフトボール大会。前列中央に藤田博士の姿が見える。


今年2月に「理論物理学者、望月和子さん死去 」のニュースが入った。

そこで書いたように、私は1980年春から1985年春まで豊中にある大阪大学基礎工学部大学院の修士博士課程に在籍した。ちょうどこの時期に藤田研究室があった。

この時期、阪大基礎工物性系では、ソフトボールの大会があり、このソフトボール大会を主催していたのが、実験では藤田研究室と理論では吉森研究室であった。藤田研究室は、連覇につぐ連覇をしていたのではなかったかと記憶している。

私は中学2年まで野球を幼少の頃からずっとしていたので、ソフトボールも結構うまかった。それで、この大会でも密かに優勝を狙っていたものである。私が所属した中村研究室は、理論でも最弱チームでいつも最下位争いをしていたという伝統的な運動音痴研究室の1つであった。

それが、私が入って何年目だったか、私がピッチャーをして、研究室開びゃく以来初の準優勝を飾ったのである。藤田研究室とも戦った。この準優勝は以来研究室の伝説となった。

そんなわけで、藤田研と言えば、ソフトボール大会。ソフトボール大会と言えば藤田研というほどに、藤田先生の記憶は「物性ソフトボール大会」と結びついている。

御冥福を心から祈りたい。

参考:
Yoshida Lab
2007/11/30のBlog
[ 10:12 ] [ 訃報・追悼 ]
作曲家の三沢郷さん死去 「デビルマン」ほか主題歌多数



あれは誰だ 誰だ 誰だ
あれはデビル デビルマン デビルマン

で始まる、「DevilMan」。テレビがカラー化してまだそれほど経っていない時代、当時中学生だった私も欠かさず見ていたものである。

昭和47年に放映された「デビルマン」や「サインはV」の歌の作曲家三沢郷が亡くなったというニュース。

昨今「三丁目の夕日」などで描かれた、古き良き70年代の日本で、日本がアニメ時代を迎えて行く”きっかけ”を作った人々の1人と言えるだろう。

この三沢郷さんは、作詞家の岩谷時子さんや阿久悠さんと数多くの名曲を世に残した。昭和の生んだ名作曲家の1人と言えるだろう。

ちなみに、岩谷時子さんは、ザ・ピーナッツ『恋のバカンス』、加山雄三『君といつまでも』、ピンキーとキラーズ『恋の季節』の作詞家である。

また1人昭和の時代を象徴した人物がお亡くなりとなった。御冥福を祈りたい。


2007/11/29のBlog
川淵キャプテン、職務復帰「岡田色を期待」

「一番適切な人を選んだと思う。オシム監督が1年半やってきて代表の魅力が出てきた。その中で岡田色がどう出てくるか楽しみにしてもらいたい」

いやーまったく、何を言っているんだ、この川淵キャプテン。

「W杯の監督は2度ない」という鉄則を知らないのだろうか。ましてや、フランスの”戦犯”、岡田を再度招聘するとは(フランスW杯の戦犯岡田に出る幕はない!!)。

頭の固い、岡田では、今の若手とは合わないはずである。総スカン食らって、日本代表は支離滅裂になってしまいかねないのではないか、と私は見ている。

オシム監督を選んだのは、川淵キャプテンの責任。その監督が病死しかねない状況に陥れたのは、他でもないこの川淵キャプテンである。

果たして、この川淵キャプテンにキャプテン職に留まる理由はあるのだろうか。

そろそろ、川淵キャプテンも首にしないと、予選突破はまず無理かも知れないナ。

しかし、いつの間にか、日本サッカー協会は、川淵キャプテンの独裁体制に変わってしまったのだろうか?

困ったものですナ。
最近、日本の大学の授業評価はどうなっているだろうかと、ネットサーフィンしている内に見つけたものに「東北大学授業評価」なるものがある。

これは、「鬼仏表(きぶつひょう)」なるものの、東北大学版らしい。

この”鬼仏表”なるものは、「いったいこれは何だ」と思って見てみると、何のことはない、その大学の生徒(らしき?)人物が、自分が聴講した授業を勝手に評価して書き込んだものらしい。

例えば、東北大学の版の一番最初の「足立美比古」教授を例にとると、こんなことが書かれている。

教官 足立美比古
教科(講座) 科学と情報 ≪科学と情報の参考書を探す≫
投稿者 セカンドオピニオン
投稿日 2007年11月22日
評価 仏
テスト あり
レポート なし
出席 あり
コメント 出席点(一回につき一点)+テストの点数(100点満点をそのまま)で評価。基本的にノートとってればOK。ただし板書だけでは意味不明なので適宜話を聞いておくこと。非常に眠たくなるので前日の充分な睡眠を薦める。

この中の「評価」項目に”仏”とあれば、この教官は非常にソフトで甘い評価をするという意味である。それゆえ、”仏”みたいなものだ、ということとなる。

いくつか東北大学の教授達を見てみたところでは、ほとんどすべての教授が”仏”か”ど仏”にランクされた。

これでは、”鬼仏表”ではなく、”仏ど仏表”なわけだから、”鬼”が出るところはないか、と調べるために、私の出身大学、東京理科大学で調べてみた。というのも、この大学は、明治にアメリカンスタイルの厳しい評価を行う大学として誕生した”伝統”を持っているからである。

そこで、「溝口」先生を見てみると、あった”ど鬼”の評価。

教官 溝口
教科(講座) 自動制御 ≪自動制御の参考書を探す≫
投稿者 めがねの貴公子
投稿日 2006年06月22日
評価 ど鬼
テスト あり
レポート なし
出席 なし
コメント 持ち込みありで、一昨年とまったく同じ問題が出たので、その回答を見ながら解いていたら落ちた。友人何人かもその被害にあっている。うわさでは30人近く落ちた。 とにかく先生自体気まぐれ屋で遅く来て早く授業を切り上げる。


とまあ、こんな案配で、学生がその教官を”鬼”だ、”仏”だと評価するというものらしいナ。

逆説的だが、こんなことができるのは、日本社会、言い換えれば、日本の教育界が”ど仏”社会だからである。

フランスは、自分が受けている授業の講師や先生のことをインターネットに書き込めば(学校で行う正規のアンケートは除き)、”即退学”と法律で決まっているらしい。これほど、フランス教育界は”ど鬼”社会なのである。

ところで、アメリカの大学の授業についてはどうか?

というと、これは、かつて私が「日本社会の構造的問題とその解決の方向:三セクター分立の概念」に書いたことが参考になるだろう。

アメリカの大学の『授業』というものは、どの講議でどの教科書を使うかは、学部で決める。したがって、教授が勝手に教科書を選ぶことができない。また、教え方や授業の進行方法やテストに関しても、全部学部で決定したマニュアルに従うのが普通である。

こんなわけで、アメリカの場合は、単位の取得に対する厳しさの度合いを表す、”鬼””仏”で評価することはできない。むしろ、その先生の教え方の上手い下手で評価するということとなる。

いずれにせよ、私が大学、大学院生だった30年前から日本の大学は、授業の教え方や成績評価に関しては少しも変わらなかったということのようですナ。
岡田監督:就任決定的!オシム流解体へ

いやはや、totoと同様、「ぼけ老人クラブ」と化した日本サッカー協会、オシム監督の病気により、”オシム体制崩壊”の様子。

私は、オシム監督は、アジアカップ敗退の時点で更迭すべきだと思っていたが(オシム監督は解任すべきだ!)、しかしかといって、この期に及んで、ここしばらく監督実績のない岡田監督を登用するというのは、正気の沙汰ではない。

なぜなら、岡田氏自ら、横浜マリノスの成績不振と肉体的理由で監督を辞し、しばらくは静養したいと主張していたからである。

もしサッカー協会が、日本人監督にこだわるのであれば、私個人はあまり好きではないが、オリンピック代表を本戦出場に導いた、反町監督を日本代表監督に押し上げるべきである(反町ジャパン、オシム監督へ五輪プレゼント!)。

そして、オリンピック代表監督は、反町監督とともにやってきたコーチを昇格させるべきだろう。

私がなぜ岡田が”絶対”だめか、といえば、それは、私がフランスワールドカップの時に彼が何をしたかをよーく覚えているからだ(サムライサッカーをめざせ)。

(あ)予選で活躍した、三浦和良、北沢らを落とし、若手の小野、市川を抜てきした。まあ、それは良いにしても、その小野もほんのちょっと使っただけ、市川は使わず終いだった。それなら最初から呼ばなければ良かったはずだ。

(い)本戦では、「1勝1敗1分で予選突破できる」と勝手な思い込みをし、実際には3連敗で予選敗退をしたのである。

(う)さらに、本戦では、23人枠のうち、固定メンバーの11人と小野しか使わず、次のワールドカップへの準備もへったくれも何も財産を残さずに終わらせてしまった。

これが、岡田采配だ。

サッカー協会のお偉方が、このことをお忘れになったとしたら、”ぼけている”としか言いいようがない。

現時点では、選手達たちへの混乱を避けるためにも、最良の選択は、反町だろう。はるかに岡田よりはましである。

岡田が、どうしてサッカー協会に人気があるのかしらないが(おそらく、最強時代の早稲田出身というだけだろうが。ちなみに、私はこの岡田とほぼ同期で早稲田からサッカーのレセプションを得たが早稲田へは行かなかった)、次のワールドカップ予選を岡田と心中して欲しいとは思わない。

もうちょっとじっくり監督は選考すべきではないですかナ?
しかし、普通、一度ワールドカップ代表監督(は、優勝の例外を除き、一生にたった1度のこと)を経験したものは、2度目はないのだが。

岡田氏は、辞退すべきですナ。
2007/11/28のBlog
[ 16:05 ] [ ジョーク ]
笑う角には福来る。笑いは百薬之長。せち辛い世の中には笑いが必要。以下はジョーク。

【著作権】
本は読まれるべきもの。
歌は歌われるべきもの。
映像は見られるべきもの。
アイデアは使われるべきもの、
と昔の人は言った。
しかし、
本をコピーすれば違法行為。
歌をコピーすれば違法行為。
映像をコピーすれば違法行為。
アイデアをコピーすれば、盗んだもの勝ち、
と今の人は言う。

【ダウンロード】
歌はダウンロードする度に金が入る。
しかし、研究論文はダウンロードしても金が入らない。

【馬鹿と利口】
どんな馬鹿でも芸能界に入れば金持ちになるが、
どんな利口者でも一般社会に入れば浮浪者となる。

【テレビ放映】
どんな下らないことでもテレビ放映されたら金になるが、
どんなに優れたことでもテレビ放映されなければ話題にもならない。

【お金】
昔、お金は天下の回りものと言ったが、
今は、お金は天下りの回りものと言われる。

【ニュース】
昔のニュースは、清廉潔白、公平で真実を報道した。
今のニュースは、権謀術数、不公平でウソを報道する。

【大学】
昔の大学は、貧乏人を金持ちにするものだったが、
今の大学は、金持ちをもっと金持ちにするものとなった。
2007/11/27のBlog
[ 09:41 ] [ 科学ニュース ]
2メートル超のウミサソリの化石節足動物で「史上最大」
古生代の巨大ウミサソリのはさみ発見、体長推計2.5メートル

いやはや、これはすごい。

ドイツ西部の採石場で長さ46センチのウミサソリのはさみの部分を発見。全身を復元すると、長さ2・5メートルのウミサソリであったという発見。


古生代の海」によれば、最大で2・7mのウミサソリ、「ウミサソリ」では、3mのウミサソリもいたという話である。

こんなものに刺されたらまずグサリと1発で即死という感じですナ。
2007/11/26のBlog
一般的に言って、だれしも自分の仕事というものは周りの目にさらされているものだと信じたがる。そういう傾向がある。

大学の先生は、同僚や学生の目にさらされていると思い、宮勤めの役人もまた同僚や職員の目にさらされていると思うものである。だから、大学の先生や官僚は、日々自分が一般人の目にさらされて仕事をしているものだと信じ込む。あるいは、そう信じたい。

しかし、果たしてそうか?

実は、それは大きな間違いである。現実はどうやらそういうふうにはなっていない。

今回はこの問題をここでメモしておこう。

私も大企業の研究所や公的機関の研究所にいた頃、お恥ずかしいことに、まさにそう信じていた。大企業や国立研究所に勤務し、そこで仕事をし、それなりの国際研究雑誌に論文を公表すれば、それで十分一般人の前で仕事をしているものだと単純に考えていたものである。科学者の活動は、そういうふうにして一般の市民や国民に理解されると思っていたのだ。

しかし、12年ほど前にフリーで自宅で仕事をするようになって初めて分かったことだが、それはどうやら我々研究者や科学者の”一種の職業病”、あるいは我々の”勝手な思い込み”のようなものであるということである。

あなたが、公的機関や宮仕え、あるいは民間大企業のお勤人として科学者をしているとしよう。あなたが大学の教授なら、確かに学生を通じて、それなりに顔を知られ、人物を知られ、業績なども知られることになるだろう。同様に、あなたが研究所の職員であれば、その中では十分に知られていることだろう。しかしながら、それはあくまで大学キャンパスや職場の中の話に過ぎないのだ。

ひとたび、あなたが大学や研究所や企業の職場を出れば、だれもあなたを知るものはいない。これが現実である。なぜなら、あなたが日々、コピーしたり、食事したり、お茶をしたりする生活の場はすべて職場やキャンパスの中に揃っているからである。何不自由なく、職場の”世界”を旅し、生きて行けるのである。

ところが、普通の人、外部の人は、あなたの生活の場、研究の場、仕事の場にはいることができないのが普通である。それゆえ、その外に生きる普通の人々にとって、あなたが日々のもっとも大切にかつ集中的に仕事している活動の場は、あくまでブラックボックス、未知の場となってしまうのだ。

そういうわけで、普通の人、つまり、ごく普通の一般人は、あなたのような学者や研究者の生活の姿を日常的には見ることができない。したがって、あなたが自分自身をどう捕らえるかに関係なく、普通の市民にとってあなたの存在は”なきに等しい”のである。インビジブル・パーソン(見えざる人)なのだ。

だから、いくら良い活動を大学や研究所で行っていたとしても、それが一般人の認識に登るのは、めったにないこととなる。極端な話、あなたがノーベル賞でも取らない限り”ない”のである。

この意味では、いかにあなたがその筋で有名であったとしても、あなたが町中を歩き回っても、あなたはほぼ”匿名”で生きていることに等しいのだ。だれもあなたの素性を知らないからである。例えあなたと出会ったとしても、それはあくまで一過性のものにすぎないからである。

こういう事情があるから、あなたがどこかの店で酒を飲んではめをはずしたとしてもだれもそれを気にすることはない。それゆえ、たまに酒を飲んではめをはずしすぎて犯罪行為に走るものが出るというわけだ。つまり、そういうことをしても誰も自分を知らないという甘えや緩みができるからだ。

こんなわけで、お勤人科学者というものは、業績を知られることはあってもその人を知られることはない。とまあ、そういうことである。


ところが、まったく逆に、私のように、”市井に生きる科学者”の場合は事情が大分異なってくる。私のようにフリーで仕事をする場合、活動の場は自宅の仕事場だけには限られるというわけにかいかないからだ。

なぜなら、自宅に立派な仕事場があり、そこにコピー機やら図書室やら何でもあれば別だろうが、私のようにほとんど何もなければ、コピーのためにはコンビニまで出かけなくてはならなくなるし、本を買うには本屋まで出かけなくてはならなくなる。お茶をするには近くの喫茶店まで出かけなくてはならない。ましてや私のように部屋で仕事するよりは広い場所で仕事するのが好きな人間にとっては、スーパーの喫茶は格好の仕事となる。

こうなると、方や自宅が仕事場なのだから、近辺の人々、さらには我が家の子供達の通う学校関係者などすべての人々に”素性が知れ渡っている”ということになるのだ。私が動き回る範囲で、私がその人を知っているかいないかに関わらず、その人が私を知っているという確率の方がはるかに高いということになるのである。

町を仕事場にして日々出歩く機会が必然的に多くなるのだから、私の住む町の人々にとっては、私はものめずらしい科学者(物理学者)の代表格ということになる。

これは、我々日本人がアメリカに住むような場合と似ている。

我々が”個人として”アメリカのどこかに住んだとしても、アメリカ人にとっては我々が”日本人の代表例”となってしまうのである。したがって、日本人を初めて見るアメリカ人や日本人を知らなかったアメリカ人にとっては、格好の”餌食”、格好の”材題”となる。我々を通じて「日本人とは」というふうになるからである。

こんなわけだから、私が何かをしでかせば、「理論物理学者は、こんなことをした」、「学者とは、あの人のような感じだ」というふうに見られるということである。私が良い事をすれば、理論物理学者の良い評価が得られるし、私が悪いことをすれば、理論物理学者はだめなやつだということになるのだ。私があくまで”個人として”理論物理学者として生活しているということは、周りの一般人にはどうでもいいことだからである。やはり、私は町の人たちにとって「学者の代表格」となるからだ。

こういう観点で、”市井に生きる学者”には、我々研究者世界から見れば”妙な”責任がいつも付きまとうのである。これは、上に述べたように、アメリカでマイノリティーとして生活する日本人が感じる、不思議な責任感と非常に似ているのである。

おそらく、こういう”責任感”は、大学や企業や研究所のお勤人の科学者にはないだろうと思う。その人が実際に何をやっても、最終的な責任はその職場が受け持つからだ。しかし、個人として生きる場合はそれは成り立たない。

こんなわけで、市井の科学者というものは、逆に人物を知られることはあってもその人の業績を知られることはない。とまあ、そういうことである。


普通、お勤め人の科学者が、私がいう意味を理解できるようになるのは、定年退職した後である。定年退職し、地元の人々の何がしかの会や地元の自治会などに関与して初めてそういうことを知るようになるというのがよく聞くところである。

しかし、その時には、当人が60過ぎた老人、あるいは中高年である。だから、その時に一般人が知るようになる、あるいは、知ることができるようになる、科学者の姿とは、”老科学者”の姿である。したがって、一般人は、若く、ぴちぴちして、勢いのある、目が輝き、機智に富み、才能溢れる科学者の姿というものを知ることなく終わる。残念ながら、これが現実なのだ。

つまり、私が最近になって認識するようになったことは、おそらく一般にお勤人の科学者が思っていることとは逆である。それが現実なのである。


まあ、そんなわけで、私が言いたいことは、

『学者よ、町にいでよ』

つまり、「野に咲く学者となれ」ということである。「在野精神」こそが、やはり本質的な意味で正しく、これこそが国民の為になるということなのである。まあ、分からんだろうがナ。
2007/11/23のBlog
さて、自転車などまだローテク。古い古い。これでは風雨の強い地球温暖化の時代には適さない。

もっとましなものはないか?

そこで私が自転車の次に見つけたものが、実は、ペダル・カー(pedal car)というもの。

これは、幼児が乗る、ペダル式の自動車のことである。

ネットサーフィンで見つけると、実にさまざまなものがある。
しかし原理は1つ。ペダルを踏んで前進する。

いくつかここに紹介しておこう。

写真1:”子供用”ペダル・カー。昔のお金持ちの子供だけが買ってもらえた代物。ブルジョアの象徴であった。大人にとってのベンツのようなものか。


写真2:”大人用”ペダル・カー耐久レースはイギリスにあるらしい。



さて、これを子供だけのお遊び道具にしておくのはもったいない。

そこで、このペダル・カーの”大人もの”がないか調べると、1つだけ見つかった。

写真3:”大人用”ペダル・カー



しかし、ペダル式エンジンには限界がある。なぜなら、ペダル踏みの前後運動を後輪の回転運動に変えなくてならないからだ。この部分だけは、自転車のギアチェーンシステムに変えた方がよりいいはずである。

そこで、こういう原理で動くものはないか、とサーフすると、やはりいくつかみつかった。そのうち1つを紹介しよう。

写真4:”大人用”バイシクル・カー



石油高騰の現在、さらに石油がなくなった世界の交通事情はどうなるか?

おそらく、こんな感じの世界になるのではないか?と私は想像しているのだが。

国の世界戦略の一貫として本格的に研究開始すべきだろう。

写真5:ペダル・カー交通の世界
ここのところ、くだらん話題ばかりを論じたので、ちょっと気分転換に今回は多少楽しい話題を紹介させてもらおう。

今や世界は地球温暖化と石油高騰で揺れ動く。(バイオエタノールの”不都合な真実”

アメリカの学者の中には2050年には再び「ロウソクの時代」へと舞い戻るという予測をするものもいる。(”2050年”

そうなると、「エンジン問題」が生じる。これには、「エンジンの原理」と「エンジンの燃料」という2つの問題がある。

「エンジンの原理」の問題とは、何をエンジンにするか、というもの。「エンジンの燃料」の問題とは、そのために何を燃料に取るか、というものである。

そんなわけで、今あるエンジン付き自動車の燃料をガソリンからバイオ燃料、テンプラ油と変えるのも1つの行き方。
はては、電気自動車とガソリンエンジンから電気モーターに変えるのもまた1つの行き方。
はてまた、自動車から再び馬車や馬に乗ろうというのもまた1つの行き方、ということになる。

しかし、もっと別の道もあるのではないか? 

たとえば、自転車。

この自転車を「風雨に耐えるように進化させる」のである。

そこで、google imagesでネットサーフィンをしていろいろ調べてみると、結構面白いものが見つかった。そういう”変わり種”自転車は、「自作自転車」でサーチすれば見つかる。

変わりダネ自作自転車たち
サイクルロード 自転車という道

これらの中からいくつか代表的なものをここに紹介させてもらおう。

写真1:ゆりかご回転式



写真2:カニ歩き式



写真3:つり下がり式



写真4:3人乗り式




写真5:寝転がり式
2007/11/22のBlog
恐喝疑惑で中田カウスらに事情聴取

『吉本興業の中邨秀雄元会長(75)に対する恐喝疑惑をめぐり、漫才師中田カウス(58)吉野伊佐男社長(65)らが、大阪府警捜査4課から任意で事情聴取を受けていたことが21日、分かった。関係者によると、この日午前から、カウスの聴取が行われ、前日までに吉野社長も事情を聴かれたという。同課は今後も関係者から順次聴取し、立件の可否を判断する。』

というニュース。

これは、しばらく前に「”人は見かけによらない”」で紹介した話題である。

もはや日本の芸能界、テレビ界はどこもかしこも吉本芸人ばかりだが、その吉本の重役級の人物がこうした事をしでかしているわけだ。

また、NHK大阪ですら、「はよー、終わってんか、”ちりとてちん”?」に見るように、すでに吉本の軍門に下った。ATRという研究所も似たようなものである。

こんなわけだから、その影響は限り無く大きい。

最近、赤福という会社が、食品偽装して大きな問題となったが、吉本の会社の商品である芸人がその正体を偽装しているわけである。こっちの方がずっと悪質であると私は考える。

そろそろ吉本は芸能界、テレビ界から出て行って欲しいものですナ。


参考:
「バラエティー番組過激化」の原因は吉本にあり?
はよー、終わってんか、”ちりとてちん”?
”お笑い”インベーダー4:藤原紀香陥落?
”人は見かけによらない”
鹿児島の「踏み字」元警部補、反省しながら無罪主張

『被告12人全員の無罪が確定した2003年の鹿児島県議選を巡る公選法違反事件で、取り調べ中に親族の名前を書いた紙を踏ませて自白を強要したとして、特別公務員暴行陵虐罪に問われた福岡市西区、元鹿児島県警捜査2課警部補、浜田隆広被告(45)の初公判が22日、福岡地裁(林秀文裁判長)で開かれた。

 浜田被告は罪状認否で、「踏み字行為を1回させたことは事実で、反省している」と事実関係を認めながら、「特別公務員暴行陵虐罪の陵虐や加虐的行為には当たらない」と無罪を主張。弁護側は「違法性が認められるにしても公務員職権乱用罪に当たり、すでに公訴時効(3年)が完成している」と述べた。』

というニュース。人権教育映画「新・あつい壁」をそのまま行ったような事件。

この浜田隆広のような馬鹿ものは、どういうわけか、日本には伝統的に誕生してくる。だれかにそうしろといわれてそうなったわけではないようだから、おそらく、一部の日本人の遺伝子の中に存在する形質なのだろう。


最近、子供の中学校の、授業参観(人権教育)、そして人権教育映画「新・あつい壁」を鑑賞する機会があったが、この映画は実にすぐれたものであった。ただでこんな良い映画を見られてラッキーであった。

この中に登場する警部が、まさしくこの浜田隆広とまったく同じタイプのどうしようもない男であった。

もしこの日本人の一部に存在する実に”いやらしい性質”が、生まれつきのものだとすれば、こういう形質は、日本人にとってまったく有用なものではない。

ひょっとすれば、この性質は九州地方に特有なものであるのかも知れない。というのも、「新・あつい壁」の事件の場は熊本であり、最初の事件の場は鹿児島だからである。

それゆえ、できるなら、こういう形質や性質(つまり、質の悪いやつ)はない方がましなのである。

したがって、無実の市民を無理矢理えん罪でしょっぴいて行っても平気でいられた浜田隆広のような男は、死刑にするのが一番かも知れない(中国でこんなことが発覚すれば確実に死刑だろうヨ)。どうせ、出所すれば、また同じようなことをするに違いない。

こんなばか者にも、金欲しさに弁護人になろうという輩がいるというのは、ちょっと信じがたい話ですナ。

いずれにせよ、世間知らずの老人たちを、だまくらかし、下手をすれば、そのまま有罪となって刑務所暮し。獄中で死にかねない、えん罪であった。まさに、もう一つまた中山監督が「新・あつい壁」のような新作を作らなくてはならなくなるところであった。

ところで、私の知る範囲では、この事件は、鹿児島の選挙の時に起こった事件である。当選者に反対する側の市民が無理矢理しょっぴかれ、その市民が推す候補が落選した。このように政治絡みの事件だった。

だとすれば、この選挙で、鹿児島県警捜査2課警部補、浜田隆広や鹿児島県警にそうさせた政治勢力があったはずである。諸悪の根源はそいつであろう。これについての解明こそ最優先課題であろう。もちろん、当の鹿児島県警がそれをするはずがない。

したがって、警視庁が特捜部を作り、これに当たるべきである。あるいは、検察がこれに当たるべきかも知れない。まあ、お仲間だからそんなことはしないかもしれないがナ。

鹿児島県警というのは、かつて日本の警察機構の中枢に優れた人材を提供した伝統あるところである。それは、西郷隆盛以来、警察組織のボスは鹿児島県出身者が占めて来たという歴史があるからだ。

それも今や昔。もはやろくでもない連中しかいないようですナ。

ほんと、世も末ですナ。


参考:
中山監督の「新・あつい壁」 映画製作ノート
新・あつい壁
新・あつい壁
日本、4大会連続で五輪サッカー出場決定…サウジと分ける
日本、北京五輪へサッカーアジア最終予選

いやー、”執念の引き分け”。

これが、この試合を表す言葉である。

中盤の青山のゴールラインぎりぎりでの”お尻クリアー”が日本を救った。

本人は、「自分こそMVPだ」と言ってるようだが、この試合に関してはまさにその通りだろう。

あそこで、失点していれば、おそらく3一0で敗戦したのではないか、と思う。それほどまでに、青山のお尻キックは窮地を救うものだった。

ここで私は以下のようにずっと分析して来た。
反町ジャパン、U一20の力で”薄氷の勝利”?
8月22日のオシムJ、反町J、U17W杯サッカー
反町監督、反旗を翻す?
オシム体制崩壊か?:反町ジャパンサッカーにならず

2番目の「8月22日のオシムJ、反町J、U17W杯サッカー」にはこう書いていた。

” 『日本は圧倒的に攻めながら得点できない展開が続いたが、前半終了間際に柏木(広島)の右CKを青山直(清水)が頭で合わせて先制した。その後も惜しいチャンスが何度もあったが、追加点は奪えなかった。』

とあるように、平山の相変わらずの何とも言えないプレーでことごとくチャンスを潰した。いったい反町監督はいつまでこの平山を使い続けるのだろうか。平山よりずっと良いカレン・ロバートを落選させたことからも、何とも言えないものを感じていたが、どうもよく理解できない。”


また、「サッカーの”厄病神”」にはこう書いていた。

”平山を使っているうちは日本に勝機はない。

それゆえ、平山にこだわり続ける反町監督にも”つき”は来ないだろう。もっと良い選手が他にもいるだけに残念であると私は思う。”

ベトナム戦の4一0の勝利、そして昨日の執念の引き分けもともに、反町監督が、ここへ来て平山を引っ込め、李と岡島の2トップシステムに変えたこと、そして、U一20の柏木の登用などが功を奏した。

これらが、成功の原因である。

この意味では、反町監督が、自己流に固執しないで、川淵会長など他の人々の意見も聞き入れたこと、柔軟な対応に目覚めたことが結果に繋がったと言えるだろう。

ところで、それにしても今の日本人選手のシュート力が最悪である。シュートすればはずす。枠に入れば、キーパーのいるところ、手の届くところへ打つ。

これは、すべてシュートの”基本動作”が上手く修得できていないことを意味している。

要するに、小中高と来る間にシュート練習がいかにおろかにされているかということである。

実際、我が家の息子が通う中学校のサッカー部でも、ろくにシュート練習(これにはバスケットボール同様に、サッカーでもさまざまなパターンがある。足もヘッドもボレーもドリブルシュートもある)をしていない。J2の徳島ヴォルティスのユースでもそうである。

最近の日本人選手は、確かに”小技”はうまい。これは、テレビでロナウジーニョなどの小技がよく放映されるようになったからである。リフティング(ジャグリング)が1000回以上できる児童も増えてきた。

しかし、それが大きなフィールドの上で生かせない。つまり、言い換えれば、今の日本人選手は、”大技”が下手糞なのである。

メキシコオリンピックの時代、すなわち、あのクラマーコーチと釜本や杉山や川淵や宮本の時代、選手達は小技は下手糞だったが、逆に大技が上手かった。40mのロングシュートを釜本はいとも簡単に決めた。右45度の角度からは目をつむってもシュートが打てると豪語していたほどである。

この違いはどこにあるか?

と言えば、それは、単に”基本練習の練習量の違い”である。

科学者には科学者特有の頭の使い方があるように、サッカーには、サッカー独特の動作、つまり身体の動かし方や使い方がある。これは、練習しない限り身につかない。それゆえ、毎日毎日それを練習して無意識にでもできるようにするわけである。これが、今の子供達には欠けている。

ボールリフティング(ジャグリング)にしても、単に回数か多ければいいのではない。適当に蹴って回数が多ければいいというものではない。正しくボールを蹴る動作が身についた上で回数も多くなくてはいけない。足ががくがくして蹴ってはいけないのである。

しかし、こうした基本動作がないがしろにされ、教えられていないのである。それゆえ、それが大きくなり、高校生や大学生や社会人、あるいはプロ選手になった時に微妙な差を生むのである。

これが、ヨーロッパや南米の選手のシュートはゴールの良いところへ突き刺さるのに、日本人選手のシュートは枠をはずし、からぶりし、良くてもキーパー正面というようなシーンへと繋がるのである。

リフティングやパス回しというような”小技”の習得も大事だが、それ以上にロングシュートやロングドリブルやロングパスというような”大技”の習得も大事なのである。

マンチェスターUのクリスチャン・ロナウドは、味方のサイドからの突破に合わせて後方から50mを猛烈にダッシュして来ていつの間にかゴール前につめ、そのセンタリングをきれいなシュートでゴールを決める。簡単なことをいとも簡単に決める。

こういう何気ないプレーこそ、何年にもわたる基本練習の成果なのである。

日本の指導者たちは、子供達にもっとサッカーの基本動作を教えてもらいたいものですナ。

『サッカーは美しくなくてはならない。さもなくば、サッカーはただのボール蹴りと同じだ。』

これが私のサッカー観なのだヨ。

いずれにせよ、今のチームでは、オリンピック1次リーグ突破はかなり難しいだろうナ。
2007/11/21のBlog
[ 15:40 ] [ 政治・経済 ]
今や世界に冠たる”自殺大国”となった日本。WHO(世界保健機構)も日本をマークしているはずである。

そこで、我が国、日本でどのように自殺数が推移してきたか、をちょっと見てみると、次のものが公表されていた。

2. 自殺死亡の年次推移

この自殺数の年次推移は、非常に”示唆的”である。

まず、「大きな増加率の時期が3つある」事が分かる。

(1)「米軍占領ショック」
新憲法の民主国家移行期(終戦直後から昭和30年代初期まで)、
(2)「ドルショック」「オイルショック」
金本位制から変動相場制へ移行期(1970年代後半から1980年代中盤まで)、
そして
(3)「構造改革ショック」「科学技術ショック」「ITショック」
構造改革移行期(バブル崩壊後から1995年から現在に至る)

(あ)戦前(第二次世界大戦前、すなわち太平洋戦争前)は、特に急激な自殺数の増加時代はない。日本が軍国主義化し、徐々に泥沼の国際戦争にはまっていくにつれ、徐々に自殺数も増え、それが戦争中に減り、戦後に再び急速に増えたことがわかる。

(い)終戦直後から昭和30年代初期までの、新憲法の民主国家移行期。
この時期に急勾配の直線的に自殺数が増加している。

(う)それが、1960年代に入り、所得倍増計画により、日本人の個人所得が徐々に増え、高度成長時代に入ると、急激に自殺数が減ったことがわかる。

(え)1970年代後半にアメリカが日本に対して金本位制から変動相場制に移行した時期、すなわち「ドルショック」の時代に、再び自殺数が”指数関数的に増加”したことが分かる。そして「オイルショック」時代にピークを迎えたことがわかる。

これは時を同じくして、日本が「不動産バブル全盛期」を迎えた時期に一致している。

(お)その後、2万人程度で推移し、1995年から再び自殺数が”指数関数的に増加”した。これは、この時期が、「科学技術基本法」作成後の、「公共事業削減」に象徴される”構造改革”の時代に入って顕著となっている。この時期からずっと自殺数が3万人/年となる。

このように、一見どうして自殺しているのかという点を個々人や個別にミクロに見れば、病気や失業などざまざな理由があるだろう。しかし、こうして大きな流れで見れば、やはりその時代背景という”時代の大きな節目”がもろに影響しているだろうということがわかる。

つまり、

「我々国民は、世の中の大きな流れの影響をもろに受けて、それが個々人の人生に重くのしかかり、不幸にも健康を害したり職を失ったりして人生に嫌気が指すことで自殺に駆り立てられている」

という傾向がはっきり見て取れるということである。


図2の死亡率との比較はもっと深刻で、死亡率自体は戦後どんどん減り、ほぼ横ばいであるにもかかわらず、自殺率は急激に増えたという事実である。

この意味では、自民党政治が年に3万人以上も人殺しをしてきていると言うことができる。

まあ、森嘉朗、小泉純一郎に代表される自民党政治の構造改革路線は、上ばかりを保証し、下支えをおろそかにしたということの証明である。その結果、「富むものはますます富み、貧しいものはますます貧しくなる」という格差社会を見事につくり出したということである。

ところで、話は変わるが、日本ほど、ある意味、自由な国はない。この点、アメリカなど比ではない。

それは何かと言えば、日本ほどだれでも政治家になれる国はないのだ。

森嘉朗は、田舎の庄屋のこせがれ。浜田幸一は、元やくざ。小泉純一郎は、在日韓国人。宮沢喜一は、被差別部落民。
(これらは、インターネットのウィキペジアに書いてあることである。)

最近では、小説家の石原慎太郎(右翼)、コメディアンの東国原英夫(愛人の子)が知事になった。また、外人でも議員になれる。

要するに、”この意味”では、日本には人種差別は存在しない。

これに比べれば、アメリカなどまだまだだ。女性の大統領はまだいないし、黒人も東洋人の大統領も存在しない。ヒスパニックなど論外だ。アメリカでマイノリティーが大統領になれば、一部の国粋主義者や白人至上主義者によってまず90%の確率で暗殺されるだろう。それ以前に、大統領になることをことごとく妨害されるはずである。愛人の子、不義の子、右翼、マフィアの人物はまず大統領戦から排除される。これほどまでに、アメリカはまだまだ保守的な国である。

この意味では、いかに日本という国が開かれた国かわかるだろうヨ。

では、これほど開かれた場合に出てくる問題とは何か?ということだろう。

私は最近つくずく思うのだが、ある特定のマイノリティー集団から首相が出ることは非常に結構なことなのだが、果たしてそういう人物が本当に一般の国民のためになることをしてくれるのかどうか?という点である。なぜなら、そういう人物は、自分の民族や自分の家族のためになることだけを目指して政治を行わないか、そういう危険がいつもつきまとうからである。

今や在日韓国人は、一般の日本人より高学歴で高額所得者集団である。被差別部落民もさまざまな保証があり、一般の無学で低所得者の日本人よりは恵まれている。田舎の酒屋や庄屋もさまざまな面で優遇処置を受けて来ている。

我々一般人は知らないが、こういうことが実は今の首相の出自のせいだとなれば、これはたまったものではない。

我々国民が、日本を人種や性別や出身や教育などで差別されることなく生きられるようにと長い時間かけて苦労して作って来た制度のおかげで、森嘉朗や小泉純一郎や宮沢喜一が首相になれたのである。しかし、もしそれが、今度はマイノリティーの心の底に潜む「恨み」や「日本人蔑視」の裏返しとして日本人を貧しくし、構造改革の名の下に日本人を不幸のどん底に陥れようとしているとすれば、非常に大きな問題だからである。

果たして、ここにマイノリティーが首相に就く場合の問題点がある。

もちろん、こんなことは我々ほとんどの国民は馬鹿だから知りようはずもない。

なぜこんなことを考えたかと言えば、毎年3万人強の日本人の自殺者がいて、自分の施政の間、4年では12万人の自殺者、8年なら24万人の自殺者が出ているにもかかわらず、その悲しみというものをどうして理解し得ないのだろうか?という疑問を持ったからである。

考えてみれば、実に不思議な話である。同じ日本人が自分が首相を勤めている間に自分のせいで何十万人もの人々が自殺したのである。これに心いためずに生きていられる政治家というものはいったいどういう人種なのかということである。

そこで、よくよく突き止めれば、彼等は我々とは違う出所であったとすれば、そこには何がしかの「反日感情」がなかったのか、と疑うざるを得ないのである。

今の防衛省のすったもんだを見れば分かるが、この国ではもはや我々国民を命をかけて守ってくれる人はいないのではないか、という気にもなる。

要するに、日本という国は、どこか知らない連中に乗っ取られてしまったんですナ。本当に腹立たしいばかりだ。

まあ、俺にはどうでもいいことだがネ。

世も末ですナ。