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KiKidoblog
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2008/03/24のBlog
[ 11:06 ] [ 好きな言葉や詩 ]
"Think global, act local"
「地球的(大局的)に考え、地域的(局所的)に行動せよ」
という言葉がある。

これは、”エコ哲学”の創始者で、20世紀を代表するアメリカの建築家R・バックミンスター・フラーの言葉である(「クリティカル・パス」あるいは「フラーとカウフマンの世界」参照)。

人が自動車であっちこっちに動き回り、職場を往復すれば、その分太古に作られた化石燃料を消費する。それは、あたかも自分の家の暖を取るために自分の家の柱を燃やすようなものだ。

物事を2次元的にとらえ、何でも”内”と”外”に分けて考える。このせいで、帝国の内と外、味方と敵、富める者と富まざる者、持つ者と持たざる者の区別が生まれる。それは、この宇宙が3次元的に出来ていることを知らないからだ。地球が”球体”であることを認識しないからだ。球は有限であり、球面には内も外もない。

いかにして再生可能なテクノロジー、それも建築物も含めて、地球上に誕生させることができるか?

これがフラーの生涯の夢であったという。

さて、しばらく前に「太田総理」の番組で、テリー伊東が、「インターネットの使用時間を1日1時間に制限する」という法案を出したことがあった。その話の中で、「ほとんどすべてのブロガーは半径5m以内のことしか書かない」という意見があった。

インターネットで世界中に何でも発信できる時代となっても、やっていることは己の身の回りの5m以内の世界、自分の日常の視野に入ることしか書けない、ということである。要するに、"Think local"(「(物事を)局所的に考える」)ということである。

おそらく、こういう人々は、自分の目の届く範囲5mしか見えない(あるいは、気がつかない、あるいは、考えられない)わけだから、グルメや旅行などどんどん出かけて行くはめとなる。そこに行って半径5mに接近しないと見えないわけだからだ。

というわけで、大半のブロガー、普通の人というのは、フラーの言う意味では、全く逆となる。つまり、

"Think local, act global"
「地域的(局所的)に考え、地球的(大局的)に行動せよ」

もちろん、言うまでもなく、これがいかにエネルギー消費に繋がるか明らかだ。なぜなら「考えることは”ただ”」だが、「動くことには金がかかる」、すなわち、石油消費に繋がるからだ。

いかにフラーの洞察が正しいか明白だろう。

しかし、世の中にはこれが分からず、インターネットでテレビ会議できる時代でも、世界のあっちこっちに行き来したがるのが、セレブ(著名人)やお金持ちの常である。今やお金持ちランキング第5位にランクされるまでになった大学教授たちも今や日本全国や世界中を飛び回る(大学人の「ぼかあ、幸せだなあ」)。会議の中のだれかほんの何人かに会うためにである。

これでは、CO2排気量も増えるし、地球温暖化も加速する(とはいっても、大方の人は温暖化の後のことを知らない。北極や南極の氷が解ければ、真水が増え、そのせいで大洋奥底の海底深層水の流れが変わり、海流が大きく迂回、その結果、地球寒冷化が来て、今度は氷河期に入るということを)。

ところで、これらの他にももう2つの組み合わせもあり得る。

"Think local, act local"
「地域的(局所的)に考え、地域的(局所的)に行動せよ」

"Think global, act global"
「地球的(大局的)に考え、地球的(大局的)に行動せよ」

まあ、前者は「ニート的」であり、後者は「軍隊的(米軍的)」であるとでも言えるだろうか。また、前者ではあまりに「小市民的」であり、自分のことしか眼中にないわけだから、世の中は少しも善くはならないだろう。後者では世界中の人がこれをやればすぐに破たんが来る。「神々」の生活に近いからナ。

というわけで、”宇宙船「地球号」”(この言葉もフラーが生み出した)に乗る我々地球市民としては、フラーが言うように、

"Think global, act local"
「地球的(大局的)に考え、地域的(局所的)に行動せよ」

が一番無難なところということですナ。
2008/03/19のBlog
「影響力ある論文」阪大・審良教授が4年連続ベストテン

”学術情報サービス会社トムソンサイエンティフィックは19日、引用回数が多く影響力があった科学論文ランキング(06一07年度)を発表した。大阪大の審良静男教授(免疫学)が4年連続でベストテン入りした。
 05年11月からの2年間に出した論文が、07年9月からの2カ月で他の論文に引用された回数を分野ごとに分析。審良教授は上位0.1%に入った論文が11本だった。1位は米、インド、オランダの高エネルギー物理学研究チームの3人で12本。審良教授は自然免疫研究の第一人者で、昨年と一昨年は1位だった。”

というニュース。

そこで、scholar.google.co.jpで検索してみると、出るわ出るわ、大半の論文が数百以上の被引用数を持つ論文だらけだった。以下のように、最初の5つは1000の被引用数を軽く超えている。


TOLL-LIKE RECEPTORS
K Takeda, T Kaisho, S Akira… - Annual Review of Immunology, 2003 - Annual Reviews
引用元 1731

Toll-like receptors: critical proteins linking innate and acquired immunity
S Akira, K Takeda, T Kaisho - Nature Immunology, 2001 - nature.com
引用元 1498

Differential Roles of TLR2 and TLR4 in Recognition of Gram-Negative and Gram-Positive Bacterial Cell
H Sanjo, H Takada, T Ogawa, K Takeda, S Akira - Developmental Cell, 2002 - acceptance.immunity.com
引用元 1484

Toll-like Receptor Signaling
S Akira - Journal of Biological Chemistry, 2003 - ASBMB
引用元 1488

Cutting Edge: Toll-Like Receptor 4 (TLR4)-Deficient Mice Are Hyporesponsive to Lipopolysaccharide
H Sanjo, T Ogawa, Y Takeda, K Takeda, S Akira - The Journal of Immunology, 1999 - Am Assoc Immnol
引用元 1142

以前「フィジカルレヴュー110年からの被引用統計」で分析したように、「ノーベル賞級」の学者とは、ある専門分野で数百(だいたい500以上)の被引用数を持つ論文を公表した研究者のことを意味する。

この意味で言えば、審良静男教授は”真に”もっともノーベル賞に近い研究者と言えるに違いない。なぜなら、500を超える被引用数を持つ論文を数十も公表しているからだ。実に素晴らしいことである。

「iPS細胞」の発見者の山中伸弥博士の場合は(「万能細胞」そんなに急いでどこへ行く? )、まだ200を超える被引用数を持つ論文は3つしかない。ちなみに、私は1つ(Localization of optics: Quasiperiodic media, M. Kohmoto, B. Sutherland, K. Iguchi - Physical Review Letters, 1987 引用元 208)。

この意味でも、審良静男教授の”物凄さ”が理解できるだろう。

ところで、かつて故柘植俊一博士が、20年ほど前に「反秀才論」の中の【エントロピー極大後の日本】という一節で次のように述べていた(柘植の『反秀才論』を読み解く)。

「エントロピー極大に近づいた日本はこれからどうなっていくのか?世界史の規模で見るならば、もはや日本はその中で役割を終えようとしているのかもしれない。しかし、この状態では悪いことばかりが起こるわけではない。」

「民族が老いると勤労意欲を失うのであろう。日本も高度成長期のようにできる学生が争って新日鉄や通産省の門を叩き、行動力での貢献を志す時代は去り、有名大学の理学部の博士課程が満員になり、研究室での沈思がより好まれるようになろう。
 日本は放っておいても将来イギリス型になるような気がする。日本の基礎研究は見るべきものがない、などと今いっている欧米の連中が死に絶える頃、日本のノーベル賞受賞者、なかでも生命科学におけるその数は激増し、その代りに鉄鋼業や自動車産業など現在の稼ぎ頭の会社は韓国や台湾、中国に身売りしているかもしれない。」

まさしく慧眼である。なぜなら、上で見たように、今やこれが100%現実となってきているからである。

今や勤労意欲ある若者は中国やインドや韓国やベトナムなどにいて、日本の若者は大学や研究所の学者になりたがって大学院はどこも満杯である。

また1980年代のバブル全盛期に「日本の基礎研究は見るべきものがない、などと今いっている欧米の連中が死に絶える頃」とは今現在のことであるが、ちょうどその最近には「日本のノーベル賞受賞者、なかでも生命科学におけるその数は激増し、その代りに鉄鋼業や自動車産業など現在の稼ぎ頭の会社は韓国や台湾、中国に身売りしているかもしれない」という柘植先生の予言通り、審良静男教授や山中伸弥教授のような生物学の世界的リーダーがたくさん輩出する時代となってきているからである。

しかし逆に言えば、これまた柘植先生の

「世界史の規模で見るならば、もはや日本はその中で役割を終えようとしているのかもしれない」

という予言も当たっているということかも知れないですナ。


参考:
研究者社会は”少数精鋭”に限る!
”トムソンの論文被引用数”を読み解く
【問題1】の答え
盛者必衰の法則:科学研究と生物進化のアナロジー
あのマラドーナがハットトリック、高地の試合OKをアピール

「3640m以上の高地のラパスでもサッカーができる」とFIFAへの抗議が目的で、ディエゴ・マラドーナ率いる元アルゼンチン代表チームvsボリビア大統領ラパス率いるチームのサッカー国際親善マッチが開かれたというニュース。

結果は、マラドーナが前後半60分間フル出場で、ハットトリック、4アシストの大活躍で7一4の勝利。

マラドーナは試合後

「ほら、高地でも試合はできる」

と言ったという。

いやー、相変わらず「神の手」マラドーナは面白いことをするね。

普通、高地での試合は、「試合直前にやってきてさっと試合をしてさっと帰る」という方法が一番とされている。ブラジル代表セレソンも伝統的にそうしてる。そうしないで2週間も高地への順応を待つとかえって選手たちへの負担がかかるからだ。だから、実際の試合では、1、2日でチームは帰ってしまうという話である。

それゆえ、もしFIFAが言うように2週間も調整期間をおけば、実質上は選手への(高地順応の)負担がかかるために、相手チームは高地へ来なくなってしまうというわけだ。

もちろんそんなことはFIFAも先刻御承知の事。

だから、マラドーナたちが抗議のために試合を組んでデモンストレーションしたというわけである。

ところで、昨夜の「ニュースZERO」に中田英寿がマチピチュに行ったというのを特集していたが、3000m以上の高地では「コカ茶」という飲み物を必ず飲まされる。そうすると高山病にかからない(かかりにくくなる)からだという。

この「コカ茶」の「コカ」は「コカイン」の「コカ」といっしょらしい。先進国では、「コカ」は強い依存性のある麻薬に認定されているので要注意。

もちろん「コカ・コーラ」の「コカ」とも同じ。最初の「コカ・コーラ」には麻薬成分のコカインがしっかり入っていた。現在ではコカインが「カフェイン」に入れ代わっただけ。このカフェインはお茶にもコーヒーにもチョコにもたいていのものには入っているが、依存性は薬物ほどひどくないが、やはりそれなりの依存性や弊害や副作用はある。まあ、”嗜好物”には消費者がそれに依存してもらわないと売れ行きが落ちるために、かならず何がしかの依存性の化学物質を入れているようである。特に、英米人が発明した飲食物のほとんどにはこうしたものが入るので注意が必要だろう。

いっとき、マラドーナは薬物依存症(コカイン中毒)だったという話だが、まさか「コカ茶」を飲みたくて協力したということはないだろうな。まあ、ボリビアで「神の手」を出さないことだけを祈る。
2008/03/18のBlog
写真:作られつつある惑星系

シッチン博士の本を読んでから、私はいつもこんな問題を考えさせられる。

もし地球の公転周期が今の2倍の2年であったとしたら、生物の寿命は2倍になるか?

例えば、今の公転周期の1年を基準にした”1年草”という植物があるが、果たしてこれが”2年草”となるのだろうか?

これを援用していくとこんな疑問が浮かぶ。

もし地球の公転周期が3600年であったとしたら、”3600年草”は誕生するか?

我々の平均寿命は80”歳”(=288000歳、”歳”=3600年)となるだろうか?

果たして細胞周期の長さと公転周期はどう繋がっているのか?

明らかに生物の細胞周期は重力の影響を受けているが、公転周期の影響も受けている。

もしこういう問題に明確に答えることができれば、「一般生物学」ないしは「宇宙生物学」なるものを誕生させることができるのかも知れない。

私の疑問は尽きない。
2008/03/17のBlog
米スティール、江崎グリコに食品事業の縮小など「提言」
スティール代表会見 買収「敵対的ではない」

”江崎グリコの筆頭株主となっている米系投資ファンドのスティール・パートナーズ・ジャパンは17日、グリコに対し、カレールウなど菓子以外の食品事業の縮小や工場の抜本的な合理化などを要求した”

というニュース。

スティール・パートナーズ・ジャパン」という会社は、ペンシルバニア大学卒のウォーレン・リヒテンシュタインという”謎の”人物が起こした企業という。

このウォーレン・リヒテンシュタインは、「どさくさであろうがなんであろうが、どんな手段を使っても金持ちになりたがる」という気質を持つ人々の一種である。まあ良くいるタイプのユダヤ企業家である。ほんとこの連中は、他人や普通の人々をなんとも思わないという人々である。もちろん、個人個人は実に魅力的な人々なんだろうが。

ロシアで言えば、ロシアンユダヤ人の新興財閥「オリガルヒ」。欧州で言えば、ロスチャイルド家。アメリカではロックフェラー家。

大昔からこのタイプのユダヤ人はこの地球に存在する。

ゼカリア・シッチン博士の説によれば、この気質は43万年前の太古にニビル星人なる「神々」から受け継いだものであるという話である。下半身のコントロールが効かず、性的に実にルーズ、しかし金には目がない。そういう性質であるらしい。

まさに、「オリガルヒ」(プーチン大統領に追放された)やロスチャイルドやロックフェラー(「300人委員会」なんぞを作って地球人人口激減政策実施中)など、ニビル星人のすべてを備えているように見える。ちなみに、世界最高のワインと言われている「ロゼシャトー」を英語読みにしたのが、ロスチャイルドだと言われていてワインで大儲けした家系。

まあ、冗談はさておき、ウォーレン・リヒテンシュタインさんのような”外人”はこれだから困る。発想が陳腐なのだ。

確かにグリコはお菓子メーカーとして出発した。だから、他の食品を止めてお菓子作りだけに専念しろ、という短絡的な発想に出る。

おそらく、このだんなは、グリコのカレーライスとか、グリコの牛丼とか、いっさい食べたことがないのだろう。私は、ときどきこうしたものを食べているが、実にうまい。大ファンの1人である。だから、グリコがお菓子以外を取り止めたら困ることになるお客は、私も含めてたくさんいるはずなのだ。

そんなわけで、どうもウォーレン・リヒテンシュタインさんの発想が陳腐なのだ。こんなちっぽけな、陳腐な頭脳の持ち主に巨額のお金が集まるような世の中だから世界はますます悪くなる一方だ。ホリエモンの場合もまったく同じだったのを日本ではみんな知っている。

まあ、たぶんウォーレン・リヒテンシュタインのだんなは、これまたホリエモンがTBSを買収しようとした時といっしょで、事業そのものには全く興味なく(だからそれゆえ、陳腐で当たり前の事しかクレームできない)、その企業の持つ”含み資産”の獲得の方に興味があるのだろうヨ。

無傷で眠っている多額の不動産や含み資産を手に入れたら、それでまたファンドを大きくできるからね。

まあ、いずれにせよ、ペンシルベニア大もこんな馬鹿企業家ばかり輩出していたら世界をだめする一方だ。一時、私もユタ大でPhDを取った後、ペンシルベニア大のポスドクになろうとしたことがあったが、行かなくて良かったのかも知れないナ。

よく「ユダヤ人はなぜ虐殺されるか」、「なぜアウシュビッツに送られたか」というような話がある。私もどうしてユダヤ人は悲劇にあうのか、よく理解できない。しかし、善良なユダヤ人がいる一方で、豪腕で悪質な抜け目なさすぎるユダヤ人がいるのも事実である。

例えば、オリガルヒ(たった8人のユダヤ人)の場合、ほんの数年の内にロシアの国有財産の何割も私物化していたなんぞというのは、これは知恵とか理知とかいう以前にもはや犯罪的ですらある。物事には程度というものがある。我々日本人はそれは出来たとしてもやらないだろう。なぜなら、生涯に渡って一般人を敵に回すと日本人は知っているからである。それゆえ、国民代表として誕生したプーチン大統領にオリガルヒは粛正された。その際、国民は敵になってしまっていたわけだから、オリガルヒを助けはしない。

この場合は、ユダヤ人グループ「オリガルヒの悲劇」ではない。ユダヤ人差別のせいでもない。自ら蒔いた悪質な種によって自ら自滅したわけだ。どうしてこういう単純なことが分からないのか実に不思議である。たぶんニビル星人から受け継いだ強烈な遺伝子のせいなのだろう。

問題は、ユダヤ人の場合、こういうギャングスターがいるために、そのギャングスター嫌いが一般の善良なユダヤ人差別の問題に転化される可能性が高いということなのだろう。私はそう見ている。

第二次世界大戦の時にも、善良なユダヤ人たちの陰で悪質に儲けていた悪いギャンクグスターのユダヤ人もいたわけだ。そのせいでそのとばっちりをヒットラーによる虐殺という形で受けたかも知れないと思うからだ。

いつも善良な人々が損をする。しかし、これでは困る。

ウォーレン・リヒテンシュタインよ、よく聴け!

「グリコのカレーライス」、「グリコの牛丼」も結構美味しいのだ。これもなくては困るのだヨ。みんながみんな神戸牛のステーキを毎日食えるというわけではないのだ。

まあ、言っても無駄か。

世も末ですナー。
サッカー・J1浦和、オジェック監督を解任

今期Jリーグ開幕して以来のたった2戦目で浦和レッズはオジェック監督を解任してしまった。果たしてこれはどうなのだろうか?

確かに第1節は横浜マリノスに負け、第2節は格下の名古屋グランパスに良いところなく負けてしまった。だから、”監督解任”。これも経営者側の論理としては一応成り立つ。

しかし、それは、オジェック監督がごく普通の監督の場合ならという話だ。

オジェック監督は、昨年のアジアカップを制し、トヨタカップでも世界3位に導いた名将である。その名将が、開幕立ち上がりに2連敗した程度で解任というのは、日本人の仁義には反していると言えるのではないか。昨年の”功績”を忘れてはならない。私はそう思う。

実際、そのおかげで、浦和から長谷部や小野は欧州のプロになれたわけだ。その際の移籍金は浦和に入ったはずである。

どうも日本のJリーグの経営陣もまた「目先の損得にこだわり、一生の損をこく」タイプの”小物”ばかりが就いているように見える。

私が2試合を見たところ、最大の「お荷物」、「厄病神」は、ドイツから帰って来た高原であった。

今の高原はトルシエ・ジャパン時代の高原とは全く別人である。趣味のワインと合コン、あるいはマスコミ好きのせいか、動きがまったく「オヤジ並み」である。”走らない”、”動きが遅い”、”反応が鈍い”の3拍子で、まるで引退前の選手のようである。40歳超えた三浦カズやゴン中山の方がはるかにましである。この3拍子のおかげで、浦和はことごとくチャンスを潰してしまったのだ。

だから、この2連敗の責任は高原1人にある。私にはそう見えた。

しかし、”マスコミ受け”している高原や柳沢とつるんで遊んでいる矢部のような自称サッカー通のコメディアンにも大きな責任があると言える。冬春休みも終わりシーズンに入ったにもかかわらず、いまだにつるんで番組のネタにしては飲み歩いているからだ。

最近では、このやべっちにガンバ大阪の安田が”カモ”になり、徐々に潰されつつある。実際、浦和レッズ同様、昨年のアジアカップ代表のガンバ大阪も絶不調のどん底で1分1敗である。(「やべっちF.C.」にイエローカード !

もし矢部やタカ&トシのような連中が本当にサッカーを愛しているのなら、

「決してサッカー選手の邪魔になることや弊害になることはすべきではない」

サッカーを自分のおまんまのネタにするというようなことはして欲しくない。もっともマフィア化した吉本興行には「そんなの関係ねー」話だろうがナ。(これは、NHKのちりとてちんに出てくる関西の興行社長の態度を見れば分かる。あれはまさにやくざだ。)

まあ、そんなわけで浦和レッズの失敗はオジェック監督の失敗というものではないだろう。むしろお遊び好きの高原を引き抜いたフロント経営陣にある。なぜなら、普通、選手を買うのはフロントであり、監督はフロントが集めた選手の中で戦わなくてはならないからだ。だから、レッズの経営陣は、自分の責任を棚に上げて監督の責任へと責任転化したということである。

いずれにせよ、これまで永井を中心にまとまっていたチームに、自己中心的でタレント好きの高原が入って来て、一気にチームの雰囲気が壊れてしまったというのが、現実なのだろうと私は見ている。それゆえ、監督が変わったところで、大勢に影響はないだろう。なぜ高原なんか呼んでしまったのだろう? 高原は単にワールドカップに出たいからそのために有利となるJリーグを選んだだけの選手である。今の高原は10年前の高原とは違う。

そんなわけで、戦犯はオジェックか高原かと言えば、高原としか言いようがない。


ところで、ストイコビッチ率いる名古屋グランパスは非常に良いチームになってきた。こちらも2戦とも見たが、かなりファンタジスタ的サッカーに近付いてきたように見える。今後もっと強くなってくるだろう。
2008/03/16のBlog
写真:重油汚染を撤去する人々

学校裏サイト ネットいじめをなくすには
学校裏サイト3万8千件、「ウザイ・消えろ」2割に中傷

”いじめの温床になっているとして社会問題化しているインターネット上の「学校裏サイト」を文部科学省が調べたところ、集計がまとまった39都道府県だけで約3万8000件が開設されていることがわかった。”

学校裏サイトには、大きく分けると、

〈1〉学校名をタイトルに掲げ、その学校の生徒や卒業生が利用している
〈2〉「高校野球」や「修学旅行」など特定のテーマについて複数の学校の子供が利用する
〈3〉巨大掲示板上で情報交換する
〈4〉友人が作成したホームページの掲示板で情報を交換する

の4種類があるらしい。

まあ、一言で言えば、「2ちゃんねる文化が小中高生にも飛び火した」ということだろう。

日本で「2ちゃんねる」文化を積極的に支持し庇護してきてたのは、私の知る限りでは、日本の大学の先生たちだった(こういう大学の先生たちが小中高などの学校の先生になる人々を指導するのだから問題は深刻だ)。しかし、この大学の先生たち特有の文化を野放しにしてきたのは他ならない文部省だったわけだ。それゆえ、この結果に対しては文部省(現文科省)に全面的に責任がある。

もう10年以上前から、こういう問題は存在したにもかかわらず、大学の先生たちの火遊びを放置して、ここまでこの「2ちゃんねる」文化を育ませたからである。
”ダークサイド”

こういう誹謗中傷の文化は、日本では一番最初はパソコンをもってインターネットに接続できる大学職員だけの特権だった。彼等が文部省への悪口を書き込みたがっただけだった。それが、まずは後からインターネットに参入した一般人に広がり、次に携帯電話でもインターネットに楽に書き込める時代となって、携帯文化どっぷりの高校生から始まり、次第に低年齢化して、小中学生にまで波及して来たにすぎない。

まあ、いずれこうなることはもうずっと前から予想できたことである。それを文部省、文科省は何も手を打たずに野放しした結果が今の現実ということだろう。

この問題を真に解決したければ、西村に代表される「2ちゃんねる」文化を終焉させることが必須だろう。裁判の罰金を支払わずに逃げ回って、その一方で儲けまくっているこうした人物を象徴的に逮捕するのが一番だろう。

警察には、「仮に西村の「2ちゃんねる」を閉鎖しても同じようなものが次々とできるからいっしょだ」というような考え方があるようだが、それは間違いだ。

かつて昆虫学者のファーブル先生が発見したことだが、害虫に壊滅的にやられたマメ畑を回復する道のもっとも有効な手段はなんだったかと言えば、もっとも原始的な方法であった。つまり、面倒臭いだろうが、畑に入って直に一匹ずつ害虫を手で撤去していくという方法であったという話がある。実はこれがもっとも有効な方法なのだ。

「三里の道も一歩から」

というように、こまめに悪質サイトや悪質人物を撤去して行くことがもっとも有効な手段なのである。

悪質サイトを厳しく法規制するなり、掲示板サイトの許認可制にするなり、携帯会社やインターネット会社を取り締まるなり、なんなりすべきだろうヨ。

もっともホリエモンを陰で操っていたのが欧米のファンドであったように、ヒロユキを陰で操っているのは欧米のダークサイドだという見方もあるらしいから(日本社会を混乱させて喜んでいるらしいから)、そんなに簡単には行かないだろうが。

いずれにせよ、政治家や官僚や警察や文科省などがチームジャパンを組んで取り組まないと解決はできないことだけは確かなようですナ。
2008/03/15のBlog
写真:東大の合格発表

最近、国立大学の物理学者(大学教授)の書くブログなどを見ていると、そういう物理学者たちが「現在自分がその大学の研究者として勤務できて非常に幸せ者だ」、「自分は本当に幸せだ」というような言葉をよく目にするようになった。いずれにせよ、「ハッピーだ、ハッピーだ」と幸せそうな言説をくり返すのは、今どきの日本では大学の先生たちぐらいのものだ。

こういう意見が出るということは、大学の研究者たちが、この日本社会で見事に勝ち組に入ったということを意味し、文部省の行った大学改革の数々、中でも最大の改革である「国立大学法人化」が一応の成功を見たと言えるのだろうと思う。

思えば、私が「日本の大学を早急に改革しなくてはならない」という意見を吹聴し始めたのは、1990年である。1991年に初めて「科学・社会・人間」誌に論文を書いた。その後、それを「三セクター分立の概念」(近代文芸社)という形で本にしたのが1995年。これは、当時、理研の理事長だった有馬朗人博士(その後、文部大臣)には直接理研で手渡した。たいへん興味深く感じてくれたことを覚えている。

その後、東大の松田良一氏の「高等教育フォーラム」にたくさんの意見を今でいうブログのようにほぼ毎日毎日書き込んでさまざまな意見を披露し、それがほぼ2年ほど続いたが、その時に書いたもののごく一部が、以下のものであった。

”大学の経済効果”(1999年7月20日)
”日本の大学の進む道”(1999年7月20日)
”やはり大学改革が基本?”(2000年9月5日)
”サッカーにおける教育制度改革と高等教育”(1999年11月11日)
私が危惧していること:大学の階級化(2001年1月9日)

これを参考までに再録したのだが、今こうして読み返してみると、大筋では、私が指摘した方向に国立大学法人化した後の大学が動いて来たことが分かるだろう。

例えば、私が

”皆さんは,大学内に銀行,ホテル,ミュージアム,映画館,劇場,ラジオ,テレビ,インターネット放送局,新聞や本の出版局,病院,バスケット,水泳,アメリカンフットボール,テニス,サッカー等のさまざまな球技場,公園,ボリング場やゲームセンター等のレクリエーション施設,果ては,さまざまな研究所やコンピュータ施設,たくさんの講演会等のある大学を想像できるでしょうか?”(”日本の大学の進む道”)

と約10年前に問いかけたように、今や京大では、大学のコンビニで京大で作った「青ナイル」や「白ナイル」という名前のビールを売っている。これらは、元早稲田大の教授だった吉村作治博士がエジプトで見つけた古代エジプト人が飲んでいたビールの菌を京大の最先端の分子生物学テクノロジーで復元して作ったというビールである。同様に、東大では大昔に失われたと思われた焼酎の菌が保管されていたことが発見され、それから幻の焼酎が復元されて売られている。今やどこの大学内にも銀行や郵便局やスタバのようなカフェ店がある。

こんなことは、10年前、いや5年前でもだれも想像しなかったことである。しかし、今やだれもそれを不思議とは思わず、大昔からそうだったかのように錯覚する、そんな時代である。

ましてや、1995年の科学技術基本法の成立で、毎年数兆円の国家予算が大学に振り向けられるようになった。

”実際,バブル期での大学への財政援助や投資は企業などと比べてたいへん少ないものであったということです.私の記憶でも,大学の老朽化が叫ばれたのは,バブル全盛の日本経済花盛りし頃です.日本の大学人は当時も(今も?)たいへん肩身の狭い思いをしていただろうと想像できます.しかし,本当の問題は,日本の大学への自由な支援が制度上できないということであろうと考えられます.現在でも,私が仮にビル・ゲイツ氏のような10兆円の資産家で,税金対策やその他の理由でどこかに1兆円ほど寄付したいと考えても,法律に抵触しない形で寄付することは極めて困難です.結局は,株式やデリバティブなどの証券取り引きくらいしか残されていないでしょう.日本の大学は,この事情のために,欧米の大学と比べてたいへん損をしています. ”(”大学の経済効果”)

と私が書いた10年前とは雲泥の差の時代である。

これほどまでに、大学が金銭的に潤い、自由になり、活気を呈している時代、大学人が日本社会の「勝ち組」に残った時代になったわけだから、その職員である大学教授たちが「ぼかあ、幸せだなあ」となるのも当然といえば当然だろう(それもそのはず、「年収が高い職業ランキング 平成18年データ(平成19年調査)」によれば、大学教授の年収は第5位にランクされるからだ)。

まあ、大学の外にいる私には何もメリットはなかったのだがナ。

それにしても、あのころ私の主張を信じず、反対していた人たちはどうしているのだろうな?(例えば、「法人化から1年半 国立大学の今」には、こうある。”共産党系の組合を中心に盛り上がっていた一そして、いつのまにか雲散霧消してしまった一反対運動のように、「労働者としての教職員」の身分や収入保障を前面に掲げていたら、一般国民の支持を得られるはずはない、と感じていた。 ”)

参考:
国立大学等の法人化について
国立大学法人
2008/03/14のBlog
[ 13:48 ] [ 昔のエッセイ ]
だれもが知っているように,現在日本社会は深い経済不況に陥っています.その結果,われわれ中高年の雇用の問題から新卒者の雇用におけるまで,深刻な事態に遭遇しています.ちょうど1980年代のアメリカに似ています.もちろん,だれもが知っているように,その直接の原因はバブル崩壊後の日本の政治経済界の運営の失敗にあると言えるでしょう.しかし,バブル期にさまざまな投資が行われたのであれば,それがなぜその後芽を出して育って来ないのでしょうか?こういった問題には,私はどうしても日本の大学の問題が絡んでいると考えざるを得ません.この大学の経済効果について議論したいと思います.

実際,バブル期での大学への財政援助や投資は企業などと比べてたいへん少ないものであったということです.私の記憶でも,大学の老朽化が叫ばれたのは,バブル全盛の日本経済花盛りし頃です.日本の大学人は当時も(今も?)たいへん肩身の狭い思いをしていただろうと想像できます.しかし,本当の問題は,日本の大学への自由な支援が制度上できないということであろうと考えられます.現在でも,私が仮にビル・ゲイツ氏のような10兆円の資産家で,税金対策やその他の理由でどこかに1兆円ほど寄付したいと考えても,法律に抵触しない形で寄付することは極めて困難です.結局は,株式やデリバティブなどの証券取り引きくらいしか残されていないでしょう.日本の大学は,この事情のために,欧米の大学と比べてたいへん損をしています.

さて,現在逆に金融証券業が冷えてしまった場合,いったいどこへ投資したらよいのでしょうか?なぜなら,バブル崩壊そのものの原因が,金融証券業だけへの投資が飽和してしまったためにあると考えらるからです.もし大学がこの投資を肩代わりできるのであれば,日本の現在の不況はこれほど急速には起こらなかったと言えるのではないでしょうか?この点でも,日本の大学はたいへん損しています.今こそさまざまな投資の対象になれるのに,そのチャンスを逸しているからです.

このように考えると,日本の大学は,日本企業のようにさまざまな政府からの規制から自由になるべきではないでしょうか?少なくとも,良質な投資を受け付けられるような法改正は必要な事のように思います.例えば,私の前投稿『日本の大学の進む道』のように,大学も信用金庫や銀行,ホテル,病院,出版社等さまざまな運営を可能とされるべきです.これなくしては,現に大学内に蓄積している知識,情報,技術,経験等をほとんど社会に還元できないままでいるということをさらに続けて行かなくてはなりません.

現在まで,科学や技術に関しては,大学から社会への還元が話題になりますが,私はこれには以上のような大きな見過ごしがあると思います.例えば,ホテル事業のノウハウは,経営学部が一番分かっているでしょうし,銀行事業は経済学部が,法律関係は法学部が,人間精神の問題は心理学部や脳科学部が一番理解しているでしょう.さらに,スポーツ運営はスポーツ学部が,劇場運営は芸術学部が一番よく分かっていることでしょう,etc.したがって,工学部や理学部だけが社会に直接貢献するという印象は大きな誤りであり,偏見を生む事でしょう.これら人文社会科学,理科学,スポーツ,芸術のすべての分野が等しく社会に経済効果を波及できると考えるべきではないでしょうか?

ここで混同して欲しくないことは,学問の殿堂を商品化せよということではないということです.学問の場は,今まで通りそれぞれの学部が行いさらに研鑽を続け,その実践の場を大学内に作り,それを社会へ還元せよということです.この部分への投資を大学は社会から受けられるようにすべきではないかというのが,私の提案です.

例えば,こういうものとして,大学に一般人向けのコンピュータセンターが作られれば,そこへのコンピュータの需要を生み出す事が出来ます.大学にホテルを作って良い事になれば,当然ホテル業の活性化を導きます.現在多くの廃業した高級ホテルがありますが,それらの肩代わりを各中央地方大学がすることができます.大学にホテルがあるほうが,どこかの地方にあるよりはるかに利用者多いでしょう.大学にデパートを運営して良いことになれば,廃業した東急デパートや三越で失職した関係者を大学職員にする事も出来ます.このように,大学が規制緩和されることにより,さまざまな経済効果や求人効果を生み出す事が出来ます.さらには,現在開発中の新しいビジネス概念をまずそこで試す事が出来ます.まったく新しい治療を大学病院で試みることもできます.このように,さまざまな可能性が開かれます.実際,J-リーグというささやかな,我々サッカーマンの永年の夢であったサッカーのプロ組織ができて,この新規事業のためにどれほどの経済効果が生まれているか考えて欲しいと思います.

例えば,小和田雅子皇太子妃の卒業された,伝統あるハーバード大学の年間予算は6000億円を超すと言われています.このように,1つの大学がどれほどの金額を動かし得るのか考えてみる必要がありそうです.日本で,東大や阪大や京大等,日本の大学が,1兆円規模の予算を自由に動かせる大学としたら,どのような経済効果を日本社会へもたらす事が可能でしょうか?想像するだけでも身震いするような可能性を秘めているように私には思われます.

日本の大学は未だかつて一度も開拓された事のない未到の地みたいなものでしょう.ホテルもなければ,銀行もない,全く何もない前近代的なある部族の住む土地みたいなものでしょう.そこをそのまま未開の地のままにしておくのが良いのか,それとも21世紀の未来都市のように今までにない先進的な都市を生み出そうとするのかは,すべて我々日本国民自身の手に架かっていると言えるでしょう.

(1999年7月20日)
[ 13:42 ] [ 昔のエッセイ ]
高等教育にとって,大学の将来取るべき姿はとても重要に見えます.例えば,日本の大学の場合,これからもずっと今までのように,旧帝大系の国立大学,国公立の地方大学,私立大学等の形態で進むのかどうかは,高校までの受験のありかたや,教員採用のありかたにまで影響を与えるように見えます.したがって,大学改革という以前に,大学の可能な形態を考慮することはたいへん重要な問題であるのではないかと私は考えます.以下でこの問題について私見を述べさせていただきたいと思います.

日本の大学の場合,基本的には大学の組織的なありかたとしては,上のような国立,公立(県立,市立),私立大学の形です.これは,大学の財政のありようから区別しています.しかし,大学の機能としてみた場合には,1種類しかありません.それは,基本的には「高卒者」のための大学です.そのため,大学入試を行い,「新(高)卒者」を入学対象とします.日本の高等教育問題は,すべて大学のこうしたたいへん狭い意味の定義しか与えられていない事から来ているように私には思えてなりません.

一方,アメリカの場合は,財政上では逆に1種類しかありません.というのも,私の理解では,基本的には,アメリカの大学の場合は,公立(州立,市立)私立を問わず,基金を設立し大学財団を作り,財政上の運営をそこからスタートさせるからです.公立私立の区別は,その財団への財政援助を主にどこに求めるかにあるという事に過ぎません.例えば,州がその大学財団を設立し,以後ほとんどの財政を援助する場合,州立大学と呼び,一方だれか1個人が大学財団を設立し,以後さまざまな財政援助を受けて大学を運営する場合,私立大学と呼んでいるに過ぎません.ですから,大学のシステムそのものは,公私比べてもそれほど変わらないと言う事ができます.

ところが,アメリカの大学の場合,大学の機能面では驚くほど多様です.それは,主に州立か私立かは大きな違いとなって現れて来るようです.私立大学は,さまざまなレベルや目的を持つものが許されます.まさしくピンからキリまであります.逆に州立大学は,各州の顔となる大学となるため,それほど大学間に差はありません.あまりにひどい州立大学であれば,その州の信用を傷つけることになるからです.

このことから,アメリカの私立大学が,スタンフォード大学やハーバード大学等の有名私立大学のように,スーパーエリートのための大学になる事も出来ますし,上中流家庭の子女のための大学を作る事もあらゆることが可能です.例えば,有名私立大学に入るには,SAT等(外国人留学生の場合は,TOEFL等も含めて)で極めて高得点でないと入れません.その代わり,お金に見合うだけの親密な指導を受けられて,卒業率が高い.

ところが,一方の州立大学では,ほぼ横並びで,当然日本の大学程度の差しか現れません.そして,アメリカ市民(もちろん外国人留学生も含めて)であればだれでも入学できるようになっています.例えば,ユタ大学の場合,SAT等は入学に関してはそれほど重要ではなく,むしろ州民であるかとか,州税を払っているかとか,州に住んでいるかとかの方が重要で,入学には授業料を支払い,クラス受講は早い者勝ちで,後はウェイティングリストに名前をのせると,空きがあり次第受講できるというような感じで運営されています.その代わり,卒業するのが極めてたいへんという事になります.8年かけて卒業という方々もめずらしくありません.聴講生や中高年の学生もたくさんいます.

このような機能面での多様性が,おのずと大学入試の多様性,大学教官採用の多様性,中高校教育への期待の多様性などを生み出していると考える事が出来ます.

日本の大学へ話を戻しますと,いったい日本の大学は,大学改革といっても,どのような形態を目ざしているのでしょうか?私の個人的経験では,旧帝大に所属している方々は,いつもアメリカのMIT,スタンフォード大学のような有名私立大学のことしか頭にないように見えます.方や地方国立大学の方々は,いつも旧帝大に目を向けているように見えます.実際は,日本の大学関係者の大学観はてんでばらばらといえるのではないでしょうか?

もし東大や東工大等がMITやスタンフォード大学を目ざすのであれば,これはたいへん素晴らしいことです.しかし,その時には,大学の目的からして,大学の形態としては私立大学になった方が良いでしょう.そうすれば,国民からとやかくいわれる事なく,日本人のためのスーパーエリートのための大学に変身できるでしょう.しかし,逆に東大や東工大等が一般国民のための大学であろうとするのなら,この目的からして,大学の形態はアメリカの州立大学のようにならざるを得ないでしょう.あらゆる国民を受け入れて,その中でしのぎを削らせ,日本人を最低レベルから最高レベルまで鍛える.

これを見ても解るように,日本の大学問題の最大の問題は,大学の財政面での問題と大学の機能面での問題が混在してあいまいに議論されていることであるように見えます.当然,このあいまいさが,大学入試や教官採用等にも強く反映しています.例えば,国民の税金を基にした国立大学であるのに,最高水準の学生しか相手にしない,図書館も自由に使えないということは,矛盾しています.また,教官採用に国民の裁きを受けないですむ,大学関係者だけで人事が進むというのも矛盾していると言えるでしょう.もちろん,こうした矛盾は,日本の大学が戦前から引き続いた矛盾で,戦後から現在まで勤務されている方々の責任ではありません.しかし,こういう矛盾がすでに今まで存在してきているということを無視するのであれば,それはその方々の責任という事はできるでしょう.その意味で,現在大学に勤務されている方々の責任はやはり重大なものがあると言えるのではないでしょうか?

私は,個人的には私が州立大学のユタ大学を出たこともあり,日本の大学に一番欠けているものは,アメリカの州立大学のような考え方だと思っています.(私は,東京理科大で4年学部卒,大阪大学大学院5年修士博士課程卒ですので,日本の国公立私立大学がどのようなものであるか良く分かっているつもりです.)これこそ,日本社会に今まで欠けてきていたものであるように感じています.もちろん,アメリカの有名私立大学のようなものもまったく日本には欠けています.皆さんは,大学内に銀行,ホテル,ミュージアム,映画館,劇場,ラジオ,テレビ,インターネット放送局,新聞や本の出版局,病院,バスケット,水泳,アメリカンフットボール,テニス,サッカー等のさまざまな球技場,公園,ボリング場やゲームセンター等のレクリエーション施設,果ては,さまざまな研究所やコンピュータ施設,たくさんの講演会等のある大学を想像できるでしょうか?これこそ,ジョン・デューイ以来,学問における理論と実践の重要性を伝統とするアメリカの大学の現代像と言えるでしょう.というのも,学問1つ(つまり1つの学部,メジャー)に1つの実践場が必要だからです.例えば,経営学部には,ホテルやストアーがそのいい実践場となり,医学部には病院がいい実践場となる.こういったすべてを備えている大学がアメリカの州立大学なのです.したがって,州立大学の社会への経済効果は計り知れないものがあると言えるでしょう.ぜひ日本にこういう大学がいつか現れることを私は期待したいと思います.

果たして日本の大学の皆さんは,日本の将来の大学の形態はどのようなものであるとお考えでしょうか?

(1999年7月20日)
[ 13:40 ] [ 昔のエッセイ ]
かつて私が書いた「サッカーにおける教育制度改革と高等教育」を読み返して,どうして日本サッカーは成功したのか?と考え直してみると,やはりその直接の原因は日本サッカーが国内に留まる「趣味的」,「自己中心的」,「鎖国的」立ち場から,ワールドカップ出場を目指すという「国際的」,「現実的」立ち場を目指す事にしたことであるように思います.「そのためにはどうするのか?」と考え,結局,国内にプロリーグを作る必要が出て来た.「じゃ,プロリーグ(J-リーグ)を作ろう.そのためには今までの学校サッカーではダメだ.一貫したサッカー教育システムとマニュアルを作ろう」ということになりました.そして,野球界からは冷ややかに見られながらも,よちよちと歩き出す.するとどうなったか?よちよち歩きの赤ん坊はどんどん成長を続け,アジアでも弱小チームがアジアの雄にまで一気に成長したのです.

この「サッカー」を「科学(学問)」に,「J-リーグ」を「大学」に,「サッカー教育」を「高等教育」に置き換えれば,すべてはそのまま日本の教育界についても成り立つでしょう.

では何が違うのでしょうか?それは,日本ではまだ本当のプロ組織に大学が変わっておらず,日本の大学は日本企業への「就職予備校」の段階から出ていないからです.日本の大学は(文部省も)視線が「国内」に留まり,国際的な価値観や視野で物事を見ていないからです.つまり,まだ「ワールドカップ出場を目指す」を「ノーベル賞やフィールズ賞を目指す」に置き換える事や,「J-リーグ」を「プロの研究&教育組織としての大学&大学院組織」に置き換える事や「プロの待遇」を「プロの教授や研究者の待遇」に置き換える事が出来ていないということです.そのため,高校までの教育は日本国内への「就職予備校」としての教育しか行わないので,いわゆる「受験勉強」でまあ十分ということになります.「大学へ入れば「ノーベル賞を目指す」という教育」であれば,当然,高校までの教育もずっとアカデミックで本格的なものに変わらざるを得ないでしょう.

「ノーベル賞を目指す」というと必ず,それは目的の一つに過ぎず本質的でないという大学人が必ず現れて来ます.しかし,そうでしょうか?私はアメリカの大学は普通の教授が普通にノーベル賞を目指して研究していることを知っています.また,それが大学が企業などのお金もうけの考え方とは違う価値で動いていることの象徴ととらえられています.ノーベル賞を将来取るようなアカデミックな内容の濃い研究や教育を目指すと言う事だからです.そして結果として,高校以下のカリキュラムも日本の物と比べて,はるかに優れたものになっています.

この観点からも,日本の教育問題の本筋は大学教育問題であるように私は考えています.一番上が本格的な,世界視野で変化すれば,下はおのずと変わるでしょう.まあ,私に言わせれば次のようになるでしょう.かつて日本サッカーがワールドカップ出場を目指すようなレベルの高いサッカーを目指さなかったため,サッカーをやってもほとんど趣味レベルでつまらなく,実入りも良くなく,才能ややる気のある若者は少しもサッカーに挑戦せず,結局そのため悪循環を招いていたように,今の日本の大学もノーベル賞を目指すようなレベルの高い科学研究教育を目指さないため,科学をやっていてもほとんど趣味レベルでつまらなく,実入りも良くなく,才能ややる気のある若者は少しも科学研究に挑戦せず,結局そのため悪循環を招いている.

しかし,どうもこの感覚が日本の大学人や文部科学賞の役人には理解できないような気がします.私に言わせれば,日本の教育改革なんて本当に簡単なことなのですが.

さて,皆さんはどうお考えでしょうか?

(2000年9月5日)
「教育制度改革」と「高等教育」の問題は本当に古くて新しい重要な問題であると思います.最良の方策を見つけることはたいへん難しいでしょう.しかし,小中高と大学と大学院および文部省や入試センターや教育委員会が現在の「理科ばなれ」や「レベル低下」の原因をお互いに責任のなすりあいを行っていても問題はこじれるだけで本質的解決にはいたらないのは明白です.

私は小中高大学2年まで本格的にサッカーをやっていましたが,我々の時代--およそ25年前の日本サッカー界の状況と今日の教育界の置かれている立場が非常に似ているように感じます.そういう訳で今回,日本サッカー界がどのような制度改革を行って,今日に至ったかということを説明させていただきたいと思います.きっと何かの参考になると思います.(私の記憶だけを下に書いているので,詳しい部分には多くの誤りがあるかも知れません.その点は御了承ください.)

1)前史--1950年代以前
この時代は,日本サッカーは大学の学生(当時の)だけがサッカー部を持ち,本当に趣味的なレベルでやっていた時代.だから,日本サッカーのレベルは問題外で,アジアでももっとも弱く,韓国はおろかインドなどにもこてんぱにやられるようなレベルだった.もちろん,実業団サッカーもない時代.サッカーは社会的にまったく認知されていなかった.

1936年のベルリン大会,1956年のメルボルン大会しかオリンピックに出場できなかった.

2)1960年代
日本経済が復興し,日本にやっと実業団サッカーが根付いてきた時代.大学生と実業団社会人の混成チームができるようになり,少し日本サッカーのレベルが上がった.東京オリンピックを目ざし,代表チームが強化され始めた.

ドイツからはじめて近代サッカーの専門のコーチ,クラマーさんを招聘し,釜本選手,杉山選手など日本の代表レベルが本格的にコーチを受けた.その成果が1968年のメキシコオリンピック3位となる.

しかし,ワールドカップは論外.韓国,オーストラリア等アジアの壁を超えることはまったくできなかった.

3)1970年代
日本社会が高度成長期に入るこの頃,静岡,山梨などを始めにスポーツ少年団サッカー組織が日本で初めて誕生した.これで「サッカー少年」たちが初めて誕生し,日本に小学校から大学,実業団までサッカー部が誕生した.この頃のエースが「赤き血のイレブン」のモデルになった浦和南の永井選手だった.しかし,実業団の代表選手を持ってしても,アジアの壁,韓国の壁は超えることはできなかった(韓国ではサッカーは国技のようなもの).

私がサッカーをやっていたのもこの頃.1976年頃の山梨県の高校サッカー国体選抜チーム代表にノミネートされるところまでは行った.当時,(中田英寿選手の出身高である)韮崎高校が夏のインターハイサッカーで初めて全国制覇した.それほど山梨のサッカーレベルは高かった.私は進学のため基本的にはここでサッカーから物理に転向した.

ラモス選手が日本に来たのもこの頃.彼は2部リーグの読売クラブに入った.当時読売クラブ(現在J1の川崎ヴェルディ)は私の同僚たちのやっていた甲府クラブ(現在J2のヴァンフォーレ甲府,現監督の塚田氏はその優勝チームの主将であり当時の私のライバル)といい勝負だった.柏レイソルの西野監督,コンサドーレ札幌の岡田監督や加藤久氏はほぼ私と同世代です.彼等は早稲田大学サッカー部最強時代のチームメートです.私もこの時代の早稲田から誘いがありました.

この時代はまだ芝生のサッカー場は極めて少なく,ほとんどは「土」のグラウンドだった.そのせいで,我々はいつも血だらけでサッカーの試合をしていた.

4)1980年代
日本は「ジャパンアズナンバーワン」の時代に入り,日本経済は世界最強に成りつつあった.それに伴って,たくさんの芝生のサッカー場が出来,環境はかなり良くなった.この時代の実業団サッカーは実質的には,ほとんどプロサッカーに近い形になってきた.サッカーの裾野も非常に広がった.

にもかかわらず,小学校は小学校の,中学校は中学校の,高校は高校の,大学は大学の,実業団は実業団のサッカーをそれぞれ勝手にやっていた時代で,サッカーの教育に関する一貫したアイデアは何も無かった.サッカーそのものの質の向上はなく,後一歩のところで,いつも韓国にやられて,ワールドカップもオリンピックも出場できなかった.そして,その度にその原因を人のせいにしていた.(ここが今の日本の教育界と実に似ていると私が思うところ.)

サッカーもまだまだ日本社会ではマイナーな存在に過ぎなかった.サッカーは一部のサッカーファンだけのためのものだった.

5)1990年代
バブルが崩壊し,日本社会は一気に不景気に突入したが,日本サッカーは2002年ワールドカップを開催するための組織的な戦略を作った.そのための条件は日本サッカーの質の向上を目ざすこと.それで日本サッカー史上初めてのプロサッカー組織(Jリーグ)を組織した.同時に組織的なサッカー教育システムをドイツのクラブチームを模範にして導入した.これで初めて日本サッカー界に若年層から青年層までの一貫したサッカースクール組織を作ることが出来た.もちろん最高級の芝生のサッカー場ができた.(これは我々の時代のサッカー選手の夢だった.私も一度でいいからあんな芝生の上でサッカーをしてみたかった.)

海外のワールドカップ優勝経験のある超一流選手を招き入れ,日本の若手たちと全く同じ土俵の上で勝負させた.海外の超一流の監督を招き,世界レベルのサッカー戦術やトレーニング法やプロ意識改革を行った.

その成果は徐々にしかしゆっくりと現れた.初期はカズ選手やラモス選手中心に以前の実業団の花形選手が代表を組み,ワールドカップに手の届くところまで近付いた.その後中田選手などJリーグ世代の力が開花して1996年のアトランタオリンピックに28年振りに出場.1998年初めてのワールドカップフランス大会出場.そして,皆さん御存じのとおり,来年のオリンピックシドニー大会連続出場決定と確実に実力が向上した.

やっとサッカーは国民に指示されるスポーツになった.多くの若者を惹き付けるスポーツになった.
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以上は日本サッカーの制度改革の略史ですが,ここで誤解して欲しくない点を若干述べたいと思います.

あ)まず人間の才能として,昔も今も変わらず優れた才能を持った選手や若者はいっぱいいたのです.私の時代にもたくさんいました.しかし,
そういった才能ある選手でもそれで生活できないとなれば,よほどの物好き以外はサッカーを辞めてしまい,他の道を探したのです.私も恐らくその一人だったと言えるでしょう.

い)制度が一貫すると,中高一貫教育高校のように,多くの無駄を省くことが出来ます.我々の頃は,大学受験のため,大学でサッカーするにもいったんサッカーを休まなくてはなりませんでした(これはスポーツ選手にとって致命的な悪影響を及ぼします.例えば,太ってしまうとか.成長が止まるとか.)そして,それぞれの学校が好き勝手に好き勝手のサッカーを教えていました.(これはその都度指導方針が異なるため,選手にとって大きな混乱を招きます.)それが,プロ組織下部のサッカースクールができると,高校入試や大学入試に関係なく,一貫したサッカー教育を受けることが可能になったということです.その申し子が清水エスパルスの市川選手や今度のオリンピック代表チームの中沢選手や稲本選手です.彼等は高校までに特に際立った高校出身というわけではなく.Jリーグの下部組織から「個人の努力」を通じて成長してきました.

このように,教育制度改革は若者の才能を発掘し,それを無駄にしないためには本質的なものです.一貫した制度と誰にも開かれた門戸の広さと最高レベルのプロの厳しさと高待遇.これらがすべて揃って初めて本当に若者に夢と希望を与えることのできる制度改革ができるのだと私は考えます.このことは決してサッカーのようなスポーツだけに通じるのではなく,広くアカデミックな世界に通用することであると私は信じています.

日本サッカーの歴史が少しでも日本の高等教育の制度改革の参考になればと私は心から願って止みません.

(1999年11月11日)
「大人」は18歳?世界では主流だけど…

いやはや、やっと世の中の流れが私の主張に追い付いた(?)。

6年前に昔のBBSに私が書いた「そろそろ法的成人は、選挙権は18歳、飲酒権は21歳、喫煙権は25歳と分けた方が良いと思うネー。」の話題が国で取り上げられるようになったというニュース。

パックン(たぶんハーバードのエージェント)のように、飲酒年齢と成人(選挙権)年齢をなぜ分けるのか、というアメリカ人の意見もあるが、これはパックンが日本人がアメリカの状況を知らないことをうまく利用した、まあアメリカ人がよくやる方法である。

アメリカ人が飲酒年齢に達した時は、友人たちとばか騒ぎして町中の迷惑になることは良く見る風景である。これを知りたければ、無数にあるアメリカの青春映画を見れば分かるだろう。例えば、「ナーズの復讐」などを見れば良い。

したがって、アメリカで飲酒年齢と成人年齢がいっしょになれば、日本の成人式のはめはずしどころの騒ぎではなくなるはずである。車を壊すわ、発煙筒をたくわ、ビルや看板を壊すわの大騒動となるはずである。

アメリカの場合、成人年齢と飲酒年齢、自動車免許年齢を分けて見事にこれを避けているわけだ。

だから、パックンの主張は、典型的な「二枚舌」ということである。まあ、個人的意見は何を言っても良いのだが。

日本人の場合、国民の6割の人間にはアルコールやアセトアルデヒドの分解酵素を遺伝的に持たない。だから、欧米の白人のようにはいかない。それゆえ、飲酒年齢は高ければ高いほど身体と頭脳にはよろしいのだ。したがって、どうしても飲酒年齢は成人年齢と分けるべきだろう。(世界でもっとも飲酒に寛容な国

同様に、タバコの弊害も高年齢になればなるほど減る。したがって、これも25歳くらいに高めたほうがまし。

一方、政治への参加は早いほど良い。自分も国の一員であるという意識は中学生あたりに芽生える。一番物事を純粋に考えることができるのは、第二次成長期や思春期にあたる小中学生の頃である。それから、何年も経てば経つほど子供は冷めて邪推をするようになる。ましてや、中卒や高卒で実社会に出てから何年か経っての選挙では、すでに実社会の洗礼を受けてしまっているために、選挙に何の興味も持たなくなることのほうが多い。面倒くさくなるからだ。

この意味では、選挙権年齢は18歳でも遅すぎるくらいだ、と私は個人的には考えている。昔の侍はの成人年齢は12歳であった。「元服は12歳」、「12歳でいっぱしの侍として生死の問題を論じた」。事実、宮本武蔵の12歳頃の顔というのは、大人の顔をしている。

現在では、この精神年齢が30歳あたりではないか、という考え方もあるようだが、私個人はそれは間違いだと思う。というのも、人という生き物は、自分が大人だと定義して初めて大人になるというタイプの生き物だからだ。もし30歳が成人年齢とすれば、今度はそれでもまだ成人に成りきれず、今度は40歳で成人になる、さらには50歳で成人になるのではないか、という意見が必ず出てくるはずだからだ。

そんなわけで、私個人は、やはり選挙権年齢(法的成人年齢)は18歳、飲酒年齢は21歳、喫煙年齢は25歳くらいが妥当なところだろうと考えている。

果たしてどうなることか。

いずれにせよ、飲酒年齢と成人年齢を分ければ、成人式で酒飲んで騒ぐことだけは見なくてすむだろうヨ。
2008/03/13のBlog
以下は、私が2002年11月8日に昔の私の掲示板に書いたものである。参考のため再録する。

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【そろそろ法的成人は、選挙権は18歳、飲酒権は21歳、喫煙権は25歳と分けた方が良いと思うネー。】


あと2ヶ月もするとまた成人式の日になる。まあ、最近は成人式は形骸化し、
参加する成人も荒れるばかりっていう傾向にある。そんな一方で、亜米利加
ではこういう話はついと聞かない。その違いはどこからくるのか?
実はここに成人式問題と少年少女犯罪を考える上のヒントがあるのサ。

亜米利加では、選挙権を得る年令としての成人(つまり、社会的に大人と
見なされる年令)は18歳だ。学校は日本と似て、だいたい6-3-3-4制だが、
最初の二つ、つまり小学校と中学校が合体しているところが多い。
だから、ハイスクールを卒業する頃にちょうど満18歳になっているわけダ。

高校では卒業式がある。つまり、グラデュエーションセレモニーだ。実は
これが亜米利加の場合には、日本の成人式を兼ねているんだナー。だから、
このセレモニーは「始まり」を意味する。つまり、高校卒業してやっと
大人の仲間入りをする、これからがすべての始まりサってわけだ。

一方、飲酒できる年令という意味では、亜米利加の場合には満21歳という
ことになっている。だから、21歳でないと、酒屋で酒を買うことはできない。
また、21歳未満に酒を売ると、州政府から非常に厳しいおとがめが来て、
場合によって店じまいさせられるほどサ。そういうわけで、亜米利加の
大人は21歳以下に酒を売ることを非常に恐れるのサ。


ところが、日本では、成人式は20歳で、選挙権と飲酒権と喫煙権が合体
してしまっているわけだネ。だから、成人式でたばこ吸って酒を飲んで騒ぐ
やつがどうしても出てくるわけなのサ。もし飲酒権が21歳であれば、
たとえ成人したからといって酒を飲むことはできっこないわけサ。同じく、
喫煙権が25歳なら、たばこも吸えないわけなのサ。25歳まで吸わない
と、たとえ吸ったとしても容易に止められるらしいヨ。

一方、選挙権を持つ大人としての権利が20歳であるために、高校卒業して
から2年間はどっちつかずになってしまうわけダ。この期間は犯罪を犯して
も子供として見られる。ところが、体も精神ももう立派な大人なのサ。
セックスすれば子供も作れる。戦えば人殺しもできる。そんな年代なのサ。
だから、十分に選挙もできるわけなのサ。ところが、この2年間のブランクで
選挙に対する熱は冷め、高校までの純粋さも失われ、社会の幻滅や失意と
を持って成人式になるわけなのサ。だから、こういう連中は成人式で
ドンチャン騒ぎしてウサをはらすのだろうヨ。

さらに、もし成人になる年令が今より2歳若い18歳になれば、これまでの
少年法の適用年令もそのまま2歳速めることが論理的自然な帰結として自動的
にできるようになるんだナー。さらには、成人式の役割を高校の卒業式で
行うことができる。後は、中卒の人たちを集めて行えば良いわけだ。こうな
ると、そんなにたくさんの人を扱うことはないだろうヨ。

まあ、こんなわけで、日本もそろそろ選挙権を持つ法的成人は18歳。
一方、飲酒権は21歳っていう欧米型に変えても良いじゃないだろうかネー。
おれはそう思うのサ。ついでに言えば、喫煙権は25歳が良いように思うヨ。

じゃ、またーね。
2008/03/12のBlog
学級担任の8割「経済力が学力に影響」 日教組調査

”「家庭の経済力が、子どもの学力格差や進学に影響している」と感じる学級担任は8割一一日本教職員組合(日教組)は10日、こんな調査結果を公表した。「影響がある」と答えた教員の比率が大きい都道府県ほど、昨年実施された全国学力調査の平均正答率が低い傾向にあったという。 ”

「家庭の経済力が学力に影響している」と感じる教員
→小学校81% 中学校84% 高校87%

「経済力が影響している」と思う教員
→全国学力調査の平均正答率が低かった地域で多く、平均正答率が高い地域では少ない

”日教組は「所得格差があっても、公教育に影響が出ない条件整備が必要」と訴えている。”

というニュース。

これは、私が「学校の先生が塾を流行らす」で紹介したような状況が日本全国各地で起こっているということを見事に証明してくれたようだ。

要するに、日本の学校システムにおける学業(一般的な「学力」の意味)が、入試制度にあまりに依存するようになり、その結果、塾や予備校や家庭教師などお金をかけないと成績上不利になる。それゆえ、格差社会の下では、学力がお金に比例して依存している、ということである。まあ、そういう「構造的問題」ができてしまったということである。

これは、東大生の両親の平均収入が1000万円以上という事実を見れば解ることだろう。まあだいたい「親の所得と大学ランキングが比例している」ということである。

あえて言えば、問題は、高所得者の職業が大学や公務員や学校の教員など”虚業”(直接生産に関与しない職業)であるということだろう。だから、いくらその職業の人々が高額所得を得ようと、それはすべて国や地方自治体の”借金”から来ているに過ぎないということである。言い換えれば、”実業”(直接生産に関与する職業)の人々は、経営者ファミリーでもないかぎり、あまりリッチとは言えず、金銭的には窮屈な生活をしているということである。

私が大学生や大学院生だった20数年前から、「大学教授の子供は大学教授になりたがる」という傾向や「先生の子供は先生になりたがる」、「医者の子供が医者になりたがる」というような傾向があったわけだが、それが完全に社会格差(格差社会)となるまでに発展したということである。要するに、ほぼ”世襲化”したということである。

2年ほど前に「”世襲社会”」、あるいは7年ほど前に「私が危惧していること:大学の階級化」などに書いていたことが、ほぼ実現してしまったということになる。

権利の保証された良い職についた親を持つ子供は、その親の金銭力で学力を伸ばし、親以上の職業につける可能性があるが、そうではない親を持つ子供は、進学体系や教育体制から子供自身の能力を伸ばす機会を失ってしまう、ということである。

この問題を解決するにあたり、日教組は「所得格差があっても、公教育に影響が出ない条件整備が必要」と例によって”必要論”をぶっているが、これまで私が述べたように、学校の先生たちは、自分の子供達に対しては特別の関心がある。子供を塾や予備校に通わせているのは、こうした学校の先生たちなのである。だから、彼等の主張は、実現性に乏しい。

なぜなら、「所得格差があっても、公教育に影響が出ない条件整備が必要」と口で言うのは簡単だが、塾や予備校へ通わないと受験戦争に勝ち抜けず、またたいした入試問題ではないから塾や予備校へ通えばそれなりの成果が出るという始末では、お金に物を言わせた方が勝ちという状況がある以上、「所得格差があっても、公教育に影響が出ない条件整備が必要」というのは100%実現不可能だからだ。

例えば、(あ)入試を廃止し面接にするとか、(い)抽選にするとか、(う)受付順にするとか、(え)塾や予備校や家庭教師の先生たちも解けないような問題を出すとか、こんなふうな全く別のやり方にでもしない限り、つまりお金をかけて入試準備しても無駄だというようなやり方にでもしない限り、所得格差に依存しない方法で教育システムを改善することは難しい。しかし、こうしたやり方を学校の先生たち教育委員会の関係者は好まないはずだから、実際上は実現は不可能なはずである。

ところで、昨今では、医師不足、救急拒否、たらい回し、などさまざまな問題が医療関係で出て来ているが、それもみな「医者を”世襲化”した」からに過ぎない。つまり、国公立大学であれ、私学の医学部であれ、「医師になることは極めて金のかかること」、「親が金持ちでなければ、医者になれない」という医学部制度を作ってきた政府や官僚の責任である。だから今さら医師不足がどうのこうの騒いでみたところで始まらない。全部、国と国民の自己責任である。

アメリカのように、個人に学力や能力があれば、すべて大学がその個人をサポートする(例えば、本人に金がなくても学費ローンを組んで医学を学び、その後医者になって出世払いできるような制度)というような国でもない限り、本質的な変化をもたらすことは不可能である。

国としての”懐の深さ”の差が、いろいろな問題の差となっているというわけだ。
以下は、私が2001年1月9日に書いたものである。参考のため再録する。

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21世紀に入り、私が「危惧」していることは、「大学の序列化」ではなく、「大学の階級化」です。つまり、「大学へ進学する学生達の親の社会的階層が大学ごとに固定化される」ということ、そしてそれが当たり前になってしまうのではないかということです。言い換えれば、日本が「先進国型」から「発展途上国型」(あるいは「第三世界型」)へ変化するのではないかと言うことです。

私が阪大の大学院生であった20年前にもすでにその兆候はあり、東大生のほとんどは当時の高額所得者の子息でした。当時でも、育英奨学金を親の所得が多すぎて受けられないという学生がほとんどでした。阪大でも似たようなものでした。おそらく、この傾向はすでに「固定化」しているでしょう。つまり、すでに一部の旧帝国大学へ入るためには、小学校の早い時期から塾や家庭教師について受験の練習(学問の鍛練ではない)しなくてはならず、そうしなくては灘高や開成高のような進学校に入れないということです。当然、普通のサラリーマンや自営業者の子息は、そういう高校へは入れないということになります。逆に、そういう高校の学生達は、自分と同じような環境や境遇や親を持つ生徒間のだけの狭い世界の付き合いになり、自分たちがいかに「特権的階級」であるのか認識できなくなります。

医者や歯医者になる大学でも、医者や歯医者の子息が60一70%以上通うという私立医科大学がほとんどです。普通のサラリーマンは自分の子供の入学金を支払うことがすでにできないわけです。つまり、一種の「クラブ制あるいは会員制大学」になっているのです。こういう私立大学に文部省から我々の税金を使って援助する必要はあると言えるのでしょうか?私はその必要はないと考えます。

慶應大学なども、すでに大企業の社長や重役達の子息の大学であるという伝統はできて久しいでしょう。設立した福沢諭吉は「天は人の上に人を作らず、人の下に人を作らず」と言ったといいますが、この伝統や健学の精神は何処へ行ったのやら?もっとも、その福沢諭吉も自分の娘の結婚では、「人には分と言うものがある」といって反対したというらしいので、最初からそんな精神は虚構だったのかもしれませんが。日本の「お札」になっても反対しないことから見て、最初から権威主義者だったのでしょう。

冗談はさておき、基本的に日本の大学は、以下のような傾向があるでしょう。

1)一番お金持ちの子息は、税金でまかなわれている旧帝国大学の国立大学か有名私立大学へ入ることになります。あるいは、医者や歯医者の子息は、医科歯科系私立大学へ入ることになります。

2)次にお金持ちの子息は、地方の国立大学や地方の私立大学へ入るでしょう。あるいは、地方の医科歯科系国立大学へ入ることになります。

3)中流の普通の家庭の子息は、比較的授業料の低い私立大学に入ることになるでしょう。国見高校のサッカー部や伏見工のラグビー部の進路を見るとこのことが良く分ります。ほとんどは、立教大や同志社などの私立大学へ進学する予定です(もちろん、国立大学など論外です)。

4)それ以外のあまり裕福でない家庭の子息は、高校はおろか、大学へは行けなくなるでしょう。

これを見てすぐに分ることは、日本社会では「お金持ちの子息程社会的に優遇されている」ということです。「高校までの教育にお金のかけられる家庭の子息程、良い教育とより多くの税金を使った教育を受けられる」と言うことです。普通の家庭の子息は、逆に私立大学に入らなくては成らなくなり、税金プラス授業料を支払わなくては成らなくなるということです。同時に、私立大学の学生は育英金などの奨学金も少なく、2重3重に負担を強いられて、あまり「勉強」に身が入らなくなる可能性が高いということです。

こういう状況下で、「学生は何はともあれ勉強しろ」などとたわごと言っても、全く「現実観がない」ということです。最近の多くの若者は、大学へ行くよりは、フリーターになって「いろんな芸」を磨き、行く行くは「吉本興行」に拾ってもらって、さらに芸を磨くというようなタイプが非常に増えて来ています。この傾向は、「勉強しろ」と言っても歯止めがかからないでしょう。むしろ、それよりは、そういう彼らが一端社会へ出てみて、もっといろんなことを勉強したいと考え直した時に、彼らを導き、教えてあげられる大学が日本社会には必要でしょう。

しかし、現実には、こういう開かれたタイプの大学は日本には皆無に近い。私が何度も日本にアメリカの「州立大学」型の大学が必要であると言って来たのはこの観点からです。アメリカにも、大学の階級化はもちろんありますが、4000を超える大学があるアメリカの大学社会の内で、州立大学群は、非常に開かれた、いつでも市民が(それほど高くない)授業料さえ支払えば、大学教育やさまざまな学問を学べる環境--一種の生涯学習の場--を提供しています。「こういう場を日本に形成できるかどうか?」が、この21世紀の日本の大きな課題となるだろうと私は個人的に予想しています。もしこれが実現できない場合は、日本は、発展途上国型、第三世界型の教育システムに逆戻りしていると明言できます。そして、「富めるものは増々富み、貧しきものは増々貧しくなる」という「マタイの法則」型の「貧富の差」を生む社会になるでしょう。アメリカのように、例え、貧富の差がついても、キリスト教精神に基づいた救済措置が社会にあるシステムなら、まだましでしょうが、(金権)仏教徒のこの日本では、社会の救済措置はほとんどなく、たいへん深刻な事態をひき起こしかねないでしょう。

日本の大学人にこうした意見が理解されるかどうか私には分りませんが、国民により開かれた大学を目指して欲しいと心より願って止みません。

さて、皆さんはどうお考えでしょうか?
2008/03/11のBlog
最近、私は今となっては大昔(しかし私個人にとってはついこの間に感じるが)のカセットテープをよく聞いている。私が1986年(から1990年まで)にアメリカのユタ大学物理学部に留学した頃、当時留学生であった日本人の友人や遊び仲間からダビングしてもらったものだ。

こうやって昔のカセットを聞いていると、不思議なことに、その時代のことを懐かしく思い出す。というより、その時代にタイムスリップする。もっともipodの時代にカセットテープやカセットレコーダーはないだろうが。

ところで、昔のソニーの製品は良かった。80年代に私が小遣いをためて買ったソニーのラジカセは、周りはさびついて緑青も出ているが、未だに健在で好い音を聞かせる。しかし、理研にいた90年代に買ったソニーのCDラジカセとなるともうテープを回すゴムの劣化で廃棄処分となってしまった。「古いものほど良い」という鉄則通りだ。

さて、1988年から数えて今年2008年は20年以上経つ。だから、今その頃のことを書くのも一種の時効のようなものだろう。また、私もすでに昨年50歳を超え、今後いつ何かで死ぬということもあるはずだから、たまには昔のこと(事実)を書き残しておくことも意味があるかもしれない。

そういうわけで、ちょっと私の1人の友人のことを書いておこうと思う。それは、現在東大工学部の正教授の永長直人君のことだ。現在、東大の理論物理を代表する大御所と目され、ノーベル賞の呼び声も高い人である。このことは、個人的には昔だれかに個人1人2人に話したことはあったと思うが、これまでどこにも書いたことはないことだ。それゆえ、多少の価値はあるかも知れないと思う。

私が理科大理工物理を卒業し、阪大基礎工学部の数理系に入学したのは、1980年の春であった。私は数理系の高木研に形式上は在籍したが、実際の研究室は物性系の中村研究室で物性理論を勉強し始めた。

この年の夏に、確か長野県で「物性若手夏の学校」が開催された。これは現在では51回を数える。この時、花村榮一先生の学生という永長直人君と初めて出会ったのである。確かたまたま同室となった縁である。

しかし、どういうわけか、個性も性格も全く違うのに、物理学に対する情熱は共に大きなものがあり、実に気があった。それ以来、互いに東京と大阪に離れていたためめったに会うということはなかったが、毎年夏の学校になると、ほとんどいっしょに過ごして交流を深めたものである。

彼は、院生のマスター当時からすでにいくつか良い論文を出版していた秀才であり、将来を当時から嘱望されていた。そんな秀才の永長君と当時まだサッカー選手から学者志向に転向したばかりでまだほとんど仕事も業績もない私とは縁もゆかりも普通は存在しないはずなのだが、どういうわけか気が合ったのである。

その後、彼は当時六本木にあった東大物性研の豊沢豊博士の助手になったのだが、何かのおりに永長君のところに出向くと、彼の下宿に行ったこともあった。

最近、永長君の研究歴 (2004年以前)を見ることがあったが、彼は2004年までですでに175ほどの論文を公表している。一方、私は現在までに60数個にすぎない。これなどを見ても如何に永長君が頑張ったか分かるだろう。

さて、さらに話を進めよう。

私は教授との折り合いの悪さや物理の興味の違いなどから博士にはなれずに就職した。しかし、すぐにアメリカのユタ大学に幸運にも留学できることになった(自伝参照)。

実は、留学直前に留学関係の用事で実家のある山梨から都内に来た時、私は永長君の麻布の実家に泊めてもらったのである。そこで、いろいろ将来について、物理についてなど長いこと語り合ったものだ。永長君がたいそうアメリカに行きたがっていたことは確かである。

「君もすぐにアメリカに来いよ」
「僕もきっと行くよ」

とお互いに言い残して別れたのだった。

私が1986年の秋にソルトレークの地を踏んでから、怒濤のアカデミックイヤーが過ぎた(自伝参照)。そして、1987年末に世界は「高温超伝導」発見のニュースが飛び交った。

その次の年、1988年のたぶん夏頃だったと思うが、当時私の指導教授だった甲元眞人博士がその高温超伝導研究に着手していた。その甲元先生の共同研究者にMITのシャピアー教授がいた。甲元先生はシャピアー博士にユタ大物理学部で物性理論の講演を依頼してやってきたのである。

講演が終わり、時間が空いたので、甲元先生が

「ロースティングカンパニーにコーヒーを飲みに行くが、あんたも行く?」

と私に聞いたので

「良いですよ。行きます」

と答え、ロースティングカンパニーに行ったのである(ちなみに、ロースティングカンパニーは、当時ソルトレークのダウンダウンで有名な喫茶店。もちろん、モルモン教徒はコーヒーは飲まないから、普通のアメリカ人や留学生の行きつけのコーヒー店だった。現在のスターバックスのようなものだ)。そこで、私はシャピアー教授と甲元先生と3人でコーヒーを飲みながらいろいろ物理の話をしているのを聞いていた。もちろん、私はあまり英語は聞き取りが良い方ではなかったが、その頃にはある程度聞き取れるようになっていた。

そんな折り、突然シャピアー教授が甲元先生に聞いて来た。

「ところで、話は変わるが、最近日本から若手の理論物理学者が我々のところに来たいと言っているんだが、知っているかい?」

もちろん、日本を離れてから長い甲元先生はその名前は知らない。

「だれ? なんていう名?」

と聞き返す。

「ナガオサと言うんだが」

とシャピアー教授が答えた。私は「おっと、ナガオサ?」と興味深く身を乗り出して聞く。

「ナガオサ? 知らないな。井口さん、あんた知ってる?」

と甲元先生が私に聞いて来た。そこで私はこう答えた。

「ああ、それは東大の永長直人君のことですよ。僕の親友です。良く知っていますよ。」

私の言葉を甲元さんがシャピア教授に伝える。甲元先生が「どんなやつか聞きたいから話せと言っているよ」と私に言ったので、そこで私がさらに確かこんな風なこうとを喋ったと記憶している。

「彼は、確か準一次元系のイオン一中性転移か何かの研究をやっていたと思う。非常に優秀な若手です。彼は物性若手夏の学校で会って以来ずっと親友で非常にやる気あるやつですよ。僕の考えでは、彼は今やっていることではぱっとしないかも知れないけど、アメリカに来て何か良い研究テーマをもらえば、きっと非常に伸びるタイプだと思いますよ。ぜひ彼を採ってやってください」

これも甲元先生がシャピアー教授に伝えた。こうしてロースティングカンパニーでの何気ない会話は終わり、私はまた大学院生生活に戻って行った。

だから、この出来事は、それっきりでその後も特に何かの話題に登ることもなかったが、それからしばらくして永長君はMITに留学したのである。そこで、パトリック・A・リー教授の下で「高温超伝導のゲージ理論」の研究をしたのは有名である。その後の永長君の活躍はここで書くまでもない。まさに、私がシャピアー教授に話した通りのことが起こったのである。

私がアメリカ留学生生活を終え、1990年に帰国し、しばらくして都内の駒込に住んでいたころ、しばしば妻といっしょに東大の公園を散歩したものである。その度に、私は永長君のところに会いに行ったものである。一度は、三鷹の公務員宿舎にあった彼の家で彼の学生さんたちといっしょにパーティーに呼んでもらったこともあった。この学生さんたちは今どうしているのだろうか? みんな元気で活躍していることだろう。

”人はどこかで互いに支え支えられながら生きている。”

物理学者といえども例外ではない。1人の学者の成功の陰にはそれを見えないところでお膳立てした人々がいる。MITのシャピアー教授、ユタ大の甲元博士などみなそういう1人である。さらには私の知り得ないところにもそういう人々がいたはずである。もちろん、私はあくまで親友としてそうしたわけだ。

これもまた、20年も前の遠い記憶として私の小さな脳に刻まれているささいな出来事に過ぎないが、今となっては良い思い出である。永長君がこれを見て気を悪くしないことを祈る。今後のさらなる活躍を期待して今回はここでキーを叩くのを止めておこう。
2008/03/09のBlog
川端杯、第11回徳島県U一14サッカー大会の準決勝、決勝が昨日今日と行われ、無事閉幕した。結果は以下の通り。

【決勝トーナメント決勝】3月9日
阿南FC0一1(0一0:0一1)井川


【決勝トーナメント準決勝】3月8日
阿南FC2一1(2一0:0一1)V吉野川
井川3一0(2一0:1一0)鴨島一


徳島VJY━━━┓4ーーーーーーーーーーーーーーー3┏━━━━━井川
ーーーーーーーー┃ーーーーーーーーーーーーーーーーー┃
藍住東━━┓2ー┗━━┐1ーーーーーーーーー3┏━━┛ー4┏━━松茂
ーーーーー┗━━┘0ー|ーーーーーーーーーーー┃ー0└━━┛ 
三野一一一┘0ーーーー┏━━┓2ーーー3┏━━┛ーーーー2└一一吉野
ーーーーーーーーーーー┃ーー┃ーーーーー┃ーー| 
阿南FC━━━━┓3ー┃ーー┃ーーーーー┃ーー|ー1┏━プルミエール
ーーーーーーーー┗━━┛2ー┃ーーーーー┃ー2└━━┛
津田一一一一一一┘1ーーーー┃ー0ー1ー┃ーーーー0└一一一一一藍住
ーーーーーーーーーーーーーー┗一─┗━━┛
リベリモ━━━━┓3ーーーー|ーーーーー|ーーーー3┏━━━━鳴門ニ
ーーーーーーーー┗━━┐0ー|ーーーーー|ー0┌━━┛
池田一一一┐2ー│ーー├ーー|ーーーーー|ーー|ーー|ー0┌一一富田
ーーーーー┏━━┘0ー|ーー|ーーーーー|ーー|ー0└━━┓
阿南━━━┛2PKーー┏━━┘1ーーー0└━━┓ーーーー2┗━━徳島
ーーーーーーーーーPK┃ーーーーーーーーーーー┃ーPK
V吉野川━━━━┓1ー┃ーーーーーーーーーーー┃ー0┏━━━━鴨島一
ーーーーーーーー┗━━┛1ーーーーーーーーー3┗━━┛
北島一一一一一一┘1ーーーーーーーーーーーーーーー0└一一一一羽ノ浦


優勝は、井川中学校が阿南FCを1一0で接戦をものにして優勝した。井川は昨年県総体で優勝しているので本命の1つであったが、創立2年目(でまだ固定グラウンドを持たない)の阿南FCが決勝まで強豪クラブを倒して勝ち上がって来たのは実に素晴らしい快挙である。クラブの指導方針が功を奏したと言えるだろう。

思えば、我が家がここ阿南に引っ越したのは1996年でちょうど12年前のこと。その頃、我が家の息子達が近所の神崎幼稚園に通い始めた。私は、その幼稚園児たちにサッカーのリフティングを見せたり、サッカーで遊んだりしたのものである。

その子供達がこの阿南FC(や中にはヴォルティス)の選手に育っているというわけだ。我が息子たちもまた阿南中学校のサッカー部の選手となっている。

私が阿南に来た当時は、「小松島以南はサッカー不毛の地」といわれ(小松島市は阿南市の1つ北の市である)、野球が一番人気のスポーツであったが、今回の川端杯の結果を見るに、少しずつ県南にもサッカーが根付きつつあると言えるだろう。

今回、我が家の次男といっしょに決勝戦を見たが、実に素晴らしい試合であった。試合を決めたのは、後半の後半の井川の”ロングシュート”(フリーキックではなかった)であった。強風を背にして風を受けたボールがキーパーの頭上を伸びてゴールした。阿南FCも再三再四のチャンスを作り応戦したが、今一つ決定期をものに出来なかった。その差が優勝を分けた。しかし、両チームにそれほどの差はなかった。むしろ、全般的には阿南FCが優勢に試合を運んでいた。その意味では阿南FCは惜しい試合であったと言えるかも知れないが、風が井川に味方した。そういう感じの試合となった。

いずれにせよ、素晴らしい、見ごたえのある好試合だった。
関係者の皆さん、ご父兄の皆さん、御苦労様でした。また来年。

参考:
川端杯、第11回徳島県U一14サッカー大会開幕
2008/03/08のBlog
F・サイツ氏死去物理学者

フレデリック・サイツ氏(物理学者、元米科学アカデミー会長)AP通信によると、2日、ニューヨーク市マンハッタンで死去、96歳。死因は公表されていない。”

とあるが、我々固体物理学者の間では、「ザイツ」と発音される。

F. Seitz and D. Turnbull編の「Solid State Physics」(固体物理)のシリーズはつとに有名で、恐らく固体物理学の分野の専門家でこのシリーズ本のお世話にならなかった人はいないはず。我々も80年代の大学院生時代にこのシリーズの中にある海外の著名な固体物理学者たちの解説や総説を勉強したものである。

固体物理学にさんぜんと輝く「ウィグナー・ザイツ・セル」は、この分野に入門する人々は必ず学ばねばならない結晶物理学の古典的概念の1つである。量子力学を結晶格子に応用すると必ずこういう普遍的概念に行き当たるからである。

量子力学時代の英雄の1人がまだ存命であったということにも驚くが、確実にその時代の英雄たちはこの世を去っているようである。

御冥福を祈りたい。

参考:
A Picture Gallery of Famous Physicists
2008/03/07のBlog
家本主審、無期限の指名停止に 混乱招き処分

”サッカーのゼロックス・スーパーカップの判定や試合運営で混乱を招いた家本政明主審(34)に対して、日本サッカー協会審判委員会は6日、J1、J2公式戦で審判を務めさせない無期限の指名停止を決めた。関係者によると、処分期間は6カ月がめどという。家本主審は06年にも、判定に一貫性がないとして1カ月間の研修を命じられていた。”

というニュース。審判に対してはイエローカード3枚でレッドカードとなるらしい。

「いやー、甘いナー」

というのが、私の感想。あまりに甘い処分。やはり警官と同じで、身内には甘い体質というのが見え見えしているようだ。

またやったのか、家本主審? ”免許はく奪”あるのみ
Jリーグスキャンダル:家本政明主審にレッドカード!
で紹介したように、この家本政明のおかげで、不必要なイエローカードやレッドカードを食らって、チームフロントから罰金刑に処されたり、トレードされたり、解雇の危機に陥ったりしたサッカー選手は数えきれない。

どうやら日本サッカー協会も日本サッカー協会審判委員会もこういう事実は全く無視しているように見える。

日本サッカー協会は、あまりに”理不尽な”家本の判定に「いかって」(「怒って」ではない)暴言を吐き、計7試合の出場停止処分にされた甲府のMF茂原岳人選手や2試合出場停止にされた甲府のMF林健太郎選手たちのことを全く考慮していない。

もし家本政明に対して今回こういう処分をするのであれば、全く同じような異常な判定をされて名誉を失った茂原岳人選手や林健太郎選手たちに対して協会も家本も謝罪し、名誉復活させるべきだろう。こうした家本の馬鹿げた態度の結果、甲府はJ2に陥落してしまったからだ。

もし審判団が、家本の家族のことを心配するのなら、同時に家本の判定によって窮地に陥ったサッカー選手たちの家族のことも心配すべきである。

一番良いのは、また同じことをやるのは明らかだから、3度目を待つまでもなく、資格をはく奪して、審判団の事務方にするか、全く別の道を探すように勧めるべきだろうヨ。

いずれにせよ、家本のだんなにはお引き取りしてもらった方が好いようですナ。
2008/03/06のBlog
その昔、ショーケンこと萩原健一の「青春の蹉跌」、松田優作の「蘇る金狼」という映画があった。

これらの中のテーマは、戦前の財閥が解体され戦後新興財閥が形成されつつあった高度成長時代に自力だけで財をなすという夢を描いた一介の貧しい青年の物語である。

大企業令嬢を獲得するために、貧しい時期に協力してくれた無名の女の子を捨てる。しかし、愛してくれた女性は簡単には別れてくれない。だから殺してしまう。あるいは、自分の男の魅力で令嬢を虜にして、自分の出世のために周りの女性達を道具に使ってのし上がる。しかしどこかでぼろが出て失敗に終わる。

そんな青春の悲劇が主題であった。と、私は記憶している。

要するに、一介の無名で何の権力もない若者が、如何にして既存の社会の中で名を成し財を成すかと言えば、しかるべき地位を手に入れるために恋愛や結婚や性を武器に使ってまでしてその地位を乗っ取る。そういう”古典的方法”についての青春映画である。

我々普通の凡人は、なにもそこまでして地位を得たいか、と考える。

がしかし、実は、これがもっとももっともらしいやり方なのだ。我々が研究しているネットワーク理論からすればそういうことになる。

これは、大昔のギリシャ・ローマ時代の戦争では「トロイの木馬」作戦と呼ばれたものである。最近のロシアでは、新興財閥やプーチン大統領がこれをやったことで有名である(NHKのロシアの新興財閥の番組を見れば分かるだろう)。日本では、小泉純一郎の父親がこれをやった。

そんなわけで、大企業のお偉方や権力者の令嬢と結婚し、その遺産の継承者となる。あるいは、大企業のお偉方や権力者の参謀や味方の振りをして然るべき要職に付き、自分が権力を継承できる”時”を待つ、というのは実にありふれた方法、かなり”伝統的なやり方”なのである。

まだ我々のネットワーク理論の世界では、この「乗っ取り効果」や「トロイの木馬作戦」を論じるほどの研究されてはいないが、ネットワークのハブ(もっともコネクションの多い中心)にそれとなくくっつき、しかるべき時にその位置や立場(つまり、地位)を継承する(つまり、既存のノードと入れ代わる)というのは、そのネットワーク構造を変えずに、その世界を支配する唯一の方法なのである。

ロシアの例では、ゴルバチョフやエリッティンの時代、つまり民営化の時代にロシアンユダヤ人の新興財閥「オリガルヒ」の人々がこれを行ったという話である。ロシアの国有財産や国有企業をどさくさにまぎれて乗っ取り私物化したのである。

しかし、今度は、そのユダヤ事業家たちの傀儡政権として誕生したプーチン大統領にその地位を奪われたというわけである。

大英帝国が、大英帝国になり得たのも同じこと。スペイン継承戦争でそれまでのスペイン・ポルトガルの所有した植民地を奪い取ったからである。

ゼカリア・シッチン博士によれば、もっと大昔7000年前の古代シュメール人の時代では、「ニビルから来た神々」の持つ王国を人類が奪い取って、初代の王となったという話である。また、その神々も地球司令官であった神エンリルから異母兄弟で辺境の地の部下であったエンキが奪い取ろうとしたが失敗。そしてノアの大洪水の時代となり、その後、エンキの息子マルドックが神の地位を奪い取ったという話である。

一方ごく最近の現在では、ファンドが株式保有して本会社を乗っ取るということが流行っているようである。その会社の持つ不動産や会社や人材も含めて企業全部を買い取って乗っ取るというのではなく、株式所有で筆頭株主になれば会社の経営権を乗っ取ることができるからそうするのだろうが、実に不思議な話ではある。

これこそ、まさしく「トロイの木馬作戦」であろう。

まあ、そんなわけで、「青春の蹉跌」や「蘇る金狼」の時代から数十年も過ぎたわけだが、未だに同じことをやっているということですナ。

いずれにせよ、「乗っ取り」ではなく、「真に何かを創造する」という形で成功者になるというのは、いつの時代にも非常に困難なことだということだけは確かである。この意味では、日本が明治期や戦後にそれをやり遂げた人々がいたというのはかなり奇跡的にすら見える。

世の人々はそういう彼等から学ぶべきだろうヨ。
2008/03/04のBlog
やべっちF.C.」というのは、元サッカー選手だったコメディアンの矢部と女子アナと男子アナと元Jリーガーの解説者で日本や世界のサッカーを紹介する番組である。

クリスチャン・ロナウドやロナウジーニョなどの超絶テクニックを日本に紹介して人気が上がった。

しかし、最近になって”だれ”て来て、単なる「女子アナがプロサッカー選手を獲得するための道具化」にされて来ているように見える。そんなわけで、『大好評!爆笑のやべっちクエスチョンリレー「Jリーグキャンプ 完結編!』なるものまで登場した。

これは、若くて独身の美人女子アナの前田アナが、Jリーガーのところへ出向いて、質問し(実際には自分の顔を売ってこねを作るのが目的にしか見えない)、その選手から別の選手への質問を取る形で、次々と選手間を動いてインタビューしていくという企画である。

もちろん、男社会(男ばっかり)のJリーグ組織にいる若い選手たちには、「掃きだめに鶴」。女の子がそんな場所に来てくれたら「飢えた狼たちの餌」のような状態となるから、(番組自称)大好評であるらしい。

しかし、私の感じるところでは、これはこの番組を見ている小中学生や高校生たちにはむしろ逆効果。前田アナは小中学生たちには「大嫌い」な女子アナの典型となっているようだ。我が家の息子たちも嫌っている。

では、それはなぜか?

実はこういうことだ。

日本の小中学生や高校生のサッカー部の選手たち(Jリーグ下部組織のジュニアユースは除く)は、”土”の校庭で練習する。グラウンドが土なのだから、毎日練習すれば、グラウンドは凸凹だらけとなる。それゆえ、毎日毎日練習の後に「グラウンド整地」作業ということを行う。そうやってグラウンドを整備する。だから、小中学生や高校生たちにとって、「グラウンドが神聖にして冒さざるもの」なのである。「整地したグラウンドには何人たりとも入るべからず」の精神で練習をしている。

まあ、これが日本の学校サッカーの常識である。

ところが、そういう目で見ているサッカーのグラウンドに、この”女子アナ”は何のサッカーの知識もないのに無謀にも入り込む。しかも小中学生や高校生が自分達の目標としている有名なJリーガーたちといっしょにである。

これが子供達にどう映るか明白だろう。

自分達が理想や目標にして会いたいと思っている最高級のサッカー選手、いつも会いたいと思っているのになかなかチャンスのないサッカー選手、それが、可愛いだけが取り柄の単なる女子アナ(子供にとってはおばさんに過ぎない!)が、親し気に話し掛け、失礼なことを無礼にインタビューするわけだ。

子供達が頭に来るのは明らかだろう。

ましてや、Jリーガーはプロ選手だから、女子アナと言えども、「帰れ」とか「グラウンドに勝手に入るな」とは言えない。それも選手にとっては立派な広報活動(仕事)だからだ。

しかし、インタビューで可愛いおねーちゃんに”ちやほや”され、女子アナの前で”でれでれ”している姿を披露しているJリーガーの姿は、その選手を神のように崇拝している小中学生や高校生たちにはかなり”衝撃的な”ことに映るのだ。

要するに、「女の前で鼻の下を伸ばしてでれでれしている柳沢や大久保の顔など見たくない」と子供達は思うのだ。「そんなことしているからシュートミスするんだ、アホ!」と見ているのだ。こうやって、かえって柳沢や大久保の人気が下がる。むしろ逆に女子アナの前で毅然とした態度でさっさと去ったJリーガーの方が子供らの人気が上がるのである。

どうやら、やべっちFCのスタッフやキャスターはこういう現実を知らないらしい。困ったものである。

こんなサッカー番組ならないほうがましだ。日本のサッカーの健全な発展のためにはそのほうが良い。

まあ、少なくとも、子供達が日々理想や目標にしているJリーガーたちを女子アナの餌食にして欲しくはない。ましてやサッカー選手でもない「女子アナ」は「勝手にサッカーグラウンドに入ってはならない」のだ。「女は(男子の相撲の)土俵に上がることは許されない」ように「女はグランドに入ることは許されない」のだ。もちろん、女子アナが女子サッカーに行くのはかまわないが。

女子アナがJリーガーの周りをふらふらして、子供達の夢を壊すことだけはしないで欲しい。

やべっちや堀池はこういうことの意味を理解できるはずだ。そういう”馬鹿な”企画を外しても十分に子供達にとって良い番組を作ることは可能のはずだ。

今後の修正を望むところですナ。
外務省、「シー・シェパード」旗国オランダに抗議

”小野寺五典外務副大臣は3日、米国の環境保護団体が南極海で日本の調査捕鯨船団を妨害し、乗組員ら3人を負傷させた問題で、オランダのハーメル駐日大使を外務省に呼び、「暴力を伴う危険な妨害行為が再発したことは遺憾だ」と抗議した。

 オランダは団体の船が船籍を置く「旗国」で、違法行為を取り締まる義務がある。大使は「本国に伝える」と答えた。”

「アフリカやインドでは、密猟者は射殺して良いことになっている。この程度の攻撃はまだまだ優しい方だ」

とシー・シェパードのワトソン艦長が言った。

どうやらこの言葉に”すべて”が語られているようだ。

シー・シェパードの公式ホームページ「seashepherd」を見たところでは、予想通り、職員のすべては”白人”でどこにも有色人種は見当たらない。


そう、実は、世界に多々存在する「環境保護団体」というのは、名ばかりで、実質は「白人至上主義者」による有色人種支配を目論んで作られたものであるからだ。

これは「王家レプティリアン説」で有名なデーヴィッド・アイクや「300人委員会」で有名なジョン・コールマン博士が暴いた話である。

彼等が発見した事実では、アフリカやインドなどにあるたいていのストーリーはこうである。

有色人種が住む、ある発展途上国の土地に何か金になる重要な地下資源が発見される。これは現地の人間には不要である(と勝手にそう思い込み)。そこで「環境保護団体」を名乗る組織がしゃしゃり出る。そしてその場所を自然保護の名目で大きく囲い込み住人を追い出す。現地人はそれまで狩猟で細々と生活していたから、これまでどおりの生活には猟が必要である。また、大事な土地から追い出されたものだから、ますます貧しくなる。

方や先進国の人々のペット熱を利用して稀少価値の高い動物を仕入れようとする白人の悪徳ブローカーがいる。この連中は貧しい現地人を採用して密猟させ、動物を海外へ売って儲ける。ところが密猟の現行犯として見つかった現地の黒人は殺される。「環境保護団体」の職員が、保護区内は自分達の領土だと錯覚して黒人を射殺する。

これを裏で資金援助しているのは、そこから得られる資源をあてにしている欧米の大企業家であり、その大半はイギリスの王家の血筋を持つ”黒い貴族”と呼ばれる人々だ。たいていは有名なタバコ名(ケントやマールボロー)や有名な食品会社名になっている人々である。

まあ、アイクやコールマンの発見した現実とはこうだ。

シェパードというのは、イギリスの番犬、それももっとも凶暴な番犬のことである。しかし、番犬は所詮は番犬。だれか御主人様のためにある。したがって、いくら「シー・シェパード」が自力で行っているように見えようが、連中は”誰かの”番犬に過ぎない。黒幕は後ろや裏にいる。マスコミはそこを見つけなくてはならない。

というわけで、白人至上主義者の「環境保護団体」であるシー・シェパードが、一見理屈がかなうように見える「捕鯨反対」を大義名分にとって攻撃していようと、本当の”狙い”はそうではないだろう。

アフリカやインドでもそうであるように、「密猟や海底資源や海洋資源の確保」が本当の狙いなのである。

アイクは言った。

「環境保護とは名ばかりで実質は名前と正反対のことをやっている」

要するに、鯨を密猟してどこかの国の水族館に売って儲けたいのに、勝手に調査捕鯨されては困るというのが連中の本音だろうヨ。また、”人間狩り(有色人種狩り)”したい凶暴な白人が入る。

それが証拠にワトソン船長、御自分の出所を証す重大なミスを冒した。それが「スカルアンドボーンズ」の旗。これは、イェール大学の地下組織にある悪名高き秘密結社の印であるからだ。「海賊のマーク」でもある。

調査捕鯨と銘打って何百頭もの鯨を取るのも問題だが、環境保護活動と銘打って欧米の大企業の番犬になりさがるのも問題である。どっちもどっちということだ。

いずれにせよ、アイクやコールマンの話は、極端な「陰謀論」と一般には無視されがちだが、大筋では真実を突いていることだけは間違いないようですナ。

それにしても、ワトソン艦長の顔は、アルバート・パイクの顔(”3つの世界戦争とニビル星人降臨” )と驚くほど良く似ている。白人遺伝子の”濃さ”を示しているのだろうヨ。

参考:
秋山直紀氏証人喚問:”悪夢の予感”?
2008/03/03のBlog
主審の判定に鹿島不満爆発 退場3人・PK戦でやり直し…

”前半に鹿島の岩政、広島の李漢宰がともに警告2枚で退場するなど大荒れの試合となった。選手らの不満は家本政明主審に向かった。 ”

”家本主審は事実上プロで9人しかいないスペシャルレフェリーの1人。06年9月には判定に一貫性がないとして日本協会審判委員会から1カ月間の研修を命じられたことがある。 ”

大波瀾の試合があれば、家本。家本いるところに波瀾あり。

昨年もやった。その前もやった。一度や二度ではない。何度も何度もそうやって大事な試合を”潰してきた”。そういう審判が家本政明氏である。

要するに、性格的に他人の気持ちや流れを解せず、波瀾を好む。そういう”質”の人物である。

したがって、こんな人物に「スペシャルレフェリー」の称号を与えるJリーグも異常である。

昨年「Jリーグスキャンダル:家本政明主審にレッドカード!」に紹介したように、松崎審判委員長に「メンタルが痛んでいる」と言われた人物である。

早く何とかしないと「日本の恥じ」となることは必至であろうヨ。


ところで、この家本政明主審に”似た”メンタリティーを持っているのが、日本の裁判官である。どうもこういう人物は、だれに教えられるともなく日本社会に誕生してくる。そして、さまざまな世界や分野で大問題を引き起こす。だから、私は、これは日本人の一部が継承している”遺伝的問題”(遺伝的形質)だろうと想像している。

実は、この家本政明主審と全く良く似た感じの女性審判がここ徳島県のサッカー協会の中にもいて、中学校の公式戦にやってきては時々家本政明主審と同じような”問題”を引き起こしている。

面白いのは(面白いと言っては変だが。むしろ非常に”不思議なこと”だが)、こういう”変な”主審が試合をみると決まって選手どうしの衝突とか、事故とか、非常に大怪我が起こる。そういうことが多いのだ。選手や我々その親たちはたまったものではない。

今回の「川端杯、第11回徳島県U一14サッカー大会開幕 」でもそうで、この審判が主審の時に限って試合が荒れ、大波乱が起こり、実に後味の悪い試合を残していくのだ。

昨日の試合でも、優勝候補の徳島VJYと阿南FCの対戦も1一2で優勝候補のヴォルティスジュニアが大波乱で敗退したが、この試合の審判もその主審であった。私は、昨日の試合は見ていないので、今朝までこの理由がつかみかねていたが、どうやらレッドカードの乱発とか何か尋常でない出来事があったのではないか、と今は想像している。これは後日分かることだろう。

いずれにせよ、いい加減なレフェリーイングだけは止めて欲しいものだ。その主審にとっては、単なる自分のキャリアアップのための仕事に過ぎないのかもしれないが、「選手や親達には人生がかかっている」からである。

したがって、人格的に問題あったり、人間味のない審判員は、サッカー協会は「審判としての適性がない」ということでお引き取りしてもらうのが一番賢明なやり方だろうヨ。単にレフェリーの知識や技術だけではサッカーの審判はできないからだ。

これからますます日本が貧困化していくのは必至だから、怒ったファンに馬鹿な審判が殺されかねないということも十分にあり得る。もちろん、そんな審判がフーリガンに殺されようと「俺には関係ねー」のだがナ。

日本サッカー協会の早急の対処を期待したいところですナ。


ついでに、こういうメンタリティーとはどんなことか良く分からないだろうから、具体例をここにメモしておこう。

今回の「川端杯、第11回徳島県U一14サッカー大会開幕 」は春一番の強風の吹く中で行われた。試合ではちょうど一方のゴールから他方のゴールに向かって強風が吹き抜けた。

阿南vs池田の試合はPK戦になったが、この時は主審がキッカーが風上に立つ方のゴールを選んだ。したがって、この場合は比較的キッカーが有利となる。なぜならボールは曲がりにくく、弱いボールでも風でゴールに吸い込まれるからだ。この場合は、比較的選手たちの力量通りのリーズナブルな結果となる。キーパーのファインセーブが勝敗を決める。

ところが、次の試合のヴォルティス吉野川対北島の試合は、問題のその女性審判が受け持った。この試合は荒れてけが人続出。しかし何とかPK戦にもつれ込んだ。そこでこの審判は何を思ったかしらないが、逆の風上に蹴る方のゴールを選んでしまった。強風の中で風上にボールを蹴ればどうなるか? これはだれでも分かることだが、ちょっとしたキックの回転でも非常に曲がってしまい、入りにくくなる。つまり、弱く蹴ればゴールに届かず、強く蹴れば曲がるという状況となる。同じ風の下でも方法が逆となれば蹴りやすさは天と地の差が出る。

その結果どうなったかと言えば、双方の選手が実力を発揮できずミスの連発。2転3転して結局、ヴォルティス吉野川が偶然の勝利となった。試合自体は北島が非常に良い試合をしていただけに後味の悪い試合となった。また、試合中も共にコーナーキックからの1点のみだったが、明らかにヴォルティス吉野川の得点はラインズマンのミズジャッジで、北島のディフェンダーがゴールラインを割る寸前でヘッドでクリアしたように私には見えた。見事なクリアであった。しかし、これが得点に認められた。

万事こんな感じのことをする。

”変な審判”とはこういう連中のことだ! さっさとサッカー界を去れ!
徳島県の中学生レベルの大会、U一14サッカー大会が2月から開幕。
昨日までに準々決勝が行われた。予選リーグは2月中にほぼ一ヶ月をかけて行われた。参加チームは52校。

激戦や混戦を制して決勝トーナメントに勝ち上がったチームは20チーム。
優勝候補はクラブチーム代表では、徳島ヴォルティスジュニアユース(VJY)。中学校代表では、昨年の中学総体県大会優勝の井川中学。

この年代は、私の考えでは、サッカー選手にとってもっとも大事な”核”となる年代である。この時期に良い練習を積み重ねることが将来の成長に大きく関わってくるからだ。また、この時期は、男子の「第二次成長期」と重なり、「男性ホルモンが小学生時代の8倍」にもなり、体つきも精神的にも大きく変化する時期である。しかし逆に精神的には非常に不安定になる時期でもある。

例えば、試合の勝利のためには厳しく過酷な練習が必要だが、練習をし過ぎると今度は成長が止まって小粒な青年となってしまう。これでは国際レベルでは小柄な選手となって大成しにくくなる。また、第二次成長期であるために骨の大きな変化を伴い、練習し過ぎると、俗にいう「オスグッド」(非常に痛い、骨の成長痛)になりやすい。これになると練習を長期にわたり休まなくてはならなくなる。これでは練習できずかえって損をし、技術的な成長が遅れてしまう。

例えばまた、選手は自身の技量に限らず、監督やコーチにレギュラーに選ばれたら”得意満面”となるが、試合に出してもらえないと”腐る”という気分に左右されやすい年代である。また、精神的自立の過程は、大人への”反抗”あるいは”挑戦”から始まるため、監督やコーチの言うことを聞かなくなる(親のいうことを聞かないわけだから当然他の大人の言うことも聞かない)年代でもある。

方や、義務教育の最終年度にかかり、進学(や就職)の時期と重なる。サッカーを高校受験のための”手段や切り札”にする選手もあり、精神的に自立する年代でもあり、実に不安定な精神状態になる。これに関連して今度は選手たちの保護者や親たちとの関係も必須となる。さらに結果を残さなければ、監督は学校やクラブやその保護者たちから突き上げられる。

こんなふうに、
余りにきつい練習をすれば子供の成長を阻害するし、練習しなければ成長しない。
試合に出せばすぐ調子に乗るが、出さないとふて腐れる。
指導しなければうまくならないが、指導すれば反発する。
叱らなくては選手のためにならないが、叱れば親が感情的となる。
サッカーの善し悪しが進学の善し悪しに直結する。
というような、さまざまなジレンマのある実に難しい時期である。

この意味では、サッカー部やサッカークラブの監督さんたちの心労は甚大なものである。私自身、1年半阿南高専のサッカー部コーチをしたので実によく分かる。しかし、特別な場合を除きほとんど無償で選手のために行っているというわけだ。まだ、学校の先生は定職があり、それなりの給与所得があるから救われているが、たいしたお金もなく指導している人々もいる(私の場合も1年の指導で5万円の謝礼だった。だからボランティア以外の何ものでもない)。たいへん頭が下がる。

しかしそうさせるのは、はやり「サッカーへの思い」、「サッカーへの愛」、「サッカーを愛する気持ち」以外の何ものでもないだろう。これぞ「サッカー文化」である。

優勝はどこになるか分からないが、指導者の皆さんは、保護者の皆さんの協力がなければこうした大会は成功しないこと、逆に保護者の皆さんは指導者の皆さんの協力がなければこうした大会は成功しないことを肝に命じて、サッカーを楽しんでもらいたいものですナ。


【決勝トーナメント準決勝】3月8日
阿南FC一一┐ーーー┌一一井川
ーーーーーー├一一一┤
V吉野川一一┘ーーー└一一鴨島一

【決勝トーナメント1回戦2回戦】3月1日
【決勝トーナメント準々決勝】3月2日
同点はPK戦で決定

徳島VJY━━━┓4ーーーーーーーーーーーーー3┏━━━━━井川
ーーーーーーーー┃ーーーーーーーーーーーーーーー┃
藍住東━━┓2ー┗━━┐1ーーーーーーー3┏━━┛ー4┏━━松茂
ーーーーー┗━━┘0ー|ーーーーーーーーー┃ー0└━━┛ 
三野一一一┘0ーーーー┏━━┐ーーー┌━━┛ーーーー2└一一吉野
ーーーーーーーーーーー┃ーー|ーーー|ーー| 
阿南FC━━━━┓3ー┃ーー|ーーー|ーー|ー1┏━プルミエール
ーーーーーーーー┗━━┛2ー|ーーー|ー2└━━┛
津田一一一一一一┘1ーーーー|ーーー|ーーーー0└一一一一一藍住
ーーーーーーーーーーーーーー├一一一┤
リベリモ━━━━┓3ーーーー|ーーー|ーーーー3┏━━━━鳴門ニ
ーーーーーーーー┗━━┐0ー|ーーー|ー0┌━━┛
池田一一一┐2ー│ーー├ーー|ーーー|ーー|ーー|ー0┌一一富田
ーーーーー┏━━┘0ー|ーー|ーーー|ーー|ー0└━━┓
阿南━━━┛2PKーー┏━━┘ーーー└━━┓ーーーー2┗━━徳島
ーーーーーーーーーPK┃ーーーーーーーーー┃ーPK
V吉野川━━━━┓1ー┃ーーーーーーーーー┃ー0┏━━━━鴨島一
ーーーーーーーー┗━━┛1ーーーーーーー3┗━━┛
北島一一一一一一┘1ーーーーーーーーーーーーー0└一一一一羽ノ浦


【予選リーグ】2月2、3日。2月23、24日
順位は勝ち点、得失点差で決定

【グループA】4位まで決勝トーナメント進出
1位、井川中4勝1分
2位、リベリモA3勝1分1敗
3位、阿南FC1勝4分
4位、羽ノ浦中1勝1分3敗
5位、鳴門一中0勝3分2敗
6位、城西中A0勝2分3敗

【グループB】4位まで決勝トーナメント進出
1位、徳島VJY4勝1分
2位、鳴門ニ中3勝1分1敗
3位、プルミエール2勝1分2敗
4位、北島中2勝1分2敗
5位、川内中2勝3敗
6位、南部中0勝5敗

【グループC】2位まで決勝トーナメント進出
1位、鴨島一中4勝
2位、津田中2勝1分1敗
3位、リベリモB1勝1分2敗
4位、上板中2勝1分2敗
5位、川内中0勝4敗

【グループD】2位まで決勝トーナメント進出
1位、ヴォルティス吉野川4勝1分
2位、藍住中2勝3分
3位、美馬中3勝2敗
4位、山川中2勝1分2敗
5位、城ノ内中1勝1分3敗
6位、アレックス0勝5敗

【グループE】2位まで決勝トーナメント進出
1位、三野中7勝
2位、松茂中6勝1敗
3位、三好中5勝2敗
4位、貞光・半田中4勝3敗
5位、川島中2勝1分4敗
6位、阿波中1勝1分5敗
7位、海南中0勝7敗

【グループF】2位まで決勝トーナメント進出
1位、徳島中6勝
2位、阿南中3勝1分2敗
3位、那賀川中3勝1分2敗
4位、城西中B2勝2分2敗
5位、城東中2勝1分3敗
6位、国府中0勝3分3敗
7位、上八万中1勝5敗

【グループG】2位まで決勝トーナメント進出
1位、吉野中5勝1敗
2位、藍住東中4勝1分1敗
3位、三加茂中3勝2分1敗
4位、大麻中3勝2分1敗
5位、八万中0勝3分3敗
6位、鴨島東中1勝1分4敗
7位、阿南ニ中1勝5敗

【グループH】2位まで決勝トーナメント進出
1位、池田中6勝1分
2位、富田中6勝1分
3位、石井中5勝2敗
4位、坂野中3勝1分3敗
5位、小松島中3勝4敗
6位、日和佐中1勝1分5敗
7位、加茂名中0勝2分5敗
8位、勝浦中0勝2分5敗
2008/02/28のBlog
太陽系に「惑星X」の可能性 神戸大など計算

これは、神戸大学惑星科学研究センターの向井正教授とパトリック・リカフィカ特別研究員が、「エッジワース・カイパーベルト」と呼ばれる氷の小天体群でできた帯の軌道の乱れから「太陽系の外縁に、地球とほぼ同じ大きさの”惑星X”が存在する可能性」を証明したというもの。

太陽系の外縁部には、「エッジワース・カイパーベルト」と呼ばれる氷の小天体群でできた帯がある。この小天体群は、太陽から50天文単位(1天文単位=地球と太陽の平均距離=約1億5000万キロ)を超えるとまばらになり、軌道が細長い楕円(だえん)形にゆがむが、その理由の説明がつかなかった。

この問題を説明するために、「”惑星X”が帯の外側にあった小天体をはじきとばし、重力で軌道をゆがめている」と仮定し、コンピューターで数値計算したところ、「太陽から20天文単位ほど離れたところで生まれた惑星Xが、太陽系形成初期の約1億年で80一175天文単位離れた軌道上に移動した」と考えると、つじつまが合ったという。

ちなみに太陽系の外側には「オールト雲」と呼ばれる小惑星帯もあると考えられているが、これはエッジワース・カイパーベルトよりはるかに大きな軌道のものである。だいたい太陽から1万天文単位から10万天文単位の距離にあるものとされている。

さて、現在の太陽系の問題でまだ良く分かっていないものには次のものがある。

(あ)小惑星帯の起源
(い)エッジワース・カイパーベルトやオールト雲などの起源
(う)天王星や海王星の地軸の極端な傾きの起源
(え)冥王星の軌道や地軸の極端な傾きの起源
(お)ほとんどの彗星の公転方向が惑星の公転と逆方向が多いという理由
(か)”惑星X”が存在するか否か

今回の研究は、この(い)の問題を地球型の”惑星X”の存在とその影響によって説明しようと試みたものである。つまり、(い)と(か)を結び付けて論じたものである。

しかし、実はもっとずっと以前、1970年代にそれをもっともっと合理的に説明したものが、ゼカリア・シッチン博士の説であった。

シッチン博士は、考古学者で古代シュメール語の専門家である。比較的最近になって中東で発見された数多くの「粘土板」を読み解くうちに、もっとも合理的な説明は「古代シュメール人は太陽系の起源を神話の形で粘土板に記録した。その知識はニビル星から来た宇宙人によって地球人にもたらされた」というものである。(「ネフィリムとアヌンナキ人類(ホモ・サピエンス)を創成した宇宙人」参照)

3年ほど前に私がここで「火星に”隕鉄”の発見」の中で

”実は、現在火星と木星の間に小惑星帯という小惑星(アステロイド)の固まりが無数に散らばって、あたかも太陽の”輪”のようになっている部分がある。この小惑星帯ができた理由の1つに、いわゆる”衝突する宇宙”という考え方の基となった説がある。これは、太陽系の外から大きな隕石が飛んできて、それが火星の外にあったもう一つの地球型惑星と衝突し、木っ端みじんとなって破壊された。そして大半が小惑星帯となり、その一部が各惑星に捕われて現在の地球の”月”などの衛星となったのである、という説である。”

とこう書いていたが、超古代シュメールの粘土板から読み取ったシッチン博士の説はこれに非常に似ている。そればかりか、もっともっとさもありなんと思わせるものである。

シッチン博士の説とはだいたい以下のものである。

太陽系には、我々の知る9個の惑星(水金地火木土天海冥)の他にもう1つあり、古代シュメール人はそれを惑星「ニビル」と呼んだ(もちろん、シッチン博士は冥王星は小さく軌道が異常であることが重要と考えている。これは最近その異常な性格から小惑星に格下げした科学者たちとは異なる)。

太陽系ができて間も無い頃にはまだ「地球」は存在せず、その代わりに火星の外の今の小惑星帯のある場所に「ティアマト」と呼ばれた惑星があった。このティアマトにはいくつかの衛星があり、その中の最大のものは「キング」と呼ばれた。

ある時、外宇宙から「ニビル」が太陽系に近付いて来た。この惑星「ニビル」は地球型の”水惑星”でかなり大きく衛星をたくさん持っていた。「ニビル」は外側の惑星から重力の影響を受け、太陽系に侵入した。しかし、「ニビル」の公転方向は太陽系の惑星の公転方向とは全く逆であった。

外側の海王星と天王星がまっ先に「ニビル」の影響を受けた。当時まだ冥王星は惑星ではなく、海王星の衛星であった。しかし、「ニビル」との衝突のような大接近で重力ですっ飛ばされて現在のような異常な公転軌道を持つ惑星となった。また海王星も天王星も自転の地軸が大きく影響を受けて傾いた。

「ニビル」はさらに内側に侵入し、ついに最大の地球型惑星であった「ティアマト」と壮絶な正面衝突をした。この時、「ニビル」は直接衝突はせず、「ニビル」の衛星たちが「ティアマト」とその衛星たちにぶつかった。

「ティアマト」は半分に分断された。1つは火星の内側に取り残され、「地球」となった。「ティアマト」最大の衛星「キング」は、「地球」に捕獲され「月」となった。そして破片の数々や宇宙空間にまかれた水は氷やチリの小天体群となり、「小惑星帯」となった。「ティアマト」の破片のもう1つは、「ニビル」と共に外宇宙へと飛び去り、「カイパーベルト」や「オールト雲」の基となった。

したがって、「ニビル」と同じく、この小天体群は公転軌道が太陽系の惑星とは逆転している。それゆえ、ここからやってくる彗星たちは、これまた公転軌道方向が惑星とは逆となる。

惑星「ニビル」は「ティアマト」を粉砕した後、再び外宇宙へと旅立ったが、衝突のおかげで太陽系の「惑星」となった。公転周期は3600年であった。

惑星「ニビル」と惑星「地球」は、ともに水惑星であり、衝突のおかげで、同じ「生命の種」(共に地球型生命体が発生した)を得た。しかし、軌道と公転周期が極めて異なるために、生命の進化が異なった。「ニビル」の生命は極めて長寿命の地球型人類を生み出したが、地球型生命は短寿命の生命へと進化した。

この後の話は、「”ネフィリムとアヌンナキ”の子孫たち:血は争えない 」に書いたように、約43万年前に地球に降臨し、後々まで地球に居続け、「シュメールの神々」となった。そして聖書の時代が最後の降臨であったが、もう直再び降臨する。やってくる方向はオリオン座の方向から。この方向から”惑星X”こと惑星「ニビル」が大接近する。

とまあ、こんな説である。

今回の研究はシッチンの話と非常に似ていることが分かるだろう。仮説の”惑星X”の公転周期が1000年。カイパーベルトの周辺を移動するからである。しかし、シッチン博士が解読した古代シュメール人のこの神話と比べたら、まだまだである。

古代シュメール人、恐るべし。

太陽系の起源をこれほどまでに見通した人類は彼等をおいて他にないからだ。

今後のさらなる研究を待ちたい。

参考:
”3つの世界戦争とニビル星人降臨”
「パンスペルミア」の”呪い”:地球外生命飛来説
”イトカワ”探査機はやぶさの発見
太陽こそ、我々”中年”の星
太陽系の第10惑星発見!
「ディープインパクト」、その影の目的とは?
太陽系で3番目の生きた衛星エンケラドス
火星に”隕鉄”の発見
土星最大の衛星タイタンに氷
2008/02/25のBlog
サッカー東アジア女子、日本が中国破り国際大会初優勝
なでしこ果敢、連動し中国圧倒 公式大会初タイトル

なでしこジャパンがついにやった。東アジア杯初優勝。そのチームを率いたのが佐々木監督。「佐々木監督語録」を紹介させてもらおう。


北京五輪のメダル獲得を目標にして

佐々木監督:「組織で連動して戦う」

沢の、相手の球を奪う能力に注目。あえて中盤の下がり目に置いた。

佐々木監督:「球を多く奪えば、攻撃の機会が増えるから」。

その沢はこの日も2点目にからんだ。

沢:「球の奪いどころ、コースの限定が佐々木監督になってはっきりした。選手は全員でそれを意識し、表現すればいい」。

この日のハーフタイムで
 
佐々木監督:「5人残って守ろうなんてやめろよ。でも3人は残っとけ」

佐々木監督の言葉で選手は笑いの渦に包まれた。

佐々木監督:「一度は笑わそうとしてるんですよ」

関係者:「以前のピリピリしていた雰囲気が和んで、若い選手がなじめるようになった」

なるほど、これでこのところの「なでしこジャパン」の選手たちが明るく、実にのびのびしている理由が良く分かった。要するに、”良い監督”に巡り合えたということである。


それと比べると、岡田監督は”暗い”。岡田ジャパンも暗い。好対照である。もちろん、結果も好対照。

佐々木監督のような人物が男子サッカーも率いてくれると良いのだが。

それにしても、岡田ジャパンは「オシム・ジャパンを引き継ぐ」と言って始まったのだが、今回の東アジア杯を見る限りまったく別チームのようになってしまった。選手たちはそれほど変わっていないのだが、やはり指揮官の”センス”が違えば、選手の価値観も変わる。結果としてチームカラーは180度変化する。同じプレーに対して、オシム監督なら”激怒する”場面でも、岡田監督なら「それでいいぞ」となれば、選手はまったく正反対の動きをするようになる。

例えば、オシム監督流の”走るサッカー”の「回りがまず走り出してからパスを出す」というやり方が、岡田監督流の「とにかく前のフリースペースに蹴ってから走れ」というやり方に変われば、チームとしては別物となるからである。

おそらく、この短い期間にそうした180度異なる監督の反応を見ているうちに選手たちはまったく別チームへと変ぼうしたように見える。これに応じて、岡田流サッカーに合う選手たちが起用され、巻などオシム流サッカーの選手たちは徐々に敬遠されるようになる。そうやってまた「つまらない岡田サッカー」の世界へと近付いていく。

その結果が、今回の東アジア選手権の結果というわけである。

昨年、「”なでしこジャパン”の強さの秘密?」で私はこう書いていた。

『要するに、一言で言えば、現在では、身体能力の男女差は別として、”サッカーの質”、”サッカーのレベル”で言えば、女子サッカーの方が上ではないのか、ということなのである。

そこで問題は、

この差がどこから生まれているのか?

ということである。

指導者の差なのか。あるいは、指導法の差なのか。あるいは、サッカーの教育システムに何か違いがあるのか。あるいは、日本女性に何か特有のものがあるのか。

果たして何が理由でこういう現象が起きているのだろうか。

こういう問題があるのである。

今や、一昔前と違って、「女子サッカー」といって馬鹿にできない。技術的にも、体力的にも、肉体的にも、女子サッカーは非常に進歩している。

私が言っていることを証明したければ、一度、オシム・ジャパンVSなでしこジャパンで試合をしてみたらいいと思う。

おそらく、あなたは、日本女子サッカーがこれほどうまいと知って、非常に驚くだろう。衝撃を受けるに違いない。』

ここで提案しておいたように、一度、岡田ジャパンとなでしこジャパンで練習試合をしてみると良いと思う。お互いに非常に良い勉強となるだろう。

心から”なでしこジャパン”におめでとうと言いたい。

参考:
サムライジャパンvsなでしこジャパン:どっちが強い?
”なでしこジャパン”男子サッカーの先を行く?
世の中の仕組というのは、面白いもので、自分が子供時代や学生時代には分からなかったことが、自分の子供の世代を見て行く内におのずと明かとなってくる、というようなことがある。

我が家の長男も今高校受験のまっただ中にある。

私自身は、高校受験は特に困難だったという記憶がなく、塾や予備校に通うことなく、自分で適当に勉強して、ごく普通に当時山梨県の総合選抜方式の2校くじ引き分配に合格した。確か合格者415人中390番台だったと思う。大学入試では結構苦労したが、それも特に塾へも予備校へも一度も通うことなく、大学進学し、大学院へも進学した。

だから、わが子たちにも、当然、

「勉強とは自分でやってみてダメならダメ。自分に合った道に進め」

と言って来た。

「塾や予備校に通ってまで高校や大学へ進学しようとするのは邪道。将来的に見て本人にとって特に良いことはなく、長い目で見れば、そうやって進学した人たちが日本の重要な仕事を奪い取るために、国がだめになる」

と一見かなり突き放した観点で自分の子供の教育を見てきた。

そういう目で我が子やそのサッカー部仲間やその友人たちの入試動向を見ていると、実に考えさせられる問題が散見できるから面白い。

子供がサッカーなどをやっていると、スポーツ音痴の子やとてもスポーツで活躍できるほどの頭脳を持ち合わせていないという子供と出会うことになる。

例えば、スポーツ選手として活躍している子が必ずしも学業成績が良いということはないが、やはりスポーツでそれなりに活躍するにはそれなりの頭脳が必要である。一方で、まったくのスポーツ音痴であったり、サッカー選手として不向きであったり、そればかりか、この子はあまり頭の出来がよろしくないな、とだれにも明らかな子供が意外に学業成績が良かったりする。子供達もお互いにそういうことはすぐに分かるようになる。

面白いことに、後者である、あまり頭の出来が良くないのに勉強が出来るが、その反面スポーツはそこそこという子に学校の先生の子女であるというようなことが結構あるのだ。

それで、

どうしてそんなことがあり得るのか? 

と観察していると、どうやらそれは、ここ阿南のような人口5万人程度の田舎町でも学校の先生達が率先して”自分の子供だけは”とその地方で評判の塾に通わせているからであるということが分かった。地方には有名私立学校のようなものは存在しないから、学校の先生というのは、いわゆる「公立学校」の先生たちのことである。こういう公立学校の現職の先生達が率先して自分の子弟を塾に通わせるのである。

どうやら、「なぜ我々がかつて見た40年前に関東で流行り始めた塾や予備校が、日本のどんな田舎でも見事なまでに40年の時を隔てて同じような発展形態を見せるのか?」と疑問に思っていると、何のことはない。それは、単に学校の先生たち自らが、地方で塾産業や予備校産業を流行らせて来たというわけである。

私の個人的見方からすれば、子供が何でも自分でやり遂げることのできる優秀な学者に育つかどうかと考えた時、塾や予備校に行ってだれかの指導をしてもらわなくては大学に入れない人物が、果たしてそういう人物に育つとは期待できないと考える。だから、むしろ、塾や予備校通いは、優秀な人物にとっては、スポーツで言えば「ドーピング」に匹敵するものであり、言わば一種の「脳ドーピング」のようなものだろうと私は感じるのである。

昔、拙著(「何が科学をつぶすのか?」)にも書いたことがあるが、問題を万遍なくつつき80点を取る秀才君と、50%の問題しか手に付けないがすべて完璧な解答を出す50点の凡才君を比べた時、どちらが将来性があるかと見れば、私は後者であると考える。したがって、入試で同じ点数を取った2人の学生がいた時、片方は塾に通っていてもう片方は塾に通っていなかったとしたら、後者の方が将来性があると考えるのが自然だろう。

しかしながら、今の日本社会の”現実”とは、学校の先生たち自らが、そうした場合に前者の見かけの高得点者(問題を万遍なくつつき80点を取る秀才君)を優遇するという政策を取って来ているのである。

それゆえ、そういう自分達「先生族」の習性を毎日見ている先生たちは、自らの子供については「背に腹は変えられず」自分の子供達を塾通いさせて好成績を収めれば良いという風潮を生み出す結果となっているというわけである。

また、地方で高所得者と言えば、地方公務員であり、公立学校の先生たちはみなそれなりの地方高所得者たちである(地方財政がいくら破たんしようがそんなことはお構いない。親方日の丸である)。それゆえ、自分の子供達を塾や予備校に通わせるに足る十二分のお金はある。銭にいとめはつけない。我が息子や娘の一大事ならば、いくらでも金かけても進学させるということとなる。

ここには、「”教育の理想”糞くらえ」、「公教育の理想、そんなの関係ねー」、「他人の子の教育?そんなことよりは我が子の教育が優先」という精神しか見えない。が、それがどうやら学校の先生たちの現実の姿である。

とまあ、そういうことが多少なりとも見えて来た、ということである。

まあ、関東では1960年代にこういう時代精神が発達し、それから40年以上経った現在、今や完全に「格差社会」となったわけである。だから、これから10年20年経つうちに、四国の田舎の町も40年前の関東のレベルに近付くことは必須だろう。

ここ阿南市の公立高校の入試には前期と後期があり、前期は英数2教科と作文の成績順、後期は先生たちが調整した後、主要5教科の成績で合否が決まる。英数2教科と作文には”特徴的な癖”(傾向)がある。しかし、それは学校教育では習わない。したがって、前期で合格するためには、塾へ通ったものが有利とされている(先生たちが自らそう言って進路指導している)。

果たして前期の合格結果はどうだったか?

というと、やはり塾へ行って十分に準備したものだけが合格したようである。ことごとく、近辺の有名塾通いの子供たちだけが合格した。もちろん、大半の学校の先生たちの子供はこの中に入っている。

子供の”本来の将来性”も見ない。子供の”真の適性”も見ない。単に枠の中にへたくそな字で書き込まれた”結果”しか見ないという教育に将来はない。

がしかし、悲しいことにこういうことをやっているのが他ならぬ学校の先生たちなのである(もちろん、大学の先生たちも同じことだヨ)。そういうことは頭に入れておいた方が好いナ。

まあ、憤慨してみたところで、どうしようもないのだがネ。
2008年徳島県高校サッカー新人戦。決勝

【2008年徳島県新人戦】

【決勝】2月23日(土)
鳴門1一0(0一0:1一0)徳島市立

徳島新聞記事によれば、”春一番”の強風の中の試合。
風上の時の攻撃の善し悪しが試合を決めたようだ。

一般に、「風下はゴロでサイド攻撃、風上は中央突破でロングシュート狙い」が鉄則である。

なぜなら、風下に立ち、風上に向かって攻撃する場合は、浮いたボールは全部押し戻され、自分の陣地から出ることすら難しくなる。だから、ゴロでサイドから責め上がれば、中央から突破される危険も避けることができる。そして、サイドからセンタリングをすると、今度は風が味方となり、キーパーから逃げるボールが味方に行くようになり、良いボールがセンタリングできるからである。

一方、風上に立ち、風下に向かって攻撃する場合は、ボールは風に流されてしまい、サイドへ展開するボールもウィングの選手が追いつけない状態になる。だからきれいなサイド攻撃は難しい。それよりは、中央をゴロで繋ぎ、チャンスとあればロングシュートをすると、ボールが風に乗り、キーパーの上を超えてゴールしやすくなるからである。

こんなわけで、私のこれまでの経験では、この鉄則が生きていると信じている。

しかしながら、監督やコーチ、選手達もなかなかこういうことを知らず、むやみやたらといつもと同じことをしたがる。こうして、その時々の風の都合に赴くまま、偶然に左右されて試合が決まってしまうのである。

”天候や状況に応じて自ら試合をコントロールすること”

これができないのが、現時点での「徳島サッカーの弱点」というところだろう。まあ、日本代表にも同じことが言えるが。

いずれにせよ、関係者の皆さん、御苦労さまでした。来年を期待したい。
2008/02/23のBlog
学者という生き物には1つ典型的な特徴がある。

学者はふだんからあまりに物事を解きあかしたい、あるいは、早く世界を理解し尽くしたいという欲望が強い。ところが、それは簡単にできるものではない。往々にして大半の学者は自分が若かりし日に思い描いた夢のほとんどが出来ずに終わる。それが「少年老いやすく学成り難し」という意味である。

そのせいか、自分が晩年になると、それが達成できずに世を去らなくてはならないという口惜しさからか、焦ってしまう。それが裏目に出て、この世界を斜に構えて見てしまうという傾向がある。その結果、もうすぐ地球は滅びるとか、物理は終わるとか、なにやら物騒で否定的な価値観を持ってしまう。そんな特徴がある。

これと似て、政治家という生き物にも1つの典型的な特徴がある。

政治家は自分の属する政党が政権を取り、自分がその長となって総理大臣になることが究極の夢である。野心というものの最終目的をここにとる。ところが、それは簡単にできるものではない。往々にして大半の政治家は自分の所属する政党が政権をとることなど出来ずに終わる。

そのせいか、自分が年取ってくると、それが達成できずに世を去らなくてはならないという口惜しさからか、やはり焦ってしまう。それが裏目に出て、できる限り素早く政権を奪おうと政治を政権交代の道具に見てしまうという傾向がある。その結果、もうすぐ日本は滅ぶとか、与党の時代は終わるとか、なにやら物騒で否定的な価値観を持ってしまう。そんな特徴がある。

その昔、「末は博士が大臣か」と言われたらしいが、こんなところにも両者に共通項がある。共有する心理状態がある。しかし、学者と政治家にはもっと別の、もっともっと大事な共通項が存在する。それは、「人の為になる」ということである。これを忘れてもらっては困る。

宮本武蔵の「五輪書」には驚くべき武蔵の洞察の数々がある。中でも私がたいした奴だと思うのは、「本筋を大筋として忘れず何ごとも臨機応変に対処することがすべてだ」と繰り替えし強調している点である。

”構えは中段の構えが基本。だが、剣の本道は人を切ることである。だから、すべては如何に切るかを優先して、構えに捕われてはならない。”

というようなことをしつこくくり返している。

一見相矛盾して聞こえることだが、道具はその目的のためにあり、道具のために目的があるのではない。本末転倒になった時、己は他人に切られる。

これが宮本武蔵の極意である。

学者や政治家とて同じこと。本筋は本筋。それを成就するためにすべての手段や道具がある。人を豊かにすること、幸せにすることが、学問や科学の目的である。そのために大学があり、研究所があり、研究室があり、教育システムがある。この逆ではない。したがって、武蔵流に言えば、こうなる。

”高等教育システムは基本である。だが、学問の本道は人を豊かに幸せにすることである。だからすべては如何にこれを実現するかを優先して、システムに捕われてはならない。”

政治家にも同じように適用可能である。これは皆さんへの宿題としよう。