Blog
2008/05/19のBlog
[ 10:25 ]
[ 地震・災害 ]
ジュセリーノのような何かが起こった後の”事後報告”の予言では、あまりインパクトはないだろうが、5月11日の夕方、西空に広がる非常に細長い”地震雲”(波状雲も重なっていた)のようなものに私と妻が気付いた。そこで、「地震雲だといけないから、一応撮っておくか」と私が撮影したのがこの写真だった。
その時は、ひょっとすれば日本国内でまた巨大地震があるとまずいなと思っていたが、この雲の先の方の先端がどこかまでは気にしていなかった。あまりに長過ぎていったいどこで切れるのか見当も付かなかったからだ。
ところが、その翌日だったか、御存じのように中国内陸部で巨大地震が起こったわけだ。
地震雲研究者にもいろいろあるが、雲を研究している人たちは、地震雲の形状(長さや形や位置)、あるいは放射状の地震雲の中心などを気にしている。地震雲の先の方に地震が起こる地域があるというのだ。
今回の雲は、確かに西方の遠くを指していた。
お亡くなりになった人々や家族にはかける言葉もないが、地震雲であれ、ヒキガエルの異常行動であれ、何であれ、いろんなことを気に留めて置くべきだろう。たとえそれが一見非科学的なことであれ、それで少しでも命が救われるのならその方が良いからだ。
亡くなった方々の冥福を祈りたい。
ちなみに、このブログ内検索に「地震雲」と入れたらいろいろ以前の記事が出てくるはずである。
その時は、ひょっとすれば日本国内でまた巨大地震があるとまずいなと思っていたが、この雲の先の方の先端がどこかまでは気にしていなかった。あまりに長過ぎていったいどこで切れるのか見当も付かなかったからだ。
ところが、その翌日だったか、御存じのように中国内陸部で巨大地震が起こったわけだ。
地震雲研究者にもいろいろあるが、雲を研究している人たちは、地震雲の形状(長さや形や位置)、あるいは放射状の地震雲の中心などを気にしている。地震雲の先の方に地震が起こる地域があるというのだ。
今回の雲は、確かに西方の遠くを指していた。
お亡くなりになった人々や家族にはかける言葉もないが、地震雲であれ、ヒキガエルの異常行動であれ、何であれ、いろんなことを気に留めて置くべきだろう。たとえそれが一見非科学的なことであれ、それで少しでも命が救われるのならその方が良いからだ。
亡くなった方々の冥福を祈りたい。
ちなみに、このブログ内検索に「地震雲」と入れたらいろいろ以前の記事が出てくるはずである。
2008/05/13のBlog
[ 15:57 ]
[ 徳島 ]
2008年度第15回全国クラブ選手権県予選のトーナメントが5月4日に開幕した。
【1回戦】4日。吉野川運動場
レッドサンズ1一1(PK4一3)EURO
FCZIEL3一0白虎隊
蹴友会2一0リッチde赤貝
カンピオーネ6一0阿南クラブ
セレステ4一0パルティーノ
N・J1一1(PK3一2)ケントス
FCnaruto1一1(PK6一5)イエローモンキーズ
リベルテ阿波0一0(PK4一3)石井
【2回戦】11日。吉野川南岸運動場
レッドサンズ2一0FCZIEL
蹴友会4一0カンピオーネ
セレステ1一0N・J
FCnaruto2一1リベルテ阿波
【1回戦】4日。吉野川運動場
レッドサンズ1一1(PK4一3)EURO
FCZIEL3一0白虎隊
蹴友会2一0リッチde赤貝
カンピオーネ6一0阿南クラブ
セレステ4一0パルティーノ
N・J1一1(PK3一2)ケントス
FCnaruto1一1(PK6一5)イエローモンキーズ
リベルテ阿波0一0(PK4一3)石井
【2回戦】11日。吉野川南岸運動場
レッドサンズ2一0FCZIEL
蹴友会4一0カンピオーネ
セレステ1一0N・J
FCnaruto2一1リベルテ阿波
[ 11:50 ]
[ 高校サッカー ]
小学校時代から選抜されてヴォルティスジュニア(U12)に入り、中学(U15)高校(U18)とサッカーをやってきたヴォルティスユースの選手たち。ここ最近、彼らヴォルティスのユース世代が”伸び悩んでいる”ように見える。
私が阿南高専の選手の指導を開始した2004年の冬、 いくらうまい選手が集められていたとはいえそれまで何の実績のないヴォルティスユースは初めてTリーグの一番下のレベルのT3に参加した。
連戦連勝であっという間に、阿南高専のいたT2に駆け上がり、阿南高専を5一0で一蹴(私が指導することになった時はちょっと遅く、この試合の次の試合からだった)。2005年にはT2優勝、T1に昇格。そして確か2006年にはT1優勝して四国プリンスリーグに昇格した。
それから、ずっとしばらくは高校チームを押さえてダントツの強さでプリンスに残留し、高校とクラブの最強チームを決めるU18高円宮杯でも圧倒的な力の差を見せつけて徳島代表、四国代表となった。
しかし、ここ最近、どういうわけか、中学レベルのU15高円宮杯などでも公立中学校の井川中に負け、創立2年の阿南FCに負け、高校レベルのU18でも徳島商業に負けるという状況が続いている。また、U18高円宮杯に出場しても予選リーグ3連敗で敗退。高校トップチームが全国大会でことごとく初戦敗退をくり返しているのと同じような状況となっている。
私は、U15ヴォルティスユースの”負け試合”を直接見たというわけではないが、1試合だけ”勝った試合”を見たことがある。そこで感じたことは、やはり「今のクラブユースの選抜法や指導法にはかなり問題が潜んでいる」ということである。
「2008年度天皇杯県予選:準決勝、決勝」に
『「人間の成長」というものほど不思議なものは無く、小学生の時うまかったからといってワールドクラスに育つかといえばそういうことはない。むしろほとんどの場合、高校過ぎた頃から本当の才能の片鱗が開花するものである。ベッカムやクリスチャン・ロナウドなどはむしろ例外中の例外であり、ほとんどの好選手は、中村俊輔や中沢や中村憲剛選手のようにかなり後半になって急激に伸びてくるものなのである。(この問題についてはまた後々分析するつもりだ)。』
と書いたように、子供の成長ほど予想しがたく、一長一短のものはない。
小学校時代から有名選手でヴォルティスユースに鳴り物入りで入った選手がその後何が原因か知らないが、”札付きの不良少年”になって辞めてしまったということも少年たちの間では格好の話題となっている。現在では2番手だった選手がその子の代わりにトップ選手になっているとかいないとか。
故柘植先生が一生涯強調して主張し続けたことに
「小学生相撲の横綱が大相撲の横綱になることはない」
という事実がある。いくら”子供の頃の逸材”でもそれは所詮”子供時代のお話”に過ぎない。
日本人のように、ドゥンガのいうように「日本人特有のメンタリティー」を持つ日本人の親の場合、自分の子供が幼少から比較的身体が大きく、子供時代を優秀選手として活躍すると、どうしても親御さんの方が有頂天となり浮き足立つ。こういう際立った特徴が日本人には存在する。
そこで、もし自分の子供がヴォルティスジュニアの選手に選ばれたり、子供相撲の横綱になったりすると、大喜びして自分の息子は特別だと錯覚するのである(もちろん、これとまったく同じようなことが勉強にも言え、自分の子供の学校の成績が良いと自分の子供は天才だと早合点してしまう)。
しかし、これは大きな間違いである。
私はここ13年ほど徳島のサッカーシーンを見て来ているが、そしてその間自分の息子のいた小学校中学校そして阿南高専の学生や徳大の大学生、そしてヴォルティスの選手などを見て来たが、これまで誰ひとりとして私よりうまい選手に出会ったことがない。「こいつは俺よりうまい」というサッカー選手を一度も見たことがない。
もちろん、私は今は本格的なトレーニングはしていないから、現役のサッカー選手たちには体力的に引けをとる部分はある。しかし、リフティング、ドリブル、キック、サッカー戦術眼、知識、などを含めて、さらには私の現役時代に私自身が出来たことと比べてもそれを上回る選手はどこにもいなかったのである。
私はかつて関西遠征で天理大サッカー部と練習試合をしたが、試合開始のキックオフから1人で全員を中央突破で抜き去ってシュートして得点したことがある。千葉大学リーグでは5人抜き、練習試合では7人抜きもあった。今でもすぐに1000回程度のリフティングはできるし、キックも私の息子たちよりはるかに精度がありうまい。私の得意技の1つはゴルフでいうフェードボール、アウトサイドで蹴るロングキックである。
こういう正確なキックや足首をしっかり固定した正確無比のシュートのできる高校生は見たことがない。ましてや我々が高校生の頃、週2回は20kmマラソンに出ていたが、ここ徳島では数キロでもダウンである。
こういうわけで、体力的にも技術的にも我々の高校生時代からかなり落ちていると私個人は考えている。
しかし、ヴォルティスが出来て以来、どうも徳島サッカー関係者は何か大きな勘違いや誤解をしているようで、J2リーグのチームが徳島に出来たからまるで徳島サッカーのレベルが上がったかのように錯覚してしまったわけだ。ここに今の徳島サッカーの低迷の一番の理由があるのである。
もう少しより具体的な話をしよう。
では、なぜヴォルティスユースが勝てないのか?
その答えは、実にたわい無いことである。「全力プレーを知らない」からだ。
現在のヴォルティスジュニアやユースの選抜方式では、小学生時代から選抜テストをしてそれに合格した選手だけを入団させる。つまり、各小学校のキャプテンクラスや一番うまい(つまり子供サッカーの横綱)を取る。
それゆえ、このチームはどこのチームとやっても勝つのは当たり前だ。なぜなら自分の通っている小学校とも戦うが、そこの優秀選手は全部自分がいるヴォルティスに引き抜かれているからだ。どの小学校でも状況はいっしょ。これではヴォルティスの有利は変わらない。せいぜい別のクラブチーム、例えば、リベルモとかプルミエールとかが良い勝負になる程度だが、ここでも一番うまい子供サッカー選手はヴォルティスに取られるからだ。
では、いつどことやっても勝つのは当たり前となった状況で、ヴォルティスの選手は”本気になって””死にものぐるい”で試合をするか?
といえば、そんなはずはない。そんなにむきにならなくても適当にやれば、まるでネコがネズミをいたぶり殺すようにして相手をやっつけることができる。どの選手も適当にやっても勝てるのである。
これが、子供相撲の横綱、子供柔道のチャンピオン、子供サッカーの強豪などに”共通する問題”なのである。要するに、「他の子供と比べて比較的早熟の子供が有利となってしまう」、ということである。他の子供と比べて早い時期に大柄な選手は楽に試合に勝てるのである。相手が子供だからだ。
しかしかといって、所詮は子供の遊び、子供のすることだ。いくら子供横綱でも本当の横綱にはなれない。子供柔道チャンピオンも大人とやれば負ける。子供サッカーは所詮中学生や高校生には負ける。要するに、子供時代にうまくても現実は厳しく大人には通用しない。ヴォルティスの選手でも所詮大人には太刀打ちできない。
つまり、大人になって世界で通用する選手は他にいるということである。子供サッカーでいくらうまくてもだめなのだ。回りが基礎もへったくれもない世界でいくら勝ったところでそんなものは何の参考にもならないということだ。つまり、子供の中でいくらうまい選手を選んだところで、それは子供の中のお話に過ぎず、本当にうまい選手はもっと大人に近付いて生まれてくるということである。だから、小学生や中学生の「今うまいかどうかではなく、将来うまくなるかどうか」を見て選べということだ。つまり、”将来性”を見抜いて選抜できるかどうかということである。
さすがに、欧州のトッププロチームはそういうことをよーく理解してる。だから、例えば、バルセロナなどでは、「いつも目をつけている選手は数千人レベルである」と言われている。一応今のクラブのメンバーを25人ほどにしているが、どんどんメンバーを入れ替える。突然ある年齢で急激に伸びて来た選手をいつでもメンバーに入れる機会を設けているのである。
ところが、日本のジュニアやユースはこういうことはしない。むしろ、子供時代に頭角を表わした逸材としてそれ以後ずっとエリートサッカー選手として居座り続ける(つまり、選ばれ続ける)のである。
これが”大きな間違いだ”と私は言っているのである。
私自身本当にサッカーの才能が開花したのは、高校に入ってからである。特に高校の終盤の高2の終わり頃であった。しかし、高3にはまったくひと皮向けた。そして大学1年ではもはやその差は歴然とした。なぜならそれまでの技術に加えて身体能力が加わったからだ。この頃には極端に言えば、1人で90分間ずっとボールキープできたのである。それほど伸びるのである。それもそのはずで、高校大学と強豪校ではなく、回りがふがいないから、自分が頑張るしかなかったからだ。
ところが、ヴォルティスの選手は、回り中他と比べたらうまい選手ばかりである。いつも自分の持ってる力の50%も出せば、11人の50%でも相手チームのうまい1、2人の120%の力に頼るチームに勝てるようになってしまうからである。要するに、全力疾走しなくても、死にものぐるいでやらなくても、必死で集中しなくても、県内のどのチームにも勝ってしまうのである。
それと比べたら、弱小チームにいる選手たちは大変だ。いつも自分の実力以上の力を出さない限り勝てない。いつも必死でプレーしなくてはならない。特に、そういう弱小チームにいるエースはたいへんだ。150%の力を出さなくてはならない。いつもハンデキャップ付きの試合をしているようなものだからだ。
こういう状況でいつも”全力プレー”要求され、いつも必死の形相で走り回ってきた選手たちが、ヴォルティスの次のレベルとヴォルティスや徳島サッカー協会のお偉方から目される徳島商業などの高校サッカー部に入る。
この差が、日本全国で今出ているのだ。高校サッカー部の選手はいつも有名クラブからはぐれ、その中で必死で走り回った選手たち。方や有名クラブユースは、未だかつて一度も全力で死にものぐるいで走り回ったことがないというエリート選手たち。
こんなやつらが世界レベルで勝てるか?
そんなに世の中は甘くない。走らない選手はいらないとオシム監督が言ったように、必死で走らないサッカー選手は、世界レベルには届かないのである。
こんなわけで、ヴォルティスの選手はU12では勝てても、U15、そしてU18となるととたんに勝てなくなるのだ。
ところで、このヴォルティスユースとまったく逆を行っているチームがある。それが女子サッカーチームの「鳴門ポラリス」である。あるいは、なでしこジャパンである。(”なでしこジャパン”の強さの秘密? )
「鳴門ポラリス」のU15の選手は、自分の通う中学のサッカー部に所属することが義務付けられている。つまり、自分よりスピードや身体能力で勝る男子選手たちといっしょにプレーすることが義務付けられているのである。こうすることにより、女子サッカーだけの遅いスピードや弱い身体能力に慣れてしまうことを避けるのである。
今ヴォルティスの選手に求められているのはこういうことだ。自分より身体能力のあるサッカーチームに所属し、ハイレベルのチームに慣れることである。あるいは、弱小チームに所属させ、ハンデキャップのある状況でプレーさせるべきである。
さもなくば、小学生サッカーチャンピオンとしていつまでもあぐらをかいているうちに大人になって自分より下手だと思っていた選手に追い抜かれてしまうのである。そうして、それに耐えられないものはその憤りから不良の道に落ちる。悪循環である。
今セルティックの中村俊輔は横浜マリノスユースをくびになった選手、MVPの日本代表中沢はまったく無名の選手でヴェルディの自費練習生、日本代表の中村憲剛は大学から頭角を表わした選手。優秀選手の大半は大人になってから訓練し伸びた選手たちである。相撲の朝青龍なども例外ではない。
こういう現実が何を物語っているか、日本のサッカー協会や指導者たちは肝に命じるべきだろう。
私が阿南高専の選手の指導を開始した2004年の冬、 いくらうまい選手が集められていたとはいえそれまで何の実績のないヴォルティスユースは初めてTリーグの一番下のレベルのT3に参加した。
連戦連勝であっという間に、阿南高専のいたT2に駆け上がり、阿南高専を5一0で一蹴(私が指導することになった時はちょっと遅く、この試合の次の試合からだった)。2005年にはT2優勝、T1に昇格。そして確か2006年にはT1優勝して四国プリンスリーグに昇格した。
それから、ずっとしばらくは高校チームを押さえてダントツの強さでプリンスに残留し、高校とクラブの最強チームを決めるU18高円宮杯でも圧倒的な力の差を見せつけて徳島代表、四国代表となった。
しかし、ここ最近、どういうわけか、中学レベルのU15高円宮杯などでも公立中学校の井川中に負け、創立2年の阿南FCに負け、高校レベルのU18でも徳島商業に負けるという状況が続いている。また、U18高円宮杯に出場しても予選リーグ3連敗で敗退。高校トップチームが全国大会でことごとく初戦敗退をくり返しているのと同じような状況となっている。
私は、U15ヴォルティスユースの”負け試合”を直接見たというわけではないが、1試合だけ”勝った試合”を見たことがある。そこで感じたことは、やはり「今のクラブユースの選抜法や指導法にはかなり問題が潜んでいる」ということである。
「2008年度天皇杯県予選:準決勝、決勝」に
『「人間の成長」というものほど不思議なものは無く、小学生の時うまかったからといってワールドクラスに育つかといえばそういうことはない。むしろほとんどの場合、高校過ぎた頃から本当の才能の片鱗が開花するものである。ベッカムやクリスチャン・ロナウドなどはむしろ例外中の例外であり、ほとんどの好選手は、中村俊輔や中沢や中村憲剛選手のようにかなり後半になって急激に伸びてくるものなのである。(この問題についてはまた後々分析するつもりだ)。』
と書いたように、子供の成長ほど予想しがたく、一長一短のものはない。
小学校時代から有名選手でヴォルティスユースに鳴り物入りで入った選手がその後何が原因か知らないが、”札付きの不良少年”になって辞めてしまったということも少年たちの間では格好の話題となっている。現在では2番手だった選手がその子の代わりにトップ選手になっているとかいないとか。
故柘植先生が一生涯強調して主張し続けたことに
「小学生相撲の横綱が大相撲の横綱になることはない」
という事実がある。いくら”子供の頃の逸材”でもそれは所詮”子供時代のお話”に過ぎない。
日本人のように、ドゥンガのいうように「日本人特有のメンタリティー」を持つ日本人の親の場合、自分の子供が幼少から比較的身体が大きく、子供時代を優秀選手として活躍すると、どうしても親御さんの方が有頂天となり浮き足立つ。こういう際立った特徴が日本人には存在する。
そこで、もし自分の子供がヴォルティスジュニアの選手に選ばれたり、子供相撲の横綱になったりすると、大喜びして自分の息子は特別だと錯覚するのである(もちろん、これとまったく同じようなことが勉強にも言え、自分の子供の学校の成績が良いと自分の子供は天才だと早合点してしまう)。
しかし、これは大きな間違いである。
私はここ13年ほど徳島のサッカーシーンを見て来ているが、そしてその間自分の息子のいた小学校中学校そして阿南高専の学生や徳大の大学生、そしてヴォルティスの選手などを見て来たが、これまで誰ひとりとして私よりうまい選手に出会ったことがない。「こいつは俺よりうまい」というサッカー選手を一度も見たことがない。
もちろん、私は今は本格的なトレーニングはしていないから、現役のサッカー選手たちには体力的に引けをとる部分はある。しかし、リフティング、ドリブル、キック、サッカー戦術眼、知識、などを含めて、さらには私の現役時代に私自身が出来たことと比べてもそれを上回る選手はどこにもいなかったのである。
私はかつて関西遠征で天理大サッカー部と練習試合をしたが、試合開始のキックオフから1人で全員を中央突破で抜き去ってシュートして得点したことがある。千葉大学リーグでは5人抜き、練習試合では7人抜きもあった。今でもすぐに1000回程度のリフティングはできるし、キックも私の息子たちよりはるかに精度がありうまい。私の得意技の1つはゴルフでいうフェードボール、アウトサイドで蹴るロングキックである。
こういう正確なキックや足首をしっかり固定した正確無比のシュートのできる高校生は見たことがない。ましてや我々が高校生の頃、週2回は20kmマラソンに出ていたが、ここ徳島では数キロでもダウンである。
こういうわけで、体力的にも技術的にも我々の高校生時代からかなり落ちていると私個人は考えている。
しかし、ヴォルティスが出来て以来、どうも徳島サッカー関係者は何か大きな勘違いや誤解をしているようで、J2リーグのチームが徳島に出来たからまるで徳島サッカーのレベルが上がったかのように錯覚してしまったわけだ。ここに今の徳島サッカーの低迷の一番の理由があるのである。
もう少しより具体的な話をしよう。
では、なぜヴォルティスユースが勝てないのか?
その答えは、実にたわい無いことである。「全力プレーを知らない」からだ。
現在のヴォルティスジュニアやユースの選抜方式では、小学生時代から選抜テストをしてそれに合格した選手だけを入団させる。つまり、各小学校のキャプテンクラスや一番うまい(つまり子供サッカーの横綱)を取る。
それゆえ、このチームはどこのチームとやっても勝つのは当たり前だ。なぜなら自分の通っている小学校とも戦うが、そこの優秀選手は全部自分がいるヴォルティスに引き抜かれているからだ。どの小学校でも状況はいっしょ。これではヴォルティスの有利は変わらない。せいぜい別のクラブチーム、例えば、リベルモとかプルミエールとかが良い勝負になる程度だが、ここでも一番うまい子供サッカー選手はヴォルティスに取られるからだ。
では、いつどことやっても勝つのは当たり前となった状況で、ヴォルティスの選手は”本気になって””死にものぐるい”で試合をするか?
といえば、そんなはずはない。そんなにむきにならなくても適当にやれば、まるでネコがネズミをいたぶり殺すようにして相手をやっつけることができる。どの選手も適当にやっても勝てるのである。
これが、子供相撲の横綱、子供柔道のチャンピオン、子供サッカーの強豪などに”共通する問題”なのである。要するに、「他の子供と比べて比較的早熟の子供が有利となってしまう」、ということである。他の子供と比べて早い時期に大柄な選手は楽に試合に勝てるのである。相手が子供だからだ。
しかしかといって、所詮は子供の遊び、子供のすることだ。いくら子供横綱でも本当の横綱にはなれない。子供柔道チャンピオンも大人とやれば負ける。子供サッカーは所詮中学生や高校生には負ける。要するに、子供時代にうまくても現実は厳しく大人には通用しない。ヴォルティスの選手でも所詮大人には太刀打ちできない。
つまり、大人になって世界で通用する選手は他にいるということである。子供サッカーでいくらうまくてもだめなのだ。回りが基礎もへったくれもない世界でいくら勝ったところでそんなものは何の参考にもならないということだ。つまり、子供の中でいくらうまい選手を選んだところで、それは子供の中のお話に過ぎず、本当にうまい選手はもっと大人に近付いて生まれてくるということである。だから、小学生や中学生の「今うまいかどうかではなく、将来うまくなるかどうか」を見て選べということだ。つまり、”将来性”を見抜いて選抜できるかどうかということである。
さすがに、欧州のトッププロチームはそういうことをよーく理解してる。だから、例えば、バルセロナなどでは、「いつも目をつけている選手は数千人レベルである」と言われている。一応今のクラブのメンバーを25人ほどにしているが、どんどんメンバーを入れ替える。突然ある年齢で急激に伸びて来た選手をいつでもメンバーに入れる機会を設けているのである。
ところが、日本のジュニアやユースはこういうことはしない。むしろ、子供時代に頭角を表わした逸材としてそれ以後ずっとエリートサッカー選手として居座り続ける(つまり、選ばれ続ける)のである。
これが”大きな間違いだ”と私は言っているのである。
私自身本当にサッカーの才能が開花したのは、高校に入ってからである。特に高校の終盤の高2の終わり頃であった。しかし、高3にはまったくひと皮向けた。そして大学1年ではもはやその差は歴然とした。なぜならそれまでの技術に加えて身体能力が加わったからだ。この頃には極端に言えば、1人で90分間ずっとボールキープできたのである。それほど伸びるのである。それもそのはずで、高校大学と強豪校ではなく、回りがふがいないから、自分が頑張るしかなかったからだ。
ところが、ヴォルティスの選手は、回り中他と比べたらうまい選手ばかりである。いつも自分の持ってる力の50%も出せば、11人の50%でも相手チームのうまい1、2人の120%の力に頼るチームに勝てるようになってしまうからである。要するに、全力疾走しなくても、死にものぐるいでやらなくても、必死で集中しなくても、県内のどのチームにも勝ってしまうのである。
それと比べたら、弱小チームにいる選手たちは大変だ。いつも自分の実力以上の力を出さない限り勝てない。いつも必死でプレーしなくてはならない。特に、そういう弱小チームにいるエースはたいへんだ。150%の力を出さなくてはならない。いつもハンデキャップ付きの試合をしているようなものだからだ。
こういう状況でいつも”全力プレー”要求され、いつも必死の形相で走り回ってきた選手たちが、ヴォルティスの次のレベルとヴォルティスや徳島サッカー協会のお偉方から目される徳島商業などの高校サッカー部に入る。
この差が、日本全国で今出ているのだ。高校サッカー部の選手はいつも有名クラブからはぐれ、その中で必死で走り回った選手たち。方や有名クラブユースは、未だかつて一度も全力で死にものぐるいで走り回ったことがないというエリート選手たち。
こんなやつらが世界レベルで勝てるか?
そんなに世の中は甘くない。走らない選手はいらないとオシム監督が言ったように、必死で走らないサッカー選手は、世界レベルには届かないのである。
こんなわけで、ヴォルティスの選手はU12では勝てても、U15、そしてU18となるととたんに勝てなくなるのだ。
ところで、このヴォルティスユースとまったく逆を行っているチームがある。それが女子サッカーチームの「鳴門ポラリス」である。あるいは、なでしこジャパンである。(”なでしこジャパン”の強さの秘密? )
「鳴門ポラリス」のU15の選手は、自分の通う中学のサッカー部に所属することが義務付けられている。つまり、自分よりスピードや身体能力で勝る男子選手たちといっしょにプレーすることが義務付けられているのである。こうすることにより、女子サッカーだけの遅いスピードや弱い身体能力に慣れてしまうことを避けるのである。
今ヴォルティスの選手に求められているのはこういうことだ。自分より身体能力のあるサッカーチームに所属し、ハイレベルのチームに慣れることである。あるいは、弱小チームに所属させ、ハンデキャップのある状況でプレーさせるべきである。
さもなくば、小学生サッカーチャンピオンとしていつまでもあぐらをかいているうちに大人になって自分より下手だと思っていた選手に追い抜かれてしまうのである。そうして、それに耐えられないものはその憤りから不良の道に落ちる。悪循環である。
今セルティックの中村俊輔は横浜マリノスユースをくびになった選手、MVPの日本代表中沢はまったく無名の選手でヴェルディの自費練習生、日本代表の中村憲剛は大学から頭角を表わした選手。優秀選手の大半は大人になってから訓練し伸びた選手たちである。相撲の朝青龍なども例外ではない。
こういう現実が何を物語っているか、日本のサッカー協会や指導者たちは肝に命じるべきだろう。
2008/05/12のBlog
[ 09:03 ]
[ 徳島サッカー ]
2008年度天皇杯県予選(徳島県選手権2種)の準決勝が四国プリンスリーグの3チームにトーナメント戦優勝の城之内を加えて5月10日に行われた。決勝は5月11日に徳島市球技場で行われ、本命の徳島商業がヴォルティスユースに勝って優勝した。
この徳島商業が一般参加の大人チームと混じって徳島県予選に参加する。
【決勝】11日(日)
徳島商業(プリンス)1一0(0一0;1一0)ヴォルティスユース(プリンス)
得点者:
徳島商業:東1
【準決勝】10日(土)
徳島商業(プリンス)3一1(3一0;0一1)鳴門(プリンス)
ヴォルティスユース(プリンス)2一0(1一0;1一0)城ノ内(T1)
まあ、この順位はかなり妥当なものだが、だからといってプリンスリーグのメンバーだけを”特別扱い”するのはどうしたものだろうか?
ほとんど同じくらいの実力を持つ城ノ内は一回戦から戦い、5戦目でこの準決勝に挑んできた。この意味では、ヴォルティスの方がはるかに有利に準備できたはずである。
それと比べたら、まだプロでもないのに”別格扱い”してプリンスチームの3つは準決勝からというのは非常にアンフェアである。これでは、まるでプリンスは一回戦から登場し、名も無い弱小チームとやって負けるのが恥じだと逃げ隠れしているようにしか見えないからである。
また、一般の公立高の弱小チームも同じ年代の好チームと戦って見て初めて自分達の足り無さや欠点などを知ることができるという良い機会を失うだろうからだ。
本来、「天皇杯」のもっとも”天皇杯らしい”ところといえば、アマチュアもプロも同じ土俵に乗って戦うことができるというところにある。これをプリンスだけ特別扱いというのは、天皇杯のその精神に極めて反する行為といえるだろう。
さらには、好チームの監督やコーチも一見弱小チームに見えるその中に時に存在する珠玉の逸材と出会うという最高の機会を逸することにもなるのである。
「人間の成長」というものほど不思議なものは無く、小学生の時うまかったからといってワールドクラスに育つかといえばそういうことはない。むしろほとんどの場合、高校過ぎた頃から本当の才能の片鱗が開花するものである。ベッカムやクリスチャン・ロナウドなどはむしろ例外中の例外であり、ほとんどの好選手は、中村俊輔や中沢や中村憲剛選手のようにかなり後半になって急激に伸びてくるものなのである。(この問題についてはまた後々分析するつもりだ)。
というわけで、プリンスもT1、T2、T3もすべて考慮せず、公平に抽選で組み、代表を選んでもらいものですナ。
この徳島商業が一般参加の大人チームと混じって徳島県予選に参加する。
【決勝】11日(日)
徳島商業(プリンス)1一0(0一0;1一0)ヴォルティスユース(プリンス)
得点者:
徳島商業:東1
【準決勝】10日(土)
徳島商業(プリンス)3一1(3一0;0一1)鳴門(プリンス)
ヴォルティスユース(プリンス)2一0(1一0;1一0)城ノ内(T1)
まあ、この順位はかなり妥当なものだが、だからといってプリンスリーグのメンバーだけを”特別扱い”するのはどうしたものだろうか?
ほとんど同じくらいの実力を持つ城ノ内は一回戦から戦い、5戦目でこの準決勝に挑んできた。この意味では、ヴォルティスの方がはるかに有利に準備できたはずである。
それと比べたら、まだプロでもないのに”別格扱い”してプリンスチームの3つは準決勝からというのは非常にアンフェアである。これでは、まるでプリンスは一回戦から登場し、名も無い弱小チームとやって負けるのが恥じだと逃げ隠れしているようにしか見えないからである。
また、一般の公立高の弱小チームも同じ年代の好チームと戦って見て初めて自分達の足り無さや欠点などを知ることができるという良い機会を失うだろうからだ。
本来、「天皇杯」のもっとも”天皇杯らしい”ところといえば、アマチュアもプロも同じ土俵に乗って戦うことができるというところにある。これをプリンスだけ特別扱いというのは、天皇杯のその精神に極めて反する行為といえるだろう。
さらには、好チームの監督やコーチも一見弱小チームに見えるその中に時に存在する珠玉の逸材と出会うという最高の機会を逸することにもなるのである。
「人間の成長」というものほど不思議なものは無く、小学生の時うまかったからといってワールドクラスに育つかといえばそういうことはない。むしろほとんどの場合、高校過ぎた頃から本当の才能の片鱗が開花するものである。ベッカムやクリスチャン・ロナウドなどはむしろ例外中の例外であり、ほとんどの好選手は、中村俊輔や中沢や中村憲剛選手のようにかなり後半になって急激に伸びてくるものなのである。(この問題についてはまた後々分析するつもりだ)。
というわけで、プリンスもT1、T2、T3もすべて考慮せず、公平に抽選で組み、代表を選んでもらいものですナ。
2008/05/10のBlog
[ 23:09 ]
[ 訃報・追悼 ]
阪大名誉教授の伏見康治さん死去 原子力の平和利用推進
理論物理学者の伏見康治(ふしみ・こうじ)博士が8日午後8時17分、老衰のため横浜市内の病院で死去。享年98歳。
故柘植俊一博士の「反秀才論」の「面貌愚のごとし」にある、”学者の顔の分類法”で言えば、典型的な”村夫子顔”の天才が伏見康治博士であったと言えるだろう。
私がいつかどこかで聞いた話、あるいは、いつか何かで読んだ話に「伏見博士が大学の学生時代にまったくノートをとるのを見たことが無かった」というものがある。真偽のほどは定かではないが、伏見博士はどんな講議、どんな講演も何一つノートに書き留めることなく、頭に書き込むことができたという伝説のある人物であった。
それに対して、同世代の湯川秀樹博士や朝永振一郎博士はまだまだ鈍才に見える。ノートや紙と鉛筆なくしては研究はままならなかった。
私が伏見康治博士の凄さや面白さを初めて知ったのは、1990年に帰国してしばらくしてのことだった。ユタ大学で1次元準結晶の研究で学位をとり、帰国後企業に入ったのだったが、当時筑波大学の教授で「形の科学」学会を主催していた小川泰博士ととある準結晶の研究会で知り合いになり、小川博士から伏見康治博士の「紋様の科学」というコピーをいただいたからである。
この「紋様の科学」というのは、伏見康治博士が「数学セミナー」に連載したもので、小川博士が大切にコピーして保管していたものらしい。そのコピーを送ってもらったのである。これは今も製本して傍らにあるが、日本の家紋から始まり、その中に潜む対称性から、次第に群論を説明し、平面図形、位相幾何学、双曲線幾何学、そして統計力学や相転移理論まで進むという大変優れた解説である。残念ながら本として出版されてはいない。
私はこれほど博識な理論物理学者がいたのかと非常に驚いたもので、だからこそ上のエピソードを知りさらに驚いたというわけである。ノートもとらずにどうやってこれほどの知識が頭に残るのかと。
伏見康治博士には数多くの本があるが、特に有名な本に「量子統計力学」や「折り紙の幾何学」がある。「量子統計力学」は朝永振一郎博士の「量子力学」や湯川秀樹博士の「量子力学序説」に並び称される名著と言われている。
私自身も含めて自戒の念にかられるが、この湯川、朝永、伏見時代の理論物理学者から比べると、その後の日本の理論物理学者のレベルは格段に”落ちた”と言える。研究のレベルや質や独創性、研究者としての人間的スケールや質、人間としての存在感や迫力、これらすべてにおいて現代の理論物理学者は見劣りする。現在では毎日毎日2ちゃんねるに書き込んでいるというような連中ばかりとなったからである。
どうしてこうなってしまったのか? その理由は私には分からないが、今は昔の物語り、伝説の時代、黄金時代の話となってしまった。いずれにせよ、どうやればそれほど頭が良くなるのか、知りたいところである。
付け加えれば、伏見康治博士は数多くの優れた学生やお弟子さんたちも育てたということを指摘しておこう。中でも有名なのは「かごめ格子」という言葉とモデルを残した庄司博士である。これは、統計物理学の中で非常に有名なモデルである。
これでまた1人日本の伝説的人物、偉大な理論物理学者が世を去ってしまった。
御冥福を心からお祈りしたい。
理論物理学者の伏見康治(ふしみ・こうじ)博士が8日午後8時17分、老衰のため横浜市内の病院で死去。享年98歳。
故柘植俊一博士の「反秀才論」の「面貌愚のごとし」にある、”学者の顔の分類法”で言えば、典型的な”村夫子顔”の天才が伏見康治博士であったと言えるだろう。
私がいつかどこかで聞いた話、あるいは、いつか何かで読んだ話に「伏見博士が大学の学生時代にまったくノートをとるのを見たことが無かった」というものがある。真偽のほどは定かではないが、伏見博士はどんな講議、どんな講演も何一つノートに書き留めることなく、頭に書き込むことができたという伝説のある人物であった。
それに対して、同世代の湯川秀樹博士や朝永振一郎博士はまだまだ鈍才に見える。ノートや紙と鉛筆なくしては研究はままならなかった。
私が伏見康治博士の凄さや面白さを初めて知ったのは、1990年に帰国してしばらくしてのことだった。ユタ大学で1次元準結晶の研究で学位をとり、帰国後企業に入ったのだったが、当時筑波大学の教授で「形の科学」学会を主催していた小川泰博士ととある準結晶の研究会で知り合いになり、小川博士から伏見康治博士の「紋様の科学」というコピーをいただいたからである。
この「紋様の科学」というのは、伏見康治博士が「数学セミナー」に連載したもので、小川博士が大切にコピーして保管していたものらしい。そのコピーを送ってもらったのである。これは今も製本して傍らにあるが、日本の家紋から始まり、その中に潜む対称性から、次第に群論を説明し、平面図形、位相幾何学、双曲線幾何学、そして統計力学や相転移理論まで進むという大変優れた解説である。残念ながら本として出版されてはいない。
私はこれほど博識な理論物理学者がいたのかと非常に驚いたもので、だからこそ上のエピソードを知りさらに驚いたというわけである。ノートもとらずにどうやってこれほどの知識が頭に残るのかと。
伏見康治博士には数多くの本があるが、特に有名な本に「量子統計力学」や「折り紙の幾何学」がある。「量子統計力学」は朝永振一郎博士の「量子力学」や湯川秀樹博士の「量子力学序説」に並び称される名著と言われている。
私自身も含めて自戒の念にかられるが、この湯川、朝永、伏見時代の理論物理学者から比べると、その後の日本の理論物理学者のレベルは格段に”落ちた”と言える。研究のレベルや質や独創性、研究者としての人間的スケールや質、人間としての存在感や迫力、これらすべてにおいて現代の理論物理学者は見劣りする。現在では毎日毎日2ちゃんねるに書き込んでいるというような連中ばかりとなったからである。
どうしてこうなってしまったのか? その理由は私には分からないが、今は昔の物語り、伝説の時代、黄金時代の話となってしまった。いずれにせよ、どうやればそれほど頭が良くなるのか、知りたいところである。
付け加えれば、伏見康治博士は数多くの優れた学生やお弟子さんたちも育てたということを指摘しておこう。中でも有名なのは「かごめ格子」という言葉とモデルを残した庄司博士である。これは、統計物理学の中で非常に有名なモデルである。
これでまた1人日本の伝説的人物、偉大な理論物理学者が世を去ってしまった。
御冥福を心からお祈りしたい。
[ 22:15 ]
[ 徳島 ]
2008年度天皇杯県予選(徳島県選手権1種(成人))の1次トーナメントが5月4日に開幕した。
【1回戦】吉野川運動場
徳島市役所16一1FCジャパン
応虎会6一0麦藁少年団
FCサムライ1一0四国大学
徳島大学2一0ビクトール
ヘインズ2一1航空隊
UNITY5一0SOCIOSuno
【1回戦】吉野川運動場
徳島市役所16一1FCジャパン
応虎会6一0麦藁少年団
FCサムライ1一0四国大学
徳島大学2一0ビクトール
ヘインズ2一1航空隊
UNITY5一0SOCIOSuno
2008/05/09のBlog
[ 17:25 ]
[ 健康・医学 ]
”ラミパス、ラミパス、アスパルテーム”
何やら魔法使いサリーちゃんの呪文のような甘い響きを持つ合成甘味料。果たして本当はどうなのか?(「馬鹿は死ななきゃ直らない」? )
しばらく前に、世界中のノーベル賞化学者14人が反対している「フッ素」の問題を書いていた。
「”フッ素なし”練り歯磨き」はどこに? 」
「「フッ素神話」崩壊 」
これと似たような状況が、俗に言う「合成甘味料」にもあるようだ。今回はこれを紹介しておこう。
何やら魔法使いサリーちゃんの呪文のような甘い響きを持つ合成甘味料。果たして本当はどうなのか?(「馬鹿は死ななきゃ直らない」? )
しばらく前に、世界中のノーベル賞化学者14人が反対している「フッ素」の問題を書いていた。
「”フッ素なし”練り歯磨き」はどこに? 」
「「フッ素神話」崩壊 」
これと似たような状況が、俗に言う「合成甘味料」にもあるようだ。今回はこれを紹介しておこう。
(あ)では、まず最初の問題。
世界でもっとも多く消費され、もっとも良く知られている合成甘味料は?
答え:そう、「アスパルテーム」である。
これは、ガムの裏面を見ればかならず記載されている。超有名な合成甘味料である。コカ・コーラに使われているものもこのアスパルテームである。だから、子供や大人などほとんどの人々はこの人工甘味料の消費者である。
(い)では、次の問題。
合成甘味料の世界で一番大きな会社は知っていますか?
答え:そう、それは「G. D. Searle & Company」という大企業である。ここが発明し、世界中に供給しているものがアスパルテームである。
(う)では、
この持ち主は誰か知っていますか?
答え:そう、そのCEOは、ジョージ・ブッシュ政権でイラク戦争を引き起こしたあのドナルド・ラムズフェルド国務長官である。このラムズフェルドの会社「G. D. Searle & Company」がアスパルテームの製造元である。
私なら、ラムズフェルドと聞いただけでもうこの製品は買わないが、これはどうやら事実らしい。
「アスパルテーム」には、こうある。
『また、FDAによる承認においても、最初にアスパルテームを承認しなかったJere E. Goyan(FDA長官在任期間1979/10/21 - 1981/1/20)はロナルド・レーガン大統領が就任した直後にFDA長官を解雇され、後に内定されたアーサー・ヘイズ(FDA長官在任期間1981/4/13 - 1983/9/11)[7]が翌年にアスパルテームを承認した。その直後、1983年にヘイズは辞任し、人工甘味料製造会社「G. D. Searle & Company」に就職。アスパルテームをNeutraSweetと改名し、同社CEOのドナルド・ラムズフェルドと共に莫大な利益を得た。このため、利益のために人体への悪影響を無視し承認に踏み込んだという批判の声が各地で上がっている[8][9]。』
要するに、ラムズフェルドは、自分の持つ合成甘味料会社の発明したアスパルテームを承認させるために、レーガン大統領と組み、反対派のゴヤン長官を解雇。すげ替えたヘイズ長官はワンポイントリリーフで、アスパルテームを承認するや否や辞任し、ラムズフェルドの会社の重役になった、というわけである。
これこそ”ラムズフェルドの陰謀”と呼ばずして何なのか?
このラムズフェルド戦略を見事に後追いしたのが日本の厚生省や日本のメーカー(味の素)というわけだ。
世界でもっとも多く消費され、もっとも良く知られている合成甘味料は?
答え:そう、「アスパルテーム」である。
これは、ガムの裏面を見ればかならず記載されている。超有名な合成甘味料である。コカ・コーラに使われているものもこのアスパルテームである。だから、子供や大人などほとんどの人々はこの人工甘味料の消費者である。
(い)では、次の問題。
合成甘味料の世界で一番大きな会社は知っていますか?
答え:そう、それは「G. D. Searle & Company」という大企業である。ここが発明し、世界中に供給しているものがアスパルテームである。
(う)では、
この持ち主は誰か知っていますか?
答え:そう、そのCEOは、ジョージ・ブッシュ政権でイラク戦争を引き起こしたあのドナルド・ラムズフェルド国務長官である。このラムズフェルドの会社「G. D. Searle & Company」がアスパルテームの製造元である。
私なら、ラムズフェルドと聞いただけでもうこの製品は買わないが、これはどうやら事実らしい。
「アスパルテーム」には、こうある。
『また、FDAによる承認においても、最初にアスパルテームを承認しなかったJere E. Goyan(FDA長官在任期間1979/10/21 - 1981/1/20)はロナルド・レーガン大統領が就任した直後にFDA長官を解雇され、後に内定されたアーサー・ヘイズ(FDA長官在任期間1981/4/13 - 1983/9/11)[7]が翌年にアスパルテームを承認した。その直後、1983年にヘイズは辞任し、人工甘味料製造会社「G. D. Searle & Company」に就職。アスパルテームをNeutraSweetと改名し、同社CEOのドナルド・ラムズフェルドと共に莫大な利益を得た。このため、利益のために人体への悪影響を無視し承認に踏み込んだという批判の声が各地で上がっている[8][9]。』
要するに、ラムズフェルドは、自分の持つ合成甘味料会社の発明したアスパルテームを承認させるために、レーガン大統領と組み、反対派のゴヤン長官を解雇。すげ替えたヘイズ長官はワンポイントリリーフで、アスパルテームを承認するや否や辞任し、ラムズフェルドの会社の重役になった、というわけである。
これこそ”ラムズフェルドの陰謀”と呼ばずして何なのか?
このラムズフェルド戦略を見事に後追いしたのが日本の厚生省や日本のメーカー(味の素)というわけだ。
まあ、それでも「この合成甘味料アスパルテームに特に害が無い」のなら、まだ許せる。しかし、いろんな文献をよーく読めば実は「百害あって一利無し」ということが分かるだろう。
合成甘味料で一番の危険性は「発ガン性」というものだろう。だから往々にして研究者は「発ガン性」だけを調べる。つまり、「食っても発ガンしなければ良いだろう」という発想である。
次の危険性は「(短期的な)副作用」というものだ。例えば、アレルギーになったり、何かのショック作用を引き起こすかどうか、というものである。
これもまだ分かりやすい。ある種の障害者や先天的問題を持つ人々に対して調べれば良いからだ。例えば、「フェニルケトン尿症患者」には使うなと明記すればいい。
しかし、一番分かりにくいのは、「長期的使用」から来る問題や障害である。何十年後かに現れるかも知れないというような症状の場合である。この場合は、いろんなものとの相乗効果や累積効果などが混ざるために、一概にアスパルテームのせいだとは言い切れなくなるからである。この意味で、一番こういう問題が質が悪い。
多くの場合、「発ガン性」や「短期的な副作用」しか調査しないで承認するために、「長期的問題」は無視される。電線や携帯電話の電磁波の人体への影響などもこういう格好の例である。とかく無視されやすい。
私が調べた範囲でも、アスパルテームに関して、長期的使用の問題点を報告しているものはほとんどないようである。しかし、だからといって問題がない、無害だと解釈してもらっては困る。実は、ひょっとすれば、ラムズフェルドが一番気にいっているかも知れないことが「アスパルテーム」の中に”それとなく”あったのだ。
その中にこうある。
『安全性
----------------
このうち、アスパラギン酸とフェニルアラニンは神経毒とされるが、通常の使用量で問題が出ることはない。但し、これらのアミノ酸の量が偏るとアミノ酸の働きに異常が起きるため、特に妊婦は注意が必要という研究結果もある。』
『動物実験
----------------
ただし、マウス実験で、動物に影響がないとされているレベルの1/1000の量でマウスの精子に障碍を起こしたという実験結果もある。
ヒトでも恐らく、アスパルテームの摂り過ぎは精子数に影響があると見られる。』
つまり、このアスパルテームの取り過ぎは、女性の場合には妊婦で何らかの障害を引き起し、男性の場合には精子の数を減らす。要するに、人類の「生殖作用に作用する」ということである。
これこそ、アイクの言うレプティリアン、コールマン博士の言う「300人委員会」、両者の言う「イルミナティー」の好みのかっこうの物質である。なぜなら、「今後2050年までに人口を50億人減らす」というのが、彼らの目標と言われているからである。その有力メンバーであるラムズフェルドなら自分で企業を持ち、人口削減、ライバル民族の削減に貢献したいと考えるはずである。
「中国人やイラン人にコカ・コーラを飲ませて金玉を潰せ!」
というわけですナ!(もう日本人は御用済さ!ちなみに言うまでもないが、コカ・コーラそのものが悪いのではない。その主原料であるカフェインや合成甘味料アスパルテームが悪そうだと言っているのだ!)
実際、”特に何の原因もないまま”「無精子症」(あるいは「卵巣異常症」)と診断され、子供が授からない日本人はうなぎ上りのはずである。
実はその原因として一番”怪しい”のが、この合成甘味料アスパルテームなのである。
まあ、
「デブを恐れて無精子になるか、精子のでるデブがいいか、どっちだい?」
ということである。一番良いのは、デブでもなく精子も出る男だろうがネ。
ところで、イルミナティーの連中はいまだに「マルサスの人口論」を信じてるらしいが、かつてバックミンスター・フラーが発見したように、連中は「エフェメラリゼーション」という効果を御存じないようだ。マルサスの時代、マルサスは人口が増えれば人類は滅ぶと宣ったが、実際にはマルサスの予言をはるかに上回る人口の60億人でも人類は滅んでいない。そればかりかますます元気である。
それは、人類が増えると共に、技術革新も増え、その効果のために、人口増加を補って余りあるほどの生産性が増すからである。人口増加が一概に悪いわけでは無いのだ。もしマルサスの主張をうのみにしていれば、人類はコンピュータも何も発明することはできなかっただろうからである。
問題は「貧富の差」や「格差社会」だが、これらはすべて”人災”であって”天災”ではない。お金がありあまっているから”投資”に向かうのに、実際にはそのお金を貧しい人々の発展に投資せず、お金持ちの方へ回すからである。つまり「目先の損得だけを見て、将来の損得を考えない」ことによる。
フラーが言ったように、イギリス王朝のように今だに石や大理石のお城に住むと言うような低級文明にとらわれず、フラードームのようなリサイクル可能な金属文明の家に住めば、世界中の人々は健全で健康な文明社会に生きることが出来、世界は100億人になっても地球温暖化や公害などにさらされず、ずっと良い世界に住むことは可能なのである。
私はフラーの意見が正しいと思うヨ。
参考:
アスパルテーム
アスパルテーム
Donald Rumsfeld
合成甘味料で一番の危険性は「発ガン性」というものだろう。だから往々にして研究者は「発ガン性」だけを調べる。つまり、「食っても発ガンしなければ良いだろう」という発想である。
次の危険性は「(短期的な)副作用」というものだ。例えば、アレルギーになったり、何かのショック作用を引き起こすかどうか、というものである。
これもまだ分かりやすい。ある種の障害者や先天的問題を持つ人々に対して調べれば良いからだ。例えば、「フェニルケトン尿症患者」には使うなと明記すればいい。
しかし、一番分かりにくいのは、「長期的使用」から来る問題や障害である。何十年後かに現れるかも知れないというような症状の場合である。この場合は、いろんなものとの相乗効果や累積効果などが混ざるために、一概にアスパルテームのせいだとは言い切れなくなるからである。この意味で、一番こういう問題が質が悪い。
多くの場合、「発ガン性」や「短期的な副作用」しか調査しないで承認するために、「長期的問題」は無視される。電線や携帯電話の電磁波の人体への影響などもこういう格好の例である。とかく無視されやすい。
私が調べた範囲でも、アスパルテームに関して、長期的使用の問題点を報告しているものはほとんどないようである。しかし、だからといって問題がない、無害だと解釈してもらっては困る。実は、ひょっとすれば、ラムズフェルドが一番気にいっているかも知れないことが「アスパルテーム」の中に”それとなく”あったのだ。
その中にこうある。
『安全性
----------------
このうち、アスパラギン酸とフェニルアラニンは神経毒とされるが、通常の使用量で問題が出ることはない。但し、これらのアミノ酸の量が偏るとアミノ酸の働きに異常が起きるため、特に妊婦は注意が必要という研究結果もある。』
『動物実験
----------------
ただし、マウス実験で、動物に影響がないとされているレベルの1/1000の量でマウスの精子に障碍を起こしたという実験結果もある。
ヒトでも恐らく、アスパルテームの摂り過ぎは精子数に影響があると見られる。』
つまり、このアスパルテームの取り過ぎは、女性の場合には妊婦で何らかの障害を引き起し、男性の場合には精子の数を減らす。要するに、人類の「生殖作用に作用する」ということである。
これこそ、アイクの言うレプティリアン、コールマン博士の言う「300人委員会」、両者の言う「イルミナティー」の好みのかっこうの物質である。なぜなら、「今後2050年までに人口を50億人減らす」というのが、彼らの目標と言われているからである。その有力メンバーであるラムズフェルドなら自分で企業を持ち、人口削減、ライバル民族の削減に貢献したいと考えるはずである。
「中国人やイラン人にコカ・コーラを飲ませて金玉を潰せ!」
というわけですナ!(もう日本人は御用済さ!ちなみに言うまでもないが、コカ・コーラそのものが悪いのではない。その主原料であるカフェインや合成甘味料アスパルテームが悪そうだと言っているのだ!)
実際、”特に何の原因もないまま”「無精子症」(あるいは「卵巣異常症」)と診断され、子供が授からない日本人はうなぎ上りのはずである。
実はその原因として一番”怪しい”のが、この合成甘味料アスパルテームなのである。
まあ、
「デブを恐れて無精子になるか、精子のでるデブがいいか、どっちだい?」
ということである。一番良いのは、デブでもなく精子も出る男だろうがネ。
ところで、イルミナティーの連中はいまだに「マルサスの人口論」を信じてるらしいが、かつてバックミンスター・フラーが発見したように、連中は「エフェメラリゼーション」という効果を御存じないようだ。マルサスの時代、マルサスは人口が増えれば人類は滅ぶと宣ったが、実際にはマルサスの予言をはるかに上回る人口の60億人でも人類は滅んでいない。そればかりかますます元気である。
それは、人類が増えると共に、技術革新も増え、その効果のために、人口増加を補って余りあるほどの生産性が増すからである。人口増加が一概に悪いわけでは無いのだ。もしマルサスの主張をうのみにしていれば、人類はコンピュータも何も発明することはできなかっただろうからである。
問題は「貧富の差」や「格差社会」だが、これらはすべて”人災”であって”天災”ではない。お金がありあまっているから”投資”に向かうのに、実際にはそのお金を貧しい人々の発展に投資せず、お金持ちの方へ回すからである。つまり「目先の損得だけを見て、将来の損得を考えない」ことによる。
フラーが言ったように、イギリス王朝のように今だに石や大理石のお城に住むと言うような低級文明にとらわれず、フラードームのようなリサイクル可能な金属文明の家に住めば、世界中の人々は健全で健康な文明社会に生きることが出来、世界は100億人になっても地球温暖化や公害などにさらされず、ずっと良い世界に住むことは可能なのである。
私はフラーの意見が正しいと思うヨ。
参考:
アスパルテーム
アスパルテーム
Donald Rumsfeld
[ 14:47 ]
[ ジョーク ]
織田信長「馬鹿は死ななきゃ直らない」
豊臣秀吉「馬鹿は死んでも直らない」
徳川家康「馬鹿は死ぬまで待っても直らない」
と言ったとか言わなかったとか。
これがちょっと質の悪いジョークだろうとは言うまでもなく誰にも分かる。
しかし、ブラックジョークならまだしも、実は我々もこういった悪いジョークと同じような状況にさらされているとは、御存じないだろう。本当はもっと悪い。
私もユタ大学に留学中、世界中からきた留学生といっしょになって良く「コカ・コーラ」を飲んだものだ。それも巨大なカップでがぶ飲み。
そこのソルトレークで良く聞いたうわさ話にモルモン教は「コカ・コーラ」の大株主だというものがあった。そしてモルモン教徒のお嬢ちゃんやお坊っちゃんたちは「ダイエットコークしか飲まない」、もちろんカフェイン抜き。
「なるほど、モルモン教というのは、かなり科学的宗教で現代科学の知識をないがしろにしせず、健康管理に善く注意した新しいタイプの宗教なんだな」と、私は好奇の目とともにかなり尊敬の念も込めてその当時は考えていたものだ。
しかし、ごく最近知ったことには、どうやらモルモン教徒も御存じないかも知れないという、極悪非道のちょっと困ったことがあるようだ。
それをジョークにすればこんな感じだろう。
初老のカオス理論学者とちょっとシニカルな老化学者が話していた。
「最近の学生は顔がつるつるでにきびもなくみんなイケメンばかり。
服装も髪型もみんないっしょだ。
昼食はマクドナルドのハンバーガーとコカ・コーラ。
食事が終わればかならず虫歯予防にフッ素入りの
歯磨きで歯ブラシする。だから息も爽やかさ。
アメリカじゃ、フッ素入りの水まで飲む。
おまけに今じゃ携帯電話でなんでもやる」
とカオス学者が切り出した。
「それと比べりゃ、俺らの頃はひどかった。
顔中にきびだらけ、昼食はあんパンと牛乳。
中には中華料理屋で餃子定食。
食後歯磨きの習慣もなかったから口の臭いのなんのってなかった。
水道の水も臭くて飲めなかったな。
我々の時代はどこへ行くにもメモ帳を持ってあるき、
どんなことでもメモしたものさ。
時代は変わったものだよ」
とそのカオス学者は続けた。
その言葉を慎重に聞いていた化学者が口を開いた。
「そうは言いなさんな。物事にはいつも一長一短があるのじゃよ。
昔の生活が遅れていたということには必ずしもならんものじゃ。
もしそんな食生活を若者が続けたとすれば、こうなるじゃろう」
「身体の筋肉はぶよぶよ、脳みそはスカスカ。精巣もスカスカ。
こんな老人のような肉体の持ち主となるのじゃ」
と老化学者は答えた。
「ひえー、どうしてそうなるの?」
と生化学のことは何一つ知らないのに生物学と名のつく研究雑誌に
無数の論文を出しているカオス学者が聞いた。
「そりゃー、こういうわけじゃよ。
まず抗生物質や成長ホルモン漬けで飼育された牛肉を食べて
顔はつるつるの筋肉はぶよぶよ。コカ・コーラの中の合成甘味料の
アスパルテームで精巣をやられ、フッ素で脳をやられる。
もし異常プリオンがあれば、脳みそはカニみそ状態じゃよ。
おまけに携帯の電磁波で脳みそはチーズ状態じゃ」
「行きつく先は、ロナルド・レーガン、シルベスター・スタローンや
アーノルド・シュワルツェネッガーのようになるじゃろう」
と老化学者は答えた。
「。。。」
さすがのカオス理論学者もこの答えには絶句してしまったようだ。
豊臣秀吉「馬鹿は死んでも直らない」
徳川家康「馬鹿は死ぬまで待っても直らない」
と言ったとか言わなかったとか。
これがちょっと質の悪いジョークだろうとは言うまでもなく誰にも分かる。
しかし、ブラックジョークならまだしも、実は我々もこういった悪いジョークと同じような状況にさらされているとは、御存じないだろう。本当はもっと悪い。
私もユタ大学に留学中、世界中からきた留学生といっしょになって良く「コカ・コーラ」を飲んだものだ。それも巨大なカップでがぶ飲み。
そこのソルトレークで良く聞いたうわさ話にモルモン教は「コカ・コーラ」の大株主だというものがあった。そしてモルモン教徒のお嬢ちゃんやお坊っちゃんたちは「ダイエットコークしか飲まない」、もちろんカフェイン抜き。
「なるほど、モルモン教というのは、かなり科学的宗教で現代科学の知識をないがしろにしせず、健康管理に善く注意した新しいタイプの宗教なんだな」と、私は好奇の目とともにかなり尊敬の念も込めてその当時は考えていたものだ。
しかし、ごく最近知ったことには、どうやらモルモン教徒も御存じないかも知れないという、極悪非道のちょっと困ったことがあるようだ。
それをジョークにすればこんな感じだろう。
初老のカオス理論学者とちょっとシニカルな老化学者が話していた。
「最近の学生は顔がつるつるでにきびもなくみんなイケメンばかり。
服装も髪型もみんないっしょだ。
昼食はマクドナルドのハンバーガーとコカ・コーラ。
食事が終わればかならず虫歯予防にフッ素入りの
歯磨きで歯ブラシする。だから息も爽やかさ。
アメリカじゃ、フッ素入りの水まで飲む。
おまけに今じゃ携帯電話でなんでもやる」
とカオス学者が切り出した。
「それと比べりゃ、俺らの頃はひどかった。
顔中にきびだらけ、昼食はあんパンと牛乳。
中には中華料理屋で餃子定食。
食後歯磨きの習慣もなかったから口の臭いのなんのってなかった。
水道の水も臭くて飲めなかったな。
我々の時代はどこへ行くにもメモ帳を持ってあるき、
どんなことでもメモしたものさ。
時代は変わったものだよ」
とそのカオス学者は続けた。
その言葉を慎重に聞いていた化学者が口を開いた。
「そうは言いなさんな。物事にはいつも一長一短があるのじゃよ。
昔の生活が遅れていたということには必ずしもならんものじゃ。
もしそんな食生活を若者が続けたとすれば、こうなるじゃろう」
「身体の筋肉はぶよぶよ、脳みそはスカスカ。精巣もスカスカ。
こんな老人のような肉体の持ち主となるのじゃ」
と老化学者は答えた。
「ひえー、どうしてそうなるの?」
と生化学のことは何一つ知らないのに生物学と名のつく研究雑誌に
無数の論文を出しているカオス学者が聞いた。
「そりゃー、こういうわけじゃよ。
まず抗生物質や成長ホルモン漬けで飼育された牛肉を食べて
顔はつるつるの筋肉はぶよぶよ。コカ・コーラの中の合成甘味料の
アスパルテームで精巣をやられ、フッ素で脳をやられる。
もし異常プリオンがあれば、脳みそはカニみそ状態じゃよ。
おまけに携帯の電磁波で脳みそはチーズ状態じゃ」
「行きつく先は、ロナルド・レーガン、シルベスター・スタローンや
アーノルド・シュワルツェネッガーのようになるじゃろう」
と老化学者は答えた。
「。。。」
さすがのカオス理論学者もこの答えには絶句してしまったようだ。
2008/05/08のBlog
[ 10:12 ]
[ スポーツ ]
スピード社水着「五輪着用」先送り、水連が国内3社に改良要求
日本水泳陣”壊滅”の危機
レプティリアンの本拠地イギリスのスピード社の「レーザーレーサー」が今世界を席巻している。
NASAのハイテクが産んだ「継ぎ目や縫い目のない水着」。しかも「油のように水をしみ込ませない水着」らしい。レーザー光線で繊維と繊維をくっつけて水着を作る。編み目が細かく、水も空気もれないため”浮力”が出る。
着るのに普通の人で4時間。ベテランになっても45分もかかるという大変窮屈なもの。
しかし、まるで新手のコルセットのように断面積を下げ、身体についた脂肪を分散させてまるでイルカのような流線形を作る。
水の抵抗は断面積に比例する。したがって、流線形で断面積の減った身体の方がはるかに早く泳ぐことができる。
NASAの科学技術の粋を集めて誕生した革命的水着である。
しかし、何でアメリカのNASAの最新テクノロジーがイギリスだけに渡るのか?
ここに”陰謀”の陰が?
ところで、欧米人は、「ルールは自分に都合良く書き換える」という習性(遺伝子)を持っている。
一番有名なのは、ノルディック複合だろう。偉大なチャンピオン荻原健児選手が優勝し続けると、すぐさまジャンプと距離の得点配分を変えた。その途端、”ねらい撃ち”されたかのように荻原選手は優勝から遠のき、引退を余儀無くされた。
次に有名なのは、スキージャンプだろう。長野オリンピックで日本が団体優勝すると、すぐさまスキー板の配分が変えられた。まるで”日本を狙い撃ち”したかのように、日本ジャンプ陣は失速した。エース舟木は低迷し、ベテラン原田も平凡な選手に変わり果てた。
柔道でもしかり。”一本狙い”の日本柔道は、およそ技などかけることの出来ない無能な欧米の選手の”優勢”狙いの格好のターゲットにされた。
戦前では、日本の”零戦”がそうだ。当時の戦闘機には、今の軍拡競争のように性能の制限が加えられていた。それも”零戦”の”ねらい撃ち”であった。それでも、日本の零戦はイギリスのスピットファイヤーを返り打ちにしたという。
まあ、欧米の白人(特にイギリス人)はこういうことをよくやる。”悪知恵”が実に良く働くのだ。
実際、国際水泳連盟は、この”世界記録連発”の不正な水着を調査したが、逆に欧米選手がメダルに近いと判断して見事ゴーサインを出したという有り様である。普通は、水のしみ込まない水着など、油を塗ったのと同じで不正行為と見なされるはずである。
今回のスピード社の「レーザーレーサー」は、明らかに日本のメーカーのハイテクにうつつを抜かしていた日本水泳陣や日本の水着メーカーを”ねらい撃ち”したものだろう。(この意味では、日本のメーカーは危機感が無さ過ぎる!)
そこで、もし中国や韓国など日本のメーカーではなくスピード社の水着を着用するとすれば、”漁夫の利”というやつで、日本選手を尻目にアジアで大躍進すること必至だろう。要するに、別にアジア人蔑視で行っているわけではないという建て前は通すわけだ。
故柘植俊一先生は「反秀才論」(252ページ)の中でこう書いていた。
「。。。私はアメリカにいて、白人がこういう中傷のしかたをするときは必ずその裏に覆いがたい敗北感があるときだ、と知るようになった。。。。」
「ことゼロ戦に関してはアメリカ人よりイギリス人の方が中傷が悪質である。」
まあ、そんなわけで、現在では、
「こと水泳に関してはアメリカ人よりイギリス人の方が中傷が悪質である。」
ちなみに、よく日本人科学者で欧米人の研究者に褒められたり認められたり拍手されたりして有頂天となる人物がしばしばいるが、それは上の意味でも、「君のはたいした研究ではないよ」(あるいは「僕の研究のお手伝いさんになってくれてありがとう」)という意味である。真に欧米人が相手を認めるのは、敗北感にうちひしがれ、相手を執拗に誹謗中傷するような研究の方なのである。
一番有名なのは量子力学の発見者のニールス・ボーアである。彼は人を誹謗中傷するというようなタイプの人ではなかったが、興味ないものには「非常に面白い」といい、非常に面白いものには「深夜まで執拗に反論した」という話である。
その昔の日本人は、アメリカのジュラルミン合金で出来た銀に輝くB29爆撃機に対して竹やりで挑んだというが、今回は、スピード社のレーザーレーサーに対して、米ぬか油で挑戦しますかネ。
日本水泳陣”壊滅”の危機
レプティリアンの本拠地イギリスのスピード社の「レーザーレーサー」が今世界を席巻している。
NASAのハイテクが産んだ「継ぎ目や縫い目のない水着」。しかも「油のように水をしみ込ませない水着」らしい。レーザー光線で繊維と繊維をくっつけて水着を作る。編み目が細かく、水も空気もれないため”浮力”が出る。
着るのに普通の人で4時間。ベテランになっても45分もかかるという大変窮屈なもの。
しかし、まるで新手のコルセットのように断面積を下げ、身体についた脂肪を分散させてまるでイルカのような流線形を作る。
水の抵抗は断面積に比例する。したがって、流線形で断面積の減った身体の方がはるかに早く泳ぐことができる。
NASAの科学技術の粋を集めて誕生した革命的水着である。
しかし、何でアメリカのNASAの最新テクノロジーがイギリスだけに渡るのか?
ここに”陰謀”の陰が?
ところで、欧米人は、「ルールは自分に都合良く書き換える」という習性(遺伝子)を持っている。
一番有名なのは、ノルディック複合だろう。偉大なチャンピオン荻原健児選手が優勝し続けると、すぐさまジャンプと距離の得点配分を変えた。その途端、”ねらい撃ち”されたかのように荻原選手は優勝から遠のき、引退を余儀無くされた。
次に有名なのは、スキージャンプだろう。長野オリンピックで日本が団体優勝すると、すぐさまスキー板の配分が変えられた。まるで”日本を狙い撃ち”したかのように、日本ジャンプ陣は失速した。エース舟木は低迷し、ベテラン原田も平凡な選手に変わり果てた。
柔道でもしかり。”一本狙い”の日本柔道は、およそ技などかけることの出来ない無能な欧米の選手の”優勢”狙いの格好のターゲットにされた。
戦前では、日本の”零戦”がそうだ。当時の戦闘機には、今の軍拡競争のように性能の制限が加えられていた。それも”零戦”の”ねらい撃ち”であった。それでも、日本の零戦はイギリスのスピットファイヤーを返り打ちにしたという。
まあ、欧米の白人(特にイギリス人)はこういうことをよくやる。”悪知恵”が実に良く働くのだ。
実際、国際水泳連盟は、この”世界記録連発”の不正な水着を調査したが、逆に欧米選手がメダルに近いと判断して見事ゴーサインを出したという有り様である。普通は、水のしみ込まない水着など、油を塗ったのと同じで不正行為と見なされるはずである。
今回のスピード社の「レーザーレーサー」は、明らかに日本のメーカーのハイテクにうつつを抜かしていた日本水泳陣や日本の水着メーカーを”ねらい撃ち”したものだろう。(この意味では、日本のメーカーは危機感が無さ過ぎる!)
そこで、もし中国や韓国など日本のメーカーではなくスピード社の水着を着用するとすれば、”漁夫の利”というやつで、日本選手を尻目にアジアで大躍進すること必至だろう。要するに、別にアジア人蔑視で行っているわけではないという建て前は通すわけだ。
故柘植俊一先生は「反秀才論」(252ページ)の中でこう書いていた。
「。。。私はアメリカにいて、白人がこういう中傷のしかたをするときは必ずその裏に覆いがたい敗北感があるときだ、と知るようになった。。。。」
「ことゼロ戦に関してはアメリカ人よりイギリス人の方が中傷が悪質である。」
まあ、そんなわけで、現在では、
「こと水泳に関してはアメリカ人よりイギリス人の方が中傷が悪質である。」
ちなみに、よく日本人科学者で欧米人の研究者に褒められたり認められたり拍手されたりして有頂天となる人物がしばしばいるが、それは上の意味でも、「君のはたいした研究ではないよ」(あるいは「僕の研究のお手伝いさんになってくれてありがとう」)という意味である。真に欧米人が相手を認めるのは、敗北感にうちひしがれ、相手を執拗に誹謗中傷するような研究の方なのである。
一番有名なのは量子力学の発見者のニールス・ボーアである。彼は人を誹謗中傷するというようなタイプの人ではなかったが、興味ないものには「非常に面白い」といい、非常に面白いものには「深夜まで執拗に反論した」という話である。
その昔の日本人は、アメリカのジュラルミン合金で出来た銀に輝くB29爆撃機に対して竹やりで挑んだというが、今回は、スピード社のレーザーレーサーに対して、米ぬか油で挑戦しますかネ。
2008/05/07のBlog
[ 09:32 ]
[ 科学ニュース ]
突然変異?黒いモンシロチョウ
”モンクロチョウ”
とでも呼ぶべき、モンシロチョウをちょうどネガポジの関係にしたようなチョウが見つかったというニュース。
京都府城陽市在住の会社員林達也さん(46)が、自宅近くの川の土手の草むらで見慣れない黒いチョウを見つけて撮影。専門家は、姿や形がモンシロチョウだから、それが突然変異で黒色に変わった非常に珍しいケースとみる。
写真を見た大阪市立自然史博物館の金沢至・主任学芸員:
「本来は白っぽい翅に黒い斑紋などがあるモンシロチョウの成虫が、突然変異で黒色に変わった『黒化型』と言われるもので、非常に珍しい」
名和昆虫博物館(岐阜市)の名和哲夫館長:
「ここまで黒いものは、なかなか見られないのでは」
いやはや、これから日本には、モンシロチョウ、モンキチョウ、モンクロチョウの3種類がいることとなる。ちょうど人類と同じような分類になったというわけだ。
今後は、やはり人類同様に、ハーフやクォーターの時代となるのだろうか。
モンシロチョウとモンキチョウの”ハーフ”のモンシロキチョウ。
モンシロチョウとモンクロチョウの”ハーフ”のモンシロクロチョウ。
モンキチョウとモンクロチョウの”ハーフ”のモンキクロチョウ。
こんなチョウチョが見つかるのかも知れないヨ。
”モンクロチョウ”
とでも呼ぶべき、モンシロチョウをちょうどネガポジの関係にしたようなチョウが見つかったというニュース。
京都府城陽市在住の会社員林達也さん(46)が、自宅近くの川の土手の草むらで見慣れない黒いチョウを見つけて撮影。専門家は、姿や形がモンシロチョウだから、それが突然変異で黒色に変わった非常に珍しいケースとみる。
写真を見た大阪市立自然史博物館の金沢至・主任学芸員:
「本来は白っぽい翅に黒い斑紋などがあるモンシロチョウの成虫が、突然変異で黒色に変わった『黒化型』と言われるもので、非常に珍しい」
名和昆虫博物館(岐阜市)の名和哲夫館長:
「ここまで黒いものは、なかなか見られないのでは」
いやはや、これから日本には、モンシロチョウ、モンキチョウ、モンクロチョウの3種類がいることとなる。ちょうど人類と同じような分類になったというわけだ。
今後は、やはり人類同様に、ハーフやクォーターの時代となるのだろうか。
モンシロチョウとモンキチョウの”ハーフ”のモンシロキチョウ。
モンシロチョウとモンクロチョウの”ハーフ”のモンシロクロチョウ。
モンキチョウとモンクロチョウの”ハーフ”のモンキクロチョウ。
こんなチョウチョが見つかるのかも知れないヨ。
2008/05/06のBlog
[ 14:31 ]
[ ジョーク ]
ゴールデンウィークにカオス学者と生物学者が
川岸でバーベキューをしながら話していた。
話題は、ものごとの終末についてに及んだ。
まず話は政治から始まった。
「日本の民主政治が終焉する時とはどんな時だろうか?」
とカオス学者が聞いた。
「それは、そこら中が2世3世議員だけになり、
政治が3流の芸能界のようになった時だろう」
「そうなれば、庶民のことはすっかり忘れて自分達の
ことばかりとなるだろうからね」
と生物学者が答えた。
「なるほど。そうだろうな」
「じゃ、芸能界が終焉する時は?」
とカオス学者が聞いた。
「そりゃー、そこら中がハーフやクォーターの
タレントばかりになった時だろうな」
「そうなれば、日本人のことは忘れてハリウッドの
ことばかりとなるだろうからね」
と生物学者が答えた。
「日本生物学会が終焉する時とはどんな時だろうか?」
とカオス学者が聞いた。
「そうだな。業界の社長が学会長に就く時だろうね」
「そうなれば、一般人のことは忘れて業界の利益の
ことばかりとなるだろうからな」
「きっと売れない研究はぽしゃり、研究は金になるもの
ばかりとなるだろうね」
と生物学者が答えた。
「じゃ、人類が終焉する時は?」
とカオス学者が聞いた。
「そうだな。世の中が白人だらけになった時だな」
「そうなれば、あとは人類のことは忘れて共食いさ」
と生物学者が答えた。
今度は生物学者が
「日本物理学会が終焉する時とはどんな時だろうか?」
と聞いた。
「そうだな。2ちゃんねらーが学会長に就く時だろうね」
「そうなれば、物理学者は一般人のことは忘れて業界の
ことばかりとなるだろうからな」
「きっと頭の悪いやつは「氏ねー」とか、研究費が「キター」
とかいうようなやつらばかりとなるだろうね」
とカオス学者が答えた。
2人は話に気をとられているうちにバーベキューの
オーストラリアンビーフは黒焦げ、
アメリカのトウモロコシはからからになり、
中国野菜は炭と変わり果て、
食べられるものは日本のコメだけとなり
バーべキューが終焉した。
川岸でバーベキューをしながら話していた。
話題は、ものごとの終末についてに及んだ。
まず話は政治から始まった。
「日本の民主政治が終焉する時とはどんな時だろうか?」
とカオス学者が聞いた。
「それは、そこら中が2世3世議員だけになり、
政治が3流の芸能界のようになった時だろう」
「そうなれば、庶民のことはすっかり忘れて自分達の
ことばかりとなるだろうからね」
と生物学者が答えた。
「なるほど。そうだろうな」
「じゃ、芸能界が終焉する時は?」
とカオス学者が聞いた。
「そりゃー、そこら中がハーフやクォーターの
タレントばかりになった時だろうな」
「そうなれば、日本人のことは忘れてハリウッドの
ことばかりとなるだろうからね」
と生物学者が答えた。
「日本生物学会が終焉する時とはどんな時だろうか?」
とカオス学者が聞いた。
「そうだな。業界の社長が学会長に就く時だろうね」
「そうなれば、一般人のことは忘れて業界の利益の
ことばかりとなるだろうからな」
「きっと売れない研究はぽしゃり、研究は金になるもの
ばかりとなるだろうね」
と生物学者が答えた。
「じゃ、人類が終焉する時は?」
とカオス学者が聞いた。
「そうだな。世の中が白人だらけになった時だな」
「そうなれば、あとは人類のことは忘れて共食いさ」
と生物学者が答えた。
今度は生物学者が
「日本物理学会が終焉する時とはどんな時だろうか?」
と聞いた。
「そうだな。2ちゃんねらーが学会長に就く時だろうね」
「そうなれば、物理学者は一般人のことは忘れて業界の
ことばかりとなるだろうからな」
「きっと頭の悪いやつは「氏ねー」とか、研究費が「キター」
とかいうようなやつらばかりとなるだろうね」
とカオス学者が答えた。
2人は話に気をとられているうちにバーベキューの
オーストラリアンビーフは黒焦げ、
アメリカのトウモロコシはからからになり、
中国野菜は炭と変わり果て、
食べられるものは日本のコメだけとなり
バーべキューが終焉した。
[ 12:01 ]
[ 徳島サッカー ]
2008年度天皇杯県予選(徳島県選手権2種)の決勝が5月5日に城之内高校で行われ、本命の城之内が大方の予想通り優勝した。
この日は日昼暴風雨に見舞われ、非常に悪コンディションの中での試合となったはずだが、そうした悪いコンディションではパスサッカーは力を封じられ、自力や経験がものをいう試合となる。その点、おそらく城之内に有利と働いたのではないかと思う。そのため、まだ経験の浅い鴨島商には不利に働いたのだろう。
しかし、T2、T3レベルの鴨島商業がランク上の優勝候補を次々に倒し、城之内にも3得点したのは大変素晴らしい快挙である。ここ十数年徳島の高校サッカーシーンを観察して来た私も初めて知る快挙である。
鴨島商業の今後の活躍を期待したい。
【決勝】5日(月)
城之内(T1)6一3(5一1;1一2)鴨島商(T3)
得点者:
城之内:酒井4、日下1、近藤1
鴨島商:石田3
この日は日昼暴風雨に見舞われ、非常に悪コンディションの中での試合となったはずだが、そうした悪いコンディションではパスサッカーは力を封じられ、自力や経験がものをいう試合となる。その点、おそらく城之内に有利と働いたのではないかと思う。そのため、まだ経験の浅い鴨島商には不利に働いたのだろう。
しかし、T2、T3レベルの鴨島商業がランク上の優勝候補を次々に倒し、城之内にも3得点したのは大変素晴らしい快挙である。ここ十数年徳島の高校サッカーシーンを観察して来た私も初めて知る快挙である。
鴨島商業の今後の活躍を期待したい。
【決勝】5日(月)
城之内(T1)6一3(5一1;1一2)鴨島商(T3)
得点者:
城之内:酒井4、日下1、近藤1
鴨島商:石田3
2008/05/05のBlog
[ 18:01 ]
[ サッカー ]
バイエルン・ミュンヘン、21度目の優勝…ドイツ1部リーグ
バイエルン・ミュンヘンが2シーズンぶり21度目の優勝
レアル連覇、31度目の優勝…スペイン1部リーグ
レアル・マドリードが2一1が2年連続31度目の優勝
”優勝、優勝”
シーズンも終わりに近付き、いよいよ「ユーロ2008」への準備が始まる。
それにしても、なんで川淵のだんなは、未だに日本サッカーをシーズン制に移行しないのかね。
FIFAのルールではサッカーは冬のスポーツ、秋開幕で春に終わるシーズン制でなくてはならないはのなのだが。
1年中サッカーでは、選手が参ってしまうだろうヨ。
バイエルン・ミュンヘンが2シーズンぶり21度目の優勝
レアル連覇、31度目の優勝…スペイン1部リーグ
レアル・マドリードが2一1が2年連続31度目の優勝
”優勝、優勝”
シーズンも終わりに近付き、いよいよ「ユーロ2008」への準備が始まる。
それにしても、なんで川淵のだんなは、未だに日本サッカーをシーズン制に移行しないのかね。
FIFAのルールではサッカーは冬のスポーツ、秋開幕で春に終わるシーズン制でなくてはならないはのなのだが。
1年中サッカーでは、選手が参ってしまうだろうヨ。
[ 10:44 ]
[ 徳島 ]
NHK杯第63回徳島県中学選手権地区予選が開幕。
4月19日から5月4日まで行われた。
順位は得失点差による。
【北部予選】
各ブロック1位が県大会出場。
【Aブロック】
1位 藍住東2勝:2位 藍住1勝1敗:3位 吉野2敗
【Bブロック】
1位 鳴門ニ2勝:2位 上板1勝1敗:3位 土成2敗
【Cブロック】
1位 北島2勝:2位 大麻1勝1敗:3位 市場2敗
【Dブロック】
1位 松茂2勝1分:2位 鳴門一2勝1分:3位 阿波1勝2敗:
4位 板野3敗
4月19日から5月4日まで行われた。
順位は得失点差による。
【北部予選】
各ブロック1位が県大会出場。
【Aブロック】
1位 藍住東2勝:2位 藍住1勝1敗:3位 吉野2敗
【Bブロック】
1位 鳴門ニ2勝:2位 上板1勝1敗:3位 土成2敗
【Cブロック】
1位 北島2勝:2位 大麻1勝1敗:3位 市場2敗
【Dブロック】
1位 松茂2勝1分:2位 鳴門一2勝1分:3位 阿波1勝2敗:
4位 板野3敗
【中部予選】
各ブロック1位が県大会出場。
【Aブロック】
1位 南部1勝1分:2位 川内1勝1分:3位 徳島文理2敗
【Bブロック】
1位 津田3勝:2位 八万2勝1敗:3位 加茂名1勝2敗:
4位 国府3敗
【Cブロック】
1位 城西2勝:2位 上八万1勝1敗:3位 付属2敗
【Dブロック】
1位 徳島2勝1敗:2位 富田2勝1敗:3位 城東1勝1分:
4位 城之内1分2敗
各ブロック1位が県大会出場。
【Aブロック】
1位 南部1勝1分:2位 川内1勝1分:3位 徳島文理2敗
【Bブロック】
1位 津田3勝:2位 八万2勝1敗:3位 加茂名1勝2敗:
4位 国府3敗
【Cブロック】
1位 城西2勝:2位 上八万1勝1敗:3位 付属2敗
【Dブロック】
1位 徳島2勝1敗:2位 富田2勝1敗:3位 城東1勝1分:
4位 城之内1分2敗
【西部予選】
各ブロック1位が県大会出場。
第5代表は各ブロック2位で決定戦。
【Aブロック】
1位 井川2勝:2位 市立川島・県立川島1分1敗:
3位 貞光・半田1分1敗
【Bブロック】
1位 三野2勝1分:2位 三加茂2勝1分:3位 石井1勝2敗:
4位 江原3敗
【Cブロック】
1位 池田2勝:2位 美馬1勝1敗:3位 三好2敗
【Dブロック】
1位 鴨島一2勝:2位 山川1勝1敗:3位 鴨島東2敗
【第5代表決定戦】
市立川島・県立川島1一1(延長0一0、PK戦5一4)三加茂
美馬3一1山川
美馬3一1市立川島・県立川島
美馬が県大会出場
各ブロック1位が県大会出場。
第5代表は各ブロック2位で決定戦。
【Aブロック】
1位 井川2勝:2位 市立川島・県立川島1分1敗:
3位 貞光・半田1分1敗
【Bブロック】
1位 三野2勝1分:2位 三加茂2勝1分:3位 石井1勝2敗:
4位 江原3敗
【Cブロック】
1位 池田2勝:2位 美馬1勝1敗:3位 三好2敗
【Dブロック】
1位 鴨島一2勝:2位 山川1勝1敗:3位 鴨島東2敗
【第5代表決定戦】
市立川島・県立川島1一1(延長0一0、PK戦5一4)三加茂
美馬3一1山川
美馬3一1市立川島・県立川島
美馬が県大会出場
2008/05/04のBlog
[ 18:16 ]
[ 徳島サッカー ]
2008年度天皇杯県予選(徳島県選手権2種)の
準決勝が5月3日に行われた。
【準決勝】3日(土)
**番狂わせ
鴨島商(T3)3一1徳島北(T1)**
城之内(T1)2一1辻(T2)
鴨島商の2試合連続の大番狂わせは実に立派。優勝候補の1つ徳島北も一蹴。
一方、辻の健闘も素晴らしい。
次の五木杯、インターハイなどでの活躍が期待される。
果たして鴨島商の快挙なるか?
準決勝が5月3日に行われた。
【準決勝】3日(土)
**番狂わせ
鴨島商(T3)3一1徳島北(T1)**
城之内(T1)2一1辻(T2)
鴨島商の2試合連続の大番狂わせは実に立派。優勝候補の1つ徳島北も一蹴。
一方、辻の健闘も素晴らしい。
次の五木杯、インターハイなどでの活躍が期待される。
果たして鴨島商の快挙なるか?
2008/05/02のBlog
[ 12:31 ]
[ スポーツ ]
「柔道人生に悔いなし」 井上康生、引退を正式表明
「悔いはない」井上康生、現役引退を正式表明
「我が柔道人生に悔いは無しという気持ちです。
先生方、友人、家族、ファンのみなさんに支えられて幸せ者だった」
と語り、今後については
「みなさまに愛され、家族を幸せにし、柔道に恩返しできる人間になりたい」
井上康生選手が、現役引退を正式表明した。
あっぱれ、井上康生選手。それこそ、「潔さ」を持った日本男児と言えるだろう。
代表選考戦で負けたから引退。29才で現役引退はまだ早すぎるようにも思えるが、サッカーのジダンやベッカムや中沢、柔道の野村も代表引退した後また代表復帰することができる。だから、気持ちを落ち着けるまで一時でもその場から去ってみるというのは良い方法である。
一ヶ月ほど前、「”腐っても金”?:汚れた柔道界」に私はこう書いていた。
”谷亮子は、「選考会の一発勝負に負けてもいつも代表となる」。本人が引退宣言でもしない限り、他の選手に全くチャンスがない。これでは、選手は腐ってしまう。日本の柔道界の後々に”しこり”を残す。今や、谷亮子や井上康生などは柔道界の”障害”となってしまったからである。”
何度も国内最強選手を決める大会で負けているのに海外の試合には選ばれるのでは、自動車の「2重価格」と同じで、柔道選手を国内外で別々の評価をしているという摩訶不思議なことになる。国内最強選手が国際大会代表とならねばおかしい。
じゃ、国内で負けた谷亮子選手がオリンピック金メダルを取ったのなら、帰国後その金メダルの防衛戦を谷より強い選手と行うのか、という話になるからだ。
この点、井上康生選手は潔く、オリンピック代表を他の若手に譲り渡した。非常に良いことをしたと評価すべきだろう。私は非常に評価する。井上康生選手は”男”であった。もしここで井上選手がオリンピック代表となれば、これから10年20年と日本の男子柔道界は混迷を迎えることだろうからである。
何よりもそういう不公正な方法で金メダルととっても本人の心根が悪くなり、顔つきも悪くなる。谷亮子選手のように、いつも言い訳ばかりする人間となってしまうからだ。「”そこ”を突かれると逃げる」という人間となってしまう。
何ごとも逃げないのが柔道家の柔道家たるゆえんである。そこを曲げてしまった柔道選手に柔道家の称号はもはや与えられない。
こんなわけで、本来なら”引退”すべきは谷亮子選手であったが、井上康生選手の時代は終わりを告げた。
しかし、井上康生選手は知らないかも知れないが、”康生”という名前は1ヒーローの名前として多くの子供達の名前に付けられ受け継がれている。
今回の行為はその名前に恥じない立派な行為として語り継がれるだろう。これは、同じ名を付けた親たちや同じ名を持つ子供達にとって永遠のヒーローとなるということだろうヨ。
「負けるが勝ち」
とは、本来こういう意味だろうと俺は信じる。
「悔いはない」井上康生、現役引退を正式表明
「我が柔道人生に悔いは無しという気持ちです。
先生方、友人、家族、ファンのみなさんに支えられて幸せ者だった」
と語り、今後については
「みなさまに愛され、家族を幸せにし、柔道に恩返しできる人間になりたい」
井上康生選手が、現役引退を正式表明した。
あっぱれ、井上康生選手。それこそ、「潔さ」を持った日本男児と言えるだろう。
代表選考戦で負けたから引退。29才で現役引退はまだ早すぎるようにも思えるが、サッカーのジダンやベッカムや中沢、柔道の野村も代表引退した後また代表復帰することができる。だから、気持ちを落ち着けるまで一時でもその場から去ってみるというのは良い方法である。
一ヶ月ほど前、「”腐っても金”?:汚れた柔道界」に私はこう書いていた。
”谷亮子は、「選考会の一発勝負に負けてもいつも代表となる」。本人が引退宣言でもしない限り、他の選手に全くチャンスがない。これでは、選手は腐ってしまう。日本の柔道界の後々に”しこり”を残す。今や、谷亮子や井上康生などは柔道界の”障害”となってしまったからである。”
何度も国内最強選手を決める大会で負けているのに海外の試合には選ばれるのでは、自動車の「2重価格」と同じで、柔道選手を国内外で別々の評価をしているという摩訶不思議なことになる。国内最強選手が国際大会代表とならねばおかしい。
じゃ、国内で負けた谷亮子選手がオリンピック金メダルを取ったのなら、帰国後その金メダルの防衛戦を谷より強い選手と行うのか、という話になるからだ。
この点、井上康生選手は潔く、オリンピック代表を他の若手に譲り渡した。非常に良いことをしたと評価すべきだろう。私は非常に評価する。井上康生選手は”男”であった。もしここで井上選手がオリンピック代表となれば、これから10年20年と日本の男子柔道界は混迷を迎えることだろうからである。
何よりもそういう不公正な方法で金メダルととっても本人の心根が悪くなり、顔つきも悪くなる。谷亮子選手のように、いつも言い訳ばかりする人間となってしまうからだ。「”そこ”を突かれると逃げる」という人間となってしまう。
何ごとも逃げないのが柔道家の柔道家たるゆえんである。そこを曲げてしまった柔道選手に柔道家の称号はもはや与えられない。
こんなわけで、本来なら”引退”すべきは谷亮子選手であったが、井上康生選手の時代は終わりを告げた。
しかし、井上康生選手は知らないかも知れないが、”康生”という名前は1ヒーローの名前として多くの子供達の名前に付けられ受け継がれている。
今回の行為はその名前に恥じない立派な行為として語り継がれるだろう。これは、同じ名を付けた親たちや同じ名を持つ子供達にとって永遠のヒーローとなるということだろうヨ。
「負けるが勝ち」
とは、本来こういう意味だろうと俺は信じる。
2008/05/01のBlog
[ 10:46 ]
[ ドラマ・映画 ]
大いなる陰謀
昨日、この映画を見たが、正直
「どこが”大いなる”のか?」、
「どこに知られていない陰謀があるのか?」
まったく分からなかった。
描かれた”陰謀”はおおよそだれでも想像できる範囲のもので、ジョン・コールマン博士やデービッド・アイクや太田龍などの「陰謀暴露論者」たちの描く、”壮大な陰謀論”からすれば、微々たる子供じみたレベルの作り話程度であった。
なぜなら、ジョン・コールマン博士やデービッド・アイクや太田龍などによれば、そもそも9・11のジェット旅客機すらどこにも存在せず、ペンタゴンの爆破映像のどこにも飛行機も映らず、飛行機の残骸すら存在しないという事実を出発点にし、9・11はブッシュ政権の陰謀であると見ている。そして、9・11やサブプライムローン問題などですら壮大な「人類家畜牧場計画」への伏線の1つでしかないと見なしているからである。
この壮大な陰謀論の見方からすれば、ロバート・レッドフォードの「大いなる陰謀」などどこにも陰謀と呼べるものはない。せいぜい軽い「騙し、偽り」程度のものだろう。
リッチな白人層は、国内でセレブ生活や怠惰な生活を行い、”有能で将来性ある”黒人やヒスパニックなどのマイノリティーの国民の若者は率先して最前線で死ぬ。大学のインテリは口先だけで何もしない。学生からも尊敬されない。方や軍隊出の青年将校が政治家に転身し、国民の知らないところでアフガンやイラクそしてイラン戦争を準備する。こういう連中が若者の将来を台なしにする。これこそ「大いなる陰謀」と呼ばずして何なのか?
というのが、おそらくこの映画の主題だろう。ロバート・レッドフォードの”気持ち”(怒りや憤り)はよく理解できる。
しかし、これはまだ”陰謀”とは言えない。なぜなら、こんなことはおよそ戦争と言う時にはどこの国にもあることに過ぎないからだ。
もし真に「陰謀」と呼ぶべき内容のことがあるとすれば、やはりジョン・コールマン博士が「300人委員会」で暴露した、この委員会が行おうとしているとされる、「地球50億人削減計画」、「王家の人間牧場計画」、「ワンワールド計画」というような物騒なものだろう。
このスケールでは、アフガン問題、イラク問題、イラン、北朝鮮など悪の枢軸問題など、それに今回の中国問題、チベット問題などは、すべて計画の一過程として織り込み済みのものにすぎないからである。
こういった政治問題はすべて、白人王家のユーロとそれ以外の有色人種の家畜人類の国々の間の「新世界秩序」への序章に過ぎないと見なせるからである。要するに、ヨーロッパの白人連合が、人類文明の代表格として勝利者となり、それ以外の人種は彼らの使用人として人類家畜になれ、という新しい世界秩序へ向けての壮大な計画である。(”3つの世界戦争とニビル星人降臨”)
こういうのが、ジョン・コールマン博士やデービッド・アイクや太田龍などの描く”陰謀論”である。
これと比べたら、ロバート・レッドフォードの陰謀など小さい小さい。
ところで、気になったのは、「陰謀」と言いながら、巧妙に「イラクとアフガンの背後で両方を支援しているのはイランだ」と次なる戦争相手をイランに仕立て上げようとしているところである。おそらく、この映画の一番言いたかったことはこれだろう。この意味では、ブッシュ政権がこの映画を製作させたのだろうと感じる。
しかし、これは真っ赤なウソだ。
しばらく前に「マスコミの集団ヒステリーとアメリカのイラン攻撃」に書いていたように、イランの土地は、「ハートランド」、つまり「軍事戦略上もっとも大事な位置にある場所」なのである。
特に、イラン人がどんな宗教を信じようが、何をしようが、そんなことはたわい無いことなのである。問題はここを押さえることが、欧州とロシアアジアの障壁づくりにもっとも有効だからである。
さらに、現在では、ロシアのガスエネルギー政策と英米(独仏はちょっと違う)の石油エネルギー政策の”大衝突地点”がアフガンからイラクまでの中央高地なのである。
つまり、英米にとっては、イランを制圧すれば、ロシアのガスを欧州に引かずにすみ、自国の油田で世界をコントロールできるが、イランがロシアに渡れば、欧州が英米と独仏にエネルギー供給で二分されてしまうという危機が出る。
ましてや、ロシアのガスは、モンゴル、中国、インドへとガスパイプラインで引かれる計画であり、これが実現すれば、アジアの3つの超大国が縦に並ぶこととなる。ロシアの3億人、中国の12億人、インドの10億人が欧米列国に挑戦できる体制となるのである。
欧米人、特にアングロサクソンの英米人が特にこれを恐れているわけだ。
そこで、インドのチベット人ダライラマを焚き付けて、インドと中国関係を悪くする。そうすれば、ロシアからのパイプライン建設を当分は阻止できる。だから、イギリス人は必至で北京を妨害するわけである。ましてや、ロシア人や中国人やイラン人を悪魔のように悪者呼ばわりするわけだ。
しかし、世界はこれに乗っては行けない。なぜなら、日本のように何の資源もない国では、ロシアのガスであれ、英米の石油であれ、どんなものでも貴重なものだからだ。
我々日本人は、世界が1つでない限り(これは、王家が牛耳る「ワンワールド政府」という意味ではない!)、つまり世界がある程度平和でない限り存続し得ないという事実に目を向けなくてはならない。
この意味では、日本は「大いなる風見鶏」、「八方美人外交」で十分。世界中のどの国とも適度につき合う。そういう「理性の国」として世界に君臨すべきである。
馬鹿な白人には「調子こくな」と言い、良いマイノリティー国家には「君もできる」と言うというような国であるべきだろう。
そこで、宮沢賢治の詩風に言えばこんな感じだろう。
「超大国ニモマケズ」
英米にも負けず
王家にも負けず
冬の大寒波にも地球温暖化にも負けぬ
丈夫な国と国民をもち
侵略はなく
決して戦争せず
いつも静かにそびえたつ
一年にわずかの石油と
物資と少しの食料を消費し
世界のあらゆることを
自国を勘定に入れずに
よく見聞きし分かり
そして忘れず
地球のアジアの極東の
小さな4つの島々にいて
東に病気の国あれば
行って救護してやり
西に疲れた国あれば
行ってその経済を立て直し
南に瀕死の国あれば
行ってこわがらなくてもいいといい
北に戦争や衝突があれば
つまらないからやめろといい
日照りの時は涙を流し
寒さの夏はおろおろ歩き
世界の国々にでくのぼーと呼ばれ
褒められもせず
苦にもされず
そういうものに
日本は
なりたい
------------------------------
こんな映画に見るように、欧米の”一部の人々”は、巧みに人心を操り、巧妙に世界を戦争へと導こうとしているようですナ。
いずれにせよ、今年は「陰謀論」ブームの年になりそうですナ。
映画の始まる前の予告編で、シルベスター・スタローンの「ランボー 最後の戦場」、ハリソン・フォードの「インディー・ジョーンズ クリスタル・スカルの王国」、トム・ハンクスの「チャーリー・ウィルソンズ・ウォー」、「ハプニング」
これらは、すべて何らかの「陰謀論」的要素を含んでいるように見えた。
「本物の陰謀論を静めるには小粒なニセの陰謀論を打つ」
というのは、情報操作(ディスインフォーメーション)の鉄則の1つらしいが、こういう映画がそういったものである可能性もある。
ただただ、こういった映画が「ハリウッドの陰謀」でないことを祈るのみ。
昨日、この映画を見たが、正直
「どこが”大いなる”のか?」、
「どこに知られていない陰謀があるのか?」
まったく分からなかった。
描かれた”陰謀”はおおよそだれでも想像できる範囲のもので、ジョン・コールマン博士やデービッド・アイクや太田龍などの「陰謀暴露論者」たちの描く、”壮大な陰謀論”からすれば、微々たる子供じみたレベルの作り話程度であった。
なぜなら、ジョン・コールマン博士やデービッド・アイクや太田龍などによれば、そもそも9・11のジェット旅客機すらどこにも存在せず、ペンタゴンの爆破映像のどこにも飛行機も映らず、飛行機の残骸すら存在しないという事実を出発点にし、9・11はブッシュ政権の陰謀であると見ている。そして、9・11やサブプライムローン問題などですら壮大な「人類家畜牧場計画」への伏線の1つでしかないと見なしているからである。
この壮大な陰謀論の見方からすれば、ロバート・レッドフォードの「大いなる陰謀」などどこにも陰謀と呼べるものはない。せいぜい軽い「騙し、偽り」程度のものだろう。
リッチな白人層は、国内でセレブ生活や怠惰な生活を行い、”有能で将来性ある”黒人やヒスパニックなどのマイノリティーの国民の若者は率先して最前線で死ぬ。大学のインテリは口先だけで何もしない。学生からも尊敬されない。方や軍隊出の青年将校が政治家に転身し、国民の知らないところでアフガンやイラクそしてイラン戦争を準備する。こういう連中が若者の将来を台なしにする。これこそ「大いなる陰謀」と呼ばずして何なのか?
というのが、おそらくこの映画の主題だろう。ロバート・レッドフォードの”気持ち”(怒りや憤り)はよく理解できる。
しかし、これはまだ”陰謀”とは言えない。なぜなら、こんなことはおよそ戦争と言う時にはどこの国にもあることに過ぎないからだ。
もし真に「陰謀」と呼ぶべき内容のことがあるとすれば、やはりジョン・コールマン博士が「300人委員会」で暴露した、この委員会が行おうとしているとされる、「地球50億人削減計画」、「王家の人間牧場計画」、「ワンワールド計画」というような物騒なものだろう。
このスケールでは、アフガン問題、イラク問題、イラン、北朝鮮など悪の枢軸問題など、それに今回の中国問題、チベット問題などは、すべて計画の一過程として織り込み済みのものにすぎないからである。
こういった政治問題はすべて、白人王家のユーロとそれ以外の有色人種の家畜人類の国々の間の「新世界秩序」への序章に過ぎないと見なせるからである。要するに、ヨーロッパの白人連合が、人類文明の代表格として勝利者となり、それ以外の人種は彼らの使用人として人類家畜になれ、という新しい世界秩序へ向けての壮大な計画である。(”3つの世界戦争とニビル星人降臨”)
こういうのが、ジョン・コールマン博士やデービッド・アイクや太田龍などの描く”陰謀論”である。
これと比べたら、ロバート・レッドフォードの陰謀など小さい小さい。
ところで、気になったのは、「陰謀」と言いながら、巧妙に「イラクとアフガンの背後で両方を支援しているのはイランだ」と次なる戦争相手をイランに仕立て上げようとしているところである。おそらく、この映画の一番言いたかったことはこれだろう。この意味では、ブッシュ政権がこの映画を製作させたのだろうと感じる。
しかし、これは真っ赤なウソだ。
しばらく前に「マスコミの集団ヒステリーとアメリカのイラン攻撃」に書いていたように、イランの土地は、「ハートランド」、つまり「軍事戦略上もっとも大事な位置にある場所」なのである。
特に、イラン人がどんな宗教を信じようが、何をしようが、そんなことはたわい無いことなのである。問題はここを押さえることが、欧州とロシアアジアの障壁づくりにもっとも有効だからである。
さらに、現在では、ロシアのガスエネルギー政策と英米(独仏はちょっと違う)の石油エネルギー政策の”大衝突地点”がアフガンからイラクまでの中央高地なのである。
つまり、英米にとっては、イランを制圧すれば、ロシアのガスを欧州に引かずにすみ、自国の油田で世界をコントロールできるが、イランがロシアに渡れば、欧州が英米と独仏にエネルギー供給で二分されてしまうという危機が出る。
ましてや、ロシアのガスは、モンゴル、中国、インドへとガスパイプラインで引かれる計画であり、これが実現すれば、アジアの3つの超大国が縦に並ぶこととなる。ロシアの3億人、中国の12億人、インドの10億人が欧米列国に挑戦できる体制となるのである。
欧米人、特にアングロサクソンの英米人が特にこれを恐れているわけだ。
そこで、インドのチベット人ダライラマを焚き付けて、インドと中国関係を悪くする。そうすれば、ロシアからのパイプライン建設を当分は阻止できる。だから、イギリス人は必至で北京を妨害するわけである。ましてや、ロシア人や中国人やイラン人を悪魔のように悪者呼ばわりするわけだ。
しかし、世界はこれに乗っては行けない。なぜなら、日本のように何の資源もない国では、ロシアのガスであれ、英米の石油であれ、どんなものでも貴重なものだからだ。
我々日本人は、世界が1つでない限り(これは、王家が牛耳る「ワンワールド政府」という意味ではない!)、つまり世界がある程度平和でない限り存続し得ないという事実に目を向けなくてはならない。
この意味では、日本は「大いなる風見鶏」、「八方美人外交」で十分。世界中のどの国とも適度につき合う。そういう「理性の国」として世界に君臨すべきである。
馬鹿な白人には「調子こくな」と言い、良いマイノリティー国家には「君もできる」と言うというような国であるべきだろう。
そこで、宮沢賢治の詩風に言えばこんな感じだろう。
「超大国ニモマケズ」
英米にも負けず
王家にも負けず
冬の大寒波にも地球温暖化にも負けぬ
丈夫な国と国民をもち
侵略はなく
決して戦争せず
いつも静かにそびえたつ
一年にわずかの石油と
物資と少しの食料を消費し
世界のあらゆることを
自国を勘定に入れずに
よく見聞きし分かり
そして忘れず
地球のアジアの極東の
小さな4つの島々にいて
東に病気の国あれば
行って救護してやり
西に疲れた国あれば
行ってその経済を立て直し
南に瀕死の国あれば
行ってこわがらなくてもいいといい
北に戦争や衝突があれば
つまらないからやめろといい
日照りの時は涙を流し
寒さの夏はおろおろ歩き
世界の国々にでくのぼーと呼ばれ
褒められもせず
苦にもされず
そういうものに
日本は
なりたい
------------------------------
こんな映画に見るように、欧米の”一部の人々”は、巧みに人心を操り、巧妙に世界を戦争へと導こうとしているようですナ。
いずれにせよ、今年は「陰謀論」ブームの年になりそうですナ。
映画の始まる前の予告編で、シルベスター・スタローンの「ランボー 最後の戦場」、ハリソン・フォードの「インディー・ジョーンズ クリスタル・スカルの王国」、トム・ハンクスの「チャーリー・ウィルソンズ・ウォー」、「ハプニング」
これらは、すべて何らかの「陰謀論」的要素を含んでいるように見えた。
「本物の陰謀論を静めるには小粒なニセの陰謀論を打つ」
というのは、情報操作(ディスインフォーメーション)の鉄則の1つらしいが、こういう映画がそういったものである可能性もある。
ただただ、こういった映画が「ハリウッドの陰謀」でないことを祈るのみ。
2008/04/30のBlog
[ 19:30 ]
[ 徳島サッカー ]
2008年度天皇杯県予選(徳島県選手権2種)の
準々決勝が29日に行われた。
【準々決勝】29日(火)
**番狂わせ
徳島北(T1)2一0徳島東工(T2)
城之内(T1)5一0阿波(T1)
鴨島商(T3)2一1城南(T2)**
辻(T2)1一0小松島(T2)
徳島県の高校サッカーシーンでは「番狂わせ」というものはほとんどない。
プリンスはT1に勝ち、T1はT2に勝ち、T2はT3に勝つ。
完璧にサッカーの格差社会が高校では出来上がってしまっているからだ。
強豪校は、勉強の出来ないサッカー馬鹿でも入学を許可し、
例え、その学校が「文武両道」校と銘打っても、
事実は「スポーツ馬鹿とガリ勉の勉強オタクの混成」学校にすぎない。
校内にはスポーツ要員と勉強要員が別々の生活を送るという感じで、昔の
「文武両道」の人材が闊歩する日本の高校のイメージで語ることはできない。
スポーツの全国大会進出や有名大学への進学は、新しい生徒を得るための
格好の材料となるが、人間教育の場としてはすでに退化してしまっている
というのが昨今の高校なのである。
こうなると、上位校はスポーツも勉強も良い学校になる。
だが、下位校は勉強もスポーツもだめのがらくた集めの学校という
ふうになりやすい。
はたしてそんな学校が子供にとって住みやすく良い場所と言えるのか。
良い学校では、親の財布の中身まで一緒、どこでヘアカットしているかもいっしょ。
胃袋の中身までいっしょということになりかねない。
威風堂々、質実剛健、文武両道の日本男児の精神はもはや死語。
みんなジャニーズ系の適度なイケメンと子ギャルメークの女の子。
後は馬鹿を芸風にする吉本や馬鹿仕込みのタレントのような子供ばかり。
これじゃ教育とはいえまい。
いやはや、世も末ですナ。
準々決勝が29日に行われた。
【準々決勝】29日(火)
**番狂わせ
徳島北(T1)2一0徳島東工(T2)
城之内(T1)5一0阿波(T1)
鴨島商(T3)2一1城南(T2)**
辻(T2)1一0小松島(T2)
徳島県の高校サッカーシーンでは「番狂わせ」というものはほとんどない。
プリンスはT1に勝ち、T1はT2に勝ち、T2はT3に勝つ。
完璧にサッカーの格差社会が高校では出来上がってしまっているからだ。
強豪校は、勉強の出来ないサッカー馬鹿でも入学を許可し、
例え、その学校が「文武両道」校と銘打っても、
事実は「スポーツ馬鹿とガリ勉の勉強オタクの混成」学校にすぎない。
校内にはスポーツ要員と勉強要員が別々の生活を送るという感じで、昔の
「文武両道」の人材が闊歩する日本の高校のイメージで語ることはできない。
スポーツの全国大会進出や有名大学への進学は、新しい生徒を得るための
格好の材料となるが、人間教育の場としてはすでに退化してしまっている
というのが昨今の高校なのである。
こうなると、上位校はスポーツも勉強も良い学校になる。
だが、下位校は勉強もスポーツもだめのがらくた集めの学校という
ふうになりやすい。
はたしてそんな学校が子供にとって住みやすく良い場所と言えるのか。
良い学校では、親の財布の中身まで一緒、どこでヘアカットしているかもいっしょ。
胃袋の中身までいっしょということになりかねない。
威風堂々、質実剛健、文武両道の日本男児の精神はもはや死語。
みんなジャニーズ系の適度なイケメンと子ギャルメークの女の子。
後は馬鹿を芸風にする吉本や馬鹿仕込みのタレントのような子供ばかり。
これじゃ教育とはいえまい。
いやはや、世も末ですナ。
2008/04/28のBlog
[ 10:36 ]
[ 徳島サッカー ]
2008年度天皇杯県予選(徳島県選手権2種)が開幕。
1次トーナメントは25チームが参加。
【1回戦】26日(土)
徳島北(T1)6一0阿南高専(T3)
鴨島商(T3)2一0城東(T3)
城之内(T1)7一0板野(T3)
阿波(T1)4一1徳島工(T3)
小松島(T2)1一0徳島文理(T3)
城南(T1)5一2海部(T3)
1次トーナメントは25チームが参加。
【1回戦】26日(土)
徳島北(T1)6一0阿南高専(T3)
鴨島商(T3)2一0城東(T3)
城之内(T1)7一0板野(T3)
阿波(T1)4一1徳島工(T3)
小松島(T2)1一0徳島文理(T3)
城南(T1)5一2海部(T3)
2008/04/26のBlog
[ 22:14 ]
[ 大学・大学院 ]
日本の理論物理学者はどうしてこうも不勉強家になったのか?
今回はこの問題に対する私個人の印象を紹介させてもらおう。もう30年近くも物理科学の世界を歩いてくると、こういうことが分かるようになるから面白い。
日本で理論物理学者になる人というのは、たいがいは(おそらく99%は)勉強ばかりやってきた人物である。私のように小中高大学とろくに学校の勉強せずにスポーツを本格的にやってきた人間というのは、むしろかなり稀、異端的ですらある。塾や予備校に通い、文学書や哲学書の読書に明け暮れてきたというようなちょっと早熟のインテリで、人と話をする時決まって眼鏡をちょっと手で押し上げるというようなタイプの人間が多い。
ところが、そういったちょっと早熟の日本のインテリたちも年齢とともに徐々に大人しくなる。40歳も過ぎるともう新分野の論文や大学で教えている自分の冠分野以外の研究などまったく読む気も起こらないというような人物と変わってくる。
(この理由を考えることは面白い。おそらく、受験勉強のし過ぎから来た頭脳の固さと幼少からの過度の勉強によるストレスのせいで、ある年齢に達すると飽和状態になり、学習能力が緩和してしまうのだろうと思う。)
にもかかわらず、逆に年齢とともに自分の専門分野でそれなりに名が知られるようになる。それにつれ、いつも同じようなことばかり研究しているわけにも行かず、少しは新しいこともやっているとちまたには見せる必要が出る。
特に、新しい研究費を取るというような時にそういう場合も出てくる。あるいは、年とともに、自分の持つ”変な色気”とともに出てくるわけである。つまり、「俺も他の人がやっていることでも研究できるんだよ」とデモンストレーションしたくなるわけだ。
しかし、色気は出るが、その一方で他人の論文や他の分野の論文など読む気はさらさらない。そんな気力はとうに失せているわけだ。
実際、”いい年こいて”新人のこれから博士号を取ろうというような意気込みのある大学院生や大学生のように欧米の新進気鋭の若手学者が書いた膨大な論文群をしこしこと読みといて行くのは実に根気がいる作業なのである。
だいたい学生が1つの英語論文を読んで完全に理解するのにも下手すれば1年はかかる。早くても数カ月かかる代物である。そんな論文を数十から何百も読まなくてならない。そうしない限り新分野でそれなりの専門家にはなれない。論文などもってのほかである。1年2年と地道に勉強して行かない限り、参考文献すら書けず、序文すら書けないからである。逆に言えば、数年勉強してやっと1つ2つの論文がその筋の研究雑誌に出せる程度なのである。
これは一種のジレンマである。
つまり、研究者にとって一分野で有名になることは、他分野を学ぶ気を失せさせることである。この場合、もう研究者としては終わりということになるからだ。逆に一分野でそれほど有名でないならば、他分野を学んでそっちで有名になろうとする意欲はあり得る。しかしこの場合には時間を要する。
このように、新分野へのチャレンジ精神を維持するということと一分野に留まってその分野でそこそこの研究者で居座るということは拮抗するのである。
もちろん、世界には、あらゆる分野で著名な研究をしているつわものもいる。しかし、私の見る限りこうした人たちは非常に稀で例外的である。
では、こういう傾向を持つ日本人理論物理学者はどのようにして他分野の研究を始めるのか?
まず代表的なのは、海外のその筋の専門家のところに留学して”ネタ取り”するのである。1年に1、2回MITなどに行ってそこのエキスパートと共同研究(聞こえはいいが実際には弟子入りしているだけ)して新分野の論文に参加させてもらうのである。
これは、実に効率の良いビジネスである。なぜなら普通に新分野に新規参入すれば、少なくとも1、2年は論文読みや問題発掘に要するものを留学して一気にそれをすっ飛ばすことができるからだ。どの論文を読み、どの研究が重要か、何が問題か、何が今のトレンドか、こういった問題を本来なら数年研究して自ら発見しなくてはならないことを全部そこのボスである指導者が教えてくれるからである。
しかしこういう人たちが海外から留学帰りとして戻ってくる。ましてやそのボスが世界的有名である場合には、著名な研究の仲間である新進気鋭の研究者として鳴り物入りで向かい入れられる。そしていつしかこういう理論物理学者たちが学会を支配して行くのである。
次の方法は、自分の学生や友人や知人でその分野の専門家を探し、共同研究するというやり方である。これは先の方法ほどではないが、それなりに手間ひまを省ける。
こんなわけで、どうも最近の日本の理論物理学者はあまり勉強しない。古今東西の主要な論文や研究を密かに自分で読んで研究しているなどという人は私がインターネットで調べる範囲ではめったにいない。
いつからこうなってしまったのか? どうしてこうなってしまったのか?
こういった疑問の答えを私は知らないが、何か”問題”がそこにあるということだろうと感じる。
どうも現在の理論物理学者の勉強嫌いはどうにかならんのだろうかネ。
ちなみに、なぜ私がこういうことを考えるかと言えば、研究というものは、あらゆることを勉強し尽くしても、まだ分からん、これを知ってもまだ足りない、これを勉強してもまだ不十分だと決して満足せず疑問を積み重ねて行く内にしか本質的な進歩に行きつかないと思うからである。
今回はこの問題に対する私個人の印象を紹介させてもらおう。もう30年近くも物理科学の世界を歩いてくると、こういうことが分かるようになるから面白い。
日本で理論物理学者になる人というのは、たいがいは(おそらく99%は)勉強ばかりやってきた人物である。私のように小中高大学とろくに学校の勉強せずにスポーツを本格的にやってきた人間というのは、むしろかなり稀、異端的ですらある。塾や予備校に通い、文学書や哲学書の読書に明け暮れてきたというようなちょっと早熟のインテリで、人と話をする時決まって眼鏡をちょっと手で押し上げるというようなタイプの人間が多い。
ところが、そういったちょっと早熟の日本のインテリたちも年齢とともに徐々に大人しくなる。40歳も過ぎるともう新分野の論文や大学で教えている自分の冠分野以外の研究などまったく読む気も起こらないというような人物と変わってくる。
(この理由を考えることは面白い。おそらく、受験勉強のし過ぎから来た頭脳の固さと幼少からの過度の勉強によるストレスのせいで、ある年齢に達すると飽和状態になり、学習能力が緩和してしまうのだろうと思う。)
にもかかわらず、逆に年齢とともに自分の専門分野でそれなりに名が知られるようになる。それにつれ、いつも同じようなことばかり研究しているわけにも行かず、少しは新しいこともやっているとちまたには見せる必要が出る。
特に、新しい研究費を取るというような時にそういう場合も出てくる。あるいは、年とともに、自分の持つ”変な色気”とともに出てくるわけである。つまり、「俺も他の人がやっていることでも研究できるんだよ」とデモンストレーションしたくなるわけだ。
しかし、色気は出るが、その一方で他人の論文や他の分野の論文など読む気はさらさらない。そんな気力はとうに失せているわけだ。
実際、”いい年こいて”新人のこれから博士号を取ろうというような意気込みのある大学院生や大学生のように欧米の新進気鋭の若手学者が書いた膨大な論文群をしこしこと読みといて行くのは実に根気がいる作業なのである。
だいたい学生が1つの英語論文を読んで完全に理解するのにも下手すれば1年はかかる。早くても数カ月かかる代物である。そんな論文を数十から何百も読まなくてならない。そうしない限り新分野でそれなりの専門家にはなれない。論文などもってのほかである。1年2年と地道に勉強して行かない限り、参考文献すら書けず、序文すら書けないからである。逆に言えば、数年勉強してやっと1つ2つの論文がその筋の研究雑誌に出せる程度なのである。
これは一種のジレンマである。
つまり、研究者にとって一分野で有名になることは、他分野を学ぶ気を失せさせることである。この場合、もう研究者としては終わりということになるからだ。逆に一分野でそれほど有名でないならば、他分野を学んでそっちで有名になろうとする意欲はあり得る。しかしこの場合には時間を要する。
このように、新分野へのチャレンジ精神を維持するということと一分野に留まってその分野でそこそこの研究者で居座るということは拮抗するのである。
もちろん、世界には、あらゆる分野で著名な研究をしているつわものもいる。しかし、私の見る限りこうした人たちは非常に稀で例外的である。
では、こういう傾向を持つ日本人理論物理学者はどのようにして他分野の研究を始めるのか?
まず代表的なのは、海外のその筋の専門家のところに留学して”ネタ取り”するのである。1年に1、2回MITなどに行ってそこのエキスパートと共同研究(聞こえはいいが実際には弟子入りしているだけ)して新分野の論文に参加させてもらうのである。
これは、実に効率の良いビジネスである。なぜなら普通に新分野に新規参入すれば、少なくとも1、2年は論文読みや問題発掘に要するものを留学して一気にそれをすっ飛ばすことができるからだ。どの論文を読み、どの研究が重要か、何が問題か、何が今のトレンドか、こういった問題を本来なら数年研究して自ら発見しなくてはならないことを全部そこのボスである指導者が教えてくれるからである。
しかしこういう人たちが海外から留学帰りとして戻ってくる。ましてやそのボスが世界的有名である場合には、著名な研究の仲間である新進気鋭の研究者として鳴り物入りで向かい入れられる。そしていつしかこういう理論物理学者たちが学会を支配して行くのである。
次の方法は、自分の学生や友人や知人でその分野の専門家を探し、共同研究するというやり方である。これは先の方法ほどではないが、それなりに手間ひまを省ける。
こんなわけで、どうも最近の日本の理論物理学者はあまり勉強しない。古今東西の主要な論文や研究を密かに自分で読んで研究しているなどという人は私がインターネットで調べる範囲ではめったにいない。
いつからこうなってしまったのか? どうしてこうなってしまったのか?
こういった疑問の答えを私は知らないが、何か”問題”がそこにあるということだろうと感じる。
どうも現在の理論物理学者の勉強嫌いはどうにかならんのだろうかネ。
ちなみに、なぜ私がこういうことを考えるかと言えば、研究というものは、あらゆることを勉強し尽くしても、まだ分からん、これを知ってもまだ足りない、これを勉強してもまだ不十分だと決して満足せず疑問を積み重ねて行く内にしか本質的な進歩に行きつかないと思うからである。
2008/04/25のBlog
[ 09:11 ]
[ ジョーク ]
笑いは百薬之長。以下はジョーク。笑うことが肝要。信じないことだヨ。
【チベット問題vs北京オリンピック】
チベット問題は北京オリンピックとリンクされて今や世界中の大問題。
そこで、世界の人々はこの問題にどう振る舞うのだろうか。
イギリス人の場合。
「イギリス人諸君、今こそ英国紳士の心意気を世界に見せる時だ。
中国を恐れずに聖火リレーを妨害してくれたまえ」
すると、イギリス人は、”英国紳士の勇気を見せてやる”と
勇猛果敢に聖火リレーを妨害する。
アメリカ人の場合。
「アメリカ人諸君、君たちは雇用保険や年金に入っているから大丈夫だ。
失敗しようがどうなろうが何も問題ない。
中国を恐れずに聖火リレーを妨害してくれたまえ」
すると、アメリカ人は安心して後のことは”保険に任せた”と
勇猛果敢に聖火リレーを妨害する。
ドイツ人の場合。
「ドイツ人諸君、これは国家の絶対命令だ。
中国を恐れずに死ぬ気で聖火リレーを妨害してくれたまえ」
すると、ドイツ人は”命令には絶対服従”と
勇猛果敢に聖火リレーを妨害する。
フランス人の場合。
「フランス人諸君、フランスは”自由、平等、博愛”の精神の国。
その理想のために中国を恐れずに聖火リレーを妨害してくれたまえ。
その方が女性にもてるぞ。』
すると、フランス人は”世界の自由、平等、博愛と女のために”と
勇猛果敢に聖火リレーを妨害する。
イタリア人の場合。
「イタリア人諸君、君たちはこのままで結構。
妨害は他国に任せて普通の生活をしてくれたまえ。」
すると、イタリア人は”人の命令に従うのは真っ平ごめん”と
勇猛果敢にに聖火リレーを妨害する。
カナダ人の場合。
「カナダ人諸君、カナダには死刑制度はない。
どんな犯罪を犯しても死刑になることはない。
中国を恐れずに聖火リレーを妨害してくれたまえ」
すると、カナダ人は”どんなことをしても死刑にならないのなら”と
勇猛果敢に聖火リレーを妨害する。
オーストラリア人の場合。
「オーストラリア人諸君、今こそ宗主国英国女王の機嫌をとるのだ。
女王のため中国を恐れずに聖火リレーを妨害してくれたまえ」
すると、オーストラリア人は、”イギリス女王陛下のため”と
勇猛果敢に聖火リレーを妨害する。
日本人の場合。
「日本人諸君、他国はみんな聖火リレーを妨害している。
やっていないのは日本人だけだ。」
すると日本人はそれが”世界の常識だ”と知って
しぶしぶ聖火リレーを妨害する。
(昨日、本当にタケシの兄がこんなことを言ってたネ)
中国人の場合。
「中国人諸君、中国では国家反逆罪は死刑とされている。
北京オリンピック開催する以上、失敗すれば死刑だ。
中国で生き続けたいなら成功するまでやり遂げるほかない」
すると、中国人は”成功しないかぎり死刑になるのなら”と
勇猛果敢に聖火リレーを妨害する他国民を妨害する。
【持続時間vs長さ】
『持続時間、長いほど男らしい? 米大学が射精アンケート』に関して
世の中の男性は「持続時間が長いほどいい」と思いこんでいる。
しかし、それは必ずしもそうではないらしい。
ペンシルベニア州立大が「性交時に男性が射精まで持続する適正な時間」
を性療法士からアンケート調査した結果、平均3分一13分と出たとか。
その結果、白人、黒人、東洋人というランキング。
でも、女性はどう思っているのだろうか。これはまだ調査中。
相手あってのものだけに、こっちの方が重要そうだ。
これに対して、ハーバード大は
「性交時に男性器が長いほど持続時間が長い」という結果を出し、
三段論法の結果、「男性器が長いほどいい」という結論を出した。
その結果、黒人、白人、東洋人というランキング。
これに対して、東大は
「いやいや固さの持続時間の方が大事」ですゾと調査。
その結果、東洋人、黒人、白人というランキング。
いやはやどれが真実なんだろうか。
【チベット問題vs北京オリンピック】
チベット問題は北京オリンピックとリンクされて今や世界中の大問題。
そこで、世界の人々はこの問題にどう振る舞うのだろうか。
イギリス人の場合。
「イギリス人諸君、今こそ英国紳士の心意気を世界に見せる時だ。
中国を恐れずに聖火リレーを妨害してくれたまえ」
すると、イギリス人は、”英国紳士の勇気を見せてやる”と
勇猛果敢に聖火リレーを妨害する。
アメリカ人の場合。
「アメリカ人諸君、君たちは雇用保険や年金に入っているから大丈夫だ。
失敗しようがどうなろうが何も問題ない。
中国を恐れずに聖火リレーを妨害してくれたまえ」
すると、アメリカ人は安心して後のことは”保険に任せた”と
勇猛果敢に聖火リレーを妨害する。
ドイツ人の場合。
「ドイツ人諸君、これは国家の絶対命令だ。
中国を恐れずに死ぬ気で聖火リレーを妨害してくれたまえ」
すると、ドイツ人は”命令には絶対服従”と
勇猛果敢に聖火リレーを妨害する。
フランス人の場合。
「フランス人諸君、フランスは”自由、平等、博愛”の精神の国。
その理想のために中国を恐れずに聖火リレーを妨害してくれたまえ。
その方が女性にもてるぞ。』
すると、フランス人は”世界の自由、平等、博愛と女のために”と
勇猛果敢に聖火リレーを妨害する。
イタリア人の場合。
「イタリア人諸君、君たちはこのままで結構。
妨害は他国に任せて普通の生活をしてくれたまえ。」
すると、イタリア人は”人の命令に従うのは真っ平ごめん”と
勇猛果敢にに聖火リレーを妨害する。
カナダ人の場合。
「カナダ人諸君、カナダには死刑制度はない。
どんな犯罪を犯しても死刑になることはない。
中国を恐れずに聖火リレーを妨害してくれたまえ」
すると、カナダ人は”どんなことをしても死刑にならないのなら”と
勇猛果敢に聖火リレーを妨害する。
オーストラリア人の場合。
「オーストラリア人諸君、今こそ宗主国英国女王の機嫌をとるのだ。
女王のため中国を恐れずに聖火リレーを妨害してくれたまえ」
すると、オーストラリア人は、”イギリス女王陛下のため”と
勇猛果敢に聖火リレーを妨害する。
日本人の場合。
「日本人諸君、他国はみんな聖火リレーを妨害している。
やっていないのは日本人だけだ。」
すると日本人はそれが”世界の常識だ”と知って
しぶしぶ聖火リレーを妨害する。
(昨日、本当にタケシの兄がこんなことを言ってたネ)
中国人の場合。
「中国人諸君、中国では国家反逆罪は死刑とされている。
北京オリンピック開催する以上、失敗すれば死刑だ。
中国で生き続けたいなら成功するまでやり遂げるほかない」
すると、中国人は”成功しないかぎり死刑になるのなら”と
勇猛果敢に聖火リレーを妨害する他国民を妨害する。
【持続時間vs長さ】
『持続時間、長いほど男らしい? 米大学が射精アンケート』に関して
世の中の男性は「持続時間が長いほどいい」と思いこんでいる。
しかし、それは必ずしもそうではないらしい。
ペンシルベニア州立大が「性交時に男性が射精まで持続する適正な時間」
を性療法士からアンケート調査した結果、平均3分一13分と出たとか。
その結果、白人、黒人、東洋人というランキング。
でも、女性はどう思っているのだろうか。これはまだ調査中。
相手あってのものだけに、こっちの方が重要そうだ。
これに対して、ハーバード大は
「性交時に男性器が長いほど持続時間が長い」という結果を出し、
三段論法の結果、「男性器が長いほどいい」という結論を出した。
その結果、黒人、白人、東洋人というランキング。
これに対して、東大は
「いやいや固さの持続時間の方が大事」ですゾと調査。
その結果、東洋人、黒人、白人というランキング。
いやはやどれが真実なんだろうか。
2008/04/24のBlog
[ 10:06 ]
[ 社会 ]
硫化水素自殺、近所の女性も一時意識不明
最近、”どういうわけか”「硫化水素自殺」が頻発している。これは、「無差別自爆テロ」と同じだということを今回は紹介しておこう。
それゆえ、「硫化水素自殺」の紹介者、ホームページ制作者、掲載プロバイダーの即刻の逮捕拘留が望ましい。政府の早急の対策を期待したい。
さて、
硫化水素
この中に以下のようにある。
【毒性】
毒性は、化学的な反応性の高さによる皮膚粘膜への刺激性とシトクロムcオキシダーゼの阻害が挙げられる。
シトクロムcオキシダーゼ阻害作用は非常に急速に発生し、高濃度での暴露を受けた場合には数呼吸で昏倒に至る。この現象は「ノックダウン」とよばれる。皮膚粘膜への刺激性は中長期的な影響となり、気管支炎や肺水腫を起こす。[1]
独特の臭気があるが、嗅覚を麻痺させる作用があるため、濃度が高くなると逆に匂いを感知できなくなる。このため、濃度が致死量に近づいているにもかかわらず、それと気づかないケースが多いので注意が必要である。火山周辺では警告の看板に注意する事が必要である。知らずに近づいた登山者やスキー客・温泉客が死亡する例も見受けられる。
鉱工業においては下水道や排水プラント・化学工業・実験施設において事故が度々発生しており、このような場所での作業では監視・管理が法規制されている[2]。年余にわたる微量の曝露では変異原性が指摘されている。[3]
【治療】
急性中毒の治療は、まず外気に当てて衣服等に含まれる硫化水素を飛ばし、患者には100%酸素を吸入させる。その際ジャクソンリースのような再呼吸式の吸入具は有毒ガス呼出の妨げとなるため、絶対に使用してはならない。
解毒剤として有効性が示されているのは亜硝酸アミルなどの亜硝酸塩のみである。硫化水素は血管壁の亜酸化窒素合成を阻害することが毒性の発現経路のひとつであるためだが、曝露後数分以内に投与しなければ著効が期待できない。
最初の数時間を乗り切った重症患者は、後に急性肺傷害を発病する危険性が高い。このため気管挿管と人工呼吸器管理が必要となるが、これらの処置を行う医療従事者は2次汚染を防ぐための万全の対策を以て臨まなければならない。[4]
【濃度対危険度】
濃度(単位:ppm) → 作用
1,000一2,000 → 即死
600 → 約1時間で致命的中毒
200一300 → 約1時間で急性中毒
100一200 → 症状:臭覚麻痺
50一100 → 症状:気道刺激、結膜炎
10 → 労働安全衛生法規制値(許容限界濃度)
0.41 → 不快臭
0.02一0.2 → 悪臭防止法に基づく大気濃度規制値
0.00041 → 臭いの閾値
最近、”どういうわけか”「硫化水素自殺」が頻発している。これは、「無差別自爆テロ」と同じだということを今回は紹介しておこう。
それゆえ、「硫化水素自殺」の紹介者、ホームページ制作者、掲載プロバイダーの即刻の逮捕拘留が望ましい。政府の早急の対策を期待したい。
さて、
硫化水素
この中に以下のようにある。
【毒性】
毒性は、化学的な反応性の高さによる皮膚粘膜への刺激性とシトクロムcオキシダーゼの阻害が挙げられる。
シトクロムcオキシダーゼ阻害作用は非常に急速に発生し、高濃度での暴露を受けた場合には数呼吸で昏倒に至る。この現象は「ノックダウン」とよばれる。皮膚粘膜への刺激性は中長期的な影響となり、気管支炎や肺水腫を起こす。[1]
独特の臭気があるが、嗅覚を麻痺させる作用があるため、濃度が高くなると逆に匂いを感知できなくなる。このため、濃度が致死量に近づいているにもかかわらず、それと気づかないケースが多いので注意が必要である。火山周辺では警告の看板に注意する事が必要である。知らずに近づいた登山者やスキー客・温泉客が死亡する例も見受けられる。
鉱工業においては下水道や排水プラント・化学工業・実験施設において事故が度々発生しており、このような場所での作業では監視・管理が法規制されている[2]。年余にわたる微量の曝露では変異原性が指摘されている。[3]
【治療】
急性中毒の治療は、まず外気に当てて衣服等に含まれる硫化水素を飛ばし、患者には100%酸素を吸入させる。その際ジャクソンリースのような再呼吸式の吸入具は有毒ガス呼出の妨げとなるため、絶対に使用してはならない。
解毒剤として有効性が示されているのは亜硝酸アミルなどの亜硝酸塩のみである。硫化水素は血管壁の亜酸化窒素合成を阻害することが毒性の発現経路のひとつであるためだが、曝露後数分以内に投与しなければ著効が期待できない。
最初の数時間を乗り切った重症患者は、後に急性肺傷害を発病する危険性が高い。このため気管挿管と人工呼吸器管理が必要となるが、これらの処置を行う医療従事者は2次汚染を防ぐための万全の対策を以て臨まなければならない。[4]
【濃度対危険度】
濃度(単位:ppm) → 作用
1,000一2,000 → 即死
600 → 約1時間で致命的中毒
200一300 → 約1時間で急性中毒
100一200 → 症状:臭覚麻痺
50一100 → 症状:気道刺激、結膜炎
10 → 労働安全衛生法規制値(許容限界濃度)
0.41 → 不快臭
0.02一0.2 → 悪臭防止法に基づく大気濃度規制値
0.00041 → 臭いの閾値
ちなみに、”卵の腐ったような匂い”という言葉の印象から、「硫化水素」を「二酸化硫黄」(俗名、亜硫酸ガス)と勘違いし混同するといけないから、ここに注意しておく。「硫化水素」はH2S、「二酸化硫黄」はSO2である。両方ともに非常に危険なガスであることには変わりない。
----------------
これを見ても分かるように、硫化水素は非常に致死率の高い、極めて有毒の物質である。同時に、一度被害にあうと治療が難しいガス物質である。もちろん、回復も難しい。また、毒がガスであるために、周辺への被害や悪影響が実に大きい。
これほどまでに、硫化水素は”危険な物質”である。
一説には、「硫化水素自殺」はだれかのホームページで紹介されたということらしいが、そういうホームページは、明らかに自殺者だけでなく、その”周辺住民”への被害を予測してのものであると考えられる。したがって、明らかなる「テロ活動行為」と見なすことができるだろう。
近所で高濃度の純度の高い硫化水素を発生させられたらたまったものではない。例え助かったとしても下手すれば一生障害に苦しめられないとも限らないからである。
この意味では、かなり「自爆テロ」に近い状況となる。爆弾による爆発ではないが、硫化水素爆弾による自爆テロと見なせるからである。
もしだれかが「自殺するためだ」といって、国会議事堂内で「硫化水素自殺」をしたらどうなるか? あるいは、新幹線の中で「硫化水素自殺」したらどうなるだろうか?
想像するだけでも恐ろしい事態となるだろう。地下鉄サリン事件などものの比ではない。それほど、硫化水素の致死率は高い。無数の死人、無数の被害者が出るはずである。国会議員や職員の大半はガス死するだろう。
おそらく、この方法を紹介した”悪玉”は、そういう事態を期待しているのだろう。きっとそうなれば大喜びのはずである。この意味でも、実に悪質なのである。
こういうわけで、ホームページ制作者、および、有害ホームページを掲載したプロバイダーは、即刻逮捕勾留し、どうしてそういう「無差別テロ行為」をしたのか、その背後関係を調査すべきだろう。
どこかよその国のエージェントがそういうことをしているのかも知れないからである、あるいは、どこかよその国のエージェントが日本人を利用してやらせているのかも知れないからである。
また、「硫化水素」の発生する洗剤など、家庭の商品は即刻販売禁止にして、「硫化水素」の発生しないもっと別の商品を開発すべきだろう。
早急な対処が望まれるナ。
----------------
これを見ても分かるように、硫化水素は非常に致死率の高い、極めて有毒の物質である。同時に、一度被害にあうと治療が難しいガス物質である。もちろん、回復も難しい。また、毒がガスであるために、周辺への被害や悪影響が実に大きい。
これほどまでに、硫化水素は”危険な物質”である。
一説には、「硫化水素自殺」はだれかのホームページで紹介されたということらしいが、そういうホームページは、明らかに自殺者だけでなく、その”周辺住民”への被害を予測してのものであると考えられる。したがって、明らかなる「テロ活動行為」と見なすことができるだろう。
近所で高濃度の純度の高い硫化水素を発生させられたらたまったものではない。例え助かったとしても下手すれば一生障害に苦しめられないとも限らないからである。
この意味では、かなり「自爆テロ」に近い状況となる。爆弾による爆発ではないが、硫化水素爆弾による自爆テロと見なせるからである。
もしだれかが「自殺するためだ」といって、国会議事堂内で「硫化水素自殺」をしたらどうなるか? あるいは、新幹線の中で「硫化水素自殺」したらどうなるだろうか?
想像するだけでも恐ろしい事態となるだろう。地下鉄サリン事件などものの比ではない。それほど、硫化水素の致死率は高い。無数の死人、無数の被害者が出るはずである。国会議員や職員の大半はガス死するだろう。
おそらく、この方法を紹介した”悪玉”は、そういう事態を期待しているのだろう。きっとそうなれば大喜びのはずである。この意味でも、実に悪質なのである。
こういうわけで、ホームページ制作者、および、有害ホームページを掲載したプロバイダーは、即刻逮捕勾留し、どうしてそういう「無差別テロ行為」をしたのか、その背後関係を調査すべきだろう。
どこかよその国のエージェントがそういうことをしているのかも知れないからである、あるいは、どこかよその国のエージェントが日本人を利用してやらせているのかも知れないからである。
また、「硫化水素」の発生する洗剤など、家庭の商品は即刻販売禁止にして、「硫化水素」の発生しないもっと別の商品を開発すべきだろう。
早急な対処が望まれるナ。
2008/04/23のBlog
[ 20:17 ]
[ 阿南市 ]
徳島ブース開設 独ハノーバー・メッセ2008、LEDなど製品PR
ドイツのニーダーザクセン州ハーノーバーで開かれた「ハノーバー・メッセ2008」に、光の街阿南のL・E・Dも曼陀羅ドームを出展。ついにドイツへ渡る。
”徳島ブースには、発光ダイオード(LED)関連など独自技術を持つ企業が産業機械や製品サンプルを展示。注目を集めたのは、七万五千四百個のLEDで作られた直径四メートル、高さ五メートルのドーム。音楽に合わせてさまざまな色や形が明滅するようにコンピューター制御されていて、来場者から質問が相次いでいた。”
いやー、大栗さん、板東さん頑張っていますねー。
参考:
「光のアーチ・つながる阿南」:大栗さん”光る”!
阿南市の「L・E・D」訪問
ドイツのニーダーザクセン州ハーノーバーで開かれた「ハノーバー・メッセ2008」に、光の街阿南のL・E・Dも曼陀羅ドームを出展。ついにドイツへ渡る。
”徳島ブースには、発光ダイオード(LED)関連など独自技術を持つ企業が産業機械や製品サンプルを展示。注目を集めたのは、七万五千四百個のLEDで作られた直径四メートル、高さ五メートルのドーム。音楽に合わせてさまざまな色や形が明滅するようにコンピューター制御されていて、来場者から質問が相次いでいた。”
いやー、大栗さん、板東さん頑張っていますねー。
参考:
「光のアーチ・つながる阿南」:大栗さん”光る”!
阿南市の「L・E・D」訪問
[ 12:15 ]
[ ジョーク ]
笑いは百薬之長。以下はジョーク。信じないことだヨ。
『「フリーター100万人を正社員化」 政府目標、3年で』に関して
福田首相が国会で『「フリーター100万人を自衛隊員化」 政府目標、3年で』と間違える。つまり、2010年度までの3年間に「フリーター、ニートなどの若者100万人を正隊員化し、女性と高齢者の計120万人の雇用を増やす」という数値目標を打ち出す。
『「できれば入国お断り」 国境なき記者団に政府苦慮』に関して
謎のフランス人が作った市民団体「国境なき記者団」(RSF、本部パリ)は
北京五輪開会式への不参加を呼びかけている。
長野で26日に予定の聖火リレーへも抗議活動のため来日を計画しているらしい。
それに頭を悩ませているのが日本政府。できれば混乱を回避したい。
しかし入国を拒否する法的な根拠が見つからない。
そこで考えたのが、「国境なき記者団メンバーのフーリガン説」。
どうやらメンバーにサッカーのフーリガンの経歴があったとするもの。
果たしてこの方法、うまく行くか。
『「警察署のトイレから飛び降り死亡 任意聴取中の男性』に関して
これから警察では、取り調べの容疑者には自動パラシュートを着用させる計画とか。
『「ネットに悪口書かれた」 中学生、バットで殴られ重体』に関して
今後ヒロユキの「2ちゃんねる」に自由に消せる”消しゴム”機能がつくという。
俗に、「ヒロユキの頭のなかの消しゴム」と呼ぶのだとか。
『「フリーター100万人を正社員化」 政府目標、3年で』に関して
福田首相が国会で『「フリーター100万人を自衛隊員化」 政府目標、3年で』と間違える。つまり、2010年度までの3年間に「フリーター、ニートなどの若者100万人を正隊員化し、女性と高齢者の計120万人の雇用を増やす」という数値目標を打ち出す。
『「できれば入国お断り」 国境なき記者団に政府苦慮』に関して
謎のフランス人が作った市民団体「国境なき記者団」(RSF、本部パリ)は
北京五輪開会式への不参加を呼びかけている。
長野で26日に予定の聖火リレーへも抗議活動のため来日を計画しているらしい。
それに頭を悩ませているのが日本政府。できれば混乱を回避したい。
しかし入国を拒否する法的な根拠が見つからない。
そこで考えたのが、「国境なき記者団メンバーのフーリガン説」。
どうやらメンバーにサッカーのフーリガンの経歴があったとするもの。
果たしてこの方法、うまく行くか。
『「警察署のトイレから飛び降り死亡 任意聴取中の男性』に関して
これから警察では、取り調べの容疑者には自動パラシュートを着用させる計画とか。
『「ネットに悪口書かれた」 中学生、バットで殴られ重体』に関して
今後ヒロユキの「2ちゃんねる」に自由に消せる”消しゴム”機能がつくという。
俗に、「ヒロユキの頭のなかの消しゴム」と呼ぶのだとか。
[ 10:59 ]
[ 政治・経済 ]
有害サイト規制綱引き 青少年保護か表現の自由か
遅ればせながら、日本の政治家や官僚たちも「インターネットの有害な情報を規制する法案づくり」に着手してきたようだ。これは、”良い徴候”である。
私は日本にインターネット網が誕生した最初の1996年からずっとこの世界を見て来ている。その点、つい最近になってどうのこうの言っている政治家たちとは違う。「blogに移行します。」に書いた通りである。
そんなわけで私のこのブログももう5年目に入る。この私の”目”から、この際この問題をちょっとコメントさせてもらおう。ちなみにこういったインターネットやそれに関する話題は、ブログ内の検索をかければ無数に出てくるはずであるが、いくつかは参考として紹介しておいた。
さて、”規制”というと語弊があるが、何かのルールを適用する場合、どういうのが一番理想的かというと、こういう問題を考える上で非常に良い例が実はサッカーのレフェリーイング(審判の仕方)なのである。
サッカーというスポーツは、レフェリーの腕次第で暗黒の世界のラフなスポーツにもなったり、この世のものとは思えないほどの華麗で見事なスポーツにも変わるというものであることは良く知られたことである。 サッカーという1つのスポーツの世界においても、審判のルール適用の仕方しだいで、試合は良くもなれば悪くもなる。
Jリーグにも試合の”壊し屋”と呼ばれる人がいて、無軌道に自己中心的にルールを適用してしばしば試合をカオス状態に導いてもうどうしようもなくなる(Jリーグの”壊し屋(こわしや)”さん、Jリーグスキャンダル:家本政明主審にレッドカード!)。実は、こういうタイプの主審には”共通する傾向”がある。
それは、試合の駆け出しの時にばんやりしていて、結構危ない反則を見逃すということである。これが良くない。
選手も馬鹿ではないから、最初はあまり気にしていないが、悪質な反則が主審に反則に取ってもらえないと分かると、やられっぱなしというわけには行かなくなり、今度やられたらやりかえそうと考えるようになる。つまり、最初に取らなくては行けない反則がたびたび見逃され続けると、選手たちには”一触即発”状態が生み出されるのだ。
さらに試合も後半になり、だんだん勝負がかかってくる。すると、ますますムードは険悪になる。ところが、こういう主審に限って、こういう怪しい空気の時に起こった危険で悪質な反則に対して、即警告やレッドカードを出すのである。すでにサイは投げられた状態で一種の戦争状態に陥ったゲームでは、カードの乱発となり、もはやカードでは収拾がつかないという渾沌とした状態となってしまうのである。だから、こういう試合では、やたらと主審ばかりが目立つのである。
こうして本来なら良い試合になるはずのものも、後味の悪い見ていてもつまならいというような試合と化す。こういうことが”壊し屋”という主審によってしばしば引き起こされるのである。要するに、”米炊き”のように「はじめちょろちょろなかぱっぱ、」ではダメなのである。
ところが、一方、”良い主審”というのは、全く逆のことをするのだ。
良いレフェリーは、試合の駆け出しでむしろ厳しく振るまう。比較的悪質でない反則でも、選手を呼んで、厳しく注意する。悪質な反則には、非常に厳しく注意しイエローを出す。そうやって次第に試合をコントロールする。選手もこういう場合は、反則はしっかりとってくれるので、フェアープレーを心掛けるようになる。
そして試合が佳境に入る頃には、選手たちは良いプレーに集中し、息も切らせぬほどのスピーディーな試合展開となる。こういう試合では決まって主審の存在が消えたかのように目立たない。
そうやって試合の流れを切らずに良い試合を演出するのである。要するに、”ビフテキの焼き方”に似て「はじめに強火でギュッと焼き、しだいに火を弱めてじっくり焼く」方が良いということなのである。最初にお灸をすえておくというわけだ。
これが、良い主審と悪い主審の差なのである(日本にも上川徹さんのような立派な審判もいる「日本人の真の”英雄”」)。
私の考えでは、「インターネットの法規制」においても全く同じことが言えるだろうと思うのである。
日本のインターネット界がここまで”不正義に充ち満ち”、悪質なサイトが増え過ぎて、社会が不安定で危険な状態に陥ってしまったのは、サッカーでいうところの”悪い主審”がいたからである。言い換えれば、物事の始まりの時期に”甘過ぎ”たからである。要するに、インターネットが社会に登場した最初の時期にすべてを”野放し”にしたからである。
こうして、日本のインターネット界は、ラフプレーで危険きわまりなく、イエローカードやレッドカードの飛び交うサッカーの試合のように、実に渾沌とした世界へと変ぼうしてしまったというわけである。私はそう見ている。
その意味で、残念ながら、今となってはもう”手後れ”なのである。物事には、”時期”というものがあり、その時期を逸すると、後戻りできなくなるということがある。この法規制の問題もその例にもれない。
今から法規制したところで(もちろん法規制した方が良いのだが、つまり無いよりはましなのだが)、これまでに過ぎ去った現実はもはや”直すことはできない”のである。インターネットで犯罪に巻き込まれたり、そのおかげで死んだりした人たちの生活や命はもう戻らないからである。
失われたビッグゲームは戻らない。不審と後味の悪さだけが残されるのである。
ところで、実は、「子供の教育」についてもこれと同じことが言えるのである。
「始めに厳しくしつけ、しだいにたがを弛めて行き、最後に自由を与える」、この方が、「最初に自由放任主義ではじまり、後で厳しくする」というものよりずっとましなのである。合理的なのである。サッカーがそれを見事に証明しくれているからである。
遅ればせながら、日本の政治家や官僚たちも「インターネットの有害な情報を規制する法案づくり」に着手してきたようだ。これは、”良い徴候”である。
私は日本にインターネット網が誕生した最初の1996年からずっとこの世界を見て来ている。その点、つい最近になってどうのこうの言っている政治家たちとは違う。「blogに移行します。」に書いた通りである。
そんなわけで私のこのブログももう5年目に入る。この私の”目”から、この際この問題をちょっとコメントさせてもらおう。ちなみにこういったインターネットやそれに関する話題は、ブログ内の検索をかければ無数に出てくるはずであるが、いくつかは参考として紹介しておいた。
さて、”規制”というと語弊があるが、何かのルールを適用する場合、どういうのが一番理想的かというと、こういう問題を考える上で非常に良い例が実はサッカーのレフェリーイング(審判の仕方)なのである。
サッカーというスポーツは、レフェリーの腕次第で暗黒の世界のラフなスポーツにもなったり、この世のものとは思えないほどの華麗で見事なスポーツにも変わるというものであることは良く知られたことである。 サッカーという1つのスポーツの世界においても、審判のルール適用の仕方しだいで、試合は良くもなれば悪くもなる。
Jリーグにも試合の”壊し屋”と呼ばれる人がいて、無軌道に自己中心的にルールを適用してしばしば試合をカオス状態に導いてもうどうしようもなくなる(Jリーグの”壊し屋(こわしや)”さん、Jリーグスキャンダル:家本政明主審にレッドカード!)。実は、こういうタイプの主審には”共通する傾向”がある。
それは、試合の駆け出しの時にばんやりしていて、結構危ない反則を見逃すということである。これが良くない。
選手も馬鹿ではないから、最初はあまり気にしていないが、悪質な反則が主審に反則に取ってもらえないと分かると、やられっぱなしというわけには行かなくなり、今度やられたらやりかえそうと考えるようになる。つまり、最初に取らなくては行けない反則がたびたび見逃され続けると、選手たちには”一触即発”状態が生み出されるのだ。
さらに試合も後半になり、だんだん勝負がかかってくる。すると、ますますムードは険悪になる。ところが、こういう主審に限って、こういう怪しい空気の時に起こった危険で悪質な反則に対して、即警告やレッドカードを出すのである。すでにサイは投げられた状態で一種の戦争状態に陥ったゲームでは、カードの乱発となり、もはやカードでは収拾がつかないという渾沌とした状態となってしまうのである。だから、こういう試合では、やたらと主審ばかりが目立つのである。
こうして本来なら良い試合になるはずのものも、後味の悪い見ていてもつまならいというような試合と化す。こういうことが”壊し屋”という主審によってしばしば引き起こされるのである。要するに、”米炊き”のように「はじめちょろちょろなかぱっぱ、」ではダメなのである。
ところが、一方、”良い主審”というのは、全く逆のことをするのだ。
良いレフェリーは、試合の駆け出しでむしろ厳しく振るまう。比較的悪質でない反則でも、選手を呼んで、厳しく注意する。悪質な反則には、非常に厳しく注意しイエローを出す。そうやって次第に試合をコントロールする。選手もこういう場合は、反則はしっかりとってくれるので、フェアープレーを心掛けるようになる。
そして試合が佳境に入る頃には、選手たちは良いプレーに集中し、息も切らせぬほどのスピーディーな試合展開となる。こういう試合では決まって主審の存在が消えたかのように目立たない。
そうやって試合の流れを切らずに良い試合を演出するのである。要するに、”ビフテキの焼き方”に似て「はじめに強火でギュッと焼き、しだいに火を弱めてじっくり焼く」方が良いということなのである。最初にお灸をすえておくというわけだ。
これが、良い主審と悪い主審の差なのである(日本にも上川徹さんのような立派な審判もいる「日本人の真の”英雄”」)。
私の考えでは、「インターネットの法規制」においても全く同じことが言えるだろうと思うのである。
日本のインターネット界がここまで”不正義に充ち満ち”、悪質なサイトが増え過ぎて、社会が不安定で危険な状態に陥ってしまったのは、サッカーでいうところの”悪い主審”がいたからである。言い換えれば、物事の始まりの時期に”甘過ぎ”たからである。要するに、インターネットが社会に登場した最初の時期にすべてを”野放し”にしたからである。
こうして、日本のインターネット界は、ラフプレーで危険きわまりなく、イエローカードやレッドカードの飛び交うサッカーの試合のように、実に渾沌とした世界へと変ぼうしてしまったというわけである。私はそう見ている。
その意味で、残念ながら、今となってはもう”手後れ”なのである。物事には、”時期”というものがあり、その時期を逸すると、後戻りできなくなるということがある。この法規制の問題もその例にもれない。
今から法規制したところで(もちろん法規制した方が良いのだが、つまり無いよりはましなのだが)、これまでに過ぎ去った現実はもはや”直すことはできない”のである。インターネットで犯罪に巻き込まれたり、そのおかげで死んだりした人たちの生活や命はもう戻らないからである。
失われたビッグゲームは戻らない。不審と後味の悪さだけが残されるのである。
ところで、実は、「子供の教育」についてもこれと同じことが言えるのである。
「始めに厳しくしつけ、しだいにたがを弛めて行き、最後に自由を与える」、この方が、「最初に自由放任主義ではじまり、後で厳しくする」というものよりずっとましなのである。合理的なのである。サッカーがそれを見事に証明しくれているからである。
この意味では、もし真に法規制したいというのであれば、最初に非常に厳しいものを定め、しだいにそれを弛めて行くという方策が理想的と言えるのである。
したがって、このニュース記事の範囲で言えば、高市議員の法案で始め、それになれて来た頃少しずつ弛めて、徐々に業界団体の望む方向へ近付けて行けば良いのである。
ところが、現実には、最初に業界団体の自由放縦な野放図状態から法規制の方向へと進んだから、残された現実は最悪のサッカーの試合のような「カオスの状態」に陥ったというわけである。
いやはや、日本には賢人がいないということですナ。困ったものである。
参考:
「学校裏サイト」:2ちゃんねる文化が子供に飛び火?
“「画像ちゃんねる」管理者ら逮捕”?
”ダークサイド”
「死刑なら払う」西村博之は死刑にしないとダメ?
”ひろゆきニゲター!”
”ひろゆきキター!”
不良教師・不良大学教職員の撲滅はなるか?
遮断ソフトは大学・研究所・官公庁にこそ必要
”ウィニー”
”2ちゃんねる”敗訴:オタク時代の終焉?
"blog"時代に入って変わったことは?
したがって、このニュース記事の範囲で言えば、高市議員の法案で始め、それになれて来た頃少しずつ弛めて、徐々に業界団体の望む方向へ近付けて行けば良いのである。
ところが、現実には、最初に業界団体の自由放縦な野放図状態から法規制の方向へと進んだから、残された現実は最悪のサッカーの試合のような「カオスの状態」に陥ったというわけである。
いやはや、日本には賢人がいないということですナ。困ったものである。
参考:
「学校裏サイト」:2ちゃんねる文化が子供に飛び火?
“「画像ちゃんねる」管理者ら逮捕”?
”ダークサイド”
「死刑なら払う」西村博之は死刑にしないとダメ?
”ひろゆきニゲター!”
”ひろゆきキター!”
不良教師・不良大学教職員の撲滅はなるか?
遮断ソフトは大学・研究所・官公庁にこそ必要
”ウィニー”
”2ちゃんねる”敗訴:オタク時代の終焉?
"blog"時代に入って変わったことは?
2008/04/22のBlog
[ 22:12 ]
[ 阿南市 ]
阿南市のこのあたりは、二毛作を行おうとすれば十分にできるところである。
この時期にすでに田植えもたいがいの畑ではすんだようだ。
実は、この地方(徳島県の南の地方)は、気候的にはお隣の高知県の気候と
ほぼ同じである。さらには、九州の南部の宮崎や鹿児島の気候に似ている
とさえ言える。
というのは、高気圧や低気圧というものは中心の回りに円を描いているからである。
気圧の同心円にかかる地方は同じ気圧、同じ気候域に入る。
九州の南部がその円にかかるときにちょうどこのあたりが同じ円に乗る。
それゆえ、九州南部、高知、そして徳島南部は同じような時期に同じような季節が
訪れるのである。
だから、県北の鳴門や徳島市とはちょっと気候は異なる。
面白いことに、この辺りではいわゆる梅雨の前にちょっと初夏のような乾期が訪れる。
そしてしばらく夏日が続くと、雨季に入りちょっと肌寒くなり、
それからまた熱い真夏、海水浴のシーズンがやってくる。
そんな感じである。
この時期にすでに田植えもたいがいの畑ではすんだようだ。
実は、この地方(徳島県の南の地方)は、気候的にはお隣の高知県の気候と
ほぼ同じである。さらには、九州の南部の宮崎や鹿児島の気候に似ている
とさえ言える。
というのは、高気圧や低気圧というものは中心の回りに円を描いているからである。
気圧の同心円にかかる地方は同じ気圧、同じ気候域に入る。
九州の南部がその円にかかるときにちょうどこのあたりが同じ円に乗る。
それゆえ、九州南部、高知、そして徳島南部は同じような時期に同じような季節が
訪れるのである。
だから、県北の鳴門や徳島市とはちょっと気候は異なる。
面白いことに、この辺りではいわゆる梅雨の前にちょっと初夏のような乾期が訪れる。
そしてしばらく夏日が続くと、雨季に入りちょっと肌寒くなり、
それからまた熱い真夏、海水浴のシーズンがやってくる。
そんな感じである。
[ 12:16 ]
[ 好きな言葉や詩 ]
”自分に見えるものしか見えない”
これは、人という”種”、つまり人類、の際立った特徴を表す言葉である。
ともすれば、我々人が陥りやすい欠点というものを端的に述べている。
最近、私はいろんなところでこれに気付かされる。
例えば、サッカーでは、
「18歳のF東京・大竹、U23代表に初招集」
「岡田ジャパン合宿、中沢・鈴木・高原が不参加」
に見ることができる。
おそらく、この記事を読んだだけでは私が何を意味するか良く分からないだろうが、ここによく出ているのである。
U一23の反町監督は中盤出身、日本代表の岡田監督は守備出身であった。だから、反町の目には中盤から前の選手に目が向き、岡田の目には守備から後ろの選手に目が向く。すなわち、”自分に見える選手しか見えない”のである。
事実、岡田が”良い選手”と呼ぶのはたいていがディフェンダーである。反町がそう呼ぶのは、ミッドフィルダーである。
これは、人という”種”、つまり人類、の際立った特徴を表す言葉である。
ともすれば、我々人が陥りやすい欠点というものを端的に述べている。
最近、私はいろんなところでこれに気付かされる。
例えば、サッカーでは、
「18歳のF東京・大竹、U23代表に初招集」
「岡田ジャパン合宿、中沢・鈴木・高原が不参加」
に見ることができる。
おそらく、この記事を読んだだけでは私が何を意味するか良く分からないだろうが、ここによく出ているのである。
U一23の反町監督は中盤出身、日本代表の岡田監督は守備出身であった。だから、反町の目には中盤から前の選手に目が向き、岡田の目には守備から後ろの選手に目が向く。すなわち、”自分に見える選手しか見えない”のである。
事実、岡田が”良い選手”と呼ぶのはたいていがディフェンダーである。反町がそう呼ぶのは、ミッドフィルダーである。
同じことは、我々科学者にも言える。
例えば、最近、2人ほど物理学界で有名な研究者、ホイーラー博士とローレンツ博士がお亡くなりになった。(ユニークな天才物理学者ジョン・ホイーラー博士死去、「カオス理論」の父、ローレンツ博士死去 )
こういう時には当然、科学者や物理学者もそれなりに”追悼記事”のようなものを書く。そういう人が大学にも現れる。
例えば、ちょっと国内のこの分野では知られているものに、
「吉岡直樹(仮名)のアンテナ(a.hatena.ne.jp/Naoki_Yoshioka)」
というようなものがあり、何人かの理論物理学者が”追悼記事のようなもの”(ニセ追悼記事?)を書いている。
こういう記事を見ると、やはり同じようなことが科学者にもあるということが分かる。つまり、ローレンツ博士の業績を語る場合には、ローレンツ博士の行った業績のうち「自分の頭で理解できたことだけを論じる」ということである。
中には、後になって(つまり、ローレンツのオリジナルを理解した上で、すなわちそれを教科書にして)自分がやったこと(つまり、応用したこと)をひけらかして、ローレンツのものよりこっちが上だと語るものまでいる。
だったら、
何で世界初でおやりにならなかったのですか?
と問いただしてみたい気にもなる。
こういうのは、「アカデミック後付け」というようなもので(「アカデミック”死人に口なし”」と言っても良い)、一般に科学者は”やってはならないこと”の1つに入る。
なぜなら、ワールドカップの決勝戦のシュートの是非をめぐって、ワールドカップ予選敗退した選手が自分ならもっと良いシュートが打てたと豪語しているようなものだからだ。1サッカーファンならそれも許されるだろうが、同業者のプロはそういうことは許されない。
同じことは、科学者にも言える。
世界的に有名となったオリジナリティーの高い世界初の業績をみんなが理解したからといって自分も読んでみた時、仮にその一部の本質が理解できたとする。場合によっては、その論文に書いてなかったことを自分が見い出したとする。だからと言って、まるでその論文の著者がそれを知らなかったかのように言うことや自分の方がその著者より賢いと言うというような態度はいただけない。
なぜなら、その著者が知っていても書いていなかっただけかも知れないし、あるいは、もっと別の論文としてすでに公表されていたのを自分が知らなかっただけかも知れないし、あるいは、あまりに自明で書くほどのことではないと思っていたかも知れないからである。
いずれにせよ、オリジナルの研究者の仕事内容そのものをいろいろ言うことはできるだろうが、その人より自分の方が賢いとか、上だとかいうような精神構造は間違いである。あまりに”ごう慢”過ぎると言えるからである。科学を知らない人が読めば非常に”不快”な印象を与えかねないからである。私と違って、大学の先生たちがおやりになることとしてはいかがなものかと思わざるを得ないですナ。
まあ、こんな案配で、我々人間というものは、想像力をよく働かせられるようにトレーニングしないと、すぐに
”自分に見えるものしか見えない”
ということになる生物のようですナ。
例えば、最近、2人ほど物理学界で有名な研究者、ホイーラー博士とローレンツ博士がお亡くなりになった。(ユニークな天才物理学者ジョン・ホイーラー博士死去、「カオス理論」の父、ローレンツ博士死去 )
こういう時には当然、科学者や物理学者もそれなりに”追悼記事”のようなものを書く。そういう人が大学にも現れる。
例えば、ちょっと国内のこの分野では知られているものに、
「吉岡直樹(仮名)のアンテナ(a.hatena.ne.jp/Naoki_Yoshioka)」
というようなものがあり、何人かの理論物理学者が”追悼記事のようなもの”(ニセ追悼記事?)を書いている。
こういう記事を見ると、やはり同じようなことが科学者にもあるということが分かる。つまり、ローレンツ博士の業績を語る場合には、ローレンツ博士の行った業績のうち「自分の頭で理解できたことだけを論じる」ということである。
中には、後になって(つまり、ローレンツのオリジナルを理解した上で、すなわちそれを教科書にして)自分がやったこと(つまり、応用したこと)をひけらかして、ローレンツのものよりこっちが上だと語るものまでいる。
だったら、
何で世界初でおやりにならなかったのですか?
と問いただしてみたい気にもなる。
こういうのは、「アカデミック後付け」というようなもので(「アカデミック”死人に口なし”」と言っても良い)、一般に科学者は”やってはならないこと”の1つに入る。
なぜなら、ワールドカップの決勝戦のシュートの是非をめぐって、ワールドカップ予選敗退した選手が自分ならもっと良いシュートが打てたと豪語しているようなものだからだ。1サッカーファンならそれも許されるだろうが、同業者のプロはそういうことは許されない。
同じことは、科学者にも言える。
世界的に有名となったオリジナリティーの高い世界初の業績をみんなが理解したからといって自分も読んでみた時、仮にその一部の本質が理解できたとする。場合によっては、その論文に書いてなかったことを自分が見い出したとする。だからと言って、まるでその論文の著者がそれを知らなかったかのように言うことや自分の方がその著者より賢いと言うというような態度はいただけない。
なぜなら、その著者が知っていても書いていなかっただけかも知れないし、あるいは、もっと別の論文としてすでに公表されていたのを自分が知らなかっただけかも知れないし、あるいは、あまりに自明で書くほどのことではないと思っていたかも知れないからである。
いずれにせよ、オリジナルの研究者の仕事内容そのものをいろいろ言うことはできるだろうが、その人より自分の方が賢いとか、上だとかいうような精神構造は間違いである。あまりに”ごう慢”過ぎると言えるからである。科学を知らない人が読めば非常に”不快”な印象を与えかねないからである。私と違って、大学の先生たちがおやりになることとしてはいかがなものかと思わざるを得ないですナ。
まあ、こんな案配で、我々人間というものは、想像力をよく働かせられるようにトレーニングしないと、すぐに
”自分に見えるものしか見えない”
ということになる生物のようですナ。
2008/04/20のBlog
[ 21:48 ]
[ サッカーJリーグ ]
京都3選手に抗議の加藤監督も退場/J1
京都-新潟
京都-新潟戦
”メンタルに病んでいる”
いやはや、最近”こういうタイプ”の(つまり、日本人離れした非人間的で機械的な)主審が増えていないだろうか?
この「メンタルに病んでいる」とは、家本政明主審に対してJリーグ審判委員長が評した言葉である。(審判はイエローカード3枚でレッドカード? )
京都の佐藤選手が
「メンバー表を見ると主審が(通算で)7試合目。経験が少ないので注意しないといけないと思っていたが…」
と述べたように、たったの7試合しか経験がないのにJ1の公式戦の主審を勤める。
おかげで、この主審の”誤審”の連発で、最下位の新潟は今期”初勝利”。
新聞にはこの試合の主審がだれか、まったく記載されていなかったので、いろいろ調べてみると、佐藤隆治主審であることが分かった。
そこで、この人物はどんな人が調べてみると、こんなものが見つかった。
ロバートの独り言
”1977/04/16生まれ(30才)愛知出身
1級登録2004年12月(4年目)
本日7試合目
主審時の得点率3.8点と第1位である
5月6日湘南VS草津戦でDF 藤井 大輔 '66警告 '73警告 '73退場となる。このときはカード9枚でカードの多い試合9位。全般的に結構カードを出す審判ではないだろうか?
日本協会が16年に開校した審判学校、JFAレフェリーカレッジからの初めて昇格した1級審判員。”
要するに、Jリーグが開講した審判育成機関出身の初めての主審らしい。
ということは、やはりこういうラフな試合を作った責任はJリーグそのものにあるということであろう。
まあ、こういうタイプの主審は”殺し屋”ならぬ”壊し屋”と呼ぶべきだろうが、悪名高き家本主審が謹慎処分となった今も次から次へと似たような”壊し屋”レフェリーをJリーグ自らが育成して来ているというわけである。
これでは、お金を払って見ているサポーターや一生がかかっている選手たちはたまったものではない。
即刻、そんな審判スクールは廃止したほうがJリーグのためになる。
いやはや、”審判崩壊”の様相を呈しているようですナ。
京都-新潟
京都-新潟戦
”メンタルに病んでいる”
いやはや、最近”こういうタイプ”の(つまり、日本人離れした非人間的で機械的な)主審が増えていないだろうか?
この「メンタルに病んでいる」とは、家本政明主審に対してJリーグ審判委員長が評した言葉である。(審判はイエローカード3枚でレッドカード? )
京都の佐藤選手が
「メンバー表を見ると主審が(通算で)7試合目。経験が少ないので注意しないといけないと思っていたが…」
と述べたように、たったの7試合しか経験がないのにJ1の公式戦の主審を勤める。
おかげで、この主審の”誤審”の連発で、最下位の新潟は今期”初勝利”。
新聞にはこの試合の主審がだれか、まったく記載されていなかったので、いろいろ調べてみると、佐藤隆治主審であることが分かった。
そこで、この人物はどんな人が調べてみると、こんなものが見つかった。
ロバートの独り言
”1977/04/16生まれ(30才)愛知出身
1級登録2004年12月(4年目)
本日7試合目
主審時の得点率3.8点と第1位である
5月6日湘南VS草津戦でDF 藤井 大輔 '66警告 '73警告 '73退場となる。このときはカード9枚でカードの多い試合9位。全般的に結構カードを出す審判ではないだろうか?
日本協会が16年に開校した審判学校、JFAレフェリーカレッジからの初めて昇格した1級審判員。”
要するに、Jリーグが開講した審判育成機関出身の初めての主審らしい。
ということは、やはりこういうラフな試合を作った責任はJリーグそのものにあるということであろう。
まあ、こういうタイプの主審は”殺し屋”ならぬ”壊し屋”と呼ぶべきだろうが、悪名高き家本主審が謹慎処分となった今も次から次へと似たような”壊し屋”レフェリーをJリーグ自らが育成して来ているというわけである。
これでは、お金を払って見ているサポーターや一生がかかっている選手たちはたまったものではない。
即刻、そんな審判スクールは廃止したほうがJリーグのためになる。
いやはや、”審判崩壊”の様相を呈しているようですナ。
2008/04/19のBlog
[ 21:25 ]
[ 社会 ]
以下は、私の”妄想”ないしは”ジョーク”のようなものである。興味ない人は読まないこと。
私は9年ほど前の2000年に「週間金曜日」という雑誌に「テレビは少年少女への影響を考えた報道を」という投書をしたことがある。
まあ、それ以来、「テレビが視聴者へ与える悪影響」というものに関心があり、いろいろ観察してきている。
最近気になるのは、中居とつるべの「ザ!世界仰天ニュース」や所ジョージと楠田枝里子とビートたけしの「世界まる見え!テレビ特捜部」などの番組で紹介する犯罪事件がその後かなりの確率で国内の現実の事件になっているように見えることである。
要するに、こういったテレビ番組が犯罪を誘発しているのである。その”疑い”があるということだ。
もちろん、テレビには方や実際の事件を詳細かつえげつないほどリアルで忠実にその”手口”を再現する、お昼のバラエティー番組もたくさんある。当然ながら、こういうリアル過ぎる犯罪検証番組が新たなる”刺激”(つまり視聴者を”洗脳する”)となって、再び”類似の犯罪”を引き起こすように見える。
最近では良くあるように、「だれかがナタで人殺しした」というニュースが流れされると、1週間ほど同じような手口の事件が多発する。「だれかがナイフで切り殺した」というニュースが流されると、今度は1週間ほどまた同じような手口の事件が連続する。「だれかがオヤジをバットで撲殺した」というニュースが走ると、1週間ほどしばらくの間バットの事件が駆け巡る。
こういう傾向があるのである。今やだれもがそう感じているはずである。
したがって、こうしたリアル過ぎる事件簿的番組や検証番組は、非常に大きな社会不安を引き起こし、社会的に危険性を持っているのである。そういうことができる。
そこで、では、こうした犯罪刺激番組は、どこが作っているのか?
と調べると、どちらも日本テレビ(読売テレビ)であるという事が分かる。これは”かなり驚くべきこと”である。
なぜなら、日本テレビは、海外の犯罪番組を見せて、日本国内で似たような犯罪を誘発させ、そして一旦欧米と同じような犯罪が起これば、今度はそれをリアルに検証してみせ、その手口を国内に広げ、ますます似たような犯罪を起こさせているらしいと考えられるからである。つまり、日本テレビは日本に凶悪犯罪を根付かせるためのエージェントの役割を果たしていると言えるからである。
私は9年ほど前の2000年に「週間金曜日」という雑誌に「テレビは少年少女への影響を考えた報道を」という投書をしたことがある。
まあ、それ以来、「テレビが視聴者へ与える悪影響」というものに関心があり、いろいろ観察してきている。
最近気になるのは、中居とつるべの「ザ!世界仰天ニュース」や所ジョージと楠田枝里子とビートたけしの「世界まる見え!テレビ特捜部」などの番組で紹介する犯罪事件がその後かなりの確率で国内の現実の事件になっているように見えることである。
要するに、こういったテレビ番組が犯罪を誘発しているのである。その”疑い”があるということだ。
もちろん、テレビには方や実際の事件を詳細かつえげつないほどリアルで忠実にその”手口”を再現する、お昼のバラエティー番組もたくさんある。当然ながら、こういうリアル過ぎる犯罪検証番組が新たなる”刺激”(つまり視聴者を”洗脳する”)となって、再び”類似の犯罪”を引き起こすように見える。
最近では良くあるように、「だれかがナタで人殺しした」というニュースが流れされると、1週間ほど同じような手口の事件が多発する。「だれかがナイフで切り殺した」というニュースが流されると、今度は1週間ほどまた同じような手口の事件が連続する。「だれかがオヤジをバットで撲殺した」というニュースが走ると、1週間ほどしばらくの間バットの事件が駆け巡る。
こういう傾向があるのである。今やだれもがそう感じているはずである。
したがって、こうしたリアル過ぎる事件簿的番組や検証番組は、非常に大きな社会不安を引き起こし、社会的に危険性を持っているのである。そういうことができる。
そこで、では、こうした犯罪刺激番組は、どこが作っているのか?
と調べると、どちらも日本テレビ(読売テレビ)であるという事が分かる。これは”かなり驚くべきこと”である。
なぜなら、日本テレビは、海外の犯罪番組を見せて、日本国内で似たような犯罪を誘発させ、そして一旦欧米と同じような犯罪が起これば、今度はそれをリアルに検証してみせ、その手口を国内に広げ、ますます似たような犯罪を起こさせているらしいと考えられるからである。つまり、日本テレビは日本に凶悪犯罪を根付かせるためのエージェントの役割を果たしていると言えるからである。
今回、このことを証明するデータが見つかったので、それを紹介させてもらおう。
日本は1994年までは比較的「良い国」だった。つまり、「安全な国」でいた。これは、次のデータで証明されている。
「主要国の犯罪の発生率」
この犯罪発生率のデータは1994年までのものだが、これを見るとバブル崩壊後にもかかわらず、1995、6年までの日本は比較的安全でまだ昔の日本の色合いを残していたと言えるだろう。(ちなみに、ここで憶えておいて欲しいのは、まずイギリス、ドイツ、そしてフランス、アメリカ、そして日本の順で犯罪が増えて来た事実である)
日本は1994年までは比較的「良い国」だった。つまり、「安全な国」でいた。これは、次のデータで証明されている。
「主要国の犯罪の発生率」
この犯罪発生率のデータは1994年までのものだが、これを見るとバブル崩壊後にもかかわらず、1995、6年までの日本は比較的安全でまだ昔の日本の色合いを残していたと言えるだろう。(ちなみに、ここで憶えておいて欲しいのは、まずイギリス、ドイツ、そしてフランス、アメリカ、そして日本の順で犯罪が増えて来た事実である)
果たして、この後から最近まではどう変遷したか?
この後のデータがないかいろいろ探したところ、
「安全神話の崩壊、を検証する」
という記事に、その後の1995年から2005年までのデータが存在した。
この2つを繋げてみれば、犯罪件数が1996年ごろから急速に増加し、2005年で1994年頃のほぼ2倍になっているといえる。
この後のデータがないかいろいろ探したところ、
「安全神話の崩壊、を検証する」
という記事に、その後の1995年から2005年までのデータが存在した。
この2つを繋げてみれば、犯罪件数が1996年ごろから急速に増加し、2005年で1994年頃のほぼ2倍になっているといえる。
では、なぜ1996年なのか?
実は、「ザ!世界仰天ニュース」が始まったのがちょうどこの1996年なのである。このことから、こういう番組が日本国内に新手の犯罪や凶悪犯罪の手口を”紹介”し、日本を犯罪大国に仕立て上げたという可能性があるからである。ここに、日本の犯罪率上昇と日本のマスメディアにおける犯罪番組導入時期が見事に一致していると言えるのである。
では、だれが日本テレビにこういう犯罪番組を製作させているのか?
実は、これを答えるのは難しい。しかし「ザ!世界仰天ニュース」を調べて、このスポンサーを見つけると、意外に簡単にその答えが分かる。
もちろん、この番組の製作会社は日本テレビである。日本テレビに指示しているものは、もちろん日本テレビの株主たちのだれかである。
そこで、日本テレビの大株主を調べると、以下のようになっているらしい。
主な株主(2007年3月31日現在)
1. 株式会社読売新聞グループ本社 (15.0%)
2. 読売テレビ放送株式会社 (6.3%)
3. 株式会社読売新聞東京本社 (5.4%)
4. 学校法人帝京大学 (3.5%)
5. 日本トラスティ・サービス信託銀行株式会社(信託口) (3.1%)
6. 株式会社エヌ・ティ・ティ・ドコモ (3.0%)
7. モルガン・スタンレー・アンド・カンパニー・インターナショナル・リミテッド (2.3%)
8. 日本マスタートラスト信託銀行株式会社(信託口) (2.2%)
9. 名古屋テレビ放送株式会社 (2.2%)
10. 株式会社よみうりランド (2.0%)
これらの中にある日本企業は特に海外情報には詳しくなさそうである。つまり、唯一の外国籍企業であるものはどれか、というと、もちろん7番目のモルガン・スタンレーである。イギリス資本が作ったアメリカ企業である。これが一番”怪しい”ということになる。(最近知ったところでは、8位の日本マスタートラスト信託銀行株式会社もまた欧米のモルガン資本が作ったもののようである。)
実は、「ザ!世界仰天ニュース」が始まったのがちょうどこの1996年なのである。このことから、こういう番組が日本国内に新手の犯罪や凶悪犯罪の手口を”紹介”し、日本を犯罪大国に仕立て上げたという可能性があるからである。ここに、日本の犯罪率上昇と日本のマスメディアにおける犯罪番組導入時期が見事に一致していると言えるのである。
では、だれが日本テレビにこういう犯罪番組を製作させているのか?
実は、これを答えるのは難しい。しかし「ザ!世界仰天ニュース」を調べて、このスポンサーを見つけると、意外に簡単にその答えが分かる。
もちろん、この番組の製作会社は日本テレビである。日本テレビに指示しているものは、もちろん日本テレビの株主たちのだれかである。
そこで、日本テレビの大株主を調べると、以下のようになっているらしい。
主な株主(2007年3月31日現在)
1. 株式会社読売新聞グループ本社 (15.0%)
2. 読売テレビ放送株式会社 (6.3%)
3. 株式会社読売新聞東京本社 (5.4%)
4. 学校法人帝京大学 (3.5%)
5. 日本トラスティ・サービス信託銀行株式会社(信託口) (3.1%)
6. 株式会社エヌ・ティ・ティ・ドコモ (3.0%)
7. モルガン・スタンレー・アンド・カンパニー・インターナショナル・リミテッド (2.3%)
8. 日本マスタートラスト信託銀行株式会社(信託口) (2.2%)
9. 名古屋テレビ放送株式会社 (2.2%)
10. 株式会社よみうりランド (2.0%)
これらの中にある日本企業は特に海外情報には詳しくなさそうである。つまり、唯一の外国籍企業であるものはどれか、というと、もちろん7番目のモルガン・スタンレーである。イギリス資本が作ったアメリカ企業である。これが一番”怪しい”ということになる。(最近知ったところでは、8位の日本マスタートラスト信託銀行株式会社もまた欧米のモルガン資本が作ったもののようである。)
このモルガン・スタンレーは、「ブレア英前首相 引退半年推定収入12億円」なる記事に
『「(報酬は)血塗られたカネだ」。英紙デイリー・メールは最近、同銀行がイラク復興計画に関与しているとして、報酬が同国の混乱を前提にしている点を痛烈に批判した。米国とともにイラク戦争を開始した前首相だけに、「前首相の倫理観を憂える」(同オブザーバー)との批判がある。』
とあるように、ブレア元首相を非常勤顧問に加えて儲けさせている。モルガン・スタンレーは昔から「死の商人」としてもっとも有名な企業なのである。(「ブレア前首相の”高笑い”?」、「”王家のビジネス”?」 )
事実、「NYダウ大幅続伸、256ドル高の1万2619ドル」に「米大手銀行JPモルガン・チェースの1一3月期決算は大幅な減益となったものの、黒字を確保し、市場の事前予想を上回る内容だった。」とあるように、モルガン・スタンレーは、他の企業群が何兆円や何千億円の「サブプライムローン損失」を出している中、損失はあったもののほんの何百億円程度であった。それどころか、「ベア・スターンズの運用資産、4か月で2割減」にあるようにアメリカの大手ベア・スターンズを買収したりと「ぬれ手に泡」戦略が功を奏している有り様のようである。
こんな理由から、日本テレビにイギリスの犯罪番組やアメリカの犯罪番組を放映させて、日本社会を不安定で不安な社会に導こうとしている一番の張本人は、JPモルガン・チェースなど英米の(イギリス系の)国際的大企業であるらしいと私は感じるのである。
ところで、ジョン・コールマン博士は、著書「300人委員会」の序文の最後で1999年にこういっていた。
”最後に、300人委員会の対アメリカ計画は、そして併行する形で日本に対しても、時節が訪れればすぐにも実行に移されるといっておく。そして私はここで、来るべき「2005年が日本・アメリカ両国にとって決定的な年になる」と予言しておこう”
この”予言”は、2005年という年数こそ間違っていたが、結論は大筋で正しかった。
2001年9月11日のアメリカ同時多発テロ事件と「アフガニスタン侵攻」。そして2003年に「イラク戦争」という形で、日米にとって”決定的な年”となったからである。これ以後、明らかに世界は変わったのである。
さらにその本の最後のコールマン博士の1998年の「ワールド・イン・レビュー」によれば、コールマン博士はこう述べていた。
”そこで想定されたのは、アメリカ国民が気付いてしまう前に徐々にことを進めるといった従来の漸進策ではなかった。それは、日付を定められた破局的予言とてもいうべきものだった。
私の持っている情報によると、ビルダーバーグ・クラブは、人々の抵抗を抑え世界を服従させる計画を打ち立てる任に当たっているとのことだ。それは、各国政府、各省庁、民間の諸企業、諸銀行のすべてを巻き込む壮大な計画であり、タビストックによる計画推進の大きな鍵となっている。混乱の拡大が、彼らの計画の現代の主題であるようだ。計画のもう一つの側面として彼らは、銀行の統合を急速に押し進めている。彼らは、独立した諸銀行の弱体化を図り、大銀行に合併・吸収されざるをえないような立場へと追い込んでいる。”
10年後の”今”、「サブプライムローン問題」で、今やこれが急速に実現されたことが分かる。この問題で見事に立ち回って儲けまくっているモルガン・スタンレーなどの大手銀行もまた「300人委員会」の持ち物であるという。
そして、この日本においても、その”モルガン・スタンレーの魔の手”が、”マスメディア支配”、そしてそれによる”社会不安の創出”という形で見事に実現されて来ているというわけですナ。これに北野タケシ、所ジョージ、中居、つるべ、タモリ、みのもんた、さんま、しんすけなどの有名人が、その”家来”としてまんまと使われているというわけである。
いやはや、世も末ですナー。
ちなみに、ついでに付け加えておけば、「この世に神様がいるかどうか」は証明するのは非常に難しい。事実、良いことをして成功することは非常に難しいからである。
しかし、「この世に悪い権力がいるかどうか」を証明することは非常に簡単である。事実、ホリエモンやアサハラ、リヒテンシュタインのように、合法的に悪いことをする覚悟さえあれば、成功者になるのはかなり簡単だからである。というのも、あなたが”悪になる”と一度決心すれば、そこに悪い権力がそれとなく忍び寄り、あなたを道具にする代わりに成功者にさせてやると甘い取り引きを申し込んでくるからだ。もちろん、合法的には犯罪ではないから、だれもそれが悪いことだというものはいない。ホリエモンを後ろでそそのかし、金を貸し、動かしたのは、欧米のファンドであった。このように、現実にそういう権力は存在する。
まあ、ニビルの”神々”が降臨する1400年後まで、地球では、そうした悪がはびこる、悪の天下にあるという感じですかナ。もっともこの”神々”は良いモンかどうかの保証はないがネ。
『「(報酬は)血塗られたカネだ」。英紙デイリー・メールは最近、同銀行がイラク復興計画に関与しているとして、報酬が同国の混乱を前提にしている点を痛烈に批判した。米国とともにイラク戦争を開始した前首相だけに、「前首相の倫理観を憂える」(同オブザーバー)との批判がある。』
とあるように、ブレア元首相を非常勤顧問に加えて儲けさせている。モルガン・スタンレーは昔から「死の商人」としてもっとも有名な企業なのである。(「ブレア前首相の”高笑い”?」、「”王家のビジネス”?」 )
事実、「NYダウ大幅続伸、256ドル高の1万2619ドル」に「米大手銀行JPモルガン・チェースの1一3月期決算は大幅な減益となったものの、黒字を確保し、市場の事前予想を上回る内容だった。」とあるように、モルガン・スタンレーは、他の企業群が何兆円や何千億円の「サブプライムローン損失」を出している中、損失はあったもののほんの何百億円程度であった。それどころか、「ベア・スターンズの運用資産、4か月で2割減」にあるようにアメリカの大手ベア・スターンズを買収したりと「ぬれ手に泡」戦略が功を奏している有り様のようである。
こんな理由から、日本テレビにイギリスの犯罪番組やアメリカの犯罪番組を放映させて、日本社会を不安定で不安な社会に導こうとしている一番の張本人は、JPモルガン・チェースなど英米の(イギリス系の)国際的大企業であるらしいと私は感じるのである。
ところで、ジョン・コールマン博士は、著書「300人委員会」の序文の最後で1999年にこういっていた。
”最後に、300人委員会の対アメリカ計画は、そして併行する形で日本に対しても、時節が訪れればすぐにも実行に移されるといっておく。そして私はここで、来るべき「2005年が日本・アメリカ両国にとって決定的な年になる」と予言しておこう”
この”予言”は、2005年という年数こそ間違っていたが、結論は大筋で正しかった。
2001年9月11日のアメリカ同時多発テロ事件と「アフガニスタン侵攻」。そして2003年に「イラク戦争」という形で、日米にとって”決定的な年”となったからである。これ以後、明らかに世界は変わったのである。
さらにその本の最後のコールマン博士の1998年の「ワールド・イン・レビュー」によれば、コールマン博士はこう述べていた。
”そこで想定されたのは、アメリカ国民が気付いてしまう前に徐々にことを進めるといった従来の漸進策ではなかった。それは、日付を定められた破局的予言とてもいうべきものだった。
私の持っている情報によると、ビルダーバーグ・クラブは、人々の抵抗を抑え世界を服従させる計画を打ち立てる任に当たっているとのことだ。それは、各国政府、各省庁、民間の諸企業、諸銀行のすべてを巻き込む壮大な計画であり、タビストックによる計画推進の大きな鍵となっている。混乱の拡大が、彼らの計画の現代の主題であるようだ。計画のもう一つの側面として彼らは、銀行の統合を急速に押し進めている。彼らは、独立した諸銀行の弱体化を図り、大銀行に合併・吸収されざるをえないような立場へと追い込んでいる。”
10年後の”今”、「サブプライムローン問題」で、今やこれが急速に実現されたことが分かる。この問題で見事に立ち回って儲けまくっているモルガン・スタンレーなどの大手銀行もまた「300人委員会」の持ち物であるという。
そして、この日本においても、その”モルガン・スタンレーの魔の手”が、”マスメディア支配”、そしてそれによる”社会不安の創出”という形で見事に実現されて来ているというわけですナ。これに北野タケシ、所ジョージ、中居、つるべ、タモリ、みのもんた、さんま、しんすけなどの有名人が、その”家来”としてまんまと使われているというわけである。
いやはや、世も末ですナー。
ちなみに、ついでに付け加えておけば、「この世に神様がいるかどうか」は証明するのは非常に難しい。事実、良いことをして成功することは非常に難しいからである。
しかし、「この世に悪い権力がいるかどうか」を証明することは非常に簡単である。事実、ホリエモンやアサハラ、リヒテンシュタインのように、合法的に悪いことをする覚悟さえあれば、成功者になるのはかなり簡単だからである。というのも、あなたが”悪になる”と一度決心すれば、そこに悪い権力がそれとなく忍び寄り、あなたを道具にする代わりに成功者にさせてやると甘い取り引きを申し込んでくるからだ。もちろん、合法的には犯罪ではないから、だれもそれが悪いことだというものはいない。ホリエモンを後ろでそそのかし、金を貸し、動かしたのは、欧米のファンドであった。このように、現実にそういう権力は存在する。
まあ、ニビルの”神々”が降臨する1400年後まで、地球では、そうした悪がはびこる、悪の天下にあるという感じですかナ。もっともこの”神々”は良いモンかどうかの保証はないがネ。
2008/04/17のBlog
[ 17:09 ]
[ 訃報・追悼 ]
E・ローレンツ氏死去米国の気象学者
エドワード・ローレンツ( Edward N. Lorenz)博士(米国の気象学者、カオス理論の提唱者)が16日、マサチューセッツ州の自宅でがんのため死去。享年90歳。
エドワード・ローレンツ( Edward N. Lorenz)博士(米国の気象学者、カオス理論の提唱者)が16日、マサチューセッツ州の自宅でがんのため死去。享年90歳。
2日ほど前に
「イラクで自爆テロが起こるとアメリカで巨大竜巻が起こる」
"When a suicide attack has occured in Iraq, a monster tornade emerges in USA."
というジョークを紹介したが(ゴアの”不都合な真実”の”不都合な真実”)、この「バタフライ効果」は良く知られた「カオス理論」のもっともその内容を表す概念と考えられている。
このカオス理論の創始者の1人がこのエドワード・ローレンツ博士であった。
この分野で「ローレンツモデル」ほど有名なモデルはあまりないだろう。それほどまでに長い時間大勢の人々によって研究された数学モデルである。
たった3つの変数x、y、zの決定論的方程式:
dx/dt=-σ(x-y)
dy/dt=-y-xz+rx
dz/dt=xy-bz
から、驚くべき複雑な軌道(ストレンジアトラクターと呼ばれる)が示される。それが、ローレンツモデルの凄さであった。
このモデルは、永年気象を研究していたローレンツ博士が、どうして気象現象は予測が難しく、いつも同じように見えても異なる天気になるのか、と考え抜いて行く内に、ベルナール対流を記述する単純な方程式を研究している内に発見したと言われている。
「イラクで自爆テロが起こるとアメリカで巨大竜巻が起こる」
"When a suicide attack has occured in Iraq, a monster tornade emerges in USA."
というジョークを紹介したが(ゴアの”不都合な真実”の”不都合な真実”)、この「バタフライ効果」は良く知られた「カオス理論」のもっともその内容を表す概念と考えられている。
このカオス理論の創始者の1人がこのエドワード・ローレンツ博士であった。
この分野で「ローレンツモデル」ほど有名なモデルはあまりないだろう。それほどまでに長い時間大勢の人々によって研究された数学モデルである。
たった3つの変数x、y、zの決定論的方程式:
dx/dt=-σ(x-y)
dy/dt=-y-xz+rx
dz/dt=xy-bz
から、驚くべき複雑な軌道(ストレンジアトラクターと呼ばれる)が示される。それが、ローレンツモデルの凄さであった。
このモデルは、永年気象を研究していたローレンツ博士が、どうして気象現象は予測が難しく、いつも同じように見えても異なる天気になるのか、と考え抜いて行く内に、ベルナール対流を記述する単純な方程式を研究している内に発見したと言われている。
このように、”良い研究”というのは、他人の仕事や研究からではなく、むしろ本物の現象や問題から見つかることが多い。現象に取り付かれて、それを地道に考えて行く内に真実を見い出すというわけである。これは、数学的問題でも全く同じことである。
したがって、皮肉な話だが、このローレンツモデルから出発する限り、もはやローレンツ博士の手の平から抜け出すことはできない。何か本質的な発見をしたければ、このローレンツモデルから離れなくてはならない。
したがって、皮肉な話だが、このローレンツモデルから出発する限り、もはやローレンツ博士の手の平から抜け出すことはできない。何か本質的な発見をしたければ、このローレンツモデルから離れなくてはならない。
さて、アメリカ物理学会では、野球の大リーガーカードのような、写真入りの「科学者カード」を販売している。このカードの裏面には、当の発見者である偉大な物理学者の発見した現象や理論の数式などが描かれている。
きっとローレンツ博士のものには、「ローレンツモデル」の数式か、あるいは、ストレンジアトラクターが描かれることだろう。
研究者たるもの、他人から自分の名前をつけてもらえるほどの定理や式や法則を持ちたいものである。
きっとローレンツ博士のものには、「ローレンツモデル」の数式か、あるいは、ストレンジアトラクターが描かれることだろう。
研究者たるもの、他人から自分の名前をつけてもらえるほどの定理や式や法則を持ちたいものである。