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2008/08/01のBlog
[ 11:52 ]
[ デーヴィッド・アイク ]
【まとめ】
日本の財政問題や国債残高の問題を語るとき、日本政府は国民への課税が少なすぎる、あるいは歳出が多すぎる、という言い方をする。《これは金融、保険、不動産部門の税負担が低すぎるという事実から焦点をそらして、日本国民全体がもっと税金を支払うべきだということをほのめかすためである》。
日本の財政問題を国際的な場面に置いて検討することが重要である。日本の国債を単に日本国内の問題であると捉えてしまうと、米国政府が米国民や企業に対する課税を避けるためにおこなわれている悪循環を断ち切ることはできない。《これでは、大蔵官僚が米国のやり方こそ正しいと洗脳されてしまうことと同じである》。《日本が抱えている問題と全く同じ問題に米国が苦しんでいることを忘れてはならない》。事実、日本が財務省証券を購入して直接的に援助しなければ、また米国の外交政策や海外の軍事費を資金援助することで間接的に米国経済を救済しなければ、米国の財政問題はさらに深刻さを増すのである。
今、《日本国民にとって最悪なことは、不労所得に税金を課すのではなく、消費税を5%、ひいては15%にまで引き上げることを大蔵省が主張している点である》。《この政策をとると、消費財や賃金に課税することによって輸出品に組み込まれる労働コストが上昇し、国内の生活水準が低下してしまう》。《そしてその一方で、不動産や金融投資家は、生産的なサービスを積極的に提供しなくとも、資産価値が上がるのをただ待っているだけで裕福になっていくという、とんでもない構図ができあがる》。
これはまさに米国式のやり方である。先に述べたように、《米国の全資産の約3分の2が不動産であるにも拘らず、不動産業界に支持された政治家が税法に書き入れた税制の優遇措置や抜け穴のお陰で、不動産業者は所得税を事実上、全く支払っていない》。
これが本当に日本が目指したい方向なのであろうか。この道を辿れば、日本の企業家は、日本国民の幸福や経済的なバランスにつながる財やサービスを生産するよりも、バブル経済を復活させた方が儲かるようになってしまう。
《不労所得(地代、賃貸料、金利、キャピタル・ゲイン)にはできるだけ高い税金を課し、資本投資や就労所得からの収益に対してはできるだけ低い税金を課すべきだと経済学者は認めている》。固定資産税を引き上げても土地の供給は減らないが、賃金に対して増税すれば、労働力の供給や、純粋な経済的収益、さらに購買力は減少する。《消費税を値上げすれば、日本経済を動かす収入と支出の循環は徐々に蝕まれていく。資金は市場から引き上げられ、もっぱら土地や株式市場の投機に回されることになるであろう》。
もちろん問題は政府の負債にとどまらない。日本の民間企業も不動産抵当など、大きな負債を抱えている。《民間の資産の負債が増えれば増える程、企業収入の中で、金利の支払いや債務の返済に向けられる金額が増える。その結果、設備投資やR&D、開発関連向け新規投資のための資金が減少することになるのだ》。
《日本は、健全な成長と不健全なバブルの膨張を区別する新しい会計様式を導入すべきである》。《GDPの成長の中で、金利の増加や、賃貸料の増加といった偽りの成長がどれ程、占めるのかを表す必要がある》のだ。
残念ながら、《今日の日本の会計様式は価値の影響を受けない新しい経済理論を反映している》。《古典経済学が特定の雇用と融資は生産的ではないとして区別していたものを、この新しい理論では区別してはいない》。重農主義者の時代には、経済は余剰物を生産するものと捉えられていた。金利と賃貸料(さらに戦争費用)は、この余剰物から支払われる支出であった。《このような古典的な考え方では、FIRE部門全体が悪性腫瘍として生産的経済基盤の上に異常成長したものと考えられていた》。
日本が米国を手本にしようというのなら、《1929年以降に米国で増えた労働力が、古典派経済学者が「非生産的な雇用」と呼んだものであることに気づかなければいけない》。増加のすべてがサービス分野からで、工業分野の労働力は全く増えていないのだ。楽観的に見れば、このような状況も工業や農業、運搬などに携わる生産的な労働者が、急増する非生産的な労働者の上部構造を支えてきたではないか、と言うかも知れない。しかし実際には、《このFIRE部門の労働者こそ米国経済が直面する問題の本質なのであり、不労所得社会を形成している》のである。現在米国の財政問題の原因として、高齢者、障害者、そして社会保障や医療保険の受領者などが「権利ばかりを要求する」社会の依存者として非難されている。《しかし彼らが財政難の原因として非難されるのも、政府が政治的権力を持つFIRE部門における不労所得者への利子支払いを削減しないがため》なのである。
この点に関する日本の状況が表8-bに示されている。日本が高齢化し、多くの階層が貧しくなっているという事実があるにも拘らず、日本の社会保障費は、他の諸国と異なり政府支出の20%で一定している。急増しているのは国債費(政府の公債処理コスト)であり、社会保障費と同じ規模にまで膨らんでいる。金利が上昇し始めれば、国債費はさらに急激に増えるであろう。その結果、他の支出項目にしわ寄せが行くか、あるいは財政赤字を賄うためにさらに借金を増やすか、紙幣を発券するかのいずれかになるであろう。
表 8-a.一般会計の内訳:歳入(単位:10億円)
ーーーーー1975ーーー1980ーーー1985ーー1990ーー1995*
所得税ーー5,482ーー10,800ーー15,435ーー25,996ーー21,350
法人税ーー4,128ーー8,923ーー12,021ーー18,384ーー13,726
相続税ーーー310ーーー441ーーー1,061ーーー1,918ーー2,684
地価税ーーーーーーーー434
消費税ーーーーーー4,623ーー5,980
酒税ーーーー914ーー1,424ーーー1,932ーー1,935ーー2,172
たばこ税 ーーーー884ーー996ーー1,038
総額ーー21,473ーー44,041ーー53,993ーー71,703ーー70,987
*1995年度当初予算
表 8-b.一般会計の内訳:歳出(単位:10億円)
ーーーーーーーーー1975ーー1980ーー1985ーー1990ーー1995
社会保障関係費ーー4,136ーー8,170ー9,902ー11,481ー13,924
文教・科学振興費ー2,707ーー4,606ー4,883ーー5,410ーー6,076
国債費ーーーーーー1,102ーー5,492ー10,181ー14,314ー13,221
恩給関係費ーーーーー759ーー1,653ーー1,868ーー1,832ー1,727
地方財政関係費ーー3,351ーー7,829ーー9,690ー15,931ー13,215
防衛関係費ーーーー1,386ーー2,250ーー3,179ーー4,253ー4,724
公共事業関係費ーー3,487ーー6,896ーー6,891ーー6,956ー9,240
経済協力費ーーーーー168ーーー368ーーー572ーーー819ー1,035
中小企業対策費ーーー125ーーー240ーーー210ーーー240ーー186
エネルギー対策費ーー424ーーー601ーーー547ーーー682
食糧管理費ーーーーー915ーー1,030ーーー694ーーー404ーー272
産業投資特別会計へーー65ーーー2.7 ーー1,283ーー1,281
その他の事項経費ーー2,660ー4,448ーー4,335ーー5,800ー5,053
予備費ーーーーーーーー350
総額ーーーーーーー20,861ー43,405ー53,005ー69,269ー70,987
* 1995年度当初予算
バブル期における日本の成長はほとんどが癌細胞のようなものであった。それにも拘らず、日本は不動産のキャピタル・ゲインや賃貸収入や金利への課税を最低に抑える財政政策をとり、この傾向を阻止するどころか、むしろ状況を悪化させてきた。
この経済上の間接費を表す国民所得のデータが、すぐに使える形で提供されていない。このような会計様式が、政府の政策的な失敗に対する前向きな対処を遅らせているのだ。日本が今日の米国式の財政哲学を手本に増税を行えば、人間の身体でいうと「脂肪」に当たる地価の上昇や株式市場の収益といった「不労増価」ではなく、国家の活力に当たる賃金や企業の利益といった「骨」の部分に増税してしまう恐れがある。
《日本は間接費と富とを区別する包括的な会計様式が必要》なのである。不労増価を明確にし、優遇するのではなくそこに課税するために、《日本は、金融上の資金の流れを表す統計と、新規投資や有益な財やサービスの生産に関する統計を結び付ける必要がある》。《このような会計様式で表されれば、財テクではなく企業本来の活動が促進されるようになる》。さらに《この統計によって、FIRE部門の負担を軽くするために大蔵省が消費税増税を行おうとしていることがはっきりとわかる》であろう。
さらに、《このような統計があれば、企業の政治献金や官僚の天下りにかかるコストと、そうした政治的影響力の強い部門に対する課税控除額とを比較することも容易になる》であろう。万が一、こうした比較が可能であれば、経済活動に資金を投じるよりも、同じ金額を政治家に支払った方が見返りが高いことが浮き彫りになるであろう。
そして《大蔵官僚は、その統計を使って日本の国益ではなく米国の外交、経済上の目的を満たすために日本の税金や借金がどれ程増加したのか、国民に示すことができる》であろう。
日本の財政問題や国債残高の問題を語るとき、日本政府は国民への課税が少なすぎる、あるいは歳出が多すぎる、という言い方をする。《これは金融、保険、不動産部門の税負担が低すぎるという事実から焦点をそらして、日本国民全体がもっと税金を支払うべきだということをほのめかすためである》。
日本の財政問題を国際的な場面に置いて検討することが重要である。日本の国債を単に日本国内の問題であると捉えてしまうと、米国政府が米国民や企業に対する課税を避けるためにおこなわれている悪循環を断ち切ることはできない。《これでは、大蔵官僚が米国のやり方こそ正しいと洗脳されてしまうことと同じである》。《日本が抱えている問題と全く同じ問題に米国が苦しんでいることを忘れてはならない》。事実、日本が財務省証券を購入して直接的に援助しなければ、また米国の外交政策や海外の軍事費を資金援助することで間接的に米国経済を救済しなければ、米国の財政問題はさらに深刻さを増すのである。
今、《日本国民にとって最悪なことは、不労所得に税金を課すのではなく、消費税を5%、ひいては15%にまで引き上げることを大蔵省が主張している点である》。《この政策をとると、消費財や賃金に課税することによって輸出品に組み込まれる労働コストが上昇し、国内の生活水準が低下してしまう》。《そしてその一方で、不動産や金融投資家は、生産的なサービスを積極的に提供しなくとも、資産価値が上がるのをただ待っているだけで裕福になっていくという、とんでもない構図ができあがる》。
これはまさに米国式のやり方である。先に述べたように、《米国の全資産の約3分の2が不動産であるにも拘らず、不動産業界に支持された政治家が税法に書き入れた税制の優遇措置や抜け穴のお陰で、不動産業者は所得税を事実上、全く支払っていない》。
これが本当に日本が目指したい方向なのであろうか。この道を辿れば、日本の企業家は、日本国民の幸福や経済的なバランスにつながる財やサービスを生産するよりも、バブル経済を復活させた方が儲かるようになってしまう。
《不労所得(地代、賃貸料、金利、キャピタル・ゲイン)にはできるだけ高い税金を課し、資本投資や就労所得からの収益に対してはできるだけ低い税金を課すべきだと経済学者は認めている》。固定資産税を引き上げても土地の供給は減らないが、賃金に対して増税すれば、労働力の供給や、純粋な経済的収益、さらに購買力は減少する。《消費税を値上げすれば、日本経済を動かす収入と支出の循環は徐々に蝕まれていく。資金は市場から引き上げられ、もっぱら土地や株式市場の投機に回されることになるであろう》。
もちろん問題は政府の負債にとどまらない。日本の民間企業も不動産抵当など、大きな負債を抱えている。《民間の資産の負債が増えれば増える程、企業収入の中で、金利の支払いや債務の返済に向けられる金額が増える。その結果、設備投資やR&D、開発関連向け新規投資のための資金が減少することになるのだ》。
《日本は、健全な成長と不健全なバブルの膨張を区別する新しい会計様式を導入すべきである》。《GDPの成長の中で、金利の増加や、賃貸料の増加といった偽りの成長がどれ程、占めるのかを表す必要がある》のだ。
残念ながら、《今日の日本の会計様式は価値の影響を受けない新しい経済理論を反映している》。《古典経済学が特定の雇用と融資は生産的ではないとして区別していたものを、この新しい理論では区別してはいない》。重農主義者の時代には、経済は余剰物を生産するものと捉えられていた。金利と賃貸料(さらに戦争費用)は、この余剰物から支払われる支出であった。《このような古典的な考え方では、FIRE部門全体が悪性腫瘍として生産的経済基盤の上に異常成長したものと考えられていた》。
日本が米国を手本にしようというのなら、《1929年以降に米国で増えた労働力が、古典派経済学者が「非生産的な雇用」と呼んだものであることに気づかなければいけない》。増加のすべてがサービス分野からで、工業分野の労働力は全く増えていないのだ。楽観的に見れば、このような状況も工業や農業、運搬などに携わる生産的な労働者が、急増する非生産的な労働者の上部構造を支えてきたではないか、と言うかも知れない。しかし実際には、《このFIRE部門の労働者こそ米国経済が直面する問題の本質なのであり、不労所得社会を形成している》のである。現在米国の財政問題の原因として、高齢者、障害者、そして社会保障や医療保険の受領者などが「権利ばかりを要求する」社会の依存者として非難されている。《しかし彼らが財政難の原因として非難されるのも、政府が政治的権力を持つFIRE部門における不労所得者への利子支払いを削減しないがため》なのである。
この点に関する日本の状況が表8-bに示されている。日本が高齢化し、多くの階層が貧しくなっているという事実があるにも拘らず、日本の社会保障費は、他の諸国と異なり政府支出の20%で一定している。急増しているのは国債費(政府の公債処理コスト)であり、社会保障費と同じ規模にまで膨らんでいる。金利が上昇し始めれば、国債費はさらに急激に増えるであろう。その結果、他の支出項目にしわ寄せが行くか、あるいは財政赤字を賄うためにさらに借金を増やすか、紙幣を発券するかのいずれかになるであろう。
表 8-a.一般会計の内訳:歳入(単位:10億円)
ーーーーー1975ーーー1980ーーー1985ーー1990ーー1995*
所得税ーー5,482ーー10,800ーー15,435ーー25,996ーー21,350
法人税ーー4,128ーー8,923ーー12,021ーー18,384ーー13,726
相続税ーーー310ーーー441ーーー1,061ーーー1,918ーー2,684
地価税ーーーーーーーー434
消費税ーーーーーー4,623ーー5,980
酒税ーーーー914ーー1,424ーーー1,932ーー1,935ーー2,172
たばこ税 ーーーー884ーー996ーー1,038
総額ーー21,473ーー44,041ーー53,993ーー71,703ーー70,987
*1995年度当初予算
表 8-b.一般会計の内訳:歳出(単位:10億円)
ーーーーーーーーー1975ーー1980ーー1985ーー1990ーー1995
社会保障関係費ーー4,136ーー8,170ー9,902ー11,481ー13,924
文教・科学振興費ー2,707ーー4,606ー4,883ーー5,410ーー6,076
国債費ーーーーーー1,102ーー5,492ー10,181ー14,314ー13,221
恩給関係費ーーーーー759ーー1,653ーー1,868ーー1,832ー1,727
地方財政関係費ーー3,351ーー7,829ーー9,690ー15,931ー13,215
防衛関係費ーーーー1,386ーー2,250ーー3,179ーー4,253ー4,724
公共事業関係費ーー3,487ーー6,896ーー6,891ーー6,956ー9,240
経済協力費ーーーーー168ーーー368ーーー572ーーー819ー1,035
中小企業対策費ーーー125ーーー240ーーー210ーーー240ーー186
エネルギー対策費ーー424ーーー601ーーー547ーーー682
食糧管理費ーーーーー915ーー1,030ーーー694ーーー404ーー272
産業投資特別会計へーー65ーーー2.7 ーー1,283ーー1,281
その他の事項経費ーー2,660ー4,448ーー4,335ーー5,800ー5,053
予備費ーーーーーーーー350
総額ーーーーーーー20,861ー43,405ー53,005ー69,269ー70,987
* 1995年度当初予算
バブル期における日本の成長はほとんどが癌細胞のようなものであった。それにも拘らず、日本は不動産のキャピタル・ゲインや賃貸収入や金利への課税を最低に抑える財政政策をとり、この傾向を阻止するどころか、むしろ状況を悪化させてきた。
この経済上の間接費を表す国民所得のデータが、すぐに使える形で提供されていない。このような会計様式が、政府の政策的な失敗に対する前向きな対処を遅らせているのだ。日本が今日の米国式の財政哲学を手本に増税を行えば、人間の身体でいうと「脂肪」に当たる地価の上昇や株式市場の収益といった「不労増価」ではなく、国家の活力に当たる賃金や企業の利益といった「骨」の部分に増税してしまう恐れがある。
《日本は間接費と富とを区別する包括的な会計様式が必要》なのである。不労増価を明確にし、優遇するのではなくそこに課税するために、《日本は、金融上の資金の流れを表す統計と、新規投資や有益な財やサービスの生産に関する統計を結び付ける必要がある》。《このような会計様式で表されれば、財テクではなく企業本来の活動が促進されるようになる》。さらに《この統計によって、FIRE部門の負担を軽くするために大蔵省が消費税増税を行おうとしていることがはっきりとわかる》であろう。
さらに、《このような統計があれば、企業の政治献金や官僚の天下りにかかるコストと、そうした政治的影響力の強い部門に対する課税控除額とを比較することも容易になる》であろう。万が一、こうした比較が可能であれば、経済活動に資金を投じるよりも、同じ金額を政治家に支払った方が見返りが高いことが浮き彫りになるであろう。
そして《大蔵官僚は、その統計を使って日本の国益ではなく米国の外交、経済上の目的を満たすために日本の税金や借金がどれ程増加したのか、国民に示すことができる》であろう。
[ 11:51 ]
[ デーヴィッド・アイク ]
日本はなぜ借金大国になったか(2)(OUR WORLD)
投稿者 マイケル・ハドソン 日時 2002 年 2 月 27 日 21:54:29:
【III. 日本の借金増加に米国財務省が果たした役割】
《日本の財政ジレンマの原因の中で見落としがちなのは、日本の借金の増加が米国財務省への融資額の増加と歩調を合わせている点である》(OW64,65,74,75参照)。表5は、日銀の財務省証券の購入額(保有額の年間の増減)と、日本の国債発行額を比較したものである。
表 5.日本は米国に融資するために借金をしている( 単位:兆円 )
年度ーーー日本の国債発行額ーー米国国債購入額ーーーー割合
ーーーーーーーー(a)ーーーーーーーー(b) ーーーーーー(b)/(a)
1965ーーー0.2
1970ーーー0.4ーーー0.4ーーー98%
1975ーーー2.0ーーー-0.2ーーー-11%
1980ーーー14.3 ーーー1.0ーーー7%
1981ーーー12.3ーーー0.8ーーー6%
1982ーーー10.4ーーー-1.2ーーー-11%
1983ーーー13.3ーーー0.3ーーー2%
1984ーーー12.7ーーー0.5ーーー4%
1985ーーー11.7ーーー0.1ーーー1%
1986ーーー19.8ーーー2.5ーーー12%
1987ーーー0.5ーーー4.8ーーー46%
1988ーーー13.3ーーー2.0ーーー15%
1989ーーー12.7ーーー-1.8ーーー-14%
1990ーーー5.6ーーー-0.7ーーー-13%
1991ーーー6.7ーーー-0.8ーーー-12%
1992ーーー7.3ーーー0.0ーーー-1%
1993ーーー8.1ーーー3.0ーーー37%
1994ーーー13.6ーーー2.7ーーー20%
1995ーーー12.6ーーー5.7ーーー45%
1981一85ーーー60.4ーーー0.5ーーー1%
1986一90ーーー51.9ーーー6.8ーーー13%
1991一95ーーー48.3ーーー10.6ーーー22%
1993年一1995年には、日本の外貨準備を通じた米国財務省証券の購入額は、日本の国債発行額、つまり日本の財政赤字(経常支出の赤字を埋めるために日本が発行しなければならなかった国債発行額)のほぼ3分の1にものぼった。《日本が米国の財務省証券を購入することで助かるのは米国の財政赤字である》(表6参照)。
表 6.米国の財政赤字に対する日本の資金援助( 単位: 10億円 )
年度ーー米国歳入ーー米国歳出ーー米国財政赤字ーー日本の米国債購入額
ーーーーー(a)ーーーーー(d)ーーーーーー(c)ーーーーーー(d)
1965ーー126ーー119ーー-7
1970ーー206ーー185ーー-21ーー1.1ーー-5%
1975ーー302ーー292ーー-10ーー-0.7ーー7%
1980ーー565ーー617ーー52ーー5.1ーー10%
1981ーー659ーー625ーー-34 3.6ーー-11%
1982ーー686ーー710ーー24ーー-4.9ーー-20%
1983ーー678ーー786ーー108ーー1.3ーー1%
1984ーー752ーー829ーー77ーー1.8ーー2%
1985ーー807ーー1,032ーー225ーー0.3ーー0%
1986ーー848ーー1,096ーー248ーー15.5ーー6%
1987ーー969ーー1,149ーー180ーー38.7ーー22%
1988ーー1,012ーー1,215ーー203ーー15.8ーー8%
1989ーー1,093ーー1,270ーー177ーー-12.8ーー-7%
1990ーー1,155ーー1,393ーー238ーー-5.5ーー-2%
1991ーー1,201ーー1,480ーー279ーー-6.4ーー-2%
1992ーー1,259ーー1,527ーー268ーー-0.4ーー0%
1993ーー1,238ーー1,492ーー254ーー26.9ーー11%
1994ーー1,331ーー1,532ーー201ーー27.3ーー14%
1995ーー1,447ーー1,607ーー160ーー55.7ーー35%
《米国は日本からの融資で財政赤字を穴埋めした》。そのため、《自由市場で銀行や企業、投資家から借金をする必要がなく、その結果米国内の金利が低く抑えられたのである》。《このため米国投資家はその資金を対外投資、海外の株式や債券の購入にあて、諸外国に対する経済的支配を拡大した》。それはキャピタルゲインを含めて、自国の財務省証券を購入する以上の収益となった。
さらに、米国の低金利は、日本との貿易競争において、米国輸出業者の資本コストを引き下げることになった。《大蔵省がとった戦略は、結局、世界市場における日本の貿易優位性を犠牲にし、米国輸出業者を資金援助する結果となった》のである。
《米金融当局は、日本に米国が行っているような諸外国の主要資産の買収ではなく、財務省証券を購入するよう提案した》。《米国の株式や主要企業、さらには金でさえ、日本は買うべきではないと言われた》。ただ、ロックフェラーセンターやペブルビーチのゴルフコースといった「記念品」だけは、相場以上の金額を積めば購入してもよいと言われた。しかし政府の余剰資金ではそういった物件は購入できない。そのため日銀は余剰ドルで財務省証券を購入したのだった。《米国財務省証券本位制のために、日本は米国の財政赤字の資金援助をする以外の道を塞がれた》のである。《こうして米国の財政赤字は、米国の納税者や投資家の問題から、日本の国内問題へと発展した》。
《日本と同様、米国の財政赤字は金融・不動産部門に対する事実上の課税控除の結果生まれたものである》。これは、米国政府が不動産減価償却引当金(税金対策として不動産物件を繰り返し減価償却することができる。この現象を《過剰減価償却》と呼ぶ)を認め、さらに、金利を課税控除の経費として認めたためであった。その結果、米国では全資産の3分の2を不動産が占めているにも拘らず、課税対象の所得が不動産からは全く発生していないかのような現象が起きている。
日本政府が財務省証券を購入し続ける一方で、日本政府は財政赤字に追い込まれた。では日銀は他にどのような選択肢があったのか。《日銀は借金をしなくても、単純に造幣するだけで財政赤字を埋めることはできた》はずである。しかし、日銀は借金で対処した。その結果、《日本は米国政府に融資をして世界最大の債権国になりながら、その一方では世界最大の債務国になりつつある》。《事実、日本の国家債務のGNPに占める割合は今や米国や他の西欧諸国を上回ろうとしている》。
日銀は自由市場で日本の国債を購入し、マネー・サプライを増やした。《こうして資本市場の資金供給量が増大し(またこれが日本の低金利政策の主な要因である)、その過程で不動産や株式市場のバブルが膨らんだ》。
日本はこうして、金利を抑制するために資本市場をインフレ化させる政策をとらざるを得なくなった。これは不動産の市場価値を支えるためであり、それによって不動産部門に世界最大の過剰貸付を行った日本の金融制度のバランス・シートを維持するためであった。《米国の国際収支と、米国の財政赤字と、米国の株式・債券市場と、米国の不動産価格を支えるために、日本経済全体はこうして歪められていった》。
世界通貨制度の中で米国を資金援助するという役割を果たさなければならないがために、日本は消費税を3%から5%へ増税しなければならないのである。《米国のFIRE部門("Finance(金融)"、"Insurance(保険)"、"Real Estate(不動産)"産業の一般的な略称)がキャピタル・ゲインへの課税を削減させることに成功すれば、日本はさらに多くの資金を供出しなければならなくなるであろう》。《このキャピタル・ゲイン税減税の主な受益者は不動産部門であり、連邦政府に支払う税金はほぼ完全に無税となる》。《米国の不動産部門から全く税金をとらず、さらに日本でも不動産バブルを引き起こした不動産および金融部門に対する課税を強めなければ、日本の消費税は15%まで引き上げざるを得なくなるであろうと試算されている》。
日本の有権者は、大蔵省や与党がなぜ消費税増税を迫っているのか、その理由を理解すべきである。これは極めて重要なことなのだ。《日本の歳出を補うために必要な税金を投資家が支払っていないために、消費者が代わって税金を払わなければならないのである》。
表 7.日本の米国に対する資金援助と日本の国債および財政赤字( 単位:兆円 )
年度ー日本の国債発行ー財政赤字ー米国債購入ー割合ー財政赤字
ーーーーー額ーーーーーー額ーーーーーーーーーーーーに占める
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー割合
ーーーーー(a) ーーーー(b) ーーーー(c)ーーー (c)/(a) ー(c)/(b)
1965ーーー0.2ーーー0.5
1970ーーー0.4ーーー0.3ーーー0.4ーーー98%ーーー131%
1975ーーー2.0ーーー7.7ーーー-0.2ーーー-11%ーーー-3%
1980ーーー14.3ーーー16.9ーーー1.0ーーー7%ーーー6%
1981ーーー12.3ーーー16.8ーーー0.8ーーー6%ーーー5%
1982ーーー10.4ーーー17.6ーーー-1.2ーーー-11%ーーー-7%
1983ーーー13.3ーーー18.8ーーー0.3ーーー2%ーーー2%
1984ーーー12.7ーーー17.3ーーー0.5ーーー4%ーーー3%
1985ーーー11.7ーーー15.6ーーー0.1ーーー1%ーーー0%
1986ーーー19.8ーーー16.0ーーー2.5ーーー12%ーーー15%
1987ーーー10.5ーーー12.2ーーー4.8ーーー46%ーーー39%
1988ーーー13.3ーーー9.7ーーー2.0ーーー15%ーーー20%
1989ーーー12.7ーーー11.6ーーー-1.8ーーー-14%ーーー-16%
1990ーーー5.6ーーー6.8ーーー-0.7ーーー-13%ーーー-11%
1991ーーー6.7ーーー-7.8ーーー-0.8ーーー-12%ーーー10%
1992ーーー7.3ーーー-1.5ーーー0.0ーーー-1%ーーー3%
1993ーーー8.1ーーー7.3ーーー3.0ーーー37%ーーー41%
1994ーーー13.6ーーーN.A.ーーー2.7ーーー20%ーーーN.A.
1995ーーー12.6ーーーN.A.ーーー5.7ーーー45%ーーーN.A.
《日本が米国財務省証券を購入していなければ、少なくともその分だけ日本は、自国の財政を穴埋めするための借金をせずに済んだはずである》。あるいは、《その資金を使って、円ブロック圏の地盤を固め、基軸通貨国として日本に資金を集めることができたかも知れない》。《公共支出負担や減税、さらには国内の繁栄のためにその資金を使うこともできたであろうし、それを使って、米国が行ったのと同じように、他の国の経済を支配することも可能であったかも知れない》。
しかし現実は、米国財務省への融資が拡大したために日本の国債残高は増加した。《米国人が税金を払わない分、日本国民の税金負担が増えた》のである。
しかし、《米国民は日本に感謝するどころか、日本たたきはとどまるところを知らない》。《その理由は、現実に何が起こっているかを、米国の政府やエコノミスト、メディアが国民に説明しないためである》。《しかし、日本の政府やエコノミスト、メディアが明らかにしないことを、なぜ米国側が敢えてそれを国民に説明しようとするであろうか》。
投稿者 マイケル・ハドソン 日時 2002 年 2 月 27 日 21:54:29:
【III. 日本の借金増加に米国財務省が果たした役割】
《日本の財政ジレンマの原因の中で見落としがちなのは、日本の借金の増加が米国財務省への融資額の増加と歩調を合わせている点である》(OW64,65,74,75参照)。表5は、日銀の財務省証券の購入額(保有額の年間の増減)と、日本の国債発行額を比較したものである。
表 5.日本は米国に融資するために借金をしている( 単位:兆円 )
年度ーーー日本の国債発行額ーー米国国債購入額ーーーー割合
ーーーーーーーー(a)ーーーーーーーー(b) ーーーーーー(b)/(a)
1965ーーー0.2
1970ーーー0.4ーーー0.4ーーー98%
1975ーーー2.0ーーー-0.2ーーー-11%
1980ーーー14.3 ーーー1.0ーーー7%
1981ーーー12.3ーーー0.8ーーー6%
1982ーーー10.4ーーー-1.2ーーー-11%
1983ーーー13.3ーーー0.3ーーー2%
1984ーーー12.7ーーー0.5ーーー4%
1985ーーー11.7ーーー0.1ーーー1%
1986ーーー19.8ーーー2.5ーーー12%
1987ーーー0.5ーーー4.8ーーー46%
1988ーーー13.3ーーー2.0ーーー15%
1989ーーー12.7ーーー-1.8ーーー-14%
1990ーーー5.6ーーー-0.7ーーー-13%
1991ーーー6.7ーーー-0.8ーーー-12%
1992ーーー7.3ーーー0.0ーーー-1%
1993ーーー8.1ーーー3.0ーーー37%
1994ーーー13.6ーーー2.7ーーー20%
1995ーーー12.6ーーー5.7ーーー45%
1981一85ーーー60.4ーーー0.5ーーー1%
1986一90ーーー51.9ーーー6.8ーーー13%
1991一95ーーー48.3ーーー10.6ーーー22%
1993年一1995年には、日本の外貨準備を通じた米国財務省証券の購入額は、日本の国債発行額、つまり日本の財政赤字(経常支出の赤字を埋めるために日本が発行しなければならなかった国債発行額)のほぼ3分の1にものぼった。《日本が米国の財務省証券を購入することで助かるのは米国の財政赤字である》(表6参照)。
表 6.米国の財政赤字に対する日本の資金援助( 単位: 10億円 )
年度ーー米国歳入ーー米国歳出ーー米国財政赤字ーー日本の米国債購入額
ーーーーー(a)ーーーーー(d)ーーーーーー(c)ーーーーーー(d)
1965ーー126ーー119ーー-7
1970ーー206ーー185ーー-21ーー1.1ーー-5%
1975ーー302ーー292ーー-10ーー-0.7ーー7%
1980ーー565ーー617ーー52ーー5.1ーー10%
1981ーー659ーー625ーー-34 3.6ーー-11%
1982ーー686ーー710ーー24ーー-4.9ーー-20%
1983ーー678ーー786ーー108ーー1.3ーー1%
1984ーー752ーー829ーー77ーー1.8ーー2%
1985ーー807ーー1,032ーー225ーー0.3ーー0%
1986ーー848ーー1,096ーー248ーー15.5ーー6%
1987ーー969ーー1,149ーー180ーー38.7ーー22%
1988ーー1,012ーー1,215ーー203ーー15.8ーー8%
1989ーー1,093ーー1,270ーー177ーー-12.8ーー-7%
1990ーー1,155ーー1,393ーー238ーー-5.5ーー-2%
1991ーー1,201ーー1,480ーー279ーー-6.4ーー-2%
1992ーー1,259ーー1,527ーー268ーー-0.4ーー0%
1993ーー1,238ーー1,492ーー254ーー26.9ーー11%
1994ーー1,331ーー1,532ーー201ーー27.3ーー14%
1995ーー1,447ーー1,607ーー160ーー55.7ーー35%
《米国は日本からの融資で財政赤字を穴埋めした》。そのため、《自由市場で銀行や企業、投資家から借金をする必要がなく、その結果米国内の金利が低く抑えられたのである》。《このため米国投資家はその資金を対外投資、海外の株式や債券の購入にあて、諸外国に対する経済的支配を拡大した》。それはキャピタルゲインを含めて、自国の財務省証券を購入する以上の収益となった。
さらに、米国の低金利は、日本との貿易競争において、米国輸出業者の資本コストを引き下げることになった。《大蔵省がとった戦略は、結局、世界市場における日本の貿易優位性を犠牲にし、米国輸出業者を資金援助する結果となった》のである。
《米金融当局は、日本に米国が行っているような諸外国の主要資産の買収ではなく、財務省証券を購入するよう提案した》。《米国の株式や主要企業、さらには金でさえ、日本は買うべきではないと言われた》。ただ、ロックフェラーセンターやペブルビーチのゴルフコースといった「記念品」だけは、相場以上の金額を積めば購入してもよいと言われた。しかし政府の余剰資金ではそういった物件は購入できない。そのため日銀は余剰ドルで財務省証券を購入したのだった。《米国財務省証券本位制のために、日本は米国の財政赤字の資金援助をする以外の道を塞がれた》のである。《こうして米国の財政赤字は、米国の納税者や投資家の問題から、日本の国内問題へと発展した》。
《日本と同様、米国の財政赤字は金融・不動産部門に対する事実上の課税控除の結果生まれたものである》。これは、米国政府が不動産減価償却引当金(税金対策として不動産物件を繰り返し減価償却することができる。この現象を《過剰減価償却》と呼ぶ)を認め、さらに、金利を課税控除の経費として認めたためであった。その結果、米国では全資産の3分の2を不動産が占めているにも拘らず、課税対象の所得が不動産からは全く発生していないかのような現象が起きている。
日本政府が財務省証券を購入し続ける一方で、日本政府は財政赤字に追い込まれた。では日銀は他にどのような選択肢があったのか。《日銀は借金をしなくても、単純に造幣するだけで財政赤字を埋めることはできた》はずである。しかし、日銀は借金で対処した。その結果、《日本は米国政府に融資をして世界最大の債権国になりながら、その一方では世界最大の債務国になりつつある》。《事実、日本の国家債務のGNPに占める割合は今や米国や他の西欧諸国を上回ろうとしている》。
日銀は自由市場で日本の国債を購入し、マネー・サプライを増やした。《こうして資本市場の資金供給量が増大し(またこれが日本の低金利政策の主な要因である)、その過程で不動産や株式市場のバブルが膨らんだ》。
日本はこうして、金利を抑制するために資本市場をインフレ化させる政策をとらざるを得なくなった。これは不動産の市場価値を支えるためであり、それによって不動産部門に世界最大の過剰貸付を行った日本の金融制度のバランス・シートを維持するためであった。《米国の国際収支と、米国の財政赤字と、米国の株式・債券市場と、米国の不動産価格を支えるために、日本経済全体はこうして歪められていった》。
世界通貨制度の中で米国を資金援助するという役割を果たさなければならないがために、日本は消費税を3%から5%へ増税しなければならないのである。《米国のFIRE部門("Finance(金融)"、"Insurance(保険)"、"Real Estate(不動産)"産業の一般的な略称)がキャピタル・ゲインへの課税を削減させることに成功すれば、日本はさらに多くの資金を供出しなければならなくなるであろう》。《このキャピタル・ゲイン税減税の主な受益者は不動産部門であり、連邦政府に支払う税金はほぼ完全に無税となる》。《米国の不動産部門から全く税金をとらず、さらに日本でも不動産バブルを引き起こした不動産および金融部門に対する課税を強めなければ、日本の消費税は15%まで引き上げざるを得なくなるであろうと試算されている》。
日本の有権者は、大蔵省や与党がなぜ消費税増税を迫っているのか、その理由を理解すべきである。これは極めて重要なことなのだ。《日本の歳出を補うために必要な税金を投資家が支払っていないために、消費者が代わって税金を払わなければならないのである》。
表 7.日本の米国に対する資金援助と日本の国債および財政赤字( 単位:兆円 )
年度ー日本の国債発行ー財政赤字ー米国債購入ー割合ー財政赤字
ーーーーー額ーーーーーー額ーーーーーーーーーーーーに占める
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー割合
ーーーーー(a) ーーーー(b) ーーーー(c)ーーー (c)/(a) ー(c)/(b)
1965ーーー0.2ーーー0.5
1970ーーー0.4ーーー0.3ーーー0.4ーーー98%ーーー131%
1975ーーー2.0ーーー7.7ーーー-0.2ーーー-11%ーーー-3%
1980ーーー14.3ーーー16.9ーーー1.0ーーー7%ーーー6%
1981ーーー12.3ーーー16.8ーーー0.8ーーー6%ーーー5%
1982ーーー10.4ーーー17.6ーーー-1.2ーーー-11%ーーー-7%
1983ーーー13.3ーーー18.8ーーー0.3ーーー2%ーーー2%
1984ーーー12.7ーーー17.3ーーー0.5ーーー4%ーーー3%
1985ーーー11.7ーーー15.6ーーー0.1ーーー1%ーーー0%
1986ーーー19.8ーーー16.0ーーー2.5ーーー12%ーーー15%
1987ーーー10.5ーーー12.2ーーー4.8ーーー46%ーーー39%
1988ーーー13.3ーーー9.7ーーー2.0ーーー15%ーーー20%
1989ーーー12.7ーーー11.6ーーー-1.8ーーー-14%ーーー-16%
1990ーーー5.6ーーー6.8ーーー-0.7ーーー-13%ーーー-11%
1991ーーー6.7ーーー-7.8ーーー-0.8ーーー-12%ーーー10%
1992ーーー7.3ーーー-1.5ーーー0.0ーーー-1%ーーー3%
1993ーーー8.1ーーー7.3ーーー3.0ーーー37%ーーー41%
1994ーーー13.6ーーーN.A.ーーー2.7ーーー20%ーーーN.A.
1995ーーー12.6ーーーN.A.ーーー5.7ーーー45%ーーーN.A.
《日本が米国財務省証券を購入していなければ、少なくともその分だけ日本は、自国の財政を穴埋めするための借金をせずに済んだはずである》。あるいは、《その資金を使って、円ブロック圏の地盤を固め、基軸通貨国として日本に資金を集めることができたかも知れない》。《公共支出負担や減税、さらには国内の繁栄のためにその資金を使うこともできたであろうし、それを使って、米国が行ったのと同じように、他の国の経済を支配することも可能であったかも知れない》。
しかし現実は、米国財務省への融資が拡大したために日本の国債残高は増加した。《米国人が税金を払わない分、日本国民の税金負担が増えた》のである。
しかし、《米国民は日本に感謝するどころか、日本たたきはとどまるところを知らない》。《その理由は、現実に何が起こっているかを、米国の政府やエコノミスト、メディアが国民に説明しないためである》。《しかし、日本の政府やエコノミスト、メディアが明らかにしないことを、なぜ米国側が敢えてそれを国民に説明しようとするであろうか》。
[ 11:50 ]
[ デーヴィッド・アイク ]
【II. 日本の国債残高の驚くべき増加】
表1は、日本政府にほとんど負債のなかった1965年から、日本のGDPと国債残高を比較したものである。過去30年間、国債残高は爆発的に増加し、1,000倍以上に膨れ上がった一方で、GDPは4倍の増加に止まり、その結果、国債残高はGDPの半分以上にもなった。言い換えれば、1965年以来政府が増加させてきた負債を返済するには、日本国民や日本企業が1年間に生産する金額の半分が必要であるということである。
表 1. 日本のGDPと国債残高(兆円)
年度ーーーGDPーーー国債残高ーーー割合
1965ーーー103.0ーーー0.2ーーー0%
1970ーーー173.4ーーー2.8ーーー2%
1975ーーー215.8ーーー15.0ーーー7%
1980ーーー269.0ーーー70.5ーーー26%
1985ーーー322.8ーーー134.4ーーー42%
1990ーーー404.6ーーー166.3ーーー41%
1991ーーー419.1ーーー171.6ーーー41%
1992ーーー420.5ーーー178.4ーーー42%
1993ーーー419.5ーーー192.5ーーー46%
1994ーーー422.0ーーー203.6ーーー48%
1995ーーー430.4ーーー222.0ーーー52%
1995/1965ーーー4.2倍ーーー1110.0倍
1995/1970ーーー2.5倍ーーー79.0倍
【日本の国債残高増加の国内の原因】
表2は、日本の国債が、雪だるま式に増加した原因を明らかにしている。1980 年以来、日本は国家の歳入を上回る金額を支出し、その差を借金、つまり国債の 発行で補ってきた。
あるいは、《政府は歳出の増加に合わせた増税をしなかった》とも言える(つまり《 日本のトップ10%の富が増加した分だけの税を徴収しなかった》)。その代わり何 をしたかというと、《FIRE分野に税制上の優遇措置を与えた》のである。さらに《日本 政府は、優遇措置を与えたそのFIRE分野から借金もしている》。日本政府は1980年 以来平均で、支出予算の15%以上を借金で賄っているのだ。
しかし《日本の借金の原因は、実際には税率が下げられた裕福なFIRE分野ではな く、公共政策の受益者である残りの国民の責任にされているが、本来の責任は主 に日本のFIRE分野と、さらには米国の経済・軍事プログラムを支援した点にある》。
表 2. 国債の原因(兆円)
年度ーーー政府予算ーーー国債発行額ーーー国債依存度
1964ーーー3.7ーーー0.2ーーー5.3%
1979ーーー7.9ーーー0.4ーーー5.4%
1975ーーー21.3ーーー2.0ーーー9.4%
1980ーーー42.6ーーー14.3ーーー33.5%
1985ーーー52.5ーーー11.7ーーー22.2%
1990ーーー66.2ーーー5.6ーーー8.4%
1991ーーー70.3ーーー6.7ーーー9.5%
1992ーーー72.2ーーー7.3ーーー10.1%
1993ーーー72.4ーーー8.1ーーー11.2%
1994ーーー73.1ーーー13.6ーーー18.7%
1995ーーー71.0ーーー12.6ーーー17.7%
1980一1995
平均ーーー65.0ーーー10.0ーーー15.4%
日本の国債の統計は、他の国とは異なる分類になっており、1つの勘定に統合されていない。《収入と支出の計算書(赤字の場合は税金で経常支出をカバーできないことを意味する)と様々な資本財(インフラ)支出に関する「資本」のバランス・シートの2つに分かれている》。日本では、この2つをカバーするために2種類の国債が発行されている。資本予算の資金繰りのための《建設国債》と、物理的な資本資産の建設以外の支出に関する経常赤字を穴埋めするための《赤字国債》である。
問題は資本予算と経常予算を区別しようとする場合で、ほとんどすべてが「資本支出」と見なされてしまう。例えば、すべての教育費は「人的資本の形成」と見なすことができる。ニューヨーク市は、長い間、橋梁など都市基盤の維持費も単に資本予算として計上してきた。創作力のある会計士なら、循環論法と曖昧な定義付けでかなり柔軟な解釈を行い、事実を曇らせることができる。《そのようにして日本も、負債を政策の失敗によるものではなく、正当で当然なものであるかのように見せかけてきた》のである。
《特定の支出を別枠にしているのは、国債の発行を正当化するためである》。これが正当化されるのは、公共の交通機関や通信から港の開発などの建設プロジェクトまで様々な資本財の価値が長年持続するためである。インフラ整備のプロジェクトが一般に国債で資金繰りされるのはこのような考えが基盤になっており、その国債の償還は、少なくとも基本的には、これらの公共事業から得られるサービスの流れと関連していると考えられている。しかし、国債には金利の支払いという問題が伴い、それ自体が蓄積されていく傾向があることを忘れてはならない。
【日本の国債残高を増大させた利払い】
過去の借金に対する利払いが、日本政府が借金を重ねる重要な理由になっている。表3は、過去15年間に、日本政府が、年間予算のうち平均10兆円を毎年借金しなければならなかったことを示している。この間、こうした借金を処理する年間コスト(国債費)は平均13.1兆円であり、これは年間予算の20%以上に達している。国債の処理費用は、政府歳出の主要項目なのである。
表 3. 政府予算に占める国債費の割合(兆円)
年度ーーー政府予算ーーー国債費ーーー割合
1965ーーー3.7ーーー0.0ーーー0.3%
1970ーーー7.9ーーー0.3ーーー3.7%
1975ーーー21.3ーーー1.0ーーー4.9%
1980ーーー42.6ーーー5.3ーーー12.5%
1985ーーー52.5ーーー10.2ーーー19.5%
1990ーーー66.2ーーー14.3ーーー21.6%
1991ーーー70.3ーーー15.5ーーー22.0%
1992ーーー72.2ーーー16.4ーーー22.8%
1993ーーー72.4ーーー5.4ーーー21.3%
1994ーーー73.1ーーー14.4ーーー19.6%
1995ーーー71.0ーーー13.2ーーー18.6%
1980-1995
平均ーーー65.0ーーー13.1ーーー20.1%
《これらの負債処理コストは、「納税者」から、税金の正当な支払い負担を逃れた「不労所得者」へ公的資金が移動することを意味する》。つまり《FIRE部門が税金を逃れた結果、政府は財政赤字となり、税金で徴収できなかった資金を借金する》。《政府は借金に対する金利の支払いを必要経費として落とすことを金融および不動産投資家に認めた。それによって、不動産部門は課税対象の利益を全く上げていないように見せかけることができるわけである》。そして《日本政府は、実際そのような税制上の優遇措置を与えた金融部門から借金をしている》のである。
この税金の抜け穴のおかげで不動産投機家はより多くの資金をふところに残すことになり、さらに不動産投機家はそれを金融部門に金利という形で支払っている。《銀行その他の金融機関は、課税対象の収入を稼いでいないという幻想を作り出し、この金利収入に対して資本の損失や他の控除を主張する》。もちろん、長年にわたって金融機関はキャピタル・ゲインを上げているが、様々な形態の非課税「積立金」として別枠にすることで税金を逃れてきた。そして、これらの積立金の一部は、財政赤字の資金繰りのために発行される国債に投資されてきた。つまり《金融部門は、税金を払わないことに対して、金利という報酬を受けている》のである。
もちろん、《このような政策をとっているのは日本だけではない》。同じようなプロセスは米国でも見られる。《事実上、日本は、経済全体にFIRE部門の資金援助をさせるという「米国製」の税制度を採用した》と言える。
産業の近代化と輸出の増加によって、日本は戦後目覚ましい経済発展を遂げた。しかし不動産および金融部門の収益に対して課税を怠り、さらには富と間接費を正しく区別しない財政政策によって、この成長もストップする恐れがある。
このままの政策では日本が負債から抜け出すことはできない。それどころか、ますます日本経済は負債の泥沼に引きずり込まれていくであろう。
あるエコノミストは、自国に対する借金なのだから、負債の規模は問題ではないと主張する。しかし、《厳密に見ればこの借金は、日本の一般的な納税者が、自分の収入に見合っただけの納税をしていない一部の階級に対して持つ借金なのである》。《これは税収入を国債保有者の手に移していることに他ならない》。さらに厳密に言えば、《労働者や産業資本は、FIRE部門を儲けさせるために税金を払っていることになるのだ》。
さらにひどいことには、《予算が削減されても債権者への利払いは絶対的に変わらない》。《予算削減によってしわ寄せをくうのは、常に9割の国民のためにある公衆衛生や福祉などの社会福祉プログラムなのである》。
日本人の貯蓄高は驚くべき程高いが、同時に多額の借金も抱えている(特に住宅ローン)。《どの国でも、最も裕福な少数の家庭が、企業、政府、地方自治体と共に残りの国民に負債を負わせる傾向にある》。《より少数の家庭が、より金持ちになっていく》。《第二次世界大戦後の米国、そしてラテンアメリカ、ヨーロッパ、現在はロシアでもこのような現象が起きている》。
確かに、負債処理コストの一部は、国債償還費に回される。しかし、これは日本が毎年、その負債の一部の支払い期限を延長していることに他ならない。そこで金利の支払いだけに焦点を当てた統計を表4に示した。この表は、このような支払いがGDP全体に対していかに大きな割合を占めるようになったかを示している。
表 4. 日本のGDPを蝕む国債利払い費(兆円)
年度ー国債残高ーGDPーGDP増加額(a)ー国債利払い費(b)ー割合(b/a)
1965ーー0.2ーー109.4ーー0.0ーー0ーー0
1966ーー0.9ーー120.8ーー11.3ーー0.0ーー0%
1967ーー1.6ーー134.3ーー13.5ーー0.1ーー1%
1968ーー2.1ーー150.4ーー16.1ーー0.1ーー1%
1969ーー2.5ーー168.6ーー18.1ーー0.2ーー1%
1970ーー2.8ーー187.8ーー19.2ーー0.2ーー1%
1971ーー4.0ーー196.6ーー8.8ーー0.2ーー2%
1972ーー5.8ーー213.1ーー16.5ーー0.3ーー2%
1973ーー7.6ーー230.2ーー17.1ーー0.4ーー3%
1974ーー9.7ーー227.4 ーー-2.8ーー0.6ーー-20%
1975ーー5.0ーー234.5ーー7.0ーー0.7ーー19%
1976ーー22.1ーー243.8ーー9.3ーー1.3ーー14%
1977ーー31.9ーー254.5ーー10.7ーー1.9ーー18%
1978ーー42.6ーー267.9ーー13.4 2.6ーー19%
1979ーー56.3ーー282.6ーー14.7ーー3.3 ーー22%
1980ーー70.5ーー290.6ーー8.0ーー4.4ーー55%
1981ーー82.3ーー299.8ーー9.2ーー5.6ーー61%
1982ーー96.5ーー308.9ーー9.2ーー6.5ーー71%
1983ーー109.7ーー316.1ーー7.2ーー7.9ーー110%
1984ーー121.7ーー328.5ーー12.4ーー8.9ーー72%
1985ーー134.4ーー343.0ーー14.5ーー9.9ーー68%
1986ーー145.1ーー352.9ーー9.9ーー10.6ーー107%
1987ーー151.8ーー367.6ーー14.7ーー10.9ーー74%
1988ーー156.8ーー390.3ーー22.8ーー11.1ーー49%
1989ーー160.9ーー409.2ーー18.9ーー11.1ーー59%
1990ーー166.3ーー430.0ーー20.8ーー11.1ーー53%
1991ーー171.6ーー447.1 ーー17.1ーー11.9ーー70%
1992ーー178.4ーー451.8ーー4.7ーー11.4ーー243%
1993ーー192.5ーー452.1ーー0.3ーー11.7ーー3900%
1994ーー204.0ーー465.7ーー13.6ーー11.6ーー85%
1995ーー216.0ーー475.8ーー10.1ーー11.7ーー116%
1990一1995ーー66.6ーー61.1ーー92%
1985一1995ーー147.3ーー108.7ーー74%
1980一1995 ーー193.2ーー140.7ーー73%
1975一1995 ーー248.3ーー150.4ーー61%
1970一1995 ーー 694.0ーー427.6ーー62%
《この統計は、日本政府の歳出が歳入を上回り、債権者が要求する金利を支払うだけのためにますます多くの借金を繰り返していることを示している》。《債権者の政治力は、今やその経済力と共に増大している》。
第三世界の累積債務が激増した1970年代にブラジルがとったこの政策は「ブラジル症候群」とも呼ばれている。日本政府は、金利支払い分を銀行から借金することで、毎年、負債の支払い期限を延長できると信じていた。銀行が不安を感じ始めれば、債務国政府の支払う金利は高くなる。しかし、金利さえ支払えば必要なだけ資金を得ることは可能だった。こうして、金利は、毎年、融資の元金の中に組み込まれていったのである。
このような政策の結果、年々増加する国債残高の中で、過去の国債の処理費用に向けられる割合が増えていった。こうして、《政府は悪循環に陥り、過去の借金を清算するためにまた新たな借金を繰り返さなければならなくなった》。
第三世界に限らず、米国もこのような政策をとっている。米国の国債の金利は、現在、年間2,000億ドル(20兆円)にのぼっており、これは軍事費をも上回る金額である。ここ数年、金利の支払いは米国の財政赤字の約80%を占めている。《日本は米国からの提案を受けて政策を決定しているのだから、米国の財政政策を真似ていると言われても仕方がない》。《米国のエコノミストは、米国が第三世界と同様になったと述べている。それが事実であるとすれば、日本も同じ部類に入る危険性は十分にある》。
表1は、日本政府にほとんど負債のなかった1965年から、日本のGDPと国債残高を比較したものである。過去30年間、国債残高は爆発的に増加し、1,000倍以上に膨れ上がった一方で、GDPは4倍の増加に止まり、その結果、国債残高はGDPの半分以上にもなった。言い換えれば、1965年以来政府が増加させてきた負債を返済するには、日本国民や日本企業が1年間に生産する金額の半分が必要であるということである。
表 1. 日本のGDPと国債残高(兆円)
年度ーーーGDPーーー国債残高ーーー割合
1965ーーー103.0ーーー0.2ーーー0%
1970ーーー173.4ーーー2.8ーーー2%
1975ーーー215.8ーーー15.0ーーー7%
1980ーーー269.0ーーー70.5ーーー26%
1985ーーー322.8ーーー134.4ーーー42%
1990ーーー404.6ーーー166.3ーーー41%
1991ーーー419.1ーーー171.6ーーー41%
1992ーーー420.5ーーー178.4ーーー42%
1993ーーー419.5ーーー192.5ーーー46%
1994ーーー422.0ーーー203.6ーーー48%
1995ーーー430.4ーーー222.0ーーー52%
1995/1965ーーー4.2倍ーーー1110.0倍
1995/1970ーーー2.5倍ーーー79.0倍
【日本の国債残高増加の国内の原因】
表2は、日本の国債が、雪だるま式に増加した原因を明らかにしている。1980 年以来、日本は国家の歳入を上回る金額を支出し、その差を借金、つまり国債の 発行で補ってきた。
あるいは、《政府は歳出の増加に合わせた増税をしなかった》とも言える(つまり《 日本のトップ10%の富が増加した分だけの税を徴収しなかった》)。その代わり何 をしたかというと、《FIRE分野に税制上の優遇措置を与えた》のである。さらに《日本 政府は、優遇措置を与えたそのFIRE分野から借金もしている》。日本政府は1980年 以来平均で、支出予算の15%以上を借金で賄っているのだ。
しかし《日本の借金の原因は、実際には税率が下げられた裕福なFIRE分野ではな く、公共政策の受益者である残りの国民の責任にされているが、本来の責任は主 に日本のFIRE分野と、さらには米国の経済・軍事プログラムを支援した点にある》。
表 2. 国債の原因(兆円)
年度ーーー政府予算ーーー国債発行額ーーー国債依存度
1964ーーー3.7ーーー0.2ーーー5.3%
1979ーーー7.9ーーー0.4ーーー5.4%
1975ーーー21.3ーーー2.0ーーー9.4%
1980ーーー42.6ーーー14.3ーーー33.5%
1985ーーー52.5ーーー11.7ーーー22.2%
1990ーーー66.2ーーー5.6ーーー8.4%
1991ーーー70.3ーーー6.7ーーー9.5%
1992ーーー72.2ーーー7.3ーーー10.1%
1993ーーー72.4ーーー8.1ーーー11.2%
1994ーーー73.1ーーー13.6ーーー18.7%
1995ーーー71.0ーーー12.6ーーー17.7%
1980一1995
平均ーーー65.0ーーー10.0ーーー15.4%
日本の国債の統計は、他の国とは異なる分類になっており、1つの勘定に統合されていない。《収入と支出の計算書(赤字の場合は税金で経常支出をカバーできないことを意味する)と様々な資本財(インフラ)支出に関する「資本」のバランス・シートの2つに分かれている》。日本では、この2つをカバーするために2種類の国債が発行されている。資本予算の資金繰りのための《建設国債》と、物理的な資本資産の建設以外の支出に関する経常赤字を穴埋めするための《赤字国債》である。
問題は資本予算と経常予算を区別しようとする場合で、ほとんどすべてが「資本支出」と見なされてしまう。例えば、すべての教育費は「人的資本の形成」と見なすことができる。ニューヨーク市は、長い間、橋梁など都市基盤の維持費も単に資本予算として計上してきた。創作力のある会計士なら、循環論法と曖昧な定義付けでかなり柔軟な解釈を行い、事実を曇らせることができる。《そのようにして日本も、負債を政策の失敗によるものではなく、正当で当然なものであるかのように見せかけてきた》のである。
《特定の支出を別枠にしているのは、国債の発行を正当化するためである》。これが正当化されるのは、公共の交通機関や通信から港の開発などの建設プロジェクトまで様々な資本財の価値が長年持続するためである。インフラ整備のプロジェクトが一般に国債で資金繰りされるのはこのような考えが基盤になっており、その国債の償還は、少なくとも基本的には、これらの公共事業から得られるサービスの流れと関連していると考えられている。しかし、国債には金利の支払いという問題が伴い、それ自体が蓄積されていく傾向があることを忘れてはならない。
【日本の国債残高を増大させた利払い】
過去の借金に対する利払いが、日本政府が借金を重ねる重要な理由になっている。表3は、過去15年間に、日本政府が、年間予算のうち平均10兆円を毎年借金しなければならなかったことを示している。この間、こうした借金を処理する年間コスト(国債費)は平均13.1兆円であり、これは年間予算の20%以上に達している。国債の処理費用は、政府歳出の主要項目なのである。
表 3. 政府予算に占める国債費の割合(兆円)
年度ーーー政府予算ーーー国債費ーーー割合
1965ーーー3.7ーーー0.0ーーー0.3%
1970ーーー7.9ーーー0.3ーーー3.7%
1975ーーー21.3ーーー1.0ーーー4.9%
1980ーーー42.6ーーー5.3ーーー12.5%
1985ーーー52.5ーーー10.2ーーー19.5%
1990ーーー66.2ーーー14.3ーーー21.6%
1991ーーー70.3ーーー15.5ーーー22.0%
1992ーーー72.2ーーー16.4ーーー22.8%
1993ーーー72.4ーーー5.4ーーー21.3%
1994ーーー73.1ーーー14.4ーーー19.6%
1995ーーー71.0ーーー13.2ーーー18.6%
1980-1995
平均ーーー65.0ーーー13.1ーーー20.1%
《これらの負債処理コストは、「納税者」から、税金の正当な支払い負担を逃れた「不労所得者」へ公的資金が移動することを意味する》。つまり《FIRE部門が税金を逃れた結果、政府は財政赤字となり、税金で徴収できなかった資金を借金する》。《政府は借金に対する金利の支払いを必要経費として落とすことを金融および不動産投資家に認めた。それによって、不動産部門は課税対象の利益を全く上げていないように見せかけることができるわけである》。そして《日本政府は、実際そのような税制上の優遇措置を与えた金融部門から借金をしている》のである。
この税金の抜け穴のおかげで不動産投機家はより多くの資金をふところに残すことになり、さらに不動産投機家はそれを金融部門に金利という形で支払っている。《銀行その他の金融機関は、課税対象の収入を稼いでいないという幻想を作り出し、この金利収入に対して資本の損失や他の控除を主張する》。もちろん、長年にわたって金融機関はキャピタル・ゲインを上げているが、様々な形態の非課税「積立金」として別枠にすることで税金を逃れてきた。そして、これらの積立金の一部は、財政赤字の資金繰りのために発行される国債に投資されてきた。つまり《金融部門は、税金を払わないことに対して、金利という報酬を受けている》のである。
もちろん、《このような政策をとっているのは日本だけではない》。同じようなプロセスは米国でも見られる。《事実上、日本は、経済全体にFIRE部門の資金援助をさせるという「米国製」の税制度を採用した》と言える。
産業の近代化と輸出の増加によって、日本は戦後目覚ましい経済発展を遂げた。しかし不動産および金融部門の収益に対して課税を怠り、さらには富と間接費を正しく区別しない財政政策によって、この成長もストップする恐れがある。
このままの政策では日本が負債から抜け出すことはできない。それどころか、ますます日本経済は負債の泥沼に引きずり込まれていくであろう。
あるエコノミストは、自国に対する借金なのだから、負債の規模は問題ではないと主張する。しかし、《厳密に見ればこの借金は、日本の一般的な納税者が、自分の収入に見合っただけの納税をしていない一部の階級に対して持つ借金なのである》。《これは税収入を国債保有者の手に移していることに他ならない》。さらに厳密に言えば、《労働者や産業資本は、FIRE部門を儲けさせるために税金を払っていることになるのだ》。
さらにひどいことには、《予算が削減されても債権者への利払いは絶対的に変わらない》。《予算削減によってしわ寄せをくうのは、常に9割の国民のためにある公衆衛生や福祉などの社会福祉プログラムなのである》。
日本人の貯蓄高は驚くべき程高いが、同時に多額の借金も抱えている(特に住宅ローン)。《どの国でも、最も裕福な少数の家庭が、企業、政府、地方自治体と共に残りの国民に負債を負わせる傾向にある》。《より少数の家庭が、より金持ちになっていく》。《第二次世界大戦後の米国、そしてラテンアメリカ、ヨーロッパ、現在はロシアでもこのような現象が起きている》。
確かに、負債処理コストの一部は、国債償還費に回される。しかし、これは日本が毎年、その負債の一部の支払い期限を延長していることに他ならない。そこで金利の支払いだけに焦点を当てた統計を表4に示した。この表は、このような支払いがGDP全体に対していかに大きな割合を占めるようになったかを示している。
表 4. 日本のGDPを蝕む国債利払い費(兆円)
年度ー国債残高ーGDPーGDP増加額(a)ー国債利払い費(b)ー割合(b/a)
1965ーー0.2ーー109.4ーー0.0ーー0ーー0
1966ーー0.9ーー120.8ーー11.3ーー0.0ーー0%
1967ーー1.6ーー134.3ーー13.5ーー0.1ーー1%
1968ーー2.1ーー150.4ーー16.1ーー0.1ーー1%
1969ーー2.5ーー168.6ーー18.1ーー0.2ーー1%
1970ーー2.8ーー187.8ーー19.2ーー0.2ーー1%
1971ーー4.0ーー196.6ーー8.8ーー0.2ーー2%
1972ーー5.8ーー213.1ーー16.5ーー0.3ーー2%
1973ーー7.6ーー230.2ーー17.1ーー0.4ーー3%
1974ーー9.7ーー227.4 ーー-2.8ーー0.6ーー-20%
1975ーー5.0ーー234.5ーー7.0ーー0.7ーー19%
1976ーー22.1ーー243.8ーー9.3ーー1.3ーー14%
1977ーー31.9ーー254.5ーー10.7ーー1.9ーー18%
1978ーー42.6ーー267.9ーー13.4 2.6ーー19%
1979ーー56.3ーー282.6ーー14.7ーー3.3 ーー22%
1980ーー70.5ーー290.6ーー8.0ーー4.4ーー55%
1981ーー82.3ーー299.8ーー9.2ーー5.6ーー61%
1982ーー96.5ーー308.9ーー9.2ーー6.5ーー71%
1983ーー109.7ーー316.1ーー7.2ーー7.9ーー110%
1984ーー121.7ーー328.5ーー12.4ーー8.9ーー72%
1985ーー134.4ーー343.0ーー14.5ーー9.9ーー68%
1986ーー145.1ーー352.9ーー9.9ーー10.6ーー107%
1987ーー151.8ーー367.6ーー14.7ーー10.9ーー74%
1988ーー156.8ーー390.3ーー22.8ーー11.1ーー49%
1989ーー160.9ーー409.2ーー18.9ーー11.1ーー59%
1990ーー166.3ーー430.0ーー20.8ーー11.1ーー53%
1991ーー171.6ーー447.1 ーー17.1ーー11.9ーー70%
1992ーー178.4ーー451.8ーー4.7ーー11.4ーー243%
1993ーー192.5ーー452.1ーー0.3ーー11.7ーー3900%
1994ーー204.0ーー465.7ーー13.6ーー11.6ーー85%
1995ーー216.0ーー475.8ーー10.1ーー11.7ーー116%
1990一1995ーー66.6ーー61.1ーー92%
1985一1995ーー147.3ーー108.7ーー74%
1980一1995 ーー193.2ーー140.7ーー73%
1975一1995 ーー248.3ーー150.4ーー61%
1970一1995 ーー 694.0ーー427.6ーー62%
《この統計は、日本政府の歳出が歳入を上回り、債権者が要求する金利を支払うだけのためにますます多くの借金を繰り返していることを示している》。《債権者の政治力は、今やその経済力と共に増大している》。
第三世界の累積債務が激増した1970年代にブラジルがとったこの政策は「ブラジル症候群」とも呼ばれている。日本政府は、金利支払い分を銀行から借金することで、毎年、負債の支払い期限を延長できると信じていた。銀行が不安を感じ始めれば、債務国政府の支払う金利は高くなる。しかし、金利さえ支払えば必要なだけ資金を得ることは可能だった。こうして、金利は、毎年、融資の元金の中に組み込まれていったのである。
このような政策の結果、年々増加する国債残高の中で、過去の国債の処理費用に向けられる割合が増えていった。こうして、《政府は悪循環に陥り、過去の借金を清算するためにまた新たな借金を繰り返さなければならなくなった》。
第三世界に限らず、米国もこのような政策をとっている。米国の国債の金利は、現在、年間2,000億ドル(20兆円)にのぼっており、これは軍事費をも上回る金額である。ここ数年、金利の支払いは米国の財政赤字の約80%を占めている。《日本は米国からの提案を受けて政策を決定しているのだから、米国の財政政策を真似ていると言われても仕方がない》。《米国のエコノミストは、米国が第三世界と同様になったと述べている。それが事実であるとすれば、日本も同じ部類に入る危険性は十分にある》。
[ 11:46 ]
[ デーヴィッド・アイク ]
最近”謎の”経済アナリスト、マイケル・ハドソン氏の6年前の2002年の経済解説記事「日本はなぜ借金大国になったか (1) (OUR WORLD)」を偶然見つけて読んだのだが、これほど現在を見事にかつ完璧に分析したものは見たことがない。(後に調べたところでは、「超帝国主義国家アメリカの内幕」の著者らしい。)
この記事は、2001年の「9・11」以後のものであるが、これとは独立に長い間、日本の太田龍、イギリスのジョン・コールマン博士やデーヴィッド・アイク、さらにはタープレイ、ウィリング、マニング、アンドリュー・C・ヒッチコック、テックス・マーズ、スプリングマイヤーなどの、俗にいう「陰謀暴露論者」の人々によって「300人委員会」、「イルミナティー」、「国際金融寡占勢力」、「王家」、「黒い貴族」、「サタニスト」、「ルシファー信仰」などというキーワードによって表現されてきた人々が、「この現実社会でいかなることを行って来たか?」ということを実に見事に”普通の経済学の見方で表現したもの”である。
それゆえ、マイケル・ハドソン氏の記事には、そういったいかなる「陰謀論」もいかなる危ないキーワードも出てこないが、確かにかなり大きな権力が関わって、この日本社会やアメリカ社会、さらには全世界を「国際金融寡占勢力」が実に見事な経済的政治的手法に基づいて、「借金財政」の形にもっていったかが、詳細なデータを基にして語られている。
そして、この「国際金融寡占勢力」とは、かつてアメリカの20世紀最大の建築家の1人であったバックミンスター・フラーがその大著「クリティカル・パス」で「法律家資本主義」あるいは「軍産複合体」と呼んだものと同一のものなのである。
そしてそれは、ここ10年ほどで日本やアメリカ、そして『この世界がいかに急速に「格差社会」へと変貌を遂げたか』の経済学的な理由付けとなっている。
一言で言えば、「不労所得(地代、賃貸料、金利、キャピタル・ゲイン)」を得る、Finance(金融)、Insurance(保険)、Real Estate(不動産)産業など一般に《FIRE分野》と呼ばれる分野への”課税”を怠ったことが原因である。
その昔、堤一族の西部系列に「コクド」という会社があったが、超巨大企業であったにも関わらず、不動産投資で”赤字会社”であるので税金は支払はなくてよい、という法律で大成長したということを思い起こさせてくれる。もう一度、経済学や経済の原点に戻り、《FIRE分野》といえども、赤字会社であろうが、それなりの経済を担っているものにはそれなりの課税をすればいい、というのがマイケル・ハドソンの解決策である。実にもっともな話である。
これさえすれば、年金問題であろうが、何であろうが、すべてがうまく行くのである。
もっとも「国際金融寡占勢力」に洗脳された経済学者や経済アナリストは真っ向から猛反対するだろうがナ。
そういうわけで、ここに章別に分けて紹介させてもらおう。
【】《》などの記号は、私が”自分のために”加えたものである。
この記事は、2001年の「9・11」以後のものであるが、これとは独立に長い間、日本の太田龍、イギリスのジョン・コールマン博士やデーヴィッド・アイク、さらにはタープレイ、ウィリング、マニング、アンドリュー・C・ヒッチコック、テックス・マーズ、スプリングマイヤーなどの、俗にいう「陰謀暴露論者」の人々によって「300人委員会」、「イルミナティー」、「国際金融寡占勢力」、「王家」、「黒い貴族」、「サタニスト」、「ルシファー信仰」などというキーワードによって表現されてきた人々が、「この現実社会でいかなることを行って来たか?」ということを実に見事に”普通の経済学の見方で表現したもの”である。
それゆえ、マイケル・ハドソン氏の記事には、そういったいかなる「陰謀論」もいかなる危ないキーワードも出てこないが、確かにかなり大きな権力が関わって、この日本社会やアメリカ社会、さらには全世界を「国際金融寡占勢力」が実に見事な経済的政治的手法に基づいて、「借金財政」の形にもっていったかが、詳細なデータを基にして語られている。
そして、この「国際金融寡占勢力」とは、かつてアメリカの20世紀最大の建築家の1人であったバックミンスター・フラーがその大著「クリティカル・パス」で「法律家資本主義」あるいは「軍産複合体」と呼んだものと同一のものなのである。
そしてそれは、ここ10年ほどで日本やアメリカ、そして『この世界がいかに急速に「格差社会」へと変貌を遂げたか』の経済学的な理由付けとなっている。
一言で言えば、「不労所得(地代、賃貸料、金利、キャピタル・ゲイン)」を得る、Finance(金融)、Insurance(保険)、Real Estate(不動産)産業など一般に《FIRE分野》と呼ばれる分野への”課税”を怠ったことが原因である。
その昔、堤一族の西部系列に「コクド」という会社があったが、超巨大企業であったにも関わらず、不動産投資で”赤字会社”であるので税金は支払はなくてよい、という法律で大成長したということを思い起こさせてくれる。もう一度、経済学や経済の原点に戻り、《FIRE分野》といえども、赤字会社であろうが、それなりの経済を担っているものにはそれなりの課税をすればいい、というのがマイケル・ハドソンの解決策である。実にもっともな話である。
これさえすれば、年金問題であろうが、何であろうが、すべてがうまく行くのである。
もっとも「国際金融寡占勢力」に洗脳された経済学者や経済アナリストは真っ向から猛反対するだろうがナ。
そういうわけで、ここに章別に分けて紹介させてもらおう。
【】《》などの記号は、私が”自分のために”加えたものである。
日本はなぜ借金大国になったか (1) (OUR WORLD)
投稿者 マイケル・ハドソン 日時 2002 年 2 月 27 日 21:16:03:
1965年から30年の間に、日本は国家債務ゼロから世界最大の負債国へと転落した。《日本の負債が他の国に見られない特性を持つのは、それが必然的なものではなく、純粋に政治的な理由から生まれた点にある》。
政府が借金をする伝統的な理由は戦争である。生死を賭けた戦いは、通常の税収入では賄えないため、借金で対処する。220年前、イギリスが米国植民地を相手に戦争をしていた時、アダム・スミスは、戦争のために増税すると有権者が戦争に反対するため、政府は借金を行い国民の負担を軽減したかのように見せかけるが、長期的にはより高くつく、と語っている。
日本の場合、過去半世紀の間、戦争を行っていない。米国の軍事プログラムへの援助以外は、日本の軍事予算はほぼゼロに近かった。
【I.金融および不動産部門への課税を怠ったことに起因する財政赤字】
《平和時に政府が借金を増やす理由は、主に国内の政治的失敗、つまり富に対する課税を怠ったことに起因する》。すなわち、《平和時の国家債務は海外との戦争ではなく、国内の階級闘争の結果、生まれたものである》。冷戦が事実上終結した今日、国内に階級闘争が舞い戻ってきたようだ。
階級闘争の本質は経済力を政治権力に転換することである。ほぼ決まって勝者となる富裕階級にとって、階級闘争の目的は自分達の所得や富に対する税金を削減することにある。その結果、税制は富裕者への累進制を弱めるよう改正され、賃金労働者や消費者の税負担が高くなる。《日本の場合も、今日の財政赤字と国家債務は、最も裕福な階級に対する課税を怠ったことが原因となっている》。
しかし、現在の財政政策の悲劇は、生産的な産業投資よりも、非生産的で寄生的な富の方が簡単に税金逃れができる点にある。不正な富の方が税金を削減しやすいのは、それがより多くの経済価値をもたらすからではなく、ただ単に最も収益性が高く、強い影響力を持つためである。過剰の富や、不労所得者の所得へ課税する代わりに、必需品や生産的な直接投資、労働者階級への課税を増加すれば、産業の発展や繁栄は抑制されてしまう。
税制の改正は、金融および不動産投資家に、寄生的かつ投機的な収益を求めることを奨励する。新しい税制は、製品やサービスの生産を促進するのではなく、負債を増やした銀行や賃貸料を上昇させた投機家たちに資金援助をしているのだ。この新しい財政哲学は、世界競争に向けた生産性や生産高拡大のための再投資に必要な収益を産業界から奪いかねない。
日本の大蔵官僚が新しい税制哲学を異口同音に支持しているという現実は、戦後形成された金融、不動産分野がいかに政治的に攻勢に転じてきたか端的に表している。金融、不動産分野は、米国製の「無価値」経済学を利用して、大々的な広報活動を繰り広げ、金利や賃貸料の上昇で経済のコスト構造を押し上げること以上に生産的な方法は、従来の金儲けの手法(例えば工場の建設)にはないと主張している。
この「無価値」の富は、主にFinance(金融)、Insurance(保険)、Real Estate(不動産)産業とその不労所得者の収入であり、それらの頭文字を取って一般に《FIRE分野》と呼ばれている。
不労所得者の収入は、貸し手と地主が事前に規定する固定利用料(家賃と利子など)から成る。《企業の成功如何で増減する収益とは対照的に、これらの固定料金は、経済の成長や支払い能力とは無関係に、いやおうなしに要求されるものである》。ある人の収入が他の人の支出になる「ゼロサム・ゲーム」がそうであるように、不労所得者が要求する料金は、債務者の基本資産を削るところまで利益を食いつぶしてくる。
この結果、《貯蓄は直接投資にではなく、融資や不動産投機に回される》。こうして、《経済の生産的資源は増えずに、金融や不動産投機による不労所得者の収入が増加する》。
国民はこの「新しい」税制政策がいかに深刻な影響を与えるか理解していない。事実、バブル以降の日本は、金融および不動産分野で膨張する富に対する課税を躊躇してきた。このことは、日本を含む世界の国々が歴史的に税制の基盤を地租に置いてきたという事実とは極めて対照的である。国王や天皇は、土地の支配権および所有権を官僚に移管した。もともと地主は、宮殿を守ったり、兵力などを含む軍事的ニーズをカバーするために、その土地から生まれる余剰農産物(および作物の用益権や農民の労働力)の大半を国に提供することになっていた。しかし、地主は次第に、そのような土地からの収益を社会のために使用するという義務を果たさなくなった。実際、地主にそのような「自由」を与えたことが、自由企業制や真の私有財産の基盤となったのである。
過去1世紀の間に、課税対象に最も適しているのは「不労増価分」、すなわち、社会の繁栄(あるいは単に通貨インフレ)に起因する土地や資産価値の増加分であるという考えが広まった。例えば、公共の交通機関や道路、電気、その他税金で実施される基盤整備によって、土地の不動産価値は一般に上昇する。《税金を使ったおかげで値上がりした分の賃貸料を取り戻すには、通常固定資産税を徴収することによって、その増加分が国民に還元される》。
しかし《税金が徴収されなければ、税金を使ったことによって生まれた利益は不労所得投資家の手元に残る》。そして《不労所得者階級が強力になればなる程、政治家をうまく操って自分達の税金を削減させようとする》。《その結果、財政赤字と国家債務が増加するのである》。
今回日本が他国と異なる点は、バブル経済のさなかに負債が増大した点にある。そしてこのバブルこそ、先例のない程の巨額な不労増価を意味している。
バブル経済の真っただ中に国債残高が増加した原因を見つけるのはそれ程困難ではない。バブル経済は、不動産価格を一般家庭の手の届かないところまで押し上げたのに加え、不動産億万長者を生み出し、不労所得者の地位を不動のものにした。
《FIRE分野の力が強力になると、その分野が1つの階級を形成し、自分達の利益が課税対象とならないようにするために、公共利益に反する活動をする》。その一方で自分達の目的を支持させるよう政府の政策に影響を与える。その結果、不動産分野が従来支払っていた税金は他の分野に振り替えられる。こうなると、《借金をしてでもさらに不動産を購入した方が儲かるようになり、不動産分野は借金だらけになっていくのである》。そして不動産の所有者はこの借金状態を強調して、金融機関と共に、業界は多額の借金を抱えているので、もっと減税すべきだと主張するのである。さらに、《不動産投機家はローンの利子分を課税所得から控除することが認められていたために、このプロセスにはさらに拍車がかかった》。
このような厄介な行動形式は、日本に限ったことではない。過去4,000年の文明化の歴史を通じて一貫して描かれてきた変遷の型である。しかし、日本の場合興味深いのは、《バブルが繰り返されることがないよう増税を呼びかけるのではなく、逆にバブル崩壊を口実に、不動産や銀行の富に対して減税が叫ばれている点である》。
最も裕福な不労所得者層が税金を逃れようとした結果、日本にほぼ慢性的な財政危機が生まれた。さらに、他の諸国の場合と同様に、既存の負債に対する金利も公的債務を増加させている。過去の負債に対する利払いが負担となって、結局毎年、財政赤字を生むことになる。国家が税収入、厳密には不労所得の富に課税をして歳出を賄わない限り、今回の累積債務から逃れることは難しい。《問題は、税金を逃れようとするFIRE分野の既得権益の経済力に対抗するだけの政治権力を結集させる能力が一般国民にない点にある》。その結果、政府は借金で金利を賄い、毎年国家債務を増加させていく。つまり、このことは、公債が指数関数的に複利で増加することを意味する。
【米国の財政赤字を資金援助するために、日本がいかに借金を増加させたか】
日本の国債残高増加にはもう1つの要因がある。国内の富裕者に対する減税や金融部門(最も顕著なのが住専)の救済、税金逃れに忙しい富裕階級への利払いといった負担の他に、《米国の財務省にも資金援助している点である》。金や円、その他の通貨ではなく米ドルで外貨準備高を保有することで、日本の中央銀行は結局、1996年4月時点で、財務省に2,045億ドル(20兆円)を融資している。
1996年7月のSurvey of Current Businessによれば、日本の民間部門の財務省証券の保有高を含めると、日本は米国財務省に対して昨年末時点で、2,230億ドルをも貸し付けている。これは、1994年末の数字、1,690億ドルに比べると31%の伸びになる。それに加えて、日本の公的機関および民間部門は米国の銀行に880億ドルも預金をしており、1995年末時点において日本から米国への融資総額は3,100億ドルにものぼった。
これだけの金額を日本は米国に融資していながら、日本政府は財政赤字を増やし、その結果、日本国民に対する負債を増加させているのである。
投稿者 マイケル・ハドソン 日時 2002 年 2 月 27 日 21:16:03:
1965年から30年の間に、日本は国家債務ゼロから世界最大の負債国へと転落した。《日本の負債が他の国に見られない特性を持つのは、それが必然的なものではなく、純粋に政治的な理由から生まれた点にある》。
政府が借金をする伝統的な理由は戦争である。生死を賭けた戦いは、通常の税収入では賄えないため、借金で対処する。220年前、イギリスが米国植民地を相手に戦争をしていた時、アダム・スミスは、戦争のために増税すると有権者が戦争に反対するため、政府は借金を行い国民の負担を軽減したかのように見せかけるが、長期的にはより高くつく、と語っている。
日本の場合、過去半世紀の間、戦争を行っていない。米国の軍事プログラムへの援助以外は、日本の軍事予算はほぼゼロに近かった。
【I.金融および不動産部門への課税を怠ったことに起因する財政赤字】
《平和時に政府が借金を増やす理由は、主に国内の政治的失敗、つまり富に対する課税を怠ったことに起因する》。すなわち、《平和時の国家債務は海外との戦争ではなく、国内の階級闘争の結果、生まれたものである》。冷戦が事実上終結した今日、国内に階級闘争が舞い戻ってきたようだ。
階級闘争の本質は経済力を政治権力に転換することである。ほぼ決まって勝者となる富裕階級にとって、階級闘争の目的は自分達の所得や富に対する税金を削減することにある。その結果、税制は富裕者への累進制を弱めるよう改正され、賃金労働者や消費者の税負担が高くなる。《日本の場合も、今日の財政赤字と国家債務は、最も裕福な階級に対する課税を怠ったことが原因となっている》。
しかし、現在の財政政策の悲劇は、生産的な産業投資よりも、非生産的で寄生的な富の方が簡単に税金逃れができる点にある。不正な富の方が税金を削減しやすいのは、それがより多くの経済価値をもたらすからではなく、ただ単に最も収益性が高く、強い影響力を持つためである。過剰の富や、不労所得者の所得へ課税する代わりに、必需品や生産的な直接投資、労働者階級への課税を増加すれば、産業の発展や繁栄は抑制されてしまう。
税制の改正は、金融および不動産投資家に、寄生的かつ投機的な収益を求めることを奨励する。新しい税制は、製品やサービスの生産を促進するのではなく、負債を増やした銀行や賃貸料を上昇させた投機家たちに資金援助をしているのだ。この新しい財政哲学は、世界競争に向けた生産性や生産高拡大のための再投資に必要な収益を産業界から奪いかねない。
日本の大蔵官僚が新しい税制哲学を異口同音に支持しているという現実は、戦後形成された金融、不動産分野がいかに政治的に攻勢に転じてきたか端的に表している。金融、不動産分野は、米国製の「無価値」経済学を利用して、大々的な広報活動を繰り広げ、金利や賃貸料の上昇で経済のコスト構造を押し上げること以上に生産的な方法は、従来の金儲けの手法(例えば工場の建設)にはないと主張している。
この「無価値」の富は、主にFinance(金融)、Insurance(保険)、Real Estate(不動産)産業とその不労所得者の収入であり、それらの頭文字を取って一般に《FIRE分野》と呼ばれている。
不労所得者の収入は、貸し手と地主が事前に規定する固定利用料(家賃と利子など)から成る。《企業の成功如何で増減する収益とは対照的に、これらの固定料金は、経済の成長や支払い能力とは無関係に、いやおうなしに要求されるものである》。ある人の収入が他の人の支出になる「ゼロサム・ゲーム」がそうであるように、不労所得者が要求する料金は、債務者の基本資産を削るところまで利益を食いつぶしてくる。
この結果、《貯蓄は直接投資にではなく、融資や不動産投機に回される》。こうして、《経済の生産的資源は増えずに、金融や不動産投機による不労所得者の収入が増加する》。
国民はこの「新しい」税制政策がいかに深刻な影響を与えるか理解していない。事実、バブル以降の日本は、金融および不動産分野で膨張する富に対する課税を躊躇してきた。このことは、日本を含む世界の国々が歴史的に税制の基盤を地租に置いてきたという事実とは極めて対照的である。国王や天皇は、土地の支配権および所有権を官僚に移管した。もともと地主は、宮殿を守ったり、兵力などを含む軍事的ニーズをカバーするために、その土地から生まれる余剰農産物(および作物の用益権や農民の労働力)の大半を国に提供することになっていた。しかし、地主は次第に、そのような土地からの収益を社会のために使用するという義務を果たさなくなった。実際、地主にそのような「自由」を与えたことが、自由企業制や真の私有財産の基盤となったのである。
過去1世紀の間に、課税対象に最も適しているのは「不労増価分」、すなわち、社会の繁栄(あるいは単に通貨インフレ)に起因する土地や資産価値の増加分であるという考えが広まった。例えば、公共の交通機関や道路、電気、その他税金で実施される基盤整備によって、土地の不動産価値は一般に上昇する。《税金を使ったおかげで値上がりした分の賃貸料を取り戻すには、通常固定資産税を徴収することによって、その増加分が国民に還元される》。
しかし《税金が徴収されなければ、税金を使ったことによって生まれた利益は不労所得投資家の手元に残る》。そして《不労所得者階級が強力になればなる程、政治家をうまく操って自分達の税金を削減させようとする》。《その結果、財政赤字と国家債務が増加するのである》。
今回日本が他国と異なる点は、バブル経済のさなかに負債が増大した点にある。そしてこのバブルこそ、先例のない程の巨額な不労増価を意味している。
バブル経済の真っただ中に国債残高が増加した原因を見つけるのはそれ程困難ではない。バブル経済は、不動産価格を一般家庭の手の届かないところまで押し上げたのに加え、不動産億万長者を生み出し、不労所得者の地位を不動のものにした。
《FIRE分野の力が強力になると、その分野が1つの階級を形成し、自分達の利益が課税対象とならないようにするために、公共利益に反する活動をする》。その一方で自分達の目的を支持させるよう政府の政策に影響を与える。その結果、不動産分野が従来支払っていた税金は他の分野に振り替えられる。こうなると、《借金をしてでもさらに不動産を購入した方が儲かるようになり、不動産分野は借金だらけになっていくのである》。そして不動産の所有者はこの借金状態を強調して、金融機関と共に、業界は多額の借金を抱えているので、もっと減税すべきだと主張するのである。さらに、《不動産投機家はローンの利子分を課税所得から控除することが認められていたために、このプロセスにはさらに拍車がかかった》。
このような厄介な行動形式は、日本に限ったことではない。過去4,000年の文明化の歴史を通じて一貫して描かれてきた変遷の型である。しかし、日本の場合興味深いのは、《バブルが繰り返されることがないよう増税を呼びかけるのではなく、逆にバブル崩壊を口実に、不動産や銀行の富に対して減税が叫ばれている点である》。
最も裕福な不労所得者層が税金を逃れようとした結果、日本にほぼ慢性的な財政危機が生まれた。さらに、他の諸国の場合と同様に、既存の負債に対する金利も公的債務を増加させている。過去の負債に対する利払いが負担となって、結局毎年、財政赤字を生むことになる。国家が税収入、厳密には不労所得の富に課税をして歳出を賄わない限り、今回の累積債務から逃れることは難しい。《問題は、税金を逃れようとするFIRE分野の既得権益の経済力に対抗するだけの政治権力を結集させる能力が一般国民にない点にある》。その結果、政府は借金で金利を賄い、毎年国家債務を増加させていく。つまり、このことは、公債が指数関数的に複利で増加することを意味する。
【米国の財政赤字を資金援助するために、日本がいかに借金を増加させたか】
日本の国債残高増加にはもう1つの要因がある。国内の富裕者に対する減税や金融部門(最も顕著なのが住専)の救済、税金逃れに忙しい富裕階級への利払いといった負担の他に、《米国の財務省にも資金援助している点である》。金や円、その他の通貨ではなく米ドルで外貨準備高を保有することで、日本の中央銀行は結局、1996年4月時点で、財務省に2,045億ドル(20兆円)を融資している。
1996年7月のSurvey of Current Businessによれば、日本の民間部門の財務省証券の保有高を含めると、日本は米国財務省に対して昨年末時点で、2,230億ドルをも貸し付けている。これは、1994年末の数字、1,690億ドルに比べると31%の伸びになる。それに加えて、日本の公的機関および民間部門は米国の銀行に880億ドルも預金をしており、1995年末時点において日本から米国への融資総額は3,100億ドルにものぼった。
これだけの金額を日本は米国に融資していながら、日本政府は財政赤字を増やし、その結果、日本国民に対する負債を増加させているのである。
2008/07/30のBlog
[ 16:14 ]
[ サッカー ]
日本、アルゼンチンに0一1で敗れる 雷雨で打ち切り
日本対アルゼンチン
【日本】
GK 西川(大分)
DF 安田理(G大阪)→長友佑都、水本(京都)、森重(大分)、内田(鹿島)
MF 本田拓(清水)→岡崎慎司、梶山(F東京)
香川(C大阪)、谷口(川崎)、本田圭(VVVフェンロ)
FW 豊田(山形)→森本貴幸
【アルゼンチン】
GK ウスタリ
DF パレハ、モンソン、サパレタ、ガライ
MF ガゴ、リケルメ、マスケラーノ
FW ラベッシ→アコスタ、ディマリア→ソサ、アグエロ
いやはや、同じサッカーでもこんなに違いがあるのか、というようなサッカーの試合だった。
アルゼンチンのサッカーは、だれがメンバーでもだれが監督でもどんな年齢でもやはりアルゼンチン、というそういうものがある。
同じサッカーだから、基本はいっしょ。ドリブル、トラップ、キック、ヘッド、フェイントなどどれも似たようなものである。しかし、ことばで表現するのは難しいが、日本とは「何かが違う」のである。
果たしてこれは何なのか?
まあ、世界ランクトップレベルのチームと日本を比較するのはこくと言うものだが、やはり格が違った。ボールキープのしかた、パス回し、責め上がり方など日本にはないものが多かった。また、日本選手のドリブルはすべてスライディングタックルで綺麗にストップされてしまった。
相手の攻撃はすべて華麗なスライディングタックルで阻止し、自分の攻撃は徹底してパスを繋いで突破していく。そしてシュートレンジにいる選手に繋げる。
言ってみれば実に簡単なことだが、それができるチームとできないチームの差が最後に出たというゲームだった。
これでは、日本の強豪ひしめく予選リーグ突破はかなり難しいだろう。
日本対アルゼンチン
【日本】
GK 西川(大分)
DF 安田理(G大阪)→長友佑都、水本(京都)、森重(大分)、内田(鹿島)
MF 本田拓(清水)→岡崎慎司、梶山(F東京)
香川(C大阪)、谷口(川崎)、本田圭(VVVフェンロ)
FW 豊田(山形)→森本貴幸
【アルゼンチン】
GK ウスタリ
DF パレハ、モンソン、サパレタ、ガライ
MF ガゴ、リケルメ、マスケラーノ
FW ラベッシ→アコスタ、ディマリア→ソサ、アグエロ
いやはや、同じサッカーでもこんなに違いがあるのか、というようなサッカーの試合だった。
アルゼンチンのサッカーは、だれがメンバーでもだれが監督でもどんな年齢でもやはりアルゼンチン、というそういうものがある。
同じサッカーだから、基本はいっしょ。ドリブル、トラップ、キック、ヘッド、フェイントなどどれも似たようなものである。しかし、ことばで表現するのは難しいが、日本とは「何かが違う」のである。
果たしてこれは何なのか?
まあ、世界ランクトップレベルのチームと日本を比較するのはこくと言うものだが、やはり格が違った。ボールキープのしかた、パス回し、責め上がり方など日本にはないものが多かった。また、日本選手のドリブルはすべてスライディングタックルで綺麗にストップされてしまった。
相手の攻撃はすべて華麗なスライディングタックルで阻止し、自分の攻撃は徹底してパスを繋いで突破していく。そしてシュートレンジにいる選手に繋げる。
言ってみれば実に簡単なことだが、それができるチームとできないチームの差が最後に出たというゲームだった。
これでは、日本の強豪ひしめく予選リーグ突破はかなり難しいだろう。
[ 15:23 ]
[ 徳島サッカー ]
昨年の高校サッカー選手権の「徳島商、初戦で涙 全国高校サッカー、日大藤沢に1-2」に続き、今回のインター杯県予選では圧倒的な強さで全国大会に出場した鳴門高校(四国プリンスリーグでは2位)は、福岡県の強豪東福岡と初戦で対戦、1一4(1一0、0一4)であっさり逆転負けで初戦敗退の歴史を積み重ねた。
そろそろ徳島県サッカー協会のお偉方たちは責任とって辞任した方がよかろう。J2の徳島ヴォルティスの最下位同様に、あまりにひどい成績である。
高校サッカーは次の大学レベルやJリーグレベルにつながる大事な年代である。そのレベルがこれでは本当にお話にならない。
ここにどんな問題や障害があるのか、分析してみるべきである。一応、ここで私の分析をまとめておく。
(あ)「駅伝」が障害になっている。
私は個人的には「駅伝」は大嫌いである。
もちろん見るのは面白いと思うが、42・195kmを走るマラソン選手にも、1万mなどのフィールド選手にもならない中途はんぱなスポーツで、多くのマラソン選手やフィールド選手を台なしにするスポーツだと考えているからである。
実際、高橋尚子選手や昔の中山選手などほとんど駅伝では無名の高校時代を過ごした選手たちである。駅伝の選手が良いマラソン選手になることは皆無である。
同様に、「モンスター・ティーチャー 」で紹介したように、駅伝はサッカー選手の寿命を縮める最悪の競技でもある。
実際、サッカー選手が駅伝の練習を行えば、すぐに腰痛になる。あるいは、ひざや足の故障を抱えるようになる。それほど、走り方が違うのである。
にもかかわらず、徳島には「徳島駅伝」という実に変わったイベントがあり、中高生の多くがこれに引っ張り出される。その際、サッカー部や野球部など陸上部には所属していない選手も身体能力が高そうだと学校の先生に目を付けられると強引に参加させられてしまう。もちろん、他にも市町村レベルの地方自治体開催する「駅伝」にも参加させられることが多い。
このおかげで、私の見て来た範囲、知っている範囲でも、かなりの中学生のサッカー選手が腰痛や足の故障など”持病”を抱えてしまっているようである。一旦そういう”持病”を持つとまず一流選手に育つことは難しい。なぜなら無理できなくなるからである。足や腰が痛い状態でまずサッカーは無理である。サッカーはダッシュ、ターン、キック、ジャンプを頻繁にくり返すスポーツだからである。
(い)中学の(サッカー部や陸上部などの)先生が障害になっている。
私がここ10数年徳島県のスポーツ界を他県出身者の立場からずっと観察して来たところでは、「なぜ徳島県のスポーツがだめなのか?」と言えば、中学時代にそこそこ活躍した将来性のある若者が中学から高校に入ったころに、さまざまな理由でスポーツから足を洗って止めてしまい、高校でスポーツを続けているのは、必ずしも最も才能ある選手とは限らないからである。
簡単に言えば、中学時代に最も運動神経の良かった連中は、高校ではもうスポーツをしてないということである。
それは、中学時代の先生の変な指導や間違った指導のおかげで、正しい基本を身につけることが出来なかったり、無理な練習がたたって身体的に持病を抱え込んだりして、高校ではもはやスポーツ人としては”廃人”になってしまうからである。やる気を失うのだ。中学時代に燃え尽きてしまえば、もう高校では廃人同様だ。スポーツ選手としてはもう終わりである。
例えば、阿南中学のサッカー部でも大半は高校ではサッカー部に所属しない。半数はサッカーはおろかスポーツを止めてしまう。残りの半数はホッケーや駅伝に勧誘されてサッカーはもはや続けない。それゆえ、高校でサッカーを続けているのはほんの一握りに過ぎないのだ。
それも教えてもらった中学校のサッカー部の監督のイメージが悪すぎて「もうサッカーはこりごりだ」ということになってしまったからである。こんなことは我々の中学校時代には考えられなかったことだ。がしかし、ここ徳島県ではいたるところで見ることができる。
サッカーは本来高校大学と進むに連れてだんだん本格的になり面白くなってくるはずのものなのだが、それがここ徳島ではかなり多くの選手が高校で止めてしまうのである。
まあ、そんなわけだから、徳島で最強と言っても最良のもっとも運動神経の良い連中がやっているわけではないのだから、全国大会に出れば、その差が出るのは当然のことである。
こんな事態を招いた「徳島県サッカー協会」や各市町村の「教育委員会」のお偉方は、本気になって改革して行かないと非常にまずいと私は考える。
小中学校の「子供サッカー」でいい気になっていては高校以上の大人のサッカーではどこにも太刀打ちできないのは明らかだからである。
早急の対策を打ち出して欲しいものですナ。
そろそろ徳島県サッカー協会のお偉方たちは責任とって辞任した方がよかろう。J2の徳島ヴォルティスの最下位同様に、あまりにひどい成績である。
高校サッカーは次の大学レベルやJリーグレベルにつながる大事な年代である。そのレベルがこれでは本当にお話にならない。
ここにどんな問題や障害があるのか、分析してみるべきである。一応、ここで私の分析をまとめておく。
(あ)「駅伝」が障害になっている。
私は個人的には「駅伝」は大嫌いである。
もちろん見るのは面白いと思うが、42・195kmを走るマラソン選手にも、1万mなどのフィールド選手にもならない中途はんぱなスポーツで、多くのマラソン選手やフィールド選手を台なしにするスポーツだと考えているからである。
実際、高橋尚子選手や昔の中山選手などほとんど駅伝では無名の高校時代を過ごした選手たちである。駅伝の選手が良いマラソン選手になることは皆無である。
同様に、「モンスター・ティーチャー 」で紹介したように、駅伝はサッカー選手の寿命を縮める最悪の競技でもある。
実際、サッカー選手が駅伝の練習を行えば、すぐに腰痛になる。あるいは、ひざや足の故障を抱えるようになる。それほど、走り方が違うのである。
にもかかわらず、徳島には「徳島駅伝」という実に変わったイベントがあり、中高生の多くがこれに引っ張り出される。その際、サッカー部や野球部など陸上部には所属していない選手も身体能力が高そうだと学校の先生に目を付けられると強引に参加させられてしまう。もちろん、他にも市町村レベルの地方自治体開催する「駅伝」にも参加させられることが多い。
このおかげで、私の見て来た範囲、知っている範囲でも、かなりの中学生のサッカー選手が腰痛や足の故障など”持病”を抱えてしまっているようである。一旦そういう”持病”を持つとまず一流選手に育つことは難しい。なぜなら無理できなくなるからである。足や腰が痛い状態でまずサッカーは無理である。サッカーはダッシュ、ターン、キック、ジャンプを頻繁にくり返すスポーツだからである。
(い)中学の(サッカー部や陸上部などの)先生が障害になっている。
私がここ10数年徳島県のスポーツ界を他県出身者の立場からずっと観察して来たところでは、「なぜ徳島県のスポーツがだめなのか?」と言えば、中学時代にそこそこ活躍した将来性のある若者が中学から高校に入ったころに、さまざまな理由でスポーツから足を洗って止めてしまい、高校でスポーツを続けているのは、必ずしも最も才能ある選手とは限らないからである。
簡単に言えば、中学時代に最も運動神経の良かった連中は、高校ではもうスポーツをしてないということである。
それは、中学時代の先生の変な指導や間違った指導のおかげで、正しい基本を身につけることが出来なかったり、無理な練習がたたって身体的に持病を抱え込んだりして、高校ではもはやスポーツ人としては”廃人”になってしまうからである。やる気を失うのだ。中学時代に燃え尽きてしまえば、もう高校では廃人同様だ。スポーツ選手としてはもう終わりである。
例えば、阿南中学のサッカー部でも大半は高校ではサッカー部に所属しない。半数はサッカーはおろかスポーツを止めてしまう。残りの半数はホッケーや駅伝に勧誘されてサッカーはもはや続けない。それゆえ、高校でサッカーを続けているのはほんの一握りに過ぎないのだ。
それも教えてもらった中学校のサッカー部の監督のイメージが悪すぎて「もうサッカーはこりごりだ」ということになってしまったからである。こんなことは我々の中学校時代には考えられなかったことだ。がしかし、ここ徳島県ではいたるところで見ることができる。
サッカーは本来高校大学と進むに連れてだんだん本格的になり面白くなってくるはずのものなのだが、それがここ徳島ではかなり多くの選手が高校で止めてしまうのである。
まあ、そんなわけだから、徳島で最強と言っても最良のもっとも運動神経の良い連中がやっているわけではないのだから、全国大会に出れば、その差が出るのは当然のことである。
こんな事態を招いた「徳島県サッカー協会」や各市町村の「教育委員会」のお偉方は、本気になって改革して行かないと非常にまずいと私は考える。
小中学校の「子供サッカー」でいい気になっていては高校以上の大人のサッカーではどこにも太刀打ちできないのは明らかだからである。
早急の対策を打ち出して欲しいものですナ。
[ 10:52 ]
[ デーヴィッド・アイク ]
毎日新聞に平地修氏による「ドーハ・ラウンド:保護主義に懸念…世界経済に暗い影」なる記事があったが、「ドーハ・ラウンドの決裂は世界経済に暗い影を落としそうだ」という完全に”欧米のリーダー”(=アイクのいう”イルミナティ”、コールマンのいう「300人委員会」)に洗脳され切った意見が出ていて驚いた。
毎日新聞は、日本人を愚ろうしたスケベ雑誌やスケベ記事で大問題となっているが、どうも本業の新聞記事でも欧米誌の主張をそのまま”パクッた”(=拝借した)記事を書いて載せているようである。
今回のドーハ・ラウンドは、「世界経済を完全にEU独裁体制に移行させる」というのが本来の目的(もちろん、表向きの大義名分の目的とは異なるが)で、「世界の石油供給を完全にEU独裁体制に移行させる」というアル・ゴアの狙いとほぼ同じことを経済界において目論んでいると考えられるのである。
世界の石油はこの1年という短い期間で誰の目にも明らかなような非常に大胆な仕方で大きくコントロールされてしまった(石油の値段はどこまで上がるのか?)。そのおかげで、今や日本でもどこでも魚すら取りに行く事ができなくなってしまった。トウモロコシの高騰で、鶏や家畜の維持も難しくなってしまったのである。
まあ、これも”イルミナティ”が計画実施中と言われている、「2050年までに世界人口を今の半分に削減する」(実は、欧米諸国が「2050年までにCO2を今の半分に削減する」という時の意味はこの意味なのである)ための戦術の1つ1つに過ぎない。
パスカル・ラミーのようなEUの手下連中は、今回のドーハ・ラウンドを成功に終わらせることができれば、イギリスのブレアのように欧米の(というよりイギリス王家の持つ)世界超大企業の”重役”の椅子が待っている。(ブレア前首相の”高笑い”? ) だから躍起となって成功させたいわけだ。
最近のアメリカの「サブプライムローン問題」を見れば明らかなように、その昔大前研一などが吹聴した「グローバリゼーション」や「自由貿易主義」というのは、実は一種の”大義名分”に過ぎず、本当の目的は”イギリス王家”(これはイギリス政府の意味でもイギリス国民の意味でもない! エリザベス女王やチャールズ皇太子などイギリス王族貴族の意味である)の持つ世界企業をいかに大きくするか、そしてそれを使っていかに世界をコントロールするか、ということであったということである。(「私は負けない」:”王族降臨の時代”?、”王家のビジネス”?)
もちろん、この一味にはヒラリー・クリントンやビル・クリントンも入ると言われている。だいたいヒラリーは民主党の大統領選挙に出たのに、普通なら選挙資金のために”自腹を切る”はずなのだが、選挙陣営に自分の金を「貸し付けた」というのだから驚きである。市民から来る寄付金は自分のもの、自分の金は自分のために働いている民主党に貸し付ける。どう考えてもおかしい。日本ではちょっとあり得ない。アメリカ政治を自分の金もうけに利用しているとしか考えられないからである。もちろんアル・ゴアも同じ穴のむじな。だから、ゴアの言うことはうまいこと”イルミナティ”を肥やす方向に動くというわけである。
一説には、「すでに第3次世界大戦は開始されている」という見方もあるように、自爆テロ攻撃はイラク、アフガニスタンばかりかパキスタン、インド、インドネシア、チベット、中国と徐々に極東方面にも飛び火して来ている。西側にはイギリスやトルコにも飛び火した。
「世界大戦」というと、「第2次世界大戦」のように戦闘機による空中戦やB29のじゅうたん爆撃を思い起こす人が多いだろうが、そういうことではない。かつて柘植俊一先生の師であったR・T・ジョーンズ博士が予言していたように「核爆弾を積んだトラックがビルに突っ込む」というような形態の戦争もあり得るのである。
また、「300人委員会」で名高いジョン・コールマン博士によれば、イギリス王家の所有する悪名高い「タビストック人間問題研究所」では、「第3次世界大戦は、情報戦や洗脳戦である」と考えられているらしい。「いかに一国の国民を精神的に支配し自滅の道に追い込むか」のテクノロジー戦になるだろうと見越しているのである(第2次世界大戦では通信の傍受と暗号解読が勝負と考えていた)。そのために実験をキューバにあるこれまた悪名高いグアンタナモ米軍基地でイラク人捕虜を使って毎日非人道的な人体実験を行っているというわけである(キューバの米軍基地グアンタナモから5年)。もちろん、これを指揮しているのがアメリカのジョージ・ウォーカー・ブッシュ現大統領であると言われている。
このジョージ・ウォーカー・ブッシュ現大統領は、ついちょっと前には、「非常時にはアメリカ人のだれの土地でも国が所有できる」という法律を通そうとしたが議会の反発と特に軍人の反発で破棄された。しかしごく最近には「非常時にはアメリカ人のだれの電話・通信・メールでも国が盗聴できる」という法案を通過させたばかりである。
かつて第1次世界大戦時や第2次世界大戦時にはジュネーブ条約による「捕虜規定」があり、捕虜を人道的に扱わなくてはいけないとかさまざまな規定があり、それを無視したドイツ軍や日本軍の指揮官が絞首刑となった。同様に最近ではイラクのフセイン大統領も絞首刑となった。しかし、それ以上の悪さをしている英米軍やブッシュ大統領は何のおとがめも受けないというのが”現在”なのである。
これが今の現実社会、現実の世界なのだから、毎日新聞の平地修が言うような何年前の話なのか分からないような”時代錯誤”の記事ではお話にならない。
実際にアメリカに行くには、もちろんハワイでもそうで、入国前には”指紋と顔写真”をディジタル化されてしまうのである。こんなことは20年前には考えられなかったはずである。
この意味では、何が「グローバリゼーション」か。何が「自由貿易主義を停滞させる」か。すでにそんなものは存在しない。あるのは、欧米各国にコントロールされた世界経済のみなのである。
私個人は、戦後60年近く経ち、欧州の白人国家が、おめでたい平和ぼけのパックスアメリカーナの時代から江戸時代以前のように”その牙”を再び見せ始めたので、実に面白い時代になってきたな、という感じがするのだが、毎日新聞や日本のマスコミたちにはその真実の意味はどうやら理解できないように見える。
本当におめでたい話である。
毎日新聞は、日本人を愚ろうしたスケベ雑誌やスケベ記事で大問題となっているが、どうも本業の新聞記事でも欧米誌の主張をそのまま”パクッた”(=拝借した)記事を書いて載せているようである。
今回のドーハ・ラウンドは、「世界経済を完全にEU独裁体制に移行させる」というのが本来の目的(もちろん、表向きの大義名分の目的とは異なるが)で、「世界の石油供給を完全にEU独裁体制に移行させる」というアル・ゴアの狙いとほぼ同じことを経済界において目論んでいると考えられるのである。
世界の石油はこの1年という短い期間で誰の目にも明らかなような非常に大胆な仕方で大きくコントロールされてしまった(石油の値段はどこまで上がるのか?)。そのおかげで、今や日本でもどこでも魚すら取りに行く事ができなくなってしまった。トウモロコシの高騰で、鶏や家畜の維持も難しくなってしまったのである。
まあ、これも”イルミナティ”が計画実施中と言われている、「2050年までに世界人口を今の半分に削減する」(実は、欧米諸国が「2050年までにCO2を今の半分に削減する」という時の意味はこの意味なのである)ための戦術の1つ1つに過ぎない。
パスカル・ラミーのようなEUの手下連中は、今回のドーハ・ラウンドを成功に終わらせることができれば、イギリスのブレアのように欧米の(というよりイギリス王家の持つ)世界超大企業の”重役”の椅子が待っている。(ブレア前首相の”高笑い”? ) だから躍起となって成功させたいわけだ。
最近のアメリカの「サブプライムローン問題」を見れば明らかなように、その昔大前研一などが吹聴した「グローバリゼーション」や「自由貿易主義」というのは、実は一種の”大義名分”に過ぎず、本当の目的は”イギリス王家”(これはイギリス政府の意味でもイギリス国民の意味でもない! エリザベス女王やチャールズ皇太子などイギリス王族貴族の意味である)の持つ世界企業をいかに大きくするか、そしてそれを使っていかに世界をコントロールするか、ということであったということである。(「私は負けない」:”王族降臨の時代”?、”王家のビジネス”?)
もちろん、この一味にはヒラリー・クリントンやビル・クリントンも入ると言われている。だいたいヒラリーは民主党の大統領選挙に出たのに、普通なら選挙資金のために”自腹を切る”はずなのだが、選挙陣営に自分の金を「貸し付けた」というのだから驚きである。市民から来る寄付金は自分のもの、自分の金は自分のために働いている民主党に貸し付ける。どう考えてもおかしい。日本ではちょっとあり得ない。アメリカ政治を自分の金もうけに利用しているとしか考えられないからである。もちろんアル・ゴアも同じ穴のむじな。だから、ゴアの言うことはうまいこと”イルミナティ”を肥やす方向に動くというわけである。
一説には、「すでに第3次世界大戦は開始されている」という見方もあるように、自爆テロ攻撃はイラク、アフガニスタンばかりかパキスタン、インド、インドネシア、チベット、中国と徐々に極東方面にも飛び火して来ている。西側にはイギリスやトルコにも飛び火した。
「世界大戦」というと、「第2次世界大戦」のように戦闘機による空中戦やB29のじゅうたん爆撃を思い起こす人が多いだろうが、そういうことではない。かつて柘植俊一先生の師であったR・T・ジョーンズ博士が予言していたように「核爆弾を積んだトラックがビルに突っ込む」というような形態の戦争もあり得るのである。
また、「300人委員会」で名高いジョン・コールマン博士によれば、イギリス王家の所有する悪名高い「タビストック人間問題研究所」では、「第3次世界大戦は、情報戦や洗脳戦である」と考えられているらしい。「いかに一国の国民を精神的に支配し自滅の道に追い込むか」のテクノロジー戦になるだろうと見越しているのである(第2次世界大戦では通信の傍受と暗号解読が勝負と考えていた)。そのために実験をキューバにあるこれまた悪名高いグアンタナモ米軍基地でイラク人捕虜を使って毎日非人道的な人体実験を行っているというわけである(キューバの米軍基地グアンタナモから5年)。もちろん、これを指揮しているのがアメリカのジョージ・ウォーカー・ブッシュ現大統領であると言われている。
このジョージ・ウォーカー・ブッシュ現大統領は、ついちょっと前には、「非常時にはアメリカ人のだれの土地でも国が所有できる」という法律を通そうとしたが議会の反発と特に軍人の反発で破棄された。しかしごく最近には「非常時にはアメリカ人のだれの電話・通信・メールでも国が盗聴できる」という法案を通過させたばかりである。
かつて第1次世界大戦時や第2次世界大戦時にはジュネーブ条約による「捕虜規定」があり、捕虜を人道的に扱わなくてはいけないとかさまざまな規定があり、それを無視したドイツ軍や日本軍の指揮官が絞首刑となった。同様に最近ではイラクのフセイン大統領も絞首刑となった。しかし、それ以上の悪さをしている英米軍やブッシュ大統領は何のおとがめも受けないというのが”現在”なのである。
これが今の現実社会、現実の世界なのだから、毎日新聞の平地修が言うような何年前の話なのか分からないような”時代錯誤”の記事ではお話にならない。
実際にアメリカに行くには、もちろんハワイでもそうで、入国前には”指紋と顔写真”をディジタル化されてしまうのである。こんなことは20年前には考えられなかったはずである。
この意味では、何が「グローバリゼーション」か。何が「自由貿易主義を停滞させる」か。すでにそんなものは存在しない。あるのは、欧米各国にコントロールされた世界経済のみなのである。
私個人は、戦後60年近く経ち、欧州の白人国家が、おめでたい平和ぼけのパックスアメリカーナの時代から江戸時代以前のように”その牙”を再び見せ始めたので、実に面白い時代になってきたな、という感じがするのだが、毎日新聞や日本のマスコミたちにはその真実の意味はどうやら理解できないように見える。
本当におめでたい話である。
2008/07/29のBlog
[ 17:44 ]
[ デーヴィッド・アイク ]
海外に留学相談窓口…「30万人計画」発表
いやはや、”おとぼけ首相”の福田さんはいったい何をお考えなのだろうか?
このニュースによると、
『海外から日本に来る留学生を現在の約12万人から2020年をメドに30万人に増やすため、在外公館や大学の海外事務所など関係機関が協力して、日本への留学希望者のために一元的な相談窓口を海外に設置することなどを盛り込んだ。』
という。要するに、社会学における「パーキンソンの法則」といやつで、官僚の退職後の新手のサイドビジネスの場を(世界各地にまで)増やしたいということだろう。
私が拙著「三セクター分立の概念」を書いた1990年以前の世界とその後の「9・11」以降の世界は明らかに異なっている。ましてや、中曽根さんが「留学生受け入れ10万人計画」を掲げた1983年前後のバブル全盛期の20年前の世界とはまったく異なる。現実はそれほどまでに急速に変ぼうして来ているのだ。
どうやら日本政府の国会議員も官僚たちもこうしたことをまったく御存じないか、あるいは、すでに「9・11」以降の世界にどっぷり組み込まれてしまったかのいずれかだろう。
このニュースの後半には、こうある。
『日本への留学希望者の一元的な相談窓口の設置は、英国が世界各国に「ブリティッシュ・カウンシル」を設け、英国留学セミナーなどを開催していることを参考にした。』
いやはや、”おとぼけ首相”の福田さんはいったい何をお考えなのだろうか?
このニュースによると、
『海外から日本に来る留学生を現在の約12万人から2020年をメドに30万人に増やすため、在外公館や大学の海外事務所など関係機関が協力して、日本への留学希望者のために一元的な相談窓口を海外に設置することなどを盛り込んだ。』
という。要するに、社会学における「パーキンソンの法則」といやつで、官僚の退職後の新手のサイドビジネスの場を(世界各地にまで)増やしたいということだろう。
私が拙著「三セクター分立の概念」を書いた1990年以前の世界とその後の「9・11」以降の世界は明らかに異なっている。ましてや、中曽根さんが「留学生受け入れ10万人計画」を掲げた1983年前後のバブル全盛期の20年前の世界とはまったく異なる。現実はそれほどまでに急速に変ぼうして来ているのだ。
どうやら日本政府の国会議員も官僚たちもこうしたことをまったく御存じないか、あるいは、すでに「9・11」以降の世界にどっぷり組み込まれてしまったかのいずれかだろう。
このニュースの後半には、こうある。
『日本への留学希望者の一元的な相談窓口の設置は、英国が世界各国に「ブリティッシュ・カウンシル」を設け、英国留学セミナーなどを開催していることを参考にした。』
では、その大本のイギリス(やアメリカ)が今どうなったか?
と言えば、デービッド・アイクが
「世界中をまたぎ、流入する大量の移民・・・」
において論じるように、イギリス人は発展途上国から流入した低賃金労働者と同じ低賃金の過酷な労働を強いられるばかり、そして中には移民や留学生に反感を持つものがたくさん現れて、極右の「白人至上主義者」の政治団体を支持する一般人が大幅に増え、今や極右と極左の政治団体の間で一触即発の状態という不安定な国家へと変ぼうしてしまったらしい。
アジアの各地から低賃金の看護師を「看護師不足」の”大義名分”で大量に雇おうとするのも、すべて同じ文脈の中の出来事の1つであるにすぎない。
生っ粋のイギリス人のアイクによれば、もはやイギリス人の文化は消滅寸前らしい。もっとも我々日本人には、イギリス文化もアメリカ文化もそれほど違いが分からないからどっちでも同じなのかも知れないが。
いずれにせよ、こういった動きは、「ワンワールド構想」の目玉である
(1) 国民国家を破壊すること
(2) 安価な労働力と雇用機会の壊滅
という一連の政治運動の流れに乗っているらしい。
福田さんやその取り巻きは、果たしてそういうことを御存じでおやりになっているのだろうか?
もしそうなら、相当な”悪者”ということになろう。
いやはや、世も末ですナ。
と言えば、デービッド・アイクが
「世界中をまたぎ、流入する大量の移民・・・」
において論じるように、イギリス人は発展途上国から流入した低賃金労働者と同じ低賃金の過酷な労働を強いられるばかり、そして中には移民や留学生に反感を持つものがたくさん現れて、極右の「白人至上主義者」の政治団体を支持する一般人が大幅に増え、今や極右と極左の政治団体の間で一触即発の状態という不安定な国家へと変ぼうしてしまったらしい。
アジアの各地から低賃金の看護師を「看護師不足」の”大義名分”で大量に雇おうとするのも、すべて同じ文脈の中の出来事の1つであるにすぎない。
生っ粋のイギリス人のアイクによれば、もはやイギリス人の文化は消滅寸前らしい。もっとも我々日本人には、イギリス文化もアメリカ文化もそれほど違いが分からないからどっちでも同じなのかも知れないが。
いずれにせよ、こういった動きは、「ワンワールド構想」の目玉である
(1) 国民国家を破壊すること
(2) 安価な労働力と雇用機会の壊滅
という一連の政治運動の流れに乗っているらしい。
福田さんやその取り巻きは、果たしてそういうことを御存じでおやりになっているのだろうか?
もしそうなら、相当な”悪者”ということになろう。
いやはや、世も末ですナ。
[ 10:24 ]
[ デーヴィッド・アイク ]
私は、3年ほど前に「そろそろネットや携帯も免許制度にしたら?」をここで書いていたが、今朝のニュースによれば、お隣の国韓国では、ネット規制をかなり強めるらしい。日本もどこまで規制を強められるか、今後を見る他ない。
一方、今日「レンタル携帯数千台詐取容疑 振り込め狙った60人逮捕」というニュースがあったが、これに関しても私は3年半ほど前に「”犯罪統計”の逆問題:犯人探しの術」を書いて、どうやれば犯人グループを発見できるか論じていた。
そこではこう書いていた。
”まあ原理は実に簡単だ。物理学者なら物理の本をたくさん所有し、物理の本をたくさん注文し、物理の本を図書館でたくさん借りる。だから一般人の中からたくさん物理の本をかり出す人物を特定すればそれが物理学者である確率は非常に高い。こういったことを系統的に行えばよろしいということである。
同様に、海賊版の違法コピーメーカーなら、ビデオデッキ等を異様にたくさん所有しているはずである。偽札メーカーならコピー機を異様にたくさん所有しているはずである。”
要するに、「頻度分析」という統計学のいろはを応用するだけの話である。組織犯罪するような輩はその目的に応じて普通人と比べて”異常に”数多くの携帯電話などを所有する。だから、携帯電波の発信集中度、電話代金、人の出入り等、普通の常識を超えているわけである。そうしたところを押さえれば、いとも簡単に犯人を特定できるはずである。そういうアイデアであった。
今回の逮捕劇は見事に私の主張を証明してくれたものであると言えるだろう。普通の人間は、携帯電話を数千台も所有することはあり得ない。そもそも持ち運べないから”携帯”電話ということの意味がない。
さて、いっそのことこういう悪いやつらには、映画「マトリックス」のように”首根っこ”に知らないうちにマイクロチップを埋め込んで発振器を取り付け、一旦犯人たちを泳がせて犯人グループを宇宙からモニターするのが得策かも知れない。
とまあ、こういう発想が、イギリス政府の今考えている「人類牧場化計画」というものであるらしい。牛に焼き印を押したように、今では遺伝子情報をインプットしたチップを牛に埋め込む。これと同じことを人類に対して行えば、貴族など優秀な人間に刃向かう馬鹿な人類をコントロールできるだろう、ということらしい。これが、ジョン・コールマン博士の発見した話である。
考えてみれば、そもそもなぜこれほどまでに振り込め詐欺がのさばっているかと言えば、検挙する側、つまり、捕まえる側が意図的にのさばらせているという事にならざるを得ない。なぜなら、私のアイデアのように、こういう組織は今のハイテクを使えば(つまり、電話会社やソフト会社やインターネット会社のハイテクを使えば)すぐに一斉検挙できるからである。また、銀行にとって金さえ入れば、金がどこからどこへ移動しようが、だれの所有であろうがまったく構わないと銀行は考えているからである。
では、なぜ犯人をのさばらせているか?
といえば、それは、「マイクロチップを埋め込んで発振器を取り付けろ!」というような国民的意見が高揚するまで待っているからであろう。こういう国民的議論が出てくるのを政府や権力側(銀行はもちろんこっちの味方)はじっと待っているのである。それまで、老人や一般人が詐欺師の餌食になろうがお構い無しである。だから、「振り込め詐欺に注意しましょう」というようなおとぼけなことを言ってお茶を濁しているというわけである。
そのうち詳しく書くつもりだが、「マッチポンプ」(”焚き付ける”というような意味)という”和製英語”(英語には存在しない単語)がある。これは、ポンプ(消火器)を売りたいものが、裏でわざとマッチで火事を起こす。そして、表では世間に「ほら火事の危険はいつもありますよ」、「火事に気を付けましょう」と言って、ポンプの必要性を説いてポンプを売る、ということがその語源であると考えられている。
まあ、コンピュータ世界の「ウィルス」と「ウィルス・ワクチン」の関係、「犯罪者」と「警察」などの関係も基本的にはこの「マッチポンプ」の関係と同じなのである。私はそう理解している。
ただ違いがあるとすれば、「マッチポンプ」では、ポンプを売りたいやつがマッチで火をつけるのだが、現実には、ポンプを売るのも作るのもだれか別のものにやらせ、マッチで火をつけるのもまた別のだれか悪いやつ(実行犯)を利用して行い、善い者と悪者の両方を後ろから別々に糸引いているというのが本当のところであろう。
「太王四神記」で言えば、ファチョン会(火天会)の親玉やヨン・ガリョのようなものだろう。
いやはや、厭な世の中になったものである。
一方、今日「レンタル携帯数千台詐取容疑 振り込め狙った60人逮捕」というニュースがあったが、これに関しても私は3年半ほど前に「”犯罪統計”の逆問題:犯人探しの術」を書いて、どうやれば犯人グループを発見できるか論じていた。
そこではこう書いていた。
”まあ原理は実に簡単だ。物理学者なら物理の本をたくさん所有し、物理の本をたくさん注文し、物理の本を図書館でたくさん借りる。だから一般人の中からたくさん物理の本をかり出す人物を特定すればそれが物理学者である確率は非常に高い。こういったことを系統的に行えばよろしいということである。
同様に、海賊版の違法コピーメーカーなら、ビデオデッキ等を異様にたくさん所有しているはずである。偽札メーカーならコピー機を異様にたくさん所有しているはずである。”
要するに、「頻度分析」という統計学のいろはを応用するだけの話である。組織犯罪するような輩はその目的に応じて普通人と比べて”異常に”数多くの携帯電話などを所有する。だから、携帯電波の発信集中度、電話代金、人の出入り等、普通の常識を超えているわけである。そうしたところを押さえれば、いとも簡単に犯人を特定できるはずである。そういうアイデアであった。
今回の逮捕劇は見事に私の主張を証明してくれたものであると言えるだろう。普通の人間は、携帯電話を数千台も所有することはあり得ない。そもそも持ち運べないから”携帯”電話ということの意味がない。
さて、いっそのことこういう悪いやつらには、映画「マトリックス」のように”首根っこ”に知らないうちにマイクロチップを埋め込んで発振器を取り付け、一旦犯人たちを泳がせて犯人グループを宇宙からモニターするのが得策かも知れない。
とまあ、こういう発想が、イギリス政府の今考えている「人類牧場化計画」というものであるらしい。牛に焼き印を押したように、今では遺伝子情報をインプットしたチップを牛に埋め込む。これと同じことを人類に対して行えば、貴族など優秀な人間に刃向かう馬鹿な人類をコントロールできるだろう、ということらしい。これが、ジョン・コールマン博士の発見した話である。
考えてみれば、そもそもなぜこれほどまでに振り込め詐欺がのさばっているかと言えば、検挙する側、つまり、捕まえる側が意図的にのさばらせているという事にならざるを得ない。なぜなら、私のアイデアのように、こういう組織は今のハイテクを使えば(つまり、電話会社やソフト会社やインターネット会社のハイテクを使えば)すぐに一斉検挙できるからである。また、銀行にとって金さえ入れば、金がどこからどこへ移動しようが、だれの所有であろうがまったく構わないと銀行は考えているからである。
では、なぜ犯人をのさばらせているか?
といえば、それは、「マイクロチップを埋め込んで発振器を取り付けろ!」というような国民的意見が高揚するまで待っているからであろう。こういう国民的議論が出てくるのを政府や権力側(銀行はもちろんこっちの味方)はじっと待っているのである。それまで、老人や一般人が詐欺師の餌食になろうがお構い無しである。だから、「振り込め詐欺に注意しましょう」というようなおとぼけなことを言ってお茶を濁しているというわけである。
そのうち詳しく書くつもりだが、「マッチポンプ」(”焚き付ける”というような意味)という”和製英語”(英語には存在しない単語)がある。これは、ポンプ(消火器)を売りたいものが、裏でわざとマッチで火事を起こす。そして、表では世間に「ほら火事の危険はいつもありますよ」、「火事に気を付けましょう」と言って、ポンプの必要性を説いてポンプを売る、ということがその語源であると考えられている。
まあ、コンピュータ世界の「ウィルス」と「ウィルス・ワクチン」の関係、「犯罪者」と「警察」などの関係も基本的にはこの「マッチポンプ」の関係と同じなのである。私はそう理解している。
ただ違いがあるとすれば、「マッチポンプ」では、ポンプを売りたいやつがマッチで火をつけるのだが、現実には、ポンプを売るのも作るのもだれか別のものにやらせ、マッチで火をつけるのもまた別のだれか悪いやつ(実行犯)を利用して行い、善い者と悪者の両方を後ろから別々に糸引いているというのが本当のところであろう。
「太王四神記」で言えば、ファチョン会(火天会)の親玉やヨン・ガリョのようなものだろう。
いやはや、厭な世の中になったものである。
2008/07/26のBlog
[ 15:49 ]
[ デーヴィッド・アイク ]
イギリス王家やヨーロッパ連合の王家やアメリカ合衆国のネオコンなどを中心に俗にいう「ワンワールド」(1つの世界)構想を推進している。このワンワールド構想には日本のJALなどもすでに現実に組み込まれている。
この構想を推進するために、欧米の白人国家は、 WTO(世界貿易機関)、 WB(世界銀行)、
IMF(国際通貨基金)などなど、W??とか、I??とか、U??とか、W(World)やI(International)やU(United)で始まる名前を持つさまざまな国際機関を設けて来た。この中の一番有名なものは、やはりUN(国際連合)だろう。
これらの国際機関は、国家レベルを超えて国際的な問題や紛争をそれぞれの分野で解決する手段という”名目”を持って始まったわけだが、それも戦後何十年も経つと知らず知らずの内にその中身も変わる。最近ではかなり様相が変わって来たように見える。
比較的最近までこういう国際機関というものは、国際関係における諸問題を解決する上で、国家間の一種の”黒子役”として世界各国の力になろうというような世界機関であり、それゆえその職員も世界各国から選出された代表者たちが一種の「世界公務員」のような形式で仕事している職場のように思っていた。
がしかし、ごく最近では、それを超えて明らかに”国家間の上に君臨する”「超国家機関」としての一面が色濃く現れてきたように見える。言い換えれば、国家間の諸問題をミクロ的に解決するというよりは、国家の上に立ち、マクロ的な法規制を世界各国に押し付ける機関という様相を呈して来たように見えるということである。しかもその職員はだれが選出したかも分からないうちに”誰かによって”選びだされた者がついているような組織へと変貌を遂げた。
この構想を推進するために、欧米の白人国家は、 WTO(世界貿易機関)、 WB(世界銀行)、
IMF(国際通貨基金)などなど、W??とか、I??とか、U??とか、W(World)やI(International)やU(United)で始まる名前を持つさまざまな国際機関を設けて来た。この中の一番有名なものは、やはりUN(国際連合)だろう。
これらの国際機関は、国家レベルを超えて国際的な問題や紛争をそれぞれの分野で解決する手段という”名目”を持って始まったわけだが、それも戦後何十年も経つと知らず知らずの内にその中身も変わる。最近ではかなり様相が変わって来たように見える。
比較的最近までこういう国際機関というものは、国際関係における諸問題を解決する上で、国家間の一種の”黒子役”として世界各国の力になろうというような世界機関であり、それゆえその職員も世界各国から選出された代表者たちが一種の「世界公務員」のような形式で仕事している職場のように思っていた。
がしかし、ごく最近では、それを超えて明らかに”国家間の上に君臨する”「超国家機関」としての一面が色濃く現れてきたように見える。言い換えれば、国家間の諸問題をミクロ的に解決するというよりは、国家の上に立ち、マクロ的な法規制を世界各国に押し付ける機関という様相を呈して来たように見えるということである。しかもその職員はだれが選出したかも分からないうちに”誰かによって”選びだされた者がついているような組織へと変貌を遂げた。
例えば、最近ドーハラウンドで話題となっているパスカル・ラミー事務局長(【IPSコラム】正念場迎えるWTO交渉 パスカル・ラミー)のように、いったい世界のだれが、どの国民がこの人物を支持したのかすら分からない、ましてや、どこにこんな人物がいたのかと思うような人物が世界一流の国際機関の長である「事務局長」となっている有り様である。
そして、こういう”得体の知れない”事務局長を持つ世界機関が、世界機関であるという権力をかさにして世界各国にヨーロッパ連合(EU)にとってのみ好都合な法律を通そうとしてくるという時代となったようである。(ラミーキャンディーに気をつけろ!(12.14HKPAプレスリリース))
そして、こういう”得体の知れない”事務局長を持つ世界機関が、世界機関であるという権力をかさにして世界各国にヨーロッパ連合(EU)にとってのみ好都合な法律を通そうとしてくるという時代となったようである。(ラミーキャンディーに気をつけろ!(12.14HKPAプレスリリース))
写真:欧米の白人至上主義者による「ワンワールド」構想
「世界中をまたぎ、流入する大量の移民・・・」による。
しかしこうなると、非常に困ったことになる。
そうイッツアスモールワールドの「世界は1つ、世界は1つ、小さな世界」という意味の「世界市民、世界の国々に住む人々が作る”1つの世界”や”1つの地球”」という意味から、「世界の国々の人々を欧州の白人国家がコントロールした”1つの世界”や”1つの地球”」という意味へと変わってしまったことを意味するからである。
どうやらここ10年ほどの内に急速にかつ急激に世界機関は後者の意味の「ワンワールド」化して来つつある。
アル・ゴア元副大統領の「不都合な真実」による「地球温暖化」への警告がかえって石油や穀物の高騰を招くための”大義名分”とされ、世界各国の貧しい人々やごく普通の人々が困ってしまったように(石油の値段はどこまで上がるのか?、ゴアの”不都合な真実”の”不都合な真実”、今年のノーベル平和賞は”不都合な真実”へ)、今や世界銀行や国際通貨基金や国際連合の提案することはことごとく世界各国のためにはならないことが多くなった。
このトレンドを見ていると、どうやら欧州の白人国家がやろうとしていることは、ちょうど日本には各省庁が日本を運営する日本の官僚機構となっているように、欧米の白人国家をワンワールドの主体とした時にそれを運営する「ワンワールド国家の官僚機構」として世界銀行、国際通貨基金、世界貿易機構などを配下に納めようとしているように見える。
果たして日本がこの「ワンワールド政府」の一員になれるかどうか知らないが、世界各国から世界銀行、国際通貨基金、世界貿易機構などへの「寄付金」というのは、名目上は「寄付金」であるが、実質的には「(ワンワールド政府への)税金」を支払っているように見えなくもない。国際機関はすでに世界の国々へ税金を租税していると見た方が良いだろう。
こういうふうに見てみると、世界の個人と個人が瞬時に交流できるこの情報化時代に果たしてこういうタイプの国際機関は必要なのだろうか、ということである。今後はこういう問題が出てくるだろうと私は感じる。
かつて日本やドイツなど世界戦争に引き込まれて行った時、当時の国際連盟から脱退するということが1つの契機になっていた。戦争や紛争に走る独裁国家の象徴的行動の1つがこういうものであった。国際連盟が善で脱退国家が”悪の枢軸”という見方からすれば、我々の世界史観では、脱退した方が悪いということになる。
しかし、裏を返せば、そうやって脱退者を出させ、戦争を起こしやすくしていたものが国際連盟であったという見方もできる。そもそもそんな国際機関がなければ、戦争は当事者間だけのローカルな紛争で終わるはずだからである。
こんなわけで、私は最近、果たして国際機関が必要なのかどうかかなり疑わしいと考えるようになったというわけである。国際連合というような世界機関は、実は時が来れば世界戦争を引き起こすための時限爆弾のようなものであるかも知れないからである。ひよっとすればないほうがましなのかも知れないと思うからである。
「世界中をまたぎ、流入する大量の移民・・・」による。
しかしこうなると、非常に困ったことになる。
そうイッツアスモールワールドの「世界は1つ、世界は1つ、小さな世界」という意味の「世界市民、世界の国々に住む人々が作る”1つの世界”や”1つの地球”」という意味から、「世界の国々の人々を欧州の白人国家がコントロールした”1つの世界”や”1つの地球”」という意味へと変わってしまったことを意味するからである。
どうやらここ10年ほどの内に急速にかつ急激に世界機関は後者の意味の「ワンワールド」化して来つつある。
アル・ゴア元副大統領の「不都合な真実」による「地球温暖化」への警告がかえって石油や穀物の高騰を招くための”大義名分”とされ、世界各国の貧しい人々やごく普通の人々が困ってしまったように(石油の値段はどこまで上がるのか?、ゴアの”不都合な真実”の”不都合な真実”、今年のノーベル平和賞は”不都合な真実”へ)、今や世界銀行や国際通貨基金や国際連合の提案することはことごとく世界各国のためにはならないことが多くなった。
このトレンドを見ていると、どうやら欧州の白人国家がやろうとしていることは、ちょうど日本には各省庁が日本を運営する日本の官僚機構となっているように、欧米の白人国家をワンワールドの主体とした時にそれを運営する「ワンワールド国家の官僚機構」として世界銀行、国際通貨基金、世界貿易機構などを配下に納めようとしているように見える。
果たして日本がこの「ワンワールド政府」の一員になれるかどうか知らないが、世界各国から世界銀行、国際通貨基金、世界貿易機構などへの「寄付金」というのは、名目上は「寄付金」であるが、実質的には「(ワンワールド政府への)税金」を支払っているように見えなくもない。国際機関はすでに世界の国々へ税金を租税していると見た方が良いだろう。
こういうふうに見てみると、世界の個人と個人が瞬時に交流できるこの情報化時代に果たしてこういうタイプの国際機関は必要なのだろうか、ということである。今後はこういう問題が出てくるだろうと私は感じる。
かつて日本やドイツなど世界戦争に引き込まれて行った時、当時の国際連盟から脱退するということが1つの契機になっていた。戦争や紛争に走る独裁国家の象徴的行動の1つがこういうものであった。国際連盟が善で脱退国家が”悪の枢軸”という見方からすれば、我々の世界史観では、脱退した方が悪いということになる。
しかし、裏を返せば、そうやって脱退者を出させ、戦争を起こしやすくしていたものが国際連盟であったという見方もできる。そもそもそんな国際機関がなければ、戦争は当事者間だけのローカルな紛争で終わるはずだからである。
こんなわけで、私は最近、果たして国際機関が必要なのかどうかかなり疑わしいと考えるようになったというわけである。国際連合というような世界機関は、実は時が来れば世界戦争を引き起こすための時限爆弾のようなものであるかも知れないからである。ひよっとすればないほうがましなのかも知れないと思うからである。
では、「ワンワールド政府」とは、国家の上に超越する権力機構であり、諸国の国民が知らない内にさまざまな法律や圧力をかけてくる機関であるとするならば(実際ここ最近本当にそういうことをしているが)、だれがその「ワンワールド政府」の住人となるのかという問題が生じる。選挙するのか、推薦するのか、いったいどういうメカニズムで人を選ぶかという問題が生じる。しかし、現実にはどこからともなくパスカル・ラミーのような知らない人物が選ばれる。いったい誰が選んでいるのだろうか?
こうしたことから、かつて「無政府主義」というのが、”国家”(政府)というものに対してあったが、現代ではむしろ「無ワンワールド政府主義」というようなものもあり得るのかも知れない。言い換えれば、「マルチワールド主義」とでも言えるのかも知れない。
かつてアルバート・アインシュタインやシュバイツアーが唱えた「世界政府」ならいざ知らず、だれがつくかも知れない「ワンワールド政府」が世界政府というのであれば、むしろそんなものは不必要であろう。世界はいろんな国々が勝手に存在して結構。渾沌としていて結構。それこそ「多様性のある地球」というものであろう。
除草剤で朽ち果てた後のようなワンワールドでは困る。焼き尽くされた後の森のような世界では困る。むしろかつてのジャングルのように多様な生物の住むワイルドな森の方がより魅力的である。「マルチワールド」、「無ワンワールド政府」で結構なのではないか。
この意味では、だれも世界貿易機関などの世界機関の言う通りにしなくてもきっと世界は適当にうまくバランスするはずである。私は最近よくそんなことを考える。
こうしたことから、かつて「無政府主義」というのが、”国家”(政府)というものに対してあったが、現代ではむしろ「無ワンワールド政府主義」というようなものもあり得るのかも知れない。言い換えれば、「マルチワールド主義」とでも言えるのかも知れない。
かつてアルバート・アインシュタインやシュバイツアーが唱えた「世界政府」ならいざ知らず、だれがつくかも知れない「ワンワールド政府」が世界政府というのであれば、むしろそんなものは不必要であろう。世界はいろんな国々が勝手に存在して結構。渾沌としていて結構。それこそ「多様性のある地球」というものであろう。
除草剤で朽ち果てた後のようなワンワールドでは困る。焼き尽くされた後の森のような世界では困る。むしろかつてのジャングルのように多様な生物の住むワイルドな森の方がより魅力的である。「マルチワールド」、「無ワンワールド政府」で結構なのではないか。
この意味では、だれも世界貿易機関などの世界機関の言う通りにしなくてもきっと世界は適当にうまくバランスするはずである。私は最近よくそんなことを考える。
2008/07/25のBlog
[ 10:40 ]
[ 徳島サッカー ]
2008年度県中学総体サッカー決勝が、24日(徳島市球技場)で行われ、昨年の優勝者である井川中学が2連覇を果たした。おめでとう井川中学!
結果は以下の通り。
【徳島市球技場24日】
井川4一1(2一0、2一1)北島
【得点者】
【井川】三浦、能倉3 【北島】稲田
【井川】4一4一2
GK 西村
DF 井上 大浦 佐々木 大柿
MF 能倉 平岡 大西恍 石山
FW 三浦 高島
【北島】3一5一2
GK 長尾
DF 加藤寛 芝原 河野
MF 稲田 松浦 武市 逆巻 谷本
FW 井形 細谷
井川(三好市1位)━━┓ーーーーーーーーーーーーーー┏━━山川(吉野川1位)
ーーーーーーーーーーー┃5ーーーーーーーーーーーー2┃
吉野(阿波1位)─1┐┗━━┓ーーーーーーーー┌━━┛┌0富田(徳島4位)
ーーーーーーーーーー┏┘0ー┃ーーーーーーーー│ー0└┓
城東(徳島2位)━5┛ーーー┃4ー3ーー1ー1│ーーー┗2美馬(美馬1位)
ーーーーーーーーーーーーーー┗━━┓ーー┌━━┓
石井(石井1位)─3┐ーーー│1ー┃ーー│ー2┃ーーー┌1海南(海部郡1位)
ーーーーーーーーーー┏┓11│ーー┃優ー│ーー┃ー0┌┓
藍住(板野2位)━6┛┗━━┘ーー┃勝ー│ーー┗━━┓┗6貞光・半田
ーーーーーーーーーーー│0ーーーー┃井ー│ーーーー4┃
勝浦(勝浦1位)───┘ーーーーー┃川4│ーーーーー┗━━鳴門ニ(鳴門1位)
ーーーーーーーーーーーーーーーーー┗┛─┓
三野(三好市3位)━━┓ーーーーー│準1┃ーーーーー┏━━城西(徳島3位)
ーーーーーーーーーーー┃2ーーーー│優ー┃ーーー15┃
三好(三好郡1位)0┐┗━━┐ーー│勝ー┃ーー┌━━┛┌1土成(阿波2位)
ーーーーーーーーーー┏┘1ー│ーー│北ー┃ーー│ー1└┓
羽ノ浦(阿南1位)5┛ーーー│1ー│島ー┃ー1│ーーー┗5坂野(小松島1位)
ーーーーーーーーーーーーーー┏━━┘ーー┗━━┓
川内(徳島5位)─2┐ーーー┃5ー1ーー2ー2┃ーーー┏5北島(板野1位)
ーーーーーーーーーー┏┐1ー┃ーーーーーーーー┃ー6┏┛
鴨島一(吉野川2位)┛┏━━┛ーーーーーーーー┗━━┛└0阿南(阿南2位)
ーーーーーーーーー3ー┃2ーーーーーーーーーーーー3│
徳島(徳島1位)━━━┛ーーーーーーーーーーーーーー└──池田(三好市2位)
結果は以下の通り。
【徳島市球技場24日】
井川4一1(2一0、2一1)北島
【得点者】
【井川】三浦、能倉3 【北島】稲田
【井川】4一4一2
GK 西村
DF 井上 大浦 佐々木 大柿
MF 能倉 平岡 大西恍 石山
FW 三浦 高島
【北島】3一5一2
GK 長尾
DF 加藤寛 芝原 河野
MF 稲田 松浦 武市 逆巻 谷本
FW 井形 細谷
井川(三好市1位)━━┓ーーーーーーーーーーーーーー┏━━山川(吉野川1位)
ーーーーーーーーーーー┃5ーーーーーーーーーーーー2┃
吉野(阿波1位)─1┐┗━━┓ーーーーーーーー┌━━┛┌0富田(徳島4位)
ーーーーーーーーーー┏┘0ー┃ーーーーーーーー│ー0└┓
城東(徳島2位)━5┛ーーー┃4ー3ーー1ー1│ーーー┗2美馬(美馬1位)
ーーーーーーーーーーーーーー┗━━┓ーー┌━━┓
石井(石井1位)─3┐ーーー│1ー┃ーー│ー2┃ーーー┌1海南(海部郡1位)
ーーーーーーーーーー┏┓11│ーー┃優ー│ーー┃ー0┌┓
藍住(板野2位)━6┛┗━━┘ーー┃勝ー│ーー┗━━┓┗6貞光・半田
ーーーーーーーーーーー│0ーーーー┃井ー│ーーーー4┃
勝浦(勝浦1位)───┘ーーーーー┃川4│ーーーーー┗━━鳴門ニ(鳴門1位)
ーーーーーーーーーーーーーーーーー┗┛─┓
三野(三好市3位)━━┓ーーーーー│準1┃ーーーーー┏━━城西(徳島3位)
ーーーーーーーーーーー┃2ーーーー│優ー┃ーーー15┃
三好(三好郡1位)0┐┗━━┐ーー│勝ー┃ーー┌━━┛┌1土成(阿波2位)
ーーーーーーーーーー┏┘1ー│ーー│北ー┃ーー│ー1└┓
羽ノ浦(阿南1位)5┛ーーー│1ー│島ー┃ー1│ーーー┗5坂野(小松島1位)
ーーーーーーーーーーーーーー┏━━┘ーー┗━━┓
川内(徳島5位)─2┐ーーー┃5ー1ーー2ー2┃ーーー┏5北島(板野1位)
ーーーーーーーーーー┏┐1ー┃ーーーーーーーー┃ー6┏┛
鴨島一(吉野川2位)┛┏━━┛ーーーーーーーー┗━━┛└0阿南(阿南2位)
ーーーーーーーーー3ー┃2ーーーーーーーーーーーー3│
徳島(徳島1位)━━━┛ーーーーーーーーーーーーーー└──池田(三好市2位)
この試合は残念ながら観戦できなかったが、井川が勝つのは明らかだった。実質上の決勝戦は、井川vs徳島だったからである。全国大会で上位進出を狙う鳴門高校や徳島商業並みの厳しい練習を中学でも科しているのが井川中である。それゆえ、他の中学チームとは歴然たる運動量に差があり、テクニックでは自分達に勝るチーム、例えば、徳島中学や徳島ヴォルティスユースや阿南FCなど、に対してもゲームを支配して勝つことができる。この井川なら、おそらく、高校生の大会で戦ってもかなり上位へ食い込むことができるはずである。この意味では、中学と高校が混在する大会というのがあっても面白いかも知れない。私自身は、井川スタイルの走力中心の練習法は、”この年代のサッカーとしては”お勧めはしないが、安定して常に優勝を狙うにはこのくらいの厳しい練習が必要なのだというのもまた事実なのである。マラソンでも練習をしたかどうかは最後の35km過ぎで表れるというが、それと同様にサッカーでも練習の成果は最後の最後に表れる。徳島戦でも延長戦の最後に走力の差が出て井川が連続2得点で突き放した。
ところで、私が井川スタイルの走力中心の練習法をこの年代ではかならずしも勧めない理由は、「「モンスター・ティーチャー」?」に書いた理由と実はもっと楽に勝つ方法があるからである。残念ながら、徳島にはまだそれができるチームはないが、鳴門ニ中の北島戦の1点はそれに非常に近づく良い戦術であった。この時の得点シーンは私が考えるこの年代における理想に最も近いものだった。鳴門ニ中にはもっとそれができるようなることを期待したい。一方、逆に北島はもう少し走力練習を行ったほうがいいだろう。初戦の阿南戦と比べて、準決勝では明らかに動きが悪かった。連戦の疲労が出ていたのだろうが、それに負けない体力をつけないと優勝は難しいからである。
しかしながら、走力や体力ばかりに気をとられては井川の非常に優れた戦術に関して見落としてしまうだろう。井川の戦術は、ヴォルティスユースや阿南FCを超えるレベルのもので、”超中学級”とでも呼べるものである。こういう戦術を中学レベルで身につけるためには「いったいどういう練習をさせているのか?」、他のチームの監督は監督連中が集まって合宿して学ぶ必要があるのではないかと私は考える。体力練習はこれを実現するには大事だが、仮に体力がなかったとしてもやろうとするサッカーとしては井川のような攻撃は基本中の基本であるからだ。私自身も一度その練習風景を見てみたいと思う。三好市のたったの3チームがすべてベスト8進出した理由は、おそらく井川の練習メニューが他のチームにも浸透してきているからだろう。
また、見たところ、井川には監督、コーチ、顧問など合わせて3人がベンチ入りしていたが、他は顧問と監督の2人、あるいは監督1人の場合がほとんどであった。3人で練習をみるのと、1人で練習をみるのとでは大きな違いがある。なぜなら最低3人いれば、学年ごとに別メニューの指導ができるようになるからである。また、攻撃、中盤、守備の3つに分けて練習することも可能になるからである。1人ではそういうことができず、時間を無駄にしてしまう可能性が高い。いずれにせよ、徳島県の現状としては井川サッカー部を模範にすべきだろうと私は見ている。
ところで、私が井川スタイルの走力中心の練習法をこの年代ではかならずしも勧めない理由は、「「モンスター・ティーチャー」?」に書いた理由と実はもっと楽に勝つ方法があるからである。残念ながら、徳島にはまだそれができるチームはないが、鳴門ニ中の北島戦の1点はそれに非常に近づく良い戦術であった。この時の得点シーンは私が考えるこの年代における理想に最も近いものだった。鳴門ニ中にはもっとそれができるようなることを期待したい。一方、逆に北島はもう少し走力練習を行ったほうがいいだろう。初戦の阿南戦と比べて、準決勝では明らかに動きが悪かった。連戦の疲労が出ていたのだろうが、それに負けない体力をつけないと優勝は難しいからである。
しかしながら、走力や体力ばかりに気をとられては井川の非常に優れた戦術に関して見落としてしまうだろう。井川の戦術は、ヴォルティスユースや阿南FCを超えるレベルのもので、”超中学級”とでも呼べるものである。こういう戦術を中学レベルで身につけるためには「いったいどういう練習をさせているのか?」、他のチームの監督は監督連中が集まって合宿して学ぶ必要があるのではないかと私は考える。体力練習はこれを実現するには大事だが、仮に体力がなかったとしてもやろうとするサッカーとしては井川のような攻撃は基本中の基本であるからだ。私自身も一度その練習風景を見てみたいと思う。三好市のたったの3チームがすべてベスト8進出した理由は、おそらく井川の練習メニューが他のチームにも浸透してきているからだろう。
また、見たところ、井川には監督、コーチ、顧問など合わせて3人がベンチ入りしていたが、他は顧問と監督の2人、あるいは監督1人の場合がほとんどであった。3人で練習をみるのと、1人で練習をみるのとでは大きな違いがある。なぜなら最低3人いれば、学年ごとに別メニューの指導ができるようになるからである。また、攻撃、中盤、守備の3つに分けて練習することも可能になるからである。1人ではそういうことができず、時間を無駄にしてしまう可能性が高い。いずれにせよ、徳島県の現状としては井川サッカー部を模範にすべきだろうと私は見ている。
さて、今回の井川の布陣:
【井川】4一4一2
GK 西村
DF 井上 大浦 佐々木 大柿
MF 能倉 平岡 大西恍 石山
FW 三浦 高島
は、この5月25日の中学選手権における池田戦の時の布陣:
【井川】3一5一2
GK 西村
DF 能倉 大浦 佐々木
MF 平岡 大柿 井上 大西 石山
FW 三浦 高島
と若干異なる。また、おそらく3月9日のU14サッカー大会決勝における阿南FC戦の時とも異なる布陣であるだろう。今回はDFの能倉がMFに変わり、逆にMFだった大柿と井上がDFにまわり、3一5一2から4一4一2へとシフトしたようである。
どうしてそういうシフトをしたかという、その内実は知らないが、この年代では身長の伸び、からだの成長などでかなり能力的なものが大変化する時期でもある。だから、成長に合わせてポジションを変えるというのはどのチームでもあることである。しかし、私の記憶では、もし阿南FC戦と同じ布陣で池田と戦ったとすれば、井川の右サイドバックは、小柄な選手でディフェンスの穴となっていたように思う。だから、その穴を塞ぎ、守備を分厚くするために、中盤のもっと大きめの選手を2人下げ、逆にその小柄な選手を前に上げたのかも知れない。結果的にこの変更は大成功だったと言えるだろう。
【井川】4一4一2
GK 西村
DF 井上 大浦 佐々木 大柿
MF 能倉 平岡 大西恍 石山
FW 三浦 高島
は、この5月25日の中学選手権における池田戦の時の布陣:
【井川】3一5一2
GK 西村
DF 能倉 大浦 佐々木
MF 平岡 大柿 井上 大西 石山
FW 三浦 高島
と若干異なる。また、おそらく3月9日のU14サッカー大会決勝における阿南FC戦の時とも異なる布陣であるだろう。今回はDFの能倉がMFに変わり、逆にMFだった大柿と井上がDFにまわり、3一5一2から4一4一2へとシフトしたようである。
どうしてそういうシフトをしたかという、その内実は知らないが、この年代では身長の伸び、からだの成長などでかなり能力的なものが大変化する時期でもある。だから、成長に合わせてポジションを変えるというのはどのチームでもあることである。しかし、私の記憶では、もし阿南FC戦と同じ布陣で池田と戦ったとすれば、井川の右サイドバックは、小柄な選手でディフェンスの穴となっていたように思う。だから、その穴を塞ぎ、守備を分厚くするために、中盤のもっと大きめの選手を2人下げ、逆にその小柄な選手を前に上げたのかも知れない。結果的にこの変更は大成功だったと言えるだろう。
果たして来年は井川の3連覇となるか?
その確率はかなり高い。他の学校の挑戦を待ちたい。
その確率はかなり高い。他の学校の挑戦を待ちたい。
ついでに書いておくと、実は今回のような対戦カードになること、すなわち優勝候補どうしが先に準決勝で戦うことになりもう一つのブロックの方が少し力が劣るというような形になることがトーナメントの大会の場合しばしば生じる。この場合、優勝、準優勝チームが四国大会や全国大会に進出することになるため、実力的には準優勝に匹敵するチームが涙を飲むことになる。
実は、私が高校生の時のインターハイでも同じで、我々は韮崎と同じブロックで準決勝で当たり0一1で負けた。決勝では別のブロックから出たチームが韮崎と当たったが、もっと大差で負けた。そんなわけで、実力的に拮抗している我々は全国大会に出場できなかったわけである。ところが、韮崎は初の全国優勝したのである。その当時はあまりこういう問題は深く考えることもなかったが、今思えば、非常に理不尽なやり方であると私は考える。なぜならやはり県代表を2チーム出すなら同じくらいの力のチームを出すほうが理にかなっているからである。
我々の時であれば、柔道の敗者復活戦ではないが、韮崎に僅差で負けた我々と準優勝チームとで「2番手代表決定戦」を行うべきであった。そうれば、全国優勝した韮崎に匹敵する実力を持った我々が全国大会に出ることができただろう。今回の上の中学生の大会であれば、優勝した井川に僅差で負けた徳島中学と準優勝した北島中学が「2番手代表決定戦」を行って四国大会に出て行くべきだろうと私は考えている。明らかに徳島中学の方が北島中学より強いからである。
決勝トーナメント方式は、それがその大会そのもので閉じている時にはうまく働くが、優勝準優勝チームが全国大会や四国大会などの2代表となるという場合には必ずしもうまく働かない。後者の場合は、やはり柔道のような「敗者復活戦」が一番良いが、それに一番近くて試合数も少なくてすむ、準優勝チームと準決勝で優勝チームと戦って負けたチームの「2番手代表決定戦」というものが一番合理的なやり方だろうと私は考える。
日本のスポーツ界でこういうやり方が流行して欲しいものである。しかし、頭が固い連中しかいないから難しいだろうナ。
実は、私が高校生の時のインターハイでも同じで、我々は韮崎と同じブロックで準決勝で当たり0一1で負けた。決勝では別のブロックから出たチームが韮崎と当たったが、もっと大差で負けた。そんなわけで、実力的に拮抗している我々は全国大会に出場できなかったわけである。ところが、韮崎は初の全国優勝したのである。その当時はあまりこういう問題は深く考えることもなかったが、今思えば、非常に理不尽なやり方であると私は考える。なぜならやはり県代表を2チーム出すなら同じくらいの力のチームを出すほうが理にかなっているからである。
我々の時であれば、柔道の敗者復活戦ではないが、韮崎に僅差で負けた我々と準優勝チームとで「2番手代表決定戦」を行うべきであった。そうれば、全国優勝した韮崎に匹敵する実力を持った我々が全国大会に出ることができただろう。今回の上の中学生の大会であれば、優勝した井川に僅差で負けた徳島中学と準優勝した北島中学が「2番手代表決定戦」を行って四国大会に出て行くべきだろうと私は考えている。明らかに徳島中学の方が北島中学より強いからである。
決勝トーナメント方式は、それがその大会そのもので閉じている時にはうまく働くが、優勝準優勝チームが全国大会や四国大会などの2代表となるという場合には必ずしもうまく働かない。後者の場合は、やはり柔道のような「敗者復活戦」が一番良いが、それに一番近くて試合数も少なくてすむ、準優勝チームと準決勝で優勝チームと戦って負けたチームの「2番手代表決定戦」というものが一番合理的なやり方だろうと私は考える。
日本のスポーツ界でこういうやり方が流行して欲しいものである。しかし、頭が固い連中しかいないから難しいだろうナ。
2008/07/24のBlog
[ 14:34 ]
[ 教育 ]
戦後の日本にとって義務教育はアメリカによってもたらされた最大の改革の1つである。しかし、それも戦後数十年も経つとさまざまなきしみや歪みを生じる。
小学校というのは、児童が幼い年齢から始まるために、学校の先生と父兄やPTAの距離が比較的近い。それゆえ、小学校というのはかなり父兄に開かれているのが日本の小学校である。ママさんバレーは小学校の体育館で練習するし、子供のバレーやバスケット、野球やサッカーなど父兄の協力なくしてはなしえない。
ところが、同じ義務教育でも中学校となるとこれが打って変わり、むしろ”密室教育”に近い形となるから不思議である。児童から生徒と呼名が変わり、自立心も芽生え、身体的にも大人への階段を登る。半ば自立した生徒にとって児童からも先生からも「親はじゃまもの」扱いするというのが、日本の公立中学校の日常的姿である。
だから、PTAや父兄は学校行事、あるいはクラブ活動における遠征の送迎などの特別な場面でしか必要とされないのが普通である。ましてや、小学校の時のように、父兄が学校のスポーツ施設を自由に使うなどということはほとんどままならなくなる。また、小学校の場合、サッカー少年団なども率いるのは父兄の有志だったりするが、中学校ともなると、父兄が参加することを生徒も学校の先生も極度に忌み嫌うようになる。
こうして日本の中学校も戦後十数年経つと、PTAや父兄からかなり隔絶した空間として、そして先生たちの独壇場として一種異様な学校教育の場となったというわけである。
小学校というのは、児童が幼い年齢から始まるために、学校の先生と父兄やPTAの距離が比較的近い。それゆえ、小学校というのはかなり父兄に開かれているのが日本の小学校である。ママさんバレーは小学校の体育館で練習するし、子供のバレーやバスケット、野球やサッカーなど父兄の協力なくしてはなしえない。
ところが、同じ義務教育でも中学校となるとこれが打って変わり、むしろ”密室教育”に近い形となるから不思議である。児童から生徒と呼名が変わり、自立心も芽生え、身体的にも大人への階段を登る。半ば自立した生徒にとって児童からも先生からも「親はじゃまもの」扱いするというのが、日本の公立中学校の日常的姿である。
だから、PTAや父兄は学校行事、あるいはクラブ活動における遠征の送迎などの特別な場面でしか必要とされないのが普通である。ましてや、小学校の時のように、父兄が学校のスポーツ施設を自由に使うなどということはほとんどままならなくなる。また、小学校の場合、サッカー少年団なども率いるのは父兄の有志だったりするが、中学校ともなると、父兄が参加することを生徒も学校の先生も極度に忌み嫌うようになる。
こうして日本の中学校も戦後十数年経つと、PTAや父兄からかなり隔絶した空間として、そして先生たちの独壇場として一種異様な学校教育の場となったというわけである。
そんなわけで、昨今では、小学校を中心に「モンスター・ペアレント」などという言葉をマスコミが面白がって使っているが、中学校では逆に「モンスター・ティーチャー」とでも呼ぶべき人々が君臨するようになる。
ちなみに、英語の「モンスター」(monster)というのは、必ずしも悪い言葉ではなく、むしろ良い意味で使うことが多い。例えば、「モンスター・マインド」(怪物のように何ごとにも動じない心の持ち主)とか、怪物のように人間を超絶した卓越した能力の持ち主を称して使われることが多い。だから、「モンスター・ペアレント」という和製英語の場合では、おそらく「イビル・ペアレント」(邪悪な親)とか「デビル・ペアレント」(悪魔的な親)と呼ぶべきだろう。いずれにせよ、欧米人に「モンスター・ペアレント」と言えば、「超絶したものすごい親」というような意味に受け取るはずである。
この「モンスター・ティーチャー」とでも呼ぶべき人々の中には、まず俗に言う「わいせつ教師」、「エロ先生」が入る。「わいせつ教師」事件などというのは大昔からあったことで今に始まったわけではない。しかしそういう先生が事件を起こしたとしても、昔は学校の権威が強すぎて公になることもなく、示談ないしは無視されて、だれも知らずに被害者の生徒は泣き寝入りさせられたに過ぎないのである。生徒が大人になって、むかしこんな事をされたことがあるとか、昔話程度でお茶を濁してしまったのがその昔の日本の学校の姿なのである。
こういう状況を物語っているのが、最近の「わいせつ教師」で捕まる先生たちであろう。これは、先生のレベルが低下したというより、むしろ昔から存在するそういう先生たちが学校が比較的オープンになったおかげで、白日の下にさらされやすくなったという結果である。
同様に、「モンスター・ペアレント」などと呼ばれる親が話題となるのも、ある意味で、学校というものがオープンとなり、親ならだれでも先生に話ができるようになったということの副作用のようなものである。だから、これは必ずしも悪いというのではなく、学校がかなりオープンとなり、白日の下にさられるようになったことを意味すると肯定的に見るべきである。
その昔では、NHKの朝ドラで見るように、「先生は絶対」であり、被害者の生徒は一種の「生け贄」のようなものに過ぎなかったからである。したがって、そういう「エロ先生」の中には、学校の女子生徒の中の自分好みの美人生徒はすべて自分のもののように思ってちょっかいだしても他の先生たちは見て見ぬ振りをするという時代だったわけである。
ちなみに、英語の「モンスター」(monster)というのは、必ずしも悪い言葉ではなく、むしろ良い意味で使うことが多い。例えば、「モンスター・マインド」(怪物のように何ごとにも動じない心の持ち主)とか、怪物のように人間を超絶した卓越した能力の持ち主を称して使われることが多い。だから、「モンスター・ペアレント」という和製英語の場合では、おそらく「イビル・ペアレント」(邪悪な親)とか「デビル・ペアレント」(悪魔的な親)と呼ぶべきだろう。いずれにせよ、欧米人に「モンスター・ペアレント」と言えば、「超絶したものすごい親」というような意味に受け取るはずである。
この「モンスター・ティーチャー」とでも呼ぶべき人々の中には、まず俗に言う「わいせつ教師」、「エロ先生」が入る。「わいせつ教師」事件などというのは大昔からあったことで今に始まったわけではない。しかしそういう先生が事件を起こしたとしても、昔は学校の権威が強すぎて公になることもなく、示談ないしは無視されて、だれも知らずに被害者の生徒は泣き寝入りさせられたに過ぎないのである。生徒が大人になって、むかしこんな事をされたことがあるとか、昔話程度でお茶を濁してしまったのがその昔の日本の学校の姿なのである。
こういう状況を物語っているのが、最近の「わいせつ教師」で捕まる先生たちであろう。これは、先生のレベルが低下したというより、むしろ昔から存在するそういう先生たちが学校が比較的オープンになったおかげで、白日の下にさらされやすくなったという結果である。
同様に、「モンスター・ペアレント」などと呼ばれる親が話題となるのも、ある意味で、学校というものがオープンとなり、親ならだれでも先生に話ができるようになったということの副作用のようなものである。だから、これは必ずしも悪いというのではなく、学校がかなりオープンとなり、白日の下にさられるようになったことを意味すると肯定的に見るべきである。
その昔では、NHKの朝ドラで見るように、「先生は絶対」であり、被害者の生徒は一種の「生け贄」のようなものに過ぎなかったからである。したがって、そういう「エロ先生」の中には、学校の女子生徒の中の自分好みの美人生徒はすべて自分のもののように思ってちょっかいだしても他の先生たちは見て見ぬ振りをするという時代だったわけである。
これと比べてかなり分かりにくいタイプの「モンスター・ティーチャー」がいるようである。このタイプは”壊し屋”あるいは”つぶし屋”と呼べるかも知れない。
何の”壊し屋”かと言えば、「生徒の身体を壊す」のである。要するに、生徒に年齢に見合った練習量以上の練習量を科してその生徒をスポーツ選手として”おしゃか”にしてしまうというようなタイプの教師がいるということである。
例えばサッカーの場合、一般に12歳から15歳までは、スペインの超一流のプロチームのFCバルセロナやアスレチコマドリッドなどでもだいたい1日置きに週3回2時間程度の練習と週末の練習試合程度とクラブのルールによって決まっているようである。だから、それ以上の練習はこの年齢では禁止されている。さらには、朝食は何カロリー、昼食は何カロリー、夕食は何カロリー、そして試合前2時間には何を食べろなどと細かく規定されている。こうして身長の伸びも止まり、無事成長期を終えた頃に入ってから本格的なフィジカルトレーニングを開始するというわけである。
これは、もちろん、ジダンやアンリを生んだあのフランスのサッカー学校でも基本的にはまったく同じである。日本のJリーグのクラブユースでもスペインのプロほどではないが、この年齢では技術主導であまり過酷な体力練習は行わず、せいぜい週3、4回程度の練習に押さえている。それでも中学校チーム以上にうまくなる。
ところが、日本の公立の中学校のアマチュアスポーツの先生たちの場合、こういう世界的な潮流や最近のスポーツ医学やスポーツ科学の進歩から取り残されて、自分が何十年か前に自分の先生から指導を受けたことをそのまま継承しているために、未だに時代錯誤な練習法を行っているわけである。
これが非常に悪い結果を生むというわけである。
例えば、この辺の中学校には、クラブ活動以外に執拗に「駅伝」にこだわる教師のグループがいる。だから、サッカー部所属、野球部所属などの選手で授業中に1500m走などをやらせて比較的好タイムの選手を「君、駅伝をやらないかね」、「駅伝をやって良い記録を作ると高校受験にも良い影響が出るよ」などと言って勧誘するのである。それゆえ、高校受験を考えるその親たちは、「子供の受験に少しでも有利となるなら」と自分の子供が駅伝を勧められると何の疑いもなく駅伝をやらせてしまうというわけである。(しかし、最近私が直接県教育委員会に問い合わせたところでは、クラブ活動以外の駅伝に関しては、高校受験になんら有利になるということはなく、その駅伝への参加は各中学校におまかせしている任意事項に過ぎないということである。まあ、要するに、受験生やその親の心理状態に付け込んで、うまいこと自分が牛耳る駅伝に勧誘しているということである。)
ところが、野球やバスケットなど他のスポーツならいざ知らず、サッカーの場合は非常に大きな問題が生じることになる。というのは、サッカーと駅伝(マラソン)はまったく相容れないスポーツだからである。
何の”壊し屋”かと言えば、「生徒の身体を壊す」のである。要するに、生徒に年齢に見合った練習量以上の練習量を科してその生徒をスポーツ選手として”おしゃか”にしてしまうというようなタイプの教師がいるということである。
例えばサッカーの場合、一般に12歳から15歳までは、スペインの超一流のプロチームのFCバルセロナやアスレチコマドリッドなどでもだいたい1日置きに週3回2時間程度の練習と週末の練習試合程度とクラブのルールによって決まっているようである。だから、それ以上の練習はこの年齢では禁止されている。さらには、朝食は何カロリー、昼食は何カロリー、夕食は何カロリー、そして試合前2時間には何を食べろなどと細かく規定されている。こうして身長の伸びも止まり、無事成長期を終えた頃に入ってから本格的なフィジカルトレーニングを開始するというわけである。
これは、もちろん、ジダンやアンリを生んだあのフランスのサッカー学校でも基本的にはまったく同じである。日本のJリーグのクラブユースでもスペインのプロほどではないが、この年齢では技術主導であまり過酷な体力練習は行わず、せいぜい週3、4回程度の練習に押さえている。それでも中学校チーム以上にうまくなる。
ところが、日本の公立の中学校のアマチュアスポーツの先生たちの場合、こういう世界的な潮流や最近のスポーツ医学やスポーツ科学の進歩から取り残されて、自分が何十年か前に自分の先生から指導を受けたことをそのまま継承しているために、未だに時代錯誤な練習法を行っているわけである。
これが非常に悪い結果を生むというわけである。
例えば、この辺の中学校には、クラブ活動以外に執拗に「駅伝」にこだわる教師のグループがいる。だから、サッカー部所属、野球部所属などの選手で授業中に1500m走などをやらせて比較的好タイムの選手を「君、駅伝をやらないかね」、「駅伝をやって良い記録を作ると高校受験にも良い影響が出るよ」などと言って勧誘するのである。それゆえ、高校受験を考えるその親たちは、「子供の受験に少しでも有利となるなら」と自分の子供が駅伝を勧められると何の疑いもなく駅伝をやらせてしまうというわけである。(しかし、最近私が直接県教育委員会に問い合わせたところでは、クラブ活動以外の駅伝に関しては、高校受験になんら有利になるということはなく、その駅伝への参加は各中学校におまかせしている任意事項に過ぎないということである。まあ、要するに、受験生やその親の心理状態に付け込んで、うまいこと自分が牛耳る駅伝に勧誘しているということである。)
ところが、野球やバスケットなど他のスポーツならいざ知らず、サッカーの場合は非常に大きな問題が生じることになる。というのは、サッカーと駅伝(マラソン)はまったく相容れないスポーツだからである。
今回は、これをここで紹介させてもらおう。
サッカーと駅伝(マラソン)は、一見ともに走るスポーツだからほとんどいっしょだと思うだろう。きっと両方とも親戚のようなものと思うに違いない。しかしこれは全くの誤解である。私は30年以上サッカー選手を見て来ているが、駅伝やマラソンの強いサッカー選手でサッカーのうまかった選手は一度も見たことがない。サッカーとマラソン(駅伝)は「似て非なる」スポーツだからである。
例えば、サッカーの走りは「ダッシュとストップのくり返し」であるが、マラソンは「ずっとコンスタントに一様のスピードで走る」。言い換えれば、マラソンは「エアロビクス(有酸素運動)」であり、サッカーは「アネロビクス運動(無酸素運動)」(と「エアロビクス(有酸素運動)」のミックスのようなもの)である。だから、使う筋肉も違えば、鍛えられる筋肉も違うし回復の仕方も異なる。
サッカーで必要な筋肉は「白身の筋肉」であり、マラソンで必要な筋肉は「赤身の筋肉」である。一般にこのバランスは生まれつきに決まっているといわれ、それによってマラソン向きか短距離向きかが決まると考えられている。
「白身の筋肉」は、素早く動くための筋肉であり、「赤身の筋肉」は長時間コンスタントに動くための筋肉である。それゆえ、素早く俊敏に動かなくてはならないサッカー選手は「白身の筋肉」が必要であり、あまり「赤身の筋肉」は役に立たない。
そんなわけで、マラソンの強いサッカー選手は、四六時中ボールを追い掛け回すがそのボールのスピードに追いつけずボールの処理ができないというふがいないサッカー選手になるわけである。これが30年間私が見て来た「マラソンは速いがサッカーは下手糞な」選手たちなのである。こうしたサッカー選手はむしろマラソンへ転向した方が良いだろう。これが、意外にサッカーの上手な選手がマラソンのタイムがそれほど良くないという理由なのである。
また、マラソンとサッカーでは走りの方法も異なる。
サッカーでは、比較的「つま先走り」をする。それは、すぐにドリブル突破できるようにするためである。決してかかとから落ちる「かかと走り」はしない。一方、マラソンでは何千歩も走るためにむしろかかとから着地して足への衝撃を吸収するような走りを求められる。(最近では、1万m世界記録保持者のゲブラセラシエが日本の選手にもっと速く走るためにはつま先で走れと提案していたから面白い。)
さらには、マラソンでは、腰を高く一定に保ち、前に押し出すような走り、俗に言う「陸上走り」をする。一方、サッカーでは、いつでもぐっと大きくステップして相手をダッシュでかわせるように、いつも腰を落としてひざを曲げて余裕のある走りをする。この走り方の違いがサッカー選手がマラソンや駅伝の走りをするとすぐに腰痛になる理由である。
こんなわけで、サッカー選手が陸上の駅伝やマラソンをしてもそれはサッカー選手生命を縮めることはあっても良いことは何もない。むしろ、普通のジョギングの方がはるかに役立つ。
どうもこういうことが日本の中学校の先生たちには理解されていないようである。それゆえ、サッカー選手を”壊してしまう”というわけである。以上をまとめるとこんな感じだろう。
種目ーーーーサッカーーーーーーマラソン
一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一
筋肉ーーーー白身の筋肉ーーーー赤身の筋肉
運動ーーーー無酸素運動ーーーー有酸素運動
走りーーーーつま先走りーーーーかかと走り
質ーーーーーダッシューーーーー一定スピード
ーーーーーー&ストップ
腰位置ーーー低くするーーーーー高くする
ひざーーーー曲げるーーーーーー伸ばす
さらに、付け加えれば、どうして中学校の陸上部の先生たちが他のクラブの子供たちまで駅伝に誘うかというと、どうやらそこには摩訶不思議なインサイダーな関係があるようである。
例えば、昔学校で先輩後輩の関係にあったものどうしで、後輩が中学校の陸上部の顧問や監督になる。一方の先輩が近くで接骨医やマッサージ師や整形外科医を営んでいるとする。この治療院の先輩はお客が欲しい。そこで、後輩の陸上部の先生にそれとなく先輩のよしみで疲労で怪我した選手を自分の方に回してくれるように頼む。そして、たくさん選手を回してくれれば、適当に御褒美をやる。そうやって「持ちつ持たれつの関係」を作る。
そうすると、ある先生はクラブに入っている選手を駅伝(陸上部ではない)に勧誘し、駅伝指導は別の先生が本格的な過酷でかなりむちゃくちゃな練習を行う。すると、部活と駅伝で疲労困ぱいとなった選手はマッサージや針や骨の矯正などでその治療院のお客となる。とまあ、「魔の三角関係」ができているというわけである。
勧誘の先生 → 陸上部の先生
ーー↑ーーーーー/
治療院のマッサージ師
こんなふうに実際の中学校には「モンスター・ティーチャー」の巣窟となっているというわけである。もちろん、地方ほどその傾向が強い。なぜなら今だ40年前の世界がそこにあるからである。優秀なスポーツ選手に内申書や成績に響くからと「駅伝」に勧誘し、部活と駅伝の2重の過酷な練習で選手を疲労骨折や腰痛にし、治療のためといって知人の治療院を親にないしょで勧め、選手は足げ句それに通う。知らぬは親ばかりなり、というわけだ。
いやはや、まったくもって困ったものである。
サッカーと駅伝(マラソン)は、一見ともに走るスポーツだからほとんどいっしょだと思うだろう。きっと両方とも親戚のようなものと思うに違いない。しかしこれは全くの誤解である。私は30年以上サッカー選手を見て来ているが、駅伝やマラソンの強いサッカー選手でサッカーのうまかった選手は一度も見たことがない。サッカーとマラソン(駅伝)は「似て非なる」スポーツだからである。
例えば、サッカーの走りは「ダッシュとストップのくり返し」であるが、マラソンは「ずっとコンスタントに一様のスピードで走る」。言い換えれば、マラソンは「エアロビクス(有酸素運動)」であり、サッカーは「アネロビクス運動(無酸素運動)」(と「エアロビクス(有酸素運動)」のミックスのようなもの)である。だから、使う筋肉も違えば、鍛えられる筋肉も違うし回復の仕方も異なる。
サッカーで必要な筋肉は「白身の筋肉」であり、マラソンで必要な筋肉は「赤身の筋肉」である。一般にこのバランスは生まれつきに決まっているといわれ、それによってマラソン向きか短距離向きかが決まると考えられている。
「白身の筋肉」は、素早く動くための筋肉であり、「赤身の筋肉」は長時間コンスタントに動くための筋肉である。それゆえ、素早く俊敏に動かなくてはならないサッカー選手は「白身の筋肉」が必要であり、あまり「赤身の筋肉」は役に立たない。
そんなわけで、マラソンの強いサッカー選手は、四六時中ボールを追い掛け回すがそのボールのスピードに追いつけずボールの処理ができないというふがいないサッカー選手になるわけである。これが30年間私が見て来た「マラソンは速いがサッカーは下手糞な」選手たちなのである。こうしたサッカー選手はむしろマラソンへ転向した方が良いだろう。これが、意外にサッカーの上手な選手がマラソンのタイムがそれほど良くないという理由なのである。
また、マラソンとサッカーでは走りの方法も異なる。
サッカーでは、比較的「つま先走り」をする。それは、すぐにドリブル突破できるようにするためである。決してかかとから落ちる「かかと走り」はしない。一方、マラソンでは何千歩も走るためにむしろかかとから着地して足への衝撃を吸収するような走りを求められる。(最近では、1万m世界記録保持者のゲブラセラシエが日本の選手にもっと速く走るためにはつま先で走れと提案していたから面白い。)
さらには、マラソンでは、腰を高く一定に保ち、前に押し出すような走り、俗に言う「陸上走り」をする。一方、サッカーでは、いつでもぐっと大きくステップして相手をダッシュでかわせるように、いつも腰を落としてひざを曲げて余裕のある走りをする。この走り方の違いがサッカー選手がマラソンや駅伝の走りをするとすぐに腰痛になる理由である。
こんなわけで、サッカー選手が陸上の駅伝やマラソンをしてもそれはサッカー選手生命を縮めることはあっても良いことは何もない。むしろ、普通のジョギングの方がはるかに役立つ。
どうもこういうことが日本の中学校の先生たちには理解されていないようである。それゆえ、サッカー選手を”壊してしまう”というわけである。以上をまとめるとこんな感じだろう。
種目ーーーーサッカーーーーーーマラソン
一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一
筋肉ーーーー白身の筋肉ーーーー赤身の筋肉
運動ーーーー無酸素運動ーーーー有酸素運動
走りーーーーつま先走りーーーーかかと走り
質ーーーーーダッシューーーーー一定スピード
ーーーーーー&ストップ
腰位置ーーー低くするーーーーー高くする
ひざーーーー曲げるーーーーーー伸ばす
さらに、付け加えれば、どうして中学校の陸上部の先生たちが他のクラブの子供たちまで駅伝に誘うかというと、どうやらそこには摩訶不思議なインサイダーな関係があるようである。
例えば、昔学校で先輩後輩の関係にあったものどうしで、後輩が中学校の陸上部の顧問や監督になる。一方の先輩が近くで接骨医やマッサージ師や整形外科医を営んでいるとする。この治療院の先輩はお客が欲しい。そこで、後輩の陸上部の先生にそれとなく先輩のよしみで疲労で怪我した選手を自分の方に回してくれるように頼む。そして、たくさん選手を回してくれれば、適当に御褒美をやる。そうやって「持ちつ持たれつの関係」を作る。
そうすると、ある先生はクラブに入っている選手を駅伝(陸上部ではない)に勧誘し、駅伝指導は別の先生が本格的な過酷でかなりむちゃくちゃな練習を行う。すると、部活と駅伝で疲労困ぱいとなった選手はマッサージや針や骨の矯正などでその治療院のお客となる。とまあ、「魔の三角関係」ができているというわけである。
勧誘の先生 → 陸上部の先生
ーー↑ーーーーー/
治療院のマッサージ師
こんなふうに実際の中学校には「モンスター・ティーチャー」の巣窟となっているというわけである。もちろん、地方ほどその傾向が強い。なぜなら今だ40年前の世界がそこにあるからである。優秀なスポーツ選手に内申書や成績に響くからと「駅伝」に勧誘し、部活と駅伝の2重の過酷な練習で選手を疲労骨折や腰痛にし、治療のためといって知人の治療院を親にないしょで勧め、選手は足げ句それに通う。知らぬは親ばかりなり、というわけだ。
いやはや、まったくもって困ったものである。
2008/07/23のBlog
[ 18:56 ]
[ 徳島サッカー ]
2008年度県中学総体サッカー準決勝が、23日(徳島市球技場)で行われた。
結果は以下の通り。
【徳島市球技場23日】
井川3一1(1一0、0一1;延長0一0、2一0)徳島
北島2一1(0一0、2一1)鳴門ニ
井川(三好市1位)━━┓ーーーーーーーーーーーーーー┏━━山川(吉野川1位)
ーーーーーーーーーーー┃5ーーーーーーーーーーーー2┃
吉野(阿波1位)─1┐┗━━┓ーーーーーーーー┌━━┛┌0富田(徳島4位)
ーーーーーーーーーー┏┘0ー┃ーーーーーーーー│ー0└┓
城東(徳島2位)━5┛ーーー┃4ー3ーー1ー1│ーーー┗2美馬(美馬1位)
ーーーーーーーーーーーーーー┗━━┓ーー┌━━┓
石井(石井1位)─3┐ーーー│1ー┃ーー│ー2┃ーーー┌1海南(海部郡1位)
ーーーーーーーーーー┏┓11│ーー┃ーー│ーー┃ー0┌┓
藍住(板野2位)━6┛┗━━┘ーー┃ーー│ーー┗━━┓┗6貞光・半田
ーーーーーーーーーーー│0ーーーー┃ーー│ーーーー4┃
勝浦(勝浦1位)───┘ーーーーー┃ーー│ーーーーー┗━━鳴門ニ(鳴門1位)
ーーーーーーーーーーーーーーーーー┗──┓
三野(三好市3位)━━┓ーーーーー│ーー┃ーーーーー┏━━城西(徳島3位)
ーーーーーーーーーーー┃2ーーーー│ーー┃ーーー15┃
三好(三好郡1位)0┐┗━━┐ーー│ーー┃ーー┌━━┛┌1土成(阿波2位)
ーーーーーーーーーー┏┘1ー│ーー│ーー┃ーー│ー1└┓
羽ノ浦(阿南1位)5┛ーーー│1ー│ーー┃ー1│ーーー┗5坂野(小松島1位)
ーーーーーーーーーーーーーー┏━━┘ーー┗━━┓
川内(徳島5位)─2┐ーーー┃5ー1ーー2ー2┃ーーー┏5北島(板野1位)
ーーーーーーーーーー┏┐1ー┃ーーーーーーーー┃ー6┏┛
鴨島一(吉野川2位)┛┏━━┛ーーーーーーーー┗━━┛└0阿南(阿南2位)
ーーーーーーーーー3ー┃2ーーーーーーーーーーーー3│
徳島(徳島1位)━━━┛ーーーーーーーーーーーーーー└──池田(三好市2位)
この2試合は観戦したので、見た印象をまとめておこう。
結果は以下の通り。
【徳島市球技場23日】
井川3一1(1一0、0一1;延長0一0、2一0)徳島
北島2一1(0一0、2一1)鳴門ニ
井川(三好市1位)━━┓ーーーーーーーーーーーーーー┏━━山川(吉野川1位)
ーーーーーーーーーーー┃5ーーーーーーーーーーーー2┃
吉野(阿波1位)─1┐┗━━┓ーーーーーーーー┌━━┛┌0富田(徳島4位)
ーーーーーーーーーー┏┘0ー┃ーーーーーーーー│ー0└┓
城東(徳島2位)━5┛ーーー┃4ー3ーー1ー1│ーーー┗2美馬(美馬1位)
ーーーーーーーーーーーーーー┗━━┓ーー┌━━┓
石井(石井1位)─3┐ーーー│1ー┃ーー│ー2┃ーーー┌1海南(海部郡1位)
ーーーーーーーーーー┏┓11│ーー┃ーー│ーー┃ー0┌┓
藍住(板野2位)━6┛┗━━┘ーー┃ーー│ーー┗━━┓┗6貞光・半田
ーーーーーーーーーーー│0ーーーー┃ーー│ーーーー4┃
勝浦(勝浦1位)───┘ーーーーー┃ーー│ーーーーー┗━━鳴門ニ(鳴門1位)
ーーーーーーーーーーーーーーーーー┗──┓
三野(三好市3位)━━┓ーーーーー│ーー┃ーーーーー┏━━城西(徳島3位)
ーーーーーーーーーーー┃2ーーーー│ーー┃ーーー15┃
三好(三好郡1位)0┐┗━━┐ーー│ーー┃ーー┌━━┛┌1土成(阿波2位)
ーーーーーーーーーー┏┘1ー│ーー│ーー┃ーー│ー1└┓
羽ノ浦(阿南1位)5┛ーーー│1ー│ーー┃ー1│ーーー┗5坂野(小松島1位)
ーーーーーーーーーーーーーー┏━━┘ーー┗━━┓
川内(徳島5位)─2┐ーーー┃5ー1ーー2ー2┃ーーー┏5北島(板野1位)
ーーーーーーーーーー┏┐1ー┃ーーーーーーーー┃ー6┏┛
鴨島一(吉野川2位)┛┏━━┛ーーーーーーーー┗━━┛└0阿南(阿南2位)
ーーーーーーーーー3ー┃2ーーーーーーーーーーーー3│
徳島(徳島1位)━━━┛ーーーーーーーーーーーーーー└──池田(三好市2位)
この2試合は観戦したので、見た印象をまとめておこう。
【第1試合 井川中vs徳島中】
10時キックオフ。上中下がすべてエンジの井川と、上中下がすべて白で青のナンバーと縁どりの徳島の戦い。両サイドの突破が決めての徳島に対して、俊足の2トップの動きが鍵の井川。共に優勝候補の対戦で準決勝で当たるのは実に惜しいカード。私が到着した前半15分過ぎにはすでに井川が1点リード。15分の給水タイムに入っていた。井川は、素早いミドルパスのパスワークが実にスピーディーで、トップの10番、11番にフリーでボールを渡せる技量が際立っていた。インサイドキックで強いパスを蹴ることができるのが一番の強み。井川は終始ゲームを支配し再三再四のチャンスがあったが、徳島のセンターバック9番を中心に守り抜き、カウンター攻撃で反撃するが、惜しいシュートがバーに当たり無得点。なんとか1点差で前半終了。後半は、井川の足が止まった時に徳島が反撃、左サイドにいた11番にロングボールが渡りそこからドリブル突破、そしてセンタリングが中央のトップにぴったり合いヘッドで1点奪う。後半の後半に井川がパワープレーに出て怒濤の攻めに入り、2本の決定的シュートがあったが、両方バーに嫌われた。そして、延長戦。延長前半は左サイドから何度も決定的チャンスを作った徳島のペース。井川ディフェンダーがそれを必死でクリア。ほぼ互角で終了。延長後半は、少し足に来た徳島のキーパーとディフェンダーの間にロングパスが入り、それに反応した井川11番がヘッドでゴールへ流し込む。その直後に今度は左サイドに開いた10番へロングボールのパワープレーで左サイドからシュートして3点目が入り、試合を決めた。惜しむらくは徳島のエースのトップ4番が怪我で完全ではなかったこと。後半途中出場したが、すぐに交代で、いつもの徳島のサイド攻撃がなりを潜めてしまったことだろう。それにしても、このレベルになると、中学生サッカーと言っても非常に緊迫した良い試合になる。今年春の川端杯決勝戦の井川vs阿南FC戦に匹敵する好ゲームだった(川端杯、第11回徳島県U一14サッカー大会閉幕)。試合終了と同時に涙を流す徳島の選手たちは甲子園の高校級児たちと全く同じである。
10時キックオフ。上中下がすべてエンジの井川と、上中下がすべて白で青のナンバーと縁どりの徳島の戦い。両サイドの突破が決めての徳島に対して、俊足の2トップの動きが鍵の井川。共に優勝候補の対戦で準決勝で当たるのは実に惜しいカード。私が到着した前半15分過ぎにはすでに井川が1点リード。15分の給水タイムに入っていた。井川は、素早いミドルパスのパスワークが実にスピーディーで、トップの10番、11番にフリーでボールを渡せる技量が際立っていた。インサイドキックで強いパスを蹴ることができるのが一番の強み。井川は終始ゲームを支配し再三再四のチャンスがあったが、徳島のセンターバック9番を中心に守り抜き、カウンター攻撃で反撃するが、惜しいシュートがバーに当たり無得点。なんとか1点差で前半終了。後半は、井川の足が止まった時に徳島が反撃、左サイドにいた11番にロングボールが渡りそこからドリブル突破、そしてセンタリングが中央のトップにぴったり合いヘッドで1点奪う。後半の後半に井川がパワープレーに出て怒濤の攻めに入り、2本の決定的シュートがあったが、両方バーに嫌われた。そして、延長戦。延長前半は左サイドから何度も決定的チャンスを作った徳島のペース。井川ディフェンダーがそれを必死でクリア。ほぼ互角で終了。延長後半は、少し足に来た徳島のキーパーとディフェンダーの間にロングパスが入り、それに反応した井川11番がヘッドでゴールへ流し込む。その直後に今度は左サイドに開いた10番へロングボールのパワープレーで左サイドからシュートして3点目が入り、試合を決めた。惜しむらくは徳島のエースのトップ4番が怪我で完全ではなかったこと。後半途中出場したが、すぐに交代で、いつもの徳島のサイド攻撃がなりを潜めてしまったことだろう。それにしても、このレベルになると、中学生サッカーと言っても非常に緊迫した良い試合になる。今年春の川端杯決勝戦の井川vs阿南FC戦に匹敵する好ゲームだった(川端杯、第11回徳島県U一14サッカー大会閉幕)。試合終了と同時に涙を流す徳島の選手たちは甲子園の高校級児たちと全く同じである。
【第2試合 北島中vs鳴門ニ中】
前試合の延長戦で12時キックオフ。上中下が白赤赤の北島、上中下が水色紺紺の鳴門ニ中の戦い。北島はエースの15番と右の4番を中心に攻撃するチーム。すべては15番の出来にかかっている。一方、鳴門ニ中は今回はじめて見たが、ボランチの17番と右サイドバックが鳴門ポラリス所属の女の子。阿南の那賀川中と同じようにチームを引っ張るのが女の子というチーム。試合開始は北島のキックオフで始まったが、小柄ながらキック力のある15番がいきなりゴールを狙う。しかし女性主審がやり直しを命じ、もう一度ゴールを狙ったが左にはずれる。鳴門ニは非常に好チームで17番の女の子を中心に中盤を支配。徐々に鳴門ニ中のペースになったが、北島も15番、右サイドの4番のドリブルを中心にサイド攻撃を計る。一進一退で前半終了。後半もゲームの支配率は鳴門ニ中が圧倒的だったが、左サイドの小柄な女の子の側から徹底的に攻撃をしかけ、中ごろに右からのクロスを15番がヘッドで決め、1一0となる。しかし、鳴門ニはその直後のキックオフからドイツサッカーのような奥行きの深い全員攻撃に出て、左サイドからきれいにセンタリングし中央からプッシュして1一1。その後も一進一退が続いたが、ゲーム支配していたのは鳴門ニ中の方だった。後半も終了まじかになって、北島が最後のチャンスを作るかと見えた時に15番が50mの超ロングシュートを狙う。これが前に出ていたキーパーの頭上を超えてワンバウンドでゴールに吸い込まれた。この後うまく時間を使って北島が勝利した。惜しむらくは、鳴門ニのセンターバックの12番を中心にほとんどチャンスを作らせないで終始ゲームを支配していたにもかかわらず、1点を取った時のような厚みのあるパスワークによる展開サッカーをしなかったことである。それが敗因と言えるだろう。最後のところで短調な攻撃とミドルシュートに頼ってしまった。ラッキーゴール1発に沈んでしまったのは非常に残念と言える。試合終了のホイッスルと共にグランドに伏せて泣く鳴門ニの選手たちがその口惜しさを物語っていた。薄氷の勝利という試合であった。鳴門ニは十分に決勝に出られる力を持った好チームであった。来年を期待したい。
前試合の延長戦で12時キックオフ。上中下が白赤赤の北島、上中下が水色紺紺の鳴門ニ中の戦い。北島はエースの15番と右の4番を中心に攻撃するチーム。すべては15番の出来にかかっている。一方、鳴門ニ中は今回はじめて見たが、ボランチの17番と右サイドバックが鳴門ポラリス所属の女の子。阿南の那賀川中と同じようにチームを引っ張るのが女の子というチーム。試合開始は北島のキックオフで始まったが、小柄ながらキック力のある15番がいきなりゴールを狙う。しかし女性主審がやり直しを命じ、もう一度ゴールを狙ったが左にはずれる。鳴門ニは非常に好チームで17番の女の子を中心に中盤を支配。徐々に鳴門ニ中のペースになったが、北島も15番、右サイドの4番のドリブルを中心にサイド攻撃を計る。一進一退で前半終了。後半もゲームの支配率は鳴門ニ中が圧倒的だったが、左サイドの小柄な女の子の側から徹底的に攻撃をしかけ、中ごろに右からのクロスを15番がヘッドで決め、1一0となる。しかし、鳴門ニはその直後のキックオフからドイツサッカーのような奥行きの深い全員攻撃に出て、左サイドからきれいにセンタリングし中央からプッシュして1一1。その後も一進一退が続いたが、ゲーム支配していたのは鳴門ニ中の方だった。後半も終了まじかになって、北島が最後のチャンスを作るかと見えた時に15番が50mの超ロングシュートを狙う。これが前に出ていたキーパーの頭上を超えてワンバウンドでゴールに吸い込まれた。この後うまく時間を使って北島が勝利した。惜しむらくは、鳴門ニのセンターバックの12番を中心にほとんどチャンスを作らせないで終始ゲームを支配していたにもかかわらず、1点を取った時のような厚みのあるパスワークによる展開サッカーをしなかったことである。それが敗因と言えるだろう。最後のところで短調な攻撃とミドルシュートに頼ってしまった。ラッキーゴール1発に沈んでしまったのは非常に残念と言える。試合終了のホイッスルと共にグランドに伏せて泣く鳴門ニの選手たちがその口惜しさを物語っていた。薄氷の勝利という試合であった。鳴門ニは十分に決勝に出られる力を持った好チームであった。来年を期待したい。
いずれにせよ、このクラス、このレベルのサッカーチームを作ることは、指導者の夢だろう。まだこのレベルに達していない指導者たちはこうしたチームの監督に”弟子入り”して指導してもらうのが近道である。どんどん交流して切磋琢磨し、徳島県のサッカーのレベルを底上げして行くべきである。さもなくば、全国大会に出ても初戦敗退という状況を突破するのは難しい。頑張ってもらいたいものである。
2008/07/22のBlog
[ 16:30 ]
[ 徳島サッカー ]
2008年度県中学総体サッカー準々決勝が、21日(鳴門球技場)で行われ、ベスト4が決まった。
結果は以下の通り。
【鳴門球技場21日】
井川4一1(3一0、1一1)藍住
北島2一1(0一0、2一1)城西
鳴門ニ2一1(1一0、0一1;1一0、0一0)山川
徳島5一1(3一0、2一1)三野
井川(三好市1位)━━┓ーーーーーーーーーーーーーー┏━━山川(吉野川1位)
ーーーーーーーーーーー┃5ーーーーーーーーーーーー2┃
吉野(阿波1位)─1┐┗━━┓ーーーーーーーー┌━━┛┌0富田(徳島4位)
ーーーーーーーーーー┏┘0ー┃ーーーーーーーー│ー0└┓
城東(徳島2位)━5┛ーーー┃4ーーーーーー1│ーーー┗2美馬(美馬1位)
ーーーーーーーーーーーーーー┗━━┐ーー┌━━┓
石井(石井1位)─3┐ーーー│1ー│ーー│ー2┃ーーー┌1海南(海部郡1位)
ーーーーーーーーーー┏┓11│ーー│ーー│ーー┃ー0┌┓
藍住(板野2位)━6┛┗━━┘ーー│ーー│ーー┗━━┓┗6貞光・半田
ーーーーーーーーーーー│0ーーーー│ーー│ーーーー4┃
勝浦(勝浦1位)───┘ーーーーー│ーー│ーーーーー┗━━鳴門ニ(鳴門1位)
ーーーーーーーーーーーーーーーーー├──┤
三野(三好市3位)━━┓ーーーーー│ーー│ーーーーー┏━━城西(徳島3位)
ーーーーーーーーーーー┃2ーーーー│ーー│ーーー15┃
三好(三好郡1位)0┐┗━━┐ーー│ーー│ーー┌━━┛┌1土成(阿波2位)
ーーーーーーーーーー┏┘1ー│ーー│ーー│ーー│ー1└┓
羽ノ浦(阿南1位)5┛ーーー│1ー│ーー│ー1│ーーー┗5坂野(小松島1位)
ーーーーーーーーーーーーーー┏━━┘ーー└━━┓
川内(徳島5位)─2┐ーーー┃5ーーーーーー2┃ーーー┏5北島(板野1位)
ーーーーーーーーーー┏┐1ー┃ーーーーーーーー┃ー6┏┛
鴨島一(吉野川2位)┛┏━━┛ーーーーーーーー┗━━┛└0阿南(阿南2位)
ーーーーーーーーー3ー┃2ーーーーーーーーーーーー3│
徳島(徳島1位)━━━┛ーーーーーーーーーーーーーー└──池田(三好市2位)
ベスト4を見ると、井川(三好市1位)、徳島(徳島市1位)、鳴門ニ(鳴門市1位)、北島(板野郡1位)と結局各地域の1位だけが残ったことが分かる。
坂野(小松島市1位)、羽ノ浦(阿南市1位)は2回戦ボーイ、阿南(阿南市2位)、海南(海部郡1位)は1回戦ボーイ。これからも「小松島以南はサッカー不毛の地」神話健在である。
県で2位の人口を持つ阿南市がこれではいただけない。市サッカー協会と市長の責任は非常に重い。もっとも阿南市には芝生のサッカー場もなく、阿南市民は今だ「芝と芝草の区別もつかない」という体たらくだからいたしかたないというところだろう。
一説では、2、3年後を目処に芝生のサッカー場を作る計画というが、それも阿南市の中心部ではなく、市の遥か郊外という有り様。車で通わなくてはならないところへサッカー場を作ってみてもそれでは地球温暖化に寄与するだけのこと。ガソリン高騰時代には全く時代錯誤に等しい。やはり市内のかなり中心部に近いところ、歩いていけるところにサッカー場は存在すべきであろう。
阿南市の奮起を期待したい。
結果は以下の通り。
【鳴門球技場21日】
井川4一1(3一0、1一1)藍住
北島2一1(0一0、2一1)城西
鳴門ニ2一1(1一0、0一1;1一0、0一0)山川
徳島5一1(3一0、2一1)三野
井川(三好市1位)━━┓ーーーーーーーーーーーーーー┏━━山川(吉野川1位)
ーーーーーーーーーーー┃5ーーーーーーーーーーーー2┃
吉野(阿波1位)─1┐┗━━┓ーーーーーーーー┌━━┛┌0富田(徳島4位)
ーーーーーーーーーー┏┘0ー┃ーーーーーーーー│ー0└┓
城東(徳島2位)━5┛ーーー┃4ーーーーーー1│ーーー┗2美馬(美馬1位)
ーーーーーーーーーーーーーー┗━━┐ーー┌━━┓
石井(石井1位)─3┐ーーー│1ー│ーー│ー2┃ーーー┌1海南(海部郡1位)
ーーーーーーーーーー┏┓11│ーー│ーー│ーー┃ー0┌┓
藍住(板野2位)━6┛┗━━┘ーー│ーー│ーー┗━━┓┗6貞光・半田
ーーーーーーーーーーー│0ーーーー│ーー│ーーーー4┃
勝浦(勝浦1位)───┘ーーーーー│ーー│ーーーーー┗━━鳴門ニ(鳴門1位)
ーーーーーーーーーーーーーーーーー├──┤
三野(三好市3位)━━┓ーーーーー│ーー│ーーーーー┏━━城西(徳島3位)
ーーーーーーーーーーー┃2ーーーー│ーー│ーーー15┃
三好(三好郡1位)0┐┗━━┐ーー│ーー│ーー┌━━┛┌1土成(阿波2位)
ーーーーーーーーーー┏┘1ー│ーー│ーー│ーー│ー1└┓
羽ノ浦(阿南1位)5┛ーーー│1ー│ーー│ー1│ーーー┗5坂野(小松島1位)
ーーーーーーーーーーーーーー┏━━┘ーー└━━┓
川内(徳島5位)─2┐ーーー┃5ーーーーーー2┃ーーー┏5北島(板野1位)
ーーーーーーーーーー┏┐1ー┃ーーーーーーーー┃ー6┏┛
鴨島一(吉野川2位)┛┏━━┛ーーーーーーーー┗━━┛└0阿南(阿南2位)
ーーーーーーーーー3ー┃2ーーーーーーーーーーーー3│
徳島(徳島1位)━━━┛ーーーーーーーーーーーーーー└──池田(三好市2位)
ベスト4を見ると、井川(三好市1位)、徳島(徳島市1位)、鳴門ニ(鳴門市1位)、北島(板野郡1位)と結局各地域の1位だけが残ったことが分かる。
坂野(小松島市1位)、羽ノ浦(阿南市1位)は2回戦ボーイ、阿南(阿南市2位)、海南(海部郡1位)は1回戦ボーイ。これからも「小松島以南はサッカー不毛の地」神話健在である。
県で2位の人口を持つ阿南市がこれではいただけない。市サッカー協会と市長の責任は非常に重い。もっとも阿南市には芝生のサッカー場もなく、阿南市民は今だ「芝と芝草の区別もつかない」という体たらくだからいたしかたないというところだろう。
一説では、2、3年後を目処に芝生のサッカー場を作る計画というが、それも阿南市の中心部ではなく、市の遥か郊外という有り様。車で通わなくてはならないところへサッカー場を作ってみてもそれでは地球温暖化に寄与するだけのこと。ガソリン高騰時代には全く時代錯誤に等しい。やはり市内のかなり中心部に近いところ、歩いていけるところにサッカー場は存在すべきであろう。
阿南市の奮起を期待したい。
2008/07/21のBlog
[ 11:06 ]
[ 徳島サッカー ]
2008年度県中学総体サッカー2回戦が、19日(徳島市球技場)、20日(鳴門球技場)でそれぞれ行われ、ベスト8が決まった。
結果は以下の通り。
【徳島市球技場19日】
井川5一0(3一0、2一0)城東
北島6一3(4一2、2一1)池田
山川2一0(2一0、0一0)美馬
徳島2一1(1一1、1一0)鴨島一
【鳴門球技場20日】
三野2一1(1一0、0一1;0一0、1一0)羽ノ浦
鳴門ニ4一0(1一0、3一0)貞光・半田
城西15一1(9一0、6一1)坂野
藍住11一0(6一0、5一0)勝浦
井川(三好市1位)━━┓ーーーーーーーーーーーーーー┏━━山川(吉野川1位)
ーーーーーーーーーーー┃5ーーーーーーーーーーーー2┃
吉野(阿波1位)─1┐┗━━┐ーーーーーーーー┌━━┛┌0富田(徳島4位)
ーーーーーーーーーー┏┘0ー│ーーーーーーーー│ー0└┓
城東(徳島2位)━5┛ーーー│ーーーーーーーー│ーーー┗2美馬(美馬1位)
ーーーーーーーーーーーーーー├──┐ーー┌──┤
石井(石井1位)─3┐ーーー│ーー│ーー│ーー│ーーー┌1海南(海南1位)
ーーーーーーーーーー┏┓11│ーー│ーー│ーー│ー0┌┓
藍住(板野2位)━6┛┗━━┘ーー│ーー│ーー└━━┓┗6貞光・半田
ーーーーーーーーーーー│0ーーーー│ーー│ーーーー4┃
勝浦(勝浦1位)───┘ーーーーー│ーー│ーーーーー┗━━鳴門ニ(鳴門1位)
ーーーーーーーーーーーーーーーーー├──┤
三野(三好市3位)━━┓ーーーーー│ーー│ーーーーー┏━━城西(徳島3位)
ーーーーーーーーーーー┃2ーーーー│ーー│ーーー15┃
三好(三好郡1位)0┐┗━━┐ーー│ーー│ーー┌━━┛┌1土成(阿波2位)
ーーーーーーーーーー┏┘1ー│ーー│ーー│ーー│ー1└┓
羽ノ浦(阿南1位)5┛ーーー│ーー│ーー│ーー│ーーー┗5坂野(小松島1位)
ーーーーーーーーーーーーーー├──┘ーー└──┤
川内(徳島5位)─2┐ーーー│ーーーーーーーー│ーーー┏5北島(板野1位)
ーーーーーーーーーー┏┐1ー│ーーーーーーーー│ー6┏┛
鴨島一(吉野川2位)┛┏━━┘ーーーーーーーー└━━┛└0阿南(阿南2位)
ーーーーーーーーー3ー┃2ーーーーーーーーーーーー3│
徳島(徳島1位)━━━┛ーーーーーーーーーーーーーー└──池田(三好市2位)
これでベスト8が決まった。三好市が3、徳島市が2、鳴門市が1、吉野川市が1、板野郡が1。これをみると、三好市のレベルの高さが突出している。市内に3チームしかないのに、それら3チームすべてがベスト8進出したからである。一方、小松島以南はゼロ。これが「県南はサッカー不毛の地」と言われるゆえんである。
この理由は、指導者の”偏り”である。これは、徳島県のサッカー協会、県教育委員会のお偉方の”政治的工作”あるいは”無策”の結果であろう。早急に指導者体制を抜本的に立て直す時期に来ていることは確かだろう。
県南の選手は決して体格的に見劣りするわけではない。むしろ、体格的に恵まれている場合も多い。それにもかかわらず、上位進出できないというのは、”時代錯誤的”なサッカー理論、サッカー観、サッカー指導法、サッカー練習を行って来ている指導者の側にある。こういう人々には中学サッカー部指導者から即座に退場してもらい、若くてやる気があるサッカー指導者を正規の職員として採用すべきだろう。自分の教師業のストレス発散の場としてサッカー部を独裁的に利用しているような輩はこの際退場してもらうのが徳島県のためのである。
結果は以下の通り。
【徳島市球技場19日】
井川5一0(3一0、2一0)城東
北島6一3(4一2、2一1)池田
山川2一0(2一0、0一0)美馬
徳島2一1(1一1、1一0)鴨島一
【鳴門球技場20日】
三野2一1(1一0、0一1;0一0、1一0)羽ノ浦
鳴門ニ4一0(1一0、3一0)貞光・半田
城西15一1(9一0、6一1)坂野
藍住11一0(6一0、5一0)勝浦
井川(三好市1位)━━┓ーーーーーーーーーーーーーー┏━━山川(吉野川1位)
ーーーーーーーーーーー┃5ーーーーーーーーーーーー2┃
吉野(阿波1位)─1┐┗━━┐ーーーーーーーー┌━━┛┌0富田(徳島4位)
ーーーーーーーーーー┏┘0ー│ーーーーーーーー│ー0└┓
城東(徳島2位)━5┛ーーー│ーーーーーーーー│ーーー┗2美馬(美馬1位)
ーーーーーーーーーーーーーー├──┐ーー┌──┤
石井(石井1位)─3┐ーーー│ーー│ーー│ーー│ーーー┌1海南(海南1位)
ーーーーーーーーーー┏┓11│ーー│ーー│ーー│ー0┌┓
藍住(板野2位)━6┛┗━━┘ーー│ーー│ーー└━━┓┗6貞光・半田
ーーーーーーーーーーー│0ーーーー│ーー│ーーーー4┃
勝浦(勝浦1位)───┘ーーーーー│ーー│ーーーーー┗━━鳴門ニ(鳴門1位)
ーーーーーーーーーーーーーーーーー├──┤
三野(三好市3位)━━┓ーーーーー│ーー│ーーーーー┏━━城西(徳島3位)
ーーーーーーーーーーー┃2ーーーー│ーー│ーーー15┃
三好(三好郡1位)0┐┗━━┐ーー│ーー│ーー┌━━┛┌1土成(阿波2位)
ーーーーーーーーーー┏┘1ー│ーー│ーー│ーー│ー1└┓
羽ノ浦(阿南1位)5┛ーーー│ーー│ーー│ーー│ーーー┗5坂野(小松島1位)
ーーーーーーーーーーーーーー├──┘ーー└──┤
川内(徳島5位)─2┐ーーー│ーーーーーーーー│ーーー┏5北島(板野1位)
ーーーーーーーーーー┏┐1ー│ーーーーーーーー│ー6┏┛
鴨島一(吉野川2位)┛┏━━┘ーーーーーーーー└━━┛└0阿南(阿南2位)
ーーーーーーーーー3ー┃2ーーーーーーーーーーーー3│
徳島(徳島1位)━━━┛ーーーーーーーーーーーーーー└──池田(三好市2位)
これでベスト8が決まった。三好市が3、徳島市が2、鳴門市が1、吉野川市が1、板野郡が1。これをみると、三好市のレベルの高さが突出している。市内に3チームしかないのに、それら3チームすべてがベスト8進出したからである。一方、小松島以南はゼロ。これが「県南はサッカー不毛の地」と言われるゆえんである。
この理由は、指導者の”偏り”である。これは、徳島県のサッカー協会、県教育委員会のお偉方の”政治的工作”あるいは”無策”の結果であろう。早急に指導者体制を抜本的に立て直す時期に来ていることは確かだろう。
県南の選手は決して体格的に見劣りするわけではない。むしろ、体格的に恵まれている場合も多い。それにもかかわらず、上位進出できないというのは、”時代錯誤的”なサッカー理論、サッカー観、サッカー指導法、サッカー練習を行って来ている指導者の側にある。こういう人々には中学サッカー部指導者から即座に退場してもらい、若くてやる気があるサッカー指導者を正規の職員として採用すべきだろう。自分の教師業のストレス発散の場としてサッカー部を独裁的に利用しているような輩はこの際退場してもらうのが徳島県のためのである。
ついでに書いておくと、徳島のサッカーシーンでは、15一1とか、11一0とか、まるで野球の試合ではないかというようなスコアの試合がしばしば見受けられる。中学でこの程度のものが高校になれば25一0とか、今度はラグビーの試合ではないかというようなスコアになる。
ここ何年も徳島県のサッカーを見て来て私が理解したのは、徳島の子供に特有の傾向があるということである。すなわち、徳島の子供は、(1)(失点すると)すぐ気落ちする。(2)(勝てないと思うと)諦めが早い。(3)気が弱い(ためにボールを怖がる)。これらを総じて(4)人が好く、優しい(それゆえ、タックルできない)、ということになる。ついでに付け加えれば、(5)気ままで好き嫌いがはげしい(だから嫌いなプレーはしない)。
サッカーというスポーツで自分の好きなプレーしかせず、嫌いなことはやらないというのであれば、それはサッカーではない。野球でもし選手が「俺は一塁へ投げるのは嫌いだから投げない」と嫌いなことはしないというなら、だれもアウトにできない。また、セカンドにスライディングするのが嫌だからとスライディングしなければアウトになる確率が増す。それは野球のルールであり、鉄則だからである。野球と同様に、サッカーでは相手にチャージする、タックルする、競る、ということはサッカーの鉄則なのであり、その選手一個人の好き嫌いの問題ではないのである。選手1人1人が行わなくてはならない”仕事”なのである。
そんなわけで、徳島のサッカー選手は、相手がボールをもらう時にチャージしたりタックルに行かず自由に好きなようにプレーさせてしまう。ヘディングでもしっかり競らない。シュートチャンスにタックルでボールをかっさらうことやボールをブロックすることをしない。それゆえ、多少力の差があると、強い方は自由にプレーさせてもらえるために、得点の差が大きく出るというわけである。
中田英寿(私同様山梨出身)が言っていたように、技術やスピードの差は、一対一の時にしっかり相手にチャージして相手がバランスをくずすように仕向ければ、ある程度は防ぐことができる。だから、いくら相手が自分よりうまくてもその相手にガツンとあたって相手に自由なプレーをさせず、相手のボールをタックルで奪えば、なんとかなるものなのである。それをしないから相手の思うつぼでやられっぱなしになる。
今大会でもそうだが、今の子供達は恵まれている。県大会の全試合が芝で行われるからだ。それにもかかわらず、徳島の子供はめったにスライディングタックルしない。指導者から教えられていないからだ。
私が中学2年の後半に野球部から転向しサッカー部に入った時(36年前)、一番最初に教わったことは、タックルと受け身の仕方だった。スライディングタックル時にどこにどういうふうに手をつくか、足をかけられた時にどういうふうに受け身するか、こういうことを一番最初に岩田利男先生(当時初代甲府クラブ監督兼甲府南中学サッカー部監督)から指導を受けた。
だから、高校生になると、当時は土のグランドでしか試合が行われなかったが(県ベスト4の試合のみ芝だった)、2、3m先からどんどんスライディングタックルしたものである。我々のコミュニケーションには「すべれー!」というものがあり、試合中しょっちゅう「すべれー!」「すべれー!」とお互いに叫びあったものである。
こうして1試合が終われば、両サイドの太ももからお尻にかけてスライディングによる擦り傷だらけとなり血がにじむ。風呂に入るのもままならない。そういう状態になったものである。この”擦り傷だらけでじわっと血がにじむさま”は、埼玉浦和あたりのサッカー選手たちの間では「ビフテキ」と呼ばれていたようである。言い得て妙、まさに焼き始めたビフテキのような感じで擦り傷から血がにじむのである。また、これが直りかけるとかさぶたとなり、ももや尻の両側がいつもかさぶただらけで痛いということになる。
言いたいことは、昔の関東の子供達はそういう状態になっても、またそうなることが分かっていても、痛さをも気にせず、試合の度に土のグランドでもスライディングタックルをしていたのだということである。これが名作「赤き血のイレブン」の”赤き血”の意味である。
徳島の子供たちがスライディングタックルも自由にこなし、体全体を使ってプレーすることを覚えるようになるのはいつの日のことだろうか。ここ10数年は特に進歩はなかったようである。今後を期待したいが、人間の性格というのは100%遺伝なので、「関東の子供達のようにやれ」と言っても「痛いやろ」、「血を見るのは嫌い」などと言って終わりだろう。
しっかり競り、しっかりチャージし、しっかりタックルしていれば、サッカーではせいぜい3点止まりなのである。サッカーとはそういうスポーツなのである。
ここ何年も徳島県のサッカーを見て来て私が理解したのは、徳島の子供に特有の傾向があるということである。すなわち、徳島の子供は、(1)(失点すると)すぐ気落ちする。(2)(勝てないと思うと)諦めが早い。(3)気が弱い(ためにボールを怖がる)。これらを総じて(4)人が好く、優しい(それゆえ、タックルできない)、ということになる。ついでに付け加えれば、(5)気ままで好き嫌いがはげしい(だから嫌いなプレーはしない)。
サッカーというスポーツで自分の好きなプレーしかせず、嫌いなことはやらないというのであれば、それはサッカーではない。野球でもし選手が「俺は一塁へ投げるのは嫌いだから投げない」と嫌いなことはしないというなら、だれもアウトにできない。また、セカンドにスライディングするのが嫌だからとスライディングしなければアウトになる確率が増す。それは野球のルールであり、鉄則だからである。野球と同様に、サッカーでは相手にチャージする、タックルする、競る、ということはサッカーの鉄則なのであり、その選手一個人の好き嫌いの問題ではないのである。選手1人1人が行わなくてはならない”仕事”なのである。
そんなわけで、徳島のサッカー選手は、相手がボールをもらう時にチャージしたりタックルに行かず自由に好きなようにプレーさせてしまう。ヘディングでもしっかり競らない。シュートチャンスにタックルでボールをかっさらうことやボールをブロックすることをしない。それゆえ、多少力の差があると、強い方は自由にプレーさせてもらえるために、得点の差が大きく出るというわけである。
中田英寿(私同様山梨出身)が言っていたように、技術やスピードの差は、一対一の時にしっかり相手にチャージして相手がバランスをくずすように仕向ければ、ある程度は防ぐことができる。だから、いくら相手が自分よりうまくてもその相手にガツンとあたって相手に自由なプレーをさせず、相手のボールをタックルで奪えば、なんとかなるものなのである。それをしないから相手の思うつぼでやられっぱなしになる。
今大会でもそうだが、今の子供達は恵まれている。県大会の全試合が芝で行われるからだ。それにもかかわらず、徳島の子供はめったにスライディングタックルしない。指導者から教えられていないからだ。
私が中学2年の後半に野球部から転向しサッカー部に入った時(36年前)、一番最初に教わったことは、タックルと受け身の仕方だった。スライディングタックル時にどこにどういうふうに手をつくか、足をかけられた時にどういうふうに受け身するか、こういうことを一番最初に岩田利男先生(当時初代甲府クラブ監督兼甲府南中学サッカー部監督)から指導を受けた。
だから、高校生になると、当時は土のグランドでしか試合が行われなかったが(県ベスト4の試合のみ芝だった)、2、3m先からどんどんスライディングタックルしたものである。我々のコミュニケーションには「すべれー!」というものがあり、試合中しょっちゅう「すべれー!」「すべれー!」とお互いに叫びあったものである。
こうして1試合が終われば、両サイドの太ももからお尻にかけてスライディングによる擦り傷だらけとなり血がにじむ。風呂に入るのもままならない。そういう状態になったものである。この”擦り傷だらけでじわっと血がにじむさま”は、埼玉浦和あたりのサッカー選手たちの間では「ビフテキ」と呼ばれていたようである。言い得て妙、まさに焼き始めたビフテキのような感じで擦り傷から血がにじむのである。また、これが直りかけるとかさぶたとなり、ももや尻の両側がいつもかさぶただらけで痛いということになる。
言いたいことは、昔の関東の子供達はそういう状態になっても、またそうなることが分かっていても、痛さをも気にせず、試合の度に土のグランドでもスライディングタックルをしていたのだということである。これが名作「赤き血のイレブン」の”赤き血”の意味である。
徳島の子供たちがスライディングタックルも自由にこなし、体全体を使ってプレーすることを覚えるようになるのはいつの日のことだろうか。ここ10数年は特に進歩はなかったようである。今後を期待したいが、人間の性格というのは100%遺伝なので、「関東の子供達のようにやれ」と言っても「痛いやろ」、「血を見るのは嫌い」などと言って終わりだろう。
しっかり競り、しっかりチャージし、しっかりタックルしていれば、サッカーではせいぜい3点止まりなのである。サッカーとはそういうスポーツなのである。
2008/07/20のBlog
[ 10:07 ]
[ 徳島サッカー ]
U-18四国プリンスリーグが最終戦を終え閉幕した。
徳島商業6一1(1一1、5一0)今治東中等
【得点者】
徳島商 佐々木、中川2、弓場、長尾
今治東中等 伊藤
鳴門高6一5(2一3、4一2)済美高
【得点者】
鳴門高 濱西、村田、松浦2、細川、橋井
済美高 徳永2、渡辺、山脇、管
香川西3一2(1一1、2一1)徳島ヴォルティスユース
【得点者】
香川西 中谷、福家、花崎
徳島V 岡2
最終結果は以下の通り。
1位 愛媛FCY(愛媛) 7勝2分
2位 徳島商業(徳島) 6勝2分1敗
3位 鳴門高校(徳島) 6勝2分1敗
4位 松山工業(愛媛) 4勝3分2敗
5位 香川西高(香川) 4勝2分3敗
6位 今治東中等(愛媛) 2勝3分4敗
7位 明徳義塾(高知) 2勝1分6敗
8位 済美高校(愛媛) 2勝1分6敗
9位 徳島VY(徳島) 2勝7敗
【最優秀選手】 中山博史(愛媛FCY)
【得点王】 中川裕介(徳島商業)9点、 南條駿(鳴門高)9点
【アシスト王】 登里亨平(香川西)
【フェアプレー賞】 愛媛FCY
この結果を見る限り、愛媛FCはどことやっても無敗でなおかつ常にフェアプレーで試合をする非常に好いチームの感じがする。U-18高円宮杯での活躍を期待したい。
一方、徳島ヴォルティスユースはプリンスリーグから県内のT1リーグに陥落する。これは痛い。数年前徳島ヴォルティスユースが誕生し、破竹の勢いでここまで上り詰めた勢いがここに来て止まってしまった観がある。その理由は、本来なら徳島ヴォルティスユースに入るべき選手たちが最近ではみなこぞって高校のサッカー部に入ってしまい、選手権の全国大会を目指すようになったからである。
それもそのはず、一番の原因は、大人の徳島ヴォルティスがふがいないからである。こんな弱小チームの下部組織にいたって少しのメリットにもならないからだ。浦和レッズのユースにいるというのと徳島ヴォルティスのユースにいるというのとどれほどの違いがあるか、ということを徳島ヴォルティス経営陣は理解していない。子供達にとってそれほど将来に影響するのである。それなら、下手に「徳島ヴォルティスユース」の看板を背負うより、徳島商業や鳴門高校の看板を背負って大学進学した方がましだということになるからである。ヴォルティスの経営陣は、まずはトップリーグを強くすることを最優先すべきである。すべてはここから始まる。徳島ヴォルティスユースの奮起を期待したい。
徳島商業6一1(1一1、5一0)今治東中等
【得点者】
徳島商 佐々木、中川2、弓場、長尾
今治東中等 伊藤
鳴門高6一5(2一3、4一2)済美高
【得点者】
鳴門高 濱西、村田、松浦2、細川、橋井
済美高 徳永2、渡辺、山脇、管
香川西3一2(1一1、2一1)徳島ヴォルティスユース
【得点者】
香川西 中谷、福家、花崎
徳島V 岡2
最終結果は以下の通り。
1位 愛媛FCY(愛媛) 7勝2分
2位 徳島商業(徳島) 6勝2分1敗
3位 鳴門高校(徳島) 6勝2分1敗
4位 松山工業(愛媛) 4勝3分2敗
5位 香川西高(香川) 4勝2分3敗
6位 今治東中等(愛媛) 2勝3分4敗
7位 明徳義塾(高知) 2勝1分6敗
8位 済美高校(愛媛) 2勝1分6敗
9位 徳島VY(徳島) 2勝7敗
【最優秀選手】 中山博史(愛媛FCY)
【得点王】 中川裕介(徳島商業)9点、 南條駿(鳴門高)9点
【アシスト王】 登里亨平(香川西)
【フェアプレー賞】 愛媛FCY
この結果を見る限り、愛媛FCはどことやっても無敗でなおかつ常にフェアプレーで試合をする非常に好いチームの感じがする。U-18高円宮杯での活躍を期待したい。
一方、徳島ヴォルティスユースはプリンスリーグから県内のT1リーグに陥落する。これは痛い。数年前徳島ヴォルティスユースが誕生し、破竹の勢いでここまで上り詰めた勢いがここに来て止まってしまった観がある。その理由は、本来なら徳島ヴォルティスユースに入るべき選手たちが最近ではみなこぞって高校のサッカー部に入ってしまい、選手権の全国大会を目指すようになったからである。
それもそのはず、一番の原因は、大人の徳島ヴォルティスがふがいないからである。こんな弱小チームの下部組織にいたって少しのメリットにもならないからだ。浦和レッズのユースにいるというのと徳島ヴォルティスのユースにいるというのとどれほどの違いがあるか、ということを徳島ヴォルティス経営陣は理解していない。子供達にとってそれほど将来に影響するのである。それなら、下手に「徳島ヴォルティスユース」の看板を背負うより、徳島商業や鳴門高校の看板を背負って大学進学した方がましだということになるからである。ヴォルティスの経営陣は、まずはトップリーグを強くすることを最優先すべきである。すべてはここから始まる。徳島ヴォルティスユースの奮起を期待したい。
2008/07/19のBlog
[ 21:34 ]
[ 社会 ]
今や日本、いや世界でもっとも有名なオーストラリア人となったライアン・コネル。
こんな人物がどうして日本に住めるのか正直摩訶不思議である。だれがこんな人物にビザを出し、入国許可したのだろうか? この人物と比べたら、シーシェパードの船長の方がまだずっとましに見える。
ウィキペディアの記事によると、
『20歳頃に日本へ渡り、1994年から1996年にかけて八王子市役所に嘱託待遇で勤務。1997年、東京都知事の諮問機関「外国人都民会議」に参加[2]。2001年に会議が解消された後、毎日新聞社に特別嘱託社員待遇で入社する。』
ということなので、諸悪の根源は八王子市役所にあり、その後は東京都知事にも責任があるようだ。
いやはや、それにしても毎日新聞「Wai Wai」問題は日本の深刻な社会状況を描き出しているように見える。
こんな人物がどうして日本に住めるのか正直摩訶不思議である。だれがこんな人物にビザを出し、入国許可したのだろうか? この人物と比べたら、シーシェパードの船長の方がまだずっとましに見える。
ウィキペディアの記事によると、
『20歳頃に日本へ渡り、1994年から1996年にかけて八王子市役所に嘱託待遇で勤務。1997年、東京都知事の諮問機関「外国人都民会議」に参加[2]。2001年に会議が解消された後、毎日新聞社に特別嘱託社員待遇で入社する。』
ということなので、諸悪の根源は八王子市役所にあり、その後は東京都知事にも責任があるようだ。
いやはや、それにしても毎日新聞「Wai Wai」問題は日本の深刻な社会状況を描き出しているように見える。
ところで、このライアン・コネル氏、オーストラリアから日本に在住している”白人至上主義者”たちの団体「トウキョウ・ウォンバット・クリケット・クラブ」(Tokyo Wombats Criket Club)のメンバーだという。
このメンバープロフィールにはこうある。
--------------------------------
氏名:ライアン・コネル
ニックネーム:ロスコー
生誕場所:メルボルン
生年月日:3月25日1955年
職業:非倫理的なことを収集するジャーナリスト(Sleazebag Journalist)
ウォンバット:生まれてこのかた
ポジション:ウォンバットの倫理の守護神(そう望む!!)
弱点:どこからスタートするか
好きな選手:ドーグ ウォルター、イアン ボタム、ケプラー ウェッセル(彼がオージーだった頃)、アダム ギルキリスト、ダレン レーマン
好きでない選手:マーク ウォー、ブレット リー
好きな食べ物:クリトリス(女性器)
好きなバンド:ローリングストーンズ、スカイフック(本当!!)
クリケットハイライト:アランボーダー vs ウェストインディーズ スペインのポルト、1983/4
クリケットローライト: 80年代、 マークワフ スリランカ92 (とまだテストクリケットのもう10年を得た)
クリケットにおける大志:ウォンバットプレミアシップ、 試験チームをNSWで埋めつくす選別者たちを殺すこと。
クリケット以外の興味:セックス(残念ながら、これは通常マスターベーションを意味する)と映画。
--------------------------------
どうやらこの「トウキョウ・ウォンバット・クリケット・クラブ」という謎の団体は、このライアン・コネルに輪をかけたような人ばかりらしい。
それにしても、職業欄にある「Sleazebag Journalist」というのが曲者だ。この中に潜む"Sleazy"というちょっと耳なれない英単語の意味は、"cheep, dirty, poor-looking, and often suggesting immorality"(安っぽくて汚くまずい見かけの、そしてしばしば非倫理的なことを指摘する)とある。
要するに、この人物は、自分のやっていることは棚に上げ、「日本人の非倫理的な部分を指摘することが自分の仕事だ」と考えているということのようである。まあ、自分のことを棚に上げて人を非難するというのは、白人によくありがちな行動様式である。
日本人に親切にしてもらって日本に住めるようになったにも関わらず、日本人にたいへん素晴らしい仕方でその恩を”あだ”で返してくれたという、実に”立派な”白人至上主義者のオーストラリア人ということだろうナ。というのも、その日本で女性のクリトリスを食い(何人の日本人女性を殺して食ったのだろうか知らないが)、いつもクリケットかセックスの事ばかり考え、アダルトビデオばかり見て、日本人を悪く言うねつ造記事を書いてくれたというわけだからだ。
とういうわけで、この”ねつ造記事”乱発に対して毎日新聞の記者とこのオーストラリア人には即刻刑務所に行ってもらいたいものですナ。
もっともこんな馬鹿野郎に記事作りのヒントになるような情報を与え続けた日本のアダルトビデオ製作会社もこの際一斉検挙し、いっしょに刑務所の中でクリケットでもしてもらう他あるまい。記事の内容はどうみても低級アダルトビデオの内容を拝借しただけのものだからナ。
このメンバープロフィールにはこうある。
--------------------------------
氏名:ライアン・コネル
ニックネーム:ロスコー
生誕場所:メルボルン
生年月日:3月25日1955年
職業:非倫理的なことを収集するジャーナリスト(Sleazebag Journalist)
ウォンバット:生まれてこのかた
ポジション:ウォンバットの倫理の守護神(そう望む!!)
弱点:どこからスタートするか
好きな選手:ドーグ ウォルター、イアン ボタム、ケプラー ウェッセル(彼がオージーだった頃)、アダム ギルキリスト、ダレン レーマン
好きでない選手:マーク ウォー、ブレット リー
好きな食べ物:クリトリス(女性器)
好きなバンド:ローリングストーンズ、スカイフック(本当!!)
クリケットハイライト:アランボーダー vs ウェストインディーズ スペインのポルト、1983/4
クリケットローライト: 80年代、 マークワフ スリランカ92 (とまだテストクリケットのもう10年を得た)
クリケットにおける大志:ウォンバットプレミアシップ、 試験チームをNSWで埋めつくす選別者たちを殺すこと。
クリケット以外の興味:セックス(残念ながら、これは通常マスターベーションを意味する)と映画。
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どうやらこの「トウキョウ・ウォンバット・クリケット・クラブ」という謎の団体は、このライアン・コネルに輪をかけたような人ばかりらしい。
それにしても、職業欄にある「Sleazebag Journalist」というのが曲者だ。この中に潜む"Sleazy"というちょっと耳なれない英単語の意味は、"cheep, dirty, poor-looking, and often suggesting immorality"(安っぽくて汚くまずい見かけの、そしてしばしば非倫理的なことを指摘する)とある。
要するに、この人物は、自分のやっていることは棚に上げ、「日本人の非倫理的な部分を指摘することが自分の仕事だ」と考えているということのようである。まあ、自分のことを棚に上げて人を非難するというのは、白人によくありがちな行動様式である。
日本人に親切にしてもらって日本に住めるようになったにも関わらず、日本人にたいへん素晴らしい仕方でその恩を”あだ”で返してくれたという、実に”立派な”白人至上主義者のオーストラリア人ということだろうナ。というのも、その日本で女性のクリトリスを食い(何人の日本人女性を殺して食ったのだろうか知らないが)、いつもクリケットかセックスの事ばかり考え、アダルトビデオばかり見て、日本人を悪く言うねつ造記事を書いてくれたというわけだからだ。
とういうわけで、この”ねつ造記事”乱発に対して毎日新聞の記者とこのオーストラリア人には即刻刑務所に行ってもらいたいものですナ。
もっともこんな馬鹿野郎に記事作りのヒントになるような情報を与え続けた日本のアダルトビデオ製作会社もこの際一斉検挙し、いっしょに刑務所の中でクリケットでもしてもらう他あるまい。記事の内容はどうみても低級アダルトビデオの内容を拝借しただけのものだからナ。
2008/07/18のBlog
[ 18:12 ]
[ 徳島 ]
ちょっと前にこんなことがあった。
ある時、市内の喫茶ルームでコーヒーを飲んでいると、何やら近くに実に”好い匂い”、それも”若い女の子の匂い”がした。その”好い匂い”があまりに自分の近くでするので、後ろに女性がいるのかとまわりをきょろきょろ見るが誰もいない。また強烈に匂ったので周りを見るが誰もいない。何度も同じことをくり返す。さすがにおかしいなと思ってクンクン嗅いでいると、実は自分についていた”柔軟剤の匂い”だと分かる。
我が家では子供や私がスポーツをするので、その汗の匂いを取るためによく柔軟剤を入れて洗濯をする。たまに洗濯の際に自分の手にその柔軟剤がちょっとついていることがある。たまたま私がそれを知らずにいてそんなことが起こったというわけである。
今日、同じように洗濯をしてタオルを干すと、どこからともなくトンボがやってきてそのタオルにとまった。鼻を近付けるとやはり柔軟剤フローラルハミングの”若い女性のような匂い”がしていた。トンボですら花の匂いと間違えるのだから、私が間違えるのも無理はないと納得する。
ある時、市内の喫茶ルームでコーヒーを飲んでいると、何やら近くに実に”好い匂い”、それも”若い女の子の匂い”がした。その”好い匂い”があまりに自分の近くでするので、後ろに女性がいるのかとまわりをきょろきょろ見るが誰もいない。また強烈に匂ったので周りを見るが誰もいない。何度も同じことをくり返す。さすがにおかしいなと思ってクンクン嗅いでいると、実は自分についていた”柔軟剤の匂い”だと分かる。
我が家では子供や私がスポーツをするので、その汗の匂いを取るためによく柔軟剤を入れて洗濯をする。たまに洗濯の際に自分の手にその柔軟剤がちょっとついていることがある。たまたま私がそれを知らずにいてそんなことが起こったというわけである。
今日、同じように洗濯をしてタオルを干すと、どこからともなくトンボがやってきてそのタオルにとまった。鼻を近付けるとやはり柔軟剤フローラルハミングの”若い女性のような匂い”がしていた。トンボですら花の匂いと間違えるのだから、私が間違えるのも無理はないと納得する。
2008/07/17のBlog
[ 00:15 ]
[ ジョーク ]
以下は皮肉ないしはブラックジョークである。
大分県教委汚職
いやはや、「何で今頃?」というのが、私の正直な疑問である。
県庁や市役所などの地方公務員、小中高の地方の学校の先生、こういった職業につくためには
「いくら公務員試験や教員採用試験に合格しても無駄である。コネがなくちゃだめだ」
というのは、少なくとも私が大学を卒業した1980年代には常識になっていたことではなかったか?
あれから28年。
約30年後の今になって、何で突然にそれが悪いことになってしまったのか?
ちょっと理解できない。
私は30年前にそういう「コネ社会」が嫌いだから、
「俺は研究者になって大学に職取る」。
そう思って大学院に進み、博士を目指したわけだが、いざ博士になってみれば、
「大学の職を取るのもコネしかない」
という現実があるわけだ。
そんなわけで、私は拙著「何が科学をつぶすのか?」を書いたわけだ。
”日本”という「コネ社会」という現実がある以上、大分県だけが特別ということはあり得ない。ましてや小中高だけが特別ということもあり得ない。大学だって全く同じ構造があるからだ。(もっともアメリカであろうがどこでも基本的には全く同じなのだが。というのも、そもそもどこかの職を取るのにだれかの推薦状がいるということ自体、推薦者の”口利き”を狙っているのと同じことだからである。本来一番フェアなのは、採用者がだれの意見も参考にせず自らの判断で採用することだからである。)
たしかに「口利き料」で金銭授受があったことは問題だろうが、そんなことは大昔からある「日本のお家芸」であろう。
なぜなら、あなたが結婚式で仲人さん夫婦を選べば、その仲人さんに相場いくらの金銭をあげるのが日本の習わしだ。数十万円はするだろう。葬式代ですら何百万もする国だ。裁判で弁護士に相談すれば「30分で5000円」はかかる。こういうことをしないのははしたないことで「礼儀作法に反する」とする国だからである。
だから、就職口を紹介すれば「紹介料」を支払い、就職を決めるための「口利き」をしてもらえば「口利き料」を支払う。
そんなことは”当たり前”ではないか。それが”礼儀”というわけだ。
「これが日本なのだ! 日本の文化なのだ!」
まあ、そう言って開き直ってみるだけの器量は、大分県の教育委員長にはなかったようだ。
自分の不倫を暴かれた時、
「不倫は日本の文化だ!」
と石田純一は言い、フランスのミッテラン大統領は
「それがどうした? みんなを幸せにしている」
と切り捨てたらしいが、リーダーにはある意味”度量”が必要である。
かつてアドルフ・ヒットラーは
「小さいウソはすぐにばれるが、大きいウソほど見破られにくい」
というような考えを持っていて、大衆の前で雄弁を振るって人々を煽動したと言われる。昨今、これと同じことをやってきたのは、アメリカではジョージ・ウォーカー・ブッシュ大統領であり、日本では小泉純一郎だ。
果たしてマスコミは日本文化に挑戦しているのだろうか?
そういうマスコミだって、女優を探すのもコネ、仕事を取るのもコネ。時には仕事を取るために身体さえ売る。マスコミもまた「コネ社会」、「口利き社会」そのものなのだ。
同じ穴のムジナのはずなのだが。
だとすれば、だれかが裏でこういうことを”演出”している黒幕がいるはずである。そうやって日本を混乱させて喜んでいる輩がいるはずである。
いったい誰なのだろうか?
いずれにせよ、困ったものですナ。
大分県教委汚職
いやはや、「何で今頃?」というのが、私の正直な疑問である。
県庁や市役所などの地方公務員、小中高の地方の学校の先生、こういった職業につくためには
「いくら公務員試験や教員採用試験に合格しても無駄である。コネがなくちゃだめだ」
というのは、少なくとも私が大学を卒業した1980年代には常識になっていたことではなかったか?
あれから28年。
約30年後の今になって、何で突然にそれが悪いことになってしまったのか?
ちょっと理解できない。
私は30年前にそういう「コネ社会」が嫌いだから、
「俺は研究者になって大学に職取る」。
そう思って大学院に進み、博士を目指したわけだが、いざ博士になってみれば、
「大学の職を取るのもコネしかない」
という現実があるわけだ。
そんなわけで、私は拙著「何が科学をつぶすのか?」を書いたわけだ。
”日本”という「コネ社会」という現実がある以上、大分県だけが特別ということはあり得ない。ましてや小中高だけが特別ということもあり得ない。大学だって全く同じ構造があるからだ。(もっともアメリカであろうがどこでも基本的には全く同じなのだが。というのも、そもそもどこかの職を取るのにだれかの推薦状がいるということ自体、推薦者の”口利き”を狙っているのと同じことだからである。本来一番フェアなのは、採用者がだれの意見も参考にせず自らの判断で採用することだからである。)
たしかに「口利き料」で金銭授受があったことは問題だろうが、そんなことは大昔からある「日本のお家芸」であろう。
なぜなら、あなたが結婚式で仲人さん夫婦を選べば、その仲人さんに相場いくらの金銭をあげるのが日本の習わしだ。数十万円はするだろう。葬式代ですら何百万もする国だ。裁判で弁護士に相談すれば「30分で5000円」はかかる。こういうことをしないのははしたないことで「礼儀作法に反する」とする国だからである。
だから、就職口を紹介すれば「紹介料」を支払い、就職を決めるための「口利き」をしてもらえば「口利き料」を支払う。
そんなことは”当たり前”ではないか。それが”礼儀”というわけだ。
「これが日本なのだ! 日本の文化なのだ!」
まあ、そう言って開き直ってみるだけの器量は、大分県の教育委員長にはなかったようだ。
自分の不倫を暴かれた時、
「不倫は日本の文化だ!」
と石田純一は言い、フランスのミッテラン大統領は
「それがどうした? みんなを幸せにしている」
と切り捨てたらしいが、リーダーにはある意味”度量”が必要である。
かつてアドルフ・ヒットラーは
「小さいウソはすぐにばれるが、大きいウソほど見破られにくい」
というような考えを持っていて、大衆の前で雄弁を振るって人々を煽動したと言われる。昨今、これと同じことをやってきたのは、アメリカではジョージ・ウォーカー・ブッシュ大統領であり、日本では小泉純一郎だ。
果たしてマスコミは日本文化に挑戦しているのだろうか?
そういうマスコミだって、女優を探すのもコネ、仕事を取るのもコネ。時には仕事を取るために身体さえ売る。マスコミもまた「コネ社会」、「口利き社会」そのものなのだ。
同じ穴のムジナのはずなのだが。
だとすれば、だれかが裏でこういうことを”演出”している黒幕がいるはずである。そうやって日本を混乱させて喜んでいる輩がいるはずである。
いったい誰なのだろうか?
いずれにせよ、困ったものですナ。
2008/07/14のBlog
[ 12:23 ]
[ 徳島サッカー ]
2008年度県中学総体サッカー1回戦が、12日13日に徳島市球技場で行われた。
結果は以下の通り。
【徳島市球技場12日】
藍住6一3(3一0、3一3)石井
羽ノ浦5一0(3一0、2一0)三好
半田・貞光6一1(3一1、3一0)海南
坂野5一1(2一1、3一0)土成
【徳島市球技場13日】
城東5一1(3一0、2一1)吉野
北島5一0(3一0、2一0)阿南
美馬2一0(1一0、1一0)富田
鴨島一3一2(3一0、0一2)川内
井川(三好市1位)──┐ーーーーーーーーーーーーーー┌──山川(吉野川1位)
ーーーーーーーーーーー│ーーーーーーーーーーーーーー│
吉野(阿波1位)─1┐├──┐ーーーーーーーー┌──┤┌0富田(徳島4位)
ーーーーーーーーーー┏┘ーー│ーーーーーーーー│ーー└┓
城東(徳島2位)━5┛ーーー│ーーーーーーーー│ーーー┗2美馬(美馬1位)
ーーーーーーーーーーーーーー├──┐ーー┌──┤
石井(石井1位)─3┐ーーー│ーー│ーー│ーー│ーーー┌1海南(海南1位)
ーーーーーーーーーー┏┐ーー│ーー│ーー│ーー│ーー┌┓
藍住(板野2位)━6┛├──┘ーー│ーー│ーー└──┤┗6貞光・半田
ーーーーーーーーーーー│ーーーーー│ーー│ーーーーー│
勝浦(勝浦1位)───┘ーーーーー│ーー│ーーーーー└──鳴門ニ(鳴門1位)
ーーーーーーーーーーーーーーーーー├──┤
三野(三好市3位)──┐ーーーーー│ーー│ーーーーー┌──城西(徳島3位)
ーーーーーーーーーーー│ーーーーー│ーー│ーーーーー│
三好(三好郡1位)0┐├──┐ーー│ーー│ーー┌──┤┌1土成(阿波2位)
ーーーーーーーーーー┏┘ーー│ーー│ーー│ーー│ーー└┓
羽ノ浦(阿南1位)5┛ーーー│ーー│ーー│ーー│ーーー┗5坂野(小松島1位)
ーーーーーーーーーーーーーー├──┘ーー└──┤
川内(徳島5位)─2┐ーーー│ーーーーーーーー│ーーー┏5北島(板野1位)
ーーーーーーーーーー┏┐ーー│ーーーーーーーー│ーー┌┛
鴨島一(吉野川2位)┛├──┘ーーーーーーーー└──┤└0阿南(阿南2位)
ーーーーーーーーー3ー│ーーーーーーーーーーーーーー│
徳島(徳島1位)───┘ーーーーーーーーーーーーーー└──池田(三好市2位)
昨日13日の試合は私は全部見たので一応総評をしておこう。
【第1試合 城東vs吉野】
上中下が黄色の城東対上中下が水色の吉野の戦い。非常に似たチーム同士の戦いに見えた。しかし、城東の左サイドからの攻撃でいくつもチャンスを作られ失点を食らった。左サイドウィングに足の早い選手がいて、そこから良いセンタリングが右のフォワードに渡り、絵に書いたようなサイド攻撃が見事であった。2点目までは見たが、その後は次の試合のアップに行ったので見る事ができなかった。
結果は以下の通り。
【徳島市球技場12日】
藍住6一3(3一0、3一3)石井
羽ノ浦5一0(3一0、2一0)三好
半田・貞光6一1(3一1、3一0)海南
坂野5一1(2一1、3一0)土成
【徳島市球技場13日】
城東5一1(3一0、2一1)吉野
北島5一0(3一0、2一0)阿南
美馬2一0(1一0、1一0)富田
鴨島一3一2(3一0、0一2)川内
井川(三好市1位)──┐ーーーーーーーーーーーーーー┌──山川(吉野川1位)
ーーーーーーーーーーー│ーーーーーーーーーーーーーー│
吉野(阿波1位)─1┐├──┐ーーーーーーーー┌──┤┌0富田(徳島4位)
ーーーーーーーーーー┏┘ーー│ーーーーーーーー│ーー└┓
城東(徳島2位)━5┛ーーー│ーーーーーーーー│ーーー┗2美馬(美馬1位)
ーーーーーーーーーーーーーー├──┐ーー┌──┤
石井(石井1位)─3┐ーーー│ーー│ーー│ーー│ーーー┌1海南(海南1位)
ーーーーーーーーーー┏┐ーー│ーー│ーー│ーー│ーー┌┓
藍住(板野2位)━6┛├──┘ーー│ーー│ーー└──┤┗6貞光・半田
ーーーーーーーーーーー│ーーーーー│ーー│ーーーーー│
勝浦(勝浦1位)───┘ーーーーー│ーー│ーーーーー└──鳴門ニ(鳴門1位)
ーーーーーーーーーーーーーーーーー├──┤
三野(三好市3位)──┐ーーーーー│ーー│ーーーーー┌──城西(徳島3位)
ーーーーーーーーーーー│ーーーーー│ーー│ーーーーー│
三好(三好郡1位)0┐├──┐ーー│ーー│ーー┌──┤┌1土成(阿波2位)
ーーーーーーーーーー┏┘ーー│ーー│ーー│ーー│ーー└┓
羽ノ浦(阿南1位)5┛ーーー│ーー│ーー│ーー│ーーー┗5坂野(小松島1位)
ーーーーーーーーーーーーーー├──┘ーー└──┤
川内(徳島5位)─2┐ーーー│ーーーーーーーー│ーーー┏5北島(板野1位)
ーーーーーーーーーー┏┐ーー│ーーーーーーーー│ーー┌┛
鴨島一(吉野川2位)┛├──┘ーーーーーーーー└──┤└0阿南(阿南2位)
ーーーーーーーーー3ー│ーーーーーーーーーーーーーー│
徳島(徳島1位)───┘ーーーーーーーーーーーーーー└──池田(三好市2位)
昨日13日の試合は私は全部見たので一応総評をしておこう。
【第1試合 城東vs吉野】
上中下が黄色の城東対上中下が水色の吉野の戦い。非常に似たチーム同士の戦いに見えた。しかし、城東の左サイドからの攻撃でいくつもチャンスを作られ失点を食らった。左サイドウィングに足の早い選手がいて、そこから良いセンタリングが右のフォワードに渡り、絵に書いたようなサイド攻撃が見事であった。2点目までは見たが、その後は次の試合のアップに行ったので見る事ができなかった。
【第2試合 北島vs阿南】
上中下が白赤赤の北島と上中下が赤紺紺の阿南の戦い。同じ中学生ながら戦力に2ランクの差があるチームの試合となった。というのも、可哀想なことにこの年代にちょうど重なって阿南市には阿南FC(県大会準優勝)が出来たために、富岡小学校のサッカー部の大半が優れたコーチのいる阿南FCや徳島ヴォルティスユースに進み、わずか7人程度が1年新入部員として入った世代である。中学からサッカーを始めたのが2人、キーパーから転向が1人という状況から始まった。しかも1人を除いて皆小柄。阿南中学の”谷間の世代”である。昨年までの人材豊富な状況と異なり、下級生だのみのチームとして出発した。幸い下級生(現2年生)が人数的に若干多く入って来たが状況としては阿南FCなどに救われ、大半が津乃峰小や見能林小から入学した選手のみという状況は変わらない(だから最近の阿南中のチームカラーはこの地域の子供の性格が強く反映している。一方、阿南FCには富岡地区の子供の性格が強い)。前任監督から「カス」や「ゴミ」のように罵倒され蹴られ殴られ泣かされて2年を過ごしてしまった可哀想な世代なのである。今春このチームに監督交代があり、新任監督赴任までの春休みのごく短期間に私がこの世代に「心掛け」、「練習方法」などを指導、そして息子を通じて伝授した。それがチームのコア練習となった。その成果が多少出て県大会進出できたというのが現実である。従来の練習法だけではこのチームでは県大会進出はできなかっただろう。この意味ではここまで子供達だけでよくやってきたと言えるだろう。阿南中学の先生たちはこの子たちを褒めてやるべきだ。誇りにしてもいいと思う。しかし「ローマは一日にしてならず」。ベスト4や優勝を狙える北島レベルと勝負するにはまだまだ実力差がある。北島は昨年までのチームとはかなり変わり非常にハイレベルのチームであった。昨年には北島には転んだ選手の腕をわざと踏み付けて骨折させるというような不届きものがいたからだ。今回はそういうばか者がいない良いチームだった。右サイドハーフ4番の突破、中盤の15番のボールタッチとキープ力はすばらしく、この選手中心によく引き締まっていた。その意味で、とても現在の阿南中で太刀打ちできるレベルではなかった。強いて言えば、徳島の選手は「気が弱く」、当たりが弱い上にスライディングタックルをしない(できない)ために、いつも相手を自由にやらせてしまうという傾向がある。阿南中にもこれが色濃い。阿南市でも見能林小や津乃峰小あたりの選手は特に気が弱くまったくチャージしない。また基本がまったく教えられていない。将来選手として障害となるような過った技術なら下手に教えない方がまだましである。だから、これらの小学校のサッカー指導者の資質が問われるところである。もちろん、阿南中学の前任者の責任が一番大きいわけだがな。まあ、こんな状況だから同じ中学生チームで体格ではそう大差はないチームどうしなのだが、いざ試合をしてみれば、大人と子供(高校生と小学生)のチームの戦いに見えたという試合であった。阿南に勝ち目はなかった。しかし、昨年までの阿南なら勝敗にこだわるあまり監督選手ともども挨拶もろくに出来ずそそくさと立ち去るという感じだったが、今回は相手ベンチへの挨拶、自軍ベンチへの挨拶、そして観客の父兄への挨拶もきちんと行われ、非常にさわやかで好感の持てる良いチームになった。これは大きな成長を遂げたと言えるだろう。「心掛け」は昨年までより数段良くなったように見えた。
【第3試合 美馬vs富田】
上中下がバルセロナと同じ赤青ストライプ青青の美馬と上中下が紺にエンジの袖紺紺の富田の戦い。ここもかなり似た感じのチームどうしで良い試合をしていたが、美馬の中盤14番のヘッドをキーパーがうまくクリアできなかったのが敗因。キーパーの差で勝負がついてしまった。美馬の方が若干試合巧者だったように見えた。14番のプレースタイルは、北島の15番と非常に似ている感じがした。
上中下が白赤赤の北島と上中下が赤紺紺の阿南の戦い。同じ中学生ながら戦力に2ランクの差があるチームの試合となった。というのも、可哀想なことにこの年代にちょうど重なって阿南市には阿南FC(県大会準優勝)が出来たために、富岡小学校のサッカー部の大半が優れたコーチのいる阿南FCや徳島ヴォルティスユースに進み、わずか7人程度が1年新入部員として入った世代である。中学からサッカーを始めたのが2人、キーパーから転向が1人という状況から始まった。しかも1人を除いて皆小柄。阿南中学の”谷間の世代”である。昨年までの人材豊富な状況と異なり、下級生だのみのチームとして出発した。幸い下級生(現2年生)が人数的に若干多く入って来たが状況としては阿南FCなどに救われ、大半が津乃峰小や見能林小から入学した選手のみという状況は変わらない(だから最近の阿南中のチームカラーはこの地域の子供の性格が強く反映している。一方、阿南FCには富岡地区の子供の性格が強い)。前任監督から「カス」や「ゴミ」のように罵倒され蹴られ殴られ泣かされて2年を過ごしてしまった可哀想な世代なのである。今春このチームに監督交代があり、新任監督赴任までの春休みのごく短期間に私がこの世代に「心掛け」、「練習方法」などを指導、そして息子を通じて伝授した。それがチームのコア練習となった。その成果が多少出て県大会進出できたというのが現実である。従来の練習法だけではこのチームでは県大会進出はできなかっただろう。この意味ではここまで子供達だけでよくやってきたと言えるだろう。阿南中学の先生たちはこの子たちを褒めてやるべきだ。誇りにしてもいいと思う。しかし「ローマは一日にしてならず」。ベスト4や優勝を狙える北島レベルと勝負するにはまだまだ実力差がある。北島は昨年までのチームとはかなり変わり非常にハイレベルのチームであった。昨年には北島には転んだ選手の腕をわざと踏み付けて骨折させるというような不届きものがいたからだ。今回はそういうばか者がいない良いチームだった。右サイドハーフ4番の突破、中盤の15番のボールタッチとキープ力はすばらしく、この選手中心によく引き締まっていた。その意味で、とても現在の阿南中で太刀打ちできるレベルではなかった。強いて言えば、徳島の選手は「気が弱く」、当たりが弱い上にスライディングタックルをしない(できない)ために、いつも相手を自由にやらせてしまうという傾向がある。阿南中にもこれが色濃い。阿南市でも見能林小や津乃峰小あたりの選手は特に気が弱くまったくチャージしない。また基本がまったく教えられていない。将来選手として障害となるような過った技術なら下手に教えない方がまだましである。だから、これらの小学校のサッカー指導者の資質が問われるところである。もちろん、阿南中学の前任者の責任が一番大きいわけだがな。まあ、こんな状況だから同じ中学生チームで体格ではそう大差はないチームどうしなのだが、いざ試合をしてみれば、大人と子供(高校生と小学生)のチームの戦いに見えたという試合であった。阿南に勝ち目はなかった。しかし、昨年までの阿南なら勝敗にこだわるあまり監督選手ともども挨拶もろくに出来ずそそくさと立ち去るという感じだったが、今回は相手ベンチへの挨拶、自軍ベンチへの挨拶、そして観客の父兄への挨拶もきちんと行われ、非常にさわやかで好感の持てる良いチームになった。これは大きな成長を遂げたと言えるだろう。「心掛け」は昨年までより数段良くなったように見えた。
【第3試合 美馬vs富田】
上中下がバルセロナと同じ赤青ストライプ青青の美馬と上中下が紺にエンジの袖紺紺の富田の戦い。ここもかなり似た感じのチームどうしで良い試合をしていたが、美馬の中盤14番のヘッドをキーパーがうまくクリアできなかったのが敗因。キーパーの差で勝負がついてしまった。美馬の方が若干試合巧者だったように見えた。14番のプレースタイルは、北島の15番と非常に似ている感じがした。
【第4試合 鴨島一vs川内】
上中下が赤黒ストライプ黒赤の鴨島一と上中下が青の川内の戦い。前半の最初、川内は相手の様子を見る作戦に出たように見えたが、これが裏目に出た。中盤の7番、6番が不用意なミスを連発して、鴨島一の10番の突破を許して2失点してしまった。そして前半で3一0となってしまった。これで試合はあっさり決まってしまった。しかしそう見えたのだが、後半に川内の左サイドハーフに入った8番が非常に面白い選手だった。それほど柔軟でうまいようには見えないのだが、適格なボールコントロールと突破で左から何度もくずしていった。ガンバ大阪の安田のようなタイプの選手である。それに連れて、チームのリズムが良くなり、後半は川内の圧倒的ボール支配率となって、1点、2点と追い上げた。あと1点というところで、鴨島一のキーパーのマリーシアでゲームのリズムを分散させ、うまいこと時間かせぎして何とか逃げ切ったという試合だった。非常に良かったのは、川内の太鼓入り応援団であった。Jリーグばりの川内ソングの応援は実に良かったと思う。ここ数年見て来たが、川内応援団が一番サッカーの応援らしい。その次が城之内高だろう。この応援あって後半怒濤の攻撃が出たがそれが最後に実らなかったのは残念だった。悔やまれるのは、どうしてあの8番を前半から使わなかったのかということである。監督采配ミスで負けた観ありの試合だった。実力的にはまったく互角であった。試合後号泣していた8番の顔が特に印象に残る試合だった。また、この試合の次の対戦相手である徳島中の選手たちが観客席でじっと見ている姿は印象的だった。
【補足】
この大会は、中学のサッカー選手にとっては実質上最後の試合。これに負けたら即引退して受験に備えるという試合なのである。この意味では、年に1度の重要な大会である。そして下級生にとっては来年の今日今度は対決するかも知れないチームが目の前で試合をしている大会なのである。そういう意味では、自分達の次のライバルを見ることができる大切な試合なわけだ。だから、年に一度せっかくこの場に出場できたのであれば、自分の試合相手とはちがったとしても試合が終わって負けたからバイバイというのではなく、全部他の試合を見て行く必要があるのである。たった4試合なのだからだ。少なくともこの空気や雰囲気を味わって行くべきなのである。残念ながら敗退した多くのチームはすぐに帰ってしまった。これでは来年には生きないのではないかと私は思う。こうしたところにも、「徳島県人は本当にサッカーが好きなのか?」といつも私は疑問に感じるのである。将来徳島を代表するようになるかも知れないサッカー選手の中学生時代を歴史の生き証人として今見る事ができるのかもしれないのに、どうしてせっかく遠路はるばるやって来た以上最後まで見ていかないのかと私は不思議に思うのである。自分の子が出るサッカーだけでなく、他人の子のするサッカーであろうがサッカー自体を楽しむという文化が育ってこそ、本物のサッカー選手が誕生し育つサッカー文化にまで昇華することができると思うからだ。この意味では、徳島にはまだサッカーは根付いてはいない。
上中下が赤黒ストライプ黒赤の鴨島一と上中下が青の川内の戦い。前半の最初、川内は相手の様子を見る作戦に出たように見えたが、これが裏目に出た。中盤の7番、6番が不用意なミスを連発して、鴨島一の10番の突破を許して2失点してしまった。そして前半で3一0となってしまった。これで試合はあっさり決まってしまった。しかしそう見えたのだが、後半に川内の左サイドハーフに入った8番が非常に面白い選手だった。それほど柔軟でうまいようには見えないのだが、適格なボールコントロールと突破で左から何度もくずしていった。ガンバ大阪の安田のようなタイプの選手である。それに連れて、チームのリズムが良くなり、後半は川内の圧倒的ボール支配率となって、1点、2点と追い上げた。あと1点というところで、鴨島一のキーパーのマリーシアでゲームのリズムを分散させ、うまいこと時間かせぎして何とか逃げ切ったという試合だった。非常に良かったのは、川内の太鼓入り応援団であった。Jリーグばりの川内ソングの応援は実に良かったと思う。ここ数年見て来たが、川内応援団が一番サッカーの応援らしい。その次が城之内高だろう。この応援あって後半怒濤の攻撃が出たがそれが最後に実らなかったのは残念だった。悔やまれるのは、どうしてあの8番を前半から使わなかったのかということである。監督采配ミスで負けた観ありの試合だった。実力的にはまったく互角であった。試合後号泣していた8番の顔が特に印象に残る試合だった。また、この試合の次の対戦相手である徳島中の選手たちが観客席でじっと見ている姿は印象的だった。
【補足】
この大会は、中学のサッカー選手にとっては実質上最後の試合。これに負けたら即引退して受験に備えるという試合なのである。この意味では、年に1度の重要な大会である。そして下級生にとっては来年の今日今度は対決するかも知れないチームが目の前で試合をしている大会なのである。そういう意味では、自分達の次のライバルを見ることができる大切な試合なわけだ。だから、年に一度せっかくこの場に出場できたのであれば、自分の試合相手とはちがったとしても試合が終わって負けたからバイバイというのではなく、全部他の試合を見て行く必要があるのである。たった4試合なのだからだ。少なくともこの空気や雰囲気を味わって行くべきなのである。残念ながら敗退した多くのチームはすぐに帰ってしまった。これでは来年には生きないのではないかと私は思う。こうしたところにも、「徳島県人は本当にサッカーが好きなのか?」といつも私は疑問に感じるのである。将来徳島を代表するようになるかも知れないサッカー選手の中学生時代を歴史の生き証人として今見る事ができるのかもしれないのに、どうしてせっかく遠路はるばるやって来た以上最後まで見ていかないのかと私は不思議に思うのである。自分の子が出るサッカーだけでなく、他人の子のするサッカーであろうがサッカー自体を楽しむという文化が育ってこそ、本物のサッカー選手が誕生し育つサッカー文化にまで昇華することができると思うからだ。この意味では、徳島にはまだサッカーは根付いてはいない。
2008/07/12のBlog
[ 17:53 ]
[ 徳島サッカー ]
ついでに書いておけば、それにしても徳島には「不思議な構造的問題」がある。
例えば、海南、貞光・半田、勝浦などのように、市町村の地区予選1、2チームしかなく、無条件に県大会出場ができる地区、あるいは地区予選の3チーム全部が地区代表となる三好市のような地区があるかと思えば、徳島市の南部中のように十分ベスト8に残る力があるのにもかかわらず、厳しい市予選のために県大会出場できないチームもある。阿南市の那賀川中や阿南ニ中も同様に十分に県大会に出場できるチーム力があるにもかかわらず、出場を逃してしまった。
この問題は、徳島特有の”奇妙な”サッカー協会の運営方法や徳島県教育委員会の受験制度が影響しているといえるだろう。
徳島県というのは、他の都道府県と違って非常に”変わった”受験体制を持っている。他の地方の人はよく憶えておくと面白いだろう。
ここ徳島では、高校受験には3種類存在する。
1つ目は、「一芸入試」のような「特待生制度」がスポーツでとられている。抜群の運動能力を中学時代に発揮したものがこれで高校に進学する。
一方、学力による普通の入試だが、これがどういうわけか「前期」、「後期」と2種類に分かれている。2つ目の「前期入試」は「学力と一芸の両方を見る」というふれこみになっているが、その実「英数国」のたった3教科しかみない。つまり、私立学校的な見方を行う。そしてそれに落ちた生徒や受けなかった生徒たちが、3つ目の「一般入試」という「英数国理社」の5教科で学力だけを見る普通の入試を受ける。
こういうふうな非常に変わったやり方である。かなり非常識なやり方に見えるだろう。
さらに驚くのは、私が育った山梨や首都圏などでは、高校入試はどこの高校を何校受けようがそれはその家庭とその受験者本人の希望次第である。受かれば入学できるし落ちればそれまで。だから、普通は本命校から滑り止めなど複数校受験し、受かった中で本人や家庭の事情に合わせて進学するというのが普通である。
こういうものが、普通の話、常識なのだが、ここ徳島では、未だに「学域」が存在するのである。
例えば、阿南市に住む生徒は徳島市の高校を受験できない。両方を平行して受験できないように徳島県教育委員会は”非公式のルール”を先生や生徒や親に”独裁的に”強要しているのである。
だれがいつからこういうことを強制し始めたのかだれも知らないが、いつからかそうなってしまったようである。(東京のマスコミはこの辺は今の大分の教育委員会の不正と同じで、結構面白いから調べてみるべきだろう)
このため、中学生は高校受験の場合、したがって、阿南市の高校を受験すれば、阿南市の中でしか高校を受けられず、徳島市を選べば徳島市内の高校からしか選べないということになる。
そこで、問題が生じる。
というのは、徳島県は首都圏と違って有名私立高校がほとんどない。徳島市内ならまだ少しあるが、阿南市など他の周辺地区には私立校がない。だからいわゆる「滑り止め校」が存在しない。
そこで、「進学調整」というものを中学校の先生たちが行うのである。これは、周辺地区の中学校の先生たちが受験の前夜まで前もって、一種の”談合”を行って、夏頃の実力試験の成績を基準にして、だれそれはこの高校に進学、別のだれそれはこっちの高校に進学と生徒全員を割り振るのである。そうやってそれぞれの高校が出している定員数に合わせて受験者数を割り振っておくのである。
(誤解なきように補足しておけば、この方式を県教育委員会から押し付けられて実践している受験生担当の先生たちの苦労は尋常ではない。調整期に入ると連日の徹夜で心身疲労困ぱい状態となるのである。なぜなら子や親は自分の子はぜひこの高校へ行きたいと希望するし、一方では先生が君はこの高校へは行けないと双方で対立するからである。さらには、高校間の定員数もあるのでそれに合わせて双方の先生がこの子をこっちに入れるのならこっちの子をそっちに入れろというようなわけの分からない交渉をし対立するからだ。こういう調整が受験申し込みの最終日の早朝まで続く。だから、父兄も平日早朝2時3時に学校へ呼び出されることもしばしばである。先生も大変なら父兄も大変だ。良く眠るのは県教育委員会のお偉方だけだ。ほんとにふざけている。落ちたら浪人すれば良いわけだし、学校ごとに受験が重ならないように受験日をずらせば好いだけのことだ。好きなところを受験し受かったなら好きなところへ進学すれば好い。ただそれだけのはずなのだ。)
これにより、実際の受験の時には、すでにほとんど定員どおりが受験するのである。だから、実際にはほとんど受験で落ちる者はいない。一種の「共産主義」である。
じゃ、実際にはどうやってその”割り振り”を行うのか?
というと、そこにそれぞれの生徒の中学時代に見せたスポーツなどのクラブ活動の実績が加味されるのである。
例えば、サッカーを例に取れば、ある生徒が徳島ヴォルティスのサッカー部員であれば、これだけでもステータスとなり、「特待生」でサッカーの有名高校に入ることができる。また、あるサッカー部員が県大会で活躍したチームに所属すれば、今度は「前期入試」でそこそこのサッカーの有名高校に入ることができる。しかし、また別のサッカー選手はいくらうまくてもチームが活躍できなかったり、(監督とうまがあわず)県トレセンなどに選出されていなければ、この場合は普通の中学生と見なされて今度は「後期入試」しかチャンスがないということになるのである。
こうやって、「特待生」、「前期入試」、「後期入試」で高校のクラブレベルが分類されて生徒が分別されてしまっているために高校のサッカー部のレベルは学校ごとにレベルに差がつくという「格差社会」となってしまうというわけである。
一方、中学生たちは、それゆえ、県大会に必死で出ようとする。なぜなら、それが自分の高校入試に直結するわけだからだ。
ここで、最初の問題に繋がるのだ。つまり、簡単に県大会に出ることができる地区と激戦地区のために県大会に出られない地区が共存するという問題である。
県大会の活躍が県の公立高校の「受験条件」として公になっているわけだから、生徒である選手たちにとってはこれは「生徒の一生を左右しかねない問題」のはずである。なぜなら、サッカーの場合なら、もし県大会に出られれば、そこで活躍して名を馳せ、それによって徳島商業や鳴門高校などの有名高校へ進学する道があるかも知れないからである。それが、たまたま親がどこに住んでいるかによってその道が閉ざされたとすれば、これは”悲劇”である。
こういうふうに、徳島県ではこういう方式を強要する教育委員会のお偉方とそれに協力し自分の意向に従わない生徒(やその親)を推薦しない中学校の先生の”やりたい放題”の県というわけだ。だから、実際、父兄や親御さんたちは学校の先生たちに嫌われないように毎日びくびくしながら生きているというのが現実なのだ。一旦、サッカー部の監督に嫌われたらその生徒の人生はそれでお釈迦だ。こういうことがすべてのスポーツ、すべてのクラブにおいて行われているのが徳島県の教育委員会方式なのだ。
実は、私の息子の中学在学や高校受験を通じて、こういう”馬鹿げた”徳島流を拝見することになったわけだが、私が知る限り、サッカー部員などに限ってみても、人生の帰路に立ってかなりの中学生が”泣き”を見ている。心に一生の傷(トラウマ)を作ってしまっている子供も多く存在する。「もうサッカーなんかやりたくもない」と高校で止めてしまった子供も少なからずいる。じゃ、なんのために中学で3年間もサッカーしたんだ、これまでどれだけサッカー用品や遠征費などにお金を注ぎ込んできたんだということになる。
中学生の心に一生の大きな傷を生んで喜んでいる徳島県教育委員会の人々とはいったいどんな連中なのだろうか?
一度顔を見てみたいものだ。
こんなことを血眼になって喜んでしている徳島県の国体での成績は”2年連続で最下位”だ。また、高校駅伝でもいつも最下位近辺を行ったり来たりしている。さらには、Jリーグ2部の徳島ヴォルティスも最下位。四国九州アイランドリーグの徳島インディゴソックスもダントツの最下位である。
だれが考えたってそうなることは明白だろう。なぜなら、スポーツや芸術の裾野を広げるのではなく、若者の可能性を閉ざしてしまっているからだ。
Jリーグであれば、こんな成績の監督は即解雇である。江戸時代なら「切腹」。
こんな運営してても、「徳島県教育委員会」はだれも解雇されないから不思議だ。
ほんと摩訶不思議な地方である。
例えば、海南、貞光・半田、勝浦などのように、市町村の地区予選1、2チームしかなく、無条件に県大会出場ができる地区、あるいは地区予選の3チーム全部が地区代表となる三好市のような地区があるかと思えば、徳島市の南部中のように十分ベスト8に残る力があるのにもかかわらず、厳しい市予選のために県大会出場できないチームもある。阿南市の那賀川中や阿南ニ中も同様に十分に県大会に出場できるチーム力があるにもかかわらず、出場を逃してしまった。
この問題は、徳島特有の”奇妙な”サッカー協会の運営方法や徳島県教育委員会の受験制度が影響しているといえるだろう。
徳島県というのは、他の都道府県と違って非常に”変わった”受験体制を持っている。他の地方の人はよく憶えておくと面白いだろう。
ここ徳島では、高校受験には3種類存在する。
1つ目は、「一芸入試」のような「特待生制度」がスポーツでとられている。抜群の運動能力を中学時代に発揮したものがこれで高校に進学する。
一方、学力による普通の入試だが、これがどういうわけか「前期」、「後期」と2種類に分かれている。2つ目の「前期入試」は「学力と一芸の両方を見る」というふれこみになっているが、その実「英数国」のたった3教科しかみない。つまり、私立学校的な見方を行う。そしてそれに落ちた生徒や受けなかった生徒たちが、3つ目の「一般入試」という「英数国理社」の5教科で学力だけを見る普通の入試を受ける。
こういうふうな非常に変わったやり方である。かなり非常識なやり方に見えるだろう。
さらに驚くのは、私が育った山梨や首都圏などでは、高校入試はどこの高校を何校受けようがそれはその家庭とその受験者本人の希望次第である。受かれば入学できるし落ちればそれまで。だから、普通は本命校から滑り止めなど複数校受験し、受かった中で本人や家庭の事情に合わせて進学するというのが普通である。
こういうものが、普通の話、常識なのだが、ここ徳島では、未だに「学域」が存在するのである。
例えば、阿南市に住む生徒は徳島市の高校を受験できない。両方を平行して受験できないように徳島県教育委員会は”非公式のルール”を先生や生徒や親に”独裁的に”強要しているのである。
だれがいつからこういうことを強制し始めたのかだれも知らないが、いつからかそうなってしまったようである。(東京のマスコミはこの辺は今の大分の教育委員会の不正と同じで、結構面白いから調べてみるべきだろう)
このため、中学生は高校受験の場合、したがって、阿南市の高校を受験すれば、阿南市の中でしか高校を受けられず、徳島市を選べば徳島市内の高校からしか選べないということになる。
そこで、問題が生じる。
というのは、徳島県は首都圏と違って有名私立高校がほとんどない。徳島市内ならまだ少しあるが、阿南市など他の周辺地区には私立校がない。だからいわゆる「滑り止め校」が存在しない。
そこで、「進学調整」というものを中学校の先生たちが行うのである。これは、周辺地区の中学校の先生たちが受験の前夜まで前もって、一種の”談合”を行って、夏頃の実力試験の成績を基準にして、だれそれはこの高校に進学、別のだれそれはこっちの高校に進学と生徒全員を割り振るのである。そうやってそれぞれの高校が出している定員数に合わせて受験者数を割り振っておくのである。
(誤解なきように補足しておけば、この方式を県教育委員会から押し付けられて実践している受験生担当の先生たちの苦労は尋常ではない。調整期に入ると連日の徹夜で心身疲労困ぱい状態となるのである。なぜなら子や親は自分の子はぜひこの高校へ行きたいと希望するし、一方では先生が君はこの高校へは行けないと双方で対立するからである。さらには、高校間の定員数もあるのでそれに合わせて双方の先生がこの子をこっちに入れるのならこっちの子をそっちに入れろというようなわけの分からない交渉をし対立するからだ。こういう調整が受験申し込みの最終日の早朝まで続く。だから、父兄も平日早朝2時3時に学校へ呼び出されることもしばしばである。先生も大変なら父兄も大変だ。良く眠るのは県教育委員会のお偉方だけだ。ほんとにふざけている。落ちたら浪人すれば良いわけだし、学校ごとに受験が重ならないように受験日をずらせば好いだけのことだ。好きなところを受験し受かったなら好きなところへ進学すれば好い。ただそれだけのはずなのだ。)
これにより、実際の受験の時には、すでにほとんど定員どおりが受験するのである。だから、実際にはほとんど受験で落ちる者はいない。一種の「共産主義」である。
じゃ、実際にはどうやってその”割り振り”を行うのか?
というと、そこにそれぞれの生徒の中学時代に見せたスポーツなどのクラブ活動の実績が加味されるのである。
例えば、サッカーを例に取れば、ある生徒が徳島ヴォルティスのサッカー部員であれば、これだけでもステータスとなり、「特待生」でサッカーの有名高校に入ることができる。また、あるサッカー部員が県大会で活躍したチームに所属すれば、今度は「前期入試」でそこそこのサッカーの有名高校に入ることができる。しかし、また別のサッカー選手はいくらうまくてもチームが活躍できなかったり、(監督とうまがあわず)県トレセンなどに選出されていなければ、この場合は普通の中学生と見なされて今度は「後期入試」しかチャンスがないということになるのである。
こうやって、「特待生」、「前期入試」、「後期入試」で高校のクラブレベルが分類されて生徒が分別されてしまっているために高校のサッカー部のレベルは学校ごとにレベルに差がつくという「格差社会」となってしまうというわけである。
一方、中学生たちは、それゆえ、県大会に必死で出ようとする。なぜなら、それが自分の高校入試に直結するわけだからだ。
ここで、最初の問題に繋がるのだ。つまり、簡単に県大会に出ることができる地区と激戦地区のために県大会に出られない地区が共存するという問題である。
県大会の活躍が県の公立高校の「受験条件」として公になっているわけだから、生徒である選手たちにとってはこれは「生徒の一生を左右しかねない問題」のはずである。なぜなら、サッカーの場合なら、もし県大会に出られれば、そこで活躍して名を馳せ、それによって徳島商業や鳴門高校などの有名高校へ進学する道があるかも知れないからである。それが、たまたま親がどこに住んでいるかによってその道が閉ざされたとすれば、これは”悲劇”である。
こういうふうに、徳島県ではこういう方式を強要する教育委員会のお偉方とそれに協力し自分の意向に従わない生徒(やその親)を推薦しない中学校の先生の”やりたい放題”の県というわけだ。だから、実際、父兄や親御さんたちは学校の先生たちに嫌われないように毎日びくびくしながら生きているというのが現実なのだ。一旦、サッカー部の監督に嫌われたらその生徒の人生はそれでお釈迦だ。こういうことがすべてのスポーツ、すべてのクラブにおいて行われているのが徳島県の教育委員会方式なのだ。
実は、私の息子の中学在学や高校受験を通じて、こういう”馬鹿げた”徳島流を拝見することになったわけだが、私が知る限り、サッカー部員などに限ってみても、人生の帰路に立ってかなりの中学生が”泣き”を見ている。心に一生の傷(トラウマ)を作ってしまっている子供も多く存在する。「もうサッカーなんかやりたくもない」と高校で止めてしまった子供も少なからずいる。じゃ、なんのために中学で3年間もサッカーしたんだ、これまでどれだけサッカー用品や遠征費などにお金を注ぎ込んできたんだということになる。
中学生の心に一生の大きな傷を生んで喜んでいる徳島県教育委員会の人々とはいったいどんな連中なのだろうか?
一度顔を見てみたいものだ。
こんなことを血眼になって喜んでしている徳島県の国体での成績は”2年連続で最下位”だ。また、高校駅伝でもいつも最下位近辺を行ったり来たりしている。さらには、Jリーグ2部の徳島ヴォルティスも最下位。四国九州アイランドリーグの徳島インディゴソックスもダントツの最下位である。
だれが考えたってそうなることは明白だろう。なぜなら、スポーツや芸術の裾野を広げるのではなく、若者の可能性を閉ざしてしまっているからだ。
Jリーグであれば、こんな成績の監督は即解雇である。江戸時代なら「切腹」。
こんな運営してても、「徳島県教育委員会」はだれも解雇されないから不思議だ。
ほんと摩訶不思議な地方である。
[ 11:27 ]
[ 徳島サッカー ]
【2008年徳島県中学総体サッカー】
2008年度県中学総体サッカーが今日開幕。
対戦は以下の通り。
井川(三好市1位)──┐ーーーーーーーーーーーーーー┌──山川(吉野川1位)
ーーーーーーーーーーー│ーーーーーーーーーーーーーー│
吉野(阿波1位)──┐├──┐ーーーーーーーー┌──┤┌─富田(徳島4位)
ーーーーーーーーーー├┘ーー│ーーーーーーーー│ーー└┤
城東(徳島2位)──┘ーーー│ーーーーーーーー│ーーー└─美馬(美馬1位)
ーーーーーーーーーーーーーー├──┐ーー┌──┤
石井(石井1位)──┐ーーー│ーー│ーー│ーー│ーーー┌─海南(海南1位)
ーーーーーーーーーー├┐ーー│ーー│ーー│ーー│ーー┌┤
藍住(板野2位)──┘├──┘ーー│ーー│ーー└──┤└─貞光・半田
ーーーーーーーーーーー│ーーーーー│ーー│ーーーーー│
勝浦(勝浦1位)───┘ーーーーー│ーー│ーーーーー└──鳴門ニ(鳴門1位)
ーーーーーーーーーーーーーーーーー├──┤
三野(三好市3位)──┐ーーーーー│ーー│ーーーーー┌──城西(徳島3位)
ーーーーーーーーーーー│ーーーーー│ーー│ーーーーー│
三好(三好郡1位)─┐├──┐ーー│ーー│ーー┌──┤┌─土成(阿波2位)
ーーーーーーーーーー├┘ーー│ーー│ーー│ーー│ーー└┤
羽ノ浦(阿南1位)─┘ーーー│ーー│ーー│ーー│ーーー└─坂野(小松島1位)
ーーーーーーーーーーーーーー├──┘ーー└──┤
川内(徳島5位)──┐ーーー│ーーーーーーーー│ーーー┌─北島(板野1位)
ーーーーーーーーーー├┐ーー│ーーーーーーーー│ーー┌┤
鴨島一(吉野川2位)┘├──┘ーーーーーーーー└──┤└─阿南(阿南2位)
ーーーーーーーーーーー│ーーーーーーーーーーーーーー│
徳島(徳島1位)───┘ーーーーーーーーーーーーーー└──池田(三好市2位)
優勝候補の筆頭は、昨年優勝、県選手権準優勝の井川中、その次が最大のライバルの池田中。そして徳島市で圧倒的に力の差を見せつけた徳島中。U15ディビジョン2でも圧倒的だった。その次が北島中。
この北島中と池田中がベスト16であたるのは実に残念。また井川中と徳島中もおそらく準決勝であたるのは残念。
私の予想では、ベスト8は、井川一勝浦、羽ノ浦一徳島、山川一鳴門ニ、城西一池田ではないかと見ている。そして準決勝は、井川一徳島、山川一池田。決勝は、徳島一池田となり、徳島が優勝する。
これが私の予想だが、果たしてどうなるか?
いずれにせよ、良いプレーをして良い思い出を作って欲しいものである。
良い試合になること必至である。
2008年度県中学総体サッカーが今日開幕。
対戦は以下の通り。
井川(三好市1位)──┐ーーーーーーーーーーーーーー┌──山川(吉野川1位)
ーーーーーーーーーーー│ーーーーーーーーーーーーーー│
吉野(阿波1位)──┐├──┐ーーーーーーーー┌──┤┌─富田(徳島4位)
ーーーーーーーーーー├┘ーー│ーーーーーーーー│ーー└┤
城東(徳島2位)──┘ーーー│ーーーーーーーー│ーーー└─美馬(美馬1位)
ーーーーーーーーーーーーーー├──┐ーー┌──┤
石井(石井1位)──┐ーーー│ーー│ーー│ーー│ーーー┌─海南(海南1位)
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藍住(板野2位)──┘├──┘ーー│ーー│ーー└──┤└─貞光・半田
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勝浦(勝浦1位)───┘ーーーーー│ーー│ーーーーー└──鳴門ニ(鳴門1位)
ーーーーーーーーーーーーーーーーー├──┤
三野(三好市3位)──┐ーーーーー│ーー│ーーーーー┌──城西(徳島3位)
ーーーーーーーーーーー│ーーーーー│ーー│ーーーーー│
三好(三好郡1位)─┐├──┐ーー│ーー│ーー┌──┤┌─土成(阿波2位)
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羽ノ浦(阿南1位)─┘ーーー│ーー│ーー│ーー│ーーー└─坂野(小松島1位)
ーーーーーーーーーーーーーー├──┘ーー└──┤
川内(徳島5位)──┐ーーー│ーーーーーーーー│ーーー┌─北島(板野1位)
ーーーーーーーーーー├┐ーー│ーーーーーーーー│ーー┌┤
鴨島一(吉野川2位)┘├──┘ーーーーーーーー└──┤└─阿南(阿南2位)
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徳島(徳島1位)───┘ーーーーーーーーーーーーーー└──池田(三好市2位)
優勝候補の筆頭は、昨年優勝、県選手権準優勝の井川中、その次が最大のライバルの池田中。そして徳島市で圧倒的に力の差を見せつけた徳島中。U15ディビジョン2でも圧倒的だった。その次が北島中。
この北島中と池田中がベスト16であたるのは実に残念。また井川中と徳島中もおそらく準決勝であたるのは残念。
私の予想では、ベスト8は、井川一勝浦、羽ノ浦一徳島、山川一鳴門ニ、城西一池田ではないかと見ている。そして準決勝は、井川一徳島、山川一池田。決勝は、徳島一池田となり、徳島が優勝する。
これが私の予想だが、果たしてどうなるか?
いずれにせよ、良いプレーをして良い思い出を作って欲しいものである。
良い試合になること必至である。
[ 09:59 ]
[ 訃報・追悼 ]
ミスター「ニュートリノ」、「スーパーカミオカンデ」の創始者の1人、文化勲章の受賞者、戸塚洋二博士死去。享年66歳。癌と闘病の末力つきた。
戸塚洋二博士は、小柴昌俊博士のお弟子さんで、小柴博士の次にノーベル賞を取る可能性の高い日本人の第一番と予想されていた。日本の飯塚澄男博士(カーボンナノチューブの創始者)、サンタバーバラの中村修二博士(青色発光ダイオードの創始者)などと並び称された日本の英雄的かつ神話的科学者であった。
戸塚洋二博士は、小柴昌俊博士のお弟子さんで、小柴博士の次にノーベル賞を取る可能性の高い日本人の第一番と予想されていた。日本の飯塚澄男博士(カーボンナノチューブの創始者)、サンタバーバラの中村修二博士(青色発光ダイオードの創始者)などと並び称された日本の英雄的かつ神話的科学者であった。
ニュートリノに質量があるのかないのか、ニュートリノ振動が起こるのかいなか、
こういった問題にかっこうと挑戦し、”その答え”を出して行ったつわものであった。答えは、イエス、イエス。ニュートリノには質量がわずかながら存在し、ニュートリノ振動も起こる。
このように、「宇宙線物理学」という分野のパイオニアであった。
アメリカのフランクリンメダル、日本の文化勲章などなど数多くの諸外国の賞を受賞し、あとはノーベル物理学賞のみと目されていた矢先の早世であった。
これは日本にとっては大変残念なことで、「ソル一ゲル相転移」の田中豊一博士(MIT)、「共形場理論」の梁成吉(ヤン・ソンキル)博士(筑波大) 、「X線天文学」の小田稔博士(理研)、「中性子散乱」の白根元博士(アメリカ、ブルックヘブン研)、「能勢一フーバー法」の能勢修一博士(慶応大)などに続く、”ノーベル賞級”物理学者の早世であると言える。
こういった方々の死亡原因はさまざまで、心筋梗塞、心不全、癌、脳内出血などがある。ヘビースモーカーだった人も多々いる。だから、タバコが命を縮めたと言えるかもしれないが、ストレスによる血中コルチゾールの増加が最大の原因といえるだろう。
通常、科学者は長寿の部類に入る。なぜなら、人の寿命、特に男性の寿命はほぼ地位や名誉に比例するからである。「地位の低い人ほど早死にする」というのがこの世の常なのである。だから、地位も名誉もお金もある科学者で早世するというのは、本来ならあり得ないはずなのである。私のような”主夫”が先に死ぬはずのものなのである(アット・ホーム・ダッドは一番短命なの? )。それゆえ、そこにはタバコなどの外因の影響を見る事ができる。
この意味では、日本の場合、今や良い研究を行った科学者の”奥様方への教育”が必要な時なのかも知れない。妻が地位や名誉やお金の上にあぐらをかき、娘や息子とブランドやグルメをあさるばかりではいけない。最低限、自分の亭主の健康管理や長生きに気を配るのもそういう奥様方の勤めであろう。そういう責任があると私は考える。
早世の科学者にはお気の毒だが、彼らの残した真実の知識は永遠である。
御冥福を祈りたい。
参考:
戸塚洋二元所長が文化勲章を受章
こういった問題にかっこうと挑戦し、”その答え”を出して行ったつわものであった。答えは、イエス、イエス。ニュートリノには質量がわずかながら存在し、ニュートリノ振動も起こる。
このように、「宇宙線物理学」という分野のパイオニアであった。
アメリカのフランクリンメダル、日本の文化勲章などなど数多くの諸外国の賞を受賞し、あとはノーベル物理学賞のみと目されていた矢先の早世であった。
これは日本にとっては大変残念なことで、「ソル一ゲル相転移」の田中豊一博士(MIT)、「共形場理論」の梁成吉(ヤン・ソンキル)博士(筑波大) 、「X線天文学」の小田稔博士(理研)、「中性子散乱」の白根元博士(アメリカ、ブルックヘブン研)、「能勢一フーバー法」の能勢修一博士(慶応大)などに続く、”ノーベル賞級”物理学者の早世であると言える。
こういった方々の死亡原因はさまざまで、心筋梗塞、心不全、癌、脳内出血などがある。ヘビースモーカーだった人も多々いる。だから、タバコが命を縮めたと言えるかもしれないが、ストレスによる血中コルチゾールの増加が最大の原因といえるだろう。
通常、科学者は長寿の部類に入る。なぜなら、人の寿命、特に男性の寿命はほぼ地位や名誉に比例するからである。「地位の低い人ほど早死にする」というのがこの世の常なのである。だから、地位も名誉もお金もある科学者で早世するというのは、本来ならあり得ないはずなのである。私のような”主夫”が先に死ぬはずのものなのである(アット・ホーム・ダッドは一番短命なの? )。それゆえ、そこにはタバコなどの外因の影響を見る事ができる。
この意味では、日本の場合、今や良い研究を行った科学者の”奥様方への教育”が必要な時なのかも知れない。妻が地位や名誉やお金の上にあぐらをかき、娘や息子とブランドやグルメをあさるばかりではいけない。最低限、自分の亭主の健康管理や長生きに気を配るのもそういう奥様方の勤めであろう。そういう責任があると私は考える。
早世の科学者にはお気の毒だが、彼らの残した真実の知識は永遠である。
御冥福を祈りたい。
参考:
戸塚洋二元所長が文化勲章を受章
2008/07/10のBlog
[ 12:26 ]
[ ハワイ ]
このブログの記事はいつも”即興”であっという間に書いている。そのために、「日本人とアメリカ人の違い」について書いているうちにあらぬ方向へ行ってしまった。
が、実は最初に書こうとしていたのは、俗に言う「独り遊び」のことであった。この「独り遊び」の問題を日米の文化の違いから書こうとするうちに、住宅と育児の話に飛んでしまったというわけだ。住宅と育児のアトラクターに引き込まれてしまった。
さて、本題の「独り遊び」というのは何かと言えば、「人が1人で(つまり独りで)いても寂しがらずに自分の時間を過ごすことができる」ということである。
一般にアメリカ人は大人になっても「独り遊び」が好きだが、日本人は子供から大人に至まで「独り遊び」が苦手である。
だから、この差はどこから来るか?
実は、この違いは日本人とアメリカ人の育児の違いや家の違いから来るのだ。これを言いたかったのである。
前述のように、アメリカ人の子供は赤ん坊の頃から個室をもらい、夜泣きも無視され、常に「独り遊び」をして育つ。親がいようがいまいがいつも自分独りで時をすごすことを学ばさせられる。これが、自立心や自律心を生むとアメリカ人は考えている。
それゆえ、アメリカ人は大人になっても「独り遊び」が好きで、毎日日課として”1人で”スイミングプールで泳いだり、ジムに通ったり、外を走ったりする人々が多い。
それと比べると、日本人の場合は、ジョギングするにも道をウォーキングするにも2人づれ、3人づれと”連れ”あうのが好きな人種である。俗に”連れション”というのがあるように、トイレに行くにも1人では行けないというような者も多い。
この差は、親といっしょの部屋、親といっしょの布団で寝て育った人間と完全個室で赤ん坊の頃から育った人間の差と言えるのかも知れないというわけだ。
この差が、実は科学者や研究者や学者などにおいても、あるいは会社員や公務員などの職場においても仕事のやり方に影響を与えるのだろうと私は見ている。
私は親が非常に貧乏な時に生まれ、非常に狭い部屋で育ったが、親が仕事で忙しく世話をかなりほったらかしにされた状態で幼児期を過ごしたため、そして1歳未満から保育園にいれられたために、「独り遊び」はかなり好きな方である。まわりに人がいない方が気が楽な質である。
「だから」というわけではなかろうが、今は結局フリーの研究者として自由にやっている。つまり、今もって「独り遊び」しているわけである。この意味では”アメリカ人的”と言っても好いだろう。
しかし、多くの日本人の科学者の場合、研究においてもこういう意味で「独り遊び」は好きではないように見えるから面白い。たいていは「連れあって」いる。つまり、実際の作業という意味の仕事はもちろん独立して行うのだが、精神的にお互いに”依存”しているのである。これは、欧米人のように、実際の作業は協力して行うのだが精神的には独立しているというのとは逆なのである。
不思議なことは、ここ徳島の阿南にもアンジェラ・アキのように外国人と結婚して生まれたハーフ(混血)の子供達がいるが、そういうハーフの子供達や、ハーフの丹羽多聞アンドリウが好きなテレビに出てくるようなハーフの子供達がみな共通して「独り遊び」が得意であるかのように見えることである。
こうして考えると、「育児と家」の問題で考えたように、「独り遊び」の問題も育児から来ているとばかり言えず、やはり遺伝的要因もかなり大きなものが潜んでいるように見える。つまり、白人は「独り遊び」が好きだが、日本人は「独り遊び」が苦手、というようなことがあるということである。
実際、徳島には板東俘虜収容所があったせいか、先祖にドイツ人の血が混じったのではないか、あるいはポルトガル人のモラエスが住んだせいか、そのためにその血筋が入ったのではないか、というように見えるかなり西洋人顔の人物がたまにいるのだが、こういう人々はハワイの白人のおばさんと同じように結構「独り遊び」が好きのようである。
足げくスイミングプールに通い、毎日自分のノルマをこなしてはまた帰るというような人物は結構こういうタイプの白人型おばさまであることが多い。
それに比べると、同じように日課として外をウォーキングするという人でもいつも”連れ”といっしょというのは、日本人型のおばさまである。
「行動の違い」というのは、たいていはその社会の「文化的な違い」から来ると考えがちだが、ハエで「行動遺伝子」というものが発見されて以来、遺伝子の異常は行動異常を引き起こすと理解されて久しいように、おそらく人の場合も「行動の違い」は「遺伝子の違い」から来ていると考えてみる事もできるだろう。
進化分子工学者の鉄則にこういうものがある。
「大腸菌で正しいことはゾウでも正しい」
同様に分子生物学者の鉄則は
「ハエで正しいことは人間でも正しい」
である。
まあ、おそらく、実際には、
「DNAが蛋白質を作り、蛋白質がDNAを作る」
という自己言及的仕組が必須のように、
「遺伝子が行動を制御し、行動が遺伝子を制御する」
というようなメカニズムが存在するのだろう。つまり、「情報が構造を制御し、構造が情報を制御する」のである。「鶏が卵を生み、卵が鶏に孵る」というわけだ。
「独り遊び」は遺伝か文化か? 「独り遊び」は氏か育ちか?
こんなところにも、日本人とアメリカ人には差があるというわけである。短い期間だが、ハワイを旅する間にもこういった面白い問題を一考させられたという話である。
が、実は最初に書こうとしていたのは、俗に言う「独り遊び」のことであった。この「独り遊び」の問題を日米の文化の違いから書こうとするうちに、住宅と育児の話に飛んでしまったというわけだ。住宅と育児のアトラクターに引き込まれてしまった。
さて、本題の「独り遊び」というのは何かと言えば、「人が1人で(つまり独りで)いても寂しがらずに自分の時間を過ごすことができる」ということである。
一般にアメリカ人は大人になっても「独り遊び」が好きだが、日本人は子供から大人に至まで「独り遊び」が苦手である。
だから、この差はどこから来るか?
実は、この違いは日本人とアメリカ人の育児の違いや家の違いから来るのだ。これを言いたかったのである。
前述のように、アメリカ人の子供は赤ん坊の頃から個室をもらい、夜泣きも無視され、常に「独り遊び」をして育つ。親がいようがいまいがいつも自分独りで時をすごすことを学ばさせられる。これが、自立心や自律心を生むとアメリカ人は考えている。
それゆえ、アメリカ人は大人になっても「独り遊び」が好きで、毎日日課として”1人で”スイミングプールで泳いだり、ジムに通ったり、外を走ったりする人々が多い。
それと比べると、日本人の場合は、ジョギングするにも道をウォーキングするにも2人づれ、3人づれと”連れ”あうのが好きな人種である。俗に”連れション”というのがあるように、トイレに行くにも1人では行けないというような者も多い。
この差は、親といっしょの部屋、親といっしょの布団で寝て育った人間と完全個室で赤ん坊の頃から育った人間の差と言えるのかも知れないというわけだ。
この差が、実は科学者や研究者や学者などにおいても、あるいは会社員や公務員などの職場においても仕事のやり方に影響を与えるのだろうと私は見ている。
私は親が非常に貧乏な時に生まれ、非常に狭い部屋で育ったが、親が仕事で忙しく世話をかなりほったらかしにされた状態で幼児期を過ごしたため、そして1歳未満から保育園にいれられたために、「独り遊び」はかなり好きな方である。まわりに人がいない方が気が楽な質である。
「だから」というわけではなかろうが、今は結局フリーの研究者として自由にやっている。つまり、今もって「独り遊び」しているわけである。この意味では”アメリカ人的”と言っても好いだろう。
しかし、多くの日本人の科学者の場合、研究においてもこういう意味で「独り遊び」は好きではないように見えるから面白い。たいていは「連れあって」いる。つまり、実際の作業という意味の仕事はもちろん独立して行うのだが、精神的にお互いに”依存”しているのである。これは、欧米人のように、実際の作業は協力して行うのだが精神的には独立しているというのとは逆なのである。
不思議なことは、ここ徳島の阿南にもアンジェラ・アキのように外国人と結婚して生まれたハーフ(混血)の子供達がいるが、そういうハーフの子供達や、ハーフの丹羽多聞アンドリウが好きなテレビに出てくるようなハーフの子供達がみな共通して「独り遊び」が得意であるかのように見えることである。
こうして考えると、「育児と家」の問題で考えたように、「独り遊び」の問題も育児から来ているとばかり言えず、やはり遺伝的要因もかなり大きなものが潜んでいるように見える。つまり、白人は「独り遊び」が好きだが、日本人は「独り遊び」が苦手、というようなことがあるということである。
実際、徳島には板東俘虜収容所があったせいか、先祖にドイツ人の血が混じったのではないか、あるいはポルトガル人のモラエスが住んだせいか、そのためにその血筋が入ったのではないか、というように見えるかなり西洋人顔の人物がたまにいるのだが、こういう人々はハワイの白人のおばさんと同じように結構「独り遊び」が好きのようである。
足げくスイミングプールに通い、毎日自分のノルマをこなしてはまた帰るというような人物は結構こういうタイプの白人型おばさまであることが多い。
それに比べると、同じように日課として外をウォーキングするという人でもいつも”連れ”といっしょというのは、日本人型のおばさまである。
「行動の違い」というのは、たいていはその社会の「文化的な違い」から来ると考えがちだが、ハエで「行動遺伝子」というものが発見されて以来、遺伝子の異常は行動異常を引き起こすと理解されて久しいように、おそらく人の場合も「行動の違い」は「遺伝子の違い」から来ていると考えてみる事もできるだろう。
進化分子工学者の鉄則にこういうものがある。
「大腸菌で正しいことはゾウでも正しい」
同様に分子生物学者の鉄則は
「ハエで正しいことは人間でも正しい」
である。
まあ、おそらく、実際には、
「DNAが蛋白質を作り、蛋白質がDNAを作る」
という自己言及的仕組が必須のように、
「遺伝子が行動を制御し、行動が遺伝子を制御する」
というようなメカニズムが存在するのだろう。つまり、「情報が構造を制御し、構造が情報を制御する」のである。「鶏が卵を生み、卵が鶏に孵る」というわけだ。
「独り遊び」は遺伝か文化か? 「独り遊び」は氏か育ちか?
こんなところにも、日本人とアメリカ人には差があるというわけである。短い期間だが、ハワイを旅する間にもこういった面白い問題を一考させられたという話である。
[ 11:18 ]
[ ハワイ ]
アメリカ人と日本人には結構文化的に似ているようで違ったところがある。
アメリカ人と言っても千差万別。ヨーロッパ系白人からアメリカ生まれの白人、アフリカ系の黒人、インド系、中国人、極東アジア系東洋人、そしてアメリカインディアンに至までさまざまである。
しかし、アメリカのモダニゼーションを起こしたのは善かれ悪しかれアメリカの白人であるから、現在のアメリカ文明にはその影響が強く出ている。
おそらく私がこれまで体感した中では、それが一番出ているのは、「育児のしかた」と「ハウスの作り方」だろうと思う。
(あ)まず、アメリカ人の育児について。
アメリカ人の育児についてはさまざなハリウッド映画にも描かれている。だから日本人にもある程度は知られるようになったと思う。おそらく、一番の違いは、赤ん坊にも”個室”を与えることである。
もちろん、これは日米の住宅事情の違いが色濃く影響している。要するに、アメリカの家の方が部屋数も多く、家が広いことに由来する。日本は”兎小屋”と呼ばれるように部屋も狭く部屋数も少ない。だから、新生児の赤ん坊にまで1部屋を与える余裕がない。
サブプライムローン問題で有名になったように、下層階級のもっとも貧乏な人々に提供する家でさえ、日本の田園調布のような高級住宅街の物件より高級の家である。だから、論理的に考えて破たんするのは当たり前の話だが、そういう高級な家に住みたいとアメリカ人は最低クラスの人間でも考えているのである。
こんな広い家に住むと赤ん坊1人1人にまで個室が与えることができるというわけだ。
だから、赤ちゃんを個室のベッドの上に寝かせ、その赤ん坊をカメラやトランシーバーでモニターしながら、親たちは別の部屋で寝る。ハリウッド映画にもこういうシーンは良く現れる。
また、アメリカの育児書にも、こういうふうにすることが勧められている。仮に赤ちゃんが夜泣きをしてもそれをあやすようなことをするなとあるのだ。親が夜泣きの度にあやせば、その赤ん坊はそれを求めるようになりますます夜泣きする。だから泣かせておけ、そうすれば赤ん坊は夜泣いても無駄だと覚える。そしてまた朝になれば親が来ることを学ぶようになるというわけである。何か大きな異常だけに注意し、それ以外はほおっておくべきだという発想である。
長らく私はこう考えて来た。しかし、どうやら事情は必ずしもそうとは限らないと最近は考えるようになった。
つまり、今度は親の側からの見方だが、実は赤ん坊と離れていないと親の方が良く眠れずにいらいらし、子供にとっても良くない。だから、赤ん坊と親は別々に寝た方がアメリカ人の場合にはよろしいのではないか、ということである。
もし我々日本人がアメリカに住んだとしよう。果たしてアメリカの広い家に住んだ場合でも日本人は赤ん坊を個室に入れて別々の部屋で眠ることができるだろうか?
おそらく、日本人の場合は、アメリカ人とは逆で赤ん坊が心配で心配で良く眠れなくなるのではないだろうか。
要するに、赤ん坊といっしょの部屋で寝るかどうか、というのは、住宅事情もさることながら、やはり民族としての遺伝的気質の違いによることもかなり大きいのではないか。そう私は考えるようになったというわけだ。それが、次第に”文化的違い”のように見えるまでに至ったということだろう。
日本人の親は赤ん坊といっしょに入浴する(つまり、同じ湯舟に入る)が、アメリカ人はそういうことは絶対にしない。子は子、親は親で風呂に入る。もちろん、夫と妻も別々に入り、日本人のように夫婦で風呂に入るということもアメリカ人は普通はしないことである。
こんなふうに、非常に日常的なことであれ、日米ではかなり異なっている。実は、この違いが日米の社会的な事柄にまで繋がってきているように見えるから実に面白い。それが、住宅事情にまで関係するのである。
アメリカ人と言っても千差万別。ヨーロッパ系白人からアメリカ生まれの白人、アフリカ系の黒人、インド系、中国人、極東アジア系東洋人、そしてアメリカインディアンに至までさまざまである。
しかし、アメリカのモダニゼーションを起こしたのは善かれ悪しかれアメリカの白人であるから、現在のアメリカ文明にはその影響が強く出ている。
おそらく私がこれまで体感した中では、それが一番出ているのは、「育児のしかた」と「ハウスの作り方」だろうと思う。
(あ)まず、アメリカ人の育児について。
アメリカ人の育児についてはさまざなハリウッド映画にも描かれている。だから日本人にもある程度は知られるようになったと思う。おそらく、一番の違いは、赤ん坊にも”個室”を与えることである。
もちろん、これは日米の住宅事情の違いが色濃く影響している。要するに、アメリカの家の方が部屋数も多く、家が広いことに由来する。日本は”兎小屋”と呼ばれるように部屋も狭く部屋数も少ない。だから、新生児の赤ん坊にまで1部屋を与える余裕がない。
サブプライムローン問題で有名になったように、下層階級のもっとも貧乏な人々に提供する家でさえ、日本の田園調布のような高級住宅街の物件より高級の家である。だから、論理的に考えて破たんするのは当たり前の話だが、そういう高級な家に住みたいとアメリカ人は最低クラスの人間でも考えているのである。
こんな広い家に住むと赤ん坊1人1人にまで個室が与えることができるというわけだ。
だから、赤ちゃんを個室のベッドの上に寝かせ、その赤ん坊をカメラやトランシーバーでモニターしながら、親たちは別の部屋で寝る。ハリウッド映画にもこういうシーンは良く現れる。
また、アメリカの育児書にも、こういうふうにすることが勧められている。仮に赤ちゃんが夜泣きをしてもそれをあやすようなことをするなとあるのだ。親が夜泣きの度にあやせば、その赤ん坊はそれを求めるようになりますます夜泣きする。だから泣かせておけ、そうすれば赤ん坊は夜泣いても無駄だと覚える。そしてまた朝になれば親が来ることを学ぶようになるというわけである。何か大きな異常だけに注意し、それ以外はほおっておくべきだという発想である。
長らく私はこう考えて来た。しかし、どうやら事情は必ずしもそうとは限らないと最近は考えるようになった。
つまり、今度は親の側からの見方だが、実は赤ん坊と離れていないと親の方が良く眠れずにいらいらし、子供にとっても良くない。だから、赤ん坊と親は別々に寝た方がアメリカ人の場合にはよろしいのではないか、ということである。
もし我々日本人がアメリカに住んだとしよう。果たしてアメリカの広い家に住んだ場合でも日本人は赤ん坊を個室に入れて別々の部屋で眠ることができるだろうか?
おそらく、日本人の場合は、アメリカ人とは逆で赤ん坊が心配で心配で良く眠れなくなるのではないだろうか。
要するに、赤ん坊といっしょの部屋で寝るかどうか、というのは、住宅事情もさることながら、やはり民族としての遺伝的気質の違いによることもかなり大きいのではないか。そう私は考えるようになったというわけだ。それが、次第に”文化的違い”のように見えるまでに至ったということだろう。
日本人の親は赤ん坊といっしょに入浴する(つまり、同じ湯舟に入る)が、アメリカ人はそういうことは絶対にしない。子は子、親は親で風呂に入る。もちろん、夫と妻も別々に入り、日本人のように夫婦で風呂に入るということもアメリカ人は普通はしないことである。
こんなふうに、非常に日常的なことであれ、日米ではかなり異なっている。実は、この違いが日米の社会的な事柄にまで繋がってきているように見えるから実に面白い。それが、住宅事情にまで関係するのである。
(い)住宅事情について
アメリカの家の方が部屋数が多く広さも広いのは良く知られている。しかし、あまり知られていないのは、アメリカの家の作り方として、必ず玄関の当たりにテラスというのか、ちょっと広い空間がいっしょに存在するということである。
よくアメリカの映画で、家の住人が玄関あたりでたむろす姿を見る事があるだろう。バック・トゥー・ザ・フューチャーでもマーティーの彼女は玄関にあるブランコの中で眠っている。玄関にブランコ? そもそも玄関にブランコがあるというのも日本ではおかしな話であろう。
しかし、アメリカの家は、たいてい玄関に広いスペースがあり、まるで船のデッキのような感じになっている。だから、家にいる時、外を眺めながら玄関先でくつろぐというような風景はごくごく一般的である。
きっと日本人にとっての縁側のようなものだろう。日本人が縁側でお茶でも飲みながらくつろぐように、アメリカ人は玄関先でくつろぐ。玄関先で編み物をしているおばあさんというのも時々見かける。玄関先でビールを飲んでいる人などもよく見る風景である。
そんなわけで、アメリカ人は自分の家の玄関先で人目にさらされようがお構いなしである。
また、アメリカ人と日本人を比べた場合、不思議なことはアメリカ人というのは窓の外から中を見られることをあまり気にしないのに、日本人はそれを極度に嫌がるという気質の違いがあることである。
アメリカ人の白人の場合、どういうわけか、あまり窓のカーテンを閉めない。中で何をしてようがお構いなく窓はオープンである。外に人がいても気にしない。平気である。しかし、日本人は外に人の気配があればすぐにカーテンを閉める。
こんな気質の違いは時として非常に意外なところでも見る事ができる。
ここ阿南にも市民体育館があるが、時に学校のスポーツ大会が開催される。剣道や体操、バスケットボールやバレーボール、こうした大会が開かれる。体育館の中には、もちろん観客席があり、大勢の関係者や一般客が入って見ることができる。だから、外の一般人や道路を行き交う通行人が体育館の外側についている窓から試合を見る事ができるのが自然だと思うが、こういう場合、決まって窓のカーテンを閉めるのである。だから、外からは試合が見る事が出来ない。”密室”の試合となるわけだ。
まずアメリカ人の場合にはこういうことはない。公式戦なのだから、外の窓という窓はオープンとなる。
こんな感じで日本人は外から見られることを嫌う人種なのである。
考えてみれば、縁側というのも、家の中庭の中にあるもので、家の外から人目にさらされているわけではない。だから、昔から日本人は人目に出ることは苦手なのだろう。人前に出ると顔が赤くなるという赤面症の人も日本人にはかなりの率でいる。
ニートやオタクでも部屋に隠るのは日本人で、ニートやオタク(あるいはナーズ)でもどうどうと大学の図書館にあるコンピュータルームで騒いでいるのはアメリカ人である。
最近行ったアラモアナショッピングセンターの2階にMacの店が出来ていたが、そこで最新のMacで最新のゲームを人目も気にせず遊んでいたのはハワイの子供たちであった。
はたしてこういう性質の差はどこから来るのだろうか?
まあ、一見ジョークのような1つの考えだが、きっとアメリカ人の場合は、赤ん坊の頃から広い個室に赤ちゃんベッドが置かれ、それを自分のハウスのようにあてがわれ、外から両親や人々に見られながらずっとその中で育つからだ、というものがあるかも知れない。それと比べたら、日本人の場合は、狭い家の中で人目に触れないように赤ん坊時代から育てられる。
言い換えれば、アメリカ人はオープンスペースで育つが、日本人は密室で育つ。これが後々の個性の違いや精神状態の違い、そして気質の違いにまで発展する。
要するに、住宅事情の違いが気質の違いを生むが、今度は気質の違いが住宅事情の違いを生む。家は住む人の気質を変え、人の気質は住む家を変える。卵が先か、鶏が先かと同じような問題がそこにあると言えるだろう。
ハワイはアメリカに属するがアメリカではないというが、しかしハワイに行く度にやはりハワイもアメリカだなと思わさせられる。日系ハワイ人しかり。普通の日本人とはかなり違う。
育児法から持ち家まで、やはりそれぞれの文化や人種的気質にみあうように出来ているのである。
アメリカの家の方が部屋数が多く広さも広いのは良く知られている。しかし、あまり知られていないのは、アメリカの家の作り方として、必ず玄関の当たりにテラスというのか、ちょっと広い空間がいっしょに存在するということである。
よくアメリカの映画で、家の住人が玄関あたりでたむろす姿を見る事があるだろう。バック・トゥー・ザ・フューチャーでもマーティーの彼女は玄関にあるブランコの中で眠っている。玄関にブランコ? そもそも玄関にブランコがあるというのも日本ではおかしな話であろう。
しかし、アメリカの家は、たいてい玄関に広いスペースがあり、まるで船のデッキのような感じになっている。だから、家にいる時、外を眺めながら玄関先でくつろぐというような風景はごくごく一般的である。
きっと日本人にとっての縁側のようなものだろう。日本人が縁側でお茶でも飲みながらくつろぐように、アメリカ人は玄関先でくつろぐ。玄関先で編み物をしているおばあさんというのも時々見かける。玄関先でビールを飲んでいる人などもよく見る風景である。
そんなわけで、アメリカ人は自分の家の玄関先で人目にさらされようがお構いなしである。
また、アメリカ人と日本人を比べた場合、不思議なことはアメリカ人というのは窓の外から中を見られることをあまり気にしないのに、日本人はそれを極度に嫌がるという気質の違いがあることである。
アメリカ人の白人の場合、どういうわけか、あまり窓のカーテンを閉めない。中で何をしてようがお構いなく窓はオープンである。外に人がいても気にしない。平気である。しかし、日本人は外に人の気配があればすぐにカーテンを閉める。
こんな気質の違いは時として非常に意外なところでも見る事ができる。
ここ阿南にも市民体育館があるが、時に学校のスポーツ大会が開催される。剣道や体操、バスケットボールやバレーボール、こうした大会が開かれる。体育館の中には、もちろん観客席があり、大勢の関係者や一般客が入って見ることができる。だから、外の一般人や道路を行き交う通行人が体育館の外側についている窓から試合を見る事ができるのが自然だと思うが、こういう場合、決まって窓のカーテンを閉めるのである。だから、外からは試合が見る事が出来ない。”密室”の試合となるわけだ。
まずアメリカ人の場合にはこういうことはない。公式戦なのだから、外の窓という窓はオープンとなる。
こんな感じで日本人は外から見られることを嫌う人種なのである。
考えてみれば、縁側というのも、家の中庭の中にあるもので、家の外から人目にさらされているわけではない。だから、昔から日本人は人目に出ることは苦手なのだろう。人前に出ると顔が赤くなるという赤面症の人も日本人にはかなりの率でいる。
ニートやオタクでも部屋に隠るのは日本人で、ニートやオタク(あるいはナーズ)でもどうどうと大学の図書館にあるコンピュータルームで騒いでいるのはアメリカ人である。
最近行ったアラモアナショッピングセンターの2階にMacの店が出来ていたが、そこで最新のMacで最新のゲームを人目も気にせず遊んでいたのはハワイの子供たちであった。
はたしてこういう性質の差はどこから来るのだろうか?
まあ、一見ジョークのような1つの考えだが、きっとアメリカ人の場合は、赤ん坊の頃から広い個室に赤ちゃんベッドが置かれ、それを自分のハウスのようにあてがわれ、外から両親や人々に見られながらずっとその中で育つからだ、というものがあるかも知れない。それと比べたら、日本人の場合は、狭い家の中で人目に触れないように赤ん坊時代から育てられる。
言い換えれば、アメリカ人はオープンスペースで育つが、日本人は密室で育つ。これが後々の個性の違いや精神状態の違い、そして気質の違いにまで発展する。
要するに、住宅事情の違いが気質の違いを生むが、今度は気質の違いが住宅事情の違いを生む。家は住む人の気質を変え、人の気質は住む家を変える。卵が先か、鶏が先かと同じような問題がそこにあると言えるだろう。
ハワイはアメリカに属するがアメリカではないというが、しかしハワイに行く度にやはりハワイもアメリカだなと思わさせられる。日系ハワイ人しかり。普通の日本人とはかなり違う。
育児法から持ち家まで、やはりそれぞれの文化や人種的気質にみあうように出来ているのである。
2008/07/08のBlog
[ 14:36 ]
[ ハワイ ]
ハワイのオアフ島といえばマツモトのシェーブアイス。シェーブアイスと言えばマツモト、というほどマツモトのシェーブアイスは超有名である。
シェーブアイスとは、日本のかき氷のようなものである。しかしもうちょっと氷りのキメが細かい。
世界中から毎日このシェーブアイスを食べるためにやってくる。いつ見ても何十人もの人々が行列を作って待っている。それがマツモトのシェーブアイスである。
今回の私のオアフの旅の最大の目的はこのマツモトのシェーブアイスを食べることだった。わざわざハワイまでこのシェーブアイスを食べるためにやって来た、そうい言っても過言ではなかったのである。
シェーブアイスとは、日本のかき氷のようなものである。しかしもうちょっと氷りのキメが細かい。
世界中から毎日このシェーブアイスを食べるためにやってくる。いつ見ても何十人もの人々が行列を作って待っている。それがマツモトのシェーブアイスである。
今回の私のオアフの旅の最大の目的はこのマツモトのシェーブアイスを食べることだった。わざわざハワイまでこのシェーブアイスを食べるためにやって来た、そうい言っても過言ではなかったのである。
マツモトのシェーブアイスを食べるにはどうやって行くか?
というと、実に簡単。ホノルルのアラモアナショッピングセンターから出る市バス(TheBus)のルート52あるいはルート55、あるいはルート88Aに乗れば良い。
今回、私は数時間を覚悟して、アラモアナからルート55カネオヘサークルアイランドバスに乗った。まずはパリハイウェーから始まり、カイルア、カネオヘ経由でハレイワにあるマツモトに向かった。
約2時間ずっと各駅停車でバスを乗り続けると、見える見える。いわゆるノースショアと呼ばれる地方の有名な海岸の数々が。
カネオヘベイからワイアホールビーチ、クアロアビーチ、カナハベイビーチ、プナルウ、ハウウラ、ライエビーチ、
驚くべきことにここライエビーチにはモルモン寺院とBYUハワイ校がある。私はユタ大出身なのでソルートレークはモルモンテンプルの本拠地、隣街のプロボにはモルモン教の大学BYUがある。インディー・ジョーンズが教えている大学がおそらくここではないかと私は見ている。このモルモンの支部がオアフ島にもあるというわけだ。お金のあるところモルモン教徒が集う。
そして、カフクシュガーミル、そしてタートルベイリゾート。ここでドライバーがちょっと一服。乗車している我々も外へ出てちょっと休憩。とはいっても、すでに乗客は数人の観光客のみ。
再び乗車して今度は、有名なサンセットビーチ、エフカイビーチ、ワイメアビーチ、そしてハレイワアリイビーチと見て、ハレイワに到着。
女性運転手の”マツモト”という大声で一同ここで降りた。ゴーーーール。ついにマツモトのほぼ真ん前で降りた。
というと、実に簡単。ホノルルのアラモアナショッピングセンターから出る市バス(TheBus)のルート52あるいはルート55、あるいはルート88Aに乗れば良い。
今回、私は数時間を覚悟して、アラモアナからルート55カネオヘサークルアイランドバスに乗った。まずはパリハイウェーから始まり、カイルア、カネオヘ経由でハレイワにあるマツモトに向かった。
約2時間ずっと各駅停車でバスを乗り続けると、見える見える。いわゆるノースショアと呼ばれる地方の有名な海岸の数々が。
カネオヘベイからワイアホールビーチ、クアロアビーチ、カナハベイビーチ、プナルウ、ハウウラ、ライエビーチ、
驚くべきことにここライエビーチにはモルモン寺院とBYUハワイ校がある。私はユタ大出身なのでソルートレークはモルモンテンプルの本拠地、隣街のプロボにはモルモン教の大学BYUがある。インディー・ジョーンズが教えている大学がおそらくここではないかと私は見ている。このモルモンの支部がオアフ島にもあるというわけだ。お金のあるところモルモン教徒が集う。
そして、カフクシュガーミル、そしてタートルベイリゾート。ここでドライバーがちょっと一服。乗車している我々も外へ出てちょっと休憩。とはいっても、すでに乗客は数人の観光客のみ。
再び乗車して今度は、有名なサンセットビーチ、エフカイビーチ、ワイメアビーチ、そしてハレイワアリイビーチと見て、ハレイワに到着。
女性運転手の”マツモト”という大声で一同ここで降りた。ゴーーーール。ついにマツモトのほぼ真ん前で降りた。
店を見るとすでに大勢の人の山。やっとの思いで来たにもかかわらず、「やっぱり食うの止めて帰るか」と思わされる。そこで、しばらく客が少なくなるまで近所を散歩。しかしさすがに2時間以上もかけて来たのだからと、客が少なめになったころあいを見計らって、行列も一興と私も列に並ぶことにした。
待つこと10分私の番が来た。
「マツモトレインボーシェーブアイス、プリーズ! ウィズビーンズ」
すると、あずき入りの3色レインボーシェーブアイスが来た。2ドル50セント。
ついに念願のシェーブアイスをゲット。
ベンチに座って食べている時、確か日本人のだれかが写真を撮ってくれた。あまりのうれしさと疲労のためか、この場面の記憶がない。とにかく、撮ってくれた人にありがとうと言いたい。
待つこと10分私の番が来た。
「マツモトレインボーシェーブアイス、プリーズ! ウィズビーンズ」
すると、あずき入りの3色レインボーシェーブアイスが来た。2ドル50セント。
ついに念願のシェーブアイスをゲット。
ベンチに座って食べている時、確か日本人のだれかが写真を撮ってくれた。あまりのうれしさと疲労のためか、この場面の記憶がない。とにかく、撮ってくれた人にありがとうと言いたい。
写真:こんな綺麗な若い女性がマツモトの看板娘
念願のシェーブアイスをついに食べたから、土産でも買って後は帰路に着こうかと思っていたところ、お昼を過ぎていたことに気付いた。そこでちょっとぶらぶらするとその間、確か隣のアオキアイスとの間あたりにバーベキューの店、それもアメリカ人の白人一家でやっている感じのするお店があったので、その手作りそのもののバーベキューセットを食べることにした。
店の奥によく日本の祭りの出店にあるテーブルのようなものがあったので、そこで1人で食べることにした。先客には4人ほど中国人か韓国人のグループがいただけだった。
まず写真をと思い、食事を写真に撮っていると、すぐに日本人のカップルが隣に座った。そこで、
「新婚さんですか?」
と私が尋ねたのだが、そこから話がはずみ、ハワイの四方山話をしながらのんびりと昼食を取った。どうやらバイクのツーリングでここまでやってきたという。
「若い2人はお先にどうぞ」
と私が言って、そこで別れたのだが、
「1人旅ですか? いいですね」
といったその可愛い女の子の一言が胸に残った。
念願のシェーブアイスをついに食べたから、土産でも買って後は帰路に着こうかと思っていたところ、お昼を過ぎていたことに気付いた。そこでちょっとぶらぶらするとその間、確か隣のアオキアイスとの間あたりにバーベキューの店、それもアメリカ人の白人一家でやっている感じのするお店があったので、その手作りそのもののバーベキューセットを食べることにした。
店の奥によく日本の祭りの出店にあるテーブルのようなものがあったので、そこで1人で食べることにした。先客には4人ほど中国人か韓国人のグループがいただけだった。
まず写真をと思い、食事を写真に撮っていると、すぐに日本人のカップルが隣に座った。そこで、
「新婚さんですか?」
と私が尋ねたのだが、そこから話がはずみ、ハワイの四方山話をしながらのんびりと昼食を取った。どうやらバイクのツーリングでここまでやってきたという。
「若い2人はお先にどうぞ」
と私が言って、そこで別れたのだが、
「1人旅ですか? いいですね」
といったその可愛い女の子の一言が胸に残った。
さて、腹も満ちて近所の店で土産を見てまわり、奥さん用のドレスを買った。その店員がきれいな若い女性だったので、思わず「メイ アイ テイク ユア ピクチャー?」と了承を得て写真を一枚。それを見せると、非常に喜んでくれた。
帰路を目指してその子に帰りのバスストップはどこかと聞くと、ちょうど店の道路を超えた目の前のベンチだという。
そこで、1人でずっと待っていると、大きな身体をしたハワイアンがやってきて、隣に座った。その彼は茶色をしたシェーブアイスを食っていた。その人はシェーブアイスを食べる度に
「オー、ノー。オーーー」
と大声をあげる。そして暫くすると
「アイム バック」
と言った。これを繰り返しながら食べていた。おい大丈夫かと思って見ているとどうやら、あまりの冷たさが脳天に来て、オーとうなっていたわけだ。そこで、
「それは何のシェーブアイスか?」
と私が物欲しげに聞くと、
「これはな、ブラウンベリーのシェーブアイスさ。食ってみるか?」
とその彼は答えた。さすがに身も知らずの人の食ってるものを食うわけにもいかず、ノーサンキューだったが、実にうまそうな代物だった。今度食う時はこれも食うかと思っていると、
「お前はジャパニーズか?」
と今度は向こうが聞いて来た。「そうだ」と答えると、彼は横綱曙とは一家ぐるみの友だちだという。曙とその家族の話、日本へ渡ったハワイアン力士の話などをしながら彼と2人でバスを待った。
そして打ち解けて来たので、この辺で写真を1枚とらせてもらおうか、とカメラを出した取ろうとした瞬間にバスが到着。そんなわけで残念ながらシャッターチャンスを逸してしまった。バスの中でとも思ったが、今度は意外に込んでいてそれっきりとなってしまった。
バスに乗る際に、そのハワイアンがアロハのシグナルをしたのが最後となってしまった。
そして、ついに帰路。今度は山と山の谷間を走るカメハメハハイウェーで帰る。
ワイアルア、ワヒアワ。ここには有名なドールの大農場園がある。
そして、ワイピオと来て、とうとうパールハーバーの一帯に来る。あとは目と鼻の先。フリーウェーのH1に乗り、アッと言う間にホノルルに到着。
いやはや、目的はマツモトのシェーブアイスだけだったのだが、やはり
「旅は道連れ、世は情け」
というのはいずこの世界でも真実であるということを考えさせられた良い旅であった。せいぜいバス代は4ドル、昼食代が12ドル、マツモトシェーブアイスが3ドル程度でこれだけの体験が出来たのだから、すばらしいボーナスをもらったようなものだ。
何ごとも面倒くさがってはいけない。「打てされば開かれん」ということだろう。
ということで、ここにもボーナスとしていくつか写真を紹介しておくことにしよう。
帰路を目指してその子に帰りのバスストップはどこかと聞くと、ちょうど店の道路を超えた目の前のベンチだという。
そこで、1人でずっと待っていると、大きな身体をしたハワイアンがやってきて、隣に座った。その彼は茶色をしたシェーブアイスを食っていた。その人はシェーブアイスを食べる度に
「オー、ノー。オーーー」
と大声をあげる。そして暫くすると
「アイム バック」
と言った。これを繰り返しながら食べていた。おい大丈夫かと思って見ているとどうやら、あまりの冷たさが脳天に来て、オーとうなっていたわけだ。そこで、
「それは何のシェーブアイスか?」
と私が物欲しげに聞くと、
「これはな、ブラウンベリーのシェーブアイスさ。食ってみるか?」
とその彼は答えた。さすがに身も知らずの人の食ってるものを食うわけにもいかず、ノーサンキューだったが、実にうまそうな代物だった。今度食う時はこれも食うかと思っていると、
「お前はジャパニーズか?」
と今度は向こうが聞いて来た。「そうだ」と答えると、彼は横綱曙とは一家ぐるみの友だちだという。曙とその家族の話、日本へ渡ったハワイアン力士の話などをしながら彼と2人でバスを待った。
そして打ち解けて来たので、この辺で写真を1枚とらせてもらおうか、とカメラを出した取ろうとした瞬間にバスが到着。そんなわけで残念ながらシャッターチャンスを逸してしまった。バスの中でとも思ったが、今度は意外に込んでいてそれっきりとなってしまった。
バスに乗る際に、そのハワイアンがアロハのシグナルをしたのが最後となってしまった。
そして、ついに帰路。今度は山と山の谷間を走るカメハメハハイウェーで帰る。
ワイアルア、ワヒアワ。ここには有名なドールの大農場園がある。
そして、ワイピオと来て、とうとうパールハーバーの一帯に来る。あとは目と鼻の先。フリーウェーのH1に乗り、アッと言う間にホノルルに到着。
いやはや、目的はマツモトのシェーブアイスだけだったのだが、やはり
「旅は道連れ、世は情け」
というのはいずこの世界でも真実であるということを考えさせられた良い旅であった。せいぜいバス代は4ドル、昼食代が12ドル、マツモトシェーブアイスが3ドル程度でこれだけの体験が出来たのだから、すばらしいボーナスをもらったようなものだ。
何ごとも面倒くさがってはいけない。「打てされば開かれん」ということだろう。
ということで、ここにもボーナスとしていくつか写真を紹介しておくことにしよう。
2008/07/06のBlog
[ 11:12 ]
[ ハワイ ]
アラモアナホテルの真正面にセントラルYMCAホノルルがある。
ここは、幼児のための託児所や小学生のための遠足やレクリエーション、スイミングクラブなどがある。大人には、アスレチックジムや25mスイミングプールがある。体育館や道場もあって、そこではバスケットボールや柔道や合気道なども教えられている。エアロビクスやヨガのクラスもあった。
外から眺めると、この狭い空間にこれほどのスポーツ施設がどうやって納まっているのか不思議に思うが、それぞれ日本の感覚からすればかなり広いから驚く。
その上、宿泊施設もある。
この施設は、お向かいにあるアラモアナホテルなどと違い、特に事前に予約する必要はない。直接出向いて、部屋が空いていれば即日で泊まることができる。部屋は一応個室だが、もちろんバス、トイレ共同である。身も知らずの人々と裸のつき合いをすることになる。部屋の中にはテレビもラジオも何もない。だから、ホテルというよりは、むしろ寮という感じである。日本の刑務所の方が居心地が良いかも知れない。当然、男女は別々の階に宿泊する。
今回、私は18年振りでここに泊まった。ここは、私にとって思い出の場所だからである。
1990年春、私はユタ大でPhDの最終ディフェンスを無事終え、ほぼPhD取得が決まった。それでちょうどきりが良いので、その2年前にユタのソルトレークで出会った女性にプロポーズするために、今は亡き親友の吉田美穂子さんに1000ドル借りてホノルルまで行くことにしたのだった。高額ホテルに泊まる余裕はなかったので、ホテル街のまっただ中にあり、予約もいらないYMCAに泊まった。当時1泊25ドル。
そこを拠点にホノルルに住む姉のところに遊びに来ている彼女と再会し、プロポーズしたのである。それが現在の奥さんである。当時、フロントには日系人のおじいさんがいて、彼女が尋ねてくる度に、私に親切に知らせてくれたものだった。現在もスタッフの大半は日系人である。親切なところは少しも昔と変わらない。現在では1泊40ドル。
YMCAはアラモアナショッピングセンターとすぐ隣接しているためにショッピングもまったく問題ない。アラモアナビーチは目の前だから海岸へも非常に近く大変便利である。交通の便は市バスの拠点がアラモアナショッピングセンターのためこれまたオアフどこへもバスで行ける。4日間フリーパスは20ドルなのでこれを買えば、何回でもバスを乗り降りできる。
YMCAは、朝4時半から夜10時まで開いている。それは、仕事へ行く前にここのジムで一汗かいてから勤務しようとする人々や、あるいは、仕事が終わってから一汗かいて帰ろうという人々がいるからである。だから、YMCAの朝は非常に早い。さらには、日中に子供をスイミングスクールに連れて来たり、託児所に預けたりして日中を過ごす若い親たちがいる。こういうさまざまなアクティビティーを通じて会員を募ってYMCAの維持費にしているらしい。
日本ではあまり一般には知られていないが(もちろん、欧米に住んだことのある日本人なら多少は知っている人はいるようだが)、俗にいう「白人」という人種は非常に朝が早い。早起きなのである。どんなに昨晩遊び歩いて寝る時間が遅くなろうが、早朝にはちゃんと元気に起き上がる。こういう遺伝的性質を持っている。要するにタフなのである。
おそらく、白人種(つまりヨーロッパ人)は、白夜のある北の地方に長く住んでいたために、あまり眠らずに過ごすことも平気な人々になったのだろう。
そんなわけで、YMCAにも早朝からジムで元気に運動している白人の男女がかなり多くいた。もちろん東洋人も黒人もハワイ人もいる。夜は夜でそんなに遅くまで運動して大丈夫かいと思うほど熱心に運動する人々がいた。
”YMCA”という歌があったように、YMCAはアメリカ文化の1つを象徴している。それもお金持ちというよりはごく普通の一般のアメリカ人の持つ文化を反映している。したがって、お向かいのアラモアナホテルがお金持ちの象徴であるのなら、YMCAは一般人の象徴であるということができる。
毎晩、YMCAが閉まる前にスタッフとおしゃべりしていたが、その中で聞いたところでは、このYMCAのオーナーはとうとうここを売りに出すらしい。少なくとも2年後にはここは壊されてなくなる予定らしい。
私と妻とのなれそめやこのYMCAの昔話やユーロ2008を肴に歓談していたアジア系スタッフはこう言った。
「あなたにとって今回の訪問が最後になるかも知れないネ」
寂しい話である。
ここは、幼児のための託児所や小学生のための遠足やレクリエーション、スイミングクラブなどがある。大人には、アスレチックジムや25mスイミングプールがある。体育館や道場もあって、そこではバスケットボールや柔道や合気道なども教えられている。エアロビクスやヨガのクラスもあった。
外から眺めると、この狭い空間にこれほどのスポーツ施設がどうやって納まっているのか不思議に思うが、それぞれ日本の感覚からすればかなり広いから驚く。
その上、宿泊施設もある。
この施設は、お向かいにあるアラモアナホテルなどと違い、特に事前に予約する必要はない。直接出向いて、部屋が空いていれば即日で泊まることができる。部屋は一応個室だが、もちろんバス、トイレ共同である。身も知らずの人々と裸のつき合いをすることになる。部屋の中にはテレビもラジオも何もない。だから、ホテルというよりは、むしろ寮という感じである。日本の刑務所の方が居心地が良いかも知れない。当然、男女は別々の階に宿泊する。
今回、私は18年振りでここに泊まった。ここは、私にとって思い出の場所だからである。
1990年春、私はユタ大でPhDの最終ディフェンスを無事終え、ほぼPhD取得が決まった。それでちょうどきりが良いので、その2年前にユタのソルトレークで出会った女性にプロポーズするために、今は亡き親友の吉田美穂子さんに1000ドル借りてホノルルまで行くことにしたのだった。高額ホテルに泊まる余裕はなかったので、ホテル街のまっただ中にあり、予約もいらないYMCAに泊まった。当時1泊25ドル。
そこを拠点にホノルルに住む姉のところに遊びに来ている彼女と再会し、プロポーズしたのである。それが現在の奥さんである。当時、フロントには日系人のおじいさんがいて、彼女が尋ねてくる度に、私に親切に知らせてくれたものだった。現在もスタッフの大半は日系人である。親切なところは少しも昔と変わらない。現在では1泊40ドル。
YMCAはアラモアナショッピングセンターとすぐ隣接しているためにショッピングもまったく問題ない。アラモアナビーチは目の前だから海岸へも非常に近く大変便利である。交通の便は市バスの拠点がアラモアナショッピングセンターのためこれまたオアフどこへもバスで行ける。4日間フリーパスは20ドルなのでこれを買えば、何回でもバスを乗り降りできる。
YMCAは、朝4時半から夜10時まで開いている。それは、仕事へ行く前にここのジムで一汗かいてから勤務しようとする人々や、あるいは、仕事が終わってから一汗かいて帰ろうという人々がいるからである。だから、YMCAの朝は非常に早い。さらには、日中に子供をスイミングスクールに連れて来たり、託児所に預けたりして日中を過ごす若い親たちがいる。こういうさまざまなアクティビティーを通じて会員を募ってYMCAの維持費にしているらしい。
日本ではあまり一般には知られていないが(もちろん、欧米に住んだことのある日本人なら多少は知っている人はいるようだが)、俗にいう「白人」という人種は非常に朝が早い。早起きなのである。どんなに昨晩遊び歩いて寝る時間が遅くなろうが、早朝にはちゃんと元気に起き上がる。こういう遺伝的性質を持っている。要するにタフなのである。
おそらく、白人種(つまりヨーロッパ人)は、白夜のある北の地方に長く住んでいたために、あまり眠らずに過ごすことも平気な人々になったのだろう。
そんなわけで、YMCAにも早朝からジムで元気に運動している白人の男女がかなり多くいた。もちろん東洋人も黒人もハワイ人もいる。夜は夜でそんなに遅くまで運動して大丈夫かいと思うほど熱心に運動する人々がいた。
”YMCA”という歌があったように、YMCAはアメリカ文化の1つを象徴している。それもお金持ちというよりはごく普通の一般のアメリカ人の持つ文化を反映している。したがって、お向かいのアラモアナホテルがお金持ちの象徴であるのなら、YMCAは一般人の象徴であるということができる。
毎晩、YMCAが閉まる前にスタッフとおしゃべりしていたが、その中で聞いたところでは、このYMCAのオーナーはとうとうここを売りに出すらしい。少なくとも2年後にはここは壊されてなくなる予定らしい。
私と妻とのなれそめやこのYMCAの昔話やユーロ2008を肴に歓談していたアジア系スタッフはこう言った。
「あなたにとって今回の訪問が最後になるかも知れないネ」
寂しい話である。
2008/07/03のBlog
[ 18:21 ]
[ ハワイ ]
ハワイのオアフ島のノースショアはサーフィンのメッカとして知られている。偏西風から来るビッグウェーブが島にやってくるからだ。かなりの腕利きでないと波に飲み込まれて危険な目にあう。
それと比べればまだだいぶ穏やかな波がワイキキにはやってくる。それゆえ、比較的初心者でも乗りやすい。しかしそれでも日本の波と比べればかなりのビッグウェーブである。
今回ホノルルに着いての翌日の朝、私はアラモアナビーチを散歩した。実に爽快で好い朝だった。アラモアナパークのジョギングコースは朝から賑やかだが、そのコースの突端に進むと、大波が衝突するサイトビューイングのスポットがある。
そこへ行ってみると、ザブーン、ザブーンと大波が岸壁にぶつかるすばらしい景観が見られる。
「いったいこの波はどの辺から大波になってくるのか」
とちょっと遠くを眺めると、なんとそこには早朝にもかかわらずかなり大勢の人がいた。サーファーたちである。
ここ徳島の県南の宍喰(ししくい)にもサーファーはたくさんやってくるのでその雰囲気は良く知っているが、それとまったく同じような風景がワイキキの沖にもあった。
最初は海の上に浮く黒い点々のようにしか見えない。が、波が来るとその1つが動きだし、突然今度は黒い棒のようなものになってサーフボードの上に立つ。そして、波といっしょに動き出す。最後まで波に乗れたら良いが、多くは途中で波の藻屑となって海に沈む。このくり返しだ。
これがサーフィンというものだが、青春の1ページとしては非常に面白いものに違いない。
私は山梨という海のない地方に生まれ育ったために、サーフィンのような海のスポーツはかなり苦手である。サッカーのような陸地のスポーツを好む。海イグアナというよりは陸イグアナの方である。
しかし、それでもサーフィンの豪快さや爽快さ、その奥の深さは理解できる。
それと比べればまだだいぶ穏やかな波がワイキキにはやってくる。それゆえ、比較的初心者でも乗りやすい。しかしそれでも日本の波と比べればかなりのビッグウェーブである。
今回ホノルルに着いての翌日の朝、私はアラモアナビーチを散歩した。実に爽快で好い朝だった。アラモアナパークのジョギングコースは朝から賑やかだが、そのコースの突端に進むと、大波が衝突するサイトビューイングのスポットがある。
そこへ行ってみると、ザブーン、ザブーンと大波が岸壁にぶつかるすばらしい景観が見られる。
「いったいこの波はどの辺から大波になってくるのか」
とちょっと遠くを眺めると、なんとそこには早朝にもかかわらずかなり大勢の人がいた。サーファーたちである。
ここ徳島の県南の宍喰(ししくい)にもサーファーはたくさんやってくるのでその雰囲気は良く知っているが、それとまったく同じような風景がワイキキの沖にもあった。
最初は海の上に浮く黒い点々のようにしか見えない。が、波が来るとその1つが動きだし、突然今度は黒い棒のようなものになってサーフボードの上に立つ。そして、波といっしょに動き出す。最後まで波に乗れたら良いが、多くは途中で波の藻屑となって海に沈む。このくり返しだ。
これがサーフィンというものだが、青春の1ページとしては非常に面白いものに違いない。
私は山梨という海のない地方に生まれ育ったために、サーフィンのような海のスポーツはかなり苦手である。サッカーのような陸地のスポーツを好む。海イグアナというよりは陸イグアナの方である。
しかし、それでもサーフィンの豪快さや爽快さ、その奥の深さは理解できる。
その昔、ハワイにデューク・カハナモクという伝説のサーファーがいた。この偉大なサーファー、デューク・カハナモクは、日本に大災害を引き起こしたチリ地震の時にその大津波がハワイ沖を通過するのを狙い、30mもするその大津波に乗ったという伝説がある人物である。もちろん失敗=死である。
この偉大なサーファーが発明したものが、現在水泳の”自由型”と呼ばれているものである。この辺の歴史は、東理夫氏の「1912年オリンピック、あの夏の男たち」に良く描かれている。
サーフィン、これこそ人間しか行い得ないものに見える。しかし、イルカもサーフするとも言われているが、こっちは「ボディーサーフィン」(サーフボードなしで行うもの)というものであるが、私が得意なのはこのボディーサーフィンの方である。
青い海と青い空、これこそいつまでも地球上に存在し続けて欲しいものだ。ハワイに来るといつもその事を考えさせられる。
この偉大なサーファーが発明したものが、現在水泳の”自由型”と呼ばれているものである。この辺の歴史は、東理夫氏の「1912年オリンピック、あの夏の男たち」に良く描かれている。
サーフィン、これこそ人間しか行い得ないものに見える。しかし、イルカもサーフするとも言われているが、こっちは「ボディーサーフィン」(サーフボードなしで行うもの)というものであるが、私が得意なのはこのボディーサーフィンの方である。
青い海と青い空、これこそいつまでも地球上に存在し続けて欲しいものだ。ハワイに来るといつもその事を考えさせられる。
2008/07/01のBlog
[ 19:39 ]
[ ハワイ ]
ハワイへ行くとなぜかのんびりできる。かなり人込みのあるアラモアナショッピングセンターを歩いていてもそうだから不思議だ。海に出れば海の音、街に行けば街の音、公園に行けば公園の音が聞こえる。バーにはバーの、食堂には食堂の音がこだます。そう、それがハワイで癒されるいちばんの理由だろう。
それで、「日本はどこへ行ってもうるさくてのんびりできないのはなぜか」、「日本ではなぜいつも忙しく喧噪のある生活になってしまうのか」と帰国後に考えてみた。
ここ阿南のとあるスーパーの喫茶スペースで過ごしていると、ある時、はた、と気付いた。そうだ、どうやらそのわけが分かった。
どうも日本ではスーパーであろうがどんな店であろうが”有線放送”の得体の知れない音楽がスピーカーから流れてくる。これが一番の原因のようだ。
ハワイにもたくさんの店がある。もちろん、それぞれそれなりの音楽は流れている店もある。しかし、日本のように、ビル全体を覆い尽くすような感じの音楽、つまり、日本の有線のような音楽はない。
これが、ハワイが押し寄せる海の波の音や風の流れる音、こうした自然の営みからくる音楽が耳に聞こえる一番の理由である。
そう、昔の日本は今のハワイと同じだった。道を歩けば、その道でしか聞くことのない音を聞きながら歩いたものだった。だから、諸外国人が日本へ来るとなぜか郷愁を誘われ、癒されたのである。
それが、いつからか、街のどこへ行っても同じ音楽が流れるような都市に変わった。
例えば、クリスマスとなれば、町中がクリスマスソング一色となる。春になれば春の音楽、夏になればサマーソング、秋には秋の音楽が流れる。こんなふうに、その街特有の季節感もそっけもない、大衆心理、群集心理をさかなでするだけの音楽でいっぱいとなるわけだ。
日本をのんびりとした良い国に作り直すには、いっそ有線放送を禁止したらどうか。
サマータイム制度も好いが、有線のない世界がどんなに静かで過ごしやすいか、もう一度再体験してみるのも面白いかもしれない。
有線の時代は終わったのだ。
それで、「日本はどこへ行ってもうるさくてのんびりできないのはなぜか」、「日本ではなぜいつも忙しく喧噪のある生活になってしまうのか」と帰国後に考えてみた。
ここ阿南のとあるスーパーの喫茶スペースで過ごしていると、ある時、はた、と気付いた。そうだ、どうやらそのわけが分かった。
どうも日本ではスーパーであろうがどんな店であろうが”有線放送”の得体の知れない音楽がスピーカーから流れてくる。これが一番の原因のようだ。
ハワイにもたくさんの店がある。もちろん、それぞれそれなりの音楽は流れている店もある。しかし、日本のように、ビル全体を覆い尽くすような感じの音楽、つまり、日本の有線のような音楽はない。
これが、ハワイが押し寄せる海の波の音や風の流れる音、こうした自然の営みからくる音楽が耳に聞こえる一番の理由である。
そう、昔の日本は今のハワイと同じだった。道を歩けば、その道でしか聞くことのない音を聞きながら歩いたものだった。だから、諸外国人が日本へ来るとなぜか郷愁を誘われ、癒されたのである。
それが、いつからか、街のどこへ行っても同じ音楽が流れるような都市に変わった。
例えば、クリスマスとなれば、町中がクリスマスソング一色となる。春になれば春の音楽、夏になればサマーソング、秋には秋の音楽が流れる。こんなふうに、その街特有の季節感もそっけもない、大衆心理、群集心理をさかなでするだけの音楽でいっぱいとなるわけだ。
日本をのんびりとした良い国に作り直すには、いっそ有線放送を禁止したらどうか。
サマータイム制度も好いが、有線のない世界がどんなに静かで過ごしやすいか、もう一度再体験してみるのも面白いかもしれない。
有線の時代は終わったのだ。
2008/06/30のBlog
[ 10:18 ]
[ 欧州選手権08 ]
スペインが44年ぶり優勝…サッカー欧州選手権
”無敵艦隊”スペイン、1964年以来の”44年振り”の優勝。
ユーロ2008の決勝は、”ゲルマン魂”のドイツと”無敵艦隊”スペインの戦いとなった。
ドイツは、平均身長185cmと長身で頑健な選手を多く擁し、セットプレーの”空中戦”で得点を狙うチーム。コンチネンタルサッカーの本場、ブンデスリーガのサッカーを目指す。
一方、スペインは、身体も平均身長177cmと日本人選手並みの小柄だが、”世界最高峰”と言われるリーガエスパニョーラの流れるようなパスワークサッカーのチーム。
この両者が、ガチンコ対決したのが、今回の決勝戦であった。
しかし、スペインのGKカシージャスが
「今回のスペインは完全に”世代交代”を遂げ、代表にいる選手たちは、何がしかのカテゴリーで世界大会優勝を経験した選手たちである。だから、試合の勝ち方を良く知っている」
と言ったように、強豪ドイツに対戦しても少しも怯むこともなく、また空中戦、地上戦のすべてに勝ち、得点こそ1点だったが、実際には完全に試合をコントロールして勝利したという”完勝”であった。
中盤の、セスク、ジャヴィ、イニエスタなど、リーガエスパニョーラのバルセロナやレアルマドリードなどで、ジダン、ベッカム、ロナウジーニョやメッシなど欧州や南米の選手たちと組み、完全にゲームコントロールに習熟している。
この点、今一つ国際的には復活までには至っていないドイツ・ブンデスリーガとは異なっている。
今回の新生”無敵艦隊”誕生から、日本はかなり大事なことを学ぶことができると私は考える。つまり、「選手育成の方法」についてである。
リーガエスパニョーラは、したたかなクラブ運営とその結果得られる豊富な資金力で世界中から世界最高峰の選手たちを引き抜いて来た。こうした最高レベルのクラブチームの下部組織から若い選手たちを育成し、最高レベルのクラブでレギュラー争いをさせ、しのぎをけずらせる。世界中のトップスターたちの下で修業させ、切磋琢磨させるのである。Jリーグでは、Jリーグ発足時が一番この状況に似ている。
こうやって、若い選手たちに経験と自信をつけさせ、U18、U20、U23などで世界優勝させる。これがまた自信となり、代表レベルでも生きることになる。
そうしてついに、”ユーロ制覇”したわけである。これが2年後のワールドカップでも生き、スペインの”ワールドカップ制覇”へも繋がるかも知れないのである。
こうしてみると、やはり超一流のトップスターを獲得し国内リーグのレベルアップをすること、そしてそこで若手を切磋琢磨させるということが、国際大会でも好成績をあげるための「必須条件」であると言えるだろう。
お金のあるチームは、やはりロナウド、ロナウジーニョやベッカム、そして中田英寿などトップ選手を引き抜くべきである。こうした選手たちといっしょにプレーすることがどれほど自信に繋がるか今一度原点に戻って考えるべきだろう。
今回のスペイン優勝ほど、リーグのレベルアップ、若手育成の問題に良いヒントを与えるものはないと私は思う。
それにしても、スペインの右サイドバック、セルジオ・ロペスは実に良い選手だ。かつてのイタリアの左サイドバック、パウロ・マルディーニを思わせる逸材である。いつかはバロンドールを狙える選手だろう。
”無敵艦隊”スペイン、1964年以来の”44年振り”の優勝。
ユーロ2008の決勝は、”ゲルマン魂”のドイツと”無敵艦隊”スペインの戦いとなった。
ドイツは、平均身長185cmと長身で頑健な選手を多く擁し、セットプレーの”空中戦”で得点を狙うチーム。コンチネンタルサッカーの本場、ブンデスリーガのサッカーを目指す。
一方、スペインは、身体も平均身長177cmと日本人選手並みの小柄だが、”世界最高峰”と言われるリーガエスパニョーラの流れるようなパスワークサッカーのチーム。
この両者が、ガチンコ対決したのが、今回の決勝戦であった。
しかし、スペインのGKカシージャスが
「今回のスペインは完全に”世代交代”を遂げ、代表にいる選手たちは、何がしかのカテゴリーで世界大会優勝を経験した選手たちである。だから、試合の勝ち方を良く知っている」
と言ったように、強豪ドイツに対戦しても少しも怯むこともなく、また空中戦、地上戦のすべてに勝ち、得点こそ1点だったが、実際には完全に試合をコントロールして勝利したという”完勝”であった。
中盤の、セスク、ジャヴィ、イニエスタなど、リーガエスパニョーラのバルセロナやレアルマドリードなどで、ジダン、ベッカム、ロナウジーニョやメッシなど欧州や南米の選手たちと組み、完全にゲームコントロールに習熟している。
この点、今一つ国際的には復活までには至っていないドイツ・ブンデスリーガとは異なっている。
今回の新生”無敵艦隊”誕生から、日本はかなり大事なことを学ぶことができると私は考える。つまり、「選手育成の方法」についてである。
リーガエスパニョーラは、したたかなクラブ運営とその結果得られる豊富な資金力で世界中から世界最高峰の選手たちを引き抜いて来た。こうした最高レベルのクラブチームの下部組織から若い選手たちを育成し、最高レベルのクラブでレギュラー争いをさせ、しのぎをけずらせる。世界中のトップスターたちの下で修業させ、切磋琢磨させるのである。Jリーグでは、Jリーグ発足時が一番この状況に似ている。
こうやって、若い選手たちに経験と自信をつけさせ、U18、U20、U23などで世界優勝させる。これがまた自信となり、代表レベルでも生きることになる。
そうしてついに、”ユーロ制覇”したわけである。これが2年後のワールドカップでも生き、スペインの”ワールドカップ制覇”へも繋がるかも知れないのである。
こうしてみると、やはり超一流のトップスターを獲得し国内リーグのレベルアップをすること、そしてそこで若手を切磋琢磨させるということが、国際大会でも好成績をあげるための「必須条件」であると言えるだろう。
お金のあるチームは、やはりロナウド、ロナウジーニョやベッカム、そして中田英寿などトップ選手を引き抜くべきである。こうした選手たちといっしょにプレーすることがどれほど自信に繋がるか今一度原点に戻って考えるべきだろう。
今回のスペイン優勝ほど、リーグのレベルアップ、若手育成の問題に良いヒントを与えるものはないと私は思う。
それにしても、スペインの右サイドバック、セルジオ・ロペスは実に良い選手だ。かつてのイタリアの左サイドバック、パウロ・マルディーニを思わせる逸材である。いつかはバロンドールを狙える選手だろう。