「林真須美」と表記されることが多いですが正式には「林眞須美」です。「真」でなく「眞」になります。

第5回和歌山カレー事件を考える人々の集い報告 09.2.1

林健治さんが初告白!
「ヒ素は自分で飲んでいたことを一審で話さなかった理由」
捜査段階での検察官の胡散臭い言動も激白!

和歌山カレー事件を考える人々の集い様子
 2月1日(日)、事件の現地・和歌山では5回目となる支援集会を開催しました。上告審の弁論期日(2月24日)が間近に迫っていることもあってか、全国から80人を超す参加があり、その中にはマスコミの取材者の姿も多く見られ、今回の集会への関心の高さが伺えました。(文責・片岡健)

 会の内容ですが、今回も二部構成で行いました。

 まず一部では、1月27日に林眞須美さんに面会してこられた支援者の林英樹さんが眞須美さんの近況などを報告され、続いて、ゲストとして参加してくださった甲山事件の冤罪被害者・山田悦子さんがお話をしてくださいました。
 山田さんのお話は、冤罪事件の支援のあり方が主なテーマでしたが、晴れて無罪が確定するまでに21年も刑事被告人とされ続けた実体験をもとにされたお話だけに非常に重く、林眞須美さんの無実を証明する難しさを改めて実感させられました。一方で山田さんの厳しいご指摘の中には、今後の林眞須美さんの支援に参考になるような内容も多く、非常に有意義なお話でした。
 また、一部の最後では、2004年4月に長野県飯田市で発生した殺人事件で、被害者の長女であるにも関わらず、警察に犯人扱いされて連日、過酷な取り調べを受ける被害に遭われた櫻井好子さんが、今回の集会に寄せてくださったメッセージを支援者の津久井淑子さんが読み上げられました。

 続く二部では、弁護団を代表して安田好弘弁護士が、まず「上告審の弁論の実態」などを解説された上で、弁論で論点とする「くず湯事件(眞須美さんが保険金目的で夫・健治さんにヒ素を飲ませたとされている殺人未遂事件)」のことなどについて、健治さんと対談されました。 
 この対談では、カレー事件の有罪の状況証拠とされた「くず湯事件」の真相が、「殺人未遂事件でも何でもなく、健治さんが保険金を詐取するために自分でヒ素を飲み、重病患者を演じていただけの話であること」がよくわかり、また、健治さんが一審では自分でヒ素を飲んでいたことを証言しなかった事情や、林家の台所から発見された「ヒ素の付着した容器」がいかに胡散臭い物証であるかなどもよくわかりました。
 そのほかにも安田弁護士は、判決の問題点を様々な論点から解説されたのち、今後の戦いが長く厳しいものになるという見通しを示された上で、集会の参加者たちに情報提供などの協力を呼びかけられました。そして最後に、林眞須美さんから集会の参加者に寄せられたメッセージを事務局が読み上げましたが、閉会の際は場内が盛大な拍手に包まれ、林眞須美さんを支援する輪が確実に広がっていることが感じられました。

 なお、各発言者の話や、林眞須美さんのメッセージの詳細は以下の通りです。

林英樹さんの話はコチラ>>
櫻井好子さんのメッセージはコチラ>>
山田悦子さんの話はコチラ>>
林眞須美さんのメッセージはコチラ>>

林英樹さんの話
林英樹さんの話
 1月27日火曜日に大阪拘置所で、林眞須美さんに面会してきました。
 いつもそうなのですが、この日も林眞須美さんは、短い面会時間の中で言わなければいけないことが沢山あり、懸命に話されていました。そのお話の中では、「とにかく無罪判決を勝ち取りたい」ということを言われていました。
 また、眞須美さんは「この事件については、世の中の人たちがマスコミに洗脳されてしまっていて、それを崩すのは大変ですが、『これから裁判員制度が始まる中、あなたは私に死刑判決を言い渡せますか?』と世の中の人に問いたい」「自分がしていた保険金詐欺については、申し訳ないことだと思うけど、夫を殺そうとしただなんてトンデモナイ。マスコミ報道で私には悪いイメージがついているが、私を有罪にする証拠なんて何もない。最高裁は無罪判決か、差し戻しをするべきだ」とも言われていました。こうした眞須美さんの訴えは「国に殺されたくありません」という切実な訴えでした。

 東京や名古屋の拘置所と違い、大阪拘置所はいまだに冷暖房がない状態です。眞須美さんは冬場は毎日カイロを使って、寒さをしのいでおられます。私が面会した時には、今日お話をして頂く山田悦子さんの甲山事件の本も眞須美さんは面会室に持ってこられていましたが、その本には沢山、附箋が張ってありました。甲山事件にあやかって、自分も無罪判決を勝ち取りたいと林眞須美さんは思っておられるようで、その眞須美さんの思いは、我々も共有していると思います。
 今後も諦めずに、林眞須美さんの命を守るため、自分自身も支援活動の一環をになっていきたいと思います。

 今回は、櫻井好子さんというから、眞須美さんを応援するために届いたメッセージが紹介されました。

 櫻井さんは、長野県の飯田市で起きた連続殺人事件で被害者となった人の娘さんだったのですが、彼女が第一発見者だったということで、警察に疑われてしまった方です。
 2004年の4月27日の午後6時30分ごろ、櫻井さんがいつものようにお母さんに夕食を持って行った時、お母さんが殺されていました。そして、櫻井さんは事件の第一発見者になり、疑われてしまい、そのために警察に過酷な取り調べを受けたのです。
 具体的には、「朝の9時から夜の12時まで丸々一日取り調べを受けた」とか、「ポリグラフにかけられた」、「結婚されて別の場所にいた長女の方が警察に呼ばれ、『お母さんに自白するよう勧めろ』と言われた」などといったことがあったそうです。

 その櫻井好子さんから、以下のようなメッセージを頂きました。

櫻井好子さんのメッセージ

 寒い中、(眞須美さんが)真実を求めて頑張る様子、本当に頭が下がります。私の経験を本来なら、みなさまの前でお話できればいいのですが、私と家族の生活を元に戻したい思いがありまして、時々話を聞きたいと行ってくる方もいらっしゃいますが、今はほとんど断っています。

 しかし私は、警察がしたことを許しているわけではありません。別紙(※会場では、櫻井さんが警察にどのように疑われ、どのような目に遭わされたのかなどが時系列に沿って詳細にまとめられたレジュメが配られました)のことは、その当時のことが細かく書いてあり、今の記憶より正しいと思います。

 別紙に書かれていることを見ればわかると思いますが、時間が経つほどに警察に焦りが出て、犯人をつくり上げる様子がわかると思います。
 私には、主人の従兄に弁護士がいまして、すぐ来てくれまして、「(取り調べでは)見ていないことは、見ていない。知らないことは、知らない。忘れたことは、忘れた。覚えていないことは、覚えていない。無理に思い出そうとしない。そうかもしれない、という曖昧なことは言わない」というアドバイスを頂き、今ではそれが本当に良かったと思っています。警察の口車にのってはいけない、と身をもって思いました。

 とくに前回(以前、別の機会に、お話をしてもらったことがあるでそうです)と変わったことが書けませんが、警察が、昔ながらの悪い組織でなくなって欲しいと願っています。悪い組織とは、上司の命令なら間違っていても従う、そういう一部の人が階級が上がっていくような組織です。
 乱文乱筆ですが、前回の話を思い出しながら、読んで頂ければ、と思います。

 この別紙は、桜井さんが「集会に参加された全員に配って、読んでもらってください」ということでしたので、今日の集会に参加して頂いた方に配らせて頂きました。これを読めば、冤罪というのがどういうふうにつくられていくか、端的な例として、参考になると思いますので、櫻井さんのメッセージと共にご紹介させて頂きました。
 どうもありがとうございました。

山田悦子さんの話

・日本の司法は病み続けている
 山田悦子です。はじめまして。
 和歌山カレー事件は大変厳しい状況を迎えておりまして、私がこの場に出てきて、和歌山カレー事件のことを語ってもどうにかなる状況ではありません。しかし、私たちが日本の司法をどう受け止め、どう対処するべきか、そのへんのことを今日はお話させて頂きます。甲山事件裁判で21年間、被告席に座り続ける中で私が見てしまった日本の司法は、日本国憲法からイメージできるような司法ではありませんでしたので、現実を直視した内容のお話にさせて頂きたい思います。

 私は甲山事件がなければ、本来は保育園の保母か幼稚園の先生として働いて一生を終わった人間です。しかし、本来は殺人事件ではない事件が、警察の間違った捜査で殺人事件になり、私が逮捕される冤罪事件となりました。
 冤罪事件は、警察の誤った捜査が出発点であり、元凶ですが、マスコミが警察に追随し、拡大します。裁判官も警察、検察に従って、有罪判決を下す。日本の司法ではこれまで、そのようなパターンで冤罪が繰り返されてきたのです。

 しかし、私が被告だった時の日本の司法は、まだ現在よりマシだったのです。私が被告席を解放された時、「さあ、やりなおそう」と社会に出てきたら、社会は、私が被告になる前より非常に生きにくくなっていました。社会が生きにくくなっているのですから、司法も良くなっているわけはないのです。甲山事件は1974年に発生し、1999年に私の無罪が確定しましたが、この間に日本の司法は病み続けております。

 そして、そうした中で和歌山カレー事件は起こってしまっています。何か事件が発生すると、警察の主張に沿って、証拠が集められる。たとえば、証言ですね。眞須美さんの場合、地域の人々の証言によって、有罪に追いつめられています。
 これは、甲山事件も同じでした。警察や検察の供述調書には、私たち国民が加担して、同じ国民を有罪とするのです。これが、司法の本質的な構図ですね。ここをきっちり押さえておくことなくして、ただ「警察が悪い」「検察が悪い」と言っても何も始まりません。

 私たち国民のための司法が、無実の林眞須美さんを死刑にしたり、無実の私を21年も被告席に縛りつけたりする。それが、私たち国民に用意されている司法なのです。まずは、このへんの自覚を私たちは持たないといけません。

・戦わない限り、法は味方になってくれない
 刑事司法の推定無罪の原則は、常に働かなくてはなりませんが、日本の司法は、そういう理念が作動していません。ここが、先進国の欧米の司法とはとても違うところです。私は甲山事件で被告とされたことで、日本の司法が非常に特異な司法であるということがわかりました。
 特異な司法の中で被告とされ、大変な21年でしたが、おかげで私は、法の大切さを学びました。「法こそが、私たちを守ってくれる武器である」と、私は学んだのです。
 といっても、日本国憲法が自ら率先して私たち国民を守ってくれるわけではありません。私たち日本国民は敗戦後、「日本国憲法が人権を尊重し、守ってくる」と教わってきたわけですが、実際はそうではなくて、公教育と実際の法廷はあまりにも乖離していました。
 法を武器として、戦わない限り、私たち国民は人権侵害に立ち向かうことができません。このことを、冤罪事件で被告にされた経験から私は痛切に学んだわけです。

 法は、私たちが戦わない限り、味方になってくれません。日本国憲法を鎮座させていては、無罪判決はとれないのです。そのことは実際に冤罪事件の被告となってみて、とてもよくわかりました。たしかに冤罪事件の当事者、家族はとても辛い。しかし、「辛い」「辛い」という感情論だけでは何も解決しないのです。
 これは、市民運動などのすべての戦いに通じるものだと思うのですが、正義の法でもって、私たちは戦わないといけない。「法の精神って、なんだろう?」と私はずっと考えてみたのですが、私たちが法にこめる生き方そのものが法の精神でもあるわけです。
 私たち国民は日本国憲法の第1条、第9条は問題にしますが、人権条項はよく理解していません。このことは、私が21年、冤罪事件の被告として支援され、市民運動をされる方たちの戦い方をみていて、感じたことです。

 警察は、絶大なる力を持っています。一方で私たちは、彼らの不正義な法の精神に対抗する力や精神性を持ち得ているでしょうか? 私がなぜ、こういう問いかけをするかというと、北海道から沖縄まで、全国には様々な市民運動をされている方がおられますが、市民運動をしている市民の側が、法の精神を内包した戦い方ができていないからです。法の精神で裁判所を包囲するという戦い方が、市民運動の中にはまだ構築されていないわけです。

 世界の人類史の思想は、正義の法と共に戦ってきたわけですね。戦わない限り、法の精神はありえませんし、法の精神とは闘争以外にありません。それを端的に示しているのが、法廷における弁護活動なわけです。
 私たちが法廷外で、和歌山カレー事件の弁護団を支えなければなりません。たとえば世論に訴える時、真っ向から警察を批判しても、その声は決して裁判所やマスコミには響きません。私たちは、どこまでも法の大切さを訴えるという戦いをしていかないとダメだと思っております。

・無罪をとるための「六原則」
 みなさんもご存じだと思いますが、和歌山カレー事件は、世間のイメージが大変悪い事件です。ですので、他の冤罪事件より頑張って戦わない限り、負けてしまうと思います。しかも、日本の刑事司法は今、厳罰主義の流れにあって、その中で戦わねばならないわけですから、私たちは本当に心して戦わないとダメなわけです。

 最高裁はそんなに甘いものではありません。私は正直、この和歌山カレー事件は再審になると思ってます。
 公教育では私たちは、日本の裁判は三審制だと教わってきましたけど、実際はそうではないですね。日本の裁判は一審がすべてで、最高裁までいくような事件はヤバイ事件です。最高裁に幻想をもってはいけないということも、甲山事件裁判の中で私が学んだことです。

 ところで、「無罪の六原則」というものがあります。これは、大阪の弁護士で、後藤貞人先生という方がいらっしゃって、その方が長年の刑事弁護の経験から見つけられた法則です。その「無罪の六原則」をここで紹介したいと思いす。

 その1は「事件のスジが良い」です。被告人が犯人ではないなら他に誰が…というアナザーストーリーが、無罪をとる事件では必ず成立するそうなのですが、これを「事件のスジが良い」と言うのだそうです。

 その2は「タマが良い」です。タマとは、被告のことですね。では、どういう被告なら「タマが良い」ということになるかというと、「真摯に無実を訴え、裁判官もなんとか助けたいと思うような人物」だそうです。

 その3は「優秀な弁護士」です。

 その4は「手抜き検察官、あるいはフェアな検察官」。

 その5は「良い裁判官」です。
 そして、以上のようなその1から、その5までが揃っても、その6が欠けていたら、無罪にはなりません。

 その6とは、「運」が必要だということです。「幸運」が必要だというこです。
 
 以上の「無罪の六原則」からも、日本の刑事司法で無罪を勝ちとるということがいかに厳しいことなのかということがわかって頂けるのではないかと思います。
 
 しかし、ある弁護士の方にこの「無罪の六原則」のことを話したら、その弁護士の方は、さらにこう言われました。「プラスお金が必要です」と。
 たしかに裁判には、お金がかかります。甲山事件の場合は完全無罪判決が3度出て、検察が最終的に諦めて撤退したことで無罪が確定しました。その間21年に渡って弁護士はまったくの手弁当で弁護してくださいましたが、1億3000万円かかったそうです。
 そして、私は大変ラッキーな被告で、大きな救援組織があったのですが、救援会の会計の人が無罪確定までにいくらかかったか算出したら、こちらも1億3000万円でした。つまり、合計で2億6000円ないと、甲山事件では無罪がとれなかったのです。日本では、実際に罪を犯した人もそうでない人も、このように非常に荒れた刑事司法に送り込まれるわけです。

・法の精神を身につけなければならない
 日本は、たしかに先進国の中でも豊かで、日本の一年間の残飯の量で、地球の人口を2度助けられると言われます。しかし、日本は経済的にはそれくらい豊かな国ではありますが、文化のレベルはどうでしょうか? また、人間一人一人の人格を受け止めることができる国でしょうか? 
 そういう意味で豊かな国であるか否かという問いに対し、答えを出すことはできるのは、その国の刑事司法だと思います。しかし、日本の刑事司法を見ますと、日本の精神文化は決して豊かとは言えないわけです。

 人間の歴史を連綿とつくってきたのは、物質的な豊さではありません。物質は消えていくものですから。精神、思想の豊かさが人類史をつくり上げてきたのだと私は思っています。
 私たちは、人間の存在を否定した歴史も持っているわけですが、そういう歴史を克服し、人間の尊厳を受け止める思想を獲得してきたのも事実なわけです。では、人間の尊厳を受け止める思想とは何かというと、それが法なわけです。
 ですから、私たちが素手で不正義と戦うことができるようになる力を持つためには、法の精神を身につける以外にありません。このことについては私は、断言してもいいと思います。
 法とは、一国だけではなく、人類をつなぐ思想なわけです。歌は、国境を越えて人々をつなぐことができますが、法の精神は、国境を越えて人間の尊厳を守ってくれるのです。法の精神は、アジアにもアフリカにも、南米にも中国にも通じるものだからです。
 この法の精神を私たちが身につけないと、これからの日本の司法を改革していくことはできないと思います。

 振り返れば、甲山事件が発生した1974年、「日本の司法は曲がり角にきている」と言われていましたが、今も「日本の司法は曲がり角にきている」と、同じことが言われている。二度も曲がって、一体どうなるのでしょうか? 日本の刑事司法は、どうしようもないズブズブのところに来てしまっているのだと思います。

・推定無罪の社会に変えていかねばならない
 刑事司法の理念は本来、無罪の推定にあります。しかし、裁判員制度の実現にあたって、どういう理念を実現しないといけないか、そういう意見はマスコミを通じても全然出てきていませんね。このことは大変、深刻な問題だと思います。
 日本の刑事司法は、完全に厳罰化の流れになって、有罪推定になってしまいました。先日、東京のほうで3人の市民の方が「裁判員制度を廃止すべきだ」と記者会見されていて、なかなか問題意識のある方々だと思いましたが、しかし、そういう方々の口からも「無罪推定」という言葉が一言も出てこないんですね。

 私たちは刑事司法に何を求め、どのように刑事司法を発展させようとしているのでしょうか? 私たちは今、このことを問われているところだと思います。
 和歌山カレー事件についても、この1つの冤罪事件を通して、私たちがどのような刑事司法を有しているのかを学ばなければ、この冤罪事件でせっかく無罪になっても何も生まれてきません。一過性のものに終わってしまうでしょう。げんに、これまで日本の冤罪事件では、いつもそうでした。

 たとえば松川事件では、国民全体の運動にまで発展しましたが、その中で私たちは法の大切さを何も学んでいません。甲山事件もギネスブックに載るような長い裁判で、完全無罪を3度もとり、日本の歴史に残る裁判だったのですが、この甲山事件もいずれ歴史の藻屑に消えていく運命にあると私は思っています。
 国民が法意識を持たない限り、そして国民が犠牲を払って法の精神を学ばない限り、私たちが冤罪と戦うことは今後ますます困難になると思います。学者や弁護士、裁判官に法をお任せしないで、私たち国民一人一人が法律というものをきっちり学び、賢い国民になり、真の司法改革をしていかない限り、日本では冤罪は増えこそすれ、減ることはないと私は思っています。

 政治家には、東大の法学部を出た人も沢山いらっしゃるのに、なんでこんな法律をつくってしまうのだろう?と思ってしまうことがよくあります。日本では、つまり、法は教養の1つでしかないんですね。
 新聞記者もそうです。法学部を出ているような人でも、大学で学んだことが仕事に生かされていません。新人記者はサツ回りなどをするのですが、刑事事件が起こった時に無罪推定で取材をしていないのですね。
 こういう文化がはびこってしまっている社会を、私たちが変えていかねばなりません。このことも私が被告になって、本当に痛切に考えたことです。

・マスコミも味方につけなければならない
 西洋人に比べたら、日本人は法意識が薄いです。私たちは法を認め、人間の存在そのものを認め、人間の存在を否定させない判決を裁判官に出させ、豊かな司法をつくっていかないといけません。これは、とてもしんどい課題ではあるのですが、結局、人間が人間を動かすには、思想以外ではありえません。
 法の大切さを訴える私たちの精神作用が、裁判官にもきっと届くと思います。これは、日本の冤罪事件で、無罪を獲得していくためのマナーです。
 頭ごなしに裁判官を批判してはいけません。頭ごなしに批判したい気持ちはわかりますが、頭ごなしに批判したら、向こうにバリアを張らしてしまうからです。
 あらゆる方法を見いだして、戦わない限り、冤罪事件の無罪はありえません。このことを私は、被告となった体験から学びました。

 マスコミも味方につけねばなりません。たしかにマスコミは、和歌山カレー事件についても甲山事件についても、ムチャクチャなことを書きました。マスコミは、被告に対してムチャクチャなことを書いた事件で無罪判決が出ても、全然反省しませんから、同じ過ちを繰り返しております。具体的にいうと、何か事件が発生するといつも、プライバシーを暴く犯人視報道が展開されています。
 しかし、冤罪事件で無罪をとるためには、マスコミを批判しても何も前に進みません。マスコミについては、とりあえず諭して、とにかく味方につける。これをしないと、冤罪事件を無罪に近づけることはできないのです。
 林眞須美さんは獄中の身ですから、本人に会って無実の主張を聞こうというマスコミの人は、なかなか現れない。その中で、我々支援者の側がマスコミ対策をきちんとやらないといけません。とくに和歌山カレー事件の場合、事件発生当時にひどい報道が展開されていますから、そういうことをやっていかないと、無罪をとるのは難しいと思います。

・国家とは、情緒で戦ってはいけない
 散漫な話になって大変申し訳ないのですが、今、本当に私たちが生きにくい社会に住んでいることをみなさんも自覚されていると思います。しかし、司法を変えていくことによって、少しでも社会の全体が変わっていくのではないでしょうか? そういうふうに私たちは希望を持っていきたいと思います。
 決して情緒で戦わない。国家は一国民をとてもクールに罰しようとするからです。眞須美さんに対しても、国家はそうなのです。
 国家は絶えず冷静です。国家のクールな対応に、私たちが感情論を剥き出しても勝てません。私たちもクールでないとなりません。そのためには、私たちが法の精神を身につけ、それをもとに戦うしかありません。そうすることがまた、和歌山で手弁当で弁護を引き受けてくださっている弁護団の、とても力強い支えになると思います。

 支援するということは、林眞須美さんだけじゃなく、弁護団も支援するということです。そうしないと、冤罪事件と戦えないのです。甲山事件では、そういう戦いをやってきましたから、三度も無罪判決が出たのです。
 被告を支援しないといけないし、弁護団も支援しないといけないのですから、支援者は大変です。でも、それで私たちの司法が少しでも良くなるなら、こんなにいいことはないのではないでしょうか。
 和歌山カレー事件の闘争を、みなさん、今から始めようではありませんか。
 大変まとまりのない話になってしまいましたが、少し時間が残っていますので、質問を受けつけたいと思います。

(以下、山田悦子さんと参加者の主な質疑応答です)

質疑応答

────山田さんは捜査段階で自白調書をとられてしまったそうですが、ずいぶんひどい取り調べだったと聞きます。どのようにひどかったか、具体的に少し、教えてもらえないでしょうか?

 冤罪事件には、自白がつきものです。しかし、日本の取り調べの実態というのは、これまで色々な弁護士が訴えてきましたが、弁護士さんの話だけでは、なかなか伝わらないのです。
 日本の取り調べは、逮捕されたらまず最初に素っ裸にされ、無防備な状態にされてから始まります。全裸にされた時は、本当にめげます。人間の全否定ですからね。取り調べというのは、そういう洗礼を受けてから始まるのです。
 そして、警察は逮捕した限り、被疑者を絶対釈放しません。起訴しようと思って捕まえているわけですから。
 24時間取り調べられる中で、自分の主張はまったく聞き入れてもらえません。しかも、被疑者に与えられる情報というのは、警察の情報だけで、それだけをもとに被疑者は自分の無実を証明しないといけません。そんなこと、できっこありませんね。
 そういう中で被疑者は、自白へと追いつめられます。取り調べの中では、様々なことを言われますが、これを1つ1つ言っていくと時間が足りませんので、これでいいでしょうか。

────「無罪の六原則、プラスお金」というお話がありましたが、そのへんについて、もう少し詳しくお話して頂けないでしょうか?

 日本の市民運動を見ていて思うのは、日本人は「人権にはお金がかからない」という感覚だということです。しかし実際のところ、人権を守るためにには、お金がかかります。
 こういう見方ができない限り、市民運動は豊かなものにはなりません。甲山事件の救援会の凄さはですね、大阪の天満というところに事務所を借りました。そして、個人のカンパで支えられ、年間に何百万円という運動の維持費をつくり出したわけですね。そういうことをしないと、いい運動体にはならないわけです。
 甲山事件の救援会は年に一回、シンポジウムを開いていましたが、シンポジウムには講演者を呼んで、講演に来てくれた方には10万円、有名・無名問わずお支払いしていました。こういう方針を無罪が確定するまで続けたのです。こういう戦いをしていたから、甲山事件の裁判では、素晴らしい判決が出たのだと思います。
 無罪をとるにはお金がかかるから、大変だと思います。でも、そういうことをやらないと、裁判では勝てないのです。

───マスコミや社会に対して、「抑制的に対処していかないといけない」「決して怒ってはいけない」と言われていましたが、具体的には、どういう場面でどういう苦労をされたか、どういう実践をされていたのかをもう少しお話して頂けないでしょうか?

 マスコミ対策ですと、私の場合、記者と個人的に仲良くなりました。それは、朝日新聞の記者であったわけですけど、こちらの思いを伝え、記者との関係を築いていきました。記者というのは、「どうしても山田さんの無罪を勝ちとらねばならない」という思いが突き進んでいくと、「一般の市民に、山田さんが無罪だとわかってもらおう」というのではなく、「裁判官に、山田さんが無罪だとわかってもらおう」という記事を書きたくなるのです。
 マスコミにはそこまで、こちらの思いを伝えるような方法で関係を築いていかないと、冤罪事件を覆すのはしんどいですね。マスコミにメチャクチャ書かれ、裁判のことについても嘘八百を言われても、そこをグッと抑える。そういう訓練を私は積んできました。

 今日この場には、マスコミの方もいるから、こういうことを言うのも申し訳ないですが、マスコミは追い払っても追い払っても、ハエのようにやってきます。マスコミの方には申し訳ないですが、書かれる側にとってはそうなのです。
 しかし、そういうマスコミを正面切って拒否しても、何も生まれません。冷静に、感情を沈めながら戦う。これが大事です。
 そうした戦いの中で私たちは、思想的になれることはたしかです。どこまでも冷静に、粛々と戦わないと、冤罪事件で無罪判決はとれないのではないかと私は思っています。

───冷静に、粛々と戦わねばならないということですが、和歌山カレー事件の場合だと、具体的に何をすればいいでしょうか?

 カレー事件の一審で眞須美さんが黙秘をした時、私は「まずい」と思いました。弁護人がそういう戦術をとった時、先ほどお話した「無罪の六原則」に照らして、「これはまずい。有罪になるのではないか」と思ったのです。
 被告には、たしかに黙秘権があります。しかし、自分が無実だということを裁判官にわかってもらわない限り、無罪判決はないわけですかから。
 私は、自分の経験から言うと、一、二審の弁護団は大変まずい方法をとったのではないか、と思います。そういうことも含めてですね、これまでのことをきちんと検証して、粛々と戦っていかないといけないと思います。
 黙秘したことは、裁判官に「自白した」と受け取られていると私は思います。一審で黙秘したことは、もう覆せませんから、そのへんのこともきちんと見極めて、今後の戦いに生かす工夫をしないといけません。
 まずかった一審にほおかむりしていてはダメです。まずさを赤裸々に自分たちが出す。自分たちの弱さを出す。それをしないと、ダメではないかと思います。
 私たちはそんなに大したことはできないけど、まずいことをやったことは反省しなくてはいけません。そういう戦い方をしない限り、和歌山カレー事件に未来はないのではないかと、私はそれくらい本当に心配しています。


林眞須美さんのメッセージ

皆様いつもながら大変お寒い中、遠方より、私の支援集会にご参加くださり感謝いたします。
また、本日はゲストに「甲山事件」で、殺人犯という汚名を晴らし、無罪を確定させるのに25年もの長い歳月を費やされた山田悦子さんに、お忙しい中時間を割いていただき、貴重なお話をしていただきました。
このことは、同じ殺人犯、しかも大量無差別殺人犯という汚名の中で、10年以上にわたり拘留の身で闘っている私にとりましては、大変勇気付けられることで、大感激で過ごしています。
現在の私の生活はといいますと、毎年今の季節になると、ちょっとの油断で風を引き込んでしまうために、ホッカイロは絶対離せず、厚手の毛布三枚にくるまれて、ほぼ冬眠状態で過ごしています。

これまでに何度も、私は、同じことを言い続けてきましたが、今日この日にあっても言いたいことはいつもと同じ、たったひとつのことしかありません。
それは、
「日本中の皆様、私はカレー事件の犯人では絶対にありません。
 国に殺されてはたまりません。
 どうか助けてください!」
ということです。
そして同時に、いつも思い続けていることは、何としてでも無罪判決を勝ち取らなければ、死んでも死に切れないということです。

私は、このような中ででも、支援してくださる方たちが本日のように、少しづつ少しづつ着実に増えてきてくれていることを、心からありがたく思い日々過ごしています。
それは、カレー事件の真実を理解してくださる方たちが、こうして一人また一人と増え続けてきてくれていることが、いつかは日本中の方々に広がり、そしていずれこのことが世論を動かし、必ずや無罪判決の審判を受けることが出来ると信じようとすることができるからです。
釈放の日を迎えることが出来た時、十年以上見たことのない青空の下で、子供たちや皆様方と出会える日が来ることを固く信じ、今はただそのことだけを待ち望んで生きているのみの私です。

本日は、このような私のためにご参加くださり、本当に本当にどうもありがとうございました。

平成21年1月31日
林 眞須美

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