第3回和歌山カレー事件を考える人々の集い報告 08.7.20
真犯人の方が名乗り出る際の「窓口」を弁護団が発表!
7月20日(日)、事件の現地・和歌山では3回目となる支援集会を開きました。今回も地元の和歌山と大阪をはじめ、東京や京都、徳島、愛知、岡山など全国各地から多くの方が参加してくださいました。参加者は約80名、会場のイスが足りなくなるほどの大盛況となりました。
また、報道陣は今回も多数集まり、「この裁判はおかしい」と感じるマスコミがますます増えている印象を受けました。
今回は最初に、スペシャルゲストの田中満さんが飛び入りで挨拶されました。
田中さんは、林夫婦の長年の友人であると共にナント、カレー事件以前に眞須美さんにヒ素入りの食べ物を食べさせられた被害者として、検察に法廷に担ぎ出された人です。現在も闘病中で、体調不良をおしてこの会に出席された田中さんは「眞須美さんはやってない。なんとか早く(塀の外に)出して欲しい」と、悲痛な面持ちで訴えられました。
刑事裁判において被害者とされた人物が、無実を訴える被告人の支援集会に出席し、さらにはその場で被告人を擁護する発言をするというのは、前代未聞のことでしょう。田中さんの登場ひとつをみても、この事件の裁判のおかしさを如実に示してくれたといえるでしょう。
さらに、最近眞須美さんに面会された支援者の稲塚浩之さん、一水会顧問の鈴木邦男さんからの眞須美さんの近況報告を経て、今回のメインゲストである富山強姦冤罪事件の被害者・柳原浩さんが、同志社大学教授の浅野健一さんと対談をされました。
捜査機関の手にかかれば、無実の人間がいかに簡単に冤罪被害者にされてしまうかということが大変よくわかる対談でした。
続いて、眞須美さんの夫・健治さんと、眞須美さんの娘さんがご挨拶され、そのあと、弁護団を代表して安田好弘弁護士から、この事件の裁判のずさんさや、この事件の真相に関する説明がありました。
安田弁護士は、この事件の真相が「食中毒偽装事件」であるとの見方を示した上で、「そうであるならば傷害致死なので、この7月25日に時効が成立する」と解説。そして、「我々弁護団が全力で弁護するので、真犯人の方にはどうか名乗り出て欲しい」と呼びかけられました。
このような真犯人への呼びかけは、過去2回も行われたものですが、今回は新たに、真犯人の方に名乗り出て頂く際の「窓口」の発表もありました。
真犯人の方が名乗り出る決意を固められた際は、最寄りの警察署や交番ではなく、港総合法律事務所(電話03・3585・2231 担当・安田、石塚)まで名乗り出て欲しいというのが弁護団の意向ですので、真犯人の方は窓口をお間違えなきように、どうかよろしくお願いします。
田中満さんの話はこちら>>
稲塚浩之さんの話はこちら>>
鈴木邦男さんの話はこちら>>
柳原浩さんと浅野健一さんの対談はこちら>>
林健治さんの話はこちら>>
安田好弘弁護士の話はこちら>>
林眞須美さんのメッセージはこちら>>
田中満さんの話
田中さんについては、そのご発言を紹介する前に、田中さんがどういう方か少々説明が必要でしょう。
この事件の裁判では、「被告人はカレー事件以前から、夫や周囲の人物たちにヒ素や睡眠薬を飲ませ、保険金を詐取していた」と検察が主張したストーリーの一部が事実と認められた上でカレー事件の状況証拠とされ、眞須美さんの有罪判決の根拠の1つになっています。林夫婦の長年の友人である田中さんも、検察が主張したこのストーリーの「被害者」の1人として一審の法廷に担ぎ出されてしまった方です。
また、田中さんのご自宅は、林夫婦がカレー事件の3年前まで住んでいた家であり、この家のガレージから発見されたことになっているヒ素が、眞須美さんを有罪とする証拠の1つにされています。
「被害者」として一審の証言台に立たれたにも関わらず、眞須美さんの無実を信じているという田中さんは今回、病の体をおして支援会に出席されました。そして質問形式でご発言されましたが、その中では眞須美さんの無実を訴えられると共に、ご自宅から発見されたことになっている最大の物証「ヒ素」についても、その不自然さを浮き彫りにする貴重な証言をしてくださいました。
───眞須美さんの無実を信じているそうですが?
「もちろんです。事件が起きた時から今まで、いっこも疑ったことがありません」
───どうして、眞須美さんが無実だとそう思うのですか?
「私には、今までの長いつきあいがあるからわかります。眞須美さんがあんなことするなんて、まったく考えられません」
───事件が起きたころ、眞須美さんについては、周りの人間にヒ素や睡眠薬を飲ませて保険金詐欺を繰り返していた疑惑が散々報道されていました。あれについてはどう思っていますか?
「私に言わせれば、あんなのはマスコミのデタラメです」
───そうおっしゃる田中さん自身、眞須美さんがヒ素を混入した食べ物を食べ、ヒ素中毒にり患した被害者として一審の法廷に担ぎ出されていますが?
「あんな話、信じていません。眞須美さんを疑ったこともいっこもありません」
───眞須美さんはどういう人でしたか?
「いつもニコニコして、明るい人やったです。どっちかというと男のようなスッキリしたタイプで、いっこも悪いこと無い人でした」
───最近、眞須美さんに面会に行かれたそうですが?
「面会に行ったら、『とにかく早く病気を治せ』と逆に私のほうが勇気づけられてしまいました。あの人のパワーをもらったんかしらんけど、面会に行ってから病気でフラフラの体が元気になったような気がしています」
───この事件では林一家の旧宅、つまり田中さんのご自宅のガレージから、ヒ素の入った缶が発見されたことになっていて、これが眞須美さんの有罪の証拠の1つにされていますが?
「警察が捜索に来て初めて、私はあんなものがあったことに気づいたのです。私は3年くらいガレージに毎日出入りしていたのに、あんな缶にいっこも見覚えがありませんでした」
───最後に何かあれば?
「とにかく早く眞須美さんを自由の身にしてやって欲しい。それだけが私の願いです。どうかよろしくお願いします」
稲塚浩之さんの話
はじめまして、稲塚と申します。
最近、眞須美さんと面会してきましたので、近況報告だけさせて頂きます。
眞須美さんはとにかくいつも元気にしています。
そして、一日も早く青空のもとに出て、みなさんとお会いしたいと言っていました。
眞須美さんはそのことをみなさんに伝えて欲しいとのことでしたので、簡単ではございますが、以上、近況報告をさせて頂きました。
鈴木邦男さんの話
こんにちは、鈴木邦男です。
眞須美さんからは以前から手紙を頂いてまして、先日初めて面会に行って来ました。
僕は自分が偏見などは抱かないタイプだと思っていましたが、実は面会に行くまで、眞須美さんのことは怖そうなオバサンだというイメージだったんです。それが実際に面会してみると、眞須美さんは優しくて、チャーミングな人だと思いました。向こうも僕に対して、意外と優しそうでビックリしたと言っていましたが(笑)。
それで、僕が眞須美さんに関して思うのは、非常に強い人だな、ということです。
というのも、現実問題として、人間は1年や2年も捜査機関に身柄を拘束されれば、やっていない犯罪でも「やっている」と言ってしまうものなんです。
かくいう僕も、赤報隊事件の容疑者として別件逮捕されたことがありましたが、30日ほど身柄を拘束されただけで、「いっそ認めて、刑務所に何年か入ったほうがラクかもな」という不思議な心理になったことがある。
それを眞須美さんは10年間も否認を続けているわけでしょう。これはすごいことだと思うんです。
最近、司法は「疑わしきは罰する」という危険な状態になっていると思います。
僕にはとくに力があるわけではないですが、今後も眞須美さんに対して何かしてあげられることがあったら、してあげたいと思っています。
柳原浩さんの話
柳原さんは2002年1月と3月に富山で起きた強姦事件・同未遂事件で誤認逮捕され、懲役3年の実刑判決を受けて服役されるという冤罪被害を受けました。それが2007年1月、「真犯人の出現」によって冤罪が発覚、同年10月に再審無罪判決を勝ち取られ、逮捕から5年ぶりに濡れ衣を晴らすことができました。現在は国家賠償請求訴訟の準備中ですが、今回はそのお忙しい合間を縫って、支援会に駆けつけてくださいました。
───柳原さんの冤罪はどのように始まったのでしょうか?
「何の前触れもなく職場に6人の刑事がやってきて、『ちょっと来い』と警察署に連れて行かれました。それが任意同行だという説明は一切ナシでした。そして、取り調べで刑事の第一声は『あの日、何をやっていたんだ?』です。『何のことですか?』と私が聞くと、刑事は『自分のやったこともわからないのか?』と。何を疑われているかもわからないまま、『やったんだろう』『やってません』と言い合うだけの取り調べが夜の11時まで延々と続いたのです。最後に帰る時には『明日また呼ぶから逃げるなよ』と言われました」
───取り調べでは随分ひどいことをされたそうですが?
「非常に暑い時期でしたので、長い取り調べ中に私は倒れてしまったんです。意識が戻ったら、すぐにパイプ椅子に座らされ、休む間もなく再び取り調べが始まりました。そんなフラフラの状態の中で刑事に『お前の姉さんは、お前がやったと認めているぞ。お前なんかどうでにもしてくれ、と言っているぞ』と言われた。これは実は刑事のデタラメだったんですが、その時は家族にすら見捨てられたのかと絶望的な気持ちになってしまって……」
───そうやって心理的に追い込まれ、自白調書をつくられてしまった?
「いえ、自白調書は最初からつくられていました。私が何もしゃべっていないのに、刑事が勝手につくった自白調書を読み上げられ、『これで間違いないか?』と聞かれるんです。認めなければ、いつまでも帰してくれませんでした。刑事は私の目の前でコブシを固めていて、実際に殴られはしませんでしたが、罪を認めないと今にも殴られそうな恐怖がありました。そうやって、嘘の自白調書にサインせざるをえない心理に追い込まれたのです」
───弁護士にも問題があったそうですが?
「当番弁護士と国選弁護人になった弁護士に対し、私は接見の際に『本当はやってないんです』と訴えました。その弁護士は『では、調査します』と帰って行ったが、実際は全然調査してくれなかった。それどころか、私に無断で示談を進め、既遂事件の被害女性に200万円、未遂事件の被害女性に50万円をそれぞれ、私の兄に払わせていたんです。そのことを第一回公判の法廷で突然告げられ、『今さら否認できない』という思いになりました」
───裁判官に対しては、無実を訴えなかったのですか?
「勾留理由開示公判では、『本当はやってません』と訴えましたが、裁判官はマトモに聞いてくれませんでした。第1回公判でも同じ裁判官が出てきたため、もうダメだと絶望的な気持ちになった。先に話したように兄が示談金を払っていましたし、否認すると、あとで刑事に殴られるような気がして怖かった。法廷でも自白を覆せる状況ではなかったです」
───冤罪発覚後のメディアにも不満があるそうですが?
「取材はいろいろ受けましたが、マスコミはいつも、伝えて欲しいところを伝えてくれません。具体的に言うと、警察でどんなひどいことをされたか、私はそれをもっと伝えて欲しいのですが、その部分は話しても、いつもカットされてしまいます」
───来年から始まる裁判員制度について、どう見ていますか?
「危ない制度だと思います。プロの裁判員が被告人が無実か否かを見抜けないのに、素人の裁判員が見抜けるはずがないと思うのです。法廷に出てくる調書には、捜査機関に有利なことしか書いていない。あれを見ても、裁判員は冤罪を見抜けないでしょう。あと、取り調べの可視化ですが、任意の取り調べから全面可視化しなければ意味はないでしょう。それなくして、自白の任意性の有無を見抜くことはできないと、私は経験上思います」
林健治さんの話
本日は大変暑い中、たくさんの方にご足労頂き、ありがとうございます。
事件発生から、かれこれ10年になります。当時は5才だった三女の冬子(仮名)ももう15才、中学3年生になりました。その冬子がお礼の言葉を言いたいということで、今日はこうして連れてきました。
この10年、私は色々な人からこの事件について話を聞いたり、資料をみたりしてきました。それで私は、自分の妻やから眞須美がカレー事件をやってないと言うんやなく、やはりどう考えても、この事件の裁判はおかしいと思うんです。ですから、弁護士さんが言われるように真犯人の方が今も生きているんなら、どうか名乗り出て欲しいんです。
先日も眞須美に面会に行きましたが、この10年で眞須美も随分変わってるんですね。面会時間の10分か15分で、一方的にしゃべってくるんです。しかも、しゃべることは同じことの繰り返しです。10年前はああいう性格じゃなかったんですね。
私も滋賀刑務所に4年7ヶ月入りましたから、ああいうところの状況はわかります。上に抗議するうるさい人間は、ハルシオンを投与されましてですね、出るときには廃人のようになってしまうんです。ですから、眞須美を一日も早く出してやりたいと思うんです。 みなさん、今後とも、どうかよろしくお願い致します。
眞須美さんの娘(三女)さんの話
今後もみなさん、お母さんの支援をよろしくお願いします。
安田好弘弁護士の話
今日は「①林眞須美さんは本当に犯人なのか?」「②和歌山カレー事件とはなんだったのか?」の2点について、みなさんにお話させて頂きたいと思います。
・発見経緯が不自然な物証「ヒ素」
まず、「眞須美さんは本当に犯人なのか?」ですが、眞須美さんを有罪とした一、二審判決は「この事件には直接証拠はなく、間接証拠、あるいは間接事実しかないから、それで判断するしかない」と言っています。また、「被告人は犯人だけど、動機がわからない」と言ってるんですね。そして一、二審判決は、眞須美さんを有罪とする根拠として10数個の間接事実を挙げてるんですが、その中でとくに重要視しているものが2つあります。
1つ目は、林家の台所から発見されたという「ヒ素の付着していたプラスチック容器」です。この容器に付着していたヒ素が科学鑑定を元に裁判では、カレー鍋に混入していたヒ素と「同じ時期に同じ工場でつくられたものだ」と認定されているんですね。
しかし、この「ヒ素が付着していたプラスチック容器」には、発見経緯などに色々変なところがあるんです。
第一に、この容器は、眞須美さんが逮捕された日に始まった家宅捜索の4日目に発見されています。しかも、この捜索に動員された捜査員は90人でした。これは、すごくおかしな話なんですね。
林さんの家は、そんなにドデカイ家ではありません。それだけ大人数の捜査員が動員されながら、どうして最初の3日間はこの容器は発見されなかったのでしょうか?
家宅捜索というのは通常、最初に建物の中全体をざっとみて、確保すべき証拠は確保するんです。建物が翌日に火事などで燃えることだってあるんですから。
しかも、眞須美さんが逮捕されたのは1998年の10月4日で、事件が7月25日に発生してから2ヶ月以上もありました。この容器が本当に眞須美さんの持ち物なら、彼女はそんな重要な証拠を逮捕されるまで2ヶ月以上も自宅に置きっぱなしにしていたことになるわけです。これも、おかしな話ですね。
さらに、この容器は冷凍用の袋にくるまれた状態で、台所のシンクの下の棚から発見された、という話になっています。しかし、眞須美さんの長女は当時、毎日お弁当をつくる際にこの棚を開けていたのに、そんな容器を見た覚えは一度も無いんです。しかも、この容器にも、この容器がくるまれていたというビニール袋にも、指紋が一切ついていなかったんです。
付言すれば、先ほどの田中さんの話にもありましたが、田中さんの家のガレージから発見されたことになっているヒ素の缶についても、車で出勤されていた田中さんは毎日、このガレージに出入りしていたにも関わらず、その缶に「見覚えがなかった」と言われています。この家に田中さんは3年以上住んでいたにも関わらず、です。これも、おかしな話ですね。
・物証「ヒ素」は発見経緯以外にも問題あり
林家の台所から発見された「ヒ素が付着していたプラスチック容器」に話を戻しますが、この容器については、押収後の状況にも不自然なところがあるんです。
というのも、この容器の側面には「白アリ薬剤」と書いてあるんです。「白アリ薬剤」とは、ヒ素を意味する言葉ですから、そんなものが見つかったら通常、一刻も早く鑑定に回さないといけません。鑑定によって容器からヒ素が検出されれば、逮捕している眞須美さんにその事実を突きつけることで自白が引き出せるかもしれないのですから。それが、捜査の常道です。
ところが、この容器を10月7日に発見したという捜査機関は、この容器を10月12日まで、警察内の証拠保管場所に放っておいたんです。しかも、そんな「いかにも重要そうな証拠」をその他の証拠と一緒に放っておいた、と言うんですね。これもおかしな話です。
こうなると、一、二審判決ではこの容器は「有力な間接証拠」ということになっていますが、そうじゃない。作為を窺わせる間接証拠です。
また、この裁判では、カレー鍋に入っていたヒ素は135グラムで、この135グラムのヒ素は昭和58~59年ごろ、中国から輸入された3トンのヒ素の一部だとされています。ところが、その3トンのヒ素のうち、カレー鍋に入っていた135グラムのヒ素以外のヒ素はどこに行ったのか、まったく捜査されていないんですね。
しかも、カレー鍋に混入されていたヒ素と、眞須美さんの周辺から発見されたことになっているヒ素は科学鑑定により、「同じ工場で同じ時期に製造されたもの」と認定されているにも関わらず、実は製造工場がどこにあるのか、まったくわかっていないんです。どこの工場で製造されたかわからないのに、どうして「同じ工場で同じ時期に製造されたもの」と言えるのでしょうか? 2つのヒ素が同じものだというためには、基準物質が無ければダメなのに、その基準物質を探しようがないんです。
そもそも、林家は日頃から、麻雀などのために多くの人間が出入りする家でした。ですから、仮に林家からヒ素が発見されたとしても、そのヒ素には多くの人間が触れる機会があったことになる。家からヒ素が見つかったからといって、眞須美さんのことを「疑わしい」とは言えても、犯人と認定するには、およそほど遠いものなんです。
・目撃証言の問題点
一、二審判決が眞須美さんを有罪とする根拠として重視しているもう1つの間接事実が、目撃証言です。これは具体的に言うと、「事件当日の午後12時20分から1時までの間、カレー鍋の置かれていたガレージに眞須美さんは1人でいて、その時にカレーの鍋のフタをあけていた」という内容です。
この目撃証言にも問題点は多い。
まず、この目撃証人は、目撃時の眞須美さんの服装を「下は黒いズボンで、上は白いTシャツでした」と言っているのですが、眞須美さんが事件当日に着ていたTシャツの色は黒でした。これは、多くの人が証言していることです。
また、この目撃証人は「被告人は、首の後ろから両肩に垂らして、白いタオルをかけていました」と証言していますが、眞須美さんは事件当日、首にタオルをかけていませんでした。首にタオルをかけていたのは、一緒にガレージにいた眞須美さんの2番目のお嬢さんです。つまり、眞須美さんはガレージにいた時、一人ではなかったんです。
さらに、この目撃証人は「被告人が、髪を縛っていなかったのが気になりました。『カレーをつくりにくる時くらい、ちゃんと髪の毛くらい縛ってきてよ』と思いました」と証言していますが、眞須美さんの事件発生当時の髪は短かった。縛らなければ、気になるような長さではなかったんです。これは、事件発生当時のテレビに出てきた眞須美さんの映像を見れば、一目瞭然のことです。
さらに言えば、カレーの鍋のフタを開けたのが仮に本当に眞須美さんであったとしても、その鍋にヒ素は入ってなかったんです。というのも、ガレージにはカレーの鍋が2つ、おでんの鍋が2つと、計4つの鍋がありました。そのうち、ヒ素が入っていた鍋は1つだけで、この目撃証言に出てくる鍋はヒ素が入ってないほうのカレー鍋なんですね。
こうしてみると、この目撃証言は有罪の証拠とされていますが、実際はそうじゃない。
もしも仮にこの証人が目撃したのが本当に眞須美さんであるならば、ヒ素の入ってなかったほうの鍋のフタをあけていたことになるので、むしろ眞須美さんが犯人じゃないことを証明する証言です。
逆に目撃されたのが仮に本当に犯人だとすると、林さんと服装が違うわけですから、林さんは犯人じゃないんです。ですから、この証言はどう解釈しても、本来は眞須美さんの無実を証明する証拠にしかならないものなんです。
・カレー事件の真相
今日のもう1つのテーマ、「和歌山カレー事件はなんだったのか?」について説明します。
まず、先ほども話したように、カレー鍋に入っていたヒ素は135グラム、ということになっています。これは、カレーに含まれていたヒ素の濃度から逆算して出した数字です。ヒ素は、耳掻き一杯分の量が致死量ですから、この135グラムというのは大変な量です。カレーの鍋は直径30センチ、高さも30センチていどの大きさですから、ここに135グラムのヒ素を入れたら、濃度も大変なことになります。
となると、この事件の犯人は「ヒ素の恐ろしさや毒性を知らない人」か、もしかすると、「自分がカレー鍋に入れた粉がヒ素だということ自体を知らなかった人」だという可能性も考えられるわけです。つまり、カレー鍋にヒ素を入れたのは、「ヒ素に関する知識のない人」だと考えるのが合理的なんです。
ところが、眞須美さんは「ヒ素の怖さを知っている人」です。夫の健治さんがカレー事件以前、保険金目的で耳掻き一杯分のヒ素飲んで、ひっくり返ったことを知っているんですから。こうしてみると、眞須美さんは犯人像から外れます。
そして重要なのが、犯人が4つの鍋のうち、1つの鍋にしかヒ素を入れていないことです。殺人を目的とするなら4つの鍋すべてにヒ素を入れるのが普通ですから、1つの鍋にしかヒ素を入れてないとなると、特定の誰かを殺そうとしたわけじゃないんです。
すると、この事件の犯人が企てたのは無差別殺人か、あるいは被害規模こそ大きいですが、実際はイタズラやイヤガラセが犯人の目的だったということになる。しかし、無差別殺人は通常、先日の秋葉原事件のように「開かれた場所」で起こるものです。カレー事件のように地域の夏祭りといった「小さなコミュニティの中」で起こるようなものではないんです。
また、犯人がヒ素をガレージに盛ってくるのに使ったとみられる紙コップは、ガレージに置かれていたゴミ袋から発見されています。こんな重要な証拠が無造作に現場に残されていたということは、犯人は自分の行為が多くの人が亡くなられる事件に発展するとは思っていなかったわけです。
こうしてみると、この事件の真相は、「ヒ素に関する知識のない人」によるイタズラやイヤガラセだったと考えるのが一番合理的です。
残る問題は、犯人がイタズラやイヤガラセに走った動機ですが、それを考える上で重要なヒントが、この事件が発生当初は「集団食中毒」として報道されていたことです。ここで結論を言うと、我々弁護団はこの事件が「食中毒偽装事件」ではないか、とみています。実はこれは我々が言い出したことではなく、現地を調査した際に住民の方に言われて気づいたことです。事件現場の住民の中でも、地域の中心にいる方々がこの事件の真相を「食中毒偽装事件ではないか」と口を揃えるんですね。それを聞いて、我々は目からウロコが落ちたんです。
この事件が食中毒を偽装したものであり、犯人がヒ素の毒性を知らない方なら、和歌山カレー事件は無差別殺人ではなく、傷害および傷害致死ということになります。実際、このあたりでは、トイレや庭にヒ素が殺虫剤として巻かれていて、多くの家庭にヒ素がありましたから、犯人が家にあったヒ素を殺虫剤か何かだと思ってカレー鍋に入れたのだとしても何も不思議はありません。
そして、この事件の真相が傷害および傷害致死となると、重要なのがこの7月25日には時効が成立することです。真犯人の方がもしも名乗り出てくれたら、我々弁護団は林さん以上に全力で弁護します。名乗り出る際は、私の事務所までお願いしたいと思っています(連絡先は速報版を参照)。このことをどうか、今日集まったみなさんに広めてもらいたいと思います。
林眞須美さんのメッセージ
和歌山港の花火大会の日でもある本日7月20日、多くの方々にお集まりいただけたことを深く感謝いたします。
また、カレー事件から10年目を迎えたとのことで、私も連日この拘置所で多くのマスコミの方の取材を受けたりして、関心を持っていただけていることをありがたく思います。
さて、今回私が申しあげたいのは、たったひとつのこと・・・・。
それは、捜査機関のずさんさという問題点についてです。
まず第一に、これまでにも何度も申しあげてまいりましたが、事件当日に私の着ていた服装は、黒のTシャツと黒のズボン姿でした。
その時次女は、白のTシャツで首にタオルをまいて西側のカレー鍋を味見しました。
ですから、私のことを目撃したという証言者は、完全に次女のことを私だと勘違いしているのか、捜査機関にそのように思い込まされてしまったのだと思います。
その証言者の方は、ガレージ全体を見たのではなく、もし見えたのなら、私がガレージ近くの椅子に座っていて、次女が西鍋を開けて味見をした場面を見たのだと思います。
私は、8月初めに警察に事情聴取をされた時、担当だった栗栖刑事に、「当日の服装は、黒のTシャツ、黒のズボンでした」と答えました。ところが、その刑事の捜査ノートが裁判で提出された時には、私が「不明」と答えたと変わっていました。
この服装については、7月25日当日の服装を、「不明」「わかりません」と答えている地域住民の人はひとりもいません。
ではなぜ、私だけが「不明」と言ったとされる捜査ノートが、裁判に提出されたのでしょうか?
それは、私のことを目撃したという証言者が「白だった」と言ったため、それに合わせるために「不明」と書き換えたのでしょう。
ここに警察の作為があります。
また、流し台下の「シロアリ薬剤」と書かれたプラスティックの容器が、捜索4日後に発見されたという報告書があったり、私たちの旧宅のガレージの棚から、砒素入りの「重」(おも)と書かれたミルク缶が押収されたということになっていますが、私たちの後にその旧宅に住んだ方は、3年住んでいたが、見たことはないと言っています。そして捜索時に現場に同行していなかったこと、また、1回目の捜査では白い粉もこぼれていなかったのに、翌日の捜索時にこぼれていたと言っています。
ここにも警察の作為がみてとれます。
さらに、ゴミ袋の空(から)の紙コップに砒素が入っていたとの事ですが、指紋検査の時には、肉眼では白い粉が見えなかったとなっています。
それがその後、別の人の鑑定人のところで鑑定人が目にした紙コップには、肉眼で白い粉が見えたので採取したというように変わっているのです。
以上のようなことは、警察が作為をするという以外に誰も出来ませんし、これらのことは、私を有罪にするために、証拠を変更したことは明白です。
私は誰に何をどのように言われたとしても、カレーに砒素を入れた犯人ではありません。
私は犯人ではないので、私を犯人であるとする証拠は何もないのです。犯罪の証明はありません。
私は世論におされずに、公正な裁判を裁判所にしていただくことを望みます。そして、ちゃんとした証拠で、公正に最高裁が無罪判決をくだしてくれることを望みます。
何度も申しあげますが、このままでは私は犯人であるとされ、国に殺されてしまいます。
どうか助けてください・・・・。
4人の子供たちの10年間の成長に答えるために、1日も早く無罪判決を勝ち取りたいという思いだけで日々過ごしています。
この手紙を送る締め切り10分前になりました。
やっぱり私は10年近い独房生活のために、拘禁症で限界状態のためうまくまとまりません。
どうかご理解をください。
本日は皆様ありがとうございました。
平成20年7月18日
林 眞須美