第4回和歌山カレー事件を考える人々の集い報告 08.11.16
保険金殺人未遂疑惑の真相を激白対談!
11月16日(日)、事件の現地・和歌山では4回目となる支援集会を開催しました。上告審の口頭弁論が来年2月24日に開かれることが決まったと直前の5日に発表されたこともあってか、今回も地元の和歌山や大阪をはじめ、全国各地から60人を超す多数の参加がありました。(文責・片岡健)
会の内容ですが、今回も二部構成で行いました。
まず一部では、一審から弁護人を務める高見秀一弁護士がこれまでの裁判の流れを説明され、これをうけて、同じく一審から弁護人を務める小田幸児弁護士が、有罪の有力な根拠とされている科学鑑定の問題点を解説されました。
続く二部では、法廷に被害者として担ぎ出された立場でありながら、前回に続いて林眞須美さんの無実を訴えるために参加してくださった林夫妻の友人の田中満さんと、裁判では眞須美さんに殺されかけた被害者と認定されながら眞須美さんの無実を訴え続けてきた夫の健治さんが対談されました。
冤罪を訴える刑事被告人の支援集会に「被害者」とされた方が二人も登場し、そろって被告人の無実を訴えるというのは刑事裁判史上でも前代未聞のことでしょう。お二人の対談のテーマは、事件発生当時に眞須美さんに関して連日大量に報じられ、「林眞須美=毒婦」という予断を世間に強烈に与えた上、状況証拠として有罪判決の根拠にもされている保険金殺人・殺人未遂疑惑の真相についてでしたが、当事者二人による対談によって、あの疑惑がいかにデタラメなものだったか、非常によくわかりました。
そして最後に、主任弁護人の安田好弘弁護士から、裁判の現状に関する説明がありました。安田弁護士は、9月以降に弁論期日の延期を求めながら最高裁に退けられた経緯や、今後の戦いが厳しいものになることを説明されながら、「なんとか最高裁を動かしたい。みなさんにも力を貸して欲しい」と強く呼びかけられました。
当会としても林眞須美さんの無実の証明のため、最後の最後まであきらめずに活動し続ける所存ですので、このホームページを見られた方も情報提供など、今後ともどうかよろしくお願い致します。
また、会の最後には、10月に亡くなられた当会発足の呼びかけ人・三浦和義さんについて、眞須美さんが哀悼や感謝の思いを込めて投稿した「創」12月号掲載の手記を、眞須美さんのメッセージと共に読み上げました。眞須美さんを助けたいというのは三浦さんの遺志ですので、当会の残された人間が三浦さんのぶんまでがんばりたいと思います。
小田幸児弁護士&高見秀一弁護士の話はコチラ>>
林健治さん&田中満さんの対談はコチラ>>
安田好弘弁護士の話はコチラ>>
林真須美さんのメッセージはコチラ>>
小田幸児弁護士&高見秀一弁護士の話
まず、高見秀一弁護士が一、二審でどのような審理がされたか、裁判の流れに関するおおまかな説明をされた後、裁判の大きな争点となった科学鑑定の問題点に関して、担当の小田幸児弁護士が話されました。
小田幸児弁護士の話
・中立性に問題があった科学鑑定の鑑定人
この事件には色々論点がありますが、検察官の有罪立証の大きな柱だったのが、「林家などから発見されたとされるヒ素」と「カレーに入っていたヒ素」が同一だという鑑定結果です。この事件の鑑定は全部で3回行われていて、科警研なども鑑定を行っていますが、中でも一番決定的な鑑定となったのが、中井泉さんという東京理科大の教授が、スプリング8を使って行った蛍光X線分析の鑑定結果です。
中井さんというのは、微量原子の研究を専門にしてきた人です。そして、スプリング8というのは、世界に3つくらいしかない高度な放射光施設です。これは、カレー事件の鑑定に使われたことで一気に有名になりましたが、それ以前はあまり有名ではなかった。ですから、このスプリング8が鑑定に使われたのは、カレー事件を利用して、スプリング8の存在を世間にアピールする思惑を持つ人がいたからではないかと思います。
それで、この中井教授がどういう鑑定をしたかというと、モリデブンとかアンチモンとか、ヒ素の中には微量の不純物質がいろいろ含まれているんです。そのことから中井教授は、「カレーの鍋に入っていたヒ素」「林家などから発見されたとされるヒ素」「犯行に使われたとされる紙コップから検出されたヒ素」など、それぞれのヒ素に含まれる不純物質を比較するという手法で鑑定を行いました。
もう少し詳しく説明すると、スプリング8の放射光をヒ素に当てると、(ホワイトボードに折れ線グラフのような線を描きながら)ヒ素に含まれる不純物質がこのような4つのピークになって現れます。中井さんはそれぞれのヒ素のピークの形の見た目を比べて、「どれも大体同じや」と言うんですね。そして、どのヒ素も同じ時期に、同じ工場で、同じ工程で作られたものだと結論したんです。
しかし、見た目が同じと言われてもよくわからないし、数値で説明した場合にどうなるのかという疑問がありました。
また、中井教授は鑑定をした趣旨について、「悪いことをした場合、その悪事は裁かれるべきである」「科学的手法を使って、悪事を暴くために鑑定を行った」などと明言していて、鑑定人としての中立性に問題もあった。実際、中井さんは鑑定の途中で、それぞれのヒ素の同一性に不安があると、警察官に追加で鑑定資料を持ってこさせたりしていた。そうやって、捜査機関に有利になるようになるように資料を集めて、鑑定していたんです。
・弁護人に無断で裁判所が「鑑定のやり直し」を命令
そこで、弁護団が再鑑定を求めたところ、裁判所が職権で、大阪電気通信大学の谷口一雄さんという教授と、早川慎二さんという広島大学大学院の助教授の二人に再鑑定を命じました。この二人の鑑定も、スプリング8の放射光をヒ素に当て、出てきたピークを比べるというところまでは、中井鑑定とやり方は同じです。
ただ、この谷口・早川鑑定は、それぞれのヒ素のピークの面積について、見た目ではなく数値で比較するという手法でした。すると、谷口・早川鑑定では、それぞれのヒ素が「同一じゃない」という結果が一度は出たんですね。
ところが、裁判所が「鑑定結果の趣旨がわからないから、もう一度やってくれ」と、谷口さんと早川さんに再々鑑定をさせたんです。弁護人に何の断りもなく、です。すると今度は、谷口・早川鑑定でも、それぞれのヒ素が「同一」だという結論になったんです。
ヒ素というのは、めったにない凶器ですので、裁判所はこの鑑定にのっかって、有罪判決を出したんだと思います。
もっとも、一審判決は、中井鑑定に加え、この谷口・早川鑑定もあるから、スプリング8による鑑定結果は信用できるという論理でした。つまり、中井鑑定だけを信用して、ヒ素の同一性を認めたわけではなかった。
ところが、控訴審判決は、中井鑑定だけでもヒ素の同一性は認められる、と言うんです。科学鑑定については、控訴審では証拠調べをしていないにも関わらずです。控訴審のほうが、一審判決より悪い判決だったんですね。
・科学者と呼ぶに値しないヒ素の専門家
また、科学鑑定の問題点としては、聖マリアンナ医科大学の助教授だった山内博さんという証人にも問題がありました。
山内さんというのは、ヒ素の専門家ということになっている人で、中井さんを捜査機関に紹介した学者です。先日もテレビを観ていたら、今も和歌山でカレー事件の被害者の治療に協力しているようなんですが、この山内さんという人はとても科学者とは呼べない人なんですね。
尋問してわかったんですが、まず、「有効数字」というものをこの人は理解できていなかった。また、「飽和」というものも、この人はまったく理解していませんでした。
たとえば、温度が100度の水には50グラム解け、温度が50度の水には30グラム解ける結晶があるとします。これを前提として、「この結晶が50グラム解けている温度が100度の水溶液があったとして、その水溶液の温度が50度まで下がったら、何グラムの結晶ができますか?」と尋問の中で山内さんに聞いたら、山内さんは「まったく結晶化しません」と答えたんですね。正しい答えは、20グラムです。このような簡単な理科の問題も正しく答えられない人が学者を自称しているんですね。
このように、科学鑑定と称するこの事件の証拠には、多くの問題があったんです。
高見弁護士の補足説明
今、小田さんの話に出ましたけど、山内さんというのは本当にトンデモない人でして、裁判では、こういうこともあったんです。
厚生省の資料を元に山内さんが法廷で証言していた際のことなんですが、弁護人が「その資料は今ここにあるんですか?」と聞いたら、山内さんは「今は無い」と言うんです。ところが、裁判官が同じことを聞いたら、弁護人には「今は無い」と言った資料を「あります」とカバンの中から出すんですね。その時はさすがに裁判所も怒っていました。
それで、小田さんも言いましたが、控訴審判決は一審判決より悪いんです。一審判決も悪いんですが、もっと悪いんですね。科学鑑定のことだけでなく、黙秘権に対する考え方とかも悪かった。
また、控訴審では審理中に一度、一審判決に問題はないから結審しようということになった時、滋賀刑務所にいた健治さんに弁護人が会いに行って、「実はヒ素は保険金目的で自分で飲んでいた」という話を聞いたので、健治さんを法廷に呼んで、その旨を証言してもらったんですね。
ところが、眞須美さんの裁判の様子を報じた新聞や、眞須美さんの裁判の調書を弁護人が健治さんに差し入れたことだけをもって、控訴審の裁判官は健治さんの証言を「妻をかばう口裏合わせをしている」として、「信用できない」と言うんです。
質疑応答
───林家の台所から、ヒ素の付着したプラスチック容器が家宅捜索4日目に発見されたとされていますが、それがそもそも不自然だし、捏造ではないでしょうか?
高見弁護士:
「捜査員は大勢いたのだから、そのような重要証拠が捜索1日目に発見できないのはおかしいではないか」「しかも、台所のような場所から発見されるのはおかしいのではないか」と弁護人も主張しました。
それに本来、証拠については捜索中にビデオを撮っておくなどして、証拠の発見経緯を明らかにした上で証拠価値を認めないといけないと思うんです。しかし、今の裁判ではそうなってないんですね。いまの裁判所は、証拠の発見経緯については、捜査にあたった警察官に後から証言させればいいという考え方なんです。
あと、この事件の捜査では、証拠となったヒ素の保管経緯や、ヒ素を鑑定人のところに持っていく移動経緯にもおかしいところがありました。にも関わらず、一、二審では、ヒ素の証拠価値が認められてしまっているんです。
───そのプラスチック容器に書いてあった「白アリ薬剤」という文字について、眞須美さんのお兄さんが、そのプラスチック容器を『ニュースステーション』で観た時に「妹に頼まれ、あの字は自分で書いたことに気づいた」という話になっているそうですが、それはおかしくないでしょうか?
高見弁護士:
おかしいと思います。実際、裁判で弁護人もそう主張しました。しかし、裁判所は、おかしくないと言っているんです。
林健治さん&田中満さんの対談
林眞須美さんについてはカレー事件発生当時、「夫や知人男性らにヒ素や睡眠薬を飲ませ、保険金詐欺を繰り返していたらしい」という疑惑が連日、洪水のように報じられていました。この「別件」の疑惑は、「林眞須美=カレー事件の犯人」という強烈な予断を世間に与えたのみならず、裁判でもカレー事件の有罪の立証・認定に使われています。
少し詳しく説明すると、裁判で検察は、眞須美さんが計6人の男性に対し、保険金目的でヒ素や睡眠薬を飲ませた事実がカレー事件以前に述べ23回あったと主張し、そのうち6件が一、二審判決では眞須美さんの犯行、もしくは関与があったと認定された上で、状況証拠としてカレー事件の有罪判決の根拠の1つとされています。
しかし、検察の主張では、眞須美さんに保険金目的で殺されかけたとされた6人のうち、夫の健治さんと、林夫婦の友人の田中さんは「被害者」として法廷に立った身でありながら、眞須美さんの無実を訴えておられます。そこで、眞須美さんの保険金殺人・殺人未遂疑惑の真相がどういうことだったのか、その内幕を知るお二人に対談して頂きました。
・もっと早く出てきて、眞須美さんの無実を訴えたかった(田中さん)
───田中さんは、前回も支援集会に参加してくださり、眞須美さんの無実を訴えてくださいました。事件発生から10年経った今になり、眞須美さんの支援に名乗り出てくださったキッカケは何だったのでしょうか?
田中さん:
10年前に事件が発生してから健治さんや眞須美さんとは、音信不通になりました。健治さんが滋賀の刑務所に入っていたことは報道で聞いたことがありましたが、その刑務所が滋賀のどこにあるのかわからない。眞須美さんが大阪拘置所に入っていることは、まったく知りませんでした。
ところが、私は去年の12月から病気で和歌山市内の病院に入院していたんですが、今年の2月ごろに入院先の病院で健治さんとバッタリ会ったんですね。会ったというより、健治さんに背中を叩かれて、気がついたんですが。1分か2分、時間がズレていたら、この時に私と健治さんが再会することはなかったでしょう。ここで二人は、運命的に会うようになっていたのではなかいという気すらしています。
───田中さんは、「被害者」として法廷に立たれた立場なのですが、眞須美さんの無実を信じているということで、よろしいのでしょうか?
田中さん:
無実を信じるというより、そもそも眞須美さんがあんなカレー事件みたいなことをしたとは、これまでにいっこも考えたことがありません。事件が起こった頃、眞須美さんが犯人みたいに報道されていた時にも、眞須美さんから電話がかかってきたことがありましたけど、私は眞須美さんに「警察に呼ばれてもホンマのこと話して、はよう帰してもらえばええ」と言うていたくらいです。
もし、健治さんともっと早く再会できていたら、もっと早くこういう場に出てきて、眞須美さんの無実を訴えていたと思います。しかし、健治さんとも眞須美さんともずっと音信不通やったから、それができなかったのです。
・私もIさんもヒ素は自分で飲んでいた(健治さん)
───健治さんには単刀直入にお聞きしますが、健治さんは以前からずっと、眞須美さんにヒ素を飲まされたのではなく、保険金目的で自分でヒ素を飲んでいたのだと訴えてこられています。では、実際のところ、保険金詐欺はどのようにやっていたのでしょうか?
健治さん:
保険金詐欺というのは、まず医者をだまかし、それから保険会社のリサーチをだまかし、とやっていくんですね。そうやって色々な人をだまかさないと保険金詐欺は成功しませんが、それ以前にまず、自分の生活状況も整えておかねばなりません。なぜなら、貧乏な生活をやっている人間は、保険金が1億も2億も下りるような保険には加入できませんからね。
それと、医者に虚偽の診断書を書かせようと思えば、あるていどの権力を持つ人の協力も必要なんです。一個人が「手足が動かん」と訴えても、医者は耳を貸しませんが、大学の総長や学長を使いますと、医者は事務的なことでは手を貸してくれる。虚偽の診断書も書いてくれるんですね。
それで、ヒ素を自分で飲んだか、眞須美に飲まされたのかという話ですが、私はヒ素を「仮病薬」と呼んで、扱ってました。保険金詐欺をする時は、ヒ素をちょっと飲んで下痢をして、病院に行って急性腸炎という診断書を書いてもらってですね、それから手足のシビレを訴えるんです。それから大学病院に行くんですが、高度障害の保険金を得るまでには6ヶ月間、介護が必要な状態にあるように医師を騙し続けないとあかんのです。
ですから、眞須美が私にヒ素を飲ませたんじゃないんです。私はお金がなくなるたびにヒ素をコーヒーなどに入れて飲んで、4回も5回も保険金詐欺を繰り返していたんです。
それと、私以外でも、裁判の認定では眞須美にヒ素を飲まされた被害者ということになっているIさんという人も同様です。Iさんは借金だらけで、カレー事件以前に私の家に2年ほど居候していたんですが、ある時、「健治さん、どうしたらそんな上手にお金儲けできるんな」と聞いてきたんです。それで私はIさんに、「仮病薬を飲んだらええんや」と言うて、自分の保険金詐欺のやり方を教えてやったんです。
そうしたら、Iさんも私の真似をして、自分でヒ素を飲んで、保険金詐欺をするようになったんです。私とIさんが相談しながら、保険金詐欺を繰り返していたんですね。
そもそもですよ、眞須美が私のコーヒーなどにヒ素を入れて殺そうとしていたんでしたら、たとえ最初の1回目では私は死なずに済んでも、2回目では私は死にますよね。ヒ素は耳掻き一杯分の量を飲めば死ぬような猛毒なんですから。ヒ素を使って、4回も5回も殺人に失敗するなんてことは到底考えられないんです(※検察の主張では、健治さんは眞須美さんに4回、保険金目的でヒ素を飲まされたことになっていた)。
病院に長く入院する間、全身麻痺したように自作自演していたのは私本人なんですね。6ヶ月も全身麻痺したように医者をだまし続けるというのは、眞須美に「あーせー」「こーせー」と指示されて、それでやれるような簡単なものじゃないんです。私が全身麻痺状態であるように偽るため、Iさんに私のオムツを替えさせたりするなど、医者をだまかす自作自演は色々やりましたが、それは全部、私とIさんが共同作業でやっていたんです。
医者をだまして、虚偽の診断書を書かせるといういのは大変な作業なんです。ですから、もしも私が眞須美にヒ素で殺されかけていたとしたら、眞須美との家庭を守るために苦労して病気を自作自演するなんてことは考えられないんです。まして、私が4回も眞須美に殺されかけたなどという検察官の主張は到底成立するものではないんです。
───眞須美さんも保険金詐欺をしていたこと自体は認めていますが、健治さんやIさんたちが保険金詐欺をする上で眞須美さんの役割はどういうことだったんですか?
健治さん:
眞須美は日本生命の外交員だったんですが、日本生命の職員っていうのは医者の診断書さえもらえれば、保険金の支払いを請求した時にリサーチなんかも通りやすい。そういうことから、ワシやIが保険金詐欺をやる上で、眞須美は事務的な役割をしていただけなんです。
・眞須美さんは麻雀部屋で食べ物を配ったりはしなかった(田中さん)
───検察の主張では、眞須美さんにヒ素を飲まされた被害者とされていた6人のうち、先ほど名前が出たIさんだけでなくDさんも、本当は被害者ではなく、健治さんや眞須美さんと一緒に保険金詐欺を繰り返していた共犯者だったそうですね。
Iさんは林家に居候していて、Dさんも林家に毎日のように麻雀などで出入りしていたことから、田中さんもこの二人とは面識があったそうですが?
田中さん:
面識はありますよ。単なる顔見知り、という関係ですが。
───このIさんやDさんが、健治さんや眞須美さんと一緒に保険金詐欺をやっていたことを田中さんは知っていたのですか?
田中さん:
うすうすは気づいていましたね。私が健治さんの家にいた時、健治さんやIさん、Dさんたちがしている保険金詐欺の話を聞いていて、これは冗談やないな、と思うことも言っていましたから。
健治さん:
私やIさん、Dさんらは、ウチで麻雀しよる時にみんなでよく保険金詐欺の話をしていましたからね。「今度はIが自動販売機と勝負する番やで」とか、「今度はワシが自転車でひっくり返ろうか」とか。
たとえば、私が「I、お前ちょっと、そこの自動販売機にぶつかってこいよ」と話したりするでしょう。そうすると、Iがコンビニにアイスコーヒーを買いに行くとバイクで出ていって、2~3分したら、ピーポーピーポーと救急車の音が、ワシら麻雀しよるとことに聞こえてくるんですね。それで、「ああ、Iがやりよったか」と、みんなで大笑いするんです。
こういうことをこの田中さんもその場で、しょっちゅう見てますからね。それがどこまでホンマで、どこまでが冗談か、田中さんはわかってなかったと思うんですが。
───IさんやDさんは裁判で、健治さんや眞須美さんの保険金詐欺の協力者的な立場だったことは認めていますが、夫婦が保険金詐欺で儲けたお金から、報酬を受け取っていたことに関して否定しています。何か保険金詐欺に関することを手伝うたびに、1万円ていどの謝礼を受け取っていただけだと裁判では証言しているのですが、本当なんでしょうか?
健治さん:
1万円あげたくらいでは、追いつかない生活でしたよ、あの二人は。Dさんの場合、全部で7000万円くらいの借金がありましたし、Iさんの場合はサラ金で400万くらいの借金を抱えていましたから。
ただ、IさんやDさんにお金を渡しますと、すぐに飲みに行ったり、競輪に行ったり、女に使ってしまったりしますんで、どうにも切羽つまった時にだけ、私がお金を渡すようにしていたんです。サラ金の取り立てが「どうしても5万円返せ」とIさんやDさんに追い込みをかけて来た時などに、私や眞須美が二人の代わりに払ってやったりしていたんです。
私が思うに、もしもカレー事件のような大事件が起こってなくて、保険金詐欺だけで私が逮捕されていたとしたら、IさんやDさんはもちろん、保険金詐欺に関わった医者の方々まで、みんな共犯で逮捕・起訴されていたと思うんです。
ところが、カレー事件のような大きな事件があったため、保険金詐欺が小さく扱われてしまったんだと思うんです。
───検察の主張では、カレー事件以前の被害者とされていた6人のうち、IさんやDさん以外にも、Mさんという方が裁判の中で保険金詐欺の共犯性が明らかになっていますが、この3人は保険金詐欺で立件されることなく、一方で裁判では眞須美さんに不利な証言ばかりしています。たとえば、IさんやMさんは、麻雀をしている時に眞須美さんが手渡しで配ってくれた食べ物を食べたら、具合が悪くなったなどと証言し、その時にIさんやMさんが、眞須美さんの食べ物に入っていたヒ素でヒ素中毒に罹患したのだと検察は裁判で主張しています。
それでまず、田中さんにお聞きしたいのですが、林家で麻雀をしている時に、眞須美さんが何か食べ物を持ってきてくれるようなことはあったのでしょうか?
田中さん:
ありました。私が覚えているのは、ソーメンとかですね。ただ、眞須美さんは麻雀部屋に食べ物を持ってきてくれても、それをメンバーに配っくれりはしていませんでした。お盆に乗せて持ってきた食べ物を、お盆ごと置いていくだけでした。それを、麻雀をしているメンバーが手の空いた者から取って食べていたんです。
健治さん:
ウチの麻雀部屋は四畳半くらいの広さしかなくて、そこに当時はいつも8人くらいのメンバーが集まっていたんです。つまり、ほとんど身動きできない状態で私らは麻雀をやっていた。そこへ、当時88キロくらいあった眞須美が入ってきたら、お盆に乗せた食べ物はひっくり返りますよ。
私が「8人分の食べ物をつくれ」と言っただけで、眞須美は顔をしかめて怒っていたくらいですから、食べ物を麻雀部屋に持ってきて、「これが田中さんのや」「これがIさんのや」と配るようなことまではしてくれませんよ。
・眞須美さんの「死ね」という言葉は冗談にしか聞こえなかった(田中さん)
───検察が、健治さんに対する眞須美さんの殺人未遂を立証する上でも、IさんやDさん、Mさんは、検察に都合のいい証言を多くしています。たとえば、IさんやDさんは、意識不明で入院中の健治さんに対し、眞須美さんが「はよ死ね」と“真剣な様子“で言っていたのを聞いたような旨の証言をしています。また、Mさんも、「あんなオッサンはよ死ねば、保険金が入ってええのに」と眞須美さんが健治さんの死を“本気”で願うようなことを言っていたという旨の証言をしています。
これについて、田中さんはどう思われますでしょうか?
田中さん:
眞須美さんが健治さんにそんなことを言うのを、私も何回も聞いたことありますよ。「こいつ殺しちゃろうか」くらいのことは、眞須美さんは健治さんに対し、頻繁に言うてました。そういう眞須美さんの言葉を聞くたびに私は、「またこんなこと言うてらあ」「冗談ばっか言うてらあ」と思ってましたね。
───眞須美さんが健治さんに対し、「死ね」とか「殺したろうか」というのは、あくまでも冗談に過ぎないと思っていたということですか?
田中さん:
もちろん、そうです。
───では、健治さん本人は、そういう眞須美さんの言葉をどう受け止めていたのですか?
健治さん:
それくらいのことは、言われて当たり前ですよね。私は競輪行くたびに500万とか、1000万の金を使って、1億くらいの金でも、ものの2ヶ月で使ってしまっていたんですから。その上、仕事もせんと、子供の教育もせんと、朝から晩まで麻雀ばかりしとった。
そんな私ですから、眞須美に「死ね」くらいのことは言われて当たり前ですよ。
───夫婦の関係が悪かったということではないのですね?
健治さん:
簡単に言いますとですね、夫婦の仲が悪かったら、4人も子供はできませんよ。みんなの前では「死ね」とか言い合っていても、家の中で夫婦がケンカをていたとかは一切ありませんでした。
田中さん:
夫婦の主導権についても、健治さんにあったと思います。ホンマの亭主関白やったです。眞須美さんは「この人についていく」というだけでしたね。
・Iさんが「一日一食」なんてありえない(健治さん)
───IさんやDさん、Mさんの証言には他にもおかしなところが色々ありますね。たとえば、この裁判でIさんは、眞須美さんのつくった牛丼やウドン、麻婆豆腐を食べてヒ素中毒に罹患したという話になっていますが、問題の牛丼やウドン、麻婆豆腐を食べた日には、Iさんはいずれも、眞須美さんの作った食べ物以外は一切口にしていないと言っています。これは、都合が良すぎるように思えるのですか?
健治さん:
たしかに都合がいいですよね。Iさんが、眞須美がつくった牛丼食べた日に、他にもコンビニで買ってきたラーメンを食べたということであれば、検察官は、ラーメンのほうにはヒ素が入っていなかったことを立証しなければいけません。しかし、その日は眞須美のつくった牛丼しか食べてない、次の日は麻婆豆腐しか食べてない、ということになれば、そこにヒ素が入っていたと特定されますね。
でも、そんなことはありえないんです。Iさんというのは巨体でしてね、アイスコーヒー一本をラッパ飲みするような人だったんですからね。
───Iさんが一日に一食しか食べないなんてことがあるような人かどうかについて、田中さんはどう思われますか?
田中さん:
そんなことないと思うわ。朝昼晩きっちり食べよったと思いますよ。
───検察の主張ではDさんが2回に渡り、眞須美さんに睡眠薬を飲まされ、交通事故を起こすなどしたとされていた件について、眞須美さんの話では、Dさんは車を運転する前に酔っぱらっていて、それで事故を起こしたのが真相だと言うんです。
なんでも、Dさんはかなり酒癖の悪い人だったらしいですが?
健治さん:
Dさんの酒癖の悪さは想像を絶するもので、お酒を飲んだら、人が一変するんです。たとえば、酔っている時にタクシーに乗車拒否されたりしたら、50万円入った財布をタクシーに投げつけたりする人なんです。それで、家に帰った後で奥さんに、お金をタクシーに投げつけたことを怒られたら、今度は、財布の中に残っていたお札を紙吹雪にして便所に放ってしまうような人でした。
一緒にカラオケに行っても、歌っているヤクザのマイクを取り上げて、どついたりしてました。酒を飲まんかったら、ホンマにおとなしく、こんなに気のいい人は他におらんだろうというくらい気のいい人なんですけどね。
───田中さんは、Dさんの酒癖について、何か覚えていることはありますか?
田中さん:
手に負えやんかったです。
IさんやDさんには本当のことを話して欲しい(健治さん)
───最後に、IさんやDさんに対し、何か伝えたいことなどあれば、お願いします。
田中さん:
とにかく、本当のことを言うて、早いところ罪をつぐなうべきだと思います。
健治さん:
私や眞須美は、IさんやDさんには裏切られた形になってますが、しかし私は、IさんやDさんを恨んでるなどということはまったく無いんです。なぜかと言えば、あの人たちも、私たち夫婦を最初から裏切ったわけじゃないらしいんですね。
警察に呼ばれた時も、あの二人は最初は私たち夫婦をかばう発言をしていたらしいんです。それが、警察官官舎に4ヶ月間も留め置かれてですね、厳しい取り調べをされて、口を割ったようなんです。あの二人は、かなり気の弱い人ですから、警察の厳しい追及によって仕方なく、私ら夫婦を裏切るような証言をやったというニュアンスで聞いているんです。ですから、私はあの二人を恨む気はまったく無いんです。
でも、あれからもう10年も経ってるんです。ですから、今からでも出てきて、本当のことを話して欲しい。そうせずに、このまま眞須美の死刑が確定しますと、IさんやDさんは自分たちの嘘によって、自分たち自身が十字架を背負うことになると思うんです。
私は何も、あの二人に対し、眞須美に有利になるように嘘をついて欲しいと言っているわけではないんです。とにかく、本当のことをハキハキ話して欲しい。あの人たちに伝えたいのは、それだけです。
お二人の話の後で行われた主な質疑応答は以下の通りです。
質疑応答
───健治さんがIさんと一緒に飲んでいたヒ素は、カレー事件が起こってからどうしたのですか?
健治さん:
私やIさんが飲んでいたヒ素は、家の近くに借りていたガレージに隠しとったんです。
ただ、カレー事件が起こって、最初は食中毒事件と報道され、次に青酸化合物がカレーに入っていたと報道されていた頃までは、事件にヒ素が関係あるなんて思っていなかったので、私は安心していたんです。しかし、カレーに入っていた毒物が実はヒ素だったと報道された時、私は背筋がゾッとしたんです。それで、疑われたらいかんと、隠し持っていたヒ素は、すぐに庭で全部洗い流して処分したんです。
ですから、警察が家宅捜索4日目に台所のシンクタンクから、ヒ素の付着した容器を見つけたという話になっているんですが、そんなものがもしも本当にウチにあれば、私がその時に一緒に処分しないはずがないんです。
───カレー事件の発生後、真須美さんがお兄さんに電話をかけ、事件以前にヒ素と譲り渡したことについて口止めしたそうですが、その真相はどういうことだったのでしょうか?
健治さん:
私が白アリ駆除の仕事をしていた時に使っていたヒ素を、カレー事件の3年前に眞須美の兄に譲っていたんですね。カレー事件が起こった時、このヒ素についても、疑われたら具合が悪いと私は思ったので、「譲ったヒ素をまだ持っているのか、それとも使い切ったのか、兄貴に確認しとけ」と眞須美に命令したんです。
それで、眞須美が自分の兄貴に電話をしましてですね、「あのヒ素はもう使ったのか?」と聞いたら、兄貴は「まだ使い切ってない」と言うんで、眞須美は「そのヒ素を私らがあげたこと、黙っておいてよ」と言ったんですね。
しかし、そもそもですよ、それほど眞須美が兄貴に口止めするほどヒ素のことを気にしているんなら、事件発生から逮捕されるまでに2ヶ月以上もあったのに、台所の中なんかにヒ素のついた容器を置いておくはずないんです。
安田好弘弁護士の話
・強引に弁論期日を決めた最高裁
今回は、この裁判の現状などについて話させて頂きます。
新聞報道もありましたので、みなさんもご存じかと思いますが、上告審の口頭弁論が2月24日の午後3時から開かれることに先日決まりました。それで、口頭弁論の期日がこの日に決まった経緯を説明しますと、最高裁の調査官から、弁論期日に関する連絡が最初に私の事務所にあったのは、10月の初め頃でした。その電話で調査官は突然、「来年の1月、ないし2月に弁論をやりたい」と言ってきたんです。
突然の話だったんで、「とんでもない」「まだまだ調査の必要があって、弁論をそんな時期にできるもんじゃない」「無理である」と、私はそういう話をしました。しかし、調査官は「ともかく、他の弁護人にもそう伝えて欲しい」と言うんです。
それで、「こちらから、1月や2月に弁論をするのは無理だということを書面で出す」という話をして、一週間後くらいに上申書を出したんです。「弁論は来年の9月以降にされたい」「6月に上告趣意書の補充書を出したい」という内容の書面です。
その際、なぜ弁論期日が9月以降にならざるをえないか、その理由についても書きました。誰々と面接をして、こういう調査をする必要があるということを具体的に10項目くらい挙げ、「それを全部やっていくと、弁論は9月以降にならざるをえない」と。
すると、その上申書を出した翌日くらいに、最高裁の調査官から再び電話があって、「上申書を見たけど、納得できない」と言うんですね。そして、「従前通りに1月か、2月に口頭弁論を開くのが、裁判長の意向だ」と言ってきた。
それで、私は「他の弁護人にも相談する」と言って、電話を切ったんです。
そうしたら今度は、「他の弁護人との相談は済んだか」「相談の中身はどうか」という電話がかかってくるようになった。そして、11月初めに2番目の上申書を出したんです。今度は最初の上申書よりもう少し具体的にですね、「今、現地調査などでこういう成果が上がっている。その中身からすると、こうである。それが解明され、さらに煮詰められない限り、弁論はできない」と主張したんです。
すると、その翌日に最高裁の調査官からまた電話がかかってきまして、「弁論期日を入れることにしました。これは、裁判長、裁判体の決定です」と言うんです。それで私は、「その理由は何なのか。私どもの上申書は読んだのか」と聞いたんですが、調査官は「読みました」と言う。「あなたじゃなくて、裁判長は読んだのか」と聞いても、「読みました」と言うんで、「じゃあ、裁判長は上申書を読んで、調査をする必要はないと言っていたのか」と聞くと、「わからない」と言うんですね。
そこで私は、「面談して話を聞かせてくれ」と言ったんですね。すると、「その必要はありません。裁判長の命令です」と、今度は逆に向こうが電話を切ったんです。
そのあと、最高裁の書記官から電話がありまして、「弁論期日は来年2月24日に決めました」と、私ではなく、私の事務所のスタッフに言ってきたんです。そして、その日中に裁判所が弁論期日が決定したとマスコミに発表し、報道されたんですね。
つまり、「もっと調査をしなければならない」という弁護人の都合は裁判所にすべて無視され、強引に弁論期日が決められたんです。
・最高裁の口頭弁論と審理の実態
最高裁の口頭弁論について少し説明しておきますと、死刑事件の場合、最高裁は慣例で弁論を開くんです。そして弁論の1ヶ月、ないし2ヶ月以内に判決を出すんですね。しかし、弁論をやる時はもう結論は決まっている。つまり、最高裁での弁論というのは、「死刑事件について、最高裁は慎重を期した」と最高裁が世間にアピールするためのセレモニーの1つに過ぎないんですね。
私も何度か最高裁での弁論はやったんですが、「弁論の時間として2時間か3時間くれ」と言っても、最高裁の対応というのは、「せいぜい30分以内にしてくれ」というんです。
そして、この裁判において、弁論期日を2月24日に入れられたのが、どういうことなのかといいますと、3月が年度末ですので、おそらく最高裁は「年度内に結審して、そして判決を出そう」という思惑があるんじゃないか。だから、こういう強硬なやり方をしてきたんですね。
従来なら、弁論期日を1月か2月にしたいと裁判所から連絡があっても、弁護人が9月以降にして欲しいと言うと、それから裁判所と協議することになり、「じゃあ、7月以降にしよう」とか、そういうやり方で弁論期日は決まっていました。しかし、今の裁判所はそういう協議は一切しないんですね。
最高裁が一方的に弁論期日を決めてきたので、弁護人は来年2月24日の弁論に備え、さらにいろんな調査をやっていかないといけません。しかし、弁護団は最近は月1回、地元に入って、現地の人たちに話を聞いてるんですが、なかなかいい結論を入手できないのが現状です。
みなさんご存じの通り、最高裁というのは、憲法違反と判例違反しか審理しないというのが建前です。事実に関する審理はやらないという建前ですね。形式的な審査しかやらないわけです。
ただし、例外がありまして、著しく正義に反する事実誤認があった時には、最高裁が独自に職権で調査ができる、という規定があるんです。ですから弁護団は上告趣意書でも、第一に「原判決に判例違反、憲法違反がある」と主張して、第二に「この事件は冤罪である」と主張しているわけです。
しかし、「この事件は冤罪である」という第二の主張については、最高裁に扱う義務は無く、最高裁が扱わなければいけないと思ったら、「職権で調査できる」というだけです。ですから、とにかく我々は「この事件は冤罪である」という第二の主張に最高裁の目を惹きつけなければならない。そのためには、一、二審で出していなかった主張、一、二審で出ていなかった証拠を打ち出していかないといけないんです。
ただ、最高裁の裁判官は忙しいですから、記録は読みません。記録を読むのは調査官なんですが、調査官も全部の記録を読むことはほとんどなくて、わずかな記録しか読まない。それが今の最高裁の実情なんです。
ですので、調査官たちに記録を読ませるためには、なんとか調査官の興味を惹くものを見つけださないといけない。そういうことで、これまで我々は色々やってきたんですが、現在はまだ、そういうものにはたどり着けていないというのが実情なんですね。ですので、弁護人らとしては従来通り、地元の人たちに話を聞いて、なんとか新しい事実を探していこうと思っています。
・捜査の実態が書かれた「Xファイル」
上告趣意書には、資料1、資料2というものをつけているのですが、これについても説明します。
まず、(スクリーンに映しながら)資料1というのは、私たちは「Xファイル」と呼んでるんですが、その表紙には、このように「和歌山市園部におけるカレー毒物混入事件捜査概要 和歌山県警捜査本部」と書いてあるんです。これは、和歌山県警の捜査本部が部外秘として出した冊子です。これは、全部で200ページあるんですが、これを見ると、警察がこの事件において、どんな捜査、どんな公判対策をやっていたかがわかるんですね。
たとえば、「匿名捜査」という項目があるんですが、ここには、「I・K」という人が出てきます。これは、先ほどの健治さんと田中さんの話で名前が出てきたIさんですね。この項目をちょっと読んでみますと、「I・Kの事情聴取は連日に渡って行ったが、数日後にI・Kの存在が報道関係者の知られるところになり、このため数日後にI・Kの家に報道関係者が押し掛けるという異常事態となった。そこで、本人および家族の強い保護要望により、I・Kを安全なところに保護した。事情聴取は4ヶ月の長期に及んだが、この捜査は得るところが大であった」と書いてある。さらに、先ほどの健治さんと田中さんの対談で名前が出ましたもう一人のDさんに対しても、「(捜査員が)3ヶ月間同居して調べを重ねた」と書かれているんですね。
また、この「Xファイル」には、眞須美さんのお兄さんが林夫婦に譲り受けていたヒ素を警察が押収した話が出てきます。ここでは、眞須美さんのお兄さんが警察に提出した「4つの容器」、そのすべてからヒ素が検出されたという話になっているんですが、実は裁判では、3つしか容器は証拠として出てきていない。つまり、4つ目の容器はどこに行ったかわからない状態になっているんですね。
眞須美さんの家の台所から発見されたプラスチック容器ですが、これが4日目に見つかった家宅捜索では、述べ700人が延々と家の中を調べたと書いているんですね。
それと、この「Xファイル」の中には、「警察・検察一体の捜査」という項目がある。
ここには、従来の捜査方法では対応できないと判断し、警察・検察合同の捜査が行われた、と書いてあるんですね。これはどういうことかというと、一般的な捜査というのは、まず警察が捜査して、その捜査の中身を検察がチェックするんですけど、この事件では、警察と検察が一緒に捜査をしたために捜査の内容がノーチェックになったんですね。
さらに、これには、眞須美さんに対してはクロの捜査をし、他の人にはシロの捜査をしたと書いてある。つまり、警察は「犯人は眞須美さんしかいないんだ」という消去法で捜査をやった。そういう意図的な捜査をやっているんですね。
また、「公判対策」という項をみますと、「個々の証人の不安を解消すべく、交通ルートを確保した」とあるんですね。そして、「利益誘導にならないよう、最大限の配慮をしながら、証人の出廷を円滑にするため、検察庁とのパイプ役としてスケジュールの調整をはかり……」と書いているんですが、つまり、この事件では警察は、裁判そのものにも関与してるんです。
さらに、「法廷での証言については、くまなくメモして、公判後も補充捜査をした」と書いている。とにかく眞須美さんを有罪にするために、警察はありとあらゆるものを総動員したわけです。
それから、「目撃証言」という項目があるんですが、ここでは、事件現場の各住民の目撃証言の食い違いを調整したことが書いてある。こういうことで作り上げられた目撃証言にどれだけ信用があるのか、弁護団はこういうことを色々検証してきたんです。
・無実の証拠なのに、信用されなかった次女証言
次に、資料2ですが、(やはりスクリーンに映しながら)これは、眞須美さんの次女のA子さんのノートです。事件発生当時に使っていたノートが出てきたんですね。
このノートをみると、1998年12月19日付けでこんなことをA子さんは書いているんです。
「昨日、『朝の9時30分に園長先生のところまで来な』と言われて、婦警かな、と思って面会室に行ったら、裁判所の人がいた。変なオジサンと次長とM課長がいた。そしたら、変なオジサンに『これにハンコ押してくれるかな』と言われて、『絶対いや』と言ったら、M課長に、『(裁判には)行かなダメよ。法律で引っ張っていかれるよ。破ったら日本人じゃなくなるよ』と言われて、仕方なくハンコを押した」
これは、証拠保全手続きというのがあって、その時に裁判所がA子さんを呼びに来た様子を書いているものです。こうしてA子さんは、1998年12月18日に証拠保全手続きで裁判所に呼ばれ、証言をしているんです。
それで、A子さんがどんな証言をしたかというと、みなさんもご存じだと思いますが、眞須美さんは事件当日、カレーの鍋の見張りをしていた時間帯には、次女のA子さんと一緒にいました。そのことからA子さんは、「私がお母さんと一緒にいたので、その時にお母さんがカレーにヒ素を入れることはできなかった」という趣旨の証言しているんです。
また、A子さんは、こんな証言もしています。
「カレーの鍋が置かれていたガレージには、お母さんと一緒にいました。すると、次の見張り番の人がやってきたので、その人と交代して、家に帰りました」
そして、その時にこのガレージには、カレーの鍋が2つあったんですが、A子さんは「お母さんと一緒にいた時、私は西側の鍋に指をつっこんで食べました」とも証言しています。しかも、A子さんがこのような証言をしたのは一回だけでなく、4年後の2002年の2月9日に行われた期日外尋問でも、A子さんは同じ証言をしているんです。
これは、大変重要な証言でして、つまりアリバイ証言になるわけですね。
なぜかというと、Aさんは「お母さんと一緒にガレージにいた」「次の見張り番の人と交代するまで一緒にいた」と言っているわけですから、眞須美さんがカレーにヒ素を入れる機会はなかった。
さらに、眞須美さんと一緒にいた間、A子さんが西側の鍋のカレーを食べた際には、A子さんはカレーを食べる前に「味見させて」と眞須美さんに了解を求めているんですね。もしも眞須美さんが本当にカレーの鍋にヒ素を入れていたのなら、A子さんがそのようなことを言った時、「やめなさい」と止めるはずですね。ヒ素が入っていたのは東側の鍋で、西側の鍋にはヒ素は入っていなかったのですが、この時点でどちらの鍋にヒ素が入っていたか、A子さんは知らないわけですから。
しかも、このカレーを食べたという話を、A子さんは1998年の12月18日という早い時期から証言しているわけですから、これは作った話ではないんですね。A子さんは眞須美さんと一緒にいた時、実際にカレーを食べているんです。ですから、これは眞須美さんの無実を証明するアリバイ証言なんですね。
ところが、裁判所は、1998年12月18日の証拠保全手続きの時の尋問と、4年後の期日外尋問とでは、A子さんの証言に食い違いがあると言うんです。たとえば、「A子は最初の尋問では、ガレージに行った回数を2回と証言していたのに、期日外尋問では1回と証言している」とか、「A子は最初の尋問では、ガレージにいた時間を1分から5分と証言していたのに、期日外尋問では、母親と15分から30分一緒にいたと証言している」などと、裁判所はA子さんの証言の食い違いを指摘した上で、「子供だから、母親をかばうために証言している」「他の目撃証言とも、A子の証言は食い違う」などと言って、この無実を証明する証言を「信用できない」と切り捨てたんですね。
しかし、先ほどのA子さんのノートを見ると、A子さんが嘘をついているはずはないんです。むしろ、最初の証言、つまり1998年12月18日の証言は、無理矢理言わされた感が強いんです。お母さんを助けるために何か言ったという感じではないんですね。
また、裁判所が言うように、A子さんの証言が他の目撃証言と食い違うか否かですが、その目撃証言はこんな内容なんです。
「被告人が白いシャツをきて、ガレージに一人でいて、西側のカレー鍋のフタをあけたのを見た」
これは、事件現場近くに住む女子高生の証言なんですが、有罪の証拠として使われています。しかし、先にもお話したように、西側のカレー鍋のフタをあけたのは眞須美さんではなく、カレーの味見をしたA子さんなんですね。
A子さんが、「カレーの味見をした」と最初に証言した1998年12月18日の時点では、この女子高生の目撃証言が存在することなど誰も知らなかったわけですから、A子さんがこの目撃証言に合わせてウソをつくことは不可能です。ですから、眞須美さんを見たと言っている女子高生は、本当はA子さんを見ていたんです。つまり、A子さんの証言は、他の目撃証言とも合致する内容なんですね。ですから、A子さんの証言は本来なら、他の目撃証言の裏づけもあり、信用性の高い証言なんです。
そして、有罪の証拠として使われている女子高生の目撃証言も、本来であれば、眞須美さんが無実ということを証明する内容なんです。
・非常識な裁判所を動かすために必要なこと
そこで、A子さんの当時の証言とか、A子さんが当時使っていたノートとかをですね、弁護団は最高裁に出しているんです。しかし、これだけで最高裁の目を惹きつけ、従来の証拠の見方を変えさせるのは難しいので、これプラスアルファで、さらに違う証拠を突きつけていきたいと思っています
しかし、弁護士だけでは、現在の困難な状況を切り抜けていくのは難しい。ですので、ぜひともみなさんにも協力して欲しいんです。
というのも、一、二審はきわめて非常識なことをやっているので、その非常識さを最高裁も引きずっている可能性があるんですね。
たとえば、健治さんやIさんが被害者とされている関連事件を、一、二審は有罪認定に使っているんですが、これも非常識です。常識的に考えると、関連事件は保険金目的ですから、本来なら立証されればされるほど、一円の得にもならない犯罪であるカレー事件とは、距離が離れていくんです。つまり、関連事件を立証すればするほど無罪の証拠になるのに、一、二審判決では有罪の証拠にされている。非常識なんですね。
眞須美さんの周辺から見つかったとされるヒ素と、カレー鍋に入っていたヒ素が「同一時期に、同一工場で作られたものだ」とした鑑定結果にしても、同じ工場で作られたヒ素だと言いながら、その工場がどこにあるのかすらわかってない。警察でさえつかめてないんです。
そもそも、Aのヒ素とBのヒ素が同じだと言うためには、基準になるCのヒ素が必要です。それが無いのに、Aのヒ素とBのヒ素が同じだという非論理的なことを一、二審判決は言っているんです
それから、先ほどのA子さんの証言も、信用できるのに、一、二審判決は「眞須美さんと親子だから」というだけの理由で「信用できない」と言っているんです。
ここまで一、二審が非常識なのだから、最高裁も同じように非常識を引きずっているのではないかと我々は思うんですね。
ですから、弁護士も、新しい証拠を出そうということで、今後も関係者から色々話を聞くなどしていきますが、弁護士だけでは、この困難な状況を切り抜けていくのは到底難しい。ですので、できればみなさんにも情報を寄せて頂きたい。そして、何をどう打ち出していけば、最高裁にマトモな判断をしてもらえるか、みなさんにもぜひ考えて欲しいと思うんです。そして、なんとか最高裁を動かしたいと考えています。
どうかよろしくお願いします。
林眞須美さんのメッセージ
本日は大変お忙しい中、私を支援してくださる会にご参加いただき感謝申しあげます。
私が4人の子供たちと離れ離れになってから、この10月4日でちょうど10年が過ぎました。おかげさまで上の子3人は成人し、一人一人がそれぞれに独立し、自分たちの人生をそれぞれに頑張って過ごしています。しかし三女はその当時まだ4歳で、私にとってもいとおしくてたまらないかわいい頃で離れてしまったため、ずっと痛々しい日々を過ごしてきましたが、その子もおかげさまでこの11月に15歳になりました。
私以上に苦しくつらい日々の中で成長してくれている子供たちがいること、このことこそがこれまで私が頑張ってくることの出来た支えでした。
今、この10年間を振り返ってみますと、保険金詐欺をしてきたことは、たとえどのような事情があろうとも、4人の子供の母親として、また一人の人間としても本当に思い出すたびに情けない思いでして深く反省しています。しかしながら私はこのこと以外には、夫はもちろん同居人の誰をも殺してはいませんし、ましてや「カレー事件」には全く関係していないのです。私が犯した保険金詐欺につきましてはいくらなんでもこの10年という獄中の罰で十分ではないのかと思っています。
今、私は2人の方にお聞きしたいことがあります。最初に私の隣に住んでいたOさん。
Oさん、事件当日の昼にお会いした時には、私にはいつものとおりの心優しいOさんのままでしたよね。そして、私もいつものままの普通の私だったと思います。なのにどうしてOさんはその当日のことを、いつもの私たちの普通の会話と様子だったと正直に話してくださらないのですか?4人の方が亡くなられている事件で、捜査機関の誘導どおりの証言で、私が犯人だというように仕立て上げられているのでは、亡くなった4人の方のなんの供養にもならないと私は思っています。
次にお聞きしたい方は、世界で初めてスプリング8での鑑定をなさったN教授様にです。私は、この獄中から大声でアナタ様に聞きたいことがあります。それは指紋検査を先にしていますかということです。検査の紙コップを肉眼で見た担当の人は白い粉は見えなかったといっているのに、N教授のところに行った時点で、どうして紙コップに白い粉が見えたから採取したということになってしまうのでしょうか?そんな摩訶不思議でいい加減なものがどうして重大事件の重大証拠の紙コップとされてしまうのでしょうか?
どうか最高裁におきましては、「疑わしきは罰するのではなく、疑わしきは罰せず」のとおりに、犯罪の証明がないのに1,2審の時のようにいとも簡単に、あやしいからというだけの理由で死刑判決なんていうことがないように無罪判決を望みながら私は過ごしています。
私が逮捕されて以来、親戚、友人、知人など多くの人たちが去っていきました。しかしながらそれと同時に、皆さんのようなこれまで全く知らなかった日本中の方に出会うことができ、ご支援いただいていることに毎日感謝の気持ちで過ごしています。今後ともどうぞご支援をお願いいたします。そして真犯人の方、もし生きているのなら一日も早く名乗り出てください。
本日は皆様ありがとうございました。
平成20年11月15日
林 眞須美
林眞須美さんから三浦和義さんへの手記
『創』(2008年12月発行)掲載記事