歪められた歴史教科書
  この教科書の朝鮮に関しての記述はこれにとどまらない。二四五頁には何と一頁全体を使って、インターナショナリスト柳宗悦と題し、ある日本人を取り上げている。「…朝鮮の独立運動に共感を持っていた日本人…柳宗悦こそ、それぞれの民族性を尊重するという国際性(インターナショナリズム)を持っていた人物といえるでしょう。…」とこの無名の日本人を異常に持ち上げている。
  私は不勉強で、この時『インターナショナリスト』なる言葉を初めて知った。国際主義者とでも訳すのか知らないが、私はこんな言葉もこんな人も聞いたことがない。私が学んだ頃の昔の教科書には、こんな訳の分からないことは載っていなかったように思う。わざわざ教科書の一頁を割いて紹介するはどの価値があるのか疑問である。
  まだまだある。二五六頁には皇民化、創氏改名、抗日組織…これでもか、これでもかと続いている。その一員の写真には「朝鮮神宮に参拝させられる朝鮮の学生たち」が載せられている。
  また二六四頁には朝鮮人強制連行について、写真入りの一頁大で紹介されている。
  この教科書の執筆者は何故か、あまりにも朝鮮民族からの視点を重視しすぎており、教科書に当然求められるべき歴史的公平あるいは公正さを全く欠いている。今の日本は自分の主張を自由に表現できる民主的な国であるから、これが単なる歴史読本であれば問題はない。しかし、これが義務教育に使われている歴史教科書であるところが問題である。このような常軌を逸した偏向歴史教科書で教育を受ければ、次世代を担う日本の子供たちはいわれなき罪悪感を植えつけられことになり、当然日本人としての誇りを奪われることになるのだ。このように日本の歴史教科書が日本および日本人の尊厳を奪い取ろうとしている意図が私には皆目分からない。誠に不思議なことであり、残念なことである。
 
韓国歴史教科書の矛盾
  日本の歴史教科書における韓国についての記述は紹介した。それでは現在の韓国の教科書にはその歴史、特に日本との関係はどのように記述されているのであろうか。
  以下「新しい歴史教科書をつくる会」会報である『史』(通巻第十四、十五号)からの記事を紹介する。
  韓国では国定制度を採用しているため、歴史教科書は小・中・高ともに一種類しか存在しない。いづれの教科書にも共通することは、自国に都合の悪い事柄に関しては、無視するか、歪曲して説明していることである。
  例えば、元寇については、小学教科書てほ完全に無視しており、中学教科書ではたった五行、高校教科書でさえ僅かに七行ほどに過ぎない。それに引さ替え、朝鮮出兵(壬辰倭乱) については、小学校でも丸々四頁、中学校では本文三頁半に「学習の手引き」として二頁、高校では七頁にもわたって延々と、李舜臣の活躍や義兵の抗争について書いてある。つまり、韓国の歴史教科書は、自らが手を下した加害事(元のお先棒を担がされたとはいえ、立派に日本「侵略」に加担したことには変わりない。特に文永の役は高麗水軍が主力であった) については教科書では殆ど教えず、一方自らが蒙った被害事実については、これでもかこれでもかというぐらいに教科書で教えていることになる。
  しかも、元寇については我関せずとばかり、「元は日本を征伐するために軍艦の建造、兵糧の供給、兵士の動員を高麗に要求した。こうして二次にわたる高麗・元連合軍の日本遠征が断行されたが、すベて失敗した。」(中学)、「高麗は元に強要され、日本を征伐するための軍隊を徴発される。元・高麗連合軍は二回にわたって日本遠征を試みるが、台風のために失敗してしまう。」(高校) と、まるで他人事のように、或いは自らも被害者であったように装って書く。
  しかし、朝鮮出兵になると俄然趣は違ってくる。朝鮮側の「勇敢」な抵抗もさることながら、連綿と恨みつらみが書さ連ねられる。「日本軍はいたる所で、群れをなして歩き回り、多くの人を殺したり、連れ去ったり、略奪したりした。」(小学)、「七年間の戦乱で朝鮮が受けた被害は大きかった。人口が大幅に減少し、国士がひどく荒れてしまった。耕地面積が以前の三分の一以下に減り、食糧問題が深刻になり、これに凶作と疫病まで重なり、農民の惨状はとうてい言葉には言い表せないものであった。」 (中学)、「東アジアの文化的後進国であった日本は、わが国から活字、書籍、絵画なとの文化財を略奪し、学者や技術者を拉致していった。」(高校)といった具合である。
  これは、「歴史の記述は、偏ることなく厳格でなければならない」という基本方針に背くことにならないであろうか。
  産経新聞ソウル支局長の黒田勝弘氏は、「韓国は中世にあいて間違いなくモンゴルに激しく蹂躙され、その期間は百年に及んだにも拘らず、モンゴルとの過去はさっぱり忘れ去られているのに、この十四世紀とさして大きくは離れていない十六世紀の日本との『過去』は決して忘れ去られていない」として、次のようなエピソードを紹介している。「留学生はじめ韓国在住の日本人たちは今でも、スリやコソ泥なと韓国で物質的被・害にあって文句を言おうものなら、周りの韓国人から半ば冗談、半ば本気で『壬辰倭乱』の話を持ち出され、『それくらいはたいしたことじゃない』なとと逆に説教されることがある。」
  この点は、黄文雄氏も同様の指摘をしている。「朝鮮半島は有史以来、計九三一回も侵略された。
  ことに三国時代以降は、平均二年に一回という頻度で侵略を受けたともいわれる。日本には三六年間支配されたが、モンゴルには一世紀近くも支配を受けた。『高麗史』は、モンゴル軍が通過したところは、すペて焼さつくされた、と記領している。(中略) しかし、それほど侵略されたにも拘らず、大陸から半島への侵略をあまり糾弾せずに、海からの『日帝』の侵略ばかりを 『突出』させるのは、それなりの理由があろう」と。その理由について氏の指摘するところは、「韓民族のナショナリズムを育てるには『反日』と『克日』が必要だから」というものであるが、韓国の歴史教科書も、こうした「反日ナショナリズム」を育てるために、体よく利用されているのだとしか思えない。
  その他、韓国の歴史教科書には特徴的な思想ないし思考過程が存在する。つまり、自らの現実の歴史は「華夷秩序」により、中国の臣下として生きざるをえなかったが、その事実は現代韓同人のプライドを傷つけるものであり、一種のタプーとなっている。いま一つは「小中華」意識の呪縛に引きずられていることである。
 
華夷秩序と小中華思想
  歴代の朝鮮国王が支那に対して如何に屈辱的な臣従を強いられていたかは、呉善花氏の「『日帝』だけでは歴史は語れない」(三交社) に詳しく紹介されてている。一例を挙げると、高麗の将軍だった李成桂は実権を掌握して王位につくと、(中略) 明国に使節を派遣し、『朝鮮』と『和寧』(李成桂の生誕地) のうちいずれかを国号に選んでほしいと要請している。それを受けた明の太祖が、由緒深く優雅であるとして『朝鮮』を国号に定めたのである。そのように李朝は中国から王位と国号の承認を得て国をはじめ、毎年冬至の日に定められた朝貢を欠かすことがなかった。また、新たな国王の即位、立后、立太子があるたびに中国の承認を得、外交上の問題が生ずれば中国に意見を請うた。中国人使節は朝鮮国王より上位の品階にあり、朝鮮国王は中国使節を迎えるとさにはソウル城外に出て、慎みを持って迎えなければなかった。しかも朝鮮国王は、使節が入城した門を通ることは許されず、別の門を通ってソウル城内に入らなければならなかった。といった具合である。
  だがこのような事実も、韓国の歴史教科書にかかると次のような書き方に変わってしまう。中学教科書の李氏朝鮮の建国の下りである。
  新王朝は、国号を朝鮮と定めた。『朝鮮』は、すなわち古朝鮮の伝統を受け継ぐという意味で、檀君に民族の独自性を求めるという意味が含まれている。だから朝鮮という国号には、悠久の伝統文化と民族意識が反映されており、民族史に対する主体的自覚が含まれていた。(中略) 朝鮮王朝は、外は明と親善関係を維持して国家の安定をはかり、女真や日本に対しては交隣政策をとって国際的な平和を維持した。
  「明と親善関係」などと言えぱ、いかにも聞こえはいいのであるが、その実態は華夷秩序の中で独立を去勢され、徹頭徹尾支那に依存するしかない属国関係ではなかったのか。…しかしその実態については教科書で決して触れようとしない。
  朝鮮は朝貢を通じて明の名分を立ててやり、使臣の往来を通じて経済的・文化的実利を得た。しかし後には行き過ぎた親明政策に流れる傾向があらわれた。(中学)・・・結論的に言うと、朝鮮の歴代王朝は、自ら「華夷秩序」を受け入れ、歴代支那王朝に対して属国関係にあった事実を、教科書では殊更にぼかし、隠蔽しているとしか考えられないのである。・・・

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