それがニコンのカメラの主力工場に駆け上がったのは、ここ2〜3年のことだ。2004年にデジタル一眼レフ「D70」の製造をタイで開始。そして、その後火がついたブームを機にデジタル一眼レフの製造を全面的にタイにシフト。ハイアマチュア向けの「D300」も含め、プロ向け以外のすべての一眼レフを製造する基幹工場へと変貌を遂げた。07年度のニコンタイランド売上高は2000年比で8倍弱まで拡大した。
05年の社長就任以来、アユタヤの主力工場化を先導してきた苅谷道郎社長は言う。「自動調整器、光学測定器など基幹装置は日本から持って行く。新製品の量産立ち上げのときは仙台ニコンの人間が指導に行く。そうすれば、タイ人はまじめだし、日本で作るのと変わらない」。
苅谷社長就任後のニコンは06年12月、本体価格6万円(当時)の普及機「D40」を発売、一眼レフブームの火付け役となった。苅谷社長は高級品志向の強いニコンにあっては異端といえる合理主義者だ。
その苅谷社長がモノづくりの面で出した答えがアユタヤの強化だった。「どこで作ろうとメード・バイ・ニコンに変わりはない」。
円高、雇用問題…国内製造は難局へ
刈谷社長就任後のヒットは、「D40」だけではない。プロ向けの「D3」、ハイアマチュア向けの「D300」などヒットを連発。06年38%だった一眼レフの世界シェアを08年には39・5%へ拡大(テクノ・システム・リサーチ調べ)。同期間にトップ・キヤノンのシェアは47・4%から40・7%へ落ち込み、その差を大きく詰めた。
70年に早くも海外製造を始めながら、05年に方針を転換し、国内回帰を行ったキヤノン。一方、海外進出は91年と出遅れた一方、03年以降の一眼ブームを機に一気に海外への製造シフトを推し進めてきたニコン。図らずも、ライバルである両社は海外での製造体制について、対照的ともいえる戦略を採ってきた。
その結果、キヤノンの為替感応度(為替変動が業績に与える影響度)は精密業界の競合と比べてもかなり大きい。対ドルで10円円高になったとき、全社営業利益はどれだけ減るか。キヤノンの場合、その数値は56・9%。他社と比較すると、ニコンが18・2%、オリンパスが28%、リコー13%と、キヤノンの為替変動への耐性の低さは目立つ(JPモルガン調べ)。
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