金澤社長は言う。「プロ向けのカメラをアユタヤで作れないかといえば、仙台で作るのとまったく遜色ないくらいに作ることができるだろう。この数年の間にそれだけの技術、ノウハウは十分に蓄積されている」。
日本国内に製造現場を残しておくという意味で、ニコンがマザー工場としての仙台ニコンを畳む予定はない。だが、日本で研修を積んだベテラン社員たちが高度な技術を蓄積していく中で、かつて仙台や栃木の工場に手を引かれて歩いていた“アユタヤ”は、独り立ちを始めつつある。
タイ工場であってもメード・バイ・ニコン
国内の人件費が中国などアジア諸国と比べて10倍近くにもなっている現在、海外生産は製造業のスタンダードだ。だが、ことニコンに限って言えば、それは決して当たり前の話ではなかった。
歴史をさかのぼると、ニコンはもともと軍需品の製造からスタートしている。第1次世界大戦の勃発により、欧州から測距儀や望遠鏡を調達することが難しくなる中、1917年日本帝国海軍の要請を受けた三菱財閥の岩崎小彌太が創設したのが日本光学工業、現在のニコンだ。
そのため、採算よりも性能を最優先するDNAが骨の髄までしみついている。「社内の人間は皆、技術ではどこにも負けないと思っている」(ニコンOB)。過去にはライバル・キヤノンに自社のレンズ技術を惜しみなく供与したこともある。1938年、日中戦争でキヤノン(当時は精機光学工業)にレンズを供給できなくなったニコンが、キヤノン創業者、内田三郎氏の要請に従いレンズの製造技術を教授したものだ。同時に技術者もキヤノンに出向させている。「それも自社の技術に対する自信の表れ」(前述のOB)だ。
そんな技術至上主義のニコンは、主要製造拠点を国内から海外へ移すことについては、他社よりも消極的だった。
70年にキヤノンが初の海外製造拠点を台湾に設立し、カメラ製造の海外シフトを始めたのに対し、ニコンが海外に工場を造ったのは91年設立のタイ工場が初めて。しかも、初めの十数年は交換レンズの普及品などを細々と製造していただけ。あくまでも、メイン工場である仙台、水戸などのサブ工場にすぎなかった。
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