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宮田秀明の「経営の設計学」

技術は劣化する

開発能力の喪失を示す米軍の新型艦艇  


 私は1人で声に出してしまった。
 「ひどい! 最悪の設計だ」

 軍艦や商船のマニア向け雑誌「世界の艦船」の表紙を見た時のこと。米海軍の最新鋭の3000トンの沿海域戦闘艦が全力で航走している写真が載っている。ひどいのはこの最新鋭の軍艦の作っている波だ。

 船の波は主に一番先端の船首と一番後ろの船尾から出る。この船の作る波がひどいのだ。船首からの波も悪いのだが、船尾からの波は許しがたいくらいだ。船は波を作るが、その波を発生させるために馬力が要る。波を発生させなくするよう船の形を最適にしていく技術は「船型学」と言う。

優秀な人材が集まらない分野の技術が劣化

 「船型学」の研究の大本山のようなのが私たちの研究室だ。その研究で、私の3代前の教授は文化勲章をもらい、2代前の教授は文化功労者になった。私も29歳の時にこの研究室のメンバーになって以来、船の波と船の形の関係の研究を続けてきた。

 船型学は30年も続けてきたので、研究の世界でかなり上りつめたのだが、その一方で、船の形を設計するエキスパートになった。だからアメリカズカップの仕事も引き受けたし、最近ではスーパーエコシップという電気推進の内航船の設計を指導し、波を作ることによる抵抗(造波抵抗)を60%減らすことにも成功した。

 この「世界の艦船」のページを開いてみると、米海軍の沿海域戦闘艦の建造中の写真がたくさんあった。どこの設計が悪いのか一目瞭然に分かった。明らかに設計のレベルが低い。私が代わりに設計したとしたら、すぐにエンジンの馬力を20%減らせそうなくらいだ。

 米国では商船を建造するビジネスはほとんどないが、プレジャーボートや軍艦を製造するビジネスは世界トップの規模にあった。だから、米マサチューセッツ工科大学(MIT)やカリフォルニア大学バークレー校などには造船関係の学科があって優秀な学生が集まり、造船造艦の世界へ巣立っていった。

 ところが、ソ連崩壊の前後から、このような学科がリストラされていき、優秀な人材がこの世界へ向かわなくなっていった。そうして、この分野の技術力が急速に劣化した。この流れはますます加速し、冒頭のような、ひどい設計をしてしまうだけでなく、誰もその設計の悪ささえ分からなくなってしまったのだ。

 軍艦の設計という軍事研究のお手伝いをすることは私たち東大教員には許されてなかったし、私自身もやりたい仕事ではない。しかし、一方では軍事用も民生用も技術は共通の部分が多い。だから船の設計や技術開発の先端にいた私は米海軍の研究関係の方々と話し合う機会も多かった。

 米海軍研究局(Office of Naval Research)のトップの方が私に会いに来たことがあった。彼は軍用機で横田基地に来て、ヘリコプターで六本木の米軍オフィスに来て、車で私の所へ来る。パスポートを持ってなくても来日できるようなルートだ。

 ワシントン郊外のメリーランド州ベセスダに海軍の研究所がある。この研究所のP部長との関係は大学院卒業直後から続いていた。彼が突然私に電話をかけてきたのは1996年のことだ。

 「来週木曜日にシーリフト計画の重要な会議がワシントンDCである。何とか来れないか。君の高速船の設計を説明してほしい」

米軍は、双胴型の高速船の技術に関心を持った

 米国は1990年代の後半から「シーリフト(高速軍用海上輸送)計画」を立案していた。世界中に展開している米国の駐留軍は、いずれ撤退することになるだろう。その時、世界中のどこかで新たな紛争が発生した時、2週間以内に大規模な戦闘力を展開できる能力を確保したいという計画である。世界中のどの地域にでも戦闘力を展開したいのだが、航空機は輸送能力が低過ぎるので、高速船に頼るしかないのだ。

 私が日本のある企業と共同で開発した双胴型の高速船の技術がこのプロジェクトにふさわしいとして米国海軍が注目してくれたのだ。だが、私は時間的な問題と、東大の職員という立場があったので、米軍の手伝いをすることはできなかった。

 米海軍は、国内の優秀な技術者が他分野に向かったおかげで、この時にはすでに新型艦艇の開発能力を失い、日本の技術に頼ろうとしたのだが、結局それはうまくいかなかった。私の代わりに折衝した日本の造船企業の取った行動も良くなかった。

 それから数年たって米海軍が取った方法は、オーストラリアの設計技術と国内の技術に頼ることだった。そうして試作されたのが2つの沿海域戦闘艦である。1つは三胴型でオーストラリア企業に設計を委託し、もう1つは米国内の企業に担当させた。後者が冒頭の、激しい波を発生させる最悪の船だった。

 技術は劣化する。このことを知るのは、技術開発に人生をかけてきた私たち技術者にとってつらい現実である。一生懸命支えてきた技術の分野が劣化していくのを目の前にして、何もできないのだ。

 40年前に人類は月に到達した。アポロ11号の偉業である。コンピューターの主記憶容量がわずか50Kの時の偉業である。それから40年、科学技術は大きな進歩をしてきたはずなのに、一方では技術の劣化も進行させていた。そして今、人類を月へ送り込むことはできなくなっているのだ。

 技術を進歩させたり、技術革新を実現したりすることは難しい。しかし、技術を劣化させることは簡単なことなのだ。

まず創造する能力のある人材を育てよ

 技術の劣化は人材の劣化とともに進行する。米国で有力大学が船舶工学科を廃止したのは20年ぐらい前のこと。日本でも同じ流れが10年ほど前から進行した。大学が悪いというわけではないだろう。その産業の経営状態が悪く、若者がその産業を目指さなくなるのだ。

 結果としてその産業と深い関係のある工学系の学科は不人気学科となって定員割れし、リストラの対象になってしまう。これが典型的なシナリオである。

 船の設計技術だけではない。あちらこちらで技術の劣化が進行していると言えるだろう。産業界と大学が話し合うべき最大のテーマは、創造する能力のある人材を育てることと技術の劣化を防ぐ戦略だと思う。

 ある自動車会社の経営者が東大キャンパスを歩きながらつぶやいた。「なんで日本には自動車学科がないんでしょうね。50兆円産業なんですが、ドイツにはありますね」。

 産学連携は古くて新しい言葉だ。もっともっと本質に立ち返って産学連携を考えなければならない。

このコラムについて

宮田秀明の「経営の設計学」

経営には「論理」が必要である。論理を積み重ねた理系思考がイノベーションを育む。技術力を最大限に生かし、プロジェクトをまとめ上げ、新しいビジネスを創造する。「理系の経営学」を提唱する東京大学の宮田秀明教授が理系の視点による経営の要諦を語る。

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著者プロフィール

宮田 秀明 (みやた ひであき)

宮田 秀明

1948年生まれ。1972年東京大学大学院工学系研究科船舶工学専門課程修士修了。同年石川島播磨重工業(現IHI)に入社、77年に東京大学に移り、94年より同大教授。専門は船舶工学、計算流体力学、システムデザイン、技術マネジメント、経営システム工学。世界最高峰のヨットレース「アメリカズ・カップ」の日本チーム「ニッポンチャレンジ」でテクニカルディレクターを務めた。著書に『アメリカズ・カップ―レーシングヨットの先端技術―』(岩波科学ライブラリー)、『プロジェクトマネジメントで克つ!』『理系の経営学』(日経BP社)など