最終更新時刻:2009年5月22日(金) 0時58分
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iPhoneという奇跡

公開日時:
2008/07/13 15:42
著者:
kenn

前回に引き続き、今年も友人&奥さん&犬連れでアップルストア総本山のパロアルト店に並んでゲットしました、iPhone 3G。

もうiPhone自体についてはあちこちで語り尽くされていますし、今さら私が何かを付け加えたところで、いつも言ってることの繰り返しになってしまうのですが、もう一度あらためて伝えたいことがあります。

iPhoneは、1980年代にパーソナルコンピュータが登場して以来の、約30年ぶりに登場したパラダイムセッターであり、コンピュータ業界、ソフトウェア業界、ウェブ業界、モバイル業界、果てはゲーム業界まで、あらゆる関連セクタの向かう先をたった一つのプロダクトで決定づけてしまったモンスターデバイスです。

おい、そりゃいくらなんでも言い過ぎだろう、と言いたくなる方が多いのはわかります。今のiPhone 3Gを使ってみて、まぁそれなりに綺麗だし使い心地もいいしデザインもいいけど、普通に使ってる分には別に取り立ててここがダントツにスゴイ!みたいなものはないし、そこまで言い切るほどのものか?そう感じるのが普通でしょう。

でも、たぶん、あなたと私とでは見ている部分が違うのです。

私は、現時点のiPhoneには、製品としてそれほどとんがった部分があるわけではないと思っています。フツウの人に使いやすくデザインされた、ひねたところのない、純粋に「使いやすさ」と「クオリティ感」で勝負している完成度の高いスマートフォンのようなもの、という理解をしたければしてもいい。たしかに、その方向性においてもiPhoneはずば抜けているのですから。しかし、それは30年に一度の奇跡と呼べるほどの本質ではないのです。「能ある鷹は爪を隠す」ということわざは、iPhoneにこそふさわしい。鷹は爪を隠していてもなお美しい。

ではiPhoneの本当のスゴさとは何か。それは、「ネットに常時接続されているモバイル端末はどうあるべきか?という長年の問いに、いきなり究極解を出してしまった」ということです。ここで、なぜiPhoneが究極解といえるのかについては、もう少し説明が必要でしょう。

まずはその準備として、ひとつ大きなクエスチョンに白黒つけておく必要があります。

「電話」の登場と「インターネット」の登場では、どちらが後世、たとえば100年後に大きな歴史的事件として記憶されるでしょうか?

おそらく、いや間違いなく、「インターネット」でしょう。

私は、たとえば100年後の未来では、みんなが使っているのは「モバイル・インターネット端末」であり、「音声通話」は数多あるアプリケーションのうちの一つでしかない、という逆転が間違いなく起きていると信じています。今は通信キャリアの存在感が大きすぎるのでにわかには想像できないかも知れませんが、物理的なネット回線の敷設は電気やガスと同じで、ますます公共性を帯びた地味なインフラになっていくという長期的なトレンドについては、さほど異論のないところでしょう。

マイクロソフトがWindowsでもたらした革命の本質は、ハードウェアとアプリケーションをアンバンドルしたことでした。富士通のマシンでしか動かないOASYS、日本電気のハードでしか動かない一太郎の時代から、WindowsというOSが媒介となって、日立のパソコンでも東芝のパソコンでも、一太郎だろうがWordだろうが何でも動くようになったのです。

ひるがえって、インターネットは、ハードウェア(電話回線)とアプリケーション(音声通話)をアンバンドルする起爆剤となった、と後世に伝えられることでしょう。そして、ハードウェアとアプリケーションが一体だった「電話」の時代は静かに忘れ去られていき、「インターネット」だけが生き残る。

だとするならば、その100年後の未来の世界では、おそらく「携帯電話」の登場よりも、「携帯インターネット端末」の登場こそが大きな歴史的事件として刻まれていることでしょう。

そしてほかでもないiPhoneは、まさにいま、「携帯インターネット端末」の代表たる歴史的地位を確立しつつあるのです。StarTACの栄光は人々の記憶から忘れ去られても、iPhoneは長く語り継がれていくことでしょう。

そして、Macとともに誕生しWindowsで完成したパーソナルコンピュータという概念が、とうとうiPhoneの登場によって携帯電話と合流してしまったのです。

パーソナルコンピュータにとっての携帯電話とは、典型的な「イノベーションのジレンマ」ですが、アップルは、この決して当事者には克服できないと予言されたジレンマを乗り越えてしまいました。メールやちょっとした調べ事など、ほとんどの日常的な用事が携帯端末だけで完結するようになり、ヘビーデューティーな限られた用途でしかパソコンが使われなくなっていくであろう未来を先取りし、自ら先手を打ったのです。技術経営的な観点からみても、お見事というほかありません。

つまり、iPhoneとは「パソコンの側からアプローチしたパソコンへのアンチテーゼ」なのです。この一見矛盾した言い回しを正しく理解してもらうためには、まず「パソコン」を「パソコン」たらしめているものが何であるか、という部分をきちんとおさらいしておく必要があります。

ところで、「iPhoneはアップル的なデザインの良さからくるマーケティング戦略の成功に過ぎない」と考えている人は、このあたりを根本的に勘違いしています。言っちゃ何ですけど、マーケティングごときにそんな歴史を動かすほどの力はありません。真に時代を動かすのは常に「本物の技術革新」であって、マーケティングはその影響力を何倍だかに増幅する手段に過ぎず、本当に良い物を作らなきゃゼロは何倍してもゼロなのは算数の初歩です。

では、iPhoneの進歩性とは何か。iPhoneには、パソコン同様、MacOS Xに相当する最新かつフルスタックのオペレーティングシステムが搭載されています。この意味するところは、単にモダンなカーネルが載っているとかそういうことではなくて、あらゆる高機能なネイティブ・アプリケーションがこのOSの上で安定的に記述可能になっているということです。これはアップル自身にもメリットとなったし、今ではアプリ開発者も同じメリットを享受しています。

iPhone OSでは、加速度センサーやカメラ、GPS、ローカルのデータベースなど、内部のありとあらゆる機構に一般のアプリケーション開発者がアクセスすることを許しています。開発者の自由度を高めることで、開発者の情熱を引き出す。こういうオープン性がもたらす開発者コミュニティにおける化学反応こそが、官僚的なスーツ主体の組織では絶対に不可能な戦略であり、だからこそ他社が簡単に真似できない決定的なアドバンテージになることを、アップルはMacの経験から知っていました。

そして、実はこれこそが「パソコン」を「パソコン」たらしめているパラダイムの本質なのです。「パソコンの側からアプローチしたパソコンへのアンチテーゼ」を克服する、パソコン的なるものの本質とは、アプリケーション開発者の自由度を高めるオープン性、あるいは「テクノロジーの民主化」とでもいうべき思想にあったのです。

開発者の自由度を高めることはセキュリティ・リスクを増大させてしまうというトレードオフに直結していることも、技術ドリブンの企業でなければオープン戦略をとることが不可能である大きな理由のひとつです。落としどころの技術的な判断がつかないまま、会議室で議論すればするほど、より自分たちが安全な、より開発者を締め付ける方向にしか行けないのです。

さらに、iPhoneは妥協のない最高のユーザ体験をもたらすために現実世界のハードウェアの制約を含むあらゆるディティールと戦っています。これは、対抗馬となるAndroidなどにみられる理論上・コンセプト上で美しいアーキテクチャを目指す世界観とは対極に位置する、ある意味では泥臭い「本当にきちんと動いてナンボ」のアプローチです。このリアリティは、先月行われたWWDC 2008のセッションで、いかにしてリソースを節約しながら高速に動作するネイティブ・アプリケーションを書くか、というノウハウのセッションがものすごく多かったことが如実に物語っています。テーブルのセルを画面の外に出た瞬間に回収して再利用したり、再描画するエリアを最小化したり、メモリリークをとことん排除するためのツールが提供されていたり。

これらはソフトウェアのアルゴリズムがどうとかそういう大上段な話ではなくて、ユーザが実機で使ったときに「ちょっとでもスクロールがもっさりしてはいけない」というような、学者肌で理論派の開発者が苦手とする、言葉での説明が難しく、たいてい安易に妥協されがちな「フィーリング」の部分です。私は、その非言語的な価値に徹底的にこだわるその姿勢に、アップルの真骨頂をみました。そして何よりも、こうした問題が場当たり的に解決されるのではなく、ベストプラクティスがソフトウェア的に蓄積されていくというのが、汎用のOSやライブラリを持っていることの真の意義なのです。

さらにこの先には、ウェブアプリの革新が控えています。App Storeで色々なアプリをダウンロードして試された皆さんも同様のことを思われたかも知れませんが、娯楽モノ以外の多くの実用系アプリは何らかの形でウェブ・サービスと連携しており、そのサービスのクライアントとして動作します。つまり、オフラインモードやローカルデータベースをサポートするHTML 5が現実のものになってくれば、あえて気合いを入れてObjective-Cでネイティブ・コードを書かなくても、Safari上で同じ動作をするクライアントが書けるようになる3-4年後の未来が読めたはずです。

たとえばアニメーションや3Dレイアウトなど、ダイナミックなものでもCSSで宣言的に書けることはなるべく(JavaScriptを使わずに)CSSで書くようにすれば、GPUによる高速化のメリットを享受できるようになっていたり、ウェブアプリ方面でもiPhoneの技術革新への仕込みは抜かりありません。というか、そちらの界隈もアップルがSafariでリードしており、もはや独走状態です。ここまで全方位的に革新的だと、もうぐうの音も出ません。

勘違いしている人も多いのですが、あらゆる革新的な製品は垂直統合モデルから誕生します。いかに最後は負ける運命であっても、OASYSが載った富士通や一太郎が載った日本電気のようなモデル、つまりハードウェアからアプリケーションまで一体化された斬新な体験によって、新技術に突破口が開けるのです。まだ世の中に存在しない斬新なものの価値を信じて何かを作り上げることは、多くの関係者が寄り集まらないと何もできない水平分業モデルでは不可能なことです。そして、多くのトライアンドエラーと死屍累々の中から生き残り、大きなマーケットを作り上げた本物の技術だけが、反復作業を繰り返す学習効果によって徐々にモジュール化されコンポーネント化されて水平分業へと移行していき、増大する市場スケールに対応できるようになっていくのです。この順番だけは、過去一度も狂ったことがありません。垂直統合で生まれたMacがなければWindowsは存在しなかったし、水平分業のWindowsが登場しなければパソコンというものの一般への普及はなかったでしょう。そのどちらかだけに重きを置くのは誤りですが、鶏と卵のどちらが先かといえば間違いなく卵です。

だから、ハードウェアからアプリケーションまでの全レイヤーの技術を全てインハウスでカバーする、垂直統合型企業のアップルでなければ、iPhoneという技術革新は生み出せなかったのです。ハードウェアにはハードウェアのリアリティがあり、アプリケーションにはアプリケーションのリアリティがある。ただの専門バカの寄せ集めでは、iPhoneのような完成度のものは、たとえ思いついても絶対に作れない。

この点に関して、ITの世界には面白い構図があります。ハードウェアのエンジニアとOSのエンジニアは互いに互いのことをちょっとバカにしており、「お前は××の最適化の難しさも知らないくせに」と思っています。OSのエンジニアとライブラリのエンジニアは互いに互いのことをちょっとバカにしており、「お前はこれを××にも移植できるように作ることの難しさを知らないくせに」と思っています。ライブラリのエンジニアとアプリケーションのエンジニアは互いに互いのことをちょっとバカにしており、「こんなくだらん役立たずを作りやがって」と思っています。アプリケーションのエンジニアとウェブサービスのエンジニアは。。。と以下、延々と続くのです。一言にエンジニアといっても、担当するレイヤーが変わればカルチャーも用語も何もかもが違い、むしろ仲が良くないのが普通です。これらの異文化な人々をぜんぶ垂直に束ねて新しいものを作ることがいかに難しいか、おわかりでしょうか。

私は、6歳になる頃にはもうプログラムを書いてゲームなんかを作っていましたし、製品開発プロジェクトのマネジメントも長年やってきたし、今では会社の経営もやっています。もうこの世界とはかれこれ25年以上の付き合いがありますから、少々のことでは驚きません。何か新製品が出てきても、その開発プロセスがどういうものだったか、実際にモノを見ればたいてい想像がつきます。

しかし、これだけの圧倒的な複雑さと規模をもつiPhoneという製品が、いきなり最初からこれだけの完成度で、しかもアップルにとって全く先行的な経験もない状態で誕生したことは、技術経営の難しさをそれなりに知る私から見るともはや奇跡としか思えません。発売後すでに一年が経過した今でも、その思いは変わりません。

そして何よりも、iPhoneが今まさに行おうとしている革命は、かつてアップルがIBMに対して行ったのと構図も規模もそっくりな「テクノロジーの民主化」の革命なのです。

私たちはいま、「パーソナルコンピュータの誕生」に匹敵する歴史的瞬間を目撃しているのです。そのことに気付いていますか?iPhoneの本質は、セクシーなルックスにあるのではありません。その奥の深い中身と、未来に開かれた歴史的意義にこそ、その本質は潜んでいるのです。

さぁ、みなさんもつべこべいわずiPhoneを手に入れましょう。あなたが技術の世界で今後もずっとやっていくつもりなら、歴史の目撃者となる千載一遇のチャンスを見逃したことを、今後数十年にわたって後悔するのはイヤでしょう?

私はかつて、パソコンの黎明期に若すぎたことを悔しく思っていました。ただの小学生では、ソフトウェアを書くことはできても現実世界に影響を与えるほどのことは何もできず、華やかな世界を指をくわえて見ているほかなかったからです。

しかし、今この時代になって、iPhoneの誕生という歴史的なイベントを目撃できていることを、天に感謝しているのです。ようやくツキが巡ってきたぞ、と。

♪ Finis Henderson / Skip To My Lou

※このエントリは CNET Japan ブロガーにより投稿されたものです。シーネットネットワークスジャパン および CNET Japan 編集部の見解・意向を示すものではありません。

このお題について書かれたブログ

このエントリーへのコメント

11

江島さん

sansaraこと神宮司です。

「テクノロジーの民主化」というキーワードが気に入ってます。

少し遠いところから話すことになりますが、価格の高騰が新聞を賑わしています。これはなにか循環的な要素で上がっていると言うより、構造的な変化が裏にあると観た方がいいと思っています。

これとよく似た、構造的な価格高騰がかつて16世紀に起きたことがあります。歴史の教科書に「価格革命」と呼ばれているものです。「価格革命」は「宗教改革」を伴い、「宗教改革」の裏側に「印刷革命」があったことは良く知られた史実です。

実は、その一つ手前で、「印刷革命」を下絵に、一種の文化革命が起こり、国語が形成され、職人と商人が「知の世界」に躍り出ました。

ちょうどそれと同じことが今起きようとしているのではないか。「テクノロジーの民主化」で、エンジニアと、そして彼らに「リナックスベースの安価なプログラムを書いてよ」と依頼する、スモールカンパニー、ファミリービジネスが、歴史の新しい担い手とし脚光を浴びるのでは、と密かに期待しているものです。依頼主はもちろん、iPhone を使った商売、app Store や iTunes Storeでの販売を前提にした「企画書」を手にしていることでしょう。

このコラム欄に書くと長くなるので、上述趣旨を書いた(このblogを引用させていただいています)URLを記しておきます。

・巻頭コラム『二十一世紀文化革命』(情報社会生活マンスリーレポート 2008年8号)
http://shiftup.jp/report/rep0808cr.pdf

ご笑覧いただけるとうれしいです。

トラックバックにすればいいのですが、掲載媒体の性格との関連で、こういう形でのご挨拶となりました。

  sansara on 2008/08/17

10

iPhoneに関する様々な解説をネットで見ますが、江島さんの意見が一番まとを得ていると思います。壁掛けテレビの最初の一歩が電卓で始まったように、これから繰り広げられるであろう究極のグリーンカーの開発競争が、悪評高きハイブリッドカーで始まったように、最初の一歩は理想と現実の間で泥臭く妥協点を見出すところから始まるのだと思います。

  minoru.inui on 2008/07/24

9

Palmさん

オチがよかったです(笑)。たしかにNewtonも斬新なアイデアがてんこ盛りで素晴らしい製品でしたし、「すべての華々しい技術は過去の巨人の肩の上に乗っている」のは事実だと思います(偶然ですがこの言い回しの出自はIsaac Newtonですね)。ただ、「技術的な先進性」と「プロダクトの成功」の関係を考えるときいつも思うのは、技術者は製品の斬新さの絶対的指標として技術の先進性に頼りすぎる、という過ちをおかしがちだということです。

プロダクトが商業的に成功するためには、搭載技術は1歩先でも早すぎる、半歩先ぐらいがちょうどいい。で、実は半歩先の技術の寄せ集めだけで、ただちに商業的に成功するだけでなく本物の未来を感じさせる製品を作るのは、実は「技術的な先進性」を極めた製品を作ることよりもはるかに難しいことなんです。そのためには「技術的な先進性」への見識は同等レベルで求められ、さらにそのなかから本質を抽出する(=本質でない部分を捨象する)という高度な意志決定を伴うからです。ぼくもこの世界で長くやってますけど、だんだんわかってきたのは、「技術的な先進性」に突っ走る方が実は楽だ、というパラドックスです。

これは、決して先端技術を開拓した人たちを軽んじるものではありません。そこに敬意を払えずギブ&テイクの関係を築けない人はただのフリーライダーであり、まぐれ当たりは出せても、持続可能な成功はできないでしょう。

しかし、iPhoneが何にフォーカスをあて何を捨てたかを考えるとき、本質は「ネットに常時接続されている綺麗な大画面(ただしポケットサイズ)」というポジションでしょう。このポジションは、やはり圧倒的に新しいし、iPod Touchとは全然ちがう。ぼくは運転中や歩きながらiPhoneでPandoraアプリをラジオとして流しっぱなしにするのがお気に入りですが、これはネットへの常時接続なくては成立しないものですし、これってもはやiPodキラーですらありますよ。もうローカルのストレージに音楽を置いておく必要さえない。こういう、「ネットの向こう側」の存在感が広がりを見せているために、2008年というタイミングの妙があるんじゃないでしょうか。

akirasnd2さん

2008年現在の人類史上のインパクトはそうでしょう。ぼくが言ってるのは2108年時点ではどうか、という話なんです。

まぁ、インパクトなんて主観的な解釈学なのでナンセンスですけど、「電話」が栄華を誇った時代よりも「インターネット」が栄華を誇る時代のほうが、100年後の未来から振り返ってみれば「長く続いた」だろう、といえばわかりやすいですか?

みなさんは、トーマス・エジソンが発明した電球(キラーアプリ)のために家庭に電力線がひかれ、「電球=電力」と認識されていた時代のことを、もうお忘れのようです。当時は電源コードの規格もなく、裸電球のソケット部分を無理矢理つかって電力をとるというハックで洗濯機やヒーターが作られました。今、その時代から約100年経っています。

電球なしには電力は誕生しませんでした。電力なしに冷蔵庫もパソコンも誕生しませんでした。だから、2008年現在でも電球が一番偉いのだ。ま、そう思う人がいてもいいとは思いますが、おそらく今現在みんなが偉大だと思っているのはユニバーサルな「電力」のほうであり、それは100年後のテレコム会社の姿であり、その未来に(というか今でも)「電力」に相当するものは「インターネット」でFA、という主旨です。

  kenn on 2008/07/20

8

いや、電話とインターネットを比べたら人類史上のインパクトは間違いなく電話ということになりません?

  akirasnd2 on 2008/07/19

7

これだけの長文をiPhoneで書いたのであれば本当にすごいと思う。
iPhoneがあれば、もうパソコンなど必要ない?そんな安易な絶賛
レポートが多くてうんざりだ。ゲーム機にもなるプラット
フォーム?既存のゲームが移植されただけでゲーム機として台頭
できるのだろうか?DSやWii、PSPの操作性を実現している技術は
そんな浅はかなものではないだろう。iPhone絶賛の嵐は、そろそろ
やめてほしい。21世紀の奇跡とはこんなに小さなものなのか?

iPhoneを現実歪曲空間と呼んでいる人もいるが、現実歪曲国家
アメリカに住んでいるとその効果は絶大なのかもしれない。
現実歪曲空間から抜け出るために一つの事実に注目してみると、
なぜiPodTouchとiPhoneはデザインが同じなのか?これはこの二つの
製品が兄弟関係、少なくとも同じカテゴリーに分類されていること
を意味している。それは何か?つまり、iPhoneは携帯電話機能付き
iPodで、それ以上でもそれ以下でもない。少なくともJobsはその
ように考えていると思う。むしろ、そう考えざるを得ないだろう。
なぜなら彼は10年前にNewtonテクノロジーをゴミ箱に捨てた張本人
だからだ。iPhoneは絶対に第二のNewtonであってはならない。
パーソナルコンピューターの次に来るものであってはならないのだ。
彼はその人類の資産を凍結してしまったのだから。

とても21世紀の風景とは思えない、今日的マーケティング手法で
あるiPhone行列に参列した人々で、どれだけの人がNewtonのことを
知っていただろうか?実際に持っている人は皆無だっただろう。
1990年代の初頭、ちょうどマイクロソフトがiPhoneと同じような
二番煎じの技術をてんこ盛りにしたWindows95を世に放とうとして
いた頃、Jobs無きAppleでは、パーソナルコンピューターの“次”を
若きエンジニアたちが模索していた。それは壮大なビジョンだった。
キーボードやマウスからも人々を解放し、人々の身近にあって、
コミュニケーションや記憶や思考までもをアシストする夢のマシン
だった。その人類の未到達技術に挑戦して製品にして出すという、
本当の意味での歴史的瞬間がかつてあった。Newtonのビジョンに
比べれば、今日のiPhoneなど見栄えの良いただの空箱にすぎない。
ところがiPhoneを現実歪曲空間にいる人たちは、Newtonのそれと
同じ夢をiPhone見ているようだ。

Jobsが復帰してNewtonに終止符を打つころ、Newtonは改良を重ね、
文字認識など細かいテクノロジーでは他の追随を許さないレベルまで
達していた。特に終盤、ジョナサン・アイブのデザインした教育市場
向けのeMate300は、10年以上も前に今日の100ドルPCのコンセプトを
実現したものだった。もし、この失われた10年の技術が今日のiPhone
の技術に直結していれば、iPhoneは奇跡と呼ぶにふさわしいもの
だっただろう。だが、現実はちがう。私は一般人がiPhone狂想曲に
踊るのはかまわないと思う、しかし、技術系の重鎮までもがiPhoneを
諸手を挙げて絶賛するのにはうんざりしている。それどころか憤り
すら感じる。

希望的事実として付け足しておくと、Newtonテクノロジーは死んで
はいない。身近なところでは、iPodのOSを作成したPixo社は、Appleで
Newtonの開発に携わっていた2人のエンジニアがスピンアウトして
作った会社だ。つまりiPodのOSとして広く世界に行き渡っている。
そして、今回、AppleがiPhoneというプラットフォームを用意しただけ
で、そこに何のビジョンも描いていないこと、そして、広く誰にでも
iPhoneというプラットフォームを利用してビジョンを実現する手段を
提供していることに希望が残されている。つまり、Newtonで果たせな
かった人々の夢を誰もが実現する入り口が用意されたということだと
思う。これはむしろ、JobsにNewtonテクノロジーを葬り去ったという
過去があったからこそ生まれた状況なのかもしれない。Appleが提供
するビジョンより、一般に委ねられた方がはるかに大きな可能性を
秘めているかもしれない。この先には、アプリだけでなく、音楽、
映像と誰もが夢を実現する未来が見え隠れしている。iPhoneは
二番煎じの技術をてんこ盛りにしたただの箱だが、それに注がれる
人々のビジョンと情熱次第では、本当に歴史的ターニングポイントに
なるかもしれない。ただ、その始まりはNewtonだったと思う。
改めてここで、かつてNewtonに情熱を注いだエンジニアたちに敬意を
表したい。こんなことを書いている時点で私自身も現実歪曲空間に
いるのかもしれない。

  Palm on 2008/07/18

6

iPhoneおそるべし! 本日は7月14日、発売後3日目です。
私の自宅に近所の80歳と70歳のおばさんがいらっしゃいました。
しばし近況などを話たあと、
おばさんA「最近は、私もメールなんかするのよ」
おばさんB「そうそう、なんか表参道ででたんですってね。ボタンがないんですってよ」
私の妻、手直にあるiPod touchを見せて、「こんな感じの携帯なんですよ」とおばさんに見せてあげる、
おばさんA「あら、お宅も表参道に並んだの?」
妻「いや、これは携帯じゃなくて、似たようなモノで、、、」
おばさんB「なんか指でグルグルできるんですってよ」
おばさんA「あら〜、今はすごいのね〜。私も孫にメールするのに使おうかしら」。
・・・、確かに関東ローカルの全局がニュースしていたので、おばさんが知っていてもおかしくはないのですが、家の中学2年生「ほっしい〜。」から、80歳のおばさんの話題にまでなるiPhone。
iPhoneの奇跡では、プロダクト生産側からの貴重な発言が読めましたが、受け手の市場の反応もぜひ注目したいですね。
技術だけでは語りきれない、「流行」が香ばしい逸品です、iPhoneは。

  yanadenki on 2008/07/15

5

うわ、なんだこのGOODカウントは!
最終板型決戦端末エヴァンシャリスト?
//

  ルート134 on 2008/07/14

4

iPhone3Gがapple storeで販売されたのであれば、江島氏の意見に全面的に同意できるのですが・・・SoftBankSHOPおよび携帯販売店で販売することにより『技術の世界で今後もずっとやっていく』事と無縁な層を巻き込んでしまった日本においては、むしろ黒歴史的瞬間になってしまったのかな、という思いがあります。
携帯電話とiPodの延長線上を思い描いてiPhoneを手に取ってしまった人にとっては2年間に及ぶ悪夢の始まりでしかなく、その憎悪がSoftBankとappleに向けられることは避けられないでしょう。
これは、そのように仕向けた(としか思えない)マスコミの報道にも問題がある事ですが。
一時の話題性と引き換えに、基礎工事を台無しにしてしまった。

わかっている人が納得の上で手に取るならば、こんなに素晴らしいモノはなかなか無いと思うのですけれどね。
私も『iPhone OS 2.0 が供給されて、iPhone 3G とほぼ同機能が使えるようになった iPod touch』欲しいですし。
なんで携帯側からアプローチしてしまったのか。
本当に残念でなりません。

  korly on 2008/07/14

3

アプレ、アプリ、アップル。アッバじゃなくてエッバ。

  サイシュウヘイケ on 2008/07/14

2

インテルマックを入手できればSDKで開発できます。インターフェイスビルダーでGUI部分を構築すれば、後はCでこつこつと・・・
ハマルときっと楽しいはず!一説にはハイパーカードより容易だという説もあります。

  尊仁 on 2008/07/14

1

すばらしい記事を感動して拝読しました。
マックをPlusの時代から使っていますが、ここに来てまさに新たな歴史的瞬間を目撃して、興奮していました。

11日に手に入り、もっか研究中で徹夜をしたあとに、貴方の記事を拝見して、また寝られなくなりそうです。

今後のご活躍をお祈りしております。
keico

  pretty-bacchus on 2008/07/14

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