日めくりプロ野球08年10月
【10月10日】1989年(平1) 横浜最多安打男・石井琢朗、打撃の神様と2人だけの記録
初先発初勝利を挙げたルーキーの石井忠徳投手。結局投手としてはこの1勝のみ。“先輩”の川上哲治は投手として11勝、打者としては2351安打を放っている
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【大洋4−3ヤクルト】ベンチに座っているのに足が震えた。「頼みます!松本さん」。9回裏、二死一、三塁で1点差。プロ入り初勝利がかかっている大洋の新人・石井忠徳投手はまともにグラウンドを見られなかった。
石井の後にリリーフに立ったのは松本豊投手。内野ゴロで1点は許したが、見事後続を抑え、大洋は辛くもで逃げ切り、ルーキー右腕は待望の1勝をマークした。
「最後はハラハラしました。祈る気持ちでした」という石井。8回まで5安打1失点、10三振を奪う好投。完投勝利目前もプロ19年生の代打・杉浦享外野手に二塁打を浴び、2点差にされ降板。「完投したかった」と悔やんだが、それまでの15試合はすべて中継ぎや敗戦処理。それを思えば初先発初勝利は「やっぱりうれしい」。「最後に監督に恩返しができた」と、既に退陣が決まっている古葉竹識監督への感謝の言葉を口にした。
この石井忠徳投手こそ、後に大洋から横浜に変わったチームで不動の1番打者として、盗塁王4回、最多安打2回など数々のタイトルを獲得し、球団史上最多の2306安打(08年10月9日現在)を放った石井琢朗遊撃手である。投手として公式戦で白星を挙げ、なおかつ打者に転向後に通算2000本安打を達成したのは“打撃の神様”川上哲治内野手(巨人)とこの石井の2人しかプロ野球史上存在しない。
栃木・足利工高では1年生から背番号1を付け、夏の甲子園には2年夏に「4番・投手」出場。当初、東洋大へ進学するはずだったのを後に大洋監督となる、江尻亮スカウトがほれ込み、ドラフト外で半ば強引に大洋へ入団させた。1年目のキャンプから1軍に帯同。ドラフト1位の谷繁元信捕手の注目度から比べれば天と地の差だったが、首脳陣は石井の小気味良い投球に「掘り出し物だ」と密かに喜んだものだった。
ルーキーイヤーのオープン戦で西武・清原和博一塁手から三振を奪った150キロ近いストレートと、落差の大きいカーブが持ち味。古葉監督の後を受け就任した須藤豊監督は「ボールをもてあそぶことができる。それに全力投球してもコントロールが乱れない。運動神経の偏差値が高い投手。近いうち桑田(真澄投手、巨人)のライバルになる。今の石井にないのは経験だけ」とベタ褒めした。
「ローテーション入りも」と、期待されたが初勝利から2年が過ぎても実戦では芽が出なかった。3年で28試合登板し、1勝4敗。ファームでの防御率1位と申し分のない投球をしていたが、1軍では「ひと回りしかもたなかった」(須藤監督)。練習で絶好調の“ブルペンエース”は3年目のオフ、この世界で生きていくために野手転向を決断。意を決して横浜スタジアムの監督室のドアをノックした。
その時の様子を須藤監督はこう振り返る。「91年のファン感謝デーの時に監督室に石井が来たの。“限界です”って。投手として壁を破れない時期だったから相当本人は悩んだと思うよ。僕も足は速いし、バッティングセンスは1軍の選手よりあったから野手にしたい気持ちは正直あった。ただ、その言葉にカチンときて“何が限界だ、20歳そこそこで。ふざけるな。限界だったら野球辞めろ”と、きつく言ったの。本人は相当こたえたみたいよ。まあ、長い時間話し合って転向を認めたんだけど、あれは2軍レベルの選手じゃないから、すぐ1軍でやらせた。厳しい環境に置いた方が早く育つ選手だと思ったから」。
転向後、忠徳から「野手として成功する字画」ということで琢朗へ改名。心機一転、再スタートを切った“石井琢朗”内野手は、92年4月17日、ヤクルト1回戦(横浜)に野手として「7番・遊撃」でスタメンデビュー。初回、2番・橋上秀樹左翼手の放ったゴロをいきなりエラー。ハラハラさせたが、第1打席では西村龍次投手から内野安打を放ち、打者としての初安打を記録した。投手時代の3安打をおまけと考えれば、この内野安打こそ通算2000本安打への道の第一歩だったといえる。
08年閉幕を前に、微妙な立場にたたされているプロ20年目の石井。その進路が注目されるが、高いモチベーションは維持しているようだ。“ミスター・ベイスターズ”がどういう決断を下すのか。止まるも進むも本人の判断次第。周囲は静かに見守るだけだ。
※石井は08年10月に横浜を戦力外通告になり、翌11月に広島に入団した。
1989年10月10日 | ヤクルト−大洋25回戦 | 神宮 | 12勝12敗1分 |
1 |
2 |
3 |
4 |
5 |
6 |
7 |
8 |
9 |
計 |
|
大 洋 | 0 |
0 |
0 |
1 |
0 |
0 |
0 |
3 |
0 |
4 |
ヤクルト | 1 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
2 |
3 |
投 手 | |
大 洋 | ○石井(1勝)、S松本(1勝4敗2S)−谷繁 |
ヤクルト | ●加藤(5勝9敗1S)、デービス−秦 |
本塁打 | 銚子2号(洋)、荒井4号(ヤ) |
三塁打 | |
二塁打 | 高木(洋)荒井、杉浦(ヤ) |
大 洋 12安打11三振4四死球 0盗塁2失策8残塁 | |
ヤクルト 7安打10三振4四死球 1盗塁2失策8残塁 | |
球審・井野 試合時間3時間8分 観衆6000人 |
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