■□ もう一度、シュウマツを □■




――――ドクン

あんな抜け殻ではやはり駄目だった。痛みがもう蘇った。
予定よりも数時間早い、早めに動き出して正解だ。
だが当然何処の通路も人間が多い。狩場の選択には慎重をきすべきだろう。
この時間帯で人目に付かない空間は狭いし、そうである時間も短い。
だいたい抜け殻に当たるのは運気が落ちている証拠だ。
当たるも八卦外れるも八卦な占いを信じるわけじゃないが、悪い事だけはそこそこ当たるから困る。
良い事は一つも当たってくれないくせに。

――――ドクン

若干の余裕はある。これが始まってからでも遅くはない。
痛い事は痛いが身体は動かせる。問題ない。
人間の流れが濁流のように駅から流れ出ては、逆に飲み込まれていく。
ここは狙い目じゃない。
そう思いながら階段を人込みに混ざって下りていく。
人間臭くてたまらない。鋭敏化した感覚が臭いを強く感知する。
酔ってもいないのに嗅がされる酒の臭いは格別に気持ち悪い。殺意すら覚える。
構内を歩いていると、いろんな所で人が寝ていたりしゃがんでいたりする。
それは老若男女を問わない。
階段横の職員専用ドアのあるデッドスペースは人目につきにくい。
トイレも同様だ。意外と目に付かない。
けれど困った事に駅には人間以外の目として監視カメラが多く配置されている。
これらの死角を全て掻い潜って食事をするのは至難の技と言えるだろう。
ここを通るのは情報収集のために他ならない。獲物を先に見つけるためだ。
昨日は赤だった。という事は、次のターゲットは橙だ。
今回は血痕くらいは残しておこう。
「!…………誰だ?」
誰かが俺の事を見ていた。殺意というよりは興味、いやもっと違う感覚だった。
1秒程度だったが、俺が気づくように仕向けた感じさえあった。
気に喰わない。街の中を歩いていると最近感じるあの感覚だ。
今のはかなり強い、感覚が鋭敏でなくても気づけただろう。
ひとまずここを出よう。
これ以上得体の知れない奴に目を付けられたまま、というのも困る。
それにここは狩りに向かない。



俺は殺した。
殺して、殺して、殺しまくった過程でいろいろと気づいた。
RPGに当てはめるなら経験値を積んでレベルアップして技能を習得して、その世界に適応したって感じだ。
だから解る、この世界の人間は二種類いる。
抜け殻の奴と中身入りの奴の二種類だ。呼び方は俺が勝手に決めた。
ありていに言えば、抜け殻の奴はただ生きているだけの人形だ。魂がこもってない。
中身入りは魂がある普通の人間の事を指す。
抜け殻は魂が人の形を保つだけで手一杯というか、あまりにも希薄すぎる。
胸糞が悪い事にそいつ等はそれに全然気づいていない。周囲の中身入りも気づかない。
抜け殻は日常生活を普通に行えるし、喜怒哀楽を生前と同じように表現できる。
見た目も中身入りと変わらない。けれど決定的に欠けているのが俺には感じられる。
学校内にも何人か居る、さっきの駅の中でも何人も見た。
幽霊が自分が死んだのに気づかず、この世に留まっているのに似ている。
勿論これはものの例えで本物を見た事はない。見た所でそれは俺の栄養分に他ならないだろう。
殺したのは人だけじゃない。
犬、鳥、魚、虫、動物園の絶滅危惧種を殺った事もあった。が、それらは不味い。
直接的にこの食事に味を感じるわけではないが、表現するとそうなる。
また栄養として取り込みにくい上に、余計な物が混ざっていて体に馴染み難い。
本能が抑え辛くなったり、水分を必要以上に欲しくなったり、頭痛に悩まされたりした。
記憶が何度も飛ぶ事もあったし、皮膚炎を全身に起こした事もあった。
結局、人間には人間でないと駄目らしい。
だから今は人間しか狩らない。食べないし、殺さない。
人間を食べるに当たって社会という構造は邪魔な存在だ。余計な手間隙がかかる。
死体の処理が面倒だが必要になる。食事の場面も見つかってはいけないし、獲物が賢いのも問題だ。
ニュースはメディアというものが騒ぎ立てて、ネットも介し瞬く間に広がる。
俺の食事には俺が決めたマナーがある。それに奴等が気づくのも予測の範囲内だった。
セブンカラーズマーダー、和訳すれば七色の殺人鬼とあだ名をつけられていた。
殺された死体の髪の色にちなんでその名がついた。光栄とは思わない。
望んでも居ない名前を付けられるのは、はっきり言って迷惑だ。嫌がらせでしかない。
ただ食事をしているだけなのに、失礼な話だ。
まあ、非常に特徴的な食事であるのは俺自身認めるところだ、奴等にも情状酌量の余地はある。
毎回毎回同じようなものばかり食べても飽きが来る。だから毎回変える。
それはいたって普通の思考だろう。
朝の御飯と味噌汁のような変えなくてもいい物があるが、こればっかりは一度食べればそれで終わりだ。
分割して少しずつ食べるなんて器用な事は出来ない。もしかすると可能かもしれない。
仮に可能としよう、それでもそのように食べる練習が必要だ。
練習台された獲物には辛い時間となるだろう。でもやっぱりそれは不可能だ。
リスクが高過ぎる。練習する間のリスクがとても高い。
日常的に自然な動作で行えるようになるには、経験上、軽く見積もっても10年はかかるだろう。
動物で練習するにしたって殺しすぎれば周囲の人に確実に怪しまれる。
一連の犯人という疑いをかけられる事にも繋がりそうだ。それは絶対に避けなければならない。
なら、このままでいいじゃないか。
人間なんて幾ら殺してもそこら辺に溢れている。
セカンドインパクトで半分に減ったとか言ってもまだまだ居る。
食事は続けよう、今まで通りに。



少しは痛みが誤魔化せるかとバーに立ち寄る。
基本的にガラス質、光沢のある床に天井にカウンター、薄暗いライトを何度も照らし返す。
カウンター席についてから適当に頼む。
大人の社交場的な雰囲気が強いこの店は、静かに飲むのに適している。
女を口説くにもってこいだろう。ただ今ここに入ったのは、痛みを誤魔化すためだ。
獲物を捕まえるためじゃない。捕まえられるに越した事はないが、待ち伏せはそんなに甘くない。
だいたいここだと余分な手間をかけなきゃいけないじゃないか。
俺は女を口説くのが得意じゃないし、獲物が質の良い獲物とは限らない。

!?

反射的に振り返った。
後ろを見ると妻の居そうな男とその愛人っぽく見える女が、グラスを合わせていた。
向き直ってグラスを空ける。この男とも女とも違う視線を感じた。
今の感じは異常だった。
首筋に息の吹きかかるような真後ろに張り付かれたような、そんな間近に視線を感じた。
駅で感じた視線と同じだ。腹立たしい、あの視線は生理的に嫌だ、受け付けない。
そこから逃げるように俺はマスターに金を払い、早々に立ち去る。
地下にあるそこから階段を小走りに、駆け上がって抜け出た所で何気なく空を見た。
「………………空が澄んでる」
珍しい。
これだけ綺麗なのは久し振りだ。かえって怖くなるほどの、青みを帯びた黒。
さすがに街の灯が眩しくて星は見えないけど、突き抜けるような夜空が浮かんでいる。
なんとなくすぐに出会えそうな気がした。
くるりUターンをするように、ビルとビルの隙間へと入っていく。
この街の路地は全て把握している。この辺りはそこそこ狙い目の場所だ。
飲食街から飲み屋街に通じる裏道の一つがあり、街灯の光も外からの光と手を結べる範囲にある。
この乏しい明かり一つが獲物の警戒感を殺ぎ取ってくれる。
見える所でそんな大それた事はしない、する訳がない、戦場ではないのだから。
その認識の甘さを突く。
日光ほどではないが、人が自己の輪郭を確認できるための光量はある。
真っ暗で自分の姿も回りも見えない環境はストレスを与え、無意識に不安にさせる。
火を発見し、電気を作り出して闇を退けてきた人間は、それへの抵抗力が乏しい。
訓練をしている人間は別だが、その数はしていない者に比べて遥かに少ないだろう。
つまり、出会う確率も自ずと低くなる。
俺が実際に狩った獲物の中で、その部類に該当する奴は両手で収まる。
残念な事に、一般にプロレベルと言われるような格闘能力を持った獲物には、一度も会っていない。
良くて初段、高く見積もっても三段程度だろう。
彼等は非常に面白い動きをした。格闘技に興味があるわけではないが、非常に参考になった。
護身という意味では、スタンガンや催涙スプレー、五月蝿いアラームを持つ方が楽だ。
肉体を鍛えるよりも投資額は低くて済むし、時間の節約も出来る。
しかし、その強さはインスタントなだけに欠点も多い。そう、簡単に過信を生み出す。
持っているだけで安心してしまったり、いざという時に最大限の効果を発揮するように使えない。
宝の持ち腐れだ。
だから俺には敵わない。



――――ドクン

心臓が五月蝿い。
胸の中の本能が早く食わせろと檻の中から腕を伸ばす。
昨日よりも一段と肌寒く感じるのは気のせいではないだろう。
今日は下で待つ事にした。薄汚い壁に背中を預けてしゃがみこみ、獲物を待つ。
近くに非常階段や隠れる場所はない。今日はそういう所をあえて選んだ。
己の勘に従った。

――――ドクン

寒い。他の体調不良がまだ来ていないのは運がいい。
あと数時間で丸一日になる、その前に中身入りを食べないと無様な事になる。
足音が複数通り過ぎて、行かなかった。
「こんな所で寝てたら風邪引くぜ」

――――ドクン


敵わないと言えば。そう言えばさっきそんな思考をしていた。
獲物を狩るにあたって邪魔をする奴が現れる時がある。丁度、こんな時だ。
臭いで解る。耳でも判る。こいつ等は俺を心配して声をかけたんじゃない。
獲物が捕食者に歯向かおうとしているようなものだ。滑稽。

――――ドクン

何やら言っている。俺は寝てなどいない。
いざこざが起こるのは目に見えている、埃を払い立ち上がる。
「お兄さん俺達が声かけなかったら危なかったよ」
「ほんとほんと。このあたり最近は物騒だから」
そんな感じの声が聞こえた。へらへらとした表情が不愉快だ。
「心配かけるほどじゃないよ。少し酔いを醒ましてただけだから」
ここで立ち去ろうとしてはいけない。

――――ドクン

我慢だ。
別に大した事じゃない、100%の確率でこいつ等がする要求を呑んでやるだけ。
どうせ頭の悪そうな言い回しをしてくるんだろう。
と、思っていたらストレートな表現だった。
「お兄さんは寝てた。起こしてやったのは俺達だ。
 ちょっとした金が目当てで俺達の善意をアンタに売ったんだよ。
 財布ん中の二割寄越しな。割り切れない時は札単位で切り上げだ」
面白い事を言う。思っていたよりもこのガキ共は良心的らしい。気に入った。
素直に財布の中から金を出してやる。元々出し渋るつもりはない。
財布を広げてわざと中身を確認させてから、ガキ共の要求額を超える5万ほど渡した。
「子供に心配かけるような大人じゃ駄目だな。
 助かったよ。それじゃ」
セリフは悪くなかったと思う。表情も良く出来ていた方だ。
それでも相手の逆鱗に触れる事がある。
特に、この手のガキは妙なプライドを持っていたりするから大嫌いだ。
「兄さん待ちな。ふざけてんじゃねえぞ」
ほら。だから嫌いなんだ。

――――ドクン

声が明らかにこいつカモだって感じの声じゃない、キレかけている。
「額の事を言ってるのなら、それは自分に対する罰だよ。
 命に比べればそんなのはした金だからね」
あ、と思ったがもう遅い。こういった事をしているガキはカネの価値を割と知っている。
生活が貧しい者が居ればなおさらだろう。
カネは人の命よりも重い。実生活の中で嫌というほど叩き込まれる。
カネを使う世界である限りその支配から離脱するには、農業でもして自給自足するしかない。
「俺達は神父なんかじゃねえんだぜ。
 仕事以外でそんな物もらったってムカツクだけなんだよ」
「落とし前つけろやワレ」
「金だけ払えば機嫌良く済ませるとでも思ってたんかコラァ!?」
ちっぽけなプライドだ。まあ、何も持っていない奴よりはましか。
年と立場相応の頭の悪さは備えているようだ。儲けが増えたんだからそこで引き下がればいいのに。

――――ドクン

ばっかだなぁ。
ほんとに馬鹿で馬鹿でどうしようもない。呆れるを通り越して心配になってくる。
ああ、出来ない子の方が可愛いというのはこの事か。
「何黙ってんだよっ」
弱い。遅い。前振りが長い。
そんなテレフォンパンチは簡単に避けられる。が、後ろを見たら丁度いいものが見えた。
「グッ!?…………!……ぁ…………」
硬そうな酒瓶のラックが見えたから、勢いのままに後ろに倒れこんで頭をぶつけた。
ほんの少しだけ力を使って頭は守った。痛いが、後遺症の残るようなダメージは受けていない。
それなりの音もしたし、ガキ共にはいい感じに入ったように見えただろう。
カクンと糸が切れた操り人形のように全身の力を抜いて待つ。
「…………おい、何寝てんだよ」
「あの角度、ヤバいんじゃねぇの。直角、角っこにモロだぜ」
「ぴくりとも動かねえぞ。どうする、まだ誰も見てねえし……」
「誰かが来る前に「バッバカな事言ってんじゃねえよ。身体揺すれば起きるって」
「頭打った時は動かさない方が良い。金はもらったんだ、早く行こう。
 この状況なら酔っ払いが寝てるように見えるって」
「俺も見なかった事にする。次行くぞ、次」
「ま、待てよ。置いて行くなよ」
声と気配が足早に去っていき、誰も居なくなってから俺は立ち上がった。



しょうがなく狩場を変えた。
さっきのガキ共の気配は覚えたから、今度邪魔に来たら消してやればいい。
次はない。俺が理性を保てる時間を無駄に削った罪は重い。

――――ドクン、ドクン

痛みが強くなる、時間がない。まだ大丈夫だ、少しはある。
力が意識しなくても体中に、迫り来る死に反発するようにみなぎってくる。
まだまだ調整は効く、食事を楽しむには十分だ。
いきなり殺してしまったんじゃ楽しみも獲物に対する礼儀もありゃしない。
一撃死はなんとしても避けよう。
黒、黒、黒、緑、緑に黒、金と銀、青、黄色、黒×3、紫二人…………クソが。
獲物が来ない。
警官も妙に見かけるし、いらいらする。
こだわりを捨ててしまえばこの食事は獣となんら変わらない、それこそ認められない。
冷静になれ。今一度冷静になれ。目を閉じて深呼吸をする。
近づいてくる気配が一つ、人間だ。さっきの一時的なラッシュが塾帰りだから、その残りか?
だとすれば当たりを引く確率は高くなる。
50m、40m、30m、20、15,10、7、5、4、
「…………ビンゴ」
顔が笑みを形作った。
街頭にも映えてしまう鮮やかなオレンジ。獲物は少しだけ早足で何度も時計を見ていた。
ちゃんと中身入りだ。
食事にありつけるという悦びが痛みを一時的に消す。
後ろから声はかけない。先に回り込んで声をかけよう、獲物以外の気配は経路上に見えない。
駆ける。駆ける、駆けて壁に寄りかかった。
服を着ているのに壁の冷たさが通り抜けて肌を直接冷やすような感じ。
獲物は若かった、女なんだから若いに越した事はない。
食事という意味では年齢はあまり関係ないが、人間なら見た目を重視するのも必要だろう。
「……遅かったじゃないか。お父さんが心配してるよ」
万感の想いを込めてそう口にした。どれほどお前を待ち望んでいたか。
例えこの言葉をお前が気持悪がってもそれは、伝えなければならない。
「あの……どちら様ですか?」

――――ドクン

なんて礼儀正しい。
俺の想いも少しは通じたのだろう、獲物の足は止まった。
ちらちらと俺の顔を盗み見ているのがまたいじらしい。まじめな娘なんだな。
本当に大切な娘だろうに。将来のためとはいえ夜に一人歩きさせるなんて許せないな。
俺みたいな奴が、何年も前から居るのを知ってるくせに。
「お父さんに頼まれてね。気がつかなかったと思うけどずっと護衛させてもらってた。
 こんな風に遅くなる時は一人にするな、てね。
 だからこうやって話しかけるのはお父さんとの約束を破る事になるんだけど」
獲物は答えない。
顔を少し伏せて、上げて何かを言おうとして、また下ろして。
嘘だってばれてもいいような内容なのに付き合ってくれている。優しさが胸に染み入る。
勿体無い。でも、俺で良かった。
「こ…………」
「何? 特に何も無ければ送っていくけど、それともお父さんに連絡する?」
「こ、殺すんでしょう?」
どうして初めて見た他人にそういう事が言えるのか。
しかも、目は確信に満ちていて身体は震えているのに何故か逃げようとしない。
久し振りに獲物に驚かされた。本当に惜しい、この子は生かすべきだ。
今ここで生き延びればきっと素晴らしい未来が待っている。
「信用ないんだな……当たり前か」
頭を軽くかいて顔を獲物からそらす。
「名前も名乗らないし、下手なナンパでもない。
 自分の身が危ないのを知っていてそれを楽しんでるなんて、犯罪者以外にありえない」
俺はきっと目を丸くした。そして胸に込み上がってくるものに逆らわず、微笑んだ。

――――ドクン

見かけによらず気丈な子だ。でも何をしたいのか判らない。
彼女自身も解っていないのだろう。
「いきなり犯罪者呼ばわりされると傷つくなぁ。で、どうするの?
 もしそうだったとしたら、君はとても危険な状況にある。それは理解してるよね?」
「………………そう、そうね。
 おかしいよね。でもあなたも相当変わってる」
笑った。
心の底から彼女は、絶対に恐怖からの逃避でない笑顔を見せた。
くらくらする、なんて生意気な。こんなの無しだ、じゃないと俺を保てなくなる。
手っ取り早く片をつけよう、じゃないと見逃してしまいそうだ。
「悪いけど俺には時間がないんだ。どうする?」
この時俺はどんな顔をしていたのだろう。
何故相手の機嫌を伺う? そんな必要はないし、何を言おうと殺すのに。
「じゃあ、早く済ませて」
気が抜けた。でも質問するほど野暮じゃない。彼女の目がさっきと違ってたから。
彼女に近寄った。彼女は微動だにせず、俺の一挙手一投足を目で追っていた。
敵意は微塵も感じられない。直感的な嫌な感じもしない。
「は…………」
抱きしめた、力はそんなに込めてない。昨日とは殺り方が違う。
彼女の腕が背中に回った。
「誰かに抱きしめられたのって何年ぶりだろう……」

――――ドクン

イタイ。
殺そう、早く殺そう。殺さないと心が持たない。
決定的な事を言われる前に殺そう。なのに心がなかなか決断しない。
この瞬間を楽しんでいる。もう十分に楽しんだし味わったはずだ、これ以上はリスクだ。
俺と言わない時間にまでこれは持ち込めない。
「人間ってこんなにあったかかったんだ…………お父さん、今私し――――

――――ドクン、ドクン、ドクン

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜っ!!!!
叫び声を上げたかった。
俺であって僕でないのに、命が潤うこのあたたかさが幸福に感じるのに!!
何だこの痛みは、苛立ちを通り越して怒りすら湧いてくる。
駄目だ、すべき事をしよう。
今回は死体を残すと決めたが、彼女はここに寝かせられない。別の場所に移そう。
取り込んだ量は十分だ、これなら1ヶ月から2ヶ月は大丈夫だろう。
明日は一段とストレスがたまる事が待っている。
さっさと済ませて寝よう、寝てしまおう。
明日になればきっと、きっといつも通りの僕に戻れてる。
何年もこうして、生きてきたんだから。