その12
生活も、アスカとの関係も、そんなに・・・僕が想像していたほど劇的には変わらなかった。いつものようにガッコに行き、いつものようにネルフへ行き、いつものように一緒に帰る。いつものようにテレビ権を奪い合うし、言い合い貶しあいもする。ただ、付き合ってると言う事実だけが変わった。勿論、恋人なのだからそれなりにイチャつくこともあるけど、僕は大体満足だ。そう性急に関係を深めたいとも思わない。今が楽しい。だから、いい。
このままずっとこの時が続けばいい。それは僕らの立場を考えれば難しいことだった。僕らはエヴァのパイロットであり、人類の脅威、僕の敵、使徒と戦わなければならない。その戦いは命が掛かった、大きな試練だ。僕もアスカも死にかけたことは何度でもあるし、実際もう少し運が悪ければ二人ともこの世にはいない。時が経つ程に死の確率は増えていく。運の良さはいつまでも続くとは思えない。
だから使徒なんか来なきゃいいんだ。でも、それは甘い願望でしかない。
携帯が鳴る。アスカと顔を見合わせる。アスカは頷く。僕は歯を見せて笑う。退けないなら、前に出るしかない。倒れる時は前のめりだと決めている。残る使徒はあと三つ。親父も期待してる。このまま、最後まで生き残ることを。
「・・・使徒は残り三匹って親父が言ってた。今日やれば後二回」
「今死んだら笑えないね」
「ビビんなよ。絶対勝つぜ」
「弐号機に乗る理由・・・全部終わったら、ちゃんと話すから」
僕は頷いて、アスカを抱きしめた。もう実はそんなのどうでも良かったけど、話したいってなら聞いてやらなきゃな? だから、負けられないのだ。
本部まで、僕らは保安部員の車で直行した。ケイジへ向かい、そこで待っていたミサトと親父とリツコに合流する。綾波は既にプラグスーツ姿だった。僕とアスカも、すぐに着替えを済ませる。気合は十分充填してある。アスカもビビってない。僕は深呼吸して、ミサトの顔を見た。ミサトは頷いた。僕はもうヤンキーぶってギャーギャー言わなかった。使徒との戦いは僕の中で最初、喧嘩だった。次第に殺し合いになっていた。今は、生き残る為の戦だ。勝つまでやる、などとはもう考えない。一つ一つが後の無い、水際の攻防だと自覚している。
「使徒は衛星軌道上で沈黙しているわ。今のところ手が出ない」
「衛星軌道・・・宇宙にいんのか。こっちの武装じゃ届かないな。綾波の陽電子砲ならどうだ?」
「さすがに距離がありすぎるわね。到達するまでの減衰でATフィールドを貫くだけの出力は保てない」
「けど、引き釣り出すことはできるんじゃねえのか? 降りて来たら・・・エヴァットが届くぜ」
「フィールド放射もね」
ミサトがニヤリと笑う。僕とアスカも笑った。もう怖気づくような状況でも無かったし、勝たなきゃ未来が無いんだってこともよくわかっていた。だから、やるしかない。僕らが頷き合い、出撃する為にエヴァに乗ろうとした時、親父が全員を呼び集めた。親父を囲むようにして僕とアスカと綾波とミサトが集まる。リツコは親父の後ろで真っ直ぐ僕の目を見ていた。
「シンジ。残る使徒は三体・・・それが終わった時、最後の勝負となる」
「親父・・・最後の勝負って何だよ。使徒を皆殺しにすりゃ終わるんじゃねぇのか?」
「セカンドインパクトの原因・・・覚えているだろう?」
「ああ、一匹目の使徒を弄くりまわして・・・目覚めさせちったって奴だろ。余計なことしてくれるぜ、その連中はよ。ぶっ殺してやりてぇぜ」
「そうだ。使徒は南極の地中深くに幽閉された正体不明の胎児だった。胎児は数億の時を経て未だ生き続けていた。連中は、それを神の残滓だと考えた。そして・・・神の力を用いて人のクビキを外すことで・・・人類を進化させることができると、そう仮説を立てた」
「小難しいな。もうちょい噛み砕いてくれ」
「シンジ、使徒の特徴的な力とは何だ」
「・・・連中に特徴なんか・・・ああ、ATフィールドは共通してんな」
「そうだ。珍しく冴えているようだな。お前の蟻のような脳でも理解できるように噛み砕いて言うと、ATフィールドには二種類ある。外部を拒絶する力と、内部に取り込み融和する力だ。お前達が良く知っているのは、前者のほうだろう。しかし、後者の力こそやっかいなのだ。シンジ、お前は他人を理解できるか? 心の底まで、見通し、その上ですべてを許せるか?」
「はぁ? 無理に決まってんじゃん」
事実、僕はまだアスカが弐号機に乗り続ける理由を知らない。そんなのわかるはずが無いじゃん。だが親父は溜息を吐いた。
「そうだな、無理だ。人はお互いを理解し得ない。ただ、一端を知ることができるだけだ。でなければ戦争など起こらんだろう。人の世の数多の悲劇は起こらんだろう。問題はここだ。連中は、互いを理解できない人類を欠陥品だと考えた。だからATフィールドのもう一つの性質を利用して・・・人を統合しようと考えた」
「統合・・・だと?」
「そうだ。腐れた脳を薬物で永らえさせている醜悪なあの妖怪共は、それを善行だと信じている。すべての人を一つとし・・・争い、憎しみ、妬み・・・あらゆる人類の業を無くそうと考えている。人の世の原罪を、洗い流そうとしている。馬鹿げた話だが・・・それがこの戦いの始まりだった」
親父は皮肉な笑みを浮かべて吐き捨てた。
「どういうこった? いまいちわかんねぇぜ」
「金と権力を持っているイカレ爺共がキチガイ説法で世の中を救ってくださる・・・と言うことだ。世の中は静かになるだろうな。だが、そこに人はいない。ユイが愛した人の姿は消え去るだろう。その馬鹿馬鹿しい救済とやらの序曲が・・・使徒との戦いなのだよ」
親父は説明を続ける。要するに頭のおかしい爺が、使徒を使って人類を一つの・・・比喩ではなく、実際に一つの生物として纏め上げることでこの世の矛盾のすべてを解決に導こう、そう言うことらしい。その為に地下に第一使徒が幽閉され、他の使徒をおびき寄せる餌とされている、ってことらしい。でも僕にはいまいちわからない点がった。使徒を全部倒してしまったら、ATフィールドを発生させる元が無くなってしまわないか? 親父は苦々しげに言った。人類を一つの生物にまとめることに成功したとしても、その後に使徒という脅威が残ってしまったら意味が無いだろう、と。なるほど、そう言うことか。
「使徒を倒さねば人類に未来が無いこともまた、確かな事実だ。だから私は敢えて連中に取り入り、ネルフを創設した。人に仇なす使徒を駆逐する、その為にな。だが、それが成った時・・・連中とは袂を分かたねばならん。わからんかシンジ、使徒以外にもATフィールドを発生させるものがあるだろう」
「・・・エヴァ、か」
「そうだ。最後の使徒を倒したその時、ゼーレのエヴァはやってくる。初号機と、お前を受け皿とした補完計画を遂行する為に」
「途方もねぇな。わけわかんなくなってきたぜ」
「シンジ、使徒を倒せ。負けることは許さん」
「何で今そんな話をしたんだ、親父。なんで最初にいわねえんだ」
「ろくでなしの不良息子に話せる内容か。だが、今なら・・・もう大丈夫だろうからな」
親父はちらりとアスカを見た。そして、口元を歪めて笑った。ちっ 何だよ。もう知ってんのか。少し照れ臭かったが、僕は頷いた。アスカと、綾波と顔を見合わせる。まぁ、OKだ。戦いの背景なんて、僕ら前線の兵士は知らなくたって問題ない。でも、知ってたほうがモチベーションは上がるのだ。必ず勝つぜ、と声をかけて、僕らは駆け出した。
モニタの中の零号機が、長大な陽電子砲の引き金を引く。第五使徒の時に僕が使用したあの砲弾は、真っ直ぐ空に向かって突き進んだ。雲を切り裂き、宇宙で漂う使徒めがけて、光の帯は収束する。だが、使徒に到達することのできた光の束は、大気で拡散して弱弱しい威力しか発揮しない。使徒が展開したオレンジの壁に阻まれ、四散してしまう。
僕はエヴァットを握りなおして舌なめずりした。さぁ、来い。挑発されて頭にきただろ? 僕らのエヴァがちょろちょろしてんのにムカついてくるだろ? 来い、来い、喧嘩売ってきやがれ! しかし、使徒は微動だにしなかった。あてが外れて僕はエヴァットを降ろす。アスカも首を傾げた。
「・・・こねーな」
「んー・・・ファースト、もう一回やってみたら?」
「弾切れ」
「ああ、一発しか撃てねーしな、それ。なんだよ、今度の使徒はえらい根性無し・・・ん?」
突如、ぼんやりした光が初号機と弐号機が立つ迎撃ポイント付近を照らした。太陽は反対側だ。綾波が雲を散らしたからって、こんな光るはずがない。これは・・・僕は思いっきり弐号機を突き飛ばした。そして、いきなりの衝撃。脳髄をシェイクされたような頭痛を感じて僕は叫んだ。
「があああああああ! んだよこれぇ!」
辺りを照らす光が、僕と初号機に収束し、僕は脳に直接指を突っ込まれているかのような嫌悪感を感じてうずくまる。エヴァットを取り落とし、頭を抱えて唸る僕の元に弐号機が駆け寄るが、僕は右手でその弐号機の動きを制した。
「気持ちわりーけど、平気だぜ。なんだコレ? 使徒から来てんだよな・・・?」
これが使徒の攻撃だとしたら随分セコい。気色悪いのは確かだが、別に耐えられない程じゃない。徐々に慣れてきた僕はエヴァットを拾い上げる。だが、その時だった。僕の脳裏にフラッシュバックする幾多の光景。僕は絶叫した。
波の音。静かな嗚咽。声を殺して泣く親父。
「人殺し!」
ばーちゃんが親父をバッグで殴る。何度も。じーちゃんは泣き崩れて呆然としている。親父は何も言わない。ただ、「申し訳ありません」と繰り返す。涙も拭かず。僕には何が起こったのか、まだわからない。ただ、ばーちゃんの泣き喚く声と、じーちゃんの擦り切れてしまったような姿、そして親父の力ない嗚咽に不快感を感じていた。
「シンジは・・・私達が育てます。あなたに任せるなんて・・・できません」
唐突に場面が変わる。親父は正座して、真っ直ぐばーちゃんを見ている。そして、「シンジを、よろしく頼みます」と言って深々と土下座した。じーちゃんはただ、それを黙って見ている。僕はオロオロとばーちゃんと親父を見比べて、ただ困惑していた。誰が母さんを死なせたんだ? 結局そこは曖昧で、僕はただポロポロ涙を零すことしかできなかった。また、場面が変わる。ドンといきなり突き飛ばされて、僕はドロの中に倒れた。
「知ってるんだぜ。お前の親父って母ちゃん殺したんだろ?」
「人殺しの子!」
違う、そうじゃない。親父は、助けたかったんだ。僕が幾ら叫んでも薄ら寒い笑いを貼り付けたそいつらは、僕を嘲笑する。汚い、臭い、学校に来るな。そんな言葉が僕を切り裂き、痛めつける。辞めろ、こんなの思い出したくない。教室中の瞳が僕を忌避する視線で貫いていた。僕はただ、歯を食いしばった。そうするしかできないと思っていた。親父が憎かった。どうして、なぜ? どうして僕は、こんな酷いことを言われて、殴られて、蹴られて、責められなければならないんだ? 誰も助けちゃくれない。みんな薄く笑ってみているだけだ。いいとも、そう言うつもりなら。僕は泣くのは辞めた。
そして椅子を掴んで振り上げた。
また場面が変わった。僕は三人の先生に押さえつけられていた。もがいても、動けない。視線の先で血の泡を吹いている同級生の少年がびくびくと痙攣しているのが見える。僕は笑った。ざまぁみろ。ざまぁみやがれ! 僕を責めさいなむ一切を僕は否定してやる。誰も助けてくれないなら、全員ぶっ殺してやる。その日から僕は変わる。ばーちゃんは泣いた。じーちゃんは怒った。でも、僕は僕を守る為に、その為に変わることにした。僕を虐めた全員に血の泡を吹かせてから、誰も僕に近づかなくなった。僕は虐められなくなった。かわりに誰にも相手にされなくなった。孤独が、僕を押しつぶす。でも僕は泣くのを辞めた。泣いたって何にも解決しない。辛いまま。だったら誰かを足蹴にしてでも、傷つけてでも、僕は前に進む。
「何でこんなもん見せるんだ・・・」
呟きに応える者はいない。ただ、映像は脳裏で繰り返し上映される。血に酔った自分の醜悪な姿を、孤独を誤魔化すように他人を傷つけ続ける僕の姿を。アスカに言った言葉のすべては、アスカが感じたほどに立派なもんじゃない。相手を傷つけることを恐れたら、自分が傷つけられるから。だから僕は傷つけることを恐れない。何者にも屈しない為に。僕は狂犬だった。
「今は・・・違う」
「でも、昔はそうだった。てめぇの本来は、狂犬だ。何を猫被ってんだ? シンジちゃんよ」
顔を上げる。目の前には僕がいた。小学生の頃の僕がそこに座っていた。嫌な笑みを浮かべて、頬の返り血を舐めている。
「大人しくなっちまってまぁ・・・情けねぇ。あの時の気持ちは忘れちまったんか?」
「黙れ、クソガキ」
「またみんなに無視されるぜ? また一人になっちまうぜ? アスカはお前に殴られるのが怖くてしたがってる振りしてるだけだ。気付けよマヌケ。何浮かれてやがんだ? 笑えるぜ」
「うるせぇ」
「親父だってよーホントはお前みたいなクソが自分の息子だなんて信じたかねぇんだ。だから使徒との戦いで死んじまわないかって思ってんだ。それをお前って奴はいいように解釈してまぁ・・・幸せな野郎だなぁ?」
僕がどんなに否定しても、そいつは僕の退路を絶つように言葉を続ける。僕は耳を塞いだ。もう何も聞きたくなかった。
こんな時、僕が今までやってきたことは。簡単だ。だから僕は前を向いた。後ろには下がらない。顔を上げた。不愉快なその野郎の面をめがけて、硬く硬く握り込んだ拳をぶちこむ。ぐにゃっとした感触がして、小学生の僕は泥のようにずるずると溶けた。ああ、そっか。僕は唐突に理解した。なるほど、これが使徒の攻撃なんだ。
途端に怒りがむくむくと沸き上がる。人の過去を覗き見た上に、それをネタに嫌がらせしてきやがるなんて、恐ろしく陰険な野郎だ。今まで色んな使徒と戦ってきたが、ここまで嫌悪感を掻きたてられたのは初めてだった。僕の背後にまた小学生の僕がズルリと地面から現れる。
「いきなり殴るなんて、やっぱりてめぇはシンジだなぁ。キャハハハ! ようやく認めたのかよ? テメェは・・・」
「狂犬、だろ」
小学生のシンジの顔が強張る。僕は久々にヤンキー丸出しのいやらしい笑みを浮かべた。腹の底から湧く怒りが僕の視界を真っ赤にしていた。使徒は僕を甘く見すぎた。僕は使徒が言うように狂犬野郎であることに間違いない。でも、それを恥じたり、負い目に感じられるようななよっちい性格ではないし、そんな良心的な何かはとっくに擦り切れてしまっているくらいには摩れていた。思春期真っ只中の中学生じゃあるまいし、過去を責められたところで何がどうだって言うんだ? そんなのもう仲間うちじゃネタにだってできちまわー! この、ボケがっ! 何がトラウマだ。そんなもん開き直っちまえば傷でも何でもねーんだよ! 僕は凶暴に笑いながら、二つの拳を握りこむ。
「舐めたこと色々言ってくれたなーお前よー。ガキだからって手加減する僕だと思うよぉ? あぁん?」
「・・・てめぇは狂犬・・・」
「ひゃひゃひゃひゃ! そりゃあ僕らの世界じゃ誉め言葉さ!」
視界が一気に開けた。僕はプラグの中で頭を抱えた状態で、初号機は弐号機に抱きすくめられていた。
「シンジ、シンジ、シンジィ・・・返事してよぉ・・・」
「メソメソすんなーボケー! 使徒の野郎・・・舐めた真似してくれやがって・・・アスカどけ!」
「シンジ! 無事なの!?」
「あったりめーだ! こんなもんで僕がどうにかなるか!」
僕はエヴァットを手探りして探す。あった。そしてそれを掴み、大きく振り被る。バットを振る時の構えではなくて、槍投げの選手のように構えた。今こそ、このエヴァットの真の必殺技を見せる時だ。リツコに聞いていた通りに、エヴァットの柄の底を押し上げる。ジャコンと音がして、エヴァットは変形し、二又に割れた槍のような形状となる。僕がこの機能を切り札とし、今まで使ってこなかったのには理由がある。一端投げたら宇宙まで飛んでいってしまうからだ。これだけの質量のものはもう回収不可能となってしまう。エヴァットはそうそう量産できるような代物じゃない。だから、とっておきだ。
でも、使ってやる。あのヘタレ使徒は下に降りてきてタイマン張るどころか、衛星軌道の隅ッコでチマチマ人の弱点をちくちくする陰険で嫌な野郎だ。絶対生かしちゃおけない。僕はいい、でも、今のをアスカが食らったりしたら。アスカは根性が無い上に僕と違ってそれなりの善人だ。だからきっともっと酷いことになる。あらゆる意味でその使徒の存在を許せない。
「いくぞオラー!」
僕はとんとんと三歩下がり、思いっきり前に走りながらエヴァットと投擲した。エヴァットは文字通り大気を切り裂きながら一筋の銀の閃きとなって疾走する。使徒が動き始める。でも、もう無駄だ。遅すぎる。一度投げられたエヴァット・ロンギヌスを止めることなんてできようはずもない。ATフィールドを紙のように貫いて、エヴァット・ロンギヌスは使徒を粉々に吹っ飛ばした。僕は歯を見せて獣のように笑った。
「ギャハハハ見たかコノヤロ、あの世で反省してこい!!」
必殺の一撃は、さっきまでの気分の悪さごと、宇宙まで吹っ飛んだ。
僕が精神的に被った苦痛以外、被害はゼロと言う、実にネルフ始まって以来のことにミサトも親父もそれなりに僕を誉めた。エヴァット・ロンギヌスを無くしたことで一時的に戦力は落ちるが、第3世代エヴァットがまだある。ロンギヌスには及ばないものの、使徒を叩き殺すには十分な威力だし、弐号機も零号機も無傷なのだ。最後の戦いの前に消耗は避けたいネルフとしては、今回の戦いの結末はまずまずの戦果だったといってよかった。
僕はみんなの前で体験したことを話した。昔のことを見せられた、と言う話をしている際に、親父は少しだけつらそうな顔をしたが、僕は全然気にせず続けた。親父もそろそろ開き直って忘れるべきだからだ。リツコが、怪訝そうに首を傾げる。
「使徒にそんな高度な思考があるとは・・・わからなかったわ。使徒は人を知ろうとしているのかしら」
「しらねえよ。使徒に聞け、そんなもん」
「細切れにしといて聞け、は無いわ。もう少し、詳しく話してくれるかしら?」
「ヤダ。昔のことは親父に聞きな。母さんが死んだ瞬間に横にいたのは医者だった親父なんだぜ? 僕はあんま詳しく覚えてねえし思い出したくもねぇよ」
「そう。まぁ、いいわ・・・エヴァット・ロンギヌスの件だけど」
「もう1本作れるか?」
「三ヶ月あれば」
「・・・それまでに後二匹、来なきゃいいんだけどな」
アスカが僕に駆け寄って、そのままの勢いでタックルするように抱きついた。僕は頬を緩めてそれを受け止めた。
「いきなり頭抱えて気絶するから・・・何かと思っちゃったじゃない」
「クソ使徒におもしろくねぇビデオ見せられたのさ」
「あんま心配させんなよッ」
「はは、わりぃな」
残る使徒はあと二体。今日は無事に済んだ。次も、その次も。そして、最後まで、僕は生き残る。
僕はアスカをきつく抱いた。アスカは小さく悲鳴を上げた。
「ったッ・・・ちょ、痛いわよシンジ・・・」
「ああああああ! あの使徒のこと思い出したら腹立ってきたー!!」
「いたた、痛いって!」
「ちきしょー好き放題言いやがって僕が好きでいじめられてたとでも思ってんのかボケがー!」
「いーたーいー!」
僕はぶんぶんアスカを体を振り回しつつ、次も絶対に勝つんだ、と自分に言い聞かせた。
その13
私はベッドの上で静かに目を覚ました。体を起こし、あたりを見回す。いつもの、殺風景な私の部屋。どうにかしようとは思わない。部屋を飾ることと、私が心地よさを感じることとは関係が無い。だから私は部屋に何一つ女らしいものを発見できなかったとしても、平気なのだ。私は欠伸をかみ殺さず、大きく口を開けて空気を吸い込んだ。心地よい。寝汗でベッタリした髪が頬にまとわりつく。不快。シャワーを浴びなければ。清潔さにそれ程の執着は無い。でも、身体の不快さを放って置く理由も無い。
湯の温度は熱めが好きだ。心地よいから。熱いシャワーの流れが私の体を荒々しく撫でる。その感覚は私が土で出来た泥人形であることをしばし忘れさせる。髪にまとわりついた汗の匂いの不快感を、洗い流す。シャンプーでわしわしと髪を洗い、リンスは面倒なのでしない。湯を止めて濡れた髪の水分を手で掻き揚げて飛ばす。ようやく、完全な覚醒が訪れる。目が覚めたってこと。
曇りかけた鏡に、赤い瞳の女が移る。これは私の姿。綾波レイという記号で表現される、泥人形の識別子。濡れた髪から、もう冷めた湯が湯気となって立ち上っている。今日は学校には行かない。碇シンジとの約束がある。私の真実を話す、その日が来た。碇ゲンドウは承認した。だから、話さなければならない。セカンドチルドレンも来るだろう。彼らは私をどんな目で見るだろうか?
いいえ、構わない。私はこういう存在だ。泥から生まれ、彼・・・ゲンドウの妻の姿を模したエヴァに連なる眷属。私の名は綾波レイ。それ以上でも、それ以下でもない。
やはり、碇シンジはセカンドを伴っていた。後ろにいるのは赤木博士と葛城作戦部長。そう、作戦部長にも知らされていなかった気がする。ついでだ、構わない。私は私の生まれた場所へ、四人を誘った。赤木博士が不愉快そうに顔を歪める。彼女は私の秘密の一端を担っている。秘密が明かされれば、作戦部長は博士を責めるかもしれない。それは容易に想像できた。そして赤木博士にとってそれは辛いことだ、と言うことも。しかし、私は私の存在を全く肯定して止まない赤木博士を尊敬する。だから赤木博士の味方となろう、そう思っていた。
「綾波よぅ・・・こんな地下で一体何を見せようってんだ?」
「ショッキングな事実。気絶しないでね・・・」
「うお・・・お、脅すなよ。おめぇのその陰気な面は洒落になんねんだよ」
「陰気じゃないわ。元々、こういう顔・・・この扉の奥よ」
「・・・なんだよ、これ」
開かれた扉の奥には、私と同じ姿をした次の私候補達がLCLの水槽で漂っているのが見えた。ただいま、姉妹達。魂の無い泥人形達。心の中でご挨拶。驚いた碇くんの声に、一斉に振り向く幾多の綾波レイ。セカンドが喉の奥で悲鳴を上げる。作戦部長が息を呑んだのがわかった。
「これは・・・なんだ」
「私が死んだ後の代り。何度も言ったわ・・・私には、代りがいるもの」
「これがその事実の答え・・・ってか」
「そうよ。羨ましい?」
「・・・いや、あんまり」
愕然とする碇くんとセカンドと作戦部長を、赤木博士が悲しげに見ていた。
私はここで産声を上げた。その経緯は赤木博士が詳しく話した。私はエヴァを生産するその余剰資源によって作られた。本来、私には漂う姉妹達と同じように魂のない、人と同じサイズのエヴァとなるはずだった。エヴァを動かす為の基幹ユニットとして。しかし、碇ゲンドウの中途半端な想いが、私と言う魂の形を作り上げる。彼は何しろ善人だった。だから使徒を倒す、というその目的に徹しきることができなかった。
「司令は・・・ただの泥人形を作ることに罪の意識を感じていたのよ。非人道であることに間違いはないもの。だから、レイに心を与えようとした。彼の奥さんの遺伝子を使ってね? でも、それは彼に新しい苦悩を刻み付けただけだった。そうして生まれたのが・・・レイよ。LCLがある限り、幾度でも蘇る・・・不死の娘」
「・・・さすがにちょっと引いたぜ。代わりがいるって、こういうことだったんか」
「そうよ。かっこいい?」
「いや、ビミョー」
「そう・・・見解の違いね」
セカンドが、水槽に触れた。魂の無い姉妹の一人が、その手にガラスごしに手をあわせる。セカンドはただその姉妹の裸体を見つめている。エッチな奴。・・・でも、セカンドは涙を零す。
「エヴァ・・・なのね、ファースト」
「!・・・セカンド、あなた何を知っているの」
「ファースト。アタシはアンタと似てる奴を知ってる」
「・・・弐号機?」
「ええ」
驚いた。私と博士は目をまん丸にして顔を見合わせる。碇くんは頭の上にはてなマークを浮かべて口をぽかんと開けていた。葛城作戦部長・・・ここは私にとって厳粛な場所なのに、何でビール飲んでるの・・・。あの人、あんまり好きじゃない。私はセカンドに向き直った。そう、彼女は私と同じ存在を知っていた。
「おいおいおい、話し見えねッ 僕をほったらかしにすんなよ」
「碇くんは寂しがり屋なのね・・・」
「うっせぇ、鼻で笑うな馬鹿。で、どういうことだアスカ」
「シンジ・・・全部終わったら話すって言ってたけど・・・」
セカンドがぽつぽつと語りだす。彼女が弐号機の声を聞いたのは初めてシンクロした日だったそうだ。父母を事故で亡くし、里親になじめなかった10歳の彼女は、呼べば応えてくれる弐号機とすぐに打ち解けた。弐号機は声なき声で、シンクロしているセカンドに語りかけた。何もかもを失っていたセカンドにとって、それは彼女だけの、唯一の何か、だった。セカンドの弐号機への執着は十歳頃から唯一の話し相手としていた弐号機への仁義だったのである。私は後ろからセカンドを抱きしめた。
「寂しい奴ね・・・」
「ほ、ほっといてよぅ」
「あー・・・なーるほどなぁ。でもよーそんな隠すことだったのかよそんなもん」
碇くんが小指で鼻をぐいぐいほぜくり返しながら私とセカンドの一大告白を切って捨てた。この少年は非常に度量が大きいのか、それとも了見が狭くて短気なのかよくわからない。私は彼のこういうところが不愉快に思う。雰囲気台無し。碇くんはゲラゲラ下品に笑った。葛城作戦部長はぐいぐいビールを飲みながらなぜか感動したとでも言わんばかりうんうん頷いている。ああ・・・私は急に理解できた。赤木博士が悲しそうだったワケが。
「なぜか話して損した気がするわ・・・」
「まー何か普段から使徒とか見てるとな。ちょっとやそっとじゃ驚かんわな」
碇くんは一通り笑ってから、少しだけ真面目な顔になった。
「何かよー・・・何でもかんでも使徒のせいだよな。でもよー逆に考えるとよー・・・使徒がいなかったら綾波は生まれてねぇ。アスカも日本来てねぇだろうなぁ。そう考えるとよー・・・何か変な気分だよなぁ?」
私は驚いて目を見張った。同情されるか、それとも恐れられるか。私はそう考えていたというのに、神妙な顔でうんうん頷く碇くんはどこまでも前向きに物事を捉えていた。そして能天気に笑い飛ばしてしまう。呆れた・・・それなりの決心で話した私は、気が抜けて思わずつられて笑ってしまった。
「人形は笑わない」
葛城作戦部長が、静かにそう言った。そしてビールの缶を握っていない手で、私の肩をポンと叩いた。
「何でも平気そうな顔しなくたっていいわよ。あんたのこと人形だと思ってる奴なんかいないし。それに、シンちゃんの言う通りよ。前向いてれば・・・そんなに悪くないわ。最近ね、ビールが不味くなるようなことは考えないようにしてるの」
そう・・・気付いてたのね。私は肩を落とした。ただの強がりであることはわかっていた。私は私。じゃあ、水槽の魂の無い姉妹達は?結局、私だけが魂を持ち、感情を持ち、そしてこの生を甘受している、と言う負い目からは逃れられない。敢えて感情を廃し、人形足ろうとしたのは私の姉妹達に対する仁義の気持ちだった。それに重荷を感じていたこともまた、事実だ。
碇くんとセカンドの仲睦まじい様子を見るにつけ・・・妬ましさに気が狂いそうになる。隠し切れない感情の振幅。私は涙を堪えきれなくなって、下を向いた。赤木博士がそっと私を抱きしめた。私は博士に抱きついて、泣いた。
その時、全員の携帯電話が鳴る。碇くんが歯をむき出しにして笑う。
「どうやら、フィナーレは近いようだぜ? お前らミスんなよ」
私達は一斉にうなづいた。
綾波の真実、アスカの理由、それらは僕のモチベーションを高めてくれた。前の使徒から二週間。今日を凌げば、恐らく一ヶ月以内にすべてのケリがつくだろう。自分の言葉通り、フィナーレはすぐそこに迫っていた。すべてを上手くまわすには、勝利することが絶対の条件だ。僕はプラグの操縦桿を握り締め、深呼吸した。もう僕はただのヤンキー野郎ではなかった。未来を勝ち取る為に戦う、誇り高き戦士の血族なのだ。
涙で赤い目がもっと赤くなった綾波は、自分が人ではないことが負い目になっていた、と語った。でも、僕には綾波はちょっと電波系のただの女にしか見えない。だから、泣く綾波を引っ叩いて気合を入れてやった。僕が考える人間の条件は、人間であろうとするその心なのだ。だからドラクエのホイミンだって人間になれたじゃないか。あんなくらげみたいな足の生えたぶよぶよスライム野郎ですら人間になれるのに、どこから見ても人間な綾波がそれについて悩むなんてホイミンに失礼過ぎる話だ。人間ぶってりゃいいのだ。自分が何者か決定するのは他者なのだから。僕らにできるのは、こうあろうと自分を定義づけ、そしてその為に振舞うことだけだ。
初号機の心臓がドクンと鼓動する。S2機関に火が入る。第3世代エヴァットがばりばりと荷電し、紫電を弾かせた。
「ちょっと、ケイジの中でエヴァット起動させないでよ!」
「うるせー! 早く出しやがれ! 気合が漏れるだろうが!」
「ちゃんと作戦通りやんのよ? エヴァ全機、出撃!」
僕らはカタパルトに乗って、地上へ疾走した。
光り輝く輪。それが今回の使徒の姿だった。まぁどんな姿だろうが関係ない。使徒はすべて僕の敵だ。綾波の敵で、アスカの敵でもある。ついでに人類の敵だ。倒すべき、不倶戴天の。使徒と共に天下を仰ぐことはできない。眠っている連中を起こしたのは確かに僕ら人間の眷属だ。しかし、牙をむく限りにおいて彼らに手心を加える余地は全く無かった。僕は僕の牙・・・エヴァットをむき出す。アスカは今日は武器を持っていない。彼女の武器はATフィールドそのものだからだ。そして、使徒の形状から命中させるのが難しいという判断をされた綾波はアスカの代りにソニックグレイブを持っていた。
「ここで被害を受けるわけにはいかないわ。初号機はS2機関があるけど・・・零号機と弐号機が大破すれば次の戦いには間に合わないと思いなさい。いいわね、無傷で帰ってくるのよ」
ミサトはいつものように無茶なことを平気で言う。よく言えば豪胆。悪く言えば本当に馬鹿だ。しかしその馬鹿さは嫌いじゃない。できない、無理だと最初から言うのは僕らの流儀に反した。アスカが低く腰を落とす。綾波が日本刀を腰から下に構えるようにソニックグレイブの切っ先を静かに落とす。
「いきますか」
「短期決戦よ。アタシは右からいくわ」
「綾波はバックアップ・・・」
「いいえ、私も行くわ」
何時になく熱くなっている綾波とアスカを、僕は思いっきり抱きしめたくなった。よし、勝ったら二人とも後で髪の毛くっちゃくちゃになるまでナデナデしよう。僕はエヴァットを振り上げた。
「作戦開始!」
ミサトの掛け声。僕らは走り出した。
輪だと思っていた使徒は、輪のようになっていた光の帯だった。空中を踊る蛇のように、使徒は素早くその鎌首をもたげた。
「ウロボロスの輪・・・ってわけ」
「何だそりゃ?」
「ギリシャ神話の蛇よ。自分の尾を咥えて円環状になるの・・・無限を暗示して」
「はッ・・・じゃあ、自分の尾っぽ離しちまったアイツはもう無限じゃねぇってこった。望み通り、くれてやるぜ」
死という終わりをな! 僕は紫電するエヴァットをひゅんひゅんと振り回し(かっこいいエヴァットの運用をアスカと練習したのだ)そのまま腰溜めにエヴァットを振りかざす。居合い抜きのような一閃が使徒を襲った。だが、使徒はその細い身をくねらせてエヴァットの切っ先を避ける。にゃろ、生意気な!
「アスカ!」
「わかってる! ぬぅぅん!」
ATフィールドの範囲放射が突っ込んでくる使徒の頭を押さえつけ、吹っ飛ばす。しかし使徒は空中に浮いており、その手の衝撃を跳ね飛ばされながらも体をくねらせて受け流した。そして衝撃の間隙を縫うように再び迫る。僕はエヴァットを横なぎにして使徒の鎌首を払った。くそ、当たらない! 使徒は僕の一撃を簡単に避けて通り過ぎる。僕もアスカも慌てて振り返って互いの武器を構えなおした。綾波がソニックグレイブを振って使徒を追撃する。その一撃が始めて使徒の体に掠った。使徒の細い筒状の輝く肌から、赤い血が一瞬しぶいた。だが、その傷はすぐにふさがる。やっぱコアを潰さないと勝てないか!
でも、僕ら三人は徐々に使徒の不規則で素早い動きに慣れつつあった。このまま追い詰めれば勝てる。そう確信を持ったその時だった。油断したつもりはない。ただ、いきなり突っ込んできて目の前をそのまま素通りした使徒の不可解な動きに対応できなかったのだ。使徒が狙ったのは、もっとも動きが遅い零号機だった。振り向いたときはもう遅い。綾波の零号機に、使徒の体が突き刺さっていた。
「キャアアアアアアアアア!」
綾波の悲鳴。僕は迷わず使徒の尻尾にエヴァットを叩き付ける。ぐちゃりと使徒の体の一部が折れ曲がった。
「綾波、そのまま抑えてろ!」
もう一撃! そう思った時、弐号機が僕を突き飛ばした。何しやがる!? 僕が驚いて起き上がると、アスカが泣きそうな顔で叫んだ。
「駄目! ファーストが・・・」
僕は目を剥いた。使徒が再生していく代りに、零号機の足が萎え、縮んでいくのがわかった。使徒は、綾波の零号機から組織を奪っているのだ。そして、それは零号機を人質にされたのと同義だった。使徒はそのままではこちらに攻撃できない。しかし、その無防備な使徒を叩けば、繋がった零号機から組織を奪われ、再生される。すべてを奪われた零号機がどうなるかなんて考えたくもない。ろくなことにならないのは確かだからだ。ちきしょう! 僕は操縦桿を殴りつけた。この間といい、今回といい、姑息な手を使いやがって!
綾波が苦しげにうめく。どうすればいい? どうすれば倒せる? この姑息な使徒野郎! 僕は回線を発令所と繋いだ。
「リツコ! どうなってる!? 零号機はどうなってんだ!」
「侵食されているわ。このままでは・・・危険よ!」
「侵食・・・だと? 参号機みたいになるってことかよ!?」
「状況はもっと悪いわ。組織融合が始まっている・・・レイごとね」
「どういう意味だ」
「レイが使徒になるってことよ・・・」
ふざけんな! 僕はエヴァットを地面に叩きつけた。しかし、どうすることもできなかった。僕が使徒を構わず倒せば、綾波は結局死ぬ。ほおっておいても死ぬ。僕は唇を噛んだ。
腹にめり込んでくる感触。不思議と痛くない。ただ、太い鉄串をつきこまれているかのような不快感が私の顔を歪ませる。お腹が熱い。初号機が使徒の尾を叩き潰すのが見えた。突然の激痛に私の背中が海老ぞる。足の感覚が消えた。痛みはきえたが、恐ろしく不安を掻き立てられる喪失感に、私はむせび泣いた。
「・・・くッ・・・」
意識が飛びそうになる。私は必死でそれを堪えた。発令所と碇くんがなにやら叫んでいるのがわかる。けど、内容を理解できるだけの余裕が私には残っていなかった。私、死ぬの? でも平気。私には代わりがいるもの。私が死んでも、姉妹達の誰かが私の思いを、記憶を継ぐだろう。そして私と言う存在は続く。私は不死を運命付けられた生命だから。
だが、今のこの意識はどうなるのだろうか。私が私を自覚したのは、前回の私が死んだ次の日からだった。どこか他人のもののような、ビデオのような記憶に戸惑った覚えがある。私は前の私ではなかった、と今更ながらに気付く。私は死んで生まれ変わる。だが、それは純粋な意味での再生ではなく、生まれ変わる、と言う別の意味を表していた。
私が死んでも代りはいる。でも、私はいなくなる。突如襲ってきた喪失の恐怖が私を貫く。怖い。涙が零れた。
誰かがそっと私の背中を抱いた。それは私自身の姿をしていて、そして優しく語り掛けてくる。
「一つに、なりましょう?」
それはおぞましい使徒の声だった。
辺りは暗く閉ざされた湖だった。私の意識は唐突に覚醒した。私と、もう一人の私は腰まで水に漬けて向かい合わせにたっていた。もう一人の私が、腕を差し出す。そして私を優しく抱きしめる。
「一つになりましょう。それはとても気持ちのいいこと」
「あなた、使徒?」
「いいえ、私はあなた。あなたは私。ほら、繋がっているもの」
「私は・・・あなたじゃない」
「だって、繋がっているのよ? だから私はあなた、あなたは私」
壊れたラジオのように、その言葉を使徒である私は繰り返した。胸の底から沸き上がる不快感と嫌悪感が私の顔を酷く歪ませているのがわかる。私の不愉快が理解できず、使徒は首を傾げた。
「どうして、嫌がるの? こんなに、こんなに気持ちいいのに。暖かいのに」
「私はあなたじゃないもの。あなた、知らないのね」
私は使徒である私の首を掴んで締め上げた。自分の首にも痛みが走る。侵食されつつあるのか、彼女の痛みは私の痛みだった。だが、私は構わず締め上げた。
「本当に心地よいこと、知らないのね」
「ア・・・ア・・・ヤ メ テ」
「生きてる、実感が無いのね」
「グ・・・ア・・・ガ・・・」
「あなた、使徒だもの。人であることなんて、わからないわ。だから」
一つにはなれない。もう一人の私が私を突き飛ばす。息苦しさから開放される。しかし私の不快感は増すばかりだ。私と一つになろうとする使徒に、嫌悪以外何も感じない。私はヒトだった。シトじゃない。闇雲に、自分勝手に、他者を取り込もうとする使徒に人の感情なんか理解できようはずが無い。私が私であるが故に、喜びも、悲しみも、怒りも、すべての感情を私のように感じることができる。誰かと一つになるなんて真っ平だった。それは私以外の何かだから。私はそこにはいないから。
使徒である私は恐ろしい表情で私をにらみつけた。眼窩の奥が黒に染まり、醜く、おぞましい人に似た何かに変容する。
「あなたは、イラナイ」
使徒の思考が流れ込んでくる。使徒は拒絶する私ではなく、別の獲物と一つになろうと考えていた。そして、使徒の思考の中に碇くんの顔が映る。セカンドの顔も映った。私の記憶を読んだ使徒は、ニヤリと笑う。一つに融合しようと考える。私は叫んだ。そんなことはさせない。あなたはここで死ぬの。私は不死の娘、この身は滅びても、次の私が後を継ぐ。だから、あなたは逃がさない。
私の想いに、使徒は身をよじって逃れようとする。だが、私はそっと使徒の体を抱きしめた。
恐ろしく嫌な予感が僕の脳裏にひらめいた。零号機のATフィールドが反転し、収束していくのがわかった。これは、親父の言っていたもう一つのATフィールド? 綾波が積極的に使徒を取り込みはじめる。使徒は金属が擦りあわされたような奇怪な悲鳴を上げた。徐々に零号機の腹が膨れ上がっていく。使徒を積極的に取り込む? そうすることで、使徒を倒す方法、それは・・・自爆以外に僕は思いつくことができなかった。
「綾波!!」
僕は走った。間に合え! どうか、間に合ってくれ。綾波の馬鹿が余計な根性を出す前に。
碇くんが、もう少しですべて私の中に取り込めるだった使徒の体を掴んで引っ張った。私のATフィールドは碇くんの初号機のS2機関が搾り出す恐ろしく凶暴な力に引き裂かれ、破壊された。使徒がニヤリと笑った。駄目、碇くん・・・。
使徒を掴んだ手に違和感が走った。血液が逆流するかのような恐ろしく気色悪い感覚に僕は思わず悲鳴を上げた。その感覚は徐々に僕の指から、手の平から、上へ、上へ、僕の心臓を目指して上ってくる。余りにもおぞましい感触。僕の背中を誰かが静かに抱く。やめろ、そんなことしていいのはアスカだけだ。僕は怒りの咆哮を上げた。
このまま自爆すれば、碇くんを巻き込んでしまう。どうすればいいの? 私はもうわからなくなって混乱した。いつの間にか使徒の姿は消えていた。碇くんの元へ行ってしまったのか。セカンド、お願い、今はセカンドしか自由に動ける人がいない。助けて・・・碇くんを助けて! ・・・ついででいいから私も。
零号機と初号機の間を結ぶ光の帯に、私は嫉妬した。場違いな感情に苦笑する。でも、我慢できるものではなかった。私はためらわずにATフィールドの奔流を解き放つ。浮気は、死刑。でも、あいつらを救う術はこれしか思いつかなかった。使徒の体は、真ん中で真っ二つに千切れとんだ。
めちゃくちゃいてぇ・・・しかし、僕を拘束しようとした使徒の放つ不快感が途切れた。そのチャンスを見逃す程、僕は素人ではない。僕はこの一年で戦いを重ね、命を張ってきた戦士。いやむしろ、武士。もののふって読んでくれ。手に張り付く使徒を渾身の力で握りつぶす。地に落ちた使徒の破片を残らず踏み潰し、エヴァットでみみずみたいに暴れる使徒の本体をぶっ叩く。そして倒れた零号機に駆け寄り、残った使徒を引きずり出して同じように踏みつけた。このみみず野郎、潰れて消えろ! 僕の振り下ろした紫電のエヴァットがその体をミンチにした。コアがどこにあったのかも関係なく、粉みじんに。それっきり、使徒は動かなくなった。
「アスカ! ナイス判断だったぜ」
「むー」
「うぉ・・・何で怒ってんだよ」
「何かムカついたの!」
僕は初号機とのシンクロを解除してエヴァから降り、倒れた零号機に駆け寄った。アスカもそれに続く。零号機からえっちらおっちら這い出した綾波は足腰がたっていないようでフラフラしながら僕らの元まで歩いてきた。
「諦めて自爆する気だったろ」
「ええ、そうよ。私には・・・」
「確かに代りはいるけどな。でも、そう言う問題じゃねーだろ?」
「そう・・・?」
「死ぬのが平気ってわけじゃねんだろ? じゃ、助けてやんないとな。仲間だし」
「・・・悪かったわ」
綾波が、頭を垂れた。僕はその頭をぐしゃぐしゃと撫でた。よし、今回も何とかなった。後は・・・ラスト一匹だけだ。なぜか膨れッ面のアスカを促して、僕らは凱旋した。
死ぬかと思ったわ・・・私は碇くんにくしゃくしゃにされた髪を撫で付けながら溜息を吐いた。セカンドのお陰で何とか自爆せずに済んだ。私はなぜか私を睨むセカンドに微笑みかけてあげた。私の笑顔は特別。だって、姉妹達への仁義を曲げて、見せてあげるのだから。それにしても・・・私は思う。碇くんって偉大。
触れれば侵食されるのがわかっているのに、迷わず碇くんは使徒の尻尾を掴んだ。侵食されかけていたのにも関わらず、弐号機の一撃から一瞬たりとも遅れずに使徒を殲滅してしまった。彼には迷いとか、躊躇いというものが無いのだろうか? 何もかも、即座に決断して実行に移すその行動力が眩しい。私はずっとずっと負い目に目を伏せてただ、早くすべてが終わればいい、そう考えていただけなのに。セカンドの気持ちがよくわかった。彼は素敵な人だ。私も・・・いや、よそう。まだ、私には役割が残っている。
「碇くん・・・」
「あん? 何だよ」
「・・・約束」
「は? あ。 アレか、何でも聞いてやるって言ったよな。何か思いついたのか?」
「この先、何があっても、躊躇わないで。今までのように。それが私の、お願い」
「? 何かよくわからんけどそんなんでいいの?」
「ええ・・・」
ごめんなさい。私はまだ、碇くんやセカンドに隠し事をしている。けれど、これはその時までけして明かすことはできない。私の安心した顔に、碇くんもセカンドも怪訝な顔をしている。私は、敢えて笑った。今は、こうしているのが、心地よいから。
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