その11
「あるぅ貧乳ぅぅ〜、森のなカンチョー、熊さんニンニクー出逢っタマキン♪」
「下品な上に古いわね・・・あと、致命的にオンチ」
「あぁ? そーか? いやーそうでもねえよー。ほら、周りの奴が僕を注目してんじゃーん?」
「近寄らないでよ・・・知り合いだと思われたくない」
「ハズイと思うからハズイんだよ、タマタマがちっせぇな」
「そんなのついてないもん!」
綾波がスタスタと他人のふりをしながら僕を追い抜いて歩いていってしまう。僕は逃げようとするアスカの腕を掴んで逃亡を阻止し、その美声を継続した。真っ赤になったアスカは顔を伏せて「サイテーサイテーサイテー・・・」とブツブツ呟く。僕はお構いなしに歌った。僕は今日は上機嫌なのだ。
と言うのも、実現不可能だと思われていた第四世代エヴァットが完成した、と徹夜明けのリツコから朝電話を貰ったからだ。四代目にあたるこのエヴァットは僕が欲しい欲しいと望んでいた必殺技とも言える機能を有している。アスカのATフィールド放射に比べれば、僕のエヴァットの威力はどうしても地味だった。だから、一度でいいからその破壊力を超えられるような機能が欲しいと、僕は前々からリツコに対して発注していたのだ。これでATフィールド粉砕だけでなく、対使徒の最終的な決定力も僕は手に入れたことになる。ただ一度しか使えないのが難点のその機能だが、まぁ、そこはそれ、必殺技だから仕方ない。むしろ、それが燃える点でもある。
今日の連動試験ではそのエヴァットの運用テストも予定されている。僕はわくわくしていた。
「そう言えばさ、アスカ最近、シンクロ率落ちてねぇ?」
「んー、何か調子悪いのよねぇ・・・70後半をうろうろしてるわよ」
「僕は93で大安定。まぁ、60超えてりゃあんまかわんねぇからいいけどな」
「ん・・・でも、何でだろ・・・」
「弐号機がお前に飽きちまったんじゃねぇの? ギャは」
「・・・弐号機は女の子だもん。飽きるとかないもん」
「いかつい女だな、そりゃ・・・」
「あんたの初号機よりずっと美人よぅ」
「・・・まぁ、ありゃあ実際、ちょっとありえねぇ面だしな。あの装甲の中味見たことあんか?」
「ううん、無い」
「めちゃグロいぜ。夢に見るレベルだありゃ」
「えー・・・弐号機は美人に決まってるもん」
「どこからそんな自信がくるんだよ」
「アタシが言うから間違いないの」
「はいはい・・・ったく弐号機の話になると必死すぎ」
「むー」
僕らはくだらない話をしながら、ネルフの長いエレベーターを下っていた。綾波だけは話さずにじーっとカシャカシャと変わっていく階層のディスプレイを眺めている。何が楽しいのか、たまに一瞬だけニヤリと笑みを浮かべる様子は不気味だが、僕らはそれを見慣れてしまっていた。一度聞いたことがあるのだが、むしろなぜ面白さがわからないのか不思議がられた。綾波だけは一生理解できそうにない。それはアスカも同感みたいだった。そうこうしている間に、ようやく実験場に到着した。
今日は連動実験を行う。これは試験プラグではなく、実際にエヴァとシンクロし、シュミレーターと呼ばれる空間でエヴァの脳髄に直接データを流して模擬戦闘を行うという試験というよりは訓練の意味合いが強い実験だった。新兵器(実戦で役に立ったモノは少ないが)は、この連動実験で実戦投入の是非を問われる。僕は是が非でも最強エヴァット計画を推進したかった。今は入院中で委員長と病院でイチャついているトウジの参号機を葬ったのはアスカのATフィールド放射攻撃だった。結局、当てられなければ意味が無いエヴァットは、広範囲に大して攻撃力を持つフィールド放射に汎用性の面で一歩及ばない。威力も向こうのほうが高い。せめて一撃の破壊力で勝らなければ、ATフィールド放射には兵器として劣るのが現状である。フィールド放射はアスカのメンタルによるものが大きく、出力も安定しない。だから、それだけに頼るわけにもいかないのだ。せめて、「確実性」のあるものが一つは無ければこの先、前回の使徒以上に強力な使徒が襲来した場合に確実に迎撃できるとは限らない。
そこでリツコが徹夜しまくって作ったのが第四世代エヴァット「ロンギヌス」である。熱感知誘導機能、電磁石反発、怪しげな空間圧縮理論とやらを用いた空間短縮技術「ゼロ・シフト」・・・振り被ってから亜光速の速度で敵を追尾するこのバットは人類最強の近接兵器であると言って過言ではない。その一振りは普通に衝撃波を発生させ、擬似的なATフィールド放射に近い現象を再現できた。まぁ、威力は本物の放射攻撃には全然及ばないのだが。しかし、それはただ今までの機能をベースアップしただけのものでしかなかった。このエヴァット・ロンギヌスの真価はスペックの高さのことではなかった。
シュミレーション空間内で、アスカが強固に展開した守りの壁、ATフィールドを僕の振ったエヴァットは易々と突破した。侵食、物理的破壊、それらどちらにも該当しない、透過と言う作用によって。光速のエヴァットはそのまま簡単に弐号機を両断し、ゲームオーバー。アスカが「インチキ!」と叫んだ。これで3連勝。フィールド放射攻撃を一度たりとも許さず、すべて二秒以内にケリがつく。アスカがギブアップするまで、模擬戦はさらに二回続けて行われた。
「ぬははは、見たか、新兵器エヴァット・ロンギヌスのこの威力!」
「シンジ! 汚いわよ、ATフィールド無視するなんて!」
「それがこいつの機能だしな。つーかアスカ弱すぎ。僕はまだ必殺技使ってもいねぇぞぉ」
「きぃ! ふんだバカ死んじゃえ!」
「む・・・ああ、その、悪かったって。そんな怒んなよぅ」
完全にヘソを曲げたアスカを宥めつつ、僕はニヤニヤ笑いが止まらなかった。これは凄い。予想以上の出来だ。今は仮眠室でぐーぐー寝ているリツコにディープキスしてもいいくらいの感謝を感じた。これでビビるアスカの尻を引っぱたいて冷や冷やしながら迎撃しなくっても、僕だけだって使徒を倒せる。僕はそれを確信した。結局まだまだアスカに告る決意をもてない僕は、せめて告るまではアスカに生きていてもらわねば困る。だから、僕は強くなりたかった。今よりもっと、ずっと強く。それは喧嘩が強くなりたい、負けたくないと言う感情とは少し違っていた。ただ、使徒なんかに荒らされたくないんだ、と言う一心だった。僕も丸くなったもんだ・・・自分で呆れてしまう。最近、僕は人を殴ってないし喧嘩もほとんどしなくなった。僕は仙台では、報復で仲間がやられて、その復讐にいって、さらに復讐されて・・・と言う無限連鎖の中にいた。そんなのにアスカを巻き込めるはずがない。アスカは確かにビビらなきゃ喧嘩強いのだが、でも、喧嘩なんて相手が真正面から向かってくるとは限らないんだ。もしも・・・と考えると、僕はもう丸くなるしかなかった。僕はアスカが大事だった。
でも、使徒なんか来ないのが一番だ。守りの姿勢に入ってしまっていた僕は、最近はそう考えるようになっていた。アスカはまだ使徒を怖がる。そのアスカを叱咤し、戦いに駆り立てることに僕は苦痛を感じ始めていた。僕はいい。死は恐れるべきものだが、一度戦いになれば我を忘れることができる。死の恐怖は、屈辱感に凌駕される。痛みは誇りと怒りがねじ伏せる。僕は現代の侍である。臆するくらいなら腹を切る。だが、アスカを戦いに駆り立てることは、僕の願い、欲望、祈りに相反している。その苦痛をねじ伏せる術を僕は持っていなかった。改めて気付く。初めて、本当に好きになったといえるかもしれない。アスカは二度も僕を救った。命を賭けて。親友の想い人を殺す覚悟をしてまで。怖がりの癖に。泣き虫なのに。それは今まで僕が体験したことが無い、未知の感情だった。命を賭けてもらえる、と言う確信は、命を賭けるに値する女だ、と言う熱情に一瞬のうちに変わった。あの、暗い死神の棲家で見た幻は、その予感だったのだ、と僕は断言できる。恥ずかしげもなく、僕は断言できるだろう。あいつは、100カラットのダイヤよりも貴重で、そして大事なんだ。
ミサトは僕の心象をすぐに嗅ぎ付けた。多少はからかわれたが、ミサトはそれ以上何も言わなかった。酔って、自分も昔はそう言う男がいた、と寂しげに笑った。僕はビールを啜りながら尋ねてみた。
「そいつ、どしたんだ? 別れたのか?」
「さぁ・・・今は音信不通だから。今考えるとろくでもないわよ。いきなり蒸発して、連絡一つよこしゃしない。別れの言葉すらなかったわ。随分泣いたわね。気がついたらもうすぐ30よ。もう、七年?・・・いや、八年前か。早いもんね」
「まだ、好きなのか?」
「父さんに似てたの。ファザコンね、私」
「・・・筋金入りのな」
僕は呆れてそういったが、ミサトは遠い目で思い出を懐かしむように、昔の話をしてくれた。僕は黙って聞いた。特に出会いの話や、付き合うことになったキッカケとか。なるほど、酔わすといいのか。いや、でも済し崩しってのはちょっとなぁ・・・なかなか悩ましいお年頃の僕だった。
その日は、朝から天気が悪かった。鬱陶しい雨が、さらさらと空気と溶けて降ってくる。音も無く窓を叩くその細い雨にはなぜか不安感を感じさせられた。前の日の晩は雨は降らなかったものの曇り空で星も月も見えなかった。そろそろ満月だったはずなのに、それを拝むことができなくて僕は朝から少し機嫌が悪かった。僕の不愉快感を察してか、アスカが近寄ってこない。雰囲気を和らげようと努力してみたが、やっぱり無理だった。胸がザワザワする。気分が悪い。気がつくと、僕の頬は絨毯にくっついて離れなかった。あれ?っと思った時にはもう視界はぼやけてしまっていた。アスカが悲鳴を上げる。僕は倒れたのだ。アスカが慌てて僕の傍に走りよってくる。僕はその心配そうな顔に、思いっきりくしゃみした。「ぎにゃッ」アスカは猫が尻尾をふんずけられたような声を出してひっくり返った。
「き、き、きったな〜ぃ!」
「ぅ・・・わり・・・あっれー? 立て、立てねぇ。・・・おぅ・・・アスカの手ぇちべたくて気持ちいいな」
「ちょ、シンジ・・・すっごい熱よ!」
「風邪引いたか・・・」
「パンツ一枚で寝るからよ・・・」
「覗いてたのかよ、エッチ」
「失礼ね! 居間で転がって寝てたのはアンタでしょーがぁ。ミサト呼んでくる」
体温計を持ってきたミサトに無理矢理それを咥えさせられ、朦朧とする意識の中でどうやら風邪をひいたのは間違いない、と言う結論に至る。昨日は天気が悪くてやけに蒸す日だった。だから僕は風呂上がりのパンツ一枚でクーラー全開にしてそのクーラーの心地よさに浸りつつ・・・そのまま寝てしまった気がする。ミサトが、それは風邪をひいても仕方ない、自分を恨めと言い放った。僕はクラクラする頭を抱えながら体温計を覗く。38度2分。十分風邪だ。あぅ・・・ここ三年くらい病気とは無縁だったのに。慣れて無い分、それは強烈に僕を弱らせた。
とりあえず背筋がゾクゾクする。自分の熱を知って、ショックで悪化した気がした。あーもー駄目くるちい死ぬ・・・と呟いていると、アスカが気の毒そうな顔をしつつ僕の額に冷えピタをべちゃっとはっつけた。
「横でさぁ、タオル絞ってくれるとかサービスは無いのかよ」
「メンドイからヤ。冷えピタどう? 効く?」
「おう・・・ちべてーきもちいーぜ」
「頑丈が取り柄のアンタも風邪引くのねー。つらそうだけど、大丈夫?」
「大丈夫くない。無理。あたまいたい・・・アスカがっこは?」
「今日は土曜よ」
「そだっけ・・・ああ、そうだったな・・・チョコパ奢るって約束・・・」
「今度でいいから寝てなさいって。結構熱高いんだからさ」
「む・・・ぅ。・・・うん」
「しおらし過ぎて調子狂っちゃうわ。ま、今日はいたげるから、元気出しなさいよ」
「元気は無理だ・・・でも、ありがとな」
「あーもう、熱で脳味噌やられちゃってんじゃないの?」
アスカはしばらく珍しく言い返さない僕をここぞとばかりにボロカスに扱き下ろし、胸がすっとしたのかなんだか上機嫌で僕が寝ている布団の脇に座り、ファッション雑誌を読み始めた。僕はもう弱りきっていて、ゲホゲホ咳をし、びえっくちゅとくしゃみをし、背筋の寒さにガタガタ震えた。風邪ってこんなに辛いものだったのか。もう使徒に刺されるよりずっとキツイものがある。ようやく薬が効いてきて楽になってきた頃には、アスカは僕の隣で転がって昼寝ならぬ午前寝を決め込んでいた。僕は静かに過ぎていく時間をモヤモヤしながら過ごした。隣でアスカが無防備に寝ており、そして僕はその寝てる女に惚れている。ミサトは休日出勤でいない。弱りきった僕はふと弱気に駆られた。このまま死んだらどうしよう。今のうちに告っちまったほうがいいんじゃねえの?
「あす・・・あ、あす、あす・・・」
「?? ・・・何、何か言った?」
「あ、あ、あのな、アスカ。は、はな、話が」
「何? モゴモゴ何言ってんのよ。てか、凄い顔赤いわねぇ・・・また熱上がってきた?」
「え、いや、う。お、おう・・・何か・・・その・・・ちょっとな・・・」
ぎゃー! 僕の根性無し! 情けねぇぇえぇええ!! 僕は冷静を装いつつ心の中で絶叫した。何だ、この緊張感は。顔が熱い、紅潮しているのが露骨にわかる。そしてピタっと額に当てられた心地よい冷たさの手に、危うく頬が緩みかける。
「んー・・・朝より大分熱下がってるみたいだけど。まだ熱いわねー熱計る?」
「いや、いいや。想像より熱あったらショックで悪化するんだ」
「そうよね、バカは風邪引かないって言うし・・・たまにこういうことになるとショック大きいわよね」
「三年ぶりくらいだぜ・・・風邪ひいたの」
「アンタほんと呆れるほど頑丈ねぇ」
「アスカが思うよりは案外、デリケートなんだぜ?」
「バリケードの間違いじゃないのぉ?」
「やけに突っかかってくんな、生理か?」
「ほんっとデリカシーってもんが無いわね! サイテー」
「怒んなよ、僕は病人だぜ?」
「どうだか。もう実は結構直ってきてんじゃないの?」
「だったらいいんだけどな。ちょーツレーお裾分けしてやりてえ」
「ご遠慮させていただくわ」
「さいですか・・・あのよ」
「何? お腹すいた? アタシは料理できないわよ。ミサト帰ってくるまで待ちなさいよ」
「いや、そうじゃねんだ。お前にさ、言いたいことがあんだ」
アスカが首をかしげた。会話している間に随分冷静になった僕は、深呼吸した。
「実はな・・・」
突然、アスカの携帯電話が鳴った。
「非常召集・・・使徒!」
アスカの表情が強張る。僕の一世一代の大告白はその声でかき消され、僕は呆然と息を呑んだ。何だと、使徒だと? 怒りがむくむく湧き起こる。ラブコメ一つやらせてもらえない。使徒め、使徒の野郎! いつもいつもいいとこで邪魔をするんだ。使徒こそ僕の人生の障害、それを本能的に悟った僕は、渾身の力を振り絞って布団から這い出した。
「ちょ、駄目よシンジ! まだ熱あるんだから・・・無理したら肺炎になっちゃうわよ」
「うるせぇ、使徒が・・・来てんだろ。僕が行かなくて、誰が行くんだ」
「いいから大人しくしてなさいよ!」
アスカにトンと押されただけで、立ち上がりかけていた僕は抵抗もできずに布団の上に転がった。それみたことか、とアスカは言い、そして立ち上がる。ビビっている様子は見えない。使徒が来たのに? 馬鹿な、アスカ、何考えてる。僕の不安は的中した。アスカは気丈な顔で一瞬だけ唇を噛み、そして僕に向かって、笑った。
「心配しないで寝てなさいよ。今回はアタシとファーストだけでやるわ」
「ふざ・・・けんな。てめーみたいなビビり、しっこ漏らすのがオチだろうが」
「一応、ATフィールド出力はアンタの倍はあるわよ。今度はしくじらない。アンタは寝てなさい? たまには・・・アタシを信じてさ」
「ヤだ。信用なんか、しねえ。僕もいく。行くったらいくの!」
「子供かアンタは。大丈夫・・・信じて」
「い・・・やだ」
突然、アスカが僕の唇に、自分の唇を押し付けた。それは不器用な、でも暖かい感触だった。僕は体中の筋肉を弛緩させた。抵抗の気力は残らなかった。アスカは、照れたように笑った。そして、もう一度立ち上がった。
「自分で立てもしないのに・・・戦えるワケないじゃん。アンタバカぁ? ・・・死んじゃうよ」
「構うもんか、よぅ。死ぬより、大事なことだって、あんだ」
「実はな、の続きは・・・後で聞かせて。風邪が治ったらね」
「おい・・・おい! ゲホゲフッ 僕を・・・置いてくな」
「じゃあ、また後で」
「おい!! ・・・くそ、ちきしょう!」
アスカは翻って、走り出してしまった。僕は布団に頭を押し付けて、泣いた。
僕は重い体を引き摺って、金属バットを杖代わりにして歩き続けた。ケイジまでの道のりが嫌に遠く感じる。くそ、保安部の連中は何してんだ、パイロットが一人欠けてんのに、何で僕を拉致ってケイジへ連れていかない。恐らくそれは親父かミサトの差し金だろう。あいつら、後でギッタギタにしてやる。
アスカを信じないわけじゃないんだ。僕は、不安なのだ。自分の手の届かないところでアスカが怪我したりするのが嫌なのだ。ましてや、死んでしまったりしたら・・・僕はアスカの唇の感触を思い出して、壁を思い切り殴りつけた。思いの外ひょろひょろのパンチはコツンと壁で軽い音を立てただけで止まってしまう。また涙がにじむ。何で、こんな時に使徒なんか来るんだ。停電の時といい、マグマの時といい、何で、どうしてだ! 神がいるなら、そいつが僕に嫌がらせをしているとしか思えない。もしも手が届くなら、僕は神様とやらをバットで顔面の形が変形するまでぶん殴ってやりたい。
そうだ。気付いてた。ただ、今の心地よい関係が壊れたら嫌だなという恐れが、僕に決断をためらわせていただけなのだ。アスカは辛抱強く待ってくれていた。今日は・・・言えるはずだった。こんなに真剣で真摯な気持ちになれたのは喧嘩以外では初めてだったし、喧嘩で感じる気分よりもずっとそれは嬉しい気分だった。どっちかといわれれば勿論前者のほうがいいに決まってる。それが今、手からするりと抜け落ちるかもしれない、と言う不安は僕を切り裂いてしまいそうなほど酷く苛んだ。
視界が開ける。本部の前までは来ることができた。ジオフロント公園を突っ切って近道すれば、程なくしてケイジ直通のエレベーターにたどり着く。もう少しあとちょっと。だが、僕はそこで信じられないものを見た。
弐号機が立っていた。そして、それには首が無かった。僕は絶叫した。こんなの、信じねぇ。
「シンジ・・・体調が悪いのではないのか」
「黙れ、親父。わりいけど、声かけんな」
「・・・出撃する気か」
「当然だろ? 僕を誰だと思ってんだ?・・・初号機パイロット 碇シンジだぜ? つうか、何で親父がケイジにいんだよ・・・」
「お前が来た、と報告を受けていたのでな」
「チッ やっぱ保安部の連中、見てやがったのかよ」
「お前の出撃は許可できん。帰って寝ろ」
「状況わかって言ってんのか?」
「無論だ。むざむざ殺される為に出すほど、私は冷酷な親ではない。本部は破棄し、撤退する」
「本気か?」
「当然だ、その体調で勝てると思うのか? 馬鹿者が」
僕はバットを親父に突きつけた。体がふらつくが、もう慣れた。苦痛? そんなの何も感じない。
「アンタを殺してでも僕は行く。帰って寝ろだ? そんならここで死んだほうがマシだ。ずーっとマシだ」
「その体で私を殺すだと? 舐められたものだな、私も」
「うるせぇ」
「・・・」
僕と親父はしばらくにらみ合った。正直、バットを持っていても今の僕では親父に勝てる気はしない。押さえ込まれてバットを取り上げられたら成す術もないだろう。それでも、僕は死を迎えるギリギリのその瞬間まで、戦うつもりだった。親父が溜息を吐いた。
「・・・よかろう・・・しかし、初号機には内臓電源以外残っていない。使徒は既に本部中枢に近い位置まで来ている。ここまで侵攻してくるのも時間の問題だろう。三分以内にケリをつけろ。無理なら脱出しろ。今日駄目でも、明日・・・明後日でもいい。死ぬその時まで、我々は戦わねばならん」
「・・・上等だぜ、そのセリフ。勝つまでやる、そりゃ僕の信条だ」
「言っておくが、弐号機のパイロットの命は無事だ。己を見失うなよ」
「・・・! いい知らせだぜ、それは。OK、アスカに痛い目見せてくれちゃった馬鹿をぶっ殺してやんねぇとな」
アスカは、無事だ。その知らせが、僕の体を少し軽くした。だが、実際のところここで使徒を倒さなければ、本部は壊滅する。アスカも死ぬ。そうなったら・・・脱出して助かったとしても意味はない。ここが正念場だ。僕はぎゅっと歯を食いしばった。
頭はズキズキ痛む。背筋は相変わらずゾクゾクする。無理したせいで確実に体調は悪化した。ぜひゅーぜひゅーと喘息のような息をしながら、僕は操縦桿を握り、初号機に命を吹き込む。三分。1ラウンドだ。判定は無い。僕が奴を瞬殺するか、それとも電池切れで打ち殺されるか、二つに一つ。体の調子は最悪でも、闘志は些かだって衰えちゃいない。僕は第四世代エヴァット・ロンギヌスを構えた。そして、壁の向こうにいる・・・使徒を、敵を見据えた。向こう側は発令所だ。ミサトやリツコもいる。使徒の野郎を放置すれば、このまま何もかもが台無しだ。すべてが台無しだ。そんなの許せるか? その自問への答えは一つしかあるわけない。僕は咆哮した。塊となれ。熱になれ。僕は自らにそう念じながら、突撃を開始した。
ロンギヌスの全開出力攻撃はここではできない。電熱の衝撃波がミサトやリツコだけでなく、本部の半分くらいの人間を一瞬のうちにショック死させるだろう。だから僕はロンギヌスを腰打めに構えたまま、覚悟ー!って叫びながら親分の命を狙うドスヤクザのように真っ直ぐに突っ込んだ。使徒がどんな形状で、どんな能力かなんてどうでも良かった。ただ、僕の脳裏は殺す壊す破壊するという負の感情に支配されていた。僕の構えたエヴァットの切っ先が使徒のどてっ腹にめり込み、突き抜ける。そのまま僕は走る足を止めずに、カタパルトめがけて使徒を押し込んだ。
「ミサト!」
僕の叫びに、ミサトは即座に反応した。カタパルトが緊急始動し、僕と使徒を戦いの大地へと送り出す為に疾走し始める。恐ろしく早い速度で走るカタパルトの足場から使徒を壁に押し付ける。使徒は火花を上げながらもがいた。僕は渾身の力をこめてめり込んだエヴァットをグリグリとさらに突きこむ。苦痛を感じているのか、使徒は体を振って抵抗しようとした。痛みを感じるなら幸いだ。どうぞ召し上がれ、僕の憎悪を、僕の憤怒を、僕のお前ら使徒に対する限りない悪意と殺意を。僕が風邪ひいて倒れてる隙にアスカを虐めたこの使徒を生かしておく理由なんかこれっぽっちもない。僕と使徒はジオフロント内の草原に放り出された。
「オーケィオーケィ、ここがリングだぜ。でも残念なことにお前にとっちゃここは墓場だ」
僕はエヴァット・ロンギヌスを使徒の腹から引き抜き、思いっきり使徒を殴り飛ばして構えなおした。ここなら思いっきりぶっ放しても街路樹がぶっ飛ぶくらいで人は死なない。思う存分、使徒をぐちゃぐちゃにできる。早くも暴れだしたエヴァットを押さえつけながら、僕は獰猛に笑った。使徒は起き上がってゆっくりとこちらに向き直る。タイマン勝負。だが僕にはもうそろそろ電池切れが訪れる。だから僕は勝負を急いだ。一撃で、殺る。ドンっと言う衝撃と共に僕の初号機は踏み出し、大地を蹴る。全開というには十分ではないが、今までの使徒を細切れにするには十分なだけの力を溜め込んだエヴァットが空気を切り裂き、電熱を撒き散らしながら振り下ろされる。それは使徒の肩口に、何の抵抗もなくケーキにスっとナイフを入れるみたいに差し込まれた。そのまま、打ち下ろす。びじゃッと言う音がして、使徒の体から血が噴出した。電源は残り18秒。まだだ、時間ある限り、お前は許さない。僕はエヴァットを振り上げ、振り下ろす。その単純動作を18秒間黙々と続けた。ついに、電源が切れる。エヴァットを振り上げた体勢のまま、初号機は止まった。シンクロが解除され、僕の視界が闇に染まる。プラグ自体に備えられた定格の電源が外部モニタが捉える外の様子を映し出した。
「ふ・・・ふざけ・・・やがって」
使徒は・・・まだ、死んでいなかった。それどころか、ズルズルと音を立てながら傷を急激に修復してゆく。僕は犯してはならない、恐ろしいミスに気付いた。コアを、潰し損ねていた。
前を向いたままとまった初号機の中で、必死に操縦桿を押していた。使徒の目から放たれる光弾に装甲はほとんど弾き飛ばされ、布のような腕で執拗なほど叩かれ、初号機は徐々に壊されていっている。打撃の衝撃はプラグまで伝わってきており、使徒の腕が叩きつけられる度にビリビリとプラグ全体が揺れた。
「動け、動けよ! 気合出せよ! お前の根性はこんなもんかよ! おい! おいコラぁ!!」
僕の叫びは空しくLCLに溶けるだけで、初号機に伝わっている様子は無かった。初号機は無抵抗のまま、少しづつ少しづつ、壊される。どうしてだ。何でこんなことになった。完璧に不意をうって腹にロンギヌスをぶち込み、その顔面をカタパルトで痛めつけ、エヴァットでぶった切った上に18秒間タップリ殴り続けてボロ雑巾みたいにしてやったって言うのに、何で、こうなっているんだ? 後少しでも電源が残っていれば、もう一度エヴァットで、今度こそこのクソ野郎をぶっ殺せるのに。ちきしょう・・・
使徒には電源切れは無縁のようで、ただ淡々と執拗に、初号機の胸にその腕をガンガンとたたきつけてくる。電源切れに無縁? 僕の心に何かが引っかかる。電源切れしない理由・・・それは、使徒がS2機関と呼ばれるエネルギー源を持っているから・・・だったよな? それは使徒の細胞の一つ一つに含有されていて・・・無限のエネルギーを搾り出す。確か・・・確か、初号機の中に進入した使徒が、いなかったか?
閃きは、確信に変わる。あの痛みは忘れない。神経を引っ張り出して塩を擦り込んだかのように僕に痛みを与えた、参号機の粘液は本体が死んだことで活動を止めた。でも、まだ初号機の中にあるんじゃないのか? 僕は腹の奥に力を入れた。プラグの電源はラストチャンス。これで駄目だったら脱出もできなくなる。博打だ。でも、ここで脱出なんて、そんな選択肢は僕には無い。僕は最後の電源を使い切ってシンクロを回復した。自分の体の中の小さな違和感を探す。そう、ここだ、ここが痛かった。それは心臓、S2機関は初号機の心臓にあるのだ! 腕を動かし、顎の拘束具を引っぺがす。僕は使徒顔負けのグロい初号機の口を大きくあけて、思いっきり息を吸い込んだ。瞬間、僕の内部で熱が弾けた。
右手に掴んだままだったエヴァットを、初号機はきつく握りなおした。
左腕が翻って使徒の腕を掴み、引きちぎる。
それは僕が今まで感じたことがない、初号機とは思えない程のパワー。
いける。いける。正しかった。僕は正しかった。
冷や冷やさせやがって・・・さぁ、思う存分ぶっ殺してやる。僕は再び獰猛な笑みを取り戻す。もう一本の使徒の腕を取って引っ張り、引き摺られてきた使徒を僕の左足が思いっきり蹴っ飛ばした。びちりと音を立てて使徒の腕が千切れる。光が灯った目にはエヴァットを突っ込んでやった。使徒が悲鳴のような叫びを上げる。気にしない、気にしない。お前みたいなデッカイ奴に人権なんか認めない。そもそも使徒にそんなもん存在しない。僕の仕事は何かと問われれば、僕はこう断ずる。使徒を殺すことだ、と。
横なぎのエヴァットが使徒の胴体をひしゃげさせ、使徒は倒れた。馬乗りになり、エヴァットを振り上げる。既視感。デジャビュが僕を襲う。初めて使徒を殺したあの夜を思い出す。この体勢になった僕は・・・無敵だ。思い出した。最近丸くなって忘れかけていた。本来の凶暴性を取り戻して僕は咆哮を上げた。顎の拘束具が外れている初号機は、僕に呼応して同じく咆哮した。そして始まる、僕の時間。手加減無し。後先考えず。ただひたすらの暴力。
振り上げ、振り下ろす。それは完全に使徒が解体されるまで続く。僕は黙々とその作業をこなした。
血だまりになった使徒の上で、僕は吼えた。吼え続けた。アスカ見てるか。僕はちゃんとお前の仇をとってやったぞ。戻ったらちゃんと伝えよう、言葉の続きを。だって、後で聞かせろって、お前言ったもんな。
僕は、最後に残った破片に、エヴァットを荒々しく突き立てて、初号機で歩き出した。
アスカは、嘘をついた。僕に後で聞かせてくれって言ってた癖に、聞く気がないらしい。
ただ黙って虚ろな目を天井に向けているだけだ。白い嫌になるほど清潔感のあるシーツに包まって、身動き一つせずにじっと天井を見つめているだけだ。僕は涙を拭く気にもなれなかった。
「・・・んでだよ・・・」
「首を飛ばされた時に・・・神経に負担がかかりすぎたのよ。そのまま苦痛を感じたら死んでいたわ。彼女の脳が自己防衛の為に回線を切った・・・まぁ、そう言うことよ」
「んなこと聞いてねぇよ馬鹿・・・僕が聞きたいの! ・・・いや、いい。わりい、リツコ」
「治療には全力を尽くすわ」
「治るのか?」
「さぁ? やれることはするわ」
「助けて・・・くれよ。直してくれ。アスカ直してくれよ。でないと・・・困る」
「こればっかりはね、本人次第よ」
「勝ったのに。・・・何でこんな。ちき・・・しょう・・・」
リツコが顔を伏せて肩を震わせ始めた。辞めろ、何で泣くんだ。どういう意味なんだよ。ミサトは後ろを向いてこっちを見ない。肩が時折、ぴくりと震える。泣いてんのか? そうなのか? なんだよ・・・まるで・・・もう、治る見込み無いみたいじゃんか。
アスカは・・・動かない。僕はぺたんと尻餅をついて・・・そして、ただ、溢れてくる涙と空洞のようになった胸の、思った程何も感じてない自分の心に驚きながら。ああ、そうじゃないんだ。こんなの信じたくなくて、何も考えたくないんだ。僕はアスカの耳元に顔を近づけた。
「何・・・寝てんだよ・・・告れねーじゃん・・・僕は・・・アスカが好きだってさぁ」
涙は止まらない。こんなに泣くのは初めてだ。でも止まらないんだ。胸に開いた空洞に、鋭い痛みがやってくる。僕は静かに嗚咽した。こんなのってないぜ。あんまりだ。
「そこまで言うなら、起きてやってもいいわよ」
ッッ!!!?!?!?!?!ッッ アスカが普通にムクっとおきた。
僕は仰天して、ひっくり返る。アスカは僕をベッドから見下ろしてニヤーっと嫌な笑い方をした。
「はぇ?」
「やっと言ったわねシンジ」
「ア・・・アス・・・ア・・・はああああああああああああああ!?」
突然、プーっと吹き出す声が聞こえて、リツコとミサトが同時に爆笑し始めた。ま・・・まさか・・・こいつら僕を担いだってのか!? リツコとミサトは、笑いを我慢するのが大変だったと言ってさらに爆笑する。「リツコったら目の前で笑い出すからバレるんじゃないかって冷や冷やしたわよ」とかアスカまで言ってる。泣いてたと思っていた僕のこの目は節穴だった。あああああ! なんじゃそりゃあああああ!!
「こうでもしないと素直に告んないしねー。見ててイライラしてたのよ」
なるほど・・・発案はミサトか。でも、今はもう怒る気にもなれなかった。僕はアスカに抱きついて、オイオイ泣いた。みっともないけどもう泣かずにはいられない。ちきしょーちきしょーちきしょー! すげー安心したら滅茶苦茶泣けてきたのだ。
アスカは、泣きじゃくる僕の頭を撫でてくれた。
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