■□自慢のエヴァット□■

その9

「ガハハ、ついにシンクロ率でも抜いちったぜ僕天才すぎ!」
「・・・ぬぅぅ・・・」

もう何十回と行っているシンクロテストでアスカに勝ったのは初めてだった。アスカは馬鹿でビビりで能天気な駄目女だが、シンクロ率だけは異常に高い。常時90%近い数値を保っている。僕が今回たたき出した数字は93%。もちろんこれはエヴァパイロットのレコードであり、ギネスであり、新記録である。我ながら自分の才能が怖い。さすがにアスカは悔しそうにしていたが、そのアスカも今日は過去最高の89%と言う90の大台が狙える数字を出しており、それ程落ち込んでいる様子には見えなかった。

「ふほほ、アスカさんよ、約束通りチョコパ奢れよ。あの千五百円のでかい奴な」
「くッ・・・次は負けないわよ」
「ひゃはは無理無理、開眼した僕はもうなんつーか国宝? チミみたいなパンピーにはこれ以上の数字は無理ですよあっはっは」
「む・・・むかつく〜! じゃあ今度のテストでアタシが勝ったら向こう一ヶ月テレビ権は頂くわよ!」
「いいのかな〜? そんな約束しちゃっても?」
「むむむ・・・次は絶対勝つ!」

とは言え、やはり最も強力なATフィールドと、その放射能力を持っているのはアスカだけだ。僕はリツコと何度も打ち合わせしてさらにエヴァットの改良を進めてはいるが、単発の攻撃力ではやはりアスカが最強である。これは特質的なもので、綾波も僕も真似ができないし、その出力をはじき出すことも夢のまた夢だ。アスカの余裕はその辺から生まれている。綾波は命中精度の高い射撃能力で一芸に秀でており、シンクロ率の低さはその戦法ゆえにあまり関係が無い。最近の僕らは完全な分業方式で、近距離の僕、中距離のアスカ、遠距離の綾波、と言う風に特化している。

だからアスカが恐れているように弐号機を降ろされる、と言うような事態は恐らく発生しない。それはミサトの戦力構想、戦術構成からもう考えられないことだからだ。・・・なのに、アスカはまだ降ろすという言葉に過敏に反応する。アスカはいくら聞いても、その理由を僕に話さなかった。僕はそれが気に食わなかった。一緒に暮らしていて、もうアスカとミサトが僕の身内みたいなものだ。だから身内に隠し事をされるのは気分が良くない。

「アスカ、テレビ権もいいけどよ、次僕に負けたらアレ話せよ」
「アレ?」
「弐号機に乗らなきゃいけない理由」
「・・・それは関係ないじゃん」
「気になんだよ。そうやって隠されると余計気になって眠れねんだよ」
「ごめんシンジ。それだけは話したくないんだ・・・」
「・・・くそ、何だよ! 馬鹿! 馬鹿アスカ!」

僕が癇癪を起こして罵倒しても、アスカは悲しそうに顔を伏せたまま、言い返してこなかった。それがまた気に食わなくて、僕は溜息を吐いた。これ以上無理に聞いて困らせるのはあまり格好良くないことだろう。諦めるのは癪だったが、きっとそのうち話すかもしれないと思い直して僕はそれ以上の追及を辞めた。

「わーった。わかったよ。もう聞かねぇ。泣きそうな顔すんな馬鹿」
「・・・ごめんね」
「ちッ・・・何か辛気くせー。チョコパ食いに行こうぜ」

僕はアスカの背中をドンと叩いてそれ以上しゃべらずに口をつぐんだ。




「おいミサト何だありゃ」
「使徒のことなんか聞かないでよ、知るわけ無いじゃない。本人に聞いてくれば?」
「ほんっと無能だな、お前。何の為にそこにいんの?」
「そりゃあ、この美しさで現場の士気を上げる為よ」
「死ね三十路ババア。笑えねんだよ」
「まだ29よ! アンタ・・・帰ってきたら殺すわ」
「ぐ・・・えっと言い過ぎました。ゴメンナサイユルシテクダサイ」
「誠意を感じないッ」

親父が漫才はいい加減にしろとキレて怒りだしたので、僕は前を向いて使徒を照準した。
使徒は縞々ゼブラな球だった。それ以外に表現のしようがない。ただ、ほわほわ浮いているだけで何の被害もいまだ出ておらず、だから発見が遅れて戦場は市街となってしまった。ここ最近、第三新東京市は本部と市街に被害が出ていなかったので、ビルの修復はあらかた終わっており、ようやく迎撃都市としての本来の姿を取り戻している。

エヴァ三機完調で、電源があり、しかも迎撃施設が万全。何時になく準備完璧で迎えた迎撃である。負ける要素はあまり感じられない。それでも、相手は使徒である。何をしてくるかわからない、と言うことで、そそっかしいミサトにしては珍しく最初は様子見と言う消極的な作戦を立てていた。

アスカ、綾波と共にビルの脇を抜けて使徒と少しずつ間合いを詰める。アスカが今回使用する武器はソニックグレイブというプログナイフを先っぽにつけた槍みたいな奴だ。綾波は低反動ライフルで射撃位置につく。僕は電磁反発式の第三世代エヴァットを構えている。アスカはドン臭いことにアンビリカルケーブルをビルに引っかからせて、繋ぎなおしており、展開が遅れている。僕ははやくもイライラし始めた。

大体、あんな弱そうな使徒なんか、僕一人でも十分だ。いっきに特攻してエヴァットでぶん殴ったら一発で割れそうである。綾波が射撃準備を整えた。アスカはまだだ。何してんだ、あいつ。

「ミサト、一発ぶん殴ってみるぜ」
「アスカがまだよ、待ちなさい」
「大丈夫だってイケるイケる」
「こら、また指示無視して・・・」
「綾波ー、僕が一発ぶん殴るから使徒がまだ生きてたら追い討ちよろしくぅ。アスカは使徒が逃げたら追っかけてトドメさすってことで。はい作戦決まりーぃ初号機いっきまーす」
「もう、馬鹿!」

ミサトを無視して僕はエヴァットを大上段に構えた。電磁石の反発力を蓄え、ギリギリ我慢できる限界まで貯めたあと、僕は一気に走り出した。そして、僕の制動を離れて炸裂しようと暴れるエヴァットを振り上げ、僕は天まで届けと大ジャンプ。軽々と使徒より高い位置まで飛び上がった僕は、抑えきれないほどとなったエヴァットの反発力を一気に解放した。エヴァットは音速を超え、空気を切り裂きながら使徒に向かって振り下ろされた。僕は勝利の一撃となることを確信した。

だが、手ごたえは無かった。ふっと使徒の体・・・縞々の球体が消えうせ、今までで最高の反動でぶん回したエヴァットの勢いで、僕は空中でそのまま三回転してしまった。そして何とか着地する。その瞬間、地面に足がズボっとはまった。使徒の影? 黒い地面は陽光を遮ったような黒だ。だが、肝心の使徒は見当たらない。どういうことだ? その間にも足はどんどん地面に沈む。ようやく、これが使徒の反撃なのだと気付いた時には、初号機は腰まで地面に飲み込まれていた。

「な、なんだよコレ! ちきしょう放せ!」

僕はエヴァットを振りかぶり、地面に向かって思いっきりその反動を開放した。しかし、エヴァットは空を切ったかのような頼りない手ごたえと共に地面に飲み込まれた。ぐるんと回転しそうになるが、地面に飲み込まれた瞬間、その反動までもが消えた。何か飲み込まれていると言うよりも、手の先が唐突に消えたみたいな感覚。僕は怖気を覚えた。

「なんか・・・ヤベエ!」

アスカの弐号機がようやく来た。そして影に向かってソニックグレイブを振り下ろす。しかし、グレイブの先が僕がやった時と同じように何の抵抗もなく影に沈むのを感じたか、アスカが驚いて飛び下がった。

「シンジ! 何よこれ!」
「わかんねぇ・・・わかるのは僕はもう駄目で、アスカはまだ無事で、この野郎ぶっ殺すには一端退却すべきだってことだけだな。昨日は悪かったな、無理に聞こうとしてよ」
「シンジ、何諦めてんのよ!」
「もう腕まで動かなくなってんだ。まぁ・・・アレだな、一斉攻撃してたら全員イカれてたかもな。やっぱ俺の作戦は正しかったぜ。天才さまと呼べよ」
「馬鹿、ふざけてる場合じゃ・・・」
「やべ、もう首まで来た。・・・仇はとってくれよ」
「シンジ、ちょ・・・やだ、シンジ!」
「こっちくんな! ・・・じゃあな」
「シンジ、あんたビビってん・・・」

アスカの言葉は最後まで聞こえなかった。僕は頭まですっぽり影に飲み込まれた。視界が真っ暗になって何も見えない。死ぬかと思ったが、まだ僕は死んでないようだ。でも、初号機の体は粘土で固められたみたいに動かない。このままじゃ、まぁ普通に考えても死ぬっぽい。アスカには強がってかっこつけてみせたが、今更ながらしみこんでくるような恐怖を感じてきた。ついに死ぬのか。思えば長いような短いような人生だった。好き勝手してきたし、結構楽しかった。しょーがねぇなぁ・・・と僕は恐怖と戦いながら笑ってみた。けど、引きつったように表情の筋肉が動こうとしなかった。歯がLCLの中でカチカチ鳴る。死ぬ・・・死ぬのか。こええ・・・こええよ・・・。




「シンジあんたビビってんじゃないの!? 使徒なんかご自慢のエヴァットでギタギタに・・・くっ、シンジ・・・」

シンジはアタシの目の前でずぶずぶと沈んでいった。強がって笑っていたシンジの顔が、モニタからぶちんと消え失せる。シンジを飲み込んだ影を避けて後ろに下がりながら、アタシは身を焼き焦がすような無力感に打ちのめされた。まただ。また、アタシのミスで失敗した! アタシは下がりながらATフィールドの放射を影に向かって浴びせ続けた。だが、何も起こらない。あのガラが悪くて怒りっぽくて少しスケベで意外にガキで・・・そしてちょっとだけ優しいシンジが顔を出すことは無かった。

最強のATフィールド? 誰にも真似できない放射攻撃? それが何だって言うの? こんなに何度も何度も、それこそ渾身の力を込めて連発してみても、使徒に何のダメージも与えられていない。今までだって、すべての使徒はほとんどがシンジが何とかしてくれたのだ。アタシは駄目だ。シンジが勝てなかった使徒に、敵うはずもないではないか。涙がにじむ。シンジ、ごめん、アタシじゃ無理だよ。ファーストがライフル弾を打ち込んでも、やはり影はその弾丸すら飲み込んでしまう。ようやくわかった、この使徒はこの影が本体なんだって。

「・・・アスカ、撤退よ」
「でもまだ、シンジが・・・」
「いいから撤退よ! ・・・帰還しなさい。まだ、終わったわけじゃないわ」

ミサトの強い言葉を、実はアタシは待っていた。ずるい女だ、アタシ。だってシンジが勝てなかった相手に戦いを挑むなんて、アタシにはできそうもない。足が震えてる。シンジを助けたいのに、足の震えがとまらない。「ビビってんじゃねえ!」ってシンジが怒らなきゃ、アタシは恐怖一つ自分では屈服させることができないのだ。何て無力なアタシ。アタシは不甲斐なくて、情けなくて、でも、少しだけホっとしながら弐号機のシートに頭を押し付けて泣いた。ごめんね、弐号機。こんな弱虫がパイロットだなんて。

ミサトは厳しい顔をしていた。アタシは責められるんじゃないかってびくびくしていたけど、ミサトはアタシを責めずに、「あんたとレイだけでも無事で済んでよかったわ」と言ってアタシの頭を撫でた。アタシは泣き顔のままミサトに抱きついてもう一度泣いた。ようやく落ち着いてミサトから離れるとファーストが珍しく心配そうな顔をして使徒である黒い染みのような影を見つめているのが見えた。

「ファースト、シンジ、まだ大丈夫だよね?」
「わからないわ」
「大丈夫って言ってよ・・・」
「すべての反応が途絶えた・・・もう死んでいる可能性もあるわ。いえ、むしろ・・・」
「やめて!」

アタシは耳をふさいだ。ファーストになんか聞くんじゃなかった。胸が締め付けられる。アタシがちゃんと位置についていれば、初号機が飲み込まれる前に助けられたかもしれないのに。シンジが死んじゃったら、それはアタシのせいだ。ファーストもミサトも自分を責めている気がして、アタシはどこか遠い国に逃げ出したくなった。

「それは違うわ。シンジくんは私の命令を無視して攻撃をかけたから、負けたのよ。アスカが悪いわけじゃない」
「でも・・・」
「安心なさい、シンジくんはきっとまだ生きてるわ。あの馬鹿、調子乗ってるからこういうことになんのよ。でもまぁ、身内だし、助けてやんないとね?」
「ん・・・うん」
「そんで、一回バシっとシメないとね」

ミサトは無理に笑った。何の根拠も無い言葉だったが、少し気が楽になってアタシも無理に微笑んだ。まだ、笑おうと思えば笑い顔が作れる。なら大丈夫だ。アタシは唇を軽く噛んだ。シンジが言ってた。ビビりのビビった言葉で余計ビビるって。だから、無理にでも笑って強がったほうがいいんだって。アタシもそうしよう。

実際、ミサトは本心では頭を抱えている。シンジが三人のパイロットで、最も優れたエースだったと言うことは疑うことができない事実だ。シンジは最初からずっと使徒をほとんど一人の力で倒してきた。アタシもファーストも結局お荷物か、ちょっとした手伝いしかできていない。シンジは普段はろくでもない不良だけど、ことエヴァに関してだけは誰の追随も許さないスペシャリストだった。アタシはあいつの足元にも及ばない。ファーストなんてもっと駄目だ。ミサトは常にシンジをメインとする戦術を構築してきた。アタシとファーストだけで、あの途方も無い使徒をどう倒す? 無理だ。そんなの想像もつかない。また弱気がアタシを支配し始める。しかし、アタシの弱気を感じ取ったかのようにファーストが言った。

「普通なら、死んでてもおかしくない。でも、碇くんは死なないわ」
「・・・ファースト」
「私はまだ、約束を守ってもらってないもの」
「約束?」
「ええ。約束したわ。私の願いを一つだけ、叶えるって言ったわ。碇くんは約束を、破ったことないもの」

そう、そういえばそうだ。シンジはろくでもない不良で、すぐ人を殴るし、酷いことを平気で言うし、お風呂を覗こうとするけど、でも今まで約束したことを破ったことなんて一度も無い。性格悪いくせに、変に義理堅いところがあるのだ。アタシは、ファーストに向き直って「そうね、あいつが約束破るなんて、考えられない」って言った。そう、考えられない。いつぞやだって、助けてくれたではないか、火口に何の装備もなく飛び込んでまで。

次に飛び込むべきなのはアタシだ。もう何度シンジに助けられているのか数える気もしない。少なくとも、一度くらい命を張ってもいいくらい、あいつには借りがある、と言うのだけは確かだ。弱気なんか吹き飛ばせ、とアタシの脳裏のシンジが意地悪い笑みを浮かべながら吐き捨てるのが見えた。わかってるわよ。アタシは脳裏のシンジに言い返す。前に進むのは難しい。でも、後ろに下がることだけはやってはいけないのだ。それがシンジに教えられた戦いの哲学だった。

「ミサト。シンジを助けるわ。どうすればいいの?」
「リツコが今解析してる。もうすぐ救出作戦もまとまるわ。あんたには後で働いてもらうから・・・今は少し休みなさい」
「そんな・・・休んでなんて! いいえ、いいわ。そうする。作戦が決まったらすぐ呼んでね」

休んでなんていられない、と叫びそうになったが、今アタシにできることなんて祈ることくらいだ。なら、今はミサトやリツコの邪魔をしてはいけない。アタシは強く唇を噛んだ。涙は堪えた。少し血の味がしたけど、痛みは感じなかった。

待っている時間は焦燥感との戦いだった。いつもなら、使徒との戦いへ向かう恐怖感との戦いだ。でも、今は焦りだけがアタシの心を削っていく。不思議と使徒を見ても恐怖感は全くと言っていいほど湧き上がってこなかった。ただ、感じるのは寒々しいほど醒めて乾燥している怒りの感情だった。どうして使徒なんかいるんだろう。弐号機共にある為に、戦わなければならないのは使徒が存在する故のことだ。使徒なんかがいるから怖い思いをしなければならない。シンジを失うことを怯えなければならない。認めがたいことだが、アタシはあの不良野郎なしの生活なんてさっぱり考えられなかった。シンジは、今まで欲しい欲しいと願って、そしてポロリと転がり込んできた幸福・・・家族だった。恐怖にへし折れそうな心を支えてくれるのは、いつもあいつの汚い言葉遣いの罵声だった。シンジがいなければ、きっとこの先弐号機には乗り続けられない。望んでも、乗せて貰えなくなる。戦えない弐号機なんか、ただの肉の塊だから。それはアタシにとって何よりも耐え難いことだった。

「アスカ」
「決まったの!?」
「ええ。でも・・・」
「はっきり言って。可能性はあるの?」
「ええ。この間の使徒を受け止める作戦の十倍くらいはね」

心細い数字だ。だが、やらねばアタシに未来は無いのだ。アタシは歯を食いしばった。




アタシが感じたとおり、あの影が使徒の本体だった。数ミクロンと言う極薄の黒い皮膜が本体であり、空中の縞々の球体が、使徒の影なのだ、と言うことらしい。でも、今のアタシにそんな情報はどうでもよかった。知りたいのは、どうすればシンジを救えるのか、と言うことだけだ。

「結論から言うと、N2地雷992発を同時起動して、その爆圧のエネルギーで一瞬だけ使徒の向こうの世界に干渉する・・・それしか方法は無いわ。少なくとも、人類にはね」
「N2地雷992発って・・・箱根がなくなっちゃうわよ。シンジだって・・・」
「無事には済まない可能性のほうが高いわね」
「それじゃ、意味ないじゃない!」
「でも、初号機は回収できる可能性が高いわ」

リツコの冷たい言葉にアタシは愕然とした。コンマ以下の確率とは、シンジの生還の確率のことだった。ミサトが苦々しげに舌打ちする。徐々に忍び寄る恐怖感。それは戦いへの恐怖ではなく、シンジを、家族を失うかもしれないと言う恐怖感だった。アタシは金切り声で叫んだ。

「そんなの、やれるわけないじゃない!」
「これはもう司令に了承された作戦よ」
「馬鹿! リツコの馬鹿! あんた、最低よ! シンジが死んでもいいって言うの!?」
「いいわけ・・・ないでしょう。でもねアスカ。結局使徒を倒す手段がそれしかない以上、やるしかないのよ。でなければ、人類そのものが・・・」

そんなの大人の理論だ。アタシは強く反発した。シンジも助けられないで、何が人類だ。アタシの叫びに、リツコもミサトも応えなかった。アタシは再びにじんできた涙をゴシゴシと強くこすった。だが、涙はとめどなく溢れてきた。

「アスカ、一つだけ、何とかする方法があるわ」
「・・・ッ! それを先に言いなさいよ! で、何? 何だってやるわ」
「危険よ?」
「そんなの・・・いつもよ。今更、怖気づいたりしないわよ!」
「いい? 992発のN2地雷のエネルギーには方向性が無いわ。使徒が内包する空間・・・ディラックの海全体に破滅的な熱衝撃を与えるでしょうね。無限なんてものは無いわ、いかに使徒の内包する空間だとしても許容量を越えて自壊する。・・・シンジくんのフィールド出力ではプラグは一瞬で沸騰するわね。でもね、その爆圧に方向があれば、空間を破綻させるだけで、全体に熱衝撃を拡散させずに使徒を倒せる可能性が高いわ」
「それでシンジは助かるの?」
「空間は元に戻ろうとする力を持っているわ。恐らく・・・」
「どうすればいいの?」
「あなたのフィールドで爆圧が志向性を持つよう、押さえ込むのよ。失敗すればプラグのLCLが沸騰してアナタは即死するわ」
「失敗したらどうなるの?」
「今言った通りよ、一瞬でプラグが沸騰してアナタは死ぬ。素体までダメージを受けたエヴァはオーバーホールね。まぁ、弐号機が消滅するようなことは無いわ」
「方向性を持ったエネルギーが初号機に直撃する可能性は?」
「無いとはいえないわ。でも、このまま作戦を実行すればほぼ確実にシンジくんは死ぬ・・・助かる見込みが高いと言うのは確かね」

では、迷うコトなど何もなかった。アタシが死んでも次のチルドレンが弐号機に乗るだろう。弐号機は存続する。アタシが生きているのに弐号機に他の人間が乗るなんて、死を選んだほうが絶対マシだ。それなら、ここでシンジを救う為にこの命を使うほうがいい。死ねば悲しみを感じることはないだろうし、アタシはアタシがやれるベストを尽くして名誉な死を得るだろう。アタシの中に迷いは一片も残らなかった。

「・・・やるわ」
「死ぬかもしれないわよ?」
「このまま見てるだけなんて、死んだほうがマシよ」
「そう。じゃあ、止めないわ。・・・ミサト、技術部は弐号機の作戦参加を提案します」

アタシは強く自分の体を抱いた。死ぬ・・・もんか。絶対、何とかしてやるんだから。




もう何時間経ったのかもわからなくなってきた。LCLは濁りはじめ、徐々に息苦しさを感じる。餓死はしないで済みそうだ。その前に窒息して死ぬだろうから。僕はタハハと力なく笑った。心は擦り切れる寸前だった。

もしかしたら助けが来るかもしれない、そんな希望に縋って僕はすぐに内部電源をセーフモードに切り替え、ただひたすらその助けを待つことにした。ここでじたばたすれば電源が切れてすぐに窒息死してしまう。アスカの「諦めんの?」と言う言葉が耳に残っていた。そうだ、諦めるなど僕らしくない。最後まで、死のその瞬間まで、僕は諦めるべきでない。それが僕の使徒に対して示すことができる最後の意地であると僕は思っていた。

だが、音もなく、外も見えず、ただ徐々に磨り減っていく神経の磨耗に耐えるのは、実際厳しいものがった。死の恐怖は時が経つほどに僕に抜き足差し足迫ってくる。死神が僕の隣に腰掛けているのがわかる。時折その魂を狩る鎌を僕の喉に突きつけては離し、僕の心が折れ曲がるのを待っているのだ。

僕は腕を振り回してその幻覚を追い払おうとした。しかし死神はひらりひらりと僕の力の抜けたパンチを避けてケケケと笑う。ムカついてきたが、精神に肉体が追いつかない。お前みたいな不気味なドクロ野郎に魂持っていかれるのは癪でしょうがないが、こうなっちまったら仕方ねぇ、好きにしやがれ。僕は大の字に体を開いて最後の息を吐き出した。もう、酸素はほとんど消費してしまった。

すると死神は首を傾げた。「不気味なドクロはお嫌い?」とささやいてくる。僕は当たり前だバカヤロ!っとうめいたが、もう息苦しくて馬鹿ドクロの相手をするのも億劫になってきていた。ドクロはその虚ろな眼窩を歪めてニヤリと笑う。「なら、君が望むのはこんな姿?」ドクロがぐにゃりと変形し、茶髪で青い目の女になった。何を、ふざけてやがるんだ。この野郎、ぶっ殺すぞ!もう声が出ないので、僕は心の中で怒鳴りつける。ドクロは困った顔をした。「じゃあ、こんなのはどうだい?」今度は赤い瞳の女に化けた。「いやいや、どうやら君はやっぱりこっちのほうがいいみたいだ」また変形したドクロは、茶色い髪の・・・それはアスカだった。アスカとなったドクロはケケケと下品に笑った。こんな奴アスカじゃない。こいつは何て意地悪な奴なんだ。最後に会いたいとほんの少しだけ心の底で思った僕の弱気を形にする。涙がにじむ。息が詰まる。心が折れかける。

だが、そんなの許せない。僕は最後まで僕であり続けるべきだ。僕は渾身の力で拳を突き出した。アスカの顔をした死神の胸に、ずぼんと穴が開いた。ざまーみろ、クソドクロ野郎。僕はお前みたいな弱気の使者に負けたりしない。僕が負けるのは肉体の限界に、だ。僕の精神はこの瞬間何者も凌駕し、侵されることのない堅牢な砦となる。僕は死ぬ。あと何分か、もしかしたら数秒先か。僕は電池が切れたラジオのように音を小さくしていき、そして最後にノイズをジジっと鳴らして死ぬだろう。でも、僕の精神は最終的に屈服することを由とはしなかった。これは僕の未だかつてない大勝利であり、光栄な死の序曲である。死神は去るといい、僕の誇りを侵すことは下品な骨野郎にはちょっと無理だぜ。僕は僕の道を完遂する。最後まで意地を張り通すこと、それが僕の・・・僕の最後の思考はするりと、闇に溶けた。





「N2起爆!」

鋭いミサトの声と共に、膨大な熱と激しい嵐のような衝撃の奔流がアタシのATフィールドの上で炸裂した。フィールドを貫通する熱がアタシの弐号機の装甲を焦がし、痛みがアタシの顔を歪ませる。しかし、それは肉体の反射的な動きでしかなく、アタシはこの時苦痛を全く自覚していなかった。強い意志と、そして意地が、アタシのフィールドを厚く分厚くし、層を織り成して展開されてゆく。

「あああああああああああああ!」

アタシは自覚せずに喉が裂けるほど叫んでいた。凶悪な衝撃の坩堝がアタシを屈服させようと猛威を振るう。手のひらの毛細血管が細かく破裂し、内出血を起こす。鼻血がLCLに溶け出した。額に血管が浮き出てくるのがわかった。まだ、まだだ、まだ足りない。アタシはもっともっと叫んだ。声なんて枯れていい。耳からも血が出ているのがわかる。このままだとアタシは熱衝撃でLCLを沸騰させられなくともクモ膜下出血かなにか起こしてしまいそう。だが、不思議と苦痛は感じない。ただ、熱い。体中が、内側から沸騰している。負けられない、負けられないのだ。

黒い影に、亀裂が走る。黒い皮膜の使徒は、不気味な叫びを上げて苦悶する。使徒とアタシの我慢比べだ。アタシは踏ん張った。その場に踏ん張った。前に出るのは難しい。でも、下がっちゃ駄目だ。それがシンジの、アタシ達エヴァパイロットの、戦士の哲学。黒い影は亀裂から真っ赤液体を吹き上げて崩れ落ちてゆく。永遠にも感じられたN2の爆圧はそのすべてが使徒の胎内に飲み込まれ、そして使徒をばらばらに切り裂いた。

「ぁぁぁぁ・・・あぁッ! が・・・ああ・・・はぁ、はぁ・・・」

熱衝撃の嵐から開放された瞬間、使徒は赤い血溜まりとなって四散した。





「シンジ!・・・初号機は!?」

アタシはようやく感じ始めた苦痛に顔を顰めながらあたりを見回した。使徒は赤い血の海になっている。視線を上に向ける。使徒の影が徐々に縮み、そして消え去った。使徒は倒せた。しかし、初号機の姿が見えない。そんな・・・!

使徒を倒したって、シンジが助からなければ意味が無い。アタシは目を皿のようにして血の海の一滴すら逃さないよう、辺りを見回した。





突然、最後の力を振り絞ったかのように初号機がシンクロを回復する。僕は酸欠で朦朧としながら、開けていくエヴァの視界を呆然と見た。おいおい、せっかくかっこよく死のうと思ってたのに。ゴキブリ並にしぶといなぁと自分で苦笑してしまう。赤いエヴァがこちらに向かって走ってくるのが見えた。あ、赤い液体に足をとられて転んだ。アスカらしいなー、あのマヌケな姿は・・・モニタが回復する。泣き顔のアスカがうつった。

「ジンジイィィ」
「はは、なんつー顔してんだよ。アスカが助けてくれたのか?」
「ジィィンジィィィぶええ・・・」
「そっか・・・お前に助けられたんか、僕は。・・・ありがとな・・・」

礼の言葉と、感謝の気持ちは、自然と、素直に湧き上がってきた。助かった、のか、僕は。
その日の記憶はそこまでしかない。僕は、初号機ごと弐号機に抱きつかれた時点で、気を失った。





もう三年くらい、墓参りなんかには来てない。母さんの命日は、親父と顔をあわせなきゃいけないから、僕はそれを避けていた。でも、今日は母さんに報告することがあった。だから、まぁ親父の小言も我慢してやるかって気持ちだったのだ。

墓には、既にゲンドウがいた。立派な花束を供え、そして黙ってその墓碑を見つめている。親父がどれだけ母さんのことが好きだったのか、僕はよくしっている。三歳頃の記憶の中の親父は、泣き顔だ。ただ黙って、声を押し殺して泣く姿が強烈に印象に残っている。妻を殺した男だと言われているのも知ってる。だけど、真相はそんなんじゃあないってことも勿論知ってる。親父が敢えて反論しなかったのは、自責からだってことも・・・知っていた。

僕は子供だった。今も子供だ。だから、理不尽に片親が居なくなったことを許せなかった。僕は親父を責め、恨み、嫌った。今は違う。小言がウザい親父だが、やはりこいつは僕の親父なんだなと素直に認めることができる。

「よう、親父。早いな」
「シンジか。ここに来るのは三年ぶりか?」
「そうだな、前は途中で逃げちまって・・・その足で仙台戻ったからな」

親父は、少し口元を緩めた。昔はわからなかった。いつも顰め面で、偉そうで、押し付けがましくて、そして傲慢だと思っていた。でも、親父も同じ人間で、表情があるのだと言うことを僕は感じた。


「体のほうはどうだ?」
「ただの酸欠だからな、一晩入院してすっかりだ」
「そうか」

僕と親父は少しの間たわいもない話を続けた。会話が途切れてから、僕は親父に聞いてみた。

「親父さ、母さんと出逢った時ってどんなだったんだ? どんな気持ちになったんだ?」
「ユイ・・・母さんは・・・素晴らしい人だった。出逢った瞬間、私は恋に落ちていた。私は顔がこの通りだからな、いつもただ遠くから見ているだけだったよ・・・」
「よくまぁその不味い顔で母さんモノに出来たなぁ? どんな弱味握ったんだよ」
「・・・貴様と一緒にするなロクでなしが。母さんは私の不器用な所がいいと、そう言ってくれたのだ」
「そうか。辛いよな、親父」
「ああ、辛い。命日は特にな・・・だが、人は前を向かねばならん」
「また説教かよ?」
「馬鹿者、今日ぐらい素直に聞けんのか」
「いいや、いいぜ。別に、聞いてやってもいいって気分なんだ今日は。で、続きは?」
「・・・いや、いい。お前はもうよくわかっているはずだ」
「そうだな。後ろ見てたら転んじまうからな。僕ももう、見ないことにすんよ」
「だが、忘れてはならんこともある」

親父は遠い目をして言った。僕は何も応えずに頷いた。

「僕さ、惚れたかもしんねぇ」
「誰にだ。私にか?」
「親父、冗談はその髭だけにしろよ? んなわけねえだろ」
「ふん、青春と言う奴か」
「僻むなよ、あんたはもう枯れてんだからよ」
「私はまだまだ現役だ」
「はいはい・・・初めてかもしんねぇんだ、本気なのは。そんで、そのことを母さんに話しに来たんだ。」
「・・・そろそろ時間だ。シンジ、たまには司令室にも顔を出せ」
「考えとくよ」




僕は流行の歌を口ずさみながらボーっと上を見ていた。アスカはいない。何やら委員長の顔を立てて遊園地でおデートらしい。非常に面白くない。こんな昼間に、ミサトもいるわけがない。一人、沈黙の空間で歌を口ずさむ。カラッポの墓で母さんに向かって話しかけた内容を、歌いながら反芻する。ああ、間違いなく惚れたっぽい。絶対ありえない、近すぎて女を感じないと思っていたあいつに。泣き顔のブッサイクな面に、九死に一生を得た僕の心は震えた。僕の為に泣く女の髪の毛を、僕は撫でたいと思った。

だから今はとても面白くない気分だ。何であいつが他の男とデートなんぞするのだ。僕は相手の男を頭の中で三十回くらい半殺しにしながら、ただ静かな空間で歌をくちずさむ。

「めちゃくちゃ音痴ねーアンタ」
「僕の神々しい美声にケチをつける馬鹿は誰だ・・・っつうかデートは?」
「つまんないから帰ってきちゃった」

アスカが立っていた。

ぼーっと目をあけて視界に入るもの全部をぼんやり見ていた僕の前に、アスカが割り込んでくる。僕は笑った。楽しくないから帰ってきちゃった、か。そりゃあいい。僕は嬉しくなって笑った。

「何笑ってんのよ?」
「くく・・・いや、こっちのこと。で、この真昼間に二人で暇すんのもどーかね?」
「そーね、せっかくオメカシしてるんだし、どっか行くのもいいわね、アンタの奢りで」
「図々しい奴だな、お前」
「お金持ちなんだからケチケチしないでよ。こっちは命の恩人様よ? 恩を忘れたってーの?」
「いいぜ、奢ってやるよ」

アスカが驚いた顔をする。

「・・・珍しいわねぇ、素直に奢るなんてさ」
「いいんだ。幾らだって奢ってやるよ。何だって買ってやらーお前が満足すんだったらな!」
「・・・??? 何? 何か悪いもの食べた?」
僕は満面の笑顔で立ち上がった。
「いいだよ、今日は。決めたんだ。僕は決めたー!」
「はぁ? 何を?」
「ふふふ・・・ふはははは! 秘密じゃー! がはは」

そして僕は強引にアスカの手をとって上機嫌で歩き出した。