■□自慢のエヴァット□■

その8

「受け止める〜!? アホか貴様冗談は寝顔だけにしとけよこの無能部長が!」

思わず出てしまった素直な感想には、ミサトの右ストレートがかえってきた。僕は鼻血を吹き出して倒れた。アスカが慣れた手つきでティッシュを差し出す。

「ぬぐ・・・で、でもよ、あんなの受け止められるわけねーじゃんよ」

ティッシュを鼻に詰めながら立ち上がった僕に、ミサトは珍しく苦しげな表情で頷いた。

「ええ・・・正気の沙汰じゃないってことはわかってるわ。でも、本部を失ったら次の使徒を倒すことは難しくなる・・・」
「言いたいことはわかるぜ。確かに第二じゃ電源も無いし結局エヴァ動かせやしねえもんな。でもよ、もうちょっとマシな作戦はないのかよ?」

ていうか作戦と呼べるかどうかも微妙だぜ。使徒が落ちてくる場所が逸れたらアウト、エヴァが受け止め切れなくてもアウト、受け止められたとしても、即座に殲滅できなきゃアウト。今までもナイナイ尽くしで戦ってきたが、今回はそれらとは次元が違う。完全に運だよりだ。今日ばかりは僕も大丈夫大丈夫とは言えなかった。

「だから、この作戦には拒否権が認められ」
「僕は降りた。まだ死にたかねえ」
「アタシもヤダ。無理に決まってるもん」

言い切る前に即座に拒否った僕とアスカに、ぐぅ・・・とミサトが唸った。だが、綾波だけは何も言わない。そしていつもどおり、事も無げに言った。

「私がやるわ」
「ハァ? お前脳みそマジで鼻から抜けちまったのか? ほぼ確実に死ぬぜコレは」
「・・・私には代りがいるもの」

はい出た出ました必殺のお言葉。綾波の後ろ頭を僕はパコンと叩いた。綾波は少しよろめいてたたらを踏み、振り向いて僕を恨めしげに見つめる。

「相変わらずアホだな綾波は。お前に代りがいても零号機に代りはねえっつうの。命賭けるにしても勝算がなきゃただの犬死に無駄死にだろが。んなこともわっかんねぇのかボケ!大体なぁ、ミサトもだぜ。ここでエヴァ失ってもおんなじじゃんかよ。頭に何か沸いたか?」

ミサトは苦笑した。そして「そうね、これは私のわがままかもしれない」と悲しそうに言った。別にミサトのわがままに付き合ってやるのは吝かじゃないが、それならもっとマシなことを考えろよ、と僕は思った。

使徒が宇宙から降ってくる。はっきり言ってとんでもなくお馬鹿な状況だ。全く使徒って奴は意味わからない。自爆覚悟でくるその気合は評価できるが、自分が死んだら意味ないだろうに。使徒がなぜそこまでネルフ本部を敵視し、攻めてくるのかさっぱり理解に及ばない。ミサトは黙っていた。他に作戦は考え付かなかったようだった。

「まぁ・・・無理に行けとはいえないわ。今回ばかりはね」
「私が・・・」
「うっせ綾波黙ってろ。ミサト、何でだ?」

僕はまだ諦めてない綾波をもう一回はたいて、ミサトに向き直った。

「何でそんなこだわるんだ?」
「このままじゃ世界が滅亡してしまうから・・・」
「んな大層な理由は聞いてねえよ。あの使徒はドカっと落ちてきて自爆って死ぬんだろ、なら、生きてりゃ次もなんとかならぁ。わざわざコンマの可能性にかけたい理由って何だよ?」
「・・・地下のアダムに使徒が接触すればサードインパクトが起こるわ」
「そいつも知ってる。でも今回に限っちゃ大丈夫だろ? なんせあの使徒は落ちて死ぬんだ。次の奴から守ればいいんじゃん。だから今考えるのは、ここを放棄して次どうするか、じゃねえかよ。違うか?」

アスカが「シンジって実は頭いいね」とか呟いたので、僕は「当然だろ?」って胸を張った。つうか「実は」って何だ、普段馬鹿だと思ってんのかこの野郎。ちょっと腑に落ちないぜ。

ミサトはしばらく黙っていたが、ようやく口をひらいて語りだした。

「私はね、セカンドインパクトで父を亡くしてるの。身勝手で、家庭を顧みないで、仕事だ研究だって言って逃げてばかりの人だった・・・でも、最後に私を助けてくれたの。大丈夫だよって笑ってくれたのよ」

セカンドインパクトは第二使徒が原因だったらしいという話はアスカから聞いたことがあった。僕はボリボリ頭をかいた。

「乗れるものなら、私が初号機に乗って戦いたいわ。でも・・・」
「自分の手で倒したいってことか? 仇に自殺されちゃ立つ瀬がねえ」
「そう言うこと。これが私の戦う理由」

ふん。気にくわねー。僕は吐き捨てた。実際命張って使徒と切った張ったしてんのは僕であり、アスカであり綾波だ。こんなお涙頂戴に乗るなんて真っ平だぜ。でも、ミサトの表情は泣き顔で、僕は少し考え込んでしまう。

「いいぜ、やってやらー」

考え込んだ末に僕は決断した。別にミサトに同情したわけでもなければ自殺願望があるわけでもない。アスカがエー!と不満を漏らしたが、僕の一瞥ですぐに黙る。

「ミサト。正直、気にくわねー。でもよーあんたにゃ世話になってるからな、今回は折れてやるよ。でも綾波と二人じゃちときついからな、アスカ、お前もだ。いいよな?」
「えぇ! 嫌よぅ」
「うっせ、僕がやるつって駄目だったことがあんのか!? あぁ?」
「無い・・・けどぉ」
「じゃあ大丈夫だ、僕に任せとけ。何とかなるなる!」

まだ何か言いたそうにするが、アスカは結局何も言わずに肩を落とした。綾波だけが満足そうに頷く。何か最近、実は綾波も僕と同じくらい好戦的なだけなんじゃないかって疑念を感じる。まぁ、いいけど。ミサトは涙を堪えるような表情で、ありがとう、と呟いた。

「規則じゃ、遺書を書くことになってるけど」
「書くかそんなもん! 縁起でもネェこというな」
「死んだらシンジに責任とってもらうからいい・・・」

馬鹿アスカが意味不明なことを言う。死んだら責任も何もないだろうに。最後に綾波がクールに言った。

「私も必要ありません」
「・・・ごめんね、私にわがままにつき合わせちゃって。でも、どうして?」

ミサトが不思議そうに僕のほうを向いた。

「あー。まぁよ、死にたかねぇし成功しそうもねぇとは思ってんだけどな。ぶっちゃけ僕らは多分エヴァに乗ってんから死にゃしねえと思うんだわ」
「そうね、ATフィールドがあなた達を守るわ」
「ん。だからよ、ミサトの覚悟に乗るぜ。成功すりゃあ、本部丸ごと無事で済むんだ。やる前に諦めちまって、後で後悔したかねえ。アンタの復讐なんてどうでもいいし勝手に死ぬまでやってろって感じだけどよ、まぁ、考えてみりゃ悪くねぇ賭けだと思ってな」

今から逃げても、失敗しても、大差ない気がする。なら、やってみても損は無いというのが僕の考えだった。ミサトは、ポロリと涙を一筋こぼした。

「死ぬまでやってろ・・・か。手厳しいわね。でも、今はありがたいわ」





「使徒、降下を開始しました! 距離、36000!」
「みんな、距離7000まではMAGIが誘導するわ。後は目視で走って」
「あいよ! いくぞオラー!」

僕らはMAGIの誘導に従って真っ直ぐに走った。電線を飛び越え、家屋を踏み潰し、風圧でビルの窓ガラスをばりばり割りながら全力疾走。エヴァで走っているだけだから本当は息なんか切れないはずなのに、なぜか息苦しい。

「距離15000! 使徒、降下軌道を変更! ナビゲーション調整します!」

ぬお! 僕は急ブレーキをかけて反転し、またナビゲーションに従って走り出した。ええい、さっさと落ちてきやがれ! イライラしてくる。オペレーターが距離10000を切ったことを告知した。最初の緊張感はもう薄れ、今はただテンションが上がりきった興奮状態、ランナーズハイな状態でひたすら走る。ナビゲーションが終わる。雲の境目にオレンジと赤の趣味の悪い目玉が落ちてくるのが見えた。まだ距離がある。もっと、もっと早くだ!

気がつくと、隣に弐号機が走っているのが見えた。その向こうに零号機の姿も。結局三人とも集まってしまった。これなら、三機同時に受け止められる。勝機が出てきた。僕らは一気にテンションを上げて前傾姿勢をとり、邪魔するものすべてを吹き飛ばしながら走り抜けた! いつしか市街を抜け、緑の平野を走りぬけ、海が見えてくる。ハコネの端から端まで走り続けたのか。使徒はまだ遠い。不味い、このペースじゃ追いつけない。僕の焦りを感じ取ったのか、弐号機と零号機がさらに速度を上げようと高く高く足を上げた。

「ぷあッ ・・・あれ?」

いつの間にか海まで到達し、エヴァ三機はばしゃーんと派手に海に突っ込んでいた。使徒はまだまだ遠い。って、どういうこったこれは?

「ミサト、使徒、どうなってんだ?」
「えーっと・・・狙い外して海に落ちてったわ・・・」
「海ってお前、俺らの全力疾走は・・・ぬおあっ」

ついで巨大な波がエヴァ三機を浜まで押し流す。海面に炸裂した使徒の自重を使った特攻爆弾は高さ百メートル近い津波を起こし・・・まぁ、沿岸はそれなりに被害受けたろうけど、この辺ってダレも住んでねえし・・・

「オイオイ・・・前回といい今回といい・・・使徒って段々頭悪くなってきてねえ? あんなのが仇なんかよ、大変だなミサト」
「言わないで・・・」

ミサトはモニタごしに涙を流していた。だが、綾波の鋭い警告の声に、僕は反射的に使徒が炸裂したと思われる外洋の方向を見た。そこには、宇宙から落ちてきた時と何ら代らぬ姿で、その巨大な目玉を露わにした使徒が浮かんでいるのが見えた。左右の突起が多少減っていたし、最初に見た時の半分ほどの大きさまで縮んでいたが、それでも十分巨大な威容で、使徒はゆっくり浮上を始める。

「あのやろ、水に落ちたせいで生き残りやがったか!」
「シンジ! また空に上がろうとしてる!」
「にがさねぇぞ! もっかい走るなんてごめんだ! アスカ、打ち落とせ!」

今僕はエヴァットを持っていないし、綾波も徒手空拳だ。最もATフィールドが強力で、しかもそれを遠距離兵器にできるのはアスカだけだ。しかし、それでも距離が遠すぎる。僕はアスカの弐号機を担ぎ上げた。

「ちょっとぉ、シンジ何すんのよ!」
「アスカ、おめーは風になるんだ。綾波ちょい手伝ってくんね?」
「風って・・・意味わかんな・・・」
「綾波は右足な。うっし、アスカ歯ぁ食いしばれぇ!」
「ま・・・まさか・・・ちょ、シンジ、やめ・・・」
「おんどりゃあああああああ!」

僕の初号機と綾波の零号機に思いっきり投げられた弐号機は素晴らしい速度で空を飛び、風になった。 アスカの泣き叫ぶ声が聞こえる。だが、アスカは泣きながらもATフィールドを放射し、上昇しつつあった使徒のど真ん中、コアの付近を切り裂く。そのまま弐号機と激突し、使徒は再び海に落下して大きな水柱を立てた。

僕と綾波は使徒にとどめを刺すためにクロールで海をばっさばっさ泳ぎ、使徒と格闘しているアスカに合流する。内部電源は残り少ない。だが、三体でタコ殴りにされ、三本のプログナイフで寸断された使徒は徐々にその動きを鈍くしてゆき、やがて、泣きながらナイフを振り回すアスカの一撃をコアに受けて沈んでいった。魚に食われてろ、ボケが!

海底をえっちらおっちら歩いている最中に、エヴァの電源が切れた。津波でもなければ重いエヴァの体が波に流されるはずもなく・・・僕らは海底に立ち往生する羽目になってしまった。

二時間後にネルフのダイバーに救助された僕らは半泣きのミサトに一人づつ抱きしめられ、よくやったって誉められた。それから、携帯にかかってきた電話で親父が街を壊しすぎだって小言を始めたが、最後にはよくやってくれたって僕を認めたので、気分は悪くない。その後、ミサトと、僕とアスカと綾波、それにリツコで海水浴を楽しみ、充電が済んだエヴァに乗って第三新東京市に引き上げることになった。

「シンジくん・・・」
「んー? ミサトどったの?」

帰りのバスの中でミサトが僕にそっと耳打ちした。

「今回は・・・ほんとにありがとう・・・」

僕は返事をせずにバスのリクライニングシートをばたっと倒して狸寝入りした。人に本気で感謝されるのには、僕はあまり慣れてなかったのだ。