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高部知子にも最期まで愛情注いだ、三木たかしさん

高須基仁 人たらしの極意

 今月11日に下咽頭がんで死去した作曲家、三木たかしさんの葬儀・告別式が20日行われた。三木さんは64歳の若さだった。

 私は故郷・静岡のSBSラジオで、毎週日曜の昼下がりの「ラジオデイズ」という番組で約45分間の「高須基仁のマル秘芸能通信簿」というコーナーを持っている。

 17日は、同年輩のメーンパーソナリティー、國本良博アナウンサーとともに、三木さんの作った2000曲あまりの中から「禁じられた恋」(森山良子)、「夕月」(黛ジュン)、そして「もしも明日が…。」(わらべ)の3曲を選んで流し、偉業を偲んだ。

 とりわけ、私はもともと3人組だった、わらべからメンバーの1人、高部知子が外れた「元祖未成年タレント喫煙事件」のいきさつを話し、高部の近況も伝えた。

 わらべで人気絶頂だった1983年、高部はベッドでタバコを吸う写真が元恋人から流出し、「ニャンニャン写真」と写真誌に報じられ、タレント生命が絶たれた。まだ10代半ばだった。

【高部のエッセー集のタイトル、ひそかに提供】

 その元恋人と結婚し、2人の娘を出産したが、離婚。三十路を過ぎたころの99年、性器にピアスをつけて豊胸手術を施し、奇妙奇天烈なヘアヌード写真集「オブジェ・ダ・ムール」(モッツ出版)を私のプロデュースで出版し、大きな話題となった。

 が、2人の娘はいずれも心臓にハンディがあり、同じく私のプロデュースで、その一部始終を記したエッセー集「生きてるだけでめっけもん」(愛育社刊)では、母として女としての悪戦苦闘の生活を明かした。

 前代未聞の性器ピアス写真集とは違い、この本は静かに書店の店頭に並んだが、空前絶後のシングルマザー・ストーリーとして質の高い作品だった。

 本の題名について、高部は私に「三木さんがひそかに私のために考えてくれたのよ」と教えてくれた。

 3人で歌ってこそ、わらべはわらべだった。三木さんの生涯の中で最大のヒット曲「もしも明日が…。」は、わらべの3人がそろって初めて成立する曲だった。三木さんの高部に対する思いが伝わった。

 イラストレーターの安西水丸に声をかけ、本の表紙のデザインを頼んでくれたのも三木さんだった。三木さん、安西、私と、世の酸いも辛いも理解した男3人が加担したこの本は、高部の世評に対するリベンジでもあったし、心の素直な吐露でもあった。

 加護亜依が2度にわたる「未成年喫煙事件」を起こした際、私は奈良にいる加護の母を訪ねたことがある。

 加護の母は「高部知子さんのエッセー集をプロデュースしたのは高須さんだったんですか」と私に聞いた。私は、すでに絶版になっているエッセー集を彼女に贈った。

 高部は、写真集で得た高額なギャラを元手に有名大学の通信教育学部に入学し、5年かけて卒業。今は静かに普通の生活をしている。

 三木さんは最期まで、高部の行く末を心配していた。(出版プロデューサー)

ZAKZAK 2009/05/21

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