自閉症カンファレンス2002-2  12/21/03
 
 
自閉症カンファレンスで私は妻の話を書いた。
私が書いたのだから、私の物だと拡大解釈してここに全文を載せる。
 
 
彼女が会社を止(や)めるとき
 
山岸 徹(アスペルガー症候群の夫)      産業用設備機械、装置設計開発 自営 45才(当時)
 
私達は奇跡的な確率で巡り会った、共にアスペルガー症候群の夫婦だ。
(受診時に受けたWAIS-Rでは、妻がiq129私がiq115)
 
自分達の事なので日頃から自閉症について考えている。
最近最も気に入っているのが、自閉症が第一義にあり、それぞれに合併症があるという考え方だ。
 
この考え方によると、私は自閉症と鬱病の合併、妻は自閉症と脅迫性障害の合併である。
 
知能の遅れのみある場合には、遅れた知能を補填する手法をマスターすれば良い。
しかし、自閉症であれば通常の知能の補填手法だけではなく、さらにコミニュケーションの
質についても補填する手法を身に付けなければならない。
 
この二つのハードルを越えなければ就業は難しいし、実際私達の最重要課題も就業(収入)である。
 
当時私達は自覚も無く、ごく普通の社会人として就業し続け、年間最高130万もの税金を
国や自治体に払い続けた挙げ句、会社員としては2人共破綻した。
 
 
 
彼女は東京YMCA英語学校英語科を卒業後ステップアップを目指し2社を転職、3社目で
私と知り合い結婚した。
私と彼女とが会社のグチを言い合うと、大体
「結局あいつら価値観が違うんだよ。ホント変わってるよなあ」という話に落ち着く。 
 
実はその価値観が今迄で一番私と近かったのが彼女だった。
 
会社は仕事をする場であり、実質給与の3倍の貢献が無ければ会社としてはペイしない、というのが
私達共通の認識であり、その通り一生懸命働いた。
 
結婚式の前日も、お互い別々のフロアで午後11まで残業、他に残業している人など居なかった。
 
結婚後は夫婦何れかが退社すべきという雰囲気の中にあり、彼女は転職。
さらにもう一度転職して十年後、定年退職まで働きたいと希望していた彼女は、突然
会社員であり続ける事を止(や)めたのだ。
 
 
そこは15人程の電子部品輸出商社。
主力商品の液晶パネルは当時日本オリジナルの技術で、日本からの出荷がほとんど。
 
仕事は忙しく帰宅するのは毎日夜11時、毎週土日は泥のように眠り続けた。
会社が新橋から蒲田に移転したときも、彼女の通勤時間短縮の為に転居もした。
 
彼女の勤務ぶりは真面目そのものだ。遅刻欠勤は皆無、有給休暇も体調を崩したときに使うだけ。
取り扱う商品は少量他品種。毎回毎回受注生産で、商品手配等二度と同じ作業が無いため、
臨機応変に対応しなければならない。
 
今になれば最も苦手な作業と分かるが、当時は必死にこなす毎日。
このようにくそ真面目なおかげで、入社1年でアシスタントマネージャーに昇進した。
 
風向きが変わり始めたのはこの頃からだ。「新人は山岸にまかせろ」と新人を数ヶ月毎にあてがわれ、おかげで自分の仕事をしながら、貿易の経験のない素人に教える毎日。仏の山岸と呼ばれた。
 
自分の事も順序立て説明出来ないのに、まして人に筋道立てて教えるなど至難の業。
ただでさえ残業が多いのに、アシスタントがつきさらに残業が増えた。
 
それも慣れれば楽になると、ようやく仕事のイロハを教え独り立ちしたところで今度は組織改編、
他部門に横取りされる。
あるいは退職。「経験不問」で新規入社を募り、アシスタントはまた新人。
 
砂に水を撒くような仕事が5年程続き自前の教育マニュアルだけが充実した。
 
信用金庫を辞めて来た子が配属になった。おとなしく、仕事ぶりに真面目さが出ていた。ところが
突然欠勤をし辞めると言い出した。強引に呼び出し脅し半分で聞き出すと、苛められていると言う。
 
辞める、辞めないに関わらず苛めがあるような職場は許せない
 
詳細を聞き出し、社長に現状を包み隠さず報告、個人名は口止めすることを念押しした上で
職場への配慮を促した。
 
ところが、社長は約束を破り苛めの首謀者の氏名を発表。本人に問い質すが認める訳が無い。
結局社内に苛めなど無く、新人の妄想ということになり、苛められた方は欠勤のまま退社した。
 
小さいが自由。自由だが仕事はする、という社風から、社員が30人程に膨張し、自由でだらしなく、
要領の良い人間だけが得をする社風となりつつあることを示す出来事になった。
 
今思えばちょうどバブルの真ん中で、社員も得体の知れない履歴の人間が集まっていた。
 
コピー用紙ひとつとっても、彼女が使おうとすると故障か用紙切れだ。毎回用紙の補充、コピー屋への連絡をしているうちに、やっとカラクリに気がついた。他の人間は知っていても放置しておくのだ。
 
業を煮やし、文房具は最後の1個になった時点で、それに気がついた人が発注すると決めた。
しかし、誰ひとり守らず結局文房具は彼女が頼むのだ。彼女が文房具屋に連絡をしていると、
あれもこれもと他の文房具の依頼が来る。
 
「私は総務じゃない。総務の人に頼んでくれ」
何度言っても、心が狭いだの面倒がるだの言われるばかりで、結局仕事が増えるのだ。
 
「異例の抜擢でアシスタントマネージャーになった」
その頃にこんな噂が飛び交っていたことも後から知った。彼女が入社当時は未だ人員も少なく、
アシスタントマネージャーの該当者と言えば彼女しか居なかったのだ。
 
とはいえ、何故そんな話がまことしやかに話され、それを否定もされないとはどういうことだろう。
 
今度は、海外出張の話が来た。これこそ超異例。しかし内容は、韓国の商社が支払わない
未収金1000万円を何が何でも取り立てて来いと言うのだ。
 
本来なら、当時の担当者。或いはエリアの統括部長。或いは経理の責任者。或いは凄味の効く人間。
まともに回収を考える商社ならば考える担当すべき人物は除かれ彼女に回ってきた。
 
結局これもやむを得ず行ったが、男尊女卑が強い韓国で回収など出来る訳無いし、事実無理だった。
それについて社内でどんな評価を下されたかも分からない。
 
次は経理でもないのに、過去6年にさかのぼり、不明金3000万円の追跡を命ぜられた。
この時は本当に困り果て、見かねて私が様子を聞くと、家に資料を持ってくるので見てくれと言う。
 
結局、各伝票の性格を2人で分析、私はフローチャートの考え方作り方を容赦なく教え、
彼女は泣きながら各伝票間の関係をフローチャート化し、数字上の矛盾を無くすような事前準備を
1ヶ月以上かけて作り上げた。
 
フローを元に追跡すること3年、ついに最後の1円迄追跡しきった
(しかし、このくらいはやって当然と言われた)
 
香港で開かれたボードミーティングに於いて、英国本社から日本支社の財務を含めた内容について
つるし上げられていると社長からSOSが入った。
これについての意見を問われ、不明金の追跡データを始め、過去にストアしたデータより、
即日日本に責任無しとの反論レポートを提出したところ、
英国、米国、アジア諸国は沈黙。日本一社の悪玉説は消えたようだ。
 
この時は、少しは感謝されたようだが、話はこれで済まなかった。
 
後日、レポートの精度を認めた英国から、別の資料の問い合わせが彼女に直接来た。
 
解析した資料は、日本側の怠慢を表したものだったが、グループ会社と言うことで、
正直に英国本社に報告した。会社員としての務めだ。(日本支社長は言わずもがなだと激怒した
 
 
慣れたと思うとまた担当の変更だ。彼女の担当は、だらしない伝票処理の為にどうにもならなくなった
所の火消し役ばかり。今回も同様だ。
 
仕事もようやく簡素化、効率化出来てきたのに、未だ火消し役が必要になる。
そこで、そのトラブルの原因を探る事にした。
 
受注、メーカー発注、納期確認、入庫確認、出荷など受発注に関する基本的な作業に於いて
各担当者が同じデーターベース上で、品物の進行状況を把握出来れば良いのだ。  
 
いちいち相手をよびつけて、大きな声で騒がずとも、受け渡し書類を見れば一目瞭然。
他人に煩わされることもなく作業は流れて行く。
 
全員が情報を知ることによって、各セクションでダブルチェックが行われる。
 
しかし、事実は奇なり
ミーティングで何度決まっても、守らない人間が居る。確認を怠ったり、手順を省いたり。
ひどい場合には、オーダーフォームのチェックボックスを消して新たなフォームを作る人間まで居る。
 
その主張は「そこまでやる必要は無い」「会議では決まったけどやらなくて良いと担当外の男の上司が言った」等である。しかし現実は、そのおかげで毎週トラブルを抱えては皆を巻き込み大騒ぎだ。
 
失望していた頃、追い打ちを掛けられた。 「指名解雇」である。
 
英国本社からの指示と言うが、そのリストを作ったのは日本支社だ。僅か30人ばかりの社内に
不倫カップルが、二組、三組。それ以外にも付いた離れた、使い込みも居る中での彼女を御指名。
 
もう一人はセクハラ英国人を嫌っていた同僚。倫理よりもそれ以外の何か「?」が重要なようだ。
むろん、辞めるのに無抵抗では無かったが、結局は退社した。
 
ここまで来れば、この会社で起きていた事が解るだろう。
 
彼女は「会社」という組織に失望し、会社員であることを止(や)めた。
会社は学校の延長のようなもので、仕事をし、その報酬を得るところでは無かったのだ。
 
 
しばらく抜け殻になりただ時間を過ごしていたが、やがて「人」に疑問を感じ、「人」を研究し、
私達を取り巻く謎を解く鍵を探し始めた。      その結果は出た。
 
彼らではない。実は私達が変わっていたのだ。(アスペルガー症候群) 
 
彼女の唯ならぬ探求心が私達に適切な主治医をもたらし、私には抗うつ剤、彼女には抗不安剤が
適切な量処方された。
(自閉症は脳機能薬の感受性が正常な人と異なる。投薬量がとても重要)
 
私達は人生で最も安定した時期を迎えた。収入は生活を維持するより少ない。
でもなんとかなるだろう。
 
 
                               そして今、此処に居る。
 
最後に彼女にこの文章を見せたら「こんなに酷かったっけ」本当に酷かった。もっとかもしれない。
自分の状況は見えないのだ。だから私は自分の事ではなく彼女の事を書くのです。
 
 
                (以下 質疑応答は 山岸美代子 山岸徹 両人にて)
 
 
 
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