自閉症カンファレンス2002-3 12/21/03
私が口頭で発表した話を載せます。何かの参考になれば。(一部追加修正有り)
はじめまして
本来なら抄録にある内容を発表するのが本当なのでしょうが、
今日は別な話をしたいと思います。
何故かというと
何らかの要因で突発的に発生した自閉症は別ですが、
私達のように、一子相伝 自閉症の宗家ともなると、家族、親類縁者、変なのばっかりです。
特に私の父は、50才でアルツハイマー病の予兆を示し62才で死にました。
私もそろそろ、父の様子が変わってきた年齢に近くなりましたし、実際自覚症状も出てきました。
今、言いたいことを言っておかないと、後悔しますからね。
まあこれから口に任せて話しますので、
その中に、皆さんのヒントになるような所があったら、是非利用して下さい。
抄録にある話は大人になってからの具体的なエピソードとして書き起こしましたので
後でじっくり読んで見て下さい。
他にも、
40年かかってやっと落ち着いで作業が出来る環境になったが、これはTEECHだった。とか、
情報を脳の内部でどの様に処理され、うまく実行されないのか、その実行までのようす。とか、
漢字圏における読字障害と、英語圏における読字障害の発生の違いと、
読字障害に陥る課程の具体例。とか、パニックの具体例とその構造。とか、
自閉症に多い斜視や、視力障害についての考察。とか、
自閉症に関する症例を網羅した実例を準備してきましたので、どこまで話せるか。
さて
私が初めて「自閉症」を知ったのは、今から34年前。あるテレビ放送を見たときです。
姉2人と母親と見てたんですが、「この子、トール君みたい」「ほんとトールそっくり」
「トール君自閉症なんじゃないの」と さんざんからかわれました。
このころすでに、「山岸家のかす犬」と命名されていましたから、
我が家での私のポジションが分かると思います。
とにかく、この自閉症ネタはしばらく続いていました。
しかし私は、
「この子は重い自閉症だけど、重い自閉症が居るなら、軽い自閉症が居るに違いない」と固く信じ、
私も彼の仲間だと考えていました。
彼女と知り合った頃には、
自分でもびっくりするような失敗談を楽しげに話す彼女の事を、本人に面と向かって
「きっと軽い自閉症だと思うよ」と言ってましたが、言われた本人は、
「何をバカなこと言ってるんだろう」ぐらいで、深く気にも止めていなかったようです。
しかし記憶力は抜群なので、何処かにその言葉が引っかかってたんでしょう。
ドナの初版本も、全く自閉症とは無関係に買って本棚にありました。
本人曰く「ただ何となく買った」そうです。
この本は、彼女が会社を解雇されたとき、私が鬱に陥ったとき、
人間の謎、自分達の謎を解き明かそうとしたときに、
「ああそうだ。こんな本があったんだ」と引っぱり出し、その後の不思議な手がかりを
与えてくれた本になりました。
とにかく、謎の病気 自閉症も 34年前から考えるとずいぶん進歩したようで、
特にこの「マインドブラインドネス」(青土社)は、人工知能のロジックを取り入れていますから
非常に明確で、時間がたっても決して色あせることは無いでしょうね。
この「アヴェロンの野生児」(福村出版)も歴史の中で消えなかった貴重な本でこれと一緒でしょうね。
ホント世の中には偉い人が居ますよね。
日本の本でも、「高機能自閉症・アスペルガー症候群入門」(中央法規)のように、
具体的な事例に基づいて書かれた本が出てきたのでいいですね。
マインドブラインドネスの中でも、自閉症はsamの欠陥によるという部分は、
まさしく私達の行動のすべてに裏付けになるし、
本の中ではその発生の順番から イド sam tomm と説明してますが、
私からすれば、samの欠陥こそがすべてで、 イド tomm edd などは
samの欠陥によるものと考えたほうがすべて納得できます。
自閉症の関係者が、すべてこのsamの概念について深く理解していたなら、
自閉症の世界に、ガセネタなど入り込む余地など無いと思いますが、現実は違います。
34年前のように、自閉症というものが知られていなければ、ガセネタも少ないでしょうが、
今、多くの人に自閉症が知られている分、ガセネタが氾濫しています。
このガセネタについては、当初触れないつもりでしたが、 8月20日(2002)、
インターネットで自閉症について調べた挙げ句、子供を殺すという
目に見える事件が起きたのでこの問題に触れることにしました。
私は、無責任に垂れ流され続けるガセネタは自閉症の子供、さらには私の権利をも
犯していると考えています。
何故なら、でたらめな自称自閉症あるいは、自称高機能自閉症、さらには
自称アスペルガー症候群の人たちが、奇妙きてれつな症例や、事例を作りあげているからです。
特にインターネット上はひどいもので。 絶対子供達を近づけないで下さい。
今の私でも発狂するくらいですから。
もし私がもっと若く、自分がきちんと診断を受けていて、
今のインターネットの書き込みを読んだら、発狂して事件を起こすか、
ネットサーバーに爆弾送りつけるか、とにかく狂うのは間違いないでしょうね。
本当にその実体はひどいものですね。
まあ、ここで私がどんなに話したところで、だれも説得出来ないことは良く解っています。
なぜかと言うと、実際、会社などで濡れ衣を着せられたとき、どんなに私が真実を語ったとしても、
まことしやかな嘘を平気でつく 「普通人」 の「此処だけの話」のほうが みんなは納得して
受け入れるし、その後真実が分かって私が正しかったとしても、
「まあ、あの人は変わっているから」って、慰められるのは、「嘘をついた方」だからね。
世の中って言うのはそんなもんです。
インターネットでも世の中と全く同じで、ガセネタについて注意を促しても、
ネット上ではガセネタの方が大事なんだよね。なんでだかは知らないけど。
そこで、事実を一つ例を挙げて述べたとしても、それ以外の嘘が無数に並べられる。
いくら私が日々馬鹿馬鹿しい失敗をしているからと言って、事例が無限にあるわけじゃあ無い。
ところが、嘘は無限に作り出せる。
と、ここで冷静に考えれば、勝ち目は無いのが明白なんですね。
実際、あるサイトに「きつね」というまともな人が出てきたりしたけど、
案の定集中砲火を浴びた挙げ句、発狂して消えちゃった。
今どうしてるやら。可哀想にねえ。
今ここで、どのサイトはまともで、何処が嘘だなんて選別はできませんから、医者はともかく
療育関係者や、自閉症の子供を持つ親たちは、まともに取り合わないで下さい。
そして、子供達を絶対近づけないで下さい。
インターネットは、電話番号と、地図を調べるためにあるぐらいに割り切って、
情報は、まともな主治医から得て下さい。
いずれにしても、インターネットの自閉症関連サイトは
今ひどい状態にあることは間違いありません。
特に、私達本当の患者の権利が侵されていると思われるサイトについては、
私たち大人がその主張をしなければいけないし、そうしようと思っています。
いずれにしても、ネット上には、自称自閉症、自称高機能自閉症、自称アスペルガー症候群が、
山ほど存在していて、ではその実体をつかもうとすると、消えて居なくなる。
はたして、ネット上で、「自称」が取れる人間が何人いるのか。
今回の会議でも、実際に自閉症に関わる人たちが1000人参加しているわけです。
これらの人たちは、自閉症を深く知っているわけですから、ガセネタには乗らないでしょう。
しかし、ちょっと興味がある程度の人にしてみれば、真面目に取り組んでいる人の情報よりも、
おもしろ半分のガセネタのほうが、遙かに面白く、その分、す早く、多くの人に伝わります。
これは、自閉症に限ったことではなく、技術の分野の話でも、芸能の話でも、
どこでもある話です。
だからこそガセネタは放置しておけないのです。
例えば、ある教育大学のその道の権威のえらーい先生が、
「きょうはお子さまランチにしようかしら」と3歳児が言ったので
アスペルガー症候群だと診断した有名な話があります。
お子さまランチでなるんだったら、「あなた、今日の晩ご飯は何にしますか」とか、
「やーね。赤ちゃんはすぐミルクこぼすんだから」なんて言いながら
ままごと遊びをしている子供たちはみんなアスペルガー症候群になっちゃいますね。
ごっこ遊びが出来ないのが自閉症のはずが、
ごっこ遊びをしながら、大人びた言葉遣いをする特殊なアスペルガー症候群が
イナゴのように大挙大発生して、小児精神科は大繁盛です。
大人びた言葉遣いとは、こういうことだと思いますけど、どうでしょう。
「とーる。ちょっと。お隣行ってこの辺の子どこの小学校行ってるか聞いてきてちょうだい」
「えー。なんて言うのー」
「ご近所に小学校に行ってるお子さんいませんか、って言えばいいのよ。」
「はーい」
「ごめん下さい。今度隣に引っ越してきた山岸と言いますが、このご近所に
小学校に行ってるお子さんいませんか。」
これを言ってるのが、身長1m4センチ 発育の悪い小学1年生のガキで、私のことです。
どう思いますか。
ここに1000人が集まっている一方で、
「お子さまランチにしようかしら」というのが代表的な大人びた言葉の使い方です。
なーんて教育を受けた教師が、毎年毎年400人か或いは1000人か大量に卒業し、
全国に散らばりそれをまた無知な同僚に吹聴するんですから、暗澹とした気持ちになります。
この「お子さまランチ」の人は、自分がアスペルガー症候群と診察、
これが、診断じゃあなくて診察と言い換えて居るところが頭がいいところなんだけど、
まあとにかく、その診察を受けてから、
身体をゆらゆら動かすと落ち着くようになったと言ってますが、
私の場合は全く違います。
わたしは、あるメーカーで、医療用の重心動揺計を開発しました。
自分で作っているわけですから、その度に自分で台に乗って、XYレコーダーに
データを書き出します。
ようやくプロトモデルが出来上がり、ある営業マンを連れてきて台に乗せました。
そしたら、私の重心の揺れの10分の1ぐらいの揺れなのです。
びっくりして、片っ端から人を連れてきて乗せても、やっぱり重心の動揺はちょっぴりです。
その時は、頭がぐらんぐらんしました。ああ、なんだ。やっぱり俺が異常者なんだ。
道理で体育館で並んでも、いつもいつも「こらっ!そこ!ぐらぐら揺れるな!」
どこの学校に行っても怒られるわけです。
これは努力でどうしようも出来ないんだね。揺らしたくて揺らしてるわけでは無いんですよ。
揺れちゃうんですよ。ゆらゆら身体を動かすと落ち着くなんてガセだと私は思いますよ。
と、まあこんな事が言えるのも、NHKの 海老沢 真 大プロデューサーが、
すんばらしい番組を撮っておいてくれたおかげで、海老沢さんが作った番組は、
私の秘蔵ライブラリーとして、じっくり、ゆっくり、何度も見させてもらっています。
このビデオも、きっと後世に残りますよ。別の意味で。関係者必見です。
(注:これは森口奈緒美のレポートの事ではありません。
NHKではライブラリーからは該当VTRを削除し無い事になっています。)
もう一つ、インターネットや、出版物、或いは障害者関連の催し物などで気になることを言います。
それは、必要以上、異常とも思われるほどの障害者の絶賛です。
医者、心理士、だけではなく残念ながら、親までもそのような表現を取ることです。
自閉症のすばらしい世界。ゴヤをも超越した障害者の芸術性。恐るべき天才の障害者。
障害者の悲しい心。障害者の苦しみ。
これは、それらの表現をするその人自身の偏見や負い目を、取りあえず隠そうとする、
言ってみれば 逆差別 或いは 逆差別表現 と私は考えています。
なぜなら、その子が普通の子ならそんな表現を使わないでしょう?
まともな一己の人間と考えていれば、ダメなものはダメ。才能が無ければナシ。
そう言う評価になるはずが、そういう風に子供達を見ることが出来ない。
スティービーワンダーを盲目のヒット歌手と言いますか?
レイチャールズを盲目なのに障害を乗り越えたすばらしいアーティストと毎回言いますか?
スティービーワンダーは、スティービーワンダー。レイチャールズはレイチャールズ。
BBキングや、サッチモ。ビリージョエルや、ウイリーネルソンと同じでしょう?
そうやって、同じ土俵で人間を見ることが出来ない、
そんな表現しか出来ない人を私は本当に悲しい人だなあと思うのと同時に、
一己の人間として平等に観察していないのだから、偏見と哀れみだらけで、
まともな観察データは作れないと考えています。
そんなに、自閉症の世界がすばらしいなら、ロボトミー手術を受けて、
疑似自閉症になったらいいんですよ。
高い鼻がすばらしいと言う人は、鼻を高く整形するでしょう?
実験が成功すれば、脳のどこの部位の欠損で自閉症になるのか。
普通人と自閉症の両方を経験したことで、どんな違いがあるのか凄いレポートが書けるじゃないですか
でも実際にはしないでしょう。本当はすばらしいなんて思ってないから。
まあ、それでも末期ガンがきれいに治ったと言う本を出版する医学博士も居るわけですから、
時間が解決してくれる問題なのでしょうか。
話ついでに、ホーキング青山の「笑え五体不満足」を読んでみて下さい。面白い本ですよ。
ホーキング青山は四肢欠損ですが、
考えてみれば、私達にしても、ホーキング青山にしても、生まれつきなのですから、
もし、自分がまともだったらどんな感じなのか、なんて分からないのです。
カナー型の自閉症の子供にしたって同じです。
頭に来て机をバンバン叩いたり、大きな声で泣いたりすることはあっても、
彼らが、不幸せとは限らないでしょう?始めから可哀想と決めつけないで下さい。
「私は、学校行くだけでも、みんなに比べつらいけど頑張ってます」なんて話はガセです。
だって、みんなが楽で自分だけつらいなんて分かんないんだもん。
こんなにつらいのに、みんなよく楽しそうにしてるな。おべっかうまいなあ。
くらいは、思ってるかもしれないけどね。
強いて言えば、自閉症は手間が掛かるから、周りの親兄弟が物理的に大変ですね。
その親の負担を軽くし、気持ちの余裕を持つことができるのは、
療育関係者抜きには考えられませんね。
療育関係の皆さんが、「このクソガキ!」と思ったときは、一歩退き、
親の物理的補助をしていると考えてみて下さい。
「クソガキ」はクソガキなりに考えていますから、30年後に突然先生の言ってたことが
分かったりするんです。
実は、私達も今になって、幼稚園の先生が言っていた意味を今になって考えたり、
小学校で言われた意味が分かることがあるんです。まあ、ながーい目でのんびりやって下さい。
話は変わり、私達2人の内部というか思考について具体的に話したいと思います。
今ここで、私達と言いましたが、同じ障害を診断された2人でも、
samの欠陥という本質は同じだとしても、出てくる現象や、感じ方、などは
自閉症スペクトラムのあっちのはしとこっちのはしです。
お互い、お互いの表面に出たエピソードを観察、分析しながら、
「ああ、この人は本当に障害が重いなあ」と考え、実際に口にも出します。
その時は、お互いに「ああ、そう」と返事をしながら、「やっぱり重いなあ」と思っています。
だから、どっちが重い論争は、絶対決着しないし、無意味な論争でもあることを示しています。
この私達でも、簡単に一致する所を見つけることは大変難しい作業です。
にもかかわらず、安易に「私達自閉者は・・」とか、「私達の心は・・」とか、「私達の気持ちは・・」
なんて、ヒトくくりするのは、人の気持ちを手に取るほど読みとることの出来る、
一般的に「自閉症ではない」と言われる人による、ガセネタだと考えたほうが良いでしょう。
商売の為なら何でも出来る人って居るんですよね。
身体は大きくなっても内部というか、本質は子供のときのまんまです。
逆に言えば、今のまんま子供だったので、いくら身体が小さくともこの内容です。
だから子供の時に大人びた言葉遣いをしたというよりも、
やっと見かけのほうが言葉遣いに追いついてきたと言う感じですね。
生活する上の発見も、小学校4年ぐらいまでは発見が多く、いろいろ憶えたなあ
って感じですが、その後は知識が増えただけで、人間的に成長したなんて言う感じは
全くありません。
だから、よく中学生ぐらいの子供が「もっと人間的に成長したいと思います」
なーんて言うのを聞くと、「アホか。内面が成長なんかするか。俺なんか未だに小学4年だ」と
心の中で毒づくのです。
以前上司に「私は、小学校4年の時と頭の中は同じで、ずーっと繋がってて、
昨日が小学校4年生って感じでいるんですよ」って言ったら
真から軽蔑のまなざしで見つめられました。
まあ、要するにバカなんですね。
バカと言えばサバンの事をりこうバカって言いますね。
これもうわさ話の代表的な話ですが、nasaに行けばアスペルガー症候群がごろごろ居るって話。
nasaの草創期の四五十年前の話ならいざ知らず、私はこの話も眉唾と考えています。
なぜなら、私も機械の納品で日本のnasa つまり、筑波にあるnasudaに何度か通いましたが、
そこにいる人たちは、本当の正真正銘のお利口さんしか居ませんでしたね。
糸川先生は別ですよ。あの人は本物の天才ですから。
皆発育良く、ヒステリーを起こすような素振りもなく、学生時代はさぞや教師に好かれただろうと
言う人たちだけでした。まあ、そこにバカの私が入るわけですから、
合わせて、利口バカと言うことになりますが、
噂話とはそのように裏付けの無い、つまりガセネタと考えたほうが良いでしょうね。
サバンと言えば、森口奈緒美の最近出た平行線と言う本のあとがきにありましたが、
森口の周りには、いろんなサバンが集まっているそうで、そのサバン同志を紹介し、
それから何やらすばらしい仕事を達成しているそうです。
やっぱり、目の寄るところ珠の寄るで、私などはこの人生でサバンなるものなど
一度として会ったことも見たこともなくて、良くてただのお利口か、ただのバカだけですね。
さすが高機能自閉症の世界はすんごいものがあるんでしょうかね。
まあ、きっと日本の天才がほとんどそこに集まってるんでしょうね。
私は聞いたことありませんけど。
おばかな話はこれぐらいにして、
私は子供の頃の記憶が異常に鮮明で、他の人もそうだと思ってました。
しかし、私の姉を含め誰も幼児の頃の記憶が非常に薄いんですよね。
その記憶を言うと親を始め「口から出任せ言ってる」って決めつけるので、
やたらめったらには言いませんけど。
私は、小中高と全国8校を転校してまして、異なる同年齢の子供2000人と
机を並べた勘定になるんです。
1個所で育つと、小中とほぼ同じ面子(メンツ)と過ごすわけですから、
それと比べただけでも、いかに多くの同世代と接触があったことは容易に分かると思います。
そんな特殊な環境にあったので、まあいろんな子供がいましたが、
私と同じように、幼児の頃からの記憶が強い子供とは出会ったことが無いんです。
ところが、この人(妻)は私と同じように良く憶えてるんです。それでも、私より少ないですけどね。
仕事上のグチも何故か子供の頃にあった同じような体験を当てはめて考えるんです。
わたしもそうですから、話自体よく合いました。思考の構造も人間の見方も似てましたね。
そんな時でも、他の人がおかしいと思ってましたね。
ともかく、こんな風にして2人は出会いました。
転校やこんな体験から、特殊学級にいたであろう仲間をも想定すると、
自閉症に属する人間の発生率は600人に1人ぐらいが妥当かなと、勝手にあたりをつけています。
ただこれは私の世代についてですから、世代間格差もあると思います。
「視覚優位」と言う言葉もよく使われます。
これも簡単に、ハイそうですかと聞ける話ではありません。
何故なら、私と彼女ではその意味するところが真反対だからです。
私は、記憶は画像で憶えてしまう方で、人の顔も警察犬並にすぐ覚えます。
だから、子供の頃「知ってる人に会ったら挨拶しなさい」といわれても、
どこもかしこも知ってる人だらけで本当に困りました。
目も良かったので、こーんなアリンコぐらいの大きさの時から誰か分かるんですよ。
500mぐらい向こうから来る人が分かってることを想像してみて下さい。
いつ挨拶しようか、いつ挨拶しようか、いつ挨拶しようか。そればっかりで、挙動不審です。
そしていよいよ相手がこっちに気がつきます。しかし、未だ普通に挨拶するには遠い距離だ。
未だまずい。どうしよう、どうしよう。どう考えても挙動不審だと思います。
そうしているうちに、すれ違う訳ですけども、それまでさんざん悩んで、どぎまぎしていますから、
その頃には、もう挨拶するような気持ちでは無いわけです。
それで、隠れるように、挨拶も出来ずにすれ違います。私はどう思われてたでしょうかね。
機械の図面も見ただけで頭の中で立体になります。
実は、工学部に来る連中はみんな同じだと思ってたんですが、違いました。
大学を卒業し、設計部門に居る人間はそうだろうと思ってましたが、違いました。
正確には、すぐ図面を読める人に出会ったことが無いのですが、
設計部長なーんて人でも、どうやら図面が頭の中で立体になっていないらしいと言うことが、
半信半疑なんです。
やたら図面を読むのが得意だと実は良くないんです。
あまりに、複雑な図面を書くと、逆に難しすぎて理解しにくい図面を書いちゃうんですよね。
やっと最近になって、人が理解出来る図面を書けるようになってきたと思います。
仕事をしていると、そのプロジェクトごとに資料をファイルします。
ところが、一度バインダーに入れてしまうと、何となくその仕事を再開しようという気が
起きないんですよ。これは本当に不思議だったんですね。
ところが、ある日透明なバインダーにしたら、仕事の移行がスムースなんですね。
書類の分類箱も透明にしたら、良いんですよ。不思議ですね。
これは、私のティーチプログラムですね。
話がそれましたが、妻は人の顔を覚えるのが苦手です。
特に、芸能人は化粧も変わるし、髪型も変わるし、特に最近の若いタレントは、
個性が弱いので、お手上げです。
しかし、その記憶が薄い分、人の機微を声で聞き分ける能力があります。
私は、声では判断が付きませんが、顔の細かい表情の動きでそれを見分けています。
ほとんど、視覚に頼っていないような生活をしていながら、部屋の中に気に入らない物があると
捨てなければ気が済みません。
押入に隠しても、毎日のように押入を開けては捨てよう捨てようと言います。
どうやら、目にやきついてしまうようなのです。
このように、参考書籍から抜き出した「用語」上は同じでも、
それぞれの子供によって、内容は異なると言うことを肝に銘じておいて下さい。
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