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終身雇用という幻想を捨てよ
元同僚から送ってもらったNIRAの緊急提言は、よくできている。内容はおおむね経済学者のコンセンサスだが、長期雇用だけを「正規雇用」として転職を悪とみなす労働行政を変えるべきだと明確に提言し、flexicurityの理念を掲げたことは注目に値する。

この表でもわかるように、終身雇用と呼べるような実態は従業員1000人以上の大企業の男性社員に限られており、その労働人口に占める比率は8.8%にすぎない。これは戦後ずっと変わらない事実であり、終身雇用が日本の伝統だなどというのは幻想である。しかも次の図のように、この30年間で産業別の成長率は大きく差がついている。全産業で一律に雇用を守ることは不可能であり、労働市場の硬直性が労働生産性を(したがって成長率を)制約している。

図のように成長率の格差が大きく開いている現状では、解雇規制を緩和して衰退産業から成長産業に労働力を移転することは産業政策の役割も果たす。かつて通産省が繊維・造船などの産業が衰退するとき行なった設備の共同廃棄などの産業政策は、産業構造の転換にともなう社会的コストを削減する効果があったという肯定的な評価が多い。次世代の産業を役所が選ぶターゲティング政策には意味がないが、政府がこうした「敗戦処理」に果たせる役割は大きいので、経産省とも提携して雇用政策を立案すべきだ。
以上は当ブログでも何度も書いてきたことだが、この提言のすぐれているのは労働者のemployabilityを高める積極的労働市場政策について具体的に検討していることだ。先日、民主党の勉強会で私が提言したときも、政調会の幹部が大筋で同意しつつ「積極的労働市場政策には誰も反対しないが、大きな効果が上がっているという話も聞かない」と鋭い指摘をした。厚労省も職業訓練は実施しているが、長期雇用がベストで転職はやむをえない例外だという立場で小規模にやっているので、ほとんど役に立たない。このように長期雇用を理想とする労働行政を根本的に転換し、転職は当たり前で望ましいことだという立場に立って労働者の技能蓄積を支援すべきだ。
その具体策として「高校、高専、大学の活用」を挙げているのも正しいと思う。日本の企業はOJTの比重が大きいので、政府が形式的な職業訓練をやっても役に立たない。他方で、私立大学の過半数が定員割れとなり、経営危機に瀕している。同世代の半分以上が大学に入る時代にあっては、大学の基本的な機能はアカデミズムではなく、専門職を育てる職業訓練である。この報告でも提言しているように、企業と提携したコミュニティ・カレッジのような形で社員教育の場として大学を活用し、文科省も含めて大学の役割を再定義する必要がある。
この提言がふれていないpolitically incorrectな論点を一つだけあげると、以上のような当たり前の労働政策が実施されないのは、連合の関係機関を天下り先とする厚労省が労組べったりの労働行政を変えないことが原因だ。労働行政の主管官庁を内閣に移し、経産省が主体となって厚労省・文科省の古い発想を打ち破る必要があろう。
この表でもわかるように、終身雇用と呼べるような実態は従業員1000人以上の大企業の男性社員に限られており、その労働人口に占める比率は8.8%にすぎない。これは戦後ずっと変わらない事実であり、終身雇用が日本の伝統だなどというのは幻想である。しかも次の図のように、この30年間で産業別の成長率は大きく差がついている。全産業で一律に雇用を守ることは不可能であり、労働市場の硬直性が労働生産性を(したがって成長率を)制約している。
図のように成長率の格差が大きく開いている現状では、解雇規制を緩和して衰退産業から成長産業に労働力を移転することは産業政策の役割も果たす。かつて通産省が繊維・造船などの産業が衰退するとき行なった設備の共同廃棄などの産業政策は、産業構造の転換にともなう社会的コストを削減する効果があったという肯定的な評価が多い。次世代の産業を役所が選ぶターゲティング政策には意味がないが、政府がこうした「敗戦処理」に果たせる役割は大きいので、経産省とも提携して雇用政策を立案すべきだ。
以上は当ブログでも何度も書いてきたことだが、この提言のすぐれているのは労働者のemployabilityを高める積極的労働市場政策について具体的に検討していることだ。先日、民主党の勉強会で私が提言したときも、政調会の幹部が大筋で同意しつつ「積極的労働市場政策には誰も反対しないが、大きな効果が上がっているという話も聞かない」と鋭い指摘をした。厚労省も職業訓練は実施しているが、長期雇用がベストで転職はやむをえない例外だという立場で小規模にやっているので、ほとんど役に立たない。このように長期雇用を理想とする労働行政を根本的に転換し、転職は当たり前で望ましいことだという立場に立って労働者の技能蓄積を支援すべきだ。
その具体策として「高校、高専、大学の活用」を挙げているのも正しいと思う。日本の企業はOJTの比重が大きいので、政府が形式的な職業訓練をやっても役に立たない。他方で、私立大学の過半数が定員割れとなり、経営危機に瀕している。同世代の半分以上が大学に入る時代にあっては、大学の基本的な機能はアカデミズムではなく、専門職を育てる職業訓練である。この報告でも提言しているように、企業と提携したコミュニティ・カレッジのような形で社員教育の場として大学を活用し、文科省も含めて大学の役割を再定義する必要がある。
この提言がふれていないpolitically incorrectな論点を一つだけあげると、以上のような当たり前の労働政策が実施されないのは、連合の関係機関を天下り先とする厚労省が労組べったりの労働行政を変えないことが原因だ。労働行政の主管官庁を内閣に移し、経産省が主体となって厚労省・文科省の古い発想を打ち破る必要があろう。
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職業高校なんて、いまだに、溶接や旋盤の使い方とか、農業とか水産の実習なんかやってるんです。もちろん、それが生かせる仕事に就ける生徒なんて、ほとんどいません。それが続いているのは、教員の雇用を続けるためであり、社会的ニーズがあるからではないです。
医療系ですら、実務とは関係ない、明後日の方向向いた実習をやらせてます。これでも医療系学科が生き残れるのは、国家資格を独占しているからであって、職業訓練が優れているからではありません。
企業社会が要求するスキルは、部門によって、時代によって激しく変化するので、それに学校部門が機動的に合わせていくには、まさに、教員の「終身雇用」を捨てねばならないと思います。必要な教員を臨時雇用で年度毎に雇うという形をとるべきでしょう。
しかし、その場合、高校大学は、各種学校、専門学校と同じになってしまいます。つまり、職業教育という視点に立つと、高校大学なんて要らないわけですね。
もっとも、各種学校が職業訓練になっているかどうかも怪しいです。大学へ行く金がない/学力がない人が、なんとなくモラトリアムを過ごすだけの学校が、圧倒的多数なのです。
専門学校もOO大学と名乗れるようにすればよい。専門学校より大学の方が一般的にはステータスが高いので専門学校にはより質の高い学生が入ってくる。既存の大学もこれまでのカリキュラムを廃止し専門学校的な職業訓練が可能となる。一般教養というのは自活できない人には何の意味もない。国家が国民に教養を強要するのはけしからんことだ。
職業訓練はどういうスキルが必要か熟知している企業に任せればよい。失業者に政府が資金援助し希望するスキルの訓練を提供する企業に受講させる仕組みをつくればよい。雇用のミスマッチも減るだろう。企業、求職者、共に受益者となる。例えばコンピューターのソフト技術者は今でも引く手あまただ。
インターンシップのレベルが上がり、元インターン生を雇用することが出来るようになれば、初期研修のコストもなくなり、OJTも極力少なくすることが出来るので、非常に効率よく営業マンを育成することが出来るかと思います。
今のところ、大学はインターンシップ研修の導入に二の足を踏むところがありますし、大企業では1日の座学研修のようなところも多いです。まずは大学・企業の意識改革が必要でしょう。
僕の同年代の知り合いは、一流メーカーの子会社や独立系のソフトハウスにいます。
転職が当たり前の業界では珍しく、半分くらいが転職未経験者です。
理由を聞くと、転職したら今の給料が維持できないとか、今の会社ですらやっとおいてもらっているのに転職先などあるはずがないとか、独身ならまだしも結婚して子供ができると転職はできない、という答えがかえってきます。
しかし、そういう人のほとんどが30代のころから子会社に出され、給料も下がり、相当ストレスがたまっています。
お酒の量が増えた人もいるし、会うと仕事の愚痴ばかりいう人もいます。僕はお金より健康のほうが大事だと思います。
「途中でやめる生徒の方が使える人材だ」
という笑い話のような現実があります。
もっとも、目標がコミュニティカレッジでいいのでしたら、達成自体は容易でしょうが。
私は電子制御科の高専を卒業していますが、在学中から働くならIT関連しか考えられない、という思いでしたが、電子制御という分野はITはあくまでツールですので、ちょっと情報工学や諸々の技術については学び足りなかったという印象でした。
お金がなく地元の学校に進学することしか考えていなかったため(地元の高専には情報工学科はありませんでした)、止むを得ないところでもあります。
むしろ私は幸運なほうで、同じクラスには勉強するの面倒くさい、将来働くことなんて考えたくないという人が何人もいました。
詳しい原因までは分析できていませんが、勉強の成績がいいから、親に勧められたから、などが原因なのかなと考えています。
また、高専には20歳で学部卒と正面切って戦えるスキルが身につくという側面がある一方で、入学後の方向修正が極めて困難で、留年、退学する学生が一定数いるという負の側面もあります。
高校、大学が専門教育を充実させてくれれば閉鎖的な高専の役目は終わるでしょう。
高校で専門分野のミスマッチに気づいても大学で軌道修正するというパスも期待できます。
中学、高校に期待したいのは、各分野を何のために勉強するか、という動機付けを生徒に十分に行うことです。
「つべこべ言わずに覚えろ」ではなく、「この勉強は〜で役に立つ」ということを十分に示すことが必要だと思います(役に立たないのがわかっていて誰が好き好んで勉強するでしょうか)
生徒への動機付けを大学から直で教員になった人が行うのは困難です。教員の経験者採用を積極的に行い、社会人経験をもとに学生への動機付けを行う、というやり方ならある程度は現実的かもしれません。
翻って日本ですが、開かれた大学というマントラだけはここ最近はよく聞くものの、やはりアメリカの大学と比べるとユーザーの利便性の視点、コンテンツ、教員の質などあまりにお粗末な感が否めないところです。昔に比べれば相当進歩したのかもしれませんが、もっと他国の大学の良いところを見習って進歩して欲しいものです。
コンテンツという意味では、実務者の活用とかアカデミアがより実務とインタラクションするとか課題が大いにあると思います。象牙の塔の大学という言葉は古いのかもしれませんが、日本に関してはこの点ではほとんど進歩していないという印象を受けるのは私だけでしょうか。
ちなみに中国は世界各国から優秀な研究者を非常に積極的かつ戦略的に呼んでいるという話をフランス人の教授から聞きました。こういう話を聞くとますます日本の大学の現状に寒さを禁じえません。
http://blog.goo.ne.jp/jyoshige/e/d60214e968230bc98dc9634e15cb66a1
要するに年月をかけて一つの固定したシステムが社会全体に出来て、そこに居心地の良さを感じてしまうと、それによる弊害が弊害として理解されなくなるということです。
この問題もどこから手をつけるのかが重要でしょう。
大学、企業、専門学校、どれも現状維持を望むでしょう。
根本的には既に出来上がってしまっているこの国の教育システムをひっくり返さないとだめでしょうね。より産業と直結したものにするために。
すごい抵抗があるとおもいますが。
かつて慶応大学が教員の評価を人事に生かす任期制を模索しましたが、教員の再就職市場がないため、慶応の教員だけが不利益を蒙る。ということで、オジャンになりました。
先行きの不明感から自殺する人が自営業者に増えていますが、先行きの不明感から自殺する公務員が出る。そんな時代にならないとダメでしょうね。
公務員の雇用流動化が始まらないうちは、「終身雇用の幻想」が続くような気もします。
就職活動する学生の希望先が大企業の終身雇用である状況はこれからも変わりなく、企業側も能力のある学生は終身雇用で確保しておきたいという希望は今後も変わらないと思われることから、終身雇用として採用されるのは一部の優秀な学生に限られてくると思います。
どこの会社だって、45歳以上は要らない
新卒は要らない。
即戦力になる30歳〜35歳の人間だけ欲しい。
しかも、実務経験のある人間に限る、です。
職業訓練なんて、さらさら考えてはいません。
全体の10パーセントが贅沢をするために、のこり90パーセントを奴隷としてこき使うのが、いつの世の中にも存在する仕組みです。
その例から鑑みれば、8.8%の終身雇用を維持するために91.2%を非正規扱いにするのは、まことに世のルールに則った施策です。
というわけで、世の中はこのままで変わらないでしょう。
人間はすべて生きていても仕方がないということになりますね。
20代ですべての希望を投げ捨てて生きることがこれからの日本人には求められるのでしょう。
最近宝くじやBIGの売上が空前の高さになっているのも良くわかります。閉塞はもはや「絶望感」になっているのでしょう。
できれば「自殺は怖いので死刑になる殺人をしました」なんてのたまう20代が量産されないことを願います。
まあ平たく言えば、企業(役所もそうですが)を昔の家のようなものと勘違いしているケースが多い。昔の〇〇流家元とか御用絵師の狩野一派みたいに、技術を門外不出のものにして権威と利権を守るという発想です。だから職能をオープンにしない(学校など外部で教えようがない)し、そこに長くいて忠義に厚く家を守る者が偉いとされる。もっともこれが定常化するとお荷物が増えて組織を疲弊させるのですが。
これは何度も出てきた「従業員統治の欠陥」ですね。だから「利益の事しか考えないよそ者」が支配して、組織を改変したり企業を売買するという株主統治が必要なんだと思います。そうすればグダグダ言ってる暇も無く雇用が流動化し従業員は契約ベースで働き、実力のある人は職場を渡り歩くようになるでしょう。また、それに対応した実践的な民間の教育機関も生まれるでしょう。
たとえば、学習院大学の鈴木亘氏は次のように言います:
今の大学の正規教員の中には、実は、授業も開店休業、教育はしない、論文も一本も書かないといったひどい教員が、例え一流大学でも驚くほどいます。しかし、こうした教員でも、大げさにいえば、セクハラか公金横領でもしない限り解雇はまずできない構造となっています。
http://blogs.yahoo.co.jp/kqsmr859/MYBLOG/yblog.html?m=lc&sv=%C7%EE%BB%CE&sk=1
また、PHP総合研究所主任研究員の川上恒雄氏も:
以前から日本の大学には単調な講義以外にとくに「何もしない教授」がおり、かつては大学の牧歌的な雰囲気づくりに「寄与する」くらいの価値があったが、いまや「何もしない教授」は許されざる存在となった。
(…)そんな怠慢教授でも自分の身に危険が及ぶと、ここぞとばかりインテリとしての能力を発揮する。いくら大学側が辞めさせたくとも法律で理論武装し、大学側も手が出せない。
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20090422-00000002-voice-pol
池田さんや、NIRAの緊急提言を書かれた柳川さんはまじめにやってらっしゃるのだろうと推測しますが、流動化しろと言っている側の大学教員もほめられたものではありません。
その結果、若手の有能な研究者にしわ寄せがくるという構造は、引用先で指摘されているように派遣問題と変わるところがありません。
若手研究者の悲惨さは、以下で知ることができます(動画です):
http://www.youtube.com/watch?v=KQhhpFQtd9w
http://www.youtube.com/watch?v=3QNw3G3pH_I
派遣村の湯浅誠さんも東大の博士課程を単位取得退学されたんだそうで、なんだか偶然とは思えないのですが…
教師も現実には最悪の人間しかいないけど、ネットで優秀な教師が授業すればあとの教師は99%不要です。あとのサポートは教師の資格がなくてもサービス職というかアシストすればいいだけなので、大学生とかホステスで十分です。
一般の学校で、企業に都合の良い人間を育てよ、という発想の根本には、企業の営利活動が世の中のすべてである、金を儲けることが生きる目的である、という考えがあるように思えます。
あえて青臭いことを書きますが、学校は全人的な発達を目指すべきところであり、学校を出てから営利企業に雇われて給料をもらうのか、それとも他の道を探るのかは生徒学生それぞれの選択によるものです。一般の学校に人材育成とやらをやらせようというのは、人はすべて営利企業に雇われて給料をもらうものだ、という暗黙の前提に立っているもので、一部の専門的な分野や職業訓練学校などを除けは、学校教育のあり方を間違って捕らえたものだと思います。
いっぽう、雇用の硬直化を直すには、
・就職時の年齢差別をなくすこと。35歳を過ぎると再就職が難しいということでは流動性が高まるわけはありませんね。採用者が年齢を知りえないような仕組みが必要です。
・新卒一括採用をやめる。みんな新卒で入社し、階段を上がるように出世していくというシステムが諸悪の根源です。
・株主への利益集中をやめる。利益の一定割合は必ず雇用にまわすようにさせて、雇用安定につなげる。
というような方策が必要だと思います。
ということは、労働人口の91%はすでに非終身雇用なので、労働市場の硬直性を緩和するために現行の雇用規制が邪魔だとか言う必要はないような気がするのですが…このブログでみなさんが攻撃していたのは幻だったということなんでしょうか?
NIRAの緊急提言もセーフティーネットを強化しろという趣旨に読めましたし…やはり経済学は難しいです。
何を根拠に株主に利益が集中して(しすぎて)いると仰るのでしょう?
法律で定められた株主の権利をご存知ですか?それを超えた利益を誰かが得ましたか?日本ではむしろ株主の権利が侵害されているという話を聞いたことはないですか?「株主」でこのブログ内を検索すれば色々でてきます。
>自分の会社に都合の良い人間を育てたければ企業が丸抱えでそういう学校を作ればよいのではないでしょうか。
そういう話なら、国家(官僚)に都合の良い人間を育てる為に、国家が丸抱えで行っているのが今の学校教育です。「人格形成」と証して「営利団体は自分の事しか考えない(公共機関は皆のことを考える)。金儲けは卑しいこと。」といった「道徳」観を植え付けるか、精々何の役にも立たない詰め込みをやるのが関の山。その実態は教職の競争化・流動化を避けて既得権を守ってるだけじゃないですか。
企業は粗悪品を高く売って、従業員を安月給でこき使えば儲かると思ってませんか?投資しても利益を請求できない企業に投資する人はいますか?公共の為にあるはずの政府・官庁・自治体が民間企業に寄生しながら借金を増やすのは何故ですか?
日本の教育に必要なのは決まった正解を出す為の反復練習ではなく、事実を分析し2手くらい先を読む訓練。ゆがんだ公共の精神ではなく、自分の為に自分を高めるという気概だと思います。
しかし、今は、先進国水準の賃金で、投資機会も少なく、貯蓄率も下がり、投資も成功しにくく、企業は潰れやすい時代です。ですから雇用調整の圧力は高い。
変動しやすく、失敗しやすい時代に雇用調整を適応させて、かつ、家計も守らなければならない。
企業が家計の一切を抱え込んで担っていた高度成長期の社会構造から、自治体が家計をカバーする成熟期の社会構造にならないといけないし、そうした役割分担の下で、企業は雇用調整が公正に行われるように制度設計を変更しないといけない
確かにキャッチコピーとしては魅力的で、変骨な専門に逃げ込んで好きなことだけやってそれで良しとする風潮は頂けないですね。
しかし、今一番問題なのは、学生が勉強しない事じゃないでしょうか。とにかく、苦役を嫌う。利便に関わらないことに労を惜しむ。打算や目先の利益を優先する。
単に、高度の専門性だけでなく、幅広い基礎知識や、広汎な、大量の知見を獲得することの方が、単にスキルを獲得させることより遙かに大事なことだと考えます。
文学書に全く触れたこともない医者や司法官、専門外の知識を持たないことが専門家の誇りであるかのような狭量な思い上がりは、百害あって一利無しです。
義務教育にしろ、高等教育にしろ、地味で無味な基礎を繰り返して習熟させて、実利、功利に惑わされない教育を確立して欲しいものです。
一方、高度成長が止まり日本社会が成熟・停滞してくるとそれら身分保障がしっかりしている業種に若者達の人気が集まりました。
>終身雇用と呼べるような実態は従業員1000人以上の大企業の男性社員に限られており、その労働人口に占める比率は8.8%にすぎない。
"終身雇用"は言わば企業・自治体が社員・職員の流失を防ぐための策であり、それが状況の変化(高度成長期の終わり)により過大な負担・重荷になるのは明らかでしょう。
今、状況が変わったのに漫然と過去と同じ事を繰り返していれば、緩慢な死を迎えることは必定でしょう。
また高度成長の頃からでしょうか?大学のレジャーランド化について話されるようになりました。
本来であれば行く必要がなく、すぐに就業すればよい若者がモラトリアムを過ごす場として"大学"が重宝されるようになりました。
こう言った事もあり、企業の現場では高等教育に対して期待することなく、逆に障害になるという考え方が広まりました。
また教育界でもそのことにより実学を軽視する風潮があったように思えます。
他の国々では若者達は明確な卒業後の進路を描いて高等教育を受けると聞きます。教育はその後のキャリアパス・キャリアアップの発射台となるのです。
これは日本のような新卒至上主義、"もう色のついた人"を避けると言う風潮とは明らかに違います。
それで教育界ではこれまでの惰眠を貪るのではなく、子供若者達に人生では常に、イノベーティブな行動が求められ進歩と向上が必要とされることを是非とも教えて欲しいと思います。
今、企業で求める人材の具体的な役割や持つべきスキル、それに対して提供できる給与をきちんと提示できるところが、どれだけあるでしょうか?それをするためには、あくまで経営者・管理職がビジョンを持って全体を指揮し、事業全体を引っ張っていくエンジン役を果たさねばなりません。実態は、何でもできるスーパーマンか、安くこき使える奴隷を漠然と求めている程度で、しかも人材を生かせるか否かは上司の自分の責任、という意識はかけらも無い場合が多いのではないでしょうか。
専門教育という点では、われわれ会計士でも同じことで、会計士試験に合格するための勉強なら専門学校が教えてくれますが、会計士試験自体が実務に役立つかどうか?「実務に役立つ=クライアントに対しては質の高い監査を提供し、法人内にあってはガッポリ稼いで法人の収益に貢献する」というのは常識人なら誰でもわかることですが、残念ながら会計士試験はそういう実務の役に立っていないようです。大手監査法人のパートナーを見ていると、差があるのは弁の上手さだけで、そういう役に立つ実務能力は現役合格・東大卒でも30歳合格・三流大卒でも同じ様なものという悲しい現実があります。
そうなる理由は明確で、会計士試験はそういう役に立つ実務能力と関係が無いこと、役に立つ実務能力が優秀な人がそうでない人と明確迅速な差をつけて昇進する機構が無いため、そういう人は独立してしまうからです。規制業種なので、優秀な人が逃げても潰れはしませんが、実は監査法人以外も、日本中が大なり小なり同じようになっているんじゃないでしょうか?
池田さんは私立大学の経営危機についても言及されていますが、その大学教員の側にも「転職は当たり前で望ましい」という意識が欠けているのではないでしょうか。
経歴からしてそれらのことが池田先生に当てはまらないのは明らかですが、だからこそそこに対する言及が直接なされていないのに、少々疑問がわきました。
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