2009-05-21
何が行動を決めるのか?
私達は何に従って行動しているのでしょうか?
何をするか考えて行動する場合もあれば、自覚することもなく無意識で行動することもあります。
そしてそれを決める要素は、潜在意識の中にある記憶である事は何度も話をしました。
さてこれらの行動を決定付ける記憶ですが、記憶は知性が働いて理論的に行動を決めているのではありません。
その判定基準は快を得られるかどうかです。
苦痛から逃れ快感を選ぶのです。
何が快を得ることなのかは、記憶が何に対して快を得るかによります。
そして記憶が望む快の基準が、必ずしも自分自身が望むことでは無いのです。
その為しばしば不都合な結果に悩まされ、大きな問題や障害となって目の前に現れます。
たとえば今何らかの不運を味わう境遇にある場合、その時何が快のを得られるのかを考えた場合、周囲の人が心配して優しい声をかけてくれるとか、何らかの援助の手を差し伸べてくれるなど、そのことに対して快を感じる事もあるのです。
その結果が不運な境遇ということになるのです。
しかし自覚している事は不運な境遇の為、その陰に隠れている本来の問題の根源が見落とされてしまうのです。
その為周囲に責任を押し付けたり、問題の原因を外側にあると考えてしまうのです。
だからどんなに原因追求をしても、どんなに対策を考えたとしても、再び同じような問題に悩まされ続けてしまうのです。
セルフアイデンティティー「ホ・オポノポノ」場合、問題の責任は100%自分に責任があるといわれます。
自分が知る知らないに関係なく、記憶には膨大な情報が隠れています。
その記憶は自分自身の中に存在しているのです。
目の前に表出している問題は記憶の中のほんの一部でしかありません。
だから常に記憶の浄化が必要になるのです。
今の私達の状況は、記憶が望む快の結果でしかありません。
問題をわざわざ避けたり否定する事は、責任を外側へ押し付ける行為です。
しかしこれも記憶が望む快の選択でしかないのです。