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主役再び

見城徹 「カリスマ編集者」が尾崎豊の死について語る

インタビューに応じる見城徹・幻冬舎代表取締役社長。東京・千駄ヶ谷の幻冬舎で。

 「カリスマ編集者」として知られる幻冬舎社長の見城徹氏(58)。作家のみならず、タレントやミュージシャン、アスリートとの濃密な付き合いから、数々のベストセラーを生み出してきた。中でもシンガー・ソングライターの尾崎豊(享年26歳)との関係は伝説的だ。25日に18回目の命日を迎える尾崎について見城氏は「復活しなければ、死ぬことはなかったと思う」と振り返る。(中村智弘、敬称略)=2009年4月21日掲載=

 ◆84年出会い 必死で口を開かせた
  1984年、ある日の新宿・靖国通り。レコード店から流れていた「シェリー」が初めての尾崎体験だった。

 「こいつと仕事をしたいと思い翌日、所属事務所に連絡した。でも『出版したいと言っている会社は、あなたで7社目です』だって…。かえってファイトがわいた。初めて会えたのは2か月後くらいだったと思う」

 10代ならば肉だろうということで、見城氏はとっておきの勝負店に尾崎を誘った。

 「大事な打ち合わせをする店というのがあって、キャンティ、まっくろう、京味…みんな高くて今では伝説になっている店もあるけど、(イタリア料理の)キャンティ六本木店近くのビルの地下1階に当時、和田門という極上のステーキ屋があった。そこで食わしたいと思って…。でも尾崎は、最初はほとんどしゃべらなかった。必死でオレが話し続けちょうど1時間がたった時、突然口を開き、冗舌に語り出した。オレの言葉が届いた、心を開いたなと思ったよ」

 10日後、マネジャーから電話が入り、尾崎にとって初の著書を手がけることが決まった。タイトルは「誰かのクラクション」。パーソナリティーを務めていた東海ラジオの題名からとった。発売は1年近く遅れたものの、尾崎の20歳の誕生日の前に無事出版。30万部を超えるベストセラーとなった。

 だが、その後、連絡はぷつりと途絶える。渡米しドラッグの洗礼を受けた尾崎は、日本に戻ってきて覚せい剤所持で逮捕された。事務所も辞めレコード会社もなくなり、見城氏とも音信不通のままだった。それから3年後、2人は劇的な再会を果たす。

 ◆89年再会 ぽっちゃり男の涙
  徹夜の校了明けの早朝、見城氏は東京・新宿のヒルトンホテルのスポーツジムに出かけた。先客は「白髪の多いぽっちゃりとした男」が一人。ルームランナーに乗りシャドーボクシングをしながら走っていた。

 「こいつの隣で走るの何か嫌だなぁと。それでサウナに入って帰ろうと思ったら、突然、そのぽっちゃりな男が走るのをやめて『見城さん』といったんです。振り返ったら彼は『僕です、尾崎です』って。それでもオレはわからなかった。聞き返したら『見城さん、尾崎豊です』と。それでああ、尾崎だと思った。それぐらい彼は変わってしまっていたんです」

 ジムで2人は1時間半話し込んだ。尾崎は泣きそうな顔で訴えた。「自分は何もかもなくしてしまった。だけど、もう一回復活したい」―。

 見城氏は不動産探しから資金集めまで走り回り、尾崎を社長にした個人事務所を設立。トレーニングメニューも作成し、ぶよぶよの体だった尾崎を鍛え上げた。その当時、見城氏は「月刊カドカワ」の編集長。打つ手が次々に成功し、部数は飛躍的に伸びていたが、そこに安住する自分に嫌気もさしていたという。

 「尾崎が復活出来れば、オレも再生出来るかなと。でもサラリーマンの身ですから、会社に黙って別の会社をつくっているなんてバレたら、クビなんですよ」

 月刊カドカワでは「尾崎豊 沈黙の行方」との総力特集を組み完売。そして、2枚組みのアルバム「BIRTH~誕生」が完成し、オリコンで1位を獲得する。

 「ヒルトンのバーに入ってきたら、いきなりオレの胸に飛び込んできて泣くわけ。オレも涙が出てきた。2人とも『BIRTH』が1位を取らないと意味がないと思っていたから。月刊カドカワで連載したものも本になって、全部ベストセラーになった。あらゆることが報われたんです」

 しかし、これが新たな悲劇の始まりだった。

 ◆92年別れ 「解放感」だけだった
  「完全復活したからこそ、彼は自分を一度狂わせた音楽業界のただ中に再び入っていくことになった。生き馬の目を抜く世界。そういうカオスのただ中にいるには、あまりに繊細過ぎた。彼にとっては不幸の始まりだったのかもしれない。尾崎は復活しなければ、死ぬことはなかったと思う」

 尾崎は復活ライブツアーを敢行し、次のアルバム「放熱への証」の制作にとりかかった。だが、その過程で徐々に自制を失っていく。スタジオで暴れ、仲間に殴りかかった。身勝手な行動や理不尽な振る舞い。デビュー以来の付き合いだった音楽プロデューサーと決別し、レコード会社ともトラブルになっていた。そして見城氏との関係にも亀裂が入り始める。

 「レコード会社に乗り込んで、大暴れしたことは聞いて知っていたんだよ。尾崎は人を追い込むし、人に踏み絵を踏ませるし、人の気持ちが自分だけに向いてないと許さない。その身勝手さには、オレももう持たないと。それで連絡を絶つことにした。でもその1か月後、明け方5時半ごろに、突然電話してくるわけよ。あいさつも何もなしに『レコード会社を作ってください。今の会社は信用できない。見城さんなら出来るでしょ』って。あれだけこっちに迷惑をかけて怒らせておいて、よくも言えるなあと。『今から来いよ』と言ってあげる選択肢もあったんだけど…。でも今さら何を言ってるんだと。『オレはお前とはもう付き合わないよ』と言って切ったんです」

 それが最後の電話となった。3週間後、尾崎は謎の死を遂げる。

 「ほとんど毎日毎日が信じられない(死に急ぐような)振る舞いだった。あの日、ああいうふうに死んだのは僕にとっては、びっくりすることでも何でもないわけですよ。ただ虚脱感と解放されたという気持ち。これは本気で付き合わないとわからない。悲しみは、それから後なのよ。『自分は長く生きられないので、わがままや身勝手な行動を許してくれ』とでもいうように、人の5倍くらいのスピードで生きていたんだと思う。すごいものを作る人は、この世あらざる人なんですよ」

 尾崎の死の翌年の1993年、見城氏は角川書店を退社、幻冬舎を設立した。

 ◆尾崎豊(おざき・ゆたか)1965年11月29日、東京・練馬区生まれ。青山学院高在学中の83年、シングル「15の夜」、アルバム「十七歳の地図」でデビュー。84年に同校を中退。85年、セカンドアルバム「回帰線」がオリコン初登場で1位となる。同年、初の著書「誰かのクラクション」を出版。86年、無期限の活動休止を宣言し渡米。87年、覚せい剤取締法違反で逮捕。90年、アルバム「BIRTH」を発売。92年4月25日、肺水腫のため死亡。享年26歳。

 ◆93年「幻冬舎」設立 自分の世界持つ個性的な人と仕事をしたいんです
  角川書店時代、5本もの直木賞を手がけた見城氏。幻冬舎を設立してからも、1年に約1本という異例のペースでミリオンセラーを世に送り出している。

 中上健次、つかこうへい、村上龍、石原慎太郎、五木寛之らの文芸作品を手がける一方、坂本龍一、松任谷由実らのアーティスト。さらには唐沢寿明「ふたり」、藤原紀香「紀香魂」らとも仕事をともにしてきた。

 最近では昨年引退した元プロ野球選手の清原和博氏の自伝「男道」を出版、ベストセラーとなっている。

 「清原の前に清原的な選手はいない。これから清原のような不良っぽくて、誰よりも特大なホームランを打つけど、猛烈に扱いにくい選手が出てきても『清原の再来』と言われるだけ。ようは自分の世界を持っていてオリジナリティーがある人と仕事をしたいんです」

 ◆書かすために10年 郷「ダディ」離婚
  郷ひろみが二谷友里恵との離婚を突然発表したのは1998年。新聞や雑誌、テレビが報じたのではなく、単行本「ダディ」(幻冬舎)で告白するという世紀のスクープだった。担当したのはもちろん見城氏だ。

 「ダディを出す10年くらい前から、彼とは付き合ってきた。それまでに英会話の本を出したいとか、ゴルフの本を出したいとか、いろんな出版の話があった。でも楽に作れるものを作っても面白くない。なあなあの仕事はやらないよと言い続けてきたんです」

 出版のきっかけはゴルフをしている最中。フェアウエーで郷がふと口にした。「自分はしたくないけども、離婚せざるをえないかもしれない」―。

 「『キター』と思ったよ。これを書かす以外に、何のために10年ひろみと付き合ってきたんだと。その場では言わなかったけど、オレは『キター』と思いながら、ゴルフを続けたんです」

 それから3日後、見城氏は猛烈な口説きにかかった。「書くことで苦しみが和らぐかもしれないし、気持ちの整理がつくかもしれない」―。はじめは半信半疑だった郷も気持ちをつづることにより、離婚を受け入れるようになっていった。

 子どもたちが、郷のことをそう呼ぶようにタイトルは「ダディ」。初版は50万部。前代未聞だが売れる確信はあった。タイトルや著者、中身を発売直前まで伏せたままの戦略が、さらに大きな話題を呼んだ。

 ただ、ひとつ問題があった。郷の所属事務所であるバーニングプロダクションの社長・周防郁雄氏にどう説明するか…。

第16回「主役再び」紙面イメージ

 「それはダマテンですよ。言ったら止められるに決まってる。でもこのチャンスをものにするには、覚悟しなきゃダメだった」

 本のサンプルが出来てきた時、ちょうど周防氏はゴルフのマスターズ観戦で渡米する直前。一緒に行くスタッフに「飛行機に乗ったら渡してください」と言い、手紙と共に厳重に梱包(こんぽう)した見本を託した。機上の人となった周防氏は、アメリカに着くやいなや電話をかけてきた。

 「怒ってたよ。でも帰ってきたらとんでもなく売れてるから、すごい喜んでくれた。『いいじゃない』と。周防さんとは濃い関係をきっちりと築いているという自負があったから、許してくれるだろうと思っていた」

 「ダディ」は発売から瞬く間に100万部を突破、ミリオンセラーとなった。

 ◆見城徹(けんじょう・とおる)1950年12月29日、静岡市生まれ。58歳。73年、慶大法学部卒。広済堂出版を経て75年、角川書店に入社。「野性時代」副編集長を経て、85年、「月刊カドカワ」編集長。数々のベストセラー作品を手掛ける。取締役編集部長を最後に退社。93年、幻冬舎を設立、代表取締役社長に就任した。著書に「編集者という病い」「異端者の快楽」。

(2009年5月19日11時21分  スポーツ報知)

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