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日本を代表する写真家、篠山紀信(68)。その作品数は膨大でジャンルも多岐にわたり、被写体になっていない著名人を探すのが難しいほど。しかし篠山と言えばヌード。激写シリーズにヘア論争を巻き起こした樋口可南子写真集。そして社会現象にもなった宮沢りえの「サンタフェ」…。今も第一線を走り続ける巨匠に自らのヌード史を語ってもらった。(中村智弘)=敬称略==2009年2月10日掲載=
◆18歳の宮沢りえは正真正銘処女だった
宮沢りえの写真集「Santa Fe」(91年)は155万部を売り上げた。人気絶頂時で披露されたまさかのヌード。それは社会的な事件だった。
「読売と朝日に1面広告を出したことが大きいんじゃないかな。一般紙にヌードって、あり得なかったわけじゃないですか。それまで隠れて見るものだったのに。でも小学生や中学生が小遣いを出し合って買い求めたっていうじゃない。そういう意味では、初の国民的ヌード写真集だったと思う」
撮影の舞台は米西部ニューメキシコ州の「サンタフェ」。画家のジョージア・オキーフや写真家のエドワード・ウエストンら、多くの芸術家が集まった場所だ。
「僕にとっても写真の聖地。そこでぜひ聖女を撮りたいと。当時、りえちゃんは18歳。本当に正真正銘の処女だったと思いますよ。ああ、これは聖女だと。いやいや…別に医師の診断書とかあったわけじゃないけど、当人もお母さんも言っていました」
トップアイドルのヌード撮影は篠山ですら想定外だった。きっかけはあいさつ代わりのいつもの軽口。映画「豪姫」の撮影現場でのことだ。
◆世紀のヌードは冗談から…りえママの“快諾”にびっくり「ええっ」
「冗談で『りえちゃんも、そろそろ18なんだからヌードくらい撮らなくちゃな』って。そしたらお母さん(光子さん)がさ『撮るんだったら5月の連休かな』と言うんですよ。『ええ、本当に出来るの』と思って、その時はびっくりしたね」
サンタフェは標高約2000メートル。写真集には寒さで鳥肌が立っている作品も収められている。
「まわりは肌をさすってやったりね。彼女は相当我慢してやってくれました。いい作品を撮るんだという情熱があったんです。だから、エロチックな気分とか、そういうのには全然ならなかったんだよね」
撮影は無事、成功したものの出版には条件があった。「もし事前に話が漏れたら(写真集は)出さない」りえママとの約束だった。
「半年以上、かん口令が敷かれた。雑誌撮影とかで、りえちゃんやサンタフェの時のスタッフと会うじゃない。お互いに目配せしながら『漏らすなよ』って感じで。小さな出版社だったことも幸いしました。みんな緊張感あったね。何しろバレたらすぐにネタ元わかるから」
発売1か月前。秘密を守り抜いた末、一般紙にヌード写真の全面広告が掲載され、日本中が驚きに包まれた。
「あの作品は本当に好き。(りえ本人も)『やって良かった』と言ってますよ。裸になると『落ち目だから』『金が欲しいから』とかいろんなことを言う人がいるけど、だけど今、りえちゃんだって樋口(可南子)さんだって大女優じゃないですか。ざまあ見ろと思うんですよ。あの時、オレの言う通り脱いでたら、大女優になっていた人は何人いたんだろう…。誰かって? 言えません。今その人はどうなったかだって? ますます言えないですよ」
◆篠山紀信(しのやま・きしん)1940年12月3日、東京・新宿区生まれ。68歳。日大芸術学部写真学科卒業。在学中に広告制作会社ライトパブリシティに入社。CMの仕事を手がけながら雑誌などに作品を発表。68年、フリーに。山口百恵や宮沢りえ、松田聖子ら時代を象徴するアイドルを撮り続けるとともに「激写シリーズ」「シノラマ」「digi+KISHIN」など、新しい表現を追求する。また、作家の三島由紀夫や元ビートルズのジョン・レノンの“最後”の作品も手がけた。79年には歌手の南沙織と結婚し、3男がいる。
◆「激写」という言葉は僕が考えた
○…ヌードの被写体はアイドルだけにとどまらない。「60年代の後半には『話の特集』という雑誌で、黒柳徹子さんや美輪明宏さんのヌードとかも撮りました」。セレブの次は素人。雑誌「GORO」(小学館)を舞台に「激写」がスタートする。「プロじゃなくて『となりのみよちゃん』みたいな娘に脱いでもらおうと。読者が親近感を持ってくれてブームになりました。ちなみに『激写』という言葉は正真正銘、僕が考えたものです」
◆警視庁に狙われた!?
1991年に出版された樋口可南子の写真集「ウオーター・フルーツ 不測の事態」。いわゆる「ヘアヌード」はこの作品をもって解禁されたという。
「でも僕は『ヘアヌード』という言葉を一度も使ったことがない。新しい表現ではなく自然に“ついてるもの”が写っちゃった単なるヌードだと思っていた」
篠山の思いをよそに発売直後から世間は大騒ぎに。「ヘア論争」まで巻き起こした。
「あんな大騒ぎになるとは思わなかった。『表現の自由を獲得するために、権力と戦っているのか』なんて買いかぶられたり『警視庁がお前を狙っている』とか言われて…樋口さんもうんざりしたと思うけど、あの時は僕も参りましたね。結果として(出版社の)社長が一度警視庁に呼ばれて事情を聞かれただけ。僕のところに来たことがない。日本の警察は正しいと思ったほうがいいんじゃないですか(笑い)」 その後もセンセーショナルな作品は続いた。葉月里緒菜、高岡早紀…なぜ篠山のカメラ前で彼女たちは脱ぐのか。
「相手の話も都合も聞くし、何とか接点を見つけながら…親や恋人、事務所や学校とかいろんなことを乗り越えて脱いでくれるんですから、こっちも誠心誠意で応えないとマズいですね。梅宮アンナさんのときは『研ちゃん(羽賀研二)と一緒じゃなきゃ嫌だ』と言うから。僕はアンナ1人でいいと思っていたんだけど…」
◆時代が生むアイドル
「アイドルって、やっぱり時代が生むわけじゃないですか。僕は時代が生んだものを借りて、その時代を表現することを面白いと思っている写真家だから…」
山口百恵は、デビュー時から引退まで撮り続けた。はじめて会ったのは彼女が中学2年の時。制服のままタクシーで現場に駆けつけてきた。
「制服がすごいよく似合うんだよね。でも笑顔でニコニコより、雨の中をしょぼしょぼ濡れながら歩いている感じが彼女じゃないかなと。それで近くにあるガソリンスタンドに行って洗車用のホースで人工の雨を降らせて『この中、歩け』。その時は新人だから、何でも言うことを聞くし、今みたいに事務所もうるさくなかったから。ふだんは、そこらの娘。でもカメラの前に立って、さあとなると、わあとオーラを出す。それはすごいものでした」
ポスト百恵の時代を制したのが松田聖子。篠山は現在も彼女を撮り続けている。
「百恵さんはどこか暗く秘密めいた重さが70年代そのものだった。80年代のバブルになって、あっけらかんとしちゃうと松田聖子、赤いスイートピーになるわけです。聖子ちゃんはヌードにならなくてもいいんじゃないかなって言ったら彼女に怒られちゃうかな」
◆若手よりも若く
今年が「ヌード写真歴50年」となる篠山。これまでに撮影した作品を再編集した「NUDE by KISHIN」(朝日出版社)が、4月に出版される。
「学生時代の実習で生まれて初めて撮ったヌードも入っています。時系列はめちゃくちゃ。時間的にも内容的にも解け合っていて、すごい疾走感のある本ができた」
1月からはプレ写真集「NO NUDE by KISHIN1、2、3」(同)も毎月1冊ずつ刊行中だ。
週刊誌からヘアヌードが姿を消し、インターネットには過激な画像があふれる。写真集にとっては冬の時代。
「写真が発明されて以来、ヌードは大きなテーマ。今、あえて印刷というメディアを通してその可能性を探ろうと『ヌード宣言』をしているんです。長くやっていると『先生』だとか『巨匠』だとか言われるけど…一丁上がりにしたいんだよ。次のやつが出たいから。でも、そうはさせるかって。若いやつよりも若い写真を撮りますよ」
(2009年3月12日19時19分 スポーツ報知)
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