2009年4月16日0時14分
かつて「財界の鞍馬(くらま)天狗(てんぐ)」と呼ばれた中山素平氏に「あなたの財界生活の中で、一番印象的な経験は何だったでしょうか」と聞いたことがある。しばらく考えたあと、「1965年の山一証券の救済問題でしょうな」と、次のような話をしてくれた。
当時は山一の危機をきっかけに、証券市場全体が崩壊する恐れがあった。中山氏は田中角栄蔵相と相談。金融危機を防ぐためには、とりあえず国民の疑心暗鬼を取り除くことが先決だという結論になったという。
そのために、日銀の特別融資を決定し、急きょ発表する必要が生じた。異例の記者会見に記者は色めきたち、当然のことながら、特別融資の金額はいくらなのかが、質疑の中心となった。
中山氏はこの時をこう振り返った。
「田中蔵相は『無担保で無制限』と言い切った。傍らにいた私は仰天した。現実には融資枠は決められていたからだ。この鶴の一声で、死にひんしていた株式市場は生き返った。あの時、角栄さんは本当の政治家だ、と思った」
「もしもこれがうまくいかなかったとしたら、大蔵大臣の食言問題となって、多かれ少なかれ、政治生命に傷がついたと思われるのだから」
伝えられるところによると、記者会見に先立って行われた日銀の会合で、問題のあまりの複雑さに有力財界人の一人から、証券市場の一時的な閉鎖論が出たという。これを田中氏は、一喝したといわれる。
そして現在。経済が混迷しているなか、何とまあ政治家のチマチマしていることか。
国民は評論家風の解説を、政治家に求めているのではない。将来につながる決断を望んでいるのだ。(可軒)