武郷展実行委員会のみなさま
実行委員会を構成する各グループのみなさま
武郷展開催のための‘300万円募金’呼びかけに応じて下さった支援者のみなさま
武郷展の開幕が暫時延期になりました
中国・山西省での性暴力パネル展開催を模索し始めてから約2年、武郷県の八路軍紀念館での開催が決まってからは予想を超える作業量に追いまくられる日々、準備しながらぶつかるいくつもの壁をなんとかクリアしてねばり続け、実現の希望を失わずに待ちに待った「日本軍性暴力パネル展」が、ついに5月5日開幕と決まり、私たちは感慨無量でした。170枚のパネル原稿の最終の校正を終えて池田・石田が帰国したのはこの4月13日、あとは太原の製作所でのパネル板作成を残すのみ、当日はダーニャンとそのご家族とともにバスを連ねて武郷に行き、開幕式に参加することになったという嬉しいお知らせを、私たちはいくつかのMLやミニコミを通じてみなさまにお届けしました。日本からは25人の実行委員会関係者が、それぞれの忙しい日程をやりくりし、日中双方のゴールデン・ウィークという超繁忙期のなかでやっと航空券予約を済ませていました。
ところが4月17日夜、現地から開幕の「暫時延期」の知らせが突如届きました。まことに「青天の霹靂」、茫然自失でした。
一昨年春、性暴力パネル展計画の意義を最も深く理解され、八路軍紀念館での開催を魏国英館長に提案して下さり、その後も実現のために中心になって奔走してくださった田亦軍省対外友協秘書長からの知らせ、公式には山西省・対外友好協会の「建議(提案)」という文書でした。この文書はこちらの実行委員会代表と八路軍紀念館と長治市対外友協に同時に宛てられたもので、展示の日が近づくにつれて国内外のメディア、単位、個人がこの展示を大きく取り上げよう(「騒ぎ立てよう」)としていることがわかり、それは「中日両国の友好の大局にも影響しかねない」ため、時期を延期して開催することを提案したいというものでした。そして、今後も引き続き連絡と意思の疎通を強化し、「早期の開催」のためにそれぞれの力を出そうとあり、「予定した時期に開催できないことに対し、深くお詫び申し上げます」と結ばれていました。
この「建議」を受け取った紀念館の魏館長からも代表のところにメールがあり、この「建議」には従わざるをえない、しかし自分たちはパネル展をよいことだと考えており、もともとの計画通りの時期に行なうことができないだけであり、今後も不断に関係する指導部と連絡を取って「早期の開催をかちとる」とありました。
中国政府の「慰安婦」・性暴力問題への態度はみなさまご存知のとおりであり、省政府全体の姿勢も公に反対ではないが賛成・支持でもないなかで、このパネル展をあえて引き受けて下さり、奔走しつづけて下さったお二人は、開幕式は静かに滑り出したいと当初から考えておられました。開催すればその意義はわかると確信され、広く宣伝するのはそれからでいいとされていました。しかし、このお二人からの以上のような延期連絡で、もっともわかりにくいのは延期の判断の根拠となる問題でした。山西大学の趙金貴先生を通じて説明を求め、先生はお二人と連絡を取って下さいましたが、延期の理由はやはり以上の範囲の説明であり、暫時延期は中止でも無期延期でもなく、開催はできるのであり、ただ「中国の国情」を理解してほしいとの要望がありました。
急な延期決定の理由を憶測すれば、東北アジア国際情勢、日中関係、中国の目前の国内情勢の問題等、いろいろ想像ができますが、いずれも想像の範囲を出ません。しかし、それを確かめようとこれ以上説明を求めることは、中国の体制の中にあってはお二人を窮地に追い詰めるだけであると私たち(池田・石田)は判断しました。
私たちの共有する最大の目的は、中国の人たちが日本軍性暴力パネル展を通じて中国とアジア全域で被害を受けた女性たちの尊厳回復のための闘いを知り、これを記憶し歴史として伝え、今も苦しんでいる被害女性たち・その家族が少しでも生きやすい環境をつくる力になってほしいということです。ここまで信頼関係を築きながら共同の努力でようやく積み上げてきたことを無にしてはならない、なんとしても実現をかちとらなければならない、そのために、今回の延期に至った障碍をなんとか耐えて潜り抜け、もう一度実現に向けて共に協力しなければならないと考えました。
この延期について、最も心を痛めたのは、開幕を心配と期待と緊張で迎えようとされていた大娘たちのことです。どの大娘もご家族とともに参加を希望され、遺族は母親のパネルを見るために参加を希望されました。この3月、すっかり弱りきっておられた尹玉林さんすら参加を希望されました。日本での裁判が事実認定をされながら敗訴してしまったいま、彼女たちの人生と闘いが自国の重点教育基地である紀念館で一人ひとりのパネルになって展示され、認識されることは、彼女たちとその家族を励ます力に必ずなると私たちは信じてきました。それが延期となることが、彼女たちをどれほど落胆させ不安にさせるか、考えると胸がつぶれそうです。それを思うにつけても、これが本当に「暫時の延期」であるよう、私たちは中国の方々と今後もしっかり連絡を取り、一日も早い開催を実現したいと思います。
どうか、今後とも、みなさまも実現の希望を失わず、ねばりづよく武郷展の開催まで支えて下さいますよう、よろしくお願いいたします。
開催の予定が具体的に立ちましたら、またご連絡申し上げます。
2009年4月22日
「第二次大戦時期日本軍性暴力パネル展」(武郷展)
実行委員会 共同代表
池田恵理子 石田米子
wamの第7回特別展は、
「証言と沈黙〜加害に向き合う元兵士たち〜」
というテーマで準備しています。
そのオープニング・シンポジウムのお知らせです。
どうぞふるってご参加ください!
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元兵士の戦場の性
〜証言と沈黙、そしてPTSD〜
日時:2009年7月4日(土) 14:00〜17:00
場所:早稲田奉仕園内リバティーホール
参加費:1,000円 (維持会員カードをご呈示の方は100円引き)
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敗戦後、帰還した元兵士たちは日本経済を支える‘企業戦士’になりましたが、戦場体験を忘れることはできませんでした。戦友会を作って集い、戦場体験を綴って文集を作り、慰霊祭や遺骨収集に参加した人は少なくありません。しかし戦場での日本軍や自らの加害に向き合った元兵士はわずかです。ベトナム戦争に従軍した米軍や韓国軍の兵士と比べても、元日本兵には「加害者」としてのPTSDの症例が少ないと言われてきました。
唯一の例外は、中国帰還者連絡会(中帰連)の元兵士です。彼らは中国の戦犯管理所に抑留されて自らの罪状に向き合い、加害責任を認めて釈放されました。帰国後は「洗脳された中国帰り」とレッテルを貼られて差別や迫害を受けましたが、加害の体験を語り継ぎ、日中友好と反戦平和運動に尽力しています。なぜ中帰連の人々は、自らの加害を認めることができたのでしょうか。
今、イラク戦争からの米軍帰還兵やパレスチナ占領の元イスラエル兵が、侵略の実態と自らの加害を証言する動きが注目されています。元日本兵の加害意識と日本人の戦後責任を過去の問題ではなく、現在の私たち自身の問題として問い直します。
パネリスト
金子安次さん …戦犯管理所でどのようにして加害行為を語れるようになったのか。
熊谷伸一郎さん …若い世代が戦争加害に向き合うとは。
井上摩耶子さん …元兵士と心的外傷体験
金子安次(かねこ・やすじ)
元日本軍兵士。
1950年に中国・撫順戦犯管理所に収容され、1956年に不起訴で帰国。その後仲間たちと「中国帰還者連絡会」を設立、自らの加害行為の証言活動を続けてきた。2000年の女性国際戦犯法廷で性暴力の加害を証言。
熊谷伸一郎(くまがい・しんいちろう)
雑誌編集者。
中国帰還者連絡会の活動を引き継いだ「撫順の奇蹟を受け継ぐ会」を2002年を立ち上げた。季刊『中帰連』編集長。元日本軍兵士の戦場体験の聞き取りを続ける。著書に『金子さんの戦争—中国戦線の現実』(リトルモア)ほか。
井上摩耶子(いのうえ・まやこ)
フェミニスト・カウンセラー。
1995年に「ウィメンズカウンセリング京都」を設立、性暴力被害者の支援に取り組む。女性国際戦犯法廷では元兵士の聞き取り調査・分析を行う。著書・共著に『フェミニストカウンセリングへの招待』(ユック舎)ほか。
加藤修弘さんは、1996年から中国の日本軍性暴力被害を調べ始め、98年からは万愛花さんたち被害女性が訴えた「山西省性暴力裁判」の支援をしてきました。以来、年に1〜2回は現地を訪ねて、大娘(ダーニャン)たちや村人たちと親しく交流。wam第6回特別展の制作では日本軍による中国侵略史や、被害女性の個人パネルを担当して、これまでの蓄積を活かしてくれました。
加藤さんは昨年まで都立高校で歴史を教えていたからでしょうか、wamのガイドでも独自の説明パネルを準備して団体・来館者のみなさんにわかりやすく説明してくれました。これがとても好評!!
そこでこの春、加藤先生の中国展ガイド・スペシャルを企画しました。中国展をより深く理解するため、一度見た方も、まだ見てない方も、どうぞふるってご参加ください!
加藤先生のガイド日程
4月25日(土)
5月9日(土)
5月23日(土)
時間:14:00〜15:00
*個人の予約は不要です。団体の場合はお問合せください。
加藤修弘(かとう・のぶひろ)
1943年生まれ。元都立高校教員。
中国人強制連行を考える会、山西省・明らかにする会などで被害者の支援を続けてきた。著書・共著に『流れ坑夫―大井兼雄さんについての覚書』『黄土の村の性暴力―大娘たちの戦争は終わらない』『ある日本兵の二つの戦場―近藤一の終わらない戦争』『あの日、火の雨の下にいた―私の横浜空襲』など。
中国山西省・武郷にある「八路軍紀念館」での日本軍性暴力被害の展示実現に合わせて、wamの第6回特別展 「ある日、日本軍がやってきた〜中国・戦場での強かんと慰安所〜」も延長することになりました。
中国での展示は5月5日から1年間の予定です。訪中予定のある方は、どうぞお立ち寄りください。そして事前にどうぞwamでの展示も見に来てくださいね!
中国山西省の武郷にある「八路軍紀念館」で、日本軍性暴力被害のパネル展示が開かれることになりました。5月5日から1年間の予定です。
wamの7倍の広さをもつ大きな展示会場で、「ある日、日本軍がやってきた〜中国・戦場での強かんと慰安所〜」のパネル展だけでなく、2000年の女性国際戦犯法廷に参加したアジア各国の被害実態も含めて、大小160枚あまりのwamのパネルの中国語版が展示されます。wamは中国展を担った山西省、南京、海南島の被害者を支援する団体とともに開催に向けて準備してきました。
これだけ大規模な性暴力被害の展示は、中国でも始めてのことです。中国を訪問するご予定のある方は、どうぞお見逃しなくお立ち寄りください。