■なぜ導入された?
■80年代後半に胎動
「刑事訴訟手続きにおいて、広く一般の国民が、裁判官とともに責任を分担しつつ協働し、裁判内容の決定に主体的、実質的に関与することができる新たな制度を導入すべきである」
01年6月に政府の司法制度改革審議会がまとめた最終意見書。ここで裁判員制度の導入が固まった。約60年、法律のプロだけで行われてきた刑事裁判が、大きな転換点を迎えた瞬間だった。
戦前の1928年、一定の税金を納める男性から選ばれた陪審員12人が有罪・無罪を審理する陪審制が導入された。43年までに484件を審理。しかし、被告に陪審裁判の選択権が認められ、陪審員の結論は裁判官を拘束しなかったことなどもあり、制度は戦中に停止された。
80年代後半、国民の司法参加に向けた胎動が始まる。死刑囚の再審無罪が相次ぎ、弁護士を中心に陪審制の復活を求める声が上がった。「職業裁判官は検察側の主張を採用しすぎる」との批判だ。一方、最高裁も陪審制の英米や、裁判官と国民が一緒に有罪・無罪や量刑を決める参審制の独仏に裁判官を派遣し、調査研究を始めていた。
政府レベルで司法改革の議論が始まったきっかけは、民事裁判の問題解消を求める声からだった。バブル崩壊以降の債権回収などによる訴訟増加や規制緩和の流れの中で、時間や費用がかかりすぎることへの不満が経済界などから上がった。
小渕政権下の99年7月、法曹界、学者、経済界、労働界、消費者団体などの代表により司法制度改革審議会が発足した。委員の一人だった元広島高裁長官の藤田耕三弁護士は「国民の良識を裁判に反映させるという理念から、現状認識の差はあっても、ごく早い時期で国民の司法参加を前提にした議論が始まった」と振り返る。
■「陪審制は違憲」
目玉は刑事裁判への市民参加となり、議論の焦点は、市民だけで有罪・無罪を決める陪審制か、裁判官と一緒に審理する参審制を導入するかになった。
日弁連、労働界、消費者団体の代表は陪審派、学者や企業経営者は参審派が主流で激論に。藤田弁護士は参審制を押した。「米国で陪審制の誤判の研究が進むことや、量刑の相場が変わるのは公平性を欠くことから、裁判官と一緒に審理すべきだと思った」という。裁判官の独立の規定を挙げて「陪審制は違憲」との考え方もあり、合憲性も問題になった。
刑事裁判への国民参加に消極的だった最高裁も00年9月、評決権のない参審制構想を提示する。01年1月、松尾浩也・東大名誉教授が「裁判員」という言葉を使う。紆余(うよ)曲折を経たうえ、議論は、陪審制と参審制の利点を取り入れた独自制度の創設へ収れん。重大事件を対象に、事件ごとに無作為で選ばれた裁判員が裁判官と一緒に有罪・無罪や量刑を協議し、裁判員も評決権を持つ方向で意見書をまとめた。
■メディア規制は除外
政府が01年12月に組織した司法制度改革推進本部の裁判員制度・刑事検討会では、裁判官と裁判員の構成比が最大の論点になった。裁判員の数を裁判官と同じ程度にすべきだとの意見と、裁判官の倍以上との意見に割れ、議論は長引いた。
政党も考え方が分かれた。自民は裁判官3・裁判員4、公明は裁判官2・裁判員7、民主は裁判官1~2・裁判員10前後。04年1月、自公が裁判官3・裁判員6を原則とすることで合意し、政府原案が方向付けられた。
もう一つ議論になったのが、法整備にあたって「偏見報道禁止」などメディア規制を盛り込むかどうか。推進本部事務局の骨格案は、裁判の公正を妨げるとして規定を設けるとしていた。しかし、マスコミ界の強い反発で規定は外された。
政府の法案提出後、民主党は守秘義務の範囲を狭め違反の罰則緩和を主張。これに配慮した修正案が04年4月、衆院を全会一致で通過。参院は2人の反対があったが、同年5月に賛成多数で裁判員法は成立した。
藤田弁護士は、審議会の結果に「80点」をつける。裁判員制度について「経験すればプラスの方向に行く。司法への理解が進むうえ、裁判の権威も上がり、制度は定着の方向に向かうだろう。国民の理解を得るため、負担を軽減する努力を続けるべきだ」と話す。
■期待と課題は?
裁判員制度の枠組みをつくった政府の司法制度改革推進本部の裁判員制度・刑事検討会で委員を務めた元判事の平良木登規男(ひららぎときお)・慶応大名誉教授(刑事訴訟法)に、制度スタートにあたっての期待や課題を聞いた。
--裁判員制度がいよいよ始まります。
91~94年にドイツに留学して参審制を見たが、国民の視点が入る裁判が一番いい形だと思っていた。トラブルもあると思うが、うまくいってほしい。
--制度の意義は。
三権の中でも、国会、内閣は民主主義と結びついている。裁判所だけ違っていたが、国民が入ることで、いつでも批判を受けられるようになる。裁判官も国民に説明して納得してもらわないといけないので、分かりやすい裁判になる。従来の裁判はクリーンで世界に誇れるものだったが、全員がプロの法律家だと国民感覚から離れる可能性があった。同じ制度が長年続いた制度疲労もあり、大改革はマンネリ化を一掃する良い機会になる。
--国民にとってのメリットは何ですか。
欧州で裁判の国民参加が進んだのは、偏った裁判を自分たちの手に取り戻すためだった。例えばフランスでは、フランス革命で陪審制(今は参審制)を取り入れたので、陪審制は「フランス革命の娘」と呼ばれている。日本ではこのようなことはなく、理論先行型のところはあるが、分かりやすい裁判をして、国民がいつでも関心を持てる状態が望ましい。国民がいつも裁判を見ている、その目が大切だ。
--検討会で印象に残ったことはありますか。
自分が主張したが通らなかった二つのことが印象に残っている。一つは比較的軽微な事件から始め、慣れるに従って重大事件をやるべきだということ。二つ目は裁判員の選び方。無作為抽出ではなく、有識者でつくる委員会が裁判に耐えられる国民を選ぶ方がいいと主張した。死刑事件を担当する心理的負担は、たとえ職業裁判官でも大変重い。精神的に耐えられなくなる人が出るのが一番の心配だ。
--裁判は大きく変わりますが、課題は。
被害者が法廷に入り、さらに裁判員が入る。法律のプロじゃない人たちとどう融和させていくかが最大のテーマだ。評議、法廷進行など裁判所の責任はますます重くなる。裁判官の腕次第になるが、裁判員にどんどん話をさせて、意見を最大限生かす努力が必要だ。
--今後、制度にどうかかわりますか。
大東文化大法科大学院などでは裁判員制度をテーマにした授業をしているが、実務は変化している。自分も将来は弁護士として参加し、肌身に感じたことを授業でも話したい。
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■裁判員制度スタートまでの経緯■
1928 陪審制開始
43 陪審制停止
87 最高裁が陪審・参審制の研究開始
99・ 7 政府の司法制度改革審議会が発足
11 日弁連が陪審制導入を求める提言
00・11 審議会が「国民の司法参加が必要」との中間報告
01・ 6 審議会が裁判員制度の導入を打ち出す最終意見書提出
12 政府が司法制度改革推進本部を設置
04・ 1 与党が裁判官3人、裁判員6人の構成で合意
3 裁判員法案を閣議決定、国会に提出
5 裁判員法が成立(衆院は全会一致、参院は反対2人)
05・11 刑事裁判に公判前整理手続きを導入
06・ 8 検察庁が取り調べの一部録画の試行開始
10 日本司法支援センター(法テラス)が業務開始
07・ 5 複数事件で起訴された被告の審理を分割する「部分判決制度」を新設した改正裁判員法が成立
6 裁判員の日当上限1万円、60地裁・支部で裁判員裁判を行うなどの最高裁規則制定
10 法務省が裁判員の辞退に関する政令案公表
08・ 2 新潟県弁護士会が全国の弁護士会で初めて裁判員制度延期を求める決議
11 裁判員制度を主導した竹崎博允氏が最高裁長官に就任
11 全国29万5027人の裁判員候補者に通知を発送
12 刑事裁判の被害者参加制度スタート
09・ 4 超党派の「裁判員制度を問い直す議員連盟」発足
5 裁判員法施行、制度がスタート
毎日新聞 2009年5月21日 東京朝刊