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映画監督で東京芸大院教授、そして超人気知事の師匠である「世界のキタノ」…それでもビートたけし(62)は芸人だ。「オイラも一時は、お笑いでONをやっていたと思う」という天才タレントが、仲間やライバルについて語りながら、37年間の芸歴を振り返った。明かされる26年前の本紙との因縁とは? 戦後日本で最も愛された男のお笑いヒストリーを、前後編2回に分けお届けします。(北野新太、敬称略)=2009年2月24日掲載=
◆落語が原点
子供の頃から笑いは好きだったね。落語の(古今亭)志ん生さんとか(桂)文楽さんとか、よく聞いて笑ってた。でも、笑われるのは好きじゃなかった。ウチがペンキ屋だったこともあって笑われることはバカにされるっていうのがあって、それはいまだに抜けない。
おふくろから「理工学部で機械の専門家になってちゃんと働け」って洗脳されてたんだけど、学園闘争とかあって学校行かなくなっちゃうんだ。その頃、浅草に漫才とかよく見に行ったんだけど、これがつまんねえの。なんにも面白くなくて。でも、(出演を終えた)芸人が演芸場からベンツ乗って帰ってってね。それ見て「こんなつまんなくてもベンツ乗れんだ、これやろうかな~」って。それでアルバイトでフランス座に入っちゃった。
◆師匠の教え
(エレベーターボーイだったたけしを芸人として育てた)深見(千三郎)の師匠ってのはオレと同じで向こうっ気が強くて。笑われることが大嫌いだった。「舞台出れば笑われていいけど、普段はカッコ良くなきゃいけない」って言ってたよね。ヤクザみたいで怖かったけど、舞台出ると笑ったもんね。すごいツッコミで、ものすごい影響受けた。
あと(の芸人)は屁(へ)みたいなもんで。(後にツービートを結成する)相方の(ビート)きよしさんなんかがコントやってるんだけど、つまんねえの。アタマ悪いな、センスねえなと思って。その当時は顔も頭も姿も悪くて、学歴もないヤツが(やるのが)お笑いだって言ってたから。大学行ってたヤツがお笑いやるなんて相当なことだったんじゃない? だから楽なことは楽だったよ。学校の話とかでウケるんだよ。それで爆発してったとこはあるよね。
◆欽ちゃんは凄い
萩本(欽一)さんは面白かった。コント55号は(メジャー=テレビに)行くかなって思ったよね。55号の舞台は、あんまり客は居なかったけど後ろに芸人が立って見てた。後ろに芸人が立つタレントはすごいって言われてた。まだ芸人じゃなかったオイラが見ても面白かった。
そいで、オイラが芸人になって漫才に出るようになったら、他の芸人が後ろに立つようになった。途中からは芸人のためだけにやってたね。メチャクチャだった。客どーでもいいみたいな。玉川カルテットの衣装着て出ていったり、楽屋のアコーディオンを使って怒られたり。
テレビへの道はコント55号が開いたってのはあるけど、(自分は)あんまりやる気ねえな~って。(相方が)きよしさんだから、自分が1人でしゃべんなきゃいけないな~と思ってて。浅草で漫才やって、まあ死ななきゃいいなとだけ思ってた。
◆殴るビート
フランス座の先輩にきよしさんがいて。最初は(別の芸人と)コンビ組んでフランス座を出るんだけど、売れなくて帰ってくるわけ。で、オレに「たけし、一緒に漫才やんないか」って。「オレが話つけたから、松鶴家一門になった(コンビ名・松鶴家二郎次郎)」とか言うんだけど「ヤダ、オレそんなの。松鶴家って名前なんて売れるわけねえ」って。
それで一回ダメになった後、きよしさんが、今度はコロムビア・ライトさんのとこ行って「空たかしきよし」って名前になったんだけど、それも嫌でさ。「お前、悪いけど師匠とかいらねえよ。自分たちで勝手にやるよ」って。屋号とか一切要らないからってね。で「ツービート」になったのかな。ビートってのはリズムの4ビートとかじゃなくて殴る、打ち破るっていう意味。とにかくガンガンガンガンやるっていうイメージだったよ。そのままの芸風でいけたね。
◆給料袋立つ
面白いヤツらがいるって、だいぶウワサが出てくると、横山やすしさんが来て「お前らか、ツービートってのは。面白いらしいな」ってホメてくれて。で、やすしさんがメシ食わせてくれるってんで、(当時、既に仲の良かった島田)洋七と錦糸町で待ち合わせてると、やすしさんが「おい、乗れ」なんてテレビ局のハイヤーで千葉県まで行っちゃって。そしたらメシ食ってるうちに千葉に置いて帰られちゃったの。「ヒデーな、あの人」なんて言いながら、洋七は700円でオレが500円しか持ってなかったから2人で歩いて帰ってきて。
でも、1年後に会ったら、あいつは1500万、オレは1000万の小遣い持ってた。太田プロでは初め給料30万で働いていたら、半年後には700万になってた。1年後には1500万、3000万、4000万と…。カードもないから1000万円を袋に入れて持ち歩いてた。
税金なんて知らなかったから「よこせ」なんて言われて7000万も払わされてヒドイ目にあったよ。当時は振り込みなんてねえから全部現金。給料袋が立つと「出世したね」ってね。よく洋七と待ち合わせて、タクシー呼んで銀座に行って、こうやって(ホステスをはべらせる感じで)飲んだな。
◆83年「戦メリ」
1983年のカンヌ国際映画祭で、グランプリ確実と言われた「戦場のメリークリスマス」。日本で吉報を待つたけしに取材が殺到した。
時差の関係で、受賞が判明するのは深夜。本紙は締め切りに間に合わせようと、事前にVサイン姿を強引に頼み込み撮影した。しかし「戦メリ」はまさかの落選。翌日付紙面で「たけし いまではヤケのVポーズ」の見出しで受賞用だったはずの写真を勝手に掲載した。
あ~! あれは報知だったよな。(当時の紙面を見て)「いまではヤケのVポーズ」ってこれだよ、これ! 賞の発表の前日に撮ったんだよな。(当時の記者に)「まだ発表になってねえじゃねえかよ」って言ったら「イヤ、発表になってからじゃ遅いんで、とりあえず喜んでる写真だけお願いします」ってよ。
んで、Vサインしたら(グランプリが「楢山節考」の)今村昌平になっちゃって。「ヤケのVポーズ」ってヒドイね、こりゃ。でもまあ、自分では見事にコケてるけど、お笑いとしては(ネタにして)ただでは転ばないっていう。その日のラジオ(オールナイトニッポン)で2時間愚痴ってんの。(フライデー襲撃事件の後に)「ホントは報知新聞も襲撃してやろうかと思った」とか、そんなことばっかり言ってた。
そんで(「楢山節考」主演の)坂本スミ子も成田に帰ってきた時にVサインするんだけど、その時、あの人は大麻(譲渡)疑惑があってね。「大麻事件でこう(Vサインする両指をたばこを吸うように口に持ってきて)やったんじゃねえの」って言ったら、またそれで大騒ぎになっちゃって。「しょうがねえな、あいつ」ってね。
◆即金高級車
ある時、洋七と「オレがポルシェを買うから、お前のベンツと2人でドライブ行こう」ってなってね。車買い行ったら、1600万ぐらいのポルシェかなあ。
「これくれ」ってお金出して乗っていこうとしたら「何するんですか! ちょっと、いろいろと書類が」って言うから「いいよ領収書は」って。そういう問題じゃないっていう。「乗って帰る」「いや、ナンバーが…ナンバー取りにいかないとダメですよ」「乗れねえの? なんでナンバーもねえのに売ってんだ」「いや、こちらで届けますよ」「なんだよそれ。すぐにできんじゃん? ナンバーなんてテキトーしとけ」「いや、車とナンバーは別です」「あ、そうなの? 全然知らなかった」みたいな。「代わりにコレ乗って帰って下さい」「やだ、こんな汚ねえの。これじゃないとやだ!」とか。
結局、箱根にドライブ行ったらホテルに芸者を40人も呼んじゃって、小遣いやったら1銭も無くなっちった。ヒドかったな、あん時。
◆初監督賞は報知 メガホン3作目「あの夏―」淀川さん絶賛
監督第3作「あの夏、いちばん静かな海。」が91年の報知映画賞監督賞を受賞。後に「世界のキタノ」となるたけしにとって初「監督賞」だった。
淀川(長治)さんと報知ぐらいじゃねえ? あの映画を認めたの。オレとしてはいい映画だと思ってたのに、評判も客(の動員数)もそんなんでもなかったし。淀川さんには『あんたはいい感覚してるね』って言われたけど。でも、そのワリにゃあなんの表彰もねえなって思ってたら報知がくれたから「まあ、いいや」と思って。(同年の映画賞を独占した)山田洋次の「息子」なんてわざとらしいもんなあ。あの当時からオレ、山田洋次嫌いなの。
◆“長嶋育ち”本紙愛読
小学5年の時に立大合宿所をのぞきに行ったほど長嶋ファンのたけしは「巨人しか知らなかった」という。02年のリーグ優勝時は本紙に「祝福手記」を寄せた。
オレはジャイアンツファンで、王さん長嶋さんで育ってきちゃったからね。報知の野球面はたいてい楽屋で読んでる。芸能面? 自分のことが書いてあると恥ずかしいものがあるね。スポーツ紙って報知ってことじゃないの? 歴史があるからね。よく読んでるよ。今はアバウトで面白いから東スポの編集長やっているけど。
◆ツービート再開ある
○…休眠状態の「ツービート」だが、実は現在も解散はしていない。たけしは条件付きで、活動再開させる計画を明かした。今春発売するネタ本「漫才(仮)」が100万部を突破したら、2人で再びステージに立つという。「テレビでやれなかったネタをヤケクソで書いた」放送禁止用語が乱れ飛ぶ毒舌本。「きよしさんに『お前も買え』って言ってあるよ」。
◆ビートたけし 本名・北野武(きたの・たけし)。1947年1月18日、東京・足立区生まれ。62歳。明大工学部中退後の73年に漫才コンビ「ツービート」を結成。後の漫才ブームをけん引した。80年代からテレビ「オレたちひょうきん族」「天才!たけしの元気が出るテレビ」、ラジオ「オールナイトニッポン」などで国民的人気を博す。89年に映画「その男、凶暴につき」で監督デビュー。97年の「HANA―BI」はベネチア国際映画祭金獅子賞(グランプリ)を受賞。家族は妻と1男1女。
(2009年3月24日13時12分 スポーツ報知)
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