■「日本人に合った教育を」 加地伸行氏 正論大賞記念東京講演
第24回「正論大賞」受賞記念東京講演会で、講演する加地伸行・立命館大学教授=22日、東京・大手町のサンケイプラザ(撮影・中鉢久美子)第24回「正論大賞」受賞記念東京講演会で、講演する加地伸行・立命館大学教授=22日、東京・大手町のサンケイプラザ(撮影・中鉢久美子) |
第24回「正論大賞」(フジサンケイグループ主催)を受賞した立命館大学教授、加地伸行(のぶゆき)氏(73)の受賞記念東京講演会が22日、東京都千代田区のサンケイプラザホールで開かれた。加地氏は、「日本人の忘れたもの−教育・家庭・道徳」と題して講演。持ち前の軽妙な語り口で、戦後教育の問題点を鋭く指摘し、約600人の聴衆を沸かせた。
加地氏は、論語、儒教研究の第一人者。現代中国に関する鋭い分析や「日本語」を題材とした幅広い評論活動が高く評価され、第24回正論大賞を受賞した。
講演で加地氏は、戦後の日本の教育が本来、日本人の文化や伝統とは合わない「欧米流の考え方」を取り入れてしまったことに大きな問題があったと指摘。
「(欧米人の)『自由』や『個性』の概念は『神』という抑止力があってこそ成り立つ。それがないと、単なる利己主義になってしまう。学校の大切な役割は、人間が生きていく上での『型』を子供たちに教えることにあり、今こそ日本人に合った教育を取り戻すべきだ」と述べた。
第24回「正論大賞」受賞記念東京講演会で、講演する加地伸行・立命館大学教授=22日、東京・大手町のサンケイプラザ(撮影・中鉢久美子) |
■加地伸行氏「正論大賞受賞記念」東京講演の要旨
日本の戦後教育は「欧米のものまね」だった。だから日本人には合わないところがある。フランス革命が教えた「平等」なんて、学校で言うから子供たちの苦しみが始まるのだ。
東アジアには東アジアにあった教育があった。人間をどう見るか、人間に合うようにどう教育していくか。それを体系化したのが儒教だった。実は儒教は、「人間平等」なんて思っていない。1、2割は優秀だが、あとはボンクラというのが儒教の人間観だ。
だが、今の学校は「みんな優れている」「個性がある」という。儒教は優秀な人は相手にしない。優秀な人は自分で切りひらく。ボンクラをしっかり教育しようというのが儒教だ。難しいことは教えないで、大事なことをしっかり教えよう。だれもが学び、理解できることを教える。それが「型」なのだ。学校の大切な役目は「型」を教えることにある。大半の人は型を教えないと、どうしていいのかわからないからだ。わけもわからないままに社会にでてから困る人がどれほど多いことか。
「平等」「自由」もまた問題だ。本来は欧米の思想であって、(戦後教育では)教え方がまちがっている。自由というのは欧州では、自分で自分を律する(自律)。自分で律することができなかったら自分で立つ(自立)ことができない。立てば自己責任が出てくる。これができてはじめて個人主義が成り立つ。なぜ欧米人にはそれが可能なのか、というと、抑止力をもっているからだ。「神」が許さないのだ。欧米人には、唯一、絶対、最高の「神」が抑止力としてあるが、わが国にはそこが抜けている。それがないまま「個性」や「自由」を教えると、単なる利己主義になってしまう。
われわれにもかつては抑止力があった。東アジアの人間に共通する「祖先」だ。中東の地域ではユダヤ教やキリスト教、回教の一神教が生まれたため、祖先を敬うような考え方にはならなかった。祖先崇拝の大切さが残っているのは東アジアだけなのだ。
日本のお盆の迎え火や送り火もお釈迦様ではなく、ご先祖様だ。昔、空襲のとき、母はご本尊よりご先祖の位牌(いはい)をもって逃げようとした。それが日本の仏教なのだ。
教育学者や心理学者は家庭や親子関係の問題で、「もっとコミュニケーションをとれ」というが、われわれ日本人はそんなことが苦手。それよりも仏壇の前で家族で一緒に手を合わせたほうがいい。
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