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最近韓国内で公開された米映画「愛を読むひと」(原題:The Reader)で、ハンナ(ケイト・ウィンスレット、写真左)の人生を支えたのは自尊心だ。
文盲を隠すため昇進も断り、終身刑まで甘受したほどだった。ハンナにとって文盲はナチスの手先だったという事実よりも、より恥かしい弱点だった。ハンナの羞恥(しゅうち)心は彼女がナチスの手先として活動した1940年代、ドイツ社会に文盲者がきわめて稀だったことを反証する。
したがって文盲率がゼロに近いこのところ、韓国人はハンナの羞恥心を十分理解できる。しかし、ハンナがナチスに賦役していた40年代の韓国人がこの映画を見た場合も、現在の私たちのような感じだっただろうか。45年の解放(独立)当時、13歳以上の人口のうち、ハングルを全く読めず、書けない文盲者は77%にのぼった(康俊晩「韓国現代史散策」)。
韓国戦争(1950-53)当時までもハングルを書けず、戦友に手紙の代筆を頼む例が多く、休戦後にも長い間、新兵訓練所にはハングルを教えるハングル教育課程が残っていた。多くの人が軍隊に入隊した後になって、ようやくハングルを習い、はじめて両親に手紙を書くことができた。そのころの韓国人にとって文盲は非常にありふれたことで、終身刑まで甘受したハンナの行動は共感を得にくかっただろう。
ドイツが本格的に文盲退治に乗り出したのは19世紀初めだった。ナポレオン軍隊の侵攻によって、国土と人口の半分以上を失ったプロイセンは、国民教育から突破口を見いだした。プロイセンは1825年、兵役義務と同じく教育を国民に義務付け、強制性を帯びた教育制度を実施した。その結果、プロイセンを中心にドイツが統一される直前の1860年代に、適齢期の児童の小学校入学率は97.5%に増加した。
1870年にフランスの軍隊と戦って勝利を収めたモルトケ将軍は「プロイセンの勝利は早くも小学校の教壇で決まった」とした。1860年代に100%に近い小学校入学率を見せたドイツだったから、1940年代のハンナにとって文盲は非常に恥ずかしいことだったのだろう。
韓国は後発走者として一歩遅れて文字解読率を押し上げた場合だ。国立国語院(昨年12月)の発表によると、韓国の成人男女の文盲率は1.7%。ハンナの羞恥心に違和感を感じないのが当然だ。しかし08年10月、ソウル市民を対象にした調査で「この1年間教養書を何冊読んだか」という質問に、回答者の45.5%が「1冊もない」とした韓国の現実は、未来の見通しを不透明にする。いまや文盲率ではなく読書率が問題に台頭したのだ。