2009年05月20日(水)
甲斐善光寺再建の「匠」 肖像画発見 甲州市の石川さん宅、たたえる文章も
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肖像画が描かれた掛け軸を見る所蔵者の石川重人さん(写真右)と、調査を担当した西村慎太郎さん=甲州市塩山上於曽 |
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江戸時代に甲府市の善光寺の金堂(本堂)を再建した大工の棟りょうの肖像画が、甲州市塩山上於曽で工務店を営む石川重人さん宅で見つかった。
石川家は身延町下山地区を拠点に江戸、明治時代に名をはせた「下山大工」の棟りょう家の一つ。調査に当たった「甲州史料調査会」の西村慎太郎さんによると、見つかったのは一枚の絵を表面と裏面に分離して表装した掛け軸二本で、表面の掛け軸には、狩衣をまとい本を読みながら座る一人の男性像と、子孫が大工業で繁栄するよう願った和歌が、裏面の掛け軸には肖像画の人物「石川政五郎」の業績をたたえる文章が書かれていた。
西村さんによると、文章には、石川政五郎は善光寺の金堂を建てた後、金桜神社神楽殿の建築中に作業現場で亡くなり、息子の石川七郎左衛門が跡を継いだこと、二つの大きな寺院建立に携わった父の業績について「大徳」として子孫に伝えるため肖像画を発注したことなどが書かれている。
七郎左衛門は、宮大工必携の書「匠家雛(ひな)形増補初心伝」を記した下山大工を代表する人物だ。
善光寺の金堂は一七五四年に焼失し、一七九六年に再建。棟札には政五郎の名が残る。また「下山大工史資料」などによると、政五郎は一八〇二年に金桜神社の神楽殿建立に携わっていることから、肖像画はその後の数年間に書かれたとみられる。
西村さんは「紙質や書式などから江戸時代に書かれたものとみて間違いない。命日などに飾っていたのでは」と分析。石川さんは「掛け軸の文章の内容を知り驚いている。善光寺金堂建立を任されるのは当時でも大変名誉なことだっただろう。石川一族の宝として大切にしたい」と話している。
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