取材と休養のため、20日(水)まで休業させていただきます。
なお、週刊新潮に掲載される可能性のある記事に関する見解はこちらをごらんください。
書かれる前に書く、これが真実を伝える唯一の手段である、私はそう考えるに至りました。反省の念を込めて「白状」致します。
新潮社の記者には「反対に創価学会に迷惑がかかることになる」と忠告しておいたのに真実を書かざるを得なくなったことが残念でたまりません。
創価大学出身者など、ディズニーランドでは創価学会の会員の方も大勢活躍しています。
「最後のパレード」と創価学会
http://gpscompany.blogdehp.ne.jp/article/13448852.html
私は創価学会を攻撃している人間ではありません。是々非々の姿勢で対応しています。いずれ書きますが憲法九条問題では、公明党が主張する「加憲論」が正しいと考えています。(憲法の前文を総論、条文を各論と考えた時、総論や各論から何かを引き算することはしてはいけない。総論解釈上不足している各論を足し算すること、つまり「加憲」が正しいと考えます。)
反対に、ごく一部の心ない創価学会員のおかげで、また創価学会全体が悪く言われることを心配しています。
新潮社に情報をリークした学会関係者も今頃は「しまった」と思っているはずです。なぜならば結果的に、いつも創価学会を攻撃している週刊新潮に「手を貸す」結果になってしまうのですから。
顛末はこうです。
後から分ったことですが、「店主やお客が創価学会員のお店」に、偶然行ってしまったことが災いの始まりでした。
後から考えると入店した時から疑わしき状況がありました。カウンターは満席でしたが、「二階はどうなっている」という店側の一言でカウンターの左側から二人目の方が、すっと席を立ちました。
私はそこで2時間ほど楽しい時間を過ごしました。右側の品の良いご夫婦とは文化的な会話を楽しみました。私の左には青年が一人座っていました。誰とも会話することなく、一人考え込んでいるようでした。
私は、一人で寿司屋のカウンターに座ったのはこの店が初めてでした。寿司屋のカウンターは特別な場所といえないでしょうか。ゴルフ場同様に紳士、淑女が集う気品高き場所である、私はそう考えていました。
一回目も実に楽しい時間を過ごすことができました。握りは大将にまかせても4000円ほどで済みました。ですから再訪したのです。
満足な時間を過ごした後、私は「一人でも安心して歌えるカラオケスナックを紹介してくれませんか」と店側に尋ねました。なぜならば、一人で安心して歌えた「つちや」というお店が先月末で閉店してしまったからです。東村山市のPTA関係者や文化的な方々が集う、とてもマイホーム的な上品なお店でした。本当に残念でした。
店側は「学会の人が集う店がある」というような返事でした。
私に「スイッチ」が入ってしまったのは、この瞬間でした。その後、創価学会に関する問答が繰り返されました。
私はディズニーランド時代に苦情対応の責任者として様々な苦情に対応してきました。その中でも思い起こされるのが、キャッスル前のステージショー中止に伴う苦情です。確か10周年時のイベント「イッツ・マジカル」というステージショーだったと思います。
(アラジンのショーの記憶違いかもしれません)
天候による中止であれば、ゲストは納得してくれます。しかし、この時は中止の決定後も多くの人がその場を離れませんでした。
私が対応したゲストは愛知県からやって来られたカップルでした。このカップルは、地団駄を踏みながらこのように私に訴えました。
「休みを取り、このショーを見るためだけに朝から並んでいた。夢を壊されたようでこのままでは納得できない。時間を返して欲しい。」
時間を返して欲しい・・・東京ディズニーランド開園から数年間は、アトラクションが休止し、待っていたゲストに退出してもらう際によく言われたことです。しかしながら、安全確保のために止めたなど、誠意をもって説明することにより納得していただけました、
十分に説明できない機械的トラブルによる直前のステージショーの中止(途中中止だった可能性もあります。)は、ゲストとの信頼関係を大きく損ないます。ゲストを悲しませます。怒らせます。
話を戻します。私は「入会を勧誘するためのサービス」を受けていたと知った時、「ここで過ごした時間は何だったのか」と悲しみました。
期待が大きかっただけに悲しみは一瞬のうちに怒りに変わってしまいました。
「楽しく過ごした時間」が吹き飛び、「騙された、時間を返してくれ!」と地団駄を踏んで悔しがりました。「最後のパレード」に関する捏造報道への悔しさを癒すために訪れた店で受けた「サービス」が、私を挑戦的な人間に変えてしまいました。声を荒げたことも事実です。テーブルを(軽く)叩いたことも事実です。
過去にも同じようなことがあったのでしょう。店側は即座に警察を呼びました。
私は、過去に警察の怖さを経験しています。
私は、この恐怖の体験を思い出し、警察が来る前に店を出ることにしました。料金は6,000円と言われたので「釣りはいらない」と言って10,000万円札をカウンターに置き店をでました。
チームプレイで何が何でも警察に突き出したいと考えている「お客たち」が追ってきました。私は取り押さえられ、最終的に警察のパトロールカーの後部座席で「はがいじめ」にされていました。
その後のことは、書きたくありません。私が店を出た後に何が店内で行われたかを私が知る術がないからです。結局、店側も穏便に済ましてくれることになり、事件にも至っていません。
怖いことです。決して「普通」ではない私は助かりましたが、「普通」の人が、この店で声を荒げたり、カウンターを叩いたりすれば、確実に警察に連行されることになるのです。
もちろん、すべての警察官や警察所がそうすると言っているのではありません。以前から申し上げているように、私は基本的に警察を応援しています。ディズニーランド時代にお会いした警察官はいい人ばかりでした。業務にも協力的でした。
もちろん、私が「時間を返せ!」という主張をせず、黙って会計に向かえばこんなことにはなりませんでした。
この点は反省しています。「最後のパレード」の著者である私は自重自戒しなくてはいけなかったのです。
次の日には、お店に謝罪文をお持ちしました。暖簾(のれん)をくぐることは避け、郵便受けに投函してきました。必要なら内容を公開いたします。(ことの成行き上、修理代を支払うことも記入しています。)
今回の新潮社への情報リークが「お客」からのものであるか、お店側も絡んでいるのかは、新潮社がこの謝罪文の内容を知っているか知らないかで判断できます。新潮社は謝罪文の存在を知っているからこそ記事にすることができるのです。「穏便な対応をしてくれた」店側が絡んでいると容易に推察されます。
繰り返しますが、寿司屋のカウンターとはゴルフ場のように、メンバーが共に喜びを共有する「ホスピタリティの現場」であると考えている私が間違っているのでしょうか。それとも、今回の件は「交通事故」を起こしたと考えるべきなのでしょうか。
私は二度と「飛び込み」で入店することはありません。読者の皆さんも十分お気をつけられた方がいいと思います。
以下に私の酒席でのトラブルを記します。私は、黙ってはいられない性格ですが、他人様のものを盗んだり、壊したりする人間ではありません。「自己嫌悪」に陥ることばかりですが、「悪人ではない」ことについては、自らを固く信じています。
@ 新浦安の「S」でのトラブル
ディズニーランド時代にさかのぼる。人気店であり、混雑時は2時間の時間制限がかかることがある。当日は友人と二人であり、時間制限がかからないと確認し入店。しかしながら、店側は「事前に説明しているはず」とし、2時間後に退去を要請。私は店長を呼び、店外で強く抗議する。店長は従業員を信じ、私たちを信じず退出を求めたため、物別れに。
結局、後日店長は、浦安から東村山の自宅に一升瓶を持ち、謝罪に訪れることになった。
東村山駅西口再開発に関し、住民投票を求め直接請求を行ったメンバーが、協議のため集った際の出来事。(私は直接請求の代表請求人を務めた。)メンバーには、現職の市議会議員や元都議会議員候補も含まれ、紫煙の中で今後の進め方等が話された。
ある一点の違いで、私と他のメンバー全員という構図の口論に発展した。私が持論を取り下げないと、メンバーの一人は私の首根っこをつかみ、床に伏せさせた。私は過去に頸椎ヘルニアを経験しているため、ショックが大きかった。再発した場合に備え私が警察を呼んだ。
警察官の説得と、「市民によるこの連絡会の今後」を考えたことにより、結局、暴行の被害届は出さなかった。
B 秋田市でのトラブル
すでに、読んでいただいたと思うが、結果オーライでなければ、大変なことになっていた。読者にアドバイスするとしたら、携帯電話を取り上げられる前にトイレに入り、信用できる第三者(公人が望ましい)に連絡するといい。
隣席の人たちと口論になった理由は「政治と公共工事」の関係であった。男鹿市での講演が引き金になっている。
主催:秋田県男鹿地域雇用創出協議会
主旨:男鹿市における雇用促進
(男鹿市での起業を促し、起業した会社での雇用を増やす)
対象:起業に興味のある一般市民
内容:夢を叶えるディズニー的発想法
開催日時:2007年9月18日(火)14:30〜16:30
当日は豪雨の影響で秋田新幹線が止まった。関係者と調整し、急きょ岩手県側から高速道路で秋田へ向かった。結局講演が始まったのは16時に近かった。
この体験から、この国の政治と秋田県政はどうなっているんだ、と思った点はいくつかある。
@ 秋田高速道路はガラガラであった。秋田市に近づくまでは「貸し切り状態」と実感した。
A 講演を聞く人数の少なさに驚いた。当初は5人ほどいたが、終了予定時間の16時30分を過ぎると、4人が退出し、一人だけが残った。その残った人は「ちびまる子ちゃん」のおじいさんのような方であり、とても、男鹿市で起業に興味がある人とは思えなかった。さらに、講演中このおじいさんの目が開くことはなかった。
B 秋田国体に向けて進む急ピッチで行われた「道路づくり」である。国体とは「道路づくり」のためではないのか、と思えるほど道路がピカピカだった。私を送迎してくれた方も「新しい道路が増えた」と語っていた。
このように、国民の税金が「利用者が少ない(公益性に乏しい)道路づくり」や「実質的な効果がない、雇用創出対策の補助金」に使われているということを知り、私は怒りの念で一杯だった。
宿泊したビジネスホテル内の居酒屋で隣席に座った4人の方には、明らかに政治の世界に身を置く人が含まれていた。聞こえてきてしまう会話の内容で容易に判断できた。県議一人に市議一人、二人は地元の有力者という「イメージ」が残っている。
隣席の方々の会話の中には公共事業にからむ話があった。別に不正の話をしている訳ではないので、私が秋田県で「実感」した上での「意見」を言ってみた。それが高じて口論に発展したのである。
個人攻撃をしたつもりもない。証明されているように暴力をふるったり、何かを壊したりという事実もない。それでも、秋田中央警察署に連行された。政治関係者が警察に連絡をすれば、白いものも黒くなるということだ。
私が長い人生で、後に禍根を残す酒席上のトラブルはこの4件だけです。
もちろん、暴力を振るったり、器物を破損させたりしたことは一度もありません。天地神明に誓って申しあげたいと思います。
1月23日に論談に投稿した記事をご覧ください。
ディズニーランドと宗教
http://www.rondan.co.jp/html/mail/0901/090123-21.html
私は「最後のパレード」の締めの「あとがき」にこのように書きました。
世界中のディズニーランドに共通する、キャスト一人ひとりの使命は「幸福の創造」です。でも一人の力ではとてもゲストたちを幸せにすることはできません。協力し合い、助け合って、はじめてこの大きな使命をなしとげることができます。
まるですぐれたスポーツ選手のようです。どれだけアシストできるか、サポートできるかを、競い合っているのです。
世界中のディズニーランドでは、さまざまな宗教、人種、国の人が一緒に働いていますがトラブルは一切起こりません。みんながゲストをハッピーにすることをめざして協力し合っている、そこはすでに「小さな世界」なのです。
創価学会の人は、昨日紹介した「ディズニーマインド」でいる時は素晴らしい仕事をしてくれます。反対に、選挙のように勝ち負けを争う「モード」にスイッチが入ると、「一元論の怖さが露呈される」と指摘する人もいます。
「国家の品格」の冒頭には「宗教を教えずどのようにして道徳を教えるのか」というようなことが書かれていたと記憶しています。ディズニーフィロソフィーを「宗教のようだ」と言う人もいます。
宗教とは個人を救うものです。時間をかけて、ディズニーフィロソフィーと宗教の関係を明らかにしていきたいと思います。
「最後のパレード」盗用疑惑に関連し、東村山市議会議員 草の根会派の二人がインターネットの掲示板2チャンネルに「自殺」「殺す」と書きこまれていることが10日分かった。
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/news2/1241839812/
以前(2006年1月)に個人ブログに書いたものを転載します。
<転載開始>
今日は「豊かさマインド」と「欠乏マインド」について述べてみたいと思います。
まずは「欠乏マインド」についてです。皆さんはこの言葉を知っていましたか。
「欠乏マインド」とは物事を一個のパイと見て、他の人が大きな一切れを取ると、自分の取り分が減ると考えます。それは、物事をゼロ・サム・ゲーム(一方のプラスが他方のマイナスになり、両方の得点の総和が必ずゼロになるゲーム)と考えるマインドです。つまり人に何かを与えることは自分の取り分が減ると考えてしまうマインドです。
「欠乏マインド」とは他人が誉められたり、大きな成果を出したり、成功したりするとまるで自分から何かが奪われてしまったような気持ちになってしまうマインドです。
この「欠乏マインド」を持つ人は、いつでも比較したり競争したりしています。そして「勝つ」ということは「相手を負かす」ことである、そのように考えてしまうのです。
そして「欠乏マインド」を持つ人は、物や人を自分の所有物にすることで、自分の自尊心を高めようとし、その追求に多くのエネルギーを浪費し、他人を思いのままにしたいと考え、イエスマンやご機嫌取り、自分より弱い人たちで自分の周りを固めようとするのです。
そして、このマインドの人は、
業界内の小さいパイを奪い合い、一人勝ちをしようと考えます。
出る杭は打ち、邪魔者を消します。「やるか、やられるか」のパラダイムです。
嫉妬の天才です。自分よりすぐれたものをうらやんだりねたんだりします。
コラボレーションできません。協調性に欠け、相手に気を許さないからです。
教えてしまうことは自分が損をする、マニュアル化すると自分が損をすると考えます。
電車が5分でも遅れると損をしたと考え、苦情を申し立てることもあります。
取られる!攻撃されたと思い反射的な行動をとります。(キレルのが早い人です)
秘策、奇策を使い「刺客」を送ります。
ポチになります。長いものに巻かれたほうが楽だと考えます。
情報公開をしません。「見ザル、言わザル、聞かザル」の姿勢です。
パーティに招待されても何も持参しません。
「豊かさマインド」は、「欠乏マインド」の反対です。すべての人を十分に、あるいはそれ以上に満足させることが可能である、と考えるマインドです。「豊かさマインド」を持つ人は、天然資源や人的資源(創造力)には無限の可能性があると考え、全ての人を満足させる新しく創造的な代替案や第三案をつくり出すことができると信じています。
「豊かさマインド」を持つ人は、豊かさを創造し、人とその豊かさを分かち合うことができます。たとえばパーティに招待されたら、「音楽」「エンターテイメント」などを持参します。豊かな世界を広げるために持っている能力は惜しみなく提供したいというマインドを持っています。
この「欠乏マインド」と「豊かさマインド」の出所は、スティーブン・R・コヴィー著「7つの習慣」キング・ベアー出版 です。ぜひ読んでみてください。
さて、著者のコヴィー博士は「欠乏マインド」を持つ人は・・・と述べていますが、日本人の場合、私は多かれ少なかれ誰にでも両方のマインドがあるものと考えています。人間の心には両面性があるからです。
たとえば自動車の運転です。私もそうですが、割り込みをされた時など「ムッ!」としてしまうことがありませんか。
「ハンドルやカラオケマイクを握ると人が変わる」という話もよく聞きます。
大切なことは「自分は今、欠乏マインドモードにあるかもしれない」ということを自己認識すべきであり、意識的に「豊かさマインドモード」に気持ちを切り替えていく必要があるということなのではないでしょうか。
(「欠乏マインド」でなぜ悪い!という方からは余計なお世話と言われるでしょうが・・・)
日本のトップの小泉総理大臣や東村山市のトップの市長は、この「欠乏マインド」が強い人なのか、「豊かさマインド」が強い人なのか、この見方は分かれるとは思いますが、「欠乏マインド」の強い社会は犯罪や事故を多発させる社会である、このことだけは間違いないと考えます。
つまり、すべての犯罪や事故の真因は「マインド」にある、つまり日本人の「心」にあるということです。
いくら「規制」や「罰則」を強化しても、「基準」を統一しても、この荒廃した日本社会は決して良くはならないと私は思います。
私はこの「欠乏マインド」の強い人とは上手なコミュニケーションができません。小さなパイを取り合う、相手に勝つことだけを考える人たちと論議しても残るのは「むなしさ」だけであり、時には口論に発展してしまうこともあるからです。
もちろん、文中にもあるように、私が豊かさマインドの持ち主で他者とは違う、などと言っているのではありませんが、できるだけ自分が欠乏マインド状態に陥らないようガマンをしているつもりです。なぜならば、アルファー波が発せられている豊かさマインド状態の方が、議論をしていても楽しいし、生産性も高まるからです。
<転載終了>
私は講演で、このマインドを「ディズニーマインド」と「貧困マインド」と言い換え、ディズニーマインドの方が生産性が高い、と申し上げてきました。
違いを一覧表にしています。名著「菊と刀」の内容を表に整理したようなもので、日本では私にしかつくれないであろう貴重な資料です。
小泉改革が生み出した貧困マインド社会が終わり、豊かさマインド溢れるディズニフィケーション(社会のディズニー化)された社会が訪れることを願い、無料で公開します。ご自由にお使いください。(参考文献は「7つの習慣」や「異文化インターフェイス経営」であることをお示しください。)
講演配布資料
高橋明男所長はもともと柏崎刈羽原子力発電所に長く勤められ、福島第二原子力発電所などを経て2007年6月に、柏崎刈羽原子力発電所に戻られた直後に被災されました。私は福島第二原子力発電所所長時代にお目にかかっています。
皆さんは知らないかもしれませんが、原子力発電所の職員の一挙一動は、役人に監視されているのです。
「箸の上げ下ろし」までチェックされているのか・・・私にはそう思えました。
今日の東京新聞朝刊にも、マスコミ御用達の原発反対派が「今後もまた火災が起きる可能性もある。動かした以上は『問題が起こったら責任はすべて東電にあるんだぞ』と言いたい」と話したそうですが、昨日紹介した、原発の「危険度レベル表」を見せてあげたいと思いました。
お願いです。東電の「電力館」や、各発電所近隣の原子力発電所を理解してもらう施設を訪れてみてください。そして、マスコミの「悪質報道」に惑わされないよう「原子力」を勉強してほしい、そう願ってやみません。
勇気を持って発言「原子力は安全です。」
http://gpscompany.blogdehp.ne.jp/article/13221796.html
私は読売新聞の捏造報道後、今日までのだいたいの流れを予想していました。予想できたのは、コンサルタントとして、解体された雪印食品の不祥事発覚時、JR福知山線事故発生後の記者会見の様子などから、マスコミの体質を見抜いていたからです。
スズメバチの集団のように襲いかかってくることを知っていました。ですから、私は報道後今日まで、誰にも相談せずに「表に出ない」という己の行動を決定してきました。
サンクチュアリ出版様はメディア対策コンサルタントに業務依頼したことに対し、私は「失敗するからやめた方がいい。」とアドバイスしましたが、結局私の言った通りになってしまいました。
後頭部をいきなりぶん殴られた私は、報道後一時冷静さを失うこともありましたが、本来はマスコミ被害を最小限に防ぐための「専門家 」でもあります。
本来は有料の「ノウハウ」ですが、自分や家族を守るために無料で公開します。
マスコミ対策には準備が必要
http://gpscompany.blogdehp.ne.jp/image/A5DEA5B9A5B3A5DF.pdf
当社が想定していた「準備」
http://gpscompany.blogdehp.ne.jp/image/A5B5A5F3.pdf
(「オウム一行が来る!対応は中村SVに任せる」同様に、読売の捏造報道は想定していませんでした。)
請願4通
http://gpscompany.blogdehp.ne.jp/image/C0C1B4EABDF1A3B4C4CC.pdf
東村山市議会で採択された「地球温暖化防止東村山宣言」請願の紹介議員になっていただいた議員の方が、第三者の立場で、この問題をするどく解説されています。
「真相究明 10」
社団法人「ちいさな親切運動」本部の説明責任は重大
「ちいさな親切運動」本部ですが、この団体は、根拠もなく中村氏側と「あひるさん、ありがとう」(「A」)に接点がないにもかかわらず、中村氏側に「盗用疑惑」があり、あたかも中村氏側が「あひるさん、ありがとう」(「A」)の一部を作り変えて、ディズニーの話であるかのように偽って出版し著作権を侵害したかのように印象づける読売記者氏の「尻馬」に乗って、そのHPでも「4月20日付、読売新聞掲載記事『最後のパレード』はがきキャンペーン作品盗用疑惑について、社団法人『「小さな親切』運動本部では、4月30日(木)4時より文部科学省記者会にてプレス発表を行ないました。」というコメントを発表している。
読売記者氏の使用した「盗用疑惑」という文言を使っているところからみて、どうも、この団体本部も中村氏側には「盗用疑惑」があるとの前提でご主張のようである。
そうすると、読売記者氏と同様に「ちいさな親切運動」本部に対しても、中村氏側には「盗用疑惑」があるとする根拠を説明してもらわなくてはならないし、読売記者氏と同様に、社団法人たる「ちいさな親切運動」本部側にも、説明責任とその義務がある。
つまり、公然と中村氏側には「盗用疑惑」があると発表したことに関する中村氏側に対する名誉毀損、信用毀損の問題は、読売記者氏と同等程度ということになるからである。
そのHPで公表している「運動」の趣旨からみて、今回の「ちいさな親切運動」本部のこの問題に関するご主張やとってる態様には、著しい違和感を感じるし、第一、全く冷静さに欠けている。
じっくり時間をかけて事実経過を徹底調査することをしないで、何をそんなに焦っているのだろうか? 結局、慌てなければ、公然と中村氏側には「盗用疑惑」があると発表するような勇み足はしなくて済んだであろうに。だが、やってしまったからには、当然、責任が発生するのだ。
この団体本部が「はがきキャンペーン」で寄せられた話について、オリジナルを作文した人物ではなく、自分(団体)が著作権者であると強調し、そこまで著作権の侵害を主張するその「本当の目的」とは一体なんなのか?読売記者氏に煽られたにしても、全国に10数万人の会員を抱えているはずの団体本部のとるべき態度だろうか?一体、何が「目的」なのか?
徹底調査し、「真相究明1」以降、明らかにしてきた経過からも、とても中村氏側には「盗用疑惑」があるとか、中村氏は悪意の人物だと断言することはできない。にもかかわらず、公然と「盗用疑惑」と決めつけた責任は重い。
現在、出版社側に、この団体がつきつけているという要求項目には金銭請求は入ってはいないようだが、今後どのように推移するのか、注目していきたい。
平成21年5月6日
株式会社外部の専門家によると、2日の20時ころから、同社のホームページに記載されているメール機能が完全に停止し、現在も全くメールの送受信できない状況であることが分かった。
同社担当者は、5日東村山警察所と相談、サーバー管理会社が7日の業務再開後に事件性の有無を確認後、正式な被害届を提出したいとしている。
同社代表は、「当社は不定休で営業している。関係者にご迷惑をかけて申し訳ない。今後、被害が生じた理由を明らかにしていきたい。」と話している。
ディズニーと著作権
http://gpscompany.blogdehp.ne.jp/article/13440574.html
ノミのキンタマの8分の1
http://gpscompany.blogdehp.ne.jp/article/13444115.html
少しだけ正常になってきました。
http://gpscompany.blogdehp.ne.jp/article/13444108.html
「なぜ最後のパレードだけが」の不思議
http://gpscompany.blogdehp.ne.jp/article/13443841.html
中村 克が「ひれ伏せ」に屈服しない理由
http://gpscompany.blogdehp.ne.jp/article/13443495.html
東村山通信 ユニセフへの寄付について
http://gpscompany.blogdehp.ne.jp/article/13442970.html
読売新聞のずさんな取材方法を知ってください
http://gpscompany.blogdehp.ne.jp/article/13442515.html
東村山通信 豚インフルエンザのメキシコを思いやる動き
http://gpscompany.blogdehp.ne.jp/article/13442451.html
毎日新聞の報道は見解の相違、オリエンタルランドも困惑しているでしょう。
http://gpscompany.blogdehp.ne.jp/article/13440710.html
窃盗の疑義をかけられている私は、ディズニーランドで万引き犯のインタビュアーも私服の張り込み人(ディズニーランドではある動物に称しています。)も経験しています。
ディズニーランドでの集団万引き報道を受けて
パーク開園前、警察から「これらの確認作業を行わないと反対に訴えられる」という強い指導を受けたオリエンタルランド保安担当部署は、県警の指導に従い「疑わしきは罰せず」の姿勢で、慎重な万引き対応業務を行ってきました。
ディズニーランドが訴えられて負けたら大変なことですが、以下の「窃盗(万引き)確定要件」を証明できる書類をしっかりと残しているため、私が知る限りでは、冤罪で訴えられたケースはなかったものと記憶しています。
「窃盗(万引き)確定要件」
@ 盗ろうとする商品がそこにあることを現認
A (窃盗犯が)その商品を手に取ったことを現認
B (窃盗犯が)その商品を捨てたり、棚に戻したりせず、バックやポケットに入れたことを現認
C (窃盗犯が)料金を支払わずに店外に退出した瞬間に、その場で窃盗犯をとりお さえることで「窃盗の現行犯」であることが確定する。
つまり、「店外で手に持っていた」「目撃した」では、要件が確定していないのです。
私が書籍に掲載した(手に持っていた)だけでは、決して窃盗を立証できません。
私は読売新聞の報道が捏造記事である決定的証拠を有していますが、読売新聞がそのことに対しどのように説明責任を果たすのか・・・聞いてみたいです。
寺島実郎の発言
思潮21「主体的日本とは何か」
朝日新聞2006年1月16日(夕刊)掲載
<引用開始>
欧米社会でのパーティー・ジョークで何度となく聞かされた定番の話がある。<引用終了 >
http://www.nissoken.jp/rijicyou/hatugen/koukaikiji2.htm
郷原信郎氏の著書「思考停止社会」から
<引用開始>
食の偽装、建築の強度偽装、ライブドア事件、厚生年金記録の「改ざん」問題。取り上げられる事例に共通することは、コトが表面化した途端に企業、組織がメディアや世の中からバッシングされ、事実や背景、原因は無視される構図だ。
「法令遵守」「偽装」「隠蔽(いんぺい)」「改ざん」「捏造」バッシングに使われる言葉の数々を、時代劇になぞらえ「印籠(いんろう」と呼ぶ。
日本人は「印籠」を出されるとひれ伏してしまう。メディアも世の中もバッシングに加担。思考停止です。
<引用終了 >
4月19日 朝日新聞
連休最終日、今日は憲法記念日の振替日だそうです。娘に教えてもらうまで知りませんでした。
東京は小雨・・・私の心が晴れる日は果たしてやってくるのでしょうか。
「最後のパレード」に掲載されたエピソードを一つ紹介します。今後は、このエピソードの趣旨をOS(基本ソフト)にこの本の各論を論じてください。
こんなにきれいな光
季節はお盆です。私は夜のパークをパトロールしていました。
盛大なファンファーレが鳴り響くと、東京ディズニーランド・エレクトリカルパレードがはじまります。
光輝くディズニーのスターたちを乗せたフロートの一団が近づいていくと、パレードルート周辺にぱあっと活気と笑顔があふれました。それは私にとってはいつもの光景でした。
ふと見ると、80歳くらいのご婦人が前屈みになっていました。その背中をご主人がさすっています。
トラブルか緊急事態か、と緊張してそばに駆け寄り「どうかなさいましたか? なにか困りですか?」とたずねると、ご婦人は涙をすすりながら「ごめんなさい」とおっしゃいました。
「戦争でひとり息子をなくした私たちは、いつもこの時期になると東京のお墓に会いにくるんです。その帰りに今日はじめてこちらにきて……わけもわからずみなさんと一緒に座っていたら、このパレードがはじまって。こんなにきれいな光のパレードを見られて感激したんです。戦争中は毎晩、毎晩、電気を消して、じーっと息をひそめていたんですもの。日本は平和になったんだなって思ったら急に涙が止まらなくなって」
息子と一緒に見たかった、と最後にぽつりと言いました。
平和なのが普通だと思っていた私にとっては衝撃の言葉でした。
その夜、ふたたびこのご夫婦を見かけました。
笑顔で、お城を仲良く見上げるお二人のシルエットが花火に浮かび上がっていました。
<著者解説>
このエピソードは何回読んでも泣いてしまいます。この日、ご夫婦はイッツ・ア・スモール・ワールドもご利用になられたのかもしれません。イッツ・ア・スモール・ワールドは国際機関ユニセフの要請で1964年のニューヨーク博覧会に出展されたもので、世界中の子どもたちの人形が「人類の調和と世界の平和の歌」を歌っています。私が大好きなアトラクションの一つです。
「最後のパレード」においてこのエピソードは「紅白歌合戦」でいう白組の「トリ」に当たります。
年末から年頭にかけてのイスラエルによるガザ侵攻時は、まさにこの本の執筆中でした。日本社会が祝賀一色の頃、私はひとり、このエピソードをすべてのユダヤ人やパレスチナ人、そして全世界の人々に届けたい、そう願っていました。
報道によりますと、イスラエルの高官はパレスチナ側に対し、「日本のように全面降伏せよ」という趣旨の発言をしたそうです。
私は許せませんでした。
なぜならば「毎晩、毎晩、電気を消して、じーっと息をひそめていた」日本人と、「毎晩、毎晩、電気を消して、じーっと息をひそめている」パレスチナ人の姿が重なって思えたからにほかならないからです。
以前に記したように、私の父は中国で戦いました。父の兄は母の待つ生家から遠く離れた中国の地で戦死しました。弱冠20歳でした。今静かに、靖国に眠っています。
父の長兄は天皇陛下を守る近衛(このえ)兵でした。伯父の棺に「近衛の軍服」が添えられていたのが忘れられません。
戦争は決してしてはいけないのです。
私は、パレスチナ問題を解決するには、軍事力ではなく「パラダイム(理論的枠組み、ものの見方考え方)に訴えるしかないと考えます。
紹介したこのエピソードで語られるパラダイムは日本人の「総意」であると私は確信しています。
この日本人の「総意」を世界中に届けたい、その「思い」をこのコメントに込めました。 このエピソードは何回読んでも泣いてしまいます。と書いた理由をご理解いただけると思います。
サンクチュアリ出版様も同じ気持ちでした。中国語や英語に翻訳し、このエピソードが載っている「最後のパレード」を全世界の人々に読んで欲しい、そう願っています。
私は、このエピソードと出会う前は全体としては改憲論者でした。憲法九条に関しては公明党が主張する加憲論に近い考え方を持っています。
私はこのエピソードに出会い、憲法九条は絶対に守らなくてはいけないと確信しました。この国を戦争ができる国にしてはいけない、改めてそう思いました。
殺された私の伯父も、人を殺したのかもしれません。中東での殺し合いも同じです。人には人を殺す権利など無いのです。
このエピソードは著作権フリーにします。九条を守りたい方は、責任はすべて私が取りまので、どんどんコピーし「戦争が個人をどの様な思いにさせるか」を分かってもらえるよう、自由に活用してください。
政治という「鳥の目」ではなく、個人という「虫の目」で九条を考える「教材」にして欲しいのです。
人間は、まず感情で意思決定し、後にその選択を理論的(言い訳的)に正当化します。
ユダヤ人のパラダイムを転換させるには、ミサイル攻撃ではなく、一人ひとりの心の「はーとディスク」への「感情ロケット攻撃」しかない、私はそう考えます。
私たちは、この「最後のパレード」を出版するに当たり、本当に「人類の平和」を考えてきました。サンクチュアリ出版はアメリカにも支社がありますが、この本が世界のベストセラーになり、ユニセフへの寄付行為など、社会貢献に大きく役立つ書籍になると、固く信じて来ました。
一部書店では、店頭からこの本が消えたそうです。悲しすぎます。あまりにも心ないと言わざるを得ません。
「最後のパレード」の著者や出版社をバッシングしている人たちに告げたいと思います。
「小異を捨てて大同に就く」という言葉もあります。小さな法律解釈行為はやめて、ディズニー精神や憲法前文の精神に則した大きな心でこの騒動をジャッジしてほしい、そう願ってやみません。
やっと、気がついたようですが、まだまだ不十分です。
何回も指摘しているんですが、最後まで、解説が必
要なようです。 (「真相究明 7追加版」 5月6日)
「真相究明6」では、問題の核心が以下の点であることを指摘しました。
@ 中村氏側が、読売夕刊掲載された原作をみたこと、または知って いたと証明できるのでしょうか?
A中村氏側が、「24日の新聞にでてました」との注記つきの流出分の ネットの掲示板投稿をみたということが証明できるのでしょうか?
B加えて、原作が読売夕刊掲載されてから4年以上もたって、その後の 「24日の新聞にでてました」との注記がない投稿は、読売夕刊掲載さ れた原作を一部改変したものだということを、中村氏側が知っていた、 ということを証明できるのでしょうか?
そのうえで、読売記者氏を含めだれも、根拠を挙げた上で、この点を客観的に証明した上で、「盗用疑惑」だとしている人はいない点を指摘しておきました。そして、この点が破綻をきたしていることから、すでに指摘したとおり、読売記者氏をはじめとして、オリエンタルランド関係を持ち出していますが、このことも残念ながら、オリエンタルランドの実態からして、すでに「真相究明4」で指摘したとおりで、議論の余地がありません。
そして、理解の参考となるように、おおまかな図式を記載しておきました。
が、やはり、この図式のおおまかさを、誰も指摘できなかったですね。惜しかったですねぇ、理解まであと10歩です。
では、タネあかしをしておきましょう。中村氏側には著作権侵害の責任はないことを正確に図式化すれば以下のとおりです。(A は「あひるさん、ありがとう」、 Bは「ディズニー感動スレ」に投稿されたAとは別のドナルド・エピソード)
A-@ 原作→
A-A 04年11月2日読売夕刊掲載→
A-B 「2ちゃんねる」の「ディズニー感動スレ」に、
04年11月30日、読売夕刊を見た者が投稿しネット上に流出。
(「24日の新聞にでてました」との「注記」が文末に付記されていた)→
A-C 直後からネット上に、「24日の新聞にでてました」との「注記」を削
除 したコピペ流出、伝播。
A-D Cの段階までに、流出差止め、同一性保持回復の権利主張(提訴 ないしは権利侵害者に対する法的措置)は一切とられなかった。
この段階で「A」に関する著作権主張はAーBに対してのみ可能
《4年半が経過、この間にAとは別の著作物たる「ディズニー感動ス レ」に投稿された「ドナルド・エピソード」(B)が定着》
この段階で、「B」は「著作権者の了解を得ているかどうか不明」の著作物ではな
く、「A」との関係は切断されていますから、読売記者氏の気づいたとおり、明らかに 著作権者は各投稿者と見る以外にありません。もっとも本当の「著作権者」かどうかの 問題はのこりますが。しかし、仮に、各投稿者が著作権者であるとしても、「相当な努 力」をした場合も、投稿者の個人情報は開示されません。(「真相究明 6」参照)
↓
Bー(0) 「ディズニー」キャラクターの「ドナルド」は「ドナルド・エピソード」B にでてくるような「大きな手で背中をなでる」動作を「サービス」として「ゲ スト(客)」にするということに「ディズニー」内ではなっているのですから、 「B」と同種の「エピソード」は数えきれないほど存在することを、中村氏 は体験的に知っていた。
B−@ 中村氏側、「2ちゃんねる」の「ディズニー感動スレ」等に投稿され た「ドナルド・エピソード」のコピー多数を収集(すべて「24日の新聞に でてました」などの注記はなく、舞台は「ディズニー」で、登場するのは単 なる「あひる」ではなく「ディズニーキャラクター」の「ドナルド」)
B−A 中村氏側、「2ちゃんねる」の「ディズニー感動スレ」等に投稿され た「ドナルド・エピソード」の著作権者が、各匿名投稿者であるとの認識 はもったが、すでに「ドナルド・エピソード」自体が公知の事実化してい ること、各投稿者の個人情報は犯罪でもないかぎり開示されないた め、匿名投稿者の特定は不可能と判断。
(中村氏側が、「2ちゃんねる」の「ディズニー感動スレ」等に投稿された「ドナルド・エピソ ード」(B)の著作権者は、各匿名投稿者であると認識したことには瑕疵、過失はなく、善意者であることに議論の余地はない。「真相究明3」参照)
B−B 「B」につき各投稿者が著作権を主張しうるかの問題ですが、すで に「真相究明1」の末尾に記載したとおりであって、いずれにしろオリ ジナルではないのですから、どのようにみても不可能です。
B−C オリエンタルランドの件は、残念ながら、オリエンタルランドの実態 からして、すでに「真相究明4」で指摘したとおりで、もはや議論の余 地がありません。
いずれにしても、中村氏側は「あひるさん、ありがとう」(「A」)との接点すらありません。どうも読売記者氏はこのことをすでに知っていた疑惑さえあります。
中村氏側は、単に、「2ちゃんねる」の「ディズニー感動スレ」等に投稿された「ドナルド・エピソ ード」(B)を収集し紹介した善意者にすぎないのですから、読売記者氏は決して「盗用」などという言葉を使ってはいけなかったのです。
すでに、著者中村氏は「最後のパレード」末尾に、「本書で紹介されているエピソードは、東京ディズニーランドの関係資料、東京ディズニーランド元関係者の方々の談話、東京ディズニーランドのファンサイトの情報を基に再現したものです。」と出版に至る経過を明らかにしており、この点からも「盗用疑惑」、「盗作疑惑」などといわれる理由は全くないからです。
したがって、中村氏側が「あひるさん、ありがとう」(「A」)の一部を作り変えてあたかもディズニーの話であるかのように偽って出版したかのような著作権侵害をしたなどということは到底ありえず、中村氏側に「盗用疑惑」、「盗作疑惑」が惹起するはずもないのはもはや明らかです。
中村氏側に向かって騒ぎ立てるような問題ではなく、むしろ、読売の責任と「小さな親切運動本部」側の問題をしっかり問い直すべきでしょう。
結局、中村氏側には実害が発生しているのですから、今後実害発生の責任が問題化していくのは間違いないでしょう。
それと、匿名ネット族のみなさん、無意味に騒ぐだけでなく著作権法を もっと勉強し、そして事実の経過を確認し、よぉく考えましょうネ!http://www.geocities.jp/higashimurayamasiminsinbun/page222.html
※過去記事に少々手を入れたものです。経済活性化対策の起爆剤になると思います。その理由は、2兆円あれば、年収400万円の勤労者を50万人生み出すことができるからです。
☆ 日本に夢を ☆
夕張市には600億円以上の森林財産が眠っています
この財産を生かし夕張市を日本一豊かな街に再生させます
この夕張再生方式を日本中で展開し、莫大な雇用を生み出しましょう
夕張市には借金総額を超える森林財産が眠っています。夕張市を地球温暖化防止対策の「一丁目一番地」の森林開発で再生させます。
財政破綻した夕張市には、約70,000ヘクタールの森林があり、その90%が国有林です。道有林や市有林を含めると96%の森林が私有林以外の森林であり、私たち国民の共有財産です。この森林の恵みを商品化すると夕張市の借金600億円以上の価値を生み出すことが可能です。
甲子園球場18,000個分、東京23区以上の面積のこの夕張市の森林を開拓し、食糧や飼料、そして石油に替わる新エネルギー資源を大量に生み出そうというのが、当社考案の「希望創出プロジェクト」です。
日本中の荒廃した森林を再生させ、この日本で誰もが安心して暮らし続けていける基盤を新たに創出します。この新プロジェクトは夕張市や新潟県中越地震で被災し、現在は「限界集落」状態と言われる旧山古志村など、数ヶ所の地域からスタートさせますが、やがて全国10,000ヶ所以上の地域で林業を再生させるこの「希望創出プロジェクト」が展開されていくことでしょう。
日本の国土の3分の2を占める森林を生産地に造り変える、「そんなことができるのか」とお思いでしょう。確かに想像を絶するほど巨大な構想です。しかしながら、夕張市などで実施される個々のプロジェクトは、実に小さく、実にリーズナブルなものです。映画「もののけ姫」の「たたらば」をイメージされると分かりやすいでしょう。
以下にその仕組みを説明します。きっと誰もが「なるほど、実行に移す価値がある」と判断されるはずです。
1、プロジェクトの推進
まず、第三セクター会社(国や地方公共団体と民間事業者との共同出資で設立された法人)をつくります。設立に当たっては、総務省のいわゆる「増田プラン」など、政府の地方活性化対策費や過疎化対策支援金などを活用します。
ディズニー・テーマパークのように、24時間、365日活動し続けるこの会社は、以下のような事業を行ないます。
◇森林開拓事業
・森林を切り開き、「売れる材木」を大量に産出します。
・細い木や、材木にならない部分、木っ端(こっぱ)や放置されている広葉樹を利用し、薪や木炭、木質ペレットなどのバイオマス燃料、パルプや集成材の原料を大量に産出します。夕張市を石炭から木炭の街、家庭やハウス栽培施設の暖房は石油からバイオマス燃料の街へ生まれ変わらせます。
・植物のセルロースを利用したバイオエタノールの原料を産出します。
・樹木の表皮や枝葉を使い大量の堆肥をつくり出します。
・竹林も竹炭やバイオマス燃料の原料などに100%活用します。
◇植林と再生された森林の維持管理事業
・伐採後の森林には、人間の食料や家畜や動物の飼料を生み出す栗やオリーブなどの「果樹」、薬の原料になる「薬樹」、パルプの原料などになるユーカリや加工用の竹などを植林します。(地域の気候に適応する樹木を植林します。又、樹木が育つまでは、飼料用のひまわりやとうもろこしなども生産します。)
・植林した再生森林はやがて大量の食料や飼料を産出します。再生された森林の維持管理を行なうとともに、収穫から販売まで幅広い事業を展開します。
◇材木加工事業
・基本的には地域の材木加工業者を支援する事業を行ないますが、木質ペレットの生産など地域に業者がいない場合などは、直営方式の加工事業に参入します。丸太切り出し作業に適さない時期は、壁板や家具などの製造を行ないます。(いずれ日本中の学童クラブやケア施設などの壁板や床材は、無垢の木を使用したものになっていくことでしょう。)
◇コミュニティサービス事業
地域の高齢者の「手足」となるサービスを展開します。高齢者の健康管理に関わることから、送迎や宅配的サービスなど、第三セクター会社にできる仕事、第三セクターだからできる「高齢者の生活に密着した仕事」に積極的に取り組みます。寒冷地であれば生活道路の除雪や雪下ろしもお手伝いいたします。
◇障がい者支援事業
障がい者の雇用を創出するとともに、地域の障がい者施設の支援事業を推進します。木炭や薪などのバイオマス燃料の製造や都市美化用の観葉植物などの生産を施設に委託するなど、障がい者が自立していくことができる仕組みをつくり出します。
◇農林業関連業者支援事業
・大量に生産された堆肥は地元の農協や業者を通じ、農家やガーデニング用などに有機肥料や用土を製造販売する業者に安価で提供します。
・経営者が休暇を取れるよう、農業ヘルパーとして畜産関連作業などの支援業務を行ないます。
・放置された田畑や休耕地を再生し、飼料米などの穀物生産や育苗事業に携わります。
・ハウス栽培農家への「暖房支援」事業にも積極的に取り組みます。
・たとえば「鹿牧場」「ダチョウ牧場」「合鴨牧場」など、地域の畜産業者と競合しない「畜産」事業にも参入します。
・第三セクター会社として、地域の農業が永続するための「できる限りの農林業支援」を行なっていきます。
◇特産品創出事業
・果樹や畜産品などだけでなく、川の恵みである「川魚」なども商品化(燻製など)します。
・食品だけでなく、若者たちが木工品やクラフトなどを創出するお手伝いをします。
・特産品を含めた産業生産品を宣伝・販売するイベントも創出します。
◇観光支振興援事業
・既存の観光施設の「てこ入れ」に取り組みます。ディズニー・テーマパークの「たった3つの成功原則」を取りいれます。・会社設立後3年以内に「どんぐり」をテーマにした自然体験型のエコロジー・テーマパークをつくります。自然を最大限活かし、いわゆる「ハコもの」と呼ばれるものは一切つくりません。
2、利益を生み出すメカニズム
◇材木の商品化
製品化された材木は「地産地消」が原則ですが、耐震補強材や仮設住宅建設用の備蓄材、海外支援物資として、国や東京や大阪などの自治体へ販売いたします。それだけではなく、生産された材木は、住宅用建材として国内に広く流通させるとともに、中国や中東などに輸出いたします。(2×4材を使用した仮設住宅の建築は実に簡単です。国家備蓄材としてもっともふさわしい規格が2×4規格です。)
◇その他、副産物の商品化
大量に産出されるバイオマス燃料、パルプ、集成材の原料、堆肥などは企業や農家に安価で販売されます。近未来的には特産品の販売も開始されます。
◇生産品の商品化
再生された森林から生産される食糧や飼料、再生され生産委託された田畑で生産される食糧や穀物飼料は、地元の農協や業者を通じて広く国内に流通させます。
3、秘策公開!プロジェクト成功の鍵は2×4材
まず日本の固定観念を取り除くことからスタートです。それは「杉やヒノキを商品化しても利益がでない、外国産材木にかなうはずがない」というものです。その理由は以下の通りです。
◇杉・ヒノキの製品化にコストがかかりすぎる。
・丸太を切り出し製材所に運ぶコストがかかりすぎる。
・丸太を規格どおりに加工し、乾燥させるのにコストがかかりすぎる。
・製品となった材木を運搬するのにコストがかかりすぎる。
これは、たった一つの固定観念から発想された「できない論」です。
そのたった一つの固定観念とは「旧来型の規格に合わせるしかない」ということです。
日本で生産される材木は、ほぼ100%旧来型の日本規格に準じています。(2×4材を生産している先見性のある製材会社は全国で一社だけです。)
この「日本規格思想」を欧米の規格である「2×4規格思想」に変えます。
これで全てがうまく行くことは確実です。「一石何鳥」もの効果を生み出します。
木工家でもあり、2×4材(ツーバイ材)を知りつくしている私が言うのですから間違いありません。
その理由です。
◇発想の転換
・2×4材は基本的には見えない所で使用する材木です。つまり、「見た目」にこだわる必要が全くない材木であるということです。2×4材は虫がくっていても、穴が空いていても、変形さえしていなければ材木としての利用価値がある材木である、そのように発想を転換することが「一石何鳥」を得る出発点になります。
・欧米産の2×4材を「一級品」とした場合、国内で生産する2×4材はこの「一級品」とバッティングしない「三級品」を主流とします。このプログラムがスタート時は備蓄材の生産が主になりますが、海外への輸出品や国内流通品は、一級と三級の間の「二級品」が大量生産されることになります。アメリカ材やカナダ材とバッティングさせないという発想こそが、このプロジェクトの成功の秘訣なのです。
◇2×4材が有利な理由
・2×4材の基本的長さは1,8m(38ミリ×89ミリ×1820ミリ)です。つまり、日本規格の丸太の長さ(2,5m〜4m)に切り出さなくてよいということです。切り出す長さを1,8m程度にすることにより、日本の知恵の結集である「四輪駆動の軽トラック」が大活躍します。軽トラックは小型であるため、森林開発用の「スーパー林道」は必要ありません。このプロジェクトを進めるにあたっては、機材と製材を運搬できるだけの作業道で十分対応可能です。
・いずれ、全ての丸太を製材所に運ばずに、2×4材を生産することができるようになります。つまり、現地生産です。もちろんのヒノキの太丸太などの良材は、従来どおりの地域業者の手により日本規格に製材されますが、大量生産のメインとなる2×4材は森林内で生産されるようになります。また、日本規格にはなり得ない(直系5cm位の)丸太もすべて切り出し、集成材やバイオマス燃料の原料などに商品化しますが、その作業も森林内でできるようになります。
・2×4材の乾燥はコストがかからない天然乾燥方式です。いずれ、現地で生産し現地で天然乾燥させることができるようになります。その場合、「三級品」としても使えない製品にしないような「工夫」が必要です。
4、「一石何鳥の森林開発」を発表しましょう。この国に暮らす誰もが「希望社会」の到来を思い描くことでしょう。
夕張市だけでも、体積で表わすと約410万立方メートルの針葉樹と430万立方メートルの広葉樹が眠っています。こちらの資料の11ページをご覧ください
このうち針葉樹に1立方メートルあたり15,000円の価値をつけると、夕張市の借金600億円以上になります。(2×4材約160本で1立方メートルです。販売されている1本単価を285円とすると、1立方メートル当たりの価格は46,000円になります。夕張産の2×4材は欧米材に勝てるのです。)
日本全体ではどうでしょうか。日本の人工林を体積で表わすと約23億万立方メートルです。同様に15,000円の価値をつけると総額35兆円です。このプロジェクト全体の経済波及効果はどれほどになるのか見当もつきませんが、少なくとも日本の経済を好転させることには寄与することでしょう。
企業に目を転じてみても同じです。先日行なわれた展示会エコプロダクツ2007(主催 日本経済新聞社、産業環境管理協会)にも出展したある企業は、50億円のバイオマスボイラーを導入したことにより、石油代が年間20億円削減する見込みだそうです。バイオマス燃料の大量生産は国内企業の収益性を高めていくに違いありません。
最後に朝日新聞の記事、投稿文を紹介します。朝日新聞社自体も社説で「希望社会への提言」をシリーズで発信しています。
農業から製造業へ、さらにサービス業へと、産業の構造は変わっていく。グローバル化は国際分業を促し、途上国に譲らなければならない分野も出てくるが、要は高く売れる価値をつくり出せる産業が生き残るということだ。
その主役はのびのびと競争する民間プレーヤーであり、市場に支持された者がスタンドの喝采を浴びる。
(17日の朝日新聞社説より)
希望社会を創造する当社のこのプロジェクトを支援して欲しい、そう願ってやみません。
森林の甦りは一石何鳥にも
静岡市 永田 登 (12月13日「声」より)
私は天竜川の下流域に住んでいますが、ほんの5〜1キロ上流の中山間地は、地場産業である林業が活気なく、若者はやむなく故郷を離れて浜松や静岡など街中の会社勤めをしています。残された高齢者たちが段々畑を耕して地域を守っていますが、森林は荒れるに任せているのが現状です。
森林は新鮮な酸素を供給し、土中に水分を保持するなど、空気と水を浄化する役割があります。放置されている森林に手を加えて本来の機能を発揮できるようにすれば、下流の水不足の心配を取り除き、世界的に問題になっている地球温暖化や環境破壊の一助にもなります。
例えば、谷単位で間伐や枝打ちなど森林の世話をしっかりやっていこうという地域に対して、水源林育成や地球温暖化対策などを名目に、税制面での優遇や補助金の支給などの支援策を講じてください。
そうすれば、若者が地域に定着して過疎化に歯止めがかかると同時に、森林が生き生きと甦り、下流の水不足の心配も解消します。そして何よりも、地球温暖化など世界的な課題の解決にもつながると思います。<引用終了>
限界集落や夕張市のような疲弊した地域を共生型の地域に再生し、地球温暖化防止に貢献し、強い経済を生み出す一石何鳥のこの「希望創出プロジェクト」を推進しましょう。
ディズニー方式で明るく豊かな社会を築き上げます。
◇ウォルト・ディズニーの指導理念を意識している人は少ない。さらに、その指導理念が娯楽産業とはまったく異なるさまざまな業種にも応用できることを認識している人は少ない。
◇ディズニー方式を形成するすぐれた経営の原則は、どの組織においても魔法のような効果を発揮するはずだ。
◇ディズニー方式は今までの知的枠組みを打破し、企業が伝統的な経営の限界を超えて大きく飛躍することを可能にする。新人から、最高経営者(CEO)に至るまで、民間企業から役所に至るまで、ディズニーの基本理念は現代における事業の本質を定義し直し、経営方針に革命をもたらすことになるだろう。
「ディズニー方式が会社を変える」 ビル・カポタグリ リン・ジャクソン著 PHP研究所刊より引用
ハッキリ申し上げます。PHP研究所が出されたこの本にも書かれていることですが、ディズニーの創造性と組織を正しく動かすノウハウは卓越しています。
ディズニー出身者からこの国で行なわれている「行政」「統治」を見ると、まさに「子どもだまし」状態に思えます。
「不祥事で倒産する企業が続出する今、なぜ一人勝ちを続けるのか。ディズニーのノウハウであなたの組織、人材が奇跡的に蘇る!(この本の内容紹介文)」
「 偽」の国日本、それでも自信を失わないでください。以下の内容は、私の上司であり、ディズニー・テーマパークの元最高運営責任者であられた方が書かれた本の一節です。
◇アメリカのディズニー社のテーマパークは、現在顧客サービス教育、顧客満足教育のMBAクラスのスクーリングに利用されている。
◇ディズニー・テーマパークがアメリカ大学院のMBAクラスの「顧客満足」経営、顧客サービスのビジネスモデルと評価されているが、ディズニー社のマニュアルを超えたTDL方式がそこに影響していた。
ディズニー・テーマパークの魅力−「魔法の王国」設立・運営の30年 上澤 昇元オリエンタルランド副社長著より引用
(実践女子大学生活文化研究室 松田義幸元教授のお計らいにより、この本は無料でダウンロードできます)
お分かりでしょうか。日本人はすごいのです。日本人スタッフの知恵と工夫によるオリジナルをブラッシュアップ(磨き上げる)させる力が、本場アメリカの「ディズニー方式」を上回ったということです。特に、安全面とおもてなしの分野では、日本のディズニー・テーマパークは「世界一」であると私は捉えています。
日本人の創造力と勤勉さも世界一でしょう。日本人はもっと自信を持って良い、私はそう考えます。 この暗い世の中も、日本人が発想を少し変えれば、希望溢れる社会に生まれ変わらせることが可能です。
さて、加古川で起きた女児殺害事件を例にとり表題の件を説明します。
事件後の防犯活動はあまり効果をあげていないようですが、それにはそれなりの理由があります。 地域の人たちや企業市民が「防犯パトロール」と書かれた腕章を付けたり、ステッカーを張ったりして、一生懸命に活動されていますが、この活動は「犯人」から見れば、何にも怖くはありません。
発想を変えてみましょう。「防犯パトロール中」を「犯罪情報収集中」に変えるとどうでしょうか。
「犯人」は「見られていた」「近くにいたことを知られる」ということが怖いのです。ですから、パトロール車両に家庭用ビデオカメラを搭載して情報を収集して回ったら、地域の人たちが携帯電話のカメラを使い不審者情報を集めている「ふり」をしたら、「犯人」はどのように感じるでしょうか。
ディズニー・テーマパークでも、安全の要は「キャスト全員の目」です。全てのキャストが安全第一を考えています。不審な人がいないかどうか、全てのキャストは目を光らせているのです。
私はプロジェクトMという防犯作戦を考えています。MとはミニーマウスのMです。ディズニー・テーマパーク内では、ミニーのカチューシャをつけたゲストをよく見かけます。
あれほど耳の部分は大きくなくてよいのですが、ヘッドセット型の情報収集、送信装置(携帯カメラをイメージしてください)その装置で一分おき位に情報(写真や音声)をパソコンに自動送信できる携帯などを開発することにより、犯罪から身を守ることができる可能性は格段に高まります。
その理由は簡単です。犯行を企てようとする輩は、収集された情報が「決定的な証拠」になることが分かって犯行に及ぶことは、ほとんどないと考えられるからです。(自爆テロや精神を病んでいる人の犯行は防ぐことはできないと思います)
児童であれば帰宅時や公園で遊ぶ際、ヘッドセット型の情報収集装置をつけているだけで、不審者は近づいて来ないでしょう。痴漢を企てる輩も同じです。その場で取り押さえられなくても、撮影された情報が確実に警察に渡るとすれば、痴漢行為は必ずや減っていくことでしょう。
いじめ防止対策は別のアイディアもありますが、最悪の事態(学校は知っているのに放置)に陥った場合、この情報収集装置が活躍するものと考えます。
テロ防止対策も同じです。
地下鉄の駅などで乗客をモニターしている警察官を見かけますが、何か効果があるのでしょうか。
私は東京ディズニーランドで保安業務の責任者も担当しましたが、警備服を着た者が高い所から見下ろしていても、何も効果はない、経験上そのように申し上げたいと思います。
それよりも、公の場所においては、「民衆が犯罪情報を収集している国だ」とテロリストに印象づけた方が、よほどテロ防止効果は高いものと私は考えます。
今日はこれくらいにします。恐縮ですが、この記事は書き足していく所存です。時々訪ねていただき、ご高覧くださいます様お願い申し上げます。
パニックに陥る必要はありませんが、今後エレベーターの誤作動には十分ご注意ください。
私がディズニーの集団IQが高いと言っているのは、ディズニーは日本の公務員等のウソが見抜けるからにほかなりません。
ゲリラ豪雨災害もディズニーの集団IQを活用すれば必ず防ぐことができます。安全社会を築き上げるにはディズニーランドに学ぶしかない、私はそう考えます。
シンドラーエレベーター事故と薬害エイズ事件の共通点 (5).pdf
この件に関しては、読売関係者以外の取材には応じたいと思います。
私たちはみな、片翼だけの天使だ。互いに抱きしめあって、初めて空を飛べるのだ。
ルチアーノ・ド・クレセンゾ
城達也のジェットストリーム・・・遠い地平線が消えて・・・
http://www.youtube.com/watch?v=TzCjwjERoxo
(これは違法行為でしょうか?教えてください。)
そういえば、このラジオ番組と「青年は荒野をめざす(五木寛之)」に影響され、アメリカに向かったんだっけ。
それから何十年後、カラオケで歌い初めて分かりました。
http://plaza.rakuten.co.jp/lyricsmusics/diary/20080121/
私と同じ、ソルジャーの歌だったのですね。何か複雑な気持ちです。
今や草なぎ君と同じ悪党野郎です。こんな体験も思い出してしまいました。
「ディズニーの国」という月刊誌の1963年10月号に手塚治虫自身が子供たち向けの短い文章を寄稿しています。
<引用開始>
「ディズニーさんとぼく」
こういう題をかきましたが、ディズニーさんとはあったこともないし、だいいち、ぼくとはおやこぐらいとしがちがいます。
でもぼくは、ディズニーさんを先生というより、おとうさんのようにしたっているし、大すきなのです。
ディズニーさんの映画でなんといってもいいのは、どの映画も、よわいものや、ちいさなもののみかたになってつくられていることです。それから、もうひとつ、どんな悪者がでてきても、かならず心の底に、なにかやさしさと、したしみがかくれているからです。ぼくは、バンビやわんわん物語が大すきなのですが、マンガ映画で、涙がでてきたのは、けっしてぼくがおセンチのせいではないでしょう。
ディズニーさんのえらいところは、世界じゅうのこどもたちのために、映画だけではなく、いろんなおもちゃや、遊園地をつくって、自分の夢をどんどん実現していったことでしょう。
はじめは、とてもまずしかったそうです。おくさんと、豆ばかりたべながら、ミッキーマウスをつくった話をきいていますし、白雪姫ができあがったとき、一文なしになって、みすぼらしいかっこうをしながら、白雪姫の映画館のまえの、お客の長い列のうしろでじっと立っていた話も聞いています。お金もうけのためや、じぶんの名まえをうるだけのためなら、とてもできないことです。でも、世界じゅうが―日本でも―ディズニーさんがやりとげたことを、あとから、どんどんまねしはじめました。ぼくだって、ディズニーさんのあとをおいかけるために、絵をそっくりまねしたものです。
このあいだ、ディズニーランドのまねをした、遊園地へいってきましたが、なにからなにまで、ディズニーランドそっくりなのですが、なにか、ひとつものたりないのです。見おわって、そのたりないものがなにか、やっとわかりました。こどもたちへの愛情だったのです。つまり、ほんとに心のそこから、こどもたちのためにつくったものではなかったのです。
ディズニーさん、どうか長生きして、もっともっと、世界じゅうのこどもたちをよろこばせてください。
<引用終了>
「エンタメ」の夜明け ディズニーランドが日本に来た! 馬場康夫著 講談社
その3年後・・・ウォルト・ディズニーは帰らぬ人となってしまいました。65歳でした・・・合掌
この本にはこのように書かれています。
<引用開始>
「ディズニーの国」という、ディズニーのいわば公式雑誌に手塚が寄せたこの一文は、軽やかな文章とは逆に、その内容はとてつもなく深く重い。特に「ぼくだって、ディズニーさんのあとをおいかけるために、絵をそっくりまねしたものです。」という一節には、心を動かさずにはいられない。なぜならそれは、手塚治虫が、ウォルト・ディズニーは「好き」で真似した相手を訴えたりするはずがないと、心から信頼していた証拠だからだ。
そもそもディズニーの長編アニメの大半は、世界の有名なおとぎ話のリメイクである。
<中略>
エンタテイメントは、先の時代を生きたクリエーターの愛と信頼に基づく模倣の積み重ねであることを、シェイクスピア以降、誰よりも明確に示したのは、ウォルト・ディズニーその人であった。ディズニーランドのアメリカ河に浮かぶ、トム・ソーヤ島やマーク・トウェイン号を見るたびに、私たちはマーク・トウェインの作品に憧れ、模倣し、それを乗り越えたウォルトの、マークに対する心からの尊敬と愛情を感じて、微笑まずにはいられない。
<引用終了>
1983年4月11日。東京ディズニーランドは関係者を集めて、開演セレモニーを行いました。
もちろん、招待者の中には手塚治虫氏の姿もありました。
私はセレモニー開始前に、ワールドバザールを歩く手塚治虫氏の姿を忘れられません。ひょうひょうと歩いているのですが、何かスーっと姿が消えていきそうな「現生の人」ではないようなオーラを感じました。
さて、以前にこのように記しました。
2年ほど前、島根県出雲市平田青年会議所様への講演時に、役員の方からこんな話を聞きました。
平田地区の子供たちを楽しませるイベントにミッキーマウスを登場させたいと考えたイベント主催者が、版権を有するウォルト・ディズニーカンパニーに「ぬいぐるみを作りたい」と許可を求めたところ、ディズニー側は「聞かなかったことにします・・・・子供たちの夢を壊さないように、ミッキーそっくりにしてくださいね」
これがディズニーなのです。教えていただいて、とても心が温まりました。
http://gpscompany.blogdehp.ne.jp/article/13440574.html
平田青年会議所の方から、このような心温まるメールを頂戴いたしました。本当にありがとうございます。
2年前の中村先生の講演以来、平田JCは組織力の強化ということで様々な事業を行ってまいりました。
先生のおしゃった、話で多くのメンバーが影響を受けております。
今回の報道は驚きましたが、私は先生の行動で感動を得たことの方が重要だと感じております。
色々大変だとは存じますが、お体には十分ご留意なさってくださいませ。
この本に書かれているように、ディズニーランドを「やって来させる」プレゼンテーションを成功させたのは、日本テレビの「シャボン玉ホリデー」や「11PM」の立ち上げに関わった電通出身の堀貞一郎です。
日本テレビが、当時の気持ちに立ち返り、正確で思いやりのある報道を心掛けて欲しい、そう願ってやみません。
最後に・・・大きな疑問です。ディズニーランドのオフィシャルスポンサーである講談社は、内部情報の「かたまり」であるこの本を書く許可をオリエンタルランドに求めたのでしょうか。(この本は良書で、お勧めの一冊ではあります。)
聞いても「ノーコメント」でしょうから聞きません。それが、「武士の情け」というものではないかと考えます。
平成21年5月4日
読売新聞が報じている「最後のパレード」の記事は、事前の取材は行われずに書かれた捏造記事であることが3日判明した。
これは、著作権法に詳しい東村山市議による、14,000字を超える調査レポートで明らかになったもので、盗用疑惑は完全に払しょくされ、反対に読売新聞の業務上の瑕疵を問題にしている。
市議の同レポートは今後も続き、社会的問題になっている「匿名ネット族による誹謗中傷問題」にも踏み込んでいくようである。
<引用開始>
どうみても、いずれにしろ、誰が、いつ、どういう方法で、『あひるさん、ありがとう』の一部を変更するという著作権侵害を行ったか、を整理しないまま、根拠なく一方的に中村氏を「盗用疑惑本」の大悪人のように決め付ける読売記者氏をはじめとする「いちれんたい」のみなさんが、早晩、頭をまるめて「お詫び」しなければならない事態になるように思えてしかたがありません。
また、ごくごく一部の「匿名ネット族」は、誰が、いつ、どういう方法で、著作権侵害したのかを、未だにわからないまま、読売に付和雷同し騒いでいて、すでに、この「テーマパーク」で感動とか「癒し」を実感できた数多くの人たちが「最後のパレード」にもう一度見い出した「感動」や「夢」をぶち壊す作業を必死に行ってるのですが、このごくごく一部の「匿名ネット族」が、一体どういう人達で、一体何が目的で騒ぎ、中村氏を攻撃しているのかは、この次に、ゆっくりおしらせすることにしましょう。
<引用終了>
レポート 誤報の責任と「最後のパレード」
http://www.higashimurayamasiminsinbun.com/page222.html
※ このニュース記事の引用、転載、リンクを固く禁止する。
平成21年5月4日
盗用疑惑を持たれている「最後のパレード」の著者が過去に、松下政経塾出身者の盗用疑惑を追及していたことが分かった。
氏は、2004年の12月28日に関係者に事実関係を質すメールを送っており、読売関係者以外のメディアの利用は可能としている。
長年に渡り、ディズニー社の著作権を守ってきた「最後のパレード」の著者は、 以下のように語っている。
<開始>
「イマジニア」はとても大切なディズニー用語です。
ディズニーに関するあらゆる版権を所有するウォルト・ディズニー・カンパニー(ジャパン)は、当該案件において、文書による警告などの措置を行ったとは聞いていませんが、ディズニー社は「イマジニア」が商標登録されていようがいまいが関係なく、これからも使用していくことでしょう。
「イマジニア」株式会社社長の神藏孝之氏はどうするべきか、神藏孝之氏は自主的に商標登録を放棄すべきであると私は主張していきたいと思います。
なぜならば、神藏孝之氏は現在も松下政経塾の評議員であるからです。
松下政経塾や松下政経塾出身者、そしてパナソニックに「顔に泥を塗る」ような行為はやめた方がいいと私は進言したいと思います。
松下政経塾や松下政経塾出身者からの反論をお待ちしています。
参考記事 松下政経塾を切る
※ このニュース記事の引用、転載、リンクを固く禁止する。
誰が著作権を侵害したか?!
― 「盗用疑惑本」などときめつける読売の暴走 ―
著作権をもつ『小さな親切運動本部』側が記者発表をしたようですが、上に理由を述べたように、中村氏は『小さな親切運動本部』側が「原作」としている「著作物」の同一性を改変した事実はどこを探してもありません。また、自分の見聞きした事実に酷似している「ネット」上に公開されていた「ドナルド」の登場する「ディズニー」を舞台とする「エピソード」を、「大きな白い温かい手」という題をつけ「最後のパレード」の中で紹介した(自分自身のコメントとは明確に区別して)にすぎません。
したがって、仮に、同一性を改変した著作権侵害があったとしても、責任を問われるのは「2ちゃんねる」の「ディズニー」関連「感動スレ」に投稿した人物たちであって、中村氏でないことは明らかです。原作者が抗議する対象が「2ちゃんねる」の「ディズニー」関連「感動スレ」に投稿した人物たちで
あることに、議論の余地はありません。
にもかかわらず、「ネット流出」してからすでに4年半もたったあと、出版された「最後のパレード」に収録されている「大きな白い温かい手」というお話が、なぜ、中村氏によって『あひるさん、ありがとう』の一部を変更したもので、中村氏が「著作権侵害」をしたとか、「盗用した」ことになるのかを、きちんと正面から説明でき、反論しえた人は、未だ誰もいませんし、今後もいないでしょう。
『あひるさん、ありがとう』の一部を変更したのは、いつ、誰が、どういう方法で行ったか?そして、どのような経過で、「ディズニー」を舞台とする別の
お話になったのか?そして、また中村氏にはどのような責任があるというのか?それを、先ず、はっきりさせなければなりませんが、全く不明のまま、中村氏を犯人扱いです。
ところが、多くのネット族だけでなく、どうも読売記者氏、そして『小さな親切運動本部』までが、「大きな白い温かい手」は『あひるさん、ありがとう』に酷似していてその一部を変更したものと理解できるというだけで、何の脈絡もなくただちに、「大きな白い温かい手」を出版した中村氏が「著作権侵害」をしたことになる、という論法をです。
しかし、この短絡した論法が成立するためには、『あひるさん、ありがとう』の一部を変更した者が、中村氏が同一人物かまたは「最後のパレード」の出版に関係がある者でなければ、権利侵害者が中村氏であるということはできません。とりわけ、「ディズニー」キャラクターの「ドナルド」は「エピソード」にでてくるような「大きな手で背中をなでる」動作を「サービス」として「ゲスト(客)」にするということになっているのだそうですから、同種の「エピソード」は数えきれないほど存在するということです。だから、ことはそんなに簡単ではないということを、読売記者氏は知っているのでしょうか?
ところが、この論法はあまりにも短絡していて、残念ながら、『あひるさん、ありがとう』の一部を変更した者と中村氏を結びつける「媒介項」が全くありません。
これでは、中村氏が「盗用した」とか、「最後のパレード」が「盗用疑惑本」だと決め付けるわけにいかないのは、普通の常識があればすぐにわかることです。このような短絡思考で、何の疑問も感じないのは、鈍感を通り越して、悪意さえ感じます。マスメディアにこの種の人たちがいるので、小沢秘書逮捕のリーク記事だけを垂れ流すようなことになっているのでしょうか。困ったものです。
このことは、いずれはっきりしてくると思いますが、自分の権利行使を怠っているにもかかわらず、権利侵害の被害だけを強調するその短絡ぶりが、とりわけ目立っているのは、著作権をもつ『小さな親切運動本部』側の記者発表の内容で、これほど「お門違い」の典型も珍しいですね。
『小さな親切運動本部』側は、中村氏がその「著作物」の同一性を改変したとか、一部を勝手に変更したとでもいうのでしょうか?いくらがんばっても、そのような証明ができるわけがありません。『小さな親切運動本部』は、読売記者が探し出してきた高裁確定判決がいうところのネット掲示板の匿名投稿の「著作権」とやらを主張できるような「ネット投稿者」でもありませんし、ね。
著作権侵害で今ころ、大騒ぎをするそれほどの大切な「著作物」というのであれば、『小さな親切運動本部』側は、読売夕刊が掲載した『あひるさん、ありがとう』の内容を改変して「ディズニー」関連「感動スレ」にネットに流出させた「ネット投稿者」をなぜ4年半もの間、問題にしなかったのでしょうか、そして全く問題にしようとしないのでしょうか?。『小さな親切運動本部』側が放置したために、その後、同種の「別のエピソード」として知られるにいたったのではありませんか。そもそもの責任が問われるのも、この点です。
まず、中村氏の「最後のパレード」が上の『あひるさん、ありがとう』の著作権侵害にはあたらないという当方の記事に対して、上に指摘したとおり正面から反論しえたものは皆無ですので、判例や著作権法を無視して暴走している読売記者氏に同伴する、いかに多くの付和雷同の匿名ネット族がいたかがわかりますし、ネット族とりわけ匿名ネット族の民度の低さ、が証明される事態となりました。
その後、「盗用疑惑本」などときめつける読売記者氏は、いまや無関係がはっきりした高裁確定判決があるとか、この判決があるから中村氏は「ネット情報の著作権軽視」したなどとはもはやいわないでしょうが、今度は「発行元が著作権侵害を認めた」などと、「自白」をとったから文句はないだろう、というような論調でにげきる構えのようです。
しかし、一転、この「自白」が否認される事態にでもなったら、読売記者氏はどうするんでしょうか?冤罪事件ではよくあるケースですよね。
いずれ、ネット流出の責任や、「著作物」の同一性改変の責任の問題は徹底究明されなければいけない問題として残っていますから、読売記者氏に対しては、自社の行為につき検証記事をお書きになり、中村氏に対して「盗用疑惑本」と決め付けたことを、一刻もはやく、謝罪することをお勧めしたおきたいと思います。
そして、ですから、読売側と著作権者の『小さな親切運動本部』側との夕刊に『あひるさん、ありがとう』を掲載する際の著作権利用の契約は、どうなっていたのか、読売側に「ネット流出」についての事後責任は、まさか契約上「不問」だったということなんですか?とお尋ねしているんですよ。ここまで懇切丁寧に解説しているんですから、その短絡している思考回路を機能するように、いい加減でメンテしてほしいものです。
事実上、著作権フリーのオリエンタルランドの実態
そして、以下が中心的論点です。
上の『あひるさん、ありがとう』の著作権侵害にはあたらないという当方の記事に対して、正面から反論できないため、出てきたのが、『あひるさん、ありがとう』はともかく、「ディズニー(オリエンタルランド)」の内部資料を勝手に持ち出したことは明らかな著作権侵害だ、という土俵を広げる手法です。読売記者氏も同様に土俵をひろげているようです。
しかし、この手法は、中村氏に打撃を与えるようなものではなく、結局、自分たちの墓穴を掘る結果としかならなかったのです。
どうしてかというと、中村氏はそのブログでもご自身が紹介していますが、過去にも「最後のパレード」と同様趣旨の「ディズニー(オリエンタルランド)」の内部の見聞きした話や「ディズニー(オリエンタルランド)」の内部資料を参考にして、著作物を出版したことがあるのです。
しかし、オリエンタルランド側から何も著作権使用について、指摘すらなく、中村氏だけでなく、元副社長をはじめとして元キャスト等の元社員が、「ディズニー(オリエンタルランド)」の内部の見聞きした話や内部の資料等に基づいて数多くの著書を上梓し世に出し続けてきたのです。ですが、オリエンタルランド側からは何も著作権について注意すらなされた事実はないようです。「盗用」などとしきりと叫ぶネット族のみなさん、残念でした。
いうまでもないのですが、前記出版物は、中村氏の著書を含め、殆どが「ディズニー(オリエンタルランド)」の社員教育、ホスピタリティ等を積極的に評価する内容ですから、「ディズニー(オリエンタルランド)」にプラスになることはあっても実害は一切なくマイナスもないからなのでしょう。普通の企業だと、費用を支払って宣伝してもらうような類の内容といっても過言ではありません。
今回の「最後のパレード」の場合は、出版直後から、ネット族らを中心に多くの「通報」があったことを「ディズニー(オリエンタルランド)」自身もみとめているようですし、これらに対して一定の公式見解を発表してはいますが、上の実際例からして、過去から現在まで一貫して、元社員達に対するオリエンタルランドのとった態様は、「事実上の著作権フリー」ということがいえるのですから、「内部資料を勝手に持ち出した」などと、さも「特だね」風に読売記者氏が得意になるようなものでは決してないのです。現在までの経過からして、とても「ディズニー(オリエンタルランド)」が、「最後のパレード」だけを「ディズニー(オリエンタルランド)」の著作権を侵害したとして提訴できるわけがありません。
したがって、すでにお分かりのとおり、「最後のパレード」は上の『あひるさん、ありがとう』の著作権侵害にはあたりませんよという当方の記事に対して、正面から反論できないため、もち出されてきた「『あひるさん、ありがとう』はともかく、『ディズニー(オリエンタルランド)』の内部資料を勝手に持ち出したことは明かな著作権侵害だ」というご主張は、「ディズニー(オリエンタルランド)」の実態を知らない人たちの空論でしかなく、すでに破綻しているのです。
いずれにしろ、どうみても、中村氏を「盗用疑惑本」の大悪人のように決め付ける読売記者氏をはじめとする「いちれんたい」のみなさんが、早晩、頭をまるめて「お詫び」しなければならない事態になるように思えてしかたがありません。
http://www.higashimurayamasiminsinbun.com/page222.html
TDLの理念に基づく判断をしていただける、私はそう信じて疑いません。
ディズニーランドと著作権
http://gpscompany.blogdehp.ne.jp/article/13440574.html
思いやりの大切さを書いた本ではありましたが、読売新聞などの関係者にディズニーファンや著者、出版社を思いやる気持ちが少しでもあれば、このような事態になることはなかったものと考えます。
私がこの本で伝えたかったことは思いやりの気持ちの大切さです。
http://gpscompany.blogdehp.ne.jp/article/13444273.html
ですから、エピソードの選定は思いやりの気持ちを育むものを中心に選びました。サンクチュアリ出版様と当社で長きに渡って集めたエピソードに私はすべて目を通し、信用できるエピソードであるのかを、一つ一つ丁寧に検証しました。
サンクチュアリ出版様が集めたエピソードの中には「障害をお持ちのゲストを背負ってビックサンダー・マウンテンに乗せた」というものもありました。
サンクチュアリ出版の編集担当者は、このエピソードを載せたいと許可を求めてきましたが、私は「マニュアル違反であり、絶対にあり得ないこと」と許可しませんでした。
シンデレラ城ミステリーツアーのエピソードも、キャストとゲストの会話内容もかなり変更しました。キャストが言わない言葉が含まれていたからです。
サイン帳を無くしたエピソードも不自然な所はカットしました。例えば「キャストが自費でサイン帳を購入した」という一文もありました。これも、考えられない手順です。
両手が無いゲストがビックサンダー・マウンテンに乗れなかったというエピソードでは、私も「この対応は間違っている」と反省し、オリエンタルランドの担当者に今もこの手順なのかを尋ねました。すると、私が退職後にコメントに著したような手順に変更されていました。そして、その子を探してほしい、というメッセージを記しました。
私は、東京ディズニーランドで唯一人の「グランドスラムを達成したスーパーバイザー」と称されていました。なぜならば、すべてのアトラクションエリアとすべてのゲストサービス施設のスーパーバイザーを経験したからです。
したがって、エピソードの信憑性の判定には自信を持っていました。「このようなエピソードは五万とある」「このエピソードは掲載しない方が無難である」と判断することは私には容易なことでした。
読売新聞が盗作と問題にした「キャラクターがゲストを励ます」エピソードも、ドナルドが当り前に行った「仕事」でした。
(ドナルドダックの身長を考えてみてください。ドナルドが障害をお持ちのゲストを励ますのには、そのような意味もあるのです。 )
私は、ディズニーランドではたくさんの障害をお持ちの方が働いている事実を知っています。それだけに、読売新聞が盗作と疑ったこのエピソードは100%入れたい、そう思い採用したものなのです。
2007年の障害者週間に天皇、皇后両陛下は、オリエンタルランドの子会社をご訪問されました。
天皇、皇后両陛下がご訪問されたご様子はこちらから
http://www.olc.co.jp/news_parts/20071221_01.pdf
両陛下から、障害をお持ちの従業員に対して「がんばってください」など、多くの励ましのお言葉を頂戴いたしましたこともあり、「最後のパレード」では、障害をお持ちのゲストとの交流の話を数多く採用致しました。
サンクチュアリ出版様にも読売新聞による今回の盗作疑惑報道がなされた後、この本には両陛下のご訪問の件が関わっていることと、ドナルドなどのキャラクターやアンバサダーが、ディズニーランドに来園できない障がい者の施設などを25年間慰問し続けている事実を伝えました。
著作権者へも世間へも、私たちが両陛下の障がい者に対するお気持ちと同様な気持ちを伝えれば、間違いなく分かって頂ける、ディズニーランドでは「サービスの復旧」と言いますが、例え手続き上のミスがあったとしてもきっと許していただける、私はそう信じていました。
サンクチュアリ出版様との出版契約には、日本ユニセフへ総売り上げの3%を寄付することになっています。それでも私は、この本の印税収入から、私にしかできない「障がい者木工」の普及などに寄付等を惜しまないつもりでした。
(手前みそになりますが、東京都唯一の国宝である東村山市の正福寺の地蔵祭りも、私が知的障がい者施設への木工支援を行わなければ開催することはできませんでした。)
http://www.shoukoukai.or.jp/profile/jizoumaturi.html
このように、「最後のパレード」という書籍は、私が障害をお持ちの価値ある方々と深く関わってきたことにより誕生した本なのです。
障害をお持ちの方々のためにも、天皇、皇后両陛下を悲しませる結果になることだけは避けなければいけないと考えます。
これからも世間のバッシングに負けないよう説明責任を果たしていきます。
ここまで記してきたように、この本は、私が直接知っているエピソード、ディズニーランド時代の友人等から聞いたエピソード、そして、インターネット上のサイトで見つけたエピソードなどを紹介し、読者に「なるほど、そういうことだったのか」と分かってもらえるよう、個々のエピソード後に「スーパーバイザーとしての私の解説」を加えたたものです。
科学の「科」とは、本来「分ける」という意味です。分けて考えると真実が分かります。
誰かが、善意でしたためてくださった個々のエピソードと、私が責任をもって書いたコメントを分けて考えれば、私が盗作と疑われているエピソードを創作した人間(盗作者)ではないこと、つまり、この事件の真実を、読売新聞新聞の記者や読者の方に、容易に理解していただけるものと確信しています。
「地球温暖化防止東村山宣言」などの請願でお世話になった東村山市議の方(FM局を運営しているため、著作権に関しては極めて詳しい方です。)が、この問題を解析してくださいました。
「最後のパレード」について
― 読売新聞は第三者か ―
さて、元ディズニーランド社員の中村克氏のまとめた「最後のパレード」はベストセラーだそうで、大変な人気だそうです。
その内容は、いわば、「ディズニーランドの伝説」、「ディズニーランドの神話」といってもいいような「ディズニーランドのエピソード集」です。
「遊園地」とりわけ「テーマパーク」は、感動とか「癒し」がそこで実感できた場合にはその人たちはリピーターになるでしょうし、また、感動とか「癒し」がそこで実感できるよう、遊園地側は努力するでしょうが、とりわけ「ディズニーランド」は社員教育等の分野では、このことに成功した「テーマパーク」といえるでしょう。このことは、連休には100万人近くの人たちが訪れて、何時間も行列しながら過ごしていることからみてもわかります。
しかし、こういう現象が理解できないとか、自分は遊園地では「癒し」を求めるようなことはしない、または「癒されない」という人もいて当然いいはずですし、「ディズニーランド」は「商売上手だ」と思う人がいてもこれは自由です。が、今回の「最後のパレード」に原作との相違とか無粋な真贋論争を持ちこむのは、この「テーマパーク」で感動とか「癒し」を実感できた数多くの人たちが共有している「感動」や「夢」をぶち壊してしまう危険性のあることも 自覚すべきといわざるをえません。
所詮、それぞれ、自分たちにとっての「テーマパーク」が、全く意味をもたない存在でしかない立場と、感動や癒しを「ディズニーランド」で実感し共有している立場とは最初から次元の違うところにいることにも気づくべきでしょう。そして、この種の「〜の神話」、「〜の伝説」という種類の「エピソードもの」は、それぞれが、体験したり聞いた内容はディテールはかなり違ったものとなったり、その殆どが、語りつがれ、言い伝えられてきたという性格上、原典がどこにあり、どれが「正しい原典」であるかという詮索をするよりも、あるものはハッピーエンドで終わっているけれど、極端な場合には、同じエピソードでも他の場合では、まるで逆になっているようなものまであることを私たちは知っているからです。このようなジャンルを活字文化にかかわる者が認めないということはありえないのではないでしょうか。
読売新聞は第三者でなく、原作のネット流出に責任のある 「当事者」
さて、この問題は、多くの「俄か批評家」を含め、さまざま意見を述べているようですが、すこし、別の角度からこの「最後のパレード」問題をみていきたいと思います。
先ず、この問題は、読売新聞が「盗用疑惑」ということで取り上げ、4月24日の37面(13版)では、「ネット情報の著作権 軽視」というタイトルのかなり大きな囲み記事で、特に「大きな白い温かい手」と題した話を問題だとして書いています。
まず、読売新聞記者は、「ネット上の書き込み」を巡っては、匿名でも著作権を認める判例があることに言及した上で、専門家の意見を引き合いにして、著作権に対する同社の認識の甘さを指摘しています。
「匿名のネット上の書き込みについても著作権を認めた判例」というのは、東京高裁で確定した「2002(平成14)年10月29日東京高裁判決、平成14(ネ)2887号」のことですが、確かに、匿名で書き込みをした複数の人たちがその投稿内容を出版した側を相手取って提訴し、請求額全額ではありませんが、東京高裁で主張が認容された事件です。
しかし、問題は、この判決(高裁で確定)があるからといって、それほど単純ではないようです。むしろ、「ネット上の書き込み」を出版する際にどう利用したかという問題よりも、それ以前の問題の方が経過からみても重大であるように思います。
この確定判決に対する批評は後日にするとして、中村氏や発行元の「サンクチュアリ・パブリッシング」社を「著作権に対する同社の認識の甘さ」が問題だとして追及する前に、先ず問題なのは、記事を書いた記者が所属する読売新聞社側の態度です。読売新聞社は、そもそも著作権に対する「サンクチュアリ」社や中村氏の認識の甘さを、前記記事等で追及できるか、という問題です。
先ず、問題だとされている「大きな白い温かい手」と題した話ですが、読売記者自身によれば、この話には原作があり、「この話は、2004年の『小さな親切はがきキャンペーン』で日本郵政公社総裁賞を受賞した大分県内の女性の作品と酷似しており、同年11月24日の読売新聞夕刊に『あひるさん、ありがとう』のタイトルで掲載されている。」というものです。
ところが、読売記者は、この2004年11月24日の読売新聞夕刊に掲載された『あひるさん、ありがとう』のタイトルの話に「酷似した話」が、どのようにして、中村氏の「最後のパレード」の中に収録されることになったのか、という詳細な経過については触れていないのです。読売側は、「ネット情報の著作権」という難しい分野に敢えて踏み込んでいるのですから、慎重にことを進める必要があります。
先ず、読売側は、原作のネット流出に関して、その責任を含め、この点を先に明らかにすべきでしたが、現在もなお明らかにしていません。中村氏や発行元の「サンクチュアリ・パブリッシング」社を「ネット情報の著作権 軽視」という非難をする前に、明らかにすべきだったのです。
というのは、読売記者氏は、「ネット上の書き込みを中村氏は無断で盗用した疑惑がある」といっているのですが、極めて重大なのは読売記者氏が、まず前記「ネット上の書き込み」(夕刊掲載によりネット流出した書き込み)をまるで肯定しているように見える点です。
本当に記者氏は肯定してもいいのでしょうか?先ず、この「ネット上の書き込み」がどのようになされ、このことに法律上の責任の有無について取材し、その結果等を記事化すべきでした。そうすれば、とても肯定できるようなものでないことがわかったはずでしょう。そこで、この点をみていくことにしましょう。
現在、公表されている情報によれば、、『あひるさん、ありがとう』のタイトルの話が、ネット上に公表されたのは、2004年11月24日の読売新聞夕刊に掲載された直後の04年11月30日で、「24日の新聞に載っていた」との注意書き付きで「ディズニー」に関する「2ch感動スレ」に書き込まれた投稿(投稿番号681,682)が最初のもののようです。
そうすると、すでにこの時点で、重大な問題が発生しているのです。
先ず第一に、読売新聞が2004年11月24日の夕刊に掲載する段階で、『あひるさん、ありがとう』の著作権をもつ『小さな親切運動本部』との間で、著作権利用について、有償無償とか事後発生する問題の責任の負担を含めどのような契約を結んでいたのか、ということです。
読売新聞といえども購読を前提に記事を夕刊に掲載し、しかも一般報道記事と違って、前記記者氏が最近になって「原作」の同一性を変えた(盗用した?)ことを問題として追及記事を掲載するような「著作権」が問題となるような「ノンフィクション作品」と捉えている以上、著作権利用に関する問題の発生時の責任のとり方を取り決めていないほど気楽に利用し掲載したとは思えません。
というのは、この「原作」は、読売がその2004年11月24日付け夕刊に、掲載した直後の11月30日に、すでに「24日の新聞に載っていた」との注意書き付きで「2ch感動スレ」に書き込まれ、ネット上に流出していて、しかも、このとき以降、相当数、これがコピペされて、その殆どが「24日の新聞に載っていた」との注意書きなしで、ネット上で公表されているからです。
ここで重大なのは、読売夕刊が掲載したことが直接的原因で、ネット上に流出し不特定多数に24時間公表された「エピソード」は、原作では単なる「あひるさん」とされていた記述が、「ドナルド」という「ディズニー」のキャラクターに改変されてしまい、しかも、「2ちゃんねる」の「ディズニー」に関する「感動スレ」に投稿されてしまったのです。
このことからも、原作とは別の「ディズニー」の「エピソード」にすっかり改変されていることがわかります。(読売記者氏も「2ちゃんねる」には同ランド(「ディズニーランド」)での感動した出来事を紹介するコーナーがあり、そこへの書き込みと酷似」していることを認めているとおりです。)
こうした経過を経て、「ドナルド」という「ディズニー」のキャラクターが登場する「ディズニー」の「エピソード」が、原作とは別に4年半以上も公然と掲載され、ネット上でさまざまにコピペされて今日に至ったというわけですが、こういった事情をみると、この間、著作権をもつ『小さな親切運動本部』側は、何もせず、放置していたとしか考えられません。読売新聞側も何らかの措置をとったとは思えません。
というのは、著作権法第20条には極めて大切な規定がなされています。すなわち「著作者は、その著作物及びその題号の同一性を保持する権利を有し、その意に反してこれらの変更、切除その他の改変を受けないものとする。」という同一性保持権を定めているのです。
そうすると、読売は夕刊で掲載した結果、その直後に、ネット上に流出しただけでなく、読売自身が「原作」だという、『あひるさん、ありがとう』という話は、実際の遊園地の話ではなく、別の「ディズニーランド」というテーマパークの感動エピソードに改変されて、24時間不特定多数の閲覧に供されたしまったわけです。
この点について、中村氏や発行元を非難する前に、読売記者氏は、著作権の同一性保持という決定的な法律上の定めについて、読売新聞側がどのような措置をとられたか、取材、調査されたのでしょうか?ぜひ知りたいものです
。
2004年11月24日から3年どころか、すでに4年半以上もたっています(このことは大きな意味があります)が、今、原作の「著作権」を問題とするのであれば、著作権をもつ『小さな親切運動本部』側は、『あひるさん、ありがとう』の著作権侵害を差し止め、著作物の同一性保持のために何らかの手段をとるべきでした。しかし、どうもそのような気配すらみえません。
どのような努力をしたのか、ぜひ公表してほしいものです。もしくは、今、どうされようとしているのか、ぜひ知りたいものです。
著作権をもつ『小さな親切運動本部』側が先ずもって責任を問わなければならなかったのは、ネット流出の原因者である読売に対してであり、改変してネット流出させた人たちです。
読売記者氏に何を教わったのか知りませんが、ネット上の改変されたあとの「ディズニーランド」の「感動エピソード」を、経過を知らずに(ご本人によれば)利用したということだけを理由に、ただちに中村氏や発行元の法的責任を問題にすることを可能とする法的根拠は一体どこにあるのでしょうか?
高裁の判例は「ネット上の掲示板に投稿した人たち」が出版した掲示板管理者を提訴した事件であって、「最後のパレード」の場合はネット上の改変されたあとの「ディズニーランド」の「感動エピソード」を知らずに利用したにすぎませんから、援用できるような判例でないことはすぐにわかる問題です。それと、蛇足ですが、まさか、原作を違法に改変した投稿者らが、「最後のパレード」関係者を提訴するとは到底考えられない話です。
「2ちゃんねる」の「ディズニーランド」関連スレッドに書き込まれた相当数の「ネット情報」は、そのエピソードの舞台をすっかり変えて原作の同一性を改変した権利侵害行為ですが、この点に関し、著作権をもつ『小さな親切運動本部』側は、直接の原因者(読売新聞)そして直接の同一性改変者(ネット掲示板投稿者ら)の問題を先ず、整理する必要があります。
それにしても、むしろ、原因者側にいる読売記者氏が、なぜ、経過、責任の所在を詳細に調査、取材しないで、「盗用疑惑」というような言葉を使い、あたかも不正を働いたように記事を執筆、掲載し、中村氏や発行元を過激に非難したのか不思議です。
その結果、すでにこの本を店頭から引上げることを決めた書店がでている実害が発生している以上、今後、読売新聞側は責任を問われかねない事態もありうるようにも感じます。
また、この問題では、社員(キャスト)の方が権利主張する著作権者として登場するなど、法的には根拠が疑わしいものまで出てきているようですし、多くの整理が必要ではないか、と思われます。 著作権法には記者たちが見落としている重要な定めもあるように思います。
特に、読売側には、単なる第三者ではなく、原作を公表しネット流出させた原因者であって、むしろ当事者ですから、前記疑問について真摯な態度で回答されるようお願いをしたいものです。
しかし、事態は暴走を続けています。
− 読売記者は「謝罪」だけで済みますかね −
「大手書店チェーンの「丸善」(本社・東京)は28日、東京ディズニーランドにまつわるエピソードを集めたとされるベストセラー「最後のパレード」(中村克著)の販売を取りやめ、全国の系列約30店の店頭から撤去することを明らかにした。
同書は「小さな親切」運動本部のキャンペーン入賞作などを無断で引用していたことが判明し、版元のサンクチュアリ・パブリッシングは著作権法違反を認めて謝罪したが、自主回収は行っていない。
丸善は「(同書に)いろいろな問題があることが判明し、売り場から撤去することが適当だと判断した。最終的には返品も検討する」としている。」
(産経ニュース 2009.4.28 19:43)
「 ・・・同書については、収録されていたエピソードが、「小さな親切」運動本部のキャンペーン入賞作を無断引用していたことが判明し、同本部が新聞への謝罪文掲載や自主回収を要求。・・・」(産経ニュース 2009.5.1 13:18)
http://www.geocities.jp/higashimurayamasiminsinbun/page222.html
淑女の皆様には朝から失礼します。
私の父は元日本軍の軍曹(上官は池部良氏であったと聞いた記憶があります。)であり、とても厳しく私を躾(しつけ)ました。
自分のことしか考えない「せこい」こと=「エガワる」ことをすると・・・「ノミのキンタマの8分の1のようなちっぽけな人間になるな!」とよく叱りつけられました。
父に代わって、サンクチュアリ出版様を攻撃しているちっぽけな人たちを叱りつけたいですね。
皆様の励ましのおかげです。
過去にこんなことを書いていたことを思い出しました。
http://gpscompany.blogdehp.ne.jp/article/10898347.html
http://gpscompany.blogdehp.ne.jp/article/13280228.html
前著「すべてのゲストがVIP」の発刊時には、こんな騒ぎにはなりませんでした。オリエンタルランドからも「謹むように(慎重に事をなすという意味)」という文書もいただきませんでした。(今後はディズニーランドに関する本は決して執筆しません。)
この在籍者だけが知り得るエピソードを掲載したことに対しても何のおとがめもありませんでしたし、ディズニーランドの元同寮から「運営本部の本棚にある」と知らされ、とても喜んだ経緯があります。
元キャストによるディズニーランドに関する書籍はたくさん出版されています。
http://maihamakyo.org/mbookb.html
私はディズニーランド在籍中も今も「パークバリューを高める」ことだけを考えてきました。「パークバリューを下げる本」など書く理由がまったくありませんでした。
反対に、「パークバリューを下げる本」も発刊されています。
「社会人として大切なことはみんなディズニーランドから教わった」
この本には「上長から回し蹴りを食らった」など、ディズニーランドのパークバリューを下げる内容も書かれています。(オリエンタルランド社内では、回し蹴りをした犯人探しが始まるのは必然です。)
問題にすべきは、パークバリューを高める「最後のパレード」ではなく、パークバリューを下げる、「エガワる思想」の社会人として大切なことをディズニーランドから学んでいない元準社員」が書いたこの本ではないでしょうか。あるいは、ディズニーランドを「詐欺呼ばわり」している「バカの壁」なのではないでしょうか。私はそう考えます。
サンクチュアリ出版様はディズニーランドと同様に「量より質」を重んじる出版社です。年間12冊以上出版しないことでも、書店様から高い評価を受けています。
他方、「社会人として大切なことはみんなディズニーランドから教わった」という愚書を発刊している「こう書房」はまさに「質より量」の姿勢です。
http://kajiyu.cocolog-nifty.com/kagurazaka/2009/03/post-f0cd.html
オリエンタルランドは、このような出版社にも毅然たる態度で臨んでいるのでしょうか。
「中村さん、出る杭は打たれるのです。信じていますから頑張ってください。」という温かいメッセージもたくさん頂戴しています。
嵐に襲われている今日…できるだけ冷静に対応していきたいと思います。
この記事を読んで頂ければご理解いただけるはずです。
それでもご理解いただけない方は、今や引っ張りだこのヤメ検、郷原信郎氏の著書「思考停止社会」をお読みください。
<引用開始>
食の偽装、建築の強度偽装、ライブドア事件、厚生年金記録の「改ざん」問題。取り上げられる事例に共通することは、コトが表面化した途端に企業、組織がメディアや世の中からバッシングされ、事実や背景、原因は無視される構図だ。
「法令遵守」「偽装」「隠蔽(いんぺい)」「改ざん」「捏造」バッシングに使われる言葉の数々を、時代劇になぞらえ「印籠(いんろう」と呼ぶ。
日本人は「印籠」を出されるとひれ伏してしまう。メディアも世の中もバッシングに加担。思考停止です。
<引用終了>
4月19日 朝日新聞
朝日新聞、平成12年3月5日の「天声人語」から
<引用開始>
「私は心の底では責任があるとは感じていません」
彼は、元ナチス親衛隊中佐アドルフ・アイヒマン。ユダヤ人虐殺にかかわった戦犯として、一九六一年にイスラエルで裁判を受け、死刑になった。 その法廷の未公開記録映像をもとに作られた映画『スペシャリスト――自覚なき殺戮者』が、東京と大阪で上映されている(名古屋などでも上映予定)
なぜ罪を認めないのか。「私は命令に服従しなければならず、それを実行しなければならなかった」と、彼は言い募る。
上官に忠実だっただけであり、同じ立場なら、だれもが同じ事をしただろう。だから人道的にはともかく、法的な責任はないのだ、と この弁明に、裁判を取材したユダヤ人政治思想家ハンナ・アーレントは当時、『イェルサレムのアイヒマン』(みすず書房)を書いて反論した。
<君がしたことの現実性と他の人々がしたかもしれぬことの潜在性とのあいだには決定的な相違がある>。事情はどうあれ、実際に「服従」したことそのものに罪があるのだ、と
<引用終了>
服従するのは無責任であると断罪しています。「自覚なき殺戮者」・・・実に重い言葉です。 しかしながら、日本人は「自覚なき服従」を可とします。
<引用開始>
<新入社員>「良心に反する仕事でも行動」 初めて4割超に
社会経済生産性本部が26日まとめた04年度新入社員意識調査で、「自分の良心に反する仕事でも指示通り行動する」との回答が43.4%に上り、初めて4割を超えた。給与や昇格で年功序列を望む傾向も過去最高に達しており、同本部は「厳しい就職活動を背景に、滅私奉公的なムードが強まっているのではないか」と分析している。
毎日新聞 2004年4月26日
<引用終了>
秋葉原事件を起こした加藤容疑者と同年代の思想です。例え他人を傷つけようが、自分のためならなんでもするという「エガワる思想」と言えると思います。
<引用開始>
★民主政治とは意見の違う者に対し、その人の意見が用いられる余地を残すやり方で、自己主張するが、相手の主張も尊重する政治である。
★民主主義的であるというのは国家意思の形成に参加すべきだということだけではなく国民に良心の自由、言論、出版、とくに結社の自由を保障しなければならない。
これに対して独裁政治は相手方の立場を尊重せず、これを無視して一人または少数の人々の意見を押し通して行う政治のやり方であり、一面、専制政治とも呼ばれている。
<引用終了>
(「民主政治と国民の態度」という8,672文字の公開された論文から215文字を引用いたしました。)
私も全く同意見です。私が受けた「仕打ち」のように、まさに「無理が通れば道理が引っ込む」のです。
私は30年以上前の「江川事件」から、世の中が変わったと考えています。日本人が変わってしまったと考えています。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B1%9F%E5%B7%9D%E4%BA%8B%E4%BB%B6
「最後のパレード」の著者として、思いやりのある世の中に戻って欲しい、そう願ってやみません。
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2009年05月(33)◆ 東京ディズニーランドの元スーパーバイザー
◆ 趣味:ガーデニング アメリカンカントリー
◆ 家族:妻と子供二人 猫一匹
◆ 経歴等はこちらから
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